古代ローマを語ろう【ローマ人の物語】33©2ch.net
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>>399
詳しそうなのでちょいとお尋ねしたい
三傑の中で信長の方が秀吉より人気が高いのは、やっぱり残っている文章量の差による研究者の数の差が理由として大きいの?
あと北条家の文官って小田原征伐の後家康が手に入れたのかね? >>401
織田期の史料も豊臣同様よく残ってないだなそれが
右筆衆などほかの大名と比べてかなり整った官僚組織を持っていたという割には、なぜか史料の残りが良くない
>あと北条家の文官って小田原征伐の後家康が手に入れたのかね?
そもそも文官とかいう区分はなかったんじゃない
遺臣は吸収されただろうね 朝鮮の役の薩摩の武将の書状に「公儀米○石、自分米○石船にて送る」
とあるのを見たな。さて公儀とは島津家か秀吉か…? 西ローマの崩壊から1000年以上後の極東の島国の領主達の私兵をローマ帝国と同じ規模の常備軍だのなんだの言って恥ずかしくなってこないか?
時代降って日本の有史に近い時代の東ローマですら志願兵を国が訓練して君は歩兵、君はカタクラフトという感じで分けてたわけだよ。 >>400
国王自身の常備軍なんて1/10以下で侍/足軽の割合よりも少ない
而も当時西欧で最も常備軍化の進んでたのがスペイン帝国
>>399
豊臣家の文書わ滅亡した家にしちゃ割と残ってる方だよ
氏政の書状伝々は書籍で読んだ気がするけど記憶が曖昧、論文かもしらん 北条家の文章が多く残ってるのは、江戸幕府が、武蔵・相模の旗本や御家人から古文書を提出させて写しとったかららしい 朝鮮出兵のとき対馬とか人口六千に対し五千とか滅茶苦茶な軍役が充てられてるからな
これ島民のほとんどが出払ってるんじゃねえの >>407
人口15000前後だぞ、5000人は船役 初期ローマの軍隊はファランクスだったらしいけど盾もギリシャ式の青銅の円盾だったのか
それともスクトゥム?
スクトゥムでファランクス組んでるって凄い違和感があるんだが サムニウム戦争以前のギリシャ式ファランクス戦術つかってた頃は
盾もギリシャ式の円盾や丸みを帯びた台形のとか使ってた >>410
台形の盾はローマオリジナルですか?それとも周辺のイタリア原住民の影響? >>412
中央アペニン山脈とその周辺一帯で使用されていたもので
ギリシャ式円盾と違ってイタリア半島オリジナルと言えるようなタイプ
代表的な使用者はサムニウム人だけど
「ローマ」の建国母体である麓のラティウム圏にも古くから浸透してた
いわゆる「スクトゥム」の祖先の一つでもある
サムニウム戦争でローマがサムニウムスタイル真似たのはある意味では
外来のギリシャ式から伝統のイタリア古式への回帰とも >>413
なるほど面白いなあ
詳しくありがとうございます そのプロトスクトゥムに縦長の楕円(長方形)なケルト盾風味が混ざったものが、
のちのローマ軍団の顔になる『スクトゥム』の原型になる。 >>408
人別帳からの統計だと慶長年間でも5900人程度なんだが
しかも船役じゃなくて上陸して釜山落したりしてるんだが いやいやスクトゥムはガリアからパクったものだから
ロリカ・ハマタもそう
サムニウム人は壁画見ても普通に丸盾つかってる サムニウム人が台形盾つかっていて
それをローマが参考にしたってのは一応リウィウスが書いてる
彼がどのような記録を参考にしてそれを書いてたのかはわからん リウィウスって帝政ホヤホヤの頃だしまだサムニウム族に関する記録は大量に残ってただろうな ローマンスクトゥムがどのように形成されていったのかは諸説入り乱れてるな
こういうローマンスクトゥムやケルト盾に近い形のをすでにサムニウムが使ってる壁画もあって混乱してる
https://c1.staticflickr.com/8/7186/6926556849_c3167de3ca_b.jpg サムニウム戦争以降のローマの戦術体系は
ギリシャ式の密集隊形・ガリア式の盾壁戦術・サムニウム式の散開戦術を
状況に合わせて併用したいという欲張り仕様で形を成していったものだから
戦闘技術の中心となる盾も色んな要素が混ざったものだろうな 古代ローマの感心するとこは、小国だった頃からローマ市民を訓練して集団戦とか散開とか組織的な事出来るようにしてた事だよな。 複数の運用法をこんだけよくばって詰め込むとまともに確立できないか
できても器用貧乏で微妙なものになるのが普通なんだけど
ローマはこの路線で最強に仕上げやがった 古代ローマ軍ほど中二心をくすぐるものはないとおもうけどな
https://i.warosu.org/data/tg/img/0427/28/1443305467950.jpg
まぁ実際は全員ロリカ・セグメンタタを着用できた軍団はそうそうなかったらしいけどな マリウスの軍政改革までは専業の兵士じゃなく一般市民が農業やらなんやの自分の仕事生活やりながら一定期間兵士として訓練行ってたんだもんな。
兵士の数が戦闘を決める要素なんだろうけど、現代のスイス並みに一般市民が兵役就て訓練しまくってファランクスとか
号令一下少人数のグループに分かれて前進してって短剣構えて敵の胸を一突きとか
確かに他を圧倒するわな。 軍団描写はゲームのTotal War ROME2がお気に入り
装備品が100%完璧に統一されているわけではなく
様々な型式の兜やハマタやセグメンタタが
混ぜこぜ併用されてるってのをちゃんと描いていて
実物だと管理や準備が面倒そうだから
映画やドラマではなかなか見られそうもないかな >>431
あのゲームは良いよな
divide et imperaってmodを入れると1粒で2度遊べる >>432
Divide et Imperaはほんと良い意味で変態マニアックだな
ローマだけじゃなく各勢力ユニットの作りこみもハンパない >ローマ市民を訓練して集団戦とか散開とか組織的な事出来るようにしてた事
直接は関係ないかもだけど、
「項羽と劉邦」とか「大秦帝国」とかに、古代中国の練兵の様子が出てきて、
すっごいカッコイイと思う。人口がそれだけあったってことと、広々とした平たい土地のおかげだろうけど、
日本では、戦国時代にしても、今の自衛隊にしてもあれほど大規模なのは見られないだろうね。 練兵以前に、弱い奴は連れて来るなとか言っちゃうから日本の大名 ローマ帝国の正教会では、教区の司祭は妻帯も可能で、
カトリックの司祭たちのように、異常性犯罪が繰り返されるようなことはないみたい。
カトリックより正教会のほうがいいかも。 古代中国の練兵も蛮族にヒャッハーされれば勝ち目なし 本当に練兵なのか?
遊牧民の軍隊に物量で圧倒的に優勢なのに蹴散らされまくってるじゃん >>438
匈奴内藩化、突厥属国化、回鶻属国化、女真属国化
西晋宋元の時期を除くと、中国帝国側が基本優位 属国とは言うが、中華サイドが遊牧民を軍事的に力を背景に押さえつけてた時期なんてほんと数えるくらいしかないだろ
基本的には全部間接統治でお茶を濁してるわけだし そのかわり中華サイドは金を払って解決
戦争にかかるリスクと金を考えれば賢い選択だ >>441-442
>>440の日本語文が読め無いのかな? >>444
軍事的に支配されてた時期が>>440に挙げた例 中国大陸の場合北方蛮族って元々は北方にいたわけじゃなく中国大陸の中でごった煮みたいにいたのを追い出してったんだよね?
春秋戦国時代あたりまでまるっきり違う部族同士が争ってるみたいな感じに捉えられるから 一部は元々北方で遊牧為てたし牧畜民の一部は華北北西部に居たし色々でしょ 前々から気になってたんだが、現代はともかく、古代期って、「金払って戦争回避」ってよく成立してたなと思わない?
「金払う=弱い、富はある」なわけじゃん?
「なら俺たちで占領して徴税すればもっと太れるじゃん」って思ってしまうんじゃないの? 異国人っていうか秦あたりじゃまだいろんな集団が大陸に寄せ集まりましたって意識じゃね?
言葉もそれぞれ通じないだろうし。
異国に対して本国ってどれだよって感じで漢なんて次の時代だし
春秋戦国時代でかなり混血はしたんだろうし異動もしたんだろうけど、まだまだ後々の漢人みたいな意識はなかったんじゃないか? >>449
そのとおりで実際に歴史を見てると大抵は一時しのぎにしかならない
「血を流さずに富が手に入る」というのに越したことはないので
最初のうちは攻撃側も喜んで飛びつくんだけど
繰りかえすうちにだんだんエスカレートして最終的には
「土地ごと寄越せ」とか要求したり「俺らで征服しようぜ」になる 「これで勘弁してください」とお金出すパターンは相手がどんどん図に乗ってくるから悪循環。
ただし帝政初期の最盛ローマがやってたような圧倒的軍事力をバックにして、
「おとなしくするのなら経済支援してあげるよ^^」と迫るパターンなら、
トラヤヌス〜ハドリアヌス時代のゲルマンがシーンとしてたようにわりと安定する。
もちろんこの関係の維持は圧倒的な軍事優勢あってこそだから、
マルコマンニ戦争時のように少しでも揺らいだら一気に連鎖崩壊する。 最盛期のローマがやってたのは、右手のナイフで相手の耳を削ぎながら
左手の札束で逆の頬をぺちぺちして「どうする?」と聞く麻薬カルテルのようなやり方 そして中にはダキアのような
その状況から噛みついてくる猛者もいた >>436
え?正教会も少年愛者の巣窟ですが
大体、痴漢や児童買春で捕まってる大人もほとんどは妻子もちだろうに 少年性愛に関してはむしろロシアが最もヤバイ地域だよな >>450
春秋の覇王から垣間見える通り
牧民の戎狄や米食ってる楚呉越に対する周朝を戴く農耕民の俺等
って意識位わ有ったんじゃね ネットで見かける三次ショタ児ポはほぼロシア産
ああ^〜スラヴショタたまらんのじゃ〜 ものすごいざっくりした推定だけど、ショタ被害が多いってことは、その二倍ロリ被害も多そうだよな >>458
所謂中原で農耕やってます民って感じか?
ただ殷周ってその後の戦乱と秦の統一漢へって流れですでに秦以降は殷周の集団なんて離合集散してしまってるんじゃないか?
漢にしたって劉邦なんて楚の人間だし。 それはどうかな
カトリックで性被害にあってる児童はほとんど男の子なわけだし
ローマもガリアもヘルール族も美しい男の子を侍らすことは名誉と考えられていたわけだし
ヨーロッパ人そのものにそういう気がある人が多いんじゃ >>461
周朝の封建体制下に在った地域が大体その辺だしまあ
春秋期でも殷はもう歴史上の存在に成ってただろうけど
劉邦の出た沛県は東夷と中原の境目で楚が征服したのも大分遅いから
ダキアみたいな感じで同時代人もあんま楚人の印象無いんじゃね >>464
貴族が塞外に封建された属州とか箕子朝鮮みたいな国ね スレチ話題に寛大なのがこのスレの伝統的に良いところ
なぜなら、All roads lead to Rome なのだから 時代的にはなんとか重なるから、まさにローマに道は通じてるな。 レコンキスタと東方植民って南北で同じことやってるように見えるんだけど、地域以外に何か違いある? ローマからの道も米国と日本へ通じ無い。あとブラジルも 歴史板でもこのスレくらいだろ、毎日何レスもあるのは
他は丸一日レスなしとか多すぎて2chの衰退が怖い 古代から続くローマ帝国がもしも今現在まで続いていたらヨーロッパやアメリカなどで人種差別問題はなかったかも知れないな
アメリカ合衆国にプロテスタントとか、空飛ぶスパゲッティモンスター教なんかは入って来なかったよね ローマ帝国がイタリア本国維持できて現代まで続いてればベストだな
仮に世界大戦があってもゲルマンに味方することだけはないだろう
アルプス越えてナチス征伐とか見てみたい 面白いな
イタリアでローマ帝国が存続していたなら、カールの戴冠もなければ神聖ローマ帝国も存在しなかっただろう >>462
ジャップほどじゃないだろ
衆道とか尋常な民族じゃないよ ナポレオン対ローマ帝国
持久戦でピュロスの勝利に持ち込めれば何とかなりそう 思想的には当時の神聖ローマだのの君主国家よりナポレオンのフランスの方が共和制ローマの思想により近いからな。 どこがだよ
共和政ローマ:パトリキ(部族の長)から選ばれた者が統治する
神聖ローマ帝国:選帝侯(部族の長)から選ばれた者が統治する
フランス第一帝政:共和制の否定から生まれたナポレオンの独裁政権 ナポレオン帝政時代はほぼ追認機関と化した議会と元老院だけど、
それでもフランス革命後だからちゃんと仕事してるんだよなあ 独裁政権っていうけどナポレオンのフランスとヨーロッパ君主連合の戦争の原因は市民権の輸出だぞ ナポレオン自体は急進的に皇帝の座に就いたけど、実際のそれって王侯貴族の寄り合い根回しじゃなくローマ皇帝のそれに近いあくまで前提として議会、軍隊、市民の支持でってやつだからな。
ローマ法皇なんかに皇帝に就けてもらってないぶん権威による権威付けみたいな中世以来の慣習をぶち壊した
古代ローマ以来の皇帝の再来になってるかもな。 オクタウィアヌスがプリンケプスと名乗っておきながらその実態は独裁であったように
ナポレオンも革命の成果の守護者として国民の支持を得た上で独裁やってるわけだからな 真面目に比較したら結構類似点と相違点出てくるんじゃないか?それこそ東大の論述問題が一個作れるくらいには >>485-486
つまりナポレオン体制は帝政ローマに近かったということで>>481は間違いだな >>487が言ってるけど時代背景の違いがあるから論文並みになってしまうかもしれないが、共和制ローマから皇帝が出現していく過程と似たもんがあるかもしれないよ。
でもって共和制ローマの思想考え方意識が根底にないとローマ皇帝という物の出現はなかったって考えたらあながち間違いじゃない。
フランス革命も共和派が勝ったと思ったらその思想のなかからナポレオンっていう皇帝と帝政を生み出したんだから。
それが旧来の王政的思想と王党派や王侯貴族の考え方慣習ならば軍隊や市民の支持で皇帝を生み出すなんて発想すら生まれなかったわけだよ。
洋の東西あれど市民軍、一般市民の支持これが皇帝を生み出すということをしたのはローマとナポレオンくらいじゃないか?
他に例があったらすまんけど。 「皇帝」という言葉面に拘らなければむしろ普遍的事例だろ
貴族共和政が市民の支持を取り付けた僭主によって革められるのは世の習い 共通点て「これからは俺らブルジョア/エクイテスの
時代だよな!」とかかな? 負けたクラッススとポンペイウスこそエクィテスで
勝ったカエサルはパトリキなんだよなぁ >洋の東西あれど市民軍、一般市民の支持これが皇帝を生み出すということをしたのはローマとナポレオンくらいじゃないか?
ヒトラーがそうだな。日本の天皇はざっくりいえばそうだと思う。毛沢東は詳しくないから分からん 初期の天皇は豪族の連合体だから貴族共和制じゃね日本は類例無いっしょ
根本的に国の交代期にしか出無いだろうし 日本は民意を集めるシステムが伝統的に未発達だったからなぁ
僭主が生まれる基礎がなくて、貴族共和政がずっと続いてきたようなもん
正直今でもまだ続いてるような気がする >>494
第一次大戦で帝国崩壊、ユンカー没落の後に出てきた伍長殿だからな。
>>496
武士階級の勃興と幕府成立がそうじゃね?武士は平安末期の勃興から
南北朝の悪党、戦国期の土豪国人と、農民との境目がずっと曖昧だし。 >>497
幕府に僭主(=民からの圧倒的な支持と武力を背景に独裁的な権力を振るう)は存在しない
鎌倉も室町も江戸も地方分権的な支配体制で、幕府内部を見ても寄り合い所帯的で僭主的な人物が見当たらない 武士は平安末期に中央で栄達を絶たれて地方で軍事貴族やってた連中に追捕や徴税を
アウトソージングした結果出来たものだし
国人はもとは在庁官人だったのが守護の被官となったのが元だから全然農民とは立場が違うし
民意の上に推戴されたわけでも何でもない
魏晋南北朝の塢主や朝鮮の後三国時代の将軍は勝手に民衆が擁立したものなので
こっちのほうは僭主に近い >>499
鎌倉幕府成立から遡ること400年前、藩鎮にアウトソーシングやった唐では安史の乱ていう一大カタストロフを起こしたのに
日本ではあそこまでひどいことにならなかったのは何で? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています