最近知ってびっくりしたこと@世界史板 その21 [無断転載禁止]©2ch.net
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>>569
その後も行政や商業の中心地として機能していたから
ヨーロッパも古代のポリスから中世の農村中心の社会に変わってもなお城郭都市が政治の中心地だったでしょ
>>570
大幅の(戸籍)人口の減少はむしろ城市外への進出が加速した結果でしょ
朝廷の力が弱まって頼りにできなくなったから豪族の荘園や塢(要塞)に逃げ込んで、その私有民となったこが切っ掛けで起こったわけで >>571
ヨーロッパも城壁内だけに住んでる時代が18世紀まで続くし、
いまだに、街に集中して住んでいて、間のところには殆ど人住んでないけど >>572
それ本気で言ってるの?もう一回世界史Bからやり直したら?
西ローマ崩壊以後ほとんどの都市は機能しなくなったってのは授業で習うはずなんだけど
イングランドの統計 1086年
http://www.ipss.go.jp/international/files/hayashi/Hayashi%202007%20World%20Population%20History.pdf
農村住民 987805 都市住民 111971
ドームズディブックによる詳細な統計が残るイングランド以外は推計にすぎないのだけど
どこも都市人口は精々全体の1割程度で都市住居比率が高いイタリアでも精々2割とされている
>ヨーロッパも城壁内だけに住んでる時代が18世紀まで続くし、
逆、産業革命によって工業化が進み都市への回帰が進んだのが18世紀 >>574
俺は>>572とは別人だけど、あなたの説明も間違ってるよ
>産業革命によって工業化が進み都市への回帰が進んだのが18世紀
因果が逆
先に農業革命があって、それで人々の都市への移住が進んで産業革命が起きた 農業革命によって効率化が進み余った人手が都市に雪崩れ込んで
工業化の下地を作った説は最近見直されてるらしいのであえて省きました >>575
ヨーロッパでは18世紀まで、日本みたいな散村はないんだよ。
農業は都市の産業。町から出かけて行ける範囲に農地があって、毎日そこへ出向いて農作業、夕方には町に帰ってくる。 この往生際の悪さはローマスレに粘着してる奴と同一人物っぽいな
具体的な統計だされて止め刺されてるんだからあきらめろや >>550 死刑にできないってことは、ひょっとして戦後にナチスの残党たちをどんどんかくまってあげてたのかな
国民がどう言おうが死刑がないんだから....
かわりにイスラエルのナチス狩りをポルトガル国内で捕まえてもどうにもできなさそうだけどw >>577
>農業は都市の産業。町から出かけて行ける範囲に農地があって、毎日そこへ出向いて農作業、夕方には町に帰ってくる。
それって古代の都市国家時代の話だぞ
そして農村の出現で古代が終わって中世になったんだ >>581
畜力の利用で人の移動範囲が広がったことと、
村落も規模が拡大して土塁や環濠で囲んでるから
結果的に同じ 古代都市の市民は奴隷に農業やらしてたのでそもそも自分で田畑耕すなんてやってない 「都市と農村を分離することは明らかに古典古代の思考には思いもよらぬものであった。
それはギリシアのみならず、イタリアでもそうであった。
(中略)すなわち農村地域は、都市の従属領域(Untertanengebiet)ではなく、都市と同様に市民の居住地なのであった。
したがって、古典古代の「市民」が、大部分、大なり小なり農地所有者であったことは驚くにあたらない。」
(『ヨーロッパーその歴史と精神』岩波書店 332〜333P) 中世の都市の定義はギルドがある事、交易権を持っている事、自治組織や都市法を有することなので
いくら数十万の人口を有しようが、これがないと単なる農村扱い
逆に数十戸しかない集落でもこの定義を満たすと都市特権を認められた >>585
で何が言いたいの?もしかしてまだ農民が全員都市に住んでたと強弁する気?
都市の住民で農地が持つ者が多かったという事と農民が都市に住んでたことは=ではないのだよ
つうか市民になると農奴身分から解放されるから農民のほとんどが市民だったら封建制は成り立たないのだけど
同書にも書いてあるでしょ >>584
第一次ポエニ戦争が、双方とも、秋になって市民兵が田畑鹿の子とが心配になって戦争どころではなくなって、
冬季自然休戦になったのは、奴隷を監督するため?
グラックスの改革とか、無産市民に農地を分配するってあるけれど、あれは奴隷もオマケで付けてれたの?
解放奴隷身分の人や来訪外国人がローマの兵団に入って年季を務めあげたり戦功があったりすると、
新コロニーに土地貰って晴れて市民権獲得って、自分では耕さない田畑貰ったの?
ローマの拡大期に、兵役のない奴隷の流入による資産家の大規模農園や、属州産の安い農産物の流入で、
兵役のある市民資格持ちの中小農民が困窮していったのって、自分で耕してたからではないの?
そもそも紀元前から2世紀くらいのローマ時代は古代ではないの? >>587
例外はあったろうけど、防衛機能無しの散村でのんびり暮らせるほど大陸は安泰では無いわなw
日本のような、最初の都市らしい都市の難波京からして土塁も環濠もなく、以降、殆どの都市自体に防衛脳が無く、
例外的に堺や平野が例外的に環濠と板塀を持っていたくらいの日本では想像しがたいだろうけれどな。 >>588
おい、ローマスレ荒らし
またこのスレも荒らしているのか
いい加減出ていけ! 『ヨーロッパーその歴史と精神』 320ページ
都市が獲得した自由、しかも所によっては、事実上の政治的独立にまで達した自由も、まさしくこれらの概念に根ざしている。
というのは、武装した市民共同体の砦としての都市は自己防衛の能力を有し、したがって、農民とは比較にならぬほど高度の自由を獲得することができたからである。
330ページ
ここにあるのは局地市場と、しばしばかなり発達した家内工業および村落工業をともなう農民的=農業世界である。都市は一方、支配層の居住地であり、支配層とそれに
奉仕する商人とが左右する遠隔地交易の拠点でもあり、さらに金銀細工のような特殊華奢品工業の立地でもあった。
340ページ
中世ヨーロッパにおいては、都市は農村とははっきり区別される。すなわち、封建的=農民的領域と都市的=市民的領域とは、組織的、政治的、法的、経済的に分離するののである。 >>588
>冬季自然休戦になったのは、奴隷を監督するため?
うん、そうだよ
プレブス、ノビレス層の中には中間管理職奴隷を育成して、そいつに運営任せてたのもいたけど小市民には無理でしょ
>グラックスの改革とか、無産市民に農地を分配するってあるけれど、あれは奴隷もオマケで付けてれたの?
連れってたよ
主に退役後もしくは攻城戦が終わった後に報償として捕虜が奴隷として分配される
ガリア戦記でもアレシア陥落後にカエサルが兵士一人ごとに奴隷を配る場面あったでしょ
>自分では耕さない田畑貰ったの?
キケロや小カトーは自身も農作業に従事してたらしいけどね
それはその人の性格に依るでしょう
>ローマの拡大期に、兵役のない奴隷の流入による資産家の大規模農園や、属州産の安い農産物の流入で、
>兵役のある市民資格持ちの中小農民が困窮していったのって、自分で耕してたからではないの?
奴隷が大量に入る→金持ちがそれを買いあさる→大量に買いあさった奴隷に色々やらせて私腹を肥やす→その金で中小規模自営農の土地を買いあさる→土地を失いプロレタリーになるもの続発
大カトーの「農業論」から奴隷以下の季節労働者が底辺労働を担っていたのではないか?という説があるけどいずれにしても元からそいつらは無産市民なので関係ない ちなみにポンペイは都市人口と同じ数だけの奴隷を抱えていたけど
実際に都市に住んでる奴隷は数百人程度と見れれ多くはラティフンディアという農園で暮らしていたんだよ
http://2.bp.blogspot.com/-wcF0x-rTgrE/VaqezXzcOLI/AAAAAAAACBA/Kckdd-iPFZ8/s1600/latifundia.jpg
この農園は市民が直接監督者として管理していたとこもあれば、完全に奴隷の自治に任されてるとこもあった
同じ農場奴隷でも置かれてる環境は大違いだね ポンペイは奴隷と市民とで喰ってるものの格差が見られないらしいな
古代の「奴隷」は三角貿易の頃とはずいぶん意味が違うようだ 古代から近代まで「奴隷」という言葉では一括りにできない多種多様性があったみたいよ 古代バビロニアでは雇用者=奴隷なので
神殿の神官も王宮の官吏や兵士もほぼ全員奴隷 >>589
うんにゃむしろ防衛施設をもった村落は圧倒的に日本のほうが多いよ
どの村もいわゆる「村の城」を持っていたしヨーロッパと違って農民も武装してた
ルイス・フロイスも日本人は農民ですら刀もってるって驚いてるよね
ちなみにヨーロッパの都市人口率は最近では下降修正されていて18世紀でも20%1910年でやっと50%(「中世ヨーロッパの都市と国家」マルク・ボーネ)ってことになってて
農業革命は実はあんまり関係ないらしい >>593
日本の封建時代にも、自分から領地に統治しにく領主もいれば、代官を送り込んでくるだけのときもあれば、
庄屋や名主のようなリーダー的農民に任せて年貢だけ取りに来る領主もあっただろ。
近代でも農村に住んで自ら農作業しながら農地を貸して地代を得たり人を雇って耕させたり
する地主もあれば、農作業をしない専門の管理人を置く不在地主もあれば、小作農民の互選
で決めたリーダーに地代の徴収他管理をまかせたり、といろいろあったろ。
>>594
社員食堂で工員と一緒に同じような昼食食べてるオーナー社長みたいなものか。 ローマ時代の奴隷
家庭教師のようなインテリ奴隷もいる
奴隷ながら生徒、つまりご主人様のご子息を鞭でひっぱたくことができた >>599
兵役年齢に達してないと一人前扱いでないから身分的には奴隷と同じだしな
家長が子を奴隷として売り飛ばす権利とか子を殺す権利とかローマにはあったでよ >>596
ちょと待て。雇用者ってのは「雇用してる者」、つまり雇い主の事だぞ。
雇われてる者は被用者、または被雇用者。 ローマの奴隷制は奴隷が従事する職業の幅が広すぎ待遇も違い過ぎるからな
ただ一家の主がその家の奴隷に殺されると犯人じゃなくてもそこの奴隷全員死刑という法律はローマが滅びるまで変わらなかった 奴隷の間でイジメが生ずると、ヘタに報復するとイジメが劇化するから、
どのみち死ぬなら捨て身で主人を殺せばいいのか。
そしたらイジメてた同僚奴隷皆殺しになるでよ >>604
古今東西、主殺しは酷刑だよ
他の奴隷は温情で楽に死なせてもらえるけど、主殺しは書くのもおぞましい死刑って相場が決まっているからね ローマ時代の奴隷=現代のサラリーマン
過酷な肉体労働もあれば、知的な仕事もある >>601
>家長が子を奴隷として売り飛ばす権利とか子を殺す権利とかローマにはあったでよ
認知するかしないかの権利があっただけで奴隷にする権利は無い
認知されない子は結果的に奴隷になっただけ
また妻子にたいするマヌス権はフェニキア人が子どもを生贄にする風習を残虐行為として挙げているので
あくまで名義的なもので効力のある権限としては存在しなかったはず >>607
子が元老院の議員になろうとも、親がその子を殺す権利を妨げない
というのもあるし、
無産市民とは、子の他に財産を持たぬ者である
というし、
市民の家父長は、家族の財産・生命。行動についてすべての権利を持つ
ともあるは
三度売られた子に対しての家父長権を失う
というのもあるでよ。 >606
午前中に仕事終わる市民階級は
今で言えば有閑階級。
一日働く奴隷階級の方が、現代のサラリーマンに近いんだよな。 奴隷って監督されてなくてもちゃんと働くの?
奴隷的労働は士気が低く生産性が低い、というが現代の経営学での大原則みたいなものだけれど 奴隷にボーナスは無いからね
社会主義経済が停滞するのも同じ理由 後、良い仕事のアイデアを思い付いても
奴隷の言う事だからということで聞かれないってのもあるか >>610-612
見目良い女か少年だったらご主人様のベッドで話を聞いてもらえると思うよ
当時のローマでは奴隷とのセックスはご主人様の権利 >>614
ビテュニア王ニコメデスはガイウス・ユリウス・カエサルを掘って、国権をローマに譲ると遺言した。
だから結構な家柄の上流階層どうしでも掘ったり掘られたり >>601
現代もそれでいいのに
子供が虐待で死んで親逮捕とかどう考えてもおかしい カエサルはガリアを、ニコメデスはカエサルを押さえつけた。
みよ、ガリアを押さえ込んだカエサルが今や凱旋式をあげるのに、
カエサルを押えたニコメデスは凱旋式をあげ得ないとは >>591
まあ農村があるならあるでいいよ。
でも村落の形態が、真ん中に教会と広場がって、その中心から伸びる放射状の道路と、直交する環状道路による区画、
際外周の道路の外側に土塁か石垣か環濠を必ず伴ってるところに住宅が密集しているというのが、18世紀までの
ヨーロッパの農村の姿なんだよ。
ポツンと離れたところに一軒家みたいなのは随分と遅い時代に初めてでてくる。あるにはあっても、農繁期の作業小屋の
ようなもので定住のためのものではない。 >>621
まだ粘着しているのかよ
農村スレでも立てて引きこもってくれ >>621
子供向けのでいいから世界史漫画読みなさい >>616
でも一人前のローマ市民が掘られたというのでカエサルはすべて女の夫すべての男の妻と揶揄されたよ >>628
第2次朝鮮戦争の日程が本決まりになったせいだろ 元素周期律表はメンデレエフの功績と教科書で習った。
が、先に元素の規則性に気がついていた人が何人もいたこと。
ジョン・ドルトン
ベギエ・ド・シャンクルトア
ジョン・アレクサンダー・ニューランズ
ユリウス・ロータル・マイヤー >>630
ファーストネームのドミトリー(Дмитрий)、ほんとに発音できたんだろうか。 >>629
第1次朝鮮戦争終結の見通しですらまだ不確かなのに、
次の朝鮮戦争の具体的日程など決められるはずがない >>632
1953年の板門店休戦協定で事実上終結してるだろ
李承晩は署名してないけど、まあ、大韓民国には外交の場で当事者となる能力に欠けてたから影響薄いし。 戦争終結させるの忘れて、交戦状態を放置したまま100年後に気がついた例が有るな。
日本とモンテネグロ。 >>634
かくかくしかじかの条件で撃ち合いはやめにしましょうよ、って休戦協定が結ばれてんだから、終結しんてじゃん。
あんたのいう終結とは、どういった状態なん? >>633
北チョンは10年以上前に休戦協定脱退を表明してる 傍から見てると>>633が間違ってるな
元々の話題が「第二次朝鮮戦争はいつか」だったので
戦争の名称については建前(つまり、今は休戦中でありまだ朝鮮戦争は終わっていない)の方が優先されるだろう なんかよくわからないのが湧いてるなw
半島関係者かな >>641
そもそも韓国も北朝鮮も休戦協定の第一当事者じゃないしな。
自力で戦争するだけの当事者能力も外交的解決をする当事者資格も無いんだし。
韓国なんて最初から蚊帳の外だったで >>642
第一次が事実上終結しているから、次に大掛かりな戦争になったら第二次朝鮮戦争なんだろ? >>644
下チョンも自力で戦争終結するだけの当事者能力はないだろ
つまり戦争は終結していない そもそも休戦協定から後になっても、
北チョンと下チョンの正規軍で戦闘が起こってるのに、戦争終結したとかほざいてるのは平和ボケの極み >>644
韓国と違って北朝鮮は休戦協定に署名してた >>648
一応呼ばれはしたけれど、別段、主役ではなかったからな。
北朝鮮や韓国が何を言おうと、大国の意向で休戦は決定した。
現に、韓国は出てこないままでも協定は結ばれてるし。
>>647
第一当事者でない北朝鮮や韓国が小競り合い程度では、大勢に影響無し。
北朝鮮や韓国が撃ち合いしたからって、ソビエトや中国やアメリカが援護射撃したりしてないだろ。 >>649
一国連軍を代表してアメリカ陸軍のウィリアム・ハリソン・Jr中将と、朝鮮人民軍及び中国人民志願軍を代表してナム・イル大将の署名後、
国連軍総司令官のマーク・W・クラーク大将、中国人民志願軍司令員の彭徳懐と朝鮮人民軍最高司令官の金日成も署名した
「朝鮮における軍事休戦に関する一方国際連合軍司令部総司令官と他方朝鮮人民軍最高司令官および中国人民志願軍司令員との間の協定」 最初に休戦協定署名したのは、
国連軍代表がアメリカ人で、朝鮮・中国軍代表が北朝鮮人 ソ連も空軍兵が参加してた訳だし、
中国と北朝鮮が代表で揉めて
最後はソ連兵と米兵で終戦調印してたりしたら生々しかっただろうな 無限軌道をクロウラーって呼ぶのは少数派なのは
キャタピラー社製が強いせいなのか?
全米パラシュート協会がキャタピラクラブだったのは、蚕への感謝だとか
今は絹製じゃないけど カゲが薄いけどオーストリアも第一次・第二次大戦両方の敗戦国だったんだな。
ドイツの属国みたいなもんか。 本来、セルビアとオーストリアの外交問題だから>WW1
主役が脇役になってる辺りでは、
足利将軍候補の影が薄い応仁の乱と同じか
なおセルビアはちゃっかり戦勝国に あと、WW2のオーストリアはドイツ降伏後も連合国と戦ってる
音楽しか取り柄が無いかと思いきや
意外に武勇の国だったんだな ナチスが占領してたからドイツの残党が抵抗しただけ
住民はロシア軍に協力してたよ >>655
オーストリーはドイツ民族の国だからな
講和条約でドイツとの統一は禁じられているが ウィーンフィルニューイヤーコンサートいいよね
元日夜はTVみてるよ さすがオーストリア生まれのお姫様は仰ることが違いますな! そもそも国名がÖsterreich = East countryでドイツ視点 Made In Austriaとあるレッドブル、実は元をたどるとタイ生まれなこと
ヨーロッパで発明されたと思ってた 更に元を辿ると日本のオロナミンC
タイで売られてるオロナミンCをパクったのがレッドブル 真実の口が古代ローマのマンホールであったこと
まず古代ローマにマンホールがあったことにビックリ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています