ローマ帝国滅亡から暗黒の中世へ12
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ローマ帝国滅亡から暗黒の中世へ
文明が終わるということ
識字率そこそこ → 神父以外文盲
上下水道完備 → 糞尿垂れ流し
食器と食事道具 → テーブルのくぼみに盛り付けて鷲掴み
街道は安全 → 野盗・山賊だらけ
貨幣経済 → 物々交換
地中海貿易 → サラセン海賊跋扈
巨大建造物 → アーチすら作れなくなった
各地の特産物からなる豊かな食生活 → 雑穀雑穀雑穀、ちょっと小麦
地中海の覇者 → フン族、アヴァール、マジャール、ヴァイキング、イスラム、モンゴル、オスマンにボコボコ
人類史上最も幸福な時代 → 重税、蛮族の侵入、疫病、餓死、王侯貴族による圧政、教会による支配
前スレ
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1592910560/ いや、畿内だけしか見てないならそれで間違うてない
奥羽なんか見たら全然違うけど まあ、フロイスのはポルトガルとゴアとマラッカと畿内を比べれば日本が一番、くらいが実際のところなんだろうな >>919
平安時代に組織的な捕鯨や鯨肉、鯨油の流通ルートがあったと思うか? >>950
江戸が戦国時代に広大な湿原だったって
40年前の知識で止まってるのなんですかね? 中世のヨーロッパではフランスの農業生産力が頭抜けていて、
百年戦争のときにフランスにやってきたイングランド兵は、
フランス人の目には乞食のように見えたらしい イングランドは広大な草原で、牧場には最適
羊毛を輸出して、穀物を輸入しないとな しかし、百年戦争に敗れる前のイングランドは、フランスに広大な領土を持っていた
豊かなボルドーの葡萄畑はイングランドの領土 ローマ時代から、ボルドー辺りのワインは製法が変わってない 百年戦争の開戦時は寒冷期になっていて
イングランドで葡萄畑が消え始めていた
開戦からちょうど10年後にペストの
大流行も始まる 「日本は貧困ゆえに盗賊が多い」(ザビエル)
「土地が貧しいゆえに人々の間では戦争が絶えない」(ジョアン・ロドリゲス)
「日本の男たちは略奪によって生計を立てている」(フアン・ゴンサーレス・デ・メンドーサ)
「売春婦と海賊で満ち溢れている」(宋希m)
「肉欲と不品行においてきわめて放縦に振舞い、野望と肉欲が、彼から正常な判断力を奪い取ったかに思われた。この極悪の欲情は、止まるところを知らず、その全身を支配していた。」(フロイス)
日本人の正体 >>966
良かったら「東アジア史総合スレッド」というのをたてようか?
そこでこころゆくまで日本を含む東アジア諸国の話題を語ってもらいたい 近代以前のヨーロッパでは、フランスの人口の多さは圧倒的だよな >>962
イングランドの領地じゃない
イングランド王を兼ねるアキテーヌ公の領地
これ全く違うものだからな 前近代では、ヨーロッパが貧しくてオリエントが豊かだった
古代のギリシア人は傭兵としてエジプトやペルシアに雇われていた
アレクサンドロス大王がペルシア帝国の富に驚いた話は有名
ゲルマン人の王たちの中には、オリエントの征服を夢見た者もいたらしい
(実現はしなかったが) 18世紀くらいになっても、イスタンブールは西欧人にとって憧れの地 氷河期が終わって農耕文明が始まった1万年前から、ほんの3百年ほど前まで、ずっと世界の最先進地域は中近東
現代人にとって、それを実感するのは難しい 古代のギリシア人にとっても、古代エジプトというのははるか昔の歴史だった
現代人はどちらも同じ「古代」でくくっているけど ポテトが世界を変えた。
アルプス以北の人口が爆発的に増え、中近東よりも豊かになった。
中国では明王朝の1億から清王朝時代に人口が4億に増加。
GDPでインド亜大陸を逆転した。
なあ宋王朝を過大に持ち上げる輩(中国人かな?)がいるようだが、GDPでも人口でも宋の時代の中国はインドよりも下だった イスラム世界の最盛期は17世紀、オスマン帝国・サファヴィー朝・ムガール帝国が鼎立したときだ
どの1国をとっても西欧が霞む繁栄、それが3国も並んだ
長い人類の歴史からすれば、わりとつい最近の状況 インドはマウリヤ朝の時に既に人口1億人もいて
他の地域とは常に別格だった
オスマン帝国とサファヴィー朝の頃のイラクは人口たった100万人
オスマン帝国もサファヴィー朝もイラクを再建出来なかった メソポタミア文明は「4大河文明」と並び称されているが、チグリス・ユーフラテス川は流量も少なく、涸れるのが心配な川
もともと弱含みな河川文明 >>988
中国の内地と同じで、常に北から攻め込まれる側
ただし、中国でいえば漢の武帝とか明の永楽帝みたいに、逆に北方遠征に乗り出した皇帝はインドにもいた。
実際に、アフガニスタンあたりまで征服したこともあった。
もっとも、そんなインドの皇帝ももとはといえば中央アジアから南下した勢力なんだが >>986
オスマン帝国もサファヴィー朝もバグダッドを再び100万人都市に出来なかった
バグダッドを再興するには中東全域の富をかき集めて投資する必要があった
アッバース朝はササン朝末期の洪水で荒廃したままになっていたイラクに
巨費を投じてバグダッドを建設してイラクを再興した
アッバース朝がなければイラクはササン朝を最後に歴史の表舞台から去っていた >>983
>GDPでも人口でも宋の時代の中国はインドよりも下だった
宋代のインドにはまともな統計資料はない
だからこんなことはまったく断定できない
アンガスマディソンのような疑似統計史を真に受けてはいけない
あれはとりあえずの叩き台(本人も著書でそう書いてる) >>988
インドの王朝はマウリヤ朝もムガール帝国も
領土拡大が止まると内乱滅亡で平和がない
インドは常に戦乱で人口が1億人以上に
増えないようにしていたようだ
ペルシャや中国のように天下統一したら
人口が増え過ぎてカンボジアやマヤのように
インドは滅亡してしまうのだろう
インドが熱帯で唯一持続しているのは
人口を制御していたからだろうな 半島南端部はわりと平和な感じがする
チョーラなんか400年以上続いてるし
本国は小国なのに海の向こうに大帝国作ってたし >>992
それは中国にも当てはまる
長い歴史を通じて、中国の人口は6千万人、インドは1億人というのが基調 >>994
漢も唐も6千万人になると飢餓状態
インドが常時芝刈りをしていたとするならば
中国は森になるまで放置して一機に伐採する感じ 中国史は大規模な人口増減の繰り返し
絶滅と進化を繰り返す地球生物の歴史みたい >>990
アッバース朝時代の東方イスラム世界は
イラクとホラサンの二つの頭が争っていた
アブー・ムスリムはホラサンを唯一の頭にしようとしたけど
アブー・ムスリムは粛清されイラクがもう一つの頭になった
イラクがホラズム・シャー朝に征服されそうになった時に
アッバース朝がモンゴルに使節を派遣したので
ホラズム・シャー朝はモンゴルと断交し戦争となった
モンゴル軍により二つの頭が切り落とされる事になった このスレッドは1000を超えました。
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