お前らがヴィルヘルム2世だったらどう政治する?
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史実のヴィルヘルム2世は
海に将来ありとかいって
アフリカに進出してドイツに植民地支配者の汚名を着せ
さらに一次世界大戦には誰よりもやる気であった戦犯だったが アドルフ・ヒトラーとかいうオーストリア人を永久入国禁止にする まず海外進出しない
余剰人口はブラジルあたりにでも送り出す
イギリスには逆らわない
これだけでやってりゃいい 時代のトレンドには逆らえないのでは。
今の時代に福祉拡充や雇用確保を目指さないと
公言できる政治家がいないのといっしょ。 少なくとも大海軍計画なんて馬鹿なマネしてイギリスを敵にしないわな 海軍はUボートオンリーでいい。
史実の3倍、1000隻も建造すれば、
干上がったイギリスが降参と叫ぶだろう。 当時のドイツであれば、自由貿易路線の方が自国に有利なのに、あえて英国と全面対決路線とか選ぶのは愚中の愚
それをやってのけたのがヴィリーだからなあ 愛国心とは邪悪な者の美徳である
皇帝を見ればよくわかる 政治宣伝と経済進出によって東欧諸民族の独立熱を冷まして
在外ドイツ人と一層手を組んで東欧一帯をドイツに取り込んでいく
工業化を進めること、プロテスタント宣教団をスラヴ系諸民族に送り込んでいくことが重要 やはりビスマルク爺さんと仲良くするのがいちばん。
奸臣・小モルトケは斬って捨てる。 ロシアのせいで汎スラブ主義と少数民族独立の方向へと向かう東欧を
ドイツの方に振り向かせるには反ユダヤみたいな人種主義なんてやってる場合じゃないのに
大戦に負けてからも黄禍論とか言ってた困った人 >>12
小国家分立になること自体はドイツにとって悪いことではない
自国の市場および緩衝地域にできれば問題ないからだ
問題は不安定なオーストリアと、大国フランスとの関係だな >>12
振り向かせるというか
複雑な東欧に深入りすべきでは断じてないんだよ
いらん工作をしたらそれこそ
史実のまんまじゃん >>13>>14
西欧の国民国家ブームの流れを受けて生まれた東欧の小国家分立の兆しは
多民族根充の現状を破壊しようとする民間テロの種だった
史実ではそれが散発的なポグロムやWW2後のドイツ人迫害を生んだ
むしろユダヤコネクションと手を組んで広域的コスモポリタニズムの繁栄圏を作るべきだった
オーストリアも援助して、ドイツはいわばハプスブルク家とユダヤの仲介者になればいい
当面の仮想敵はロシアだが、イギリス(とついでに日本)と手を組んでフランスを牽制する 最終兵器レーニンを10人ほど養成して封印列車で各国に送り込む。
対象国が混乱して内戦に陥ったら、その国からの金持ち亡命者を
積極的に収容して国力を高めていく。 >>16
関係ないかもだがドイツ軍がレーニン送り込んだ事ってあんまり知られてない気がする ドイツがロシアにレーニン送ってなにか得することあんの?
わざわざロシア帝国より遥かに強大な敵を作るやて当時のドイツはキチガイなんか? レーニンは祖父母の代にはもうロシアに移民してるだろ
ユダヤ教徒としてもその頃には棄教していて、
おかげで本人もロシアのユダヤ人労働者の運動に対してはまったくの他人感覚で非常に冷たい >>18
お前の常識は未来が見えることなのか、そうか ヴィルヘルム2世が皇帝にならずに死んでいたら
一次世界大戦も起こらなかった
よって二次大戦も起こらず
日本は財閥解体や農地解体が史実よりも遅く(構想自体は戦前からあった)
もしくはGHQ後ろ盾のあった史実ほど徹底したものではなく
まだ小作農がいたかもしれない 今日において農地改革は非難されているのに
農地改革が日本の農業が小規模し自動化しなかった元凶、小農なんて不要だ。
大規模化していれば、より生産性が上がったわ >>23みたいな頓珍漢な意見が出るほどに
GHQの土地改革は徹底していた。 大地主だった俺の家は
小作農を社員とした農業合同会社を経営していた
つまり戦前の時点で集団化も実現していたのだ
しかし会社組織になっていた事自体で大いに睨まれ、
土地を徹底的に取り上げられたよ
革命政府だって革命前から革新的なものがあったらよけい潰すだろ? 義和団事件で
公使が殺されたからと言って
中国人を皆殺しにしろとか言わない >>25
戦前〜終戦直後くらいの問題意識はむしろ昭和大恐慌前後で小規模農家が手放した土地を
富農が大規模化を目指して、ではなく、耕作しない地主が飛び地のように買い集めて
さらにそれを小作農に貸して、細かい農業のまんま利益だけ吸い上げる形になってた
というところにあって、これをせめて中抜き構造なんとかしないとということで農地改革やったんだよ
明治以前から大規模な農地持って集団化してた真っ当な地主層の土地まで細断しちゃったという
アホな結果のせいで批判は当然されるべきだし、賢い人はそうなるのわかってたろうけど
恐らくは革命的な思想に基いて放置したんだろうなぁ
ドイツのユンカーもWW2後にソ連に解体されたな 日本人は保守的
なかなか自分から変えたがらない
一次大戦が起こってなかったら
まだ徴兵制もつづいてたかもしれん >>27
うちは別に明治以前から大土地所有してたわけでもないし、
確かに大恐慌以後から土地を買い集めて大きくなったけど、
飛び地だったのも結局ひと繋がりになってしまったし
◯◯から△△までずっとうちの土地を歩くことができた、なんて自慢する地主も多かった
それでも大きくなることで一人あたりの小作料をより安く抑えることもできたし、
一歩進んで会社組織にして月給制にすることで小作料という制度自体廃止できていた(つまり集団化)
小作料を安く抑えるとか、そのあたりのさじ加減の個別のケースの差は全く伝わっていない
冷静な話、中抜きの何が悪いって事だよ
当時は共産主義イデオロギーのプロパガンダが浸透しすぎていて、それに沿うように日本社会を破壊するのが目的のGHQが
私有財産の権利とか賃貸業の理屈とかが吹っ飛ぶくらいの暴力革命の論理で土地を取り上げた
日本共産党の一部がGHQのビルの前で解放軍万歳を叫んだのも無理はない アフリカ行や海軍建設なんてしないで
レーダーや電子や数学の研究に力を入れる
あとイギリスと友好維持する なんでそういう堅実な選択をしなかったんだろう?できなかった? >>34
後日本と仲良くしてロシア、フランスを孤立させる。 >>31
中抜きの何が悪いのかというと中抜きされた側の所得が下がる
当時の人々の問題意識はそこにある
軍人、官僚の少なからぬ割合が貧農出身で奨学金やらを得て
必死で猛勉強した苦学生だから
冷静な話はできないんだよなぁ、当時の所謂改革派官僚は地主に対する恨み骨髄だから
GHQの虎の威を借る狐となってでも農地改革をしたくてしたくてしょうがなかった >>37
中抜きのいい悪いも小作料の額による
もし無料にしろというのなら、現代のアパートの大家も重機やコピー機のレンタリースも成り立たない
タダで耕したかったらまず土地を借りるんじゃなくて買えと
苦学生なら地主だってパトロンになって育てている
あとで養子にすることもあるが、全くの見返りなしのパトロンもある
奨学金だってその財源を地主も出している
それは自分の土地を奪われたいからじゃない
どちらも金持ちの責務として持ちかけられるから義務感でそうするのだ
共産主義的なイデオロギーはそれとは知らされずに民間レベルに浸透していて、
分家の子だった父でさえも「地主の家の子は悪」みたいな世間の風潮を肌で感じていたという
確かに戦中から官僚はいろいろ企んでいて、特攻隊に指名され志願した兵士は
うちの大叔父含め大地主の跡継ぎばかりだった 不在地主なんて放置しとくとろくなことにならないだろう
地主と貧農の間に変な奴が入り込んで来る 次々他国に喧嘩を売る指導者は強い軍隊を持っていても勝てない
ヴィルヘルム2世とヒトラーを見て教訓にすべし
なあトランプさん
それとヒトラーは組む相手を選ぼうな
中国を捨てて日本を選ぶメリットはマジでなかった トランプってよく吠える犬の割にはケンカ売らないよね
軍需産業って手っ取り早い公共投資かつ公的資金投入なのに >>18
ロシア帝国より強大?
もしロシア帝国時代の軍事ノウハウが生きてたら第二次世界大戦でドイツ陸軍相手に無双されるなんてこと無かったよ >>43
当たり前だろWWI終わる前に滅亡したんだから
もしWWI以降もロシア帝国が存続したら開発されてただろうけどね >>44
それはどうだろう……
WW1時点でもう旧式化してて、ドイツに手も足も出なかったんだぜロシア 片手(しかも左手)で戦ってたドイツ相手に音を上げて休戦したロシア
ドイツにとって主戦場は西のほうだったから対露戦は片手間
全力で向かってきたドイツを押し返して撃退したソ連
(ノルマンディー上陸まではドイツは全力でソ連と戦ってた) >>41
その代わり経済や貿易で兵糧攻めを仕掛けてくるな。 特殊な炭素素材で水を水素と酸素に分解 ゼビオHDのグループ企業、クロステクノロジーラボが開発 >>46
オーストリアが必死に対露を支えてたじゃん
ドイツが片手でロシアを抑えられたのはオーストリアが死ぬ気でロシア相手に戦ってたから 肉壁としての役割はあったよオーストリアは
ただしロシア軍の撃破何てのは期待できない ビスマルクと違ってパワーオブバランスが理解できてなかったな。
その場しのぎの外交。 そもそもおめえのじいさんの代の時に2か月ぐらいで片付いたたいしたことない軍を
味方にしてイギリスフランス相手にしようというのが間違いなんだよ
ウィリーよ
ヒトラーも言えるけど
数合わせと肉壁にしかならないようなたいしたことない国を味方に
強大な敵と戦って勝てるわけないだろうが 大海軍計画は無駄だったなぁ。
第一次大戦でユトランド以外大規模な海戦ないだろ。
その分インフラ整備にでも使ったほうがマシだった。 レーダーの研究と数学の研究をする
それとアフリカ進出なし
なんでかというと
史実だとレーダーとかの電子関係でドイツはイギリスに後れを取って
Uボートを無力化されたから そもそも英国と対立・対決するのが根本的にも戦略的にも誤り 大陸に強大国を生じさせないのがイギリスの戦略だから
ドイツが富国強兵を進めれば、かならずイギリスとは衝突する
つまり富国強兵を政策とすること自体が根本的な誤り >>57
仮に、仮に英国と対決するのが必然なら
英国を除く大陸諸国との間に対英国のコンセンサスを確保し、特にフランスと融和することが絶対条件
しかし、そんなの英国と協力するよりはるかにハードル高いという罠 独仏をもしやろうとしても英がユダヤ人を使って撹乱させてくるだろ。 英国民は実は親独だったらしいけどな 開戦の前までは ビスマルク時代と同じ路線を進めればそれでいい
拡張はともかく駄目なんだよ ビスマルクなら英仏露と巧みに外交繰り広げただろうに、カイザーが退陣に追い込んだからなぁ
結局、ウィルヘルム二世の軍備拡張が世界大戦の原因だ
サラエボ事件なんてキッカケに過ぎない >>62
ビスマルクならイギリスを刺激するような拡張はしない
刺激するような拡張をして
イギリスをなだめるような外交などそもそも不可能 汎ゲルマン主義が失敗だったんだよ
東方植民したドイツ人なんてほっといてよかった
ドイツとオーストリアが結べば世界制覇も夢じゃないっていう夢も間違い
中途半端に学問すると「原理主義」に走って無理な統合を望む ドイツは大陸国家なのに海洋国家と疎遠になるとダメになる特異な存在。 王室同士のつながりを百パーセント活用して
イギリスと友好を固めるべきだった。
カイザーの存在意義はもはやそこにしかない。
それが出来ないなら害のみあって益なし。 つうか皇太子の時に死んでればよかったのに
ならまた別のやつが皇帝になってた だがこの皇帝がいないと第一次世界大戦は起きない
したがって二次大戦も起きない
日本はGHQが来ないので
下手したらまだ徴兵制がある、もしくはつい最近まで存続してたかもしれない
女の社会進出も今ほどではなかったかもしれない
日本人て保守的だから >>64
フランスやオランダみたいにイギリスの尻の穴なめてれば
ジブラルタルもスエズ運河も通してもらって、もっと植民地政策
やりやすかったのにね ヴィルヘルム2世に成り代わったからといって
複雑怪奇な国際情勢を乗り切る自信は全く無いが
正しい行動と思える事がひとつある
「一度決定されたことは変更することはできません」
小モルトケめがこの台詞を吐いた瞬間
渾身の力を込めてやつめの口許をぶん殴る 植民地獲得はしない
ロシアとの友好を維持する
(東方に敵を作らない)
エルザスロートリンゲンがあるうちはフランスとの緊張関係は続くだろうから
敵をこれ以上作らないようにする フランスとの敵対関係続く場合、その向こう側たる英国との協調路線は必須であり、
自国で発展を続けている工業の市場を拡張するにも英国との協調が必須であって
なんで英国に喧嘩売ったのか本当に意味不明 アルザス・ロレーヌに自治を与えて満足させてから住民投票とかいう最強の民主主義手段でフランスとの問題をおちつかせる
ロシアとの再保証条約維持して東部の憂いを無くす 親英反露がまずかった
ヒンデンブルグとルーデンドルフを罷免する
外交はロシア重視
イタリアとは組まない
ベルギーを攻めないでフランスとガチンコ やはり基本的にはフランス以外に敵を作らない
緊張関係にならないってことだよなあ
露仏同盟は最悪 >>73
1906には秘密会議が行われて
フランスとドイツが戦争になった場合
イギリスが派兵する計画が出来て承認されてんのよ
つまり、フランスと敵対するならば
イギリスとの協調路線は諦めるしかない >>78
なんで1906年が前提なんだよ?
それ以前からの政策からして間違ってんだよヴィリーは >>76
ヒンデンブルクはワイマール体制でもやらかすしな。 >>79
そこは確定ライン
それ以前にもカイザーはイギリスに相当歩み寄りはしてるよ
叔父のエドワード7世、ソールズベリー、グレイは相手にしなかったが
1890の独露再保障条約の更新をしなかったのが
狡猾なイギリスとの交渉をより一層不利にした 政治とガバナンスは違うから、といっても翻訳や交易などがないと、伝わらないモノ
なのでしょうねえ。 >>83
ビスマルクが右翼やからやろ
どこが不思議なんや? >日本の左翼はビスマルク嫌いが多いな、なんでやろ?
イデオロギー的なものではなく、成功者への妬みじゃないか? 皇帝暗殺未遂事件の濡れ衣を着せて社会主義者鎮圧法とか作ってたんだから、当たり前じゃね? >>83
当たり前のことでなにを不思議がってんねん 日本の右翼はマルクス嫌いが多いな、なんでやろ?
それとおんなじくらいあたりまえのことや ビスマルクはドイツの歴史の中では例外的な存在なのかも。
ドイツとはウィルヘルムにせよ、ヒトラーにせよ破滅路線を突っ走るもの、とみなした方が正しいと思う。 ドイツはビスマルクが作った国やからビスマルクを例外言うたら最初から例外になってまうがな 逆にビスマルクの綱渡り芸は世界史的に見ても例外的なのかもしれない。 >>96
あんなのそうそう居ても困る
が、タレーラン・ペリゴールとかメッテルニヒとか外交の鬼才はたしかに存在する >>95
東フランクと神聖ローマからの長い歴史があるだろ というか別にビスマルクほどの能力なんていらないんだよ
ロシアとは別に敵対せず
後方に新たな脅威を作らなければいいんだから
俺でもできる 列強間のバランスオブパワー調整が巧みだったのがビスマルク、タレイラン、メッテルニヒたち
アメリカ、ドイツの台頭などが伝統的な欧州の外交手法を陳腐化させていった
だが栄光ある孤立政策を捨てたにも関わらず覇権国イギリスはその伝統的手法に固執しドイツとは組まなかった
これは当時ナショナリズムが高まっていたフランス、近代化を進めていたロシアに挟まれるドイツにとっては死活問題であった
そして、皮肉なことだが、伝統外交を重視するイギリスが協商側に付くことで伝統的なバランスオブパワー外交は終焉を迎えることになる ウィルヘルム2世がロシアとの安保協定の更新を拒否したことがその後の伏線だと思う。
あれで露仏協定が結ばれた。ウィルヘルムはそれぐらい読めなかったのかな?何か考えがあったのか? あれは穀物関税の問題で、ユンカーからの突き上げがあったんじゃなかった? >>102
ヴィルヘルム云々の前にビスマルクの時からバルカン半島のブルガリアを巡って
オーストリアとロシアの関係が悪化してる
ドイツとロシアも関税競争などで関係悪化してるし
将来的にはオーストリア(露仏接近)かロシア(オーストリアを見捨てる)で選択を迫られる状況だった
ヴィルヘルムがその状況を知らされなかったとも思えないので
オーストリアを優先して英独同盟に賭けたのだろう >>98
ビスマルクまでずっと封建制で統一されたことが無い ビスマルクの路線を続けるべきだった、といっても、あれを継承出来る能力のある人物が居たのか、というと難しいのでは? ビスマルク爺さんも後継者を育てておくべきではなかったか。
多少は次の王の趣味に沿えるような若いのを。 イギリスはドイツが海軍力増強を自制すれば共存の意思はあったから
海軍協定を結ぼうとしたのに蹴ったのはヴィルヘルム2世 自制のレベルが妥協出来る次元ではないがな。
既得権益の権化だよイギリスはね。 >>109
その既得権益崩す必然性、じつはドイツには無い
挑戦する必要性すらない >>107
無理だろ
ビス公はそもそも後継者が居ない事を上手く皇帝との駆け引きに使って
「じゃあやめてもいいの?」って皇帝脅して自分の主張を通してきたんだから
後継者なんてものが出来た瞬間その脅しは通らなくなってしまう ゲルマン的な自尊心あるいは夜郎自大が暴走した結果
というふうに床屋政談風に言い切っていい感じかな? トーマス・マン「ドイツを悪しきものにした孤独感の背後には、愛したい愛されたいという願いが隠されている。」
ドイツはツンデレだった? ビスマルク路線をウィルヘルム2世が継続したければ、
別にビスマルクが推奨しなくても、自分で後継する人材を探せばいいが、
探した形跡もないから、ウィルヘルム2世自身、ビスマルク路線には否定的だったんだろう。 ヴィルヘルム個人は不器用な男じゃないかな。それをドイツ人で括って一般化出来るのかは分からないけども。 あのかっこいいカイゼルひげというやつは、彼の独創だったの >>117
あんた、片腕が不自由だったもんなあ。
そのせいで母上からも疎まれたし可哀そうだよウィリー・・・・。 ヴィルヘルム2世のせいで由緒あるハプスブルク帝国は崩壊してしまった。
プロイセンみたいな成り上がりがドイツ統一してしまったばっかりに不幸が起きてしまった。
まあ、ヴィルヘルム1世・ビスマルク時代はそれでもよかったけど。 >>120
ホーエンツォレルン家は少なくともルドルフ1世の時代に城伯として活躍してるくらいには名門だが 皇帝と城伯では月とスッポン、ウンコとオナラくらいちがうじゃん >>122
皇帝を選んだり皇帝を輩出したりの名門だというのに。
何か勘違いしているのではないか。 ルドルフ1世の時のハプスブルクはまだ名門ってほどでもないしな 「栄光ある孤立」をやめたイギリスが同盟相手を探している時に食いつかなかったのか? 日本人の立場で見ると、ヴィルヘルム二世の政治的選択で、
非常に大きい利益を得た。感謝というほかない。
そのままの君でいて。 >>119
スタ公「実は俺も片腕不自由なんだよね」 本日はヴィルヘルム2世陛下の160回目の御誕生日です ドイツの不幸はヴィリーとアディのアホ指導者を頂いてしまったことに尽きるが、
そもそも欧州のど真ん中にロシアを除いて欧州最大の人口を誇る大国を築いたことだ。
東西どちら側からも警戒され、国力の伸長が欧州政局のバランスを壊してしまう位置にあるからだ。
第一次世界大戦(欧州大戦)は遅かれ早かれ不可避だったんじゃないか。
19世紀末の未来予想ではアメリカとプロイセン(ドイツ帝国)の戦争が描かれていて(ロビタの作品)
興味深い。 無害なふりをして隣国の警戒心を解くという芸当がドイツ人には不可能。 >>132
鋭いねドイツは北がプロイセン、南がオーストリアで良いバランスだった
南ドイツはオーストリアに上げればよかったのにな >>125 ポルと永久同盟むすんでるから「栄光ある孤立」は幻想 イギリスが力の均衡を考えるなら仏露対独墺で傍観してりゃ良かったのに >>137
ドイツが英国の海外権益に手を出そうとしたからね
仕方ないね
本当にヴィリーは馬鹿 中国のGDPがアメリカを抜く近未来においては、
「黄禍論」を唱えた我らがカイゼルの先見性は
再び評価されるのではないでしょうか。 >>139 ドイツ銀行がもろに黄禍論の被害被ってるだろ それ以前に つーか、いまのこの時期こそ、
ヴィルヘルム2世の黄禍論をリスペクトする大チャンス!! >>144
それはシユリーフエン計画の問題で、皇帝にどうこうできた問題ではなかろう 第1次世界大戦で、対露宣戦布告だけにしといたらどうだったのか?
フランスは参戦義務があったのかどうか知らんが、仮にあってドイツに宣戦布告したとしよう。
どこから攻め込んでくるかといえば、プラン17によりエルザス・ロートリンゲンからか、あるいはシュリーフェンプランみたいにベルギーを強行突破してくるかのどちらしかない。
前者は強固な防衛線を敷いておけばいいし、(事実、それで撃退してるし)
後者ならドイツはベルギーを味方にできるし、イギリスだって黙ってはいなかったぢろう。
いずれにせよ、史実より西部戦線に貼り付けるべき戦力を少なくできたはず。
ならばその分だけ東部戦線の戦力を増やせたわけで、それを以てロシアを征服できたのでは? 大モルトケはシュリーフェンとは全く逆に「対露攻撃・対仏防御」を考えていたので
シュリーフェンの参謀長就任に反対だった フランスとの国境は短く、ロシアとの国境は長い。
なので対仏は守備が容易で、対露は守備が困難。
ならば対露は守勢ではなく攻勢をとるべきだと思う。 >>150
シュリーフェンプランでもフランスを片付けた後にロシアを叩く方針やん。
フランスはドイツからちょっかいを出さなければ、攻め込んでくるとは思えないし、
仮にそうなったとしても、戦場はエルザス・ロートリンゲンの狭い範囲に限られるんじゃない?
そもそも独仏国境はそこしかないのだから。
フランスがベルギーを侵してきたなら話は別だが、そんなことやるとは思えないし、
それやったらドイツはベルギーを味方にできるし、さらにはイギリスだって黙ってはいないだろう。
ドイツのやり方は軍事力にのみ頼って外交を軽視しすぎ。結果として敵を増やしてしまってる。 シュリーフェンの対ロシア戦の戦略が今一つ不明だな
持久戦か短期決戦か、まさかモスクワまでは攻めないでしょう
史実通りの封印列車がベストだったかも >>152
目標はモスクワよりペテルブルクじゃないの? ロシアは敗北を認めさせればよい。
征服を目指してはいけない。
そんなことをしたらロマノフ朝が滅びてしまい、講和相手がいなくなってしまう。
しかもロシアは連合国の一つとして大戦に参加してたのだから、自国が不利になったからといって、それだけでは降伏はしないでしょ。
でも、せいぜいセルビアとの連合くらいでは、セルビアを倒してしまえば、無理をしてまで継戦するだろうか? スペイン風邪がアメリカで一年早く流行したら
アメリカの参戦は困難だったかも 「なぜ第一次世界大戦が起こったのか」がよく分かるレスの流れ フランスを相手にしなければいい。
もちろん、ある程度の戦力は備えとして残さねばならないが、史実の東部戦線の3倍くらいの戦力をロシアに投入できたのでは?
で、史実はその戦力でもロシアに互角以上の戦いぶりなのだから、3倍の戦力なら圧倒できるだろう。
ドイツがロシアを圧倒できるのならオーストリアもロシアに割く戦力をセルビアに回せるのだから、セルビアも早期に壊滅できたと考えられる。
セルビアが壊滅すれば、ロシアとしても義理を果たす理由がない、つまりドイツと積極的に戦争しなければならない理由もない。
そして前線では独墺にボロ負けでは、講和を求める空気も高まろう。
ましてや英仏や日米としてもドイツが強大化しすぎ&ロシアの崩壊は望むところではないから休戦仲介が入るのではなかろうか。 ガリエニのジイさんがタクシー部隊で最右翼を足止めしたからな
マルヌがなかったらパリまで到達してただろ シュリーフェンプランではパリを占領すればフランスは降伏すると
予想してたようだが、フランスが降伏しなけれ破綻するお粗末な計画
実際、フェルディナン・フォッシュは「パリの後ろでも戦う」と宣言してた シュリーフェンプランというものがあるのはいいけど、WW1の場合、ドイツはフランスと戦う必要あるか?
というかシュリーフェンプランって外交を全く無視した上の作戦だよね。
ロシアとフランスに挟まれているのが苦境の原因なら、ロシアを味方につければいいのに。
それが外交ってもんだろ。
まあ、それができなくなったからあんな作戦計画を立てざるを得なかったのだが… >>163
フランスを苦心惨憺して孤立させたのがビスマルクの外交だった
それを破壊したのがヴィルヘルム2世 >>163
ビスマルクの偉大さとヴィリーのとんでもない愚劣さがはっきりするね 戦争おっぱじめた癖に軍に発言力なくしてオランダに亡命した雑魚 ロシアとフランスに挟まれているという苦境を軍事力だけで解決しようとしたら、シュリーフェンプランのような非常な策を立てるしかない。
シュリーフェンプランの優劣を問うより、こんな策を立てるしかないということが問題。 今日のBSNHK「映像の20世紀」でカイゼルの映像と肉声が出てたな。
カイゼルの演説を初めて聴いたが 甲高い声だね。絶叫口調が伍長閣下と似ている。(ドイツ語だからかw) >>164
フランスの対独敵意が高まったのはエルザス・ロートリンゲン割譲が原因で、ビスマルクは領土要求に反対していた。 >>169
ヒトラーも「我が闘争」ではエルザス・ロートリンゲンの奪還は望んでいないだよね
そう意味ではヒトラーも天才だった ただしフランスは自ら戦争を起こして武力で奪還するつもりはなかったそうな。 ビスマルクは普墺戦争のとき、ナポレオン3世に南ドイツ割譲を
チラつかせることでフランスに中立を約束させたというけど、
やっぱりビスマルクは不世出の外交家
彼に匹敵する外交家はいるかな? 竹島を韓国領と実質認めている日本の政治家はビスマルク級だが >>172
ドイツはビスマルクが偉大すぎる政治家だが、それに次ぐ名政治家がいない ヴィルヘルム2世とナポレオン3世はどちらが有能だろうかw >>175
圧倒的にナポレオン3世
独創性はさほどないが、現代フランスの基礎作った一人
なかでもパリ改造、鉄道網、金融システムの構築は実績としては確かなものだ
残念ながら、軍事方面の能力は皆無だったが >>170
でも1940年の攻勢では併呑してるんじゃないの? シュリーフェンプランというものがあつてもいいが、それしか作戦計画がないというのはまずい。
あれはドイツの置かれた諸問題を軍事力のみで解決しようという乱暴なもの。
そんな手段に賭けざるをえなかったのは、行き着くところはビスマルク後に名政治家が出なかったから。 露仏同盟によると独露が開戦したら、仏は自動的に参戦しなきゃいけないの? ヴィクトリア女王の孫としてイギリス国王を名乗りイギリスに攻め込む WWTのときのドイツは当初は8個軍を動員して、7個軍を西部戦線、1個軍を東部戦線に配置してたことを踏まえ、
宣戦布告はロシアに対してのみでフランスにはしない。
フランスへの抑えとしては、エルザス・ロートリンゲンに1個軍、フランスがベルギーを突破してきた場合に備えてラインラントに予備隊として1個軍を配置。
フランスが攻め込んできたらひたすら守勢でいい。
攻め込んでこなければそれまで。
東部戦線には6個軍を以つてさっさとポーランドを制圧してしまえばよいのでは? フランスがベルギー突破したら、イギリスがフランスに宣戦布告?
協商分裂してたかな? >>184
イギリスがドイツ側に立てばフランスの一方的敗北は決まったようなもの。
それではドイツの一人勝ちになってしまう。イギリスとしてもそれは避けたいところ。
だから宣戦布告まではしないんじゃないかな?
とはいえ、そもそもフランスがベルギーを突破するというのが極めて考えにくいけどね。 ロシアに革命起こさせてロシア帝国を崩壊させたのはいいが、自国でも革命が起きて帝位返上国外退去させられた池沼 ホルシュタイン卿を黙らせて再保障条約延長させ、対英について任せて、カプリヴィを全力で擁護しつつ自由主義的な改革を進めるしかない
でもビスマルク時代に独露関係かなり悪化しちゃってるし、ビスマルクがリベラルな官僚とか追放して政府と軍を保守派の牙城にしちゃってたから改革するにも多分無理なんだよね
色々調べれば調べるほどヨーロッパがよく戦争していた理由がよく分かるわ、無理ゲー シュリーフェンプランがキチガイすぎる。
軍事上の都合しか考えないから露仏だけではなく白英日を敵に回してしまった。
更にその後も伊米も敵に回してしまう… ツィンメルマン電報事件なんかその最たるものかと。
もうね、アホかとしか言いようがないレベルですね 優秀な政治家がいないのに軍事組織だけ高度すぎるアンバランス 大モルトケはロシア先に叩いて
フランス戦線はアルザス/ロートリンゲンの守り固めて
動かないようにするよう提案したんだっけ?
そうすりゃ、しびれ切らしたフランスがベルギー越境して協商分裂
シュリーフェンもたんなるカイゼルの茶坊主だし >>191
フランスがベルギーを越境するとは到底思えない >>193
その時はベルギーはドイツに援軍を求めたかな?
またイギリスが座視していただろうか… >>195
えっ?
プラン17でロレーヌ侵攻作戦以外にあったのか? 太平洋戦争の真珠湾奇襲とシンガポール攻略はある意味では
大成功したシュリーフェン計画
そのあとがダメダメだったけどw どちらかといえば、ドイツよりフランスのほうが好戦的だったから
ドイツは防衛に徹した作戦してればよかったのに
ベルギーが盾になって実質的にアルザス・ロレーヌだけ
守ってればロシア戦線に兵力つぎ込めたんだが 逆にアルザス・ロートリンゲンを開戦前にフランスに返還して
ロシアと単独決戦に望めば勝てたかもな >>201
その場合はエルザス・ロートリンゲンね。アルザスならロレーヌで。
しかしその2地域を返還するくらいならパリ条約で要求しないので… アルザス・ロレーヌを割譲させたからフランスがドイツを憎むようになった。
なのでビスマルクはフランスの復讐を避けるために外交でフランスを孤立させることに腐心した。
ところがそれではドイツの海外進出に支障が出る。 フランス領インドシナやアルジェリアを貰えばよかったのに シュリーフェンとかいう低脳が思いついた妄想作戦を、実際に実行してしまったドイツの悲劇
シュリーフェンの後継者が、ことごとくシュリーフェンの手下だったのでシュリーフェン様のたてた計画に逆らえなかった どうして仲良し(?)だったロシアとの関係が悪化したのか…
3B政策という拡大路線がロシア(&英国)との対立につながる
「ボクも植民地ほしー」やはりそれが遠因かねー >>206
シュリーフェンの問題点はドイツに課された諸問題を軍事力だけで解決しようとしたことだろう。
もちろん軍事力は重要なんだがそれが全てではないわな。
クラウゼウィッツの名言「戦争は政治の延長」を忘れてる。
シュリーフェンは軍人として最善を尽くしたまでだ。
軍人は与えられた戦力で如何に軍事的成果を上げるかに注力すべきであって、
外交を考えるべきものではない。それは政治家の仕事だ。
ビスマルク死後のドイツにはその有能な政治家がいなかった。
>>207
ロシアとの対立はドイツがオーストリアに肩入れしたため、自然とロシアとの関係が悪化した。
イギリスとの対立は、海外植民地を得るために海軍を強化したのが原因。 >>208
政治家だけの問題というより、ドイツ帝国の軍事偏重(統一当時は極めて有効に働いたシステム)が、政治によるリーダーシップを許さなかった面も大きいと思う
ある一場面で最適解だったものが、後世では足かせになるのは歴史の必然で、そこで変化できないものは滅ぶってことかと
必然性がなかったこと筆頭は英独関係の悪化で、アレこそはヴィリーの大罪
海外植民地にこだわるとか、経済合理性の観点からも軍事合理性の観点からも「無駄」の一言でしかない
もちろん当時の価値観(植民地持ってる国が一流)からは思考が自由にならないのは仕方ない面があるけども ひたすら子作りに励んで政略結婚で欧米の王族どころか、アメの成り上がり実業家
あげくアジアの王室まで子供を嫁がせる。 >>209
政治のリーダーシップを許さないというより、その器がある政治家が出てこなかったことだろうな。
WW1の時は軍部が政治に介入したけど、これは政治を軍事に従属させたかったのではなく、
政治があまりにも頼りないから、そうせざるを得なかったというほうが正しいと思う。 大モルトケとビスマルクのコンビが最強だった。
大モルトケは政治に介入しなかったし、ビスマルクも軍事に口出ししなかった。
しかし…WW1の時に大モルトケがいたとしても、政治に介入しなかっただろうか疑問だ。
WW1の時はそれくらい政治がダメダメだった。
尤も、介入の有無に関わらず敗北しただろうけど。 そもそもロシアとハプスブルク、イタリアとハプスブルクは同時に味方にならないのにドイツがはハプスブルクを敵に出来ない時点で地政学的に詰んでる。
ロシアとの関係悪化はビスマルクがベルリン会議でロシアを抑え込んでビスマルク時代に三帝同盟は崩壊してたし。
そもそも植民地にしても中国やミクロネシア以外は要らないと言ってたのに取ったのは他でもないビスマルク。 ドイツ側からばかり見られがちだけどフランス側からすればドイツと戦うために後のロシアとドイツを挟撃出来るロシアを味方にするのは当たり前なんだよね。
ロシアの南下政策が失敗すればロシアとイギリスと関係改善されるのも当たり前で、ビスマルクは凄いけど延命に過ぎなかったと思う。
そもそも統一ドイツのポテンシャルって凄くて、特に2世即位後は経済的に躍進しまくってるから周囲から警戒されたのも仕方ない。 >>214
延命も何も、仏露と対立構造になるなら英と結べと
なんで率先して英と対立してんだよ意味不明 そもそも露独関係だって、本来は別に対立しとらんのに突き放したのドイツ側だぞ >>216
植民地欲しい→海軍強化→イギリスを刺激 >>218
最初の発想からして完全に間違えてて、その方法論まで間違えてるという悪夢 >>220
なんで?
当時すでに経済合理性の観点からは植民地主義は破綻しつつあって、さらに儲かる植民地は英仏に完全に押さえられてる状況で海外植民地求めるのが自然?
当時植民地がなければ経済的に問題が出たり、圧迫されるというなら理由もあろうが、実態は逆 不採算性が徐々に現れるのはWW1後では
それにこの当時、ヨーロッパは人口爆発の時代で、語句通りの意味で植民する場所として海外に領土を広げることに期待がかけられていた
熱帯のアフリカなんかとも思うかもしれないが、ドイツはナミビアに植民者を送って今でもドイツ系が暮らしているし
ケニアの高地地方はヨーロッパ人の別荘が立ち並んでたし、ジンバブエだって後に白人の大規模農園が作られることになる
日本が満州に領土広げてたのも戦間期だしね
もちろん、資源と市場の確保という産業界の要望も重要だ >>222
WW1前から、維持コスト高は指摘されていたよ
植民地主義の全盛期は19世紀だけど、その頃に資源の確保と市場の確保のどちらかを満たす地域は分割が終わっていて
ドイツやイタリアにはパイはなかった
残っていたのは内陸で統治コストと運搬コストが非常に高い地域か、もしくは資源が発見されていなかった地域
唯一の例外となったのは東アジアだが、ここは清や日本と言った現地に強力な権力が存在し、独力で植民地化するのは
当時のドイツでは不可能であり、英国やフランスとの対立を生むことになる
当時のドイツは東方(っつうかポーランド)に人口的余裕もあり、英国と違って外への人口圧力はそこまで高くなかったよ
WW1後は逆に外への人口圧力半端なかった >>222
それに、市場に関しては英国との協調による自由貿易に乗っかればよかったんだよ
ブロック経済による締め付けが現実化したのは世界大恐慌後の話で、当時の英国は自由貿易の守護者を気取っていた
もちろんそこには自国の優位に対する自負があったわけだけども
英国と対立したら、有力で巨大な市場失うんだよね
市場は別に自国支配である必要性がないから(プロイセンはそこを意識しながら経済発展したんだけどね) 植民地要らないと言ってたのに取ったのはビスマルクだし、手放そうとして手放せなかったのもビスマルクだからなぁ。
ホルシュタインが再保障条約を切って独英同盟目指したけど失敗したのも仕方ない。
ドイツ帝国自身がもっと弱くなければいけないが、普仏戦争に勝って統一した以上そうはいかない。 露仏に挟まれているという悪条件のもとでどう戦うかを計画・実行するのが軍人の務め
その悪条件を改善するのは政治家の務め シュリーフェンだって露仏同盟がなければこんな作戦を考える必要はなかったし、
露仏同盟の制約があったら大モルトケだってどんな作戦を考えたか分からないぞ。 >>205 普仏戦争のあとに清に勝つフランス なにげに強いな >>229
軍事的にはほとんどフランスの敗北だったけど、清が勝手にズッコケて棚ボタ式にフランスの勝利 フランス軍は弱いねえ
第1次世界大戦のフランスの名将ってペタンとデスパレくらいしかいないんじゃ? ペタンは有名だがデスパレはウィキペディア日本語版にも載ってない。
もっと評価されていい人物だと思うのだが… 頼りになる同盟国というのがない
オーストリアハンガリー
ブルガリア
オスマン
これではイギリスフランスロシアと対抗できない
戦争など無理だ和平協調だと考えなければいけなかった
よって俺がヴィルヘルムなら
オーストリアの皇太子が殺されても
ほっておく >>234 シュリーフェン作戦をツブしたんだから名将だろ >>236
サラエボ事件の頃には詰んでるんだよなあ…… 植民地は利益にならないとかいって
イギリスとかに差しだし
海軍の軍拡をやめて
イギリスの尻穴をなめる
こうすれば安泰 逆にドイツ君主として第一次世界大戦を回避できてたら
かなり特筆すべき名君と評価されたろうに >>242
ドイツが一次大戦回避してるってことはそもそも大戦起きてないってことだから、名君も何も評価の対象となってない だからオーストリアの皇太子が殺されてもほっておけばいいんだよ >>244
サラエボ事件の時点で国際関係的に詰んでるかれなんの意味もない
皇太子が暗殺されたから、参戦したのでもない 揚子江協定の時が最大のチャンスだった。
もっと詳細な英語、ドイツ語の文献を見てみたいけど結局ロシアの南下が鍵なのは間違いない。 植民地から撤退して
オスマンとの付き合いもやめて
イギリスや中東を刺激しない オーストリア見捨てて、ロシア・イタリア・トルコとオーストリア分割すれば
よかったんじゃなの?あとは、フランスは相変わらずハブっておいて 2世即位後でそれやるにはちょっと時代が進み過ぎてるようにも思うが >>248
チロル地方 イタリア
チェコスロバキア、オーストリア、スロベニア地方 ドイツ
トランシルヴァニア地方 ルーマニア
ボスニア地方 セルビア
シレジア地方 ロシア
ハンガリー 自主独立 >>248
それやると、オーストリアとフランスがくっついて、分前のない英国がそっちにつくから、ドイツとしては結局包囲される
史実よりはマシな程度 やっぱイギリスべったりしかない
当時のイギリスはやはり工業経済共に強力だから絶対に敵に回してはいけない
イギリス様の望むままの国家運営をする 太平洋戦争前の日本みたいだな
言うは易く行うは難し 大陸に強力すぎる勢力ができるのを最大限妨害するのが英国の基本戦略だから、フランスをその立場に追い込んで、英独協調路線というのが現実的だろうが
問題はフランスにやる気がないことだ 反米英に傾くとだめになると言うが
クリントンの時はアメリカのほうが反日に傾いていたわけだが >>240
フランスとは仲良くしたいけど、アイツが敵視してくるんだもん 有能すぎる軍部と無能すぎる政治のアンバランスが諸悪の根源 >>259
軍部も戦術面と兵站では優秀だったけど、軍政と戦略面、特に軍事力の有効な政治的アドバイスができていたかというと
全くできてないと思う
その点、英国はやっぱり優秀 中東が手におえず
投げ出したイギリスが優秀だって? 海軍とそれを支える物流は優秀だった
だが現代のインド人から
自分たち植民地の兵士を使ってなかったら負けていたなどと悪態つかれることになるが >>260
そこは士官学校で教えることではなく、参謀本部が考えるべき問題でもないからねえ >>263
本来であれば、政治機構に対する軍事的オプションの提案とその法的解釈は軍政部門のお仕事なはずなんだけど、どうもその辺は二次大戦の時も酷かったし伝統なのかな
(普仏戦争の時は完全に機能してたかに見えるのだが) 社会主義者への弾圧をやめてヒトラーの台頭を阻止していた >>264
WWUは寧ろ逆かな。
ヒトラーが作戦に介入しすぎ。
もっともその介入の内容が正論であればいいのだけれど、そうではなかった。
WWTは政治がグダグダすぎたので軍事が介入せざるを得なかった。
WWUの日本と同じかな。 ドイツの政治がダメになったのはビスマルクが偉大すぎたからだろうか? だから子作りに励んで、各国王室や貴族にどんどん子供を嫁がせるのだよ。
それこそ中東・アジア・アフリカまで。 ドイツが露仏に挟まれているのは政治の問題。
政治の問題は政治で解決すべきであり、軍人の出る幕ではない。
ただし軍人はその務めとして、露仏両国を相手に戦争になったときの計画を立てておかねばならない。
そこで考えられたのがシュリーフェンプランだ。これは軍事的には理に適ったものと言えよう。
しかし軍事的都合しか考えていないのが欠点、つまり白蘭の中立を侵犯することを前提にしている。
小モルトケの作戦変更で蘭侵攻は無くなったが白侵攻は残り、それを実行したから英を敵にすることになってしまった。 伍長閣下が当時いたなら、まずオーストリアを列強で分割して
再保険条約いかしたままフランス挑発して、フランスがベルギー侵攻
したように工作して、イギリスをフランスに宣戦布告させて
フランスを英独で分割、その後再保険条約破棄してロシアに攻め込んで
けっきょく敗北 >>270
結局負けるんかい!w
ってのはともかく、当時のオーストリアを列強で分割ってするほど戦前のオーストリアは(政治・外交的には)弱体じゃないけどな 軍事的にはダメダメだったけどね、東部戦線でロシア相手に
150万の兵を失った快挙を残してる >>270
カイザーの時代と伍長閣下の時代は20年から30年程度しか
離れていないにもかかわらず、政略結婚の感覚が完全に時代遅れに
なっている感が半端じゃないよな。
伍長とかスターリンの間だと政略結婚をやってお互いに友好関係をとの
発想が成り立ちそうにないもんなぁww >>273
それは時代の違いというより政体の変化だよ。
第1次世界大戦でも共和制のフランスは政略結婚はありえん >>272
イタリア戦線では墺伊双方ともガチで流血しまくりながらも善戦したがな >>275 あれはイタリアの司令官がひどすぎたというのもある まずイギリスを敵に回さないで、ロシアをなだめすかして、フランスに復讐を断念させる。
これを続ければドイツは安泰だったと思う。 そう
イギリスを敵に回すべきじゃない
これが鉄則だ ヴィヘルムは習近平だ
譲歩するなどはない
譲歩しないといけないがそれができなかった
それでイギリスと衝突を引き起こした ロシアが破れるのって、ピョートル包茎王が勝ってるのに和約したり、
ハゲの革命が起きて赤い国なったり、内部でグダグダにならないと
条件整わないよな まあ、普通にポーランドとやって何度か負けてるんですけどね
一番最近だと1921年
革命期だけど革命が原因の内部混乱で負けたわけではない ロシアはポーランドにモスクワ陥落させられて亡国寸前までいったからな ポーランド・ソ連戦争における赤軍敗退においてもスターリンとトゥハチェフスキーの確執があったようだ。 ロシアと再保障条約の更新の拒否とか、深く考えもせずに、軽い気持ちで決定したんじゃないだろうか? ヴィルヘルム2世やカプリヴィは延長したがってたんだけどな
ホルシュタインがどんだけ黒幕だったかってのがよく分かる件だわ
見通し甘いし、中途半端だから失敗したけどw 俺がゔぃるへるも2世ならまずは国中の美女を集めて宮殿を作り国が滅ぶまで酒池肉林を楽しむ。
後に三族が処刑されて子孫が絶えないように、子供を産ませた何人かの女は秘密裏に野に下し、誰にも知られぬようにして子孫を生かす。 もう露墺間の仲裁も限界に来てたのでしょ>再保障条約
現実は再保障条約破棄から露仏同盟に一直線に繋がるものでもない
ビスマルク体制末期からベルギーの金融を通じてフランス資本のロシアへの流入があり、ドイツの投資シェアを駆逐していったということもあるし、
共和主義を蛇蝎の如く嫌っていたロマノフ家がフランスと結びつくわけがない、という楽観論もあった
破棄した時点ではにロシアを親善関係に置いたままフランスの孤立を継続できるというのも一つの見方だったろう
フランスを宥められれば、ロシアと敵対しなければ、イギリスに挑まなければ
「もしも」は幾らでも積み重ねられるが、「もしも」の選択肢は現実的な選択肢と成り得なかったから今に至る過程を経たのであって
要は結果論ならいくらでも言えるので、なぜ現実はこの選択を取ったのか、を考える方が意義深いと思うのだけどね 海軍拡張して植民地拡大
アフリカやオセアニアで拡張とか
それこそ現実的じゃなかったと思うのだが それは国内向けの問題だよ
帝国主義全盛の時代に、なぜ自国だけ植民地と海軍力の拡張を放棄しなければならないのか誰も説明できなかったのだから
WW1の原因においては、植民地も海軍も主要因ではない
植民地での衝突から始まったのでなく、ヨーロッパ内部の対立が導火線となったのだから
アフリカの一角のために世界大戦を望むかと聞いたらイギリス人もドイツ人もNOと言うだろう >>289
その欧州内部の対立に、海軍軍拡・建艦競争による英国との関係破綻が大いに影響してること完全無視?
それで歴史的必然で押し通すには無理がありすぎる
そもそも合理的に考えて、当時のドイツに植民地を持つことの利益ってほとんど皆無なんだぞ イギリスとロシアが対立しつつある、という状況で、どちらかというとロシアの肩を持ったが、
日本がイギリスの全面バックアップを受ける一方で、ロシアは極東への膨張を煽ったのに開戦し、
ロシアが苦戦すると傍観を決め込むドイツへの不信感を増大させた。
「あんたが勧めたからやってみたけどうまくいかない、少しフォローしてくれよ」と打診するニコライ2世へのウィルヘルム2世の返事は
「確かに私は極東への進出を勧めたが、貴方にはそれを拒否することもできた」といったものだったという。
尾ひれがつけられてるかもしれないが。 ロシアの対ドイツ不信なんて昔から
植民地云々もドイツ植民地の殆どが植民地など要らないと言っていたビスマルクが獲得したこと、放棄しようとしたが無理だった事も忘れてはならない
歴史を知ってるからこそ、自分がヴィルヘルム2世になってもビスマルクでさえ無理だった事を出来るなんて自惚れは出来ないな >>292
植民地獲得そのものの批判より、「英国と敵対してまで」の植民地獲得に政治的合理性があったからという話なわけだが
焦点は「英国との対立」であり、植民地獲得は従 >>290
それはあくまで背景で、英独関係が破局に陥ったのはドイツ軍のベルギー侵入が原因だから
大戦前夜ですら具体的対立点が無いのに
二大同盟の構造的対立に至る一つのピースではあるが、七月危機下でイギリスは仏露と協調しての
対独強硬策より国際会議による調停を主唱したし、限定戦争であればイギリスが参戦しない可能性もあった
イギリスがドイツを完全に敵国としているなら、戦前外交でもそうした痕跡が見られるはずだが
歴史的必然などとはどこにも書いていない
あらゆる選択肢を取りうる中で、現在の我々より限定的な情報源と政治的調整に歪められながら
政策を決定しなければならなかった当時の為政者にとって、実際の歴史でとった選択は
制約も大きく簡単に覆せるものでも無いだろう、ということ
仮に利益が皆無だとして、当時の列強で植民地拡張を全く放棄できた国があったのだろうか >>294
一次大戦の決定的な事象だけ見て、これが破綻の原因だ!この状況から俺なら避けられん!
っやるの楽だけどさ(それ、仏印進駐が日本とアメリカの破綻の原因って言ってるのと変わらんし)
そもそも国際関係なんて、そんな状況になる前に改善しないといけない話なわけだが
建艦競争をすごく軽く扱ってるけど、英国にとって海洋覇権は自国の繁栄にとって決定的な要素なわけだよ
そこに合理性がほとんどない競争を仕掛けるってのは、対立してはいけない相手に対する無邪気極まる対応なわけだ
これ、後世の後付けではなく当の当時のドイツ内ですら言われてる話なんだけど? イギリスとロシアが対立した際に、なぜドイツはロシアの肩を持ったのか、しかも中途半端に。
これがウイルヘルム個人の気まぐれといった具合に結論され、案外解明されていないように思う。 >>295
決定的な事象によって帰還不能点を超えてしまったのだから、
それ以降の取りうる選択肢など殆ど無い
楽とは一体どういう意味なのだろうか
自分が後付けだと指摘しているのはそこではない
「イギリスを対立してはいけない相手」とする発想が、後世から見た結果論だと言っている
既に日米も海軍力で台頭しつつあり、イギリス一強体制は崩壊に瀕していた
既にイギリスの世界の工場としての役割は終わりを迎え
南ア一つ攻略するのを苦戦していたのだから、
例えばイギリスではなくアメリカとの協商関係によってイギリスを封じ込めるのも
一つの手であった(独米清協商構想) >>297
二次大戦と勘違いしてないか?
一次大戦勃発時の英国海軍の規模は、ドイツとアメリカ合わせたよりも大きかったわけで、まだ米国や日本は比較にならない規模だったわけだけど
(一次大戦で米国が一気に海軍力を増強することになる)
一次大戦後の日米海軍の台頭と一次大戦前の英国海軍の実力を混同してるとしか思えんが
英国を敵に回してはいけないというのは、単に英国が強大だから(のみ)ではなく、普仏戦争以来の仮想敵国フランスを牽制する
ためにも、露仏協商による絶望的な2正面作戦を回避するためにも、英国は懐柔しなきゃならない相手で、実際ドイツ政府もそのように判断して外交してるにもかかわらず、英国の決定的な利益を損ねる行動をしている矛盾が致命的って話なんだよ 本国艦隊を分散させるだけでも欧州外の列強が参戦することは重要だし、英国海軍は旧式艦も多く、
ドイツとアメリカの猛追の前に海軍予算は枯渇しつつあった
両海軍を合わせれば7割を超え、植民地との航路に依存する苦境は免れ得ない
英仏連合軍も大西洋の向こう側から米軍が来るなら状況は変わる
敵が少なければ少ないほど良いのはそうだろうが、英国が重要であればそれと同じくらいロシアも重要だったろう
英国外交での失策を現代の知識で断罪するのは楽だけどさ 英独の建艦競争はドイツが先に音を上げたというが。
ロシアは日露戦争での損害は回復していないし。
アメリカが一番に躍り出るのは一次大戦の後じゃないか? >>278
イギリスを敵にする気はないんだが、海外植民地は欲しい。
そのためには強い海軍が必要…だから海軍を拡大するんだが、これをやるからイギリスと衝突してしまう。 >>301
当時のドイツって、英国の核心的利益について単純に理解してない雰囲気あるんだよな >>302
モルトケ・ビスマルクのコンビがうまく行きすぎたのが大きい。
モルトケの方は参謀本部という組織だったから、モルトケがいなくなって下がったとはいえ高い質を維持できた。
でもビスマルクの政治はビスマルク個人の手腕によるところが大きすぎた。
なのでビスマルク引退後は政治の質は著しく劣化した。
しかもウィルヘルム2世の資質も大いに問題ありだった。
この為体だから、大戦が起きて長引くや参謀本部が政治に介入せざるを得なくなってしまった ポルトガルみたいに、イギリスちゃんと仲良くやってけば
細く長く植民地維持できたのにね
フランスをボコらした後、スエズ運河の株式と
アフリカ・インドの植民地とりあげてドイツ領にすれば
共存共英できたんじゃね? ポルトガルって…まさにソールズベリー侯の時に危なかったじゃん。 ポルトガルはそのツケを戦後たんまりと払う訳となった訳だがな。 中公新書の「ヴィルヘルム2世」読了
ヴィリー君ホントにダメダメ君主で笑っちまったわw
小物界の大物の称号がふさわしいw ・政治の質の低下
・ウィルヘルム2世の資質
・優秀すぎる参謀本部
これが問題 ドイツは国際情勢を読むのが下手な国なんじゃないかな
今のドイツはえらく中国に入れあげてるけど、あれにも危うさを感じる 第二次大戦前もそうだったな けっきょくアレもダメになったけど >>309
君主権が強すぎるので、君主が有能なときはチート級だが、そうでないとダメな国 ・優秀すぎる参謀本部
小モルやシュリーフェンが優秀とはおもわない
とくに第二次大戦中はクズ揃い
グナイゼナウ〜大モルくらいまでだろ ドイツの参謀本部は、作戦レベルと兵站(敢えて戦略(strategy)とは言わん)を単純拡張して戦略や外交判断する悪癖あると思う
単純に作戦と兵站だけなら優秀 「勝てない戦争はするな」とよく言うが
ビスマルクは「勝てる戦争もするな」と言う。
「強すぎるドイツはドイツ自身の為によくない」と言い、
ウィルヘルム2世を諫めてる 海外への伸長は産業界や国民世論の圧力があったから
ウィルヘルム2世独断の意思というわけでもない。 あの時代には植民地を持たないと生き残れないという
強迫観念のようなものがあった >>318
当時の報道とか書籍でも、植民地獲得への疑義みたいなのは結構出てたぞ ウィルヘルム2世のドイツと習近平の中国は似た立場にある
強すぎる中国の将来は興味深い 故ヘルムート・シュミット元首相は、生前、日本のテレビのインタビューで
「中国脅威論」について質問されて、
「中国は平和的な国です。アジアでは日本こそ脅威となる」
と答えていた。
ドイツ人の国際情勢に対する見方というのはどこかズレているんだよなあ… ビスマルクは日清戦争前に日本が勝つ、と断言して、
当初はドイツ内では「何言ってんだこいつ」というような扱いをされていたとか。
日本ではビスマルクをドイツの代表格のように認識しているが、ドイツでは異端児なのかも。 逆にイギリスは日清戦争前、日本が勝つと予測していたらしい
兵器においては劣るが、軍隊の練度と組織能力に関しては
日本の方が上だから勝つと >>319
それがメインストリームとなったことは無い
そんなこと主張するのは急進的な進歩主義者か社会主義者だけ 第一次世界大戦後、ポーランドが独立すると、
「ポーランドのような大国は植民地を持たなければならない」
といわれていたらしい
当時の雰囲気がどんなものかよくわかる >>324
なんだかんだ2次大戦までの英国の外交は神がかってるよ
軍事で英国面だなんだと笑われるけど、結局軍事は政治に従属するんだってのを体現してる
でもアメリカって基本外交下手くそ >>327
イギリス外交もアメリカ独立戦争では大失敗したな
まあ、失敗した分賢くなったのかもしれんが ビスマルク時代末期からロシアとの関係は危うかった説とかあるよね
ベルリン会議でイギリスの肩を持って逆恨みされたり
オーストリアとロシアが戦ったらどうすんの問題だったり ロシアが対決姿勢を強めるならドイツはイギリス側に舵をきるだろ、
それをやられるのがロシアにとって一番いやだから、ロシアも保障条約でなんとかドイツをロシア側に引き付けているんだし。
結果論だが、フランスだってイギリスを敵にしてまでロシアの肩を持つ気は無いことは日露戦争で示したし。 ドイツは統一時にはすべての国と利害調整して協力しうる立ち位置だったわけだが
一次大戦時にほぼすべての国を敵に回してるあたり、決定的に外交失敗してるんだよな
これ、反面教師としてとても貴重なサンプルだと思う 明治43年頃、日本の国際環境は非常に安定していた
周辺に敵性国家というものがいなくなる
明治40年に日露協商を結ぶ
アメリカとの移民問題も、高平・ルート協定で一応おさまる
日英同盟も健在
フランスとは日仏協商があり、中国との関係も悪くない
しかしこの安定した状態を日本は保てなくなり、やがて国際社会で孤立していく
少しヴィルヘルム時代のドイツと似たところがあるな >>333
敵性国家はなくなった代わりに超巨大キングボンビーを抱え込むことになった訳だからな。 黄禍論煽ってロシアの関心を日本に向けて戦争させたのはいいけど
日露戦争後にロシアの脅威が下がってドイツが包囲される環境を整備したヴィリー君わいはすきやで 日露に日本が負けてたらロシアの南進パワーが東に向き続けて
ヴィリーくん大勝利だった…? ビスマルクはロシアに不満を持たせても絶対にイギリスは刺激しなかった。
ロシアはドイツに不満を抱いて三帝同盟をいったん離脱したものの、結局は保障条約を再締結している。
ビスマルクもその辺のロシアの足元を見ていたのだろう。 ビスマルクの口癖は「死んでやる!」
普仏戦争後、ヴィルヘルム2世に自分の意見が拒否されると
ベルサイユ宮殿の窓から飛び降りようとしたらしい ごめん、間違い
ヴィルヘルム2世ではなく、ヴィルヘルム1世 ドイツはナポレオン戦争の時代に死ぬほど賠償金掛けられて領土削られて
フランスは普仏戦争で報復、その後第一次、第二次大戦と意趣返しの繰り返し ナショナリズムってやつはほんと厄介だな
いっそどの国も君主独裁だったら戦争も怒らなかっただろうに 君主国家しかなかった時代だって戦乱が起こりまくっていたし。 >>342
戦争を始めやすいのは君主制国家だろう
ただし、戦争を終わらせやすいのも君主制国家だと思われる
ナショナリズムが支配する民主主義国家の戦争は、始まると終わらせるのが非常に難しい 徴兵制で民主主義なら、戦争において、死傷者が増えれば、ベトナム戦争におけるアメリカのように、戦争への支持は減少する、さらに進化して反戦運動すら起きる。
君主支配で戦争において死傷者が増大すれば帝政ドイツや帝政ロシアのように革命が起きる。
戦争を終わらせるのは国家を構成する国民の死者を増大させ社会の維持が困難になる状態を作ること。社会が機能できなくなれば、戦争は当然できなくなる。 民主主義は少数独裁より報復的だ。民主主義の国民同士が戦争すれば、
王たちによる戦争よりも、よほどひどいものになるだろう。byチャーチル 王たちの世界大戦でロシア、ドイツ、オーストリア、トルコと名だたる帝国が崩壊したしなぁ ヴィルリーも回りの助言する人、部下がもっと有能だったら
歴史に悪名を轟かすこともなかったろうに
やっぱ責任の所在が曖昧な立憲君主制はだめだね >>344
民主主義体制の国家だとそこまでいかないと戦争は終わらんって話なんだよ
これが専制国家同士の戦争なら「割が合わない」ってレベルで戦争が終わることも割とある 逆説的だが、皇帝権限が強いロシアやドイツの帝政が倒れ、王権の制限されたイギリスが王権を存続できている。 国家による戦争という暴力か、無政府状態における無法者の無秩序な暴力か、の違いであって、
結局、行使される暴力の総量は変わらないのかも。 ヴィリーとしてはナショナリズムの監視があるから国内の民衆の人気取りしなきゃいけないという
うーん皇帝なのに世知辛い ヴィリーは小池に似てる
人気取りでコロコロ方針が変わるから ナポレオン戦争後の戦後処理であるウィーン会議はうまくいった
当時はまだ貴族社会が残っていたから
しかし第一次世界大戦後のヴェルサイユ講和会議は結局うまくいかなかった
民主主義社会だと大衆の声を抑えることが難しくなるから 民主主義の限界(衆愚化)を見据えないと民主主義社会の市民としてやってられない
民主主義のジレンマだからな
民主主義は絶対的なものじゃないし、専制や独裁は常に悪じゃない
チャーチルの金言は胸におくべき 専制国家北朝鮮は反日も反米も反韓もキムジョンウンの考え一つで終わる
民主主義韓国の反日は民衆的な感情だから終わりがない 19世紀のヨーロッパ人は、アジア・アフリカの植民地で、
機関銃を使って原住民を殺しまくっていた
しかし、その機関銃がヨーロッパ人同士の戦いで使われたら
どうなるか、ということまでは想定していなかった
第一次世界大戦でそのことを思い知ることになるわけだが >しかし第一次世界大戦後のヴェルサイユ講和会議は結局うまくいかなかった
>民主主義社会だと大衆の声を抑えることが難しくなるから
ドイツに抵抗する余力も意思もなく、英仏にはドイツを攻撃する余力がまだあったから報復できたんじゃね? あの段階でもし、ドイツにまだ余力があって「このような条件は呑めない」と席を蹴って、
それに対し英仏が「交渉決裂だ、さあみんなまた武器を取って戦おう!」なんて話になったら、
英仏の国民はまた武器を持って前線に立とう、という意思を維持できただろうか? 交渉は勝ってる時にやるものだ…だな
満州国の誰かが言ってたやつ >ヴィリーとしてはナショナリズムの監視があるから国内の民衆の人気取りしなきゃいけないという
いや、最後はナショナリズムもへったくれも、食うものがなくなって餓死者出てるのに戦争を続けようとして、
国民側が「ええ加減にせえよ」と革命おこされてるし。 >>361
それを言えばフランスでも大叛乱が起きている
アメリカが参戦してやっと勝っている 飢えている人間にとってナショナリズムは餓死の危機になんの救いにもならない。
飢餓こそがナショナリズムを抑止する最良の手段かもしれない。
ナショナリズムを否定する共産国家が国民を大量に餓死させる傾向があるのはその為だろう。 >>363
それを言えばフランス革命は凶作による飢饉と小麦価格の高騰から生まれたし
革命戦争も飢饉下で戦われているし
明治維新も天保飢饉が背景にあるし、満州事変も農業恐慌の影響を受けているのでは >>363
まあ、餓死寸前になればナショナリズム、マルキシズム、キリスト教も
すべての思想は放棄されるだろう
ちなみにイスラム教では餓死寸前になればブタを食べても許される >>365
残念ながら、飢饉が発生すると社会が不安定化し、より過激な思想を持つ宗教が勢力を伸ばす傾向がある
欧州でも、イスラム圏でも、中華圏でも同じような傾向
日本ですらそう 第二次世界大戦時にもふつうに生きてるんだよな、ヴィリー
拒否られて帰れなかったけど
やっぱ君主主義とナショナリズムは一致しないわ 飢餓の不安はあるが、まだ暴れる余力のある状態が宗教や思想が過激化する。
餓死者が大量に出ればナショナリズムの対外戦争よりも目の前の食料の略奪、そして飢餓をもたらした為政者の打倒。 >>367
空位の王座にヒンデンブルクが挨拶して議会開いてたんだろ
伍長閣下は王政が復活するとやりにくくなるから拒否しつづけてた フランツ・ヨーゼフ1世ですがどうしたら第一次大戦で勝ち残れますか セルビアの回答で手打ちにする。コンラートを首にするとか。 セルビアをじわじわ虐めて保護国にして
ロシアに革命がおこるまで粘る 現在の中国もそうだけど、しょせん、「遅れて近代化した国」は、
先に近代化して成熟した国には勝てないんですかね メフメト5世ですがどうしたら第一次大戦で勝ち残れますか イギリスと仲良くするしかないんじゃない
ロシアはもう無理だろ 再保障条約を拒否するんだったら、イギリス側に立つしかないのに、その辺の覚悟・認識が甘かった。 もうちょっとスペインが強い国だったらフランスを抑え込められたんだろうけどな
実質大陸のはじっこでいられるフランスの立地が有利過ぎる >>378
立地というけど
英国に常に牽制され続けるフランスの地勢はそこまで有利とも思えんが
近世以降に限定するなら、英国の立地はチートじみてるけども オーストリアハンガリー帝国が解体して、中欧の不幸が始まったんだよな
チャーチルが言ってる 実際オーハンがアウスグライヒ路線で成功すれば、
立憲君主制のユーゴみたいな多民族国家ができたかもしれんね 開戦前、ヴィルヘルム2世が小モルトケに「ロシアだけに参戦しよう」と相談したが、
小モルトケはそういうプランはないと断っている 仏露同盟はそんなに強くないことは日露戦争で示している。
フランスはロシアと同盟した、とは言えイギリスを敵に回してまで、
ロシアの肩を持つほどの覚悟はなかったことを示した。
結果論的だが、ドイツはイギリスとの関係を安定させておけば、
別にロシアとフランスが同盟を組んでもそれほど脅威にはならなかっただろう。 イギリスはスエズ運河を通してフランスと運命共同体だから
両者が敵対することはまずあり得ない >>384
フランスが困窮したら、スエズ運河会社買収してしまうだけの話では シュリーフェンプランはゴミ箱にしまって西では塹壕で持久戦して東で攻勢に出て
ロシア革命ひきおこせばオーストリア、トルコの主力が助かって第一次大戦勝てたのかな
まぁいずれは英国も参戦してくるのだろうけれども 西を速攻で降伏させるっていうのがもうダメ感あふれるプランよな
粘られたら終わりやん モスクワ落としても降伏するかわからんロシアと
パリさえ落とせば降伏してくれるフランスを比べたら西行きたくなる気持ちもわかる >>389
なお、自由フランスとして植民地中心に抵抗始める模様(一次大戦では知らん) >>389
フェルディナン・フォッシュ司令官は
「我等はパリを前にしても、パリの真っ只中でも、パリを後にしても戦うだろう」
と言ってるからパリが占領されても降伏するとは限らない
すでにシュリーフェンプランは時代遅れの軍事思想となっていた そもそもロシアの総動員を確認した時点で自動的に発動して、政治が一切介入できないとかヤバ過ぎるよな
しかもその発動条件であるロシア軍の総動員までの日数予測は昔のデータを参考にしてて
実際はポーランド周辺の鉄道網は急速に整備されていたので予想よりはるかに早く完了してたって時点で
もう完全に破綻してた それでも国力がダンチだからあそこまで戦えたけどやっぱ勿体無いよなあ
ビスマルク路線続けてれば今の中国アメリカに対抗できる一角になってた >>393
当時の国力で言うなら英国アメリカの二強でドイツはダンチというほどではない
軍事分野以外だと、金融資本なんかでは普通にフランスにも負けてる なんでその二強と正面から戦えたのかって
建国以来軍事に国力極振りしてたからだよ
粗雑な言い方になるけど、ざっとまとめればそう言う話 ロシアと英仏を同時に敵にする、という悪手は絶対にやらない。 ビスマルク路線というが、仮にビスマルクの後継者が外交を預かったとして
シェリーフェンの軍部をなんとかしないと結局二正面になりそう ドイツという国は統一しないほうがよかったんじゃないか
複数の領邦があるほうがあの国は安定するんじゃないかという気がする 統一されたから警戒されたと考えるとそれも一手かもしれん
防衛はドイツ同盟でできるし バイエルンがオーストリアハンガリー帝国にいたら
まだ分裂は免れたのかねぇ 南ドイツ4国がオーストリアについたら1200万増えて
人口6400万の内2400万がドイツ系になるから
かえって安定しないかも ビスマルクの体つきでヴィルヘルム2世の頭脳
それがヒンデンブルク 軍人でもないのに軍服姿が有名なビスマルクとかいうおっさん そういえばなんであのオッサン軍人コスプレしてたんだろ >>406
騎兵連隊の名誉連隊長だから
コスプレではない
なお、ビスマルクの写真ならブロックコートのが有名だろう 日本近現代史の話になるけど、1921年のワシントン会議のころにはとにかく日本は
世界三大海軍国の一つに昇格した
明治維新の元勲クラスからすれば、夢のような地位向上だから、金持ち喧嘩せずという
心境にも近づいたので、国際連盟に積極的に加入して、新しい国際秩序を支持しよう
という気になった
ところが近衛文麿のように日露戦争の前後に物心ついた世代にとっては、最初から
日本は列強の一つだったから、なんで英米の後ろについて3番目の地位で我慢せねば
ならぬのかという不満が出てくる
似たような不満が、ヴィルヘルム期のドイツ国民の間にもあったんじゃないのか 近衛辺りの世代だと日露戦争に勝ったのに賠償金を得られなかったことに対しても不満を持ってる訳だしな ワシントン会議だけどさ、主力艦保有率を米英5、日本3、フランス、イタリア1.67と
決められた
フランスやイタリアはよく文句を言わなかったなと思う
アジアの新興国である日本より下なんだからさ
実は建艦競争を食い止め、国家財政の危機を救ったという点では、日本が最大の
受益者だったんだが、近衛のような新しい世代にとっては、米英の風下に立つのが
屈辱だったようだ。自国の実力を客観的に見ることができなかったんだな 歴史改変ってよほどのことでなければ相当遡らないと同じような結果に行き着く気がする >>408 >>410
そんな貴方にフォース・ターニング といっても指導者の脈絡のない決断とか、うっかりとか、誤解とかに基づく歴史の分岐点はあるだろうし
そこは改変で分かれるんじゃない? 本来なら上の浜口雄幸辺りの幕末維新期の雰囲気を知ってる世代が近衛や東條のような失われた世代を抑え込まなきゃいけなかったんだけど戦前の混乱でいなくなってしまったからな 日本は日露戦争で軽く負けておいた方が良かったかも
ロシア内戦のときに満州への影響力くらい取り戻せるだろうし 日露戦争はそもそも満州の問題じゃないから負けたらどうしようもないんだが >>415
日露戦争の時負けてたら、満洲どころか朝鮮もロシアの勢力圏になり、日本本土にロシアの租借港がいくつかできるレベルなわけだが 第一次世界大戦でヨーロッパ諸国の雰囲気がすっかり反戦・平和主義に変わったのに、
日本はそれに気が付いていなかった 朝鮮が反日親露だからどうしようもないわな
日本は島国っていうけど対馬と朝鮮南部は滅茶苦茶近いし
でもどっかで軽く負けたほうが神風が日本を助けるから勝てるとかいうアホもでなかったかもしれないね 朝鮮に深入りした国はどこもロクな結果になっていないような
アメリカも朝鮮戦争で韓国を助けたけど、あの民族はそのことを
恩義になど感じていないしな 朝鮮戦争で利益を得たのは直接戦争に参加しなかった日本だけで、
中国は30数万人の犠牲を払い、
ソ連は西側から戦争の仕掛人と見なされて不信を買い、友邦からは援助不足を恨まれて
中ソ対立の誘因をつくった
「史上初めての勝利なき平和」に満足して引き下がったアメリカは、
その後同じパターンでベトナム戦争に深入りして苦い敗北を味わうことになる >>417
もしそうなっていたら、ロシア艦隊とアメリカ艦隊が
太平洋上で決戦していたのだろうか 英仏露との対立を回避したら
「弱腰のカイザーを下ろせ」って革命が起きそう いうほど当時のパワーバランスでロシアが日本に租借港作るか?
朝鮮とるくらいなら分かるが、結局ランドパワーのロシアじゃ維持できないと思うが >>425
日本が負けるってのは、ロシアの勢力がそれだけ海洋でも力を持つってことだぞ
なお、力がなかったから日本に(特に海洋では)大敗した模様 国際政治は冷徹な利害の計算だけで動くわけではないからな
今の中国や韓国を見ていればわかると思うけど、過去に他国から与えられた
屈辱感や、民族のプライド、承認欲求なども複雑に絡む
ドイツ人には過去に英仏から見下されてきたという意識と共に、
自国はこれだけ発展したのだから他国から尊敬され、認められて
しかるべきという意識があったのだろう ひとえに負けたって言ってもそれは負けたときの状況によるし…… >>428
日露戦争の「負ける」は、決定的に負ける以外の想定はないぞ
「負けずに粘る」のは日本の勝利要件なわけでな
日露戦争の場合は、大陸で陸軍が会戦で負ける>日本は戦闘ユニットをワンセットしか持っていないので、その時点で大陸大放棄>なんとか海で防衛する
こんなストーリーが最善
だとすると、講和時に幾つかの港に租借地設ける(当然対抗するために英国にも与える)ことになる可能性大 海で守れたなら日本本土に租借地はないのでは。
ロシア軍による日本本土上陸まで行ったならまだわかるが。 >>430
日本本土まで来られたら租借港どころか領土割譲だわ 日英同盟があるからどうだろ?まあたらればなんて熱っぽく語っても平行線だけどさ
ロシアが大陸で勝利するけど、日本海軍に阻まれて上陸できないって形で講和したんなら
日本本土の租借は無いんじゃないかなあ
イギリスからしたらロシアががっつり不凍港持つのは阻止したいだろうし >>432
大陸で日本軍が大敗した時点で本土防衛の戦力が極めて薄弱になってるから、強気で交渉なんぞできるはずもないので、
英国としては日本を頼れないって判断するだろうし、そうなると最低でも英露2カ国に複数港租借港用意するという悪夢の展開になるさね
基本的に清と同じ運命としか言いようがない 日本海海戦で日本が勝利してたんならロシアに租借港作る力なんてないよなー
脆弱なシベリア鉄道でどうやって日本本土まで出てこれるんだよ
朝鮮なんて獲るからそれ守るために満州が必要になって関東軍やら天津軍が暴走して・・・
負けて賠償金払うくらいで終わってたら良かったのにな
台湾くらいは残ったんじゃね >>433
いや清はロシアと陸続きかつ、イギリスら海軍国に負けたからああなったわけで
日露の時点で日本は聯合艦隊っていう国威の象徴を持っている
主権国家が海外に領土拡大したいんなら実際にその地に戦力を投射する実力が無いといけない
日本としても日本本土に租借地なんか到底受け入れられる要求じゃないしそれやるくらいなら徹底抗戦するやろ
イギリス軍がナポレオンに大陸で殲滅されたからってポーツマスを割譲するか?って話 海戦で日本を粉砕しなかったら朝鮮を保護国にするくらいだろ
ロシア第一革命の時勢だし 日本が大陸で負けてたら、日本海海戦で日本が完勝できる見込みはない(朝鮮半島の安全が確保できない)
かろうじて上陸は防げるだろう、くらいでしかないのよ その情勢下において、ロシアは日本に占領を投入できる可能性を持っているわけで、最善の負け方って、まさに最善でしかない
サハリンから北海道って可能性すらあるのよ?
(本州以南はともかく、北海道で当時組織的大規模に防衛戦できる戦力はなかった、全部大陸投入済み)
まあ、日露戦争で負けてたら明るい未来なんてなかったよ確実に アメリカの日本研究者のアンドルー・ゴードンが、日本は植民地を持たなくても
海外との貿易だけでやっていけたはずだ、と主張しているんだけど、
現実にそんなことができたのかな
現在もそうだけど、朝鮮半島経由の軍事的脅威が一定レベル以下に
抑えられて初めて、日本は安んじて海洋方面への発展を期することができる >>1
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ジャップの混血化を促進させて日本を南米のような混血だらけの国にさせて実質滅亡の状態に追い込むユダー
混血を増やすために英語や韓国語などの言語学習を奨励して、外人との結婚を容易にさせるユダー
また、サニブラウンなどのハーフのスポーツ選手を持ち上げたり、
テレビでは容姿端麗な白人やハーフを用いたりして、
外人やハーフに対するジャップの心証を良くしたり、憧れを抱かせて結婚するように仕向けるユダー
ジャップが混血との結婚や国際結婚をしないようにしなければ、
やがて肉体的や外見的に劣るジャップは外人や混血の中に埋没し、イジメられたりモテなくって結婚出来なくなり根絶されるユダよqqq
それに混血や外人がいるコミュニティーでは混血や外人の祖国に対しての批判的な言論が極めて難かしくなるユダからユダたちの根城の白人国家に対するジャップの恨みの拡大を抑える事が出来るユダよqqq
純血のジャップが根絶されたり減ったりすれば、皇室への忠義心や殉国する覚悟のある世論が支配的になることはなくなるユダから、大日本帝国の時のようにユダたちに歯向かうような正義の国家に二度と日本がならないようにさせる事ができるユダよqqq
行け!ポチども(メディア、政治家、企業)!総員出動せよ! ビスマルクはイギリスとは絶対に敵対しない、例えロシアを敵に回しても、というスタンスだったと思う。 ヴィルヘルム2世の鬱憤や不満の具現化がしたのがWW1
若い兵士として犠牲を払ったのがヒトラーやドゴールとかいった失われた世代 ナチスドイツがやったように中国軍を強くして、
ロシア(ソ連)を牽制するのも有りだったかな >>438
米英としてもロシアが太平洋に南下してくるのは阻止したいから、ロシアに日本本土の租借港を与えはすまいってだけで
日露で負けたら経済はガタガタ、民衆は暴動、まあお先真っ暗よね
そっから小日本主義にいくのか立て直して劣化版大東亜共栄圏になるのかは分からないけど
少なくとも天皇に主権がある日本が存続しただろうな じっさい東京の近くにまでロシア軍艦がきてたしな
海洋国家ってそういう意味でリスク高いわ
ましてや首都が海に面してる日本は >>444
そこに判断の差があって
日本を軍事的に信頼できないとなれば、米英が日本に圧力かけて、自分たちで直接牽制、すなわちロシアと同等の権利を主張するだろう、と言ってるわけさね
だから清国と同じ共同租界やら、すぐ隣に租借港設けるなどの対応に切り替えたろうって話
日本が軍事的に頼りにできないのなら、ロシアに与えないだけじゃ安心できない >>446
はえーイギリスが日本食うってパターンは考えてなかったわ、ありがとう
確かにブリカスだし何やってもおかしくない ただ、日本としては「決定的に負けずに満州で耐える」のが勝利要件だから、言われるほど勝ち目がないわけでもなかった
補給線が短く英国の支援も容易に得られるという地の利もあったし、米国の好意的中立の目処もあった
日露戦争はWW1以前の政治リアリズムの粋みたいな面もあったね 日露戦争直前に日本が軍事費ランキングで世界一になってた動画見たな
まぁ借金しまくれたのはでかかった
あと当時のロシアと日本じゃ人口で大差なかったしな ウィルヘルム2世は1914年の段階では実権は殆どなくて、
ほぼ官僚や議会の決定にハンコを押すだけのような感じだった、とも言われている。 >>66
>ドイツは大陸国家なのに海洋国家と疎遠になるとダメになる特異な存在。
今のドイツは反米感情が強いらしいが、これで中国とロシアにすり寄ったりしたら
目も当てられないことになると思う TもUもドイツ暴れさせて、ロシアと戦わせて泥仕合させたあと
アメリカがおいしいとこ持ってくパターン その辺は国際政治の常套手段じゃね?
ウィルヘルム2世もニコライ2世に対日強硬姿勢を煽って極東でロシアのリソースを消耗させようとして、成功したし。 >>455
その結果ロシアは極東方面では日本との協調を選び
ヨーロッ志向になってよりドイツと対立するようになるというオチ イギリス視点ではロシアに極東での冒険を煽るウイルヘルム二世はどう見えたんだろ? >>456 ただ、日露戦争でロシアが受けたダメージは結構大きくて、
開戦時、ロシア海軍は日露戦争のダメージをまだ回復できていない状態で、
バルト海の制海権はドイツ側が握っていたという。 ウィルヘルム二世的にはロシアが敵に回ったとしても、日本相手にダメージを受けていれば、
それほど脅威にはならないだろう、という計算があった・・わけがないか・・ ニコライ的にはウィルの奴、嵌めやがったな!と怒り狂ったんだけども、
拳を上げようにも、もうドイツ相手に争う余力が無かった。 ヴィルヘルム二世って第二次世界大戦の長期化を予測してたんだよね
理由はシベリアが遠いから これドイツ革命抑え込めてれば持久戦でなんとかならんかったのかの >>464
もうカイザーシュラハトで継戦能力使い果たしたんでないの 1901年に英独間で同盟締結を目的として交渉が行われた
しかしドイツの外交政策決定者たちは、イギリスが孤立を保ちえなくなったという
事実から出発し、その相手を論理的な消去法で考えた
ロシアはイギリスの主要なライバルであり、フランスはその同盟国であるから、
それらとイギリスが結ぶことはあり得ない
したがって、残るのは、ドイツと三国同盟ということになるのであり、イギリスは
遅かれ早かれドイツとの同盟を求めざるを得ない、というのが彼らの判断であった
当然彼らは、強い交渉態度によって有利な条件で同盟を締結しようとした
しかし、それがイギリスの政策決定者には「威張り散らすやつ」と受け取られ、
交渉の失敗の重要な原因となった
こうして、ドイツの政策決定者たちの誤りは、「すべての国の政策が論理と理論を
近年の歴史に適用することによって演繹しうる」と信じたことにあった >>466
演繹で言うなら、19世紀以降英仏間には決定的な利害対立はなく、些末な利害は(武力をちらつかせた)交渉において解決していた、という理解がなかったのかと思うと、絶望しか感じない イギリスとフランスが結ぶはずがないと確信するような「皮相的な論理的志向」に
よるところが多かったのであり、そうした考え方はドイツ外務省の高級官僚
ホルシュタインによって強く主張された
彼は外務省きっての理論家であり、人間嫌いであった
そして、外交を研究するのが一生を通じての趣味だったのである
しかし、人間と付き合うよりも書類による研究を好むというのは、ある種の官僚の
陥りやすいところである
その点で、専門家になりすぎた外務官僚は参謀本部の参謀と共通したところがある
彼らはペーパー・ワークにすぐれ、そのために現実から遊離してしまう危険を
持っている >>466
もし英独同盟が成っていたら日英同盟はなかったかな。 ビスマルク外交を継承されていれば英独同盟になっていたと思う。 >>471
どうだろうね
英国は大陸に強力な国を作りたくないのだからら相対的に弱くなるフランスに肩入れする可能性も高い イギリスはドイツよりロシアを警戒していたし、ビスマルクもそう仕向けた。 英国の伝統的な外交政策は大陸に強力な統一国家を作らせないというものだが、
日本の場合、最初から中国という巨大統一国家が存在しているよな
英国より日本のほうが外交はやりにくいんじゃね? 19世紀の段階では大陸側には既に強大なロシアが形成されてしまっており、
フランスと組んでクリミア戦争を戦ったわけだし。 >>475
日露戦争後のロシアの脅威度は割と大きく下がっており、特に軍事面での旧態さが目立っていた
相対的にドイツの強力さに警戒感が強まっていたことを無視できない
さらに、ドイツがアホなことに建艦競争仕掛けて英国の根本利益に挑戦するという途方もない愚をおかしてしまう ロシアに対日戦をけし掛けたウィルヘルムはフォローしてくれ、と打診したニコライに向かって
「貴方はやめようと思えばやめられた」とけし掛けたことを無かったことのように言い放ったという。
ニコライからすれば嵌められた、という思いであろうが、後の祭りである。 オスマントルコは参戦しなければ21世紀にも存在できたのかね ドイツの歴史家たちはそれまでヨーロッパに続いてきたような多元的な国際体系、
すなわち勢力均衡体系がやがて世界大のものとして、新しい形をとって現れると考えた
これらの歴史家はランケの影響を強く受け、ほとんどすべてがその後継者をもって
任じていた
それゆえ、彼らはそれぞれ異なった個性を持つ国家が複数存在し、それらが均衡しつつ
国際体系を構成するのがよいと考えたし、またそうなると思っていた
その過程での問題は強大な海軍を有し、世界における優越を誇っている大英帝国である
ドイツの海軍力の強化も、上述の論理からイギリスの海洋における優越を打破する
ためのものとして正当化された 日本の場合はまさに中国をどうするのかというテーマへの統一された外交戦略が存在しなかったのが失敗の一つ
軍閥でバラバラになってる中国をバラバラのままにしておけば日本は安泰だった 汪兆銘政権を押した際には旧北洋軍閥勢力を南京政権に統合させていたと思う。 >>451
だってヴィリー君に情報あげると必ず余計な事するし・・・ >>480
日本には中国による世界秩序(笑)を望む厄介な勢力がいるからな。 ドイツとしてはイギリスに勝とう、とまでは無理なので、
牽制するくらいの海軍力は持っておこう、と建艦競争した。
ビスマルクだったら絶対にやらなかっただろう。 日本の場合、いまだに東アジア共同体とか言っている人間がいるから… >>485
ドイツの理論家たちは勢力均衡の原則に従って、ドイツ海軍はイギリス海軍と
戦うことになっても同盟国には事欠かぬだろうと考えていた
イギリスの海上での優越に対して各国から反抗がおこるであろうことについては
彼らの間で意見の一致が見られた
ランケ的な意味でのヨーロッパの勢力均衡の世界への投影はまことに徹底していた >>484
正確に言えばアジア主義者だな
日本主導でNATOみたいな東アジアのグループを作りたがってたけど
まあ帝国主義組と相性が悪かった まぁマルクスレーニン主義を掲げる一党独裁の国を含めようとするのはちょっと無理だろと思う 日本のアジア主義者には、中国が「対等な同盟関係」というものを
認めない国だということを理解していない連中が多すぎ イギリスに対抗したいならロシアにダメージ与えるような施策はしない。
寧ろロシアと組んでイギリスに対抗しようとするはずだが、
ビスマルク以来、ドイツはイギリスに譲歩してロシアの反発を買うことをしている。 ロシアはオーストリアと決定的に対立してるから
イギリス以上に無理だろ
オーストリア捨てるのは無理だしな なんならオーストリアから領土取ってたら
オーストリア分割のためにロシアと協調できたかもな
そう考えるとオーストリアって滅茶苦茶キーマン >>493
盛夏戦前のオーストリア・ハンガリーはポーランドのように簡単に分割できると思われるほど弱いと思われてなかったから、机上の空論だよ ロシアの反感をかってもイギリスの歓心をかう、
というビスマルクの方針がウィルヘルム二世になって変更されたのだろうか。 ロシアを陥れて反感をかい、イギリスに対抗し、オーストリアは捨てられない、
というスタンスでは一見、展望が見えないんだが。 イギリスを刺激しない、というビスマルクの方針が間違いなかった、ということか。 イギリスって海軍は強いだろうけど陸軍はそんなだろうし
いうほど刺激しない必要あったのかなあ?
むしろロシアとの対立が致命傷のような いずれドイツはロシアとは対立する、その為にはイギリスを絶対に敵にしてはならない、という目算じゃないか?
またロシアもイギリスと険悪なのにさらにドイツを敵に回したくないので、ベルリン会議でドイツに嵌められても堪えて再保障条約を結んだし。 ロシアの目標は東欧・バルカンなんだからどうやったって対立する
それに比べるとイギリスとドイツは直接的な利害関係が少ない >>499
当時の物流と金融を完全に牛耳っていたのが英国だから
軍事力はもちろん、それ以外の分野の方が英国敵に回すとひどいことになる
ロシアが英国に対抗できたのは、あの広大で後背の憂いが少ない国土ゆえのこと ウィルヘルム二世は日露戦争の後、「ロシアは最早脅威ではなく、これからはイギリスと対峙しよう」と考えたのかな?
ビスマルクが生きていたら「おいおいちょっと待てよ!」と突っかかってきそうだが。 英露協商が結ばれて逆にロシアがイギリス側についてドイツと対峙する、
というビスマルク的には全力で避けていた状況をウィルヘルム二世は完成させた。 まあ日本ごときに負けるならロシアにドイツなら楽に勝てると思うのも確かに自然な考えか 日本はイギリスのバックアップを得てロシアに勝ったが、
ウィルヘルム二世は弱体化したとはいえロシアとイギリスを相手に同時に戦う、
という離れ業をやってのけた。 でもドイツがなくなっちゃうとこんどはロシアとフランスがガチになるから
それはそれで困るんだろうな オーストリアに全面的支援与えちゃったのがやっぱまずかったよね
留保つけたり慎重な行動するよう圧力かけられてたら違ってた 日露戦争で敗北したロシアがイギリス相手のグレートゲームを放棄して協調路線に入ったので、
ウィルヘルム二世はロシアに代わってイギリス相手にグレートゲームを志向したのかな? >>490
寧ろ中国に隷属すべきだって連中もいるからな ドイツの政治家たちはシュリ―フェンプランについて知っていたが、
ドイツがベルギーに侵攻してもイギリスが介入してこないと思っていたんだろうか? >>511
中国が核実験に成功したとき、竹内好は理性的にはこれに反対しながら、
「理性を離れて感情の点では、言いにくいことですが、内心ひそかに、
よくやった、よくぞアングロサクソンとその手下ども(日本人をふくむ)の
鼻をあかしてくれたという一種の感動の念のあることを隠すことができません」
と告白した
日本のアジア主義者の間に、こういう感情はいまだに残っているのかな >>513
少なくともヴィルヘルム2世個人は英仏露を同時に敵に回すのは回避したかったようだ。
大戦直前に入ってきた「ドイツ軍がフランスに侵攻しなければイギリスは中立を保つ」という誤報を信じるくらいだから。 英仏露で三国協商が結ばれている状態にまで持ち込んで、
「英仏露同時に敵にはしない」とかほぼ不可能じゃね? 大モルトケをギロチンにかけることが先だろ
ナポレオン三世をセダンに捕虜にした段階で詰んでる
ドイツは普仏戦争の圧倒的戦勝に滅び
ナポレオンはアウステルリッツの伝説に詰んだ
モルトケもナポレオンも負けていい戦で取り返しのつかない圧勝した
モルトケはフランスがドイツに手を出したら割にあわないと思い知らせるくらい苦しませて負けりゃ良かった
ナポレオンも全く同じ
勝ってもいいがあんな戦史に輝く圧勝だけは絶対してはならなかった
ナポレオン三世残しとけばフランス国民は帝政終わらせるのに満足でドイツなんかどうでも良くなった 普仏戦争のフランスの恨みを封じ込めるべく、ビスマルクが外交手腕でフランスを囲い込むことに成功した。 フランスに北ドイツ連邦が負けてたら南ドイツは独立国だったか
いや、開戦時点でナショナリズムに火はついてるしドイツに残るか
まあどっちにしろビスマルクの失脚は間違いないね >>520
ドイツに残るも何も、ドイツという概念とプロイセン主導のドイツ帝国への参加ってのは似て非なる概念だし
オーストリアに至っては、ドイツの中心とはハプスブルク=オーストリアって認識だったわけだしなあ 南ドイツ、オーストリア、チェコ、ハンガリーめ南ドイツ連邦でも作れてればな 実力以上の勝利は敗北なんかよりよほどたちわるい
敗北は取り返しがいくらでもつく
実力を凌駕する勝利は取り返しがつかない
断崖絶壁に登らされておっこちる
ほぼ百パーセント
日清日露で勝って底無し沼の大陸進出に追い込まれる日本
アウステルリッツで神聖ローマ帝国解体したが故に、
ドイツでオーストリアをプロイセンをロシアをもぐら叩きせざるをえなくなったナポレオン
全くそんな必要ないのに
どっかが出たら他の二国と組んで叩いてドイツの覇権から距離取りゃ良かったのに
ナポレオン三世を捕虜にしフランスの恨みから逃れられなくなったプロイセンドイツ
モルトケ、ビスマルクは縛り首
ロシアを敵にするな、イギリスを敵にするなという前に、フランスを敵にするな
馬鹿なんじゃないの?
モルトケ、ビスマルク
ちょっと負けてフランスと手を組んでイギリスを牽制する
ロシアに対抗する
なぜそれができなかった
今やってるヨーロッパ統合を何故やらなかった フランスがドイツに過剰干渉してボコボコにされて逆恨みしてるだけじゃね? >>524
ドイツ統合は(オーストリアと)フランスからの介入を決定的に排除しないと達成できない
机上の空論どころか現実すら見ていない疎論
お話になりません 要するにドイツなんて存在しなければよかったってことだな! ドイツ>イギリス・フランス>>アメリカ>ロシア>>オーストリアハンガリー・イタリア>トルコ>セルビア>ブルガリア>>>ルーマニア ドイツ帝国が無くても世界大戦は起きたろうけど、だいぶ規模は小さくなってそう
イギリスがプロイセンないし北ドイツ諸侯と敵対する理由が無いしな モルトケ、ビスマルクが必要のない勝利した人間の屑なのは紛れもない事実でしょ
ドイツとフランスが何で死に物狂いの戦争してんだ、馬鹿じゃね
組んでヨーロッパの主導権握りゃ良かった
日本とアメリカで組んでアジアの赤化防げば良かったのに、太平洋戦争してる日米もキチガイだが >>530
リシュリュー以来、フランス最大の仮想敵はドイツで、常に統一しないよう介入し続けてくる相手と「組んで主導権」とか荒唐無稽通り越して戯言の域なんだけど、病院行った方がいいんじゃ? ドイツ統一しないと、いろいろ手を突っ込まれてカオスだから統一目指すのは仕方ない
オーストリアに勝つ必要はあった
フランスにはドイツに手を出したら痛い目に合うぐらい気づかせる損害与えりゃ負けで良かった
辛勝でも良かった
戦争勝っても負けても後はフランスよいしょしまくり
尻を舐めていれば良かった
全力で抱きついてフランスドイツで中央ヨーロッパを一蓮托生にしてりゃ良かった
圧勝するとかあり得ない
皇帝捕虜にするとか何の悪ふざけだ
フランスを敵にしてフランスを孤立させ、ロシアやイギリスと綱渡り外交のビスマルクが外交の達人とか
対仏戦争を練りに練るドイツ参謀本部とか全員麻薬で脳がいかれているのか
冗談だろとしか 日本は日清には勝っても日露には負けてイギリスやアメリカに極東に介入してもらい柱の影に隠れる以外の選択肢はない
坂の上の雲だとか
ふざけてるのかお前ら
アウステルリッツでフランスが負けるか引き分けならナポレオン帝国は長く続いていた
太平洋戦争でぼろ負けしたから日本は超大国に 結果論なら何とでも言える
「フランス併合してヨーロッパ帝国作って英露叩いて超大国になる!」と同レベルの与太話だな
「ぼくのかんがえたさいきょうのどいつ」は出来ない時点で無意味、
どうしてそうならなかったのかを省察するのは有意義だが
こうすりゃ良かったという自分のエゴを歴史にぶつけても、で?としか言いようが無い 要約すると「ドイツは恨まれなくなかったら崩壊しろ」って結論だろ。 韓国人の「日本なんて無ければ良いんだ!」というメンタリティに近いものがある。 普通にビスマルクとモルトケ出た後ではドイツは手の施しようがないわな
日露戦争勝った日本が詰んだように 中国を巡ってソ連と対立しながらイギリスやアメリカと中国の覇権争いをする
背中のフランスを敵にしながらロシアやイギリスと帝国主義の角逐する
坂の上の雲の面々もビスマルクも自殺行為の取り返しがつかないことやってドイツも日本も詰んでる
首に縄をかけてぶら下がって
それを一代でやったのが世界史最高の馬鹿、ナポレオン・ボナパルト ツンデルツンデルってビスマルクやモルトケにケチをつけられる大層なお方でwww 普仏戦争のとき、何でわざわざドヴェルサイユでヴィルヘルム1世ドイツ皇帝の戴冠式なんて行ったの?
あんなんフランスがキレるに決まってるじゃんって思うんだけど >>524
EUだってうまく言ってるとは言えないんだからそんなん無理だわな。 >>540
あれはビスマルクが大反対したけど、抑えきれなかったパターン >>527
イギリスはハノーヴァーとオランダを併合して
北海をイギリスの湖にする
フランスはベルギーとラインラントを併合
オーストリアはバイエルンとバーデンを併合
プロイセンとザクセンだけのドイツ フランスを敵に回すビスマルクの政策がドイツの致命傷なのは明白だし
巨大な隣国を完全に敵にして、何しても言い訳できない
元々はモルトケのしでかしたことだし
普仏戦争では部下に反乱起こさせても戦争に負けるべきだった
皇帝を捕虜にするとかプロイセン軍全て打首だろ そもそも仏国と対立・対決するのが根本的にも戦略的にも誤り
弁解のしようがない
後のことはどうでもいい ナポレオンはドイツでオーストリアプロイセンロシア互いに争わせ自分は引っ込んでて
黒幕で裏で操りながら勢力均衡図りゃ良かったわけで
アウステルリッツに勝ち、出てくる勢力出てくる勢力と戦い地の果てまでかけずり回った阿呆
ロシアに無様に負けて泣きついてイギリスアメリカ引き込んでロシアやソ連から中国守ってもらえば良かっただけなのに
日露戦争で勝ち、自分で中国進出し、ソ連の矢面に立ち、イギリスアメリカを怒らせ敵に回した頭のおかしい日本
歴史は馬鹿しかいない
普仏戦争もアウステルリッツも日露戦争も絶対勝ってはいけなかった
太平洋戦争で日本を敵に回して中国失ったルーズベルト含む
歴史は馬鹿しかいない
ビスマルクは馬鹿の中の馬鹿 ビスマルクが一番パワーオブバランス理解できない幼稚園児
これが歴史の真実 ビスマルクの対仏孤立化政策が成功していた事実無視して言いたい放題なあたり、真正かお騒がせか微妙な感じだな ドイツの立場として、背中のフランスを本気で怒らせたら恨まれたら、どうやっても処置なし
詰みなんだから
ビスマルク・モルトケが戦犯
これは動かしようがない とりあえずそんなビスマルクにお前自身は足元にも及ばないんじゃね? 実際ビスマルク戦犯論は社会主義者・共産主義者が唱えてて有名な論だよね
っていうか有名なビスマルク伝はそういう立場から書かれたものが多いし
「プロイセンの軍国主義にドイツが征服されたのだ」的な 国家・民族の力ぶつかり合いにおいて遠慮・手加減しないのは愚かだった、なんて評論左翼系の学者だってあまりやらんだろ。 いや、バルト系じゃね?リトアニアと同じ系統で異教徒だったので
それを口実にドイツ騎士団が侵攻して征服して出来たのがプロイセン。 >>556
プロイセンを「プロイセン」って地域でくくるの根本的に誤りで、あれ実態は「ブランデンブルク」だろ
単に北ドイツ東方の有力ドイツ諸侯が強大化したもの プロイセンっていう地域はメーメルからダンツィヒあたりまでのバルト海沿岸だけでしょ ビスマルクもモルトケもヒンデンブルクも皆バルト顔だわな。 >>559
ビスマルクは旧ザクセン選帝侯領出身なわけだが モルトケはメクレンブルク=シュヴェリーン公国出身だから
先祖はひょっとしたらスラブ人だったかもしれん ベルリンだって大昔にはスラヴ人の集落だったしドイツ東部の出身ならスラヴの血は多少入ってる人間の方が多そう ゲルマン人はユトランド半島周辺が本拠地で
ドイツの大部分は古代にはケルト人が住んでいた
南ドイツ高地ドイツはケルト人の本拠地だった
ポーランド南部ガリチアはその名のごとくケルト人が住んでいた
ボヘミアはケルトのボイイー族の国で
シレジアはシリング・ヴァンダル族の国だった
ヴァンダル=ヴェンドでスラブ人 プロイセンという呼称自体、当地のバルト系民族の「プルサイ」から来ている。 南ドイツは観念的でユダヤ陰謀論とか過激な思想が生まれやすいが
その分限界は弁えていて自制できる
しかし北ドイツ人は観念的な発想はできないがファナティックになりやすく
残虐行為に抵抗はない
てなことを誰だかドイツの戦犯が語ってたな
誰だっけ ヴィルヘルム2世はパリを訪問したがっていたのだが、
フランス側が決して招待してくれなかったのだとか ドイツ騎士団がバルト系住民を異教徒だからと虐殺しまくって出来上がったのがプロイセンで、
ドイツ騎士団の残虐ぶりにドン引きしたリトアニア王はカトリックに改宗してポーランドと連合王国を形成した、
という経緯がある。 厳密に言えばブランデンブルク選帝侯アルブレヒト・アヒレスの孫にあたるアンスバッハ辺境伯のアルプレヒト・フォン・ブランデンブルク=アンスバッハが1511年にドイツ騎士団総長に就任し、
1523年支配下の騎士とともにルター派に改宗し1525年にドイツ騎士団を解散させ、ホーエンツォレルン家が世襲する世俗国家プロイセン公国を創設し、自ら初代プロイセン公に就いた あれじゃろ浸透強襲した兵士を支援し補給できる装輪トラックと自走砲みたいなのが一杯あったらカイザーシュラハト勝てたんじゃろ EU2初めてプレイした時あのブランデンブルグがドイツ帝国になるのかと感動した 世紀が変わってからドイツを訪れた人々は、そこに成り上がり者で
成金的な尊大さと野卑とを見た
軍人たちは社交界でもてはやされたので、常連となった
またベルリンのホテルで、騒々しく飲み、決戦の日DerTagに乾杯する若い軍人と
青年たちの姿がよく見られた
モルトケ時代の勤倹で、折り目正しく、厳格なルター的参謀本部は遠い過去の
ものであったし、シュリーフェン時代にあった修道院的献身の雰囲気も
彼の死とともに消滅した
職業的な効率の高さは驚くほど残ったが、しかし、モルトケ時代の鉄の自己規律と、
どっしりして動揺しない自信は失われた デンマーク戦争、普墺戦争、普仏戦争と戦勝続きで戦えば必ず勝つという自信もあったしな モルトケの美点のひとつは厳しく自省する能力にあった
ケーニヒグレーツの大勝利の夕方にも、彼は腹心を集めて、作戦の問題点を反省した
しかし、その彼といえども、あいつぐ勝利によって高慢になるのは避けられなかった
たとえば普仏戦争のある局面で、ドイツ軍の一部は参謀本部の指令通りに動かず、
それが偶然大勝利につながるということがあったが、反省はなされなかった
こうした奢りが1871年以後のドイツ参謀本部にはみられ、そのため南北戦争、
1877〜78年のバルカン戦争および1904年の日露戦争から得ることができたはずの
戦訓が無視された
すなわち、鉄道の発達によって大兵力が用いられるようになったことは、
短期決戦の時代をもたらしたとは限らず、ライフル銃や機関銃など歩兵用火器の
発達とあいまって、戦争を持久戦にさせるものであることが見失われた そこに成り上がり者で成金的な尊大さと野卑とを見た>同時代のアメリカも同じ感じじゃね? 当時の日本もそうやで
弱い所を隠すために粋がってしまうのは人間の本能やなって >>575
>>576
流石に当時の日米は日本人(アメリカ人)は世界一優秀なのにそれに見合った領土も
国際社会での地位もないのはどこかの国が日本(アメリカ)の悪口を言いふらしているからだ
なんて被害妄想は抱いてはいないんじゃない? 第二帝政期のドイツ社会では、物質的繁栄が実現し、半世紀に及ぶ平和が続いていた
総じて、帝政期のドイツ人は自信に満ち、楽観的だった
ここ一世代の間にいかに急速に生活が豊かになったかを顧みるなら、
むしろ当然の心情だっただろう 二次大戦と同じルートで侵攻してたらダメやったのかな
装甲部隊ありきかな ヴィリーは逆子で力が入らない片腕を電気ショックで治療しようとしたり、ヴィリーと近しい世代のオーストリア皇太子ルドルフは
最初の教育係が軍人上がりで軍隊式のスパルタ教育やったから神経質になったとか、
ジョージ6世も吃音症は幼少時のスパルタ教育が原因とか当時の王族の教育はスパルタ教育が主流なんかね? オーストリアは英国と同盟すべきだったろう
そうすりゃスエズ運河使わせてもらって海外進出できたし、大戦でもドイツボコって神聖ローマ復活出来た オーストリアは英国に裏切られたと思ってるから・・・(マリアテレジア) 結局ドイツが警戒されまくってる時点でかなりの難易度だよね
ビスマルクが勝ちすぎた
現代でいうと中共みたいな国が欧州の真ん中にあるようなもんだし >>585
殆ど内陸国のオーストリアとイギリスでは利害地域が遠隔すぎて連携が成立しないのでは
オーストリアはバルカンに関心を持っているが、イギリスは地中海の保全が目的なので
ギリシャや海峡部に影響は及ぼせても内陸のセルビアなどには影響を及ぼせない
オーストリアから見て逆も然り、イギリスがオーストリアを味方につけたところで、地中海の大勢に影響は及ぼせない
英仏協商以前のイギリスから見れば、地中海で警戒すべきなのは第二の戦力を持つフランス海軍だが、
これに関してはイタリア、オーストリアと地中海協定を結んで抑え込んでおり、これ以上の接近は特に必要の無い状態
また、例えばロシアやドイツをイギリスと挟撃する場合を想定しても、オーストリアは単体で戦線を開くのは厳しい
1848年革命を見ても、ハンガリーの反乱を同盟していたロシア軍を使って鎮圧しているし、
あるいはWW1でもドイツの全面支持が無ければ列強と衝突するおそれのあるセルビア戦に踏み切れなかった
例外は普仏戦争でオーストリアがフランスの誘いに乗った場合だが、結局未遂に終わっている
内部認識として隣接する陸軍大国(ドイツかロシア)との同盟と軍事支援をオーストリアが切望する以上、
英独墺同盟とかならともかく、英墺二国間の同盟は難しいだろうと思う ぶっちゃけドイツにとってオーストリアって無能な味方って意味で邪魔だよね
こいつのせいでロシアとも敵対するし >>589
国内統制の意味で、強くオーストリアを敵に回すのも難しい
バイエルンやザクセンあたりを引っ掻き回されると国内がろくなことにならん
ドイツにとってオーストリアは軍事的には頼りにならないが敵に回すと内政が混乱する厄介な相手 >こいつのせいでロシアとも敵対するし
再保障延長拒否はオーストリア関係なくイキりドイツエリート層のガイジムーブじゃないの? >>589
オーストリアが無くなると、ますますドイツの欧州大陸での地位が浮上するので
英仏露の警戒感が高まってドイツの孤立が深まる
またスラブ人をオーストリアが曲がりなりにも統合している状況を維持するのは
ポーランド人を抱え、ロシアと隣接するドイツとしても望ましい状態なので、
これ以上オーストリアの立場が弱まると、ドイツにとっても不利益 まずロシアぶん殴って降伏させれば
オーストリア軍主力が壊滅する事態も回避できるので
好きなようにセルビアやイタリア相手に泥沼の消耗戦させられるねやったね ロシアのような大国は攻撃してもツブれない
自滅するのを待つしかない
トインビーもそう言ってる 実際政情不安すぎる国なんだから正面から開戦せず反政府勢力を支援が正解な気がする 明石の工作はあまり成果はなく、明石の吹かしやそれを真に受けた司馬遼の坂の上の雲のくだりが
日本だけで広まったんじゃないっけ?
大粛清をナチスドイツのSDの手柄としているみたいな。 >>597
明石に当時としては巨額の資金を与え、反政府勢力に提供したのは史実
それによりロシア政府が警戒し、軍の動員や物資の輸送に影響を与えたのも明らかになってるから
細かいフカシやレーニンに会ったかどうかはともかく、工作に一定成功していたのは間違いない ビスマルクの後継者がヴィリーの代わりにかじ取りしていたらどうなっていたんだろうな ビスマルクの後継者=ビスマルクの後任って意味なら
実際その意向通りにヴィリーは踊ってたに過ぎないんじゃないの?
ビスマルクの後継者=ビスマルクの対外政策を受け継ぐものという意味だったら違うだろうけど 似たような憲法体制だったのに
日本の立憲君主制とプロイセンのそれは大違いだな
後者は素人が政治に口だししてきた 皇帝に権限あるけど、日本だと元老院 ドイツだと首相が助言して実質形式化してた
民主主義が成熟してないから皇帝に強大な権限をもたせて、能力ある指導者がいればものすごく有効に機能する体制
日本も明治の元勲の大物が消えて、ドイツもビスマルクがいなくなったら
権力が暴走しはじめる時限爆弾つきの国家体制 独露再保障条約は実際どこまで延長できたんだろうか? >>589 ボヘミア伍長がこのときドイツ首相だったら、迷わずオーストリア解体するだろうな >>611
流石に大戦前のハプスブルクの威光は健在
ドイツ国内の大ドイツ主義へのアレルギーも強烈なので無理 とりあえずロシアと付き合わない、これを教訓にできないバカが二人おったけどな(シュレーダー、メルケル) 犬猿の仲の独仏が三国干渉のときだけ仲良くしたのは未だに不可解 ドイツ帝国時代のカトリック教徒ってどんなポジションだったの? ドイツも昔は王政だったんだよな
ヒトラーや東西ドイツの時代とか見てると王政の時代があったなんて嘘のように思えるけど >>613
フリードリヒ大王の有難いお言葉
あの東方の野蛮人(ロシア人)との友誼を何よりも大切にせよ >>619
ヴィルヘルム二世、シュレーダー、メルケルは対等に付き合おうとしたのがな ビスマルクはフリードリヒ大王の言を忠実に守り、自身いつもロシアを友とせよを座右の銘としていた
要するにフランスとロシアの二正面は絶対やめとけ、やるならフランスだけにしとけということだが、現在NATOとして仏独同盟がなった以上ドイツに東方の蛮族を友とする必然性はなくなった ヴィルヘルム2世は政治に失敗したが、
当時のドイツ国民や若い将校の多くはイケイケムードだったので、どちらにせよ植民地の拡大は避けられなかったと考える
ビスマルクのように真に外交をわかっている人間は少なかった
国家が拡大せずにはいられないので、イギリスとの対立は不可欠だった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています