最近知ってびっくりしたこと@世界史板 その21 [無断転載禁止]©2ch.net
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日本だと川の両岸・流域が一つのまとまりのある地域なのに、
大陸だと、境になってるところ多いなあ。 海用の船では川は行き来できないよ
川用の船では波穏やかな瀬戸内海でも航行不能 そうだね。トランス・ヨルダンとは言うがシス・ヨルダンとは言わないね。
シス、トランスが揃ってるのは後は2-ブテンくらいかな。 >>935
オーストリア帝国とハンガリー王国の通称が、ライタ川を境にトランスライタニアとツィスライタニアになったりする
しかもこれをハンガリー語訳すると、指す地域が逆のニュアンスになったり んーと、こうかな
>>535
オーストリア帝国とハンガリー王国の通称が、ライタ川を境にツィスライタニアとトランスライタニアになったりする
しかもこれはオーストリア側からのニュアンスであって、
ハンガリー語地名(「ライターン・インネン ライタ川の此方」「ライターン・トゥール ライタ川の彼方」)でいうこれは、
ハンガリー側が自分の地域を指す場合の意味(オーストリア側が自分の地域を指す場合の意味とは逆)になっていたりして
互いに「我が方」を基準にしてる >>917
ウィキペディアだと
ウェリントン公になったのが1814年
1回目の首相就任が1828年
になっているが どっちが間違っているの? トランスヨルダンのトランスって向こう側って意味だったのか これは勉強になった。 Gallia Cisalpina
Gallia Transalpina >>937
封建制だとどっちも称号王さんでも君臣関係が出てしまうし、王様が兼任だと常駐している国が本国、
いない方は従属国だからなあ。
時々行幸してくるけどオーストリアの王様の兼任のハンガリーの王様はいつもはハンガリーに居ないだろ。 太平洋戦争の日本軍政下の蘭印で日本人兵士・軍属が蘭印系女性にレイプしまくって子供が多く生まれたこと ブラジルが第二次大戦期、(連合軍の一員として)イタリア戦線に参加してたこと。
近年、ブラジル本国でこの時の事を描いた映画が作られてたような >>931
オランダ人もアングロ人も海洋民族じゃん。 >>943
ベトナム戦争で韓国軍兵士とベトナム人被害女性の混血児ライダイハンが大量に産まれた
ライダイハンは蛮行をやらかした憎い韓国人の血を引いているということで憎悪と差別の対象になっていて貧困に苦しんでいる
韓国はライダイハンに謝罪していないし賠償もしていない >>929
南から、イギリス人の勢力圏、オレンジ川、オレンジ自由国、ヴァール川、トランスヴァール共和国
なんでトランスオレンジ自由国になってないの? >>946
蛮行ネタではないがベトナム・混血・差別とあったのであえて
第二次大戦後もベトナムに残ってホー・チ・ミン側についた日本兵、
現地人女性と結婚して子供も生まれたけど、妻子を残したまま
帰国させられ、ベトナムに残された子供は差別を受けたってのを
NHKのドキュメンタリーで見たおぼえがある。
その番組では帰国の指示に従わず数年後に妻子を連れて帰国した人
についてもふれてたけど。 我が住む大字、いくつかの地区に分かれていて、その一番端が「川向」組。
なんでそういうのけ者っぽい名称なのかというと、村の中核となる神社から見て
川の向こう側だから、ということ。
川向組は、明治初めまでは草原と松林ばかり、井戸を掘っても水質が悪く
とても飲めないので住む人もいなかった。
それでそんな呼ばれかたをされても気を悪くする人などなし。 >>922
開閉式のバイザーだろ
ヨーロッパには中世末期までないよ 白人による支配が行われていたローデシアの国名がジンバブエ=ローデシアに
変わっていたこと(ジンバブエ建国前)。 トルストイの子孫がプーチンの側近になっていたこと。
>>484
ベニトはスペイン語読みだけどイタリア語読みだと哲学者クローチェの
名前としても用いられてるベネデットだったような。 アクエンアテンの都であったアマルナの庶民用墓地から、栄養状態がよくない上に重労働や
拷問の痕跡のある若年層の遺骨が多数発見されていたこと。
アマルナ美術の裏側で、聖帝十字陵建設みたいなことをやっていたのでしょうか。 日本人のかなりの割合の人が「一神教は不寛容で狂信性のある邪悪な宗教」と思ってる
ということ、欧米圏や回教圏の人が知ったら、どんな反応するんだろう? 連中も 無宗教=キチガイか人間性を欠いてる くらいに思ってるんだからおあいこだろ
中国人の宗教感ってどんな感じなんだろうなぁ 日本人の無宗教は少ないからなあ。
鎌倉仏教系とか神道とか戒律が緩いものを複数だから。 一神教の連中に神道とか理解できんだろ
理解があって「あの未開の野蛮人達が信仰してるアノミズムね」がせいぜい たいていの日本人は無宗教とは違う
悪い事したら罰が当たる的な発想が皆無の人はなかなかいない 因果応報の発想があれば信仰があるってのは「宗教」の範囲を広げすぎ
だったら人類皆真善美の発想があるから信仰がある、みたいな話にもなりうるわけで 日本人の自称「無宗教」は不信心という意味でしかない。
本来の無宗教とは、宗教を敵視して廃棄すべしという主張。
んで、無神論とは「神はいない」という主張をする宗教。 宗教に興味ないのが大抵の無宗教だろう
積極的に宗教を否定しに行くのはかえって宗教に興味津々だろ 多神教は正義の宗教
一神教は悪の宗教
天皇崇拝で懲りたしね 一神教は自分たちだけが正しいって主張せざるをえないからな
悪に染まりやすい
習合していける多神教の柔軟性が羨ましい >>942
でもね、オーストリアのドイツ語式用語とハンガリーのハンガリー語式用語が、実際それぞれあったんだよ
もちろん互いに、「わがほう視点」から見てのね 水戸徳川家藩主は江戸で生まれて江戸で育って江戸で藩主に就任して
在職中もずっと江戸に居たままで江戸で退職し江戸で死んだ >972
それは孔子の一派であって、民間信仰の固まりのような道教一派の伝統も強いしな >>971
不在領主だから儒教なんかにかまけて領民から搾取しようと領地を整備しなかろうと全く心が痛まない 大変失礼しました
領民を傭兵として大陸を越えて出荷する領主もいるからなあ 近代の用語としての「宗教」は「religion」の訳語として使われるようになったものですが、これは「これ以外は排除する」
という意味合いを有していたが故に、わざわざ新たな日本語として必要とされた言葉です。
「宗教」は元々一神教用の言葉。日本人(や中国人など)が「無宗教」なのは当たり前です。 奈良時代までに伝わったり成立したりした南都六宗は相互に排他性とか無いよ 宗教概念を取り入れた時のモデルがドイツのプロテスタンティズムだったし、宗教学のモデルは北米東部の「第二次リバイバル運動」で信仰の炎に「焼き尽くされた土地」と呼ばれたエリー湖南岸からシカゴにかけての地域の信仰のあり方だったからな。
それ以外、それこそカトリックでさえ、宗教と呼ぶには一つの手続きを踏まなければならないのが、宗教史学の作法だった。 >>979
通俗的な場合での日本語解釈だと、(主に仏教的観点において)「信仰」と「信心」は同義に近い語彙として使われてることがあるけれど、
英語だと、「宗教」と「信仰」と「信心」は、語義が区別され、訳し分けられてる。
(もちろん、基本的にキリスト教的観点でね。)
「宗教」は religion で、組織・団体・枠組としてのニュアンスを含む。
「信仰」は faith で、心構え・信条・条件としてのニュアンスを含む。
「信心」は devotion で、実践・表現・行動としてのニュアンスを含む。 キリスト教は信仰と崇敬と崇拝を使い分けるからね
異教における信仰を認めず崇拝と呼ぶ 宗教学・宗教史学のキリスト教・プロテスタンティズム中心主義とターミノロジーは、1970年代から徹底的に批判され続け、克服され続けているのだけどな。
特に、エソテリシズム研究が主流となってきた2010年代以降は、各語の訳し分けもあまり機械的にはできない。
それはまたここ数年の、アフリカ西部・南部における、日系新宗教(特に日系の統一協会)やキリスト教福音派の猛烈な教線拡大とアフリカ民衆の宗教的情熱への分析のなかで、更に深まりを見せている。
いずれ、「キリスト教は一神教」「神道は多神教」「だから両者は理解しあえない」という近代日本の国家神道的ドグマは、歴史的にまったく正反対だった、それらの逆が正確な表現だった、という認識が一般化することだろう。 「反日」という言葉はとても便利です。この言葉を濫用する人は、敵味方で世界を単純化しがちなこと、
立場の異なる相手について考える想像力に欠けること、批判精神がなく事大主義に陥りやすいこと、つまり知的な誠実さをおよそ欠いていることが一目でわかるからです。
「反日」を濫用する人はしばしば、日本について批判をする人にその言葉を投げかけ、「日本人なら日本を好きなのは当然」などと言います。それが愚かなのは、
日本を心配してより良くしたいという苦言が存在することを想像できないということももちろんありますが、さらに根本的問題があると考えます。
それは、日本を「好き」「嫌い」という、ごく単純化した感情でしか、対象を捉えられていないということです。
「日本」という、空間的にも時間的にも複雑で多様な存在は、「好き」「嫌い」などという感情で簡単に把握できるような安直な対象ではありません。
「好き」「嫌い」で「日本」を語れ、それで「親日」「反日」に世界を分けられるという、あまりにも単純化した認識は、「日本」という対象をきわめて安直に扱い、その深みを考えていないことを意味します。
つまり、これほど「日本」を軽く扱ってバカにしたことはないのです。
ことに日本に生まれ育つという運命を負わされた人間にとって、「日本」という存在は圧倒的なもので、それをどう捉え向き合うのかは極めて大きな問題です。
巨大な存在に打ちのめされないよう自己を保つのは大変です。「好き」「嫌い」なんて言って済ませられるようなことじゃないんです。
捉えきれないほど巨大な存在である「日本」(他の国でも同じですが)を、「好き」「嫌い」と言える立場と思っていること自体が、むしろ自分を何様だと思っているのか、神様のつもりなのかと、私は不思議でなりません。
そのような言葉遣い自体が、「日本」を実は軽んじている証なのです。
だから、「反日」を濫用する人が大事に思っているのは実は「日本」ではないのです。他人に「反日」と投げつけることで自分たちがエライと思おうとしている、好きなのは自分だけなのです。
自分が好きなこと自体はむしろ大事ですから、どうか他の手段でそれを実現してほしいと思うばかりです。 >>971
水戸光圀が死んだ場所は西山荘でだっぺよ。 >>984
それらが国家神道一つの罪だというこじつけが意味不明
反省しているのはキリスト教なのに責められるのは国家神道なのか >>977
religionはラテン語のreligioが語源で意味は「束縛する」
排除するなんて意味はない
半端な知識で適当なこと書くな Jリーグ草創期、「サッカー界のジャイアンツ」を自称し、威張りくさっていた読売ヴェルディ
が今はJ2で低迷していることw >>988
そのキリスト教理解の歴史的方法が、20世紀初のプロテスタンティズムを範として創作された国家神道に特有だということ。ちょっと端折った。 >>992
プロテスタントって独立した小派乱立で統合するような中央組織は無いよ?
カトリックはあるけど >>992
国家神道の教理がキリスト教のパクリだっていうのは日本の極左が昔から唱えていて
最近では自称リベラルにも波及している言い分だが、ろくな根拠が無いんだよな
「造化三神は三位一体のパクリだ!」ぐらいしかない
「三」しか合ってないただのこじつけじゃん
それならヒンドゥー教の三大神でもこじつけられるしむしろそっちのほうがぴったり来る
国家神道に原罪説はあるの?最後の審判はあるの?
>「キリスト教は一神教」「神道は多神教」「だから両者は理解しあえない」
これは西欧列強諸国と宣教師が明治日本でさんざんばらまいた帝国主義的ドグマでしょ
まさに欧米キリスト教がターミノロジーを反省しているというのに
日本ではいまだにリベラル気取りが伝統批判のために笠に着る古着じゃないですか
そのせいで日本には価値相対主義がいまだ訪れない >>994-995
説明するのがめんどくさいから、ごく普通の研究論文読んどいて。
国家神道と戦後に呼ばれるようになり、戦後は「無宗教」というふうに教えられるようになった狂信的な一神教が、プロテスタンティズムを範型として創作された過程について、特に神道系大学の教員たちが熱心に調べている。
それから、>>995の宗教認識は、だいたい1950年代までのキリスト教だけが宗教とされた時代のシカゴ大学の連中のそれだな。
真顔で現代の大学なり真っ当な大学で教育を受けた人の前でそんなこと言ったら、失笑されるよ。 まつがえた、996は>>993-994宛て。995ごめん。
しかしこの手の、学問的な根拠のないどころか正反対のけったいな教説を、熱狂的に確信をもって唱える異様な輩がほんと増えたよな… このスレッドは1000を超えました。
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