なぜ蜀の政権はいつも滅ぼされるのか
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結局蜀から北伐を成功させて関中を征服して
天下制覇を成し遂げたのは劉邦のみ
三国時代も五胡十六国時代も五代十国時代も
隋末唐初でも明末でも蜀にできた政権はみんな天下をとれずに終わった
よくみたら南北朝時代でも北周にあっさりと蜀が征服されてるし >>37
> 今は、途中に三峡ダムという巨大な関門がある
> クレーンで船を運んで、無理やりダムを越える
クレーンでダム超えるとか、どこの空想世界の話だかw
ダムの横に閘門(こうもん)や船舶用エレベーターがあって、船はそこを通過する
重慶までは1万トンクラスの船が入れるらしい 三峡ダムが衛星画像で見ると歪んでてそのうち決壊するってマ? 写真が歪んでるのかダムが歪んでるのかはっきりしないからなあ それって、幸福実現党が言ってるんじゃない?
大川隆法がイタコ芸でご託宣したんじゃないの? 封じられた場所を国名にするというルールがあるから漢なんだよ >>25
関中が三秦に分割されていた
項羽の直轄領は実はそれほど広くない >>46
珍しいケースだな
川の下流から上流に向かって攻略するのは難しい >>35
「自分に縁のある土地のなかで秦に近い土地を選んだ」という意味ね >>45
一方、のちに西漢は西半分が皇帝直轄領で郡国制を布き
諸王領は東半分にごちゃごちゃと パナマ運河みたいに何段階も水門があるのかと思ってたが
船ごとエレベーターで一気に上下させるとか、さすが中華4000年は伊達ではないな
>>40 >>47
成蜀は自立派と晋への統合派とで割れていたという
だがそれでも単純に局地戦で敗北してるから
割れていたことが理由になるんだろうか
割れていたから局地戦に敗退したんだろうか? 大河の下流から、上流に向かって攻略するのは難しい。
ディーゼルエンジン付の現代の船ならともかく、昔の船では決定的に不利だ。
北朝の政権にとっては、温暖で肥沃な長江中流・下流の穀倉地帯は、ノドから手が出るほど欲しい。
だから、まずは上流の巴蜀を攻略し、そこで船を用意して長江を攻め下ることになる。 ふと有吉佐和子「紀ノ川」を思い出した。
「嫁入りは上流から下流に行きなさい。逆は不幸になる」だったような。
それじゃ上流はどんどん人口が減ってしまいますがな・・・ 南北朝時代
蜀は斉の領土だったが尉遅迥が率いる1万2千人程度の軍で征服された
何が要害だ 諸葛亮の北伐なんて成功するはずなかった
劉邦時代の成功原因がすべて存在しない
韓信が諸葛亮時代にいたとしても無理だったろう だから兵站も陣形も伸びきっていて苦戦したという
苦戦させたのに負ける成蜀 陸遜
「劉備は川からの進行を諦めました
水陸両面からの進行でなければ大丈夫です」 滅亡原因
成家
長江から侵入してきた軍勢に敗北
水上要塞が放火されたと言う
蜀漢
姜維が漢中の防衛線を後退させた
成蜀
漢族と異民族の間で分裂
前蜀後蜀
国防意識がなさ過ぎた 滅亡原因
成家
長江から侵入してきた軍勢に敗北
水上要塞が放火されたと言う
蜀漢
姜維が漢中の防衛線を後退させた
成蜀
漢族と異民族の間で分裂
前蜀後蜀
国防意識がなさ過ぎた 岡村寧次率いる倭寇は
燕、晋、呉、楚を征服したが
蜀は征服できなかった >>57
いやあ、紀ノ川河口もどんどん人が減ってて… 呉漢率いる劉秀の軍勢は長江を昇って蜀を征服したが
倭寇は芷江で敗退した 北方に攻めると言うのは難しいというのは
結構知られてるが
東から蜀に攻め込むと言うのも難しいが
蜀から西に攻めていくってのも難しいらしい 関中に封じられるはずだった劉邦が、項羽が一計を案じて
「関中ではなく漢中じゃ、ワーッハッハッハ」
「な、なんだってー」ΩΩΩ
ってなるのは司馬遼太郎が元ネタだっけ
実は中国語では関中と漢中はアクセントが違うから、このとんちみたいな策略は成立しないと
聞いたけど、ほんとなのかな? >>72
関 kwan
漢 han
アクセントどころか子音違うやん 昔の日本人にとっても、「クヮンチュウ」と「カンチュウ」で別の音だろ >>72
司馬自身が当時の関と漢の中国語発音を知らなかったのか,
知ってはいるものの(洋画吹替でたまに見うけられるような)
日本語でしか通じないダジャレをかましたのか >>26
西三分の二はチベットのア・ムドとカムの一部。 >>51
こえーよ。
大きな建物や橋が予想外のタイミングで崩落するチャイナだぜ >>72やけど、項羽と劉邦読み直したら司馬遼太郎先生は関と漢の発音の違いなんてご存知やった
手元にないけど、「赤龍王」だな、元ネタは
司馬遼先生と皆さんにお詫びします
https://i.imgur.com/T9m2s6J.jpg 太平洋戦争の日本軍も重慶落とせなかったな
国共内戦は共産党が重慶成都みるみる落としたみたいだけど 日本が敗戦で消えたから、国民党政府は元の巣窟南京に戻って気が緩んだんだろ
重慶に籠城し続けて米英の支援受けていたら、共産党に簡単には負けなかったと思う 蜀というより雲南だけど南詔なんかはいい線いってる気がする
一時的とはいえ最盛期には四川や東南アジアにまで勢力を及ぼしたし 蜀はチャイナプロパーであると認識されている
だから中国の一部にならなければいけないと
攻め込まれる
外国だったら朝貢で済ませてもらえるが
中国の一部だと認識されるからほっておかれない >>55 今はまさにそうだけど、昔は吉野杉という一大産品があったのに
五条やさらに奥は昔から魔境だったか 木が売れるってところは
貧困地帯
人口希薄地帯
すめる場所が限らてる
田んぼや畑にできる土地も少ない >>86
そもそも、それだけ良い土地だからだ
四川盆地は広大で肥沃、内陸部では別格ともいえる豊穣の地 >>85
唐宋が相手のときは、山岳国家の強みを活かして独立していられた
でも、北京帝国の軍事力には勝ち目なかった。
火力が違いすぎる 唐代には、蜀は唐の領土だったろ
安史の乱で玄宗は蜀方面に逃亡してるし
>>91 >>93
蜀(四川省)ではない
これは南詔(雲南省)の話 >>93
内乱や外冦やらの際に、王様や総統が国外に逃げてしまう、ってことは、しばしばあるけれどな。 郭子儀が涼州を抑えてなかったらかなりやばかった?
唐が蜀だけの政権になってたら
まじでほろんでたんじゃない 安史の乱の時はウイグルととばんに長安回復してもらった 川下から攻め上って征服した
桓温、呉漢はもっと注目されるべきだ >>97
唐は中華帝国というよりも、拓跋の遊牧帝国の属領だからなあ。
構造的には、契丹の遼や、モンゴルの元と同じ構造。
漢土の属領の騒乱に、同盟や配下の遊牧集団を投入するのは、当然だな。 拓跋本土がなくなってるのに遊牧帝国の属領とはこれいかに こういう手合いは杉山の概説書さえ読んでるか怪しいわ
太宗高宗期の最盛期や玄宗前期ならいざ知らず、安史の乱の頃なんて吐蕃回鶻は敵国だし天可汗としての権威はかなり失墜してる
安史以後には吐蕃の属国だった南詔にすら敵国待遇求められる弱体ぶり 安史の乱前後の吐蕃は唐の領土なの?属国なの?それとも外国なの? 吐蕃は立派な敵国よ
唐はトヨクコンも失い酒泉以西の西域を全失陥した 敵国ったって、属国や内藩の反乱でしょ?
もっと後の時代にも、明国の内藩の燕国王が南京に攻め上ってきて皇帝を取って代わる事態があったりしているし 少なくとも7〜8世紀は吐蕃と唐は対等ではあった
ソンツェン・ガンポからティソン・デツェンまでは吐蕃は大国だった
現在の状況から見ると信じ難いけど 中国史で使う敵国って対等な国って意味だよ>>103とかはそういう意味で使ってるはず
基本的に唐は周辺国を格下扱いしてるけど、強国だった突厥・ウイグル・吐蕃あたりは対等な国として扱ってる
あと吐蕃は初期に唐の影響下に入ったことはあるけど、唐の支配下に置かれたことはないよ >>102
遊牧民の拓跋なんてその頃にいんのか?
唐代のモンゴル高原なんて突厥回鶻の地やんけ
元朝をモンゴル帝国の属領と強弁するよりも更に無理がある 唐どころか北魏時代には鮮卑のほとんどは定住農耕民化してたけどな 定住化した遊牧民といえば、フビライの庶子が冊封された雲南の梁国も元の下で150年ほど続いた
四川の政権で100年以上続いたのって、中華の枠組みに組み込まれる以前の先秦の巴国、蜀国ぐらいしか無いんじゃないか >>110
隋や唐の時代に「いろいろ教えてくれ」とやってきたガチ農耕民の倭に対して、酥だの酪だの醍醐だの教えるくらいに気風うは残ってたろ
チャイナの馬はあかん、馬は中央アジアのがええのんなあ、と、西域諸国に馬を要求したりしているし。
杜甫の詩にもあるだろ、胡馬大宛名とか、京師皆騎汗血馬とか、な。 農耕主体なら、駿馬は要らないチャイナのモッサい馬でもいいんだけれどね。現に推敲の賈浪仙はロバに乗ってたし。
餓ゑて相食らふの状況にしばしば陥るのに、穀物を与えて家畜を飼うなんてこともしないわな。 でも酪農盛んな民族は
先祖は遊牧民だったってこと多い >>117
755年〜763年 安史の乱
725年〜767年 阿倍仲麻呂 唐朝に任官 近代なら湘軍が北伐軍・民国軍の母体の一つになった訳だし
南昌蜂起も内陸のあの辺じゃなかったっけ 唐は遊牧民族国だから、漢土の支配に漢人をあてるくらいなら、別の出自の人を当てる方が良い、みたいな策を取るよな。
後の時代の元でいう色目人のような。 ローマ人もギリシャ人が祖先だと言ってたし、
フランク人もローマ人が祖先だと言ってたし、
サキソニア人やユットランド人はスキタイ人が祖先だと言ってたし、
まあ、有力勢力と同祖同族を謳うというのは、よくあることだ。 ローマ人はギリシアと敵対したトロイアを祖先扱いしてなかったっけ? >>124
トロイヤもギリシャの一都市だろ。邑里国家時代は、一都市一国だから、同族で外国だぞ。
ってか、元ネタは岩波文庫たろう。「アカイア連合軍」を「ギリシャ」とした訳がおかしいから、誤解が広まったんだろうな。
同盟の中心のスパルタも総大将を出したミュケナイも、対立したトロイヤも、ギリシャ人の都市。 安史の乱で唐は華北の大部分を喪って、玄宗は四川に粛宗は朔方に逃れてそこから勢力を回復したけど、だからといって唐が四川や朔方から発展した政権かと言えば違うと思う
というか国民党の支持基盤って浙江財閥みたいな都市富裕層だから、敢えて言えば江浙の政権なんじゃないか 北伐して上海クーデター起こすまでは、広東が基盤じゃないかな>国民党
重慶を首都にしてたのも、日中戦争の間の数年だけだし >>122
そのせいで、「唐は異民族」という話をすると左翼が怒る 「国家」だの「民族」だのはフランス革命以後の概念だと何度言ったら しつこい香具師やな
国家や民族だなどという漢熟語をフランスが発明したのか?
まずそこから可笑しいことに気付くやろ
「今諸華士女,民族弗革,而露首偏踞,濫用夷禮,雲於翦落之徒,全是胡人,國有舊風,法不可變。」
「民族」という言葉の初出は『南斉書』のこの文章
結局漢民族が異民族の風習に染まったというコンテキストで用いられているんやで
「唐は異民族」云々の話題と合致する話や
たかだか200年前かそこらのぽっと出のナポカスの話なんて関係ない 秦は天水の一勢力から咸陽を経て巴蜀を増やしてその後中国統一してるな 一部特権階級しか意識してなかったナショナリズムを国民レベルまで落とし込んだことに意義があるのでは >>135
その「民族」は字面だけ現代におけるものと重なるが、
成文法に基づく国民国家のシステムとは何の関係もない
そこにはお馴染みの華夷秩序と中華思想しかない
中国人は字面の一致だけをほらこんなに昔から概念があったと民族の誇りの根拠にしようとしたがるが
中身の定義についてはお座なりにしがちだ >>138
欧米白豚が民族を発明したとホルホルか?
その概念をアフリカやアメリカの土人にも適用している時点でそれは結局
元から存在していたものを自分たちが勝手に決めた枠に従って当て嵌める作業をしているに過ぎない
それは結局華夷秩序に基づく(そして今も中共が識別工作に用いる)漢語の「民族」とは目線の高さが違うだけでしかない
広範で綜合的な時代と地域を扱うときにはなんら意味を為さない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています