オスマン帝国の末期って悲惨だよな
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どんどん領土を奪われて隣国にやりたい放題されまくった >>1
どんどん領土を広げて隣国にやりたい放題したその過去に起因する
必然的な結末であると申し上げられましょう。 でも唯一幸運だったことは、日本の徳川家のようにはいかなかったけど、オスマン家の最後のスルタンが新政府から国外への亡命を黙認してもらえたことだよな
だから、明朝の最後の皇帝やロマノフ朝の最後の皇帝ほどの悲惨な末路は辿らずに済んだ >>3
売国奴呼ばわりされたにしてはまだ良かったな オスマン帝国が調印させられた、セープル条約のままだと本当に悲惨だった
現在のトルコ領域はケマル・アタチュルクのお陰 >>6
ほんとそれ
ムスタファ・ケマル・アタテュルクがいなかったら今のトルコの国土はほとんどなかったよ
てか国が滅んでいたかもしれない セーブル条約でしょ
セーブル焼きで有名なセーブルの町 独立を保ったとはいえ、他の全てを失ったトルコは、帝国主義(オスマン主義)から民族主義に乗り換えるという精神必勝法によって、誇りを維持しようとした アラブもギリシア人もいなくなったからな
あれ・・・・クルド人が 実際は民族主義とイスラム主義と幻のオスマン主義のご都合ダブスタトリプルスタだろ
純トルコ民族主義を徹底すれば
今の国土だって東半分はクルド独立国かクルド自治領 ギリシャ人とアルメニア人はとっくに叩き出されたの? ユーフラテス河が古くから民族の境界線
中世には東ローマとアルメニアの国境線
第一次大戦前はトルコ人とアルメニア人の境界線
第一次大戦後はトルコ人とクルド人の境界線 ギリシャとトルコの住民交換では、
言語や血統よりも「宗教」が判別の基準となった
トルコ語しか話せなくてもキリスト教徒なら「ギリシャ人」、
ギリシャ語が母語でもムスリムなら「トルコ人」扱いだった トルコ人の先祖はトルコ系遊牧民に征服されるとトルコ化したり
マケドニアに征服されるとギリシャ化したり
自らの言語や文化に愛着が弱い人々だったようだ
アルメニア人やクルド人はギリシャ化もトルコ化もしなかった トルコ東部からアメリカに移民したアルメニア人作家ウイリアム・サローヤンは
「トルコで私が住んでいたアルメニア人の村の人たちは
都合でよくキリスト教徒になったりイスラム教徒になったりしたものです」
と語っていた 日本では、お雇い外国人はあくまで「教師」であり、実際の活動の主体は日本人だった
すなわち一刻も早く西欧の技術を習得し、日本人が海軍軍人として、また技術者として
自立することを目指していた
一方、オスマン海軍では、たしかに士官学校に何人かの外国人教官を招きはしたものの、
彼らにとっての西欧技術の導入とは、そのまま外国製の軍艦や大砲を購入することであった
自国に技術的な裏付けがない以上、これらの操作にあたっては、外国人の技師や機関士に
頼らざるをえなかった
その結果、いつまでも一人立ちできなかったのである ギリシャに独立されるまでは、オスマン海軍はギリシア人がやっていた
民族的モザイク国家であるオスマン帝国は、職業ごとに得意な民族が担当していた
何百年もそうしてきたものを急に変えようとしても、うまくいかなくて当然なのだ
理屈で分かっていても、発想がついてこられない 東欧の小国の民についてよく知らない人たちは自分の分をわきまえた慎ましやかな
人々が住んでいると思うかもしれんが、実際は歴史の荒波にもまれ、
西欧人に見下され、過去の栄光(ない国もある)と現状とのギャップから
いろいろ面倒なことになっている オスマンに虐殺されたアルメニア人は洋の東西が入り混じる混血民族で美男美女が多いという >>21
つつましやかな人なんかほとんどいない
差別主義で正当化が好きで オスマン帝国の国家財政は18世紀から19世紀にかけて悪化の一途をたどった
領土の喪失、軍事費の増大、宮廷の奢侈、官僚制の腐敗、徴税請負制などによる
税収の減少など、その要因をあげればきりがなく、これを立て直すことは
もはや不可能と思われた
そして1854年、クリミア戦争の戦費をまかなう目的ではじめて外債に手を染めると、
あとはなしくずし的に外国からの借款を繰り返した 東欧人に幻想持ったらダメ
想像を絶するような差別主義者が多くて、アレは本物の野蛮人と言って良い
日本人ならほぼ全員が彼らの現実を知ったら、心性卑しく嫌な奴らと感じるはず
良心的な人からすると、ひどい偏見を書いていると思うかもしれない
でも少しでも滞在した事がある人なら納得してくれると思う >>26
かつて、ギリシア独立戦争に参加した西欧人は、現実のギリシア人に接触して
幻滅したとか
戦場を生きのびてヨーロッパに帰還した人々は、ほとんど例外なく、ギリシア人に
深い嫌悪感を抱き、かつ憎んだ。そして騙され続けてきた自らの愚かさを呪った >>27
古代ギリシャの継承者はどこにいる?
ゲルマン人の大移動に呑まれて同化してしまったの?
古代ローマの方は、何とか東ローマ帝国として、大航海時代の初期まで生き残ってたが、オスマン帝国に滅ぼされた。 >>28
民族としてのギリシャ人はずっと続いてるぞ
「東ローマ帝国」は歴史学上の名称で、
ビザンチン帝国の中心的な民族だったギリシャ人は
国という意味では自らを「ローマ人」と呼んでいたものの
もともとローマ帝国はラテン語とギリシャ語を併用していたので
ギリシャ人のラテン語化は起こらなかった 『エリザベート ハプスブルク家最後の皇女』(塚本哲也、文藝春秋)に、
「セルビア人は気性が激しく、命知らずで誇り高く、ナショナリズムに燃え、
何を仕でかすか分らない民族と知られていた」
と書いてあるんだが、セルビア人に限らずバルカンの諸民族は
みんなそうじゃないのかなあ バルカンに限らず東欧各地で
国民国家ブームのようなものが起こっていて
民族自立、独立がトレンドだった
カタキ役は多民族の大帝国で、
ドイツ、ロシア、オーストリア・ハンガリー帝国、そしてオスマン帝国 当時、セルビアでは、オーストリアがボスニア=ヘルツェゴヴィナを併合したことに
対する不満が高まり、「黒手組」という反オーストリアの秘密結社が組織されていた イタリア南部といえばマフィアが有名だが、あれは元々は過酷な政治の目を掻い潜って生きなければならない農民たちによる講のようなものだった
それが近代に入ってマフィアという形に進化していったわけだ
東欧とりわけバルカンはローカルマフィアが無数にある
オスマン帝国の太守の目を掻い潜り生きていかねばならない農民がたくさんいた
イタリア南部とまるで同じ
アルバニアや旧ユーゴやルーマニアやブルガリアなどは、政治家や官僚がマフィアと結託してして、国内は惨いことになっている
でも市民のレベルもそれ相応で、この連中なら国がこうなるのも仕方ないと感じるような人たちばかりだ
トルコ人に支配された方がまとも社会になるのでは?と思ったね アルバニアの場合、長い間氏族社会が続いていて、「血讐」として知られる
ジャクマリャとよばれる復讐の法も存在した。
ヨーロッパよりも、どちらかというとチェチェンやアフガニスタンやパキスタンの
連邦部族直轄地域を連想させる
バルカンの諸民族は「白い土人」と呼んだほうがふさわしいのでは… はいはいシチリアのオメルタ、コルシカのヴェンデッタ イタリア南部の暗黒社会はシチリア起源のマフィアの縄張り、
イタリア北部の裏社会はアルバニア・マフィアの縄張り バルカンといえば匪賊
実際はそんなにロマンチックなものじゃなかったらしいが 露土戦争の結果結ばれたキュチュク・カイナルジャ条約で、
オスマン帝国はアゾフと黒海北岸を失い、クリミア・ハン国の
独立を認めることになったが、これがオスマン帝国の衰退の
始まりとっていいのだろうか
一方、ロシアはピョートル大帝の夢である不凍港を手に入れた >>41
いわゆる「東方問題」の始まりはキュチュク・カイナルジ条約になるな
そこから「ロシアの南下政策に押されるオスマン帝国」像が確立した >>6
ケマルがアルメニア人やギリシャ人を大虐殺してアナトリアから絶滅させたお陰だね
本来はセヴール条約の領土だったけど、民族自決すべき彼らがいなかったからな >>14
オスマン帝国、青年トルコにより大虐殺されて何百万人も殺された
彼らがキリスト教だったのが原因 >>20
教育改革されたキリスト教たちと違って、旧態依然のイスラム神学校では対抗できなかったんだよ
18世紀にはイスタンブールの企業の80%がキリスト教徒
これへの嫉妬がイスラム支配者がキリスト教徒を大虐殺しはじめた原因 >>45
バルカン戦争以降、キリスト教徒資本家を狙い撃ちした課税や、
彼らに対するボイコット運動が起きたな 戦場でムスタファ・ケマルが孤軍奮闘してたイメージが強いわ 1838年にオスマン帝国はイギリスとバルタリマヌ条約を結んだ
この条約は、イギリスの産品がわずか3%の関税でオスマン領内に
もたらされることを認めた不平等なもので、結果としてイギリスの
工業製品の流入が進んだ
オスマン帝国はその後、ヨーロッパ各国と同様の不平等条約を結んでいる
また、この条約は宗主権下にあるエジプトにも適用され、
エジプトにもきわめて不利な影響をおよぼした バルカン半島は現在では密売と闇経済の十字路になっている
オスマン帝国崩壊後のこの地域の細分化と不安定さは、
闇経済を維持するのに好都合だった
バルカンのマフィアは西欧で娼婦として働かされる
若い女性たちの密貿易も行っている
また、パキスタンやイランやトルコから「バルカンルート」経由で
麻薬がヨーロッパ市場に入ってきている 色川高志(葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸103)
●色川高志「高添沼田の息子の金属バット集団殴打撲殺を熱望します」
龍神連合五代目総長・高添沼田の息子(葛飾区青戸6−26−6)の挑発
●高添沼田の息子「糞関東連合文句があったらいつでも俺様を金属バットで殴り殺しに来やがれっ!! 糞関東連合の見立・石元・伊藤リオンの糞野郎どもは
龍神連合五代目総長の俺様がぶちのめしてやるぜっ!! 賞金をやるからいつでもかかって来いっ!! 糞バエ関東連合どもっ!! 待ってるぜっ!!」(挑戦状)
492盗聴盗撮犯罪者色川高志(青戸6−23−21ハイツニュー青戸1032021/02/03(水) 13:53:22.55ID:QtP78E4Z
●青戸六丁目被害者住民一同「盗聴盗撮犯罪者の高添沼田ハゲエロ老義父の逮捕を要請します」
長木親父&長木よしあき(盗聴盗撮犯罪者の高添沼田ハゲエロ老義父を逮捕に追い込む会&被害者の会会長)住所=東京都葛飾区青戸6−23−20
●盗聴盗撮つきまとい嫌がらせ犯罪者/アナル挿入食糞愛好家で息子の嫁で自慰行為をしている高添沼田ハゲエロ老義父
高添沼田ハゲエロ老義父の住所=東京都葛飾区青戸6−26−6
【通報先】亀有警察署=東京都葛飾区新宿4ー22ー19 рO3ー3607ー0110
盗聴盗撮つきまとい嫌がらせ犯罪者/アナル挿入食糞愛好家で息子の嫁で自慰行為をしている高添沼田ハゲエロ老義父の盗聴盗撮つきまとい嫌がらせ犯罪者/愛人変態メス豚家畜清水婆婆(青戸6−23−19)の
五十路後半強制脱糞
http://img.erogazou-pinkline.com/img/2169/scatology_anal_injection-2169-027.jpg
アナル挿入食糞愛好家で息子の嫁で自慰行為をしている高添沼田ハゲエロ老義父によりバスタブで清水婆婆の巨尻の肛門にシャワーのキャップをはずしてずっぽり挿入。
そして、大量浣腸。 勢い良く噴出!腸内洗浄状態です。 >>44 ギリシャとは住民交換をしたけど、それ以前に大量に殺してたのか... オスマン帝国末期には、イスタンブルの都大路には西洋式の馬車が行き交い、
ターバンにトルコ服のオスマン官人にかわって、赤いトルコ帽にフロック・コートや
洋式軍服のハイカラな官僚・軍人が闊歩し、新式上流階級の女性の中にも、
洋装に薄いフェラッジェと呼ばれるヴェールをつけたハイカラさんが現れ始めた
この辺は明治日本と同じ ロシアはイスタンブールを奪っておけばよかったのに
イギリスが助けるからクソだな オスマン帝国では伝統的に、床に敷いた絨毯、キリムの上に座ったり、
差布団上にあぐらや正座、あるいは片膝を立てて座っていた
食事もそこに食卓用の盆をおいてしつらえた食事用の席でとっていた
しかし末期には西洋式に、室内に椅子と机を置き、椅子式で暮らし、
椅子で食事する生活様式をとる人々も現れ始めた >>16
「ギリシャ人」でも-oglou(ローマ字転写)という苗字の人もいるみたいだな
もちろんトルコ語の-オール(-の息子だっけ)から
まあそういうことなんだろうな
>>34 アルバニア人のマザーテレサの子供の頃は親戚の男衆か、下手すれば父親が切った張ったしまくってたんだろうか
神に一生を捧げたくなる気もわかる >>53
クリミアは仕方ないとしてイスタンブールまで
ロシアが占領したら米英仏独もガクブルだな
さすがにそこまで勢力拡大する事は許さないだろ
ロシア十字軍VSドイツ十字軍VSイギリス十字軍 トルコ救国の英雄ケマルパシャが現れて良かった
セープル条約のままだと、トルコは現在の3分の1ぐらいの小国になってた モンゴルとソ連とオスマン帝国と大英帝国
どれが一番悲惨 大英帝国は後の方で獲得した熱帯・亜熱帯の領土は植民すらほとんどしてない単なる海外領土だし、相次ぐ独立で失ってもふーんって感じ
イギリス人が住みたがらないような土地だから現地人をほぼ間接統治に近かっただろう
ソ連は面積が最大のロシアがそのまま分裂しない一国のままだし
モンゴルは単に故郷に帰っただけ、と思ったけど現代史である意味トルコより悲惨な目に遭ってるのか
しかも一部現在進行形で... >>60
世界史的影響で言えばオスマン帝国じゃないかな。
曲がりなりにもオスマン帝国によって秩序を保っていた地域が、
帝国崩壊とともに民族紛争の泥沼と化していった。
各地で大虐殺に継ぐ大虐殺、テロに次ぐテロ、終わらない宗教対立。。。。
アラブにゃ石油が出るんで、列強が介入し、
民族や宗教の過激派が暗躍。
世界戦争の火種が今もくすぶってるよ。 オスマン家って上手くやってれば天皇みたいに権威として残れたよな? >>63
無理
皇子はみんな奴隷の産んだ子だし
京大ころしから皇子全員幽閉になってもう飾り物でしかなくなった ベルサイユ宮殿を模したといわれる、ドルマバフチェ宮殿をはじめとする、末期オスマン帝国のスルタンたちの豪奢は、このころすでに、莫大な外国借款によって賄われていたのだとか 最初から完成品を持ち込むのではなく、同じところに何度も通って需要を確認し、より受け入れられやすいものに仕上げていく努力を惜しまなかった。 >>72
オスマン帝国は、末期には近代海軍も創ろうとしたからなあ… 新生トルコの領土が大きく狭められたのは、アルメニア人虐殺も関係してるのかな
いたいけなクリスチャンの同胞を虐殺するなんて!と ヨーロッパでは「トルコ人は中央アジアに帰れ!」なんて言われてたな セーヴル条約ではクルド人自治区の設置が謳われていたんだよな なんだったらガラテア人の先住性を盾にケルト系を入植させようとした? かつての精鋭部隊が完全なお荷物になって近代化を阻害したのは清朝の八旗も同じだな オスマン2世みたいに、イエニチェリの反乱によって殺害されたスルタンもいたな おなじ精鋭でもサファヴィー朝のキジルバシュなんかは上手く排除できた方かもしれん オスマン帝国って、クリミア戦争のころから、大きく外債に頼るようになっていたよな
1875年にはついに債務不履行を宣言
実質的な破産 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています