古代ローマを語ろう【ローマ人の物語】33©2ch.net
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軍団描写はゲームのTotal War ROME2がお気に入り
装備品が100%完璧に統一されているわけではなく
様々な型式の兜やハマタやセグメンタタが
混ぜこぜ併用されてるってのをちゃんと描いていて
実物だと管理や準備が面倒そうだから
映画やドラマではなかなか見られそうもないかな >>431
あのゲームは良いよな
divide et imperaってmodを入れると1粒で2度遊べる >>432
Divide et Imperaはほんと良い意味で変態マニアックだな
ローマだけじゃなく各勢力ユニットの作りこみもハンパない >ローマ市民を訓練して集団戦とか散開とか組織的な事出来るようにしてた事
直接は関係ないかもだけど、
「項羽と劉邦」とか「大秦帝国」とかに、古代中国の練兵の様子が出てきて、
すっごいカッコイイと思う。人口がそれだけあったってことと、広々とした平たい土地のおかげだろうけど、
日本では、戦国時代にしても、今の自衛隊にしてもあれほど大規模なのは見られないだろうね。 練兵以前に、弱い奴は連れて来るなとか言っちゃうから日本の大名 ローマ帝国の正教会では、教区の司祭は妻帯も可能で、
カトリックの司祭たちのように、異常性犯罪が繰り返されるようなことはないみたい。
カトリックより正教会のほうがいいかも。 古代中国の練兵も蛮族にヒャッハーされれば勝ち目なし 本当に練兵なのか?
遊牧民の軍隊に物量で圧倒的に優勢なのに蹴散らされまくってるじゃん >>438
匈奴内藩化、突厥属国化、回鶻属国化、女真属国化
西晋宋元の時期を除くと、中国帝国側が基本優位 属国とは言うが、中華サイドが遊牧民を軍事的に力を背景に押さえつけてた時期なんてほんと数えるくらいしかないだろ
基本的には全部間接統治でお茶を濁してるわけだし そのかわり中華サイドは金を払って解決
戦争にかかるリスクと金を考えれば賢い選択だ >>441-442
>>440の日本語文が読め無いのかな? >>444
軍事的に支配されてた時期が>>440に挙げた例 中国大陸の場合北方蛮族って元々は北方にいたわけじゃなく中国大陸の中でごった煮みたいにいたのを追い出してったんだよね?
春秋戦国時代あたりまでまるっきり違う部族同士が争ってるみたいな感じに捉えられるから 一部は元々北方で遊牧為てたし牧畜民の一部は華北北西部に居たし色々でしょ 前々から気になってたんだが、現代はともかく、古代期って、「金払って戦争回避」ってよく成立してたなと思わない?
「金払う=弱い、富はある」なわけじゃん?
「なら俺たちで占領して徴税すればもっと太れるじゃん」って思ってしまうんじゃないの? 異国人っていうか秦あたりじゃまだいろんな集団が大陸に寄せ集まりましたって意識じゃね?
言葉もそれぞれ通じないだろうし。
異国に対して本国ってどれだよって感じで漢なんて次の時代だし
春秋戦国時代でかなり混血はしたんだろうし異動もしたんだろうけど、まだまだ後々の漢人みたいな意識はなかったんじゃないか? >>449
そのとおりで実際に歴史を見てると大抵は一時しのぎにしかならない
「血を流さずに富が手に入る」というのに越したことはないので
最初のうちは攻撃側も喜んで飛びつくんだけど
繰りかえすうちにだんだんエスカレートして最終的には
「土地ごと寄越せ」とか要求したり「俺らで征服しようぜ」になる 「これで勘弁してください」とお金出すパターンは相手がどんどん図に乗ってくるから悪循環。
ただし帝政初期の最盛ローマがやってたような圧倒的軍事力をバックにして、
「おとなしくするのなら経済支援してあげるよ^^」と迫るパターンなら、
トラヤヌス〜ハドリアヌス時代のゲルマンがシーンとしてたようにわりと安定する。
もちろんこの関係の維持は圧倒的な軍事優勢あってこそだから、
マルコマンニ戦争時のように少しでも揺らいだら一気に連鎖崩壊する。 最盛期のローマがやってたのは、右手のナイフで相手の耳を削ぎながら
左手の札束で逆の頬をぺちぺちして「どうする?」と聞く麻薬カルテルのようなやり方 そして中にはダキアのような
その状況から噛みついてくる猛者もいた >>436
え?正教会も少年愛者の巣窟ですが
大体、痴漢や児童買春で捕まってる大人もほとんどは妻子もちだろうに 少年性愛に関してはむしろロシアが最もヤバイ地域だよな >>450
春秋の覇王から垣間見える通り
牧民の戎狄や米食ってる楚呉越に対する周朝を戴く農耕民の俺等
って意識位わ有ったんじゃね ネットで見かける三次ショタ児ポはほぼロシア産
ああ^〜スラヴショタたまらんのじゃ〜 ものすごいざっくりした推定だけど、ショタ被害が多いってことは、その二倍ロリ被害も多そうだよな >>458
所謂中原で農耕やってます民って感じか?
ただ殷周ってその後の戦乱と秦の統一漢へって流れですでに秦以降は殷周の集団なんて離合集散してしまってるんじゃないか?
漢にしたって劉邦なんて楚の人間だし。 それはどうかな
カトリックで性被害にあってる児童はほとんど男の子なわけだし
ローマもガリアもヘルール族も美しい男の子を侍らすことは名誉と考えられていたわけだし
ヨーロッパ人そのものにそういう気がある人が多いんじゃ >>461
周朝の封建体制下に在った地域が大体その辺だしまあ
春秋期でも殷はもう歴史上の存在に成ってただろうけど
劉邦の出た沛県は東夷と中原の境目で楚が征服したのも大分遅いから
ダキアみたいな感じで同時代人もあんま楚人の印象無いんじゃね >>464
貴族が塞外に封建された属州とか箕子朝鮮みたいな国ね スレチ話題に寛大なのがこのスレの伝統的に良いところ
なぜなら、All roads lead to Rome なのだから 時代的にはなんとか重なるから、まさにローマに道は通じてるな。 レコンキスタと東方植民って南北で同じことやってるように見えるんだけど、地域以外に何か違いある? ローマからの道も米国と日本へ通じ無い。あとブラジルも 歴史板でもこのスレくらいだろ、毎日何レスもあるのは
他は丸一日レスなしとか多すぎて2chの衰退が怖い 古代から続くローマ帝国がもしも今現在まで続いていたらヨーロッパやアメリカなどで人種差別問題はなかったかも知れないな
アメリカ合衆国にプロテスタントとか、空飛ぶスパゲッティモンスター教なんかは入って来なかったよね ローマ帝国がイタリア本国維持できて現代まで続いてればベストだな
仮に世界大戦があってもゲルマンに味方することだけはないだろう
アルプス越えてナチス征伐とか見てみたい 面白いな
イタリアでローマ帝国が存続していたなら、カールの戴冠もなければ神聖ローマ帝国も存在しなかっただろう >>462
ジャップほどじゃないだろ
衆道とか尋常な民族じゃないよ ナポレオン対ローマ帝国
持久戦でピュロスの勝利に持ち込めれば何とかなりそう 思想的には当時の神聖ローマだのの君主国家よりナポレオンのフランスの方が共和制ローマの思想により近いからな。 どこがだよ
共和政ローマ:パトリキ(部族の長)から選ばれた者が統治する
神聖ローマ帝国:選帝侯(部族の長)から選ばれた者が統治する
フランス第一帝政:共和制の否定から生まれたナポレオンの独裁政権 ナポレオン帝政時代はほぼ追認機関と化した議会と元老院だけど、
それでもフランス革命後だからちゃんと仕事してるんだよなあ 独裁政権っていうけどナポレオンのフランスとヨーロッパ君主連合の戦争の原因は市民権の輸出だぞ ナポレオン自体は急進的に皇帝の座に就いたけど、実際のそれって王侯貴族の寄り合い根回しじゃなくローマ皇帝のそれに近いあくまで前提として議会、軍隊、市民の支持でってやつだからな。
ローマ法皇なんかに皇帝に就けてもらってないぶん権威による権威付けみたいな中世以来の慣習をぶち壊した
古代ローマ以来の皇帝の再来になってるかもな。 オクタウィアヌスがプリンケプスと名乗っておきながらその実態は独裁であったように
ナポレオンも革命の成果の守護者として国民の支持を得た上で独裁やってるわけだからな 真面目に比較したら結構類似点と相違点出てくるんじゃないか?それこそ東大の論述問題が一個作れるくらいには >>485-486
つまりナポレオン体制は帝政ローマに近かったということで>>481は間違いだな >>487が言ってるけど時代背景の違いがあるから論文並みになってしまうかもしれないが、共和制ローマから皇帝が出現していく過程と似たもんがあるかもしれないよ。
でもって共和制ローマの思想考え方意識が根底にないとローマ皇帝という物の出現はなかったって考えたらあながち間違いじゃない。
フランス革命も共和派が勝ったと思ったらその思想のなかからナポレオンっていう皇帝と帝政を生み出したんだから。
それが旧来の王政的思想と王党派や王侯貴族の考え方慣習ならば軍隊や市民の支持で皇帝を生み出すなんて発想すら生まれなかったわけだよ。
洋の東西あれど市民軍、一般市民の支持これが皇帝を生み出すということをしたのはローマとナポレオンくらいじゃないか?
他に例があったらすまんけど。 「皇帝」という言葉面に拘らなければむしろ普遍的事例だろ
貴族共和政が市民の支持を取り付けた僭主によって革められるのは世の習い 共通点て「これからは俺らブルジョア/エクイテスの
時代だよな!」とかかな? 負けたクラッススとポンペイウスこそエクィテスで
勝ったカエサルはパトリキなんだよなぁ >洋の東西あれど市民軍、一般市民の支持これが皇帝を生み出すということをしたのはローマとナポレオンくらいじゃないか?
ヒトラーがそうだな。日本の天皇はざっくりいえばそうだと思う。毛沢東は詳しくないから分からん 初期の天皇は豪族の連合体だから貴族共和制じゃね日本は類例無いっしょ
根本的に国の交代期にしか出無いだろうし 日本は民意を集めるシステムが伝統的に未発達だったからなぁ
僭主が生まれる基礎がなくて、貴族共和政がずっと続いてきたようなもん
正直今でもまだ続いてるような気がする >>494
第一次大戦で帝国崩壊、ユンカー没落の後に出てきた伍長殿だからな。
>>496
武士階級の勃興と幕府成立がそうじゃね?武士は平安末期の勃興から
南北朝の悪党、戦国期の土豪国人と、農民との境目がずっと曖昧だし。 >>497
幕府に僭主(=民からの圧倒的な支持と武力を背景に独裁的な権力を振るう)は存在しない
鎌倉も室町も江戸も地方分権的な支配体制で、幕府内部を見ても寄り合い所帯的で僭主的な人物が見当たらない 武士は平安末期に中央で栄達を絶たれて地方で軍事貴族やってた連中に追捕や徴税を
アウトソージングした結果出来たものだし
国人はもとは在庁官人だったのが守護の被官となったのが元だから全然農民とは立場が違うし
民意の上に推戴されたわけでも何でもない
魏晋南北朝の塢主や朝鮮の後三国時代の将軍は勝手に民衆が擁立したものなので
こっちのほうは僭主に近い >>499
鎌倉幕府成立から遡ること400年前、藩鎮にアウトソーシングやった唐では安史の乱ていう一大カタストロフを起こしたのに
日本ではあそこまでひどいことにならなかったのは何で? >>501
統制力が弱かったから乱に成る迄も無く好き勝手に独立為ちゃった
足利幕府は結構早い段階から京都周辺の地方政権だし 逆に統制力の弱さが幸いしたのかw
強いってのも良いことばかりじゃないなぁw 大土地所有が脆弱で中央の統率力が強かったから
武士は名主田堵として名の徴税、勧農を行う代わりにそこから上回えはねるだけで
満足して、地方に割拠してやろうなんて野心なく何だかんだ言って院宮王臣家のいう事聞いてるし
国司も国司で単なる徴税官で節度使みたいに私兵集団抱えてたわけでないしな 日本の中央の統制力(統率力?)は強いのか弱いのかどっちなんだ! 中央がまるでやる気がないだけで、グダグダになってるだけで強いといえば強い
室町期の守護にしても中央からの統制はちゃんと受けているわけで
じゃないと守護請けなんて成立しない
太平記読むと切り取り次第じゃーなんて勝手気ままに他人の土地を横領していってるイメージがあるが
以外とルールは守ってる あれって大きな誤解をしてたわ
【誤】将軍後継争いの京都の局地戦。乱後、中央の地方統制が取れなくなり戦国時代の幕開けへ
【正】全国的な争乱(関が原の九州・近畿・東北争乱と同じ状況)。
将軍後継者が東軍総大将から西軍総大将に転向したり、細川・山名の和睦を無視して諸将が抗争を続ける等しており、戦国時代は応仁の乱から既に始まっていた 室町の世が乱れて生まれたあらゆる勢力が鎮圧され、均一な江戸の世に終息するという流れに、日本の「和をもって尊し」「出る杭は打つ」「ことなかれ主義」を感じる
15世紀ヨーロッパみたいな混沌のまま17世紀に突入する日本史だったら大変だろうな
商人自治、仏教勢力、山城自治、ローマ法王領、南蛮要塞、国人、諸大名全部アリで まさに全部入りだったイタリアは傭兵のやる気のなさで救われたな
古代ローマから受け継いだ文化力のおかげかな
まあ野蛮なスイス傭兵にボコボコにされちゃうんですがね! >>505
天皇朝は統制力有ったけど、武家政権は北条、足利と統制力無いよ。周朝と大差無い気がするw
義満が頑張ってあちこちの有力大名をモグラ叩き為たけど、義満でもそれが限界で
嘉吉の乱前後から皆領国帰ったり内戦為たりと唐末みたいなもんだし 応仁の乱後も六角攻めや河内攻めでも将軍は諸大名のイニシアティブ取ってる
最近だと戦国時代は明応の政変からってことに
それと戦国時代に入ってもまだ院宮王臣家を頂点とする職の体系が依然と残ってて
これを完全にぶっ壊れたのは太閤検地から
ここにきてようやく古代の王民制のくびきから解放されたと言える 皇紀2600年……はまぁ話半分としても
1000年以上続いただろう古代の制度から解放されたのがたった400年前と思うと不思議な感覚だ
今の日本には古代の名残がいっぱい残ってそう 戦国大名と言えども将軍と封臣関係を結んでる武家なわけで、ある程度の予定調和に収まってる
唐末や軍人皇帝時代のローマみたいに勝手に兵士が擁立した節度使や皇帝がポンポン出てくるほどカオスな状況にはなってない 日本では、政権中央の統制が取れなくなって、地方が勝手に振る舞っていても、
地方の権力は中央の権威だけは借りていたってことかな?
逆に言えば、中央の政権に真っ向反旗を翻す地方の権力は少なかった? そういう意味じゃ日本の戦国時代って、実は中国の春秋時代に相当するよな
古代ローマでいうとセウェルス朝辺りに相当? >>514
国土面積じゃなくて大陸と島国の差では?外敵との近さと言い換えることもできる。
軍人皇帝といい節度使といい、すべて辺境防衛のために置かれた軍団を支持基盤にしている。
その点日本は島国だから、北九州あたりの守りさえ固めとけばあとは海と潮の流れが守ってくれるわけで、それほど強力な軍事力を辺境に置く必要がなかった。 確かに対馬海峡がイタリア半島とシチリアの距離だったら?
ジブラルタル海峡の距離だったら?
まったくの異集団が目と鼻の先にいたら変わってたかもね。 島国としてなら英国が近いか
ドーバー海峡を渡るのは至難
カエサル上陸は貴重な成功例の一つ 帝国が滅ぶっていうイメージがわからない。
日本でも太平洋戦争で敗北したけど、天皇制は続いた。
<1453年4月、オスマン帝国の軍がコンスタンティノポリスを攻撃。2ヶ月にも及ぶ包囲戦の末、
5月29日城壁が突破されコンスタンティノポリスは陥落した。
最後の皇帝コンスタンティノス11世は戦死し、東ローマ帝国は滅亡した。
残存するモレアス専制公領やトレビゾンド帝国も1461年までには掃討された。>
これで完全に終わる理由がわからない。
1500年も続いた帝国であれば、後継者はあちこちに散らばって生き残ってるのでは?? 東ローマだけの時点でローマ人はすでにいなかったわけだし滅んでると言えば滅んでるような?
東ローマの祖もコンスタンティヌスでありカエサル・アウグストゥス時代とはほぼ別ものになっちゃったし そういう民族・人種的な拘りのなさが古代ローマの良いところだと思ってたんだけど
コンスタンチノープルに遷都してからは人種的な拘りを持つようになったとか? >>519
イギリスというかイングランドなんてローマ軍撤収以来海渡って来た奴らに占領されまくりじゃないか >>511
唐末の唐朝廷みたいな物、当時既に畿内周辺にしか影響力及ば無い政権だし
管領や有力守護に好き勝手やられても将軍家だけじゃ抑える力の無い御輿
公家が生き残ったのわ職能、技芸を持って居たからで軛でも何でも無い
>>513-514
室町幕府はより封建的分権的で藩鎮と比べ守護大名の支配力が強かったからその差でしょ >>515
てか、関東は相当早い段階から将軍権力と余り関係無く独自に動く別世界よ >>522
王朝だけで言えば東ローマに在った王朝は何度も滅んでるんだし
支配民族がトルコ人に代わったとしても別段不思議無くね >>520
そういわれてみれば、たしかにイメージできないな。
なんで後継者がいないんだ?
男大迹王が越前から招かれて天皇になったように、
どこか少しでも離れたところに住んでる皇帝の親族がローマ帝国を継承したら
済む話なのでは? 血族が生き残っているかどうかと、後を継がせてもらえるかどうかは別問題だろ。
日本だと仮に、神武天皇から続く男系男子が存在していても、
誰も天皇位に就けさせてもらえなければ本朝は終了。 >>527
モスクワ大公が東ローマの親戚だというので、東ローマの後継者を自称するようになった。
ロシア「皇帝」なのは、それが由来だよな。 >>521
何を言ってる?
100万人のローマ人たちがローマ市を捨ててコンスタンティノープルに引っ越してきたのが「コンスタンティノープルへの遷都」だろ?
ローマ市の人口…紀元前500年 10万人
紀元前100年 100万人(ローマ帝国建設直後)
紀元200年 120万人
紀元400年 80万人
紀元500年 10万人(ローマ人ほぼ全員が東欧に移住した結果)
以後、ローマは都市とはみなされない。ローマ帝国の首都じゃなくなったから。
紀元500年のローマ人口10万人は、ローマ帝国が建設されるよりはるか昔の人口と同じ。
つまり、ローマ帝国の人民がすべて東ローマ帝国に引っ越してしまったことを示す。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています