ヒンドゥー文明・インド文化圏・インド人の歴史2 [無断転載禁止]©2ch.net
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インダス川は、ものすごい大河。
沿岸の住民は、家にボートを置いている。
雨季には増水して家が水没するので、水が引くまではボートに乗って水上生活する。 >>68
もっと凄いのはミャンマー
ミャンマーの雨季は、雨量も長さも日本の梅雨の3倍くらいか まあ、年間とおしてインドに滞在してる日本人はまだ少ないし、
いたとしてもデリーとかムンバイあたりなので、
ガンジス川中下流にはとくに少ない
冬とかどうなのかは情報不足でわかりかねるが よく知らない地域のことは、データで判断するしかない。
これで見ると、マガダ国の古都パータリプトラの気候は、
とにかく雨季の降雨量がすさまじい。
でも、乾期はほとんど一滴も降ってない感じ。
ちなみに、よくある「ガンジス川の沐浴」シーンは、乾期の図だとか。
雨季はそれどころじゃないらしい。
http://www2m.biglobe.ne.jp/ZenTech/world/kion/India/Bihar_state.htm 自分もバラナシ辺りに行ってみたいと思うが、
「観光客が盗賊に身ぐるみ剥がれました」というような事件が多い 「北インドはこすっからい人間が多くて、中国朝鮮みたいな国民性。
詐欺師や泥棒に気をつけろ」と知人も言っていた。
南インドは、おおらかな南国気質で、北とは好対照。
行った人はみんな称賛する。 まあ、デリーも「驚くほどの大都会に変貌を遂げた」とか言われてるけど、まだまだだな >>65 パンジャブ人ならパキスタンにもいるけど、さすがにアフガニスタンにまでいるかな? >>65
ますます北イタリアに似てるな
南イタリアよりドイツと統合してた歴史が長い 北イタリア、北インド、華北と常に政治の中心が北部に
英国のロンドンが南側にあるのは珍しいのかも カナダみたいに北のほうは極寒で住みにくいってこともないのにな 北の端に首都があるのは、北方からやってきた異民族に征服された国の特徴
世界共通の傾向として、たいてい首都は北にあるんだけど、
イギリスは南からの異民族に征服された珍しい例 オスマン帝国だって、イスタンブールは帝国全体からみると、かなり北にある 鎌倉時代及び江戸時代以降の日本は東からの異民族に征服されたのか?
いや確かに男も女も槌のような髷を結う中世日本の髪型は古代の東北地方の日高見国の風習そのものだが >>81 バイキングに征服された後、ノルマン人(こいつらもバイキングの末裔だけど)を撃退できてたら、イングランドの首都は今頃ヨークシャー辺りになってたのかな
そして英語も北ゲルマンの影響を受けた後は古英語から今ほど変化せず >>78
北イタリアと英国は大平野の中心で流通交通の要衝 北京は、日本でいえば、青森が首都になってる感じ
そのくらい、地理的に偏った位置にある
デリーには、そんな違和感はない 鮮卑が中国を支配したんだから鮮卑の都が首都になっても違和感はないよ 「最も繁栄してる地域に首都を置く」と考えるなら
江南が最も繁栄してるんだから首都にふさわしいのは南京ということになる
インドだってガンジス流域は人口稠密ではあるが貧しいから繁栄してる地域とは言い難い 唐の都として華やかな貴族文化を誇った長安だが、
その前の隋の煬帝でさえ、「経済の中心は江南」
と考え、長安を留守にして江南に長期滞在し、
事実上の遷都に近かった。 >>90
中国も、黄河流域に人口が密集している
あんまりそういうイメージはないけど、人口分布図で見ると、偏りがすごい >>93
ちょうど、東京から札幌に首都を移したという感覚だな
永楽帝も思いきったことをしたものだ >>95
燕王だった永楽帝にとっては思い切ったことでもなんでもなく
自分の領地を都にしただけ 「最も人口稠密な所に首都を置く」という考えなら
ベンガルになるな
英領印度帝国の都はカルカッタだったし 札幌は元々アイヌの地だが北京は古代からギリギリ黄河文明の領域に含まれてるぞ
日本で言ったらせいぜい大和王権の北限に近い福島県のあたりだろ 北京と南京は、ちょうど札幌と東京くらい離れてるんだよ。
明の領土における北京のロケーションは、日本における札幌に相当するほどの北端にある。
当時の人々の感覚としては、まさに「皇帝陛下が札幌に都を移された」というものだっただろう。 上海人と話してみれば、彼らにとっての北京は、東京人にとっての札幌みたいなものだ。
今でこそ、北京も超高層ビルが建ち並び、首都にふさわしい威容を整えられたが、
以前は上海よりずっと小さな街と思われていた。 札幌と違って北京は2500年の歴史を有する古都だけど 直線距離の比較
東京−札幌 約900キロ
北京−上海 約1200キロ
デリー−ムンバイ 約1400キロ 上海なんて150年の歴史しか無い新興都市で元々は蘇州の衛星都市みたいなもんだろ ムンバイも、実質200年か300年くらいの歴史しかない デリーだってイスラム政権の都だし
イスラム以前の純インド文明の都というとパータリプトラになってしまう
パータリプトラなんて今となっては時代が古すぎて長安みたいなもんだろ 北京・上海・長安
デリー・ムンバイ・パータリプトラ
それぞれ、歴史的なポジションが妙に似ている。
中国とインドには、不思議な共通点が多い。 >>99
日本の都は本来天皇陛下がおわす京都に決まってんだろwwwwwwww
なに勝手に東の果ての東京基準にしてんだwwwwwww >>109
本来とか言い出したら京都だって畿内の中では新興都市 日本は天皇と将軍の二重体制だから日本で例えると違和感が出ちゃうね 仕事より人のあら捜しに夢中のゲスイ奴
街中みんなのお笑い草だぜ バカヤロ様がいる
弱い奴には強く出て 強い奴には媚びへつらい
店長崩れのニセモノは
仕事も人望も紛い物
人には厳しく自分には甘く ケジメも無しとする
何でもすべての事が人任せで それでも良しとする
大学行ってもクズだから 常識なんかは通じねェ
相手を選んでハラ立てて
得意の火病はお手のモノ
今は君のために飲もう 僕も風と共に行こう
すべての人に 懺悔しな!!
https://www.facebook.com/katsuyuki.kida.923 >>107
清とムガルも相似してる
どっちもモンゴルの大ハーン位持ってるし
清とムガルってお互いにどう思ってたんだろうな
「こっちが本物の大ハーンで向こうは偽物だ」という感じだったのか
それとも複数の大ハーンが存在するとしてお互いに認め合ってたのか ああ、そうだ、大ハーン位ならロシア皇帝も持ってた
当時は大ハーンの大安売りだな 東京も江戸になってから人口が増えたんだよね
まぁ新興都市ですわ >>100
30数年前の上海を旅行したことがあるが、 古い寂れた街だったぞ。1930年代の魔都の雰囲気は無かったな。(単に建物がレトロだっただけ)
まあ、北京はさらに「巨大な田舎」観は有ったけど、総じていい勝負だった。
上海は19世紀半ばまで漁村に毛の生えた程度の街だぜ。 外人が完全に逃げたあと戻ってくる前の上海なら、そんなもんでしょ >>115
徳川家康が大土木工事をやる前の江戸は、大湿地帯で人が住むようなとこじゃなかった 江戸が京都を越えたのは、多分、19世紀に入ってからのこと。
しかし、幕末に世が乱れ、幕府が動揺すると、すぐに政治の中心は京都に戻ってしまった。
徳川慶喜は京都で将軍になり、在位中は江戸に戻らなかった。
20世紀になっても、関東大震災の影響もあって、
昭和初期には大阪が日本経済の中心になった。 しかし、そんな江戸でも、上海やボンベイより歴史は長い
この2都市とは異なり、西洋列強の租界として発展したわけでもないし 北京・デリー モンゴル人やトルコ人による征服王朝の支配拠点として発展
上海・ムンバイ 西洋列強に開国を迫られ、租界もしくは植民市として発展 西洋列強に開国を迫られて発展したといえば、横浜もそうだな >>122
函館も同じなんだが
その後大発展した横浜と衰退して寂れてしまった函館
どうして差がついたのか…慢心、環境の違い 函館は、せっかく新幹線の駅ができたのに、トンデモなく外れたところに持っていった
いろいろ事情はあるんだろうが、なんとかならんかったのかね? >>127
新潟は江戸時代から町だったからちくしょう! あーあー欲しいかいらないか解らなくしとって欲しいかもしれない商品を当てて隠したりしとって刈谷で電車で死亡事故があった!辞めろ自作自演!スラムダンク!
安部マリーオ! デリー、北京、パリ、パヴィア
共通点は「もともとあった都市ではあるけど北から来た異民族の拠点となり、その後首都となる」 ローマは真ん中だからちょい違う
それならコルドバの方が いや、大帝国になってからのローマの話ではなく
小さな都市国家だった時代の話
北から来たエトルリア人に占領されて王もエトルリア人だった
そしてエトルリア人を追い出して独立した時からローマの歴史は始まった そのときのおかげで
今でもなおガチョウはローマの市鳥 イタリア統一したときも、明らかに北が南を併合したのだから、
本来ならミラノかトリノが首都になる流れだった。
でも、ローマ帝国の威光はなにものにも代えがたく、首都はローマに決まった。 中央の政権としては、なるべく首都の経済力を強化したい。
中国なんか、上海幇の力が強すぎて手を焼いているからな。
インドも、デリーをテコ入れして急速に発展させた。
ベトナム政府も、ハノイに必死で企業誘致している。 ブラジル:サルバドール→リオデジャネイロ→ブラジリア→次は? 「元からあった」という枠に当てはまらないのは、エジプトのカイロ。
イスラム帝国が作った砦が発展した都市だ。
アラブ人は、「北から来た異民族」とは言いがたいが。 ニューヨークも、思いっきり北東の隅っこにある。
まあ、首都はワシントンだが。 まあ、首都とか都心というのは、なるべくしてなった地理的な必然性がある場合が多い
大阪も福岡も、古代の宮と、中世の城と、現代の県庁がほぼ同じ場所にある(笑) ミャンマーのネピドーも夢のお告げとかいろいろ説があるけど、昔の都のマンダレーもその辺だから、無理のある立地というわけではないんだろうな
でもブラジリア(ブラジル)・キャンベラ(オーストラリア)・ドドマ(タンザニア)・アブジャ(ナイジェリア)はどうなんだろう >>144
大阪は石山本願寺も同じ場所
だが大阪市役所は中之島 そういえばソウルも北の端で
しかも北に4回も占領されてる
異民族じゃないけど 北京だって、華北平原の北端にあり、太行山脈の麓で、
モンゴルや満州に行くには必ず通る交通の要衝。
乾燥地帯だけに、あの辺に大都市を作るなら、いくつもの川が流れ込む北京しかない。 デリー (ウィキペディア)
ガンジス川の支流、ジャムナー川の右岸にある都市。
東をジャムナ川、西を岩石の丘陵、南を点在する丘陵に囲まれ、
東のヒンドスタン平原と西のパンジャーブ平原の2大穀倉地帯の中間に位置し、
さらにガンジス川流域ながらインダス川との分水界にほど近い場所にあって、
古くから交通の要衝となっていた。 デリーも、マハーバーラタの時代からの歴史があるだけあって、
北インドの中心になるべくしてなった王城の地だ。
ガンジス川とインダス川の間にあり、支流のジャムナ川が流れている。
丘陵に囲まれた盆地で、東西南北に移動する商人は必ずここを通る。
まさしく北インドの心臓と呼ぶにふさわしい。 しかし、北京の川は水が枯れている
砂漠化を政府が必死で食い止めている 一見して、広大な平地は、ガンジス川流域とインダス川の東側にしかないと分かる。
でも、インダス川の方は、ほとんどが砂漠で、
穀倉地帯は北のほうのパンジャーブ平野のみ。
あとは、日本と同じ。
国土の大半が山地で、海岸に沿って狭い平野が並んでいる。 パンジャーブ地方と並ぶ穀倉地帯は、南西部にある。
ゴーダヴァリー川とクリシュナ川のデルタ。 北西部のインド側にも大きな低地があり、四角い半島がある。
ここがグジャラートで、インドの工業生産の4割を占めるとされる大工業地帯。
モディ首相は、ここで知事をやってたときの経済実績を買われて、
全国の首相になった。 早い話が、南インドというのは、中国の江南みたいなところではない。
どっちかっていったら、チベットと似ている。
簡単に征服できる地形ではない。 デカン高原(大したこと無いなんちゃって高原)とチベット高原(標高5千mの超高原)じゃ大違い >>136
ローマの威光ではなく、消去法だったらしいよ
サルディーニャの都トリーノを首都にするのは明治新政府の都を鹿児島を都にするがごとく、
ミラノ、ヴェネツィア、フィレンツェ、ナポリが有力だがどこを都にしても他が納得しない。
ローマは当時はキリスト教世界の都であって、一国の都とは考えられていなかったが、
消去法でローマに決まったらしい >>157
まあ確かに
中国でいえば黄土高原といったところか >>159
プロイセンは、ベルリンを帝国首都にしたのにな
サルデーニャには、そんな力はなかったか >>147
ビョンヤンは、半島に南下してきた高句麗人の都 中国の北部は、東の華北平原と、西の黄土高原に分かれる
黄土高原もたいしたことないが、周から唐までの中国史は
西が東を征服するパターンの繰り返しで、逆は少ない タール砂漠も、昔から砂漠だったわけではない。
古代インダス文明の頃には、広大な緑地だったと考えられている。 中国は環境破壊で象が滅びたけど
インドも環境破壊があると思うけど滅びないね ランタンボール国立公園なんか、デリーの近くということはたぶんステップ気候で、うっかりすれば動物はおろか森林自体をなくしてしまってたはずだけど、
今でもトラとか野生動物がすむ野生の楽園だもんな
http://www.saiyu.co.jp/blog/wildlife/?tag=%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%AB%E5%9B%BD%E7%AB%8B%E5%85%AC%E5%9C%92
ジャイプールのマハラジャのお狩場だったそうだけど、それ以前にも周囲に人の営みはあったはずなのに
それどころか
>エリア内には10世紀に建てられた要塞遺跡があり、その文明を呑みこむように森が再生しています。 人口過剰といっても、インドの場合はガンジス川流域に
極端に集中しており、他の地域は意外と普通。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています