◆◇◆十字軍・十字軍国家について語ろう!◆◇◆
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>>22
援軍も入れて大軍で思いっきりルーム・セルジューク朝を滅ぼそうとしてますがそれは
で、ミュリオケファロンの戦いで大敗していますがそれは あっちが上手くいかないからと反対へ向かうのは下策なのかね ルーム・セルジューク朝のスルタンは、マヌエル1世が大規模な遠征を準備中、
という情報をつかんで急ぎ宰相のガブラスをコンスタンティノープルに派遣して
和解を申し入れたが、にべもなく皇帝にはねつけられた
このときに和解を選ぶ道もあった? マヌエル1世は諸勢力の連携とアナトリア高原の強固な守りを侮っていた 神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世やシャルル・ダンジューも、
普遍的キリスト教的地中海帝国の夢を抱いていたから、
マヌエル1世のローマ帝国再興というのは中世人の思考としては
異常ではなかったのかもしれない ルイ9世は病身を押して無理に遠征に出かけ、途中でペストで亡くなったのは情けないとしか・・・ 渡河中に落馬して亡くなったフリードリッヒ・バルバロッサも フリードリヒ1世は普通に高齢が原因だと思う
強行軍でかつ重装備、しかも68歳となるとな
せめてあと10歳若ければあの場面で生き延びて
フィリップとリチャードをまとめて5万ぐらいの軍勢で
サラディン破ってエルサレム占拠ぐらいまではいってたかもな フランク人はギリシア正教徒よりも、シリア正教会(単性説をとる)に好意的だった
ギリシア正教徒はアラビア語は話すが、最終的にはコンスタンティノープルの
いいなりで、ビザンツ帝国の手先とみなされていたからである
時代が下るにつれて、東方キリスト教徒はアラブの指導者たちと結ぶようになった
彼らにとって、ムスリムが口出ししなかった宗教上の自由をフランク人が
認めなかっただけ、フランク人に対する恨みは強かった
東方キリスト教諸派のうち、マロン派だけはフランク人と良い関係にあった バランスシートからすれば十字軍は
イスラム勢の何世紀にもわたる悪行に対する
ささやかな報復と言える トリポリを臨む山岳地方を拠点としていたマロン派は、十字軍がエルサレムを攻めた
1099年に案内役をつとめた
フランク人と接触したマロン派教会は、1182年、アンティオキア総大司教エムリーの
もとにローマ教会と合体した >>34
てか今の世界で治安悪化させてる原因の半分がイスラムだからな オリエントをうまく統治するには、異教や異端に対して寛容である必要があったと
思うんだが、フランク人の排他性のためにそれは実現できなかった フランク人はキリスト教を受け入れるぐらい宗教にはフランク キリスト教を受け入れてから、異端や異教に不寛容になったんじゃないの? >>31
悪行はキリスト教側のほうが先
共存を求めたイスラムに対しキリスト教側が拒否し、迫害 イスラム主導による共存なんていらんわな
だいたい創始者が武将で対立部族ぶち殺す
つまり大量虐殺やってたな宗教だからなイスラムは >>42
ボスニア・ヘルツェゴビナなんてイスラム教徒の防波堤になってるだろ
あの伸びてる部分がモハーチの戦いで奪った領土の丁度オスマン全盛期ぐらいだからな
オスマンがもっと強くなってたらヨーロッパ荒れてたわ
アルバニアとかってイスラム脱却しようとはする気ないのかね
「スカンデル・ベク」とかあるし、ほとんどトルコの属国とか? >>42
私もそんなふうに思っていた時代がありました。
イスラム海賊の凶悪さを知る前までは。 イスラームには極めて限定的で差別的な共存はあるかもしれんが共栄はない
征服か服従のみ >>44
アルバニアは共産圏だった時は無神論だったろ
スターリニストなりに脱イスラムは目指してたと >>5
キリスト教会の東西分裂というのは
ユダヤ教とキリスト教とイスラム教とか
旧教とカタリ派、旧教と新教ほど決定的で
深刻な話ではない感じだな
十字軍が東ローマ皇帝を塔から叩き落としたり
コンスタンティノープルを荒らしたのですら
宗派対立とは全く無関係の東ローマの権力争いが
発端だし >>1
■モンゴル帝国による征服、3000万人-5700万人、199年間
■第二次世界大戦、6000万人-1億1800万人、6年間と1日
■明清交替、2500万人、65年間
■日中戦争、2000万人-2500万人、8年間
■太平天国の乱、1000万人、14年間
■ティムールによる征服、800万-1700万人、35年間
■回民蜂起、800万-1200万人、15年間
■アメリカ大陸植民地化、840万人-1億3000万人の死者、199年間(死亡者数の推定値は、コロンブス以前の先住民の人口規模についての統一見解がないために異なっている。死亡率の90%は主に病気によるものである[注釈 1]。)
■メフメト2世による征服、87.3万人、30年間
■文禄・慶長の役、100万人以上、7年間
■十字軍、100万-300万人[信頼性要検証]、196年間
戦争犯罪・虐殺
■第二次世界大戦、2900万-3050万人の死者
■日本の戦争犯罪、300万人-1400万人の死者
■三光作戦、270万人以上の死者
■国共内戦、180万人-350万人の死者
■マラーター王国のベンガル侵攻における戦争犯罪、40万人
■米比戦争、20万-25万人
■マニラ大虐殺、10万-50万人
■南京事件、1.3万-40万人
病気・飢餓
■中華人民共和国大飢饉、1150万人-5500万人の死者
■第二次世界大戦による病気と飢饉、1900万人-2800万人の死者
■大日本帝国による飢饉と病気、813万人-1493万人の死者
■日中戦争による飢餓と病気、500万人-1000万人の死者
※拡散は歓迎だぞ >>1
戦争・武力衝突
ここでは、高い推定値による死者数が10万人以上となる全ての戦争について一覧を載せる。これには軍人と民間人の両方の死者数が含まれる。直接、戦争によって死亡しただけでなく、それによって引き起こされた戦闘、病気、飢餓、虐殺、自殺、ジェノサイドによる死者も含む。
■第二次世界大戦、6000万人-1億1800万人の死者、6年間と1日
■モンゴル帝国による征服、3000万人-5700万人の死者、199年間
■明清交替、2500万人の死者、65年間
■日中戦争、2000万人-2500万人の死者、8年間
■安史の乱、1300万人-3600万人、8年
■第一次世界大戦、1750万人-4000万人、4年3ヶ月1週
■太平天国の乱、1000万人の死者 14年間
■回民蜂起、800万-1200万人、15年間
■ティムールによる征服、800万-1700万人、35年間
■アメリカ大陸植民地化、840万人-1億3000万人の死者、199年間(死亡者数の推定値は、コロンブス以前の先住民の人口規模についての統一見解がないために異なっている。死亡率の90%は主に病気によるものである[注釈 1]。)
■レコンキスタ、700万人、781年間
■ロシア内戦、500万-900万人、5年間
■三十年戦争、300万-1150万人[信頼性要検証]、30年間
■デカン戦争、560万人、27年間
■黄巾の乱、300万-700万人、22年間
■秦の統一戦争、200万人、9年間
■メフメト2世による征服、87.3万人、30年間
■文禄・慶長の役、100万人以上の死者、7年間
■十字軍、100万-300万人[信頼性要検証]、196年間
■第二次コンゴ戦争(1998)、380万人-540万人
■第一次コンゴ戦争におけるフツ難民の虐殺、20万人-22万人
■コンゴ自由国における残虐、300万人-1300万人
※拡散は歓迎だぞ >>1
強制労働・奴隷貿易
ここでは、労働条件の悪さによる死亡、労働能力を十分に発揮できなかったことによる死刑、輸送中や職場での労働者の不当な扱いによる死亡について一覧を載せる。
■労働改造制度、1500万人-2700万人
■アラブ人の奴隷貿易、754万人-7000万人
■オスマン帝国における奴隷制、1050万人-1125万人
■グラグ制度、105万-600万人
■北朝鮮における強制労働、40万-150万人
■アシエンダ制における奴隷労働、17.3万-201万人(1900-1920)
■大日本帝国による朝鮮人の強制労働、27万-81万人
■バルバリア奴隷貿易、24.5万-38万人
死者数による政治的指導者一覧
ここでは、特定の政治指導者が原因となった死者数を載せる。死亡者は国策による国内の状況と、問題の指導者に対して忠実な軍隊による積極的な殺害の両方に起因している。
■毛沢東、1359万-7000万人
■チンギス・カン等、2000万人-4000万人
■アドルフ・ヒトラー、1351万人-2549万人
■蒋介石、596万人-1852万人
■ヨシフ・スターリン、330万人-1500万人
■昭和天皇、300万人-1400万人
■レオポルド2世、300万人-1300万人(コンゴ)
■ポル・ポト、138万人-340万人
■青年トルコ人(オスマントルコ帝国)、148万人-281万人
■オマル・アル=バシール、106万人-253万人
■金日成等、71万人-350万人
※拡散は歓迎だぞ >>34
キリスト教とイスラム教の対立に仕立てたのはフランクなんだよなあ
実際はペルシア帝国の侵略にギリシアとエジプトが同盟組んで対抗し、
ローマにも援軍を求めたところ、ガリアの蛮族が大群でやってきて
ペルシアそっちのけでエジプトとシリアを攻撃しまくってただけなのよな 初期十字軍から後期まで、イスラム側も含めた遠征時の食事、陣中食を調べたいんだけどおぬぬめ本とかサイトとかある? >>56
エルサレム王国は夢があったよな
王様の名前もアモーリーとかなんか神聖な祈りの言葉みたいでかっこいい しかし十字軍ってあれだけの年月とあれだけの人員を注ぎ込んだのに、
西の沿岸地域をちょっと削ったくらいでしかなかったのな
マアルーフはこの時期のセルジューク朝の内乱を呆れたふうに軽く書いてるけど、
これって靖難の役・土木の変と倭寇とを比べて、後者を地方の将軍任せ
にすることを責めるようなもので、ちょっと理不尽だよね 十字軍自身も理不尽だと思っただろうよ
温暖冷涼な気候から砂漠のひたすら熱いところに駐屯させられるんだから 意味不明な返しだな
もしかして文意を理解してない?
マアルーフを同時代の年代記作者と思ってる? https://nazology.net/archives/108335
12世紀の「手榴弾」発見? イスラム教徒が十字軍撃退に開発した可能性
2022.04.30 SATURDAY 十字軍は元々チンピラの厄介払いだった
貴族や修道院のガードマンである客人
だが、農民や奴隷いじめて手に余った
そこで、エルサレム開放を建前として作られたのが十字軍
チンピラを前線に送る事で平和な日常を手に入れた
十字軍は十字軍でイスラム圏の国々に敗北したが
技術や財宝を手にした
そのおかげで西欧は発展した 近年の遺伝子調査によれば
十字軍兵士の遺伝的痕跡はほとんどないそうだ 遠征してそのまま国を作って居座る考え方が理解できない 仮に宗教の聖地であってもね
項羽ならいい服着ても夜道を歩いたら意味がないとしてエルサレムを奪還したら故郷に帰ることを考えるはず 劉邦も故郷に帰りたかったから巴蜀から出てきたんだろ?俺ら日本人もそう
一旗あげたら必ず故郷に帰りたがるもの 母国じゃあぶれ者なんだから聖地で一旗上げて天国行き確定したほうがいいだろ 項羽も母国じゃあぶれ者だから、むしろ母国に帰ってチヤホヤされたいんだ
四面楚歌なんてみんな故郷に帰って家族に会いたい
楚の兵の心理をついたんだろ?
アジア系は故郷を大事にするんだ 元々エルサレムは東ローマ帝国の領土であり
ユダヤ教徒とキリスト教徒が暮らしていた
そこに後からイスラム教徒(アラブ人=パレスチナ人の祖先)がのこのこやってきて土地を奪って勝手に住み着いただけ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています