ローマ帝国滅亡から暗黒の中世へ
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ローマ帝国滅亡から暗黒の中世へ
文明が終わるということ
識字率そこそこ → 神父以外文盲
上下水道完備 → 糞尿垂れ流し
食器と食事道具 → テーブルのくぼみに盛り付けて鷲掴み
街道は安全 → 野盗・山賊だらけ
貨幣経済 → 物々交換
地中海貿易 → サラセン海賊跋扈
巨大建造物 → アーチすら作れなくなった
各地の特産物からなる豊かな食生活 → 雑穀雑穀雑穀、ちょっと小麦
地中海の覇者 → フン族、アヴァール、マジャール、ヴァイキング、イスラム、モンゴル、オスマンにボコボコ
人類史上最も幸福な時代 → 重税、蛮族の侵入、疫病、餓死、王侯貴族による圧政、教会による支配 >>571
娘がいてホームレスってなんか信用できないもん
娘もホームレスなのかよって思う わざわざ昔のレス引っ張ってまでスレ違い話しだすとか
ガチのキチガイですやん >>570
さすがにそれは言いすぎだろーがw 大袈裟にもほどがあるww >>585
言い過ぎたわ。俺には新書レベルが丁度良いんだろうな。 スレチでもないんだよなぁ
唯物史観の理論では中世はローマ帝国の奴隷制経済が崩壊ではなく「発展」した形態だから
現在では考古学上の発掘が進んで変質でもなければ発展でもなく、やっぱり一度崩壊してた論が強くなってるけど 唯物史観なんてイデオロギーで以て考古学的証拠を否定されてもw 唯物史観は、歴史と政治経済文化の知識がそう多くない段階で習得すると、なにもかもがすっきりわかりやすく理解できる快感があるから、学生に教養としてその触りを教えている。
やはりスッキリするらしいが、もちろんその前に理論的な限界も教えているので、疑惑と、さらに有効な歴史観への希望を持ってくれるから安心だ。
大昔の学生時代、唯物史観を習得した単純な俺は、革命運動に青春を捧げたけどな。 初期キリスト教のドグマと宗教実践も、唯物史観のような宇宙論的快感を当時のローマ市民に与えたのかもな。
それが崩壊過程にあるローマ帝国を少しだけ支え、後世にいくばくかの影響を与えるよすがともなった。 宗教はもっと有用だと思うけど
死への恐怖で社会を縛るんだから
初期キリスト教はもっと素朴なものだったのでは
弟子がほぼ普通の平民でインテリはユダとのちに加わるパウロ 歴史の本って「むかしは唯物史観から〜〜と解されてきたけど、今はこうだ〜〜」みたいな記述をよく見るんだけど、素人目から見ると全然克服できてるように見えない。
世界システム論とかも見てると、唯物史観はまだまだ現役の分析道具のように思える。 素人目でどうして唯物史観が正しいってわかるの?
よくマル経の全盛期の中公新書あたりの通史読むと日本に中世があるかどうか、とかなんて大真面目に議論してるけど
バカ丸出しだよね
マルクス理論によると古代や中世があるのはヨーロッパだけ
他の地域はアジア的生産様式が古代からそして未来に至るまで永遠に続くのだから つうか共産党宣言にあげてる共産党の10のマニフェスト自体が
マルクスの言うアジア的生産様式に抵触してるんだけどね
マルクス自体この矛盾に気づいてて生前の草稿を見ると唯物史観の記述が全面的に削除されてたりするのだが
一部のおバカさんだけがブランドに惹かれて提唱者自信がまるで信じてなかったこの理論を未だに崇拝してるわけ >>595
「唯物史観が正しい」なんて誰が言ってるのかな?煽る前に文章は良く読もうな 分析ツールとして使える
という抽象的(手法・対象含めて)な表現では、何を言いたいのかさっぱり分からない
というのが率直な感想
それを、「正しい」という意味で取られても文句は言えないのではなかろうか >>551
いくら最強国になってもドイツやイギリス本国は寒くてどんよりしたムンクなイメージがある
殖民地だったカナダ、アメリカ、豪州、NZ、シンガポールなら綺麗なイメージがあるが
夏目漱石を鬱にしたイギリス本国にはあまり行きなくない
軍事で負けても料理はやっぱり地中海
イギリスは美味い物がないから外から調達しないといけなかったのだろう そもそもポルトガルもスペインもイギリスも貧しかったから海外進出せざるをえなかった 良レスが滅亡し、そこから暗黒へ
という意味では正しくスレにあってるんだぞw この板のスレって大概300〜400レスもあればスレタイのテーマを語りつくしちゃうからなぁ。
どのスレを覗いても前半が良スレで、後半がスレ違いか不毛な言い争いに終始してるw ローマ人も属州の一つに過ぎないブリタニアが後に
七つの海を支配した大英帝国になるとは思ってもみなかっただろうな
世の中、分からんもんだ イタリアの魅力
ローマ時代の遺跡、歴史・文化・芸術、飯が美味い、フェラーリ、気候が温暖 ローマ滅亡って戦争や侵略が原因じゃないところが現代的。
上の方のレスで、50年くらいで技術がすっかり失われたとあったが、それくらいでがらりと変わるのだな。
人で言えばこんなところか。
「属州のローマ市民だったアントニヌスさん(仮)一家。
ゲルマン首長やイスラム政権のもとで暮らしていくうちに、風呂に入る習慣をはじめローマ的生活態度を徐々になくしていく。
三代目くらいのマルクス君(仮)が、ムスリム女性と結婚するために改宗、ムハンマド君に名前を改めて、以後の子孫は代々イスラム教徒。
先祖のアンデンティティはすっかり忘れられた」
いまのヨーロッパもエジプト属州がイスラム化したのと同じ道をいくだろうな。
日本も特定アジア化が進みそう。 韓国化は大丈夫だろうけど、人口の多さからみて中国は制限しないとよろしくない ローマ帝国は平等主義核家族だったから普遍主義の帝国になれたが、
同時にそれは時間は掛かったが物だけでなく、人も受け入れることでもあった
受け入れ過ぎたら市民が没落していってしまう
また核家族は親から早く離れるので教育上有利に働いたことはない
だから技術も失伝した 建国当初は生物学的実在だった「ローマ人」というものが、最後のほうでは理念上の存在になってたんだよな。
帝国に住んでるものは人種出身の別なくローマ市民。
帝国の枠組みが壊れたら、フランク王や西ゴート王の法にしたがう領民、という実態に即した存在におさまるのは当然だろうな。 イタリア、フランス、イギリス、ドイツは古代から近代までずっと核家族が普通だぞ?
日本も江戸時代から大正までは核家族が普遍的だし
むしろ大家族だった時代の方が珍しい これらの社会で、中世以降現代まで、社会の混乱期はそれなりにあったわけだが、職人的な技芸の伝承は中世以降は絶えていないようだ。別なファクターがあるのかな? 民族構成が大きく入れ替わったり、貨幣経済がストップするレベルの
戦乱何て中世近世通してないでしょ
中国はしょっちゅう起きてるけど ゲルマンやスラブは商業施設や公共浴場に関心を持たず放棄したが
アラブ人はローマ時代のものを修築するのみならず自らもローマを模倣して作っている
ウマイヤ朝時代までエジプトやシリアではローマ時代とそれほど変わらない都市文化が維持されていた アラビアはエジプトとメソポタミアの間にあって
古くからオリエントの帝国の影響を受けてたし
ローマやササン朝の政治や文化を大いに受け継いでるから
ゲルマンやスラブみたいなガチの野蛮人とは訳が違うで >>614
五胡も契丹も女真も満州族も全て漢族に吸収された結果が今の中国人 イスラム圏の方はモンゴル軍にバグダードの知恵の館を破壊されたのが痛恨
オスマン帝国は軍事的には欧州諸国を圧倒したが、文化・芸術・学問はいまいち 多分、直系家族を必ず三つの世代を跨ぐものと思ってるから勘違いしてるのだろう
UP板を指定してくれ、長いので一部を上げる >>1
>巨大建造物 → アーチすら作れなくなった
ゴシック建築の尖頭アーチの方が難易度高いぞ >>622
ゴシック建築って、最も早いものでも11世紀で
西ローマが崩壊したのは7世紀
4世紀は長い 西ローマ崩壊が7世紀???
このスレむちゃくちゃだな >>625
ローマの元老院が名実ともに消滅したのが7世紀
目一杯、西欧におけるローマの存続を長くとっても7世紀(AD600年代)ってお話
ゴシックは中世後期の建築物だから、技術崩壊の反証たり得ない 11世紀あたりでも、建築はおろか彫刻でさえよく言ってアルカイックだよな、スペインでもドイツでも。
あそこからよくまあ、自生的技術でゴシック建築を中世後期には実現できたものだなぁ、と感嘆する。
200年ほどで科学技術が長足の進歩を遂げている。 アーチは技術であるけど、建物の見た目が変わるからあえて用いない場合もあったらしい
インドではイスラム的な美意識がある建物にアーチ使うけど、
ヒンドゥー的な美意識が強い建物はアーチを使ってない(柱と柱を梁で繋いでる) それはローマ帝国崩壊後にアーチが作られなかった説明にはなれないね
ゲルマン人の王たちは全ての面でローマ帝国を再現しようとしてるんだから >ゲルマン人の王たちは全ての面でローマ帝国を再現しようとしてるんだから
政治や法律の面ではそうだろうけど、文化的にはもろゲルマンだぞ
コロッセオや凱旋門や水道橋など大規模建築もなくなったし、風呂に入る習慣も廃れたしな
宗教では北欧と違ってすんなりキリスト教化したけど >>630
文化的にもろゲルマンなのは、ローマ文化を再現出来なかったからだろ
ゲルマン文化を志向してるならラテン文字がステータスになるはずがない >>603
このスレについては滅亡テーマなだけあって
前半というか最初からすでに腐敗してる ローマ文明が一旦完全に技術が継承されずに滅亡したとしたら、
ヨーロッパの都市ってロシアも北欧もドイツもイタリアもどうやって出来ていったのか
イスラム圏の都市とも全く異なる、しかし古代ローマの都市ともまた違う事は確か エンペラーはローマ由来、キングやケーニッヒはゲルマン由来 >>632
五胡は漢の文化を尊重し保持して
その中でも鮮卑は更に発展させて大唐帝国を築いたのにな 欧州は大量の移民を受け入れたけど今後どうなるのかな?
イスラムがキリストに同化されるのか、それともキリストがイスラムに同化されるのか、
はたまたかつてのイベリア半島やオスマン帝国みたいにキリスト教徒とイスラム教徒が共存するのか
EUがローマ帝国化するのは大穴かな(皇帝は自称ユリウス一門の末裔のハプスブルク家から) >>637
ヨーロッパもローマ人が人口の大半を占め続けていたのに
なぜ中国と違って転落したのか 豊かになると出生率が低下するとか
ゲルマンの方はポンポン産むから逆転される
今でも欧州人は少産だが
イスラム移民は猫並みの多産 そもそも、ローマ帝国におけるローマ人とは何者か
という本質的な話に よくローマ市民権の有無だと言われるけど違和感ある
アルミニウスも市民権もってたけどゲルマン人だし
アントニヌス勅令以降はそこら辺が特に酷くなる一方
ローマに対する愛国心の有無のほうがまだ納得できる 「日本人」という言葉でさえ、民族のことか国家のことかで微妙なズレがある そのへんの悩みは国民国家で解決したような気がするがやはりよく分からん ニホンと読むと、地域毎に多様化した伝統文化習慣の総称イメージ
考え方やお国言葉を含めた自然発生的なものと言うかな
逆にニッポンと読むと民族と国家で、一つの枠に嵌め込むイメージがするから不思議なもんだ ローマ市民権の有無とそれに拠ったアイデンティティを抱いているかどうかかな
アルミニウスはゲルマン人としての自己を優先したけど
同じくローマ軍入りしていた弟のほうはローマにそのまま忠誠を果たし
アルミニウスとの戦闘前の会談でもローマの偉大さを説いたというのが印象的 >>640
人口の逆転なんて起きてないが
ゲルマン人は牧畜民だから農耕民のローマ人と違って人口は少ないし
現代の事象を無理やり古代にあてはめても意味ないと思う >>640
>イスラム移民は猫並みの多産
イスラム教徒も二世代三世代目となると、出生率はヨーロッパ諸国民と
変わらなくなっているそうだが >>650
【シャルリとは誰か】E・トッド【家族システムの起源】 [無断転載禁止]©2ch.net
http://lavender.2ch.net/test/read.cgi/whis/1490438785/
移民の状態は女性の識字率だけでなく地域ごとに違う 世界史のようにおもしろいかねがはいってくるさいと
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
CAKH0 ヨーロッパの建築は主に石造りだよな
古代ローマの闘技場も水道橋も、中世の城も教会も インドも歴史が長いけど
統一王朝はマウリヤ朝とムガル帝国の2つだけなのよね
あとはずっと分裂状態 石造りは一見見栄えが良くていいが、今の季節でもジメジメして住めたもんじゃない イタリア・スペイン・ギリシャなどの地中海沿岸はカラッとした気候と聞くが
イギリスみたいなジメジメしたところだときつそう >>658
英国も東アジアなんかと比較すれば乾燥してるぞ うむ、英国の石造建築物で宿泊したり仕事したりしても、とくに湿気とかは感じなかったな、むしろ木造住宅でそれを感じた。気候が違うからね。 中世の戦争って傭兵同士の出来レースだな
ガチバトルは十字軍の時みたいに異教徒との戦いくらいか 石材なら素材次第、多孔質構造なら吸放湿するから快適 中世のキリスト教史観だとカエサルってどういう扱いなの? 扱いに困る人じゃね?
キリスト教的に特別悪いことはしてないから批判もしないけど、独裁者だから賞賛もできない うそん
ルドルフが捏造したように英雄だよ
あと独裁者だからってなんやねん
その価値観はここ60年くらいの価値観だ ネロ、ディオクレティアヌスはボロカス
コンスタンティヌスは名君扱い
テオドシウスは大したことやってないけどキリスト教を国教化したから大帝と呼ばれる
ちなみにトラヤヌスはキリスト教史観でも名君 アレクサンドロスはローマでもキリスト教世界でもイスラム世界でも大英雄 東ローマ皇帝とか独裁どころか専制なんですけど
政治的にも宗教的にも最高権力者だし アレクサンドロス3世はゾロアスター教だと英雄というか魔王扱いだっけ? 英語圏への留学ならやっぱイギリスだな
アメリカは治安が悪過ぎる >>674
そこでいう当時がいつの頃かさっぱりだが
ローマ末期〜中世初期の欧州では、スラブ語族は多数派じゃない アヴァールやブルガールが勢力を大きくできたのはスラヴと組んでその人的資源を活用していたから。 マジャール → ハンガリー
ブルガール → ブルガリア
アヴァール → どうなった? アヴァ―ルは胸甲、三日月刀、錘投式投石機と当時の中国の北朝の武装を
ヨーロッパにもたらした功績がある
投石機がトレビュシェットに発展した以外はすぐに廃れたしまったけどな アヴァ―ルは中国の鐙をヨーロッパにもたらした功績がある
鐙のおかげで西欧や小アジアの農耕民が重槍騎兵になれるようになった
鐙が普及する以前はバルカンの牧畜民が重槍騎兵の多くを占めていた >>680
よくある俗説
実際には「ハンガリー」という名称(そもそもハンガリーの自称はマジャル)と「フン」は全くの無関係とされてる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています