古代ローマを語ろう【ローマ人の物語】33©2ch.net
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同盟市戦争終結時点でラテン人とエトルリア系サムニウム系その他の
人口比率ってどんなもんだったんだろうな。 アウグストゥス帝時代にはエトルリア人とローマ人はかなり同化が進んでたらしいが同盟市戦争ではどうだろう 軍人皇帝時代のヘレンニウス・エトルスクス&ホスティリアヌス兄弟
トレボニアヌス・ガッルス&ウォルシアヌス父子
ウァレリアヌス&ガッリエヌス父子らはエトルリア出身 ローマ帝国は人口減ってたんだから
ゲルマン人を入れてやればよかったのにな
ゲルマン部族長を元老院議員にして
民族組織を解体して同化させれば無問題だった
まぁそれが出来んかったのはゲルマン人の宗教が
アリウス派でローマ人との宗教戦争の側面が
あったからだろう ゲルマン系の諸部族を大量に入れてるって。
農奴も軍団もゲルマン系なしじゃ成り立たないくらいの比率になってるよ。
現代日本で言うところの非正規派遣みたいなもんだ。 マルクス・アントニウスぐらいの時代にゲルマン同化作戦しとくべきだったな
クラウディウス帝がこの時代にいたらそうしたかもしれん Quinn, Josephine. "Goose Girl." Review of Theodora: Actress, Empress, Saint, by David Potter. London Review of Books 39 no. 9 (2017): 38-39,
によると、
Procopius, History of the Wars
は、プロコピウスの生前には、とうの皇帝たちが生きていたため公刊されず、
17世紀に発見されプロコピウスの真筆と立証されて刊行されたわけだが、
淫乱な技を尽した売春婦であったテオドラは、ユスティニアヌスと結婚して皇后となると、淫乱さではなく凄惨な拷問を周囲の人物に与えるようになったとのこと。
幼女時には肛門性交で客を取り、長じて舞台で陰部を出して観衆がそこに小麦を撒きアヒルにその小麦をついばませる芸で売っていたと。
「自分は穴が三つあるが、乳房にももう一つ穴があればよかったのになあ」と宣った。
皇后となってからは拷問マニアとなり、気に入らない臣下を動物の糞尿受けに縛りつけたまま何か月も生活させ、発狂させたりして楽しんでいたとのこと。
ホンマかいな… まあ欧州人だし本当だろう
ドイツ人なんて今でも皆そんな感じだし >>57
ゲルマン人って最大部族のゴート族でも30万とかそんなんだぞ
全部族呼び寄せても焼け石に水
>>58
農奴のゲルマン人なんていないが
奴隷階級のローマ人並みに意味不明
ゲルマン人って自由民っていう意味で人種じゃないぞ
ローマ人って結婚したらその時点でお前はローマ人なってサリカ法典に書いてある >>64
サリカ法典なんて西ローマ崩壊後だろ。
ローマ内の大農場で働く農奴はどんな奴らが耕してたと思うんだ。
ローマ人がやってたと思ってるのか?
それにゲルマン人なんて誰も書いてないぞ
ゲルマニアにいた雑多な諸部族はみんなゲルマン系住民だ。
そういう奴らがわらわら出稼ぎでローマ帝国の中に入って来てるよ。
ローマ帝国自体も国境地帯に集団移住させたりしてる
集団移住させた奴らもそこだけに定住するわけじゃなくいろんなとこに散らばってる
定住するだけじゃローマ市民権得られないのはわかるよなる ゲルマン部族は血統に因る
末裔も相変わらず略奪と虐殺と詐欺が大好き >>65
>ローマ内の大農場で働く農奴はどんな奴らが耕してたと思うんだ。
農奴(コロヌス)身分がいつ出来たか知ってる?つうか世界史の授業の時習ったはずだよね
>ローマ人がやってたと思ってるのか?
大半の奴隷はローマ人間での再生産だろうよ
戦争捕虜だけでは到底維持できないしローマでは新生児遺棄は当たり前に行われていてそいつらは大抵奴隷になったから
帝国東部では奴隷のことをThreptos(養子)と呼んでいたんだがこの名称が奴隷の来歴を良く表している
>>66
「カウキー族は高貴な部族であり、自らの偉大さを正義で守ることを好む。貪欲や制しがたい劇場を知らず、如何なる土地をも略奪で荒らしたりしない」(ゲルマニア 35章) ゲルマン人って出稼ぎのために入ってきたのか
中々に前衛的な説だな
個人的には欧州のイスラム移民問題を古代に投影しすぎじゃねと思うが >>67
古代から詐欺と嘘ばかり吐いてたんだなゲルマン部族
流石国家詐欺を繰り返すドイツ族 >>68
ドイツ各地でローマで稼いで持ち帰った金貨が出土してるぞ いかなる土地も略奪で荒らさないは誇張か部族のホラを間に受けたかだろうな そのドイツ人から医学と憲法を学んでたフン族の末裔が極東にいるらしい >>61
>「自分は穴が三つあるが、乳房にももう一つ穴があればよかったのになあ」と宣った。
テオドラは乳癌で死んだ いかなる土地も荒らさないし大人しい部族だったから
インフェリオル属州と目と鼻の先に暮らしていたのにかかわらず放置されていたわけ まあそのカウキ族もキウィリスの反乱に加わってるんですけどね 一部の著述だけを抜き取って都合よく印象操作してる人いるな
ゲルマーニアにおけるカウキーは
「力と勇気があるからこそ正義を重んじ進んで戦をしない」というのと
「敏捷な武具を備え多数の人馬からなる軍がある」と綴られているわけで
「大人しい部族」なんて旨は一切綴られていないんだが
あと>>76が言っているとおり同じタキトゥスの同時代史では
4巻79章と5巻19章にてキウィリス陣営で参戦してることも綴られてる マルコマンニ戦争でも思いっきり何度も襲撃してたろカウキー
どこが「如何なる土地をも略奪で荒らしたりしない」「大人しい部族」だよ そう特筆された部族ですら実際には暴れてんだから
やっぱりゲルマン全体が略奪好きなのは揺らがないな 一部を抜き出して印象操作してるのはお前だろ
マルコマンニ戦争とかタキトゥスが死んでからどんだけ立ってるんだ
ヘルウェティィ族みたいにガリア戦争と以後では評価が真逆になった部族とかいるだろ
それと穏健派であること無抵抗で武備を持たないことは=ではないしイジメまくったらそりゃ反発もするさ >>81
キウィリス戦争はタキトゥスが15歳くらいのときに起こったものだよ タキトゥスにとっておもっくそリアルタイムじゃん
むしろなんで>>67みたいに記したんだろう
戦後に友好的になったことへのリップサービスとか? だ〜か〜らさぁ〜その戦争の当事者が「貪欲や制しがたい激情を知らず、如何なる土地をも略奪で荒らしたりしない」
って書いてあるんだから説得力あるんだろうよ
アルマンニ戦争のときは知らない >>84
だ〜か〜らさぁ〜その当事者が別の作品では
カウキーがキウィリス軍に加わって
アグリッピネンシスの町を襲撃しようとしていることを記してるんだよ >>81
さすがに、ゲルマニアのごく一部分だけを引用して、
同著者の他作品や他記録を無視してる側の方が、
印象操作の度合いはずっと大きいと思う。 まあ、あえて強調されているのだから
他の部族と比べて好戦的ではなかったというのはあるかと あるいはタキトゥスが、何らかのローマ側に負い目を感じるような現実を目の当たりにしたのかもな ゲルマン人は高貴なアーリア人の本流であり
略奪なとしない
略奪したのはウァンダル人で彼奴らはスラブ系
汚れたスラブ系ヴァンダリズムの蛮族と
高貴なアーリア人のゲルマン族を一緒にしてはいけない 「アグリコラ」「ゲルマニア」はローマの先行きが不安なドミティアヌス〜ネルウァ期に書き進められたもので
「同時代史」「年代記」はタキトゥスもニッコリするくらいの絶世であるトラヤヌス期に書かれたもの
この執筆環境もそれぞれの描写スタンスに影響及ぼしてるだろうな そういや訳者の国原さん今年の四月に亡くなったんだよな
一つの時代が終わったようで寂しい キウィリスに加担する以前では、カウキー族はゲルマニクス側について戦ってる。
47年頃には「図太くなって」、逆に反ローマとなって低地ゲルマニア属州に侵入してる。
どちらもタキトゥスが年代記にて書いてる。
(第一巻 ゲルマニア戦役の章、第十一巻 ゲルマニアの状勢の章)
ゲルマニアにおける清廉潔白の正義漢・略奪嫌いを思わせるベタ褒めは、
何かの意図があって誇張したものか、あるいは単に調査不足だったのかもしれない。
(年代記が書かれたのはゲルマニアのずっと後) 文明レベルの低い蛮族が一切の略奪をしないで生活できるのだろうか 今のドイツ人を見ても判る通り
ゲルマン族も日常的に詐欺を働いてたからな
略奪、虐殺は年中行事、それを隠蔽する詐欺も 好戦的≒掠奪を好む だろ
掠奪という旨味がなくて戦争するバカの存在はほぼ無視してよい 女真族は好戦的な部族だったけど同時に略奪は滅多にせず住民は丁重に扱っていた
と竹内藤右衛門らは記している
一方で明人そのものは大人しく臆病な連中であるが明軍は殺戮と略奪が常態化しており
女真族も降明軍の扱いには苦労してた ちなみに竹内らは女真族の盗賊に抑留されていたことを
清国の役人によって解放されたので女真族の肩を持つ気はさらさらなかったことを考えると猶更真実性は高い 好戦的だからといって略奪したとは限らないけれど
問題になってるカウキー族の侵入行為は略奪と=でつなげて良いと思う
年代記の該当部分でも
「とくにガッリア地方の海岸部分を荒した。この地方の住民が、金持ちで戦争嫌いであることを知っていたのである」
と明確に略奪目的であることが示されてるから というかこの話は「タキトゥスの同時代史と年代記を参照しろ」で終わるだけもの。
結論も「ゲルマーニアでのカウキ族の描写は、
後に書かれた年代記と同時代史の具体的な時事描写と異なっている」で終了。
数十レスかけたりわざわざ東アジアの例まで引っ張ってくるような話じゃない。 年代記のカウキー襲撃の部分
好意的に見ればカンニネファテス族の
ガンナクスに扇動されたと考えることもできるけど
積極的に略奪侵入やったことはやはり否定できないから
やはりゲルマニアで述べられてる性格とは食い違ってるな 相手が平和的で金持ちなら襲う
ローマ人の前では誠実なように振る舞い略奪なんてしませんよ、と嘘をつく
さすが野蛮人 官軍が略奪虐殺やり過ぎて住民が蛮族に靡いて終了って
金や元の時もそうだったからな
ま、中国史ではお約束だわな どうしてもシナに話を持っていきたがる輩が居るな
どうせローマに興味無いのに勢いあるから来てるんだろ?
帰っていいよ ゲルマン蛮族が適切に野蛮人扱いされると火病って何故か中国叩きを始める統失いるよね ローマ帝国と中華王朝はシルクロードの繋がりがありそう
三国志の時代、ローマはローマ帝国 パルミラ王国 ガリア帝国に分裂してた ローマがドナウ帝国 パルミラ王国 ガリア帝国に分裂したままで
属州ダキアを放棄せずにドナウ防衛に専念していたのならば
かなり安定しただろうな
ドナウ軍団がガリアやオリエントも防衛しなければならなくなったので
ドナウの防衛が手薄になってしまいゴート族らに突破されてしまった
ガリアの防衛はガリア人にオリエントの防衛はオリエント人に任せるべきだった
パルミラは元パルティア兵を雇ってササン朝を自力で防いでいたけど
パルミラ滅亡直後はパンノニア出身のプロブスらがオリエントを防衛した 中世は誰がどう見ても暗黒
西ローマ帝国滅亡後、文化水準が古代ローマのレベルに戻るのが1000年以上後のルネサンスだし
つか西洋の絵画を見ていつも不思議に思うのは
セムハム系で本来なら褐色黒目だろうイエスが、金髪碧眼の白人として描かれている点 起源主張はゲルマンのお家芸だからな
神殿を漂白したりアウグストゥスは名君だからゲルマン人だと言い張ったりそのキチガイぶりたるや >>106
新羅からガリアで制作された剣の柄が見つかってるんだって
どういう経緯で流れ着いたのやら 歴史に関しちゃ普通に南韓のウリナラファンタジ-より酷いもんなドイチュ人
昔も今も大昔も ベルリンのペルガモン博物館は、展示品としての神殿にもおどろかさせられたが、一番驚いたのはドイツ語の解説だ。
丸二日間かけて全部読んだが、すべてが、オリエントーギリシャ・ローマ、そして現代トルコとイランが、完全に現代ドイツに直結していることを、
ゲルマン魂を発揮した長文長文また長文で、主張していたな。 あの、ドイツ=ローマ史観と、ゲルマン魂としてのヘルマンーアルミニウスの存在は、どう折り合いをつけてるんだろうか。 優秀な奴は全員ゲルマン人なので
必然的にほとんどの古代の戦争はゲルマン人の内戦だったということになる いやゲルマン内戦と言えるのは中世から
古代でゲルマンパワーが台頭しはじめるのは3世紀頃からの晩期からであって
それまではローマに押さえつけられてきた基本的には試練と雌伏の時代 >>112
へぇ〜あんたドイツ語読めるの?
じゃあ頼むけどこれなんて書いてあるのかちょっと訳してみてくれ
https://de.wikipedia.org/wiki/Arminius 翻訳依頼スレかよ
つか電子書類ならばグーグル翻訳で十分じゃん
日本語にすると誤りが大きくなるから
ドイツ語から英語に訳したらええがな >>112,116
あのぉ、ローマからすればゲルマンの野蛮な暴力を防ぎ続けた歴史なんですけどね
ほんと迷惑でした
古代には文明の域に達しない民族が多い中、政治・経済から思想・文化に至るまで文明開化の生活を営んでいたのがローマ市民でした
ガリアやブリテンを始め、帝国の版図に入った地域の人々も市民権を得て文明人の仲間になりました
ずっと後世に至るまで彼らはこのことを誇りにしています
ローマこそが人類の理想・希望です
人間は決して野蛮な存在ではなく、文明を築いて穏やかに生存して行ける存在なのだと
それを略奪と暴力で脅かし続けたのがゲルマンです
衰えに乗じてローマにとどめをさしたのも蛮族どもです
ずっと後になって反省したのかあこがれたのか神聖ローマなどと称するも笑止
ローマを受け継ぐものなどと世迷いごとの展示を為すに至っては何をか云わんやであります そうだ。
古代ローマに関して詳しいことは、ともかく
京都大学学術出版会・刊行の稀代の名著『西洋古典学事典』ならびに、
『西洋古典学事典アプリ』を参照せよ。
よいな。 >>121
フェニキア人「せ、せやな……(震え声)」 >>112
現代トルコとドイツが直結?クッソワロタ
きみドイツ語出来ないどころかドイツに行ったことすらないでしょ?
ドイツ人というか西欧人のトルコ人に対する印象ってほんと最悪だからな >>124
>>112は「ペルガモン博物館の解説にはそうあった」としか読めないが。 じゃあすげぇリベラルな奴がいてそいつがその解説を書いていたんだろうな
保守派ほどイランやトルコ大嫌いだから
どれぐらい悪いイメージもたれてたかというと指輪物語の作者がモルドールはトルコがモデルですと言うぐらい
蛮族を多数従える悪の専制帝国ってのがかつてのヨーロッパ人のトルコのステレオイメージ 全く世俗化しなかったムスリムには激しい闘争を経て世俗化した西欧から見ると嫌悪感あるんだろ
結局トルコは世俗派が負けて中世に逆戻りするしEUに入れるわけない 最も野蛮で最も醜いとローマ人から蔑まれていた平たい顔族がローマ人になりきるスレ >>126
壮麗で一つの国を代表する巨大博物館の展示システムと解説文(一つ一つが長大で全部合わせれば百科事典くらいになるだろう)が
特定個人とその政治イデオロギーにより決定できると思っているならお前はどうかしている
また個人レベルでの感情とパブリックでのそれは西欧ではまったく違うしドイツでは特にそうで
公的にはオリエントーローマードイツという継承ラインを正当化するために全ての論理が動員されている
たかがファンタジーの設定および歴史的感情と政治的正当性とメリットをもつイデオロギー的主張を混同するアホはおらん モムゼンはアルミニウスのことを再評価してたし
サヴィニーはローマ人の秩序(法)とゲルマン人の精神を継受したのがドイツ人だといってたから
多分そんな感じじゃね? >>112は見た上で件の感想を持ったんだろ?
じゃあ>>129も行って見てまた違う感想を書き込めばええやん
見もしないで「〜なはずだ!」ってごちゃごちゃうるせえよ
もう他所でやれ 歴史的に偉大な物を全て起源主張するのがドイツ人
アーリア人種やら人類学やら戦前戦中は酷い妄想ばかりだし
戦後も妄想体質は何も変わって無い ドイツとトルコの親和性の強調は国内の保守派のカウンターバックとしてやってるんじゃないの
日本の歴史教科書も戦前の反動で、やたら古代からの朝鮮との関係を強調したり肩もつ記述になってるし
自国を打ち破った他国の英雄をコラムまで割いて教科書で解説してる国ってなかなかないぞ 特定個人とその政治イデオロギーが学説や公的機関に影響及ぼすなんて文系学問ではしょっちゅあることだがな
講座派と労農派の抗争とかほんと下らない トルコといえば歴史ドラマのオスマン帝国外伝やってるな
ウクライナの村を襲って住民虐殺、女は拉致するタタール人が思いっきりドルジ顔のモンゴロイドだったわ アルプスの氷を削りその上に蜂蜜をかけたものがローマ式かき氷である 古代ローマ帝国でググったら、紀元前8世紀に建国って書いてある。
4世紀末にコンスタンティノープルに遷都して8世紀には旧都の領土での影響力を失った
とはいえ、滅ぼされたのは15世紀半ば。。
つまり、ローマ帝国は2200年も存続したということ? オスマントルコもローマ帝国皇帝名乗ったからオスマン滅亡まではカウントして良いんじゃね? >>141
じゃあどうして、ローマ帝国がオスマントルコに滅ぼされたって言われてるの? あと、ウィキペディアだったか、
ローマ帝国からヨーロッパの領土を奪ったフランク王国、いわゆる西洋人(the Western)たちは、
ローマ帝国(東ローマ帝国)のことを「ギリシャ人の国家」と呼んだ、って書いてあった。
どうして、西洋人たちはローマ帝国を「ギリシャ人の国」と呼んだの? 神聖でもなく、ローマでもなく、帝国でもない神聖ローマ帝国を間接的にディスるのはやめてください(切実) >>144
神聖ローマ帝国(ドイツ帝国)は、まったく関係ありません。
本物のローマ帝国の話です。 日本て島国だからいろんな国に支配される感覚わからないけど
ヨーロッパの人はその辺どうなんだろう
自分のルーツに対しての気持ちとかどうなってんのかな >>140
日本は2650年続いてるし秦帝国は2700年続いた
それと同じ事 >>146
ポーランドなんかその例として象徴的だが、若い世代は相当悩むらしい >>141
オスマン朝はセルジューク朝やホラズムの後継者
ローマの元々の本国がイタリアだったように
イスラム・トルコの本国はホラサンだった セルチュクはホラーサーンじゃ無くモンゴル北西部の出な もともと「アニメーション」という用語は「アニマル」と同じ「アニマ(ラテン語の霊魂)」を語源としている。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています