明清帝国 四
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
>>851
永楽帝は、モンゴル人騎兵を建文帝との戦いに投入してたらしい 明代の大都市というと、北京、南京、南昌、杭州、福州、広州などがあげられ、
これについで、蘇州、松江、淮安、揚州、臨清、済寧、儀真、蕪湖、瓜州、景徳鎮の
名が見られる
これらの都市は、北京が純粋な政治都市であるほかは、なんらかの形で
交通の要衝にあたり、さらに物資の集散地あるいは生産地として知られていた 宋代に栄華を極めた泉州は明代にはもう衰退してたんか? 明の太祖は、商人を憎むあまり、農民が紬とか紗などの高級な絹織物を
身につけることは認めたが、商人には並みの絹物しか許さず、
また農民でも、その家に商人がでると、高級絹服着用の特権を取り上げた 洪武帝はそればっかだな。商人も官吏も蓄財不正ばかりだった実情があったとしても根本的解決策とは程遠い強権発動でお茶を濁してる 洪武帝は商人を抑えることに躍起になったが、その彼が開中法を制定し、
財閥勃興の元凶になったのは皮肉 国の別れ方としては五代十国の初期(後梁期)がちょうどよいか
でも南漢はちょっと有利すぎそうなので
広東の南越(漢民族)と広西のチワン族の国にわかれるくらいでもよいかもしれん >>868
海南島なんか福建人の植民地やん
海南島と台湾と雷州半島は福建人の植民地で言語も福建の閩語や 日本や台湾は大陸から遠く離れているが、海南島は独立を維持するには大陸に近すぎる >>864
官吏の給与が低すぎる。
歴代王朝最低ランク。
給与だけで食べていけない。
賄賂があってやっと生活できる。 中国の兵船は、福建より広東のほうが優れていたという
その理由は、広東船は大型で、船材は南方産の硬木ダガヤサンを使うので、
両船が衝突した場合、福建船のほうが砕けるのだそうである 17世紀初頭、明末の北京は、100万人を超える人口を抱えた過密都市になっていた
日本の江戸が100万都市として登場するのは、江戸中期、18世紀になってから 明の時代だと、北京とイスタンブールが世界の2大都市だな
清代には、北京の人口はなぜか明代の半分くらいになってしまう 清代の北京には、内城には数十万の旗人とその家族や奉公人・奴僕が住み、
南部の外城には在来の漢人住民が住まわされたのだとか
旗人は日本の武士と同様に農工商業への従事を禁じられていたので、
外城地区の民人の商人が行商や御用聞きの形で浸透し、やがて商人への
借金など、旗人の経済苦が問題化していった 清の人口を考えたら、首都の北京もそんなもんだろうな
それが自然だ 江戸時代の朝鮮通信使の中に、中国にも行ったことのある奴がいたが、そいつは日本で大坂の街を見てビックリしていた
「北京より、大坂のほうがずっと凄い都会だ」と書き残している
しかし、そいつは名古屋でさらに驚いていた >>880
旗人とその家族・奉公人・奴僕すべてを合わせて数十万人、という意味では? 隣の芝生は青く見えるってやつだろうけど如何せん日本の街は羅城がないしデカい城壁や堀とかがないのでトータルで見て貧弱に見えるな
北京の角楼や南京城壁とかスゴイで 西太后の京劇愛好は有名だけど、18世紀から、宮廷だけでなく、
王族や旗人たちにも芝居好きの習が広がっていて、観客としては
もちろん、たびたびの禁令にもかかわらず、俳優や劇作家として
活躍する者まで続出した >>886
日本は何年にもわたる攻城戦を前提として築城してないからじゃない
水攻め、大砲で攻略できちゃう
そもそも古代文明の標準規格である城塞都市から発展してないのが日本
まあなんとも平和というかなんというか 日本の建築って、ヨーロッパやインドや中国の建築に比べてみすぼらしいよな
基本、木と漆喰が材料だし 清朝の時代には、中国は相対的にかなり落ち目だな
中国も発展しているのだが、日本や欧州が一気に加速して追い抜いていってしまった 清朝も、領土は明朝の倍くらいに広がってるし、人口は何倍にも増えてるし、中国史上での最盛期ではあるんだけどな
それでも、なぜか世界最先端からは脱落した 清の人口は、1711年に2460万人、60年後には2億500万、100年後には3億を超えた
ちなみに、18世紀、ヨーロッパ最大のフランスですら、人口は2300万人だった >>892
増えたのダメな貧乏漢人だからなぁ
清朝初期の優秀な満洲人が増殖してたら良かったけど
結局増えたのは貧乏漢人で満洲人もそれに引っ張られる形で堕落したのは
人類の汚点の一つだと思うわ 日本は城壁でなく堀文化
現在では外堀が埋められて城郭しかないから分かりづらいが、
堀は真剣に張り巡らした >>893
満州で質朴な暮らししてればいいものを、
万里の長城越えて中華の主になるから
田舎者が大都会に出て来たら、
本人は質素を守っても子供や孫は大都会の驕奢に染まる 太平天国の乱のころには、国軍の根幹である八旗が特権と世襲のために弱体化し、
外国軍はおろか、国内の反乱軍に対しても、まったく役に立たなくなっていたな >>891
人口増えすぎて一人当たりのGDPが低下。
食えない人々が海外へ移民。
移民者は低賃金に甘んじながら故郷へ送金。
送金業務のための金融業が発達する。
満洲故地への漢人の立ち入り制限が解かれると、
どっとと大量の漢人たちが移住するなど
国内での人口流動も活発。
生存するために皆が必死。 >>895
中華人民共和国の民族別統計だったと思うが、
満洲人の教育レベルが高かったという話があった。
支配階級民族だった影響は残っているのかもしれない。 >>897
現代のアフリカ諸国の人口爆発みたいなものかな? >>899
人口爆発ってのは20世紀に起きた現代の問題に思えるんだけど、清がそれにずっと先んじているのは、さすがだ >>896
センゲリンチン率いる蒙古八旗だけは戦闘力あったが、
捻軍との戦いで濠にモンゴル騎兵が濠に阻まれているところを
捻軍の歩兵と下馬騎兵に襲撃され、衆寡敵せず全滅した。
それ以後清朝正規軍は反乱鎮圧すら出来なくなり、
軍閥の私兵に頼る様になった。 >>901
アロー戦争で、英軍がセンゲリンチンをサム・コリンソンと英名風に呼んでた話しには笑った >>897
乾隆帝の治世では、貧民が増えた一方で、富める者は好況のおかげで、
ますます裕福になった
この時代には奢侈の風潮が都市の富裕層を中心に瀰漫して、
絢爛たる消費文化が展開した
しかし同時代のヨーロッパのように、事業への投資・資本の蓄積は
進まず、いわゆる産業資本が育たなかった まあ、沖縄とかエジプトくらいの緯度にある南国だからな
そんなガツガツと勤倹貯蓄、拡大再生産とかやらないだろ >>903
ファン・ベンゴロ>はんべんごろう みたいなもんか 清代になると、蘇州に加えて揚州が経済と文化の中心地になったな
揚州は塩の都で、一時、その繁栄は蘇州を圧倒するほどだった
塩商たちは著名な学者を招いてパトロンとなり、大金を投じて
珍本を蒐集し研究を支援した 仁宣の治(じんせんのち)とは仁宗洪熙帝とその子宣宗宣徳帝の治世を指し、明王朝の絶頂期と評価されている。 清朝の全盛期とされる「康乾盛世」はよく知られているが、明朝の全盛期「仁宣の治」は認知度が低い
永楽帝による北京帝国の再興、それから「土木の変」でオイラートに敗れるまでの期間が明朝の絶頂とされる 清の康熙帝と乾隆帝は、それぞれ60年に及ぶ長い治世
それに比べて仁宣の治は、仁宗洪熙帝が1年、宣宗宣徳帝が10年と短い
仁宣の治は、前漢の「文景の治」と並べられる。
実質的な王朝の開祖である永楽帝の後を継ぎ、平和な時代を実現して民力を休養させた 洪熙帝は、身体が弱くて心配なので、永楽帝は皇太子を廃そうかと検討した
でも、子ども(後の宣徳帝)が優秀なので、「次の次」を見据えて外されずにすんだ
徳川吉宗のとき、家重が愚鈍なので次期将軍の座が危うかったが、子ども(後の将軍家治)が優秀なので外されずにすんだのと似ている 日本では歌舞伎の女形が客に身体を売ることがあったけど、
京劇の女形も同じだったんだよな〜 盗、光、禿、僧、賊などの字を使っただけでなく盗と同音の道、僧と音の近い生、賊と同音の則使うだけ死刑にする、こんな狭量のやつがよくもまあ統一できたよな >>914
洪武17年に始まった文字の獄の恐ろしいところは、
どの字が駄目なのかが全くわからないこと。
洪武29年にやっと禁止文字400字余りを発表した。
同時に文字の獄が終了した。
それまでに学者たちに恐怖の念を十分に与えることができた。
それが目的じゃないか? 明の太祖は服飾についても細かく規定していたよな
官吏の場合でも、朝服、祭服、公服、常服の区別がある
生地の紋様から、帯、さらに靴にいたるまで規定している
庶民の場合は天子の色である黄色の使用禁止は当然として、
金の刺繡や錦、綾羅などの高級品は禁止され、ただわずかに
紬とか平織地の絹が許された こうした成り上がりの人物の常として、若い頃からの仲間はチンピラヤクザ、盗賊まがいの怪しい人が多い
天下人に近づくにつれて、配下はエリート官僚みたいなタイプが多くなる
朝廷内はそういう異質な連中が混在する難しい情勢、足の引っ張り合いが激しい 結局のところ、皇帝本人による粛清もさることながら、宮廷内部の暗闘 永楽帝が勝利した後、「壬午殉難」と呼ばれる粛清で、一万人以上が命を落とした
また浙東学派の領袖方孝孺は、彼を含む一族・知友・門生あわせて873人を処刑した
洪武帝と永楽帝には、猜疑心が強く病的な残虐性をもつことなど、共通点もあるな 漢民族の停滞の遠因だな。今は目立つ事を恐れる必要性がなくなったが出しゃばり方が下手くそ 国内向けにメンツを保つためには、どうしても外国に対して威勢のいいところを見せなきゃいけない
そこが、何よりもメンツが重要な中韓の権力者のつらいところだ 欧米の権力者は面子を気にしないのかね
ていうか権力闘争が過激なのって東アジア限定なの? 権力者のパワーが圧倒的だからこそ、権力闘争が発生する
ヨーロッパには東洋的な専制は根付かなかったが
政府が強大な権限を持つ共産圏では熾烈な権力闘争が発生した >>925
政府当局が外国の当局と話し合って妥協すると、「弱腰だ、屈辱外交だ」と騒ぎ出す人々がいる・・・というのは、どこの国でも大なり小なり同じ
でも、欧州諸国や日本の場合、政府も国民も国際社会における長い経験があるから、妥協することに慣れている
中韓の場合は、外国と妥協することが国民の手前、非常に難しいことがよくある 朝貢外交は、「辺境の地の野蛮人の酋長も、中華の皇帝の徳を慕って使節を送ってきている」という、国内向けのセレモニー
現代でも、北京の習近平を訪問した外国の首脳が、長い赤絨毯の上を延々と歩かされたりしている >>927
>政府当局が外国の当局と話し合って妥協すると、「弱腰だ、屈辱外交だ」と騒ぎ出す人々がいる・・・というのは、どこの国でも大なり小なり同じ
>でも、欧州諸国や日本の場合、政府も国民も国際社会における長い経験があるから、妥協することに慣れている
なぜ山形有朋が議会制民主主義の導入を妨害しまくったか知ってるか?
GHQに去勢されるまでは日本国民のオラつきっぷりは半端ねぇぞ というか、そんなの民主主義やナショナリズムが未発達だとどこでも起きてる現象だろ
WW2ではドイツがオラつきまくったわけだし ドイツはかなり我慢してたほう
むしろポーランドのオラつきっぷりのほうがヤバいぞ ドイツが我慢したって20年くらいだろ
ポーランドは分割されてから100年以上我慢してる 永楽帝が鄭和の大艦隊を派遣したのだって、海外との貿易を盛んにするのが
目的ではなくて、国威発揚のためだったよな
実を捨てて名をとるのが中国という国 21世紀初頭の爆速爆食発展
史上空前の規模だったせいで通貨安貿易不均衡による貿易相手窮乏化も比類がなくヘイトを稼ぎまくる
しかし中国は発展の結果とんでもない量の資源(そして引き続き海外市場)が絶対不可欠になり嫌でも打って出るしかない
同時に改革開放加速以来の中華文化宣揚と経済発展で
伝統と最先端、老若男女、インテリ老百姓、左派(社会主義)右派(自由主義)関係なく周りからみれば昔より尊大に
実を捨てて名を取るじゃなくて、名も実も取るしかないってのが正しいかと 中国は一帯一路で中東勢を従えた自前の経済圏を作れたからもはや覇権国家確定済みという
オバマ政権とか中国にすりよるために尖閣諸島は安保の対象に入ってないとかアホなこと言ってた
トランプやバイデンに代わって良かったがオバマみたいなのが今後出てこないとも限らない >>935
オバマも、任期終了前には「真の敵はチャイナだ」と気づいた 日本なんて中国がいないと何もできない国でしょ?
「日本製」の服も家電もパソコンも全部中国人が作っているんだし
嫌なら全部窓から投げ捨てろ 日本なんて中国がいないと何もできない国でしょ?
「日本製」の服も家電もパソコンも全部中国人が作っているんだし
嫌なら全部窓から投げ捨てろ >>939
最近はそうでもないぞ
だんだん、中国から東南アジアやインド圏に移っている 既に胡錦濤の頃に尖閣、反日暴動、チベットウイグル大噴火とかいう
ある意味現在よりも酷い事態が発生してたのにヘラヘラしとった俺らが真のマヌケやろ 胡錦濤時代には、「中国もだんだん普通の国になってきましたな?」と世界的に評価されていた あの頃は開発独裁&新自由主義的な意味で普通の国に向かってたけど
なにが起こるかわからんヤベー社会感は今よりずっと凄かった気がするw >>888
戦国後期からやっとそういう方向に動き出した感じ
大阪城は最新式のオランダ砲でやっと届いたらしいし、都市の要塞化の兆しが出てきた
と思ったら、すぐにまた元の状態に戻された
外国は戦国末期の状況に紀元前の何世紀も前に
到達して、そのまま発展していったのでは? 中国の都市は城壁があるのが当たり前だよな
長安にも城壁があって、坊門・市門も、規則としては坊市門とともに、
日没と同時に閉じられ、街路の通行も禁じられた
そして夜明けを待って、門は開かれ、通行が許された >>946
そういう戒厳令状態だったのは唐代までだな
宋では夜市が立つようになった 宋代になって「廂」という新しい都市の行政区画がおかれる
これは都城の人口が増加し、やがて城坊からあふれでて、
城壁の外部に多くの家屋が立ち並ぶようになり、そのため開封では、
それを管轄するために廂制がおかれた >>945
外国の戦争では基本的に国VS国か部族VS部族だから規模からして日本の合戦とは違う
生で見たことあるのはソウル城郭ぐらいだがとにかく日本とはスケールが違うというか盆地全体が城なんだよな
首都のすぐ北側には山岳ゲリラ戦用の北漢山城という防衛要塞があるのだがこれは山脈全体に城壁をめぐらして一つの城にしてしまっている
半島ですらこの規模なのだから中国の城郭都市ともなるとどれだけデカいのかと 古代日本の山城は、大陸から攻められることを想定して作られている 万里の長城が煉瓦壁になったのは明代。
よくまぁあんな険しい尾根に延々と作ったものだ。
現代の八達嶺長城や慕田峪長城にはロープウェイで登れる。
自分の足で登るには疲れる。
登るだけでもキツいのに、煉瓦を運び上げるなんて考えるだけでも恐ろしい。
慕田峪長城のロープウェイ入場料明細を見たら傷害保険料が含まれてた。
滑落、落石、落雷の危険がありそうだ。 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。