お前らがヴィルヘルム2世だったらどう政治する?
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史実のヴィルヘルム2世は
海に将来ありとかいって
アフリカに進出してドイツに植民地支配者の汚名を着せ
さらに一次世界大戦には誰よりもやる気であった戦犯だったが >>475
日露戦争後のロシアの脅威度は割と大きく下がっており、特に軍事面での旧態さが目立っていた
相対的にドイツの強力さに警戒感が強まっていたことを無視できない
さらに、ドイツがアホなことに建艦競争仕掛けて英国の根本利益に挑戦するという途方もない愚をおかしてしまう ロシアに対日戦をけし掛けたウィルヘルムはフォローしてくれ、と打診したニコライに向かって
「貴方はやめようと思えばやめられた」とけし掛けたことを無かったことのように言い放ったという。
ニコライからすれば嵌められた、という思いであろうが、後の祭りである。 オスマントルコは参戦しなければ21世紀にも存在できたのかね ドイツの歴史家たちはそれまでヨーロッパに続いてきたような多元的な国際体系、
すなわち勢力均衡体系がやがて世界大のものとして、新しい形をとって現れると考えた
これらの歴史家はランケの影響を強く受け、ほとんどすべてがその後継者をもって
任じていた
それゆえ、彼らはそれぞれ異なった個性を持つ国家が複数存在し、それらが均衡しつつ
国際体系を構成するのがよいと考えたし、またそうなると思っていた
その過程での問題は強大な海軍を有し、世界における優越を誇っている大英帝国である
ドイツの海軍力の強化も、上述の論理からイギリスの海洋における優越を打破する
ためのものとして正当化された 日本の場合はまさに中国をどうするのかというテーマへの統一された外交戦略が存在しなかったのが失敗の一つ
軍閥でバラバラになってる中国をバラバラのままにしておけば日本は安泰だった 汪兆銘政権を押した際には旧北洋軍閥勢力を南京政権に統合させていたと思う。 >>451
だってヴィリー君に情報あげると必ず余計な事するし・・・ >>480
日本には中国による世界秩序(笑)を望む厄介な勢力がいるからな。 ドイツとしてはイギリスに勝とう、とまでは無理なので、
牽制するくらいの海軍力は持っておこう、と建艦競争した。
ビスマルクだったら絶対にやらなかっただろう。 日本の場合、いまだに東アジア共同体とか言っている人間がいるから… >>485
ドイツの理論家たちは勢力均衡の原則に従って、ドイツ海軍はイギリス海軍と
戦うことになっても同盟国には事欠かぬだろうと考えていた
イギリスの海上での優越に対して各国から反抗がおこるであろうことについては
彼らの間で意見の一致が見られた
ランケ的な意味でのヨーロッパの勢力均衡の世界への投影はまことに徹底していた >>484
正確に言えばアジア主義者だな
日本主導でNATOみたいな東アジアのグループを作りたがってたけど
まあ帝国主義組と相性が悪かった まぁマルクスレーニン主義を掲げる一党独裁の国を含めようとするのはちょっと無理だろと思う 日本のアジア主義者には、中国が「対等な同盟関係」というものを
認めない国だということを理解していない連中が多すぎ イギリスに対抗したいならロシアにダメージ与えるような施策はしない。
寧ろロシアと組んでイギリスに対抗しようとするはずだが、
ビスマルク以来、ドイツはイギリスに譲歩してロシアの反発を買うことをしている。 ロシアはオーストリアと決定的に対立してるから
イギリス以上に無理だろ
オーストリア捨てるのは無理だしな なんならオーストリアから領土取ってたら
オーストリア分割のためにロシアと協調できたかもな
そう考えるとオーストリアって滅茶苦茶キーマン >>493
盛夏戦前のオーストリア・ハンガリーはポーランドのように簡単に分割できると思われるほど弱いと思われてなかったから、机上の空論だよ ロシアの反感をかってもイギリスの歓心をかう、
というビスマルクの方針がウィルヘルム二世になって変更されたのだろうか。 ロシアを陥れて反感をかい、イギリスに対抗し、オーストリアは捨てられない、
というスタンスでは一見、展望が見えないんだが。 イギリスを刺激しない、というビスマルクの方針が間違いなかった、ということか。 イギリスって海軍は強いだろうけど陸軍はそんなだろうし
いうほど刺激しない必要あったのかなあ?
むしろロシアとの対立が致命傷のような いずれドイツはロシアとは対立する、その為にはイギリスを絶対に敵にしてはならない、という目算じゃないか?
またロシアもイギリスと険悪なのにさらにドイツを敵に回したくないので、ベルリン会議でドイツに嵌められても堪えて再保障条約を結んだし。 ロシアの目標は東欧・バルカンなんだからどうやったって対立する
それに比べるとイギリスとドイツは直接的な利害関係が少ない >>499
当時の物流と金融を完全に牛耳っていたのが英国だから
軍事力はもちろん、それ以外の分野の方が英国敵に回すとひどいことになる
ロシアが英国に対抗できたのは、あの広大で後背の憂いが少ない国土ゆえのこと ウィルヘルム二世は日露戦争の後、「ロシアは最早脅威ではなく、これからはイギリスと対峙しよう」と考えたのかな?
ビスマルクが生きていたら「おいおいちょっと待てよ!」と突っかかってきそうだが。 英露協商が結ばれて逆にロシアがイギリス側についてドイツと対峙する、
というビスマルク的には全力で避けていた状況をウィルヘルム二世は完成させた。 まあ日本ごときに負けるならロシアにドイツなら楽に勝てると思うのも確かに自然な考えか 日本はイギリスのバックアップを得てロシアに勝ったが、
ウィルヘルム二世は弱体化したとはいえロシアとイギリスを相手に同時に戦う、
という離れ業をやってのけた。 でもドイツがなくなっちゃうとこんどはロシアとフランスがガチになるから
それはそれで困るんだろうな オーストリアに全面的支援与えちゃったのがやっぱまずかったよね
留保つけたり慎重な行動するよう圧力かけられてたら違ってた 日露戦争で敗北したロシアがイギリス相手のグレートゲームを放棄して協調路線に入ったので、
ウィルヘルム二世はロシアに代わってイギリス相手にグレートゲームを志向したのかな? >>490
寧ろ中国に隷属すべきだって連中もいるからな ドイツの政治家たちはシュリ―フェンプランについて知っていたが、
ドイツがベルギーに侵攻してもイギリスが介入してこないと思っていたんだろうか? >>511
中国が核実験に成功したとき、竹内好は理性的にはこれに反対しながら、
「理性を離れて感情の点では、言いにくいことですが、内心ひそかに、
よくやった、よくぞアングロサクソンとその手下ども(日本人をふくむ)の
鼻をあかしてくれたという一種の感動の念のあることを隠すことができません」
と告白した
日本のアジア主義者の間に、こういう感情はいまだに残っているのかな >>513
少なくともヴィルヘルム2世個人は英仏露を同時に敵に回すのは回避したかったようだ。
大戦直前に入ってきた「ドイツ軍がフランスに侵攻しなければイギリスは中立を保つ」という誤報を信じるくらいだから。 英仏露で三国協商が結ばれている状態にまで持ち込んで、
「英仏露同時に敵にはしない」とかほぼ不可能じゃね? 大モルトケをギロチンにかけることが先だろ
ナポレオン三世をセダンに捕虜にした段階で詰んでる
ドイツは普仏戦争の圧倒的戦勝に滅び
ナポレオンはアウステルリッツの伝説に詰んだ
モルトケもナポレオンも負けていい戦で取り返しのつかない圧勝した
モルトケはフランスがドイツに手を出したら割にあわないと思い知らせるくらい苦しませて負けりゃ良かった
ナポレオンも全く同じ
勝ってもいいがあんな戦史に輝く圧勝だけは絶対してはならなかった
ナポレオン三世残しとけばフランス国民は帝政終わらせるのに満足でドイツなんかどうでも良くなった 普仏戦争のフランスの恨みを封じ込めるべく、ビスマルクが外交手腕でフランスを囲い込むことに成功した。 フランスに北ドイツ連邦が負けてたら南ドイツは独立国だったか
いや、開戦時点でナショナリズムに火はついてるしドイツに残るか
まあどっちにしろビスマルクの失脚は間違いないね >>520
ドイツに残るも何も、ドイツという概念とプロイセン主導のドイツ帝国への参加ってのは似て非なる概念だし
オーストリアに至っては、ドイツの中心とはハプスブルク=オーストリアって認識だったわけだしなあ 南ドイツ、オーストリア、チェコ、ハンガリーめ南ドイツ連邦でも作れてればな 実力以上の勝利は敗北なんかよりよほどたちわるい
敗北は取り返しがいくらでもつく
実力を凌駕する勝利は取り返しがつかない
断崖絶壁に登らされておっこちる
ほぼ百パーセント
日清日露で勝って底無し沼の大陸進出に追い込まれる日本
アウステルリッツで神聖ローマ帝国解体したが故に、
ドイツでオーストリアをプロイセンをロシアをもぐら叩きせざるをえなくなったナポレオン
全くそんな必要ないのに
どっかが出たら他の二国と組んで叩いてドイツの覇権から距離取りゃ良かったのに
ナポレオン三世を捕虜にしフランスの恨みから逃れられなくなったプロイセンドイツ
モルトケ、ビスマルクは縛り首
ロシアを敵にするな、イギリスを敵にするなという前に、フランスを敵にするな
馬鹿なんじゃないの?
モルトケ、ビスマルク
ちょっと負けてフランスと手を組んでイギリスを牽制する
ロシアに対抗する
なぜそれができなかった
今やってるヨーロッパ統合を何故やらなかった フランスがドイツに過剰干渉してボコボコにされて逆恨みしてるだけじゃね? >>524
ドイツ統合は(オーストリアと)フランスからの介入を決定的に排除しないと達成できない
机上の空論どころか現実すら見ていない疎論
お話になりません 要するにドイツなんて存在しなければよかったってことだな! ドイツ>イギリス・フランス>>アメリカ>ロシア>>オーストリアハンガリー・イタリア>トルコ>セルビア>ブルガリア>>>ルーマニア ドイツ帝国が無くても世界大戦は起きたろうけど、だいぶ規模は小さくなってそう
イギリスがプロイセンないし北ドイツ諸侯と敵対する理由が無いしな モルトケ、ビスマルクが必要のない勝利した人間の屑なのは紛れもない事実でしょ
ドイツとフランスが何で死に物狂いの戦争してんだ、馬鹿じゃね
組んでヨーロッパの主導権握りゃ良かった
日本とアメリカで組んでアジアの赤化防げば良かったのに、太平洋戦争してる日米もキチガイだが >>530
リシュリュー以来、フランス最大の仮想敵はドイツで、常に統一しないよう介入し続けてくる相手と「組んで主導権」とか荒唐無稽通り越して戯言の域なんだけど、病院行った方がいいんじゃ? ドイツ統一しないと、いろいろ手を突っ込まれてカオスだから統一目指すのは仕方ない
オーストリアに勝つ必要はあった
フランスにはドイツに手を出したら痛い目に合うぐらい気づかせる損害与えりゃ負けで良かった
辛勝でも良かった
戦争勝っても負けても後はフランスよいしょしまくり
尻を舐めていれば良かった
全力で抱きついてフランスドイツで中央ヨーロッパを一蓮托生にしてりゃ良かった
圧勝するとかあり得ない
皇帝捕虜にするとか何の悪ふざけだ
フランスを敵にしてフランスを孤立させ、ロシアやイギリスと綱渡り外交のビスマルクが外交の達人とか
対仏戦争を練りに練るドイツ参謀本部とか全員麻薬で脳がいかれているのか
冗談だろとしか 日本は日清には勝っても日露には負けてイギリスやアメリカに極東に介入してもらい柱の影に隠れる以外の選択肢はない
坂の上の雲だとか
ふざけてるのかお前ら
アウステルリッツでフランスが負けるか引き分けならナポレオン帝国は長く続いていた
太平洋戦争でぼろ負けしたから日本は超大国に 結果論なら何とでも言える
「フランス併合してヨーロッパ帝国作って英露叩いて超大国になる!」と同レベルの与太話だな
「ぼくのかんがえたさいきょうのどいつ」は出来ない時点で無意味、
どうしてそうならなかったのかを省察するのは有意義だが
こうすりゃ良かったという自分のエゴを歴史にぶつけても、で?としか言いようが無い 要約すると「ドイツは恨まれなくなかったら崩壊しろ」って結論だろ。 韓国人の「日本なんて無ければ良いんだ!」というメンタリティに近いものがある。 普通にビスマルクとモルトケ出た後ではドイツは手の施しようがないわな
日露戦争勝った日本が詰んだように 中国を巡ってソ連と対立しながらイギリスやアメリカと中国の覇権争いをする
背中のフランスを敵にしながらロシアやイギリスと帝国主義の角逐する
坂の上の雲の面々もビスマルクも自殺行為の取り返しがつかないことやってドイツも日本も詰んでる
首に縄をかけてぶら下がって
それを一代でやったのが世界史最高の馬鹿、ナポレオン・ボナパルト ツンデルツンデルってビスマルクやモルトケにケチをつけられる大層なお方でwww 普仏戦争のとき、何でわざわざドヴェルサイユでヴィルヘルム1世ドイツ皇帝の戴冠式なんて行ったの?
あんなんフランスがキレるに決まってるじゃんって思うんだけど >>524
EUだってうまく言ってるとは言えないんだからそんなん無理だわな。 >>540
あれはビスマルクが大反対したけど、抑えきれなかったパターン >>527
イギリスはハノーヴァーとオランダを併合して
北海をイギリスの湖にする
フランスはベルギーとラインラントを併合
オーストリアはバイエルンとバーデンを併合
プロイセンとザクセンだけのドイツ フランスを敵に回すビスマルクの政策がドイツの致命傷なのは明白だし
巨大な隣国を完全に敵にして、何しても言い訳できない
元々はモルトケのしでかしたことだし
普仏戦争では部下に反乱起こさせても戦争に負けるべきだった
皇帝を捕虜にするとかプロイセン軍全て打首だろ そもそも仏国と対立・対決するのが根本的にも戦略的にも誤り
弁解のしようがない
後のことはどうでもいい ナポレオンはドイツでオーストリアプロイセンロシア互いに争わせ自分は引っ込んでて
黒幕で裏で操りながら勢力均衡図りゃ良かったわけで
アウステルリッツに勝ち、出てくる勢力出てくる勢力と戦い地の果てまでかけずり回った阿呆
ロシアに無様に負けて泣きついてイギリスアメリカ引き込んでロシアやソ連から中国守ってもらえば良かっただけなのに
日露戦争で勝ち、自分で中国進出し、ソ連の矢面に立ち、イギリスアメリカを怒らせ敵に回した頭のおかしい日本
歴史は馬鹿しかいない
普仏戦争もアウステルリッツも日露戦争も絶対勝ってはいけなかった
太平洋戦争で日本を敵に回して中国失ったルーズベルト含む
歴史は馬鹿しかいない
ビスマルクは馬鹿の中の馬鹿 ビスマルクが一番パワーオブバランス理解できない幼稚園児
これが歴史の真実 ビスマルクの対仏孤立化政策が成功していた事実無視して言いたい放題なあたり、真正かお騒がせか微妙な感じだな ドイツの立場として、背中のフランスを本気で怒らせたら恨まれたら、どうやっても処置なし
詰みなんだから
ビスマルク・モルトケが戦犯
これは動かしようがない とりあえずそんなビスマルクにお前自身は足元にも及ばないんじゃね? 実際ビスマルク戦犯論は社会主義者・共産主義者が唱えてて有名な論だよね
っていうか有名なビスマルク伝はそういう立場から書かれたものが多いし
「プロイセンの軍国主義にドイツが征服されたのだ」的な 国家・民族の力ぶつかり合いにおいて遠慮・手加減しないのは愚かだった、なんて評論左翼系の学者だってあまりやらんだろ。 いや、バルト系じゃね?リトアニアと同じ系統で異教徒だったので
それを口実にドイツ騎士団が侵攻して征服して出来たのがプロイセン。 >>556
プロイセンを「プロイセン」って地域でくくるの根本的に誤りで、あれ実態は「ブランデンブルク」だろ
単に北ドイツ東方の有力ドイツ諸侯が強大化したもの プロイセンっていう地域はメーメルからダンツィヒあたりまでのバルト海沿岸だけでしょ ビスマルクもモルトケもヒンデンブルクも皆バルト顔だわな。 >>559
ビスマルクは旧ザクセン選帝侯領出身なわけだが モルトケはメクレンブルク=シュヴェリーン公国出身だから
先祖はひょっとしたらスラブ人だったかもしれん ベルリンだって大昔にはスラヴ人の集落だったしドイツ東部の出身ならスラヴの血は多少入ってる人間の方が多そう ゲルマン人はユトランド半島周辺が本拠地で
ドイツの大部分は古代にはケルト人が住んでいた
南ドイツ高地ドイツはケルト人の本拠地だった
ポーランド南部ガリチアはその名のごとくケルト人が住んでいた
ボヘミアはケルトのボイイー族の国で
シレジアはシリング・ヴァンダル族の国だった
ヴァンダル=ヴェンドでスラブ人 プロイセンという呼称自体、当地のバルト系民族の「プルサイ」から来ている。 南ドイツは観念的でユダヤ陰謀論とか過激な思想が生まれやすいが
その分限界は弁えていて自制できる
しかし北ドイツ人は観念的な発想はできないがファナティックになりやすく
残虐行為に抵抗はない
てなことを誰だかドイツの戦犯が語ってたな
誰だっけ ヴィルヘルム2世はパリを訪問したがっていたのだが、
フランス側が決して招待してくれなかったのだとか ドイツ騎士団がバルト系住民を異教徒だからと虐殺しまくって出来上がったのがプロイセンで、
ドイツ騎士団の残虐ぶりにドン引きしたリトアニア王はカトリックに改宗してポーランドと連合王国を形成した、
という経緯がある。 厳密に言えばブランデンブルク選帝侯アルブレヒト・アヒレスの孫にあたるアンスバッハ辺境伯のアルプレヒト・フォン・ブランデンブルク=アンスバッハが1511年にドイツ騎士団総長に就任し、
1523年支配下の騎士とともにルター派に改宗し1525年にドイツ騎士団を解散させ、ホーエンツォレルン家が世襲する世俗国家プロイセン公国を創設し、自ら初代プロイセン公に就いた あれじゃろ浸透強襲した兵士を支援し補給できる装輪トラックと自走砲みたいなのが一杯あったらカイザーシュラハト勝てたんじゃろ EU2初めてプレイした時あのブランデンブルグがドイツ帝国になるのかと感動した 世紀が変わってからドイツを訪れた人々は、そこに成り上がり者で
成金的な尊大さと野卑とを見た
軍人たちは社交界でもてはやされたので、常連となった
またベルリンのホテルで、騒々しく飲み、決戦の日DerTagに乾杯する若い軍人と
青年たちの姿がよく見られた
モルトケ時代の勤倹で、折り目正しく、厳格なルター的参謀本部は遠い過去の
ものであったし、シュリーフェン時代にあった修道院的献身の雰囲気も
彼の死とともに消滅した
職業的な効率の高さは驚くほど残ったが、しかし、モルトケ時代の鉄の自己規律と、
どっしりして動揺しない自信は失われた デンマーク戦争、普墺戦争、普仏戦争と戦勝続きで戦えば必ず勝つという自信もあったしな モルトケの美点のひとつは厳しく自省する能力にあった
ケーニヒグレーツの大勝利の夕方にも、彼は腹心を集めて、作戦の問題点を反省した
しかし、その彼といえども、あいつぐ勝利によって高慢になるのは避けられなかった
たとえば普仏戦争のある局面で、ドイツ軍の一部は参謀本部の指令通りに動かず、
それが偶然大勝利につながるということがあったが、反省はなされなかった
こうした奢りが1871年以後のドイツ参謀本部にはみられ、そのため南北戦争、
1877〜78年のバルカン戦争および1904年の日露戦争から得ることができたはずの
戦訓が無視された
すなわち、鉄道の発達によって大兵力が用いられるようになったことは、
短期決戦の時代をもたらしたとは限らず、ライフル銃や機関銃など歩兵用火器の
発達とあいまって、戦争を持久戦にさせるものであることが見失われた そこに成り上がり者で成金的な尊大さと野卑とを見た>同時代のアメリカも同じ感じじゃね? 当時の日本もそうやで
弱い所を隠すために粋がってしまうのは人間の本能やなって ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています