古代ローマを語ろう【ローマ人の物語】33©2ch.net
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なぜ中世ヨーロッパは厳格なキリスト教を受け入れたのでしょう?
そこにはもちろん、合理的な理由があったのです。
最大の理由は中世の貧しさです。
禁欲のキリスト教は貧しい中世の荘園世界にジャストフィットしました。
それ以前…古代ギリシアやローマの時代は豊かでした。
なぜなら地中海を支配していたからです。
温暖な気候の中、各地域はそれぞれの特産品の生産に特化し、海上貿易が盛んに行われていました。
人々はその経済力で食と性の享楽にふけりました。
しかし、ゲルマン民族の大移動で西ローマ帝国は崩壊。経済秩序が破壊されます。
またイスラム勢力に地中海の制海権を奪われ、貿易も不可能になりました。
ヨーロッパは深い森の中で、小さな村(荘園)単位での自給自足体制を強いられます。
中世とは都市も海も失ってしまった時代。
人々はアルプス以北の寒冷な森に入って行きました。
地力もなく、流通もなく、深い深い森の中にある小さな村での自給自足。
その貧しさに耐えるため、中世は神への強い信仰を必要としたのです。 >>738
ちゃんとした本読めば中世ヨーロッパの酷さは誰でもわかるぞ
一番大きいのが支配者の責任感の欠如
税金は山ほど取るが民を守る気がない(5公1教会1種籾1鉄製農具レンタル料2民つまり8公2民)
街や村を野盗・海賊に荒らされても男は殺され女子供がさらわれても領主は城に引きこもってやり過ごすだけで何もしない
民衆は絶望してますます宗教にのめり込むと言う悪循環
教会は科学否定で本を燃やすから文明が退行してローマ時代の施設が壊れても直せないので生活水準は落ちる一方
はっきりいって絶望しかない社会だ >>739
厳格じゃねーじゃん。
偶像崇拝に姦淫に豚肉に、教義に反してばかり。 >>739
作文お疲れ様
次は中世ヨーロッパよりは豊かだった3世紀のローマやビザンツ帝国にもキリスト教が受け容れられた理由を作文してね キリスト教は最初はローマ帝国内の貧困層から広まった 教皇「汝、殺すなかれ。ただし異教徒は別です。あと聖戦に参加したら天国へ行けますよ」
騎士「ヒャッハー!略奪だー」 >>739
ローマ帝国域内の海上交易って想像するより全然少ないよ
倭国時代の日中交易と大差無いレベル >>733
>>737
食糧不足のため、アンティオキアを包囲する十字軍の宿営内では飢餓が発生し、
人間も馬もばたばたと死んでいった。全軍で7人のうち1人は飢えで死に、軍馬は700頭しか残らなかった。
民衆十字軍の生き残りであり隠者ピエールに率いられて陣営にいた特に貧しい兵士たちのうちから、
死んだ敵兵の死体を食べる人肉食に走る者が現われた。
騎士らのうちにはあえて飢えを耐えようとする者もあった。しかし多くは馬の死体などを食べた。
流石にローマ軍はここまで酷い状況に陥ったことはないでしょ >>747
だからそれは十字軍側の物資確保能力が低いせいでしょ
あの地域の現地環境は古代も中世もそこまで変わらず
違うのは十字軍とローマ軍の補給能力ってこと >>746
さすがにそれは過小評価しすぎ
エジプト属州〜ローマ市間の穀物輸送に限っても年間十万トン以上だったんだし >>746
釣り針デカ過ぎw
海上交易が盛んじゃなきゃカルタゴがあれほどの経済大国になってないぞ 新航路が開拓されるまでは地中海貿易がメイン
ベネチア、ジェノヴァのことは言うまでもないだろ 一世紀の海上航路でローマ市に供給される穀物分だけでも40万トン級やぞ
倭国時代にんなド級交易してたまるか そのベネチアが関わってる十字軍で兵站が弱いとは一体? 大規模な海賊があらかた掃討されたローマ帝国時代とは違って
中世はサラセン海賊などが暴れてたからな ポンペイウスって凄かったんやな
何でカエサルに勝てなかったん? ローマ帝国のユダヤ戦争・パルティア戦争などと十字軍を比べるのは
ちょっと十字軍側にとって不公平だとは思う
ローマ側はすでに地中海とエジプト・アナトリアを完全掌握してたりと
そこにいたるまでの事前の周辺状況がまるで違うから
まあそれら周辺を踏まえて「公平」に考えると
十字軍の無計画っぷりがなおさら強調されてしまうんだけど >>755
しばらく一線から離れていてブランクあったのと
他の議員たちの顔を立てるために
軍議の場でも素人意見を聞き入れちゃったからじゃないかな それこそファルサルスの戦いとか
ポンペイウスがちゃんと自分の意見通していたら
カエサル連敗してたかもしれんからな 大規模な海賊とかローマ帝国期全般を通して年がら年中出まくってたが
ストラボンの地理誌見ると街全体が海賊とぐるになってるとこがザラにあったようだ
殺傷はなるべくせず貧民にばらまく所謂義賊みたいなのが現れたのもローマ帝国の頃 「大規模な海賊」ってのはポンペイウスが掃討したキリキア海賊や
のちのイスラム海賊のような規模のじゃないの
沿岸都市を片っ端から襲撃して焼きはらって住民を根こそぎ連れ去るレベルの >>757
そうはいっても小規模な軍団だった頃から野営するのにも陣地こさえてた奴らだからなぁ 「大規模な海賊」ってのが具体的にどんくらいなのかわからんが
少なくとも数百隻クラスによる大襲撃活動は
ポンペイウスによる殲滅以降3世紀のゴートアタックまで起きていない ゴートアタックってのが何を指してるか分からんがコンモドゥスの頃にはフェリクスと呼ばれる
海賊が数万単位の兵を率いて横行し貧民たちから支持を受けていたとカッシウス・ディオが記している
また海賊ではないが同時期、ヘロディアヌスによると脱走兵マテルヌスが大規模な盗賊集団を率いており
ローマ市への侵入を許すという前代未聞の出来事を起こしている >>764
Bulla Felixの手勢は600人だし
そもそもその二人は海賊ではないぞ ディオの77巻ざっと見返したけどフェリクスの兵600って書いてあるな >>749-752
一世紀わそうだけど五賢帝の頃から減り始めて二世紀末だと月1隻とか年間数隻位(推定値)とかそんなレベル
近距離の陸上輸送に段々置き換わったと 海賊・三世紀・ゴートといやあ、
250〜270年代のゴート船団によるエーゲ海・東地中海への大襲撃じゃないか。
フェリクスだのマテルヌスだのよりも遥かに基本の知識だと思うぞ。 ソースといえば古代ローマのガルムってローマ帝国解体とともになくなったんだよな
正直ワインが残ってガルムが消えた理由がよくわからん
地中海の安定が失われたと同時に漁獲量も減ったことが原因なのかな セウェルス帝がより海運を円滑にすべくテッラチーナ港〜オスティア港間の街道作ってるんだけど
月一隻程度でそうする必要が生じたとかローマは万トンクラスのタンカーでも使ってたのか >>728
ロシアに急襲、もとい吸収合併・併合されただろうw ローマ帝国だからなぁ
10万トン超えるタンカーくらい保有しててもおかしくない。 コンスタンティノープルって東ローマ→オスマン帝国になった時に民族の変化あったの?
単にキリスト教からイスラム教に改宗しただけで、実は人々は殆ど変わってなかったとかない? >>774
その技術についてはあんまり
元々のオスティア港(アンティカ)も堆積でだんだん機能低下して
トラヤヌスが作った新オスティア港(ポルトゥス)に比重が傾いていったりしてる >>775
宗教以外で見分けるのは難しいぞ。
そのオスマンが発祥したのもコンスタンティノポリスから程遠くない場所の住民の愚連隊だったわけで余所からオスマン集団なるもんが大勢で押しかけたわけじゃない。 クリミアゴートというゴート族最弱なのに最も長く続いた部族もいるんだぜ
1700年代以降は分散させられ行方不明だが セルジューク朝に敗れてアナルトリア半島は一気にトルコ化した
これが十字軍の遠因 ギリシャ「アテネ・スパルタ、アレクサンドロス大王、ビザンツ帝国(キリッ」
イラン「アケメネス朝、ササン朝(キリッ」
ローマ「ローマ帝国(キリッ」
トルコ「オスマン帝国(キリッ」
イギリス「大英帝国(キリッ」
アメリカ「ふーん(鼻ほじ」 >>770
消えてねーだろ
ウスターソースの原料の一つのがアンチョビの塩漬だし オスマンになってからはるばるアナトリアにやって来たんじゃなく、オスマン発生から数世紀前からトルコ系の侵入移住は始まっていて
オスマンなるものはすでにアナトリアに数世紀に渡って定住していた奴らから発生したの。
オスマン集団なるもんがはるばるアナトリアに来たんじゃない。 >>775
イスラム教支配を嫌って出て行った多数
入れ替わりに
トルコ人の兵員や官吏とその家族
スペインから追放されてきた元イスラム教徒でここでキリスト教を棄教した人たちをかなりの数受け入れて
ヨーロッパの新支配地に住まわせてる。 >>782
それは「受け継がれた」であって、ガルムとしてはやっぱ消えてんじゃん いやアンチョビソース、今でも普通に南欧料理に使われてるし >>784
オスマンはホラズム軍の生き残りだったのでは?
ルーム・セルジューク=アングロ・サクソンならば
オスマン=ヴァイキングみたいな感じ >>775
1204年第4回十字軍による陥落から1453年オスマン軍による陥落までの間
コンスタンティノープルは住民が流失して大都市ではなかったので
イスタンブールの住民の多くはオスマン時代に移住した連中の子孫 >>788
オスマン自体はルームセルジューク崩壊後の混沌状態になったアナトリアで大小自然発生した盗賊野党傭兵団の中の1つくらいだと思うよ。
下手をしたら本当に最初の最初は街にも住めず山賊生活してたようなグループのリーダーがオスマンなる人物だった暗いな。 >>768
ゴート族が海峡を通ってエーゲ海に侵入した事が
コンスタンティノープル誕生のきっかけになったよね
サルマタイとか遊牧民は船を使わないからドナウ河の
防衛線だけで充分に防げたけどゴート族の出現で
さらに海峡も防備する必要が生じた
まずディオクレティアヌスがビチニアのニコメディアに遷都したけど
それ以前は東方の最重要支配拠点はシリアのアンティオキアだった 上から下までをきちんと監督する人のいる組織だった軍隊のローマ帝国と
目的は同じもの同士の大小の連合体でしかない十字軍を比較するのが間違ってる 十字軍はガチで聖地奪還を目指す信仰心の厚い奴も大勢いたが
一方で領地や財宝目的の連中も多数だった 日本には武士道があったから泰平の世を経ても
奢侈文弱になった清朝・オスマン帝国と違って尚武の気風を保てた
>>790
天下人の徳川家も元々は三河の土豪に過ぎなかった 信仰心は篤くとも隣人を愛する気持ちはなかったようだ 現代の欧州の王侯貴族の血筋は
元を辿ればローマ末期に侵入してきたゲルマン諸族の酋長に行きつく
ローマ皇帝や元老院議員の末裔は不明(庶民の身分に落とされたのか) >>795
異教徒は人外(獣)扱い
サラセン人しかり、インディオしかり カール大帝のフランク人サリ部族はユリウス氏族だからローマ人の貴種と同祖同族だな。
でなんだかんだでヨーロッパの王侯貴族はみんなカール大帝の子孫だし。 >809
アメリカは大陸の古文明に尊敬は抱いてると思うが
古い文明を馬鹿にするのは社会主義国家群 カエサルが盛大にばら撒いてるからな。
ユリウス氏族 >>800
ロムルスによるローマ建国が紀元前750年くらいだから、アイネイアスからロムルスまで15世代ロムルスから遡って400年前、アイネイアスは紀元前1150年くらいの人だな。
カール大帝は8世紀前半の生まれだから、アイネイアスから1900年後くらいの人。辺境の蛮族にも血が行き渡ってておかしくないな。 トロイはミケーネに滅ぼされたんだから、トロイ戦争は
紀元前1200年のカタストロフより前なのか。 四皇帝の年にバダウィ族のユリウス・キヴィリスが反乱起こしてるな
他にもユリウス・クラシクス、ユリウス・トゥートル、ユリウス・ヴァレンティヌス、ユリウス・サビヌス
とかどんだけユリウスいるのってぐらい出てくる >>796
元老院議員(セナトール)ならメロヴィング朝あたりまで官僚兼司教として残ってるよ
トゥールのグレゴリウスもセナトールの家系だし 六世紀ぐらいから、セナトール系からゲルマン系貴族が力持ってくるからね 共和政期のパトリキを起源とする氏族は少子化のせいで軍人皇帝時代ぐらいにはかなりの数が絶えたんじゃなかったっけ
それでも残った氏族は皇帝とともにコンスタンティノポリスに移住したから西欧には残っていないかと >>794
日本のサラリーマン侍の弱さを甘く見るなよ
桜田門外の変じゃ真っ先に主君を見捨てて逃げて禄没収された赤備の末裔とか
ペリー来たから本格的に鍛え直すぞーって講武所開設したらさっさに幼子に家督を譲って隠居して幼子に講武所行かせる若い当主ばっかり
無論いつの時代も雑魚はいるから比率の問題かもしれんが 幕末でも横柄で傲慢な尚武の気風は残ってたよ
その代わり文官として無能だったけど 武士が役に立たないのは、戊辰戦争で証明されてるしな。 >>814
幕軍 = 武士
皇軍 = お公家さんの大将プラス農民からかき集めた俄仕立て兵員 西南戦争はむしろ農民軍の錬度の弱さが露点した最初の戦いになった
タダの素人をたった1〜2年でセミプロレベルまで引き上げるノウハウがまだなかった >>808
>それでも残った氏族は皇帝とともにコンスタンティノポリスに移住したから西欧には残っていないかと
セナトール貴族何てほとんど西ローマに放置してきているけど
既存勢力の力弱めるために遷都したのに連れて行くわけないじゃん そしてローマに残った元老院議員はみんなゲルマン人に殺されるか奴隷にされてしまった訳だな ローマも軟弱になって最後の方とかは軍団がゲルマン傭兵ばっかりじゃん
カルタゴとガチバトルやった時の心意気はどこいった・・・ その後も教皇やフランク国王に取り入って絶頂を極めてましたが
ゲルマン系の王国といってもどこも王族以外の廷臣も司教の座もほとんどが元老院家系が占めていて
宮宰ももとはセナトール貴族の独占ポストだった
それが6世紀頃からピピン一世が宮宰に就いたのを皮切りにゲルマン貴族による巻き返しが始まると同時に
セナトール層の没落が起こり共和制から続いた元老院階級による大土地所有がようやく終止符を迎えるわけだ >>794
ギリシャ最強と謳われたスパルタも贅沢になって弱くなった >>821
ローマがすごかったのは共和国の時代だから
帝政ローマは共和国の遺産を食い潰してただけ >>824
ローマが一番すごいのは帝政の2世紀
この時期こそ最盛かつ最強 ローマの全盛期はトラヤヌス・ハドリアヌス帝の時代だよ パルティア凹ったらササン朝という裏ボスが出てきた
おまけにゲルマン連中も暴れ出した ゲルマニアを占領しておけばササン朝との戦いに専念できたものを >>824
共和政期が成長時代というのは同意だけど、
細かくみると共和政末の内乱時代こそが食い潰し期。
帝政移行はそこに安定をもたらして、
経済も軍事もより発展させて最盛期を築いたのだから、
「遺産を食い潰しただけ」とは間違ってもいえないよ。 帝政が共和制の遺産食い潰しただけとか
アウグストゥス終わってからモチベ低下した塩野史観か? 「帝政が共和制の遺産食い潰しただけ」が
塩野史観だという証左を書いてからそういうこと言えや >>827
マルクス・アウレリウス帝の治世にカッシウス将軍が
セレウキアを殲滅したのでメソポタミアから
親ローマ派が消滅してしまった まあトラヤヌス即位のライバル問題もスルーしてるし、
五賢帝期はテンションあがらなかったんだろうなとは思う塩婆。 塩野史観かどうかは知らんが、帝政が共和制の遺産を食い潰したっていう認識は、少なくとも現行のローマ史学における認識ではないよな >>830
それを「塩野史観」というのは間違いだぞ
塩婆も定説どおり五賢帝期が最盛時代としてるから
ただし語り口の熱さや著述の深さが内乱期から下がって褒める頻度も低下するから
読者側で「共和制>帝政」という印象を抱いてしまう人は少なからずいると思う 共和制ローマはグダグダな内戦しょっちゅうしてたり対外戦も全然安定してなくて
あっさり壊滅してたり色々と粗削り感が 対外戦が安定するのはスッラとかポンペイウス、カエサルが出てきてからだな
戦下手なクラッススは別よ
共和政末期勢は揃いも揃ってキャラが濃いから逆に帝政期が見劣りするんでない? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています