アレクサンドロス三世「改めて考えると凄いなって思うなあ。俺はやっぱ」 [無断転載禁止]©2ch.net
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改めて考えると凄いなって思うなあ。俺はやっぱ
ギリシャも統一できるしさ、小アジアも制圧できちゃうし、ほんでエジプトも占領できるでしょ?
ほんでーさらにはペルシアも滅亡させてるって?ほんでーアレクサンドリアも作ってるって?
なかなかできないよそういうことは
なかなか難しいと思うよそういうことは
そういうクリエイティブな人はなっかなかいないと思うよ
やっぱ俺って凄いんかなぁ リック軍国のインド侵攻の際は
ほぼ必ずといっていいほど
カイバル峠を通るんですよねぇ
海沿いにやっちゃったのってポルトガル以前にもいたのかなぁ ソグディアナにベッソスの残党がいるんだからそれを
放置してインドに行く訳にいかないだろ。
ソグディアナを平定したらインドに行くにはアフガンを
必ず通る。
大体イラン東南部、パキスタン南部なんて水の補給の
厳しいルートを通る訳無い。
インド洋航路もアレクが帰還に際してネアルコスに調査
させたもんだからな。 帰路パキスタン南部を通ったら多数の兵士が死んだけどね。 >>303
あの辺の陸軍国ってユーラシアの中央部を制す遊牧騎馬民の国が大半だから
そりゃ海沿いとかは通らないだろうね
>>304
そう、つまりインド行きたいから行ったのではなく
ペルシア旧領回復運動がアレクサンドロスの軍事行動だったってこと
わかってもらえて何より 兵士がもうこれ以上進軍したくないというから引き返したんだが。
東征記のその辺の下りは読んだの? だからそこを疑えって話してるところで読んだ、ってアホかいな 何で兵士が帰りたがってるのに先に進みたい振りをする
必要があるんだ?
またはそういう話をでっち上げる必要があるんだよ?
意味が分からない。
根拠は脳内でそう思ったからってだけなんだろ? 今の時代だと、歴史上の凄い英雄の五指にはいるくらい?ってくらいの凄さだけど
当時だと、圧倒的覇業
歴史どころか神話にも例がない アキレウスもヘラクレスも超えた
ばかみたいな途方もない大成功って感じだったのだろうか >>309
王は勝って前に進みたかったけど兵士が帰りたがったから
って武名の誉れ高きアレクサンドロス大王には実に相応しい撤退理由だよね
実際がどうであれ王の意思がどうであれ帰ることができる >>311
だから何?
どこにアレクが本当は帰りたかった証拠があんの? 岩明のヒストリエのつっこみでもしてた方がマシだ・・・ ヤヴァナ人(ギリシア人)は結局はパータリプトラあたりまで
攻め込んだからな。 ボクトツがヒャッハーしてきたらぶつかっただろうけど、
時代が合わない。 セレウコス朝のアンティオコス3世は同時代だな
アンティオコス3世がローマに敗退してセレウコス朝が衰退したので
バクトリアやパルティアが再独立してイラン東部が混乱してしまい
サカ族と月氏はイラン東部へ民族移動した
セレウコス朝が健在ならば月氏は西へ逃げる事が出来ないので
月氏は漢と同盟して匈奴と戦うか匈奴に降伏して漢と戦ったはず
月氏の戦力が加わる事により匈奴と漢のいずれかが滅亡したかも セレウコス朝からの独立にあたっては、男色事件が関係しているぞ。
詳しくは、京都大学学術出版会・刊行の『西洋古典学事典』、並びに
『西洋古典学事典アプリ』を参照のこと。
よいな。 もし匈奴が滅亡してたらアッティラは出現しなかったのか 胸が熱いわ 冒頓はコーカソイド顔だったが、アッティラはドルジ顔
匈奴≠フン説をとる人はかく語る・・ アレクサンドロスの貨幣の肖像にはヘラクレスのと大王自身の肖像がある。
見た目はあんまり違わないけど。 そういやそうだな。
考えてみればアレキサンダー大王のインド遠征とふつう言っているが、
アレキサンダーは今でいうインドの領域には一歩も踏み込まないまま
Uターンしたんじゃね。 教科書の誤記修正
誤:アレクサンダー大王によるインド遠征
正:アレクサンダー大王によるパキスタン遠征 国家としてのインドじゃなくて地域としてのインドは現在のパキスタンを含む説 もともとインドってのはインダス川流域のことなんだから
何も問題はないが
つうかヴァルダナ朝あたりになってもインドつったらヴィンディヤ山脈までで
そっから南は化外の地扱い アーリア系のシンド人が移住したのでインダス河と呼ばれるようになったらしいね
黒海北岸のスキタイ系部族にシンドイ族がいたから元々シンド人もシンドイ族も
中央アジアに住んでいたけど分裂して南に移住したり西に移住したようだ アレクサンドロスは中国ならホンタイジに匹敵する英雄ではあるな
ヌルハチとフィリッポス、ドルゴンとペルディッカス、
崇禎帝とダレイオス、魏忠賢とパゴアス、袁崇カンとメムノン、
李自成とベッソス、呉三桂とオクシュアルテス、鄭成功とスピタメネス・・・と
人物配置もよく似ている
盤石な大帝国があっさり滅びるタイミングというのは、こういうパターンに嵌ったときなのだろう >>306
当時はマケドニアによるプロパガンダが凄かったからねえ
今もそれに騙されて、ダレイオスが軍を見捨てて逃げたということを信じてる奴大勢いるし
しかもアッリアノス自身、大王の偉業を喧伝せねばという使命感で書いたわけだし >>44
だからその領土の「枠」がダレイオス1世の踏襲なんだよ
中国の王朝交代するみたいなものだ
始皇帝のほうが契丹・北宋を滅ぼした金の皇帝より名高いのと同じ
>>199
インドはペルシア帝国時代の行政資料があったからハイペースで進めた
その先が未知の世界だったので偵察隊を送ろうとしたら部下もびびってて拒絶されたわけ(ブリアン)
だからそのままのペースで進めるはずもなく、そこからは遅々としたものになるはず
幸運によってガンジスまで征服し、さらにシーナにまで到達したとしても、
すでに昭王の時代であり、そこで白起将軍に迎撃されてオワリだな・・・ ペルシャのインド統治何て貢納品受け取るだけの羈縻政策どまりで行政史料なんてあるわけないし
東征時は勝手に擁立された太守が乱立してたわけだが
そもそもペルシャの一属州レベルの規模しかない、しかもまだ青銅器時代の秦が東征軍の相手になるわけないだろ
統一時の秦ですら真っ向から勝負するのは難しいレベル 東征当時インドにはサトラップがいたという記述がないぞ。
タクシレスやポロスとかいう原住民の王が統治していた。 世の男性がヒゲを伸ばさず剃って勤めに出るようになったのは、
アレキサンダー大王のお達しがその始まりという説がある。
それが事実であるならば、全世界の床屋さんとカミソリ製造業者は、
マケドニア方面に足を向けて寝られないであろう・・・ ピリッポス2世筆頭にマケドニア人はヒゲ伸ばすのが一般的だったので
それはねえよ
そもそもこれはギリシャに限らずだが古代は「労働は奴隷化の第一歩」(アリストテレス)と考えれていたので
自営業者はいても奴隷でない市民に雇用者や労働者階級は存在しない フィリッポスがヒゲを生やしてたのは関係なくね?
大王の時代の話だろ。 戦前まではみなヒゲはやしてたと思うんだが
アレキサンダー大王とか遡りすぎだろ 確かにセレウコス、プトレマイオスなんかは生やしてない。
セレウコス朝、プトレマイオス朝、バクトリアの王なんかも
生やしてない王がほとんど。 どや顔で勝ち誇ってるとこ悪いがセレウコス一世のコインは4種類ぐらいあって
晩年の頃に作られたものはヒゲはやしてるから年取ってからはやしてたのだろう
逆にプトレマイオス6世やプトレマイオス9世は若い時の姿を描いた硬貨や彫像だと
ヒゲはやしてるけど年取ってからは剃ってたらしい だから何なんだ?
マケドニア系の国家でヒゲを剃る王がほとんどだったことに何か反論があるの? だから何なんだ?
東条英機もスターリンもヒトラーもヒゲはやしてるし前世紀は男性はヒゲ生やすのが一般的だったろ
男性がヒゲを剃るのが一般的になったのはアレキサンダー大王のお達しがその始まりってのは無理あり過ぎ
反論ある? ソクラテスもプラトンもアリストテレスもペリクレスもテミストクレスも
ヒゲ生やしてるしな〜。
スルーしたきゃすればいいだけじゃね? 戦場でひげを掴まれたらあかん、というのが理由
得物が長槍なのに、そんな超接近戦まで考えんとあかんのか >>357
プルターク英雄伝も読まずに大王について語ろうなどと
そんな不敬で不埒な者は、よもやここには居るまいな? アンティゴノス朝には政略結婚とかでもテメノス朝(大王の家系)の血が
入ってないかも知れん・・・ アフガンとかパキスタンのギリシャ人は結局現地民に同化しちゃったのかな?
ローマ帝国時代に西に帰ったのか・・・ 樺太にも、アレクサンドロフスクって名前の場所があるんだな
北海道のすぐ北 アレキサンドロスに関して言えば、その征服事業より
都市を立てまくった建設事業の方が、はるかに注目に値する。
征服に使った多数の兵士については史書に記録されているが、
一方あれだけ沢山の都市を建てるに必要な大勢の
建設エンジニアはいったいどのポケットから取り出したのか? 普通に土地の住民を使役したんだろ。
設計だけはギリシャ人技師にやらせて。 たくさん造ったのはいいけど、今に残ってる都市はエジプトのアレキサンドリアだけなのかな
土地の選定眼がなかったんじゃないかな 大王によって、むりやり東方に移住させられたギリシャ人は多かったよ。
その境遇に満足なわけはなく、たびたび大規模な反乱を起こしている。 そりゃあ凄すぎや
現代に居たらとんでもない化け物だったろう エジプトの元ファラオであったネクタネボ2世がアレキサンダーの実父
とかいう噺がある。
アレキサンダーがアレキサンドリアをエジプトに建設して、彼の帝国の
首都としようとしたという噺もあり、あんがいエジプトに自身のルーツを
感じていたのかもしれない。 どうやってネクタネボの子がマケドニア王子になれたんだよw >>374
中世の昼メロ、アレキサンダー・ロマンス
エジプト人マジシャン(ファラオ亡命なう)とマケドニア王妃の失楽園
愛があるところに不可能はない >>376
アレクの名を冠したアレキサンドリアは首都ではないが、冒頓の名を冠したウランバートルは首都! 大王は何故かアモン神の息子を称してるんだよな。
大王像に見える二本角もアモンの象徴だったような・・・ アモン神の角は羊の角で、アンモナイトはアモン神の角みたいに
グルグル巻いてるからアモン+ナイト(石)ということで名づけられたそうだ。 征服した土地にアレキサンドリアを建てまくったらしいけど
今では世界中にアレキサンドリアの名の付く都市ができてるからな。
大王は地球そのものを支配したと考えるのが妥当。 マケドニアって当時どんな感じに見られてたの?田舎者って感じ? ところでなんでアレクサンドロス大王はこんなにも強かったの? 母ちゃんのほうがディアドコイ戦争で真っ先にやられた糞ザコナメクジなのでそれはない
端的に言うとオヤジがギリシャ統一の布石を作っていたのと、マケドニア式ファランクスというローマに破られるまで
最強の歩兵集団を確立して、それを損耗しないうちにくたばったため ペルシャ軍が雑魚だったからだよ。
鎌戦車とか全く旧時代の兵器をずっと使ってたからな。 アレクサンドロスって語源はアレクス+アンドロスだと思うんだが
その意味は何なんだろうか教えろください
アンドロスは男が何とかということだと想像がつくがアレクスが
わからない 大王はテュロスをボッコボコにして征服したけど、
背後からカルタゴに復讐として襲われることを
考えてなかったのかな? >>386
ペルシャ本国軍は鎧を着ない軽装備で身軽さと数を武器にしていたようだね
ベッソスのバクトリア軍とかは既に重装備のカタフラクトが主力だった
マザイオスのバビロニア軍やベッソスのバクトリア軍とか各サトラップの軍は
それぞれアレクのマケドニア軍に匹敵する兵数だったからその気さえあれば
ダレイオス3世が敗走してもマケドニア軍を撃破出来たみたい
5万以下の兵でダレイオス3世の大軍と対戦したアレクは
ロクサネとの結婚で兵力を増強して10万もの大軍でインドに攻め込んだとされる ホラズム・シャー朝のテキシュはテルケン・ハトンと結婚して
カンクリ族を戦力に加えて帝国建設をスタートさせたけど
これはアレクの真似をしてアレク以上に成功した例だよね おそらく
アケメネス朝のキュロス2世もマッサゲタイのトミュリスと結婚して
後のアレクのように戦力増強を図ったのだろうけど成功しなかった >>102
広めた結果、帝国が崩壊してるじゃねぇかよww >>396
バクトリアを制圧したのはインドを遠征を中止した後なんだが
もう時系列無茶苦茶 >>812
アケメネス朝とかほとんど遺物も当時のレリーフもほとんど残ってないのに
そんなにハッキリとわかるもんかね?
その絵は教科書でもおなじみのこれを参考にしてる様だけど、どこまで正確か
http://www.brianmefford.net/wp-content/uploads/2015/08/image12.jpg
アッリアノスやクルティウス、ユスティヌスを読むともっと重武装なんだよね
馬はひざ下まで覆う鎧をつけていた、とか、巨大で金ぴかに装飾された武具を持つペルシャ軍本隊の威容を見て怖気づくものが相次ぐとか
こっちのほうがイメージ的にはあってる
https://weaponsandwarfare.files.wordpress.com/2015/11/achaemenid_chariot.jpg >>396
大規模な騎兵軍団を率いる匈奴相手に戦ってるBC4世紀頃に確立されたのが
中原の弩兵戦術なもんで小規模な精鋭騎兵しか持ってないアレクサンドロスのお友達は話にならないんだよなぁ アレクサンドロスの長征についてもアナバシスみたいな
部下が語った記録が残ってたら面白かったのにね インドに行く前のソグディアナ(ウズベキスタン)辺りでもうこれ以上の遠征は嫌になってそう ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています