春秋戦国時代
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同じような出来事が多すぎて、いまひとつ頭に残らない春秋戦国時代
ここらで流れを整理しておこう 呂尚(姜子牙)が東海のほとりの出身であり、
姜氏の部族集団を率いて周と連合して殷を倒したというのなら、
羌の支族といわれる姜氏は東海のあたりにも多数いたことになる
斉に封じられて営丘に都してからも現地の習俗に従って儀礼を簡素にしたというのも
また斉の土地柄に合わせて製塩と漁業で豊かにしたというのも、
呂尚がもともとこのあたりの出身だったからではないのか(東海=斉とは限らないが情報は持っていた) >>143
呉や越は伝承とは別に状況からみて楚から派生した新興勢力とも言われている
王号を早くから用いていたのも楚の模倣、あるいは楚を強く意識した対抗意識からだろう
その時点では周を立てる中原の勢力を意識する必要もないほど辺境だったとも言える
だが急成長して呉も越も一度は会盟の盟主になっているが、
これも、二百年近く離れているが、楚の荘王の覇業の後追いのように見える あと、呉の場合は太伯が周王の位を譲ってできた国(の筈)だから
王号を名乗ること自体おかしい(筈な)んだよな >>150
秀吉を大坂出身と間違えるようなもんじゃないのかな 呉は太伯の末裔だから当然、伯国
楚は蛮国とされ、その王は子爵待遇 下記のサイトの「周代の方言」という項目を見ると、
中原が「周韓鄭(漢代趙魏含む)」と「衛宋」に分かれているけど、
これはなんでなんだろうな。
中原を東西に分けたのか、
周代初期から中原にいた国と春秋戦国になってから中原に移ってきた国を分けたのか
http://heartland.geocities.jp/zae06141/china_history10.html >>130
じゃあ東西南北にさらに東北、東南、西南、西北も加えればよかったんじゃね
東北が燕、東南が呉、西南が蜀だとすると西北をどうするかって問題になるか >>155
そのせいかどうかは知らないが、衛と宋は、2つとも「殷の遺民の国」とされている >>155
そのサイトのそのページの「爾雅に登場する方言の材料」の項目で、
>爾雅単体では、どの地域かの情報が無いものが多い為、
>それらは主として「方言」「説文解字」「郭璞注釈版爾雅」から補っている。
とあるだろう。
それらの書物で「爾雅」と共通する語彙について、
どこそこの方言だ、と言っている項目や注釈の中の地域によって分類するとこうなったということ
なんで、っていうか事実としてそれらのように、傾向として同じ語彙を共有するいくつかのグループが存在する
分けた、っていうより分かれている 殷と周は異民族だろ、さすがに
城市を一歩でたら、そこは異国という時代だ 21世紀の現代でさえ、中国では、「城市を出たら、そこは土人が住む世界」という感覚が強く残っており、戸籍でも市民と土人が明確に区別され、公然と差別されている。
ましてや、ムラとクニに分かれていた古代社会においては、城市に対する市民の思い入れが、ことのほか深かったであろうことが、容易に推測できる。
今でいう「中国」が1つの国であるという意識はまったく無かっただろうが、それぞれの祖国への帰属意識はむしろ強かっただろう。 甲骨文字による亀甲占いには、城市から出るときの安全を占うものが多かった
市民にとって、安全なのは城の中だけであり、城の外のフィールドは異世界だった 殷と周が別民族であることと、
当時の都市国家が一歩外を出れば「野人」(「土人」はともかく史書にはこれなら出る)
のうごめく世界だったことは、
別の話だろう 都市国家は、それぞれ別の国だったが、市民には文明人としての一種の連帯感があったようだ
古代ギリシャに似ている 上海人や香港人も、内陸部の土人より、日本人に連帯感を持っている まあ自分らからそう言うことはあるけど
こっちから日本人が指摘すると勘ぐって全否定してくることもあるよね 「精神的日本人」は今弾圧の対象だからあっちの人も他者にそう言われることを警戒してる 「漢の時代には未開だった長江下流地域は、三國志の呉や東晋の頃から発展して、隋唐の頃には経済力がかなり大きくなりました」とよく言われるのだが、
春秋時代の呉越だって、諸侯を会盟して覇者になるほどの国力があったんだよな? とくに不思議なのは、北部では秦や前漢まで青銅器が主流だったのに、春秋時代の呉越は、一足お先に鉄器文明へと移行していたこと
なんで、あのまま天下を取れんかったんだろか? 呉が優れていたのは「鋳剣の技術」、越が長けていたのは「銅器の製造」
鉄器については確認できなかった
呉が会盟の覇者になったのは史実らしいが、その留守を突いて呉を滅ぼした越は
一度覇者になったかならないか(越絶書以外に覇者になったという記録がない)で
楚に滅ぼされた
呉越とも春秋末期にならないと歴史に登場しないのは、長江文化圏に属していて
まったく動静が見えなかったからで、
(黄河圏から見ると「南方で色んな国がドタバタしているらしい」程度か)
楚という東西に長い国に阻まれて、長江以南の事はあまり伝わってこなかったのではないか >>154
呉は子爵です
呉の分家の虞は公爵ですが イギリスとかスウェーデンは他国を批判して刑罰を強化させたがるから嫌い いろんな思想家が出たが、後世はその改良と派生で終わってしまった。
西洋哲学がプラトンに付けられた注ならば、
中華思想は諸子百家思想に付けられた注なのだろう 中東では7世紀にイスラム教が登場したが、中国ではそんな思想革命は起きなかった >>179
様々な戦争について学んで書いたんでしょ
孫子が別の時代、別の地域に生まれたら書けなかったかもしれん 「中国四千年」というが、四千年の歴史があるのは、河南省や陝西省といった内陸部
北京・上海・広東省の歴史の長さは、日本や朝鮮・ベトナムのそれと大差ない >>177
革命じゃないよね。
アンチ儒教、若者が偉いとか、女尊男卑とか思想革命ないよね お前の挙げてるそれはただの反動思想で革命でも何でもないだろ 今のアンチ儒教言うやつは儒教をカケラも知らない
もっと徹底的なアンチ儒教なら五四運動や文革のときにやってる 孔子が俳優達の手足を切り落としたことや
門下生を取られたことから相手の教師を罪も不明なのに処刑したことは
もう何を言ってもこいつはクズだと思わせる 今の日本でアンチ儒教やってるやつは黄文雄の読者のネトウヨ
黄文雄は台独派だから反中国思想のつもりで書いているが
そのネタはまんま五四運動の反儒教運動のパクリ
ネトウヨは知らずに中華民国初期の青年文化運動イデオロギーを注入されている あの時代はアジア主義革命の時代だからいいんじゃね?日中韓同時革命による新大東亜共栄圏の建設を日本の愛国右翼は目指すべき 城攻めのために土積み上げてから崩して土手作って侵入したの誰だったっけ?
ど忘れしてもうた >>188
そういう奴は、今でもいるだろ
「米軍は日本から撤退しろ」という以外にこれといった主張を持たず、在日朝鮮人が批判されたら怒り狂うという、右翼なのか何なのかよく分からない連中
一水会とか、小林よしのり、古谷経衡とか >>187
いまの日本で反儒教の論客って、黄文雄とケントギルバートの他に、誰かいたっけ? >>186
孔子って、人柄の良さを感じさせるエピソードが無いんだよね >>191
論客とかいうのも烏滸がましいレベルじゃないかと? >>195
啓蒙主義思想家だからね
当時は読者も儒学をよく学んでいて、
儒学の悪口を言うのは無学な人間だけだったから、
そうじゃない新しい理屈で批判できる人は新鮮だった
今の反儒教ネトウヨは江戸時代に戻った感じ
当時ならまだ国学があったが今はあいつら誰も読んでいない
また蘭学は漢文必修の伝統があり、それで新しい訳語も作られたが、
福沢は漢文が大の得意で左・国・史・漢を熟読し
特に左伝は暗誦できることを自慢にしていた
あと、五四運動の頃の日本では儒学自体がとっくに廃れていたんだから関係ない
批判自体とっくに卒業している >>187
大隈重信は維新前から儒教を批判してたぞ >>197
批判の内容がネトウヨとは全然違うだろう
そもそも五四運動が儒教批判の元祖だなんて誰も言っていないしそんな意味じゃない
ネトウヨはくだらない揚げ足取りでドヤ顔だもんな >>198
日本での儒教批判は五四運動より前からあるってことを>>187の馬鹿は理解してないだろ いや、どっちみちネトウヨは福沢諭吉や大隈重信の儒教批判なんか読んでないから
読んでるのは黄文雄かそれを鵜呑みにしてさらに捻じ曲げる小林よしのりだけ
大事なのはそこだろ >>191
ケント・ギルバートに儒教の知識があるとはぜんぜん思えないけどな その「反儒教ネトウヨ」ってのは、どこにいるんだ?
ネットでもリアルでも見たことがない まあ、いまの日本人は、儒教のことなど、まったく知らんからなあ
キリスト教のほうが、まだよく知られている 陽明学には、「知行合一」とか「心中の賊を破るは難し」とか、いくつか有名な言葉があるけど、朱子学にはそれすらない
朱子学は完全に忘れ去られた 儒教批判の盛んなのが中国だと清末、民国、毛沢東期
日本だと幕末、敗戦前昭和期、今現在ってのが面白い >>206
今現在のは、儒教批判というより、中韓批判の一部だろ >>202
「儒教には“相手を赦す”という概念が無い」というデマを流すネトウヨはよく見かける >>196
今の儒教批判や支那チョン批判は、福沢諭吉の脱亜論が影響してるから、
馬鹿サヨどもが福沢諭吉を批判してんだろが ドイツやフランスみたいに、ずっと分かれていればなあ >>2
鄭=北朝鮮 衛=韓国 宋=日本
斉=アメリカ 秦=中国 楚=ロシアな感じ? ところで、もともと天皇の選定は日本でも古来、蒙古のクリルタイと同じく、血族者の中から実力を考量して選んだ。 そらそうよ古代日本は奴隷制全開のジャングルの掟社会なんだから >>212
脱亜論は福沢が書いたんじゃないっていうのが定説
それを無視してホルホルするのが馬鹿ウヨ
脱亜論に日本人そのものを見出して攻撃し続けるのが韓国人
韓国人に同調するのが極左
リベラルは史実を重く見て福沢を攻撃せず、しかし帝国主義の流れに批判的 >>220
定説ということは論文あるんですよね?
どの学者の何というタイトルの論文でその説が開陳されたのかご存知? その人が定説なんですか?本当に?
エビデンス何も無しに主張してる部分もありますよね >>223
ケチばかりつけててなんら生産性ないね君 検証に耐えない論説ってもっと生産性ないですよね
ただの嘘だし エビデンス出されても確かめもせず認めない奴がうだうだ喚いてもね >>85
戦国七雄じゃないんだ、どれが除外されてるのか 除外されてるのは燕だったかと
楽毅の登場で脚光浴びたけど、その前に後継問題の内乱を突かれて一度滅んだような状態だからね
薊を斉に支配されて、何事も斉にお伺いをたてるような感じで一時期は斉の従属国状態になっていた
その状態から回復させた昭王は優れた君主だったよね、後継ぎはどうしようもないけど 滅ぼしたあとの王家の扱いとかめんどくさいから?
生かしといたら復讐に怯えることになって、虐殺したら悪評うけるとか 属領化してもすぐ北に異民族いるし、緩衝地帯にしたかったのかね 王家が形骸化して
諸侯が強くなって
次にその家臣が台頭してって
日本と同じだよね
つうか世界中同じか ヨーロッパは割と王家が流動的だから
鎌倉幕府みたいなことになったら普通に王朝が交替してると思う 斉が残り2城を残して滅亡寸前だったのは事実だろうか
燕に実効支配できるだけの兵力があったかは怪しいし
他の国が関わってこないのも気になる 春秋から戦国にかけて消えていったたくさんの小国は、
当初は完全に「消えた」のではなく、継承者一族が「社稷」「宗廟」を残す、
すなわち土地神・穀物神と祖霊を崇めることを許されていた
滅ぼした側も祟りが怖かったというのもあるが、
それよりも他国の間で自国の悪評が立つことが怖かったのかもしれない
ただ段々とそういう「常識」が消えていったので、
本当に消滅する国も多くなっていった
そういう国の中で大きめの陳は諸国間で立ち回ってなんとか生き残っていたが
春秋末期には楚に完全に消滅させられる
三晋が立ち、周に諸侯と認められ、晋は事実上滅んだが、小諸侯として20年ほど残ったのも
宗廟を祀らせるという思想のためかもしれないが、やがて国も失い静公は庶民となり祭祀を禁じられ死んだ
という滅ぼされ方は戦国の新しいパターンだろう
斉が2城を残してもらえたというのは古い習慣の名残りか、完全に無力化したとみなされたか 残りニ城って、田単が楽毅から斉を守ったって伝説的なエピソードの話じゃないの? >>241
>>231と>>239-240はその話をしているだろう
違うのか? 春秋戦国を全く知らずに韓非子や戦国策や論語を読みはじめ、その後背景知識を仕入れたくなったので、概観を掴む目的で小説の春秋戦国志を図書館で借りてみました
その後史記も読んでみようと思い少し目を通してみたのですが、どうも紀伝体とやらになじめそうにありません
そこで諸兄にお伺いしたいのですが、
・史記を編年体的に変換しながら読むコツなどはあるのでしょうか?
・編年体的な読み方は諦め、韓非子戦国策などを読みつつ、疑問が湧いたら史記で調べるといった辞書的な使い方のほうが望ましいでしょうか? なんで左伝を読まないの?
あと、史記の各伝どうしで矛盾してることがよくあるからメモをとってためていくのもいいと思う 左伝は図書館で借りられるのがかなり古い本なので後回しにしてました
今度ビギナーズクラシックを読んでみます
メモの件ありがとうございました 電子書籍で左伝が出るのを待ってるんだけど、
岩波文庫の三冊本がなかなか電書化されないね
左伝って調べるとまずビギナーズ・クラシックスがまず出てきて、
それから徳間文庫の「中国の思想」シリーズの左伝
どちらも部分訳で全体ではないが一応電書なので
スマホやタブレットで持ち歩いて字を拡大して読めるので目が悪くても便利
岩波文庫は現代語訳だけだが通しで読むのに便利
いちばん詳しいのは明治書院の4冊本だが分量も多く1冊8000円ぐらいとお高い
こういうのが電子書籍で気軽に読める環境になるといいんだがまだまだだね 陳侯の次男?の子孫が斉侯になったんだから残っているともいえる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています