ローマ帝国滅亡から暗黒の中世へ13
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ローマ帝国滅亡から暗黒の中世へ
文明が終わるということ
識字率そこそこ → 神父以外文盲
上下水道完備 → 糞尿垂れ流し
食器と食事道具 → テーブルのくぼみに盛り付けて鷲掴み
街道は安全 → 野盗・山賊だらけ
貨幣経済 → 物々交換
地中海貿易 → サラセン海賊跋扈
巨大建造物 → アーチすら作れなくなった
各地の特産物からなる豊かな食生活 → 雑穀雑穀雑穀、ちょっと小麦
地中海の覇者 → フン族、アヴァール、マジャール、ヴァイキング、イスラム、モンゴル、オスマンにボコボコ
人類史上最も幸福な時代 → 重税、蛮族の侵入、疫病、餓死、王侯貴族による圧政、教会による支配
前スレ
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1600086082/l50 1500年ごろのヨーロッパの人口は、推計で約8200万
それがフランス革命後、ウィーン会議の頃になると、
ヨーロッパの総人口は二億に近づいた
これはやっぱり新大陸からもたらされたジャガイモのせいなのか? >>3
近世は寒冷期で貧しい時代、フランス革命直後も
飢えてるイメージなのにそんなに増えてたとは!
まさに欧州は貧しい寒冷期、魔女狩りが続いた
16世紀に突入してから間違いなく人口が
増加し出している!
18世紀には庶民はまだ全く貧しいはずなのに益々
急カーブになり、仏革命の混乱、食糧危機にも
関わらずこの辺りで更に増えている!! それまでは乾いたパンが主流だったんだから
水気もあり栄養も満腹度も段違いのジャガイモの流入は何かしらの影響はある
戦後の日本もジャガイモ生活で当分凌いできた 5世紀以降の東ローマ帝国では、第四回十字軍のコンスタンティノープル占領まで、
皇帝を名乗る地方政権がまったく出現しない
有力な封建領主のもとでしだいに分権的傾向が進んだ同時代の西欧諸国とは対照的 それを言うなら、西欧でも封建諸侯が王号を称することはなかったし ビザンツの場合、テマ軍が中央政府に対してしょっちゅう反乱を起こしたが、
それらはテマの分離独立運動という形をとらず、つねに首都に攻め上って
政権の奪取をめざすものになった
なぜなら中央政府が富の巨大な再分配機構としての機能を保ち続けていたから ピレンヌの「マホメットとシャルルマーニュ」を読んでいる。
ここの住人は、この本をどう思っている。
この本も、中世を暗黒時代としているのけど、時期をずらせている。 カール大帝のおかげで西ヨーロッパに政治的安定が取り戻されると、
西地中海北岸でもいくらか海上交易が復活する
ピレンヌが考えたように、イスラム教徒が地中海を制圧して
ヨーロッパを孤立させたわけではない
カロリング朝期にはユダヤ商人がフランク王国と東方との交易を行っていた
またヴィネツィアも東方の絹織物や香辛料を取り寄せていた 「暗黒の中世」という表現は、輝かしいルネサンスの中にあった
イタリアの人文主義者がたいへんな自負心をもって発言したものが、
その後も慣用されたもの
実際にはルネサンス期にも中世的な要素は残っているのだけれど グレゴリウス1世は、ローマ教会の使者としてコンスタンティノープル教会に
派遣されたことがあるんだが、この時期のローマ教会は、
コンスタンティノープル教会に比べて劣勢だったんだろうか? コンスタンティノープルのほうが皇帝のお膝元やからな >>15
グレゴリウスがコンスタンティノープルにいったのは、教皇就任前の教皇特使だったはず
このころの教皇特使は教皇に就任する前の階梯だという側面があり、何人かの教皇が
教皇特使を務めている
教皇特使は大使のようなもの
ただし教皇がコンスタンティノープルより格下だったわけではないが、格上だったわけでもない
教皇はペテロの座の後継者として一貫して格上を主張しているが、西ローマ帝国滅亡前は
ミラノ大司教の方が権威があった
そもそもPapaという呼称は古代においては教皇に限られていたわけではなく、実質は
ミラノと同じ大司教だった コンスタンティノープル総主教に世界総主教ていう別名があること考えると
キリスト教会で一番格上なのはコンスタンティノープル教会やろ 世界総主教は自称だからな
自称でいいなら6世紀に自称した宇宙大将軍は・・・ 中世初期のローマ教皇はランゴバルド族の王や公に圧迫されていた
頼りにするのは東ローマ帝国の軍事力だが、ラヴェンナに本拠を置く
東ローマの駐留軍は、ランゴバルド族の制圧を免れた海岸地域の守備で手一杯、
本国からの大救援部隊の到着がなければローマ防衛に乗り出す可能性はない
その救援を要請するためにグレゴリウスがコンスタンティノープルに赴いた
しかし東ローマ帝国の宮廷には本気で西方の同胞を救おうとする気分はなかった ローマ教皇の圧迫は時期が悪かった
コンスタンティノープル教会の聖像破壊に遺憾の意を示しキリスト教が真っ二つに割れてた時期
もはや同胞とは呼べない存在にまでなってた
東ローマ帝国は蛮族にイタリア半島荒らされた所をローマ奪還と言う名目で乗り込み
聖像破壊派(正教会)を広めようと言う魂胆もあった 中世はよく暗黒時代なんて揶揄されるがこの時代に封建制度を確立した西欧や日本は近代化して高度な資本主義社会をつくり政治的にもすぐれた民主政治をつくりあげている
一方この時代にしくじった国々(特にアジア、他には東欧など)は近代以降も専制と共産主義苛まれている 古代ローマスレが本家で、こっちのスレが分家的な感じ?
栄光に満ちたローマが滅んでカルト宗教とヒャッハー蛮族が支配する世界なんて
これ以上ないディストピアやん
人々の興味をそそり、且つとっつきやすい話題なこともあり13まで続くのも納得 >>23
ローマ帝国の生活水準に戻るのは1000年以上後のルネサンスというのが
暗黒の中世の恐ろしいところ
1に書かれていることはネタではなく、ほぼ史実なのが更に恐ろしいところ >>23
五胡は中華文明を尊重し、果ては同化し、最後は世界帝国たる唐を作り上げたが
西ローマ帝国滅亡後のヨーロッパは・・・ >>24
ディストピアって一見ユートピアに見えるからこそなわけだが 中世ヨーロッパのおもな食物は小麦、大麦、ライ麦などで作ったパンや粥
肉を食べられたのはごく一部の金持ちだけ
この食生活は明らかに栄養バランスを欠いた状態で、ビタミン欠乏症や脂質不足が
問題となった
つまり栄養不足が原因となる病気によくかかった
ワインは高価で庶民は常に飲むことができなかった
庶民はワインに代わってビールやリンゴ酒、梨酒といった安い酒を飲んでいた イタリア料理、フランス料理、スペイン料理
美味いのはラテン系ばかり
料理に関してはゲルマン系はラテン系に敵わない >>29
野菜(セロリ、カブ、キャベツ、カボチャ)、果実(リンゴ、梨、プラム、サクランボ)ナッツ類なども食べられていた
でも「トリマルキオの饗宴」のような古代ローマの贅沢な食生活には及ばないな イギリスの代表料理がサンドイッチ
食パンに食材を挟むだけなら料理下手のイギリス人でも簡単に出来る 中世になると古代ローマ式の公共浴場は廃れて、木製で円形のたらいが普及した エフェソスのアルテミス神殿はゴート人によって破壊されたんだよな
その後は大理石が教会の建材に流用されるなどして、とうとう姿を消してしまった >>26
ローマがギリシアに同化したと考えりゃつじつまあうぞ ビザンツは古典古代の文献を保存していたけど、中国の場合、もし日本という国が
なかったら永久に失われていたであろう文献がいっぱいあるよな 10世紀まで、旅に出るということは今生の別れと変わらない程酷かった
なので、出発前と帰宅後に宴会を行っていた
また、訪問先の人々は事前に手紙で知らされて、半日かかる距離まで出迎えに行くのが普通だった
一番快適な乗り物が馬
馬車は一般的に女性・老人・病人の乗り物であり、揺れが酷い為に王侯貴族すら嫌った
10世紀以降、治安が少しずつ良くなっても一人旅というのはまず考えられず、見ず知らずの者同士においても徒党を組んで旅をした
ローマ街道が再び整備される様になったのは13世紀以降で、整備といっても石灰を撒く程度であった 街道は安全 → 野盗・山賊だらけ
もしなんかあったらすぐローマ兵が駆けつけてくるからな
中世は領土がブツ切りになった上に騎士が守るのは領主の安全のみだから
道中はヒャッハーさんの巣窟になった イスラム教徒は一生に最低でも一度はメッカへの聖地巡礼を行う
日本でいうお伊勢参りみたいな感覚だろうか? ヨーロッパから長い旅路の果てに聖地エルサレムに入った十字軍の騎士たちの感動は一入だったろう イスラム教徒やユダヤ教徒はともかく正教徒までぬっころされてて見境のなさを感じる 異端は異教より憎し
カトリックとオーソドックスはお互い破門しあった仲 ピラトがバラバを処刑しても,その後,別の場面でイエスが処刑されてたら
やっぱり史実と変わらなかったんだろうな ローマ帝国の街道網が、中世には放置され、建築用の石材その他のために
掘り出して使われ、馬車が通行するのも困難なほどに劣化した >>39
イスラム教が旅人を大切にするように言うのはそういう背景があるからなのだろうか
今の時代だと旅なんて気楽な趣味って感じだからピンとこなかったが >>47
旅がリスク高い行為だった
イコール「持っている情報の価値が高い」
旅人を厚遇するのは合理的だったのは間違いないよ 中世には、遍歴商人と定住商人がいた
遍歴商人とは、都市や市場まで商品を運んで商売をする商人で、
定住商人とは、都市に定住して商売をする商人
交通網や商品・貨幣経済の発展が不十分な初期中世の「半遊牧民社会」では、
物資を移動するよりも、物資が生産もしくは貯蔵されている地点に
人が移動する方が容易だった >>48
基本は都市国家だからな
都市の外は砂漠で、都市は海の中に点在する島のようなもの
島から島へ、ラクダという船で移動するのが商人
イスラム教は商人の宗教 イスラム圏もだけど中華圏も遊牧民も割と旅人厚遇にしてる
厚遇してないのはむしろ周り蛮族だらけで学ぶ物が無いヨーロッパだけなんじゃないかな 松尾芭蕉の奥の細道は有名だが、山賊に襲われなかったんだろうか?
追剥とか当たり前の時代だし、道中全く無事故の方がむしろ不自然 芭蕉はその頃既に高名な俳人だったので、各地の有力者に庇護されての旅。
「この先は山賊が出ますので」と護衛を提供されることもあった。 >>54
伊勢ならまだしも遠方からだときついでしょ >>48
大和言葉のタビが「賜べ」の転で「乞食」のことだとか、journeyがjournalと同語源で「その日暮らし」の意味だとか言う話があるな。
基本的には前近代においては旅は辛いことのほうが遥かに多かったんだろう。 >>56
人のレスパクって楽しいか?
188 名無し三等兵 sage 2020/11/14(土) 11:43:44.78 ID:/KH9cNIi
芭蕉はその頃既に高名な俳人だったので、各地の有力者に庇護されての旅。「この先は山賊が出ますので」と護衛を提供されることもあった。
お前、前からスタスレとマルチで投稿してたみたいだけど、剽窃もするようになったのか?クズ野郎死ねよ。 室町時代には武装した運送業者の馬借という集団があったが、江戸時代にはなくなった
中国の武侠小説でも、�ヌが運送する荷物を盗賊が狙うのが定番シーン ヒョウ局のヒョウは、金ヘンに票
日本でいえば馬借のような武装した運送業者で、清朝で活躍した 鏢局は半ばヤクザや傭兵みたいな連中で運送もやれば金次第で逆に略奪や戦闘もするし馬借というよりは倭寇に近い
日本では漫画アニメで出てくる中国拳法と言えば大抵八極拳だがこれも元は回族の田舎ケンポーで鏢局を通じて漢族にも広がった >>47
イスラムは商人の宗教やから
商人が活動しやすいように工夫してる >>44
カトリックと正教の対立は実際にあり、
異端は異教に劣らず徹底弾圧された
しかし、東ローマとベネチア、ジェノバとの
関係は必ずしも宗派対立とは言えない
ただ単に金が絡んでトラブルになった面が強い
東ローマ皇帝が金さえきちんと払えば
十字軍のコンスタンチノープル襲撃はなかった
かも キリスト教徒を見てると
異教は改宗させようと頑張てアプローチするスタンスだが
異端は問答無用で叩き潰すって感じがする 悪魔は我らの神に勝つことは不可能だから異教は怖くない。むしろ哀れである。救いを与えたい。
異端は我らを間違った信仰へと巧みに誘い、天国への道を閉ざすので滅ぼさねばならぬ。
よしこ >>67
それはイスラム教もそんな所がある
>>68
みたいな思考回路はキリスト、イスラム両教徒に共通してる 両教徒もお互いを異端として見た
時にこそ許せなくなる感じがする >>69・上
近年のイスラム原理主義者は異端も異教も問答無用で叩き潰そうとしてる感ある。
キリスト教側のほうもかつてはそういう勢力があったかもしれんけど イスラム原理主義者にとっては,世俗的だったり移住先である欧米の社会に溶け込もうと
努めたりな同胞ですら異端なのかも 北方十字軍は異教徒を殺しまくってたけどな
ドイツ騎士修道会にいたっては、リトアニアのヤゲウォの改宗を
あくまで認めようとせず、改宗は偽装であり、欺瞞であると主張した
リトアニアがキリスト教化すれば、ドイツ騎士修道会はその存在理由を
失ってしまうから >>69
仏教で一番一神教的なのは日蓮宗だな
法華経以外の他の宗派・宗教は全て邪教という認識
クッソ過激だが、だからこそ無宗教的な日本でこれほど広まったんだろうな 正月は神社で初詣、葬式には坊さんが来てお経を唱える、キリスト教徒でもないのにクリスマスを祝う
外人さんから見たら奇怪に映るみたいね
>>72
アルビジョワ十字軍の方がヤバい
最早聖戦にかこつけたただの略奪だったりするし >>74
掠奪は結果であって、アルビジョア十字軍の目的へフランス王の王権の拡張が目的だから完全に世俗的なお話 >>74
最近はタイでもクリスマスを祝うようになった
ユダヤ人の中でも世俗的な人たちはクリスマスの行事に参加したりする マムルーク朝のアラブ人は、イスラームに改宗したボルヌ帝国の住民を捕えて
奴隷にしたり売り払ったりしていた
イスラーム法では自由人のムスリムを奴隷化することは禁止されているんだが
中世のアラブ人もけっこうえげつないことをやっているんだよな >>73
仏教の一神教は密教やろ
大日如来は「宇宙の全てを包摂する永遠不変の真理そのもの」やで
これもうYHWHと変わらん超越っぷりやん クリスマスは、もともとキリスト教というより、ゲルマン民族の冬祭り >>81
コンスタンティノープル教会やローマ教会が
そんな僻地の蛮族の土人祭りを公認したていうのも凄いな >>74
日本におけるバレンタインデーは欧米人にはどう映るのやら ローマは征服した地の神々の信仰を認めているし、また取り入れてもいる
ローマ文化も提供するが、固有の文化も否定しない
またキリスト教の布教時も、さすがにケルトやゲルマンの神々を完全払拭できず、聖人という形で取り入れた ギリシャ神話はキリスト教的価値観の中世でも一応黙認
スラブ神話はもうほぼ残ってないな >>87
オリンポスの神々を信仰してる人なんか当時すでにおらんからな
そういう信仰をしてる人が居てたら弾圧したやろ ヨーロッパの美術作品でギリシャ神話を題材とした物が再び作られるようになったのは
ルネサンス時代からなイメージあった >>74
日本人にとって宗教とは冠婚葬祭であって
神を信仰してるわけじゃないから
クリスマスもバレンタインも宗教の祭 ダンテの神曲が書かれたのは1300年頃でギリシア神話が大量にモチーフとして使われてる
ディオメデスとオデュッセウスが神の怒りを買って地獄の炎で焼かれてたり
その頃にはギリシア神話の神も神として認めてたんだろうね ローマ帝国では市民も味わうことのできた物質的快適さだが、このような快適さは、
ほかの古代文明にあっては、少数の特権階級の贅沢な占有物だった
例えば、水道について取り上げてみると、ギリシア人の都市では街に公衆のための
大きな泉水があればよかった
しかし、ローマ人の都市では、町中に幾つもの水道の蛇口があり、富裕民の場合は
邸宅の中にも水道が引かれていた
上下水道のみならず、舗装道路、神殿、劇場、円形競技場、浴場、広場などの
公共施設が整備され、市民の誰もがそれらを享受した
しかし中世にはそのような快適さなど望むべくもなくなった >>74
しかし、日本人はキリスト教の祭は色々と導入してるけど
ラマダンもアーシュラーはやらん
キリスト教はええけど、イスラム系のものだけは絶対に導入せんていう堅い意志はあるやん >>95
日本人は戒律が大嫌いだからな
断食なんかやるわけない そりゃ明治からの国策だから。イスラム圏との繋がりは外務省と商社に限ってきた。 肉食完全断ちというラマダン以上のことを遂行してるからな日本人は
仏教以前は他の北東アジア東南アジア同様日本人も豚肉大好きで猪飼部なんて置かれてたぐらいだが
仏教が入ってからは田畑を荒らす害獣の肉をたまに食すぐらいで豚食文化は琉球以外は廃れてしまった 下北沢は駅前再開発で建物がまだできてないので、東京ジャミイのミナレットが駅前からよく見える >>94
クリスマスはともかく、ハロウィーンはキリスト関係ない
いずれも商業目的だし、イスラムのは商業的に成功しない目算だから導入しない ほんの20年前のハロウィンですら日本ではそんなに騒ぎもしなかったし知名度も薄かった
最初から商業目的で導入してる物でも無い >>102
もともとの話だったらクリスマスだってそうだぞ? 最近は、ハロウィーン>クリスマス になってきたな
まあ、クリスマスは年末で忙しいせいもあるだろうなあ クリスマスはミトラ教の冬至の祭。イエスが産まれたのは羊を外に出してた季節。 クリスマスって形式彼氏彼女つくってレストラン予約してといろいろめんどい
ひとりものの集まりもシーズン価格で高いし予約が大変だしメンバー集めが面倒
保険で参加登録しといて当時ドタキャンとか多い
ハローウィンの方がもっと気楽にバカ騒ぎできる >>103
少なくともハロウィンをキリストの祭りと認識してるアホは少ない >>95
豚肉禁止で飲酒もダメとか日本料理では絶対無理
中国は回教多いけど イスラム全盛期のアッバース朝時代でもバグダッドですら酒場が繁盛してて
アラブ飲酒詩選とか作られるぐらいだったけどな >>109
昔はともかく今のイスラム圏で酒を普通に飲んでるのはトルコだけなんだよな といか和食で豚肉なんて使うか?
最近の創作和食じゃなくて明治以前に遡る伝統的なもので
料理物語でも獣肉は一部のもの好きが食べるゲテモノ扱いだ 元々静粛にやるクリスマスやハロウィンを馬鹿騒ぎしてる日本人が
何がダメとか語ってるのは腹が痛いわ >>108
日本では豚どころか獣肉全部ダメていう超厳格な仏教やってたんやけど?
元々仏教にそんな戒律無いのに日本でだけわざわざそんな超厳格な戒律作ってたんやで >>95
クリスマスもバレンタインデーも日本人は宗教的なことなんか無視して
ただの年中行事としてやってるだけや
それならラマダンも日中の断食抜きで夜の飲食だけ導入しそうなもんやろ >>110
中央アジア、北アフリカ、東南アジア、バーレーン・・・
イスラム圏にも、飲酒に緩いところはトルコに限らず結構多いよ
上のレスでアラビア語圏の事例を書いてくれてる人もいるように、
ペルシア語圏のイランでも、オマル・ハイヤームやハーフェズといった著名な詩人で酒好きの人は多かった
特にハーフェズの詩集とか、すごいよ
編まれた作品の多くが、キャバレーで一杯やってる詩
唐の李白の向こうを張ってるって言ってもいいくらい
それに、戒律が厳格な(はずの)現代イランで・・・
秋の風物詩といえば「なぜか」どっさり山ほど葡萄を買い込んで帰宅する人たちの姿だそうな >>110
アルバニアに至っちゃ、世界一緩いイスラム教国かも
豚串を肴に飲み会するのがごく普通ってくらいだよ 元々酒禁止なんかしてない
せいぜい「非推奨」程度だったのに
時代が進むごとにいつのまにか厳格になった >>109
アッバース朝全盛期のイラクはイスラム教徒が少数派だった
イラク住民の多くはササン朝時代からネストリウス派だった
だからバグダッドの円城の壁の厚さが50mもあったわけだ
モンゴル軍のフラグはカリフ達を殺したけど当時の
バグダッド市長がキリスト教徒なので殺さなかった >>111
味噌カツ大好きな俺にとってイスラム教は死んでも無理
おまけに酒も飲めないとか地獄やん ヨーロッパにいるイスラム移民はワインとかビールとか飲んでるのだろうか?
流石にここまで来たらアッラーは見てないとか言って普通に飲んでる? >>113
実は日本も裏でこっそり獣肉は食ってたけどな
牛も豚も馬も猪も兎も熊も鹿も犬も >>118
もっといえばモンゴル人にもキリスト教徒はそこそこいた(景教の流れ)
最終的にチベット仏教とイスラム教の間に埋もれて消滅したが イスラムのハーディスって明らかに飲酒を前提としてるものあるよね
酔っぱらった状態でモスクに入ってはいけないとか >>122
「ロッキー」の生卵丸呑みみたいなゲテモノとしての位置づけじゃねえの? 日本の気候じゃ腐敗する前に大型獣の肉を消費しきるのが難しかっただけ 親戚の結婚式にニセ神父来てたわ
アレ本物の神父じゃなくてバイトの場合が多いらしいね >>120
だからそれなら戒律の緩いアルバニア行きなさいって >>124
「ハディース」だね
>>126
ちょい待ち
日本以外で日本以上に高温多湿の地域って東アジアにも普通にあるが 大国町にイスラム料理屋あるけど美味いで
蘭州牛肉麺は最高や 「日本は高温多湿だから云々」ていうのよく聞くけど
そういう人は日本と西欧しか考慮してない >>134
旨そうだねえ、行ってみたいな
きみ、ひょっとして前に他スレのレスでその店のこと書いてくれてたっけ? >>136
ちょっと前に他の誰かが大国町のイスラム料理屋のこと書いてるのを見た ローマ帝国西部の首都がミラノとトリーアに定められると、
旧都ローマの地位は大幅に低下していったな
ローマ行きの積荷が下ろされるオスティアの港の利用が減少し、
新しい首都となったミラノ(後にラヴェンナ)の側のアドリア海、
ポー川流域の往来が増加した ディオクレティアヌス帝はローマ市を一度しか訪れなかったけれど、
もうこの時期から首都ローマの地位の低下は始まっていたのかな アウレリアヌス帝が城壁を造ってから
城壁外の住民が去っていくので
ローマ市は人口が減り続けていた >>139
広東、広西、雲南とか熱帯雨林地帯だから日本とは比較にならんぞ 10世紀のローマは、広大な廃墟を訪れる巡礼達を相手にする商売で成り立ち、人口はわずか5千人程度であった
彼らは遺跡に寄りかかるように住み、かつての神殿を改造して長屋を作っていた 10世紀のヨーロッパでは5000人いりゃわりと立派な都市という気も 11世紀中頃にはドイツには約120の都市があり、1150年ごろのドイツ帝国には200ほどの都市が存在していました。
1200年頃にはその数は3倍になり、13世紀に入ると東方の植民都市を加えて2000近くになり、中世末期には約3000に増えました。
さて、ここで中世ドイツの都市総数から人口1000人を越す約200の都市を引くと、人口1000人を下回る都市が約2800残ります。
そのうち、人口1000〜500人の都市は約350ぐらいですから、中世ドイツ都市の約80%(2400)が人口500人以下、つまりは市壁を
巡らせた村落の域を出なかったということになりますね。
人口200人以下という、小都市よりも小さな極小都市もあったぐらいです。これは集落と呼んでもよい規模になります。
中世において、農村と都市は、その大きさだけでは分けられないのです。 ローマ時代からの名望ある古い都市は、その面積を著しく拡張していきました。
中世初期までに一度は縮小した市域を、ふたたび周囲へと広げるだけの力があったということでしょう。
たとえば、アウグスブルク(14世紀187ha、現代86平方km:以下同様)、ハンブルク(106ha、747平方km)、
フランクフルト(120ha、194平方km)、ネルトリンゲン(93ha、1426ha)などがその例です。
ドイツ最大の都市ケルンはどうかというと、1180年着工の囲壁が19世紀末まで存続しましたが、この市域も236haから
400haに広がっていきました。
ほとんどの都市は、もちろんこれらより小さいものでした。
13世紀に新しく建設された都市の大きさは、だいたい10〜20haでした。15haというと、
長方形の都市なら縦300m×横500m、円形都市なら直径400m強の規模と考えてください。
さらに、ツィッタウ(8ha)、ボッパルト(4.5ha)、ヤウアー(1.5ha)のような
平均より小さな都市もありました。
ヤウアーになると、どこかの学校のグラウンドに収まりそうですね。 >>145
平安時代以降の奈良みたいなもんかな
政治的な都市から宗教的な都市になったっていうのは >>145
10世紀に、サラセン海賊がローマを襲ったことがあったな >>149
大坂も、古代には難波宮がおかれたこともあったが、中世には四天王寺と
住吉大社以外、何もないところに成り下がっていたらしい 江戸時代の人口順位
1江戸、2大阪、3京都、4名古屋、5金沢 後期ローマ帝国において、アレクサンドリアやアンティオキアなど、東方の都市は
なお繁栄していたが、イタリアや西方の属州では三世紀の危機の爪痕は
大きかったのだとか >>150
10世紀ローマはduxによって治められ、そこを守っていたのは、ガシンデイあるいはガスタルドと呼ばれるランゴバルド系の従士達であった
彼らは東ローマに影響された装飾されたチェインメイルを着け、片刃の軽い剣を用いた
またローマをたびたび襲ったサラセン人達は、胴体のみを覆うスケイルメイルを着け、小型の円形盾と鍔を欠いたヤタガンと呼ばれる鉈に近い形状の剣を装備していた 中世初期のローマは、都市自体がさびれていただけではなく、
聖職者のモラルの頽廃もはなはだしかった
教皇フォルモススの死骸裁判とかがあったし マルクス・アウレリウス帝は、派手な剣闘士競技会の費用を低下させることで、
都市のエリートの負担を軽減したが、これも危機の兆候らしい
これまで経済的繁栄を背景に、地方都市の自治と発展に尽力してきた
都市のエリート層にとって、奉仕が重荷になってきたことを示している マルクス・アウレリウス帝の頃から寒冷期になっていた >>151
いまエルデ二・ゾーが建ってるモンゴルのカラコルム址みたいだな
今のローマとか大阪とかみたいに、数百年後の世界では、カラコルムが世界的な巨大都市として復興するっていうようなこともあったりするかな 江戸時代の札幌や横浜がまさかここまで大きくなるとは マルクス・アウレリウス帝はゲルマン人の侵入に悩まされ、戦費拠出のために
帝室の財宝を処分しなければならないほどだった 古代に首都機能を持ってたほどの重要都市が戦乱などで大幅に衰退した後
数百年後に主要都市として再び開発されて
さらにそののち首都に返り咲き
現在は世界的な巨大都市圏になってる例といえば
ソウルもそうだな
百済首都「漢城」
高麗副都「南京」
李氏朝鮮首都「漢城」
韓国首都「ソウル」 そういえば高麗の都は開城やったか
なんであんなとこにと思うけど コンスタンティノポリスが再び都に返り咲くときは来るかな 逆にカルタゴのように、古代は栄えていたのに現在は見る影もない、
という都市もあるよな
ローマ時代はもちろんのこと、ヴァンダル王国時代も栄えていたんだが… >>168
チュニスが建設されたせいもあるから<カルタゴ
チュニスとカルタゴの関係は、現代のバグダードと古都バグダードの関係に近いっちゃ近い
再建されず、都市として風化したというと自然環境の変化(特に海岸線、河川)によるものが多いね
バビロンとか典型 バビロンはセレウキアが建設されると寂れてしまった
メソポタミアで二つも大都市を維持する事が出来なかった
メソポタミアの農業生産力の限界が原因だろうね ミレトスはメンデレス川の堆積によって湾が埋まってしまった
エフェソスも土砂の堆積により現在は海岸から離れている
古代は港町として栄えたが、河口に開けた都市は自然の力によって
葬り去られてしまった 「東洋のベニス」といわれた堺は、大和川の土砂の堆積により国際貿易港の地位を失った オスマン帝国末期、1820年代のアテネは、人口4千人ほどの寒村になっていた。 ユリアヌス帝はギリシャ・ローマの伝統宗教を復興しようとしたけれど、
もし彼が長生きしていても、この試みは失敗に終わったかな? >>168
>>169
ソウルの場合、新羅時代から李氏朝鮮時代最初期に掛けて(断続的に)「漢陽」と呼ばれた時期がある
この地名は「漢水(=漢江)の北側(=陽)」の意味がある
百済時代の「漢城」は、漢江南岸に遺跡がある「風納土城」と「夢村土城」が都城だっただろうというのが現在の有力説
高句麗の侵攻で百済首都としての漢城が陥落した後、その後の周辺地域の中心は漢水の南側から北側に移っていったらしいため、
「漢陽」と呼ばれるようになった
その後、李氏朝鮮の首都として本格的に開発された都市も漢江の北側であり、
1970年代までは、ソウルの中心といえば江北で、江南は農村地域という時代が長かった
1970年代からソウル都市圏が次第に巨大化していくにつれ、江南地域も都市化していった
例えば、ソウルオリンピック公園は江南地域にある
そして今では、ずばり「江南スタイル」の題の歌が世界的にはやるという地域にまでなっているというわけだ >>172
比較すると、博多は土砂の堆積の少ない港だな
ジェノヴァとかも近代港湾としても極めて優秀 >>176
博多湾はわりに水深が浅いので、
谷間の地形で水深が深い長崎が中世末期から貿易港として発達すると、
博多湾は20世紀に本格的な浚渫が行われるまで、
九州の貿易の中心としての立場を長崎にいったん譲っていた格好だった まあ、メソポタミアの都市はたいてい似たような場所にあるけどな
セレウキアとクテシフォンは、チグリス川の対岸にある
クテシフォンを東京とするなら、バクダッドは大宮、バビロンは鎌倉あたりに相当する距離感だ バビロンはユーフラテス川にあるから別の都市だけど、バクダッド・セレウキア・クテシフォンは、ほぼ同じ都市と見ていいんじゃないか
http://www.vivonet.co.jp/rekisi/b10_iran/iran_map2.jpg >>175
ソウルの北岸(右岸)が旧市街、南岸(左岸)が新開発地域ってのは知ってたけど百済時代まで遡ると南岸が中心だったのか。面白いね
古い都市と河川は切っても切れない関係があるけど、両岸の性質の違いには興味あるな
パリの左岸(リヴ・ゴーシュ)と右岸(リヴ・ドロワ)なんかが有名
ローマだと七つの丘は左岸側だったっけ それを思うと、セレウキアの地に首都を建設したセレウコスの、後世への影響は大きい それに比べて、ローマのテヴェレ川の川幅は狭い
セーヌ川や隅田川のほうが広いくらいだ 昔、村上龍が「セーヌ川はかっこいい! 荒川はダサい!」と書いてるのを見て、
「おいおい、セーヌ川と比べるなら、隅田川とか京都の賀茂川だろ。隅田川のほうが水質はまだマシじゃないか」
と思った覚えがある >>184
札幌の豊平川とか、広々としていて雰囲気は抜群にいいね >>172
堺は秀吉が何もかも全部大坂に持って行ったからやろ >>175
江北から江南に移ってきたのは北の侵攻を恐れてや
北が侵攻してきたら漢江までは特に食い止められる地形が無い >>184
日本でセーヌ川と近いのは旧淀川やろ
都心部を貫通してるし中之島あるし
隅田川も荒川も加茂川も都心部から外れてる それか那珂川やな
これも都心部貫通してて中洲もある >>191
そうだな
中之島とシテ島は存在感が似ているな >>190
李承晩は、必死で脱出しようとする江北の市民を見捨て、非常にも橋を爆破して落とした だから朝鮮戦争後は、漢江(はんがん、で一発変換できる!)の南側の江南(かんなむ、で一発変換できる!)が高級住宅地になった >>192
日本でも、ソ連軍が新潟に上陸した場合、これが関東平野に進出することを防ぐべく、
関越自動車道や上越自動車道にある全てのトンネルと橋梁を爆破する防衛計画を立てていたそうだからなあ
するとソ連軍としては、国道18号を南下して碓氷峠を越えるという進行経路しか採れなくなる
そこを陸自が側面から攻撃して、ソ連軍主力を撃破。もって関東平野進出を阻止するという話だった
一般市民だけでなく、自衛隊もソ連軍もみんなが損害を被る悲劇的な想定だったな
いやぁソ連軍が攻めて来なくて良かったわ 日中戦争の折も国民党軍は日本軍侵攻を阻止するために
黄河の堤防を爆破して南岸一帯を泥海と化したな
難民は日本軍に救助された 「三世紀の危機」は、従来考えられていたほど帝国全体を一様に襲ったわけではない
帝国西部はともかくとして、少なくともイタリアや東部の都市では衰退は
さほどではなく、経済活動も盛んだった 直感的に三世紀の危機と言われる混乱も、本質は気候変動が原因ではないかと思った >>180
きみが書いている「北岸(右岸)」「南岸(左岸)」というのは、現代の世界地図などで一般的にいうそれの表現だろうか?
つまり、「北東部」「南西部」の意味に近い表現だろうか?
それとも、東洋史で古来「君主南面」の前提で使われてきた「左京=首都東部」「右京=首都西部」の意味の表現だろうか?
もし、前者の意味で書いているとするならば、実際にはその東西反対方向ってことになる
つまり、風納土城や夢村土城がある地域、つまり現在のソウルの松坡区は、現在の市街地全体では南東部に当たるよ
(なお、夢村土城は実際には小高い丘にあるひらやまじろなので、「夢村山城」と呼ばれることもある)
ソウルの地図を見てみるとすぐ分かると思う
ちなみに、ソウルオリンピック当時の会場になった各地域のうち、
有名な主競技場があるソウル総合運動場と、現在のオリンピック公園がある地域は、
どちらも松坡区内ではあるけれども、少し離れてる
オリンピック公園のほうは、夢村土城に隣接してる場所なんだな >>180
川や海峡の両岸の町を一都市扱いにするようになったところといえば、
ハンガリーでドナウ川をはさんだブダ・ぺシュトが典型例の一つだね
トルコのイスタンブールだと、金角湾とボスポラス海峡で三分された地域が一まとめになってるね
東ローマ時代には、金角湾の南がもともとの町で、その後になってから金角湾の北が都市開発されていった
ポスポラス海峡東岸も市域内として扱うようになったのは、19世紀以降らしいね >>200
>川や海峡の両岸の町を一都市扱いにするようになったところといえば、
博多と福岡
武昌と漢口 (武漢)
ミネアポリスとセントポール
下関と門司もそうなってよさそうなもんやけど
合併するなんていう話しは聞かんな >>200
> >>180
> 川や海峡の両岸の町を一都市扱いにするようになったところといえば、
クテシフォンとセレウキア、ニネヴェとモスルもそうなるはずなんだけど 丹東(中国)と新義州(北朝鮮)もいっそのこと、1つの都市になってしまえば ハンガリーの首都・ブダペストも、ドナウ川の両岸にあったブダの街、ペストの街が合併した。
なおこの場合のペストは、洞窟や石窯のこと。黒死病のことではない。 そういや、新義州は鉄道の開通で生まれた新たな町なんだよな。
もとの義州はさびれてしまった。 >>201
もともとの由来でいえば、武漢は武昌と漢陽と漢口の三つ(武漢三鎮)を一まとめにした地名だね >>201
実現可能性はともかくとして、
「北九州市と下関市の合併」「福岡県または山口県からの離脱」を一まとめにした、
特別市構想が議論されたりすることはあるらしい
また、下関市はかつて福岡県への編入を検討したことがあるらしいけれども、
福岡県側がそれを断ったんだとか >>207
少し書き直し
または
↓
および
両県どちらにも属さなければどうであろうか? という構想なんだとか・・・ >>207
今となっては、やっとくべきだったな
せっかく日本海の玄関ともいえる好位置にありながら、港湾の規模では対岸の釜山に圧倒されている
福岡・北九州・下関の港を一体として総合開発すべきだ 対馬は、行政区分で言えば長崎県。」
だが地理的に言えば朝鮮半島のほうが近い。
半島のプサンには日帰りで行けるが、長崎県庁に行くには何泊かしなけれないけない。
なので戦前、「県庁に用足しするのが不便だから、半島の慶尚南道に編入してくれ!」などという嘆願が対馬から興ったという。
それが受け入れられ、そして歴史が変わらず日本が敗戦していたら
どれだけめんどくさいことになったか… ついでに言えば関東大震災直後、
「日本本土は地震が多くて危険。だから京城に遷都しよう」。
などという意見が沸き起こった。
それが受け入れられ、そして歴史が変わらず日本が敗戦していたら、
どれだけめんどくさい話になったか… う〜ん、京城に遷都してたら面白かったんじゃないかな? >>167
瀕死のオスマンから奪い返せないほどのヘタレなギリシャ
イタリアを笑えないな >>214
夜間は一気に放射冷却現象が掛かりやすくて、零下にまでなるのはごく普通だったり 古代と中世の分岐点をどこにおくべきかについては、いろいろな説があるな
コンスタンティヌス大帝の治世に置く者もいれば、テオドシウス1世が即位した
年に置く者もいる
あるいはローマ世界をムスリムとキリスト教徒の領土に分割した622年のイスラームの
誕生に置く説、800年にカール大帝が西方でキリスト教帝国を回復したときに置く説
などもある スペインを基準するといいのでは?
711年から1492年までが中世 >>219
あらゆる学術論争について言えることで、だから無意味とはならないな。 >>210
そんなん長崎県も慶尚南道も無しで
対馬国でええやないか
昔からずっと対馬国やろ
なんでわざわざどっかに編入されなあかんねん ヒジュラ元年をヨーロッパ中世の始まりにするとイスラム世界の歴史観とまとまって整理しやすい イスラム興隆でローマが二度と地中海帝国として再興することは無いと確定したんだからそれでいい
イスラム勃興のちょっと前にはユスティニアヌスの無理矢理な再統一もあったけど
その後はそんなこと二度と不可能になったんやし 575年 イエメンのマアリブ・ダム崩壊を
中世の始まりにするとイスラム世界の
歴史観とまとまって整理しやすい >>225
歴史の時代区分は全部そうだ
たいていの場合、当時の人々はそう思ってない 西ローマ帝国が滅亡した後も、東ローマ帝国は健在だったし、また西方のかつての
属州でも、言語も宗教もそのまま存続し、貴族たちは従来同様に土地を所有して
実見をふるっていた
ただ、彼らは支配者であるゲルマン人の臣下となり、属州の後に成立した王国の
上層部に加わっていった
西の帝国の消滅をローマ帝国の没落と結びつけたのは、ルネサンス期の人文主義者
たちとその後の西欧の知識人たちだった ローマが衰えたと思う人は居ても
ローマが滅びたなんて思う人は居らんかった
それはコンスタンティノポリスに遷都後のローマを「ビザンツ」などと呼んで
ローマと別の国みたいにあつかうようになった近代西欧人特有の考え方や ローマ帝国末期、教会内部で神学的論争とそれに起因する内部分裂がしばしば生じた
アリウス派論争はとくに影響が大きく、325年のニケーア公会議でアリウス説の
誤りが決議されてもなお、論争は皇帝を巻き込んで続くが、皇帝の教会介入を
西方の教会が激しく抵抗したのに対し、東方の教会はこれを受容する傾向が強く、
この伝統は以後も続いた もともとはエイレナイオスが福音書をでっちあげたのが原因 中世のコンスタンティノープルでは、聖職者だけではなく一般市民も
ギリシア語で神学論争を行っていたらしい
一方、西ヨーロッパではそのようなことは望むべくもなかった レオ1世「金やるからあっち行け」
アッティラ「わーい」
ゲルマン人たち「ウホホ!教皇様、すごいウホ!」 フン族がなぜ西に移動したかというと、地球規模の寒冷化が原因らしい
ユーラシア大陸では、暖かい方に行こうとするとき、南に向かうほかに、
西に向かうというルートがある
西に位置するヨーロッパは、緯度は同じでも、メキシコ湾流のおかげで、
沿岸部に行くと比較的暖かい 最近、初等の教科書レベルのこと、ほとんどコピペなノリで書き込みする人増えてない?
このスレに限らず ネタがないから賑やかしのつもりで投下してるのかと思った。 >>235
そういうのも必要だよ
自分が知ってるからといって、当たり前と思っちゃいけない >>216
日本史ではかつては院政の開始をもって中世の始まりとか言われたが、
摂関政治にすでに封建的要素が色濃く出ており
遣唐使の廃止もしくは将門の乱が起きた
9世紀末〜10世紀前半に置く説が有力になった
鎌倉時代は文化的にも室町より平安時代との親和性があり
平安時代=中世というのは確固たるものになっている
宗教が支配したということを考慮すれば
飛鳥時代には中世が始まったとされる説もある 誰がそんな珍説ほざいてるの?
太閤検地が行われて土地所有者が一元化されるまで「職の体系」という公地公民制の名残が続いており
西洋の封建制にあたるものは日本には存在しなかったというのが通説なんだけど
封建制成立の絶対条件に土地の私有ってのがあるのだが日本では土地は公共のものとする王土王民思想
が根強く近世に入るまでなかなか個人が土地を所有するという概念が根付かなかった
ましてや飛鳥時代とかすべての国造や部民が朝廷に一元管理されていった中央集権的な時代で
どこが中世なんやって話 >>240
file:///C:/Users/shinnosuke/Downloads/symp_012__147__135_141__147_153.pdf
大化の改新以後に関しては建築、文化を考慮して
中世という認識をしているが
西洋史の中世の始まりが5世紀なのに
日本が11世紀または12世紀というのは
明らかにおかしいだろ。 あんたよくネット音痴だって言われてるだろ?
西洋の中世の始まりが日本より何百年もはやくてくやしいので日本の中世の始まりも
遡及させてやるってのは動機としては不純すぎるわ
いいこと教えておいてやるが実証主義が取り入れられてからは史学界では中世=封建制とは
見なされなくなってるぞ
進歩史観といった「大きな物語」はもはや誰も大真面目に信じていないからな
『史学雑誌』見ても「中世的」とか「封建制」といった用語が徐々に使われなくなってきてるだろ? ヨーロッパの中世はヒジュラ元年から
日本の中世は末法の元年の1052年(永承7年)が分かりやすくて良い >>241
おまえとこのローカルファイルのURI出されても困る マルクスによると古代→中世→近世→近代と自発的に発展できたのは西欧ぐらいで
それ以外の国々の近代化はすでに近代化した国家による外圧によってのみ行われると主張した
日本の明治維新や中国の辛亥革命何てまさにそうだな 明治維新や辛亥革命まで一切の発展が無かったとでも? >>249
産業革命とそれに伴う社会の変化だろうね
個人的には市民革命論に軸足を置く気にはならない >>248
そういうわけじゃない
西欧以外の地域は一定段階の発展を遂げると衰退して再びその水準まで発展しては衰退してを繰り返してしまう
アジア的停滞論ってやつ
>>249
マルクスによると資本家が労働者にやりたくもない仕事をさせ本当は必要でもないものを買わせて支配する社会のこと
で次に生産手段の公有化が行われて更にその次に国境も身分もないパラダイスみたいな時代が訪れるとされている 漢の盛時と唐の盛時と宋の盛時と明の盛時と清の盛時で
文明レベルが同等なわけないやん アジア的停滞論とか人種差別的思想の際たるものなんだけど、中共あたりどのように消化してるんだろね 社会制度は中世のまんま物質だけ現代化した世界とかおもしろそう
ギャルがスタバでマッチングアプリ開きながら
「うち城持ち大名の正室が夢じゃん?この殿よくない?」
とか語り合う世界 中共の公式の歴史見解はマルクス史観を無理矢理当てはめてるから色々とおかしい
春秋時代まで古代奴隷制社会で戦国から奴隷制が崩れて徐々に封建制に移行して
秦漢で封建制社会が完成したていうことになってる
逆やん
春秋戦国時代に封建制が崩れて行ったんやないか マルクス史観だとアジアに封建制は存在しないのに無理やり封建制を見出そうとするから意味わからんことになる >>257
唯物史観的な意味でFeudalismが存在しないって意味で言ってるのは理解するけど
封建制がなかったと言われると、モヤモヤする マルクスは毎日ブリティッシュミュージアムに篭もって勉強してたくせに無知すぎるわ ヘーゲルの「歴史哲学講義」を読むといい
当時の欧州人が、アジアをどのように見ていたかが分かる 清朝ともなると、近代国家と言ってよいのではないか
高度な中央集権の統治機構。
高等文官試験で選抜された官僚を全国に配置。
整然と統制され、小銃や重火器で武装した軍隊。
18世紀のブルボン王朝の「絶対王政」を上回っているのではないか
漢や唐とは、比べるほうがどうかしている 清朝では、儒教も宗教色が薄れ、いまの文学部でやってるような文献の考証とかの研究がメインになった
経済的にも、とくに江南はほぼ資本主義経済 唐朝は、国を挙げて易占や加持祈祷に狂奔する呪術文明みたいな社会だった
皇帝は常に地方勢力との闘争に追われて忙しい、事実上の群雄割拠状態。
中世ヨーロッパの「神聖ローマ帝国」と似ている >>254
今のサウジアラビアとか社会制度とか精神性とか中世っぽくない?
絶対王政らしいし宗教最優先だし
まあ絶対王政は中世というか近世だけど >>265
サウジアラビアにしてもイランにしても、あんなに極端な宗教国家になったのは西欧化=近代化に対する反動で、中世はもっとゆるかったけどな 易占否定したら朱子学も成り立たないし
漢方医学も否定されてしまう
儒教から陰陽五行説を抜いたら
ただの毛沢東思想だろう 現実世界には形而上イデアのという裏付けがあって
それを分類してグループ分けしたのが陰陽五行説
儒教道徳はイデア論を基礎にしているんだわ
例えば天は尊く地は卑しく天は父性で地は母性という
イデアがあるから、人間世界の道徳もそれに沿った
ものであれば上手く整うというような感じだ
陰陽五行説こそ儒教の権現なんだわ
毛沢東は唯心論という言葉が大嫌いだった
乱暴な言い方だが毛沢東思想は儒教からイデア論を
抜いたものと言って良いくらいだ
今の中国共産党は変形的儒教国家なんだ 肺の損傷、味覚障害、記憶障害、抜け毛などなど
コロナこええな
>>267
アッバース朝は滅んだけど、イスラム世界は次に大正義オスマン帝国が来るからな 誤字脱字が多すぎたから再投稿
現実世界には形而上イデアというべき裏付けがあって
それを分類してグループ分けしたのが陰陽五行説だ
儒教道徳はイデア論を基礎にしているんだわ
例えば天は尊く地は卑しく天は父性で地は母性という
イデアがあり、それを礼という
人間世界の道徳も礼に沿ったものであれば上手く社会が
整うというような感じだ
陰陽五行説こそ儒教の根源なんだわ
毛沢東は唯心論という言葉が大嫌いだった
乱暴な言い方だが毛沢東思想は儒教からイデア論を抜いた
ものと言って良いくらいだ
今の中国共産党は変形的(欠陥的)儒教国家でしかない スペインやポルトガルは一発屋だったな
貧乏人が宝くじに当たったはいいが、それを使い果たしてまた元の貧乏人に戻ったようなもん スペイン植民地帝国じたいは存続期間3世紀に近いんだけどなあ オスマン帝国も後半のぐだぐだっぷりが目につくが
覇権を握ってた期間は結構長いよな >>272
湾岸産油国も、遠い将来はそう言われるようになるかもしれんな
石油が枯渇するか、代替エネルギーが世界中に広まるかすれば… 原油採掘は斜陽産業だろうなあ。航空燃料とか化学工業の原材料とか需要は残るだろうけど。でかいナウルみたいになったりして。 アラブ人はアッバース朝初期までは無双状態だったけど
その後はトルコ人が台頭してきて支配される側に回ってしまう >>277
ビザンツとサーサーン朝が、互いに死闘を繰り広げて疲弊しきっていたことも
幸いしたよな 千年前の時点で世界の最先端がアラビア人だったのは間違いない
紙と印刷など、いくつかの技術では宋が上回っていたが、全体的にはどう見てもアラブ >>280
信用経済とか家内制手工業の発達、都市における消費文化の成立等、宋の時代だと、分裂してパワーダウンしてるアラブ社会より宋の方が優位な感があるが
これが比較対象が唐ならアラブ優位なのは確実 アッバース朝の交易商が記した「中国とインドの諸情報」では中国人ほど技芸が優れた民族は存在しないと
評価されているのでそれはないな
まぁこれは中国では唐代末にあたる時代の書物だけど それを言うなら、そもそも預言者マホメット自身が「詩と宗教はアラブ、技術は中国」と言ってたほど、もともと中国の工芸品には定評があった。
これは東アジア人の特質であって、昔も今も変わらない
でも、科学・哲学・芸術の水準が違う。
文化は中国が一方的に影響を受ける一方通行 イスラーム美術がどれだけ中国美術の影響を受けたのか知らないのか >>284
それはモンゴル帝国期の話
いま話してるのとは時代が違う イスラム教では偶像崇拝を厳しく禁止したため、絵画や彫刻が衰退してしまった
そこに、モンゴル帝国が連れてきた中国人の絵師が大きなインパクトをもたらし、細密画が成立した 紙、絹、陶磁器、羅針盤、火薬、科挙、ジャンク船はワールドワイドで影響を与えてるけど
あと封駁制って立憲君主制の走りだよね >>285
アッバース朝時代のイスラム陶器が何で唐三彩とソックリなのかしってる? >>274
オスマン帝国のピークは16世紀のスレイマン大帝の頃と言われているが、17世紀もまだ十分に大国
18世紀の初頭にピョートル大帝が登場してから、ロシア帝国に押され始めた >>254
例えば、今のUAEがちょうどそういう状況に近いんじゃないかな
「幕藩体制が残存した状況の日本が現代世界に存在した場合」の想定に近いともいえるかも
或いは、「幕藩体制が残存した状況で現代世界に存在する日本」そのものの想定ならば、
例えば漫画の「銀魂」の作中世界の日本が、時代設定はやや早いけどそうであるかもね >>292
マレーシアは全国的・実質的には連邦政府の内閣が取り仕切ってる感じで、
州ごとの殿様の輪番代表としての国王が連邦を直接的に取り仕切ってる状況ではないね
UAEの場合だと、アブダビ首長ナヒヤーン家当主が連邦大統領、ドバイ首長マクトゥーム家当主が連邦首相を世襲してる
幕府将軍家と、老中輩出の家門あるいは執権得宗家といった感じだ 中国人は技芸に優れてはいるが彼らは機械を作るのが苦手だった
機械こそヨーロッパ世界の特産品
イスラム世界はどちらも作れなかった アラビア人は本当に商業民族だからな
ロシアからミサイルの設計図がエジプトに流出したときも、アラビア人には組み立てられず、北朝鮮が実用化した
工場や発電所を建てるときも、カネだけだして丸投げするのを好む。
中国や韓国みたいに先進国の技術をコピーしようとしないから安心とも言えるが サラセンの製鉄技術は良かったと思う
中世から近世に至るまで、ヨーロッパに輸出してたからね
刀身なんかは、アラビアン文字の刻印付きをそのまま使ってるのも良い >>295
イスラム帝国でも滅ぼした旧ササン朝のペルシャ人官僚が活躍したそうだ ギリシャ=ペルシャ
ローマ=アラブ
ゲルマン=トルコ
ポジション的にこんな感じがする >>298
行政官僚もアラビア人は不得手で、ペルシャ人なしでは帝国を運営できなかった
優秀な文官を輩出するということは、それだけペルシャ人の文化教養水準が高かったことを意味している オスマン帝国はオリエント由来のアジア的専制国家の集大成って感じがする 近世のアジア的大帝国、オスマン朝、サファヴィ朝、ムガール朝、清王朝、これらは政治的経済的には反映していたけれども、学問水準では西洋世界よりも圧倒的後進国で、産業革命の後に植民地化されるのは当然の危うい繁栄でしかなかった 日本は寺子屋のおかげで識字率がクッソ高かった
普通に日本の庶民が本を読んでるのを見たイギリス人は「この国を植民地にするのは無理だな」と悟ったようだ
極東という場所のおかげで時間的余裕があったのも幸いした 17世紀だと、まだ西欧もそこまで凄くない
「圧倒的後進国」は言いすぎじゃないかな
18世紀のニュートン力学だの蒸気機関だのが出てきた時点では、もうどうにもならない差がついてるけど >>304
ロシアは産業革命や資本主義を消化しきれず革命であぼーん マルクスは資本主義が成熟し、共産主義が生まれると言ったが、
実際に共産革命が起きたのはロシア、中国、カンボジアなど資本主義が未発達の国ばかりだった
貧しい国ほど共産主義というカルト宗教にハマりやすい もっとも、オスマン帝国は15世紀のコンスタンティノープル攻略でもハンガリー人に大砲の製作を丸投げしてるから、すでに機械ではかなわなかったのだろう
こればっかりは欧州人と中近東人の国民性の違いだ やっぱ康熙帝すげえな
三藩の乱、ロシアとの戦争、ジュンガル征伐
ほぼ同時期に起こったことを全て上手くやり抜いてる
流石中華史上最高の名君 >>309
明もポルトガル人から鉄砲を買っていた
この時点で武器は遅れていた ボンビーガールに出てた熊本の子
古着屋で働きたいなら別に福岡でよくね?って思ったわ
単に東京に住みたいだけっしょ 明清はイエズス会の宣教師が西洋文化を伝えたのに、結局それを生かせなかったな 16世紀から17世紀にかけて、アジア各地で「無敵といわれた最強の騎馬隊が、鉄砲隊によって壊滅させられた」という、時代の分水嶺となる戦闘が起きた。
それを順番に並べると、
1514年 チャルディラーンの戦い
オスマン帝国の鉄砲隊により、サファヴィー朝イスマイル1世の無敵騎馬軍団が壊滅
1526年 パーニーパットの戦い
ムガール帝国バーブルの鉄砲隊により、北インドを支配するロディー朝の騎馬軍団が壊滅
1575年 長篠の戦い
織田信長の鉄砲隊により、武田勝頼の騎馬軍団が壊滅
1626年 寧遠城の戦い
明の袁崇煥の鉄砲隊により、後金ヌルハチの騎馬軍団が壊滅 この4つの戦いのうち、鉄砲を国産化していたのは日本の織田信長だけ
あとは全部、ヨーロッパから輸入した鉄砲 鉄砲の発祥地である欧州では、こういう象徴的な戦闘がない
「無敵騎馬軍団」というようなものが欧州にはなかった >>316
欧州こそ、ほとんど世界最強の突撃騎兵集団運用してた国があったわけだが
ポーランドって言うんだけどな 英仏百年戦争がフランスの勝利に
終わったのは鉄砲のおかげ
イギリスの長弓は鉄砲に負けた なお、WW2序盤でもドイツの補給部隊相手に無双していたらしい<ポーランド騎兵
騎兵以外が動員完了前に粉砕されたから戦争は負けたけどね
ポーランド騎兵がドイツの戦車に突撃したってのは、今は完全に否定されてる
非整地では、車両より機動力が上だったそうな >>318
鉄砲?
百年戦争終盤のフランスの勝利は、騎士軍がようやく指揮に従うようになり、地勢的に騎兵優位な環境で戦えるようになったと言う部分が大きいんだが
実際騎士による突撃で側面から突き崩されて壊滅した英国長弓兵部隊なんてのが出てくる 普通の国なら外敵が侵入してきたら「みんな一致団結して戦おう!」って感じだが
中国の場合だとむしろ外敵すら巻き込んで内紛継続って感じだね 戦争より内戦の方が悲惨
戦争は国と国とのやり取りなんで最終的にはどこかで落としどころを見つけるけど
内戦だと相手が滅びるまで戦い続けるからな
相手も相手で死に物狂いで抵抗するからなかなか終わらない >>315
別に国産化しなくても、外国から買えばいいという考え方だったんじゃね? >>315
現代の自衛隊も装備のほとんどは国産、あるいはライセンス国産だからなぁ
小銃から戦車、艦艇、航空機、ほとんどは日本国内で生産されてる
ステルス戦闘機やイージス艦のように、日本の技術水準では開発できないような世界最先端の装備だけは、アメリカからの輸入に頼ってるけども
やはり国民性なのかな? クレタ人投石兵やヌミディア人騎兵を雇い入れるような感覚で「フランク人石火矢兵」を雇い入れただけかも
前近代ではなんらかの特殊技能をエスニシティと結びつけて考える傾向があるよね。日本だって酒屋→三河、薬売り→富山みたいなパターンがあったり。 >>323
そう、中国人やインド人、アラビア人ならそう考える 東ローマ帝国が、ユスティニアヌス1世の時代にフランク王国を滅ぼしていたら、
西欧の歴史は変わっていたんだろうか? 中世西欧の歴史はフランク王国とカトリックが主体で
フランク王国無かったらカトリックも勢力伸ばせなかったし
東ローマ帝国がと言うならカトリックも潰されてただろうから
両方潰れたらそりゃ歴史は天地がひっくり返るぐらい大きく変わる 歴史のifは、大きすぎると意味がない
「もしもイスラム教が出てこなかったら」とかそういうのは歴史が変わりすぎて想定不能なので無意味 >>329
東ゴート王国を滅ぼす為にバルカンを捨てたけど
フランク王国を滅ぼす為にはオリエントも捨てねば
セレウコス1世がマウリヤ朝から象兵と引き換えに
インダス河流域を譲って西方で戦ったように
ユスティニアヌス1世もホスロー1世に兵力提供と
引き換えにオリエントを譲ればフランク王国も
滅ぼす事が出来たかもしれない
要するに逆コンスタンティヌス1世になるわけだ
コンスタンティヌス1世は元々ガリア皇帝だった 東ローマ末期になると当のギリシア人たちが皇帝の直接支配下に入るのを嫌がって自分らの領主に外人を迎えてたとかいうオチじゃないかと思ったわ
オスマン帝国の下でギリシア人は帝国内の軍や経済を動かして大活躍してたのだから東ローマでも出来ないわけなかったはずでコンスタンチノープルの政府がもう自民族からも見捨てられてたんじゃないのかな >>320
>百年戦争終盤のフランスの勝利は、騎士軍がようやく指揮に従うようになり、地勢的に騎兵優位な環境で戦えるようになったと言う
全然違う
傭兵の常備軍化が進んだから
15世紀といえば日本の武士が現役バリバリの頃だが西欧だとすでに傭兵任せで戦場にはまったく出てこない騎士階級も珍しくなくなっていた >>334
全然違うって……
英仏百年戦争末期のフランス軍の構成は、まだ騎士軍主体だぞ
傭兵はジェノヴァ弩兵がいたけど、まだスイス傭兵は出てきていない
シャルル5世の常備軍のことを念頭に置いているんだろうけど、あれは王家が自由に使える戦力として貴重なのであって、主力が傭兵になるのはもうちょっと後、イタリア戦争の頃からだ
例えばパテーの戦いで、リッシュモン麾下のラ・イルが行った伏兵のイングランド弓兵隊に対する突撃による大勝なんかが好例
なお、イタリア戦争からは、フランス軍の主力は騎士からスイス傭兵による歩兵中心に切り替わることになる 何故百年戦争でフランス軍が封建騎士に傭兵主体にシフトしたかと言うと
当時のフランス騎士の軍役は年間40日に限定されていて下手したら戦場に着く前に軍役終了
それでもちゃんと褒賞は支払わないといけないという扱いずらい集団だったから
15世紀にはドイツ、イギリスでも騎士階級の多くは実際に戦場に赴くということは
ほとんどなくなっていて法務官、行政官といった文官かもしくは地主として生活していた
ドイツ農民戦争では人生で初めて武器を手に取ったという騎士も多く反って傭兵経験者が多い
農民にあっさりやられたりしている >>144日本が獣肉が廃れた理由に他国にもっと高温多湿があろうと無関係 基本的に大都市では都心に貧困層が集まり、郊外に富裕層が逃げていくのが世界標準
日本だと大阪はその典型らしい
逆に東京は南青山、赤坂、麻布など都心に高級住宅街が形成される
近年は成城や田園調布など都心から離れた高級住宅街の没落が著しい
名古屋だと名駅や栄、その間にある伏見のマンションに成金やプチセレブな独身が住んで
金持ちファミリー層は白壁、八事、覚王山、星ヶ丘など都心からちょっと離れた高級住宅街に住む感じ >>336
階級としての騎士と実際に戦場で戦う騎士はイコールじゃないのね。
前者の中には"武"を担ってる後者だけでなく、法官・学者・聖職者といった
"文"を担う人も含まれてるのか >>338
大阪も西船場がそんな街になってるで
阪神間の富裕層が帰って来つつある >>339
一種の資格と思った方が分かりやすいよ
騎士の位であっても貴族の位を持ってなかったり
貴族でも騎士の位を持ってたり、持ってなかったりと 中世ドイツではパン屋さんは騎士階級が多かった
所領から取り立てた小麦粉で作ったパンやお菓子を売って生計を立てていたとか 嬴政、劉邦、劉秀、楊堅、李世民、趙匡胤、朱元璋、愛新覚羅玄Y、毛沢東
中華史上最高の皇帝は誰なの? 王莽「・・・」
司馬炎「・・・」
則天武后「・・・」
李自成「・・・」
袁世凱「・・・」 >>342
パン屋だけでなくビール醸造所も運営してそう ビール作りは女の仕事。法で決まってた地域さえある。 帝国末期の軍隊なんだが、フン族とかの影響もあって、
騎兵主体なんだろ?共和制期の歩兵主体から騎兵主体って、
どのような変遷があったんだろうね? >>346
「毛沢東の私生活」読むと本当に中国王朝ドラマの世界なんだよな
毛沢東の人物像も「史記」の劉邦そのままって感じで革命家と言うより皇帝 ローマ皇帝のことを皇帝呼ばわりする用法が通用する限り、
中共のトップが皇帝と称されても違和感はないかな >>353
1世紀辺りからのサルマート傭兵の使用辺りから変化してます
彼らとの戦いから、騎兵の重要性を知ったと思われます
スパタもサルマート式へ徐々にと変化していったことからも、彼らとの接触がキーポイントかと ビールは各家庭で作られてたし、酒場兼宿屋でも作ってるよね。
文献学者トールキンの指輪物語のビールの描写が一番近い。粉挽き屋が憎まれるのも。 世界で一番古い職業が娼婦、二番目に古い職業が傭兵だっけか 日本からすれば在日米軍は世界最強の傭兵だな
ただ維持費がバカ高いけど >>359
猟師・漁師はもっと古いやろ
狩猟採集時代はまずそれで生活してたんやから >>361
それくってただけやん
共同体に持ち帰って仲間と分け合うなら違う >>359
原始はほとんど乱交だった可能性があるから、娼婦の登場はいくつかの職業が発生した後だろう >>362
傭兵だとしても日本が出してる経費は安いと思うぞ 米軍から基地使用料を取り立ててる国もあるのに、基地ただで貸しておまけに思いやり予算までつけてそれが「安い!」ってちょっと奴隷根性が過ぎやしないか? >>365
違うな
結婚というものができたのが後
それ以前は売買春が繁殖方法だった 売春といっても行為を買うだけじゃなく、避妊もないからそれで子供を作らせる
そういうのも含めて売春
女は体を売って、その日の食べ物を稼ぐ
子供ができたら、共同体全体で養う
今の人類みても痕跡があるのがわかるはず >>368
類人猿が既に"つがい"を形成していて、ホモ・サピエンスも古生物学的な研究で同様であった可能性が高いとされている
婚姻はともかく、売買春や集団婚が原始的な姿だったかと言われると、現状の研究成果からは「ノー」だ
ただし、貨幣経済以前に、取引による性行為(売買春の祖型)は行われていた形跡はある >>367
平和国家なんだから仕方ない
割り切りがカンジンだ 暗黒の中世、って方がメインでローマ帝国はむしろスレ違いじゃないかとも思うけど 東ローマ帝国や神聖ローマ帝国も含めるなら余裕で中世 >>370
>売買春や集団婚が原始的な姿だったかと言われると、現状の研究成果からは「ノー」だ
人類学的には売買婚はもっとも原初的な婚姻形態と言われているし生物学的には霊長類の多くは乱婚ですけど?
ヘロドトスの歴史やストラボンの地理誌見ると「夫や妻を共有する風習を持つ民族」がこれでもかと列挙されているぞ その場合の「売買婚」って、婚資を支払うことで固定的なツガイを形成するような婚姻形態を言うんじゃないの?
性行為だけ切り離して売買の対象とすることとはちょっと違うんでは。 ヘロドトス先生は面白そうな話はなんでも収録して「信じるも八卦、信じないも八卦」の人だし 室町時代の日本の庶民の歌集である「閑吟集」にも一人の女のもとに複数の夫が通ってくるのを唄った歌が載ってるよね
妻のもとに通ったらすでに先客がいたので別の妻のもとに行く男の歌もある 現在、ヨーロッパに世襲制の君主が存在する国は以下の通り。
ノルウェー、スウェーデン、デンマーク、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、イギリス、スペイン、リヒテンシュタイン。
親戚を7親等以内だとすれば、いずれの国もどこかの国の王室とつながっている。 そろそろイスラム教徒の王様出てこんのかな。ポリコレ教の人は王族やめたみたいだけと >>381
司馬遷先生もそんなとこあるよな
もっとも嘘っぽいとか感想つけてくれてるから助かる 司馬遼はヘロドトスのスタイル真似てるだろ
本筋より余談の方が面白いという 司馬遼は史実かどうかを恣意的に判断してる事でだいぶ人を怒らせている >>391
小説家でエッセイストを自覚して自称してる人に研究者視点で批判する方が間違ってると思うが
あれは読み手のリテラシーの問題だろ 小説家は嘘書いてもいいけどエッセイストはいかんやろ。司馬遼の「余談」は小説に紛れ込んだエッセイ部分。 >>394
エッセイなんて、個人の雑感を文章化したものだろ
研究家でもなんでもないんだぞ >>396
雑感は自由だけど、事実に関しては虚偽を述べたらいかんだろ。
エッセイストが「マックのハンバーガーは不味い」と書くのは勝手だけど、「マックのハンバーガーはネズミ肉で作ってる」と書いたらアウト。 >>397
その通りだけど、司馬遼太郎がその手の「捏造」をエッセイでやったって記憶にないぞ
根拠が薄弱な俗説やら、言い伝えやらを採用してるだけでな
歴史には、明確な「事実」なんてほぼ存在しないって忘れてない?
あるのは有力な学説と、その根拠となる一次、二次史料だけだぞ 創造はデマとは違うが、事実に関わる叙述でも一定の想像や虚偽は容認されてるだろ。 >>399
専門外の人間が特定の専門分野に関わる言明をするなら、専門知に敬意を払えよ、と思う。 司馬遷に私淑したというのなら、なぜペンネームを司馬遷太郎にしなかったの? 親父の独り言をわざわざ出版したコンモドゥスに言って下さい レーニンの「哲学ノート」なんかもそうだけど、近代の偉人になると個人的な覚書や落書きまで活字化して出版されちゃうしなあ。
俺の「どら焼き、発泡酒、太田胃散」と書いたメモも100年後には「買い物ノート」として出版されちゃうのかな。。。 21世紀初頭に居たとされるコドオジの実態を示す貴重な文献だな >>404
責任転嫁も何も小説やエッセイに何期待してんだよ、と
論文じゃねえぞ >>390
司馬遼が偉人に仕立て上げた坂本龍馬なんかまさにそれや
龍馬なんか歴史の本筋からそれた余談でしかない人物や
「明治維新の影でこんなこともあったよ」ていう程度の余談 >>403
「司馬遷先生には遼かに及ばぬ」ていう謙譲ペンネームや
「遼」は「はるかに」と読む 石虎の治世は石虎自身の暴虐非道な性格を反映して、乱世である五胡十六国時代の中でも最も非道がまかり通った時代と評されている。
中でも次々に大宮殿を造営したり、統治下の漢人から馬、美女、物資などありとあらゆるものを徴発し続けた結果、漢人の10人に7人が破産し、
妻を取られて自殺する者も後を絶たなかったという。
ヴァンダル王国が可愛く見えてくるわ ヘロドトスは聞いた話をそのまんま書き残すスタイルなので同時代の風習や風俗史としての価値が高いが
司馬遷は英雄史観主義者で一般庶民はまったく眼中にないので秦漢代の庶民ですらどういった暮らししてたのかさっぱりわからない 東西ゴート王国も東ローマやウマイヤ朝が侵攻してこなければそのまま続いていただろう
ゲルマン系の諸国家で唯一生き残ったのがフランク王国 フランスはフランクの、スペイン・ポルトガルは西ゴートの流れを汲んでるけど
イギリスはローマ軍撤退後、イタリアは東ゴート滅亡後に文明崩壊して小国分裂状態になって
アイデンティティが一度消滅してる フランクにしてもゴートにしても、ローマとしての文化やアイデンティティを少なからず保持してるよね ゲルマン人「ウホウホウホ」
ローマ人「蛮族め・・・」
↓
ゲルマン人「ラテン語勉強するウホ。カトリックに改宗するウホ」
ローマ人「金!暴力!セックス!」
↓
フランク人「合体したウホ!フランク人ウホ!!!」
↓
フランス人「ボンジュール」 元々フランク族はローマ帝国と同盟組んでたし、
大移動以前にかなりの数が農民や兵士として帝国内に定住していたからな フランク人ってゲルマンとガロロマンの寄せ集まりってどっかのスレで見た事
あるけどフランク語にはラテン系言語の語彙がどんくらい入ってきたんだろうな 縄文はジェノサイドされてしまった
日本語と琉球語の方言はどれも弥生時代までしか辿れない
これは日本語は縄文語の子孫ではなく縄文アイヌは恐ろしいジェノサイドにあい断種された事を示している
日本人の血の源流は半島起源 >>427
逆
ガロロマン人が感化されてラテン語が段々崩れていった(俗ラテン語)
それがロマンス諸語の起源になり現代の西欧諸国の語源となってる >>429
沿海州にも半島くらいあるやん
ウラジオストクも半島やがな >>430
歴史的に言うと、1世紀からラテン語はどの地域においても崩れて発音が変化(俗ラテン語への変化)
フランク語は北部ガリアで、俗ラテン語に影響を与え、特に飲食に関する面での浸透が強い
一方南部ガリアは、現在でも北部と方言差異が大きい様に、フランク語の影響を受けず、アラビア語の影響を多少受けたのみ(中世後期以降は、イタリア各種方言の影響もあり) ゲリメルは下痢Pだったから東ローマ帝国に負けた
体調管理はしっかりとね >>418
> 秦漢代の庶民ですらどういった暮らししてたのかさっぱりわからない
農村の庶民は竪穴式住居に住んでる原始人
都市民しか眼中にないのは当たり前 漢代は前漢と後漢で農村の生活は一変してる
前漢初期にはたしかに竪穴式住居やら高床式倉庫やらが普通に存在する社会だったが、後漢初期には大規模な灌漑、鉄器の普及による農地の大型化、それに伴う生活水準の向上があった
後漢末期は、魏晋南北朝に連なる農村の文明化がほぼ完成した時期になる ウェルギリウスの時代でもう既に古典ラテン語と俗ラテン語はかなり分かれていたんじゃないの? >>431
原始人は山を超えられないから
ウラジオストク側と朝鮮側では文化が違う >>438
スターリンが中央アジアに追放するまでは沿海州にも朝鮮族は住んでたぞ そりゃだいぶ後だろ
3世紀あたりのころは山の東西で民族ちがってた その頃か
それだと、韓国語の祖語にあたる言語を話していた集団はもっとずっと南方にしかいなかっただろうな。 漢代の竪穴式住居と言っても壁はレンガ造りで江戸時代の町人や百姓の住居よりもよほど高度 森ヲチオサ遺跡で見つかった渡来人の竪穴式住居
https://www.gensetsu.com/20150801mori/images/20150801mori38.jpg
大きさは13m四方で漆喰塗りの大壁建物
オンドルが据え付けられておりこれだけの建築物は日本では明治に入るまで見られない https://img.giftmall.co.jp/o/451b/6154/451b6154-6fe9-4b02-a101-47589012554d.jpg
オスマン帝国の連中ってこういうのと白兵戦でやりあった場合
どうやって倒してたんだろう?
チェーンメイルと違って槍による刺突やメイスによる打撃も効かないだろうし 簡単に転ぶし起き上がりにくい投網等で無力化させておけばどうとでもなる
その頃はもう大砲や鉄砲も主流なので動き遅く可動性悪いフルアーマーはそんな脅威にもならなかった 北欧とかデンマークみたいな寒冷地だと15世紀でも竪穴式住居がバリバリ現役だった
といっても2階や3階建てが普通で日本で平安時代まで使われていた竪穴式住居とは違って上部構造も立派 だから平安時代は今より温暖だから開放構造の宸殿造りだったんたよスレ違いの池沼 同じ竪穴住居でも北欧とジャップのでこのデザインセンスの劣等さはなんなのと違和感を感じる 寒冷期の室町や江戸時代でも防寒対策はかなりしょぼくて囲炉裏しかなかったからな
古墳時代にはオンドルとかと入れてたらしいがすぐに廃れてしまった >>445
そもそもこの様な高価なフルプレートは、極一部の高位の貴族層しか着用してない
ロードスでの戦いにおいても、貧乏騎士ばかりだったので、古いプレートメールを借りて着ていた ジャップは暖房の発想のない民族だよな
外国の友人を東京に呼んだときに家の中が寒くて驚いてた
みな部屋の中で厚着してるけど家にスチーム付ける発想ないのか馬鹿なのかと言ってた
家のセンスは壊滅的にボロいし街並みも汚いし典型的アジア的都市な感じだよな そんな民族に植民地にされ娘を慰安婦に差し出した国があるらしい >>445
こんなん槍で突いたら倒れて動けんようになるわ >>446
フルプレートだと火縄銃程度じゃまだ貫通出来んぞ
博物館にある甲冑とかにも試し打ちの跡があるね あれは甲冑の性能アピールのために火薬減らして撃った、詐欺商法だみたいな説もあるな。 ものにもよるんだろうが、竪穴式住居の実寸復元を見ると壁と屋根の隙間が大きい。塞いでくれないと寒い。 日本では、「夏の暑さをどうやって凌ぐか」を最優先せざるを得ない
冬は厚着したり、何か燃やしたりして過ごす
北欧と比べるなど、まったくバカげている 家の周囲に風の通り抜ける空間を確保しないと機能しないんよ。家・庭・畑・田とあるなら風が抜ける。景観も悪くない。
農地住居を都市住居にしてしまったのが良くないんだろうな。
ヨーロッパのあの街並みは城壁に依存してるところがありそう。 「ヨーロッパのあの街並」なんて言われても
木造建築の北半分と石造建築の南半分は全然街並違うがな >>459平安時代の京都の冬は鴨川の水が涸れる程度。寒けりゃ十二単 >>455
初期の火縄銃でも口径が大きく火薬も大量に装填してたので、ライフリングがなく球形弾なので弾道が安定ぢないものの、
有効射程内での弾丸の持つ慣性質量のエネルギーは現代の357マグナム弾と同等だぞ。 まあ近代のライフルの威力からするとさほどでもないな チョン助「蒙古や女真などの夷狄ですら中華の主になったのに、小中華たるウリナラは千年属国・・・なぜニダ?」 そもそも兀良哈は李王朝に朝貢していた
広い意味で朝鮮の属民だったわけで丙子胡乱も一種のコンプレックスによる反発という側面があったのかもしれない
その満州人が中国を支配したのだから歴史は面白い 文禄の役で朝鮮半島を征服しても次の山海関は抜けないだろうね
オランカイから明へ侵入するルートも清正の報告を見ると無理っぽいし 袁崇煥とスティリコの人生がマジで被るな
そして棚ぼたラッキーのドルゴンとアラリック 西ゴート最後の王も味方に裏切られて戦死してるしなんか因果を感じるぜ 西ゴート最後の王を裏切ったのは
ユスティニアヌス1世が派遣した東ローマ軍の子孫と
アレキサンドリアからスペインに移住したユダヤ人 日本は敗北、明は国力消耗、朝鮮は荒廃
勝利者のいない戦い
漁夫の利を得たのはヌルハチ >>467
高句麗が生き残るには突厥と同盟を組んで唐に攻め入るしかなかった フランクとビザンツの領土を合わせてもまだローマ帝国には届かないという テオドシウス1世の頃には西ゴート族もユダヤ人も東ローマ領にいた
キリスト教をローマの国教にした時にユダヤ人はエジプトから追放された 李氏朝鮮と戦って敗北し臣従した女真族の酋長に猛哥帖木耳ってのがいるのだが
その子の董山の代に再び女真の地に戻ることを許され石報奇→福満→覚昌安→塔克世へと続き
この塔克世の子供にヌルハチがいる 暴君の代表みたいに言われるネロだが、ローマ皇帝だけ見てもネロよりヤバいのいっぱいいるやん ヨーロッパの中世はこの世への関心を忘れるとどうなるかという歴史的実験場だったな >>484
あんなに評判が悪いのは、キリスト教を迫害したせい ネロ:キリスト教を弾圧したからキリスト教徒によって暴君の代表にされてしまう
始皇帝:儒教を弾圧したから儒者によって暴君の代表にされてしまう
こんな例は他にもあるやろ >>482
467のようなネトウヨへの反撃に決まってんだろ
チ◯ンなどと馬鹿にしているが満州人は朝鮮国の属民だったわけさ ヴァンダル族に荒らされたローマ人の気持ちがわかってお得じゃん フランク王国はカール大帝の死後分裂してしまったけど、
兄弟相続の習慣だけではなく、当時の技術では分割しなければ
うまく統治できなかった、という事情もあるんじゃないかな 国は国民の為の物ではなく統治者の所有物
所有物なので家族に分け与えるのが当然と言う概念
カール大帝の死後に分裂と言ってるがカール大帝自身弟と2分割されてた
弟が早世したので若い内から全領土引き継いでただけ >>497
>国は国民の為の物ではなく統治者の所有物
サウジアラビアは名前からしてサウド家の私有地やね 国民国家の概念はヴェストファーレン条約による神聖ローマ帝国解体から >>499
それ、国民国家ではなく近代主権国家の概念では? 国民と国家が明確に定義された事がヴェストファーレン条約の意義 ローマ時代の貴族は行政官であり、教養を備えているのが特徴だったが、
メロヴィング朝時代になると、貴族は単なる戦士になった
やはり文明は後退している ヴェストファーレン大勢の頃は、まだ国民の定義って流動的で
だからこそバイエルン人がプロイセン軍人になったり、スウェーデン人がフランス宮廷の要職についたりしていたわけだけど もちろん国民国家の完成は君主に代わって国民が主権者たり得る市民革命を経る必要はある >>502
「騎士のくせに文字が読めるのは軟弱でダサい」
みたいな価値観もあったな 平安鎌倉頃なら日本の武士も山賊同然の荒くれ者で無教養だったのは同じ
それでもたまに居る教養ある者は尊敬された >>506
でも、上級貴族で文盲だと馬鹿にされるジレンマ
ってか、どうやってバランス取ったたんだろうか 西欧人が、ビザンツ皇帝のことを、
「野外で過ごしたことも大盾の上で眠ったこともなく、煤で汚れた兜に耐えたことも
なければ不潔な胸甲に我慢したこともなく……アレスの脅威に立ち向かったことも、
投げ槍の大音響に耳を聾されたことも、いまだかつて一度もなかった」
と馬鹿にしていたっけ 鎌倉武士は法的文書を自分で作成するくらいの識字力はあった。中世ヨーロッパの騎士は作成はおろか読むこともできなかったのが普通だから、さすがにレベルが違う。
>>508
上級貴族どころか王や皇帝でも文盲だった人は多い。カール大帝も文盲だったけど、戦士や征服者としてのみならず、学芸の庇護者としても尊敬されていた。 あと鎌倉武士でもちょっと有力なやつらは国衙で行政官僚として勤務もしていたわけで、文書行政の担い手が務まるだけの教養は普通にあった。
源氏物語に出てくる地方武士も「香を焚きしめた紙に和歌を書いて贈ってきて、田舎者のくせに都人気取りでキモい」みたいな描写だし。 >>510
ああ、すまん
上級貴族で文盲が馬鹿にされるようになったのフランク崩壊以降、カペー朝が成立した頃以降の話 >>506
あれですかね
「文章(しかも当時の欧州ではラテン語やギリシア語)なんて部屋ん中いすわって読むような暇あったら、武芸の稽古しろ」
ってことかなと
或る意味、「体育会系価値観」の極みに近いかも
しかし、現代社会では漫画本とかテレビ娯楽番組とかの場合も、「識字」は大前提
字が読めないと台詞やテロップも分からないし、
どれほど勉強嫌いで腕っぷし第一の不良グループとかでも、そうしたメディアからの内容を目にするとき皆しっかり字を読んでる キリスト教美術というのは、もともと文字が読めない人のために
制作されたものなんだよな
日本人がフィレンツェのウフィツィ美術館に観光に行くと、
『プリマヴェーラ』や『ヴィーナスの誕生』を熱心に見ている人が多いけど、
実際は宗教画のほうが市民にはなじみ深いものだった 教会の聖堂のモザイク画が聖書の場面を視覚的に説明するためのものっていう事例はよくありますね それから、聖堂内の絵っていえば、「十字架の道行き」もまさにそうですね 教えを絵画で表現したものだから偶像崇拝では無いという論理
それいうと仏像も象徴主義を駆使して教えを表現しているから偶像崇拝ではないんだよな 「イコンは画像そのものを崇敬してるんじゃなくて崇敬の対象を想起させるだけだから、偶像崇拝じゃないもん!」 偶像崇拝は牛の像とか作って崇めてた時のことでしょ? 「全知全能の創造神」というのは例えば「万有引力の法則」とか「質量保存の法則」みたいな、宇宙のすべての物質が従わざるを得ない法則のような存在だから、絵の具とか石なんかで表現出来るはずないだろ、という思想だと思う。 芸術は言葉を超えており表現できないものはないという思想と、芸術では表現できないものがあるという思想の違いなのかね というか、世界の法則それ自体を創始したのも神だ、というのがヘブライズム的一神教の神観ね それを一旦父なる神と身近なものにしたのがキリスト教 >>521
あらゆるものを書いてはいけないって書かれてる
牛とかだと思いこんで、結局十字架とかに祈ったりしてるからな >>520
イスラム教に於いても、絵画の位置付けは宗派や地域によっていろいろ
例えば、シーア派地域だと、著名な導師の肖像画が描かれることがよくある
また例えば、社会全体で宗教的戒律が非常に緩いアルバニアあたりだと、
それこそイスラム教徒家族が住む民家の中にイコンが掲げられてることがあったりもする 中世のキリスト教美術について、型にはまっていてつまらないという人もいるが、
イデアはたったひとつの原型であるから、キリストの顔や体がまちまちの個性を
もっていることはその本来の性質を俗っぽいものにするので、きまった形式を
守って描かれた カッパドキアの初期キリスト教遺跡だと魚のマークがキリスト教徒のアイコンだったみたいだな 偶像崇拝か否かなんて、どうでもいいと思うんだけどな
魚なら偶像じゃないとか、十字架なら偶像じゃないとか、言葉尻捕まえて馬鹿みたいだ
象徴的に真理を表したものなら良いというのなら、仏像だっていいだろ まるで違うものをシンボルにするならまだいいんだよ。でも例えば神を「白髪の老人」として描くと、「神ってのは白髪の老人みたいなものなのか」と思うやつが出てくる。それが許せないんだろ。
神を魚で置き換えても「神って🐟なのか」と思うやつはほとんどいない。 人の形してるとダメはイスラム的には正しいんだろうと思う
東ローマのイコノスラスムはそれで始まった
正教やカソリックでは人の形だとアウトというと宗教絵画焼き捨てないといけなくなるからそれは言えないだろうね >>529
漁夫の指輪(聖ペテロの後継者)だからねえ >>534
宇宙を創造した存在が人間型ていくらなんでも無理がありすぎるし
しかし、創世記には「そのとき主がこちらに歩いてきた」なんていう記述があるからな
創世記が出来た時代にはYHWHもまだ素朴な「神様」だったのやろ
後世になってから神学やらなんやらでどんどん絶対的で抽象的な創造主概念になっていった ローマ教皇の着ける漁夫の指輪の画像を見たらPontifex Maximusと彫ってあってワロタ
現代に残る最後のローマの官職だな >>528
よくそんな中からルネサンス絵画が
認められるようになったものだ
ローマ法皇の下で人間の形をしたギリシャ神話の神なんか描いたら火炙りにされそう
親父がルネサンス運動に反対するのは分かる
よりにもよってイタリアからだもんな カトリック教司祭が手に持つ銀の十字架及び香を焚く香爐は偶像礼拝に属するものなり。<アシェル法師>; >>538
それはまさに古代ローマ以来のそれを今も引き継ぎ続けてるってこと
ローマ皇帝というのはすなわち、共和政ローマ以来の種々の高位官職を元老院の決議の下に一手に引き受けてる立場のことだったから、
その官職の一つにポンティフェクス・マクシムス(最高神祇官)も含まれてた
その後、キリスト教がローマの国教になってからの時代に、
ポンティフェクス・マクシムス位を引き継ぐのが皇帝ではなく教皇になったという経緯があったというわけ
それは3世紀頃のことらしい 古代ローマの奴隷制は、ヨーロッパ内陸部では中世末期までに農奴制に
取って代わられていたが、イタリア半島では15世紀まで都市奴隷制として
存続していたのだとか
イベリア半島でも、8世紀のイスラム教徒の支配以来、奴隷制が活発に
展開されていて、しかもこれらの地域では奴隷法がローマ法の原理とともに
実際的に生き続けていた 今でも西欧には移民と称する奴隷制があるけどもな
もちろん昔と違って賃金制だけれども、一般市民からは交友相手や結婚相手として見られることのないアウトカースト
よく欧米は一人当たりGDPが高いというけども、国内総生産を人口で割って算出する時に、実は彼ら無国籍移民の数は含まれていない 中世のイタリア商人は黒海や地中海で奴隷貿易を行っていたし、
キプロス島やクレタ島では砂糖プランテーションの経営も行っていた
このシステムが他のヨーロッパ人によって新大陸に移植される >>543
EUやアメリカだと移民の方が白人の底辺より保護されてて収入も結婚率も高いからヘイト集めてるのだけど
それと人口統計に漏れてるとかまずないねフランスや北欧の出生率が高いのも移民も含めて換算してるからだし
また日本は一人当たりGDPが低いものそうだけど労働者がGDPに似合って収入がもらえてないといことも問題ね
お隣の韓国にすらすでに負けてるからね 「熱心なカトリック」バイデン氏、聖書の書名読めず「炎上」 クリスチャントゥデイ カトリックは自分で聖書読む習慣はあまりないんじゃないか?神父様が読むのを聞いてりゃ良い。 ニュークリアをニュークラーと読んでた小ブッシュも認知症?ポテトの綴りがわからなかったクエールも認知症? >>546
>EUやアメリカだと移民の方が白人の底辺より保護されてて収入も結婚率も高いからヘイト集めてるのだけど
それネトウヨが在日特権云々言ってるのと同じ
勝手なデマ
>それと人口統計に漏れてるとかまずないねフランスや北欧の出生率が高いのも移民も含めて換算してるからだし
不法移民は統計に含まれてない
>また日本は一人当たりGDPが低いものそうだけど労働者がGDPに似合って収入がもらえてないといことも問題ね
>お隣の韓国にすらすでに負けてるからね
オレ経済学の修士だけど反論していい?
嫌儲のデマを信じてるように見えるんだけど >>551
日本の労働分配率が国際水準より低いというのはデマなん? 先進国の公式統計があてにならんというのなら、もっと確度のある数値くらいは提示できるんだよなあ? ローマ時代に「スパルタクスの乱」という事件が起きたが、あの反乱を起こした
奴隷たちも、奴隷制度自体をなくそうとは考えていなかったらしい
自分たちが主人の立場になって、ローマ人を奴隷の身分に落とす、
ということを考えていた スレ主は盛んにスレ違いと難癖付けていて、俺もスレ主から屑と言われたことがあったから、レスさせてもらおう
どうやら富の再分配を求める話題ではスレチと言わないところを見ると、スレ主本人のようだな
それではスレ主に言わせてもらうが、ちゃんと大学出て就職して働いていれば普通の収入はあるはずだろう
なぜ貴様は再分配を求めているのだ?
勉強をしなかったのか?
それともFラン大の院でも出て就職先が無かったのかね?
屑と言ってきたスレ主が、まさか非正規のゴミだったとはな
こりゃ傑作だぜ(草) 5ちゃんでスレ主ってなんぞや
しかも継続してるスレで
どこからきた人たちだよ? 信長・秀吉・家康を全て一人でやった朱元璋こそ真の英雄
卑賤の身からローマ皇帝にまで成り上がったといえばやはりディオクレティアヌス オレ君は経済学の修士様なのにジニ係数の意味も分からないらしい 暗黒の中世とは言うけどいつまでの話なんだろうね?
カールの戴冠はまだまだ暗黒だし、十字軍の時代も色んな意味で真っ黒
やはり本当に光が射すのはルネサンスかな 中世盛期にはもうルネサンスの要素はいろいろ準備されてたし、経済生産とか貿易、治安なんかも改善されてたでしょう。
十字軍で東方の文物がはいってきたことも一つの契機だし。 ドイツ騎士団がヒャッハー過ぎて間違いなくゲルマン人の子孫だというのが分かる
血は争えんな 東地中海域のシドン、アクレ、ティルスなどでは、8世紀頃からムスリムによって
奴隷制砂糖プランテーションが行われていたが、ヨーロッパ人は十字軍をきっかけに
この砂糖生産に強い関心を持ち、パレスチナの十字軍国家でも砂糖生産に乗り出した >>548
カトリックの時代からラテン語で書かれた旧約は読めない
民衆は想像するだけ 旧約の原書はヘブライ語やのに
わざわざラテン訳版を使うのがわからん
原書尊重の立場ならヘブライ語の原書を使うべきやし
分かりやすさ重視の立場なら当地の現代語訳を使うべきや
ラテン訳では原書でもないし、しかも普通の人には読めん
なんの意味があるねん
日本の仏教で使うてる漢訳仏典も同じようなもんやけど >>570
ローマ教会はローマ文化の継承者を自称してるから、必然的にラテン語になるんだよね >>566
ジャンヌ・ダルクがイギリスに処刑されてなければ歴史に名を残す事も
なかったんかね >>573
オルレアンの一件があるから、間違いなく歴史には残ってる
聖女にはなってなかっただろうが ジャンヌ死後、しばらく経ってからの復権裁判にて巷では盛り上がったもののすぐに沈黙
おそらくジャンヌの兄の家系が、その後も王家に仕えていたためではなかろうか… ルネサンスの時代ほどじゃないけど、7世紀にイスラム教徒が旧ビザンツ領を
征服すると、東方から知識人や修道士がイタリアに逃れてきて、ギリシア語の写本が
もたらされた >>574
ジャンヌの処刑でおかしくなったといわれるジル・ド・レイのほうをいってんだと思ふ。 >>579
そうとしか読めん
>>574は斜め読みなんやろ オスマン 16世紀、欧州諸国が束になっても敵わなかった
アメリカ 今現在、全世界が束になっても敵わない トラヤヌスの頃の全盛期ローマ帝国 VS ゲルマン全部族
でガチンコバトルしたらどっちの方が強いの? 目標が定まってる短気決戦ならローマ
明確な目標が定まってなく長期戦になるならいつでもどこからでも沸いて出てくるゲルマン部族 ローマ軍は男の軍人でしか構成されてない
ゲルマン人は老若男女問わず子供ですら刃向かってくる
部族団結してないからそれぞれ違うタイミングで手段選ばず来る
毎晩野営地に違う部族に襲撃でもされたらローマ軍は休む時間すら無く疲弊していく ヴァイキングは野郎ばかりのイメージだが女戦士もいたようだぜ 野蛮で未開で、部族間抗争やローマとの戦いくらいでしか活躍できなかったゲルマン人どもを
統一して文明化したフランク王国ってやっぱ神だわ >>585
ゲリラみたいなもんやな
現代風に言うと 西部開拓期のアメリカにおける騎兵隊VS先住民みたいなもん? >>586
西フランク王から土地もらって移住したヴァイキングにも女戦士がまじってたりして 古代の野蛮人の凶暴さは、現代人の常識を完全に超えている
「集団で狩りをする知能な肉食獣」というイメージ シャチも、集団で狩りをしているときは凶暴かつ知能な脅威だが、普段はイルカと変わらない愛嬌ある生き物 加藤清正vsトラ
アイヌvsヒグマ
マサイ族の戦士vsライオン >>587
何度も既出だが、フランク人は数世紀にわたってローマと交流してるし、ローマ人になった者も多い
半ばローマ化したゲルマン人だよ ゴート族も大移動前からローマとはかなり交流があるね リーメスを越えて人や物資の交流が行われていたことは、
日本では一般に知られていないな >>585
オラウス・マグヌスの「北方民族文化誌」とか読むと16世紀になっても北欧はそんな感じだな
略奪や戦さに加わったり頑丈な子供をガンガン生んでスパルタ教育で強い戦士に育て上げるのが
伝統的な北欧の考える「女らしさ」 スカンジナビアでは、東アジア出身の族長の墓が発見されてます フィンランドやハンガリーはもともとアジア人
トルコも中央アジアからアナトリア半島に移動する過程で
イラン、アラブ、ギリシャ、スラブと混血したから
今ではもうすっかり欧州人風の顔つき >>602
精悍で恐れられたスパルタだが、奢侈に走って堕落したのか スパルタは、政治と軍事以外のほとんど全てを奴隷に任せていたのが仇となった 奴隷とはいえかつてミノア文明を担ったアカイア人だからな 淘汰と選別では根本的な問題解決はできない
ということは歴史が証明しているな アテネでもなく、スパルタでもなく、カルタゴでもなく、
ローマのみが都市国家から領域国家へ、そして世界帝国になれた理由って何? 塩婆「敗者に寛容だったから(ただしカルタゴは除く)」 >>594
ゲルマン蛮族といってもピンキリよ
よくイメージされる北斗のモヒカンみたいな奴から
下級兵士や農民として帝国内へ移住して温厚に暮らしてる奴まで様々 ゲルマン人で一番ヒャッハーしてたのってやっぱヴァンダル?
一番マイルドなのは東ゴート? 中世ヨーロッパの騎士たちも、ゲルマン人に劣らずヒャッハーしていたように思えるんだが
例えば『ガラン・ル・ロレーン』の中では、ベゴン侯は彼が殺したばかりの敵の
はらわたに手を突っ込んで臓物を引きずり出し、こう言いながらギヨーム・ド・
モンクランの顔にそれを投げつけるのである。
「下郎、お前の仲間の心臓だ。煮るなり焼くなり好きなようにしろ」
主人公のガラン自身もギヨーム・ド・ブランカフォールの死体を切り開く。
「彼は心臓と肺と肝臓をつかみだした。戦友のエルノーが傍らから心臓を奪い、
四つに切り刻み、二人はまだピクピク動いている肉片を道の真ん中に
まき散らすのであった」 中世ヨーロッパの8割9割がゲルマン人を祖とする民族じゃん ゲルマン人の大移動とはいうけど
各地のゲルマン人の割合なんて1割から多くても2割くらいっしょ
圧倒的多数のローマ人に埋もれていったよ
華北を支配した女真の金王朝みたいに >>615
ゴート ゴート ゴート×2 ゴートせ〜いや〜く〜♪
・・・はおいといて
ゴートの中でもクリミアゴートは比較的おとなしかったんだっけ でもフランスも元々は喉の奥で巻き舌する民族だったんでしょ 東ゴート王国が存続していれば、イタリアの歴史も
かなり変わっていたんじゃないかと思う
あの時代まではまだ古代ローマの伝統がかなり
保存されていたからな 東ゴート王国が西地中海を統一したかもね
東西ゴート軍でフランク王国から
ロワール河以南を奪回しただろうな
東ゴート王国はバルカン西部も領有していたから
バルカン東部も併合して東ローマが滅んだかも
アナトリアとシリアとエジプトは
ササン朝かアラブに征服されたかも 現在のスペイン貴族って西ゴートの末裔という意識持ってんのかしら イベリア半島ではゴート語由来の単語とかフェルナンドとかアルフォンソといった
ゴート語由来の名前に面影残してるような 東ゴート王国は天変地異とか疫病とか不幸な偶然から滅亡したんじゃなくて、敗戦によって滅亡したんだから、「もし滅亡しなかったら」というifにはあまり意味を感じないな。
東ゴート王国治下でローマ帝国の制度や文物が繁栄したというのも、ゴート族が社会の上層の一部だけをうっすらと支配したに過ぎないことの裏返しでしょ?。 >>624
ロドリーゴ(ロデリクス)という名前もそうだな ゴート戦争で疲弊したイタリアに、東ローマ帝国と同盟関係にあった
ランゴバルド人たちが入り込んだが、各地に敵を抱える東ローマに
さらにランゴバルドを征服するだけの余力はなかった
これ以後、長くイタリアは世界史の舞台での中心的役割を失うことになる インノケンティウス3世
皇帝や国王を破門とか現代から見ても結構やばいのに
況してや中世だと効果は抜群だろうね >>629
皇帝との力関係は常に微妙だけどね
固有の武力があるわけじゃ無いから
フリードリヒ2世にはコテンパンにやられてたりもするし
そのフリードリヒ2世も、その破門の影響に振り回されたりしたけど、皇帝が強ければ主な効用は「嫌がらせ」的な意味しかない時もある 関係悪化で拉致監禁されて憤死した教皇だって居るんですよ! ローマ教皇「ビザンツうぜえ。ランゴバルドうぜえ。どこかに適当な番犬おらんかな」
フランク国王「もっと権威をつけて諸侯を従えたいわ。ザクセンも屈服させたいし」
ローマ教皇・フランク国王「あっ・・・」
出会ってはいけない二人が出会ってしまい、中世は更なる暗黒へ カール大帝の皇帝戴冠を知ったビザンツ側の最初の反応は、
カールがコンスタンティノープルめざして進軍してくるのではないかという
懸念だったとか
(この時期、ビザンツでは皇妃イレーネが君臨していた) 東ローマ帝国と西ローマ帝国はある
北ローマ帝国はないけど神聖ローマ帝国がそれに該当かな
南ローマ帝国はないよな(領域的にはファーティマ朝か) 現代までローマ帝国が残ってたらどうなってたんだろうな
圧倒的権威で皇帝が国連の事務総長歴任とかか? 1453年まで残ってただけでも上出来だわ
やっぱギリシャ・ローマの遺産はすごい
トルコは親日だがローマ帝国にトドメを刺したことだけは許せんな >>638
イスラム教の勢力が今ほどではないというifになるから想定がしづらいな
大航海時代もなかったかもしれないし、新大陸発見ももっと遅れる可能性も高い >>636
中ローマ帝国、本ローマ帝国、武蔵ローマ帝国、ローマ八幡帝国、ローマ上原帝国なども 現代イタリアがローマ帝国みたいな想定でいいでしょ。
退位後に欧州議会議長や国連事務総長はありだと思うが、歴任はなく今と変わらぬ持ち回りだろう。
モナコ並に小さくて経済軍事力皆無な状態なら、歴史的権威を背景に歴任もあり。 「もしロマノフ朝が存続していたら」くらいならまだ妄想の余地もあるけど、「もしローマ帝国が存続していたら」って妄想すらできねーよ 東ローマ帝国が生き残り続けるのはやっぱ無理ゲーだったのかな
飛ぶ鳥を落とす勢いのオスマン帝国が相手じゃ流石に分が悪過ぎたか >>645
オスマン朝がキリスト教徒で帝国内に取り込めればなんとか
すなわち東ローマ帝国オスマン朝 >>645
滅亡当時ですらジェノヴァ、ベネツィアに政治芸術建築経済で数世紀差をつけられてたのに、
大航海時代になったらますます悲惨なことになってたと思う。
伝説のまま滅んで良かったと個人的には思う。 現代に生き残ったローマ帝国と言えば、カトリック教会がそれじゃないの?教皇ー大司教ー司教ー司祭みたいな軍隊的ヒエラルキーとか教会法とか、ローマ帝国の地方統治組織の名残りでしょ。原始教会はもっと単純な信徒自治だったみたいだし。
更に言うなら、ポンティフェクス・マクシムスという教皇の称号も、共和政ローマからローマ皇帝を経て連綿と受け継がれたもの。 むしろビザンツを滅ぼしたのがオスマンで良かったかも
アヤソフィア聖堂も今でも残ってるし >>648
そういう気もするからバチカン市国は避けてモナコだしといた。バチカン強すぎるから国連にもEUにも席は用意出来ない。 もしトルコ人がイスラムよりキリスト教を選んでたら
オスマン朝もローマ皇帝におさまってたやろ メフメト2世はコンスタンティノープル総主教庁からローマ皇帝を名乗るように勧められて
本気で考えていた
結局棄教することはなかったがキリスト教を受容して東ローマを再興していたら
トルコ念願のEU加盟も現実的なものとなっただろう
その前にトルコ人という民族意識が現代まで存続していたか怪しいが >>641
アクスム王国とササン朝のイエメン争奪戦で
イエメンが荒廃しなければイスラム帝国は
アラビア半島統一で完了したかもしれない
その場合は地中海世界はキリスト教のままだな
スペインがイスラムに征服されて宗教戦争にならないから
スペイン人が好戦的にならなくて大航海時代もないはず
東ローマ帝国が地中海を再統一する事もあっただろう
フランスからラングドックを奪う事ぐらいは出来たはず >>652
>結局棄教することはなかったがキリスト教を受容して東ローマを再興していたら
>トルコ念願のEU加盟も現実的なものとなっただろう
そんな架空世界でEUとか IFを考える人はそのIFによって何もかも全て変ってまうていうことを忘れるもんやな ローマ後継を自称するロシアとトルコとの関係が相容れないものになるのか、
それとも正教つながりで東ヨーロッパ圏の確立が半世紀ほど早まるのか
場合によっちゃバルカン問題も起きないかも マジャール人が原住地から移動しなければ
ロシア帝国ではなくてマジャール帝国が存在したかも
パンノニアはスラブ人の国になっていただろう トルコ人がキリスト教徒になるわけないじゃんか
何百年もペルシャ文明の影響を受けて文明化されてきたのに トルコ共和国にいるトルコ人はイスラム教とトルコ語を受容した東ローマの遺民ってのが実態だけど
テュルク系民族に共通して見られるYハプロC2がほとんど見られずハプロ構成がギリシャ人とほぼ一緒 ifはない
イスラムに滅ぼされることでダニエル書の予言が成就するのだから トルコ人=トルコ化イスラム化した東ローマの遺民
ギリシャ人=スラブ人と混血した東ローマの遺民 オスマン帝国は実質的に、トルコ人に支配されたギリシャ 17世紀のオスマン帝国は、ギリシャ数千年の歴史の中でも繁栄の頂点 キリスト教化する前のギリシア人とイスラム化した後のギリシア人(トルコ人)は優秀なのに、今のキリスト教徒のギリシア人はあのありさま。原因は一体・・
あ! そもそもトルコ建国の父ケマルパシャが、なんとかオスマン色を消そうと必死だったからな
オスマン帝国の公用語は「オスマン語」と呼ばれ、「トルコ語」とは別の言語とされている >>668
アラビア語やペルシア語からの借用語だらけやからな
でもそれ言うたら今のトルコ語も借用語だらけは変らんし
日本語かて漢語と西洋語だらけや 日本語を純粋化したら、日本語という単語すら駄目になる 日本語の語彙は漢語由来のものなくすと成立しない程度には影響受けてるからね
フランス語におけるラテン語、現代英語におけるフランス語程度には強い影響下 フランス語のラテン語って、
フランス語はラテン語が元なんだが… 日本語の場合は、「中国語に由来する単語をなくせ」と主張する人がほぼ皆無
「英語に由来する外来語」については、昔は批判が多かったが最近は聞かなくなったな >>671
トルコ語中のアラビア語、ペルシア語もそのレベル
助詞だけトルコ語で語彙は大半がアラビア語ペルシア語 >>671,672
おフランス語 = ラテン語ガリア弁 トルコ語の純化運動って潜水艦をもぐりぶねとかにするレベル 日本書紀より古事記重視は日本語の原発音辿れるからとかはある >>677
韓国では実際に、「出口」を「出るところ」に変えたりしている ルーマニア語は19世紀にキリル文字からラテン文字に変えたんだよな >>675
ローマ植民地語に早い段階で話さなくなってる
ただし単語に残っている
それがガリア方言 >>679
「ナガヌン ゴッ」だから、厳密には「でていく ところ」だな
ただ、そういうふうに言い換えてる用語は、実際にはむしろあまり多くない
韓国語も、社会全体で一般化してる漢字熟語や、専門的学術用語については、そのまま言い換えずに使ってるものが多いな
てか、日本語の場合も「出口」は訓読みの「でぐち」だから、漢語というよりはやまとことばに近い
韓国語だと漢字熟語の「出口」は音読みで「チュルグ」になる(それを固有語に言い換えたのが、上の「ナガヌン ゴッ」だね)
あえて日本語で音読みをしたならば、「しゅっこう」か
外来専門用語をあえて固有語に言い換える表現を多用してる言語は、例えばドイツ語とかでそういう傾向が強い
親が子供に「ちゃんとしなさい!」と指示するような表現を「フェアヌュンフティヒ!」って言ったりするけど、
これを無理やり哲学書風に日本語訳したら「理性的たれ!」・・・とね(「フェアヌンフト」の訳語が「理性」)、さすがにこの訳だと大袈裟でしょ 基層言語または基層語あるいは単に基層とは、
(1)2つの言語を併用する社会において、威信の低い方の言語。対して、威信の高い方の言語を上層言語、上層語、上層という。
威信に明確な差がない複数の言語が使用されている場合、お互いに傍層の関係にある、という。
(2)このような言語接触状況において、基層語が使用されなくなり上層語に置き換えられることがある。
置き換えられて消滅した言語を、残った上層語に対する基層という。
このような置き換えの結果、上層語に基層語の影響が残ることがある。
比較方法では説明できない特徴を、何らかの基層語に由来すると説明することを基層説、基層理論という。 >>673
かんこくがかんじをはいししはんぐるのみにしたのはしっぱいだったな
にほんごにたとえるとすべてかなでひょうきするようなものだしね
はんぐるだけだとよみにくいうえにどうおんいぎごにまったくたいおうできない
こうしてかんじごにゆらいするじこくごをどんどんうしなっていった
ゆえにかんこくじんはにちじょうをはなれたこうどなぎろんや
ちゅうしょうてきなぎろんをするのがむずかしくなった レス番684の人、そのコピペ散々見飽きた
あとそれから、現代韓国語は分かち書きが通例なのと、閉音節言語だから漢語由来の熟語が漢字表記と一致するんで、
日本語文を分かち書き無しで全てかな表記するのよりは、まだしも読みやすい
ついでに言うと、韓国で漢字をあまり使わなくなったのは1970年代以降なので比較的近年
それに、数年前に一旦決まりかけて再度白紙化された韓国の初等教育段階の漢字教育再開計画、
最近また韓国の国会議員から再開論が出てきてるそうだぞ
そういうことまでは知りもせず調べもせずに、使い古しの揶揄コピペを書き散らかすばかりなのは、
学問板のスレには相応しくないな 漢語由来の熟語が漢字表記と一致する
↓
漢語由来の熟語の字数が漢字表記の字数と一致する >>659
イスラム教は棄教が死刑だから基本的に
キリスト→イスラムはあっても
イスラム→キリストの流れは無い
バレンシアは例外だが >>687
イスラム時代が長かったイベリアに今はもうイスラム教徒おらへんやん
キリスト教に改宗したんやろ 同じラテン系言語でもフランス語はイタリア語やスペイン語といった南欧諸語と大きく乖離してる
感じだがこれってガリア語の影響なのかフランク語の影響なのかその両方か おフランスは気どってるから気どった言語になったんやろ 古フランス語の発音を聞くとラテン語と同じく全ての文字を発音している
中世フランス語も発音は同じだが、近世から今と同じになっている
むしろイタリア各地の言葉の方が、俗ラテン語からの差異が激しい
カタルーニャ語もアラビア語の語彙が入り過ぎている >>691
TVて略してるけと
Tele(ギリシア語) + Vision(ラテン語)
は変やで
なんでギリシア語とラテン語が混ざってんねん
全部ドイツ語にしてるドイツのほうが一貫してる >>694
古フランス語の発音をどうやって聞いたんだ >>695
テレ(遠隔)ヴィジョン(視野)についていえば、
フェルン(とお)ゼーアー(みもの)ならドイツ固有語直訳になるだろうけど、
フェルン(とお)ゼー(み)アパラート(装置)までいうと、
アパラートの語源はラテン語アッパラートゥスだよ >>696
当時から生きてる古老なんやろ
知らんけど >>692
音声の印象は大きく違うが、文字で見ると似たような単語ばかりが並んでいる イタリア語とスペイン語は、「同じ言語の方言」と言ってもおかしくないだろう >>700
歌が残ってるって書いてるやろ
お前アホか >>702
そりゃそーだろ
俗ラテン語からの発展だし 古今東西変態皇帝対決
ヘリオガバルス VS 海陵王
ファイッ! カエサルvsポンペイウスあたりから元老院のお偉方=軍事経験乏しい役立たずってのが顕著になる様子だけど
軍事と文民別れてたわけでもないのに何でそんな現象が起きたのだろう 遼や金は、宋から送られた莫大な財貨で奢侈に走り堕落し弱体化した >>709
その少し前にアホほど粛清されたからでは >>710
金も後期になると皇族や貴族は堕落して競いあって奢侈に走ったそうだからな
妾を一人しか持たず粗末な家に住んで色褪せた服を着て倹約していた衛紹王は変人扱いされてたとか 中国語の方言って、ヨーロッパなら完全に別言語扱いじゃないのかな
あと、アラビア語も地域ごとの方言差が大きい >>713
アラビア語は方言がいくら多くても
標準語はフスハーやから
方言は日常会話だけや >>712
アラブ人もオリエントの富を手に入れてからはだんだん柔弱になっていった アラビア語の中でも、エジプトの方言は特別で「ほとんど別の言語」と言われているな
中国語の中では、広東語が普通に見れば別の言語。
ただし、深センあたりは移民の街だから広東語ではない >>716
ああ?
閩語とか湘語とかは北方語より広東語に近いで
漢語はおおむね北方系と南方系に二大別されて
北方系は女真語などの北方系言語の影響を強く受けてる
むしろ北京語やらの北方語のほうが漢語としては異質や 北京語の基礎は日本人が作った満語だからな
本来中国語ってあんなおかしなかんじじゃなかった インドは中国と違って言語が統一されることがなかったな 言語どころか人種まで違うし
アーリア人とドラヴィダ人は人種も語族も違う ていうか、インドは国の統一すらされてないがな
歴史上でもインドが統一されてたのは英領インド帝国時代だけ ヨーロッパの場合、民族や言語はごちゃごちゃなんだけど、
宗教はキリスト教で統一されていたよな >>719
ネットで調べると、常識じゃなくなっていってるのか?
マンダリンを元に近代日本語混ぜて満州で使われた言語
それが北京語
そんなんが公用語になってるのがなんか恥ずかしい 満州語はSOV型、北京語はSVO型で文法からして点で別物だしましてや日本語要素何て皆無なんだが
どうしてネトウヨってそんなにバカなの? >>725
満州語じゃないよ
満語は満州の公用語化した漢語で日本人作 この事実、なんでもみ消されようとしてるの?
北京語は日本人が作ったってのがまずいのか 北京語が日本語が由来とかまた香ばしいのが出てきて草 北京官話は女真族の発音が混入してるのは確かだが日本人が関与してたら北京を未だに南京官話読みのペキンと発音してる訳がない >>726
そういうこと語るなら最低限の言語学の知識はあるんやろな >>729
そういうんじゃなくて近代語彙まざって別モンになっただろ? じゃあ日本語もアメリカの現代語彙が入ったからアメリカ製なんだな >>731借用語が入ったら別物になるならラテン語すらローマ帝国存続中に使用されなくなったと言う事になる >>731
借用語なんか言語系統と何の関係も無い
キチガイか >>726
そのおまえ定義の「満語」って表現、どこの誰が使ってるの?
普通は「満語」というと満洲族の固有言語である満洲語のことを意味するんだが。もちろん満洲語は日本人が作ったものではないし、漢語とは言語系統からして全くの別物。 >>738
https://search.yahoo.co.jp/search?p=%E2%80%9D%E6%BA%80%E8%AA%9E%E2%80%9D&aq=-1&ai=7539e843-c087-4dde-aa72-a3534b34a75a&ts=684&sfp=1&ei=UTF-8&fr=sfp_as&meta=vc%3D
忘れ去られてるってことなのか? 現代北京語は清語会話案内などに見られるような北方方言ではなく満語がそのまま使われる 中国南部にいた蛮族は結局漢人に同化されてしまったけど、
そうなるまでにはどういうプロセスがあったんだろうか
やっぱり軍事力も使っていた? 満洲の教育
・・・・であったが、「日本語を国語の一つ」(他は満語[漢語])と規定された。
1937 年 5 月国民学校令4 が公布された。その第一条には「国民学校ハ学
生ノ心身ノ発達ニ留意シ. テ国民道徳ノ基礎及国民ノ日常生活ニ必須ナル普通ノ知識技能ヲ授 ... 満語はピジン言語化した北方方言らしいな
なんでこの記録が消えていってるのか? 現代中国語は満洲国政府が行った文法整理と標準化によって産まれた言語ということだ そのとおり
でその記憶が陰謀によって闇に葬り去られようとしている
そうしたい集団が存在すると >>715
アラブが豊かになったのって
ビザンツとササン朝の抗争でシルクロードが使えなくなって
商人がアラビア半島を経由するようになったからでしょ 暗黒の中世というけれど、東ローマ帝国、ノルマン・シチリア王国、アル・アンダルス
などは別に暗黒ではなかったよな
コンスタンティノープルでは古代から続く都市文明もその輝きを失ってはいなかった ネトウヨなのかガイジなのか知らんけど
会話が成立しなさすぎだろ バイデン政権は香港台湾の民主化を最大限に応援するだろう
枝野氏も香港の自由を応援している
悪の帝国が倒れた時にダライラマが中国史上最大の英雄になるのではないか >>749
バイデン政権は香港台湾の民主化を踏みにじる中国共産党を最大限に
応援するだろう
まで読めた。
アメリカ民主党を支持する黒人やヒスパニックの皆さんも中国共産党を
最大限に応援するんだろうな 東アジアの話はスレ違い
専用スレを立ててやってくれ アメリカ民主党はトランプ以上に反中国共産党
彼らは人権擁護で筋が通っている
マイノリティ差別を許さない反面、ウィグルやチベットの人権を踏み躙る政府にも敵対的だ
在日差別をしながら人権を語っていたネトウヨとは違うんだよ >>743
北方方言と満語は全然違う
満語は助動詞によって格が確定するので日本語と同じく思い浮かんだ言葉をそのまま羅列していっても
意味が通じるが北方方言は総合的言語なので語の順が少しでも違うと全く意味が通らないものとなる
日本人が極度の言語音痴に対して中国人が語学に堪能なのも彼らの言語が文法を常に意識しうる構造に
なっている点にあると思う >>754
>助動詞によって格が確定
助詞やろあほ 中国語は、映画やドラマの字幕には最適
聞き取れなくても読めれば十分 「北京語は巻き舌が難しい」とよく言われるが、上海人は巻き舌なんかしてない
台湾人の中国語は、中身は北京語と同じだが発音がだいぶ違って聞こえるので「台湾華語」と呼ばれる 台湾のテレビ放送では、大陸の俳優のセリフが吹き替え音声になってることがよくある
大陸はもちろん、台湾の国内放送ですら字幕つきが当たり前 ローマ帝国時代のガリアは、ブドウ、オリーヴ、穀物、畜産品、木材、繊維製品、
陶器、ガラス製品などを生産して他の地域に輸出していた
それがフランク王国の時代になると、イスラーム圏に輸出できるものは
奴隷と武器ぐらいしかなくなってしまった ローマ軍撤退後のブリタニアはリアル北斗
ケルト部族同士が争う中にアングル族やサクソン族も乱入し更にカオスなことに 女真族「ヒャッハー石刻遺訓かー。宝の在り処でも書かれてるんだろうな!」
趙匡胤に皇位を譲った柴氏一族を子々孫々にわたって面倒を見ること。
言論を理由に士大夫(官僚/知識人)を殺してはならない。
女真族「聖人やん、ぐう聖やん。趙匡胤、お前ってやつは・・・」 趙匡胤は弟に殺され、北宋は弟のチョウキョウギの系統に乗っ取られる
だが靖康の変でチョウキョウギの系統は絶え、南宋では趙匡胤の系統で皇位が継承されることになるのは因果なものだな
ちなみに金の皇族は殺されたり奴隷にされたりしたようだが、
南宋の皇族はモンゴルから手厚く迎えられたようだ(柴栄の一族を保護した果報か) 劉備「景帝の末裔です」 馬の骨1
平夏部「拓跋部の末裔です」 馬の骨2
楊堅「楊震の末裔です」 鮮卑その1
李淵「李ロの末裔です」 鮮卑その2
趙匡胤「趙広漢の末裔です」 テュルク系 >>768
ネタにマジレスするのもアレだが
カエサルの末裔と言うならば嘘松だけど
ユリウス家ならカエサルがガリア戦争後にガリア部族長達にユリウス家紋与えてたので
西ローマ末期の元老院はユリウス家だらけになってたそうでその残党と言う可能性も無い事も無い マルチリンガルと聞いて思いつくのは
やはりクレオパトラと安禄山 >>769
>ガリア部族長達にユリウス家紋与えてた
徳川が各地の国持大名に松平姓与えたようなもん? >>771
松平家の事情は知らないけど
スムーズにガリア平定させるための賄賂と言うか恩恵
所謂ローマ貴族としての地位を与えると言う
ローマは結構こういう政治で家紋配ったり養子に継がせるのは割と日常 ローマ皇帝はみんな「〇〇ヌス」みたいな名前だけど
アレはみんな苗字なの? みんなアヌスが大好きだったから名前にもアヌスとつけたんだよ。ヌメリ★アヌスとかね。 >>773>>774
ローマスレ来るならラテン語くらい知っとけや ラテン語は知らんけどどうせ名詞主格語尾がどうこう言う話だろ Julius + -anus→Julianus
Africa + -anus→Africanus
Anugustus + -inus →Augustinus >>780
形容詞変化の名詞ってこと?
人名なら文法的には名詞のはずだし ラテン語の格言とか見てればわかるよ
bonusは本来善いって形容詞だけど名詞化して善人という意味もある
中性形なら善そのものという意味にもなる >>783
英語とロシア語しか知らんけど、形容詞に語尾変化のない英語よりはロシア語の文法用語をひいたほうが適切かなと思って・・・
ロシア人の姓も形容詞変化の名詞が多いね。トルストイもドストエフスキーもそうだし、チェーホフとかプーチン、レーニンも物主形容詞短語尾型から来てる。 >>787
ロシア人の姓は形容詞から発展したものが多く
ユダヤ人の姓は日本の苗字に近いものが多いですね
同じユダヤ人でも古い姓を持つ家系と
近代に認められた苗字を持つ家系がある ロシア人が姓を持つようになったのは、歴史的には割りとつい最近のこと イワン・イワノヴィチでイワンの息子イワンだからなずっと ロシアでは貴族家門でさえ名字を名乗るようになったのは16世紀くらいが多い。それまでは名前+父称+添え名くらいで足りてた。
有名なロマノフ家の名祖ロマン・ユーリエヴィチは16世紀前半の人だが、彼の子孫が意識してロマノフを家名としだしたのはツァーリになったミハイル・フョードロヴィチ以降、つまり17世紀のことだと思われる。それまではザハールの孫だからザハーリン、ユーリーの孫だからユーリエフ、ロマンの孫だからロマノフといった具合で、単なる祖父称と意識されていたのだろう。
ロマノフ家の祖先でフョードル・アンドレイヴィチ・”コーシカ”という14世紀末の貴族がいたが、このコーシカというのも名字ではなくあだ名、添え名の類で、同じ名前で父称のフョードル・アンドレイヴィチ・”スヴィブロ”という同時代の貴族と区別するためにこう呼ばれた。家名で区別するという発想はまだなかったんだろう。 >>792
ロシアは欧州では一番新しい方の国だし
日本の方が名字という形で他家と区別し出したのは大分古いのか >>793
日本の貴族層は、中華帝国の影響で氏と姓による「氏族」と「家門」の成立は早かった
ただし、それが庶民にまで降りてくるのは相当時間がかかった
極東地域では普遍的な話ではあるけど、歴史的には氏、姓、苗字(名字)は別物だし、苗字とはその由来が
「どこどこの土地の」と言う程度のものからスタートしているので、「誰々の息子の」と言うのとあまり変わらない ドストエフスキー家の家名は現ベラルーシ共和国ドストーエヴォ村の領主だったことに由来するので、日本の「名字」に近い。 アラブ人もそんな感じやな
本人の名・父の名・祖父の名・曽祖父の名……
と系図がわかってる限り無限に続けられる >>801
キリスト教徒もそんな感じ?
レバノンだとフランス風の名+アラビア語由来の姓な人もいたりするが ローマ人の名はガイウス、マルクスばっか
聖マルコこと福音書のマルコ(ラテン語形マルクス)も当時のローマでは同名の人物が
いっぱいいたのよな 北アフリカがキリスト教圏のままでいたなら、カトリック圏と東方正教圏と
北アフリカ教会圏に三分裂したのかな? カール大帝に対し東ローマ皇帝より「合体してローマ帝国復活させようぜ!」みたいな誘いがあったらしい
仮に合体しても北アフリカやイスパニアやブリタニアも回復しないとローマ帝国には及ばないけどな 岩倉使節団は、ナポリに立ち寄ったとき、上陸してみると、顔は垢だらけで汚れた
服を着た貧しい子供、少年大人を問わず岸壁に集まってきて、小銭を乞い求める
様子は蠅が群がるようだ、と書いている
そしてこれはエジプトのポートサイードで繰り広げられる光景と同じだと。
さらに、南イタリアとエジプトに共通するのは人々の商法も同じだという。
南イタリアと北アフリカの共通性は、やはり同じ地中海世界に属することから
来ているのだろうか 母をたずねて三千里でマルコの母親はイタリアからアルゼンチンに出稼ぎに行ったんだよな
NYのイタリア人街の貧乏臭さといい当時のイタリアの経済的没落っぷりは イタリアやスペインの南部はもともとヨーロッパじゃないだろ >>810
マルコは北イタリアのジェノバだ
本人が貧困層だっただけで、ジェノバは経済大国 1882年の北イタリアとか、経済の一大発展期だろう >>812
なら地元で働き口はあったろうになぜ南米まで >>814
一攫千金狙いやら、色々あるんでな
出稼ぎは >>810
没落?
当時はイタリアという国ができた直後で新興国どころか「さあ、これから」ていう時代やで 明治時代も移民が多かったわけだし
「さあこれから」という時代だからこそ
海外に出稼ぎに行ったんだよ 明治維新とビスマルクのドイツ帝国建国とガリバルディのイタリア王国建国はだいたい同時代や
つまりこの三国はきんだいかの同期生や
第二次大戦の枢軸国なのもおそらくこれと関係ある 変換ミス
明治維新とビスマルクのドイツ帝国建国とガリバルディのイタリア王国建国はだいたい同時代や
つまりこの三国は近代化の同期生や
第二次大戦の枢軸国なのもおそらくこれと関係ある 統一後の北イタリア人は南イタリアのことを「アフリカ」と呼んでいた
あと、北イタリアはランゴバルド人、つまり北方人種の血が混じっているのに対し、
南イタリア人にはセム系の血が混じっている、という説もあったな >>814
南米に移民したのは北イタリアの山間部の住民が多かった
山間部では、19世紀を通じて土地の細分化が進行したので、
農民たちが所有する土地で生産される農産物だけでは生活を
維持できないという状況が生まれていた >>822
そういう零細農民が都会に出て工場労働者になるのが産業革命のはずだが
イタリアでは起きてなかったのかね? 農地あるんなら農業そのものをやりたい人間がラプラタ川流域へ >>819
アメリカが南北戦争を経て統一されたのもほぼ同時期
先行する英仏を追って、日本・ドイツ・イタリア・アメリカの後発組が近代国民国家としてスタートラインに立った アメリカは後発国だけど、自国内に広大な土地と資源があったからな
メキシコからテキサスを奪ったりもしているけど >>823
イタリア工業の近代化は、フランスやドイツにも立ちおくれたために、
国外に工業製品の市場をもたず、市場が国内だけに限られた上に、
貧農が充満している南部や島部では市場の開拓は限定されていた結果、
勃興した工業の発展もまもなく壁にぶつかってしまった。
このような悪条件は、農村から出る過剰人口を工業面で吸収することを
ほとんど不可能にした。そこへ1880年から激化した農業恐慌が農民の海外移住を
決定的にした。 昔南イタリアは先進地域だったのに。。。
どうしてこうなった? >>829
それはギリシャや南スペイン、トルコなど南欧全体に言えること アルプスの少女のロッテンマイヤーさんはユンカーの娘ではないかという話がある
産業革命が起きたドイツでは農産物価格が下落し地方の小領主は食えなくなった
ユンカーの娘ロッテンマイヤー女史が銀行家ゼーゼマン氏のような新興ブルジョアの
娘クララの家庭教師となって礼儀作法を教えるというのは当時よくあった話らしい そんなこと言うたら文明の発祥地のほとんどが今は悲惨なとこが多いがな
イラクとかシリアとか >>828
それでアメリカには新天地を求めたイタリア系(主にシチリア人?)が大量に流れ込んだのか
しかしそこは経済発展が約束された国などではなく、彼らは社会の最底辺に置かれた・・・
で、彼らがマフィアと化したのは語るまでもない、と。 >>829
南イタリアには北イタリアのような自治都市国家の伝統がないよな
ずっと専制政治でやってきたわけで
ある意味北アフリカに近い フランスと南米に移民したのは北・中部イタリアの出身者が多かった アルゼンチンは、スペイン系よりイタリア系の移民のほうが多い
このため、アルゼンチンの言語は「イタリアなまりのスペイン語」と言われる ノルマン・シチリア王国の時代が、南イタリアの最盛期じゃね? >>836
アマルフィまでかな、都市国家として成立してたのは でも、ジェノヴァやヴェネチアが台頭するのは中世の後期
中世の前期はアマルフィの時代だな ローマは「中部イタリア」として、南とは区別されることが多いけどな ノルマン・シチリア王国ではキリスト教徒とムスリムが共存していたと
いわれるけど、結局ムスリムの追放という結果に終わったな
1240年代までに、シチリアのムスリムは島外に追放されてほとんど姿を消した トスカーナ以北:北イタリア
ローマ:中部イタリア
カンパーニャ以南:南イタリア
だと思ってたわ。フィレンツェ、ヴェネツィア、ジェノヴァといった
イタリアの各都市共和国は北イタリアよな >>839
アルゼンチン白人の多くはスペイン系かスペイン・イタリア間の混血よな 発音にイタリア語の影響あるから他のスペイン語圏人からチェ・ゲバラと呼ばれたりする >>832
イギリスでも状況は似たものだったらしいな
科挙が廃止された元朝時代に、はしごを外された受験者たちが民間に文化を広め大衆文化の
拡大に大きく寄与した
日本でも戦国時代の内戦で京都の貴族が地方に逃れ地方に中央文化を広めた
知識人階級が没落して民間に知識が普及するという原理があるとするならば、
現在の格差社会でも没落知識階層がネットで知識を広める、という現象もありそうだ
てかロッテンマイヤーさんがなぜ中世スレに登場するのだ >>848
現ローマ教皇フランシスコ聖下はイタリア系アルゼンチン人だしな
スペインとイタリアは共にカトリックだしラテン系だし相性もいい >>850
明朝が滅亡したときは、清朝の支配を嫌った漢人の知識人が日本に大勢やってきた
これで江戸時代の日本の学問水準は大きく向上した
いまでも東大の片隅に「朱舜水先生の碑」が立っている >>852
東ローマ帝国が滅亡したときは、オスマントルコの支配を嫌ったギリシャ人の知識人が
イタリアに大勢やってきた
これでヨーロッパの学問水準は大きく向上した
で置きかえてもあんま違和感なさそう。イタリアの大学ではその時イタリアへ逃れたギリシャ人
学者の像とか立ってんのかしら? >>853
違和感ないというか、パレオロゴス・ルネサンスのイタリアルネサンスへの影響とか、もはや常識の範疇 >>851
西ロマンス語系統のスペイン語って同じ西ロマンス語系統のフランス語より
イタロダルマチア語系統なイタリア語と似てる感じがする。
イベリア半島の西ロマンス語系統ではカタルーニャ語のほうがフランス語と似てるようにも >>855
カタルーニャ語は、プロヴァンス語やオック語と共通性多いからね ラテン語でStから始まる単語、イタロダルマチア語系統のイタリア語だとStで始まるのに
西ロマンス諸語のフランス語・スペイン語・カタルーニャ語はEから始まるのな
(フランス語も大昔はスペイン語やカタルーニャ語と同じくEst〜だったのか) >>820
近代の統一ドイツも統一イタリアも日本にくらべると旧ユーゴスラビアのような人工国家ぽさを感じる >>858
日本の場合、古代に一度統一国家をつくっていたからな
その後も形式的に天皇家が君臨していたし >>859
それより、江戸時代に参勤交代を200年にわたって続けたことが大きい ドイツやイタリアは、中央集権体制というものが向いていない国なのではないかと思う
ヨーロッパには連邦制をとる国が多いけど 中央集権というとナチスはドイツ国内の警察を全国組織として統一してたけど
第二次大戦後は(ナチス時代のアレルギーからか)また地方警察が分立していったな 統一ドイツも統一イタリアも建国後は旧ユーゴみたく再分裂はしてないな
>>861
地域によって言語も宗派も異なるスイスが長らく一つにまとまってたのが興味深い 中南米というとイベリア半島系がメインのイメージだけど、19Cにはかなりの数のアラブ人が入ってきてるんだね。今では言語も宗教も同化してるけど、食文化などで独自性が残る。
あるいはチリの国父オイギンス将軍なんかアイルランド系(オ・ヒギンス)だったり。
ユグノー亡命者が世界中のプロテスタント諸国に移住したように、アイルランドのカトリック亡命者でカトリック諸国に新天地を求めた人もいたんだろうな。「信仰の証をたてた」宗教的亡命者は称賛、歓迎されることが多かったようだし。 中南米のアラブ人移住者だがマロン派や正教から同じキリスト教のローマカトリックへ改宗するケースはともかく,メネムのようにイスラム教からキリスト教へ改宗するケースはレアか むしろ領邦で分断されてたからこそファシズムで人工的に統合する必要があった 共産主義・ファシズム問わず地方ごとに分断の激しい地域は強権体制でないと
やってなけないところもありそう。
その強権体制に終止符が打たれたら内戦・紛争がおこったりもするけど >>867
ファシズム時代のイタリアは、南チロルのオーストリア系住民に対して
強引な「イタリア化」政策をしいていたよな >>863
>スイス
連邦制やん
しかもカントン毎の独立性は他の連邦制国と比べてもかなり強力や
なにしろカントン毎に政治制度まで違うし ハプスブルク帝国の歴史を見てて思うけど、多様性を許容する強力な政治体を
つくるというのは至難の業なのだと思う
とくに権力政治が激しく行われる時代は。 と言っても前近代では割と普通だった、多様性。国民国家の時代になると凝集性均質性一体性をどんどん煮詰めていくから、毛色の違う奴らは目障りになってくる。 現在,欧米左派が叫んでる文化の多様性とか世界の多極化。
中国共産党あたりが西側社会の不安定化と覇権拡大を図るべく彼らを支援してるような感じもする
(そういえばベトナム戦争期の反戦運動はソ連の陰がちらついてたんだっけ) 欧米における文化の多様性だがそれを叫ぶ白人左派自身が一番信じてなさそう。
ただ既存の社会を破壊したくて文化の多様性を持ちだしてるようにも・・・
他地域からやってきた移住者の文化・風習は表向き称賛しても本心では見下してたりして 同じヨーロッパの左派でもインテリ層とブルーカラーなんかの底辺層とでは隔たりが強い?
前者は自らをリベラルと称し捕鯨反対も唱えてそうなイメージあるが後者にはそんなイメージない
(文化の多様性ゆってる奴らもたぶん前者のほうか) 多様性を推し進めてるのは多国籍企業だからな
世界での市場獲得と低賃金地域への進出でメリットが大きい ヨーロッパと違ってアメリカだと白人ブルーカラーは保守政党である共和党を支持してるような
民主党は(キューバ系以外の)ヒスパニックや黒人,アジア系といった人種的マイノリティとか
白人中流層が支持してる感あるがヒスパニックや黒人の方々って自らをリベラルだと思ってるのやら・・・ >>878
むしろ白人以外が共和党支持する意味あんの? それぞれの考えで共和党を支持する非白人も少数ながらいたりするよな ノルマン人〜フリードリヒ2世統治下のシチリアは文化の多様性にあふれてたんだっけ
当時のローマ教会は文化の多様性を異端として排斥してそうだが 共和党のもともとの支持層である白人が年々減少していて
かつ白人でも若者は民主党支持傾向が強い
キリスト教福音派とかの宗教票をアテにしなきゃいけないくらい党勢は衰退してるんだよね 古代ローマにおける文化の多様性・・・
古代ローマではキリスト教が長らく迫害されてきたが,キリスト教が天下を取った後は
他文化排斥にまわってしまったな。ヒュパティア虐殺とか >>881
ノルマン・シチリア王国では、ムスリムはキリスト教徒よりも重い租税
(人頭税と土地税)が要求され、その代償として信仰・財産が保証され、
イスラームの法・裁判・慣習が尊重され、アラビア語が公用語とされ、
交易の自由も保証された
ただし、キリスト教徒がシャイフ(長老)を脅迫して信仰放棄を迫ったり、
法学者が役人に強要されて改宗したという事例も存在していた >>880
ヒスパニックはカトリックが多いから、中絶に反対している人も多い >>884
>キリスト教徒よりも重い租税
イスラム教徒の支配下ではキリスト教徒に重い租税を課してたという話を聞いた事が
あるけどこれは逆のケースか。
異民族を下の立場においた上での文化尊重といえば,中国だと女真族の清朝が
漢民族の文化を尊重をしつつ女真族の慣習である辮髪を漢民族に強いてたな 通常なら異教徒は殺していいところ金を払って見逃されるんだから十分だろ レコンキスタ後のスペインではキリスト教信仰に熱心すぎて異端審問に走っちゃったな・・・
あれは財産分取りの側面もあったみたいだが 古代ローマでキリスト教徒に重い租税を課した上で信仰を許したとしても
今度は重い租税に耐えかねての反乱がおこってたりして ノルマン・シチリア王国では、王権が弱体化してムスリムを守れなくなると、
必ずキリスト教徒がムスリムに対する暴動を起こしていた
別に異教徒同士が仲良く共存する理想郷だったわけではない 中世のイスラームはキリスト教圏に比べれば寛容だったとされるが
そのおかげで宗教浄化できずに紛争の禍根が現代に残りあちこちで噴出
シーア派とスンニ派は今でも仲が悪く紛争が多い
一方中世キリスト教圏は不寛容で宗教浄化を進めたがゆえに今や国内は均一化
プロテスタントとカトリック間での紛争も過去はともかく今はない
どちらが良いのか 少数が多数を支配するのに便利な道具
かつては戦争や宗教だったのが、
今だと経済と金融とIT、それに平和やら自由主義やら民族自決やらのお題目になっただけ
多様性ってのもそのお題目の一種 中国は少数民族に対して民族浄化を行って、多様性を消し去ろうとしている
長い目で見たら、欧米諸国よりも中国のほうが勝利者になっているかもしれない パキスタンでは、毎年1,000人近くのヒンドゥー教徒やキリスト教徒の少女が、
誘拐され、強制的に改宗・結婚させられている 俺は上司にうっかり歴史好きだともらしたら『ローマ人の物語』を読めと半ば強制され
飲み会の席でそいつの推しの英雄自慢の話を延々とされ(全部ロマ物の受け売り)
ネットで聞きかじった知識で反論したら烈火のごとく反論され
そのネットでは専門書を読みまくってるらしきヲタからあの論文読めこの研究書読めと上から目線
なんでもっと気楽に楽しめないんだろ…
新書とかの概説書や映画や漫画で歴史を楽しむ程度の俺にとってはどっちもうざい趣味ハラ
お題目でもなんでも多様性というキーワードが流行ってくれきたので趣味は人それぞれですから
価値観はそれぞれですから、と暑苦しい連中をかわしやすくなったのは喜ばしい 半端な知識しか持ってないお前が悪いだけじゃん何いってんの 江戸時代の日本の学術水準の向上は朝鮮王国李王朝が最新の学説を日本に定期的に伝えていたから >>896
と 半端な知識しか持っていない馬鹿は吠えるのだったww 仕方ないので一冊ロマ物熟読したところ趣味ハラの上司は実は英雄マンセーの個所一部しか読んでないことが判明し
ネットで論文がどしどし公開されるようになってからそれらを読んでみるとヲタも専門書数冊ちょいと読んだだけで専門家づらして素人相手に
イキッテるだけだと判明
どっちも馬鹿なのに気づきもしないで>>896のように人を馬鹿呼ばわりする連中の多いこと
そんな連中がネットに隔離されるようになり、リアルでは多様なんだからお前あっちにいけ
と言えるようになったのは良いことだ 文句あるなら上司に直接いえばいいのにリアルの悔しさを吠えられるんだから確かにネットはいいよな
情けない奴だ >>890
同じようなパターンで、中世のイスラム世界でも啓典の民(ズィンミー)だけは他の異教徒と違って
ジズヤを払えば信仰をある程度尊重されてたと言われるが、
実際にはジズヤの取り立ての際に屈辱的な行為をされていた場合もあったとか。
(公衆の面前で取り立て人の前で頭を垂れて服従の意を示す、など)
イスラム圏だけが多宗教が共存する理想の世界だと思われているのも間違い >>900
>文句あるなら上司に直接いえばいいのに
こうかいてあるのが見えない?やっぱ馬鹿なの?
>リアルでは多様なんだからお前あっちにいけと言えるようになった 中世のスペインでは、ムデハル(残留したムスリム)が、侵入してくる外敵、
具体的にはナスル朝の軍隊や海賊・野盗とベルベル人の海賊に内応したり
加担したりする場合があった
たとえば、1304年にはナスル朝軍が侵入し、ムデハルの協力を得て各地を侵略して、
放火・略奪をほしいままにした
ムデハルの反乱や利敵行為はキリスト教徒のムデハルへの敵意を増幅させ、
ムデハルへの襲撃を引き起こした
このように、中世のスペインでも異教徒同士の共存が理想的にいっていたわけではない >>903
馬鹿呼ばわりのあとはゴキ呼ばわり
多様化にけちつけるだけでなく差別用語の連発
多様化否定する奴らってこんなのばっか >>905
最初に馬鹿呼ばわりしてんのお前だけどな 少ない知識でマウント取る能力も生きる知恵という意味じゃ必要
それをほどほとな距離でてきとーにあしらう練習も大事
いい経験と思えばいいし、自分でしっかり学んで得た本物の知識だけは裏切らないよ >>906
そうだね
あなたが言ったのはこんな感じで人を罵倒しただけだね
>半端な知識しか持ってないお前が悪いだけ >>909
差別を区別といったり罵倒を事実といったりするのもこの手の人の常套句だね >>904
スペインのキリスト教が頑迷になったのもムデハルのこういった行為が影響してる? >>910
半端な知識しかないのは自分で認めてるけどね ノルマン・シチリア王国はルッジェーロ2世の時代にはトリポリからチュニス、
アルジェリア東部までのアフリカ北岸に領土を獲得していたんだよな
さらに内陸部ではカイラワーンを手に入れ、西地中海と東地中海を結ぶ
海峡を確保した
そして現代のイタリアはアルジェリアから地中海横断パイプラインで
天然ガスを輸入している
やはりイタリアと北アフリカとは関係が深い >>913
>>904じゃないけど答えてみよう
もちろんムデハルの行為も影響してるだろうが、
最大の理由はどう考えてもローマ教皇庁や西欧カトリック諸国からの『不信感』じゃないかな?
「ホントは異教徒なんでしょ?」という不信が、長い間イスラム世界の一部だったイベリア半島に向けられていた
その疑念を払拭するために、新興国家スペインは何としてでもイスラム勢力とは決別したという証明をする必要があった
それがあの悪名高き異端審問という形や、モリスコ達の追放といった形で現れたのだろう
以前何かの記事で見たけど、新たに違うコミュニティに入った異邦人というのは、
過剰なまでに「自分はそのコミュニティの一員だ」として行動する性質があるとか。 >>914
>半端な知識しか持ってないお前が悪いだけじゃん何いってんの
のうち、「半端な知識しか持ってない」は事実
「お前が悪いだけじゃん何いってんの」が罵倒 イベリア半島の「ヨーロッパ化」と呼ばれる現象だな
10世紀中頃から、イベリア半島にやってきたクリュニー修道院の修道士たちが
司教や修道院長の要職を占め、教皇使節も規則的に訪れるようになった
これにより、それまで無縁だったローマ・カトリック教会の影響が及び始め、
モサラベ典礼がローマ典礼に変更されるなどの変化が見られた
さらにフランス貴族との通婚もさかんになった >>919
相手が悪いところもあると思っているし、罵倒されるほどのことではないと思ってるし実際リアルでは上司に指摘したら解消した
あんたみたいにネット上で罵倒し、自分の主張だけ正しいといってるようなネットでしか
吠えられない奴にとっては多様性や趣味ハラがリアルで広まるのは嫌なんだろうね >>920
自分の主張だけが正しいと思って粘着長文こいてるやつに言われてもw 南欧の人々は自国を「南欧」といわれても怒らないのに、
東欧の人々は自国を「東欧」と呼ばれると怒って「俺たちは中欧だ!」というよね
あれはいったい何なのかな… >>922
ロシア・ウクライナ・ベラルーシ・バルト三国などは別に東欧だと言われても怒らんでしょ
むしろ自称してるまである
ただしウクライナはロシアをヨーロッパだとすら認めてなさそうだけど
とにかく、中欧諸国(オーストリア、ハンガリー、チェコ、スロバキア、ポーランドなど)は
カトリックであり正教圏とは違うので一緒くたにされたくないんだろう
あと東欧よりは都会だって意識もありそう >>923
まあ特にオーストリアは広義のドイツだしね >>920
レス早いね
しかもカウトダウンの直前までレス
年末年始というのに一日中5chに張り付いてるような奴にふさわしい罵倒と粘着ぶりだw >>923
ウクライナ西部はどうなのかな
ウクライナ東部のナショナリストのコサックは、
西部は別にナショナリストの立場をとらなくても別にいい、
西部は長らくポーランドだったし今でもポーランドの影響が強い地域だから
自分たちの伝統で好きにすればいい、といっていた
西南部はオーストリア領土だったからし、ウクライナ西部には中欧意識があったりするのだろうか 最近では「バルカン」という言葉を「南東欧」といいかえるようになった
「バルカン」という言葉に否定的イメージがくっついているからだろうか 書き込み時間とかにケチつけ始めるのただのブーメランだからやめとけよ 気楽に楽しめばいいとかいいながら完全に熱くなってる>>895ってやっぱり馬鹿だな >>916
スペインの「黒い伝説」だけど、ドイツでは、「スペイン人には黒人の血が混じっている」
という人種差別的な中傷がおこなわれたとか
あと、学者のエラスムスも、スペインに招かれたときは断って、
イングランドには行ったんだよな ロシア人は半分ネネツみたいのだからな
スキタイは遊牧民でモンゴロイドっぽい >>929
そもそもお前の罵倒がなければ気楽に楽しめたよ >>933
今回は8分でほぼ則レスだな
俺のレスに対するお前のレスまでの時間を集計すると合計399分で8回、平均45分に一回
俺のレスは合計1237分で9回、平均137分に一回
平均45分に一回のレス…ほぼ掲示板に張り付いて粘着していることがわかる
なんて寂しい正月なんだ… おっと間違いだ
誤 合計399分で8回
正 合計407分で9回 >>933
そもそも先に罵倒したのはお前の方なのに
認知に問題があるのかもしれん 同じキリスト教世界の辺境でも、北欧(スカンジナビア)は
なぜか悪いイメージがないよな
もっとも、日本だけでなく、欧米諸国においてすらも、スカンジナビアの歴史、
とりわけ中世の歴史に対する関心は必ずしも高いとはいえない >>934-936
いちいち計算したの?どんだけ必死なんだよw >>608
カルタゴは経済力だけならローマを遥かに上回っていたが負けたのよね
ギリシャも学問・芸術ならローマなんて比じゃなかったけどこれも征服されてる >>897
そんな恩恵を受けていたのなら、ニワトリ泥棒されたり、そこらじゅうで立ち小便・野グソされるくらいは耐えないとな >>937
中世のスカンジナビアといえば、「せが高い屈強な荒くれ者たちが海を越えて攻め込んできて、暴行略奪の限りを尽くして去っていく」というイメージだな >>926
西ウクライナは、90年代には「ポーランドと国家統合しよう」という話が持ち上がったくらい、中欧意識が強い 日光例幣使とか将軍宣下の勅使も相当な狼藉やってたけどなw
「これは天朝様の大樹公へのお使いであるぞ」といえば大概のことは黙認されたので、勅使に補任された中下級公家は「一財産つくるチャーンス!!」と色めき立ったとか >>944
東アジアの話は東アジア史専用スレッドでやれ
ここはヨーロッパ史のスレ >>897
清から膨大な量の書籍を輸入してたんやけど 神聖ローマ皇帝オットー3世は、スラヴ人の国ポーランドを正式のキリスト教国家と
して承認し、その上でこれをゲルマニア、ローマ、ガリアと並ぶ帝国の構成国の
ひとつに加えるという構想を抱いていたらしい
しかしオットー3世の壮大な帝国建設の夢はローマの人々からも拒絶されて
挫折し、ザクセン朝断絶の翌1025年、ボレスワフは教皇から授けられた王冠で
王国建設を宣言し、皇帝権力から完全に脱した。結局ポーランドは
神聖ローマ帝国の一員にはならなかった >>938-939
平均45分でレスを返すおまえより遥かにまし
それにしても45分でレスを返すとは…涙ぐるしい努力だな
マウントするのも大変だ 新年らしいネタでも。
カレンダーの日毎に名前が付いてるけどこれはいつからの習慣なんだろ? ヨーロッパとアジアの境界はどこにあるんだろうか?
中欧の人たちは、ロシアはヨーロッパには入らないと考えてそうだな 逆にロシア人にはウラジオストクもカムチャツカもヨーロッパだと思ってる人が割といる
「地理的にはロシア西部はヨーロッパだけど東部やシベリアはアジアなんだよ」というと驚かれたり >>951
それは欧米だけじゃなくてイスラム圏でも日本でも同じだろう
今は日本は1月2月3月・・・と呼称しているが、
旧暦の呼称では睦月如月弥生・・・と言ってたじゃん
人類の歴史として一番最初は?と聞かれると・・・それは分からんけどw ドン川て
大ボスやベトナムの通貨となんか関係あんの? >>955
月ではなく日だよ。全ての日に人名が割り振られてる。 >>958
ドン(Дон)およびその指小形ドネツ(Донец)はイラン系サルマタイ語 D�nu(川)に由来する。
V.Abaevによれば、ドンはイラン系スキタイ・サルマタイ語 D�nu(川)に由来する。スキタイ・サルマタイ人は、
紀元前1100年から中世初期の間、この地域から黒海の北方にかけて居住していた。 >>962
で、大ボスやベトナムの通貨とは関係あんの? >>958
「静かなドン」と「静かなるドン」の関係と同じくらい 知らないならそもそもレス不要だよ。知ってる人に聞いてるんだから。
それにしても日本から話を逸らしたいのに無理やりにでも日本の話に持ってくるな。
旅行だと向こうのカレンダーを見る暇ないのかもしれんが、フランスだとこんな感じ。
https://fr.wikipedia.org/wiki/Calendrier_fran%C3%A7ais_des_fleuristes バルカン半島はオスマン帝国の支配下にあった時代には「ヨーロッパ・トルコ」と
呼ばれていた
オスマン帝国からの独立後、バルカンの諸都市は、モスクを撤去し、西欧の建築家の
設計による建造物が相次いで建てられ、「西欧化」が図られた なんだ、マジメな質問だったんかい?(笑)
ベトナムのドンは漢字で書けば「銅」であり無関係
首領をドンと呼ぶのは「ドン・キホーテ」(キホーテの旦那)のようなラテン系の敬称から来ており無関係 スカンジナビアはロシアスペイン系の巻き舌だが
元々ロシア人みたいな民族? >>966
マケドニアのスコピエ再開発には日本の丹下健三がかかわってたんだっけ ドンコルレオーネのドンはラテン語のドミヌスからだの ヨーロッパと言う概念は時代によって違う
中世時代に出来た言葉で最初の概念はキリスト教カトリックが布教されてる地と言う意味
なのでポーランドや北欧は対象外、ドイツのベルリン(ブランデンブルク)さえも含まれてなかった
ビザンツ帝国もアジア扱い
その後何回か改正され今では北欧含むロシアのウラル山脈西、トルコはボスポラス海峡までと定義されてる 範囲はともかくeurōpaなる語は古代からあるはずだが イギリス人が自国とヨーロッパ大陸を分けて考えている、というのは有名な話だが、
マダガスカルの人々は自国とアフリカ大陸を分けて考えているらしい
あそこは東南アジアの影響の方が強いからな タスマニア人もオーストラリアと別と考えてるんやろか 東アジアでも、日本列島や台湾や済州島は大陸文化だけではなく、
ポリネシア文化の影響も強いよな
東アジアという地域を全部一つにまとめてしまっていいのか疑問が残る 「アジア的」という言葉があるけど、旧ユーゴスラビアの紛争が起きたとき、
ドイツのメディアはやたら「アジア的」という言葉を使っていた 中国大陸には南島系文化の要素ってないんだろうか?日本文化における南島系要素だって基底深く沈潜していてよほど注意深くないと見いだせないだろうし。 同じ島国といっても、大陸との距離はそれぞれ異なる。
比べてみれば一目瞭然、イギリスと欧州大陸など1つの国になってても不思議はない。
一方、マダガスカルとアフリカ大陸は、これだけ離れてりゃ別世界
北海道と本州 19キロ
イギリスと欧州大陸 34キロ
日本列島と朝鮮半島 約200キロ(間に対馬がある)
マダガスカルとアフリカ大陸 約400キロ ロシアが専制的なのってビザンツ由来?それともモンゴル由来? 日本企業の年功序列制度は、ポリネシア文化の影響じゃないのかなあ 距離だけの問題じゃないけどね
400kmより数十倍以上離れてるボリネシア人がそこに根を張ったんだから
技術と金と先住民勢力と魅力と政治力次第 トルコ人は自分たちのことをヨーロッパ人だと思っている
ただ、その一方で、トルコ国内での、EU加盟を目指す政策に対する評価は、
年々低くなっている。諦めムードか?それとも、別のアイデンティティに目覚めたか? >>982
> 技術と金と先住民勢力と魅力と政治力次第
あとは海流だな 今のトルコ人のアイデンティティはアンビバレントなんじゃないかね?
「おれたちはアラブ人やその他のムスリムほど野蛮じゃない、ヨーロッパ人と同様の文明人だし」と「俺たちはやっぱりムスリム、ヨーロッパとは違う」との相克 マダガスカルってマラヨポリネシア系航海者が入植するまでは人類はいなかったのかな 日本もそろそろ「脱亜入欧」をやめて「脱亜脱欧」を目指すべき
日本は欧米諸国とは「異質」ということでいいと思う
欧米とはただ利害関係だけでドライにつきあっていけばいい >>987
入植より遥か前の動物の遺骨が切り傷あったらしく来てはいたみたい
ただ気候的にも降雨量が世界一な場所なので住み着くにはある程度の技術持ってないと無理 >>989
マダガスカルは降雨量が多いのか?
オーストラリアみたいな気候風土だと思ってたけど違うのか 東海岸は高温多湿なジャングルで、西海岸は砂漠なんだな >>991
11月から4月までの雨季に年2回ぐらい超巨大サイクロンが来る
インド洋の広大な海の水を全てほぼほぼそこで吐き出されるから降雨量が半端無い
それが多様な植物と動物の形成に繋がってる訳なんだけどね
その代わり5月から10月までの乾季は島の西側が極端に乾燥して砂漠化してる >>971
中世ではまだビザンツのバルカン半島領土はヨーロッパという地理認識
ビザンツ帝国自体をアジアに含めて認識するようになったのは啓蒙時代くらいから >>994
ヨーロッパ自体言葉は昔からあったけど実際は定義も曖昧だったし国境も流動的だしそんなに言葉として使われてない
中世期にカトリック層が布教分布を表すために>>971の定義してそれが今の定義に繋がってる
カトリック層はビザンツ帝国を中世初期までは同じローマ市民として扱ってたが大きな隔たりが出来て教会も別れ同じ同族として見れなくなった
東方教会はヨーロッパでは無いと言う認識から用いたのがアナトリア半島跨いでる事からアジアと言う認識で定義した
ヨーロッパはその後も何回も集まっては定義し直しはしてるけど、アジア側はそういう定義は一切してないので未だに偏見で言われる事もあるだろうけどね 「アジア」なんて何の意味も無い
アナトリアと日本にどんな共通性があるねん
民族的にも文化的にも人種的にも >>988
いまはアメリカ・オーストラリア・インドとともに海洋連合を形成しているところだ アジアなんて「旧大陸中でヨーロッパでもアフリカでもない地域」ぐらいの意味だもんな 「アジア」と「ヨーロッパ」より、いまは「大陸勢力」と「海洋勢力」に分けるのが流行 そもそもギリシャ人が『エウロパより東の地域、異民族がひしめき合うところ』的な程度の
ざっくばらんな意味合いで使ってた酷く曖昧な単語、それがアジア
中東もイラン文化圏もインド文化圏もインドネシアの辺りもルーシ文化圏も中華文明圏とその周辺も、
全部何でもかんでも引っくるめてアジア
こんな単語をずっと使ってるのがおかしい
アフリカってのも酷く曖昧だよな
地中海に近い北アフリカとサハラ砂漠以南のブラックアフリカも全部アフリカ、
しかもブラックアフリカもそれぞれ言語体系が違うし中世以降はイスラム化した地域もある
いい加減こんなテキトーな単語は放棄して別の概念に変えた方がいい
アジアって言われても仲間意識なんて全くないしな このスレッドは1000を超えました。
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