古代ローマを語ろう【ローマ人の物語】33©2ch.net
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>>330
愚かなのわオマエ
イベリア半島はカルタゴの方が遥かに早く植民開発して居た >>331
「何も知らないニワカ」ってw
人って自分の弱みを他人への悪口として言う傾向があるよね
それはさておき、あなたが説明している経緯はカルタゴの侵略行為そのもの。ポエニ戦争以前か以後かは問題じゃない
まさかカルタゴが進出するまでイスパニアに誰も居なかったなんて思っちゃいないよね?
スタートの「カルタゴは侵略的でない」がアホすぎる主張なせいで、言い訳が言い訳にもなってない >>333
古代の未開地って人口希薄で開発地スカスカな空き地だらけ
近現代じゃ無いんだから >>333
はあ?
お前が第二次ポエニ戦争一つで云々とかバカなこと抜かすからその戦争に言及して反論したんだろうが >>334
つまりあなたは
カルタゴのイスパニア進出はイベリア人集落やギリシャ人都市への侵害を伴わなかった
と主張したいわけ? 当時の勢力にしては"比較的穏当"と主張したのに
少しでも侵害を与えたはず!とか的外れなしょうもない屁理屈に論点ずらしか
話にならないな >>335
これだからバカは……いや失礼
カルタゴは確かに第二次ポエニ戦争以前からイベリア半島沿岸部に進出しています
だけどその「進出」は元から住んでたイベリア人やギリシャ人から見れば侵略に他ならない
それに加えて第二次ポエニ戦争時でも、ハンニバルはイベリア半島における支配領域を大幅に拡大しています
当然これも侵略行為
第二次ポエニ戦争は高校必修の世界史でも習う用語です
>>318は間違っているし、それは高校生ですら知っていること
>>337
論点ずらしはあなたでしょう(笑)
「当時の勢力にしては」なんて>>314で言ってないのに勝手に付け加えるのはどういう了見ですか?
そしてシチリア島の1/3およびイスパニアの大部分を侵略したことは「当時の勢力にしても」大規模な侵略です 無知が誤魔化すのに必死で錯乱しとるな
未開地への植民を侵略行為(笑)とか失笑者 >>339
当時のイベリア半島は未開地じゃありませんよ
タルテッソスとかエンポリオンとかご存じないんですか? >>339
素直に知りませんでした、と言えばいいのにな
カルタゴのイベリア進出の歴史も理解してないみたいだし >>340
はぁ……
糖質のあなたにも分かるように説明すると
>>314「文化や技術が優れていて侵略的でない国があるなら教えてほしい」
↓
>>318「カルタゴ」
↓
カルタゴが侵略的であることを説明されあなたの形勢が不利になる
↓
>>337「俺は最初から『当時の勢力にしては"比較的穏当"』と主張してたんだ!」
「当時の勢力にしては」なんて条件を新たに付け加えて、論点ずらししたのはあなたですよね?
まぁカルタゴは当時の勢力にしても比較的穏当なんかじゃありませんが >>343
お前の脳内では世界がこう見えてたのか可哀想に 高校世界史ねぇ…
この方は高校生なのかなもしかして ガリアに侵略されギリシャに侵略されカルタゴに侵略されローマに侵略され
西ゴートに侵略されイスラムに侵略され、イベリア半島さんもたいがいやな。 >>346
その経験があったからナポレオンとヒトラーの侵略から逃れられたのかもしれない >>315
>>320
宋とか金や遼やモンゴルにやられまくってたから大して悪さできなかっただけで
平気で講和条約破って侵略してくるクズやぞ >>350
建国過程からして異例の穏健さだから無いな 宋の卑劣な協定破りや宋の驕兵たちの横暴さは趙匡胤がみたら卒倒するレベルやぞ
金や蒙古との戦いも同盟を結んでいたのに関わらず一方的に宋から襲い掛かってきて始まったものだし カルタゴは軍はほぼ傭兵で構成されていてストラテゴス(司令官)も傭兵たちの推挙によってきまり
百人会の統制を受けないという独特な構造していたからカルタゴ市とカルタゴ軍は分けて考える必要がある そもそもカルタゴは海軍と陸軍がまるで別組織だからな >>351
それ、既に斜陽化してる上に戦争に弱いだけじゃ…… ローマ帝国時代の常備軍強かったのに
後世の国家はあんまり常備軍作ろうぜ〜とか言わなかったんだな ほら・・中世ヨーロッパはどこも常備軍を作れるほどの、お金がなかったんだよ 中世西欧とか大きめの城持ち(極小さい城)諸侯でも手勢たったの数十人レベルじゃし 農業革命以前で生産効率も悪かったあの時代で
30万以上の常備軍維持していた盛期ローマ帝国がいろいろおかしい 武具関連についても安定した大量精製・大量生産の技術は当時まだなかったのに
それを国力ごり押しでカバーして末端兵卒まで板金胸当や鎖帷子を大規模支給するキチガイパワー >>364
前スレでの話か?
それなら君のほうが嘘つきだ
前スレでのはGDP比にすると国家財政の総額自体が小さいという話で
国家財政支出の七割以上が軍事費って部分は別に嘘じゃないから まあ嘘というかちゃんと読んでないだけだろうな
前のスレで論争になったのはローマ帝国の総生産と比べた帝国政府の財政規模であって
2世紀には帝国政府財政の7割が軍に投入されていたという点は誰も否定していない 動員能力は近世後期ごろにようやく追いつくわけだけど
逆に言えばそれ以降は各国それぞれが地中海帝国ローマ級の国力もったということで
ヨーロッパはすっごく成長したなあとも思う まあそもそもが小さな政府で、社会福祉も経済浮揚策もない時代だからな。 >>368
戦国期とはいえ30万以上を組織的に使えるようになるのって豊臣からだから
日本も年代的にはあんまり変わらない >>368
装備も何も手弁当の各地方領主の寄せ集めの30万人だろ。 単に動員するってだけなら
それこそローマなんてまだイタリア半島域しかなかったポエニ戦争のころに
既に計30万以上しぼりだしてるしな
最盛期ローマ帝国軍のポイントは
衣食住も装備も全支給で貨幣による給料と退職金もある常備軍として
最低でも二百年以上もずっと維持していたところ 日本の自衛隊よりも多いと思うとものすごい数だよな30万て より細かい数値だと絶頂期のハドリアヌス時代で約38万、
強引な軍拡進められていったセプティミウス・セウェルス時代には約45万に。
ここで限界が来て以降は逆にだんだん減っていく。 軍団数はハドリアヌス時代で28〜30個、
セプティミウス・セウェルス時代で33個。
この間に近衛軍団の規模も約2倍に増員、
補助部隊数も20〜25%ほど増加。 ただし平時には10%前後の欠員があったとされているため、
実数はこれよりもやや少ない。
また大きな戦争前にはその欠員の穴埋めや支援・予備戦力として、
退役した古参兵やボランティア兵が集められたようだけど、
これらは臨時召集であって常備兵ではなく、
戦争が終わったら正規兵とは違ってすぐ解散する。 マイナー、あるいは無能とされてる皇帝の中で実は有能だったんじゃないかって人を教えて下さい
たまにネロとかコンモドゥスが「言われるほど無能じゃない」って話は聞くんですが・・・ >>378
個人的な感想だけど、軍人皇帝時代に活躍したプロブス帝を推すよ
この人は日本人的な気質の持ち主だと思う
あとは、東ローマ帝国最後のコンスタンテノス11世かな? ←この人はしょうがなくて可哀想す
アレクサンデル・セウェルス ←古代ローマ帝国の皇帝らしい最後のローマ皇帝
https://ja.wikipedia.org/wiki/アレクサンデル・セウェルス
https://ja.wikipedia.org/wiki/コンスタンティノス11世
https://ja.wikipedia.org/wiki/プロブス コンモドゥスは20年にわたるマルコマンニ戦争を終結させ、
マルコマンニとクアディをほぼ従属化させた上で更にサルマタイも屈服させ
ゲルマン、サルマタイに捕らえられた捕虜のほとんども奪還した程度には名君 >>372
戦国大名の装備支給形態を手弁当と言い張るならスペイン帝国も同様
>>369
近世西欧の常備的傭兵に比べると永禄天正年間以降の足軽のが余程常備軍だよ >>378
何をどう頑張ってもネロの無能は覆らんでしょ
プロブスは衰亡史読む限りじゃ有能に読めるは 古代でこれだけ組織的かつ大規模な軍制を布いていたことには毎度驚かされるし
こういうのをおおよそ割り出せる駐屯地跡とかの考古学的物証が揃ってる点もまた驚異だよね 古代で○○軍ウン十万って
記録はよく見られるけど
それが誇張じゃなく本当だと
裏付ける物的証拠があるのは
西洋だとローマくらいだね ローマも結構誇張してねーか?
ポエニ戦争で水難事故死したことになってる4万人も怪しい
本当は海戦でやられたんじゃないの
ぽっと出のローマ海軍が歴戦のカルタゴ海軍相手にほぼ負け無しとか信じ難いんだけど これを常備軍というには無理があるな
フロイス「日本史」 第四五章
そこで薩摩の国主島津殿は、自国に危険が切迫しているのを見ると、国内の全地方から人々の招集を
図り、老若男女を問わず、ついには武器を手にし得る者はことごとく、いかなる逃げ口も許さず、領
国の自由のために参集するように命令した。その際彼は、各人はただ四、五日分の米を帯に入れて携
えよ、その糧食が尽きる時までには、戦の勝敗は決していなければならぬと伝達した。このようにし
て、人々が確信するところによれば、薩摩の国主は五万人近い人を招集した。それは何も驚くには足
りぬことである。日本では国主または大名が他と戦を始める時、彼は兵士たちになんら支払いはしな
い。彼はせいぜい特殊な家臣に対して費用を払うくらいであって、軍隊にはほとんど費やさない。 >>388
薩摩は幕末に至るまで特殊な地域だったから
その地域で日本全体を語るのはやめた方がいい これと似たような命令はどの大名も発しているんだが
例えば北条も小田原征伐の際に領内の百姓は鎌でも棒でもいいから持てる者もって城内に参集せよ
って命令を出してる >>386
流れ的にローマ帝国の常備軍30万ってことについての話だと思うぞ >>390
全然違う話
北条家の例わ軍役を負担為無い百姓に対して総動員を掛けた割と珍しい例
それも主に小田原城や各支城の整備と増強の為に招集掛けた
島津家の例もフロイスが日本の制度を理解出来て無いだけで
軍役衆は税や夫役の減免や免除等の権利が与えられて居るし
5日とか10日を超えると補給は領主持ち
武器防具も兵科に由ってわその為の扶持や貸出がされて居た 兵農分離してない状況での兵士は屯田兵みたいなもんだから >>392
でソースは?家わけ文書や戦国遺文みても兵一人一人の食料や武具まで面倒見てる記録はないし
そもそも兵科なんて概念当時にはないぞ 「戦国時代に兵科はあったか?」って戦国史で今割と熱いとこだよな
言ってる研究者もいるけど、否定意見もある
すれ違いだけどもうちょっとだけ俺は見たいw 例えば1439年のシャルル7世の勅令だとコンパニー・ドルドナンスは
王から任命を受けた隊長が兵一人一人を自ら選抜し、(一条)国王選抜の隊長以外の主従関係や命令を受け入れず(三条)
国王の所定した場所を防備し(三十条)、その維持にはタイユとエードを充てる(四十二条)
ここまでやって初めて常備軍と言えるんだよ
指揮系統が一括されてない、どこで誰がどの程度の人員を持っているかハッキリしない、装備食料自弁の百姓の寄せ集めを常備軍とは言いません >>394
普通に何日超えたらこちらで支給するからそれ迄の分は自前で持って来い
って発給文書わ複数の大名が出して居るよ豊臣家とか北条氏とか
氏政の書状が発見された(内容を研究者が解読した)のわ割と最近でここ10年の話
食料や防具や鉄砲の面倒見てる記録が残ってるし
槍足軽、鉄砲足軽、弓足軽、馬上などの兵科に分かれてた
足軽は御恩と奉公の典型的な封建制下の存在で屯田兵と性質が大分違う
あと天正末期に成ると田畑の在る地元から離れて専業化する士分が増えたよ >>396
フランス王国なんて16世紀に入っても全然常備軍抱えて無いよ
毎回、大多数は戦の数カ月前から各地で募兵して集めた傭兵 >>397
豊臣家の文書はほとんど残ってないはずなんだが
北条家に関しては織豊政権以上に残りが良いが管見の限りではないな
そんな研究、聞いたことないんだけど一体誰が主張してるんだ
>あと天正末期に成ると田畑の在る地元から離れて専業化する士分が増えたよ
朝鮮出兵ですら9割近くが百姓からのかき集めで最近では兵農分離自体がなかったとか言われてるんだが 国王直属の軍隊何てどこでも持ってるが
スペインとか少なくともアルフォンソ6世の頃には一部の都市に騎士の提供と装備を負担させて作ってるぞ
何時、裏切りかもしれない傭兵だけで戦えるわけないだろ >>399
詳しそうなのでちょいとお尋ねしたい
三傑の中で信長の方が秀吉より人気が高いのは、やっぱり残っている文章量の差による研究者の数の差が理由として大きいの?
あと北条家の文官って小田原征伐の後家康が手に入れたのかね? >>401
織田期の史料も豊臣同様よく残ってないだなそれが
右筆衆などほかの大名と比べてかなり整った官僚組織を持っていたという割には、なぜか史料の残りが良くない
>あと北条家の文官って小田原征伐の後家康が手に入れたのかね?
そもそも文官とかいう区分はなかったんじゃない
遺臣は吸収されただろうね 朝鮮の役の薩摩の武将の書状に「公儀米○石、自分米○石船にて送る」
とあるのを見たな。さて公儀とは島津家か秀吉か…? 西ローマの崩壊から1000年以上後の極東の島国の領主達の私兵をローマ帝国と同じ規模の常備軍だのなんだの言って恥ずかしくなってこないか?
時代降って日本の有史に近い時代の東ローマですら志願兵を国が訓練して君は歩兵、君はカタクラフトという感じで分けてたわけだよ。 >>400
国王自身の常備軍なんて1/10以下で侍/足軽の割合よりも少ない
而も当時西欧で最も常備軍化の進んでたのがスペイン帝国
>>399
豊臣家の文書わ滅亡した家にしちゃ割と残ってる方だよ
氏政の書状伝々は書籍で読んだ気がするけど記憶が曖昧、論文かもしらん 北条家の文章が多く残ってるのは、江戸幕府が、武蔵・相模の旗本や御家人から古文書を提出させて写しとったかららしい 朝鮮出兵のとき対馬とか人口六千に対し五千とか滅茶苦茶な軍役が充てられてるからな
これ島民のほとんどが出払ってるんじゃねえの >>407
人口15000前後だぞ、5000人は船役 初期ローマの軍隊はファランクスだったらしいけど盾もギリシャ式の青銅の円盾だったのか
それともスクトゥム?
スクトゥムでファランクス組んでるって凄い違和感があるんだが サムニウム戦争以前のギリシャ式ファランクス戦術つかってた頃は
盾もギリシャ式の円盾や丸みを帯びた台形のとか使ってた >>410
台形の盾はローマオリジナルですか?それとも周辺のイタリア原住民の影響? >>412
中央アペニン山脈とその周辺一帯で使用されていたもので
ギリシャ式円盾と違ってイタリア半島オリジナルと言えるようなタイプ
代表的な使用者はサムニウム人だけど
「ローマ」の建国母体である麓のラティウム圏にも古くから浸透してた
いわゆる「スクトゥム」の祖先の一つでもある
サムニウム戦争でローマがサムニウムスタイル真似たのはある意味では
外来のギリシャ式から伝統のイタリア古式への回帰とも >>413
なるほど面白いなあ
詳しくありがとうございます そのプロトスクトゥムに縦長の楕円(長方形)なケルト盾風味が混ざったものが、
のちのローマ軍団の顔になる『スクトゥム』の原型になる。 >>408
人別帳からの統計だと慶長年間でも5900人程度なんだが
しかも船役じゃなくて上陸して釜山落したりしてるんだが いやいやスクトゥムはガリアからパクったものだから
ロリカ・ハマタもそう
サムニウム人は壁画見ても普通に丸盾つかってる サムニウム人が台形盾つかっていて
それをローマが参考にしたってのは一応リウィウスが書いてる
彼がどのような記録を参考にしてそれを書いてたのかはわからん リウィウスって帝政ホヤホヤの頃だしまだサムニウム族に関する記録は大量に残ってただろうな ローマンスクトゥムがどのように形成されていったのかは諸説入り乱れてるな
こういうローマンスクトゥムやケルト盾に近い形のをすでにサムニウムが使ってる壁画もあって混乱してる
https://c1.staticflickr.com/8/7186/6926556849_c3167de3ca_b.jpg サムニウム戦争以降のローマの戦術体系は
ギリシャ式の密集隊形・ガリア式の盾壁戦術・サムニウム式の散開戦術を
状況に合わせて併用したいという欲張り仕様で形を成していったものだから
戦闘技術の中心となる盾も色んな要素が混ざったものだろうな 古代ローマの感心するとこは、小国だった頃からローマ市民を訓練して集団戦とか散開とか組織的な事出来るようにしてた事だよな。 複数の運用法をこんだけよくばって詰め込むとまともに確立できないか
できても器用貧乏で微妙なものになるのが普通なんだけど
ローマはこの路線で最強に仕上げやがった 古代ローマ軍ほど中二心をくすぐるものはないとおもうけどな
https://i.warosu.org/data/tg/img/0427/28/1443305467950.jpg
まぁ実際は全員ロリカ・セグメンタタを着用できた軍団はそうそうなかったらしいけどな マリウスの軍政改革までは専業の兵士じゃなく一般市民が農業やらなんやの自分の仕事生活やりながら一定期間兵士として訓練行ってたんだもんな。
兵士の数が戦闘を決める要素なんだろうけど、現代のスイス並みに一般市民が兵役就て訓練しまくってファランクスとか
号令一下少人数のグループに分かれて前進してって短剣構えて敵の胸を一突きとか
確かに他を圧倒するわな。 軍団描写はゲームのTotal War ROME2がお気に入り
装備品が100%完璧に統一されているわけではなく
様々な型式の兜やハマタやセグメンタタが
混ぜこぜ併用されてるってのをちゃんと描いていて
実物だと管理や準備が面倒そうだから
映画やドラマではなかなか見られそうもないかな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています