お前らがヴィルヘルム2世だったらどう政治する?
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史実のヴィルヘルム2世は
海に将来ありとかいって
アフリカに進出してドイツに植民地支配者の汚名を着せ
さらに一次世界大戦には誰よりもやる気であった戦犯だったが ドイツの政治家たちはシュリ―フェンプランについて知っていたが、
ドイツがベルギーに侵攻してもイギリスが介入してこないと思っていたんだろうか? >>511
中国が核実験に成功したとき、竹内好は理性的にはこれに反対しながら、
「理性を離れて感情の点では、言いにくいことですが、内心ひそかに、
よくやった、よくぞアングロサクソンとその手下ども(日本人をふくむ)の
鼻をあかしてくれたという一種の感動の念のあることを隠すことができません」
と告白した
日本のアジア主義者の間に、こういう感情はいまだに残っているのかな >>513
少なくともヴィルヘルム2世個人は英仏露を同時に敵に回すのは回避したかったようだ。
大戦直前に入ってきた「ドイツ軍がフランスに侵攻しなければイギリスは中立を保つ」という誤報を信じるくらいだから。 英仏露で三国協商が結ばれている状態にまで持ち込んで、
「英仏露同時に敵にはしない」とかほぼ不可能じゃね? 大モルトケをギロチンにかけることが先だろ
ナポレオン三世をセダンに捕虜にした段階で詰んでる
ドイツは普仏戦争の圧倒的戦勝に滅び
ナポレオンはアウステルリッツの伝説に詰んだ
モルトケもナポレオンも負けていい戦で取り返しのつかない圧勝した
モルトケはフランスがドイツに手を出したら割にあわないと思い知らせるくらい苦しませて負けりゃ良かった
ナポレオンも全く同じ
勝ってもいいがあんな戦史に輝く圧勝だけは絶対してはならなかった
ナポレオン三世残しとけばフランス国民は帝政終わらせるのに満足でドイツなんかどうでも良くなった 普仏戦争のフランスの恨みを封じ込めるべく、ビスマルクが外交手腕でフランスを囲い込むことに成功した。 フランスに北ドイツ連邦が負けてたら南ドイツは独立国だったか
いや、開戦時点でナショナリズムに火はついてるしドイツに残るか
まあどっちにしろビスマルクの失脚は間違いないね >>520
ドイツに残るも何も、ドイツという概念とプロイセン主導のドイツ帝国への参加ってのは似て非なる概念だし
オーストリアに至っては、ドイツの中心とはハプスブルク=オーストリアって認識だったわけだしなあ 南ドイツ、オーストリア、チェコ、ハンガリーめ南ドイツ連邦でも作れてればな 実力以上の勝利は敗北なんかよりよほどたちわるい
敗北は取り返しがいくらでもつく
実力を凌駕する勝利は取り返しがつかない
断崖絶壁に登らされておっこちる
ほぼ百パーセント
日清日露で勝って底無し沼の大陸進出に追い込まれる日本
アウステルリッツで神聖ローマ帝国解体したが故に、
ドイツでオーストリアをプロイセンをロシアをもぐら叩きせざるをえなくなったナポレオン
全くそんな必要ないのに
どっかが出たら他の二国と組んで叩いてドイツの覇権から距離取りゃ良かったのに
ナポレオン三世を捕虜にしフランスの恨みから逃れられなくなったプロイセンドイツ
モルトケ、ビスマルクは縛り首
ロシアを敵にするな、イギリスを敵にするなという前に、フランスを敵にするな
馬鹿なんじゃないの?
モルトケ、ビスマルク
ちょっと負けてフランスと手を組んでイギリスを牽制する
ロシアに対抗する
なぜそれができなかった
今やってるヨーロッパ統合を何故やらなかった フランスがドイツに過剰干渉してボコボコにされて逆恨みしてるだけじゃね? >>524
ドイツ統合は(オーストリアと)フランスからの介入を決定的に排除しないと達成できない
机上の空論どころか現実すら見ていない疎論
お話になりません 要するにドイツなんて存在しなければよかったってことだな! ドイツ>イギリス・フランス>>アメリカ>ロシア>>オーストリアハンガリー・イタリア>トルコ>セルビア>ブルガリア>>>ルーマニア ドイツ帝国が無くても世界大戦は起きたろうけど、だいぶ規模は小さくなってそう
イギリスがプロイセンないし北ドイツ諸侯と敵対する理由が無いしな モルトケ、ビスマルクが必要のない勝利した人間の屑なのは紛れもない事実でしょ
ドイツとフランスが何で死に物狂いの戦争してんだ、馬鹿じゃね
組んでヨーロッパの主導権握りゃ良かった
日本とアメリカで組んでアジアの赤化防げば良かったのに、太平洋戦争してる日米もキチガイだが >>530
リシュリュー以来、フランス最大の仮想敵はドイツで、常に統一しないよう介入し続けてくる相手と「組んで主導権」とか荒唐無稽通り越して戯言の域なんだけど、病院行った方がいいんじゃ? ドイツ統一しないと、いろいろ手を突っ込まれてカオスだから統一目指すのは仕方ない
オーストリアに勝つ必要はあった
フランスにはドイツに手を出したら痛い目に合うぐらい気づかせる損害与えりゃ負けで良かった
辛勝でも良かった
戦争勝っても負けても後はフランスよいしょしまくり
尻を舐めていれば良かった
全力で抱きついてフランスドイツで中央ヨーロッパを一蓮托生にしてりゃ良かった
圧勝するとかあり得ない
皇帝捕虜にするとか何の悪ふざけだ
フランスを敵にしてフランスを孤立させ、ロシアやイギリスと綱渡り外交のビスマルクが外交の達人とか
対仏戦争を練りに練るドイツ参謀本部とか全員麻薬で脳がいかれているのか
冗談だろとしか 日本は日清には勝っても日露には負けてイギリスやアメリカに極東に介入してもらい柱の影に隠れる以外の選択肢はない
坂の上の雲だとか
ふざけてるのかお前ら
アウステルリッツでフランスが負けるか引き分けならナポレオン帝国は長く続いていた
太平洋戦争でぼろ負けしたから日本は超大国に 結果論なら何とでも言える
「フランス併合してヨーロッパ帝国作って英露叩いて超大国になる!」と同レベルの与太話だな
「ぼくのかんがえたさいきょうのどいつ」は出来ない時点で無意味、
どうしてそうならなかったのかを省察するのは有意義だが
こうすりゃ良かったという自分のエゴを歴史にぶつけても、で?としか言いようが無い 要約すると「ドイツは恨まれなくなかったら崩壊しろ」って結論だろ。 韓国人の「日本なんて無ければ良いんだ!」というメンタリティに近いものがある。 普通にビスマルクとモルトケ出た後ではドイツは手の施しようがないわな
日露戦争勝った日本が詰んだように 中国を巡ってソ連と対立しながらイギリスやアメリカと中国の覇権争いをする
背中のフランスを敵にしながらロシアやイギリスと帝国主義の角逐する
坂の上の雲の面々もビスマルクも自殺行為の取り返しがつかないことやってドイツも日本も詰んでる
首に縄をかけてぶら下がって
それを一代でやったのが世界史最高の馬鹿、ナポレオン・ボナパルト ツンデルツンデルってビスマルクやモルトケにケチをつけられる大層なお方でwww 普仏戦争のとき、何でわざわざドヴェルサイユでヴィルヘルム1世ドイツ皇帝の戴冠式なんて行ったの?
あんなんフランスがキレるに決まってるじゃんって思うんだけど >>524
EUだってうまく言ってるとは言えないんだからそんなん無理だわな。 >>540
あれはビスマルクが大反対したけど、抑えきれなかったパターン >>527
イギリスはハノーヴァーとオランダを併合して
北海をイギリスの湖にする
フランスはベルギーとラインラントを併合
オーストリアはバイエルンとバーデンを併合
プロイセンとザクセンだけのドイツ フランスを敵に回すビスマルクの政策がドイツの致命傷なのは明白だし
巨大な隣国を完全に敵にして、何しても言い訳できない
元々はモルトケのしでかしたことだし
普仏戦争では部下に反乱起こさせても戦争に負けるべきだった
皇帝を捕虜にするとかプロイセン軍全て打首だろ そもそも仏国と対立・対決するのが根本的にも戦略的にも誤り
弁解のしようがない
後のことはどうでもいい ナポレオンはドイツでオーストリアプロイセンロシア互いに争わせ自分は引っ込んでて
黒幕で裏で操りながら勢力均衡図りゃ良かったわけで
アウステルリッツに勝ち、出てくる勢力出てくる勢力と戦い地の果てまでかけずり回った阿呆
ロシアに無様に負けて泣きついてイギリスアメリカ引き込んでロシアやソ連から中国守ってもらえば良かっただけなのに
日露戦争で勝ち、自分で中国進出し、ソ連の矢面に立ち、イギリスアメリカを怒らせ敵に回した頭のおかしい日本
歴史は馬鹿しかいない
普仏戦争もアウステルリッツも日露戦争も絶対勝ってはいけなかった
太平洋戦争で日本を敵に回して中国失ったルーズベルト含む
歴史は馬鹿しかいない
ビスマルクは馬鹿の中の馬鹿 ビスマルクが一番パワーオブバランス理解できない幼稚園児
これが歴史の真実 ビスマルクの対仏孤立化政策が成功していた事実無視して言いたい放題なあたり、真正かお騒がせか微妙な感じだな ドイツの立場として、背中のフランスを本気で怒らせたら恨まれたら、どうやっても処置なし
詰みなんだから
ビスマルク・モルトケが戦犯
これは動かしようがない とりあえずそんなビスマルクにお前自身は足元にも及ばないんじゃね? 実際ビスマルク戦犯論は社会主義者・共産主義者が唱えてて有名な論だよね
っていうか有名なビスマルク伝はそういう立場から書かれたものが多いし
「プロイセンの軍国主義にドイツが征服されたのだ」的な 国家・民族の力ぶつかり合いにおいて遠慮・手加減しないのは愚かだった、なんて評論左翼系の学者だってあまりやらんだろ。 いや、バルト系じゃね?リトアニアと同じ系統で異教徒だったので
それを口実にドイツ騎士団が侵攻して征服して出来たのがプロイセン。 >>556
プロイセンを「プロイセン」って地域でくくるの根本的に誤りで、あれ実態は「ブランデンブルク」だろ
単に北ドイツ東方の有力ドイツ諸侯が強大化したもの プロイセンっていう地域はメーメルからダンツィヒあたりまでのバルト海沿岸だけでしょ ビスマルクもモルトケもヒンデンブルクも皆バルト顔だわな。 >>559
ビスマルクは旧ザクセン選帝侯領出身なわけだが モルトケはメクレンブルク=シュヴェリーン公国出身だから
先祖はひょっとしたらスラブ人だったかもしれん ベルリンだって大昔にはスラヴ人の集落だったしドイツ東部の出身ならスラヴの血は多少入ってる人間の方が多そう ゲルマン人はユトランド半島周辺が本拠地で
ドイツの大部分は古代にはケルト人が住んでいた
南ドイツ高地ドイツはケルト人の本拠地だった
ポーランド南部ガリチアはその名のごとくケルト人が住んでいた
ボヘミアはケルトのボイイー族の国で
シレジアはシリング・ヴァンダル族の国だった
ヴァンダル=ヴェンドでスラブ人 プロイセンという呼称自体、当地のバルト系民族の「プルサイ」から来ている。 南ドイツは観念的でユダヤ陰謀論とか過激な思想が生まれやすいが
その分限界は弁えていて自制できる
しかし北ドイツ人は観念的な発想はできないがファナティックになりやすく
残虐行為に抵抗はない
てなことを誰だかドイツの戦犯が語ってたな
誰だっけ ヴィルヘルム2世はパリを訪問したがっていたのだが、
フランス側が決して招待してくれなかったのだとか ドイツ騎士団がバルト系住民を異教徒だからと虐殺しまくって出来上がったのがプロイセンで、
ドイツ騎士団の残虐ぶりにドン引きしたリトアニア王はカトリックに改宗してポーランドと連合王国を形成した、
という経緯がある。 厳密に言えばブランデンブルク選帝侯アルブレヒト・アヒレスの孫にあたるアンスバッハ辺境伯のアルプレヒト・フォン・ブランデンブルク=アンスバッハが1511年にドイツ騎士団総長に就任し、
1523年支配下の騎士とともにルター派に改宗し1525年にドイツ騎士団を解散させ、ホーエンツォレルン家が世襲する世俗国家プロイセン公国を創設し、自ら初代プロイセン公に就いた あれじゃろ浸透強襲した兵士を支援し補給できる装輪トラックと自走砲みたいなのが一杯あったらカイザーシュラハト勝てたんじゃろ EU2初めてプレイした時あのブランデンブルグがドイツ帝国になるのかと感動した 世紀が変わってからドイツを訪れた人々は、そこに成り上がり者で
成金的な尊大さと野卑とを見た
軍人たちは社交界でもてはやされたので、常連となった
またベルリンのホテルで、騒々しく飲み、決戦の日DerTagに乾杯する若い軍人と
青年たちの姿がよく見られた
モルトケ時代の勤倹で、折り目正しく、厳格なルター的参謀本部は遠い過去の
ものであったし、シュリーフェン時代にあった修道院的献身の雰囲気も
彼の死とともに消滅した
職業的な効率の高さは驚くほど残ったが、しかし、モルトケ時代の鉄の自己規律と、
どっしりして動揺しない自信は失われた デンマーク戦争、普墺戦争、普仏戦争と戦勝続きで戦えば必ず勝つという自信もあったしな モルトケの美点のひとつは厳しく自省する能力にあった
ケーニヒグレーツの大勝利の夕方にも、彼は腹心を集めて、作戦の問題点を反省した
しかし、その彼といえども、あいつぐ勝利によって高慢になるのは避けられなかった
たとえば普仏戦争のある局面で、ドイツ軍の一部は参謀本部の指令通りに動かず、
それが偶然大勝利につながるということがあったが、反省はなされなかった
こうした奢りが1871年以後のドイツ参謀本部にはみられ、そのため南北戦争、
1877〜78年のバルカン戦争および1904年の日露戦争から得ることができたはずの
戦訓が無視された
すなわち、鉄道の発達によって大兵力が用いられるようになったことは、
短期決戦の時代をもたらしたとは限らず、ライフル銃や機関銃など歩兵用火器の
発達とあいまって、戦争を持久戦にさせるものであることが見失われた そこに成り上がり者で成金的な尊大さと野卑とを見た>同時代のアメリカも同じ感じじゃね? 当時の日本もそうやで
弱い所を隠すために粋がってしまうのは人間の本能やなって >>575
>>576
流石に当時の日米は日本人(アメリカ人)は世界一優秀なのにそれに見合った領土も
国際社会での地位もないのはどこかの国が日本(アメリカ)の悪口を言いふらしているからだ
なんて被害妄想は抱いてはいないんじゃない? 第二帝政期のドイツ社会では、物質的繁栄が実現し、半世紀に及ぶ平和が続いていた
総じて、帝政期のドイツ人は自信に満ち、楽観的だった
ここ一世代の間にいかに急速に生活が豊かになったかを顧みるなら、
むしろ当然の心情だっただろう 二次大戦と同じルートで侵攻してたらダメやったのかな
装甲部隊ありきかな ヴィリーは逆子で力が入らない片腕を電気ショックで治療しようとしたり、ヴィリーと近しい世代のオーストリア皇太子ルドルフは
最初の教育係が軍人上がりで軍隊式のスパルタ教育やったから神経質になったとか、
ジョージ6世も吃音症は幼少時のスパルタ教育が原因とか当時の王族の教育はスパルタ教育が主流なんかね? オーストリアは英国と同盟すべきだったろう
そうすりゃスエズ運河使わせてもらって海外進出できたし、大戦でもドイツボコって神聖ローマ復活出来た オーストリアは英国に裏切られたと思ってるから・・・(マリアテレジア) 結局ドイツが警戒されまくってる時点でかなりの難易度だよね
ビスマルクが勝ちすぎた
現代でいうと中共みたいな国が欧州の真ん中にあるようなもんだし >>585
殆ど内陸国のオーストリアとイギリスでは利害地域が遠隔すぎて連携が成立しないのでは
オーストリアはバルカンに関心を持っているが、イギリスは地中海の保全が目的なので
ギリシャや海峡部に影響は及ぼせても内陸のセルビアなどには影響を及ぼせない
オーストリアから見て逆も然り、イギリスがオーストリアを味方につけたところで、地中海の大勢に影響は及ぼせない
英仏協商以前のイギリスから見れば、地中海で警戒すべきなのは第二の戦力を持つフランス海軍だが、
これに関してはイタリア、オーストリアと地中海協定を結んで抑え込んでおり、これ以上の接近は特に必要の無い状態
また、例えばロシアやドイツをイギリスと挟撃する場合を想定しても、オーストリアは単体で戦線を開くのは厳しい
1848年革命を見ても、ハンガリーの反乱を同盟していたロシア軍を使って鎮圧しているし、
あるいはWW1でもドイツの全面支持が無ければ列強と衝突するおそれのあるセルビア戦に踏み切れなかった
例外は普仏戦争でオーストリアがフランスの誘いに乗った場合だが、結局未遂に終わっている
内部認識として隣接する陸軍大国(ドイツかロシア)との同盟と軍事支援をオーストリアが切望する以上、
英独墺同盟とかならともかく、英墺二国間の同盟は難しいだろうと思う ぶっちゃけドイツにとってオーストリアって無能な味方って意味で邪魔だよね
こいつのせいでロシアとも敵対するし >>589
国内統制の意味で、強くオーストリアを敵に回すのも難しい
バイエルンやザクセンあたりを引っ掻き回されると国内がろくなことにならん
ドイツにとってオーストリアは軍事的には頼りにならないが敵に回すと内政が混乱する厄介な相手 >こいつのせいでロシアとも敵対するし
再保障延長拒否はオーストリア関係なくイキりドイツエリート層のガイジムーブじゃないの? >>589
オーストリアが無くなると、ますますドイツの欧州大陸での地位が浮上するので
英仏露の警戒感が高まってドイツの孤立が深まる
またスラブ人をオーストリアが曲がりなりにも統合している状況を維持するのは
ポーランド人を抱え、ロシアと隣接するドイツとしても望ましい状態なので、
これ以上オーストリアの立場が弱まると、ドイツにとっても不利益 まずロシアぶん殴って降伏させれば
オーストリア軍主力が壊滅する事態も回避できるので
好きなようにセルビアやイタリア相手に泥沼の消耗戦させられるねやったね ロシアのような大国は攻撃してもツブれない
自滅するのを待つしかない
トインビーもそう言ってる 実際政情不安すぎる国なんだから正面から開戦せず反政府勢力を支援が正解な気がする 明石の工作はあまり成果はなく、明石の吹かしやそれを真に受けた司馬遼の坂の上の雲のくだりが
日本だけで広まったんじゃないっけ?
大粛清をナチスドイツのSDの手柄としているみたいな。 >>597
明石に当時としては巨額の資金を与え、反政府勢力に提供したのは史実
それによりロシア政府が警戒し、軍の動員や物資の輸送に影響を与えたのも明らかになってるから
細かいフカシやレーニンに会ったかどうかはともかく、工作に一定成功していたのは間違いない ビスマルクの後継者がヴィリーの代わりにかじ取りしていたらどうなっていたんだろうな ビスマルクの後継者=ビスマルクの後任って意味なら
実際その意向通りにヴィリーは踊ってたに過ぎないんじゃないの?
ビスマルクの後継者=ビスマルクの対外政策を受け継ぐものという意味だったら違うだろうけど 似たような憲法体制だったのに
日本の立憲君主制とプロイセンのそれは大違いだな
後者は素人が政治に口だししてきた 皇帝に権限あるけど、日本だと元老院 ドイツだと首相が助言して実質形式化してた
民主主義が成熟してないから皇帝に強大な権限をもたせて、能力ある指導者がいればものすごく有効に機能する体制
日本も明治の元勲の大物が消えて、ドイツもビスマルクがいなくなったら
権力が暴走しはじめる時限爆弾つきの国家体制 独露再保障条約は実際どこまで延長できたんだろうか? >>589 ボヘミア伍長がこのときドイツ首相だったら、迷わずオーストリア解体するだろうな >>611
流石に大戦前のハプスブルクの威光は健在
ドイツ国内の大ドイツ主義へのアレルギーも強烈なので無理 とりあえずロシアと付き合わない、これを教訓にできないバカが二人おったけどな(シュレーダー、メルケル) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています