世界における王制・君主制 Part.6 [無断転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
日本の皇室の話はこちらにもあります
皇室・王侯貴族
http://potato.2ch.net/emperor/
日本史
http://yomogi.2ch.net/history/
日本皇室のみの話題は荒れやすいのでお控えください(世界史観点からの比較を除く)
>>980過ぎたら次スレ立ててください
◆参考サイト
欧州の王室などの家系について
ttp://nekhet.ddo.jp/
欧州の王室人の現在の消息(英語)
ttp://www.hellomagazine.com/royalty/
欧州以外の王室(英語)
ttp://www.4dw.net/royalark/
※前スレ
世界における王制・君主制 Part.5
http://lavender.2ch.net/test/read.cgi/whis/1492939758/ 連邦レベルでのUAEは共和制だが、北は明らかに専制君主国だな。 総統は領主たちの互選で代表を決める、投票権も被選挙権も領主のみ、自己投票可、投じることのできる票数は領主の石高に応じた数で、
アブダビが石高の8割超えてるから実質的にアブダビの領主が決定権を持っていて、よほどのことがないかぎりアブダビの領主が自分に投票するから
石高改めでもないかぎりアブダビの領主=総統になることが決定しているのに、それでも共和制なのか? >>630
なんで?君主を名乗るのに天皇がいるからだとか関係ないだろ 幕末に西郷などが唱えていた有力大名による共和政体が実現していれば、
史実の神権的絶対天皇制よりはるかにマシな平和な近代日本になっていた。 >>645
搾取と抑圧の中世の延長戦をまだ続ける気だったのか?
まあ、そんな退歩的なことしてたら、イギリスかフランスかスペインに国丸ごと取られてたわ 実質世襲で市長県知事国会議員が選ばれるなら
むしろ選挙の手間を無くして、この土地は先祖代々我々が統治してきた土地
にした方がマシだったんじゃねえのとは常々思う なんで?
選挙で入れ替えがある、下手こくと地位を追われる立場でも、権力持つと簡単に腐敗するに
それが入れ替え無しとかどんだけ腐敗するやら 1970年代初めにはまだ井伊さんが彦根市長だったな 最近王室関連の話題が殆ど無いせいで
天キチや憲法曲解厨しか沸いてこない >>651
民主国家において血統で公職の適不適を決めるなど笑止 >>652
殿さまの一族ではあるが殿様ではない。
まぁ、傍系の一族が本家を打倒して殿様になったと言えるのかもしれんが。 本家なんてのは一番出世している人の家だろ。
清和源氏の傍流もいいところの新田のそのまた端くれの出の松平・徳川が、うまいこと出世して
征夷大将軍だの内大臣だのになったら、公式に本家認定されて源氏長者やってんじゃん。 本家の定義はともかく、知事=殿様とは地元では見られていないよ。
知事は殿様ではなく、殿様の親戚という認識。 自分で言うのもなんだが、私は一族で最も出世しているが、
私自身はもちろん、親類の誰も私の一家を本家とは考えていないな。
当たり前みたいに長系の従兄の家が本家と考えて、従兄が先祖の墓を守り、
法事などの祭司を主催することに疑問を感じないが。 >>660
あんたの一族の中では墓守をすることが最重要で金を稼ぐことはさして重要ではないんだろ え?一般的な認識では墓守をしているのが本家ではなく、金を稼いでいるのが本家なの!? まぁまぁ。
とりあえず佐竹知事に関しては、知事自らも秋田県民一般も、佐竹(本)家当主とは考えていないということで。 キモ画像イラネ
画像貼り付け厨は何をやりたいのか不明
無言で大量の画像を貼り付けるのは不気味すぎる >>652
佐竹知事は佐竹分家で江戸時代は家老格で明治には男爵
佐竹本家は侯爵で東京住み なんにせよ、敗戦と占領で華族だの貴族だの旧宮家だのが吹っ飛んでくれて本当によかった。
あんなのが今でも存在していたら、さぞかしやりきれない世の中だったろう。 生活のレベル差以外に華族貴族にはため口きいちゃいけないみたいな身分差はあったのか?
貴族優先のバス席とか 華族の特権は宮中での席次の確保とかいろいろあったけど、
実質的・現実的な特権としては、
世襲財産の設定(設定された財産は自由に売買できないけど相続税は免税、そこから得られる地代や利息は自由に処分できる)
学習院への入学(仮に学力ゼロでも中等学校相当の学校に入学できる、ただし、入学できても卒業できるかとうかは別)
といったところか。 貴族みたいな連中が戦後日本から一掃されて本当によかった。 戦前の天皇制国家を破棄し戦後日本の再出発となったGHQ革命は日本史上唯一の市民革命だった。 市民が全く参加していないのに市民革命とはいかに。
一次大戦末期のドイツみたいに市民が蜂起したのならともかく。 一次大戦の敗戦国は、かなり余力を残しての敗戦でも
ドイツだのオーストリアだのロシアだの君主制崩壊に繋がる革命を招いたのに
2次大戦で国家滅亡寸前の敗戦でも日本で革命が起こらない不思議。 無条件降伏のあとで出てきた華族廃止で堂上だけは残せぬかと昭和天皇言ったそうだから
天皇中心の公家身分には拘りあったようだね 旧華族で組織する霞会は650家ほどで構成されているが、
その中でも旧堂上家100家ほどで堂上会が構成されて、
この会員は皇室行事を手伝うなどしていると。
特に京都は皇室行事に通じた宮内庁職員の人数が少ないこともあり、
京都での行事ののときは京都在住の堂上会会員が行事の準備などで活躍。 日本じゃ市民革命は一度たりとも起こってねーよ
全部上からの近代化 226の青年将校の決起が成功していればと悔やまれる。 華族、財閥、寄生地主の廃止
GHQ革命とほぼ同じ社会経済上の改革は北一輝らの右翼も構想していた 武田、北条、毛利の領国がそのまま存続してマレーシアやUAEのような君主国連邦か諸侯共和制の方が史実の天皇制国家よりよかった。 旧華族の当主ってビジネスとかで外国に行ったら、相手方にも旧華族っていう事が伝わっていて、それなりの礼遇とか受けるんだろうか? 知る限り、少なくとも摂家ではそれはない。個人的または家同士のつながりがあれば、また違うが。 華族だの貴族が吹っ飛んでくれて本当によかった。せいせいした。 GHQによる占領革命は日本史上唯一の市民革命
天皇制国家の破棄と日本国憲法の制定はその成果 明治維新だって要は外圧だしな
日本人に市民革命なんてできっこない
糞田舎の雑魚代官に一揆を起こすのが精々 >>662
そうだよ。
一番の金持ちになったり社会的な地位を得たりすると、本家の義務として、墓守も押し付けられてしまう。 >>689>>692
武家だの大名が吹っ飛んでくれて本当によかった。せいせいした。 >>689
その前に植民になって終わりです本当にありがとうございました。 馬鹿の一つ覚えみたいにGHQの改革を市民革命とのたまうアホがいるけど、市民革命は革命を推し進めた主体が市民であることをもって市民革命と定義されるのが普通。
したがって日本では市民革命は一度たりとも起こっていない けど明治維新では、平民出、300年ぶりに百姓から大臣になった人が、廃藩置県とかやって封建的特恵を剥奪してるからね。 >>700
日本では8月時点ではなにも変わってない
変化が出てきたのはGHQが諸改革を要求して東久爾宮内閣が辞任した10月以降
八月革命は、ベトミン蜂起でバオダイ帝が退位したベトナム >>702
いいじゃん。革命であっても後退だった、毛沢東とかよかマシじゃん 戊辰戦争の皇軍って、百姓からかき集めたにわか仕立て兵隊ばっかりだったからなー
本物の武士があまりに役に立たないから、封建特恵の剥奪や、国民皆兵に走ったんだよね 武士が役に立たないからじゃなくて、武士みたいな封建社会の代名詞みたいな連中をぶっ潰すのが戊辰戦争だったんじゃないの?違ってたら指摘して 幕府からして武士が戦闘ではからきしダメなのを理解していて、新撰組なんて百姓家町衆からかき集めて設立してたろ。 >>706
戊辰戦争の主力は官軍側も薩長土肥の武士
徴兵された農民が兵士となって戦った初陣は明治10年の西南戦争 >>709
薩摩も長州も土佐も肥前唐津もも倒幕のに参じたのは、小禄の藩士や足軽も沢山まじってたけれど、兵員の大多数はにわかに農民・商工民からかき集めた人員が大多数だったろ。 >>710
そうかな?
幕末の時点では身分社会が健在で戦は武士の仕事と武士も農民も思い込んでた
農民上がりと言われる長州の奇兵隊や幕府側の新撰組の祖先は戦国時代までは武士
江戸時代に主家が滅んだりしてやむ無く帰農した者達で先祖代々の百姓ではない
薩摩藩なんて百姓を農奴扱いしてたんで武士と農民の共闘はあり得ない
それを崩したのが明治の徴兵制であり、
実戦の場となった西南戦争 武士は斬り合いには強いけど、鉄砲はずっと見下していた
んで近代戦の粗衣粗食に耐え、泥の中の遥か長い距離歩き、撃ち合うってのは農民の方が優れている
戊辰戦争自体はまだまだ農民兵の真価が見せられたとは言い難い
かなりの数の武士階級が混じっていて、俺たちこそが維新を成し遂げたのだって喧伝もあるから
日本最強の侍の薩摩軍に農民兵主体で勝って武士の世が完全に終わった事を示したのが西南って印象
戊辰戦争でその片鱗を感じ取った人は先の見える人って感じかなあ >>711
武士がやにたたないものだからその身分観が崩れて、倒幕になるんだろ。
17世紀後半から各地に急増した、武士が開いた藩校や私塾にしても、武家の子弟に入門者を限っていては質の維持がおぼつかず、
下士・足軽から、18世紀前半には、農工商民にも門戸を開かざるを得なくなっていた。
町道場のようなところでも生まれながら武門の家系の子よりも遊びでやってる商工民の子弟の方が強いは、
汚れ仕事をおしつけられていた普請に駆り出される農商工民の方が度胸があるはで、
京のような最重要地点の警護にすら、農商工民出の者をかき集めてに刀持たせて任せざるを得ない状況が幕末だよ。 1945年の8月革命が日本史上唯一の市民革命
これ定説 >>713
まぁ、士分は豪商がカネで買ってたし農民の子弟でも有能ならば武士の養子になったり、
ヨーロッパの身分制よりは流動性あったけどね >>715
有能というか、武士が無能すぎて、借金のカタに縁組させられてたんだがな。 日本は流動性が低いせいぜい下級武士止まり、ヨーロッパなら侯爵ぐらいはいける 農民か、それに近い地侍出身の豊臣秀吉が関白にまで登ったから、
乱世で能力主義なら出世も可能 >>714
そんな時期に日本の国体は何一つ変更されてないが
日本領朝鮮半島の話かな? イギリス貴族で一番金持ちのウエストミンスター公爵なんかは大金持ちだからという理由で爵位貰ってるからなあ
日本は武家やら商人やらという政治・経済握ってる階層とは別個に貴族(お公家さん)が存在したし 例外中の例外の出生時の境遇→人生最高位の出世幅世界史上第2位といわれる豊臣秀吉はさておき、
歴史上の、我が国の出世の機会は欧州より大きく、東アジア一般より小さい気はするな。 >>719
国体というのは国家の政体ということ
もしかして「玉体」と勘違いしてやしないか?
国家の政体は天皇主権から国民主権へと大きく変わったよね >>717
だって社会制度的には1867年まで中世だからな >>721
一位は誰?
遊牧民の捨て子(余った子供で奴隷として売られる)から、エジプトのスルタンにまで出世したバイバルスか?
出世の度合いも、アッバース家のカリフを頂いて、軍事と政治と任されてるから、秀吉と大体同じ。
その上、シリアの北の端まで、ヒジャズは紅海の入口から一番奥まで、、ヌビア、スーダンの一部まで、
バイバルスの時代に獲得してる。エルサレム、メッカ、メディナの三大聖地を獲得してるでよ、
朝鮮征伐に失敗した秀吉よか格上だな。
インドのスルタンになったクトゥブッディーン・アイバクも同じく遊牧民の余った子供で奴隷。 >>714
真面目に聞きたいんだけどそれを主張してる歴史学者っていんの? 秀吉の家がそこまで赤貧じゃなかったって理論の方が支配的じゃないか?
一時は乞食だった朱元璋の方が上じゃないの 一時は乞食だったのなら、ジンギス汗もだな。
ってか、托鉢僧だろ。寺で授戒されるなら、そこそこの家柄の出ではないんかい? >>724
一位はおそらく朱元璋、次点で劉邦と秀吉ってところ 洗濯女から女帝になったエカテリーナ1世や
奴隷から皇帝になったジャック1世も中々 >>720
ウェストミンスター公爵グローヴナー家は家柄自体は古いんだよ。中世からの家柄(ノルマン系)で、大領主になったのが近世ってだけで。だから近世に爵位貰った。
金で領地買ったりしても、大領主が爵位を持つのは国に金銭的、軍事的に貢献してるんだから当たり前。戦時には領地の大きさに応じて兵力を出すのが封建社会の鉄則なんだから。
中世イングランドでは爵位は世襲ではなくて、領地が減って大領主じゃなくなったら議会上院(貴族院)に呼ばれなかった。国に貢献できない奴は政治に関われなくて当たり前だから。中世はそういうとことん現実的な世界。
これが本来の貴族の在り方。金がなくても爵位だけ世襲するようになった近世の貴族制度がおかしい。貧乏貴族なんか家柄が古くてももう本来の貴族じゃないから。
イギリスはどっちかというとそういう考え方で、貧乏貴族は意味がない国。だから貴族は中世末期以来成金娘と結婚したりして生き残ろうとしてきた。その方が中世の血族結婚状態を遺伝子的に改善できて良かったし。
近世に貧乏貴族が世襲で議席を得るようになったから、やがて一般国民の税金払えない層まで選挙権広げなきゃいけなくなったとも言えるなw >>726>>727
出生時→最高位でいうというなら途中一時期乞食云々は関係無いな。
チンギスカンの出生時は貴族。
朱元璋は貧農かな? >>714
敗戦革命
GHQ革命
マッカーサー革命
好きなのどうぞ >>720
日本でも三井、住友や鴻池といった財閥家当主が明治に華族に叙爵されてた >>730
てことは、明治一桁代くらいまでの日本は中世同然ということか。
領地の統治の特恵を持ったり江戸城に呼ばれたりするのも、一万石以上の大領主のみ。
華族令も、版籍奉還のときに一万石持ってたら自動的に華族になって貴族院の参上権やら皇族との婚姻の資格やラの貴族待遇。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています