古代ローマを語ろう【ローマ人の物語】33©2ch.net
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>>795
異教徒は人外(獣)扱い
サラセン人しかり、インディオしかり カール大帝のフランク人サリ部族はユリウス氏族だからローマ人の貴種と同祖同族だな。
でなんだかんだでヨーロッパの王侯貴族はみんなカール大帝の子孫だし。 >809
アメリカは大陸の古文明に尊敬は抱いてると思うが
古い文明を馬鹿にするのは社会主義国家群 カエサルが盛大にばら撒いてるからな。
ユリウス氏族 >>800
ロムルスによるローマ建国が紀元前750年くらいだから、アイネイアスからロムルスまで15世代ロムルスから遡って400年前、アイネイアスは紀元前1150年くらいの人だな。
カール大帝は8世紀前半の生まれだから、アイネイアスから1900年後くらいの人。辺境の蛮族にも血が行き渡ってておかしくないな。 トロイはミケーネに滅ぼされたんだから、トロイ戦争は
紀元前1200年のカタストロフより前なのか。 四皇帝の年にバダウィ族のユリウス・キヴィリスが反乱起こしてるな
他にもユリウス・クラシクス、ユリウス・トゥートル、ユリウス・ヴァレンティヌス、ユリウス・サビヌス
とかどんだけユリウスいるのってぐらい出てくる >>796
元老院議員(セナトール)ならメロヴィング朝あたりまで官僚兼司教として残ってるよ
トゥールのグレゴリウスもセナトールの家系だし 六世紀ぐらいから、セナトール系からゲルマン系貴族が力持ってくるからね 共和政期のパトリキを起源とする氏族は少子化のせいで軍人皇帝時代ぐらいにはかなりの数が絶えたんじゃなかったっけ
それでも残った氏族は皇帝とともにコンスタンティノポリスに移住したから西欧には残っていないかと >>794
日本のサラリーマン侍の弱さを甘く見るなよ
桜田門外の変じゃ真っ先に主君を見捨てて逃げて禄没収された赤備の末裔とか
ペリー来たから本格的に鍛え直すぞーって講武所開設したらさっさに幼子に家督を譲って隠居して幼子に講武所行かせる若い当主ばっかり
無論いつの時代も雑魚はいるから比率の問題かもしれんが 幕末でも横柄で傲慢な尚武の気風は残ってたよ
その代わり文官として無能だったけど 武士が役に立たないのは、戊辰戦争で証明されてるしな。 >>814
幕軍 = 武士
皇軍 = お公家さんの大将プラス農民からかき集めた俄仕立て兵員 西南戦争はむしろ農民軍の錬度の弱さが露点した最初の戦いになった
タダの素人をたった1〜2年でセミプロレベルまで引き上げるノウハウがまだなかった >>808
>それでも残った氏族は皇帝とともにコンスタンティノポリスに移住したから西欧には残っていないかと
セナトール貴族何てほとんど西ローマに放置してきているけど
既存勢力の力弱めるために遷都したのに連れて行くわけないじゃん そしてローマに残った元老院議員はみんなゲルマン人に殺されるか奴隷にされてしまった訳だな ローマも軟弱になって最後の方とかは軍団がゲルマン傭兵ばっかりじゃん
カルタゴとガチバトルやった時の心意気はどこいった・・・ その後も教皇やフランク国王に取り入って絶頂を極めてましたが
ゲルマン系の王国といってもどこも王族以外の廷臣も司教の座もほとんどが元老院家系が占めていて
宮宰ももとはセナトール貴族の独占ポストだった
それが6世紀頃からピピン一世が宮宰に就いたのを皮切りにゲルマン貴族による巻き返しが始まると同時に
セナトール層の没落が起こり共和制から続いた元老院階級による大土地所有がようやく終止符を迎えるわけだ >>794
ギリシャ最強と謳われたスパルタも贅沢になって弱くなった >>821
ローマがすごかったのは共和国の時代だから
帝政ローマは共和国の遺産を食い潰してただけ >>824
ローマが一番すごいのは帝政の2世紀
この時期こそ最盛かつ最強 ローマの全盛期はトラヤヌス・ハドリアヌス帝の時代だよ パルティア凹ったらササン朝という裏ボスが出てきた
おまけにゲルマン連中も暴れ出した ゲルマニアを占領しておけばササン朝との戦いに専念できたものを >>824
共和政期が成長時代というのは同意だけど、
細かくみると共和政末の内乱時代こそが食い潰し期。
帝政移行はそこに安定をもたらして、
経済も軍事もより発展させて最盛期を築いたのだから、
「遺産を食い潰しただけ」とは間違ってもいえないよ。 帝政が共和制の遺産食い潰しただけとか
アウグストゥス終わってからモチベ低下した塩野史観か? 「帝政が共和制の遺産食い潰しただけ」が
塩野史観だという証左を書いてからそういうこと言えや >>827
マルクス・アウレリウス帝の治世にカッシウス将軍が
セレウキアを殲滅したのでメソポタミアから
親ローマ派が消滅してしまった まあトラヤヌス即位のライバル問題もスルーしてるし、
五賢帝期はテンションあがらなかったんだろうなとは思う塩婆。 塩野史観かどうかは知らんが、帝政が共和制の遺産を食い潰したっていう認識は、少なくとも現行のローマ史学における認識ではないよな >>830
それを「塩野史観」というのは間違いだぞ
塩婆も定説どおり五賢帝期が最盛時代としてるから
ただし語り口の熱さや著述の深さが内乱期から下がって褒める頻度も低下するから
読者側で「共和制>帝政」という印象を抱いてしまう人は少なからずいると思う 共和制ローマはグダグダな内戦しょっちゅうしてたり対外戦も全然安定してなくて
あっさり壊滅してたり色々と粗削り感が 対外戦が安定するのはスッラとかポンペイウス、カエサルが出てきてからだな
戦下手なクラッススは別よ
共和政末期勢は揃いも揃ってキャラが濃いから逆に帝政期が見劣りするんでない? 西ローマ帝国時代ていうのは、日本史で例えると
元老院議員=京都公家 ゲルマン部族=坂東武士 みたいな感じだと思う
鎌倉〜南北朝時代に似てるのかな 何を持って対外戦が安定するしないを語っているのかは知らんけど
共和制末期の連中がローマ史の中でやたら強調されるのは、歴史叙述がなされた帝政ローマ期の皇帝の権威とか権力の源泉がその時代にあったからなんだろうな
カエサルに関する記述のあれこれってどれくらい信憑性あるんだろう >>838
言うほどクラッススって戦下手か?
そりゃ上に挙がってる3人に比べりゃ見劣りするだろうが
スッラの麾下としてそれなりに実績挙げてるし、法務官を二度撃退して執政官が及び腰になったスパルタクス軍鎮圧にも一応成功してるし むしろクラッススってそこそこ戦上手だと思うんだが
ポンペイウスとかスレナスがそれを上回る天才だったってだけでしょ シリアは紛争前、豊かで安定した国だった。
アラブの春なんて騒がれたとき、長老といわれる年寄りたちは、絶対にやめておけ、ろくなことにならないと口をそろえていった。
現在、国中が紛争に巻き込まれ長老たちがいったとうりになった。
でもね、年寄りどもは、先進国からは遅れていてもそこそこ豊かで安定した社会に満足していたかもしれなかっただろうけど、
若者は違う。
能力のある若者、野心のある若者は外の世界に飛び出して力を試してみたい、祖国を古い世界から新しい世界へと変えてみせたい。
結果は悲惨な状況になってしまったけれども。
スティーブジョブズのご先祖様がシリアにとどまっていたらアップルは生まれていない。 パルティア遠征を実現してたらカエサルも負けてたりして
この人結構負けてるし辛勝も多いからね セレコウス朝・ローマ帝国・ビザンツ帝国と長きにわたり
ギリシャやローマに支配されたシリアだが、ムハンマド登場後一瞬でイスラム化したな
様々な民族に支配されても
トラヤヌスによる征服から今日までずっとアイデンティティーが「ローマ人」のルーマニアとは非常に対照的 イギリスは聖地からユダヤ人とムスリムを追い出してエルサレム王国を再興するべきだった カール大帝の称号も西ローマ皇帝だからね
暗黒の中世になって数百年経ってもローマの権威は残っていたわけだ カンナエの戦いとかアラウシオの戦いとかカルラエの戦いとか共和制期
はウッソだろお前みたいな負け方することあったけど、帝政期入ってからはそんな派手な失態はないし
大抵やられたら倍返ししてるよね ササン朝やゴートに皇帝ぬっ殺されたことあったけどね
ローマ劫略はスティリコを排除したことによる自滅
アラリックにとっては幸運だった ガリア戦争でもヘルウェティイ族との戦いウォセグスの戦いでは圧倒的だったのに
アドゥアトゥカの戦いでは一個軍団と5コホルスが壊滅したりいまいち強いのか弱いのかわからない >>840
ガリア戦記とか盛り盛りに山盛り盛ってるもんな
>>839
西ローマ帝国〜フランク王国のローマ系貴族と似た存在ってあんま日本史に見当たら無い気がする
南北朝でも日本より中国の南北朝と山東貴族の方が近いイメージ 最低のローマ皇帝は満場一致で文句なしにホリノウスだが
最高のローマ皇帝は誰だろう?アウグストゥス?トラヤヌス?ハドリアヌス?コンスタンティヌス? >>844
スレナスが粛清されなければパルティアは
カエサルに勝利したかもしれないね >>854
最盛1〜2世紀における最大の敗北といえそうだけど、
それでもたかが三個軍団だからなあ。
>>848に出てるような特大敗北に比べたらだいぶ軽い。 >>855
言うほど容易くはないぞ
アントニウスだって撃退されてるし
その後トラヤヌスはじめ何人もの皇帝が首都を落としても国としては中々滅びなかった
カエサルがアレクサンダー気取りで深入りしてたら戦死した可能性もある 共和政期や三世紀以降は
「歴史的大敗」とくれば5〜10個軍団級がポンポンふっ飛んでるのに
帝政初期は一番でかいトイトブルクの負けでも3個軍団
やっぱりただ強いだけじゃなく安定感もあるね >>852
最低のローマ皇帝はユスティニアヌス1世では?
イタリアとバルカンを壊滅させて名実ともに古代ローマを終わらせた
最高のローマ皇帝は満場一致で文句なしにアウグストゥス 共和政末期にバッススさんが圧勝してるのに無かったことにされてる
パルティアは厄介な敵ではあるけど勝てないほどのものでもないよ >>860
パルティアの恐ろしさは「勝てない」ことじゃなくて「勝っても倒せない」ことだから
国力が充実しまくってた五賢帝期にも倒しきれなかった
カエサルの真意が「適当に勝って切り上げる」んじゃなくて「パルティアの完全制圧」にあったならそれは不可能だったろう アウグストゥス帝を最高と評価するのは流石に軽率がすぎるだろ
元老院をあそこまで巧みに丸め込んだローマ帝国初代皇帝なんだから、歴史書だっていいように書かせてるに決まってる
その後の皇帝たちもアウグストゥスの名前を継承しているわけだから、当然否定なんてほとんどしないわな トラヤヌス、ウェルス、セプティミウス・セウェルス、
二世紀のパルティア遠征はどれも侵攻時は圧倒して首都まで蹂躙するんだけど、
その一通り勝った後から問題が噴出してるんだよね >>863
ましてや国力も安定度もその頃と比較にならないカエサルの時代ではね…… パルティアとローマの戦いは長いから一概には言えないけど、パルティアを完全に征服する必要性をローマ人が認識していたかってのは疑問だよね
少なくとも共和制期にパルティアと交戦したコンスルは、シリアエジプト防衛ありきの攻撃か、あるいは実績を積む手段にしか見ていなかったのではないか
だから、「倒しきれなかった」んじゃなくて、「倒す気がなかった」
まあ、本気で潰そうと思っても出来なかったとは思うけどね まあアウグストゥスが最良ではないにせよ、優秀な人物であったのは事実だろ
カエサルは若造だったアウグストゥスの資質をよく見抜けたな 何百年もローマ・ビザンツと死闘を演じたパルティアの強化版であるササン朝だけど
ポッと出のイスラムに瞬殺されてる
ビザンツとの戦いで疲弊し過ぎたかな
何気に最後の方にアケメネス朝の領域まで達してる 東ローマってそう考えると凄いな
ササン朝とのチキンレースにも生き残るし 「パルティアは王者にしか屈服しない」って話をカエサルが真に受けたというギボンの説が正しいか否かだな イスラームの勃興を受けて、ビザンツとササン朝で同盟を組む話があったらしいな
うまくいかなかったみたいだけど ゲルマニアを完全征服しても維持できたか怪しいところ
全員奴隷にするのは無理だしな カルラエ敗北から学んでウェンティディウス・バッススがテコ入れして
そこから2世紀にかけてちゃんと対パルティア戦の技能は蓄積
さらに軍そのものの能力も向上していたから戦闘では9割方勝ちという安定
ただしパルティアを真に征するには
「戦闘における強さ」とはまた違うものが必要だったというね ゲルマニアの例をみるとカエサルも占領する気は無かったんじゃない?
クラッススが大敗したとき捕まった捕虜奪還の目的もあったかもしれんし
こちらから攻めることでパルティア側からの侵攻を阻止するためかもしれん
オクタヴィアヌスとアグリッパも連れてく予定だったらしいが
カエサル本人でもないしわからん そもそもパルティアの征服とその属州の維持って、費用対効果が悪すぎるんだよな 古代では全く見ないスラブ人だけど
ゲルマン人の大移動後はどっから湧いてきたってくらい大量発生してるね ビザンツとササン朝との抗争でシルクロードが通行不能になり
商人はアラビア半島を経由するようになり富が蓄積される
そこにムハンマドが登場して信者増やしてやがて武装集団になり、そして伝説へ・・・ アラビア遠征を試みた人もいるが
アレクサンドロスは実行前に病死
ローマは実際に行軍したが暑さと水不足で断念 元祖パルティアキラーのウェンティディウス・バッススも
パルティア領内への追撃侵攻はしなかったからね
アントニウスに嫉妬されるのを警戒したとも言われてるけど
それ以前にバッススの戦略も戦術も基本的に守勢で誘うタイプで
パルティア側の土俵に踏み込まないことを第一にしてる節があるから
やはり彼は深入りする危険性を理解していたんじゃないかと思う >>874
メソポタミア属州は残しておくべきだった
肥沃な三日月地帯 >>880
え、あの時期のメソポタミアってもはやエジプトとかシリアと比べたらもう全然だったんじゃないの?
むしろメソポタミアって河川とペルシア湾のセットで交易の要衝としての価値の方がより重要視されてたのでは? >>859
ユスティニアヌスは功績もあるだろ
一時的にではあるがローマ帝国の領土をほぼ復元したし
ローマ法大全の編纂も特筆すべき点
ベリサリウスを酷使し過ぎなところはいただけないけどな
名将スティリコを処刑して蛮族祭りの原因を作って良いところ無しのホリノウスこそ
ローマ随一の暗君と言えるだろう 2世紀ローマがポエニ戦争ばりの国力総動員かけたら
たぶんゲルマニアもパルティアも征服できる
ただしポエニ戦争期よりも図体が遥かにデカイぶん負荷も桁外れだし回復も遅いから
おそらく疲労でローマ自身がそのままぶっ潰れて分裂解体する ホリノウスは草生える
でもさぁ、正直皇帝に即位したタイミングによって皇帝の業績ってかなり左右されるんじゃないかと思うんだよねぇ
清朝の最盛期の皇帝についても最近同じようなことが言われてる。つまり、清朝が彼らの治世に栄えたのは、皇帝のおかげじゃなくて、ほっといてもある程度栄える下地が揃っていたから、みたいな 時代に恵まれたローマ皇帝ならアントニウス・ピウスが筆頭かな
逆にめちゃくちゃな時代に即位したけど見事に事態収拾したのはアウレリアヌス >>886
そりゃもちろんそうさ
徳川六代将軍だったら俺にだってつとまる自信があるね! 明朝は暗君のオンパレードなのに300年も続いたところがすごい イスラム教の凄いところは死後の世界の俗っぽさよね(´・ω・`)
これを手に入れるために現世では戒律守ってるとか
>イスラームでは男性は天国で72人の処女と関係を持つことができる。
>永遠の処女とされる。
>また決して悪酔いすることのない酒や果物、肉などを好きなだけ楽しむことができるとされている。 >>887
アウレリアヌスがあと十年皇帝を続けてたらローマはもう少し保ったのかな? >酒や果物、肉などを好きなだけ楽しむことができる
これがリアルであったのがローマ帝国
毎日美味しい物を食べては寝て食べては寝て、そして大浴場で好きなだけ寛ぐ
まさに天国
現代の先進国の下層や発展途上国の連中よりも余程良い暮らしをしてた >>891
最初の戦犯はカラカラ帝
アントニヌス勅令でローマ市民権の価値が暴落し
ローマ軍の成り手が減って粗悪なゲルマン傭兵頼みになって
軍団が弱体化していった アラブ族の狂戦士っぷりはイスラム以前からなので教義とか関係ない
モンゴルや女真と一緒で各部族が統一された瞬間に派遣確定 イスラム教が戒律に厳しくなったのってつい最近だしな
バーブル・ナーマとか見ると飲酒も麻薬、乱パもホモも何でもあり
ブルカなんて着だしたのもここ数十年の話だし
Lehnert、Landrockとかでググってみ
昔のイスラム圏の写真が見れるけど裸同然の姿してて肌の露出にうるさい当時のヨーロッパ人が物珍しがって殺到してた ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています