東ローマ時代のギリシャ兵はなぜ弱兵なのか?
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西欧の騎士の騎馬突撃に最後まで対応できなかった
西欧が力で打ち破ったマジャール人の略奪にたいしては
まず略奪させてから帰路に後ろから襲うという
正面からのぶつかることを徹底的にさけていた
オットー大帝のようなのは存在しないらしい
ギリシャ兵が弱すぎると言う事でできたのがバリャーグ隊 紀元前 359 マケドニアがイリュリア人にまける
紀元前 279 マケドニアがガリア人に負ける
紀元前 168 146 ローマ負ける
紀元前 139 129 パルティアに負ける
468 ヴァンダル族に負ける
636 アラブ人に負ける
680 708 792 ブルガリアに負ける
797 803 806 アラブ人に負ける
811 896 917 ブルガリアに負ける
1071 1176 トルコに負ける
1190 1194 ブルガリアに負ける
1204 十字軍に負ける
1230 1279 ブルガリアに負ける
1305 アルモガバラスに負ける
1453 トルコに負ける
1897 トルコに負ける
1918 ブルガリアに負ける
1922 トルコに負ける
1974 トルコに負ける >>2
東ローマじゃない時代多すぎ 勝った方は
全く載せてないし、いい加減な仕事すな かつてのローマの盛時を念頭に置いちゃいかんだろ。
中国だって周辺の遊牧騎馬民族によく負けてる。 アラブ人に比べて戦闘教義に劣った
スラヴ人にも勝てないのは将軍たちにも生兵法に過ぎないものが多かったからだろう 金だけは持っていたから
異民族に贈り物を送ってご機嫌取りできたから
あとコンスタンティノープルの城壁 蛮族と言われる集団に比べて
闘争心や勇気に欠けているのは確かだろう
かと思えばコンスタンティノープルでヴェネツィア人を大虐殺する卑しいところもある
ギリシャ人は勇気がないけど卑しくなった
これが重大な理由の一つだろう ヘレニズム諸国の頃までは、それなりに戦闘性もあったけど、ローマに飲み込まれてからかな でも、ローマって体力的にはゲルマン人に劣っていて、それを組織力で補い蛮族に優越していたわけで、
ローマの組織力がダメになったか、蛮族が賢くなったかのどっちかが起きたんじゃないのか? やはり東西に分割したことが大きい
それまでもライン戦線に東方の兵士が送られたり、東方戦線にゲルマン出身兵が送られたり
していて、帝国全土で防衛していた。ライン戦線と東方戦線両方が同時に攻められると
対応は厳しかった
アウレリアヌスとかも、ガリア帝国とパルミラを同時に相手にするのは無理で、順番に滅ぼした
東西分裂後、西方の危機に東方は軍団を送らなかった
西方軍団だけで対応するのは無理だった 技術は偉大だろ
ギリシアの火を忘れたか
あと兵も一時期はカタフラクト強かったやん カタフラクトはギリシャ人ではなくて
クルド人やアルメニア人がなりてだからな 第四回十字軍では
覗き込んだ従軍僧に恐怖して
全軍逃走してんだぞ
古代のアテネ軍と戦ったら普通に負ける この国が存続したとしても軍事革命は起きなかっただろうし
銃などの兵器も発達しなかっただろう 生活保護とパチンコ漬けの市民とかダメに決まってるよな 他民族を蔑視してるが
勇気や朴訥さといった兵士に必要な精神要素がなくなったから 日本で例えると、
王朝交代を重ねつつ、平安時代の王朝国家がそのまま日本中を支配し続けているようなもの
日本の場合は武家政権が他国での王朝交代を行っているからな テマ軍団制の主力だった小アジアの民って文化的にはギリシャ人だったの?
それとも様々な土着文化が生き残ってた? 奴隷のような状態だから弱兵だった
自由主義の兵士は強いが
奴隷は弱いものだ >>19
ギリシャ火を発明したカリニコスは実はシリア人。
しかも後に火事を起こして処刑されてしまうというおまけつきw ギリシャ火炎はさほど強力な武器ではない
アラブ海軍に制海権を取られた
ヴェネツィア海軍にも負けている >>32
二度にわたる帝都攻囲戦の完全勝利、ドナウ川封鎖、反乱軍の撃破、ルーシ(ロシア)艦隊壊滅。
中世でこれが強力でないとすると、何が強力なの?
欠点は射程距離が短いこと、風向きと海面状態に左右されることだが。 そのコンスタンティノープル攻略戦は大城壁のおかげであって
海軍はアラブ海軍に撃破されたってのが現実だ
反乱軍は別に海軍など持ってない
ルーシ人なんて丸太船だぞ
本当に強いアラブ海軍ヴェネツィアジェノヴァ相手には糞の役にも立たないのが現実だ
イタリア失陥はアラブ海軍に水路を抑えられたのが原因だぞ 本気で言ってるの?
第二次攻囲戦でアラブ艦隊ほとんど壊滅してるんだが。
テマの保有する艦隊の727年の反乱は思い切り正規海軍の反乱なんだが。
ルーシは9世紀には武装船団を持ってたけど。
ヴェネツィア、ジェノヴァの台頭なんかずっと後、11世紀末〜12世紀だよ。
いったいソースは何? そのテマの反乱は鎮圧されてるじゃん
壊滅したのはアラブ海軍でなく陸軍(しかもブルガリアのおかげ)
ルーシ武装艦隊などいってるが
実態はしょぼい丸太船 >>36
Wikiくらい読んだ方がいいよ。
丸太船を武装船とは、いくらWikiでも言わんでしょ。
リンクから飛べる英文も参照して。
あと質問にも答えてね。
ギリシャ火以外強力な中世の兵器って何?
君のソースは何?
ギリシャ火薬
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ギリシア火薬 「キリスト教徒は板切れ一枚も浮かべられない」
アラブ人 「キリスト教徒は板切れ一枚も浮かべられない」
アラブ人 海軍が優勢だと言うならマストの海戦で負けて制海権を完全に失ったのはどうなんだ?
シチリア島が海を渡ってきたムスリムに占領されたのは?
テッサロニキは海を越えてきたイスラム教徒に破壊されたことがあるけど
海軍は何してたの?
そもそもさあ
ギリシャ火炎ってイスラム海軍も使用してたやつだぞ >>40
ファッ!?
ごめん、質問に答えてほしいんだが。
@ギリシャ火以外強力な中世の兵器って何?
A(ギリシャ火が強くない、という)君のソースは何?
先に君の方の質問だけど、
マスト(リュキア沖)の海戦655年、カリニコスによるギリシャ火の開発672年
年表くらい覚えた方が良くない?
シチリア島は総督が反乱を起こし、アグラブ王国が応じたため。
シチリア首長国なる傀儡政権を建てて、むしろ陸から征服していったはず。
たしかそれでも全土征服に1世紀以上かかってる。
テサロニカは「隙をつかれた」としか言いようがない。
地図を見ればわかると思うんだけど、マケドニア近海は大艦隊が自由に航行できるような地形になっていない。
しかもテサロニカがあるのは湾の奥。
良港が逆に仇になった感じ。まあすぐに奪回しているけど。
>ギリシャ火炎ってイスラム海軍も使用してたやつだぞ
これは間違い。
イスラム側は似たような焼夷火薬の開発まではこぎつけたが、海戦で火炎放射器の様に使用するチューブとサイフォンが最後まで作れなかった。 念のため追記しておくけど、ビザンツ海軍が終始優勢だとか、ギリシャ火によって地中海の制海権を取ったとか、そういうことは言っていない。
あくまで軍事的ハードウェアのひとつとして、中世期には強かったんじゃね?と言っているだけ。
>>40のオブジェクションは「ギリシャ火なんて言うほど強くない」なので、
@ギリシャ火以外強力な中世の兵器って何?
A(ギリシャ火が強くない、という)君のソースは何?
なのだが、何故かルーシが丸太船だとか、マストの海戦がどうだとか、シチリア島がどうしたとか、わけのわからんことばっかり・・・。
これで3度めだけど、さぁ答えて。 学問についても、東ローマは
ただ古代ギリシアの学者の文などを暗記、模倣するばかりで
新しい発見は何も無かったらしい 東ローマ帝国皇帝ユスティニアヌス1世の非キリスト教的学校の閉鎖政策によって、アカデメイアは529年にその歴史を閉じた。
これが理由でしょうね ギリシャ火炎はアラブ人が考えたものだろう
そもそも
パクっただけ
ちなみに絹も中国からパクった ギリシャ火炎が強くないように見える
=アラブ人の海賊に地中海で好き勝手させられているのは
ウマイヤ朝やアッバース朝の海軍部隊もギリシャ火炎を使っているから
おなじ武器使ってんだからそりゃ
優秀な民族のほうが勝つに決まってる 古代ですでに弱くなっている
猛きローマを征服した云々は
言い換えればすでに文弱とみなされていたと言う事 アラブ人が優れていたのではなく、
たまたまペルシアとメソポタミアとエジプトという
優れた地域を手にいれたから先進地域になった >>48
またアホが湧いて出たwww
速攻ツッコまれてるが、何なの、コイツ? >>51
たまたまじゃないだろ
エジプトなにあっさりとられてんの
それとシリアも
もともとそこを治めてたのは弱兵のギリシャ人だろう コンスタンティノープルの大城壁はアルメニア人に修理してもらっていた
なぜなら
城壁の修復方法なぞ知らないから
十字軍はアルメニア人やアラビアの建築や城塞に影響を受けたが
ギリシャ人からはたいして学ばなかった エジプトやシリアの住民は
重税に苦しんでいたため
イスラム軍に味方した
弱兵の上に政治まで圧政を敷くとか救いようがない >>51
すぐれていたから
領土取れたんじゃないの
じっさい大兵力のペルシア軍に負けなしで壊滅させてしまったし >>47
ギリシャ火炎は異民族からパクったものというのは当たってる 文弱で技術はパクリで弱兵で重税による圧政を敷くとか
いいとこないじゃん >>57
逆に、そこしか当たってない。
しかもアラブ人とか言い出すしw
高校レベルの世界史さえ怪しそうだ。 イスラム海軍に負けて好きにされてるのと
アラブ人に勝てなかったこともあってる >>56
モンゴルに攻め込まれる前のアラブ人は世界最先端の民族
ムハンマドは宗教家以上に
君主としてもすぐれていた
その後のカリフもどうしてこうも出来がいいのかと思えるぐらい
優秀なのが続いた >>56
ペルシャはなん世紀にもわたる東ローマとの戦争で軍事的に疲弊
してたから。 >>63
それは違う
イスラム軍をはるかにうわまわる大兵力を繰り出してるし装備も整っていた
疲弊してたからというのは理由にならない >>50
当時のシリアもアラビア人がすでに多く住んでいた
キリスト教徒だが アラブ人が優秀というか
ギリシャ人が愚劣になっただけだろう 宮崎アニメ、ゲド戦記の舞台はビザンティンだという話があるがマジですか? >>64
数もいたし軍備は整っていたが、兵士の足を互いに鎖でつなげて逃亡しないようにしていたくらいには
兵士にやる気はなかった。これが疲弊の結果だと考えられる >>62
じゃなんで3人連続で暗殺されたんですか? >>62
ムハンマドが優れていたのは君主というより軍事司令官としてだろ
その後のカリフは君主としての才能うんぬんとか言う前に
ハーシム家とウマイヤ家とのカリフ位争奪戦が激化して3人も暗殺された
勝利したウマイヤ家による支配が長続きしなかった挙げ句、
アラブ至上主義を排したアッバース朝でさえイスラム圏を一元的に統治していた時期は短かった
で、どこがアラブ人が最先端だって?
最先端だったのはペルシア人、ひいてはペルシア人を官僚職に据えることが多くなったアッバース朝の時期だろ。
アラブ人が優れていたのは詩と宗教だったとどこぞの偉人も言ってたぞ
先進地域だったイランを吸収していなければ、イスラム世界の発展はあり得なかった >>70
アラブではなくイランとメソポタミアとエジプトが進んでいた >>71
シリア、エジプトは正教会が奉じる三位一体説より単性論派に傾倒していたため、コンスタンティノープルから半ば異端扱い。
だったらホントに異端になっちまえ、とイスラム教を受け容れた。
その前にササン朝との抗争の最前線になって疲弊してたことも大きいわな。 その先進地域を奪取できたのも
武力と軍事においてアラブ人は先進的だったからでは 技術的には必ずしも先進ではないモンゴルが
ユーラシアで一番領地征服した
みたいなもんだな 武力も強い上に文明を手に入れた当時のアラブ人は
当時のギリシャ人よりも優れていると言っていいだろう >>74
しかし、その組織力は現代の軍隊と同じくらい統率のとれた、
しかもよく訓練された騎馬軍団だった
よくモンゴルの強さとして複合弓だとか優れた騎馬弓射の技術だとかが取り上げられるが、
それは遊牧民共通の強さなので別にその要素がモンゴルの優れた要素ではない。
真の強さは、偽装撤退をして見事包囲殲滅するだけの組織力・統率力であり、
それを支えていたのはチンギス・ハーンに対する忠誠心だけでなく、
千戸・万戸だといった軍の編成、狩りを通して訓練されていたことである
高度に連携の取れた軍隊は、戦争においていかに強いかをモンゴル帝国は立証した。
また、遊牧民族は攻城戦が下手だったのが多かったが、モンゴルは攻城戦も大得意だった
更に情報戦も得意で、敵の同盟関係に亀裂を入れたり、敵を陽動したり、
モンゴル帝国の恐怖を流布することで戦わずして都市を降伏させたりもした。
こんな勢力が中世に出現すること自体がチートレベル ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています