古代ローマを語ろう【ローマ人の物語】33©2ch.net
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これを常備軍というには無理があるな
フロイス「日本史」 第四五章
そこで薩摩の国主島津殿は、自国に危険が切迫しているのを見ると、国内の全地方から人々の招集を
図り、老若男女を問わず、ついには武器を手にし得る者はことごとく、いかなる逃げ口も許さず、領
国の自由のために参集するように命令した。その際彼は、各人はただ四、五日分の米を帯に入れて携
えよ、その糧食が尽きる時までには、戦の勝敗は決していなければならぬと伝達した。このようにし
て、人々が確信するところによれば、薩摩の国主は五万人近い人を招集した。それは何も驚くには足
りぬことである。日本では国主または大名が他と戦を始める時、彼は兵士たちになんら支払いはしな
い。彼はせいぜい特殊な家臣に対して費用を払うくらいであって、軍隊にはほとんど費やさない。 >>388
薩摩は幕末に至るまで特殊な地域だったから
その地域で日本全体を語るのはやめた方がいい これと似たような命令はどの大名も発しているんだが
例えば北条も小田原征伐の際に領内の百姓は鎌でも棒でもいいから持てる者もって城内に参集せよ
って命令を出してる >>386
流れ的にローマ帝国の常備軍30万ってことについての話だと思うぞ >>390
全然違う話
北条家の例わ軍役を負担為無い百姓に対して総動員を掛けた割と珍しい例
それも主に小田原城や各支城の整備と増強の為に招集掛けた
島津家の例もフロイスが日本の制度を理解出来て無いだけで
軍役衆は税や夫役の減免や免除等の権利が与えられて居るし
5日とか10日を超えると補給は領主持ち
武器防具も兵科に由ってわその為の扶持や貸出がされて居た 兵農分離してない状況での兵士は屯田兵みたいなもんだから >>392
でソースは?家わけ文書や戦国遺文みても兵一人一人の食料や武具まで面倒見てる記録はないし
そもそも兵科なんて概念当時にはないぞ 「戦国時代に兵科はあったか?」って戦国史で今割と熱いとこだよな
言ってる研究者もいるけど、否定意見もある
すれ違いだけどもうちょっとだけ俺は見たいw 例えば1439年のシャルル7世の勅令だとコンパニー・ドルドナンスは
王から任命を受けた隊長が兵一人一人を自ら選抜し、(一条)国王選抜の隊長以外の主従関係や命令を受け入れず(三条)
国王の所定した場所を防備し(三十条)、その維持にはタイユとエードを充てる(四十二条)
ここまでやって初めて常備軍と言えるんだよ
指揮系統が一括されてない、どこで誰がどの程度の人員を持っているかハッキリしない、装備食料自弁の百姓の寄せ集めを常備軍とは言いません >>394
普通に何日超えたらこちらで支給するからそれ迄の分は自前で持って来い
って発給文書わ複数の大名が出して居るよ豊臣家とか北条氏とか
氏政の書状が発見された(内容を研究者が解読した)のわ割と最近でここ10年の話
食料や防具や鉄砲の面倒見てる記録が残ってるし
槍足軽、鉄砲足軽、弓足軽、馬上などの兵科に分かれてた
足軽は御恩と奉公の典型的な封建制下の存在で屯田兵と性質が大分違う
あと天正末期に成ると田畑の在る地元から離れて専業化する士分が増えたよ >>396
フランス王国なんて16世紀に入っても全然常備軍抱えて無いよ
毎回、大多数は戦の数カ月前から各地で募兵して集めた傭兵 >>397
豊臣家の文書はほとんど残ってないはずなんだが
北条家に関しては織豊政権以上に残りが良いが管見の限りではないな
そんな研究、聞いたことないんだけど一体誰が主張してるんだ
>あと天正末期に成ると田畑の在る地元から離れて専業化する士分が増えたよ
朝鮮出兵ですら9割近くが百姓からのかき集めで最近では兵農分離自体がなかったとか言われてるんだが 国王直属の軍隊何てどこでも持ってるが
スペインとか少なくともアルフォンソ6世の頃には一部の都市に騎士の提供と装備を負担させて作ってるぞ
何時、裏切りかもしれない傭兵だけで戦えるわけないだろ >>399
詳しそうなのでちょいとお尋ねしたい
三傑の中で信長の方が秀吉より人気が高いのは、やっぱり残っている文章量の差による研究者の数の差が理由として大きいの?
あと北条家の文官って小田原征伐の後家康が手に入れたのかね? >>401
織田期の史料も豊臣同様よく残ってないだなそれが
右筆衆などほかの大名と比べてかなり整った官僚組織を持っていたという割には、なぜか史料の残りが良くない
>あと北条家の文官って小田原征伐の後家康が手に入れたのかね?
そもそも文官とかいう区分はなかったんじゃない
遺臣は吸収されただろうね 朝鮮の役の薩摩の武将の書状に「公儀米○石、自分米○石船にて送る」
とあるのを見たな。さて公儀とは島津家か秀吉か…? 西ローマの崩壊から1000年以上後の極東の島国の領主達の私兵をローマ帝国と同じ規模の常備軍だのなんだの言って恥ずかしくなってこないか?
時代降って日本の有史に近い時代の東ローマですら志願兵を国が訓練して君は歩兵、君はカタクラフトという感じで分けてたわけだよ。 >>400
国王自身の常備軍なんて1/10以下で侍/足軽の割合よりも少ない
而も当時西欧で最も常備軍化の進んでたのがスペイン帝国
>>399
豊臣家の文書わ滅亡した家にしちゃ割と残ってる方だよ
氏政の書状伝々は書籍で読んだ気がするけど記憶が曖昧、論文かもしらん 北条家の文章が多く残ってるのは、江戸幕府が、武蔵・相模の旗本や御家人から古文書を提出させて写しとったかららしい 朝鮮出兵のとき対馬とか人口六千に対し五千とか滅茶苦茶な軍役が充てられてるからな
これ島民のほとんどが出払ってるんじゃねえの >>407
人口15000前後だぞ、5000人は船役 初期ローマの軍隊はファランクスだったらしいけど盾もギリシャ式の青銅の円盾だったのか
それともスクトゥム?
スクトゥムでファランクス組んでるって凄い違和感があるんだが サムニウム戦争以前のギリシャ式ファランクス戦術つかってた頃は
盾もギリシャ式の円盾や丸みを帯びた台形のとか使ってた >>410
台形の盾はローマオリジナルですか?それとも周辺のイタリア原住民の影響? >>412
中央アペニン山脈とその周辺一帯で使用されていたもので
ギリシャ式円盾と違ってイタリア半島オリジナルと言えるようなタイプ
代表的な使用者はサムニウム人だけど
「ローマ」の建国母体である麓のラティウム圏にも古くから浸透してた
いわゆる「スクトゥム」の祖先の一つでもある
サムニウム戦争でローマがサムニウムスタイル真似たのはある意味では
外来のギリシャ式から伝統のイタリア古式への回帰とも >>413
なるほど面白いなあ
詳しくありがとうございます そのプロトスクトゥムに縦長の楕円(長方形)なケルト盾風味が混ざったものが、
のちのローマ軍団の顔になる『スクトゥム』の原型になる。 >>408
人別帳からの統計だと慶長年間でも5900人程度なんだが
しかも船役じゃなくて上陸して釜山落したりしてるんだが いやいやスクトゥムはガリアからパクったものだから
ロリカ・ハマタもそう
サムニウム人は壁画見ても普通に丸盾つかってる サムニウム人が台形盾つかっていて
それをローマが参考にしたってのは一応リウィウスが書いてる
彼がどのような記録を参考にしてそれを書いてたのかはわからん リウィウスって帝政ホヤホヤの頃だしまだサムニウム族に関する記録は大量に残ってただろうな ローマンスクトゥムがどのように形成されていったのかは諸説入り乱れてるな
こういうローマンスクトゥムやケルト盾に近い形のをすでにサムニウムが使ってる壁画もあって混乱してる
https://c1.staticflickr.com/8/7186/6926556849_c3167de3ca_b.jpg サムニウム戦争以降のローマの戦術体系は
ギリシャ式の密集隊形・ガリア式の盾壁戦術・サムニウム式の散開戦術を
状況に合わせて併用したいという欲張り仕様で形を成していったものだから
戦闘技術の中心となる盾も色んな要素が混ざったものだろうな 古代ローマの感心するとこは、小国だった頃からローマ市民を訓練して集団戦とか散開とか組織的な事出来るようにしてた事だよな。 複数の運用法をこんだけよくばって詰め込むとまともに確立できないか
できても器用貧乏で微妙なものになるのが普通なんだけど
ローマはこの路線で最強に仕上げやがった 古代ローマ軍ほど中二心をくすぐるものはないとおもうけどな
https://i.warosu.org/data/tg/img/0427/28/1443305467950.jpg
まぁ実際は全員ロリカ・セグメンタタを着用できた軍団はそうそうなかったらしいけどな マリウスの軍政改革までは専業の兵士じゃなく一般市民が農業やらなんやの自分の仕事生活やりながら一定期間兵士として訓練行ってたんだもんな。
兵士の数が戦闘を決める要素なんだろうけど、現代のスイス並みに一般市民が兵役就て訓練しまくってファランクスとか
号令一下少人数のグループに分かれて前進してって短剣構えて敵の胸を一突きとか
確かに他を圧倒するわな。 軍団描写はゲームのTotal War ROME2がお気に入り
装備品が100%完璧に統一されているわけではなく
様々な型式の兜やハマタやセグメンタタが
混ぜこぜ併用されてるってのをちゃんと描いていて
実物だと管理や準備が面倒そうだから
映画やドラマではなかなか見られそうもないかな >>431
あのゲームは良いよな
divide et imperaってmodを入れると1粒で2度遊べる >>432
Divide et Imperaはほんと良い意味で変態マニアックだな
ローマだけじゃなく各勢力ユニットの作りこみもハンパない >ローマ市民を訓練して集団戦とか散開とか組織的な事出来るようにしてた事
直接は関係ないかもだけど、
「項羽と劉邦」とか「大秦帝国」とかに、古代中国の練兵の様子が出てきて、
すっごいカッコイイと思う。人口がそれだけあったってことと、広々とした平たい土地のおかげだろうけど、
日本では、戦国時代にしても、今の自衛隊にしてもあれほど大規模なのは見られないだろうね。 練兵以前に、弱い奴は連れて来るなとか言っちゃうから日本の大名 ローマ帝国の正教会では、教区の司祭は妻帯も可能で、
カトリックの司祭たちのように、異常性犯罪が繰り返されるようなことはないみたい。
カトリックより正教会のほうがいいかも。 古代中国の練兵も蛮族にヒャッハーされれば勝ち目なし 本当に練兵なのか?
遊牧民の軍隊に物量で圧倒的に優勢なのに蹴散らされまくってるじゃん >>438
匈奴内藩化、突厥属国化、回鶻属国化、女真属国化
西晋宋元の時期を除くと、中国帝国側が基本優位 属国とは言うが、中華サイドが遊牧民を軍事的に力を背景に押さえつけてた時期なんてほんと数えるくらいしかないだろ
基本的には全部間接統治でお茶を濁してるわけだし そのかわり中華サイドは金を払って解決
戦争にかかるリスクと金を考えれば賢い選択だ >>441-442
>>440の日本語文が読め無いのかな? >>444
軍事的に支配されてた時期が>>440に挙げた例 中国大陸の場合北方蛮族って元々は北方にいたわけじゃなく中国大陸の中でごった煮みたいにいたのを追い出してったんだよね?
春秋戦国時代あたりまでまるっきり違う部族同士が争ってるみたいな感じに捉えられるから 一部は元々北方で遊牧為てたし牧畜民の一部は華北北西部に居たし色々でしょ 前々から気になってたんだが、現代はともかく、古代期って、「金払って戦争回避」ってよく成立してたなと思わない?
「金払う=弱い、富はある」なわけじゃん?
「なら俺たちで占領して徴税すればもっと太れるじゃん」って思ってしまうんじゃないの? 異国人っていうか秦あたりじゃまだいろんな集団が大陸に寄せ集まりましたって意識じゃね?
言葉もそれぞれ通じないだろうし。
異国に対して本国ってどれだよって感じで漢なんて次の時代だし
春秋戦国時代でかなり混血はしたんだろうし異動もしたんだろうけど、まだまだ後々の漢人みたいな意識はなかったんじゃないか? >>449
そのとおりで実際に歴史を見てると大抵は一時しのぎにしかならない
「血を流さずに富が手に入る」というのに越したことはないので
最初のうちは攻撃側も喜んで飛びつくんだけど
繰りかえすうちにだんだんエスカレートして最終的には
「土地ごと寄越せ」とか要求したり「俺らで征服しようぜ」になる 「これで勘弁してください」とお金出すパターンは相手がどんどん図に乗ってくるから悪循環。
ただし帝政初期の最盛ローマがやってたような圧倒的軍事力をバックにして、
「おとなしくするのなら経済支援してあげるよ^^」と迫るパターンなら、
トラヤヌス〜ハドリアヌス時代のゲルマンがシーンとしてたようにわりと安定する。
もちろんこの関係の維持は圧倒的な軍事優勢あってこそだから、
マルコマンニ戦争時のように少しでも揺らいだら一気に連鎖崩壊する。 最盛期のローマがやってたのは、右手のナイフで相手の耳を削ぎながら
左手の札束で逆の頬をぺちぺちして「どうする?」と聞く麻薬カルテルのようなやり方 そして中にはダキアのような
その状況から噛みついてくる猛者もいた >>436
え?正教会も少年愛者の巣窟ですが
大体、痴漢や児童買春で捕まってる大人もほとんどは妻子もちだろうに 少年性愛に関してはむしろロシアが最もヤバイ地域だよな >>450
春秋の覇王から垣間見える通り
牧民の戎狄や米食ってる楚呉越に対する周朝を戴く農耕民の俺等
って意識位わ有ったんじゃね ネットで見かける三次ショタ児ポはほぼロシア産
ああ^〜スラヴショタたまらんのじゃ〜 ものすごいざっくりした推定だけど、ショタ被害が多いってことは、その二倍ロリ被害も多そうだよな >>458
所謂中原で農耕やってます民って感じか?
ただ殷周ってその後の戦乱と秦の統一漢へって流れですでに秦以降は殷周の集団なんて離合集散してしまってるんじゃないか?
漢にしたって劉邦なんて楚の人間だし。 それはどうかな
カトリックで性被害にあってる児童はほとんど男の子なわけだし
ローマもガリアもヘルール族も美しい男の子を侍らすことは名誉と考えられていたわけだし
ヨーロッパ人そのものにそういう気がある人が多いんじゃ >>461
周朝の封建体制下に在った地域が大体その辺だしまあ
春秋期でも殷はもう歴史上の存在に成ってただろうけど
劉邦の出た沛県は東夷と中原の境目で楚が征服したのも大分遅いから
ダキアみたいな感じで同時代人もあんま楚人の印象無いんじゃね >>464
貴族が塞外に封建された属州とか箕子朝鮮みたいな国ね スレチ話題に寛大なのがこのスレの伝統的に良いところ
なぜなら、All roads lead to Rome なのだから 時代的にはなんとか重なるから、まさにローマに道は通じてるな。 レコンキスタと東方植民って南北で同じことやってるように見えるんだけど、地域以外に何か違いある? ローマからの道も米国と日本へ通じ無い。あとブラジルも 歴史板でもこのスレくらいだろ、毎日何レスもあるのは
他は丸一日レスなしとか多すぎて2chの衰退が怖い 古代から続くローマ帝国がもしも今現在まで続いていたらヨーロッパやアメリカなどで人種差別問題はなかったかも知れないな
アメリカ合衆国にプロテスタントとか、空飛ぶスパゲッティモンスター教なんかは入って来なかったよね ローマ帝国がイタリア本国維持できて現代まで続いてればベストだな
仮に世界大戦があってもゲルマンに味方することだけはないだろう
アルプス越えてナチス征伐とか見てみたい 面白いな
イタリアでローマ帝国が存続していたなら、カールの戴冠もなければ神聖ローマ帝国も存在しなかっただろう >>462
ジャップほどじゃないだろ
衆道とか尋常な民族じゃないよ ナポレオン対ローマ帝国
持久戦でピュロスの勝利に持ち込めれば何とかなりそう 思想的には当時の神聖ローマだのの君主国家よりナポレオンのフランスの方が共和制ローマの思想により近いからな。 どこがだよ
共和政ローマ:パトリキ(部族の長)から選ばれた者が統治する
神聖ローマ帝国:選帝侯(部族の長)から選ばれた者が統治する
フランス第一帝政:共和制の否定から生まれたナポレオンの独裁政権 ナポレオン帝政時代はほぼ追認機関と化した議会と元老院だけど、
それでもフランス革命後だからちゃんと仕事してるんだよなあ 独裁政権っていうけどナポレオンのフランスとヨーロッパ君主連合の戦争の原因は市民権の輸出だぞ ナポレオン自体は急進的に皇帝の座に就いたけど、実際のそれって王侯貴族の寄り合い根回しじゃなくローマ皇帝のそれに近いあくまで前提として議会、軍隊、市民の支持でってやつだからな。
ローマ法皇なんかに皇帝に就けてもらってないぶん権威による権威付けみたいな中世以来の慣習をぶち壊した
古代ローマ以来の皇帝の再来になってるかもな。 オクタウィアヌスがプリンケプスと名乗っておきながらその実態は独裁であったように
ナポレオンも革命の成果の守護者として国民の支持を得た上で独裁やってるわけだからな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています