古代朝鮮総合スレ
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朝鮮半島の古代史について総合的に語れるスレがなかったので立てました
一応、テーマの中心とする時代・国家は以下の如し:
統一新羅
三国時代(高句麗・百済・新羅・伽耶/任那)
原三国時代(高句麗・扶余・沃沮・濊・三韓・漢の四郡)
古朝鮮(衛氏朝鮮・箕氏朝鮮・檀君朝鮮?)・辰国 >>2
近代史はスレ違いなので他所でやってくださいオナシャスセンセンシャル! 古代限定だと話が続かなさそうなので、李氏朝鮮までもいちおういいのでは 一応中心とするというだけなので必要あれば中世でも先史時代でもええで 夫余、高句麗系の言葉の名残みたいのはあるのかどうなのか 高句麗が天下取れば面白かったのに
隋唐に近すぎたのが悪かったか >>6
http://www.l.u-tokyo.ac.jp/~fkr/OguraProject.html
これを見るとハングル以前に分岐したと考えないと辻褄の合わない語形がチラホラとあるんよね
바다(海)の方言で咸鏡道、済州島および慶尚道南端にみられるpa-daŋは高句麗語の「波旦」に酷似している様にみえる
全羅道を中心に分布するpa-dɛも中期語の바다ᄒ padahからは導けない
しかもハングル創成時には既に並行して바ᄅᆞᆯ parʌlが存在している(この系統も方言として各地で現存)
結構ありなのではないか
深く分析して朝鮮語の各方言から導き出される祖語を再構すれば少なくとも統一新羅時代までは届くのではないか >>7
場所が悪かったとしか言いようがない
それにしても滅亡後の平壌付近の扱いがどうなっていたのか謎だ
三国史記に見える地名の比定地の範囲にはギリ含まれていなくて新羅の領土外だったことは確かだが
かといって唐代の資料にもここを具体的にどんな風に統治したのかが書かれていない
一時的には渤海領だったともいうが行政区画がそこをカバーしていない
小高句麗国なるものがあったとする説もあるが、はたしてどうなのやら ずっと前にあった過去スレでは
【三韓から】、【後三国まで】の副題が付いてたものがあったね
後三国時代まではスレのテーマとして一般的に含めてもいいんでは? 後三国までが古代と言えそうだな
http://www.tufs.ac.jp/ts/personal/choes/bibimbab/siru/siru06.html
朝鮮語の歴史区分は学者によって異なりがあるが,例えば韓国の朝鮮語学者である李基文(イ・ギムン)博士は次のような区分を提唱しており,韓国国内ではこの区分が一般的ある。
1.古代語(統一新羅以前;〜10世紀初頭)
2.前期中世語(高麗時代;10世紀初頭〜14世紀末)
3.後期中世語(李氏朝鮮建国から秀吉の朝鮮侵略まで;14世紀末〜16世紀末)
4.近世語(秀吉の朝鮮侵略〜開化期まで;16世紀末〜19世紀末)
5.現代語(開化期以降;20世紀以降) >>4
大韓帝国まで律令制だったんだからそこまで古代で良いだろ >>12
李朝で訓民正音を作り出すよか前は、地名・人名が断片的に残ってるだけで、言語そのもの資料不足で実態不明だろ。 >>14
吏読があるだろそんなことも知らんのか
そこにハングルを振った史料があり、そこから遡及して解読が可能だ >>7
渤海として復活したけどそれほど強いというイメージないね >>9
教科書とかだと新羅は平壌を取ったみたいに書かれてるけど、
実際はそうではなかったということか >>12
とはいっても、李氏朝鮮が近世だったのかどうか
中国は宋からが近世になってるけど >>19
アヘン戦争まで古代、南京条約から近世だろw ハイキュー(´・ω・`) カワイソス
日本にぼろカスに言われて反省文まで書かされて… >>21
たしか白頭山の噴火で滅んだんじゃなかったか? >>8
満洲語だと、「海」は mederi だね。 >>25
やはり高句麗ツングース説はめちゃくちゃだと思うのだ
あのような説を支持する連中は嫌韓のあまり正しい判断が不可能になっている 高句麗、百済、新羅のみならず朝鮮の君主全般に言えることだが、朝鮮の君主の肖像画ってほとんど残っていないよな。日本や中国の君主は結構肖像画が残っているのに。 >>18
数は少ないが新羅時代の作とされる詩歌が存在している
信憑性でいえば王仁の難波津の歌ぐらいなもんだと思ってくれ
以下は研究者によって解釈が一定していない『彗星歌』を自分で訳してみたものだ
既存の翻訳のいいとこどりをした上で独自の解読を加えてるからあんまり信用しなくていいぞ
以下上から順に原文、形態素をできるだけ表したYale式、音節で区切ったIPA、それのハングル表記、和訳な
舊理東尸汀叱
yeri soyl muls-ko-s
jə-ri sʌjl mɨls-kʌs
여리 ᄉᆡᆯ 믌ᄀᆞᆺ
旧(ふる)く東(ひむかし)水(みづ)の辺(へ)の
乾達婆矣游烏隱城叱兮良望良古
kentalba-oy nwol-won cas-ol-rang po-ra-kwo
kən-dal-ba-ʌj no-ron tsa-sʌl-raŋ pʌ-ra-go
乾達婆(건달바)ᄋᆡ 노론 자ᄉᆞᆯ라ᇰ ᄇᆞ라고
乾達婆(けんだつば)の遊ぶ城をと望まば
倭理叱軍置來叱多
yeri-s kwun-twu way-s-ta
jə-ris kun-du wajs-ta
여릿 軍(군)두 앳다
倭(ヨリ)の軍も来たり
烽燒邪隱邊也藪耶
hway thoy-ya-n kwusi-ye swuphwul-iya
hwaj tʰʌj-jan ku-si-jə su-pʰu-ri-ja
홰 ᄐᆡ얀 구시여 수푸리야
烽(のろし)焼きたる辺(へ)の藪ならば 三花矣岳音見賜烏尸聞古
samhwa-oy worwom pwo-siW-wo-l twut-kwo
sam-hwa-ʌj o-rom po-si-βol tut-ko
三花(삼화)ᄋᆡ 오롬 보시ᄫᅩᆯ 둗고
三花(サムファ=三人の花郎)の岳(たけ)見賜ふを聞きて
月置八切爾數於將來尸波衣
tol-twu pocuri cocwu cyang wo-l paGuy
tʌl-du pʌ-dzɨ-ri tsʌ-dzu tsjaŋ ol pa-ɣɨj
ᄃᆞᆯ두 ᄇᆞ즈리 ᄌᆞ주 將(쟈ᇰ) 올 바위
月も盛んに、度々将、来たる磐(いは)
道尸掃尸星利望良古
kil psul pyeri po-ra-kwo
kil psɨl pjə-ri pʌ-ra-go
길ᄡᅳᆯ 벼리 ᄇᆞ라고
道掃く星望むと
彗星也白反也人是有叱多
hyeysyeng-iye solWanye sarom-i i-s-ta
hjəj-sjəŋ-i-jə sʌl-βa-njə sa-rʌ-mi is-ta
彗星(혜셔ᇰ)이여 ᄉᆞᆯᄫᅡ녀 사ᄅᆞ미 잇다
彗星(ヒェイション)なりと白(まを)す人有れり (後句)
達阿羅浮去伊叱等邪
tol-ara pte-kay-s-toya
tʌ-ra-ra ptə-gays-tʌ-ja
ᄃᆞᆯ라라 ᄠᅥ갯ᄃᆞ야
月の下、浮き往きにけり
此也友物比所音叱 兮叱只有叱故
i-yay tem-ul musum-s hyey-s-ki i-s-ko
i-jaj tə-mɨl mɨ-sɨms hjəjs-ki is-ko
이예 더믈 므스ᇝ 혜ᄭᅵ 잇고
此れに伴ふを何れの兮(ヒェイ=彗)なる有れりと >>26
ウィキペディアの高句麗の項目を書き換えてくれ
ツングース系ということで決まりという形になっている >>28
いや、王仁の難波津の歌は確かに存在してんじゃん。今の日本語の口語の知識でも十分に内容が分かる疑いようもない日本語じゃん。
飛鳥時代の寺や屋敷の跡から木簡が出てる。王仁が仕えた応仁天皇が外交積極策をとって難波京を重視していたのも事実だし。 >>28
形態素って言葉好きだよねえ
「万葉集は朝鮮語で読める」系の人かな? >>32
王仁は飛鳥時代じゃなくて古墳時代の人ですよ〜
日本で木簡が出だす時期だと何百年も遅い 古墳時代と飛鳥時代と、区別する必要あるの?
支配層も支配される領域・民も連続しているのに。 応神朝は継体朝とは違う王朝ぞ
父系は同じと主張しているがそれでもヨーロッパ基準なら別扱い >>36
どちらも渡来人と関係が深いのはきになるな
応神もそれまでとは別王朝くさいし 殷王の叔父が初代朝鮮王と中国側では言っているんでしょ 【テレビ】“原爆Tシャツ着用”で波紋『ビルボード200』1位のK-POPグループ『防弾少年団(BTS)』、今日放送「Mステ」出演をキャンセル。テレ朝「Tシャツ着用の意図を所属レコード会社に伺い、総合的に判断」★5
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1541691169/ しかし朝鮮のことを韓というのは、
北京のあたりにあった韓という国の移民が住んだからとか
(なお韓は西に移動していった) それ言い出したら漢と同音だから韓と漢は同じ民族という結論に 衛氏朝鮮を建てた衛満が韓の出身で国号を韓に定めたという説もある 漢朝により朝鮮半島に設置された真蕃郡
真蕃郡(マハン)は後に馬韓(マハン)と漢字表記が変わってるが
発音は(マハン)だと思う、両方音で一致するから
朝鮮半島南部は中国の使節によると韓、倭、濊わい、の三種の部族が居たと
蕃は野蛮、蕃人に通じるので中原の王朝に有った韓に鞍替えしたんだと思う。
濊わいも意味嫌って、扶余や高句麗と名称変更してるし。 なんでガイジは日本語のハ行が昔はパ行だったことを理解しないんだ むしろ 韓 て 加羅 の別の当て字(原音同一?)なんじゃないの?
もちろん中原云々は本来全く関係無い話として >>8
mederi
pada (bada)
wata (wada)
umi (uNa)
さらに多数の言語別のサンプル欲しいな
もしや同根の可能性あり? >>45
いっちしねーよ。
蕃の頭の子音は唇音、韓の頭の子音は喉音じゃないか。 >>48
トンスルランド族は、昔から、ラリルレロ言えなかったの? 朝鮮人日本兵の蛮行
http://politics.wealthyblogs.com/archives/3605
日本兵を騙って蛮行の数々をおこなった朝鮮人
日本兵にしてやった日本軍に恩を仇で返した朝鮮人
日本軍の評判を貶めることばかりしたのが朝鮮人であった 「弁」というのを朝鮮語訓読みすると「カラ」になるらしいね >>51
わけの分からん煽りする暇あったら、やまとことばから頭文字ら行音の語彙見つけてきなさい
もしあったら学会発表ものだけど
ちなみに現代韓国語の外来語では語頭Rあるからな
「ライン」をどこの会社がやってるか知ってるだろ >>54
ちゃんと発音できないから、ヤインとかナインとか言うんだろ? >>54
韓国の人たちも「ライン」って発音してるよ
それだけのことだ それとも、連中、自分らがちゃんと言えてないことも判ってないのかな? >>58
仕事で韓国の人の応対をすることもあるんだが、普通に語頭rも発音してるな
はい、この件ここまで 次行こう >>60
そんなに気になるなら、YouTubeなりネット配信テレビなり
韓国関係で外来語出てきそうな動画見て、言葉聴いてみればいいんでないか 見たことないわーとか言ってる奴がすでにソースは俺状態w ないものをソース出せとか、それなんていう悪魔の証明? 日本列島の中に、
隼人やアイヌの国はもちろん、
小百済国や小高句麗国があってもよかったな
まあ中国にあってもよかったけど
ヤマト朝廷は同化する力が強かったのかな 高麗郡と百済郡をわざわざ作ってくれてただろいい加減にしろ! 百済系、高句麗系の神社とかもどうせ
他の神社とかわらなくなってそう >>12
朝鮮人は進歩しないから現代もいまだに「古代」に属しているといえる 武臣政権とかもあまり話題にのぼらないな
日本の武士みたいに研究はされてるんだろうか? >>71
武臣政権時代は中期高麗だから、時代区分としては中世に当たる。
日本では一般的にはいまひとつ知られていない時代だが、韓国ではもちろん研究書も多数出ている。
ちなみに、韓国のテレビ大河ドラマのメインテーマとして武臣政権時代が採り上げられたことも複数回ある。 作れないのは自動的に水を高いところに挙げる揚水車であって
足踏み式のショボい水車なら作れたと書いてあるわ! >>72
朝鮮の歴史の本が少なすぎるな
図書館には「新羅国史の研究」くらいしかなかった >>74
そもそも李朝では軸を中心に円盤が回る機構そのものが作れなかったろ
足踏み水車どころか荷車すら無い。車輪のようなものは、貴人の輿はチャイナから賜った車輪を後生大事に一個だけ使って前後で下僕が支えるというようなもの >>76
コピペの元ネタの朝鮮王朝実録の原文も読んでないNTUY兄貴は頭唐澤なんだよなあ
だいたい回転の機構が作れなかったら紡錘も轆轤もないんだゾ
両班の乗ってるあれにしても車輪は作れても同じ規格の物を複数作れないから一輪なんだゾ
車輪を作る技術が低いギリ健レベルなのは事実だが作れない程のガチガイジじゃないってはっきりわかんだね >>77
紡錘は別段、回転しなくても、なんぼか不便なだけで(かなり非効率的だが)、布は織れる。
南米の奥地のヤノマミとかラカンドンとかは20世紀末くらいまでそうやって布を織っていた、
そもそも紡錘を使わない織機もあるしな。日本では布には使っていなかったけれど、畳や莚は紡錘無しの織機を使っていた。
回転式の轆轤は無かったろ。高麗白磁があんなに歪んでるのは、轆轤が作れなかったから。
スッキリした形の青磁は、ありゃ、20世紀以降の贋作ばっかり 李氏朝鮮からが現在の朝鮮の歴史
それ以前は朝鮮ではない >>80
ただ、武臣政権の場合には、高麗のもともとからの君主を推戴しつつ実質的権限を武臣が握る形式だったので
国王になろうとするのとは直接的な意味合いが違うね >>82
いや最初で武臣で政権握ったやつは国王になろうとしたらしい さて、そろそろ本来のテーマの後三国以前の話題にかかろうや
てか、やっぱり一番展開が激烈なのは5世紀から7世紀かね >>83
それって李高あたりのこと?
でも支持基盤があまりに弱すぎて現実的な話じゃなかったな
他の武臣の幹部連中は誰も支持してなかったでしょ >>84
周が三代目の王朝でしかないのと同じで
新羅は三国のうちのひとつでしかないということが
両者が天皇のように続くことができなかった理由 古代朝鮮における日本ってなんなんだろ
なんで朝鮮に介入してんだ
やっぱ大和朝廷は古代朝鮮由来? ていうか九州には日本じゃ珍しい支石墓が結構な数あったりする
古代には境界意識はあんまり強くなかったんじゃない? 島の側も大陸の側もお互いに >>91
三韓征伐を機に馬を使いだしたというのは確か >>93
第三者の客観記述があるんですかそもそも
このスレ、ナショナリズム宣伝の場所じゃありませんので 考古学的にも4世紀末から5世紀初頭頃の九州北部から確実に馬が使用されていた証拠が出てるだろ
丁度応神朝の勃興と重なる時期だ
それ以前は馬がいなかったかいても大陸から連れて来られた珍獣程度の認識で軍事的な利用はされてなかった >>95
それが「三韓征伐」実在説の客観的証拠になるかというと、それは違うでしょってことですが そんなことはどうでもいい
広開土王碑はウソニダは通用せんぞ >>97
別に、広開土王碑の記述の否定なんて自分は論じていませんが
一人相撲はやめてください 相撲取りはお前だデブ!
高句麗壁画の手博図にもすもうをとるチョッパリが描かれているのが証拠だ >>95
馬みたいな手のかかる大喰らいな生き物を、役にも立たないまま飼うていられるかよ >>90
魏志東夷伝に狗邪韓国は倭の「北岸」って書いてあるけど
というか超未開部族のヤマノミですら境界という概念はあるし
なかったのならお互いに土地を巡って戦ったりしてません >>102
ただ、それで言えば
日本列島では九州くらいしか支石墓が多くない、というか九州には結構多いというのはどう説明できるかねえ
本州や四国には稀にあるってくらいで、時代比定から見てもそれらは九州より後でしょ では戦国時代の九州にキリスト教徒が多かったのは当時の日本とポルトガルの境界意識が薄かったからと言えるのか? >>104
すくなくとも日本人という意識うすくなってそう >>104
キリスト教徒であるということと日本人であるということは
別に矛盾しないと思うけど
てか、今でいう日本列島の住民の集団全般が或る程度以上の同一感を持ち始めたのって
ぶっちゃけたところ天智天皇・天武天皇の時代以降ぐらいじゃないのかな
それこそその契機って、ずばり、白村江での大負けだったんでは
で、「やばいよこれ・・・」っていう状況下でそういう意識が醸成されていったというかなんというか
時代下って江戸期ですら、一般の人たちのアイデンティティって、
どこそこ村の者、せいぜい広くて何々藩、どこどこの(律令)国の者って感じだったんじゃないの いつ日本人が一つの民族になったかってのは難しいな
見た目で朝鮮人と区別できるようになってからだろうか? >>103
支石墓があるからそれがどうしたの?世界中にあるけど
例えば栄山江流域には前方後円墳が日本より遅れて作られ始めるけど
精々墓制に影響与えるぐらい交流があったんだなぁという輔佐にしかならない
>>106
どこどこの村の者であるという帰属意識と日本人であることというアイデンティティーは別に矛盾しないと思うけど
古代ギリシャではアテネ人だとかスパルタ人だとか都市ごとに帰属意識を持っていたが
同時にお互いにギリシャ人同士と言う意識もあった
中国なんて未だにそんな感じだよな
もしお前の理屈のように古代人が境界と言う概念を持たないコスモポリタニズムにあふれた連中だったらあんなに戦争ばかりしていません >>107
アメリカ人とかアラブ人とか黒人もいれば白人もいるんだけど
見た目で民族の区別って出来るの?
というか人種と民族と語族との区別ついてる?
日本人って世界でも稀有な単一人種単一民族単一語族国家だからそこら辺の区別ついてない人多いね >>108
だから、或る程度までは日本列島の住民ていう意識は江戸期ならあっただろうけど
明治以降みたいな「我こそは日本人なり」って感覚にまでは江戸期の人が行ってたかどうか(特に一般庶民)
てか、日本列島より外については、特に東日本の人はほとんど意識してなかったかもね
だからこそ黒船パニックが起こったんでは
その辺からしても、西日本、特に九州は東日本よりもかなり感覚が違ったんじゃないか
明治維新の中心が薩長土肥だったのは偶然じゃないような
とは言っても、これとて、古代とはもちろん様相が違うし 江戸時代に能登に朝鮮人が漂着したとき、
衣服も風習も日本人と全く違っていて
周辺の村からも見物人が大勢やってきたという
この時点では日本人と朝鮮人がはっきりと違う民族になっている >>108
コスモポリタニズムと境界意識は裏腹な面もあるけどね
ていうか(現実的な社会構築でいうなら)順序が逆でしょ
古代の九州北部の人にとって、それこそ今でいう栄山江流域と今でいう利根川流域って、
どっちのほうが馴染みがあっただろうか >>107
そりゃちょんまげ結い始めてからだろ
日本書紀に「東夷之中 有日高見國 其國人 男女並椎結文身」とあるから東北の方だと古代からちょんまげしてた様だな >>106
キリスト教を知る前の祖先はどうなるのか? → 地獄行き決定。既に地獄に落とされてる
神は全知全能のデウス一柱のみ
と、
祖霊や地祇の庇護と恩恵の元に築き上げた今
と、大いに矛盾するよね >>113
江戸時代どころか平安時代に渤海の使節がやってきたときも、同様な騒ぎに。 >>107
蝦夷、隼人、熊襲、南島の出の氏族は、地祇氏姓が多いけれど、天孫氏姓、天神氏姓、皇別氏姓もある。畿内と同じ。
任那、三韓、漢土の出の氏族は、全て、諸蕃氏姓。
なんぼか習俗が違っても列島内は本質的に同じ仲間、大陸は別の人種、って意識が既に律令時代の早い時分にあったんじゃないの? >>116
まあそれはその当時の一般的教理解釈でしょ
今は違うけどね
それはともかく、日本列島で古来の環境と言語のもとで醸成されてきた社会の構成員なら
宗旨がどれであれ日本人だという定義付けは可能かと
・・・てかここって何のスレ >>119
朝鮮民族の形成を語る上で、
「日本人との分離」は欠かせないからしかたなち >>112
意識していたからこそ黒船パニックみたいなことが興ったんじゃないんですかね
あんたの理屈だと西日本からの船が来たときも黒船と同じ反応してないといけないわな
>>114
江田船山古墳の被葬者ムリテは埼玉の稲荷山古墳の被葬者ヲワケと同じくワカタケル大王に仕えていたのだから
同じ王を抱いてる者同士利根川流域の住民のほうが近しい存在だったろうね
>>120
それって最早古代と言うより有史以前の話になってくるのだけど >>118
クマソや蝦夷のほうが、
百済の人間よりも近く思えるのは不思議だな >>122
現在の日本人でも男系では過半数が縄文以前の血統を保持している >>123
D1bのことなら過半数もいないぞ
過半数(50%以上)検出されたのは沖縄本島とアイヌ
本土なら大体30% 40%超えたら多い方 >>124
それだけではない
O1b2は渡来人とは無関係で縄文時代から日本在来だ >>126
朝鮮人骨からも採取されてないがな
なぜなら発祥した時期に朝鮮半島に人が棲んでいる痕跡すらないから >>128
そのO1b2が日本→韓国のルートで来たんやで
その証拠に朝鮮半島南部から発掘された新石器時代の人骨は縄文系の旧モンゴロイド形質を持ち、土器も西日本の縄文土器に類似したものを使っとった
その後北から来たエベンキ系や支那系と混血してその結果朝鮮人が生まれた >>121
>西日本からの船が来たときも黒船と同じ反応してないといけないわな
・・・え? まさかその・・・・・・北前船ってご存じありません? >>121
江田船山古墳の出土品って、おもいっきり中期百済風なんだけど
それに、貴族層はともかく、一般の人にはそもそも今の本州東部って「どこそれ?」だっただろうし
なんだかんだで直接的行き来は百済あたりとのほうがよほど活発だったんでは(それこそ当時の出土品) 百済を支配下に認めろと親書送ったあの倭王武なのだから百済の品物を部下に下賜するのは当然なんだよなあ >>132
馬鹿なのか?
Y染色体には顔を決める遺伝子は乗ってないぞ いちいちそんな、まだるっこしいことするかね
それこそいわゆる磐井の乱って、江田船山古墳の築造よりも後ですよ
上の議論に立ち戻る格好だけど、
そもそも、白村江の戦い以前の時期に、大和朝廷そのものがそんなに強力な集権体制持ってたようにはとても見えないし >>134
Y染色体自体には無くても付随する民族集団ごとの傾向はあるよ
明らかにOは新モンゴロイド Dは古モンゴロイド的特徴がある
日本 D1b
https://i.imgur.com/SQvKxWY.png
中国 広西チワン族
https://i.imgur.com/pl2qg3X.jpg >>137
おまいは一体何と戦っているんだ?
>>139
じゃあ縄文人とチベット人とアンダマン諸島人とアフリカのどっかの部族は同じハプロDだから同じ顔な
ってアホか! >>136
不思議なことに京都のデータだけはいつも無いんだよな
といっても採取する場所や人数で全く結果は変わるけどね
数百人規模ならどこでも平均値になるし
少なかったり僻地すぎると当然偏りが出る >>140
いや別に戦ってはいないよ
天智天皇よりも昔の大和朝廷が
今の関東から九州に至るまで
そんなにがちがちの中央集権体制で治めてたとは見えないし、ってこと 中央集権体制がどうのこうのなら前漢代までの中国も似たようなもんじゃんよ 日本語と朝鮮語(新羅語の娘言語)の分化は1万年以上前だろうけど
百済語、高句麗語は日本語と同系で扶余語族を形成するっていう説があるから
それを考慮すれば古代朝鮮スレで語っても悪くはないんじゃないか >>144
日本史の議論を初めから明確に含めると、
どうしてもそっちのほうに議論の重心が掛かってスレの本題がそっちのけになりそうだから、
基本はやはり三韓・三国・統一新羅・後三国の議論にとどめるほうが、落ち着いて議論できそう >>141
たとえば人口が多い地区からも百人、人口が少ない地区からも百人サンプルをとったとすると、
得られる結果は日本全体の平均値とは全く違うものになると。 >>37
11月8日 5時から8時までの間に修正が入ったのでは? >>130
・・・え? 北前船が来るたびに黒船並みの騒動になってたんですか?
>>131
>江田船山古墳の出土品って、おもいっきり中期百済風なんだけど
大まかに言って甲冑類はいわゆる倭系短甲や衝角付冑といった日本固有のもので
銅鏡類は漢代の中国で制作されたもですけどこれのどこがおもいっきり中期百済ばかりなんですか
>それに、貴族層はともかく、一般の人にはそもそも今の本州東部って「どこそれ?」だっただろうし
>なんだかんだで直接的行き来は百済あたりとのほうがよほど活発だったんでは(それこそ当時の出土品)
一般の人にとっては百済も「どこそれ?」だろうに
百済の武寧王の木棺が高野山の木で作られていたり新羅金冠の勾玉が糸魚川産なんだけど
和歌山や新潟はそんなに頻繁に半島南部と行き来があったんですか?
>>132
多分あなた相当田舎に住んでるか滅多に外に出ないタイプの人でしょう
中国韓国の人は男でもスネ毛ツルツルで生えないから一発で見分けつくよ
というかアジア系で全身ボーボーなのは日本人ぐらい >>148
>北前船が来るたびに黒船並みの騒動になってたんですか?
西日本の船で東日本が大騒ぎなんてなってないでしょう? という意味なのは自明だろうに
>百済の武寧王の木棺が高野山の木で作られていたり新羅金冠の勾玉が糸魚川産なんだけど
>和歌山や新潟はそんなに頻繁に半島南部と行き来があったんですか?
あのねえ
武寧王の木棺が高野山の木で作られたって、どこで見た話?
日本産木材使用品ではあるけど、それが高野山の木なんて記録がどこにあるの
きみ、或ることで大変な勘違いしてる よくよく勉強し直しなさい
そもそも、高野山金剛峰寺がいつ開山された寺か考えてみなさい
それはそうと、海の道ってのを馬鹿にしちゃいかん
古代以来、船は長距離輸送の定番だ
玄界灘側・日本海側はごく普通に大陸と行き来してたんだが
それこそ(真偽の如何はともかく)武寧王の生誕地伝説まであるのが九州付近だ >>150
コウヤマキという種類の樹を高野山の樹だと勘違いしただけだろ
それぐらい察しろ >>151
151氏自身は148氏ではない横レスなのかもしれないが
148氏の場合は揶揄目的か何かでパッと見話の受け売りしてるのがつまらないからね
148氏は大して勉強してないのが明白
これ以上深入りするのもつまらないので、もう切り替えよう >>148
違う種類の騒ぎにはなってたけれどな。
産品を買ってもらおう、この辺りでは産しない物品を買い求めよう、遠方の産品の発注をしようと、大勢が商機を求めて殺到した。 >>151
いやこのサイトの記述を鵜呑みにしてたんだよ
http://www.geocities.jp/cnntbs/index.html
>武寧王の棺は、紀伊半島の高野山でしか採れない高野槙(こうやまき)という木でできている。
ググってみると高野槙自体は済州島にも自生してるそうで日本産とは限らないな
>>150
あのさぁ・・名称が出来る前から後に「高野山」と呼ばれることになる山そのものはあっただろ
それと>>148は>>131の「江田船山古墳」の出土品の一部に「百済風」 があったからといって「今の本州東部」より「直接的行き来は百済あたりとのほうがよほど活発」だったというレスに対する反論だから
微妙に的外れ
そりゃ交易商の往来は半島南部と九州で頻繁にあったろうがそれは東日本にしても同じことだし
「一般人」がどの程度の階層の人間を想定しているかによるがそう簡単に往来できたとも思わない
>>152
自分がそう思う思わないでしか語れないお前よりマシ
>>153
そんなレベルの話じゃなくて北前船も黒船と同様「異国」の船として認識されて大騒ぎしてたのかってこと
一般庶民は近代以前は藩や村以外に帰属意識を持たなかった日本という枠組みも知らなかったのなら北前船も当然「異国船」として江戸の町民に認識されてないとおかしいわな >>154
黒船はもちろん、
それよりも自分たちに遥かに近い朝鮮人を見ても大騒ぎするくらいだし ジャップはチンパンジーに近いからチンパンと出くわしても驚かない >>154
言葉通じるし、着てる物から風貌まで大差ないのが、騒ぎになるんかいなw
立派な船やねー、どこから来たん? 何用なん? ところでご飯食べる?
くらいで驚きはせんがな。 >>136
て思うじゃん?今年取られた統計だと青森や宮城と言った東北よりも古代百済や新羅からの移民が多かった
奈良のほうがD1bの比率が高い
でアイヌ人はD1bの占める割合が8割と本土比べて圧倒的に高いけどほとんどがD1bとD1b1で
D1b1aに限って言えば本土の半分か4分の1しかいない
また沖縄はD1b1とD1b1aがほぼ半々の割合でいるがアイヌで高頻度で見られるD1bはほとんどいない 統計学的にはサンプル数50を超えると誤差10%以下の領域になるので1000も2000も集める必要はない
https://toukeigaku-jouhou.info/wp-content/uploads/2015/08/gosaheriguai-gurafu1.jpg
30は少なすぎる気もするが例え1000人分取ったとしても
数値がひっくり返る可能性は限りなく低いよ なぜか知らんがY染色体ハプロの分布がそれ以上拡がらなくなる限界線ってあるよな
でなきゃ今頃世界中こんなにハプロタイプの比率に差なんか出ないで >>161
いや変わるよ
山口県にC2が16%出るなんて朝鮮部落出身者がいるに決まってる なぜか知らんがじゃなくて大抵の人種は地理的文化的に近しいもの同士の通婚がほとんどなんだから
普通に考えればわかる話でしょ >>163
どの市町村でも朝鮮人人口は1%に満たないのですけど
http://area-info.jpn.org/KorePerPop350001.html
それが偶然無作為検査に引っかかってかつC2ばかりで大きく統計に影響を与えた可能性とかどれぐらいあるんですかねぇ >>159
国栖とかがいた南部で取ったんじゃないの?
国栖って縄文系だろ >>163
山口に中華系が多いのは昔からの話でしょ >>168
殿様までそっち系だったことがあったよな。大内義弘とか そんなこと言い始めたら島津も長曾我部もそっち系だし
天皇も母系たどると百済王とか公孫氏とつながる >>170
うそぉん。そもそも母系辿ること困難だろ 百済の武寧王の息子純陁太子が日本に帰化して出来たのが和(高野)氏なので
日本で言う所の宮家に相当
「北史」によると東明(朱蒙)の後に仇台という者があって後に帯方郡に百家を率いて建国したことから
国号を百済とする後に強国となって公孫氏の娘をめとったとあるから公孫氏の後裔でもある 平野神社ではかまどの神とか祀ってたし、
百済にいる時はただの職人だった可能性があるな 平野神社の主神の今木神の由来はいろいろで、竈神説はそのうちの一つだな
でも決定的な説というわけではないだろう
高野新笠の祖神説や、それこそ渡来神説もある
ちなみに余談的横レスだが、
古代ローマじゃ、竈の女神ウェスタは極めて重要な女神で
ウェスタを祀る巫女さんは、古代ローマ社会最強級のご意見番の一人でもあったそうな >>172
高野新笠の生母は土師宿禰真妹。土師宿禰は、遠祖が天穂日命の、天孫氏族じゃん。
のっけから、ブッ途切れてるで。 >>175
坂上田村麻呂が、阿弖流為をしょっ引いてきた御褒美に、摂津国平野郷の荘園を貰ったことが始まりじゃないの? >>177
それは母系の話でしょ
武寧王の話は父系でしょ
双方、真偽はともかくとしても >>179
“天皇も母系たどると百済王とか公孫氏とつながる”とかいう>>170の話は破綻してんじゃん。 >>1
古代だと箕子朝鮮と衛氏朝鮮しかないだろ
百済とか新羅とかは朝鮮ですらないし >>182
記紀がそう間違えるならまだしも、三国史記まで「新羅崔致遠曰,馬韓則高麗,卞韓則百濟,辰韓則新羅也」なんて言っちゃってるんだよなあ
もう滅茶苦茶だよ >>183
いやだから、韓方面にある三つの国で、三韓。だから、百済、新羅、高麗で、三韓なんだよ。
弁韓・辰韓・馬韓なんていう国は無かった。
それぞれ数十の邑里が割拠している地域を、なんとなく、東部を辰韓、西部を馬韓、南部を弁韓と総称していただけ。
国や地域勢力してのまとまりの無い時分をあたかも三つの国なり地域連合なりが存在したような言い方をするのは誤りだ。 >>174
新笠が百済系なのは間違いないだろうが、
王族の可能性は低いだろう 「後漢書」馬韓伝
韓有三種:一曰馬韓,二曰辰韓,三曰弁辰。(中略)
皆古之辰國也。馬韓最大,共立其種為辰王,都目支國,盡王三韓之地。其諸國王先皆是馬韓種人焉。
韓に三種あり一に馬韓、二に辰韓、三に弁辰と言う。
みな古の辰国である。馬韓が最も強大であり、その種の者を共立して辰王と呼び、目支国を都と定め、三韓全土の王とした。
また諸国の国王の先祖もみな馬韓種の人々であった。 >>186
共立其種為辰王
の読み方、おかしくないか? 共にその種を立てて辰王と為す
みんな先祖は辰王だ、の意 馬韓最大,共立其種為辰王,都目支國,盡王三韓之地。
其諸國王先皆是馬韓種人焉。
馬韓最も大にして、其の種を共に立たてて、辰王と為し、目支国を都とす。盡く三韓之地に王たり。
その諸國王も先は、みな是、馬韓種の人なり。
>>188
どこをどうひっくり返して読んだらそうなるんだよ。 >>180
すまん、言ってる意味がよく分からないんだが
母方にしても父方にしても、親や先祖には違いないだろう >>184
なんだおめー漢文が読めないのか?
新羅時代に生きていた崔致遠とかいう奴が馬韓が高麗(高句麗)で卞韓(弁韓)が百済で辰韓が新羅だと高麗時代に書かれた三国史記に書いてあるんだゾ
これは辰韓=新羅を除けば明らかに誤りであり
正しくは高句麗は三韓には含まれず、馬韓にこそ百済の前身である伯済国が含まれる 強いて言ったら、ミクロネシア、メラネシア、ポリネシアを、三ネシアというような感じ?
ポリネシアこそ人種的文化的共通性が高いけれど、一つの国になったことは無いし、
ミクロネシア、メラネシアは、あのあたりって地域的なもの以外共通性が無いよね。 >>191
お馬さん用語で喩えて言うと、メアーラインが途切れてるだろ
ってことよ 漢字はちゃんと小学生からやってないと本当の意味で身につかないのね。
ホロンブ活動用の付け焼刃だから、そんなふうに見えたりするのよ。 >>203
競馬みてないからその用語は知らなかったが、要するに母系だけ辿るってことか?
どっちにしてもきみが言ってるのはここで論じてることとは違うだろう
続日本紀で、高野新笠が和氏の家門の人でその和氏の先祖は武寧王だとされてるってことであって、
高野新笠の母系だけ辿ってるのではないのだから 女系、母系という言葉が非男系の意味でつかわれる場合と純粋な母系の意味でつかわれる場合でまぎらわしいよな >>206
だってさ、皇室は父系だけ辿って行くと神武天皇に行き着くし、更に父系だけ辿って天忍穗耳尊に行き着く。
天忍穗耳尊は、女神の天照大神の子。
こういうのと対比で前置き無しに「母系ををたどると〜」なんて言い出すんだから、当然、母系だけ辿るものだろ? >>206
10世代血統ロンダリングを重ねてようやっとこさ11代目に国母たる資格ができたともいえる。
いきなり百済出の姫さんだとかだと、とてもじゃないが入内できない。 >>209
新笠が桓武天皇を生んだ時点では父親が天皇になれる可能性は非常に低かったはず 低いし、立太子時点でもおかしい相応しくないという意見は進化に多かった。
10世代でもまだロンダリングがギリギリということだ。 いや、問題は10世代どうのこうのではなく、和氏が桐壺更衣のように出自が低かったことなわけで。
もし蘇我氏のように渡来以来ずっと高位氏族だったら問題にはならない。 自称ではなく、本物の百済の王族とかなら少しはちがったかもしれない
ヨーロッパなら隣国の姫を正妻にしてるし >>212
渡来ってなによ?
蘇我氏は、族祖蘇我石川宿禰が武内宿禰の子で、遠祖が孝元天皇の、皇別氏族だけれど? >>213
桓武天皇の生まれる70年も前に百済なんて滅びて無くなってるよ。
百済を属国にして王族を多数抑留していた時分にも、妃に上げたりしてはないわけだけれど。 桓武は皇族と渡来系を結婚させてたみたいだけど、
それは桓武だけかな
ちなみにそれで生まれた子の子孫が宇多天皇の母の母になった 桓武天皇の息子と渡来系氏族の娘の間に生まれた子が
宇多天皇の祖母(母の母)になった >>214
蘇我氏 = 百済王族
説は昔からある。 だからさー、武内宿禰裔なんだから、新羅やら百済やら攻めた側だろ。 蘇我氏が、帰化姓の部曲を掌握していた史実が受け入れたくなくて、
まああれだろ、いつものウリナラファンタジーで、
偉大なる韓民族が倭奴なんかに唯々諾々と使われてなんて信じたくない、
そうだ、偉大なる韓民族の王孫だから部曲の部民が付き従っていたニダ
くらいのことなんだろ >>215
そもそも百済の王族を多数抑留したとか日本書記や古事記にも書いてないんですけど
人質になるのは世子一人
三国史記のほうを見るとあれって王位継承者の身の安全を図る意味合いもあったぽいけどね 百済でも、初期→中期→後期とあるけど
中国北朝が、
鮮卑色強い時期→漢化期→鮮卑色復興期と変化したようなもんかな >>222
どちらかといえば首都別に分類するほうが分かりやすいかな
漢城→熊津→泗沘
異動するごとにそれぞれの在地勢力が腹心になっていった感じかと
聖王(聖明王)が泗沘遷都後に「南扶餘」の国号を名乗らせたとあるけど、形式的だったのかも
出典が三国史記だけだし >>223
異動 → 移動
まあ人事異動もかなりあったとは言えそうか >>221
世子を抑留する、現地に置いて養育するより本国で保護した方が安全て、完全な属国じゃん。自立性もヘッタクレもない。 こう言っちゃ何だけど、なぜかこういうスレでは「百済は日本の属国」だという風説がいつも独り歩き・絶対視されたりするな
しかもその論拠に挙げてあるのが実際には日本書紀だけだったりして、第三者視点の史料と全然突き合わせてなかったり
旧2Ch・現5Ch或いは世のネットカスケードなんてそんなもの、って言ってしまえばそれまでなのかもしれないが
もう少し多面的な考察をしていきたいものだ >>223
おそらく国名を南夫余にした時は、中国の北周のように、
再度夫余色を強めようとしていた時期だったのではないかと思う >>226
百済は属国って言ってる貴方の前にレスしてる人はこの板では有名な偏見持ちの荒らしなので
普通の人は認識こそあれ堂々とは口に出さない >>226
属国にしようとしたが認められなかっただろ
実質的な属国なのと法的にも属国なのがある
日本はアメリカの実質的な属国だが法的な属国ではない >>229
どのみち属国なんだから、自国領と同じようなものじゃん。
徳川時代の大名領の減封とか加増とか同じようなもの。天領から割いて大名領の加増を行うこともしばしばあったろ。
本国=幕府領、属国=大名領だ。
ソビエトもそうだな。ブジャクをモルダビアからウクライナに移し替えたのが、任那から百済に四県の所管を移したのと似たようなものだ。
本国から属国にも割いてるぞ。二三年前ゴチャついてたクリミアもソビエト時代に、タブリダ共和国(属国)→クリミア共和国(属国)
→ロシア共和国クリミア州(本国編入)→ウクライナ共和国クリミア州(属国に割譲)ってふうに、どのみち本国の統制が利いてんだから
どっちの管轄でもさして違わんってふうにな。 >>226
「広開土王碑文」
百残新羅旧是属民由来朝貢而倭以辛卯年来渡□破百残□□□羅以為臣民
百済や新羅は古くから属民として朝貢してきたが、辛卯年、海を渡ってきた倭に百済、□□、新羅も破られ、その属民となってしまった。
「三國史記」卷三 新羅本紀 第三
實聖尼師今 元年 三月 與倭國通好 以奈勿王子未斯欣爲質
實聖尼師今 元年 三月 倭國と通好し奈勿王の子の未斯欣を人質として差し出した。
「三國史記」卷二十六 百濟本紀 第四
阿莘王六年 夏五月 王與倭國結好 以太子腆支爲質
阿莘王六年 夏五月 王は倭国と誼を結び、太子の腆支を人質として差し出した。
「宋書」卷九十七 列傳第五十七 夷蠻
詔除武使持節、都督倭新羅任那加羅秦韓慕韓六國諸軍事、安東大將軍、倭王。
詔によって倭王武を使持節、都督、倭、新羅、任那、加羅、秦韓、慕韓(馬韓)六国諸軍事、安東大将軍、倭王に除した。
使持節・・裁判権
都督・・行政権
諸軍事・・軍事権
隋書 卷八十一 列傳第四十六 東夷
新羅、百濟皆以倭爲大國,多珍物,並敬仰之,恆通使往來。
新羅、百済もみな倭を宗主国としている。珍物が多き国として、敬仰の念を抱いており、常に通使が往来している。
大国・・漢文では現在よりはるかに強い意味合いで使われており覇権国とか宗主国というニュアンスで使われる。
例えば朝鮮王朝実録上での大国は明や清を指す。 倭王武が認めらた称号
とくに使待節の意味をもっと調べたほうが良いぞ
管轄地域に置いて皇帝代理として振る舞えるってことだからな >>234
南北朝の時代にも隋代にも、
日本との関係とは直接関わり無しに、百済は中国王朝と冊封関係にあったんだが
きみ、その点には気が付かないんだな
あるいは知らない振りだけしてるのか >>237
日清戦争前後の朝鮮王朝も、
ロシア帝国の属国になったり大日本帝国に事大したりしてふらついてたもんな 外交って、両天秤は世界中よくある話じゃないのかね
それは別に百済に限らないだろ >>237
明国と冊封関係にあった琉球王国が薩摩軍に征伐されたようなかんじか >>235
雄略天皇は中国の南朝に臣下の礼をとっているから
事実上は独立国であっても
形式的には属国といえるかも。 >>242
第三者視点の史料と全然突き合わせてなかったり>>226 >>237
昔から韓の人は韓の国はコウモリだったんだね。 >>242
食材にする奴隷を贈り物として差し入れたりはしていたけれど、王族を人質として抑留されたりはしてないよ。 >>242
真の属国というのは前漢と匈奴の関係のことだよ
前漢は毎年多量の物資とあと女性も匈奴に納めて攻めてこないようお願いしていたという 中国から払い下げて貰ったモノを倭王に献上しますから、高句麗や新羅が攻めてきたら守って下さいという関係だからなぁ
控えめに言って対等ではない
倭王権の元々朝鮮半島での拠点は金官加羅とか安羅だから百済以外にも窓口は有るわけだし >>246
全然違う
華夷秩序では和番公主を受け入れることは中国に対して臣下の礼をとったことを意味する
呼韓邪単于が王昭君を娶ったのも漢の属民となることと引き換えだったし
また単于は漢朝に出仕する義務もおった
代々の高麗王がモンゴルのオルドにケシクとして宿衛の任を務めたあとハーンの娘を
嫁さんに貰って沢山の賜品引っ提げて晴れて母国で王位に就いていたのと同じことだよ >>249
えー
逆じゃないの? 支配層の一族の女を差し出せ、って遊牧民の勝者の出す和睦条件の常套じゃないか。
実際に、匈奴が漢土へ奥深く長安城のすぐそばまでしばしば攻め入ってたけれど、漢が匈奴の本領にまで攻め入ったことは無く、
精々とられたところを獲り返すのが精いっぱいの防戦一方。 そりゃ武力しかない蛮族に文化物を払い下げで宥めるのは昔からの定石だろ >>249
匈奴が長安城まで来れたことがあったか?かすりもしてないけど
霍去病は単于庭を焼き払ったうえに屯頭王、韓王、将軍、相国、当戸、都尉などあらかたひっ捕らえて帰ってきてるけどな
というか匈奴が強盛だったのって本当にあっという間だぞ
呼韓邪単于の頃も漢はブイブイいわせてて
西匈奴とか単于、閼氏を筆頭に部族全員が文字通り皆殺しにされて地球上から根絶されたのだから臣下の礼をとって漢の矛先をかわしたのは賢い判断だったよ
というかお前の理屈だと高麗はモンゴル帝国に買ったことになるよな
代々の高麗王の嫁さん差し出してるのだから >>252
漢が輪蕃公主を差し出していた頃は老上単于か群臣単于とか盛んに攻め込んできて長安を圧迫してろ。
漢の側が優位になってるときには輪蕃公主は出てないで。
高麗に降嫁してきたときは、既に、世子から重臣から人質に差し出しまくり、貢物も女も大概納めまくってようやっとこのことだ。
モンゴルに臣従したのが王rのとき、降嫁が叶ったはその孫の王?の時代。およそ領地の4分の1をモンゴル直轄に移すという
代償まで支払ってのことだ。
更に次の王璋はモンゴル生まれモンゴル育ちで、瀋陽に領地替え。朝鮮半島は預地の扱いで、実質の統治は本国の派遣する
ダルガチが行い官吏の任免権すら無くす。
つまり、降嫁してくるころには、完全に内臣扱い。 実現しなかったけど秀吉も明の皇女を差し出せと要求してたな 明はガチで朝鮮に対して宗主国として振る舞って、貢物や人員の差出も品目・数量を頭越しに決めて納めさせる代わりに、
日本が朝鮮を攻めたときには親分としてキッチリ守り切ってるよな。
さて、そんなガチの華夷秩序の従属国の朝鮮に、明朝の皇室から降嫁はあったんかいな? 【日本をトリモロス】入管法改正案(移民受け入れ拡大法案)、衆院委でついに可決。外国人労働者受け入れ拡大へ ★11
https:// asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1543322919/ 高句麗はそんな大層な国ではない。
あの時代は五胡と称される異民族が中原を目指していた時代であったが、高句麗は弱すぎて六胡目になることもできず、
自分より弱そうな朝鮮半島しか狙うことができなかった。
結局朝鮮半島すら統一できずに滅亡。 その五胡を併呑した随が国力を傾けても高句麗を倒せなかったんだが 近いのに地政学的に中華の拡張限界ギリギリ辺りなのかね朝鮮半島って
中華と隣接しなくて日本としてはありがたいが >>258
鮮卑の前燕に攻められて、高句麗王は和睦を乞い、前燕に対して朝貢した
その後もまた鮮卑は大挙して高句麗に攻め込み、高句麗王は単身で東方に逃れるも、王母と王妃が捕らえられて大敗を喫してしまう
そして高句麗王の弟を使者として派遣して、鮮卑前燕の臣下になることを誓ったが、王母は人質とされたままだった >>260
農耕に適さないので直接統治する利点がないんだよ >>258 >>264
鮮卑の前燕に攻められて、高句麗王は和睦を乞い、前燕に対して朝貢した
その後もまた鮮卑は大挙して高句麗に攻め込み、高句麗王は単身で東方に逃れるも、王母と王妃が捕らえられて大敗を喫してしまう
そして高句麗王の弟を使者として派遣して、鮮卑前燕の臣下になることを誓ったが、王母は人質とされたままだった そりゃ長い歴史あれば敗北の時くらいあるだろ
一時的負けをいつまでもいう方がおかしい 王母と王妃が捕らえらてしまう惨めな負けっぷりだから、いつまでも語り継がれるのだろう >>266
ほとんど領土増やせなかっただろ
華北の三分の一でもいいから自領にできたときがもしあったらそこそこ強いと認めてやるw 隋の煬帝の三回に渡る親征を全て撃退しているから充分強いだろ
薩水之戦では宇仲文率いる隋軍30万を乙支文徳がわずか1万で破っているし敗戦が相次いだ負担で結局隋は滅亡してる
突厥を滅ぼした唐の太宗の親征軍も結局勝てなかった
三次遠征では滅んだけど内紛で泉男生が唐軍に寝返ったのと
新羅の同盟軍が背後から急襲したおかげだし 新羅も唐の李謹行率いる20万の大軍を買肖城の戦いで破り
続いて薛仁貴の軍も撃退して唐を大同江以北まで押し返している
白村江の戦いで劉仁軌が率いて水軍はわずか7000で圧倒的に倭軍のほうが有利だったのに
それでも完封負けしたからなそれを考えると新羅軍も相当精強だったと言える 新羅軍の戦勝は三国史記でそう主張してるだけで唐書だと大体負けてる
吐蕃とか突厥とか他の国の敗戦記事はちゃんと書いてるんだけどね 遊牧政権だから同じ遊牧政権に負けるのは諦めもつくし誇りも傷つかないが、
農耕民のましてや下等民族に負けたことは誇りが傷つくんだろう >>258 >>264 >>272
隋よりも小さい前燕に攻められて、高句麗王は和睦を乞い、前燕に対して朝貢した
その後もまた鮮卑は大挙して高句麗に攻め込み、高句麗王は単身で東方に逃れるも、王母と王妃が捕らえられて大敗を喫してしまう
そして高句麗王の弟を使者として派遣して、鮮卑前燕の臣下になることを誓ったが、王母は人質とされたままだった 後世強国となる国は当初は弱小だったのはよくあること
パルティアはミトラダテス1世、アケメネス朝はキュロス、モンゴルはチンギスが現れるまで弱小勢力に過ぎなかった
高句麗も4世紀は百済の北進を許し防戦にあたった国王が戦死するほどの弱小だったが
それでも倭を一歩も自国の土を踏ませず全て水際で殲滅してるのだから当時の大陸勢力とは雲泥の差があったことがわかる 倭人が侵入してきた帯方界って黄海道らへんなんじゃねーの?
あのあたり掘り返したら倭系甲冑でてきたりしてな >>279
漢江流域だとギリギリ百済領だ
北朝鮮国内をちゃんと発掘できる状況になれば黄海道からも出るかも知れんぞ 帯方の界(境)だからその南端だろ
392年に石硯城(黄海北道開豊郡)を高句麗に落されるまでは礼成江を超えてその先まで百済領が広がっていたんだけどな 好太王碑碑文は欠損が多すぎて意味不明なとこが多いな
十四年甲辰而倭不軌,侵入帶方界□□□□□,石城□連船□□□王躬率□□從平穰□□□鋒相遇,王幢要截盪刺,倭寇潰敗,斬殺無數。
十四甲辰(404年)倭は無道にも、帯方の境・・・・・に侵入し、石城に・・船を連ね・・・王は自ら・・・を率いて、平壌まで・・・・
その先鋒と遭遇し、王幢(親衛隊は)要截盪刺(縦横無尽に切りまくる)したので、倭の侵略軍は壊滅し、数えきれないほどの人数を斬り殺した。 実は本当に(トンデモウリジナル解釈ではなく高句麗の都まで倭人に包囲されたという)マズい内容だったのであえて削られて読めなくなったんかも知れんな 半島統一後の新羅と唐の戦争だが。
唐の西側が不安定になって新羅相手に全力を出せなかったから
勝てずに妥協した
という解釈でいいのかな? そうだね吐蕃に侵攻されてて東方に関わっている余裕がなかった
旧唐書長文瓘伝に
「新羅外叛,高宗將發兵討除。時文瓘疾病在家,乃輿疾請見,奏曰:“比為吐蕃犯邊,兵屯寇境,新羅雖未即順,師不內侵。若東西俱事征討,臣恐百姓不堪其弊。請息兵修コ以安百姓。”高宗從之。」
とある。
https://i.imgur.com/y8hddxa.png >>277
確かに百済の近肖古王は故国原王を戦死させてるけど馬韓北部を糾合したくらいの百済とは国力的に大分差がある
平壌は取れてないし、数年後には次の小獣林王に北辺の城を落とされてるしね 耽羅が謎の存在だな
人種、民族系統、歴史、地域のエアポケットという感じだ >>287
謎なのは、平安時代に日本人が来るまでの沖縄も同じだと思う >>287
山をオルム(新羅語の「岳音」に対応)と言うような
新羅時代まで遡りうる古い言葉が残ってるし
朝鮮語族話者じゃなかったとはいえないと思うで >>289
でもそれも沖縄に昔の日本語の名残があるというのと同じかもしれない
沖縄には確かに古い日本語の名残はあるが、それは途中から日本に来た人間が持ち込んだにすぎない >>290
そのような考古学的証拠はない
琉球と本土の言語が共有変化を繰り返しているがためにその様に見えるだけであり
琉球祖語を構築したところ上代日本語よりも以前の母音体系から分化したことが明らかになっている >>291
それは畿内の日本語と、当時の南九州の日本語(後の琉球系言語の祖)の関係のことをいってるんだろう >>292
南九州でその様な言語があったという根拠はない
もしその様なことがあったなら東歌の様に記録されていた筈だが現実はそうではない
日本語派と琉球語派の境界線は大和朝廷の支配範囲の南端と一致する >>293
有力な説は、琉球系言語と日本語が別れたのは弥生時代から奈良時代の間っていうことになってる
しかし別れてからすぐに琉球に行くと考えるのもあまりにも不自然だろう >>294
言語が分かれる様な地理的・政治的断裂は南九州には存在していない
万葉集が成立した時点で既に薩南諸島まで朝廷の律令制度が敷かれており、南九州の出身者による歌も万葉集には収録されている
それにもかかわらずそれらの歌には方言的な特徴はない
対照的に東歌には特徴的な言葉遣いが見られるにも関わらずにだ >>295
ないわけないじゃん
遥かに交通事情が改善された江戸時代ですら、どれだけ方言差が激しかったことか >>297
言語的断裂をもたらす程の特徴的な文化的差異の形跡は南九州に存在していない
ましてやそれが沖縄に民族大移動して原住地からは消え去ったなどという形跡もない
更に言えばもし万葉集以前に原琉球人が琉球諸島に移動していたというのなら当然稲作がその時期までには琉球諸島に伝えられていなくてはならないが
実際にはそれよりも遅い時期に琉球での稲作が始まる
従って物証からも文献からも古代南九州人琉球語話者説はトンデモであると結論付けられる >>298
いや南九州の住人の一部が、
平安時代に琉球にわたったんだよ >>299
琉球語の中の平安時代に齎された要素と弥生時代に分かれた要素は完全に別々に存在しているから日本語族の基層の上に更に日本語が乗っかっただけに過ぎない >>300
「平安時代の要素」とされるものが畿内に発生したのは平安時代時代だろうが、
地方に伝わるには数世紀を要する
「平安時代の要素」は中世に日本人商人などによって琉球に持ち込まれたと考えるのが自然 >>301
そんな根拠はない
そもそも伝承では琉球に平安時代に一族郎党連れてやってきたのは平家の落ち武者とされており、彼らは京都の言葉を話す
豚骨土人などではない 九州北西部の弥生人が沖縄産の貝を入手しに行ってるようなのでそいつらの言葉だろう
佐賀県杵島方言に本土諸方言で消失したアクセント類型が残ってるとか
九州北西部は出土する人骨の特徴が縄文系の特徴を持ってるのに稲作をいち早く取り入れてたり支石墓を作ってたりするので
長距離の航海技術を持った縄文期からの海商勢力なんだろうな それなら弥生人じゃなくて縄文人と言うべきだろ
貝の流通も縄文時代からしてた訳だしよ 最近は弥生人=渡来系ではなくて
弥生人の中に渡来系弥生人と在来系弥生人がいるという分け方なんだよ 渡来系弥生人は縄文人に強制連行されて朝鮮半島から日本列島にやってきた
三国遺事の延烏郎と細烏女の説話にも太陽と月の精の夫婦が石の魚に乗せられて日本に強制連行され帰ってこなくなったとある 耽羅については、張保皐がここを拠点に海上交易を営んでいたというし、
新羅の言葉があったというのも、そういうことなのかもしれんな >>302
平家の落武者伝説とか真実の要素ゼロやん 薩摩のぼっけもんしまんちゅ説は真実の要素がゼロ通り越してマイナスやで 新羅は朴氏、昔氏、金氏の3氏が王になっているし結構ユニークだな。
他国なら王朝交代のようなものだし。 >>310
天皇家にも初期は複数の氏族から成り立ってたという説はあるよ
ドイツとかも中世はそうだし >>295
万葉集には南九州の隼人の歌は収録されていない
また肥前国風土記には五島列島の人々が隼人と似ていて言語が異なっていると記されている事
隼人が併合されたのは720年のなのにたいしてそれより数百年前に大和朝廷に服属した東国人ですら強い独自性を保っていたことを考えれば中央と言葉が共通していたとは考えにくい
言語学上でも九州語と琉球語は共通した言語を有していたが
ある時期を境に恐らく人的流入によって中央日本語と同化したという説はThomas Pellardによって唱えられていたが
五十嵐陽介が更に補強して通説化させれている >>312
それと琉球はもとは日本語じゃなかったニダ説とは別やで
だいたい宮古語のあの異様な音韻構造がたかが800年前に来た日本人の言語が変化してなる訳がないやろ
服部四郎は日本祖語から分化していない日本語族の話者である「先遣隊」がその後にやってくる日本祖語から分化した言語の話者に先だって縄文時代に存在していたという説を唱えとる
それを否定する考古学的文献学的言語学的証拠はない
むしろ宮古島の方言を調べると宮古島の各集落の中ですら細かく言葉が違っており、日本祖語からの分化では説明のつかない語形も散見されるんや >>313
800年か千年前に琉球に来た日本人のしゃべる言葉は
日本語ではあるが、畿内の日本語とは大きく異なっていた
さらに琉球の先住民族(非日本語族の言語話者)を吸収していく過程で、
一部その影響も受けたんだろう 隼人征服後の南九州は、
隼人と、隣接する国(肥後だの日向だの)から来た日本人と、
新羅系の渡来人が雑居する状態だった
日本語は日本語でも、
畿内の日本語とはかけ離れた日本語だったことは間違いない >>314
非日本語族だったら語彙が大きく違っている基層語彙がある筈だがそうではない
琉球語にある基層は殆どが日本語と同一の語源を有するのが明らかだが想定されている日本祖語からの音韻変化法則では説明がつかない語彙だ
だいたいたかが1000年前にいきなり非日本語族の地域にきてそこで原住民語を吸収したのなら分岐後の借用語とおぼしきものを除いた語彙の一致率から2000〜1500年前という計算結果が出る訳ないだろいい加減にしろ! いやいや言ってることがおかしいというか五十嵐説では中央日本語とは別の祖語が九州から沖縄までにあったって説なんだから
最近では東国も中央日本語とは祖語が異なる説展開してるよね 考古学的にも遺伝的にも言語学的にもミンジョク大移動の痕跡などないのだから「基層も同系統」と考えるのが一番無難だろいい加減にしろ!
例えば沖縄語で男を「うぃきが wikiga」、女を「うぃなぐ winagu」と言うが、明らかにこれは「をきな(翁) wokina」「をみなご(女子) wominago」と同系だ
卵をのことは「くが kuga」と言うが、これも「こ(子)」が沖縄では「くゎー kwaa」と言う事から導きだせる祖型*kuaのuとaの間に落剥しやすい子音gを補えば一致する
烏を「がらさー garasaa」と言うのも頭子音の謎の有声化と語末の謎の長いaを体系的に祖語から導き出す法則が未だに発表されていない
このように日本語にそっくりだが日琉祖語からの体系的な変形では説明のつかないのが琉球の諸言語における「基層」の大勢だ
しかし二千年前の日琉祖語以前にあった日本語族の言語が琉球諸島に存在していたと考えればこれらの期限問題は解決する 考古学的にも遺伝学的にも10世紀の九州から農耕文化を持つ集団が移住して来て
それが現在の南西諸島の住民の基層となっているのは通説となってるのだけれども
これは物質的生物学的根拠に基づくものなので言語学による推論よりもかなり決定的
とりあえず沖縄出身の歴史家である上里氏の見解を張っておく
http://okinawa-rekishi.cocolog-nifty.com/tora/2006/03/post_7d50.html
この背景には日本本土からのヒトの流入があったとされます。現代につながる沖縄人の形質は本土日本人のグループに入るということです。
しかし本土日本人と全く同じということではなくて、本土日本人には見られない東南アジア方面の形質も見られ、遺伝的にも南アジアからの
遺伝子が沖縄人にあるといいます。
沖縄人の形質は本土日本人をベースに様々な地域の人々の特徴も見られるということです。 >>319
人間がまるごと入れ替わったら言語もかわるな
要するにそれ以前の縄文系の民族の言語は全く後世の琉球語系言語とは無関係 >>319
じゃあやっぱり縄文人も日本語話者ってことだろ
その10世紀云々ははっきりわかる平安期日本語からの借用要素のレイヤーとして琉球の言語の中に見られ日琉祖語から直接受け継いだ要素とは別々に現れるのだからな
>>320
縄文時代から貝塚時代グスク時代を経て中世まで一貫して人が棲み続けている集落の遺跡があるから人間がまるごと入れ替わったという説は成立しえない そもそも日本原住民の言語であるとされる筈のアイヌ語のカムイが日琉祖語*kamu-i(被覆形 *kamu)からの借用語である時点で日本語朝鮮起源説は破綻している
もし日本語のカミ(神)がアイヌ語のカムイからの借用語だとしたら、カブリ(頭)やカムル(冠る)、カミ(上)の様な上部を意味する音の類似した同語根を想定できる語彙が日本語側にあって、アイヌ語側にはカムイの系統語が他にみられないことの説明がつかないのである >>320
北琉球人はY染色体ハプロタイプD(YAP+)が多く縄文系の形質が強い
それに対し南琉球人はY染色体ハプロタイプD(YAP+)が少数であるにもかかわらず縄文系の形質が強い
この違いは北琉球には縄文文化が分布していたが南琉球にはなかった事実と一致する
「人間が丸ごと入れ替わった」とは程遠い状況だ 耽羅 = 日本から移住した人が建国した という説もあるみたいだが。 >>322
少なくとも現在の言語学では
日本語と琉球語が別れたのは縄文時代ではなく、
弥生時代から奈良時代といわれている
さらに、「別れた」というのは沖縄に集団が移動したことを意味するのではなく、畿内集団と別れたことを言ってるにすぎない
そのままずっと畿内から南九州の間にとどまっていた可能性が大。 奈良盆地で巫女やっていた人が沖縄に移住してきたという伝承があるはずだが。 >>327
分かれたことは沖縄人が日本語系じゃなかったことを意味しないだろいい加減にしろ!
むしろその分岐は共有変化を考慮しない分岐だからあくまで下限値でしかない 朝鮮ネタにはトンデモ野郎がわきやすいんだよなー
嘘をつかないと窒息する兄さんだから仕方ないね(レ) トンデモはどっちかというとお前だと思うぞ
そんなに自論に自信があるなら上里Twitterやってるからそっちでレスバしてこいよ
向こうは本職だからつけ焼き刃の知識はまず通用しないがな ようするに、こう主張したいんだろ?
貝塚時代までの縄文系の先住民族も、
琉球時代(グスク時代から琉球王国時代)の住人も、
両方とも日本語話者だったと。 10世紀に南九州から琉球人の先祖が来たあとも、
商人や武士が来て貿易を行ったりしたから、古い日本語の要素と新しい日本語の要素が混在してるのはおかしくもなんともない >>335
郷歌などの伝承から見れば、どれだけ遅くとも新羅だろう
何を根拠に、高麗であると? >>328
伊豆大島に流された源為朝が脱出して琉球に渡り、舜天王朝の祖となったはずだが >>328
そんなのは「むかし(数十年前から千年くらい前までの間)に日本から人が来た可能性がある」ことを言ってるくらいの意味しかないよ 同根と考えられる語彙の一致率で見ると日本語と朝鮮語の間よりもアイヌ語と朝鮮語の間の方が近いという
朝鮮人の祖先は日本列島から渡った縄文人であることは人骨の特徴からも明らかだ
かつてアイヌと朝鮮人の祖先は日本列島で隣接して暮らしていたのではないか 琉球人の先祖は弥生時代の畿内からテレポートしてきた 341って、いかにももっともらしくハングルで書いてあるけど
それ韓国語じゃなくて2ch語(5ch語)じゃん >>325
そもそも朝鮮半島の南部は紀元前から倭人の勢力圏 逆に九州北部と三韓の文化的共通点も多かったりするけどね
例えばドルメンって日本の大半じゃ「何それ?」だ(実際そうでしょ?)けど、、九州北部には多いし
今ほどには、境界意識はあまり強くなかっただろうな 逆に朝鮮と東〜北日本に共通して存在して西日本にはない文化もあるんとちゃう? 宮ノ前遺跡、宇久松原遺跡、新町遺跡、大友遺跡などなど今のとこ支石墓から発掘された人骨はいづれも縄文系だけどな 朝鮮人もまた元々は旧モンゴロイドで縄文系から弥生系の形質に転換した過去がある訳で結局はストローに過ぎない 稲作が困難な寒冷地に共通して残った文化はないものか?
例えばどんぐりの食用とか 蕨手刀は朝鮮半島と日本ではほとんど関東か東北からしか出土してない
逆に主に九州から出土している蛇形剣は畿内からも出土するが朝鮮半島や関東や東北では見つかっていない 朝鮮半島で出土する蕨手刀は任那地域のみなんだね
任那ってむしろ西日本と関係が深そうだけどね
防人とか関係するんですかね >>351
防人って、おい、ちょい待ち
それ時系列まっさかさまじゃないか
何の事情で何の目的に設置された制度か、まさか知らんのか >>351
いいや旧新羅地域から出土してるんだよ
それと半島系の馬具も西日本より東日本のほうが圧倒的に出土数が多いんだよね そもそも新羅の地域は縄文人の沿海州交易の中継地点だからねえ 弥生人って縄文人が大陸で買い付けた奴隷の子孫なんじゃないのか?
大陸の人間から見ると先に何があるかわからない大海原に出るぐらいなら陸地での移動を選ぶと思う 奴隷じゃなくて嫁だな
沿海州と日本では男の遺伝子は違いがあるが
女の遺伝子はほぼ同じだから
大陸から来た弥生人の多くが女なのは間違いない
黒曜石を売って女を買うのが当時の日本海貿易だよ Y染色体ハプロが土着を保つ傾向があるのに対しミトコンドリアハプロは均一に近いのはだいたい東アジア全体で言えることだな
嫁入りという婚姻形態が一般的であるからだろうか >>358
新羅の建国者は倭人という説もなかったか? >>363
> 黒曜石を売って女を買うのが当時の日本海貿易だよ
「継体天皇の母は新羅王族」説もあるな。 奇説珍説が羅列されるだけのスレは意味が無い
そんな話をするのなら、少なくともきちんとした学界の論文を典拠として挙げてくれなきゃ、何にもならん
ただただ一方的に「この(単一の)史書にこう書いてあったから」だけじゃ、それは根拠とは言えん >>358
新羅の王族は日本人で、秦語を話してた秦人はその属民だけどな >>368
>>234で散々史料出されて論破されたから今度は権威ある学者のお墨付きが必要だーか(呆れ)
「三国史記」新羅本紀には新羅三王家の昔氏は倭国の多婆那から流れ着いたとされ
武田幸男、佐伯有清はこれを丹波に比定してるぞ >>234 を書いたのはあなたか?
そうであるにしてもそうでないにしても、
別視点から見た史書でどういう扱いになっていたか、
また、他の国とも類似の関係になっていたのではないかという点が、>>234では触れられていないだろう
>武田幸男、佐伯有清はこれを丹波に比定してる
出典と或る程度具体的な内容説明が無いと、肯定も否定もできない
提唱している両氏がその説一つだけに絞っているのかどうか、また、より具体的な根拠は何かが、それだけだと分からない 天皇が大陸からきて、縄文系民族を制圧したみたいなもんだな 倭=濊とすれば、公孫氏が滅ぼされた238年に、倭からの使者が来た朝貢しに来た理由がしっくり来る
当時濊は朱那、藻那の北に有った句麗(句那、句奴じゃないの?)や公孫氏と争っていたから、司馬仲達によって廃されたのが好都合だった
晋を後ろ盾に句麗に対抗しようとした
247年に倭の使者が狗奴国との戦の報告に来る
247年に不耐侯が不耐濊王の位を下されたというのがある
ちなみに245年。濊人が句麗に従属してるという理由で楽浪・帯方の太守に討伐されてる(句麗と戦え)
濊が消えるのは400年過ぎで、広開土王碑の倭と同じなんだよね・・・
ただの偶然かね??
ちなみに私はこの(狭義の)濊は倭人と同じで、その勢力圏はやっぱり日本列島の大半と朝鮮半島南全域だったと考えてる
新羅は濊の勢力圏にある大きめの邑程度の感覚。
濊(倭)の勢力がそれだけあるとすれば魏志倭人伝に書いてある人口や、朝貢の返しが月氏に匹敵する理由も理解できるんだけど >>368
> 奇説珍説が羅列されるだけのスレは意味が無い
古代史は史料が少なすぎるから仕方ない。
だから「古代史は歴史ではない」と酷評されることもある。 大陸倭人と列島倭人って3世紀には交流なくなったんじゃないの ※379
3世紀からなくなってたんですかね?
対馬交易圏での接触はあったのは当然として、出雲〜越間から濊(含む新羅)〜沃祖間で人的・物的交流があったんじゃないかと思う
大陸濊人と列島濊人の交流はあった!という証拠がないので絶対そうとは言えないから、ファンタジーにはなるが・・・
後漢の光武帝が貊族の高句麗候を高句麗王に封じる一方、濊族が満州からどんどん南下して半島侵出してるのがそのまま海の向こうに勢力圏を伸ばしに行ってるような気がする
倭人伝による文化・風習が、同じ濊人である扶余の特徴とかなり似ているから倭人の言語・文化のルーツは濊貊からの可能性が高そう
あと、白村江の戦いの最中に倭人が粛慎人の生口連れて朝貢しにきたとか見たとき「???」ってなった。
この倭人はどこから来たのかな?倭国→日本も大分謎。 >>376
奇説珍説が羅列されるだけのレスは意味が無い
魏史東夷伝の原文をちゃんと読んでいれば倭の使者が来たのは公孫氏が滅ぼされて魏が直接東夷諸国の使者を出迎えることが可能になったためだと解説されているのが分かる筈だ
そもそも日本列島は当時の中華世界の中の既知の領域の最東端にあたり、既知の範囲の中でも戸数数万の大国がいくつも存在し、更にその2倍以上の国の数があるとされている
それは東夷諸国の中で唯一漢土に匹敵する程の大勢力といえ、それ相応の歓待を受けるのは当然だ >>380
>倭人伝による文化・風習が、同じ濊人である扶余の特徴とかなり似ているから倭人の言語・文化のルーツは濊貊からの可能性が高そう
全然似てないだろいい加減にしろ!
扶余の風習には入れ墨も重婚もない
しかも服装に至っては寒いので襟の部分がしっかり閉じたやつ着てる
一体おめーはどこのデムパに感作されたんだ? 凄い発火具合だな。。。
海の向こうの何ヵ国も挟んだ所からわざわざ中華に来る理由やら公孫が廃された情報伝達の速さやら疑問があって、類似するもので仮定して語っただけなのにそこまでヒステリックになる理由が知りたいw
君は教科書と資料だけ読んで誰とも会話しないほうがいいんじゃないか?つまらんでしょw 重婚・入れ墨はないのか。そこは違うんだな
刑罰の中に奴隷没収、倭人の場合は妻子没収があった部分がシステムが似てるとは思ったな
>しかも服装に至っては寒いので襟の部分がしっかり閉じたやつ着てる
濊が南下・分離して一方は扶余国。もう一方は・・・となると大分気候も変わるからな
まぁ、決定的な差だと思うなら別に否定するのは自由だね。絶対とは言えないファンタジーなんだからさw
>一体おめーはどこのデムパに感作されたんだ?
ご自愛ください。 奴隷没収なんてない
ちゃんと原文を読め
おめーがいーてーのはこれだろ?
扶余は
「殺人者死没其家人為奴婢」
殺人者は死刑となり、その家人は連座して奴隷にされる
倭人は
「其犯法軽者没其妻子重者没其門戸及宗族」
法を犯した者は軽い者は妻子を没収され、重い者はその門戸および宗族を没収される
なお「没」には
「持っていない」「終わらせる」「沈める」「死ぬ」という意味はあるが
「奴隷にする」という意味は字義に含まれていない
宗族を「没」するならそれは所謂「お取り潰し」という意味だ
どうせどこぞの邪馬台国トンデモサイトのアホ翻訳と妄想解釈でも見て電波ユンユンしたんダルルオ >>385
それより知ってるか?
邪馬台国は失われた12士族の末裔が半島経由で来たんだぜ!仁徳天皇陵とかがその証拠だわ 倭人が韓人であるとか非文すぎるンゴwwwwwwwwwwwwwwwwwwww >>302
じゃあどこから来たんや?空から孫が降ってきたんかな? >>376
頭大丈夫かお前
しょんべんで顔を洗う濊族といっしょにすな >>393
あれはその辺にいた半狩猟の何かやろ知らんけど。
半島の下らへんにずっとあった奴。
ウヨパヨさんらは国名を民族と直結させんほうがいいんちゃうかな。 >>396
それは東北沿海に居たモツキツやマツカツの風習。他の所はしてないはず
ワイは元は匈奴と隣接していて彼らとは別物
朝鮮にそういう文化が入ってきたのはもっと後の時代でしょう あくまで仮説をたれて楽しむつもりで初めて書き込んだが、こんなに嬉々として叩いてくるとは思わなかったわw
一所懸命なところに遊び半分で書き込んで悪かったねw こんなところで感作だの非文だの言葉使ってる時点で察したれそんなもん
それより倭人どっから来たんかはよ答えてくれや >>401
オッサントンスルでも飲んで落ち着くニダ まあ解ってたけどやっぱり何もなかったんやな。つまんね このキティ一日中張り付いてんのか?
たまにしかないレスに反応バリ早すぎんよw ニダー貼ればマウントとれたと思ってんのかなw
小さな自尊心だなw 仮説にもなってないよな
というか魏志倭人伝読んで事あるか?
当時の倭人の服装って貫頭衣だぞ
こんなんで満州とか行ったら凍死確定 >>408
昼休みにも書いたけど、君の言いたいことは解ってるよ。私がいい加減な事書いてせいでそんなことになって申し訳ない
それは昨日の夜にも教えてもらったからもう大丈夫だよ
君が正しいと言うのはよ〜く解った。だからもう安心してくれや >>409
支配層ごと移動したなら分かりやすいけど難民が流れ着いて同化したことも考えられるからどうなんだろうね 誰と勘違いしてるか知らないがオレがしたレスは>>370だけだゾ
オジサンが負けず嫌いなのはよ〜く解ったから次からは顔真っ赤にならないよう
井上秀雄訳の「正史東夷伝」でもいいからよく読んでくるように
先生とのお約束だゾ >>412は私に対してのレスかな?同じメンタルっぽいから勘違いしてごめんねw
繰り返すけど、倭人の服装については昨日の夜にも教えてもらったからもう大丈夫だよw
んで日本から満州に行ってるとは思ってないし発言もしてないね。ていうか満州行かなくても寒くなったら普通何かしら防寒するでしょww
まあ本薦めてくれてありがとさん。検討してみるよw ワラ人形論法のマウントマン相手に謝罪するとか悪手すぎひん? >>416
マウント取りたくなる・スルーできない何かが私の発言にあったんでしょw
ありがとねw
掲示板読んでたらやっぱり濊の方が怪しいと思ってる人が居て良かった (>>417ニキの頭のネジが)ちょっと取れてるかな… 濊は風習からするともっと北方から南下してきたんじゃないかな? 「食飲皆用爼豆 會同拝爵洗爵揖讓昇降」
「爼豆」とは食膳と高槻のことであり、食器を使って物を食べるのは明らかに文明的な中国の風習であり野蛮なエベンキランド人のものではない
中原から追い出されてきたとか遼河文明の正当な継承者であると考えた方がまだ説得力あるわ >>420
匈奴と同じくらい北方に元々居たらしいね
1世紀の旱魃とかの飢饉で一気に南下してきたと思うのよ >当時の倭人の服装って貫頭衣だぞ
>こんなんで満州とか行ったら凍死確定
これすげえよなwレスバガイジって寒くて死にそうになっても重ね着するとか知恵働かないの? 穢が南下してきたとしたなら、元々半島にいたのが先に押し出されるはずやん
東日本に人が居ないとは言わんけど文明人としては九州に渡った韓人がその原形作ったんちゃう? >>424
バレバレの自演するぐらいの知恵はあるで >>426
朝鮮半島の最初の住人は縄文人であり逆に縄文人が半島に最初の文明を作ったことは古代人骨の特徴からも明らか >>426
はぁw
人口密度を考えろよ
500万人くらいしかいない半島に南下したって押し出されるわけねーだろ >>426
いつの時代にもコンスタンスに渡来はあったと思うけど韓の国もまだ残っていたし濊人が半島東北部から渡海した可能性もあるかと
竜神信仰の出雲族の由来にも関わって来そうで気になる
九州渡来も勿論あるとして
>>429
3〜4千年以上遡るくらいだと半島も列島も関係なく東南アジアから北上してそうだよね >>432
本当だw列島形成はそれくらいから始まってるね
遡るほどに年代の感覚おおざっぱになりすぎて困る 3−4千年前と3−5万年前の違いを大雑把ですます433 >>421
ねーよwwww人種かすりもしてねーだろ阿呆が嫌韓こじらせすぎてついに頭イッたんか?
>中原から追い出されてきたとか遼河文明の正当な継承者であると考えた方がまだ説得力あるわ >>437
チョンを特有のエベンキ顔だと思っているNTUY兄貴オッスオッス!
支那人も朝鮮人も同じ顔だってそれ一番言われてるから スレタイに偽りあり
ここは現代朝鮮人統合失調症スレです 元々縄文人が無人の半島へ渡ったことは紛れもない事実でその後半島人に駆逐されたことも紛れもない事実
>>424
朝鮮出兵の時ですら散々凍傷で足の指落す奴続出したのに
こんな裸エプロンみたいな服しかつくれないの時点でどうこう出来るわけない
http://www.yoshinogari.jp/ym/episode04/dress01.html >>430
ほーん。じゃあユーラシアでフン族に押し出されたゲルマン人て何億人もおったんやろなぁ その程度の皮肉も流せず返しもその有様とか見てて哀しくなるから止めてくれや >>443
横やり入れて申し訳ないが・・・
そもそも私は日本から満州に行ってるとは思ってないし発言もしてないからそういう考察してもしなくてもいいんじゃね?普通に考えりゃ解るでしょ
ただ>>424にムキってるだけなら良いけど、どうもアスペというかなんというか・・・
あと、更なる謝罪の要求は勘弁なwめんどくせ。もういいわw >>444
は?
フンみたいな騎馬遊牧民が南下したのか?
関係ない例と比較すんなよw >>449
なあ、ゲルマン人てどこにおったんや?それくらいお前でも解るやろ?
顔真っ赤ってレベルやないで?パソコンから離れて少し落ち着けや
はぁ・・・>>439になってるやん >>450
分かってなくて呆れたw
現代ドイツに中東から人が押し寄せてるがドイツ人はどっかいったのか?ん? 現代の移民と古代の民族移動を一緒くたにするとかバカかな >>454
そうだな
フン族の西遷と穢の南下も別物だな
450はその区別がついてない 獩貊、沃沮がいた頃の沿海州や朝鮮東北部から弥生式土器が見つかってない
逆に日本からは同仁靺鞨文化の遺物が見つかってない時点で没交流で互いに接点はまったくなかったんだろうなと大体想像はつくけどな 沿海州にいた弥生人が日本に来たから
空いたスペースに獩貊、沃沮が入って来たんだよ
交流はないだろ >>457
弥生人はそんなところから来てませんが
>>450
この低学歴チンカス野郎は涙目逃走したん? フン族に追われたゲルマン族の話っしょ?何故現代ドイツ人の話になってんのこいつ
ようやく気づいての>>455の書き込みが悲惨すぎる >>457
射精エベンキやんけ!
オッスオッス!
お前韓国でモテそうな顔しとるな
いつもの豚鼻ニガーボルネオコピペ荒らしやんないの? 折角相手に止められたのに自ら死体蹴りされに行くって斬新過ぎる。 >>460
濊の族長である南閭らが28万人の濊人を率いて投降して来たので漢は蒼海郡(のちに玄菟郡)を置いて直轄統治に乗り出したのだが
その玄菟郡の県の一つに高句麗県ってのがある
つまり元々は高句麗人自体が本来は濊貊の一部族でしかない
日本書記でも高句麗人のことを貊人と呼んでるし 高句麗って結局中国の植民地である玄菟郡のゴミどもが独立して作った国でおk? >>466
濊と貊に分けてる辺りその差異が知りたくなる
ありがとう >>459
ファーwwwww涙目なのはおめーだし逃走すべきもおめーなんだよレスバガイジwwwww 451世界@名無史さん2018/12/21(金) 22:00:35.340
>>450
分かってなくて呆れたw
現代ドイツに中東から人が押し寄せてるがドイツ人はどっかいったのか?ん?
454世界@名無史さん2018/12/21(金) 22:05:19.900>>455
現代の移民と古代の民族移動を一緒くたにするとかバカかな
455世界@名無史さん2018/12/21(金) 22:10:54.290
>>454
そうだな
フン族の西遷と穢の南下も別物だな
450はその区別がついてない
この流れサイコーすぐるwwwwおめーの頭ん中ハッピーセットどころじゃねーぞこれwww
腹いてえよw >>443
だ・か・ら、足りなかったら何着か予備もって手なり足なり寒いところに巻きつける程度知能ねーのかよど低脳がwwwwww
つーか布作る知恵あんのにそんな寒いところでも意地でも裸エプロン一枚で通すのかよ凍死する前に避難するだろフツーよおwww
おめーは吊るされたバナナに届きそうな枝木があっても高枝切りバサミでも所望すんのかおサルさあああん?? >>475
韓国ドラマの歴史ものは一通り見たけど
広開土王の時代に倭国の描写があったが江戸時代の天守閣が登場してたぞ
部屋の中に障子があったりともう無茶苦茶だぞ 豊臣秀吉がタイムトラベルして攻めてきたのが倭軍という設定なのか?w 別のドラマで秀吉時代の日本人の描写があったが着物についてる家紋がシールで貼り付けられてたなww >>478
それ不滅の李舜臣のやつだな
秀吉だったかの服になぜか織田家の家紋が付けられていて
何で織田?しかもやたら家紋でけえし、しかも何でシール?みたいな
で、当の織田信長の服には天皇家の菊の家紋ぽいのが貼り付いてた
もう馬鹿にするのもいい加減にしろよチョンドラ 古代史を知れば知るほど朝鮮人は朝鮮半島から出て行けといいたくなる >>469
>>470
>>471
ネトウヨ煽られて発狂w
なんJ民のフリして連レスする猿の浅知恵w >>480
出て行った先で悪さをするからダメだろ
それに追い出して無人にした半島に新たに人が棲み着いたらそいつらがまた新たな朝鮮人になって悪さをしだすぞ 結局朝鮮半島というのは行き場を失った浮浪者どもが住む土地だからな
日本で言えば西成のようなもんだ
半島人だから悪いことをするという事ではなくそういう奴らが最終的に集まった場所って事なんだよ ちょっと質問があるのだが
なぜ日本のウィキって百済や高句麗関連の単語や人名で読み方にハングル読みを併記してるんだ?
百済語や高句麗語は韓国語とは明確に違うはずだから当時の読み方は明らかにハングル読みとは違うはずなんだが
これじゃ当時の高句麗人や百済人の名前がハングル読みされてたって勘違いされちゃうな 削除したところで意味あるか?
国家ぐるみでこういう歴史の乗っ取りをしているのに
韓国語と日本語は似ているので日本語の起源が韓国語だとか主張する低能まで居る始末
歴史を勉強してないと本当に馬鹿になってしまうな 削除したところで意味がないなら、書いてあっても意味がないのと同義だが >>487
削除してもすぐ戻るだろ池沼
国家ぐるみの歴史の乗っ取りとプロパガンダなんだから
一方で書いてあることを読んだ人間は「ああ、百済人のこの人物は現地の音ではこう読むのか」と洗脳されてしまうわけで
何が同義なんだ?この朝鮮人が
漢四郡なんかも朝鮮半島には無かったなどと世界中に言いふらす朝鮮人
このように世界中で半島の歴史を塗り替えようとする低能土人たち
朝鮮民族の歴史がいかに短く情けないものなのか自覚があるようだ
淵蓋蘇文はイリカスミと現地音でいうが、なぜか朝鮮読みのヨンゲソムンと表記されている
明らかに言語が違う別民族の国の人間を乗っ取る朝鮮人 一度も削除したことないのにすぐ戻るっていう決めつけは何なの?
すぐ戻る証拠はなに? >>489
話を逸らしてそっち方向でひたすら粘着するのってまさにあっちの人種のやることだわな
本来の議論ができないからってくやしいのぉw
お前らって5ちゃんの至るとこでそうやって工作活動やってるねw >>484
現代の資料でそう呼ばわれてるということが分かるのは有益だろ
それぐらい分かれよ頭NTUY兄貴か? >>491
は??現代の資料?
古代百済語や高句麗語は現代の朝鮮語と全く違うんですが??民族すら違う。それすらも知らないの?
なのに古代人の名前をなぜ朝鮮読みで表記するの?って言ってるんだがお前理解してる??
例えば中国のウィキで古代中国人の名前が日本語読みで書かれてたらおかしいだろ
そういうことを言ってんだが >>490
どこが逸らしてあるんだ
Wikipediaの記述が気になるなら削除すればいいと一貫してるけど >>493
分かった分かった
あちらの人はさすがの厚顔無恥ぶりだな
歴史の乗っ取りも平気でするからそれくらい余裕だね 誰でも編集できるWikipediaなんだから自分で編集すればという話なのに分かってないなw >>492
おっそうだな(適当)
チョンがどうチョン読みするかを知っとくのは有益ダルルォ >>496
チョン「祖国での読み方が分かって有益」 >>497
今時チョンコ語でどういうのか知らない方が有益だと思ってるのはガイジだけやぞ
あガイジが出た出たガガイのガイ♪
あガガイのガイ♪ガガイのガイ♪ガガイのガガイのガガイのガイ♪ >>288
七世紀の後半から八世紀の頭にかけて、種子島から石垣島までほぼ全島が日本の庇護を求めて太宰府や難波に船で乗り付けている。
言語なんてあっさり入れ替わる性質のもので、小島が沢山もともと各島別の言語だったりすると、交易の都合で一番規模の大きな島の言葉に
統合されてしまう。一々隣とその向こうとそのまた向こうと……いくつも言葉憶えるより、全部の島が交易に出向いている大きな島の言葉で
隣の島ともやりとりするようになる。
自分ところの言葉と大きな島の言葉と2つ併用するという状況から、段々との島でも通じる大きな島の言葉に一本化してくる。
まあ、別に島でなくて、広大な陸地に点在すそれぞれ言葉の違う邑里と、強い影響力を持つ邑里との関係でも、そういうことば起こる。 >>499
種子島から石垣島の言語が全部入れ替わったっていう記録でもあるの? 漢四郡が朝鮮半島になかったとか言ってるのは北朝鮮だけで
韓国の国定教科書にはちゃんと記述されてるけどな
百済や高句麗も朝鮮民族と同じではないが先祖の一つでもある
三国史記の地理志を見ると「統一新羅」の郡県のほとんどはもとは百済や高句麗のもので
人口的にはむしろ多数派ですらあるのでこれを除外しろというのは無理がある >>502
漢四郡の場所は書かれてるの?
彼らの主張は漢四郡はあったが朝鮮半島には無いニダと主張していたはずだが?
統一新羅になる前の戦争では武将や兵士のみが殺され一般人は普通に統一新羅の民として迎えられたとでも? >>503
>彼らの主張は漢四郡はあったが朝鮮半島には無いニダと主張していたはずだが?
愛国ブログに毒され過ぎてへん?
韓国教員大学歴史教育科編纂の「韓国歴史地図」にも普通に載ってますけど
これは日本語にも翻訳されてるから読んでみれば
>統一新羅になる前の戦争では武将や兵士のみが殺され一般人は普通に統一新羅の民として迎えられたとでも?
武将も兵士も殺されてません
百済も高句麗の貴族も低い官位ではあるものの王京人と同じ京位を与えられ慶州に集められてる
統一戦のときに活躍した金ユ信も元は捕虜として連行された金官伽耶の王家の出身だし
百済兵は文武王十二年に高句麗兵は神文王三年に地方防衛部隊である「九誓幢」に編入されてる 楽浪郡朝鮮県こそが平壌の悠久たる歴史のアイデンティティーだというのに
それを否定するとか北チョソは頭唐澤だな >>499
ニューギニア島は何故マレー・ポリネシア語族にならなかったのだろう
また、ニューギニア島とオーストラリア大陸の
一部地域には何故沢山の語族があるのか?
インド洋から太平洋までの地域でその二地域だけが孤立している謎 >>504
九誓幢って奴隷的外人部隊っしょ?
そんな連中がまともに子孫を残させてもらって現代朝鮮韓国人の先祖になってるとでも? >>500
無いよ。
元々別言語だったところに日本語が広まっていったのか、日本人が入植した結果なのか、どっちも矛盾が無い。
>>501
古事記とか万葉集とか見れよ >>506
産品が似たり寄ったりで交易の必要が薄いと自給自足で完結するから。
20世紀に入って文明化してくると、西半分はインドネシア語、東半分は英語とトクピジンに恐ろしい勢いで塗り替えられつつあるで。 >>504
>統一戦のときに活躍した金ユ信も元は捕虜として連行された金官伽耶の王家の出身だし
金官伽耶が新羅に吸収されたのは金ユ信の生まれる100年前とかだろ
しかも金ユ信自身は母親が新羅の王族なので真骨、だからそれなりの身分なのは当然
こんな極端な例を出してまるで捕虜でも優遇されまっせみたいな言い方はいかんね >>484
日本語ができる朝鮮人がちょっかい出しているからだろうね
あと南朝鮮人は古代に朝鮮半島にあった国のことを韓国といってるような池沼だから
本気で正しいと思っている可能性もある 韓国人は朝鮮半島を韓半島だの言っちゃう池沼君だもんな
朝鮮半島と打って変換しても韓半島(한반도:ハンバンド)とハングルで変換されてしまうww
「朝鮮」というのは彼らにとって李氏朝鮮時代の事を言うみたいだし
さらに朝鮮時代の話をされると恥ずかしいのか屈辱なのか知らないがあまり話をしたがらないww
馬鹿で間抜けな李氏朝鮮人の子孫のくせになぜか古代の国家については誇らしげなのが笑える、無関係のくせに 古代じゃないが高麗は割とちゃんとしてたはずだが李朝になってなぜ急にウンコを食べだしたり乞食ばかりになったんだろう >>507
九誓幢は唐の府兵制度をもとに唐に備えた部隊で
壮健な成人男子はすべてここに配属されます
後に百済人や高句麗人からも徴兵が行われるようになるまでは元々は新羅人のみで構成されていました
>>510
捕虜でも優遇されまっせみたいなことなんて書いてないんですけど
>>504の言うように武将や兵士は殺されたのなら金ユ信はそもそも生まれてすらいないよね?
>>511
愛国者ならせめて日本書紀ぐらい読み込んでおこうぜ
半島の国々を差して韓国と呼んでる例は日本書紀にもあるぞ
http://www.seisaku.bz/nihonshoki/shoki_14.html
日本書紀巻14
西漢才伎歡因知利在側、乃進而奏曰「巧於奴者、多在韓國。可召而使。」
天皇詔群臣曰「然則宜以歡因知利、副弟君等、取道於百濟、幷下勅書、令獻巧者。」 >>514
キムユシンの先祖って金首露の子孫で伽耶の王族だろ
そんな特殊な身分の人を例に出して殺されてないからと言って一般人やその他が虐殺されてない証拠にはならないよね では王族だけ生かされて民間人はすべて殺されたという史料なりあるのならどうぞ
徴税徴兵の対象となる民衆だけ殺して金のかかる特権階級だけ生かしておくとか
世界史を見ても普通はありえないわな >徴税徴兵の対象となる民衆
何言ってんだこの人
基本的に良くて奴隷最悪虐殺だろ
>金のかかる特権階級だけ生かしておく
金ユ信の先祖はかなり冷遇されてたはずだが金のかかる特権階級とは? >>517
横レスだが、>>516がいうように、
>>515の論拠に関する直接的史料を明示する方が先だと思うぞ >>514
>愛国者ならせめて日本書紀ぐらい読み込んでおこうぜ
南朝鮮人が日本書紀を典拠に「韓国」といっているのか?w
奴らは現在の国名をもとに言っているわけでそこが違う >>520
韓国は韓国だろ
チョンコが古代から大韓民国があったとか言い出した時点で叩けやハゲ チョンは大和=奈良県=ウリナラのナラ(国)から来てるとか平気で言う人種だからなw
現在の韓国語のナラを根拠にするとこがマジうけるだろww >>517
>基本的に良くて奴隷最悪虐殺だろ
それはあなたの願望でしょ
根拠あるなら史料を示しましょう
>金ユ信の先祖はかなり冷遇されてたはずだが金のかかる特権階級とは?
金武力の祖父は金武力が新羅に降伏した際に与えられた「角干」は
新羅の官位では一体何位にあたるのか少しは自分で調べてみようね
>>520
>奴らは現在の国名をもとに言っているわけでそこが違う
それ悔し紛れに今考えたでしょ?どこの誰がそんなこと言ってるのかな
次からはせめて墓穴掘らないように「日本書紀」ぐらい読んでおこうな
韓国の教科書にある「〜〜を日本に伝えてあげた」記述はほとんど「日本書紀」が典拠になってることがよくわかるぞ >>524
じゃあお前は半島南部が日本の物だったっていうのは認めるんだな? 日本という国名を名乗る様になった時点ではチョンコ半島はもう支那のもんだっただろ
なに古代には韓国がなかったニダから盛大なブーメラン食らってんだウヨガイジムーブもいい加減にしろ! チョン「日本は百済が作ってやったニダ!日本書紀に書いてあるニダ!」
賢者「じゃあ半島南部は日本の物って認めるんだな?」
チョン「何を馬鹿なことを言ってるニダ!このネトウヨがー!」
賢者「チョン御用達の日本書紀に書いてあるぞ?」
チョン「!!!!!!!!!」 >>524
じゃあお前は神功皇后が実在したと認めるんだな >>528
書いてるよボケ
そしてその部分だけを認めないのが朝鮮人
見事なまでに朝鮮人の特徴を表してるなお前 >>531
読んで来いよチョン
漢字が読めないからここにソース出せってか?
自分で読めよ >>524
>次からはせめて墓穴掘らないように「日本書紀」ぐらい読んでおこうな
三韓征伐ぐらい知ってるよ
あの地域を三韓と呼ぶことはあっても「韓国」と呼ばれたことはない >>535
韓国(からくに)と呼んでるだろガイジ
お前ほんま頭韓国人やな 韓国人は大韓民国の韓国(かんこく)と韓の国を同一視して勝ち誇るからたちが悪いという話だろ
じゃあ九州にある韓国岳という山があるがこれは韓国(かんこく)なのか?
韓国人からすれば韓国岳も韓国の物ニダーーとかいう理論になるんだろうねわりとガチで 日韓関係史に新たな1ページ?韓国で初めて日本の人物埴輪が出土、韓国ネットも注目
Record china配信日時:2018年12月28日(金) 6時0分
https://www.recordchina.co.jp/b674700-s0-c30-d0144.html >>537
日本に国号変更して別物になったくせに韓国は日本のものニダって言ってるお前の方がよっぽどチョン顔ボルネオ豚ニガー射精エベンキだろ!
沿海州エベンキランドに帰れや >>538
>金山里(クムサンリ)方台形古墳
倭系遺物出てるのに前方後円墳じゃないんだな >>539
日本が別物になった?何言ってんだお前
韓国人か? >>541
名前でとやかく言うならおめーの方が頭朝鮮だろこのチョン! >>538
リンク先を読んだら、「人物埴輪の形は鳥取県で出土したものに類似」と出ていたが島根県の間違いじゃないか? >>542
倭国に征服された事実を認められないチョン君w 東アジアの国境の変遷
https://youtu.be/h9e50CaLNTo
この動画面白い
ここのみんなは知識が豊富そうなのでここが間違ってるぞという部分があれば教えてほしい 朝鮮人って現代で最も不潔で野蛮な民族
古代で言えばしょんべんで顔を洗う粛慎とか挹婁みたいなもん ■反日勢力50年周期台頭説■
日本では明治維新以降、50年周期で反日勢力が台頭し、その後の約10年間にわたって混乱に陥れるジンクスがある。
◎「明治50年」(1918年・大正7年)
・前年1917年にロシア革命が起き、日本の反日勢力を勢いづかせる。
・1919年に朝鮮で三一独立運動が起き、4月にテロ組織「大韓民国臨時政府」が組織される。
・1922年に「日本共産党」(第一次共産党)が組織される。
・主な反日事件
「閔元植暗殺事件 (1921年)」「虎ノ門事件 (1923年)」「二重橋爆弾事件 (1924年)」・・・
◎「明治100年」(1968年・昭和43年)
・前年1967年に羽田事件が起きる(ヘルメットにマスクという極左お約束のスタイルはこのときに確立された)。
・その後の10年間にわたって、極左による反日暴動・テロが頻発する(あまりにも多過ぎるので具体名は略)。
・「反日亡国論」「自己否定論」という奇痴害デムパ思想が一世を風靡する。
今年2018年(平成30年)は「明治150年」である。
既に特定アジア諸国では反日ファシズムが台頭し、日本国や国民に刃を向けている。
国内でも「パヨク」なる奇痴害左翼が台頭してきている。
最悪の場合、特定アジア国家による日本侵略か反日テロが起きる可能性が高まっている。
良識ある皆様は引き続きパヨクを監視しよう! >>546
倭の五王の時点で最低でも埼玉県までは倭国がないとおかしいな
別に飛鳥時代に一気に朝廷の支配域が拡がった訳ではない 【レーダー照射】韓国「日本側の英語の発音が下手で、ちょっと何言ってるのか解らない」→日本政府「何が解らないんだよ」★15
ttps://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1546072169/ 古代朝鮮って色々ロマンありすぎ
日本の古墳時代のように >>552
大陸や半島は日本と違って人が丸々入れ替わって
言葉も文化も変わってしまうから面白いよな 完全な異民族だったという説も完全に同じ民族だったという説もどっちも不適切 濊って汚らしい民族だって誰かユーチューブで言って気がするんだが大嘘じゃねえかww
大陸の方から逃げてきた人間が集まって住んでた地域がそう呼ばれてただけやんけ・・・ 「濊」自体に汚いという意味があるんだゾ
史書に紹介されてる習俗は汚いとは言えないのにだゾ 濊もあの辺のいろんな民族の総称なんだよ
そのうちの一つが汚いんだろ もともとチョン半島は、よそから色んな種族が移住してきた地域だった >>558
きちんと体系的根拠になるような言語学的史料がある?
それともそういう言語学的史料は無くて単にきみの憶測? >>557
朝鮮の伝統的なお酒「トンスル」は
いつ頃から作られてたんだろう >>556
>大陸の方から逃げてきた人間が集まって住んでた地域がそう呼ばれてただけやんけ・・・
今で言えば大阪の鶴橋や東京の新大久保みたいなところか
今じゃ原住民の俺たち倭人よりでかい顔してる
祖先の失敗を繰り返してはならない。そのためには歴史を知るのが第一歩だな >>561
言語学的資料とかじゃなくて国の成り立ちの記録見れば分かるだろ
お目は言語的資料が無いことをいいことにいつも好き放題言って煽ってるな >>563
分かりやすいな
ちゃんとした国という体をなしているわけではないが「チョン」と差別的な意味も込めてまとめて呼ぶのと同じわけだ
油断してると日本と日本人がこのチョンに乗っ取られ歴史ものっとられ日本の歴史も改ざんされてしまうな >>562
糞食自体が北極圏の文化だろうから
丁度話題になってる濊が南下した時期じゃない? 元々濊は高句麗、扶余と同族だからそれは違うだろ
どちらかと言えば粛慎の流れをくむ連中の文化だろ 大阪の鶴橋や東京の新大久保に限らず日本の原住民はアイヌ人だろうに
アイヌから見たら朝鮮人も日本人もかってに人んちに上がり込んできた余所者 コロボックルって北千島アイヌ自身の事だろ
瀬川拓郎がコロボックルの住居跡を掘ってみたら結局アイヌ人の住居あとでしたってオチだったし >>569
アイヌはアイヌであって縄文系の日本人とは違うぞ低能よ >>571
それって朝鮮半島近辺にいた連中を汚くもないのに穢族と呼んだりするのと同じで
北海道のアイヌが北千島の同族に対してコロポックルと言って馬鹿にしてたってだけよね アイヌと縄文人のYハプロは8割mtハプロは10割共通なんでしょ >>547
アイヌ=縄文人じゃねえよ、生活様式も違うし
アイヌは縄文人の子孫だが時代を経てアイヌとして独自の進化をしている
つまりアイヌは縄文人ではないからアイヌがもともとの日本の原住民という認識はおかしい >>564
俺を誰と混同したのか知らないが、
言語学的史料(「史」料だろ、この場合)を示してくれと言ったのを一方的に煽り呼ばわりするほうがおかしい
>>558と>>564が同一のレス者である場合の仮定で言わせてもらうが、
完全に異なる種族だとまで言い切るなら、それ相応の根拠が要る
単に一国の建国譚とかだけだったらそれは客観的根拠とは言えない
複数の客観的史料を挙げられないのなら、とりあえず、少なくともみずから数とおりの可能性を挙げるのが筋だろう >>576
秦韓ってなんで秦韓って言われるか分かる?
秦語が使われてたからだぞ
万里の長城の労役から逃げてきた連中の吹き溜まりが秦韓だ
そしてその秦韓の王は常に馬韓から出ていたわけだ
分かりやすく説明するなら日本の中の日本人とその中に紛れたチョンみたいな関係性だ
日本にいるチョンをひとまとめにして別の土地に住まわせたのが辰韓だ
しかしその中の王は日本から派遣されるわけだ
もっと詳しく知りたければ自分で調べろな
ちなみに558と564は別の人物だ
馬韓と辰韓が別種であることなどはもはや一般常識 秦は陝西省の地名だが陝西省は内陸にあり朝鮮半島に移住するには不便過ぎる立地の筈だ
秦朝という統一王朝のことを指して「秦」というのは当時の慣習では不自然だ
秦は絶対に本当は秦朝とは無関係な何か別の現地語(おそらくは徐那伐の「徐那」あたり)を聞き違えたに違いない チョンなんて言葉を使ってる時点で客観性を欠いた妄言だと解るな >>561
馬韓と秦韓が完全な同一種族だったという体系的根拠になるような言語学的史料がある?
それともそういう言語学的史料は無くて単にきみの憶測? >>578
ほんま歴史を知らんのだな
遼東周辺の長城の建設でその近辺に強制移住させられた連中が居たんだよ
そいつらが馬韓に逃げ込んだのが発端 結局韓国人って何者なの?
俺の認識の中では半島の主に成りすました連中という認識
今の韓国人の大部分はモンゴル軍のレイプでできた人たちの子孫って認識なんだがあってるよね? >>577
ではきみが言うところのその秦語とやらが一体どういう言語なのか、具体的に説明してもらいましょうか
基本語彙は? 構文は? 格の表示は? 時制は? 相は?
言えないのならもう黙ってなさい >>580
別に同一だったとかどうだとか自分は結論を出してない
まだまだ分からないことだらけ
断定なんてとてもできたもんじゃない
断定するならそっちの方がよほど眉唾 >>584
馬韓と秦韓との違いについては歴史書で断定されてる
それについて反証する史料ってのがあるなら言ってみてよ >>583
歴史書位読んでから来いよ
お前みたいなレベルの低い奴が来るとこじゃないよここは 歴史書で語られてることについてソース出せとかわめき散らしてる奴って糖質なのかそれとも相手にしてほしくて必死なのかどっち? >>579
チョンなんて言葉を使ったら、馬鹿チョンが発狂するから気をつけようね >>582
今の日本人の大部分は米軍のレイプでできた人たちの子孫って糞青は認識してるらしい
ネトウヨ層はどの国も似たような発想に行きつくというのは面白い現象だよな >>591
いや、日本は別に米軍に上陸されて日本全土を荒されたわけじゃないよね?
一方高麗は50年間も延々とモンゴル軍に蹂躙されてたんよ?
済州島なんかはモンゴル人が住み着いて放牧してたし
高麗王室も王妃はモンゴルから派遣されて王室の子孫たちは皆モンゴル人化したわけだが?
韓国人に朝青龍みたいな顔のやつが多いのはそういう事ですよ 降伏した上で上陸されてるだろいい加減にしろ
ある意味で今でも蹂躙されてるしよ >>594
米軍に上陸されて何人殺された?何人米軍にレイプされた?
まあなんというかチョン乙 >>595
何人か殺されてレイプされてるから五十歩百歩ニダ 百済人の末裔(先祖が渡来して200年以上)である桓武天皇の母親の話思い出したww
「天皇は韓国人の子孫ニダー!」 【レーダー照射】ツイ民、コラ画像に反応してしまう…「韓国側の映像が出てきましたね。どう見ても威圧飛行です…」
https://snjpn.net/archives/87768 それだったら天皇家にとっては百済があった領域は元は日本国のものなんだから
現状は賤人が不法に占拠していることになる。縁があるなどとリップサービスしないで
はっきり出て行けといってやればよいと思う >>593
あのさぁ・・・
モンゴル人の人口って1229年時点で30〜40万ぐらいなんだけど
かりにすべてのモンゴル人が豊かな中国や西アジアをスルーして高麗に移住して来たとかあり得ない前提を想定しても
人口動態にあたる影響って微々たるものだよね ちなみに第一回目のモンゴル戦ではサリクタイに首都落されて
一旦モンゴルの統治下にはいるんだけどこの時配置されたモンゴル人の役人は高麗全土で72人程度だぞ
まぁ少ない人口でやりくりしてルーシやアナトリアあたりまで統治していたのだから仕方ないね >>601
自称モンゴル人の女真人と漢人じゃないかな 第6次の侵攻まであるのになぜか第一次の事にしか触れないんだなw
焦土にされるまでボコられ殺されまくりレイプされまくってたのになぜ第一次侵攻の事しか言わないの?
移住がどうとかそんな話は一切してないのに頭おかしいんじゃない?
済州島は実際にモンゴルの牧場だし高麗王室が100年近くモンゴルの血を入れられたのも事実
「是歳、蒙兵所虜男女、無慮二十萬六千八百餘人、殺戮者不可勝計。所經州郡、皆爲煨燼、自有蒙兵之亂、未有甚於此也。」
「是月道路始通。兵荒以來、骸骨蔽野、被虜人民逃入京城者、絡繹不絶。都兵馬使、日給米一升救之然死者無筭」
>モンゴル人の人口って1229年時点で30〜40万
例えば1万の騎兵としてもだ
50年の大侵攻の内でそれぞれが中出ししまくりのレイプをしまくったらどうなるか考えろよ
お前ら朝鮮人は認めたくないかもしれないがれっきとしたモンゴル人のレイプでできた民族だ >>604
50年といっても断続的で第一次から第五次まで一年もたたないうちに撤兵してますけど
その論法だと7年間にわたってアメリカ、イギリス、ソビエト軍数十万が駐留していた日本は
散々レイプされまくって今頃俺たちは金髪碧眼のハーフ顔のイケメンになってないとおかしいじゃん >>608
頭悪すぎ
上陸されて実際に殺し合いをしてない日本のケースと比べるとか必死すぎて笑えるね
それともあれか?レイプって事なら戦後の朝鮮進駐軍の方が得意だったはずだよな?お前らの同胞がやったあれだよ
>一年もたたないうちに撤兵
街が1つ落ちるごとに兵士は略奪とレイプを繰り返すんだが?
明日の命の保証もない兵士たちだ、1万人の兵士が1日一回女を襲ってみろ1年もそれが続いたらどうなるか想像しろよ
モンゴル顔の朝鮮人が物語ってるだろ。遺伝子は嘘つかない。 えーと、きみたち
ここ高麗史スレじゃないぞ
元とか高麗とかの話はほかでやっててくれ >>610
γ ⌒ミヽ いってらっしゃいニダ
<`∀´ >
/rヽ/ イl J<`∀´ >し
(.|__|:_[U] /( )ヽ<`∀´>ノシ オミヤゲネー
| | | | | (_ _)
お父さんはいまがんばって働いています
lヽ
l 」 .lヽ
‖彡 ⌒ ミ l 」 彡 ⌒ ミ
⊂< `∀´ ,> ‖γ ⌒ミヽ < `∀´ ,>⊃
ヽ と) ⊂< `∀´ ,>(つ /
(⌒)ヽ ∧_∧と)| (⌒)
J ( ´Д`;)⊃し⌒
(つ /J
| (⌒)
し⌒ >>610
高麗で暴れまわってた「モンゴル軍」は洪福源とかその配下のモンゴルに寝返った高麗兵がほとんどだぞ まあ、モンゴル帝国は、社会制度的にも技術水準にしても、中世・中世型封建制だから、その支配下の元・高麗は古代の範疇から外れるな。
李朝で古代に戻ってしまうけれど。 高麗の文化は中国から影響を受けつつも独自性を保ってて面白いんだけど、北方民族撃退を祈願して大蔵経頑張って作ったのに結局元に服属してて笑っちゃうわ 魏志韓伝で魏から見た古代朝鮮人の記述だけど
「鬼神を信じ、主邑では、それぞれ一人を立てて天神の祭りをつかさどらせる。
これを天君と名づけている。また、諸国にはそれぞれ特別な集落があり、
これを名づけて蘇塗(ソト)とする。大木を立て、鈴や鼓を懸けて鬼神に仕える。
さまざまな理由で隠れたり逃げたりしてその中に至ったものは皆これを引き渡さず、
好んで賊を作っている。その蘇塗を立てる意義は仏教の寺に似たところがあるが、
行いの善悪に違いがある。その(馬韓の)北方は(中国の)郡諸国に近く、
やや礼に通じているが、遠いところは囚人や奴隷が集まっているに等しい。」
この頃から天(後のハヌニム)を祀ったり鬼神を祀るムーダンに通じる信仰があったんだろうか >>617
モンゴル帝国も中核部は仏教徒だから、同じ仏さんにお祈りして、高麗負けてんだよね。
神仏に見放されたんよ 元麗関係論争やりたい者らは別スレ立ててそっちでやれ
このスレと関係ない話でいつまでもだらだら口喧嘩するな >>621 は、>>1と>>12を読め
どれだけ後代でも、後三国までがいっぱいいっぱいだ
それよりも後の時代を扱いたいなら、高麗史スレなり李氏朝鮮スレなり、別スレ組め 10世紀の高麗が中世にまで進歩してたの? 御冗談を。 だから高麗時代の話したければ高麗スレ立てろって
ここ基本は三国時代だぞ 百済高句麗新羅までの時代でおk?
統一新羅時代からは歴史的にも面白くないしな 朝鮮という地名は本来平壌周辺の一帯を指す
平壌を領有している国は誰がなんと言おうと朝鮮と呼ばれうる
日帝三十六年は日本もまた朝鮮であった時期なのである >>627
支那の従属地→朝鮮
倭の従属地→韓
北狄の従属地→高麗
唯一の例外が、日本領時代の朝鮮総督府 >>610
lヽ
l 」 .lヽ
‖彡 ⌒ ミ l 」 彡 ⌒ ミ
⊂< `∀´ ,> ‖γ ⌒ミヽ < `∀´ ,>⊃ ←刀伊の入寇
ヽ と) ⊂< `∀´ ,>(つ /
(⌒)ヽ ∧_∧と)| (⌒)
J ( ´Д`;)⊃し⌒
(つ /J
| (⌒)
し⌒ >>618
天を崇める信仰はツングース系由来?
朝鮮の場合天の神が一人でなんでも
支配するワンマン独裁体制なのに対し
日本の天孫は多くの神々がいて
話し合いで決める印象が >>631
半島北部から半島南部に流れ着いた連中が天皇家の先祖だよこれは間違いない
神武天皇の兄稲飯命の子孫は新良貴氏として現在も存在するが当然これは新羅に関係あるわけで
という事は >>632
ウリナラファンタジーは無関係
日本から半島に来た人物が新羅王家であり逆はありえない
それは日朝の史料両方が証明している >>633
それは新羅王家の金 朴 昔の3氏のうちの昔氏が日本出身というだけ
昔氏が稲飯命というわけではない >>634
それは「半島北部から半島南部に流れ着いた連中が天皇家の先祖だよこれは間違いない」などというガイジデムパを肯定することにはならない >>635
朝鮮半島から来たらなんか問題でもあんのか?
古代朝鮮と韓国北朝鮮は無関係だぞ
じゃあ逆に天皇家はどこから来たのか言ってみ?
まさか縄文人とか言わないでくれよ 本国の国家統一もままならん奴が、本国よりも大きな日本に来て国家統一をなした?
ありえねー >>636
天皇家が縄文人から来た証拠はY染色体ハプログループにしっかりと残されているが
古代朝鮮と韓国北朝鮮は無関係という証拠は存在しない
朝鮮半島の先住民は旧モンゴロイド形質の強い縄文人であり、それが先史時代のうちに北の遼河文明から住民に乗っ取られ古代には別物になっていたことは考古学的証拠からも明らか
また、天皇家には古代朝鮮に共通する卵生神話はなく、逆に黄海を隔てて西側の徐にこそ卵生神話がある
豚鼻ボルネオニガーは射精エベンキと幸せなキスをして終了 >>637
ノルマン朝みたいなもんじゃね
しかも一代で日本を統一したわけではないだろう >>638
天皇家のDNA検査したの?
日本には空白の100年があるんでその時に都合が悪いものはすべて処分されてる可能性がある
天皇家の墓からDNA採取できないのもそれ 行燈山古墳(Andon-yama Kofun)の被葬者のY染色体は、ハプログループD1b1a2b1a1a(D-CTS8093)であると推定されている(注2)(注3)。
https://famousdna.wiki.fc2.com/wiki/Y%E6%9F%93%E8%89%B2%E4%BD%93D1b1a2%E7%B3%BB%E7%B5%B1
「行燈山古墳」は奈良県天理市柳本町にある「柳本古墳群」を構成する古墳の1つで、形状は前方後円墳。
出土埴輪・出土銅板から古墳時代前期後半の4世紀前半頃の築造と推定される(注1)。柳本古墳群では渋谷向山古墳に先行する時期の築造とされ、
邪馬台国と入れ替わる形で成立した初期ヤマト王権の大王墓と考えられている。
被葬者の実名は明らかでないが、現在は宮内庁により第10代崇神天皇の陵に治定され同庁の管理下にあり、
昭和49年(1974)-同50年(1975)に宮内庁書陵部による外堤・渡堤・後円部墳丘裾部での発掘調査が実施されたほかに、平成29年(2017)、学術団体による立ち入り調査が実施された(注1)。
また海外メディアの伝えるところによれば、被葬者の直系子孫から得られたサンプルと比較した結果、
一塩基多型のCTS8093がポジティブであったことなどから、
結論は先送りされているが、被葬者はD1b1a2b1a1a(D-CTS8093)である可能性が高いと指摘されている(注2)(注3)(注4)。 >>642のページを見ると皇室の男系子孫はD1b1a2b1a1(D-Z1504, CTS8093)のハプロを有すると書いてある
ソースにDNA解析サービス23andMeのログインしないと見れないページがあるな >>644
宮内庁の認定が正しければ天皇やで
皇室本家以外にも皇別とされる氏族の末裔がいるのでそれらの調査結果を付き合わせれば天皇自身を調査せずとも皇室のハプロが特定可能 被葬者の直系子孫=天皇じゃねえよバーカ
日本の中で天皇家の男系の血を持った人間がどれだけいると思ってんだきさん 日本語でおkwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww 天皇家ってどれだけ枝分かれしてると思ってんの?
被葬者の直系子孫=天皇とかどんな脳みそしてるんだい?
ああ直系の意味も知らないんだねえ Y染色体が何か知ってたら>>648みたいなアホな事を言う訳がないんだよなあ
無知無知兄貴は北の将軍様と幸せなキスをして終了! 東山天皇の男系子孫数人の鑑定をしたんだよ
だから少なくとも東山天皇はD1bである事がほぼ間違いない
まあそれだけの話だけどねえ
100世代以上あって一度も不義密通の子がいないと断言も出来ないし
古代に至っては系図そのものが怪しいしね
天皇家がずっとD1bだった保証はないね 違うのが紛れてたらそこですり替わったってことがわかるだけだろ >>535
三韓なら、南部だけでなくて、朝鮮半島一帯から今でいうとロシア領プリモレやらら中国領遼寧省吉林省黒竜江やらのそれぞれ一部分まで含むよな。
韓国と呼ばないのは、統一的な国でもなければ、三韓がそれぞれに国を為してない。
高麗くらいは遊牧政権的な広域支配であったかもしれんけれど、新羅・百済は一枚板の国ではない小国の寄せ集めで黄海側の盟主格が百済、
日本海側の盟主が新羅だったくらいのもの。
朝鮮半島南端に至ってはついぞ在地の盟主格が現れず倭〜日本の出先が任那諸国の盟主格になっていた。 まだ食いつてるのか
つくづく負けず嫌いなオッサンだ
古事記の「天孫降臨」の場面にもしっかり韓国は出てくるから愛国者ならしっかり見とけよ見とけよ
此地者向韓國 眞來通笠紗之御前而 朝日之直刺國 夕日之日照國也
此地(ここ)は韓國(からくに)向かい、笠紗(かささ)の御前(みさき)に眞來通(まきどお)りて、
朝日の直(ただ)刺す國、夕日の日照る國なり。 >>654
そういう屁理屈はいいから
語源的に加羅 karaも韓 *gar>han>kanも同じだろどうせ 古代の韓と大韓民国の韓国を同一視してる馬鹿が居るスレはここですか?
歴史の乗っ取りはやめましょうね
この理屈で言えば高句麗と後高句麗も同じになるし、古代中国なんて国号かぶりまくりだが全部それも同じって認識になっちゃうね
チョンは馬鹿だねほんと こんなところで工作活動してもすぐ看破される哀れなチョンさんww >>656
>古代の韓と大韓民国の韓国を同一視してる馬鹿が居るスレはここですか?
ネトウヨおじさんさぁ・・ストローマン論法って知ってる?
そんなこと言ってるのお前だけだから >>659
自分たちがやってるからと言って他人にも当てはめるのやめようぜ >>659
なに発言してんだハゲ
彡ミミミ
( ´・ω) 彡⌒ ミ
γ/ γ⌒ヽ <`д´` > アイゴッ…
/ | 、 イ(⌒ ⌒ヽ
.l | l } )ヽ 、_、_, \ \
{ | l、 ´⌒ヽ-'巛( / /
.\ | T ''' ――‐‐'^ (、_ノ
| | / // / チョンは帰れだのネトウヨがどうだの言ってるのって自演だろこれ
このスレは歴史を語る場なのにヘイト発言して歴史に触れさせないようにしてるんだろ? >>659
南朝鮮人は古代の韓と現在の南朝鮮を同一視するという歴史の捏造を行ってる
わら人形というのは、例えば済州島から日本に逃げてきた韓国人が強制連行されたと主張するのがそれにあたるな 板違い知的障害者>>664の口中にくっさいくっさいトンスルをドバー!! ウヨおじって子供の頃国語の成績悪くてお母さんによく怒られてたタイプでしょ >>667
自己紹介乙
チョンコって自分の経験談を他人に投影するクセあるよなw 「あいだに入って協力する」「上手くいくように協力する」などは全部詐欺
ある日突然、就職・昇進・恋愛などであいだに入って協力するという親切な人が登場し、
時には親身に話を聞いたり、時には盛り上がって一緒に酒を飲み、おごってくれたりもします。
警察官や公務員のケースもあります。
しかし、実際には何も協力などせず、勝手にその人の人生が上手くいくのを待っているだけです。
そして、ターゲットが自力で人生を切り開いた時から、本格的な詐欺が始まります。
あいだに入って協力したとして、「御礼」を要求されるのです。
不法行為に協力させられると、泥沼にはまって経費流用や情報漏洩も要求されます。
上手くいかない時には、適当な人物の名前をあげ、○○が政治的な動きをしたから駄目になった、
○○がいなければ上手くいったのに、あいつのせいだと言い逃れをするのも特徴です。
皆さんも、詐欺にだまされないよう気を付けて! もうすぐ韓国が北に飲み込まれるわけだが大韓民国の歴史は短かったなw
歴史の中で言えばほんの一瞬現れて消えていく無名の国のようだ
東アジアの国境の変遷
https://youtu.be/h9e50CaLNTo
彡 ⌒ ミ 彡 ⌒ ミ
( `ハ´) (`ハ´ ) )).←中国人民志願軍
( i つ ミr' ヽ
( .っД´ll;>`⌒し ) ))
(_ノ_ノととノ_,. (_ンj__ン' スコスコ
↑韓国軍 で結局高句麗はシナ圏なのか朝鮮圏なのか
好太王なのか広開土王なのか 東胡は穢狛と関係がないし遊牧民でもない
日本人は純農耕民なので狩猟民と遊牧民の区別がついてない人が多いが
穢狛も勿吉も高句麗も靺鞨も女真も半農半猟であって遊牧民ではない >>675
当の遊牧民やら遊牧民に支配されていた時分の支那人が区別してないんですけれどねえ。
上代から、東胡が漢土に侵入しまくった北魏も五胡の時代も、ずっと後の清の時代も、一貫して、遊牧民は「猟」「猟民」「猟戸」と表現している。
たとえば、モンゴル帝国時代の職能別の人のランク付け「一官二吏三僧四道五医六工七猟八民九儒十丐」の七番目の「猟」ってのが羊飼いだ。
女真人の清は、遊牧民の長としてモンゴル人やトルコ人に対する支配権の正当性を主張し、周礼の中原の住民がもともとは猟民であったという記述を
引用して猟民たる女真人による漢土の支配権を正当化している。 >>673
どれか一つに絞るという考えが間違いだとなぜわからない そもそも高句麗が朝鮮なわけがないだろ
朝鮮半島に南下してきた勢力であって朝鮮ではない
そもそも朝鮮自体が何をもって朝鮮というのかを考えなければならない
民族的な事で言うのかそれともその周辺の呼称で言うのかでも違ってくる
朝鮮民族と関係ある国なのかと聞かれれば100%違う
朝鮮民族自体が混血を繰り返しで出来たここ1000年以内に誕生した種族だからだ 古代朝鮮は衛氏朝鮮と箕子朝鮮だけだな
どっちも支那人が作った王国だけど >>676
>上代から、東胡が漢土に侵入しまくった北魏も五胡の時代も、ずっと後の清の時代も、一貫して、遊牧民は「猟」「猟民」「猟戸」と表現している。
してません
あるというのなら「魏書」でも「北史」でも「晋書」でも「清史稿」でもいいから典拠例を引っ張て来てね
>たとえば、モンゴル帝国時代の職能別の人のランク付け「一官二吏三僧四道五医六工七猟八民九儒十丐」の七番目の「猟」ってのが羊飼いだ。
猟戸(angci)は囲猟の特権を受ける代わりに狩猟で得た一部を貢納する義務を負った人々のことで羊飼いではありません
>女真人の清は、遊牧民の長としてモンゴル人やトルコ人に対する支配権の正当性を主張し、
だから女真族は遊牧民ではありません
射猟も行う定住農耕民です
ここにすごくわかりやすく書いてあるからちゃんと読もうね
http://talkiyanhoninjai.net/2007/02/21/女真人と農業/ 2019年1月10日、韓国・JTBCは、ソウル市内のカフェ密集地でカップの衛生状態を調べた結果、「掃除していない便器と同じくらい汚いものが使用されていた」と報じた。
韓国では2018年8月から、店内での使い捨てカップの使用が禁じられている。そのためほとんどのカフェでは、ガラスやプラスチック製、陶器のカップが使われている。
同メディアによると、あるカフェで注文したコーヒーを受け取った後すぐにカップのふちを測定用の綿棒で拭き、その場で測定器にかけ汚染度を確認した結果、数値は5740だった。掃除をしていない便器(6097)と同水準だという。
周辺のカフェも回って調査したところ、食器に適用される衛生基準値の400を超えたのは、10軒中8軒に上ったと伝えている。また、セルフサービスの水用に置かれているカップも、ほとんどが基準値を超えていたという。
調査に同行した食品安全研究の専門家は「顧客の回転率が高く、食器の消毒などをする時間がない」ことを指摘している。一方、カフェの関係者は「きちんと洗い、消毒もしているが、コーヒーは油だし、どうしようもない」と話しているという。
この記事に対し、韓国のネットユーザーからは「この世で一番きれいなのは便器かもしれない」「これでは外食もできないな。箸やスプーンは大丈夫なのか?」
「カフェもレストランの厨房のように食洗機を導入してカップを増やすべきだ。
小さなシンクで、注文を受けるかたわらに適当に洗っているから汚いんだ」などの声が寄せられている。
また「使い捨てを使わせろという宣伝では?」「どうしてカフェだけ調べるの?。箸や皿、テーブル、全部調べるべきでは」
「この調査方法だったら、外食は全て引っ掛かるし、家庭だって高い数値が出そう」などという記事に対する疑問の声や、「面倒でもマイタンブラーを持ち歩こう」「それでも使い捨てを減らす努力を止めてはいけない」などの呼び掛けも見られた。(翻訳・編集/麻江) ∧支∧
( `八´)
(  ̄|| ̄) ニ彡 ⌒ ミ <ははぁ!宗主国様〜
| ̄.| ̄| <`∀´ ;>⌒)
/__l _ゝ = と と_(_つ 【韓国産貝類の缶詰】アメリカ食品医薬品局(FDA)が販売禁止を通告『糞便に汚染された水域で採捕』『ノロウイルス汚染のリスク』
https://snjpn.net/archives/94152 >>685 >>687
古代朝鮮でそんな店が開かれていたのか? ある意味朝鮮は古代の不潔さを現代でも維持してるともいえるなこりゃw >>688
帯方郡ではカップラーメンや缶詰が製造されていた。
(民明書房「古代朝鮮のグルメ」より) 文在寅大統領の娘が東南アジアに緊急移住。危機を察知して逃亡か ... 優秀な朝鮮系渡来人によって日本に高度な文明がもたらされた 百済人の持って来る知識が劣化コピーばっかりだから、もう要らん、直接習いに行く、百済は道案内だけすればいい
って始めたのが遣隋使 そもそも当時の百済は日本の属国レベルだったろ
そこの文化を持ち帰って何が悪いんだか 半島由来のY-DNA…日本にたくさんある
日本由来のY-DNA…半島にほぼゼロ
属国であるなら半島に日本発祥のD1bタイプが有意数残るはず
実際には1〜3%程度しかない よって日本は朝鮮を支配できていない >>697
何を言ってんだ、属国なんだからあっちに移住するわけないだろwwwww >>697
↑こいつの理屈だとアフリカや東南アジアは白人の国になってないとおかしいよな モンゴル帝国のレイプは意気揚揚と語るのに日本の場合はだんまりか 【強姦】自宅にマッサージ店女性(30)を呼びレイプ。俳優の新井浩文容疑者(本名・朴慶培)を逮捕。『真田丸』『アウトレイジビヨンド』など、数多くの映画・ドラマに出演★3
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1549025058/ >>701
日本って国は異民族と土地の争いをほとんどしてないから相手に対して残虐になるっていう習慣がないんだがね
モンゴルだの中国だの朝鮮は異民族には何をしてもいいという感覚が普通
その違い 自分の領民を弓矢の的にして遊んでた男衾三郎さんや
年貢滞納しただけで女性の耳や鼻を削いだ湯浅宗親さんの悪口はそこまでだ 自閉症は朝鮮という単語を見ると発作的にレスしてしまうらしい パクキョンベが日本で犯罪犯したけど同胞のチョンはどんな気持ちなのかな <丶`∀´>犯罪者だけが英雄になれるニダ
<丶`∀´>誇らしいニダ その通りです。犯罪者にしか自由や不自由はありません。 【新井浩文逮捕】吉本芸人『ウーマンラッシュアワー』村本大輔「新井浩文が在日だとわかった瞬間にバッシングが何万倍」「人種差別主義者が日本には少なからずいる」★2
https:// hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1549191724/ 新井は自分で在日と言ってたから報道で周知されたわけではない
個人的には村本も在日というか帰化人の家系じゃないのかこいつ
顔が臭すぎる 優秀な朝鮮系渡来人によって日本に高度な文明がもたらされた 未開で野蛮な島国のチョッパリどもにウリたちが
高度な文明を教えてやったニダ 日本が西洋文明を丸パクリにしてきた時期の方長いからね
たぶん21世紀は韓国がばんばんノーベル賞を取るよ 西洋はギリシア、ローマのパクり
ローマはギリシアのパクり
ギリシアはエジプトとオリエントのパクり >>715
間違い
属国だった百済の文化を日本人が持ち帰っただけ 古代の話なのになんでいちいちモンゴルを引き合いに出す馬鹿がいるのか モンゴルの事言われると傷つく朝鮮土人が居ると聞いて モンゴルの話したければいくらでもスレあるじゃん
なんで「古代」スレでモンゴルネタなんだよ
もしかして古代ネタじゃ朝鮮disれない無能か ハングル(ひらがな)だけの文字などでは馬鹿を製造するようなもので、たとえ大学卒でも実質中学レベルでしょうね。
こんな国から優れた人間や文化など育つ訳がありません。
世界中からどんど遅れて愚民国家まっしぐらですね! ハングルなんて古代史と何の関係もないやんけ
もまえは何を逝ってるの? そーだそーだ
せめて吏読・郷札・口訣の話をしやがれや 国宝の彫刻の部の第一号、つまりは日本人が諸彫刻中、最高の作品であると認めている
のが、京都の広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像です。それが、新羅から伝来したのか国内で
造像されたものかハッキリしないということは、7世紀当時、日本と朝鮮半島とが、美意識
というか精神世界を共有していた可能性が高いことを直感させます。
そもそも、最終氷期の後に、ほぼ無人状態だった朝鮮半島に最初に移り住んだのが、
日本列島の人々だった可能性が高いです。
九州の縄文土器の年代を調べますと、約7000年前以前の土器と約4000年前以降の土器は
見つかりますが、縄文海進の起こった約6000年前から約5000年前の土器はほとんど見つ
かっていないのです。一方韓国国立中央博物館から出されていた朝鮮半島の古代年表を
見ますと、これ以前の遺跡が無く、縄文海進の起こった約6000年前から突然北部九州の
縄文土器によく似た櫛目文土器が出土し始めているのです。縄の材料は葦や稲ですが、
朝鮮半島は葦の生育圏から外れているため、仕方なく櫛で模様を付けたと解釈できます。
北部九州で土器が無くなった後、すぐに朝鮮半島からよく似た土器が作られていることは、
人が移り住んだ何よりの証拠と言えるのではないでしょうか。頻繁な交流をしていたにも
かかわらず言葉の障害が見られないなど、 多くの謎が同じ日本人同士だったことで
理解できると思います。この時点で、少なくとも九州北部と朝鮮半島南部とは、同一の
縄文文化圏になった、ということになりそうです。
それだけではありません。私見では、弥生時代においても、同一文化圏であり続けた
可能性が大なのです。というのは、日本における水稲稲作の開始時期は朝鮮半島に
先行していたというのですから、この場合も恐らく北九州から朝鮮半島南部に水稲稲作
を持ち込んだ可能性が高い、と思われるからです。弥生時代中期に、朝鮮半島南部で
弥生土器が急増し始めることも、腑に落ちるというものです。
以上から、縄文文化部分が日本のそれに比べると脆弱ではあるけれど、縄文文化を
基調として弥生文化と組み合わされたところの、日本文明と極めてよく似た文明を、
朝鮮半島南部は日本と共有していた、と言えます。 この説の諸傍証を、以下、適宜、列挙してみましょう。
最大の傍証は、朝鮮半島の313年までの歴史地理です。
「漢四郡(かんのしぐん)は、朝鮮半島の中・西北部にあった衛氏朝鮮を滅ぼした前漢の
武帝が紀元前108年に設置した楽浪郡・真番郡・臨屯郡、紀元前107年に設置した玄菟郡
の郡・・・のことである。各郡の位置については諸説ある。朝鮮四郡ともいう。
<支那>王朝は313年までおよそ400年もの間、朝鮮半島中部・北部を郡県により
直接支配し、また朝鮮半島南部に対して間接統制を行った。・・・
年表
紀元前82年 - 真番郡、臨屯郡を廃する。
[前82年に15県中の9県は廃止となり、残りの6県と玄菟郡の夫租県を合わせた7県は
楽浪郡に編入され、臨屯郡は消滅した]
紀元前75年 - 玄菟郡を西に移し、半島には楽浪郡だけとなる。
204年 - 公孫氏が帯方郡を置く。
238年 - 魏が公孫氏を滅ぼし、帯方郡を支配。
313年 - 高句麗が楽浪郡を滅ぼし、帯方郡も滅びる。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BC%A2%E5%9B%9B%E9%83%A1
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%A8%E5%B1%AF%E9%83%A1
上掲の中に出てくる「間接統制」が行われたのはどうしてか、という疑問が湧きませんか?
武帝が滅ぼした衛氏朝鮮は、燕に出自を持つ支那人亡命者である衛満が朝鮮半島北部
に建国した国だが、この漢人を支配者とする国が、そもそも朝鮮半島南部には本格進出
をしていなかったわけだ。また、武帝がベトナム北部を征服したのは、外征というよりは
漢人支配地の編入に過ぎないが、朝鮮半島北部の征服も同じことであることも想起して
欲しい。もう少し具体的に言えば、漢の武帝は、支那の朝貢制度の創設者であるとされて
いるところ、 「周辺異民族と敵対して多額の防衛費や軍事費を負担するよりも、朝貢を受けて
回賜を与えたほうが安上がりであるという現実もあった。仮に周辺の異民族を討伐して
支配下に置いたとしても、生産性の低い地域に支配領域を広げるだけであり、税収よりも
軍事支配のためのコストのほうが上回る」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E8%B2%A2
という、朝貢制のロジックからすれば、稲作が行われている、従って生産性が低い
(=人口が少ない)とは考え難い朝鮮半島南部は、朝貢制に馴染まない、つまりは征服し
直接支配してしかるべき地域であるはずなのに、しかも、その間に大河や山脈といった
自然境界も無いのに、どうして彼は直接支配しようとしなかったのか、という疑問です。
私は、その地域に、倭人達及びその提携勢力の韓人達という、私の言葉で言えば、
縄文性と弥生性を併せ持った、侮り難い変わった人々が住んでいて、しかも、その後背地
として、というか聖域として、倭人達の本拠地である日本列島が玄界灘の彼方に控えて
いたからであり、かつ、その一方で、これら勢力が好戦的ではなく、朝鮮半島北部に
脅威を及ぼさなかったからだ、と思うのです。そのことを間接的に裏付けるのが、
220年の後漢滅亡の直後の朝鮮半島南部についての下掲の記述です。
「狗邪韓国は、3世紀中頃に朝鮮半島南部にあった国。中国正史の『三国志』や『後漢書』
に見え、[280年以降に成立した]『三国志』では「其(倭国)の北岸」、または「韓は南は倭と
接する」とあり、432年以降に成立した『後漢書』では「倭の西北端の国」とある。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8B%97%E9%82%AA%E9%9F%93%E5%9B%BD
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8C%E6%BC%A2%E6%9B%B8
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8B%97%E9%82%AA%E9%9F%93%E5%9B%BD
つまり、支那が三国時代であった3世紀の中頃には、『後漢書』と、成立時期等から、
より信頼性の高い『三国志』の双方が、朝鮮半島南部の韓の南側は倭と陸続きであり、
その倭の部分に狗邪韓国があった、的なことを記しているわけであり、この時点から
時計の針を巻き戻して、AD1世紀の、更にはBC1世紀の朝鮮半島南部の状態を
想像して見て欲しいのです。 一見、百済と新羅の倭(日本)への朝貢は、単に朝鮮半島内において、高句麗と倭に北と南から
挟まれていたという、地政学的事実の産物であった、と言えそうです。↓
「百済と新羅は高句麗属民で朝貢していた。しかし、倭が辛卯年(391年)に海を渡り百済・加羅・
新羅を破り、臣民となした」(414年に建立された広開土王碑碑文より)」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%B7%E8%B2%A2%E5%9B%B3
「丁酉年(397年)、百済の阿?<(あしん)>王は王子腆支<(てんし)>を人質として倭に送り
通好する。(399年)庚子年(400年)高句麗は倭の侵攻を受けていた新羅に歩騎五万を派遣し、
新羅を救援する。このとき新羅の王都は倭軍の侵攻を受けていたが、高句麗軍が迫ると倭軍
は退き任那・加羅まで後退する。高句麗軍が追撃すると倭国傘下の安羅の別働隊が新羅の
首都を陥落させた為に新羅は奈勿尼師今の王子未斯欣を人質として倭に送り臣従する。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%BD%E5%A4%AA%E7%8E%8B
しかし、第三国である支那には、いささか異なった景色が見えていたようです。↓
「隋書の倭国伝には「新羅・百濟は、みな倭を以て大国にして珍物多しとなし。
並びにこれを敬い仰ぎて、恒に使いを通わせ往来す」との記述がある。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E8%B2%A2
つまり、百済と新羅は、倭を「敬い仰」いでいたからこそ朝貢していた、というのです。 朝鮮半島南部諸国・諸地域は、これよりずっと早い時期から、朝鮮半島内の日本の
「植民地」、及び、日本「本国」、を「敬い仰」でいた可能性が高い。
そうだったとすれば、そのことが辰韓等を通じて支那に伝わらなかったはずがない。
徐福伝説は、そんな背景があったからこそ生まれたのだろう、と私は見ている。
「徐福(じょふく)は、中国の秦朝(紀元前3世紀頃)の方士。・・・司馬遷の『史記』の
巻百十八「淮南衡山列伝」によると、秦の始皇帝に、「東方の三神山に長生不老
(不老不死)の霊薬がある」と具申し、始皇帝の命を受け、3,000人の童男童女と
百工(多くの技術者)を従え、五穀の種を持って、東方に船出し、「平原広沢(広い
平野と湿地)」を得て、王となり戻らなかったとの記述がある。・・・
東方の三神山とは、蓬莱・方丈・瀛州(えいしゅう)のことである。蓬莱山については
のち日本でも広く知られ、『竹取物語』でも「東の海に蓬莱という山あるなり」と記している。
「方丈」とは神仙が住む東方絶海の中央にあるとされる島で、「方壷(ほうこ)」とも呼ばれる。
瀛州はのちに日本を指す名前となった。「東瀛(とうえい)」ともいう。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%90%E7%A6%8F
実際にも、日本列島は大昔から、朝鮮半島や支那大陸に比し、相対的に「長生不老」
の地だったのではなかろうか。 半島由来のY-DNA…日本にたくさんある
日本由来のY-DNA…半島にほぼゼロ
どちらが支配層だったかは明白 三国の残りの一国である高句麗は、長く、日本と敵対関係にあったこともあり、
百済と新羅よりも遅れて、しかし同様に倭に対して同じ敬意を抱き始めたようです。
その交流は、新羅はもちろんのこと、百済よりも友誼に満ちたものになったようです。↓
「・・・4世紀末から5世紀にかけて、高句麗は倭(日本)と敵対関係にあった<が、>・・・
6世紀になって百済と高句麗の関係が改善するにつれて倭と高句麗との関係も友好的
なものとなり、相互の通好も行われた。570年に北陸に漂流した高句麗人が「烏羽之表」
を携えており、これが正式な国書であると王辰爾によって解読され、初めて国交が
開かれたと伝えられる。7世紀前半までの高句麗と倭との国交は文化的な交流に
限定されており、特に仏僧の活躍が目立つ。595年に来朝し、後に聖徳太子の師となった
恵慈、610年に来朝した碾磑(みずうす)を製法を伝えたという曇徴は有名である。」
「668年に高句麗が滅亡すると倭に亡命してきた高句麗人もあり、716年には武蔵国に
高麗郡が建郡された。高麗郡大領となる高麗若光<(こまのじゃっこう)には705年に
王(こきし)の姓が贈られており、高句麗王族だと推測される。高麗郡高麗郷の地である
埼玉県日高市にはこの高麗王若光を祭る高麗<(こま)>神社が今も鎮座する。
ほかにも『新撰姓氏録』には<6つの>高句麗系氏族が見られる。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%8F%A5%E9%BA%97#.E6.97.A5.E6.9C.AC.E3.81.A8.E3.81.AE.E9.96.A2.E4.BF.82
「恵慈<は、>・・・推古天皇23年(615年)・・・高句麗へ帰国した。推古天皇30年2月22日
(622年4月8日)に聖徳太子が没したという訃報を聞いて大いに悲しみ、自らも推古天皇
31年(623年)の同じ日に浄土で聖徳太子と会うことを誓約して、言葉通りに没したという。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%81%B5%E6%85%88
高句麗が滅亡すると、日本は亡命高句麗人達を暖かく迎え入れます。
日本は亡命百済人達も暖かく迎え入れていますが、これは、百済滅亡時点で、
百済が日本と対新羅同盟関係にあったという背景があります。 ついでに申し上げておきますが、渤海が698年に建国されるところ、日本との関係は
以下のように進行します。↓
「713年には唐<の>・・・羈縻体制下に入<ったというのに、>・・・727年、渤海は
高仁義らを日本に派遣し日本との通好を企画する。・・・安史の乱<(755〜763年)>に際し、
渤海は日本と共同して新羅挟撃を計画したが、これは藤原仲麻呂の乱により計画が
頓挫した<といったことまであった。>・・・しかし渤海と唐の関係改善が実現すると、
日本との関係は軍事的な性格から文化交流的、商業的な性格を帯びるようになり、
その交流は926年渤海滅亡時までの200年間継続した。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%A4%E6%B5%B7_(%E5%9B%BD)#.E6.97.A5.E6.9C.AC.E3.81.A8.E3.81.AE.E9.96.A2.E4.BF.82
「渤海<は、>日本に対して渤海使を派遣し、渤海側は日本に対し「朝貢」をした。
当時の日本の国力では、毎年の「朝貢」に対して回賜を行う能力は無く、
12年に1度に制限するに至った。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E8%B2%A2
渤海のこの、一貫した親日ぶりの背景には、上述したような「同族」の百済と高句麗の
滅亡の際の日本の亡命者受け入れへの感謝の念があったと想像されるところ、それだけ
ではなく、やはり渤海も日本を「敬い仰」ぐに至ったからであろう、と私は見ています。
というのも、渤海の首都が、日本の平城京を模して造られた可能性が高く、しかも、
このことから渤海は、日本の度量衡を使用していたとも考えられるからです。↓
「渤海<の>・・・首都上京[龍泉府(じょうけいりゅうせんふ)]は、中央に宮殿、周りに城壁、
周囲16kmと、ほぼ平城京と同じ規模である。井上和人は、この都の衛星写真を分析し、
平城京造営と同じ物差しを使っているという見解を示した。したがって、首都上京は、
長らく中国の長安を真似たものだと思われていたが、平城京の造営は710年、首都上京は
755年なので、727年に初めて来日した渤海使が日本から都造りを学んだ可能性がある。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%A4%E6%B5%B7_(%E5%9B%BD)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E4%BA%AC%E9%BE%8D%E6%B3%89%E5%BA%9C 新羅が、初めて朝鮮半島の統一を達成した時点頃までは、既に記したように、
文字通りの日本文明国であった、というのが私の認識です。
新羅は、韓人達が住んでいるところに支那の秦人達が入植し、漢語の秦方言を
しゃべるようになった国です。新羅は、「ある時は辰韓に属し、ある時は倭に属した」
(『職貢図』に係る張庚『諸番職貢圖巻』より)、という史実が改めて思い出されます。
その新羅の日本性を、具体的に見ていくことにしましょう。
初めて朝鮮半島を統一した新羅に関し、第一に、その王室が、三つの王統から
成っていて王統間で王位が禅譲されたという、牧歌的な伝説・・支那史における
尭・舜・禹伝説と部分的に似ている・・ならぬ「史実」を有する・・ここが、「史実」に
おいては放伐史しか持たない支那史とは決定的に異なる・・のは、同じく牧歌的な、
但し、万世一系の日本史と似ていること、第二に、この三つの王室の祖のうち、
一人は日本人、もう一人も日本人ゆかりの人物ないし日本人という伝説がある
ことからだけでも、新羅の日本性は濃厚である、と言えそうです。↓
三王統:「『三国史記』新羅本紀によれば、朴氏・昔氏・金氏の3姓の王系があること、
そしてそれぞれに始祖説話を持っていることが伺える。新羅はこの3王統により
何度か王朝交代が起きており、それぞれの王統が王位を主にしめていた時代を
朴氏新羅(初代赫居世居西干<(かくきょせいきょせいかん)>〜)・昔氏新羅
(57年・第4代脱解尼師今<(だっかいにしきん)>〜)・金氏新羅(356年・第17代
奈勿尼師今<(なこつにしきん)>〜)と呼ぶ。なお、昔氏新羅時代に初代金氏の
王である第13代味鄒尼師今<(みすうにしきん)>が、また金氏新羅時代には
第53代神徳王から3代だけ朴氏から王が出ている。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%BE%85 朴氏:「朴氏初代の朴赫居世・・・辰韓の六村の長の一人が、蘿井(慶州市塔里面
に比定される)の林で馬の嘶くのが聞こえたので近寄ったところ、馬が消えて大きな
卵があった。卵を割ると中から幼児が出てきて育て上げたが、10歳を越える頃には
人となりが優れていたことから六村の人たちは彼を王位につけた。卵が瓠(ひさご)
ほどの大きさであったため、辰韓の語で瓠を表す「朴」を姓として名乗った。
建国時に腰に瓠をぶら下げて海を渡って来たことから瓠公と称されるようになった
倭人が、大輔という役職名の重臣になった。また、瓠公が、瓠を腰にぶら下げて海を
渡ってきたことから瓠公と朴赫居世を同定する、またはその同族とする説がある。」
昔氏:「昔氏初代の昔脱解(第4代脱解尼師今)・・・倭国東北一千里のところにある
多婆那国(現在の兵庫北部等の本州日本海側と比定される)の王妃が妊娠ののち
7年たって大きな卵を生み、不吉であるとして箱に入れて海に流された。やがて
辰韓に流れ着き老婆の手で箱が開けられ、中から一人の男の子が出てきた。
箱が流れ着いた時に鵲(カササギ)がそばにいたので、鵲の字を略して「昔」を姓とし、
箱を開いて生まれ出てきたことから「脱解」を名とした。長じて第2代南解次次雄
<(なんかいじじゆう)>の娘(阿孝夫人)の女婿となり、のちに王位を譲られた。」
金氏:「金氏始祖の金閼智(第13代味鄒尼師今の7世祖)」(上掲)「は紀元1世紀の
新羅の人と伝えられる・・・。『三国史記』新羅本紀によれば、脱解9年(65年)、時の
新羅の尼師今(王)である脱解尼師今が金の箱を見つけ、その中に入っていた
男の子が金閼智であり、このため「金」の姓を与えられたとされる。金閼智の子孫の
味鄒尼師今が尼師今(王)となり、新羅三王統の一つとなった。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%85%B6%E5%B7%9E%E9%87%91%E6%B0%8F 日本の中世領主の族縁共同体の在り方は、男系・女系双方の系譜につらなる
人々をその族団構成の主要メンバーとしている結合であることを踏まえれば、
当時(7世紀央〜末の善徳、真徳女)の新羅は父系相続制と母系相続制が並存
していて、家長には女性が就いていたところ、これは、核心的社会制度に係る
新羅の日本性を示している、と言えそうです。↓
「韓国の歴史の中で女王は3人います。この善徳女王、そして真徳女王と真聖女王
の3人はすべて新羅の王でした。高句麗や百済には女王はいません。」
http://www.coara.or.jp/~mieko/koreahistory/koreahistory9.htm
新羅は朝鮮半島を統一したわけですが、それがどうして高句麗でも百済でも
なかったのか、です。常識的には、国力の伸びが相対的に大きく、かつまた国内
の平和が相対的によく保たれていたということでしょうが、これは相対的に新羅に
おいて仁政が執り行われていたことを推察させます。
また、時代を一挙に進めると、
「8世紀末から9世紀まで王位継承戦争が起き、地方でも農民の反乱が起き、
混乱を深めて行った。乱は真聖女王[(?〜897年)]の時に一層激しくなり、
地方の豪族たちが新羅を分裂させ[、後三国時代の幕開けとなる]。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E9%BA%97
という背景の下、
「治世11年にして、女王は「盗賊蜂起、此れ孤の不徳なり」と宣言し、「太子」に譲位した」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E8%81%96%E5%A5%B3%E7%8E%8B
というエピソードを見出すことができます。
このような譲位事例は、支那には有りません。
このことは、新羅において日本のような仁政の伝統が、そんな時点でも少なくとも
観念上はまだ存続していたことを意味している、と私は解しています。 新羅は王室が倭系
公家に当たる両班が中華系という事ですね >>741
新羅の時代には両班ていう集団はありません
それはもっと後のこと
それに新羅の王族が日本とほぼ直接的な同系であるとするならば
現代韓国語に連なるとされる新羅語に日本語と同根と見られる語彙が極めて少ないことは、
説明が困難なんですが >>742
半島では言語が変わるなんて珍しいことでもない >>742
名称がまだなだけで後に両班になる貴族集団はもうあるぞ >>742
ドイツ系のイギリス王家がどの程度ドイツ語の単語をもたらしたんでしょうね 日本の天皇が朝鮮から来た可能性と同程度ってとこだろうな >>745
単独の言語として相当程度安定化して固定化された段階で
英語がドイツ語に大幅な影響を受けるかって言えばそれは無い
知ってて言ってるのか知らないで言ってるのかはともかく
英語の基本語彙にはフランス経由のラテン系語彙が山ほど混入してるんだが 後漢が事実上滅亡した黄巾の乱(184年)から支那は分裂時代に入り、後漢消滅、
三国時代を経て、晋(西晋)が280年に支那を一時再統一しますが、316年には早くも
滅んでしまいます。しかし、その前の301年には内乱状態となり、304年には、いわゆる
五胡十六国時代に突入し、311年に晋は事実上滅亡してしまっていました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%99%8B
高句麗の美川王(?〜331年。国王:300〜331年)は、この「西晋の混乱に乗じ、
積極的に晋領への侵攻を進めた。302年9月には三万の軍隊を率いて玄菟郡に侵入し、
・・・311年8月、遼東郡[(遼東半島)]の西安平を襲撃して奪い取り、313年10月、楽浪郡
に侵入してこれを滅ぼし、翌314年には帯方郡を滅ぼし」、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%8E%E5%B7%9D%E7%8E%8B
ここに支那による、朝鮮半島北部の400年に亘った統治を終わらせることに成功したのです。
https://en.wikipedia.org/wiki/Goguryeo
こうして、隋によって589年に支那が再統一されるまでの2世紀半超の間、高句麗は
基本的に北方からの脅威を免れつつ、南方攻略に専念できるようになった、というわけです。
これは朝鮮半島南部の百済、朝鮮半島内日本飛地、及び、新羅という、朝鮮半島における
日本文明圏の存亡に関わる危機が出来した、ということを意味しました。
高句麗には、漢人達とは違って、領域拡大に関して経済合理的な発想が無かったと想像
されます。というのも、漢人達のかかる発想は、世界的には極めて珍しいものだからです。
私のここでの仮説は、高句麗からの脅威が聞こえてきていたにもかかわらず、覚醒するに
至っていなかった日本の危機意識が、新羅に比べれば疎遠だった百済からのSOS発信を
受けて、遅まきながら覚醒し、いざという場合に速やかに軍事介入できる態勢を日本が整え、
この軍事介入ルートの安全を祈念するために沖ノ島での祭祀が始まった、というものです。 尤も、その高句麗は、6世紀後半になって新羅と百済が日本と好を通じている状況の打開
を図るためでしょうが、積極的に対日接近を図ってきます。↓
「欽明天皇の御代、・・・570年、<特使を乗せて>能登に漂着した高句麗の船を、
・・・敦賀・塩津間を、丘を曳いて峠を越え、塩津から大津まで琵琶湖を航走、・・・さらに
宇治川を下り、木津川の畔の相楽館で正規の特使として饗応し、難波津から返した。」
https://books.google.co.jp/books?id=hhYR8iLIYs0C&pg=PA193
その後、高句麗と日本の交流は、新羅、百済よりも、一層、密に行われた感があります。↓
「東日本には高句麗からの渡来人に関する遺跡が多く残り、高句麗の墓制である積石塚が
長野県や山梨県、群馬県に多く見られる。・・・埼玉県には716年に高麗郡が作られ高麗神社、
聖天院(高麗王若光の墓)などが残る。また、神奈川県にはその高麗王若光が上陸した
とされる高麗山、高来神社がある。関東南部の古墳からも高句麗系の遺跡が多く出る。」
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=189215
こうして、日本側から見れば、朝鮮半島の3国の全てが日本への朝貢国になったかのような
状況になるのです。大化の改新につながる、645年の乙巳(いっし)の変が本当だったか
どうかは疑問符が付くものの、この3国が内揃った日本への進貢の場で行われたということ
にされているのは、象徴的です。↓
乙巳(いっし)の変。「皇極天皇4年・・・、三韓(新羅、百済、高句麗)から進貢(三国の調)
の使者が来日した。三国の調の儀式は朝廷で行われ、大臣の入鹿も必ず出席する。
中大兄皇子と鎌足はこれを好機として暗殺の実行を決める(『大織冠伝』には三韓の使者
の来日は入鹿をおびき寄せる偽りであったとされている)。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%99%E5%B7%B3%E3%81%AE%E5%A4%89 農業時代における戦時共産主義的なものであった、いわば異常な支那の律令制度について、
日本による継受に比し、新羅の場合は支那の国家制度を広範に継受するに至ったわけですが、
このこと自体は、決定的な転機であった、とまでは言えないのではないでしょうか。↓
「金春秋(武烈王)は・・・律令制度を取り入れる改革を始め、650年にはそれまで新羅独自
で用いていた年号(太和)を廃止し、唐の年号を用いるなどして、唐との連携を強めていった。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E7%BE%85%E9%96%A2%E4%BF%82
広範に唐の制度を継受したのは、唐の油断を誘って、唐の禍機に付け込んで、
朝鮮半島の統一を行うためだった、つまりは安全保障目的であったと私は見ています。↓
武烈王の息子で王となった文武王は、「唐が西方で吐蕃と戦争している隙に反乱を起こして、
676年に唐の行政府に駐留する役人や警備部隊を奇襲して殺害、旧百済領と旧高句麗領の
南半分を合わせて朝鮮半島をほぼ統一することに成功した。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%BE%85
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E6%AD%A6%E7%8E%8B
ところが、渤海が勃興したことによって、唐は新羅に復仇するどころか、新羅を懐柔せざる
を得なくなり、その結果、その最大の潜在的国であった唐と新羅の関係は安定化した事から、
新羅は文明を共有していた日本との関係を蔑ろにするようになります。↓
「696年に唐と渤海との間に戦端が開かれると渤海により唐と新羅は国境線を接しなくなった。
これ以後を韓国や北朝鮮では南北国時代と呼んでいる。
732年、渤海に山東の蓬莱港を占領された唐は新羅に南からの渤海攻撃を要請、
新羅は唐の要請を受けて渤海を攻撃、唐と新羅の関係は和解へと向かう。
唐が渤海と和解すると新羅は渤海攻撃の功績が認められ、735年に唐から冊封を受けて
鴨緑江以南の地の領有を唐から正式に認められた。・・・
735年(天平7年)日本へ入京した新羅使が、国号を「王城国」と改称したと告知したため、
日本の朝廷は無断で国号を改称したことを責め、使者を追い返した。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E7%BE%85%E9%96%A2%E4%BF%82 その後、新羅が一時、日本との関係修復に動いた時期があります。↓
「752年(天平勝宝4年)、新羅王子金泰廉ら700余名の新羅使が来日し、日本へ朝貢した。
この使節団は、奈良の大仏の塗金用に大量の金を持ち込んだと推定されている。
この際は王子による朝貢であり外交的には日本に服属した形となった。
朝貢の形式をとった意図は明らかではないが、唐・渤海との関係を含む国際情勢を考慮し
極度に緊張していた両国関係の緊張緩和を図ったという側面と交易による実利重視という
側面があると見られている。金泰廉は実際の王子ではないとする研究が一部で出されているが、
王子の朝貢を演出することによってより積極的な通商活動を意図していた説には確証は無い。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E7%BE%85%E9%96%A2%E4%BF%82
しかし、(新羅自身がどれだけ積極的に関与していたのかは定かではありませんが、)
その直後の753年に、日羅間に再び「事件」が起こります。後から振り返れば、この「事件」は、
日本に対する新羅の文明の乗り換え方針の事実上の予告であった、と言えそうです。↓
「日本側の史料では唐の皇帝と対等に交易・外交をしていたとされるが、『旧唐書』や
『新唐書』の記述においては、<遣唐使は、>「倭国が唐に派遣した朝貢使」とされる。・・・
753年の正月に長安の大明宮にて玄宗臨御の、朝貢諸国の使節による朝賀に出席。
当初、日本の席次は西畔(西側)第二席、第一席吐蕃の下であり、東畔第一席が新羅
(二席大食国の上)であった。すなわち新羅より下位に置かれていたことから、大伴古麻呂は
「長く新羅は日本に対して朝貢を行っていることから席順が義に適っていない」として抗議し、
日本と新羅の席を交換させている。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%A3%E5%94%90%E4%BD%BF 私は、ここで今から記す事こそ、朝鮮半島史における、最大の愚行であり悲劇であった、
と考えるに至っています。
唐の決定的弱体化に繋がった安史の乱は、新羅が唐と再び距離を取る絶好のチャンス
であったにもかかわらず、あろうことか、まさにその真っ最中に、新羅は支那文明継受の
最終的措置・・地名の支那化・・を断行してしまうのです。↓
「安史の乱」(755〜763)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E5%8F%B2%E3%81%AE%E4%B9%B1
の最中の「757年12月に」<新羅の>景徳王(?〜765年。在位:742〜765年)は、
「<新羅>全国各地の地名を固有語から<支那>風の漢字2文字に変更した。
また、759年正月には中央官庁とそれに属する官職名についても<支那>風のものに
変更している。地名改称については州に所属する郡県の区域の改定も行なっており、
単なる美名改称ではなく、従来の三国時代の伝統を考慮した地方行政を律令体制の
立場から再編推進しようとする意図のものであると考えられている」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%AF%E5%BE%B3%E7%8E%8B
これが、どんなにべらぼうなことであったかは、北海道にアイヌ人時代の地名が広範に
残っていること、人種主義の権化のような米国において、インディアン時代の地名が、
そしてカリフォルニアを含む旧メキシコ領地域で、メキシコ時代のスペイン語の地名が
広範に残っていることからも明らかでしょう。
地名を全て変えることは、社会に恐るべき不便と混乱を生み出します。
しかも、それを一挙に行ったのですからね。
ロシアの地名が、例えば、サンクトペテルブルク(ドイツ語)→[独墺との戦争=第一次
世界大戦]→ペトログラード(ロシア語)→[ロシア革命]→レニングラード→[ソ連崩壊]
→サンクトペテルブルク、と変遷したのは、その都度、革命的変化がロシア社会に
起こったからこそですが、新羅の場合は同国が安定していた絶頂期に決行したという
意味でも、しかも、それが売国的な地名変更であったという意味でも、世界史上、
他に例を見ないのではないでしょうか。 その結果、朝鮮半島の人々は、それまでの歴史と同定できなくなったはずであり、
それが齎したものは、自らの歴史の廃棄・忘却であり、彼らは云わば根無し草に
成ってしまうのです。
景徳王がこんな事をできたのは、既に新羅において、日本文明に内在的な仁政の
思想・伝統が殆ど失われてしまっていたからだ、と解する他ありますまい。
即ち、既に行われていた国民全体の人名の支那風のものへの変更、及び、律令制
を含む政治経済制度の広範な導入という準備を経て、新羅はここに、最終的に、
日本文明から支那文明へと文明の下降的乗り換えを完結させたのでした。 景徳王の時に「天平宝字3年(759年)新羅が日本の使節に無礼をはたらいたとして、
仲麻呂は新羅征伐の準備をはじめさせた。軍船394隻、兵士4万700人を動員する
本格的な遠征計画が立てられるが、この遠征は後の孝謙上皇と仲麻呂との不和により
実行されずに終わる」ということがありました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E7%BE%85%E9%96%A2%E4%BF%82
日本では、7世紀末ないし8世紀初めから11世紀まで、律令制と裏腹の関係にある
徴兵制の軍団が設けられていた・・その中から九州沿岸の防衛のための防人が
抽出された・・のですが、826年には対蝦夷戦争が継続中であった東北辺境を覗いて
廃止されたということになっています。
しかし、現実には早くも738年に、朝鮮半島と大陸からの潜在的脅威に備えるための
軍団が(佐渡が含まれる)北陸道と西海道(九州)に残されただけで、後の地域では
軍団が停止されています。当時、既に、平和志向の縄文回帰が進行していたのでしょう。
762年に軍団の若干の増勢がなされたのは、新羅征伐の準備のためだったのでしょうが、
もともと無理があったと想像されるところです。
いずれにせよ、この時、日本が新羅に本格的出兵をしておれば、唐は安史の乱の
最中で新羅に援軍を送ることなどできなかったでしょうから、新羅の文明の乗り換えを
中止させることができた可能性が高く、そうなっておれば、朝鮮半島は文明的堕落
という悲劇を免れ得ていた可能性もまた高かったことでしょう。
次に朝鮮半島が日本文明に回帰するチャンスだったのが、16世紀末の秀吉による
朝鮮出兵ですが、その時は、秀吉の死によって頓挫してしまいます。
そして三回目のチャンスは1910年の日韓併合であり、この時、朝鮮半島は順調に日本
文明回帰軌道に乗ったにもかかわらず、その35年後の米国の横槍によって再び頓挫
してしまい、爾後、韓国は支那文明回帰の度を強めて現在に至っているわけです。
しかし、肝心のその支那が、中共政権の下、日本文明総体継受戦略を推進しており、
今や、そのことを見る人が見れば半ば公然化しているときているのですから、もはや
韓国のトホホな現況を形容すべき適切な言葉が見つかりません。 >>748
あのね朝鮮語の先祖が新羅語と言われてるのは分かるが新羅語は解明されてないぞ
だから日本語に新羅語の名残が見られないなんて言いきることは出来ないんだよ 訓読み自体は記録されてる
ただ、新羅時代の訓読みは統一見解がないのが多い
三国時代の作とされる彗星歌にしても読み方にいくつもの説がある >>640
もともと北海とっ囲んだあたりまるっとノルマン人の縄張りみたいなものだろ。
ウィリアム公に攻め取られる前にはデンマークのクヌート王にまるっと取られてたし、
イギリス最古の文献ベオウルフは今でいうとデンマークとスウェーデンあたりの王位
をめぐる話だし。 なんというか2000年位前からの朝鮮半島をリアルタイムで観察してみたいよね
言語がどのように変化し民族がどのように入り乱れ現在に至るのか 確かに村ごとに言語が異なるモザイク状態からの統合の経過は見てみたい >>645
そりゃ無理じゃないの?
皇室は父系継承に限るけれど、臣民はそうでないからな。 >>764
申し訳ないが多数派でない例をあたかも全ての家系が行っているかの様に言うのはNG 【驚愕】朝鮮総連の月刊誌「月刊イオ」に東京新聞の望月衣塑子が登場!
語った内容は「(安倍総理の)権力の暴走を止めるために」「南北分断の責任は日本」。
このような工作員が日本に居るわけだが古代の日本にも工作員みたいなのが居て常に半島の内ゲバに巻き込まれてたんだろうなと想像すると胸アツ >>767
わかりみが凄い
当時は地方の豪族の独立性も高かっただろうから九州北部の倭人なんか露骨に半島情勢に介入して朝廷に根回ししまくってただろうことは神功皇后の記述を見ても窺い知れる >>742
別に支配層だからって単語持ち込むわけでないしなあ。
たとえばも7世紀のブルガリア帝国は黒海北岸か北カフカスあたりのテュルク人がスラブ人を伴って南下して作った国なのに、ブルガリア語は、北西テュルク系の語彙とても少ないよ。
その少ない北西テュル系の由来の単語は、タタル語やキプチャク語からロシア語経由で来たものか、クリミアからオスマン経由で来たもののが殆ど。
支那語もモンゴル語由来の単語は皆無。官話地帯は、金の滅亡から明の統一まで130年間にわたってモンゴルの支配を受けていたのに。 ブルガリアのもとになったテュルク人はブルガールだからキプチャク(北西テュルク)とは独立した系統やで
やはりもともと匈奴だったからなのかブルガール語の子孫であるチュヴァシ語には古いモンゴル系の借用語が特徴的に見られるらしい >>745
19世紀まで王侯貴族はおフランス語でしてよ。 >>748
産業革命まで、イギリスなんてヨーロッパの糞田舎だったろ。
すぐ隣の先進地域から絶え間なく文化的影響あるわな >>766
藤原五摂家からして鎌足の男系でないのが三家もあるじゃん。 >>734
もっと言うと韓国人と日本人ではYハプロには違いが見られるものの
ミトコンドリアはほぼ半島と列島で共通しているんだよ
もっといろいろな要因を考えたほうが良いよ 8000年前には無人の半島からYハプロが由来できる訳ないだろ
なら列島の方が起源に決まってる https://blog.goo.ne.jp/garfsn1958/e/740c437040e84769c1c32fe4bc7fa6c8
藤原四代のミイラを研究した、鈴木 尚と長谷部言人は、
これらのミイラは人工的ではなく自然にできたミイラだと推定しました。
藤原一族は、従来蝦夷と呼ばれており、初代清衡の高祖父・安部忠頼が「東夷の首長」と呼ばれ、
三代・秀衡は自ら「俘囚の上頭」と称していました。
しかし、アイヌ的要素(現在で言う在来系あるいは縄文系)は無く、
渡来系あるいは弥生系の形質を持つことも明らかにしています
http://touhoku.blog.jp/archives/cat_50007284.html?p=2
埴原氏はさらに分析を進め、これら藤原四代の頭骨は、
現代京都人に最も近く、現代東北人とはかなり違っていること、
そしてまた14世紀鎌倉人、八雲アイヌとはまったく異なっているという結果を得ている。
また、判別関数法から見てみると、アイヌと東北人のデータを使うと藤原四代は東北人に属すると分類され、
さらに東北人と京都人のデータを使うといずれも京都人に分類されるという結果となったという。
これらの結果から埴原氏は、奥州藤原氏が京都出身である可能性は相当高いと主張している。 形質人類学って20世紀の遺物まだ信じてる奴いるの?
東大の人類学の研究室の保管されていた正体不明の頭蓋骨があったのだが
形態から言ってミャオ族のものだろうと推定していたのだが後々中世日本人の頭蓋骨だと分ったという話が
鈴木尚の著作にあったな もともと半島は無人でFA
そして日本列島から縄文人が進出
しかし北方からの土人の侵略により縄文人の男子のDNAは絶滅
しかし女性はレイプされ子供を生んでいる
これも遺伝子から判明している 遺伝子学的に言うと日本本土、沖縄、台湾、広東からグルっと北に回って
遼寧、韓国に至るまでmtハプロD4が過半数を占めるという驚くべき均一性をもっており
母系だけで辿ると東アジアはほぼ同一集団から分かれたと言ってよい
現代の本土人はYハプロでは縄文系のD1b系が3割見られる一方でN9bやM10といった縄文時代には主流をしめていたmtハプロはほとんど見られず
むしろ大陸集団と近似している
つまり渡来系集団との婚姻関係にあった男系の系統のみが生き残りそれ以外の集団は滅んだという推測が成り立つ 日本の縄文人はやはり朝鮮民族によって絶滅させられたわけか 日本に来る渡来人は難民だろうしそんな武力はないだろ >>782
悪いチョッパリどもをレイプして懲らしめてやったニダ というか
古代朝鮮人と日本人は仲間でしょ
古代朝鮮人と縄文が交わってできたのが日本人
しかし現代朝鮮人は古代朝鮮人のわずかな生き残りと北方のエベンキだの女真だのモンゴルだのと混血した民族
つまり現代朝鮮人と日本人は全く別の存在なのである 古代韓半島から大勢の女性が慰安婦としてチョッパリどもに連れ去られてチョッパリの子を産まされたニダ
謝罪しる!賠償しる! 古代チョンは日本人の下僕だろ仲間じゃない
新羅と百済は日本の属国で任那は日本の植民地 >>788
それよりももっと前から日本文化はチョンに進出してる >>790
流民であろうとそこに定着したら朝鮮人だろ
だが重要なのは現在の朝鮮人とは別種であるという事 >>794
こうやって見ると日本も朝鮮も北方エベンキツングースとはまるで違うことがはっきりわかるな >>793
1世はともかくそこで同化して代々子孫を残せばそうなるわ トンスル(糞酒)はいつ作られるようになったんだろう 彡 ⌒ ミ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
<∩`∀´>< もしもし、同胞の>>802にトンスル10杯大至急ニダ
□……(つ ) \___________________
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| 辰韓は新羅になってから漢人の末裔が大規模に退去して倭国に移住している
記紀によると応神天皇の時代に新羅政府がそれを邪魔していたので葛城襲津彦が新羅軍を討ったと記されている
それによって日本列島に大量移住してきた漢人系渡来人が秦氏と言われる人たち
推古朝時代に日本に来た隋使裴世清は当時の倭国について、倭の内部には秦王国があり彼らは漢人そのものであると記している
秦韓時代の漢人系住民は新羅時代に日本に移住していなくなっている >>807
秦人ってもともと西方の異民族だったわけだから中国人とは無関係だよね 西方の異民族が中華を支配した結果漢人が生まれたんだよ 【韓国の下僕】朝日新聞の武田肇がデマ拡散【また捏造】
https://www.google.com/amp/s/www.asahi.com/amp/articles/ASM2D7T8KM2DUHBI03D.html
朝日新聞の武田肇は天皇は戦犯の息子、慰安婦に謝れ、とした韓国の文喜相(ムンヒサン)国会議長の発言のみを報道。
しかし天皇は戦犯とはなっていないし、そもそも日本は朝鮮と戦争した事実も無い。しかも慰安婦は強制連行されたわけでもない。その注釈も入れずに嘘つき韓国人の発言のみを報道するのは嘘をリツイート拡散してる行為に他ならない。
朝日はSNSでの嘘拡散を批判するくせに自らは日常的に韓国側のデマをせっせと拡散。さすが慰安婦強制連行の嘘を世界に捏造拡散した朝日らしいバカ記者、武田肇。リテラシーのかけらも無い。 三国史記と三国遺事の日本語訳テキストってどれがいいの? >>727
李朝の開明レベルは日本でいうと飛鳥時代か奈良時代。江華島事件まで古代だよ あいつら高麗末まで田植えやってないんだよな
何でかっていうと、マトモな灌漑施設がないので干害に遇うとすぐに稲が壊滅するから
李氏朝鮮末でもまともに収穫できるのは5年の内2〜3年という 世界遺産の丸都山城が作られたのが3世紀初頭で大体吉野ヶ里遺跡と同じ時代
さすがに奈良時代になると寺院以外でも瓦葺や土壁、礎石造りの建築が普及して
新羅と遜色ないぐらいにはなるのだが何故か城郭建築は相変わらず弥生時代レベルで
百済人の監修で作った朝鮮式山城以外は木柵を並べただけと言う単純な構造 >>816
日本人は温厚でガチに殺し合いしないから、そこまでキチキチに防御しなくてもいいのよ。 ネトウヨの嘘発覚
西洋人は韓国人を褒めていました
●ニム・ウェイルズ『アリランの歌』1941年
朝鮮人は、極東でいちばん器量のよい民族だ、と私はすぐさま決め込んでしまった。
かれらは、背が高くて、神経が太く、体力が強くて、つねに手足の釣合いがとれている。
……多くの朝鮮人は非常に美しい横顔をしている。顔付きには、日本人と中国人の特徴が混じっていることがよくある。
日本でも中国でも、朝鮮人は映画スターとして歓迎される。
……朝鮮婦人には、デリケートで天女のような性質をもつ全く美しい女がよくいる。
他にくらべてこんなにも美しく聡明で卓越して見える民族が、
たしかに外見の引立たない小柄な日本人に屈従しているのを見るのは、
何となく生物学的に不釣合いな感じがする。(pp. 9-11) >日本でも中国でも、朝鮮人は映画スターとして歓迎される。
この西洋人が血迷ってるのがよくわかる
戦前だぞ >>819
戦前でも戦後でも住民の一般的容貌はほぼ同様だろう
住民が他の大陸からの移民と完全に入れ替わったとかいうわけじゃないんだし
そもそも戦前の話だからといってそれがどうだというの? 話の本題とはあまり関係無いだろうに
ていうか、第2次世界大戦よりも昔の時代だと、
日本列島の一般大衆の一般的食生活と、朝鮮半島の一般大衆の一般的食生活なら、
朝鮮半島の一般大衆のほうが栄養価の高い食事してたって見解はよくあるぞ
それこそ例えば動物性蛋白質の平均的摂取量はどう考えても当時の日本列島のほうが少ないし てかそもそもここ古代史スレでしょうが
近現代史の話したい人たちは、よそのスレでやっててよ
関係ない話にいちいち巻き込まないでくれ 李氏朝鮮時代に西洋人が書いた紀行文を読むととても現代朝鮮人とは似ても似つかない中央アジアか北インドのどこかの民族を描写したとしか思えない記述があるんだよな
こんな短期間の間に容姿が変化した人種とは他にあるのだろうか
E・J・オッペルト『禁断の国・朝鮮』
もし彼らがヨーロッパ風の服装をしていたら、彼らをヨーロパ人と間違えたかも知れない。
そして美しくすばらしい容貌とバラ色の肌、そして赤褐色の髪と青い瞳を持つ多くの子どもたちは、ヨーロッパ人の子どもと区別するのが大変難しかった。 >>822
コーカソイド系に見える人たちがいるというのなら、どこでどういう人を観察してそう見たのか、
前後の文脈無しにいきなりそういう話を出されても一般化して語れないんじゃないか
ましてや「短期間で容姿が変化した」と見るのはいかにも牽強付会
朝鮮半島は昔も今もコーカソイド系の人は一般的には少ない国だろう
どっちにしてもこのスレの話題ではないから、そういう話はよそでやってくれ >>816
向こうは異民族同士で存亡をかけた戦いをやってんだから当然だろボケが >>729
> そもそも、最終氷期の後に、ほぼ無人状態だった朝鮮半島に最初に移り住んだのが、
> 日本列島の人々だった可能性が高いです。
(・o ・)ほぉ! >>816
多賀城の想像復元図を見たことがあるが
「倉庫や役所を木の柵で囲っただけ」
という簡素な感じだったなあ。
あれではとても軍事要塞とは言えないと思った。 >>733
富士山はいかにも「霊山」という感じなので
その存在は古くから朝鮮半島南部の一部の人は知っていたでしょうな。
実際に見たことはなくても「こういう山があるそうだよ」
というのは知っていたと思う。 >>733
朝鮮人はトンスルばかり飲んでるから寿命が短いんじゃない トンスルは健康飲料というか薬だ
むしろ病気の時に飲むものだぞ 昭和天皇は「朕のちんちん」という駄洒落を好み、側近によく披露していた。
戦後、GHQ司令官マッカーサーにこの駄洒落を披露し、通訳が意味を伝えたところ、
マッカーサーは顔をしかめて「一国の君主が言って良いものではない。それに、もう『朕』と言うのはやめなさい」と昭和天皇を咎めた。 >>822
西欧人は徳川王国の記録でも上流階級である自作農の生活を見て
素晴らしい勤勉性と創意工夫を持った下層階級民だ!って絶賛してるからな 岡田何とかって人の本読んだけど新羅人とか百済人て倭人や中国人のmixなんだな どれ
裏の納屋さ行って、漬物石ふたつ運んでくるべぇか
裸にひん剥いて縛り上げた>>833の縮こまった包茎チンチンの下に大きな方の石をあてがい、
手ごろなほうの石を振りかぶって・・・
ベチーン!
オオゥ!オオオオオオオゥ!
肉が潰れる感触が腕にズシィィンと響くゥ!
海綿体と恥垢がミンチになって飛び散るゥ!
断末魔の絶叫がこだまするゥゥウゥゥウウゥウ!
さてと。ミンチになったチンチン肉に葱と生姜と大蒜を臭い消しにつき混ぜ、
片栗粉も加えて団子にして、鍋料理にしたてて食うべぇか 次々壊スノ重死路レオパレス今モット上手ニ殺ッテルンダロダンパー問題ソノ他急速ヴェノム物件・銀行問題業界ゴト潰レル?利凍ル公害重イル?
虐待死刑スタッフ以外ニグループマイナス経常ケタチガイ万死葬災熱湯強烈今サラ薬害毒死多繋ガル看後死
1000件以上介護保険税金ムダ泥棒マダゴーン今環境殺ッテマス100オツムオムツ借金漬ケ棺桶型国家
森友ノロウイルス焼肉嘔吐虐待スイッチ押死耶手ゲローン戦争ソンポ部死テルン盗難
郡大老害山林焚書死テa麻薬王振戦違反重々ヤットストレス足ダシ若竹口爆発害ヤンキーノ種死ネ世
https://potato.5ch.net/test/read.cgi/welfare/1445409501/ 836
養命酒ってマムシを抑えつけキバんとっからマムシの毒を絞りとるんだよ
それを薄めて酒🍶に混ぜて飲む滋養剤だよ
マムシの毒かかったら人間な皮とか溶けるぜ そういえば養命酒とトンスルって色が似てるよな
間違えて飲んでしまいそう >>837
あの辺は庶民と上級国民で人種が違うしもっと複雑 キツネ目で眉間が広く屁臭い通名在日は
古代エベンキ人 高身長で吊り目ではなく横長の切れ目系の朝鮮人て
吊り目エラ張りチビ朝鮮人とは全く違う民族に思える
二系統いるように思えるんだよね 852はいいこといった
キツネ目チビはエベンキだから >>852
前者は女真族で後者は韓人だろう
半島が日本のようにまとまらないのは
北と南で人が違うからなんだろうな 南朝鮮は東西でも民族が違う
だから反日教育で無理やり国家をまとめて
いる。 ワイ人は朝鮮半島東部を南進し、最後に新羅を
乗っ取って百済や高句麗を滅ぼした 新羅に征服されてそのまま現在に至る だよ
新羅の中枢である両班は中華系だからね わいぞくを漢字入力するとわいが文字化けする
なんかいい方法はないのか? 北朝鮮は偽新羅から奪還したんだけどな
南朝鮮が未だ偽新羅の末裔たちにいいように
されてるんだな キツネ目ドチビは両班のはずなのに
なんで日本へきたんだろうな 両班は本来中華系だから元々はキツネ目ではないぞ
両班の間でキツネ目が美人とされたから庶民の中のキツネ目が両班の嫁になるケースが多く、結果両班にキツネ目が多いだけの話
両班にキツネ目が多いからといってキツネ目であれば両班という訳では無い キツネ目ドチビは天皇のことではありません
厳密にはキツネ目広眉間屁臭いドチビ閉経通名在日です。 韓国を東西分割して西半分を百済にすれば
すべての問題が解決する 実際全羅道は韓国内他地域からバカにされ左翼の温床となっているので独立は妥当 半島が濊に乗っ取られてから
全羅道は白丁の地にされおかしくなった 濊人は最初は高句麗でおとなしく
してたが、新羅乗っ取ってから勢いづいた。 >>867
背乗り大量リンチ殺人事件の
角田美代子の従弟ってグリモリ事件の容疑者として2回逮捕されたんでしょ? >>852
前者は松田優作風な感じかな
松田優作も半分ニダーだったよね キツネ目ドチビ屁臭い閉経在日婆は 濊人
これならええやろ 南朝鮮が倭人国家の頃は豊かだった
濊人に倭人が追い出されてから
土人国家に成り下がり日韓併合まで土人生活を
していた。 【歴史】中臣鎌足の正体、百済の王子か 親百済派の中臣氏の系譜に潜り込み、中臣鎌足を名乗った
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190808-00545721-fsight-pol。
※省略
■百済王子・豊璋
入鹿暗殺の主犯中大兄皇子と中臣鎌足は、孝徳天皇が亡くなり実権を握ると、外交政策を転換し、一度滅亡した百済に救援軍を送りこんでいる。
民衆が「負けるに決まっている」と非難を浴びせる中での、遠征強行だった。当然大敗北を喫した。いわゆる白村江の戦い(663)だ。
それにしても、なぜ中大兄皇子と中臣鎌足は百済救援に固執したのだろう。連載中述べてきたように、人質として来日していた百済王子・豊璋(ほうしょう)が親百済派の中臣氏の系譜に潜り込み、中臣鎌足を名乗ったのだと筆者は考えている。
豊璋が衰退していく百済を救うために、邪魔になった蘇我氏を、滅ぼそうと考えたのだろう。
豊璋が中臣鎌足だった証拠は、いくつも掲げることができる。
1.豊璋の来日は舒明3年(631)、かたや中臣鎌足登場は皇極3年(644)のことで、ふたりは同時代人だ。
2.白村江の戦いの間、豊璋は百済にもどっていたが、中臣鎌足は歴史から消えてしまう。
中大兄皇子の人生最大のピンチに、中臣鎌足はなにをしていたのだろう。豊璋となって百済に帰っていたのではなかったか。
豊璋はこの戦いで行方不明になるが、中臣鎌足はそのあと何食わぬ顔で、『日本書紀』に再登場している。
3.中臣鎌足の墓・阿武山(あぶやま)古墳(大阪府高槻市)から「織冠」が出土したが、歴史上織冠を下賜されたのは、豊璋と中臣鎌足だけだ。
問題は、阿武山古墳が百済の王墓と同じ様式だったことで、日本では他に例がない。なぜ日本の神を祀る家に生まれた中臣鎌足が、百済式の墓を選択したのだろう。
中臣鎌足は豊璋と断定してよいと思う。
※省略
(関裕二) >>883
蘇我氏=百済王族 という説もあるぞ。
黒岩重吾さんなど。 つか隋書に出てくる秦王国って蘇我氏の支配域のことだろ
仏教で土着民を教化支配
曽我川
古代には宗我川と綴った。宗我は蘇我氏の転訛である
また百済川などの異称もある。 ジャップは本当に自分たちの起源が韓国から発生しているのを知っている
ジャップは韓国を認めないのが文化的劣等感がある理由だ 少しは真っ当な議論のスレになるかと思ったが、
結局は基礎教養の無いエセ右とニセ左、トンデモ系のオカルティストや陰謀論者がタカって来てこうなっちゃうんだな…。 >>891
「朝鮮」という単なる単語に対する過剰反応が目に余るんだよな。
スレを立てた人はもっとフラットなスタンスだろうと思えるんだが。
但し俺は違う視点から、確かに朝鮮というスレタイは拙かったなと云いたい。
適切な対案もないが、「古代『半島社会』史」ぐらいがスレ立て人の本意にかなうのかな、と。
「朝鮮」「韓」ともに半島という地理範囲の人類社会を或る断面で捉えた部分像でしかない。
そんな断片に拘っても始まらないわけで、
肝心なのはそれらが形作る構造なり運動なりの方だろう。
例えば本邦の古代史を語りたければ「倭」「日本」ともに包含しつつ相対化する「列島社会史」とでもするしかないのと同じ。
更に云うなら
古代半島社会の運動を冷徹に把握した上でそれが大陸や列島のそれとどう連関していくのか、
幾つかの部分構造がどう全体構造を規定していくのか、
というところまで議論しないことには
半島外の人間である我々がネット掲示板にスレッドを立てる意味がないんじゃないか、と。 そこまでこだわる意味を感じへんわ
何しようがガイジは寄ってくるんやからそれも含めて楽しむんやで 【サッカー】韓国代表スター選手のソン・フンミン、ポルトガル代表MFアンドレ・ゴメスに報復タックル→右足首が折れ曲がる→レッドカード一発退場。号泣でピッチを去る…英プレミアリーグ第11節★3
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1572825260/ 今の韓国は地獄でしかない
これは金持ちであっても幸せではないということだ ´ ヾ ファビョーン!!
゛ (⌒) ヽ
|┃三 ((、´゛)) ___________________
|┃ |||||| /
|┃ ≡ .彡 ⌒ ミ < チョッパリのやる事なす事いちいち頭に来るニダ!
____.|ミ\_<#`Д´> \
|┃=__ \  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
|┃ ≡ ) 人 \ ガラッ 現代の半島ネタを絡めて知性ゼロの書込をする白痴は撤退して頂きたい。
当スレで扱っているのは現代の半島とは住人も言語も文化も完全に、そして幾重にも断絶した古代の半島だ。
まあ、白痴の皆さんにはその程度の基礎知識も無いんだろうが…。
古代の半島は、或いは列島人類社会文化の源流かもしれないし、
或いはまた列島社会の一部だったかもしれない、
そういう肯定的な意味で興味深い対象だ。 嫌韓厨の言動は単なる脊椎反射であるからして、
たとえ大脳を摘出してもその挙動に変化は見られないであろう。 >>904
言語が完全に断絶してるとはいいがたいだろ
一応三国史記に出てくる地名は朝鮮語で解釈できるのが多い >>908
三国史記は「いつ」編纂された書物なのだろうか。
三国史記が編纂された時代の朝鮮語は「三国史記の時代」の朝鮮語と如何なる関係にあるのだろうか。
現代韓国の史学者たちが百済(くだら)をペクジェ、新羅(しらぎ)をシルラとする言い換えに頑なに固執するが如く、
十二世紀高麗の史官たちは(彼らにとっての)現代語を過去の地名に投影する愚を犯してはいないのだろうか。 ペクチェじゃなくてクンナラ(大きな渡し場)
シルラじゃなくてショラボル(金の村)
と固有語で呼ばせるべきだ 皮肉なことに、
古代朝鮮語を伺い知るには中国や日本の史書に拠るしかない。
「外国語」として音だけ記録したことが却って役に立つ。
そこから断片的に見える名詞、官名、人名などは現代朝鮮語とは似ても似つかない姿をしている。
唐の援助を受ける為に漢風を摂り入れたという表層の事象だけで説明のつくものなのかどうか。
上代ヤマトコトバを現代列島人が大した苦もなく理解できるのと比べると、
半島の事情についてはもっと大規模で深層的な変動や断絶を疑わざるを得ない。 新羅だけは不思議な国
言葉も文字も全く違ったらしい
遺物にローマングラスが出てきてたり、天文台の遺跡が出てきたりしてる 朝鮮のシャーマン文化てシベリアのツングースと似てると思うんだけど >>912
新羅時代の郷歌とかが文献に残ってるけど
それに使われてる語彙(例えば格助詞とか)の当て字を見ると
現代韓国語と大きな違いは無く見える
「全く違った」というのは何が出典? どうせ実例も見た事ないNTUY兄貴の勝手な願望やろ
反日もダメやが嫌韓のあまり学問を捻じ曲げるのもガイジの所業やで >>913
半島に移住して来たグループの一部には確実にいるからな >>914
多民族地域なんだから
新羅語以外の言語だって沢山使われていただろう 6世紀の壬申誓記石とか口語体で書かれているから現代韓国語で普通に読めるしな ワイ【さんずいに歳】人と倭人 西北大学考古学部 王建新
中国の学者は古代日本の倭人についてあまり研究していません。
一部の研究者は、古代文書の単なるフレーズや散らばった考古学的資料に基づいて、
倭の人々とその文化的起源を中国本土と単純に関連付けることがよくあります。
日本の学者はこの分野の研究を非常に重視していますが、国民感情よって制限されるため客観的に議論することはできません。
これまでのところ、それら古代の人々(倭人など)と彼らの文化の起源は未解決の問題です。
1996年から1999年にかけて、著者は北東アジアの青銅器時代の考古学的文化に関する予備的な体系的研究を実施し、
日本で「北東アジアの青銅文化」という本を出版しました[1]。
著者は、以前の研究を基礎に考古学的資料に基づいて仮説をたて、さらに、異なる時代の文献に関する研究を加え、
それぞれ、ワイ人と貊人、ワイ人と倭人などの古代北東アジアの人類集団とその関係を体系的に分析しました。
「山海經・海内北經」、「後漢書・鮮卑伝」、「論衡」などの古代文献には、古代倭または倭人に関する記録があり、
多くの学者がそれらを日本列島の古代倭人として直接関連づけて研究しています。
しかし、これらの文書に記録されている倭の状況から判断すると、彼らは日本列島に住んでいる倭人ではなく、
遼東、吉昌、長白山周辺地区及び朝鮮半島北部に住んでいた古代ワイ【?歳】人です。
http://big5.china.com.cn/chinese/zhuanti/beijingforum/651170.htm >>922
スレ違いは覚悟の上で。
考古学史料は乏しいものの列島側の文献、他ならぬ記紀に注目すべき記述はある。
故・森浩一氏がまとめて論考しているが、
所謂「神武東征」伝説には中国江南或いはその周辺の越人文化の濃い影が射している。
「打ち羽ぶき来る人」「足一騰宮(あしひとつあがりのみや)」「黥(さ)ける利目(とめ)」等々。
そしてこれらの要素は大陸側史料に見える「呉の太伯の末」という倭人の自称と奇妙に符合している。
森氏が云い遺した通り、乱舞する右翼左翼の政治的偏見を排して
虚心坦懐に「神武」を研究すべき時代が既に来ていると思う。 元ネタは扶余の東明王伝説なのだろうけど
近親相姦の果てに神武天皇が誕生したのは日本オリジナルの設定と思う おまけに磐余彦のおふくろとおばあさん(兼叔母さん)サメの怪異で海神の娘
一方朱蒙のおふくろ河の神の娘w
何この符号www >>924
後漢書に載ってる扶余の建国神話にはカラスも三人組も出てこないしスッポンに至っては川面を矢で射たら魚と一緒に浮かんで橋になったのであって亀に乗って釣りをしていた槁根津日子とは全然登場の仕方が違う
こじつけも著しいがあえて関連付けるなら後から作られた三国史記が前に作られた記紀を真似したと考えた方がずっと合理的だ
>漢書に載ってる扶余の建国神話
扶余の建国神話のはなしをしてると思ってるやーつ 朱蒙告水曰:「我是日子,河伯外孫,今日逃走,追兵垂及,如何得濟?」
>我是日子
ん?どこかでみたセリフだなw >>929
魏書の高句麗建国神話も殆ど後漢書の扶余伝のそれの引き写しで
それぞれ違う服を着た三人が追加されるだけ 百済語も間違いなく朝鮮語族の一種やで
そもそも百済(クダラ)という国名も朝鮮語で説明できる
百済の前身は馬韓の伯済国であるが、
「伯」には長男という意味があるので“大”という意味の“큰 クン”
「済」には渡るという意味があるので“渡し場”という意味の“ᄂᆞᄅᆞ ナラ(現代語では나루 ナル)”
をそれぞれ充てて、合わせて“큰ᄂᆞᄅᆞ クンナラ(大きな渡し場)”と読むことができるんや
(なおクダラの語源を「큰나랗 (大きな国)」であると提唱してる韓国人学者もおったらしいが惜しい間違いやな) >>932
それが
「ドウロとロードは同義で類音。故に日英両語は類縁。」
「アリガトウとオブリガード(中略)日西両語(後略)。」
の類いでなけりゃ良いが…。 朝鮮語は新羅語なんだから
朝鮮語で説明出来たらおかしいだろ >>934
新羅は三韓のうちの一つのうちの更に一部の端の端に過ぎへんぞ
なんでそんなこと思う様になった?
説明してみ それより「大泊瀬」が朝鮮語読みだと
ダイペクチェと読めるほうが面白い >>936
ダラな
古代の日本語の濁音は前鼻音化があったのでクダラはkundaraと読んだ
朝鮮語の鼻音は異音として有声音(日本語で言う濁音)が含まれるのでクンナラはクンダラとも聞こえうる
そこに何も違いはない ところで、
俺の地元は東京北西部でヤマトから遠い。
周辺地域を見渡すと古代の新羅系/高句麗系渡来人集住地に由来する地名は散見されるが百済系のそれは見当たらない。
ヤマトに近い方面にはそれが幾つもあるそうだが、
渡来人の故国とヤマト政権の親密度による差別待遇みたいなものがあったんだろうか。 >>940
高麗川とかあるね
昔、高麗川をKorean Riverとか言って厨ニ病全開だったな >>940
おもいっきりある
百済系はなぜか優遇されてきた
百済王氏はそのまま
高麗王氏→高麗朝臣
新羅は王家が日本に流れてくることはなかったと思う 新羅の場合は日本に流れて来たのは倭人系新羅人だろうから
普通に日本人に溶け込んだのだと思うよ >>930
その文章の初出は魏書高句麗伝だろう
古代日本で王を指すヒコ(彦)の語源を「日子」に求めるなら三国志魏志倭人伝にある狗奴国の官の名「狗古知卑呼」の中に「卑呼」として既に登場している
魏書よりも三国志の方が成立が2世紀半以上も古い >>937
日本語でも韓国語でも瀬をチェとは読みません
どこで思い込んだ話か知らないですが、
出典をきっちり付けられないなら書かないほうがいいでしょう >>932
どの時代でも良いんだが、
半島において「ある漢字に対して同義の現地語音を宛てて読む」という用法は存在したのかな。
即ち列島における「訓」が。
それがないと、
偶々ある時代(現代半島語から直接遡れる時代)以後の音で「百済」という漢字にもっともらしい意味を牽強付会できた
――ということも充分あり得るわけだ。 借用音訓表記法なら新羅では吏読といって日本よりも成立は古いぞ
そもそも万葉仮名自体がこの吏読を元にしているというのが現在のところでは通説だし >>948
それは漢字を意味から切り離して音だけ借りて自国語を表記する、ということでは?
万葉仮名はこれだろう。
俺が云ってるのはその逆。
「日本」の字を見て何の躊躇も疑いも無く「ヒノモト」と読んで(読めて)しまう訓読みのこと。
ひっくり返せば固有の列島語を音韻的には縁もユカリも無い漢字で表記してしまう方法論。
これに当たる方法論を古代半島人が持っていた証拠が無いと、
例えば「クン-ナラ」という半島語を「百済」という漢字で表記したとは断定し得ないんじゃないか、と。 補記。
俺がしつこく疑うには理由がある。
必要以上に誹謗する意図は無いが、
韓国の学者はどうも現代韓国語を時間的にも空間的にも広く振り回しがちだから。
現代韓国語を以て萬葉集が読み解けるとか、
日韓両語の親子(彼等によれば韓国語が親)関係を論証するのに現代韓国語と現代日本語を比較したりとか。
その伝で行くと偶々現代韓国語からもっともらしい意味と音の組合せが見つかったら
何のためらいも無くそれを古代に投影してしまうということは本当にないのだろうか。 くだらが百済の現地訓なら朝鮮語でいくら考えても無意味 >>947
めっちゃあるぞ
地名で村のことを固有語で「伐(벌)」と書いてそれを訓読みして「火(블)」とも書いたり
新羅の官位で「伊伐飡」の別名「角干」が「ᄲᅳᆯ(角)」を訓読して「舒発翰(셔발한)」「舒弗邯(셔불한)」とも言われたり
同じく「波珍飡」の「波珍」が「바ᄃᆞᆯ(海)」を意味するので「海干」と描かれたり
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/2f/%E5%8F%A3%E8%A8%A3.gif
この口訣文字の一覧をぱっと見ても「飛」は”날다(飛ぶ)”、「火」は"버(『火』の接続形)"、「白」は”ᄉᆇᆲ(『申す』という意味の助動詞)"、
「是」は”이(指示代名詞『この』)”、「成」は”일다(起こる)”、「其」は"저(指示代名詞『あの』)"
「爲」やその略体「為」「丷」は"ᄒᆞ다(する)"といった訓読由来が指摘できる >「日本」の字を見て何の躊躇も疑いも無く「ヒノモト」と読んで(読めて)しまう訓読みのこと。
なにが言いたいのか意味がわからないだが
訓読みは意味をあとから当てただけだろ >>955
当然そうだよ。百済語が詳細不明なんだから土台無理な話だよ 結局、三国時代やそれ以前の半島語と現代韓国/朝鮮語の距離は
同じ時代間の列島語と現代日本語の距離よりもずっと遠いということではないだろうか。
仮にこの見積もりが正しいとすると、
その間に住人や言語のドラスティックな交替(または上塗り)を想定することには相応の妥当性があろうかと思う。 >>957
具体的ソースや然るべき研究論文を出してからどうぞ 日本語も現代語と平安時代では結構大きな隔たりがあるよ
あれを苦とも思わんやつはよっぽど古文の点数が良かったやつだろ 朝鮮語が古代と断絶があるのは新羅による統一ではなくハングル創成以降、漢字の読みが一つであるべきだと規範が作られた時点
それ以前は一つの漢字に訓読みや統一新羅以前の時代の(唐から入ってきた音に塗りつぶされる前の)古い発音や独自に変化した慣用音など複数の読み方があった
現在の朝鮮語漢字音でも痕跡的に異質な読み方が残ってたりする その痕跡のどれがどの言語に由来するかがわからないから
どうしようもない >>959
そりゃぁ今の若い奴等は日本語を読めない話せない解らないってだけの話。
平安どころか志ん生さえ理解できないそうだから。
.:彡 ⌒ ミ:
:(´`ハ´`): ←中国人民志願軍
.ビクッ :( つ つ彡⌒ ミ
ビクッ :.),ィ⌒<ヽ`Д´> <モンゴル人にレイプされた割にはモンゴル語由来の言葉ってあまり残ってないよね
:(_(__人__,つ 、つ ←韓国軍 高句麗と新羅と百済がどう違うのかよく知らない
言葉は似ているのか相互に話せない意味不明言語なのか、
すぐに見分けられるほど違う顔なのか、ほとんど同じなのか
冠婚葬祭や服装はどうちがうのか 当時の朝鮮半島は多民族モザイク地域だから
支配層と民衆で言語が違ったりするから気をつけないといけない >>965
人類学的にはほとんどの社会において職業や身分と同様に言語は父子継承
ヒスパニック系の言語の共通性何てその典型だろう
日本社会においても父親が日本人のハーフは日本語しか喋れない傾向がある 三国史記にいう高句麗の沙熱伊県が清風県(現・忠清北道堤川市清風面)
沙熱伊 *saneriは서늘ᄒᆞ다 sənɯl-hɐta(涼しい)なので「清風」に対応
同様に高句麗の古斯馬県が玉馬県(現・慶尚北道奉化郡)
古斯 *kosは구슬 kusɯl(玉)なので「玉」に対応
また高句麗の屈押県が江陰県(現・黄海北道金川郡)
屈 *kulは골 kol(谷)なので「江」に対応
押 *apは앞 aph(前)で、これには“南”という意味があり、川に対する「陰」は南なので対応
この様に三国史記にある地名の多くは朝鮮語族の言語として読み解ける
完全に断絶しているに違いないというのは願望に過ぎんよ 『三国史記』 「地理志」 の高句麗地名漢字:おもに日本語との比較による考証
http://www.toyo-bunko.or.jp/library3/s15-takagi.pdf
偶然見つけたが酷い論文だな
朝鮮語の知識がゼロに近いトンデモとしか言いようがないこじつけのオンパレード
万葉集は朝鮮語で読めるの逆バージョンだ 中国でもあちこちで言葉が違ったはずなのに
支配階級と民衆で言葉が違うと明記するのは >>971
意を宛てた朝鮮語は三国時代の高句麗語なのかな?
逆に音を借りた漢字の発音は高句麗と十二世紀の高麗で同じだったのかな?
よく言われる冗談で「犬が寝るからケンネル、日英両語は同根」なんて例もいくらでも見つかるわけで、
現代朝鮮語からそれっぽい言葉を拾って宛てたって始まらないんだが。 >>975
高句麗の主夫吐郡(仁川市桂陽山城)なんかは普通に現地から当時の遺物として「主夫吐」と書かれた瓦が出土している
勝手に後代に充てたのではなく使用実績があったことは分かっている 高句麗と百済はルーツが近いって本に書いてあったけどな 教科書だけだと高句麗と百済はルーツが近いという理由がわからない
なぜなら百済の所在地が朝鮮半島南部に固定されていて
百済が本来あった位置を記してないからな
ダイナミックに変遷していたという事実を無視してる ルーツが近いってのは百済の建国の祖が高句麗の王族って話な
クダラが「大きな渡し場」という意味なら大河があるところはどこでもクダラ呼ばわりできる
現に漢江の漢城が落とされたら綿江の熊津が代わりのクダラになった訳だからな 『梁書』百済伝
百濟者、其先東夷有三韓國、一曰馬韓、二曰辰韓、三曰弁韓。
弁韓、辰韓各十二國、馬韓有五十四國。大國萬餘家、小國數千家、總十餘萬戸、百濟即其一也。後漸強大、兼諸小國。
其國本與句驪在遼東之東、晉世句驪既略有遼東、百濟亦據有遼西、晉平二郡地矣、自置百濟郡。
(その国もとは高句麗とともに遼東の東にあって、晋の時代に高句麗が遼東を略取したとき、百済もまた遼西を領有し平二郡に百済郡をおいた) >>980
物理的な遷移は今や常識だし、
高句麗も百済も必ずしも半島内だけで完結する存在ではないってのもよく解る。
問題はそこには無くて、
半島国家の系譜としては断絶した両国の「中身」は何者だったのか、
言語を始めとする文化の分野において現代の半島国家/民族との連続性を語り得る存在なのか、
ということなんだよ。 >>981
普通にあるだろ
丁髷やめたら断続するとでもおもってるのか?w >>982
わかんねえ野郎だな。
そんな次元の話をしてんじゃねえんだよ。
例えば。
アイヌは間違いなく列島の先住民だ。
彼らの言語(単語)や生活文化は断片的にではあっても現代の列島、特に北東部に残存している。
その担い手がアイヌからヤマト人に入れ替わっても。
そしてもちろん、アイヌの人々そのものも「日本」の内部で健在だ。
しかし、だからと云ってアイヌ社会と後に列島を支配した「日本」とは連続性を以て語れる関係か?
それは違うだろうよ、と、そういう話をしている。
そういう視座から百済や高句麗は現代の、或いは中世の半島国家群と民族/言語/文化においてどういう関係なのかと訊いている。 >>983
文化も血統もうけついでるだろ
普通に考えてアホなのかな? タラス川の戦いでイスラムと戦った漢の将軍高仙芝は高句麗出身だった
そのころの高句麗が満州だけなのか半島にも広がっていたのかはしらない
高という姓はもともと高句麗系という意味だったのかも >>985
高句麗系もなにも高句麗の王姓が高でしょうよ
高はコマつまりトーテムである狛(ヒョウのこと;なお朝鮮語(の祖型の馬韓語)ではコマは熊のこと)
句麗はクリ、これは城のこと
合わせて「狛の城」を意味するコマクリこそが高句麗語での高句麗の名
前半のコマを以て古代日本語での高麗(コマ;高句麗の別名)になる 駒コの字に「こま」とあててる
あと群馬県は古代から馬の生産地だったんやろうな
と思う 狛(こま)を仔馬(こうま)の略とする語源解説はどうも無理があると感じる
類例がない
小梅は「こめ」だろうか、いやそうはならんやろ 馬の原産地がコマなんだろ
だから馬を意味する漢字駒に「コマ」と当てたんだよ >>983
統一新羅の郡県なんて元高句麗が過半数だぞ
だから高句麗の遺民を慰撫するために宝蔵王の外孫の安勝を報徳王として擁立したり
王京人の地位を与えたりと苦心してるんだが 新羅初代王赫居世は三国遺事によれば「弗矩内(中期朝鮮語読みで불구뉘 pul-gu-nui)」と読み、これが「明ける世」すなわち最初の王朝という意味になる。
「赫居」は「赫」が表意で「居」は送り仮名に相当して「ᄇᆞᆰ다 pɐlk-ta(明るい、明ける)」の語幹となる。
しかしもう一方の「世」は、それを意味する標準形の朝鮮語が「누리 nu-ri」であり、「内(뉘 nui)」は標準語よりも訛って縮まった形である。
新羅語だけが朝鮮語の先祖で朝鮮半島の他の地域に広がったとするにはこの訛りは不自然である。
新羅語は朝鮮語族の中の訛った変種の一つに過ぎず、むしろ統一新羅以前から(三国争奪の地だった)漢城周辺の言語が共通語として朝鮮語の基礎となったと考えた方が納得が行く。
なにより最初の現存する朝鮮語の文章が登場する高麗の首都は開城という漢城にほど近い地である。 >>986
>コマは熊
そうなのか、おもしろい、さらに昔、熊は神様だった可能性、アイヌと似ている
金は中国にあった金王朝由来なんだろうな
朴は >>992
いや
朝鮮の金は新羅の王姓で金属という意味での「金(かね)」にあたる「쇠 soi」の新羅語「徐羅(셔라) sjə-ra」を漢訳したもん
(金官伽耶の王「首露(슈로 sju-ro)」も同じ言葉、製鉄と関連するとされる)
新羅自体が前身の「斯盧国」や首都慶州の古名「徐羅伐」の音写でもある 百済は高句麗と同祖と主張してて都城計画なんかも似てる
ただ百済(伯済国)自体は元々ソウルあたりの環壕集落から発展してるみたいなので当時イケイケの高句麗に仮託したのだろう 三国遺事所収の新羅語の詩歌「融天師彗星歌」
舊理東尸汀叱
nyeri soyl mulsko-s
njə-ri sʌjl mɨls-kʌs
녀리 ᄉᆡᆯ 믌ᄀᆞᆺ
旧(ふる)く東(ひむかし)水際の
乾達婆矣游烏隱城叱兮良望良古
kentalpa-oy nwol-won cas-ol-rang po-ra-kwo
kən-dal-ba-ʌj no-ron tsa-sʌl-raŋ pʌ-ra-go
乾達婆(건달바)ᄋᆡ 노론 자ᄉᆞᆯ라ᇰ ᄇᆞ라고
乾達婆(けんだつば)の遊ぶ城をと望まば
倭理叱軍置來叱多
wari-s kwun-twu wo-s-ta
wa-ris kun-du os-ta
와릿 軍(군)두 옷다
倭(ワリ)の軍も来たり
烽燒邪隱邊也藪耶
hway thoy-ya-n kusi-ye swuphul-iya
hwaj tʰʌj-jan kʌ-si-jə su-pʰɨ-ri-ja
홰 ᄐᆡ얀 ᄀᆞ시여 수프리야
烽(のろし)焼きたる界(さか)ひ藪なれば
三花矣岳音見賜烏尸聞古
samhwa-oy worwom pwo-siW-wo-l tuD-kwo
sam-hwa-ʌj o-rom po-si-βol tɨt-ko
三花(삼화)ᄋᆡ 오롬 보시ᄫᅩᆯ 듣고
三花(サムファ=三人の花郎)の岳(オロム)見賜ふを聞きて 月置八切爾數於將來尸波衣
tol-twu pocuri cocwu cyang wo-l paGuy
tʌl-du pʌ-dzɨ-ri tsʌ-dzu tsjaŋ ol pa-ɣɨj
ᄃᆞᆯ두 ᄇᆞ즈리 ᄌᆞ주 將(쟈ᇰ) 올 바의
月も盛りに、度々将、来たる磐(いは)
道尸掃尸星利望良古
kil psul pyeri po-ra-kwo
kil psɨl pjə-ri pʌ-ra-go
길ᄡᅳᆯ 벼리 ᄇᆞ라고
道掃く星望まば
彗星也白反也人是有叱多
hyeysyeng-iye solWanye sarom-i i-s-ta
hjəj-sjəŋ-i-jə sʌl-βa-njə sa-rʌ-mi is-ta
彗星(혜셔ᇰ)이여 ᄉᆞᆯᄫᅡ녀 사ᄅᆞ미 잇다
彗星(ヒェイション)なりと白(まを)す人有れり
(後句)
達阿羅浮去伊叱等邪
tol-ara pte-ka-i-s-toya
tʌ-ra-ra ptə-ga-is-tʌ-ja
ᄃᆞ라라 ᄠᅥ가잇ᄃᆞ야
月の下、浮き往きにけり
此也友物比所音叱 兮叱只有叱故
i-yey tem-ul musum-s hyey-s-ki i-s-ko
i-jəj tə-mɨl mɨ-sɨms hjəjs-ki is-ko
이예 더믈 므스ᇝ 兮(혜)ᄭᅵ 잇고
此れに伴ふを何れの兮(ヒェイ=彗)なるが有れりと >>980
いわゆる百済遼西経略説って当事者の北朝系の史料には全く載ってないのよね 1000
>次スレたのむ
嫌なこったバーカwwwwwww
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