世界における王制・君主制 Part.6 [無断転載禁止]©2ch.net
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日本の皇室の話はこちらにもあります
皇室・王侯貴族
http://potato.2ch.net/emperor/
日本史
http://yomogi.2ch.net/history/
日本皇室のみの話題は荒れやすいのでお控えください(世界史観点からの比較を除く)
>>980過ぎたら次スレ立ててください
◆参考サイト
欧州の王室などの家系について
ttp://nekhet.ddo.jp/
欧州の王室人の現在の消息(英語)
ttp://www.hellomagazine.com/royalty/
欧州以外の王室(英語)
ttp://www.4dw.net/royalark/
※前スレ
世界における王制・君主制 Part.5
http://lavender.2ch.net/test/read.cgi/whis/1492939758/ リヒテンシュタイン
モナコ
ブータン
ブルネイ
サウジ
ヨルダン
バーレーン
UAEの各支邦もそれぞれが部族の縄張で部族の親玉が藩王だろ。 >>45,35
ブータンは違うね
(1)国家のなり立ち
・チベットの南部辺境地方(モン地方)は、ドゥク派という宗派の門徒が多かった
・ドゥク派では、ギャ氏なる聖なる一族が宗門の要職を独占(浄土真宗における大
谷家みたいな存在)
・1610年代、ドゥク派で内紛、政府(室町幕府みたいな弱い政府)の裁定で、ギャ
氏がドゥク派の要職ポストを取りこぼし。
・1616年、ドゥク派の法主ガワン・ナムギャルがモン地方に逃げて、「加賀の国一
揆」みたいな生協一致のミニ政権を樹立。
・ギャ氏の血統は三代で断絶
・正統性の弱い法主(ダルマ・ラージャ)と、門徒の土侯たちが宰相職(デブ・ラージャ)が奪い合う混乱の時代が続く
・対外的には、南方のクーチ・ビハールをヒンドゥー諸国や英領インドと奪い合うなど拡張傾向
(2)1906年になりようやくワンチュク家が他の同格の土侯を制し、法主を棚上げして、統一王国を樹立
ワンチュク家は、建国から290年経たのち、簒奪して国権を握った成り上がりの家。
「国家のなり立ちが明確に一個人(一族)の所有物だった王家」
には、全く該当しない 土侯連合のうち一つの家の権勢が伸長して全体の主になるなんて、どの王国でもそういう過程を経てるだろ。 俺たちのものを、俺のもの・俺の家のものにしたから王様になってんだろ。
つまり、俺のもの=個人、俺の家のもの=一族のもの が起源なんじゃないか。 >>42
取って代わられるどころか王朝も、ついでに帝国も滅びて
おまけに自分たちは一家揃って処刑されちゃったね
現実は厳しいね >>45
仏は選挙王制の論理でカペー朝が成立しているし、露ロマノフ朝も
一応は選挙王制の論理で成立したんだったか。
英はどうなんだろ。
ウィリアム1世がイングランドを私領としたのが現王家の起源という気が。
ハプスブルク家はオーストリアの君主としては私領が起源だけど、
神聖ローマ皇帝としては選挙の論理で皇帝になっていると。 >>48
ブータンの近所の近現代ネパール王家もこれかな?
数年前になくなっちゃったけど 新しい内閣ができたけどどいつもこいつもアホ面マヌケ面の無能ばかりだね
自分の下にこんなに無能ばかりが勢ぞろいとか今上天皇が不憫でならないな
思えば今上天皇は即位以来無能な内閣ばかりだったね
父の昭和天皇や祖父の大正天皇には優秀有能な内閣がいっぱいあったのに・・・ >>54
多くの自国民を戦争で殺しまくった内閣が有能?
寝言は寝て言えよアホ 割とマジで飛鳥時代以降の歴代政権で
最も多く自国民を殺しまくった政権だよな
しかも外国人まで多数殺しまくってるという 大規模な近代戦の時代になりゃ犠牲者が昔とは比べものにならないのは当然だろ… >>58
何が当然なんだ?
犠牲者が昔とは比べものにならないと分かっていて侵略戦争すんのか?
だから未だに反省してないって諸外国から言われるんだよ
寝言も大概にしとけよゴミ >>58
へーお前あの戦争が聖戦()であの犠牲者数も必要な犠牲であり当然だと思ってるのか
じゃあ被害国に行って広場かどっかで旧日本軍の軍服着て旭日旗掲げて拡声器使って大声で叫んでこいよ
「大東亜戦争は聖戦でありあの犠牲者数は必要な犠牲であり当然!大日本帝国万歳!天皇陛下万歳!」ってな 戦争の良し悪し関係なしに近代戦の死者が多いのは当たり前だな
ルーマニア史上最も自国民を戦地に送って殺した王はあのミハイ1世だし 「女王と一緒の埋葬やめて」デンマーク王配殿下、待遇に長年不満
【8月4日 AFP】デンマーク女王マルグレーテ2世(Queen Margrethe、77)の夫、ヘンリック殿下(Prince Consort Henrik、83)が、死後は女王と並んだ墓に埋葬しないでほしいとの意向を示していることが分かった。
デンマーク王室が3日、明らかにした。実現すれば、デンマーク王室の慣例を破る初の事例となる。
フランス出身のヘンリック殿下は、女王を補佐する格下の立場に追いやられているとかねて不満を口にしていた。
生涯を通じて妻である女王と対等の待遇を受けていないのだから、死後も対等に扱われたくはないと述べたという。
デンマーク王室の広報責任者レーネ・バレビー(Lene Balleby)氏がデンマーク紙BTに語ったところによると、マルグレーテ女王もヘンリック殿下の意向を受け入れたという。
マルグレーテ女王が1972年に即位した際、ヘンリック殿下の称号は「王配」となり、国王とはならなかった。
これにヘンリック殿下は落胆し、たびたび不満を口にしており、公務にも熱が入らなかったという。
http://www.afpbb.com/articles/-/3138128 >>63
デンマークってのはキリスト教では無かったのか? >>62
そもそもなんで戦争をしなきゃいけなかったという前提で語ってるんだよさっきから
戦争をしなかったら300万人もの犠牲者を出さずに済んだんだが? >>62
そのルーマニア王国憲法には国王が王国唯一の総攬者であると規定されていて
開戦と終戦の権限も国王が有していたわけ? >>67
言った。テレビカメラの前で。
痛恨の極み、失言中の失言。
俺は戦時下に昭和天皇の置かれた状況、取らざるを得なかった言動には寧ろ同情してるんだが、あの発言だけは駄目。擁護無理。
同盟国アメリカとの関係を考慮して云々という擁護もあるけど、俺は無理。 宮中奥深く純粋培養で育つと、昭和天皇、地頭は間違いなく良いんだが、他者への想像力、それを言うことで苦しんだ当事者や遺族がどう思うか、というのが肝心な時に欠落してしまうんじゃなかろうか。 美化される戦後巡幸でも、灘の杜氏の前で
試飲のお酒を「これは駄目だ」と言い切ったり。陛下に公衆、新聞記者の前でそれ言われたら杜氏や関係者、もう再起不能だろ。 >>67
むしろ言わない方がおかしいだろ。
原爆投下で敗戦が確定したんだから >>71
件の記者会見動画見たことある?
検索すればいくらでもある。
あれを擁護できる日本人はおかしい。
或いは骨の髄まで臣民どころか奴婢なのか。 主権者国民なら
「陛下、それはいくらなんでも余りに酷すぎます」と思うべきだな。 ヴィルヘルム2世は大戦後に亡命先で
予は開戦を望んでいなかった、と自己弁護して皆を唖然とさせた。
まあ本音だったと今の研究ではわかってるらしいが、他に言い方もあっただろう。 昭和天皇よりもカール1世のほうが遥かに徳高い君主だった
そんなオーストリアの君主制でさえ滅びたのだから日本は天皇制を潔く廃止せよ >>75
これって第一次世界大戦のことか?
第二次世界大戦のときも、ヒトラーがオランダを陥落させたときに
「よくやった!」と祝電を送っているから、ちょっと擁護はむずかしいな >>68
ポツダム宣言の受諾、降伏文書に自ら署名し、且つ、サンフランシスコ条約の批准書にも署名してんだぜ。
同じ口で戦勝国の戦争行為としてやったことの批判とか、どの口がするのさ?
デーハンミングックではあるまいに。 >>77
第一次大戦後のこと。亡命先のオランダにて。
カール・クラウスが憤りを込めて『人類最後の日々』のラストに引用した言葉。 >>76
むしろ日本の皇室が残ったのだからオーストリアの皇室を復活させて然るべき >>78
ドイツ人はドレスデン空襲に抗議してるがね。 「私の不徳、不明により広島市民には誠に申し訳ないことでした」とか、真摯なら言い方は沢山あった。 敢えて同情的に言えば、昭和天皇はあくまで自己弁護し続けないと、負ってしまったものの重みに耐えられなかったのかもしれないが。 今日は8月6日。
ネットで記者会見動画を敢えて見るのも
十二分に意味があると思う。
俺は正直もう見たくない。 >>81
国家元首や行政府だの立法府だのの長とかが批判したことがあったか? >>48
ブータン国家の「なり立ち」は
・842年(吐蕃王朝の崩壊)から1642年(ダライラマ政権の成立)まで、統一権力も統一権威も不在の分裂状態のなか
南部辺境地方が自立(1616年)
・門徒たる土侯連合が、門首を推戴して建国(1616年)
というもので、「国家のなり立ちが明確に一個人(一族)の所有物だった王家」には全く該当しない
・「土侯連合のうち一つの家の権勢が伸長して全体の主になる」として、
そののちもと「土侯」たちを配して「王家の直轄地」にでもしない限り、
その「国家のなり立ち」は、「明確に一個人(一族)の所有物」になったとはいえない
つまり>>45の提示したモデルに該当する王国・帝国その他の君主国など、限りなく、少ないと言える。
あえてあげるなら、公地公民・社会資本全てが全て「国家」に所属している、金氏朝鮮王朝くらいか >>88
なんで?
支那の歴代王朝なんて全部「俺のものになった」=王朝の始まりだろ 長年のデンマーク貴族とか王室分家の旦那、あるいは他所のようなカペー系ならともかく、
単なるフランス貴族のアンリさんにそんな贅沢な立場必要なかろう >>52
イギリス王室が祖先を語るときは、ウィリアム征服王から始める。
それ以前のアングロサクソン王国とか、デーン人のとかは入れてない。 >>95
ウイリアム王って女系からも含めるとアルフレッド大王からもカルロス大帝からも子孫なんだよね。
ウイリアム王の父ロベール公はイングランド王デーン王のハーデクヌーズやイングランド王エドワードのイトコ。 >>91
アルトゥール1世
コインブラ王朝最初で最後の王 https://ja.wikipedia.org/wiki/8%E6%9C%88
ここのアラバリア皇帝ってどこの皇帝のこと?
ローマの雅語?
アラバリアでぐぐってもwikipediaのここを転載したのくらいしかヒットしない
バングラディッシュの1都市とかFFがあとちょっと
アラバリア皇帝なんていたの? >>98
おお
ローマ皇帝になってる
どなたか知りませんがありがとうございます >>100
全部上記Wikipediaからの引用な気がする… 全部Wikipediaの引用だな
見事に荒らしに騙されてるわ wikipedia引用って言ってるホストはまだいい
自分の知識のように披露してる歯医者が恥ずかしい ガチでアラバリア皇帝だったらどうするんだよお前ら
ガリアに韻が近いし アウグストゥスが初代皇帝の名前なのは知ってて、尊厳者って意味なのも知ってるけど
どっちが先なの?
皇帝の名前になったからアウグストゥスが尊厳者って意味になったのか
元々尊厳者って意味の称号を与えたのかどちらなんでしょう >>105
後者だろ
初代皇帝の本名はオクタウィアヌスなんだから >>107
>おれらのころは
フレデリック大王とかビーター大帝が、
フリードリヒとかピョートルに化けたり プリンケプス(第一の市民)になったオクタヴィアヌスにアウグストゥス(尊厳者)の称号送ったらどうだ?
とか提灯元老院議員に言わせて、オクタがじゃあおうけしますって言ってアウグストゥスの名を貰った
塩野も言ってるけど、一つ一つは合法ながら全部集まると無法極まりないモノを作ったのがオクタで
プリンケプスやアウグストゥス、カエサルなんかの言葉を皇帝の意味に作り変えていった アンリ4世もエンリケ航海王子もみんなヘンリーだったの? ウィキペディアは悪戯投稿あるからそのまま信じちゃだめだよー
読むならせめてちゃんと出典の脚注あって冒頭が頭悪いトートロジーになってない記事にしようねー >>107
昔はラテン語の英語読みという意味不明な事をやってたからな だいぶ前に書いたことあるけど、表記の過渡期に高校生だった私は
同じ山川の教科書でも日本史の教科書ではカザリン2世、世界史の教科書ではエカチェリーナ2世と
同時期の教科書でも両表記が混在。 ペルリ→ペリー
ローズベルト→ルーズベルト
ヒットラー→ヒトラー そういや15年ほど前にデヴィ夫人が連れてきた「ビサンチン皇帝アンリ・コンスタンチン」氏、存命なら99歳でもう亡くなってそうだが後継者いるのかな >>95
昔エリザベス女王が来日した際の晩餐会のスピーチで、「我が父祖ウィリアム」と言ってましたな。 >>117
ジェームズ1世。
平戸にイギリス商館が置かれたときの国王。 日本で言うなら継体以降しか皇室の歴史に入れないみたいな? 遠い先祖はフランス人で、最近の血筋はドイツ系で、なんでイギリスの国王やってんの イギリス人の中から国王が選ばれるわけじゃないからな アンデルセンは子供に寝物語を話すときに「中国と言うのは皇帝も庶民も同じ言葉を話すんだよ」といって異国感を演出してた 18〜19世紀の欧州宮廷、貴族社会は
フランス語だよな。『戦争と平和』では
フランス語とロシア語を貴族達が自在に使い分けてる。1812年に、フランス語排斥運動が遊び半分で起きて、言い出したある貴族の女性が
思わずフランス語を使う場面がある。
「あら、こんな(ウィットに富んだ)ことが、
ロシア語で言えて?」とロシア貴族が言うんだよな。 ロシア文学の研究者が、大黒屋光太夫の証言を日本側が記録した記事を読んだらエカチェリーナ2世が
ロシア語で言葉を述べていたので「フランス語ではないことに驚いた」というのを読みました。
「オホ・ジャウコ」と「ベンヤシコ」で、どちらも光太夫一行に「痛ましい」と感想を述べた言葉。
声高らかにのたまわれたというので、光太夫も印象に残ったらしい。 >>60
いやわりと必要な犠牲だったと思うが
軍部や天皇ガーってのは言い訳に過ぎず一番、大陸侵略に積極的だったのは世論だし
明治以来ずっと民意はタカ派の意見が主流だったけど一回痛い目にあってからようやく
冷静に物事を見れるようになったと言える 「二十世紀 日本の戦争」 文春新書
なぜ言論は機能しなかったのか (P92〜)
阿川弘之 「五・一五事件がおきた昭和七年に、『文藝春秋』 が世界の戦局を
めぐる大座談会をやっている。 (中略)
不思議なことに、出席者のうち、未来戦争の予測に対して
一番冷静なのは現役陸海軍軍人なんです。
いちばんカッとしてるのが三上於菟吉という僕みたいな文士なんだ (笑)
感情でものを言っている。
何故向こうが攻めてくる前にこっちから先にやらないのか、
われわれ税金納めてるじゃないか、と (笑)
文筆家のそういう責任というのは、新聞記者も含めて、大きいと思いますよ。
責任というより、つまり無責任ですがね。」
猪瀬直樹 「(略) 三上が 『もう少し立てば米国が戦争を仕掛けてくるというのでしょうが、
なぜザックバランにやらんのです』 と景気がよいので、
司会役の菊池寛もたまりかねて 『米国と戦争しても米国を征服することは
できやしないでしょう』 とたしなめています。」
福田和也 「シナ事変の推進力のひとつは新聞ですね。文学者も林芙美子、
南京に一番乗りとかやっている。菊池寛も漢口作戦に出張っていたり。
文学者は敏感だから、世間の空気がすでに戦争に向かっていることを
いち早く吸い上げるんでしょうね」
秦郁彦 「学者もひどいもんですよ (笑)。学徒出陣の際、
名のある学者が、『中央公論』 のような雑誌で
『喜んで死んでこいと私は言いたい』 なんてことを堂々と書いている」 哲学者の出隆は著書「詩人哲学者」の初版に学徒出陣の学生たちに対し「諸君、美しく死んでくれ」と書いている
が戦後の版では削除し共産党に入党して自らを反戦反ファシズムの人間だったと事実を隠蔽している
竹山道雄が「マルクスとレーニンの写真の前で結婚式の仲人を務めた哲学者がいる」と揶揄しているのはたぶん出隆 俺は異議あり。職業政治家や職業軍人、有識者が「世論が強くて」なんて醜悪な言い訳に過ぎないよ。
帝国大学や陸軍大学校、海軍大学校を出た人がそれはないでしょ。 尋常小学校卒とかが大半の一般国民には検閲済みのごく限定された情報しか与えず、判断材料を奪っておいて「国民感情が」「世論が」は酷い。 昭和天皇は好戦主義者ではないが、軍の行動が
国際法や国際秩序を破っても一時的な権益拡大を齎したら、軍のやったことを追認するんだよなあ。何度も何度も。関東軍への勅語はまじで酷い。満州事変に大々的に陛下のお墨付きを与えた。 ヴィクトリア女王はアヘン戦争の折、王子に「ホンコン公」の称号を与えようとしてたらしい。印象がマイナスもマイナス。晩年は戦争嫌いになったらしいが。 フランス第二帝政最後の首相のパリカオは「八里溝」公なんだよな。アロー号戦争の「功績」で授与された。 ナポレオン3世の「帝政とは平和である」は結局反故になってる。イタリアやクリミアで「騙された」と思った兵士もいただろう。 >>129
へー、じゃあオウムのテロ行為などの死者も必要な犠牲だったということだな
テロ行為を行ったオウム幹部たちが逮捕されて厳罰を下されたことによってテロリスト予備軍はテロ行為を踏み止まれたと言えるし すごい的外れな意見
オウムテロの被害者は別にテロに賛同や共感していたわけではないが、日本帝国の人間たちは戦争を肯定していった結果
そのしっぺ返しを食らったわけで
亡くなった祖母も言ってたよ、空襲を受けたときはじめて戦地で父親たちが何をやっていたか分かったって
中国の人々や連合国軍捕虜が受けた「地獄」はそんなものとは比較にならなかったと思うがな
>>132
職業政治家や職業軍人は戦争を回避しようと躍起になっていた
山県有朋が選挙制度の導入を徹底的に弾圧しようとしたのも大陸侵略を説くタカ派の政治家に付和雷同する大衆を危険視したからなわけで
日比谷焼打事件や関東震災時の朝鮮人虐殺も主に農村部から都市に流入した青年層がやらかした事件なわけで >>136
八里溝伯では?
ビクトリータイトル系で一番かっこわるいのは羹頡侯だよね
劉邦の漫画がはじまって、大物感だしてるけど劉邦ってフツウにクズだよな 蹴っ飛ばされたらいい具合にスピードついて炮烙の刑を免れるとか高橋のぼるは天才すぎる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています