イスラム教は野蛮な宗教である ★3 [無断転載禁止]©2ch.net
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旧『イスラム教はなぜ野蛮な宗教になったのか!!』スレ。
前スレで『イスラム凶徒を馬鹿にするスレ』に統合しようとしたレスがあったが、
上手く行ってないのでまた立てました。
今後は>>950の人がスレ立てってことで。
まだまだイスラムの脅威に対する認知度が低い日本人は、
このスレなどイスラム批判のコンテンツを見てイスラムのヤバさに気づいてほしいと願うばかり。
例として以下のサイトを見ることをオススメする
https://blogs.yahoo.co.jp/tfjtoday_nanminwatch
https://www.facebook.com/True-Islam-in-Japanese-166246923478278/?fref=ts
また、旧スレに度々出没していたイスラム擁護論者は完全に無視するように。
どれだけ間違いを指摘しても決して認めようとせずにインテリぶる上にレス乞食なので。 >>746
欧米日の左派、リベラル派はイスラムに対して
完全に二つに分かれていると思う
欧米絶対主義反対を唱えて親イスラムの立場を取る派と宗教独裁反対派である
親イスラム派は多文化尊重主義だが、
イスラムそのものは多文化尊重ではなく
イスラムファーストであり、反リベラルである
というか親イスラムのリベラルは論理矛盾であり、私は信じない
彼らは隠れNWO超反動親ファシズム派ではないかと疑っている
明らかにネオコンは70年代後半から
イスラムを世界戦略に利用してきたからだ
極右と極左、シオニズムとイスラム原理主義
正反対が一番近いのだ 初詣とかで大量の列を成して並んで拝む日本人はイスラムや欧米人から不気味で異様に写るらしい。 いや、それ自体はどこの国でも似たような宗教行事はあるから不気味でも異様でもない
不気味で異様なのはそのくせ無宗教ですと言っちゃう事だよ イスラム神秘主義としてのスーフィズムが他教の影響受けたからイスラムと異質という議論があった。
しかし宗教も文化も生き物で孤立したものでなく相互影響しあう。
イスラム自体がキリスト教ネストリウス派の影響をムハンマドが受けた。
ギリシャ哲学はいったんイスラム哲学となりそのフィルターから西洋哲学が生まれる。
そもそも文明自体が生まれたのが中東地域
新プラトン主義やグノーシス自体がインド思想の影響受けたと言う説がある。
イスラム自体を孤立した特殊なステレオタイプにするのは無理がある。 そういうお間抜けな哲学的抽象論ではない
イスラム教とスーフィズムに興味を持ってくれるのは嬉しいが
それは歴史的存在としてのイスラム教でもスーフィズムでもない
ちょっとは勉強しろ!本読め本! 書き込みではスーフィズムとは民俗的聖者崇拝の事というのがあった。
自分の指すスーフィズムはファナーを伴うイスラム神秘主義としてのスーフィズム。 スフラワルディーのように高度な「光の形而上学」をアリストテレス主義とペルシャ的文化伝統のもとに作り上げた人は稀有だということを理解されていますか?
エクスタシスは特異な宗教的人格を除けば概ねそれが現代でいう「超能力」をもたらすから求められてきた
神秘体験なんて誰にでも簡単に得られるからね求めるならば
ところでフアナーを伴うタイプ限定というならメブラーナをどう評価されますか?
単一のスーフィズムというものが存在しているわけではなく多種多様な「神秘主義的=現世利益的」な宗教実践が歴史的にあるのですよ特に中央アジアには
そしてそれはここ5年で急速に「外国のイスラム教」と地域住民がいうパキスタン風のイスラム教原理主義信仰に取って代わられつつある特に若者層は 照明学派は12世紀にシャハブッディーン・スフラワルディーが創始したイスラーム哲学の学派である。
この学派はイブン・スィーナーの哲学と古代ペルシア哲学とを融合させ、さらにスフラワルディーの新たな革新的な思想を付加したものである。
この学派はネオプラトニズムの影響を受けてきたとしばしば言われる。 超越論的神智学はモッラー・サドラーが17世紀に始めたイスラーム哲学の学派である。
彼の哲学と存在論のイスラーム哲学に対する重要性は後のハイデッガーの哲学の20世紀西洋哲学に対する重要性とちょうど同じだとされる。
モッラー・サドラーは「真実の本性を扱ううえでの新しい哲学的識見」を獲得し、「本質主義から実存主義への大転換」を成し遂げた。
彼がこれをイスラーム哲学において成し遂げたのは、西洋哲学で同じことがなされる数百年前のことである。 アラブ人による征服以降のペルシア哲学は、
古代ペルシア哲学・ギリシア哲学とイスラーム哲学の発展との間での様々な相互作用が特徴である。
照明学派や超越論的神智学はペルシアの二つの重要な哲学学派とされる。 そんな生徒向けの教科書目次の書き出しを期待したのでなく内容についての見解を求めたのだけどね 「日本には抗空気罪と言う罪があり、
これに反すると最も軽くて村八分刑に処せられる…
空気とはまことに大きな絶対権を持った妖怪である…
統計も資料も分析もまたそれに類する科学的手段や
論理的論証も一切は無駄であって
そういうものをいかに精緻に
組み立てておいても
いざという時はそれらが一切消しとんで
全てが空気に決定されることになるのかも知れぬ」
山本七平「空気の研究」
イスラム諸国で言うイスラムは単に宗教でなく日本人のいう空気に相当するだろう。 >>757
それは空海が「超能力者」であった以上に「十住心論」のような高度な宗教哲学を生み出した稀有な存在だったのに対してその末徒である密教僧達は法力による現世利益のみ期待されたのと同じでは? >>757
メブラーナは知らないがルーミー語録ならかなり昔井筒俊彦のを読んだ。
シク教の開祖ナーナクに思想が似てる感じがしたのと山崎弁栄にもやはり近いかなと思った。
うろ覚えだけど。
自我が滅却したら光明が顕れるという思想は山崎弁栄にもある。 類似点はあるが
相違するところは空海という呼称が地理的歴史的に極めて限定的かつ微小な仏教の一つのセクトの長であるという具体性を有するのに対して
スーフィズム呼称は控えめに言っても地理的歴史的にきわめて広範で多種多様な理論と実践のあり方を示す曖昧な概念的存在で
スーフィズムが顕教「ではない」という否定態でしか定義されないつまりは「他称」に過ぎない抽象性だ
つまりスーフィズムという言葉を使用した論議はスーフィズムの概念内容があまりに大きすぎて何も言っていないため成立させることが困難だ
どうも変だなと思っていたがもしかして「神秘体験」「神秘主義」にカテゴライズされる現象になんらかの共通性が否定態でなく存在すると思っていやしまいか?
それはひととき一斉を風靡したミルチア・エリアーデの核心的主張でありその圏域で井筒やらユングやらの言説が1950-70年代の世界の若者の心を掴んだのだが
彼は今では「宗教史学者」としてではなく「宗教史学の研究対象」として扱われていることは常識として弁えておいた方がいい >>764
そうですな山崎弁栄が仏教の伝統に則った宗教体験(神秘体験とは言わない)をされていた証拠となるお話です
それは原始仏教の時代からむしろバラモン教などの修行の話で出てくるものであり
後期密教から現代のチベット仏教までの流れでも当然のこととされている
その光明の土台に立つところが出発点でその先が長いわけだ
これはヒマラヤ南麓で阿弥陀仏信仰とともに始まったとも考えられているがしかしペルシャの系統の思想=経験であることも間違いない
そのプロトタイプは管見では南部アフリカにあるがそこからの論議は専門的でかつ身バレに繋がるのでここでは避けておく >>765
存在のみみたいなある種の神秘体験は共通性はある。神秘体験自体が広すぎる概念だと思うが。 (見当外れな応答ばかりで対応に苦しむ…自分の空想と史実は別物だという現実感覚がないということか) >>769
貴方はスーフィズムなる言葉に自分にしか通用していない空想を仮託しているので、他者との会話が成立しないということ。
神秘主義なら個別に研究されていて、個別に人々に共有される史実がある。スーフィズムもそう。
神秘体験は、現代の多くの人に通用しているのは、一部の大学の文学部や医学部看護学部あたりでその技法とともに学ばれている、共有された学問対象であり、日常的体験。
もちろん極めて稀な、才能ある宗教者による特異な神秘体験もあるが。
そういう現在の世界からすると、井筒とかの文章はプリミティブすぎて、特に顧みる必要がない。「ご飯を食べたらお腹がいっぱいになった」レベルの記述。
無論そういうのも、趣味者に多い、神秘体験ができない(のにむやみと憧れ、それっぽい感じを神格化する)者には受け入れられたりする。
しかし今時、その辺でヨーガでもマインドフルネスでもやっていらのに、引きこもりかなんかで人と接することができない医療対象者ならともかく、意味があるのかな?
ましてそれらは、スーフィズムという「否定態」で規定される、多種多様な、相互に矛盾する雑多な歴史的諸運動には関係があまりない。 要はイスラムにおけるオカルティズムやミスティシズム全てをスーフィという概念は含むので井筒俊彦の指したイブンアラビーやルーミー、サドラーらの思想(井筒はそれらを共有された地盤に置く)をスーフィズムと呼ぶとカテゴリーエラー起こすと言いたいだけでしょ。 大体上から目線で抽象的にディスるだけで何を典拠に誰の説でこうなってるとか決して言おうとしないから話にならない。 誰の説もへったくれも、こんなに基本ラインがおかしい立論に対して、抽象論以外の何が有効なのか。
カテゴリーエラーを起こしている、ということにさえ本人が気付けば、資料が別な風に読めてくるはず。 スーフィズムが他称でしかない多様な潮流を示すカテゴリー的に問題のある概念ならイスラム原理主義も同様ではないか?
原理主義はファンダメンタリズムという英語の訳語で他称でしかない。
スーフィズムは便宜上の概念でなく他称で問題あるがイスラム原理主義は便宜的に問題ないというダブルスタンダードなのか? 自分の見方では異質な文化への反応として日本に尊皇攘夷や王政復古と言った復古主義が人心を掴んだのとサラフィー主義のような復古主義が西洋との相克で人心を掴んだのとは人間の心理として相似形にあると思うがなあ。
日本でも前の大戦では再度尊皇思想が担がれたし。 >>776
戦争の死が身近にある環境ではどんな社会でも原理主義的になりやすい。
それは復古主義とは違う。シリアで反アサド勢力が一律にイスラーム過激派とみなされてしまっているのは、やや残念。 >>777
戦争の危機があったから日本で復古主義が流行したのではない。
江戸後期に国学が発達して既に復古神道などの復古主義はあった。
それにペリー来航があって攘夷思想と結合して顕在化しただけ。
戦前の尊皇思想も田中智学の国柱会などの運動があってそれが戦時体制のイデオロギーになっただけ。 尊王攘夷なんてまさに戦争の危機そのものだったわけで。
知識人はどんな時代であろうと原理主義思想を研究するが、そうではない一般人まで原理主義に傾くのは排外主義の口実を得たいがためだ。 >>775
スーフィズムと現在の所謂イスラム教原理主義を対置させる論議はしたつもりがないので誤解なきよう。
例えば2010年代のキルギスタンタジキスタン辺りでは現地の伝統的イスラム教としてのスーフィズムの集団から
若者層中心ではあるが全世代的なパキスタン経由の所謂原理主義者グループへの移行が大規模に見られるなど
(この辺はオスロ大学などの研究者グループがペーパー出しているので興味あらばググってみてね)
現代イスラム史は20世紀にもましてさらに複雑な様相を見せている イスラム原理主義の定義も曖昧でよくわからない。
ムスリム同胞団やその影響を受けたグループ
という感じで特定の傾向を共有する
グループなのか
それともスーフィズムの定義のように
多種多様なグループを単に「原理主義的でない」グループとは違うという意味しか持たない
スーフィの定義同様
「否定態でしかないほとんど
無意味な概念」なのか? フランスでまたムスリムがテロを実行した
「アッラー・アクバル!(アラビア語で神は偉大なり!)」を叫んで
スーパーにいた無抵抗の市民を少なくとも二人射殺した
イスラム国の運動に共鳴したいたものらしい
どうせ北アフリカか中東からのアラブ系移民だろ
ほんと野蛮な宗教だわ イスラムの棄教者や改宗者がもっと増えないものかな
世界的にイスラム棄教者を死刑にする制度を禁止や廃止する風潮に持っていけないものか 改宗するイスラム教徒が出てきた!
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180125-00010006-agora-int
中東・アラブ諸国でイスラム教徒がキリスト教に改宗する現象が見られるという。
同時に、欧州に入ったイスラム系難民がキリスト教に改宗する数が増えてきた。
後者の場合、難民申請でキリスト教徒の方が難民認知で有利という事情から改宗するケースがあり、
偽装改宗ではないか、といった声も聞かれる。
オーストリア日刊紙クリアとのインタビュー(1月21日)で著名な中東専門家の政治学者トーマス・シュミディンガー氏は、
「イスラム諸国で無神論者になったり、キリスト教に改宗する傾向が見られ出した。イスラム教徒のキリスト教改宗は命がけだ。
同時に、イスラム系難民申請者の中には難民認知でプラスとなるうえ、
強制送還の危険性が少ないという理由から改宗するケースも増えている」と述べている。
同氏によると、中東の地域では、当局の監視の目から逃れるため地下教会が生まれているという。
中国共産党独裁政権下の地下教会を想起させる情報だ。
オーストリアのローマ・カトリック教会の情報によれば、昨年1年間で成人が洗礼を受けた数は750人だった。過去最高だ。
首都ウィーン市だけでもその数は15カ国、計260人になったという。幼児洗礼とは異なり、成人になってからの洗礼は特別だ。
ウィーン大司教区の広報担当者によれば、昨年の改宗者750人のうち、約75%はイスラム教徒からの改宗という。
例えば、イランでイスラム教徒がキリスト教徒に改宗すれば、極刑に処されるケースが少なくないという。
イスラム系難民申請者の改宗に対して、偽装改宗という疑いが払しょくされないが、
同広報担当者は、「それは偏見だ。なぜならば、イスラム系難民の改宗の場合、少なくとも1年の準備期間がある。
信仰姿勢から礼拝参加状況、生活姿勢など厳密なハードルがある。教会は偽りのキリスト者を願わない」と強調する。
ちなみに、プロテスタント系教会信者に改宗したイスラム教徒の数は昨年230人だった。 ローマ・カトリック教会を含むキリスト教とイスラム教はその教義や信仰実践は異なるが、似ている点も少なくない。
両宗教は「信仰の祖」アブラハムから派生した唯一神宗教であり、ユダヤ教のルーツを共有している。
そして聖書に登場するモーセ、イエス、そして聖母マリアは、イスラム教コーランでも重要な役割を果たしている。
マリアは同名だが、イエスはイスラム教ではイ―サーと呼ばれている。もちろん、違いはある。
聖書では、アブラハムは息子イサクを献祭するが、コーランではイサクではなく、イシマエルとなっている。
それでは、なぜキリスト教に改宗するイスラム教徒が出てきたのだろうか。
最大の理由はイスラム過激派テロ組織「イスラム国」(IS)の蛮行にある、と指摘する宗教学者もいる。
イスラム国のカリフを宣言し、他宗派信者を殺害する姿を目撃した敬虔なイスラム教徒は自身の宗教に懐疑的となり、
イスラム教から距離を置くか、他宗派に走る。聖書を読んで、覚醒したというイスラム教徒の証言も報道されている。
中東・北アフリカ諸国から2015年、100万人を超えるイスラム系難民がドイツに殺到したが、
イスラム系難民の収容は反ユダヤ主義をドイツに輸入する結果となった(「イスラム系移民のユダヤ人憎悪」2017年12月22日参考)。
同時に、数はまだ少ないが、難民の一部はキリスト教に改宗するケースが出てきたわけだ。
ユダヤ教、キリスト教、そしてイスラム教の3大宗派が欧州で「文明の衝突」を繰り返す一方、
緩やかだが「文明の統合」も見られ出した、というべきかもしれない。 イスラム教の背教は死罪に値しない モロッコの宗教当局が新たな見解
http://www.christiantoday.co.jp/articles/23208/20170210/morocco-leaving-islam-no-longer-punishable-by-death.htm
北アフリカ北西部の国、モロッコ王国の高等宗教委員会は、イスラム教からの背教は死罪に値するとした過去の見解を取り消し、イスラム教徒は自身の宗教を変更することが認められるとする新たな見解を示した。
モロッコでファトワー(イスラム法に基づく勧告、見解)を発布する責任を負う同委は2012年、イスラム教から他宗教へ改宗することは死罪に値するという見解を示していた。
しかし、モロッコ・ワールド・ニュースによると、同委は最近、これまでの立場を撤回する内容が記された文書「学者たちの道」を発表。
背教に対する死罪を宗教的な事柄ではなく、政治的な事柄として扱い、現在においては背教の多くが死罪には当たらないとする見解を示した。
文書には、
「最も正確な理解であり、イスラム法と預言者ムハンマド--彼に平和がありますように--の実際的な方法と最も一致していることは、
背教者を殺すことは、裏切り者や秘密を漏らす者(中略)に対するものであり、国際法における反逆罪に相当するものなのである」
と記されている。
そして、背教はイスラム教の最も初期に、背教者が敵国に国の機密を漏らすかもしれないといった政治的影響のために罰せられるべきものであったと説明。
背教とそれに対する処罰には、多分に実際的、政治的な背景があったと述べている。
そして、このような緊張状態(背教者が国家機密を漏えいすること)はもはや大抵の背教の場合には当てはまらないとしている。
同委はさらに、コーランはさまざまな場面で、現世ではなく、来世において罰せられる背教について語っていることに言及した。
例えば、コーランの第2章「雌牛(アル・バカラ)」の217節には、「あなたがたの中で、もし信仰に背き、不信心者のままで死ぬ者があれば、このような者は、現世でも来世でも、その行いは徒(あだ)となる。
またこれらの者は、業火の住人である。彼らは永遠にその中に住む」と述べられている。
同委はまた、「フダイビーヤの和議」でムハンマドは、イスラム教を放棄した者がクライシュ族に戻ることが許されなければならないという伝統に従ったと述べている。 >>724
スーフィズムがイスラムの顕教でない多種多様な神秘主義の潮流を指すなら全てのスーフィズムがヨーガの影響を受けたと誤解するような書き方は問題がある。ひょっとしたらわざとか? 「中東絡みの(悪い)ことは全部イスラム教の仕業」っていう風潮は、ほぼほぼキリスト教下での学問の仕業なんだよね
17世紀前後の科学に関しては、イスラム国家圏は当時最新の技術学力を誇ってたけど、後にそれを接収したキリスト教圏がそれを正確に伝承しなかったってのは、やっぱり宗教的な抗争が原因だと言い切っていい
この21世紀の世においても、キリスト教圏ですらないこの日本ですら、「イスラム=野蛮」なんてことを平気で言う人間がいるんだから、”学問”という名による洗脳ってのは厄介だよ
そこに来て、民族抗争と宗教戦争をグチャグチャにして”史”として語るなんて、当事者以外にそんな資格なんてあるんだろうかね宗教なて、紀元前から民衆を束ねるための道具として、切っても切り離されない腐れ縁なのに >>790
17世紀前半の西欧はすでに「科学革命」の時代に入っており、科学技術は非西欧世界をすでに全面的に凌駕しはじめていた。
イスラーム・アラビア科学の西欧への移入は、大規模には、11世紀終盤からのトレド翻訳学派の活動によってなされている。
それ以降は、中国からの移入とその極めて速やかな改良が続いていて特に軍事と建築については他地域の追随を許さない発展を続け、ルネサンス期に至っている。
野蛮とか文明とかそういう、定義の困難な、下品とさえ言っていいバズワードは、使わない方がまともな論議になるだろう。 【フランス】ナチス迫害逃れた女性(85)を殺害 パリで「反ユダヤ」事件 マクロン大統領、反ユダヤ主義と闘っていく決意
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1522204964/
パリでは約1年前にも、ユダヤ正統派の60代女性が、「アラーアクバル(神は偉大なりの意)」と叫ぶ近隣住民にアパートの窓から投げ出される事件が起きていた。 不信仰のまま死んだ者の行為に関して
http://www.muslim.or.jp/hadith/vol1-178.html
アーイシャは伝えている
私はこうたずねた
「アッラーのみ使い様、私の親族のジュドアーンの息子はイスラーム以前(ジャーヒリーヤ時代)親族を大事にし、貧者に食を与えました。
それらの善行が彼のため役立ちますか」
これに対しみ使いは「彼のためには何ら役に立たない。
なぜなら彼は『主よ、復活の日に私の罪を赦し給え』とかつて祈ったことがないからです」といわれた。 イラク:「レイプ罪免れる法」廃止目指す動き - 毎日新聞
https://mainichi.jp/articles/20180331/k00/00e/030/216000ch
毎日新聞2018年3月31日 10時38分(最終更新 3月31日 13時18分)
【カイロ篠田航一】レイプの加害者が被害者と「結婚」すれば暴行の罪を免れる法律が残るイラクで、
5月の連邦議会選を前に法律廃止を目指す動きが起きている。
中東では昨年、チュニジアやヨルダン、レバノンで同様の法律や条項が廃止されており、
保守的なイスラム社会で女性の権利擁護につながる動きとして注目される。
「イラクの女性が公正に扱われるよう、議会に訴えたい」。
イラクの人権派弁護士ラシャ・ハリド氏はロイター通信にそう語り、
今後、デモ行進などを通じて有権者に意識向上を呼びかける考えを示した。
女性議員の間にも「大規模な運動」を目指す動きがあるという。
イラク政府は2014年以降に台頭した過激派組織「イスラム国」
(IS)を昨年、ほぼ壊滅状態に追い込んだが、3年に及ぶ戦闘で国土は荒廃。
連邦議会選では経済再建に加え、戦闘の陰で声を上げられなかった女性の権利向上も争点になるとみられる。
中東やアフリカではレイプ加害者の刑事免責を法律に定める国があり、不本意な結婚を強制される女性が多い。
レイプされても結婚してしまえば家族の名誉は守られるため、「泣き寝入り」が後を絶たないとみられる。
モロッコでは12年、両親や裁判官の勧めで加害者と結婚した16歳の少女が自殺。
これを機に法律の廃止を求める声が高まり、14年に撤廃された。
ヨルダンも昨年、加害者が被害者と結婚し、5年間離婚しなければ不起訴になると定めた刑法308条を廃止した。
エジプトも1999年に廃止している。
一方、国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウォッチは昨年8月、
「性的虐待を許す時代遅れの法律をまだ維持する国がある」との声明を出し、
シリアやリビア、バーレーンなど同様の法律を維持する国に撤廃を求めた。 >>797
それはキリスト教でも同様。ダンテの神曲に才徳優れながらキリスト以前に生まれた為に練獄に居るウェルギリウスなどが出てくる。 ダンテはキリスト教の開祖ではないし、神曲は聖典ではなく文学作品。 >>800
へっ?キリスト教の歴史では入信洗礼受けてないと天国行けないが主流だったは常識だが!
ダンテの神曲は神学大全を書いた聖トマスアキナスの神学の文学版と言われるが? ムハンマドを宗教の開祖と教科書的に見てる書き込みばかりだが正確には違う。
ムハンマドは聖書の預言者や士師達の系譜に連なる。
ムハンマドやムスリムの自意識としてはそうなる。
それを宗教の開祖と位置付けるから釈迦みたいな全然無関係の系譜と比較したりする。
旧訳の預言者や士師達は民族殲滅戦みたいな戦争もしてるし人間的な欠点も多いのにムハンマドのそれだけおかしいとかトチ狂った見方が出てくる。
ムハンマドは宗教の開祖ではない。
ムハンマドやムスリムの自意識としてはそうなり旧訳聖書の預言者や士師と比較される存在がムハンマドという前提で話しないとおかしいことになる。 彼ら自身の見方では旧約の預言者からイエスまで並列的に見るアブラハムの宗教になる。
その最後の一人がムハンマドという位置付け。
傍目で見た新宗教の開祖というのはムハンマド自身含めた彼ら自身の見方ではない。
比較対象はあくまで聖書の預言者や士師達 >>803
うん 近親憎悪
だから預言者ムハンマドは、ユダヤ教の聖地をわざわざ訪れて、そこで昇天している
結果、現在に至るまで、エルサレムは紛争の火種
聖地の取り合い
ムスリムの聖地エルサレムの岩のドームは、元々、ユダヤ人の国ユダ王国の神殿があった場所
ユダヤ人右派の悲願はそこの岩のドームを破壊して、
紀元前600年くらい前の神殿を復元して建立すること >>805
> 預言者ムハンマドは、ユダヤ教の聖地をわざわざ訪れて、そこで昇天している
ムハンマドは実際にエルサレムを訪れたわけではなく、失神中に夢の中で人面馬に乗って訪れたにすぎない。
妻ハディージャが亡くなってすぐの時期、従妹のウンム・ハニ宅での失神だったため、姦通を疑われた。
失神中に見た夜の旅と昇天を人々に語ったことでマッカでの信用を著しく損ない、ヒジュラのきっかけとなった。 ヒジュラ後、自称預言者ムハンマドのユダヤ教への一方的な好意が終わり、
礼拝の方角はエルサレムからマッカに変わった。
ヤスリブに住むユダヤ教徒との討論のはてのことだった。 エルサレムの神殿跡を聖地として重視したのは、キリスト教徒やイスラム教徒が先だった。
ユダヤ教徒にとって何の価値もなく荒れたままにされていた神殿跡に岩のドームを建てたのはムスリムだった。 >>805
> 預言者ムハンマドは、ユダヤ教の聖地をわざわざ訪れて、そこで昇天している
完全に嫌がらせだな。
てか一神教は偶像崇拝禁止なのに聖地があるのがよくわからん。 逆に考えると、聖地のない宗教、というのは存在しないのかもしれないな。 アラウィー派
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%BC%E6%B4%BE
五行のうち、サウム(断食)・ザカート(喜捨)・ハッジ(巡礼)を行わず、特にハッジを偶像礼拝として否定している。
モスクを使わず、礼拝は宗教指導者の家に集まって行われることが多い。飲酒も認められている。
ドゥルーズ派
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%BA%E6%B4%BE
メッカを聖地とみなさないため、五行のうちの巡礼(ハッジ)を行わず、
さらにラマダーンの断食(サウム)は禁止されてはいないが義務ではないので、通常には行うことはない。
このように教義と宗教行為の面でイスラム教の多くの派と異なる点が多いため、
多くのムスリムはドゥルーズ派をイスラムからの逸脱とみなしている。 >>811
嫌がらせとかじゃなくムハンマドやムスリムの自己認識としてはユダヤ教の預言者の系譜にムハンマドはいる訳だからユダヤ教の神殿で昇天するのは至極自然な事。 ユダヤ、キリスト、イスラムの違い
1聖典がユダヤ教は旧約聖書のみ
キリスト教は旧約聖書と新約聖書
イスラム教は旧約聖書と新約聖書とコーラン
2預言者はユダヤ教は旧約聖書の預言者のみ
キリスト教は旧約聖書と新約聖書の預言者
イスラム教は旧約聖書と新約聖書の預言者とムハンマド
3救世主はユダヤ教ではまだ現れてない。
キリスト教ではイエス キリスト
イスラム教では救済者は原則神のみ。
大きな違いはこれだけ。
教義だけで言えば仏教の各宗派の方が教えの開きが大きい位
この三教は崇拝対象は同じ唯一神で聖典も共通する。
しかし仏教は宗派によって崇拝対象が釈迦だったり阿弥陀如来だったり大日如来だったりそれを兼ねてたり違いがある。
使う経典も全く違ったりする。 >>813
こういうマトモな宗教を迫害してたのが糞ムスリムなんだよな
やはりアサドによる統治を支持せざるおえない イスラム教の教義の解説した本はたくさんあるけど、手に入りやすいのが研究者やガチの宗教家の本ばっかりなんだよね。
そこらにいる民衆が素朴に抱いている信仰を知るにはどうしたらいいんだろう。 >>817
東京ジャーミィのサイト見れば?
過激でない“普通の人”向けの解説があるよ。
https://tokyocamii.org/ja/ 東京ジャーミィを見学するというのもいいかもね
その場で相手に訊くことができる点は文献に勝る
交通の便もいいところだし >>818
おお、これ良さげだ。教えてくれてありがとう >>816
マトモ?アラウィ派はアリーを神格化しドゥルーズ派はファティマ朝第六代カリフハーキムを神格化してる。
更に両方輪廻転生思想がある。
ただの人を神としたり輪廻がある時点でイスラムとしては違うという人も出て当然。 日本人は最澄や空海が神格化されるのをマトモと考えるだろが。
日本人がサラフィー主義者目線で考える必要はまったくない。 ムスリムがある程度いればサラフィストは多少発生するのは避けられないのではなかろうか 社会と文化に対応した宗教的多様性はとうぜんイスラム教でも出現するがね
多様性を共生として成立させる民主主義的アリーナがなぜかイスラム教関係で成立していない
どうしたわけか熾烈な絶滅戦がはじまってしまう ヒンドゥー教との共生を図ろうとしたムガール時代のインドイスラム知らない? ヒンドゥー教の勢力が強大過ぎたから仕方なく懐柔に路線変更 ムスリムでもないのにスーフィーを否定してサラフィーを擁護するバカっていったい何なの? >>825
野盗として入ったバーブルの時は周囲からヒンドウー殲滅を止められてるね、ムスリム側のチカラが弱かったから。
しかし圧倒的に実力をつけた、信仰心厚い高潔な人格者としてしられたアウラングゼーブは、ヒンドゥー弾圧と殲滅を猛然たる勢いで開始したよね。
結果として、それで弱体化したムガール帝国は有名無実の存在と化したのだが。 ヒンドゥー教徒だけじゃなくシーク教徒も敵に回したからね。 ちょっとでも自信がつくと全方位に敵を作って消滅させずにいられないほど
インドのイスラム教徒は好戦的で信仰心が厚いということだね理解した なんかまたマンガ的二元思考で胡散臭い書き込みしてるな。 >>822
空海は神格化されたけど最澄は神格化まではされてない。 >>829
シーク教は元来ヒンドゥー教との融和を図ろうとしたインドイスラムスーフィズムとイスラムとの融和を図ろうとしたヒンドゥー教バクティ主義が結合して誕生した。 インドのイスラームはカースト制へのプロテストとして自己正当化が可能だろうけど、
日本のイスラームは天皇を倒すか天皇に改宗を迫るかぐらいしかやれることがないから、まあ難しいね。 反天皇制運動連絡会(いわゆる反天連)が、天皇打倒の国際的な連帯を求めてイスラームに改宗する可能性は割とあると思う。
エデンとかいう飲食店の店長がそういうことやりそう。 >>824
> どうしたわけか熾烈な絶滅戦がはじまってしまう
来世でアッラーに会見する栄誉を得られるのはただ一つの教えを信仰する人々だけなので、
現世で競合する他の宗派を倒して功徳を積む必要がある。 終末思想、予定調和、神による復活
このユダヤ教の愚かな思想を受け継いでいるので、
一神教の全ては糞 自由主義(リベラル)が優勢な今、
イスラムなんて抑圧・人権無視宗教が共存できるわけがない
日本でもムスリム追放デモが発生して世界に報道されて欲しいわ
日本がムスリムを歓迎するなんて思われたくはない >>838
自由主義は追放や排除と正反対の思想。
「貴方の意見に私は反対だが貴方が意見を言う自由は命をかけて守る」という「自由論」を書いたジョンスチュアートミルの思想が現代自由主義の原点になる。
つまりイスラムの個々の考え方に反対してもイスラムがそれを主張する自由は守るというのが自由主義の考え方。
他の意見を許さないという全体主義に勝った由縁でもある。 キリスト教含めた一神教は基本的に全体主義。
ある全体主義が別の全体主義に勝利することはよくある。
勝利した全体主義が全体主義と呼ばれることはない。 国家単位での分離共存が一番じゃないか
外交官やビジネスマンの一時的滞在は認めるだけにしてさ
それぞれの宗教ごとにキッチリ分かれて生存すればいいよ
その中でそれぞれ自由にやればいい
何も世俗主義の国がムスリムを入れる必要はないでしょ >>840
全体主義の対義語が自由主義。ハイエクはそう定義してる。 >>841
世俗主義か宗教主義かは関係ない。近所の中国人達宗教なんか糞食らえな感じの俗物だけど色々厄介。出て行って欲しい。
自由主義の大成者ミルは自由と民主主義が守られるには国民の同質性が確保される必要があると言ってる。 「全体主義」という語それ自体に本来ない否定的な意味合いが加えられている。
成功している全体主義は全体主義とは呼ばれない。
これは、「改竄」という語それ自体に本来ない否定的な意味合いが加えられているのと同じ。 拡大解釈じゃないよ。まったく逆で、狭義を追及して核として何が残るかを考えれば全体主義しかない。それがタウヒード。 ざっくり言って以下のようになる。
一神教=全体主義
多神教=自由主義 イスラムとは、凶暴な犬のようなものだ By ウィンストン・チャーチル 神の唯一性を追及すると多性を持つ被造物は究極的には神に吸収されてしまう。
それは全体主義(トータリズム)というよりホーリズム(全体論)になる。
イスラム神秘主義の潮流の中に流れる。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています