古代ローマを語ろう【ローマ人の物語】33©2ch.net
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>>662
シュメール語とか統一がままならんうちに、広域で言葉が同じで且つ政治力軍事力の強いアカディア語に飲み込まれてしまったろ・
シュメール語の各都市の方言が多弱、アカディア語が一強な。
コプト語やアラム語がアラビア語に飲み込まれたときも似たようなモノ。
コプト語派、下エジプトと屈曲部と上エジプトとで通じないくらい別の言葉になりかけていた上に、沿岸部はラテン語とギリシャ語、ナイルから10キロも離れると
モール人各部族。まさに、多弱の状態。 古代のケルト語はラテン語とかなり似た形だったようだが 島のブリトン語と大陸のガリア語よりも
ラテン語とガリア語の方が似ていたそうだ 経済と言語の結びつきはかなりあると思うな
アラム語はアラム人が登場して以降爆発的に広がり、少なくともイエスの時代までは使われていたらしい。イエスがアラム語て話したってのは有名だし、パルティアの公用語もアラム語が採用されたらしい。(公用語がアラム語単一だったかは不明)
ちなみに言語とはまた別に文字についていえば、アラム文字はソグド文字、突厥文字、ウイグル文字、満州文字にまで派生してるから超すごい(小並感) >>662
バビロニアからシリアからレバントからペルシャの西部からエジプトから支配するアッシリア帝国があったからな。
その後のカルデアもバビロニアを自称していたものの実質的な支配層はアッシリア人が多くてシリア・メソポタミア・レバントはアッシリア語が通用する。
古今東西どこでもそういうことやるけど、カルデアは特に念入りに、支配域内で地元勢が多数派にならないよう、住民の移し替えをやってる。
何千年も経ってもまだ怨み語と言われる、バビロン虜囚も、それな。
結果的に、領内各地で、アラム語の一強と、その他の多弱の状態を人為的に作り出したことになる。
次のアケメネス王朝は、一種の封建制のようなやり方での、間接支配。知事を派遣して地元勢力を知事に協力させるというやりかた。
なので、アラム語の通用している地域でアラム語が廃れることも無ければ、ペルシャ語が押し付けられることもなかったので、割と残った。 上でエトルリアが出てきたから聞きたいけど
お墓以外の居住地とかは遺跡ないの?
写真あったら見たい
素人な質問ですみません エトルリア人の暮らし
http://www.daviddarling.info/encyclopedia_of_history/E/Etruscans.html
街
http://i.imgur.com/d2eIyOc.jpg
神殿
http://blogimages.animhut.com/wp-content/uploads/2010/09/temple.jpg
陽気な連中だったようで笑みを浮かべた像や踊っている絵が多くギリシャと違って女性像が多いのも特徴である
また夫婦仲を重視していたようで男女一対像も多数残っている
男は半裸、女は全身シースールの服を身に着けていた
ギリシャ人とは暗黒時代からの付き合いで文化もよく似ていたが衆人環視の中で性交を行う文化があったことから野蛮視視されていた スパルタの方がアテネより男女平等に近かったっけ
男女皆兵だったし >669
そういう性癖のあるギリシャ人カップルが
態々エトルリアにプレイに行ってそう わざわざエトルリアまで?
有り得なそう
南仏か南イの植民都市からいくとしても安全な旅路は確保されてないし >>673
アドリア海は海賊が荒らし回ってますけど
運良く渡れても陸路はラテン人蛮族がひしめいてて誰も安全を保障してくれない マグナ・グラエキアはエトルリアと通商してたんだから交易路はあるだろ
コルシカ、サルデーニャのフェニキア商人に連れてってもらうのもありだな >>673
アルバニア人のボートピープルが良く流れてきてたオトラントとレッチェ(クレーテーの植民市)からローマまで550キロ
ターレント(ラコニア人の植民市)かローマまで400キロ
シチリアとの海峡にめんしたレッジョ(アカイア人のカルキスの植民市)で直線500キロ海岸沿いの道で700キロ
反対側のナポリ(ふてないの植民市)からローマまで20.0キロ
トスカナ(エトルリア)の本拠地の中心いまでいうとフィレンツェりあたりまでならプラス350〜400キロ
道が整備されるポエニ戦争より前には行くの大変だよ。 うんなこといったらポキス人とかえらく辺鄙なところにアルル、ニース、マッシリアとか
大規模なポリス三つも立ててるけど 必要に迫られて大人数で行う植民や通商とカップル旅行を一緒にすんなよ
男女二人で安全にそんな遠距離を通行出来るのはローマ帝国の覇権が確立されてからの話 ローマでもイタリア半島ですら盗賊が横行してたから男女二人で旅行なんてまずありえないが
普通はキャラバンか交易船に同行させてもらうってのが近代以前はどの国どの時代でも共通だろ >>677
古代ギリシャ人て、マケドニア帝国が例外的に大陸でも内陸でもガンガン責めていったけど、
基本、海辺川辺に港町作ってそこから歩いて耕しに行ける範囲くらいしか支配していない。
本領中の本領ペロポンネソスですら、内陸はバルバロイの住処。
アルルもニースもマルセイユも海っペリだろ。ポリス時代、お互いの行き来は船だったのよ。 >>675
南米へスペイン語喋れず伝手も無いのに行く様なもんだな、 小 型 船 で 普通はポリス周辺は友好的な部族だけ残して後は排除してあるのが普通だけどな
クセノフォンがシノペに向かう所、地元土着民からの襲撃にあって撃滅したのだが
後からわかったことだが、その部族はシノペ市と友好関係を結んでいた
彼らはクセノフォン一行が略奪に向かおうとしているのだと想い、それからシノペ市民を守ろうと襲ってきたのだった
とちょっと泣ける話がアナバシスにある オスマンごときにコンスタンティノープルとられるとかすげー弱いんだろうな ローマが地中海世界の覇者だった頃ならオスマンは返り討ちにされてただろうな
東ローマ単体では荷が重かったに違いない ごときてw
15世紀半ばにはコンスタンティノープルの町一つ分しか領土無かったと 十字軍にも占領されてるからしゃーないといえばしゃーない 東ローマ帝国は聖像破壊活動(イコン)をやっていたから、バチが当たったんだよね
(*´ノд) >>683
実際あちこちで酷い略奪為捲ったしなギリシア人傭兵 すべては時の流れよ。
オスマンも第一次大戦時には「瀕死の重病人」と呼ばれていたし。 教皇に雇われてたスイス傭兵も略奪してたの?
してたとしたら大問題じゃね? 略奪の合間に気が向いたら戦う事も有るのがスイスとドイチュの傭兵 カトリックもオーソドックスも大概
ローマ帝国が滅んだのはユピテル神を崇めなくなったからやろ 公認してるだけで良かったのにな
日本みたいに神道信者とキリスト教徒で共存すればいいだろ
まあ日本の場合前者は右翼、後者は左翼が多いけど
ローマにもペイガンとキリストが共存できない(どちらかが国教でどちらかを迫害しなきゃならない)政治的事情があったのかな 中世西欧であれだけ禁欲的な宗教だったのに、よく古代ローマで受け入れられたよな。 そらキリスト教が一神教だからでしょ
一神教は他宗教の存在を許さないのが面倒
インドとパキスタンだってイスラム教が一神教だから分離したようなもの 現代でこそキリスト教徒は
なあなあでやってる感じがするけど(エホバとか極端なやつ除いて)
明治のキリスト教徒は家の仏壇を海に捨てたりして、ゴリゴリの一神教だったみたいだな 戦国時代には神父に唆されて
農民達が寺社を破壊
そりゃ徳川から邪教と言われるわ 古代ローマ・ギリシャ神話は信者0人になったのにもかかわらず情報が残ってるのはなんで?
マニ教みたくぺんぺん草も残らないぐらい抹消されてもおかしくないのに カトリック信者がプロテスタント全部の2倍も3倍もいるというのがちょっと信じられない。
アフリカ人や韓国人はほとんどカトリックだというけど。日本人もカトリックが多いのかな。 困ってる人々が救いの対象を求めて信仰する場合
制約が多い方が御利益にありそうに感じるんだよな
悪徳新興宗教はその辺を良く知っている 日本に正教会がいるって意外。
ほとんどがアメリカ系プロテスタントだと思ってた。 チュニジア…つまりカルタゴか
大カトーの怨念が数百年後津波でも起こして沈めたんだな
もし共和政末期に生きてたら都市カルタゴの復興に反対しただろうし >>712
知らなかった。プロテスタントより正教会のほうが多いの? 日本国内でカトリックは44万4千人ほど。
プロテスタントは50万9千人。
日本正教会の信者数は9千619人とのこと。
日本聖公会5万1千人
日本基督教団12万人
日本バプテスト連盟3万5千人
末日聖徒イエス・キリスト教会12万8千人
などにも遠く及びません。
正教会には頑張ってほしいけど、彼らは常に財政問題で悩んでるカトリックのように、
アジアアフリカで信徒を獲得しなきゃならないということはないんでしょうね。 日本の正教会って殆どが露助のじゃない?特に北海道は ロシア教会から独立した日本教会だよ
(協力は受けてるが)
ウクナイナ教会とロシア教会も別に東京にある
正教総本山(イスタンブール)は日本教会の独立を承認していないので、
日本教会としてはロシア教会と仲良くせざるを得ない事情はある (;゚o゚) ええっ 正教総本山ってオスマントルコの首都にあったのか?知らなかった! オスマントルコの首都になる前は、1000年以上もローマの首都だったんじゃよ 途中の十字軍連中に占領されてた時期から目を背けつつ 自称ローマ人の末裔の北方カルト軍団が占領してたんだから名義上はローマでいいな >>719
1453年の占領以降、オスマン帝国がルム・カイザリ(ローマ帝国)を兼ねてるからな イスラムが攻めてこなければ
西ゴートやビザンツは現代まで続いていたのだろうか? 十字軍がへとへとになって犠牲者を出しまくって行軍した荒野を
ローマ軍はすいすい進んでるね
これが兵站の有無の差なんだよな ローマ時代は人口希薄時代、ともかく人が資源になるくらい
或る程度の統率とれた集団なら敵なんか無いのも当然。
中世は逆に人が余って戦争になってる時代だから、行く手を阻む人も多数 中東に関しては古代でもいうほど人口希薄じゃないし
ローマ軍だって行く手を現地勢力にしょっちゅう阻まれてるよ >>730
セルジューク兵の襲撃以外でも食糧・水の不足で衰弱死しまくってるけど >>731
だから、人口希薄な古代では、戦争の戦利品に領地よりもさきに人を奪っていくだろ。
人がもっと居たら余ってる土地とか水とかもっと利用できるから。
中世だと、土地とか水とか森林とかの資源に対して人が余ってるから、奪い合い。
人の手で作るものも確保しやすいけれど、逆に物盗りにもなるからな。 だからあの地域は古代でも
そこまで人口希薄ではないだろ ユダヤ戦記よむかぎりじゃあんまり環境に違いはない印象だなあ
ローマ側も方々でかなり濃密な抵抗受けてるし 西欧に限って言えば古代より中世前期中期の方が人口少なくね?
水道もない狭い城壁の中で汚い水使いながら伝染病にかかりまくって農村でも水飲んで腹下すくらいならビール飲んだ方が安全
肉なんて滅多に食えず、宗教上の理由からひたすらパン
ライ麦パン
栄養偏りまくりというより栄養不足
食料事情や栄養状態、流通、衛生考えたら人が増える要素ないぞ なぜ中世ヨーロッパは厳格なキリスト教を受け入れたのでしょう?
そこにはもちろん、合理的な理由があったのです。
最大の理由は中世の貧しさです。
禁欲のキリスト教は貧しい中世の荘園世界にジャストフィットしました。
それ以前…古代ギリシアやローマの時代は豊かでした。
なぜなら地中海を支配していたからです。
温暖な気候の中、各地域はそれぞれの特産品の生産に特化し、海上貿易が盛んに行われていました。
人々はその経済力で食と性の享楽にふけりました。
しかし、ゲルマン民族の大移動で西ローマ帝国は崩壊。経済秩序が破壊されます。
またイスラム勢力に地中海の制海権を奪われ、貿易も不可能になりました。
ヨーロッパは深い森の中で、小さな村(荘園)単位での自給自足体制を強いられます。
中世とは都市も海も失ってしまった時代。
人々はアルプス以北の寒冷な森に入って行きました。
地力もなく、流通もなく、深い深い森の中にある小さな村での自給自足。
その貧しさに耐えるため、中世は神への強い信仰を必要としたのです。 >>738
ちゃんとした本読めば中世ヨーロッパの酷さは誰でもわかるぞ
一番大きいのが支配者の責任感の欠如
税金は山ほど取るが民を守る気がない(5公1教会1種籾1鉄製農具レンタル料2民つまり8公2民)
街や村を野盗・海賊に荒らされても男は殺され女子供がさらわれても領主は城に引きこもってやり過ごすだけで何もしない
民衆は絶望してますます宗教にのめり込むと言う悪循環
教会は科学否定で本を燃やすから文明が退行してローマ時代の施設が壊れても直せないので生活水準は落ちる一方
はっきりいって絶望しかない社会だ >>739
厳格じゃねーじゃん。
偶像崇拝に姦淫に豚肉に、教義に反してばかり。 >>739
作文お疲れ様
次は中世ヨーロッパよりは豊かだった3世紀のローマやビザンツ帝国にもキリスト教が受け容れられた理由を作文してね キリスト教は最初はローマ帝国内の貧困層から広まった 教皇「汝、殺すなかれ。ただし異教徒は別です。あと聖戦に参加したら天国へ行けますよ」
騎士「ヒャッハー!略奪だー」 >>739
ローマ帝国域内の海上交易って想像するより全然少ないよ
倭国時代の日中交易と大差無いレベル >>733
>>737
食糧不足のため、アンティオキアを包囲する十字軍の宿営内では飢餓が発生し、
人間も馬もばたばたと死んでいった。全軍で7人のうち1人は飢えで死に、軍馬は700頭しか残らなかった。
民衆十字軍の生き残りであり隠者ピエールに率いられて陣営にいた特に貧しい兵士たちのうちから、
死んだ敵兵の死体を食べる人肉食に走る者が現われた。
騎士らのうちにはあえて飢えを耐えようとする者もあった。しかし多くは馬の死体などを食べた。
流石にローマ軍はここまで酷い状況に陥ったことはないでしょ >>747
だからそれは十字軍側の物資確保能力が低いせいでしょ
あの地域の現地環境は古代も中世もそこまで変わらず
違うのは十字軍とローマ軍の補給能力ってこと >>746
さすがにそれは過小評価しすぎ
エジプト属州〜ローマ市間の穀物輸送に限っても年間十万トン以上だったんだし >>746
釣り針デカ過ぎw
海上交易が盛んじゃなきゃカルタゴがあれほどの経済大国になってないぞ 新航路が開拓されるまでは地中海貿易がメイン
ベネチア、ジェノヴァのことは言うまでもないだろ 一世紀の海上航路でローマ市に供給される穀物分だけでも40万トン級やぞ
倭国時代にんなド級交易してたまるか そのベネチアが関わってる十字軍で兵站が弱いとは一体? 大規模な海賊があらかた掃討されたローマ帝国時代とは違って
中世はサラセン海賊などが暴れてたからな ポンペイウスって凄かったんやな
何でカエサルに勝てなかったん? ローマ帝国のユダヤ戦争・パルティア戦争などと十字軍を比べるのは
ちょっと十字軍側にとって不公平だとは思う
ローマ側はすでに地中海とエジプト・アナトリアを完全掌握してたりと
そこにいたるまでの事前の周辺状況がまるで違うから
まあそれら周辺を踏まえて「公平」に考えると
十字軍の無計画っぷりがなおさら強調されてしまうんだけど >>755
しばらく一線から離れていてブランクあったのと
他の議員たちの顔を立てるために
軍議の場でも素人意見を聞き入れちゃったからじゃないかな それこそファルサルスの戦いとか
ポンペイウスがちゃんと自分の意見通していたら
カエサル連敗してたかもしれんからな 大規模な海賊とかローマ帝国期全般を通して年がら年中出まくってたが
ストラボンの地理誌見ると街全体が海賊とぐるになってるとこがザラにあったようだ
殺傷はなるべくせず貧民にばらまく所謂義賊みたいなのが現れたのもローマ帝国の頃 「大規模な海賊」ってのはポンペイウスが掃討したキリキア海賊や
のちのイスラム海賊のような規模のじゃないの
沿岸都市を片っ端から襲撃して焼きはらって住民を根こそぎ連れ去るレベルの >>757
そうはいっても小規模な軍団だった頃から野営するのにも陣地こさえてた奴らだからなぁ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています