アレクサンドロス三世「改めて考えると凄いなって思うなあ。俺はやっぱ」 [無断転載禁止]©2ch.net
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改めて考えると凄いなって思うなあ。俺はやっぱ
ギリシャも統一できるしさ、小アジアも制圧できちゃうし、ほんでエジプトも占領できるでしょ?
ほんでーさらにはペルシアも滅亡させてるって?ほんでーアレクサンドリアも作ってるって?
なかなかできないよそういうことは
なかなか難しいと思うよそういうことは
そういうクリエイティブな人はなっかなかいないと思うよ
やっぱ俺って凄いんかなぁ >>812
アケメネス朝とかほとんど遺物も当時のレリーフもほとんど残ってないのに
そんなにハッキリとわかるもんかね?
その絵は教科書でもおなじみのこれを参考にしてる様だけど、どこまで正確か
http://www.brianmefford.net/wp-content/uploads/2015/08/image12.jpg
アッリアノスやクルティウス、ユスティヌスを読むともっと重武装なんだよね
馬はひざ下まで覆う鎧をつけていた、とか、巨大で金ぴかに装飾された武具を持つペルシャ軍本隊の威容を見て怖気づくものが相次ぐとか
こっちのほうがイメージ的にはあってる
https://weaponsandwarfare.files.wordpress.com/2015/11/achaemenid_chariot.jpg >>396
大規模な騎兵軍団を率いる匈奴相手に戦ってるBC4世紀頃に確立されたのが
中原の弩兵戦術なもんで小規模な精鋭騎兵しか持ってないアレクサンドロスのお友達は話にならないんだよなぁ アレクサンドロスの長征についてもアナバシスみたいな
部下が語った記録が残ってたら面白かったのにね インドに行く前のソグディアナ(ウズベキスタン)辺りでもうこれ以上の遠征は嫌になってそう 匈奴に大規模な騎兵隊なんかいたか?
一郡県に過ぎない(数万人)という人口しかないのだから
精々1〜2万程度だろ つうかアケメネス朝とスキタイとソグディアナの騎馬民族を手にしてる時点で
匈奴とは比較にならんわ
中国も小国ばっかでおまけにまだ青銅器時代だろ 中国の騎兵化はよく趙の武霊王の胡服騎射がスタートだとされるけど
これは趙が秦に滅ぼされてしまったので途絶してしまった
劉邦が冒頓単于に敗北してから匈奴に対抗する為に
漢によって中国の騎兵の整備が再スタートした >>405
匈奴が李牧に敗けた時は十数万の損害出したりしてて
冒頓単于の草原統一以前から割ととんでもない動員力がある >>405
匈奴っていっても実質匈奴を中心とした遊牧民連合だから >>409
李牧に敗けた時に十数万の損害出してオルドスの住民が減ったので
冒頓単于は東胡や丁零などを征服して兵を補充したのだろう 冒頓軍の40万騎も、頼朝軍の20万騎や維盛軍の10万騎と同じで誇張が入ってると思うよ チンギス・ハンの全盛期モンゴルで12万9千だろ
それより千年以上前で十数万戸かムリムリ
東胡や丁零の全人口を合わせても10万も行かないと思う >>413
モンゴル帝国のモンゴル人は20倍弱くらいはいるよ
モンゴル周辺の遊牧で食ってける人口というのは大体200万人が頭打ちとされてるけど
この人口は紀元前くらいからその程度の人数はいるという推計もされてたり >>412
劉邦軍32万というのはどうなんだろうか >>414
匈奴が月氏を追い出したりキルギスがウイグルを追い出したりしたから
モンゴル周辺の人口は古代から増加しないで同じくらいの数らしいね
むしろ砂漠化とかで牧草地が減って古代よりも人口が減っていたかも 追い出すというか遊牧民は勝ったほうの部族に雪崩打って帰参して勝手にその民族の名前名乗り始める習慣があるから
羯なんて恐らく最初は月氏側の部族だったが後に匈奴、鮮卑、室韋、後には黄頭女直と名乗り始めたり
しょっちゅう帰属先変えてる 個人的にはスキタイの人口のほうが気になるな
アレクサンドロスはシルダリヤ川がアステスの残党と戦ってるけど父フィリッポスがアステスを破ったのはドナウ川流域
一体どんだけ支配領域広いんだよ
実際、スキタイの古墳群はトゥバのアルジャンから北カフカスまで広がってるし
ユーラシア最大の遊牧民だったことは間違いない スキタイ出自のコサックもいたんだろうね ザンギエフのように強いイメージw >>368
アフガンのカンダハールは?
現地語でアレキサンダーって意味らしいが。 >>416
その匈奴も鮮卑に追い出されたんだから、栄枯盛衰だな >>418
カスピ海周辺を中心にして黒海北岸経由でドナウ近傍ってのは
キプチャク汗国なんかの支配域見ればわかるように遊牧民の行動パターンの一つ 世界史のようにおもしろいかねがはいってくるさいと
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
OMHWU アレクサンドロス大王の英雄譚も良いけど
個人的には十字軍の方がワクワク感が半端ない
異教徒ぶっ倒して聖地奪還とかこれ以上のロマンはないわ
聖十字架を発見した騎士たちの感動も一入だったろう とかいう坊主の釣りに騙されて
中東の野晒し死体に成り果てぬ syamuスレなのに全く本人の話題出てなくて悲しい 何が惜しいって、大王およびディアドコイの動向を詳報する同時代史料が散逸して
しまったことだ。我々はローマ時代の二次史料、三次史料でしかこの時代を知る事
ができない。いうまでもなく現実を歪曲・美化した創作だらけ
世界のどこかから、アレクサンドリア図書館跡からでもペラの王城跡からでも、
なんならインドやアフガンの古井戸の底からでもいい、マケドニア宮廷でやりとり
された書簡だの従軍書記の日記だの、エウメネスの自著だのネアルコスの航海日記
だの出てきてくれたらなあと夢想する
間違いなく、死海文書をこえる世界遺産だろう .┌、 r┐ r┐ヾ> (_ / ミ
!. | ヾ> || lニ コ 〈/`ヽ _ ミ
|. ! ノ| | レ! _| |. ,イ,.- 、 |  ̄_ ̄丁 '' ー┬‐- -ミ
ヽ二/ .ヽ/(___メ> /,|.l l ! ( ) ! (´ ) ! r‐
ry'〉 ,、 /イ,! `ー' _L =- --┴-ニ二ト、_'ー'
lニ', r三) (( |'J」-''_二 =-- ‐一 ー‐t‐-ト、 二__
|_| )) レ'/´ィ 、_________ ヾミ| l
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└l. レ',.-、ヽ )) |ノ^>、 '^ミ二´ | l:.:.:.::
ノ r' __,! | (( V/イソ .::ヽ、二_
└'!_| (_t_メ.> )) | / ,' _ .:.:.:.::i|,)ノ
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,、二.._ )) | 笊yfミミミミヾ、 '!l|il|li!fj'
ーァ /. (( ヽ |i''r ''_二二ニミ;ヽ、 ,|l||il|l|,「゚|
ん、二フ )) |,l| V´ :::::::::;;/ トi|l|i|i|l|!Ll
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. | .レ' / l.| ヽ二ニ,ヽ ,/i|l||livil|||l|i|l|l|lil|l|i|l|i|i|i|l|l|l|{'
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|_| l´r' 7 /_7 / 」__〉 (_~`^~"゙'ヾ ノ / ,
[_] [_] 〈_/ヽ_/ .ト─' ノ / /i オオィ!それってYO!マケドニアのネタじゃんか!アッアッアッアッ ヘファイスティオンとラブラブだったことしか興味ない 友達から教えてもらったパソコン一台でお金持ちになれるやり方
興味がある人はどうぞ
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
QCB ショーン・コネリー主演映画「王になろうとした男」は、アフガニスタン僻地の
「禁断の王国」で西欧人が王様にのし上がる話だが、その王国というのがじつは
アレクサンドロス大王の遠征に参加した兵士たちの子孫という設定
現にアフガニスタンやパキスタンには、周辺民族と経路が異なる、金髪碧眼で色白の
部族民が居る。本人たちもその気になってか、「子孫」と称したりしている
ただし、遺伝子学的には否定的な結果だとのこと。ペルシア人が流れ着いただけと
みられる。言語や宗教や風俗もそれを裏付けており、ギリシア的痕跡はないとのこと
ちょっと残念ではある。ギリシア兵の子孫が裏付けされたら、世紀の大発見なのに 【考古学】〈続報〉新発見の黒色花崗(かこう)岩でできた巨大な石棺棺、アレクサンドロス大王ではなかった エジプト[07/20]
http://egg.5ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1532344944/ >>439
何を言いたいのかわからない。
少ない兵力でペルシアの大軍を撃破したんだったら、十分に英雄でいいじゃないか?
「英雄」に何を求めるのか?
英雄は完全無欠の道徳者でないといけないのか?
虐殺する男は英雄格下げになるのか?
アケメネス朝ペルシアの道路を利用したら、英雄失格になるのか?
死後に帝国が分裂したら、英雄じゃないと言うならば、
始皇帝も秀吉も小物だというのか?
死後に一層伝説化されたからって、過小評価することはないだろうに。
存命当時だって、十分に英雄視されてただろうに。
中央アジアのソグド人ですら、畏敬の念を持っていたぞ。 >>439
漢の武帝のクズっぷりに比べたら
立派過ぎて涙がでてくる素晴らしさっすねぇ、、、 >>436
これすんげえ眉唾なトンデモ説だけどな
そもそもダブスがこの説唱えた経緯からしてもうガバガバだし アケメネス朝を滅ぼしたあとは、征服王というより冒険王ないし探検王の観がある
個人的かつ学術的な、好奇心とか知的欲求の領域
同時代の従軍記録が散逸して、断片的な二次史料のみになってしまったのが惜しまれる 今朝のNHKニュースで、北マケドニアの国名問題を解説してた。 マケドニアの場所にあるんだからマケドニアを名乗っていいじゃないかねえ そんな名前の国と隣接していたら、ギリシャ人は怖くて夜も寝られません。 マケドニアじゃなくてイリュリアって名乗った方がいいだろ 一時期「スコピエ共和国」という案もあったようだが、流れたのか 歴史まつりでマケドニアン・ファランクスを再現したら
観光客を集められると思う いま住んでるのは、往古のマケドニアとは全く無関係の民族なんだろ。 フルーツサラダのマチェドニアが古代マケドニア由来だと知ってびっくり 1、朝鮮人
2、アレクサンドロス
3、キュロス
4、ハンニバル
訂正をお願いします アレクサンドロスより前にインドに来たというディオニュソスって誰なんや? アレクサンドロスとナンダ朝が
インドで戦ったらどっちが勝ったんだろうか? そうなの?
ポロスのほうが地方領主みたいなものと
思ったけど ポロス:大国ペルシャを滅ぼした大王の軍隊に善戦
ナンダ王:得体の知れない素浪人チャンドラグプタに倒される
差は明らかだな アレクスはキュロスのパクりみたいなもんで基本的にアケメネス朝の領土を踏襲しただけ
日本でいえば足利義教のパクりのように踏襲感あった家康みたいなもん
家康、アレクスもオリジナル感はない
過小評価してるわけではないけどな ファランクスがすごいって
じゃあ真ん中に兵置かず左右から
挟み撃ちで攻めればいいだろ
指揮官バカじゃねーの? パルメニオンが生きてれば
帝国分裂しなかっただろうな >>462
これは天才的です!!!
ぜったい世界制服できちゃいますね >>462
ファランクスがいくら方向転換が苦手といっても
はるか彼方から人が歩く速さでゆっくり近づくのだから
ぶつかるまでには相手も向きを変えて正対しているだろう
ヘタをうつと挟撃の片翼に相手の全部が向かってきて
挟撃を目論んだ側が数で不利なまま各個撃破されるかもしれない 左右には機動力のある部隊を配置して守ってたと思うけど。 騎馬隊が敵の背後に回ってファランクスと挟み撃ちだよ 大王が上手かったのはファランクスよりもむしろ騎馬隊の運用。 >>1
んん?クリエイティブだったはアリストテレース先生では。 >>463
パルメニオンさんの中の人は
そんなに凄かったんですかね?
もしかして年功的なやつですかね 死後パルメニオンが実権握っただろう
王傀儡にしてでもね 王を傀儡にしてもダメだったんで
ディアドこったんじゃ フィロタス処刑のままパルメニオンを生かし続けるのは危険 小柳ゆきの「あなたのキスを数えましょう」はアレクサンダー戦記で好きになった曲
だけど、あの歌詞やメロディと、アレクサンドロス大王の(脚色されまくりパラレル
ワールド風味ながら)殺戮粛清ヒャッハー覇道を、どう関連づけるのかと小一時間
まあたしかに、何気にギャップ萌えしすぎてハマっちゃうんだけどな 大王の墓はかなり荒らされてるだろう。
ムスリム征服の頃とかまで残ってたら特に。 カリグラだかが墓からマントとか取り出したりしてるからな ムスリム征服の頃まで残ってたらかえってのこりよさそう
キリスト教圏の異教徒の宗教施設の残り具合の悪さは酷いぞ
ローマ時代の神殿の遺構もほとんど中近東にしか残ってないし 墓所はやはりアレクサンドリアが最有力なのだろうか
他に可能性のある場所は? ローマ時代にアレクサンドリアにあるの確認されてるから
それ以外あり得ない
シドンで大王の棺が発見されたとかあったみたいだけど
関係ないとされたはず 英語版wikipediaによればかなり場所は絞り込まれている模様。
https://en.wikipedia.org/wiki/Tomb_of_Alexander_the_Great
クリスタルの棺なんて、見つかれば他と見間違えようもないだろう。 カラカラがギリシャのアンフィポリスに遺体を移した説もあるのか
知らんかった 本当に蜂蜜漬けのままだったら辛追のミイラのような生けるが如き状態で発見される可能性も 去年見つかった棺みたいに、液状化した死体だったらぞっとしないな アレクサンドロスが長生きしてたらバビロンは都としてもっと繁栄してただろうな 東征に出かけたのが父親のフィリッポス二世だったらどうなってたかな? >>492
長生きしてたらアレクサンドロスもオピスに遷都したのでは
その場合セレウキアじゃなくてアレクサンドリアになるだろうけど >>493
東征に出かけたのが父親のフィリッポス二世だったら
ペルシャ帝国全土を征服しなかったかもしれない
ユーフラテス河以西を征服する事で満足して
ダレイオス三世と講和したかもしれない
フィリッポス二世はマケドニア本国を守る為に
東ばかりでなく西も攻めただろうからローマや
カルタゴとも戦ったはず フィリッポス二世はマケドニア本国を守る為に
東ばかりでなく西も攻めただろうからケルトや
ローマとも戦ったはず ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています