>>48
ブータン国家の「なり立ち」は
・842年(吐蕃王朝の崩壊)から1642年(ダライラマ政権の成立)まで、統一権力も統一権威も不在の分裂状態のなか
 南部辺境地方が自立(1616年)
・門徒たる土侯連合が、門首を推戴して建国(1616年)

というもので、「国家のなり立ちが明確に一個人(一族)の所有物だった王家」には全く該当しない

・「土侯連合のうち一つの家の権勢が伸長して全体の主になる」として、
 そののちもと「土侯」たちを配して「王家の直轄地」にでもしない限り、
 その「国家のなり立ち」は、「明確に一個人(一族)の所有物」になったとはいえない

つまり>>45の提示したモデルに該当する王国・帝国その他の君主国など、限りなく、少ないと言える。

あえてあげるなら、公地公民・社会資本全てが全て「国家」に所属している、金氏朝鮮王朝くらいか