明清帝国九
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明清交替の後、朝鮮が明に代わって漢民族の正統の文化を受け継ごうと考えたのに対し、
日本の儒者・熊沢蕃山は、文武のバランスを重視し、中国のように文弱になると
国が亡びると考えた
ちなみに、新井白石は、朝鮮通信使から、日本は武を尚ぶ国だと言われて、あまり喜んでいない
「武」一辺倒の国だというのは野蛮人だと言われているようで不快だったのだろう >>5
満洲族は尚武の民族と言いながら、清中期以降は文弱になってしまい、
満洲八旗も白蓮教徒の乱も鎮圧出来なくなった。
アロー号戦争の頃まで英仏連合軍に一度は勝てたセンゲリンチン率いる
蒙古八旗はなんとか尚武の気風を保って居たが、如何せん兵力が少なかった。
蒙古八旗が捻軍に衆寡敵せず壊滅してからは清の正規軍では
内乱も欧米列強の侵略にも全く対応出来なくなってしまった。 https://klockworx-asia.com/kenkaku/
韓国映画『剣客』
李氏朝鮮時代の人々なら、こんな作品を作ろうという発想はなかっただろうな 清朝の満州八旗も徳川幕府の旗本八万騎も長い泰平の世で貴族化して、
戦の役に立たなくなった
19世紀後半、徳川幕府は地方武士の薩摩・長州軍に倒されたが、
清朝は漢人官僚が組織した淮軍、湘軍などで太平天国鎮圧に成功した >>9
オスマンのイェニチェリも
太平天国は最終的には鎮圧したとはいえ、
清朝全盛期なら大勢力になるまえにすぐ鎮圧してたはず 東アジアの場合、明代や戦国時代には大砲や鉄砲など、西洋から伝わった武器を
活用していたが、その後泰平の世が続くと、武器の進歩も止まってしまったな >>11
火薬兵器の始まりは東アジアなんだけどね。
モンゴルからヨーロッパに伝わって改良が進んだ。 >>9
薩摩・長州は英国の支援が大きい。
長州が英国公使館焼き討ち事件を起こしたり、薩摩藩と戦火を交えたりするうちに、英国人はこいつら見どころがあると気付き、逆に支援するようになった。
英国は太平天国とも接触し交渉するが、
こいつらは見込みなしと判断し、鎮圧側に味方した。 岳飛はどうなんやろ
どうも悲劇の将軍イメージが先に立ってあんまり強そうなイメージが無いけど
強かったんか? 文禄・慶長の役のあと、李氏朝鮮も明の救援軍の軍備を学んで大型火器を自国生産し、
さらに降伏した日本兵を優遇して火薬調合や鳥銃制作の技術を伝えさせ、
17世紀にはいると、朝鮮の軍隊でも鳥銃の使用が定着していった 袁崇煥がポルトガル砲(フランキ砲)でヌルハチ満洲軍を撃退してる。
ヌルハチは負傷し、まもなく死亡。
だが袁崇煥自身は満洲と内通しているとの濡れ衣で凌遅刑に処される。
内通の証拠や証言は満洲側が用意した謀略だった。 フランキ砲に比べて、明がマカオのポルトガル当局を通じて買い付けた紅夷砲は
強い破壊力を持っていた
一般に、フランキ砲は艦載砲として用いられることが多かったのに対し、
紅夷砲は城の攻防に威力を発揮したとか >>14
> 岳飛はどうなんやろ
そりゃ、強かったでしょ
強くなきゃ困る
武侠小説では戦神クラスだし >>14
何故に明清スレで宋の岳飛が話題になるんだ?
まぁ銃の起源は宋が金との戦いで使用した火槍という人もいる。
岳飛も使ってただろう。
元代に作られた青銅製の銃身が見つかってる。火槍が銃になっていた。
明は日本の烏銃、オスマン帝国のルーミー銃を取り寄せ、複製した。
実戦で一斉射撃も行われてる。 清になると銃の進歩が止まる。
太平天国軍は、170年以上前の呉三桂が残した大砲を引っ張り出して使った。
それでも大いに有効だった。 アヘン戦争当時の清の軍用ジャンク船は小さくかつ貧弱だった。
積んでる大砲を発射した反動で転覆しかねない代物だった。
明代の軍船の方が平均サイズがはるかに大きくて立派だった。
商船では大型船を作ってたので、作ろうと思えば作れた。
軍用に作る必要がなく、作っても運用する体制になってなかった。 アテナイとかコリュントスとかがエーゲ海でイキってた紀元前の古代から割と最近(第二次世界大戦)くらいまで、世界中あちこちで、
戦時に客船・貨物船を民間から徴用して戦争に駆り出すことをやってたのに、アヘン戦争当時の清国はなんでできなかったのはなんで? 清初から海戦が苦手。
鄭成功勢力に負けてばかりだった。
そこで採用したのが遷界令。
鄭成功勢力への経済封鎖のために、
沿岸住民を内陸に強制移住させて、
鄭氏政権と交易できないようにした。
鄭氏政権にとってはかなりの打撃だった。
海軍力強化と違って、後ろ向きだ。
結局、鄭氏政権内部の紛争と、鄭成功の部下だった施琅を提督に抜擢できたことで、鄭氏台湾を屈服できた。 >>13
NHKスペシャル「新幕末史」によれば
英国は日本を征服する秘密計画を1864年に立ててた。
瀬戸内海を封鎖、大阪城を砲撃で無力化、京都掌握。12000人規模で江戸城への攻撃するというもの。
実際、17隻の艦隊で長州下関を占拠。
アームストロング砲でわずか2時間での制圧だった。
その後も対日戦争への意欲を持ってた。
ところが幕府はオランダから開陽丸を
導入する。
開陽丸にはアームストロング砲を超えるクルップ砲が装備されてた。
英国は日本の海防強化に驚き、日本征服を断念した。
戦えば英国が勝つだろうが、コストがかかり過ぎる。 アヘン戦争についてだけど、清は異民族王朝だから、漢民族の漢奸を恐れて、
内陸部にイギリス軍を引きずり込んで持久戦に持ち込む、という作戦が取れなかった
清が漢民族の王朝だったら戦争の帰趨は変わっていたかも >>19
蒙古八旗のセンゲリンチンは彼を表彰する忠親王廟を建立され、
廟の碑文を作成した劉清源は彼を関羽・岳飛と並ぶ名将であると記している。 清代に、漢族がモンゴルに入ってきて草原を農地化しようとしたんだが、半乾燥地である
草原は鍬を入れれば二度と牧草は生えず、かえって沙漠化する確率の方が高かったとか イギリス兵がセンゲリンチンをサム・コリンソンと英名風に呼んでたのには笑った モンゴルに漢人商人が入り込んできて、磚茶(固形に圧搾した茶)を
売りつけるようになると、モンゴル人は家畜をかたにとられ、さらに借金して
磚茶を手に入れ、ついには家畜も持たなくなり、草原をさまようようになった
ついには、高利貸しからの締め付けが苦しいあまり、ロシア領へ逃げる
モンゴル人が多くなった 同じ清の支配階級でありながら漢民族に同化した満州族と全く同化しなかったモンゴル族
何が命運をわけたのか 満州人はほぼ全て旗人となって貴族階級になったが、
モンゴル人で蒙古八旗の旗人となれたのは一部だけで、大半は昔ながらの遊牧民
満州人とモンゴル人で扱いに天地の差がある 満洲国を自力で何とかせず日本に被害者面した女真族は同化消滅するのみ 結果だけを見れば、韓国や北朝鮮は昔からあった国。満州は日本が中国を分割しようと無理やり創ろうとして失敗した国に見える
でも、本当はそうではない。両方とも、日本が中国から切り離して創った国だ
韓国・朝鮮はたまたま、大日本帝国の崩壊後まで残った。だから、昔からあったように見えるだけ もしも、満州国が併合されずに続いていたら?
朝鮮やモンゴルと同じく、昔からあったようにしか見えなかっただろう 沿海州はもともと清朝の支配領域だったのを、ロシアが奪ったんだよな 満洲人は真面目過ぎて、漢民族以上に漢文化に傾倒して勉強してた。 満州人は質実剛健で体格も良く、観念的な思考に強い
「東アジアのドイツ人」みたいな国民性 清朝というのは、ヨーロッパに例えれば、ドイツ人がフランス・イタリア・スペインを統治してたようなものだ
反感はあっても、そのほうがよほど国家が安定して効率よく運営される >>38
清朝では満州民族全体が八旗に編入された
八旗の旗人も下っ端の兵隊は農業や漁労の自給自足生活だったよう
日本の武士も下っ端は半農だったのに似てる
満州人も半農半漁生活でも旗人としてのプライドだけはある
これも日本の武士に似てる >>32
今の内蒙古自治区になったチャハル部は満州八旗と蒙古八旗に編入された。
今のモンゴル国になったハルハ部は外藩蒙古として清からベイレやベイセに封じられたモンゴル王侯の
配下で八旗ではなかった。
今の人口比利だと内蒙古自治区のモンゴル族の方がモンゴル国民より人口が多いから、
八旗に編入されたモンゴル族の方が大方んじゃないのか? >>45
江戸の旗本の本職(主たる収入源)が傘や提灯や竹串を作る手工業というような感じのものか あと漢人八旗も意識としては満洲族の一員になったらしい
今日中国で満洲族を名乗る人のうちかなりが漢人八旗の子孫らしい >>46
ということは、漢人商人が高利貸しなどの悪どい行為してたのは八旗に編入された内モンゴルではなく、
モンゴル王公統治が残る外モンゴルだけだったのだろうか 本邦で喩えると、越後屋や伊勢屋や上州屋が旗本や大名相手にあくどい商いしていたようなものか wikiで見たら八旗には官僚を世襲したりしてたのもいたのね
清も中華王朝で官僚=科挙のイメージが強かったから意外 科挙に合格するには必要文献を多数保有している官僚の家に産まれたヤツが当然有利 四書五経の数十万字を記憶出来る頭脳も必要
出来ない者は大金詰んで裏口試験
いずれにしても生活に余裕のある金持ち階級以外、科挙及第はムリ >>51
八旗の中には科挙に合格する者もいただろう。
でも八旗官僚は一般科挙官僚とは別枠なのでは?
理藩院で執務するのは八旗だけで、
科挙官僚は入らない。
科挙官僚でもトップ合格でないと満洲語の学習を許されない。
公文書が満洲語が中心なのにだ。
後期になると満洲語文書も形骸化するが。 科挙は公平で公正明大な制度ではないよ
試験要綱も公開でなければ、受験資格も縁故に賄賂 中国の時代劇でも、時代背景が清朝だと、科挙官僚には「下っ端の事務員」というイメージがある 明朝だと、科挙官僚には国家を動かす力があるけど、皇帝の機嫌を損ねると棒たたきの刑で血を吐いて死ぬイメージ 雍正年間だと、皇帝本人にも科挙官僚と同等以上の能力があるから
官僚もやりにくい >>55
民主主義下でなく皇帝専制下で皇帝に取って代わらない程度に有能なヤツを選抜するシステムだから当たり前 そもそも、地方の有力者を中央に取り込むのが目的の制度 チャイナだよ。
試験でインチキやらカンニングやらしないわけないし、
試験結果だって賄賂でどうにでもなったろ 地方の有力者の子弟に、メチャクチャ猛勉強させる
→都で試験を受けて合格し、皇帝から官僚に任命される
→中央から派遣されて、地方の知事になる
これで、都の皇帝を頂点とする強固なネットワークを全土に展開する こんなことを五百年も続けた
だから、明清帝国は漢や唐みたいにバラバラな連合体ではない
やっと、統一国家らしくなった と思いきや官僚嫌いの洪武帝のせいで正常な行政運営が滞り宦官などのイレギュラーな存在が跳梁跋扈 今でもチャイナは?が違えば外国みたいなものだろ。
同郷かつ血縁でなきゃあ、ほとんど外国人も同じ >>67
アベ壺三の一件以来、奴等の巣であるニュース系の板が奴等にとって居心地の悪い場になったからな。
世界史板や日本史板に逃げ込んで鬱憤を晴らしてるつもりなんだろう。
スレ住人から嗤いモノにされてるだけなんだが、奴等はほぼ白痴だから気が付かない。
支那人、実際に、幇とか閥とかの仲間内の利益だけで動いてんじゃん。 仲間内の利益だけで動いてない中国人も存在する
仲間内の利益だけで動く日本人も存在する
はい論破 >>70
身長2メートル越す女もいる
シッポの巻いてない柴犬もいる
ってレベルの話だろ >>72
壺は敵対者を見ると脊髄反射でそう口走る。
奇声を発してるようなもんで特に意味のある言葉ではないし、
意味のある言葉を喋るほどの知性を奴等は持ち合わせない。
むしろネトウヨがスレに混入することでレベルが下がる
くだらない罵倒合戦は政治板ででもしてきてくれ🤭 「中国分裂論」はずっと前からあるけれど
分裂しそうで、なかなかしない
思うに、「中国は1つ」という感覚は見た目より深く根づいているのではなかろうか
明清帝国五百年を通して熟成されてきた、北京の求心力は意外と強い 反覆恒なき地方軍罰が割拠してた戦前の中華民国も一応、蒋介石の国民政府に帰順してたぐらいから >>79
今も分裂してるやないか
中華民国と中華人民共和国 >>61
1699年の郷試で大官の子ばかり優秀とされたので不公平だとの批判が巻き起こる。
賄賂があったとのポスターが貼られる。
康煕帝の知るところとなり、
試験官が逮捕され、老人だったので獄中で死亡。
副試験官は辺境へ流刑になった。
摘発されたケースだ。
試験結果については人々の関心事だったので、不正らしき匂いがあると世論が厳しい。 >>83
実務は胥吏が担当する。
胥吏は上位の胥吏頭に服する。
胥吏頭は中央の胥吏に上納金を欠かさない。
科挙官僚とは別の胥吏の全国ネットワークが構築された。
地方に赴任した官僚が地元の胥吏とトラブルを起こし、
胥吏全員が執務放棄した事例がある。
胥吏たちのストライキに遭うとどうにもならなくなる。
その官僚は更迭された。 >>69
幇のような互助組織の存在は明清王朝に必須。
なにせ官は民の福利厚生にほとんど何もしない。
官と民の間を埋める中間互助組織が生まれる。
これが成長してマフィアになったり反乱母体になったりする。 >>49
八旗モンゴルは下っ端でも旗地を持っててそこで牧畜やってたよ。
軍人であろうと官僚であろうと清の朝廷に出仕すると何かと出費も多くなって、
家畜や旗地を担保に漢族商人に借金するようになって返済滞ると借金のかたに取り上げらて困窮して行った。 >>82
今のチャイナと同じじゃん。
不正蓄財とか賄賂とかで高官が摘発・粛清されているけれど、そんなの氷山の一角どころか、
一罰百戒にすらなっていない、相変わらず共産党の上位層は公金や収賄から蓄財というのは
皆の知るところ。
むしろ、政敵を追い落とすための口実に使われているようなもの。 >>87
ますます同時代の日本の旗本みたいじゃん。
まあ、旗本は禄米が借金のカタに取られての、傘貼、竹ひご作りだけど。 >>88
不正蓄財や癒着でも高官が摘発されないどころか出世するのがジャップランドでわ? >>65
宦官と科挙官僚がしのぎを削って掣肘しあっていたからこそ、
皇帝権力が強化され、王朝が長続きした。
宦官勢力は必要悪。 >>55
この世に公明正大で公平な制度というものは存在しない。
どんな選挙制でも上流階級による世襲化が進行する。
高等教育は不公平なものになるし、世襲議員ばかりになる。
当初は科挙も王朝初期の逸材登用に役立った。
登用数に限りがあり、応募者が多くて競争が激しくなると、
落とす仕組みが重視され、
試験に受かりにくいものとした。
科挙の弊害は宋代から既に何度も議論が出ていて、
改革案が出たりするが、慣性の法則が強くて変わらない。 >>57
明朝の権勢を誇った者たちは皇帝が代替わりすると没落する運命。 >>86
そりゃ儒教的な君子論にはノブリスオブリージュのようなものを欠いているからな。
支配層からすると民衆は収奪対象でしかない。
儒教から強い影響を受けている日本の武士道も、同じく、「百姓と胡麻の油は…」に、下位者に詰腹切らせる思想だし。 >>63
科挙には地方農村有力者から権力行使者を登用する仕組みではあった。
清末に科挙が廃止されると、中央と農村を結ぶものが断絶してしまう。
弊害ばかりが強調されがちだけれど、
全くの無意味ではなかった。 >>92
変えようにも要職に居て権力を持ってる多数の進士が潰しからなかなか変えられない >>90
そうだよ、だから「失われた四半世紀」とか「30年の停滞」とか「進歩の無い平成」とか言われてる。
選挙にも失望。政権交代はしてみたけれど、犬が去って豚が来たの状況だった。
民主党政権のやったことは、自民党政権の旧弊を糺すどころか、まず始めたことは、自分らの味方にばら撒くこととそのための更なる収奪だった。 >>96
定期異動にポエムの試験を入れればよかったのよ >>94
あんた、経書の全てに目を通した上でそれ言うてるの?
そもそも漢学と宋学と心学と古学では全く違うことを主張しることも多いのに
十把一絡げで「儒教は云々」というのがいかにナンセンスなことかわかってる?
漢学と宋学と心学と古学での経書の解釈を一通り学んでから出直してこい 科挙について云々言う人は最低でも>>84で挙がってる宮崎の「科挙」くらいは読んでからにしてくれ >>94
ノブリスオブリージュ的なものはむしろ八旗に見られる。
とかく野史には八旗子弟の無能で傲慢で特権階級にあぐらをかいた怠惰なイメージで描かれることが多い。
もちろんそういう放蕩三昧な輩も実在していただろう。
でも大半は滅私奉公の志があったはずだ。
乾隆年間に起きた大地震の際に、救援活動した八旗官僚や、
復興事業に必死に励んだ八旗の姿の記録を読んだことがある。
自身が被災したのも関わらず、被災者救援に率先していた。
無能で役立たない八旗も少数いたが、処罰されてた。 >>101
乾隆帝の時分にはまだ遊牧国家的な気風が支配層に残っていたからだろ。
皇帝自ら巡察やら遠征やらしているし、その時に乗ってるものも、輿ではなく、馬に騎乗してたし。 >>99
じゃあ、どの時代のどの経書や解釈にノブリスオブリージュに相当する思想や規範が出てくるの?
一つもないじゃないか?
宗教・思想・法律・統治論・道徳・経済・経営……等々の用語、大概のものは漢語に既にあったけれど、
ノブリスオブリージュに相当する用語は漢語に無かっただろ。 >>102
必死に勉学に励んで合格した科挙官僚にとっては、
実権を握り続ける八旗が疎ましい。
なので八旗の悪口を書き残すことで鬱憤を晴らす。
事実、軍事力としての八旗は役に立つところはなくなってる。 >>101
およそ封建国での近衛兵や貴族の子飼兵は災害時に領内の人民の救援を行いものだからな。
近代には国家の軍体の役割になった。
八旗も王立軍や貴族兵団のようなものだから、そういうことはやって当然。
支那、朝鮮、そして我が日本の武家政権時代の兵員ったら、兵員は物盗みたいなものだけれど。 >>45
近代的じゃん。いうたら、国民皆兵だろ。
普段は田畑耕したり羊飼ったり魚捕ったりしていても、動員がかかればイザ鎌倉なんよな。
漢土は植民地だから被支配民族は兵営に入れない、ということで。 >>103
英語でも新しい
確か19世紀にできたんだと思う >>103
> じゃあ、どの時代のどの経書や解釈にノブリスオブリージュに相当する思想や規範が出てくるの?
> 一つもないじゃないか?
論語の「君子は天下に先んじて憂い、後れて楽しむ」がそれだとされてるが >>94
中国の歴史に関心が強いあまり本邦の歴史に疎くなったか。
それとも単なる中国人なのか。
何れにせよ軍記講談の類を論拠に引くあたりで御里が知れる。
北條氏綱遺訓ぐらいは読んでから武士を語れ。
>>112
上位者が先にリスクやコストを負担しれ
みたいなことは述べてないよ >>113
文字になったことしか読み取れないのか?
「義」についての言及、
「百姓」についての言及、
その根底に在るのが上位者、権限者が魂に刻むべき道徳と矜持であることぐらい日本語を使う者なら容易に理解できる筈だ。
先刻は揶揄として中国人か?と云ったが、
>>113を見るに案外洒落にならなかったか。
>>103
君子の義務ならそれこそそこらじゅうにウジャウジャ書かれてるやろ
むしろ経書の内容はそれがメインや 中華皇帝に権力が集中する意味があるとすれば、
国民を総動員して大規模な治水工事を実施することにあると思う。
この点で明清は共に失格である。
黄河は紀元前602年から1946年までの間に1593回氾濫し26回の大きな転流がある。
”三年両決口,百年一改道”
(3年に一回決壊し、百年に一回流路が変わる)
暴れ川たる黄河を治めずして皇帝に何の意味があろうか?
1397年(明の洪武30)から1431年(宣徳6)には10回も氾濫を起こし、
1565年(嘉靖44)には、とうとう堤防が決壊してる。
黄河と長江を結ぶ大運河が、洪水によって使えなくなってしまった。
慌てて改修工事を行うが、運河が使えれば満足してしまい、
中途半端で工事が終わってしまう。
メンテナンスがいい加減なので、すぐに決壊する。
清に至っては、科挙官僚の俗物が工事を邪魔した。
治水によって新田開発が進むと、
工事責任者たちを訴えて、
民衆を煽動して黄河を我が物顔に私物化していると中傷した。
このため工事は中断する。
目先の利益しか考えない官僚たちに治水の問題は眼中になかった。
1855年8月1日(咸豊5年6月19日)、黄河が河南省蘭考北岸の銅瓦廂で決壊し、黄河の流れが大きく変わる。
1887年9月(光緒13年8月)に起きた洪水で少なくとも90万人が死亡する。
明清は治水に失敗してる。
この時点で天下を治める資格はない。 >>117
>”三年両決口,百年一改道”
>(3年に一回決壊し、百年に一回流路が変わる)
失礼、3年に2回決壊、だった。 元が出来なかった閘門式による大運河のショートカットに成功し、以降は南北に分裂国家が成立しなくなったんだから土木技術の過小評価はおかしい >>119
技術はあった。
明では「築堤束水、以水攻沙(堤を築いて水を束ね、水を以て沙を攻める)」
しっかりした堤防をつくって河道を1本にまとめ、水の勢いで土砂を流しさる方式だ。
清では増水時には分流させて水の勢いを殺ぎ、平時は合流させて沙を攻める、という方策だとか。
測水法を考案し、上流、中流、下流の流れをちゃんと観察して、流量と流速の調節をする。
それぞれ技術はあったが、
政府がカネを惜しんだ。 黄河の年流量580億t。
問題なのは土砂量が16億tあって、堆積してしまうこと。
堆積すると水面が上がって氾濫しやすい。
そこで土砂を流し去るように設計する。 前近代での運河の底の土砂の浚渫ってどうやってたんだろうね
一回水全部抜いて手作業? 去年、こんなニュースがあったな
京杭大運河全線が100年ぶりに通水
人民網日本語版 2022年04月29日13:59
北京市から浙江省杭州市までを結ぶ「京杭大運河」の全線通水に向けた補水が4月14日から始まり、28日には通水を実現。これにより同大運河で実に100年ぶりに全線での通水が実現された。新華社が報じた。
京杭大運河は、中国の南北を繋ぐ大動脈で、昔は年貢の穀物を首都がある北部に輸送する水路として重要な役割を果たしていた。20世紀に入り、年貢の穀物が輸送されることはなくなり、清代(1636‐1912年)には、朝廷が運河の全面的な浚渫工事をすることもなくなったため、一部の区間は土砂が溜まり、流れが止まってしまった。
http://j.people.com.cn/n3/2022/0429/c94475-10091139.html >>123
杭州から天津までは海路で充分じゃないの?
内陸水運にする意味があるの? >>124
モンゴル帝国はそうしてた
海路から天津に入った船は、そのまま大運河まで北京に行けた
北京は、ハンブルクみたいな「内陸なのに海港都市」になった
明清帝国が海運を嫌ったおかげで、内陸の運河が復活した 文明は、一直線に進歩していくものではない
明清帝国が閉鎖的なせいで退歩した面もかなりある 日本はそうでもないんだよなあ
江戸幕府が閉鎖的なので海外貿易は退歩したが、国内の海運が極めて盛んになった 内陸水路の方が安全だから。東京湾ですら京浜運河が造られた 海外貿易を通じて世界中の銀を集めてたくせに、
海運に無関心なのが明清。 中国人は遠洋航海には無関心を通り越してなにやら謎の恐怖を感じてたらしくて
そやから鄭和もイスラム教徒でサイイド・アジャッル・シャムスッディーン・ウマルという人の子孫ていうから
中国に帰化した元アラブ人なわけで
中国人は遠洋航海なんか怖がって誰も行きたく無かったていうことや >>131
科挙官僚に限定できない現象。
公共工事には莫大な公金が動くので、利権が発生する。
すると「正義派」からの批判を浴びやすい。
必要な工事ですら中断させられてしまい、結果、災害に脆弱な国土になってしまう。 >>130
南部沿岸の民は海に出たがってたよ。
海禁で無理やり抑え込んだ。 南部沿岸も主に漢民族だと思うけどやっぱ気性が違うのかな
中華として千年以上は同じ国として密に交わってたと思うけど >>134
> 南部沿岸も主に漢民族だと思うけどやっぱ気性が違うのかな
同じ漢民族だけど、北京人とは水と油
ロシアとスペインくらい気質が異なる 海洋貿易は、主にアラビア商人がやってた
中国とインドの貿易すら、アラビア商人の貿易商社がやってた
江戸時代に、日本と中国の貿易をオランダ商社がやってたようなもんだな 国家規模は中国やインドのほうが遥かに大きいが、文明の最先端はアラビア人で、後にオランダ人やイギリス人 江戸時代の長崎市民は7万人
南京町の福建人は1万人いた 蘇州を根拠地とする張士誠が天下を獲ってたら、
海洋通商帝国ができてたと思う。
でも農本主義の朱元璋が獲っちゃった。
もっとも張士誠が広大な内陸部まで進出して統治するイメージが全く湧いてこない。
沿岸都市で経済繁栄を謳歌するだけなのが張士誠だったのだろう。 >>137
ポルトガル人を忘れんといて。
本国が滅亡したり、没落してても
マカオで頑張ってた。
各国東インド会社の活動にポルトガル人ネットワークが活用されてた。 >>137
アラブ人と言うよりイスラム教徒だろ。
イスラム圏の著名学者ってペルシャ人や改宗ユダヤ人が多いだろ。 東南アジアのマレー系がイスラム化してるのはムスリム商人の影響みたいだな。 マラッカ王国が15世紀にイスラム化する一方、
鄭和によって明への朝貢国となった。
それも国王自ら北京を訪問すること5回。
朝貢国の中で国王がやってくるのはさすがに珍しく、
毎回、明は大いに喜んで盛大にもてなした。 マラッカ王国、琉球王国、台湾
明代には、これらの貿易立国が栄えたんだよな~
清代には軒並み衰えた
最大の理由とされているのが、広東省の台頭 Wikipediaのコピペだが
台湾が注目されるようになったのは16世紀の明朝時代になってからである。倭寇の活動が活発化するにつれて、台湾は倭寇の根拠地の一つとして使用されるようになり、やがて漢民族、日本人が恒久的に居住し始めるまでに至った。また、この時代になると、大航海時代にあったヨーロッパ各国から多くの人々が来航するようになり、台湾の戦略的重要性に気がついたオランダやスペインが台湾島を「領有」し、東アジアにおける貿易・海防の拠点としていった。そのために、日本への鉄砲やザビエルによるキリスト教伝来も、おそらくは台湾を経由してきたのだと思われる。 明代の後期あたりだと、台湾に国家は存在しなかったが、貿易・海運の拠点としては存在感があった
でも、琉球やマラッカと同様、清代を通じて順調に発展することはなかった 琉球は独自に外洋船を維持できなかったみたいだしな
明代は外洋船を乗組員込みで明から貸してもらって東南アジアに行っていたが清代になってそれがなくなると貿易網がかなり狭まってジリ貧だったとか 台湾本島より琉球や澎湖諸島のような小島の方が文明的だな。
台湾は開発しにくいのかしらん?
鬱蒼とジャングルが生い茂って、風土病もあって、首狩り族が跋扈してるイメージがある。 >>151
東部の険しい山岳地帯は高砂族が蟠踞する化外の地
大陸に面した西部は清朝が渡航禁止令を出したにも関わらず、密航した福建人、広東人、客家人によって開発されていった
新疆省や東北三省が設置されたのと同時期、日清戦争の10年前には台湾省が設置されるに至る 東アジアには遠洋航海に耐え得る船材が乏し過ぎる。楠では大船は無理 >>154
船のおよそのサイズ
コロンブスのサンタ・マリア号 全長約25m×7.5m、130t
ポルトガルのガレオン船 500tクラス
中国ジャンク船 120t~300t
大型ジャンク船 600t~2000t
アラブのダウ船 15mから20m程度
遣唐使船 全長約30m×幅7m、排水量300t
朱印船平均 300tぐらい
角倉船 全長約54m×7.5m、排水量700t
千石船 全長約30m×幅7.5m、排水量300t(積載150t)
ペリー艦隊の旗艦サスケハナ号 全長約80m弱、船幅13m、排水量2500t サイズの問題でなく海水に長期間つかりながら曲がりの応力に耐えられかどうか 東アジア諸国には、海外に出て行って大規模な植民地を作る能力など
なかったということか 東アフリカにまで達した鄭和艦隊の船は巨大なものだったらしい
アフリカからキリンまで乗せて運んできた 鄭和艦隊の巨大な船を建造するため、福建省の木を伐りすぎた
それが、長続きしなかった大きな原因 1633年 琉球からの冊封使船は長さ62.2m 幅18.66m。
かなりデカい。 モンゴルに詳しい研究者「猫准教」とは
https://finance.yahoo.co.jp/cm/personal/history/comment?user=752c60aaa248773c9a72d4218b5e36e46aec205200bc61cf14f147d17dc35a3d
Yahoo掲示板でやっていること
・女性教員を自称
・准教授を自称
・モンゴルに関する自分の考えを投稿
・名古屋大学の学生が掲示板に書き込みをしていたから、みずからの京都大学の身分証の画像を貼る(既に削除済み)
→モンゴル史を専攻している該当の「准教授」は存在していない。講師・助教・研究員については不明。
・個別銘柄である、三菱フィナンシャルグループ(8306)の株式を2023/2/20に売買し、800万円以上の利益を得たスクショを投稿(既に削除済み) 明史鄭和伝によると、長さ 44 丈,幅 18 丈。
長さ 141.2m,幅 57.8mということでとんでもない巨船。
南京市北西郊外の宝船廠跡から,長さ11.07m,直径 0.42m の舵軸が発見された。
これから明史の伝える値は妥当とした論文が出てる。
疑問視する研究者もいるが。 「猫准教」の投稿
13~14世紀は、ユーラシア大陸を語るに於いて、モンゴル帝国の時代だといってもいいでしょう。彼らは破壊の限りを尽くしたけれど、奇しくもそれが東西交流の発端にもなった。なにせ中東・イスラム文化の殆どを破壊し、果ては今でいうルクセンブルクを超えるぐらいにまで迫るもんだから、欧州文化はこの破壊の疾走に恐怖を覚えたものでしょう。その証拠に当時のローマ教皇は、タタール人をキリスト教に改宗させるために修道使節を派遣しているし、同じくフランス王も懐柔使節を派遣しています。
その甲斐もあったんでしょう、東西交流は矛戟を構えることなく進み、安全が確保されたことから、後のマルコ・ポーロが出てくる地盤が構築されました。
このように、曲がりなりにも交易路というものが獲得されれば、自然と文化の成長変化もあらわれます
今回特筆しようものは、アジアに於けるその学問で、元の郭守敬はアラブの数学を会得して授時暦という太陰太陽暦を編み出し、これは後の日本で頭角を現し、日本独自の暦を作り、日本初の天文学者とされる渋川春海が考案した貞享暦にもおおいに影響を与えたもので、歴史的発明のひとつといえるでしょう
しかしながら、元国内に限っては、官吏登用制度である科挙が一時廃止されたこともあって、士大夫(上級官吏)階級の地位が低下したため、中国(元)由来の学問や思想は生じなかったという側面があるものの、政界から離れた知識人が市井郷里に戻ることで、かわりに庶民文化というものが発達し、なかでも趙孟を原点とする文人画家は、黄公望、倪、呉鎮、王蒙ら四大家によって漢代発祥とされる宗炳が方向づけた山水画の描法が様式化され、南宋画というものが確立されました
余談にはなりますが、この中国から伝播した南宋画の模倣から脱却したのが、かの有名な雪舟であり「天橋立図」や「秋冬山水画」などは国宝として今でも国に管理され、日本の絵画史において格別の評価を得ています
末尾として、もう少しだけ中国文学に触れておくと、日本でも不朽の名作として万人に知られる「水滸伝」や「三国志演義」などの劇場型文学は、その原型が元代にできあがったといわれています。この両作品に共通する傾向は、社稷を蝕む高級官僚に国を憂う正義の英雄たちが挑むも、志半ばで悲劇的な結末を迎えるという内容で一致しており、当時の抑鬱された民衆感情が色濃く出た、わかりやすい作品です 中国の宗族が形成され始めたのも明清代だよな
宗譜が編纂され、宗祠が建設された 現代中国の原点は明清
たいていのことは、明清にさかのぼる 現代の中国を理解するためには、
中国史の勉強を明朝から始めるべき 漢民族が全滅したかどうかはともかく
明清帝国と、それ以前の中華王朝は別の文明と見るべき >>168
明は漢を自分たちのモデルにしてる。
意識して真似てる。 明末から清代には、社会の流動性が高まった時期だから、前近代的な血縁団体は
崩壊の一途をたどるのが自然だと思われそうだが、逆にこの時期に大規模な
宗族組織の形成がみられた 古代エジプト文明も古代ペルシャ文化も現在のエジプトやイランには引き継がれていない
イスラム化で断絶してるから
宗教や民族が入れ替わる大陸諸国では、文明の断絶は珍しいことではない むしろ明は、元代までの蓄積を御破算にして古代返りした退嬰政権だったという議論もある。 明の朱元璋は同じ農民出身の漢の劉邦に親近感抱いて、漢朝を模範にした国作りをしたようだから古代ぽくもなる >>175
李善長に勧められた。
劉邦に倣えば天下を得ると。
真面目な朱元璋は言われた通りに実行した。
功臣の粛清では劉邦をはるかに超えた。 李善長も建国の筆頭功臣たる自分が粛清されるとは思ってもいなかっただろう。
教えたことを確実に実践する最高の生徒が朱元璋だった。 歴史映画とか時代劇で、映像から時代背景の見分けがつきにくいのは中国だけ
日本でも西洋でも、古代・中世・近世で服装とか建物とかの見た目がまるきり異なるんだが、中国だけは分かりにくい
でも、それは明朝だけの話。清朝になると逆に、これほど分かりやすい時代は他にない(笑) 弁髪にキョンシースタイルは解りやすい
世界中の誰が見ても中国人だと解る格好 清朝は素晴らしい時代
ヘアスタイルと服装がユニーク 清朝の辮髪は、前から見ると坊さんみたいなスキンヘッド
スキンヘッドが似合う人はかっこいい 前漢の平帝の元始2年(西暦2年)人口59,594,978人。
明朝1491年53,281,158人。
明朝1576年60,692,856人。
漢と明、人口規模で変わらぬ。 世界史初心者です
秀吉が仮に中原まで侵攻して明を滅ぼして王朝を立てたとして、やはり元や清のように数代で中華文明に飲み込まれていたのでしょうか
秀吉は遷都まで考えていたようですが、そうなると今頃日本は中国の日本省になっていた可能性すらある? 異民族支配王朝の漢化は、北魏孝文帝がいなければ通例化していなかったのでしょうか
だとしたら、隋唐の時代には中華の歴史という概念は途絶え、今頃中国はヨーロッパのようにバラバラの国家群になっていた可能性もあり得る……? そもそも論として、少数異民族が圧倒的多数である漢人を安定的かつ長期的に治めるためには漢化する必要がある 昔の日本の知識層は漢文の読み書きができるんで漢化する素地はあった。
でも人口も結構いるからな。
圧倒的少数とは言えない。 仮に秀吉がもっと長生きした上で明征服に成功してたら
秀吉に付き従った将兵10~20万程度が北京で新しい国を作って秀吉が皇帝に即位するが
結局日本人の数は清を作った女真人と同じくらいの人口でしかないし
3~4代後頃にはすっかり漢化するだろう
そして日本に住んでる普通の日本人はそのまま日本人であり続けて
史実通りに家康が徳川幕府を作るかもしれない >>184
人口規模はかなり違う
清朝の時代、満州人は200万人とされてたが、日本の人口は戦国時代で1200万人、戦国の世が終わって人口急増が始まり、江戸時代の初期には1500万人に達したと言われている
中国大陸から日本列島は離れすぎており、大陸に渡った連中はともかく、日本列島にいる日本人まで漢化するのは無理 結局、清朝が豊臣朝に変わるだけで史実と大して変わらない歴史になる 満州人も、北京に移住した連中の子孫はともかく、東北部にいる満州人が漢化されたのは、主に20世紀後半 北京はもともと、北族が漢土を支配するための拠点都市なので
日本人が中国を支配するとしたら、北京に首都を置かない
豊臣秀吉も、寧波あたりに拠点を置くつもりでいた
おそらく、日本人がたとえ中国大陸や朝鮮半島を征服したとしても、その後の満州人の侵攻を止められなかっただろう 明朝が長く続いたのも、永楽帝が北京に首都を移して、実質的にモンゴル帝国みたいな国家に変身したおかげ
北からの侵攻を食い止めるためには、自分たちもモンゴル帝国みたいにならないと 外向きで開放的なモンゴルと内向きで閉鎖的な明が同じような国のわけあるか 清には漢人勢力の味方があった。
明朝を滅ぼした賊軍を討つという大義名分で北京に入城してる。
日本が大陸進出するにも漢人勢力の味方を得るべく大義名分を必要とする。
大義名分を得る唯一の機会が南明から日本乞師が来た時だろう。
徳川御三家は乗り気だったが、大老の井伊直孝が止めた。 >>194
朱元璋は投降したモンゴル人部隊を持ってるし、元朝の文官たちを多数雇用してる。
大都陥落時に残ってるモンゴル人も多い。
官僚機構や地方制度は元朝のものを引き継いでる。
永楽帝の強さはモンゴル人部隊に依るところが大きい。
モンゴル人の間では永楽帝はトゴン・テムルのご落胤だとする伝説があるぐらいモンゴル色があった。 >>183
服装や儒教帝国、冊封体制、建国の功臣の粛清、宦官の跳梁に至るまで古代の漢王朝をコピーしたのが明朝だな。 元朝から明朝に替わって行われたこと
・胡服辮髪を禁止し、服装は寛衣、頭は総髪に改めさせた
・政治を胥吏からとりあげ、士大夫階級に返すことにし、科挙を復活させた
・朱子学の採用
・「六諭」の発布
・元朝の経済政策である自由放任から農本抑商策へ >>197
滅ぼした国の制度をいくつか継承しただけ
ビザンツ帝国とオスマン帝国が似てるみたいなものだ 明の官僚の官俸って、歴代王朝のなかでもっとも低かったんだよな
そのうえ職務は細かく分割され、厳しい刑罰をもって統制が加えられた >>201
俸給だけでは生活すらできないが、
規定の俸給以外の賄賂収入がいっぱいあるので、
一生懸命勉強して官僚になりたい人が多い。
非常に稀に清廉な人がいて、そういう人は栄養失調になってしまう。 功臣とその関係者、数十万人を大虐殺した朱元璋からしてキチガイ
満州人の清朝の方がはるかにマトモ >>172
アラブ諸国でいまだに部族社会が続いているのも同じ理由だろうな 朱棣の簒奪って朱元璋的にはどうだったのかな
血は繋がってるからセーフ?
もしアウトならやっぱ大粛清はどう考えても失敗ってことになる? 朱一族内の権力争いはセーフ
朱一族以外が皇帝になると朱元璋的にはアウト 公務員が給与だけでは生活出来ないから汚職するっていう構造的問題がこの当時からあったのか
いや歴代王朝でもっと遡れるのか? >>208
宋の官僚の俸給は良かった。
たぶん歴代王朝で一番待遇がいい。
滅亡時に忠誠を尽くして殉ず者も多し。
明朝滅亡時に崇禎帝に従って殉じたのは宦官がただ一人のみ。
文武百官は皆、皇帝を見捨てて逃亡済み。 明初から、南人官僚と江南地主との官民馴れ合いの癒着・不正が問題化していたとか >>203
>>204
馬鹿な体制なのに276年も続いて清とそんなに変わらない長期政権。 だからもっと早くまともな漢民族政権が成立すべきだった。近代中国の停滞は儒学や日本の侵略とかではなく明と言うポンコツによる官僚制等の破壊 >>212
漢民族では駄目だよ。満洲族が自分達の良さを保ったまま、
元朝のモンゴル人並に科学技術や実学に関しては優れた物は
素直に取り入れる姿勢をキープして中化伝統の無駄な部分は
ガン無視する位で居ればまだ立憲君主制の下で近代化の余地あった。 >>211
永楽帝のクーデターで北京遷都したのが良かった
建文帝南京政権のままだと200数十年続いたか分からない
蒙古や女真などの北虜を抑えるには北京の立地が都合がいい 国内で一番繁栄してる場所と首都って別でも意外と問題ないのかね
ニューヨークとワシントンみたいな 洪武帝も遷都を考えてた。
候補に西安があって皇太子を調査に派遣したことがある。
皇太子が早死にしてしまい遷都計画は中断した。 >>215
うん、今の中共の少数民族問題は三民主義で民族自決をいいながら、
漢族の実力で抑えたわけでもない内蒙古、チベット、ウィグルを
民国がそのまま引継ぐとしたことが事の発端。
中共の唱える中華民族なんて全く科学的根拠もない
とんでも理論で少数民族の文化破壊とジェノサイドを進めてる。
これも、孫文がバカだったせい。それから、清朝末期の
日本への留学生に清国人と言うな「支那人と言え!」と用久したのも孫文。
中共と中共漢族にかかわる現在の面倒な事の発端は
大体バカ孫文に行き着く。 なるほど。つまり中華民国も中華人民共和国もバカを引き継いだと >>221
西太后らが権力闘争やってた末期の状態で継続したって大きなカンボジアになってるだけ。
満洲族八旗が高度な知識階層でありながら、元朝のモンゴル人並に実学重視で
センゲリンチンが健在だった時の蒙古八旗並の軍事的実力保持していれば、
タイ王国並の感じでゆるゆるとやってけたのでは。 >>220
孫文は自己中で、上手く大同団結すると言うこともなく、
周囲と衝突繰り返して権力闘争にも執心したトンデモな奴だったから。 袁世凱(洪憲皇帝)にもう少し甲斐性があれば、中華帝国の帝政続いてたかも
1920年代のイランでガジャール朝廃して帝位に就いたレザー・シャーのパーレビ朝は、1979年のイスラム革命まで二代続いた >>221
清朝の乾隆帝の頃から改土帰流、
土司を廃して州県の直轄地に変える政策になってる。
移民を通じて「化苗為漢」(ミャオ族を漢族に変えること)ということも計画され、ミャオ族に対して漢族の姓を強要し、漢人戸籍として登録させた。
末期には東北三省や新疆省、福建台湾省を設置して内地化に進もうとしてる。
中華民国は清朝の流れを継続しただけ。 冷戦時代の中国は、自国のことを決して第三世界の一員とは考えていなかった
むしろ、超大国になり損ねた国だと考えていた >>228
孫文は洪秀全を手本にしてた。
私塾の教師が太平天国の人で洪秀全の話を詳しく教えた。
第二の洪秀全になれと言い聞かされてた。
大人になると自分で太平天国を調べ、
太平天国の失敗の原因を論じたりしてる。 >>230
非漢人の世襲の諸侯領を廃止して、科挙官僚を派遣して統治する。
「藩」という用語じゃないけど廃藩置県の一種だね。
明代から既に土司、土官が置かれた地域のうち内地に近い方から徐々に始まってる。
1923年時点で、甘粛省、四川省、西康省、広西省、貴州省、雲南省などの地域にまだ488人の「土司」が残っていた。 何百年もかけて、徐々に統一を進めた
世の中、そんなもんだ >>229
広東省の人にとっては、地元のヒーローだからな 三藩の乱のときは「廃藩」というより「撤藩」と言ってる。
同じ意味だけど。 >>233
孫文は『太平天国戦史』という本の序文を書いた。
太平天国ファンだったんだろう。 >>231
明の靖難の変は削藩が帝室お家騒動の原因になったけど 五百年かけて、徐々に地方の土着勢力を削り、中央から送り込む科挙官僚に権力を集中させていった
長期に渡って継続する取組の成果 太平天国末期には天王・洪秀全が家臣に王号乱発して、
「王」の意味が「侯」や「将」ぐらいの価値でしかなくなった 戊辰戦争→版籍奉還→廃藩置県は、たった5年
琉球処分まで入れて10年。 >>240
それまでの、二百年におよぶ江戸幕府の参勤交代のおかげ 地方の大名は、江戸の大名屋敷に妻子を置いた
大名の子供は江戸で生まれ育った江戸市民。大人になると、地方に赴任して大名になる
こんなことを何世代にも渡って続けた結果、全国の大名が江戸から派遣された転勤族のサラリーマンみたいになった
これくらいやらんと、強力な中央集権は実現しない 明清帝国の場合は、中央から科挙官僚を派遣するのが、それに相当する >>239
太平天国では東王を粛清するなど、
王たちの権力抗争が弱体化を招いた。
その教訓から洋務派官僚や孫文、袁世凱に至るまで皆が政権たるものは権力集中型が望ましいと考えてた。 >>242
大名は市民ちげーよ。士と民は厳密に区別されていたよ >>243
派遣される科挙官僚は流官ともいう。
同地出身者が赴任することはない。
また任期が過ぎれば異動する。 >>242
江戸時代の大名はしょっちゅう国替え転封があって根拠地が固定でなくなってる。
城や陣屋、家臣の屋敷までが天下の共有で、
転封時にこれらの共有の目録の文書を引き継ぐ。
事実上の私有でないので引っ越しが楽にできる。
城や陣屋、屋敷などは似たような規格がある感じで、
引越し先の入居で戸惑うことが少ない。
全国標準規格で統一されてたようなものだ。 >>247
国持大名は殆ど転封無しですよ。
城持大名も、よほどのことが無いと転封にならない。
陣屋大名は大名だけど知行持の旗本と変わらん 中世以前と比較すれば、ってレベル
皇帝専制や高度な官僚制を備えた明清とは性格が違う ヨーロッパ諸国では、フランスだけが中央集権的で、あとはほとんどの国が
地方分権的だな フランスも、何百年もかけて根気よく
地道に地方勢力を削り、中央権力を
強化していった フランスや中国北部のような
平坦で森林も少ない大平原は
最も統一しやすい地形 所領の居城よりベルサイユ宮殿内に貰った部屋に住みたがってからな 長宗我部元親は、土佐を平定するのに10年かかった
そこから、土佐が四国を平定するのに10年かかった
そこで、織田信長や豊臣秀吉の脅威に直面した
どこの戦国大名もそんなもんで、戦国初期の日本はそれくらいバラバラに細分化されていた ましてや、中国は広い
五百年かけて徐々に、真の国家統一が進行していった >>254
戦国時代は中国史の用語。日本では信長が追放後誰も擁立しなかった時まで足利 >>253
日本の地方領主は、名目収入の1パーセントを幕府に供出したら江戸詰の期間を半分でいいよ、と吉宗さんに言われたら
かなり多数の領主が1パーセント納めて領地へ行ってしまったよ。
おフランスでいうとルイ十五世頃、支那では清の雍正帝の頃な。 日本は第一次世界大戦で、中立国の利益と戦勝国の利益を両方手中におさめて、
ガッポリ金を儲けた。
日露戦争のときの外債もみんな返して、さらに余ったので、これを西原借款など、
つまらないことに使った。
持ち慣れない金を持つとロクなことがない。 「今年の科挙は、どこの誰が合格したのか?」
これが世間の大きな関心事だった
世の中が科挙を中心に動いてた
そんな世界が五百年 地主に対する税金は重かった
「どんな地主でも、三代つづけば没落する」と言われた
没落しないためには、科挙に合格して、収奪する側に回るしかなかった >>259
しかし、試験要綱や試験の日時や会場や受験資格が公表されない、密室試験。 選抜情報持ってたり、推薦権限持ってたりする人・家系の固定化、
或る種の貴族化じゃん。
実際に科挙があったところで蔭位蔭階だらけだったしな。 ある程度の知識階層でないと官吏は無理だが皇帝に取って代われる程強いと困るから妥協点として科挙 唐代まで強かった貴族勢力を切り崩すのが科挙
貴族であっても科挙に合格しないと政治に携われなくなった >>265
科挙の落第生が反乱起こしたりした
太平天国の洪秀全とか >>266
合否も、賄賂と圧力でどうにでもなる。
近代になってすら賄賂社会に生きてるチャイニーズが、古代同然の律令時代に品行方正にしてますかいな。 近代のように試験によって出身身分を完全にリセットしたいと言う圧はないからな キンタマ切り落としてまでリセットしていた人がウジャウジャ宮殿に住み着いてたでしょう >>269
たとえば?
印象だけのネトウヨレスは程度低いよ 「ネトウヨ」とかいうレッテル貼りで印象操作かよ
やってることに差が無いの >>269
それがそうでもない
試験に賄賂などの不正発覚すると、試験官は死罪を含む厳罰に処された 袁世凱も科挙に落第して文官の道を諦め、軍人を志した
清末乱世の中で順調に出世して陸軍を掌握するに至る
そこへ辛亥革命が起きたが、袁世凱は革命派に同調して清皇帝を退位させた揚げ句、孫文にも圧力かけて自分が中華民国大総統に収まった
科挙及第の合否で歴史が変わる >>275
政争の際に口実にされるだけ。
今の中華人民共和国と同じ。時々、不正蓄財とか収賄とかが口実で摘発・粛清されてるだろ。 趙翼も乾隆帝の気まぐれで科挙第一一等の状元を他者に譲らされて、
憤懣やる方なく二十二史剳記を書き上げたとか
科挙の明暗悲喜こもごも 科挙の結果に人々の注目が集まる。
結果に不正らしき匂いがあると人々がすぐに気付く。
そういう世論や批判に当局や皇帝は敏感だった。
もちろん不正はあった。
摘発された事例が幾つか記録されてる。
不正を防ぐための仕組みがあれこれ考案され、
少なくとも取り締まる姿勢はあった。 >>268
太平天国でも科挙を実施してる。
女が受ける女科があった。
但し合格した女たちは王府の寝室に行かされた。 >>274
いやネトウヨやろ笑
科挙が賄賂や圧力でどうとでもなり、それが古代からの中国人の民族性とかいう明らかな差別書き込みをしてるのに
これに違和感を持たない時点で現実社会から乖離した病人といわざるをえない なので科挙が賄賂や圧力により容易に捻じ曲げられたという根拠を示すべきですね
ネトウヨじゃないのならデマでなく史料をもとに書き込んでくれるよなあ どう取り繕ったところで、悪い意味での一君万民を強化・維持するための制度だろ。
独裁者のための独裁強化の科挙が、公正明大に行われるはずねえわ。
公正明大にやんなら、それこそ、皇帝もお后も太子も科挙で選ぶわw >>284
辛亥革命からどんだけ経ってるよ?
一向に民主化する気配が無いんですけど?
習近平体制でむしろ独裁と弾圧が強化されてるし。 >>286
論理のすり替えでごまかすなよ笑
賄賂と圧力で簡単に科挙の合否を左右するのが中国社会の特徴と言い切ったのだから
はやくその豊富なデータを出してくれよ笑
ネトウヨは嘘つきの代名詞笑 >>287
賄賂と圧力で科挙の合否が左右されたというお前の書き込みとは何ら関係がない話
ネトウヨは嘘つきの代名詞笑 外務省からジェトロから海外進出企業組合から、中国賄賂だらけ言うてるやん 胥吏は無給。
「規例」や「陋規」と呼ばれる手数料で利益を得る。
賄賂との区別がほとんどない。 日本も賄賂の歴史で誇れないけどな。
江戸時代の付届けから
現代の政治資金やらオリンピック利権やら。 科挙が近代的な公正明大で能力や努力を重視する選抜方法なら、なんで支那の官吏が
同時代の日本やヨーロッパや回教圏の前近代的な封建武断政権の世襲貴族に劣ってるのよ? >近代的な公正明大で能力や努力を重視する選抜方法
そんな事は誰も言ってない >>296
賄賂や圧力で科挙の合否が左右されまくったソースまだー? >>290
嘘を指摘されたら相手をパヨ扱いか
ゴミなん?君 >>300
知識もなく知能も低く、嘘つきで恥を知らない
そんな人間だからネトウヨになっちゃったんだなあ
哀れ笑 これだからネトウヨは
書き込みするたびに無能がばれていぬ ↑お里が知れてるのは嘘しか書き込めない無能ちゃん笑 >>293
洪武帝のは権力闘争や中書省廃止の目的で汚職は名目だろ?
空印の獄も便宜上に空印をやってただけで、汚職や不正の意図は全くない。
ある日いきなりそれは不正行為だと断罪されて血祭りにあげる。
日本と結託した罪なんて完全に証拠捏造による濡れ衣だ。
日本側に全く史料は残ってないし、
南北朝動乱中で明へ干渉する余裕は日本になかった。 IDなくても言ってる内容が毎回低レベルだからすぐわかるんだよな
例の嘘つきとか >>296
ルイ14世の頃まではフランス人は科挙ってスゲえ先進的じゃん、
うちらの王政でも国家選抜試験で官僚を採用しようぜとなっていった。
その百年ぐらい後になると清朝は発展が停滞したダメ国家じゃんと認識するようになる。
アジア停滞論が始まる。 円明園は残って欲しかった。
ヴェルサイユ宮殿を模したらしい西洋楼を見てみたかった。 どうにでも解釈できるポエム(詩賦)が試験の最重要科目だったことからして、恣意的な採点基準だったわけだし >>309
マカートニー卿が清国に滞在していた時のことだが、広東付近で洪水があって、ある村が
押し流されてしまった。皇帝は被災民に対し、五万両の救恤金を下賜した。ところが
中央政府でまずそのうち二万両を差し引いた。今度は地方へ行って上から順に、一万両、
五千両と次々に差し引いたので、実際に人民の手に渡ったのは一万両前後に過ぎなかった。 >>312
皇帝が善政行っても無数の官僚達が中抜きしてたんだな、清朝
明朝に至っては皇帝からしてロクなの居ないし、宦官達が皇帝の権威を傘に着て悪さしてた
その点、清朝は宦官の弊害は少なかった >>312
皇帝は満人だけれど、そこから先は漢人だらけだからw >>313
ラストエンペラーの映画で国の金庫の金貨をケツメドに詰めて盗み出す宦官出てたよ 清朝の宦官はコソ泥程度だか、明朝の宦官は強盗団レベル
皇帝の名の元に地方に下向しては民から収奪して私腹を肥やした
王振や魏忠賢など、暗愚な皇帝を操って国政を専横する極悪宦官多いのが明朝 乾隆帝の寵臣で軍機大臣ヘシェンの蓄財が有名。
断罪され没収された財産は8億両、政府歳入7000万両の10倍以上。 明朝だと、武宗の時代に劉瑾という宦官がいたが、彼が処刑された後、没収された財産は
黄金24万錠余、銀500万錠余、宝石二斗などとある。
一錠の重さは50両だから、通算するとまさに天文学的数字で、国家歳入の10年分
以上だっただろう。 中国人は大昔から数勘定が下手糞なので、数量や金額は話半分でいいよ 明朝だと劉瑾以外にも猖獗を極めた宦官が多数居るな。
清朝は宦官が跋扈出来なかったみたいだが。 洪武帝は宦官抑制策を取ったが、
永楽帝が宦官の諜報活動で建文帝に勝利したため、その後も宦官重用が明朝の伝統になった
特務機関の錦衣衛も宦官が支配して、明朝は宦官恐怖政治の国となった
傾向として、漢や明など漢人王朝は宦官が跳梁跋扈して、
元や清など異民族王朝は宦官は鳴りを潜める >>325,326
お前のほうがよっぽど場違いや
失せろ >>324
清軍が北京入城した後、
すぐにドルゴンは明朝宦官の大物を招聘した。
宦官党のボスで崇禎帝が排除してた人物を清の味方にした。
その人脈で新政権を強化できた。
宦官党の力を清は利用した。 >>329
古来、他民族支配とか植民地経営とかの定石。
現地の第二勢力に加担して、最大勢力を転覆・排除させる。
第二勢力は外来勢力の後ろ盾が無きゃあ維持できないので必然的に傀儡。
古代ローマもモンゴル帝国も近代イギリスやフランスもやっていた。 康熙帝は明の神宗のころ、10万人もいたという宦官の数を400人に減らしたとか
宮廷費も、明代の10分の1、20分の1からさらに40分の1に減らした
帝自身の服装も、粗末な絹物で我慢した 明の一日分の宮廷費を清の年間宮廷費とした。
旧暦の一年だから約1/350だな。 >>332
満蒙の貴族を集めて鷹狩に出たり、
紫禁殿の裏庭やら鷹狩に出た先に建てた天幕に重臣集めて閣議やったり、
遊牧民らしい尚武の気風がまだあったのね。 >>332
乾隆帝のときは宦官2866人という数字がある。
気を抜くとすぐに増える。
宣統帝溥儀が退位したときは、800~900人の宦官がいたとされる。 >>331
豊臣秀吉はその定石を使わなかったんか。 >>336
漁夫の利、清須会議。
拮抗する二大勢力の隙を突いて、幼少の織田秀信を担ぎだして操り人形。 >>335
お尻に金塊差し込んで国庫から盗み出す宦官って、やっぱり、ホモ夜伽に召されてたの? >>334
西太后に仕えた徳齢の回想録によれば、
西太后は足が早く広大な頤和園を元気に歩き回った。
徳齢たちは西太后に追いつくのにいつも苦労したそうだ。
頤和園に行ったことがあるが、確かに広くて、歩くだけで足が棒になる。
西太后は相当パワフルな婆さんだったようだ。 >>337
国内でやれたワザを海外遠征でやらんかったんでは? >>338
天啓帝の乳母である客氏は宦官の魏朝や悪名高き魏忠賢と愛人関係にあった。
宦官でも女とプレーできるらしい。 >>337
その時点で実子が居なかったから出来た術 >>340
戦争の上手い人は、自信過剰で、力業でやろうとするのよな。
マケドニアのアレクサンドロス三世のペルシャ攻めも、モンゴルのクビライの日本攻めも、秀吉の朝鮮征伐も、ナポレオンのロシア攻めも、ドイツのフランス攻めソビエト攻めもそんな感じ。
うまくいくと総取りだけれど、下手こきやすいよな。
総取りになった例なら、ウイリアム(ノルマン公)のイングランド攻め。王様取って代って、アングロ系ブリソン系の在来貴族を全部お取り潰しにして領地を手勢に分配。 >>342
今なにかと問題になってるトランスジェンダー女性レズビアンってヤツに近いのかな? >>333
旧暦でも1年の長さの平均は365.24日ですよ。
354日か355日の年が多いけど、19年に7回くらい380日超える年があるよ >>349
張形、仮具とかの性具を使用する点は似てる。
後宮の閉じ込められた環境で宦官と女官の間に慰め相手を求める意識が生まれやすい。
夫婦同然になったのを「対食」とか「菜戸」とか呼ばれる。
秘密裏だったものが、公然と行われるようになり、しまいに相手を見つけることの出来ない宦官は軽蔑されるまでになる。
強い性欲が残ってるわけで宦官の意味があるのか謎。
ちなみに溥儀の皇后婉容は女児を出産したが、
溥儀は不義の子と断定して、疑いのある侍従二人を追放してる。
女児は殺された。
夫婦仲が悪くセックスレスだったようだ。 ふつうは宦官といえば、後宮を含む宮廷内の事務を司るものだが、明代の宦官は
軍の監督や税の徴収など、本来は一般官僚の職務だった分野にも進出している デカい船造ってやるから、ちょっくら南海方面シメて貢物召し上げて来いや、
おまぃの行きたがってたメッカとかにも寄り道してええで 中国の権力闘争の歴史は宦官と官僚の相剋を軸にして動いてきたと言っても良かろう 明朝は、有力な家柄から皇后を選ばなかったため、
外戚の害を防ぐことには成功した 唐なんか身分制貴族制社会で
皇后にふさわしい高貴な家柄の貴族ばかりだったから
外戚が横暴の限りを尽くした
唐を最後に身分制社会は崩壊したからねえ
清にはいわゆる貴族とは別枠だけど八旗という実質貴族があったし モンゴル帝国時代に、軍事貴族が復活、史上最大規模の大帝国になるも、
漢土で科挙を始めるとあっちゅうまに瓦解。漢土も放棄する羽目に。 >>355
宦官と官僚が牽制しあっていたからその上の皇帝の権力が盤石になる。
宦官党が存在しなければ明朝はもっと早く崩壊したのではなかろうか? >>353
さすがに明朝は宦官が多過ぎ。
末端の宦官に食事の配給が行き届かず餓死者が出たなんて、アホでしょ。 >>353
東廠や西廠が錦衣衛の上にあって、
宦官が人々を弾圧する特務機関を担当。 税制改革を上手いのに行政機構の整備は年代が下がる程酷くなるのが中国史 昔テレビで見たカンフー映画で錦衣衛が悪役集団として出てた
「錦衣衛に逆らうと、どうなるか分かってるのか!」
みたいなこと言ってた >>365
錦衣衛の兵士も宦官の設定になってて、ヒーローに金的蹴り決められても倒れないんだよな。 錦衣衛)
洪武帝のときは500人の精鋭。
嘉靖帝のとき半分に減らして3万人。ということはその前は6万人ということ。
崇禎帝のときは15万人以上。このうち滅亡時に崇禎帝を守ろうとする者は0人。 >>365
オカマとかニューハーフとか何故かガチバトルで喧嘩強いのよな
チャイナもそうなのか >>367
悪政ばかりやってた明朝らしい末路
南宋がモンゴルに滅ぼされた崖山の戦いで殉死者多く出たのとは大違い アンカ間違えてた
>>372からのアンカは367じゃなくて>>370だ >>372
スマホでJanestyle を使うとそうなるな
「データ再取得」をすると直る 永楽帝は、軍隊が辺境に動員されると、宦官を目付け役につけた
これを監軍といい、明代の悪制とされた
一度は平定された安南が、ふたたび反抗したのは、監軍として派遣された
宦官の悪虐のためだとされる https://finance.yahoo.co.jp/cm/message/1160004548/06e849fd4914445c27fed6a7a800b61d/1/1059
酔ってますね~。そうでもないと、ちょっとやばいですよ~?
史実机に対して、小説の金瓶梅!とか書いちゃうのは、すごいな~。(笑)
同・封神演義を参考にして、商の時代を考察する学者はいませんよ~。(爆笑)
貴方の書いてることって「初歩の初歩」なのでかんたんに書かざるをえないんですよね~。専門性もなにもない「序」だからさ。
質問の程度に合わせて内容変えるのって教職者なら当然のスキルなんですよね。
貴方が私に対して、鼻息荒くして「ない」知識振りかざしちゃうから
「単なる学部生と同等、それ以下の存在は看過できないな。」
とかいう焦りに満ちたあやふやな文章書いちゃうんですよ。
「単なる学部生と同等、それ以下の存在であることは言を俟たないな。」
ってなくらいに書けません?
一回くらいざっと校閲したらどうですか?薄気味悪い文章してますよ~?
それに尽きるんですよ。
貴方、語るに値しないんですよ。
貴方の文章、私に対する返答、一切含まれてないじゃないですか。
だから「輟耕録」っていうまた史書ですらないものを書いちゃうんですよ。
すぐぼろが出る。
それ、漢籍ではあっても経緯書ではないこと、理解してないじゃないですか。
「上を見るな、身の程を知れ」
これ初歩的なアドバイスだから。常識。(笑) >>377
憲兵、特戦隊、監察軍、戦奉行……どこのどの時代にもあるよな。
宦官を差し向けていたところが明国の特殊事情なだけで ロシアへの中国の影響力が拡大し、属国化がすすんでいる
そのうち中国+ロシアの大版図になり、習近平はジンギスカンの再来と言われるようになる
見たくない未来 万暦帝の時代には「鉱税の禍」と呼ばれる出来事があった
鉱山の採掘・税の徴収を宦官にやらせた 奴隷身分、賤民身分に、徴税やらせるとか、わりかしあちこちでやってたろ。 『三国志演義』は明代の創作物。
赤壁の戦いの描写は、ハ陽湖の戦いのパクリ。 >>381
本邦も、キンタマ毟ってないけれど、佐渡金山は奴隷身分に落とされた罪人を採掘に充てていたよ。
今の北朝鮮も、同じく、政治犯・思想犯を炭鉱で強制労働。 神宗の時代、鉱山に派遣された宦官は、銀が出ないとなると、国税である商税、塩税、
店舗税など、手当たり次第に取り立て、また貴人の墓を掘り、富民の邸宅や良田に
鉱脈があると因縁づけて脅迫し、人妻や娘までも徴発した。 まだ良心的じゃん。
中国人なら鉛を銀だと言って送り付けそうなものだけれど >>389
おーい
早く科挙が腐敗まみれだった証拠だそうや
デマカスネトウヨ >>391
これ以上突かんほうがええで
こういうやつは進退窮まるとコピペ爆撃とか始めかねんからな
突っ込みはほどほどにせんと危険や 不正ではないですよ。
そもそも特恵層が特恵を維持するための仕組だから
目的にそって運用されてたんだし。 腐敗というか、国是が儒教なんだから、身内縁故に便宜を図って当然なんだろ。
むしろ、身内に便宜を図らない方が罪というか。 試験官が身内縁故を贔屓できないよう回答者が誰かがわからないような仕組みになってる。 まず記名乱は採点が全員分終了するまで封印されてて見られんようになってる。
筆跡で誰の答案かわかる可能性もあるから
答案は必ず別人が別紙に書き写してそれを採点する。 >>396
当然なんだろ←想像
現実に基づいて語ろうや、ゴミムシくん >>396
ここで何か意見を言うならまず最低限の前提として
↓これくらいは読んでからにしてくれ
https://i.imgur.com/th60NoZ.jpg
不朽の名著やから読んで損はせんで
君もこのスレで意見を開陳したいと思うほどに科挙に関心があるなら
これはまず必読書やで >>403
おめー負けてるんだから惨めに騒ぐなよw 科挙で問題になるのが地域格差だ。
清時代260年間の状元114名のうち、蘇州府出身は26名と23%もいる。
蘇州の学習環境が恵まれていて、偏ってしまった。
明の洪武帝の時は南北格差が課題となった。
元末明初の戦乱の被害が著しい北方に比べて、
南方は豊かで学習する余裕があった。
なので合格者が南方人ばかりになってしまい、
北方人が不満を爆発させてしまった。
統一王朝としてもまずい。
そこで北方人受験者を優遇しようとしたら、
南方人が逆差別であると騒いだ。
やむなく科挙を停止したことがある。 停止などせずそのまま明が滅亡した方が中国史には良かった >>409
おめでたいヤツw
蘇州の人が蘇州の人脈で引き立てる、ってなふうに地域閥が出来てんだろ。
南北格差にしてもそうだ。
明国は長江の畔から興った国だから、皇帝以下重臣も江南に縁故のある人が多い。
しかも、明国の標準語は南京の方言をもとにしている。喋る言葉からして長江流域有利。 >>411
何度言われても妄想の開陳をやめられない馬鹿笑 それは中古音にもとづいてるからどのみち明清関係ない 何言ってんだ科挙の問題点は文選などの詩文の教養が中心で行政実務を卑しむ気風を作った事だろw >>416
他にも科挙の弊害はそれこそいっぱいある。
だから清末に廃止となった。
だが廃止は清の滅亡を早めたかもしれぬ。
地域の有力者、郷紳を中央に取り込めなくなった。
弊害だらけの科挙だが、全くの無意味ではない。
少なくとも当初は言語思想の統一に貢献した。
各王朝を繁栄存続させるだけの意味はあった。
次第に制度疲労を起こし、西洋からの圧力に役立たなかった。 ほらやっぱり言語の統一に寄与したんなら、統一された言語と同一のものを既に使っている方が選抜に有利じゃん。 科挙なんか一度もやってなかった最初の王朝のまま2600年以上続いてる国が清国の滅亡した時点でも海をちょっとだけ越えたこっちに存在したよ >>419
神武肇國二千六百年、否、もうじき二千七百年を敢えて否定はしない。
が、
どう考えても継体の所に断絶がある。
天武に至っては暴力革命だ。
崇神と応神もかなり怪しい。
そもそも綏靖が簒奪王権だったりもする。
中国をはじめ諸外国ならば歴代王権として扱われる複数の権力体群を史書叙述の上で「万世一系」と印象操作したものと考えなければならない。
>>422
継体天皇が断絶てwwww
支那でいうと前漢と後漢、北宋と南宋とくらいのレベル
本邦のもっと新しいのでいうと、徳川幕府の将軍が秀忠系から吉宗の代で頼宣系に取って代わったようなものでしょう? 陰謀論だけど、明治天皇すり替え説まである
2600年を直系で繋ぐて無理でしょ
孔子の直系が台湾に居るけど >>423
このスレで継体朝の議論に深く踏み込むことは避けるが、挙げてくれた中国の事例群とは全く性質が異なることだけは指摘しておく。
もしもこれ以上の議論を望むのであればに日本史板にスレッドを立てても良いが、如何か。 なんで?
南宋の初代と2代めと共通先祖に辿り着くに8世代だよ。
南宋の4代めと5代めなら9世代。
継体天皇はたった5世代じゃん。
どっちも、領地もらってそれなりの王族として認められていた。
田舎のどん百姓の家でも5~6世代くらいなら結構な遠隔地でも親戚の感覚あるわいな。
370年くらい隔たっているけど、天草一揆で百姓足らなくなった天草に分家移住した家と、もとの小豆島の百姓家と
いまだに交流がある家系とあるでよ。 継体天皇は名前がそのまんま過ぎるし警戒して大和になかなか入らなかったとかわざわざ史書に書くから逆に血筋自体は正しいんだなと判断できる
違う血筋で偽装したならもっとそれらしく書くか五代の隔たりなんぞ出さずにもっと近縁を最初から偽造するでしょ 日本の正史に武烈天皇をこれでもか、とばかりに悪逆非道に記してあるのは何か異常事態があったと思う 万世一系は中国には「へぇ島国にはそんな古いやり方が残ってるんだ」とバカにされたような記述残されたぐらいだから捏造はあり得ない >>427
26代「継体天皇」の諡号は天平宝字、47代・淳仁天皇の時分に定めたもので、当時はこの名前は知られてなかったよ。 >>429
原始人にチョロっ毛の生えたような上代の伝承を書き起こしたものだから、見栄っ張りな粉飾とかしてないだけだろ。 >>427
史書に書かれてる事自体が政治的な粉飾だけどな >>432
武烈のエピソードってむしろ東アジア周辺国での典型的な暴君事績のパクりって指摘されてるけどね いずれにせよ「万世一系」は印象操作までしてやる事ではなく中国への外交的粉飾なら継体の時に易姓革命があったと記述されたはず >>423
徳川宗家が会津系になるという驚愕
でも、良いじゃないかと思う
天皇が伏見宮家系でも良いじゃないか >>436
記紀の編纂事業は中国への外交粉飾じゃなく国内統治の都合であり
その時点で論がズレている 記は日本向け、紀は支那圏向け
武烈天皇の苛政について載ってるのはは紀のみ >>438
定説と異なる見解だな学会に発表したら? 古事記は前文にがっつり国内向けなこと書いてあるで。
各氏族に伝わる帝紀に誤りが散見するから公認の帝紀を配布するみたいなふうに。
変則的な表記ながらも和文だし。
日本書紀はがっつり漢文。 清の乾隆帝って、実は暗君なんじゃないか?
康熙帝や雍正帝の遺産があれば、ある程度マシな皇帝ならだれでもできる。
康熙帝と言えばネルチンスク条約だけど、
それを頑ななまでに『例外』として結果的に国力を落とすことになったんだから。
もしも康熙帝ばりの仕事が出来る皇帝ならどうなっていたことやら・・・ そもそも中国への外交のために易姓革命を主張するべきって話の意味がわかりまちぇん 易姓どころか、倭国の大王は氏姓無しですよ。
ところで後漢は易姓革命なん? >>447
中国と同等の制度で日本も動いているとの主張 武烈天皇から継体天皇の代替わりで氏姓なくて易姓してないし
そもそも同系同族じゃん だから記紀で皇統が粉飾されたと言うのは基地外の妄想 >>449>>451
中国みたいな天帝からの統治権委譲や革命思想の裏打ちもなく
単に血筋や家柄をもって貴賤が決まる日本のような原始社会では
神に連なる系譜を捏造したほうが王権にとって都合がいい
日本書紀が編纂されたのは内乱で王位を得た天武時代
継体天皇の系譜を捏造して神代から連なる系図を自らにつなげて正当性を高めたい不順な動機が存在してるな? 本家の後継者が途絶えた時に、遠方に領地やってる分家の若いのを呼んできて本家の跡継に据える
なんて別に古代や中世で珍しいこっちゃないやろ。 そういうのが見られるのは王権が確立した後の段階
そもそも初期の大王って複数の首長家系が持ち回りでやってた説もあるくらい曖昧 そもそもジャップって家系の粉飾が大好きだろ?
戦国時代にも家系図偽造の偽源氏や偽平氏がわんさか出てきた
天下の徳川からして家系図捏造して源氏を称した
中国の歴史書をパクってつくった日本書紀にも見栄っ張りな家系捏造は当然含まれるとみるべき
民族性だから >>452
島国には古いやり方が残存してるんだねと思われただけ >>454
継体天皇で26代めか28代めだろ、十分に確立してるんではないんかい?
オランダとかフィレンツェとか6~7代で安定してんじゃん。
北宋南宋を通しで勘定すると10代めと11代目、13代めと14代目で随分血縁離れてるけど、
王朝的には一つづきて遷都下だけの連続した国なんだろ。
後漢の洪武帝が前漢の4代め景帝の6世孫、前漢の最後の皇帝が14代めで景帝からみると
7世孫だよ。
4代目でもう安定しているともいえるし、14代かかったとしても継体天皇の半分だわ。 >>457
神話と混同・歴史記録があやふやな古代天皇の代数と
歴史記録から明らかな北宋やらオランダの代数比較する意味がわかりませんw
アダムから数えて何代目だから~とか言ってる宗教と変わらんわ 26代目だから安定してるはずとか馬鹿かよ
初代の神武天皇とか欠史八代とかそもそも存在すら怪しい連中
仮にも歴史板なのだからオカルトでなく考古学的に明らかな内容で語ってほしいものだな…🤔 >>459
20世紀前半まで、夏商周は存在しなかった後世のつくりごと架空の話、秦だって本当にあったかどうだか怪しい。
……みたいに言われてたんだろ。 >>461
そらそうやろ
実際に発掘が進んで考古学的に証明されたから現在は科学的に議論ができる
お前のスタンスならムー大陸も存在するということになりそうやな😂 古事記だって、あんなもの後世のでっち上げ、語部・稗田阿礼も、筆記者・太朝臣安萬侶も架空の人、と言われてたのが
昭和55年だっけか、奈良の茶畑からばっちし従四位下勲五等太朝臣安萬侶って彫られた墓碑が出てきたろ。
まさしく「古き墳は鋤かれて田となりぬ」の状態の墓が見つかって伝わるとおり、従四位下に叙爵されてた。 そこから言えるのは安萬侶は実在したであろうということだけだろw
一部史実を反映している=全てが事実ではないのは当然の論理
物証がないのに実在したとはいえない
歴史書に書かれてるからと言って幻獣や鳳凰も実在するのかという話
全く論理的でない
頭悪いやつとの会話は疲れる😇 本来の生物としてのヒトの寿命は25-30歳なんだって。
決死八代の実在性は必ずしも完全な虚構とまでは思っていない
実際の紀元前660年は盛りに盛った年数で、しかもあんな一本の系図なんかじゃなく
欠史八代も神武天皇とか崇神天皇とかに集中されされた可能性もあるんじゃね?
日本武尊なんかのように。 「継体」という諡号は8世紀末に命名されたものだが
「継」は継父・継母・継子などのように、血縁関係なくして継承する場合に用いる漢字であり、
この諡号を選定した奈良時代の有識者は、武烈と継体が血縁関係に無く、ここで皇統が改まることを明確に認識していた >>465
盛りに盛っても中国4000年の歴史より浅い中途半端な数字でわざわざ捏造したにしては不思議 大本教の出口王仁三郎が戦前に面白いこと言ってて、
神武から欠史八代は同時代に存在した各地の豪族を並べたものだ、と
これを第九代開化の御子、第十代崇神が四道将軍を各地に派遣して豪族達を平定して日本を統一した
以下、一部抜粋
王仁師は、「神武天皇から綏靖、安寧、懿徳、孝昭、孝安、孝霊、孝元それから開化天皇までの九柱の天皇は、日本各地に住居された同格の天皇であって、日本古代史は、九柱をタテに並べて千年のあやまりを犯している」といわれている。 それだけじゃ天皇を100歳以上にしたあげく中国史に対して中途半端な紀元前660年神武即位にした理由にならない 神武即位は辛酉の年とされている
中国の予言めいた讖易説で甲子革令、辛酉革命と言われ日本でもこれらの年に元号改めたりして意識されてた
十干十二支は60年で一巡りするが、これを21回繰り返したのが1260年で、一蔀と呼ばれた
日本書記の古代編は1260年遡ってる可能性ある いずれにせよ中国は天命による易姓革命を統治原理としたため現王朝は取って代わられる事の警戒が常時必要となり、実子を残せぬ宦官が跳梁跋扈する事になる >>470
> 大本教の出口王仁三郎
自由奔放な霊能者というイメージが強い人物だが
若い頃は、本居宣長・平田篤胤・本田親徳らの復古神道をかなり学んでいた一面もある
一筋縄ではいかない >>471
普通に>>472の干支に合わせたが有力説だし
そもそもスレ違いだし
そろそろ消えてくれんか 明清交代が起きずに、明朝の皇統が五百年続くというタイムラインもあり得た 明朝皇族の人数が激増している。
朱元璋には26人の息子がいて、23人に封爵がある。
それぞれ猛烈な勢いでねずみ算式に子孫を増やした。
嘉靖32年(1553年)に19611人が記録される。
万暦32年(1604年)に8万人を超えた。
専門家の推計では明朝滅亡時に100万近いという数字を出してる。
皇族だけで大軍を組織できる規模だ。
しかも彼らに膨大な封禄を給するわけで、国庫負担で王朝がガタガタになった。
滅亡の遠因となってる。
かくして貧窮する万民百姓の恨みを買って、李自成軍が大半を皆殺しにする。
「凡王府宗支、不分順逆、不分軍民、是朱姓者、尽皆誅殺」
朱姓の者は軍か民、従うか反抗するかに関わりなく、皆殺しとなった。 >>444
絶頂期から転げ落ちた。
好景気はバブルだった。
へシェンの蓄財を許すなど、十全老人は明らかに暗君と断じていい。 名君なら和珅なんかのさばらせんわ
自分で十全老人なんて名乗ったのもアイタタタ >>483
増加率の大きさと厚遇ぶりで明朝皇族がとりわけ顕著。 大改革者が必要だったな
皇族たちに殺されるリスクが高いが >>489
明朝皇族は贅沢な生活ができたけど、
権力はなかった。
常時監視されてて自由がない。
籠の中の鳥状態で、子作りに励むしかないんで、高い増加率となる。 燕王の反乱が成功例になったんで、
永楽帝は諸王への監視を強めた。
自分みたいなのが登場するのを防止するために。 中国の王朝って、オスマン帝国やムガル帝国のような兄弟殺しの習慣は作らなかったんだな >>493
習慣ではないけれど明国の2代目のときに皇族藩のお取り潰しをやりまくったろ。
直上で言ってる「燕王の反乱」の原因
>>492
速攻で自分みたいなのが登場してるで。
永楽帝の死後、1年経たず、長子の子と、次子との争いになりかけてた。
実際に兵を動かす前に発覚して捕縛したから叛乱を未然に防いだともいえるかもしれんが
捕縛された次子は処刑されてるから皇族の叛乱は有ったともいえるし。 康煕帝の後継をめぐる闘争では
九王奪嫡が発生する。
最後に勝った雍正帝は絶対権力を有し、
負けた側は獄に幽閉された。 雍正帝は皇太子を指名せず、
死後に勅書で公表する太子密建の法を立てた。
その勅書は乾清宮の正面に掲げられた「正大光明」と書かれた額の裏に置く。
皇太子の座を巡る派閥間の暗闘を防ぐ。 >>495
皇帝の中央軍が圧倒的に強いので、
皇族の反乱は成功しない。
燕王だけが異常。
燕王も絶対的な兵力差で幾度も窮地に追い込まれたが
建文帝が叔父殺しを嫌い、兵を引かせちゃう。
優しい人間は皇帝に向かない。 洪武帝が粛清やりまくって、建文帝側に有能な将軍居なくなってたのもある 燕賊簒位は一種の王朝交代。
北京への遷都で体制が一新する。 >>494
藩王に兵権なし。
自前の護衛兵なし。
皇帝の許しなく勝手に自分の城から外出することもできない。
ということは、常時監視されてたみたいなもの。
秘密警察国家なんで、
藩王や高級官僚はどこで何をしてるか、誰と何を話しているかが筒抜け状態。
宋濂がある夜に訪問客と酒を飲んだ。
翌日、洪武帝に呼び出される。
酒を飲んだか否か、客は誰か、何を食べたかを尋ねられた。
洪武帝曰く、
まことにその通り。卿は朕を欺いてはおらぬ。
全部、皇帝が把握していた。 世界的にみたら、江戸時代の日本のような長子一括相続のほうが珍しい制度なのかな? >>498
そりゃどこの王朝でもそうだろ首府に居る現役が強いわな。 >>503
長子の廃嫡や追放とか、次子以下に分知とかは大名でも旗本でも結構あるけど >>503
朱子学に上下天分の理を不可した林羅山流により戦国をもたらしていた相続問題解決に理論的支柱が 最近は、聖徳太子も居なかったことになってるよなw
四天王寺やら法隆寺やら今宮戎社とかあるのに 「継」が付くから血縁無し、とかいうアホな主張はキモくないんかい? オスマン帝国ではアフメト1世の時代に兄弟殺しが廃止され、皇子たちは鳥籠と呼ばれる
ハレムの一角に幽閉されることになった
彼らには女官たちが侍女として仕えたが、彼らが子を作ることは禁じられた
もし彼らに使える女官が妊娠した場合は、堕胎の処置がなされた
子が生まれたとしても、直ちに処刑された
このため明朝のように皇族の数が際限なく増えていくということはなかった 地元のことは結構正確に、ヨソの土地のことは荒唐無稽に、伝わってるものだ。
支那史やる人はこういうところの視点に欠いてる。
魏志倭人伝とか梁書とかにあるから、卑弥呼とか倭の五王は存在したけど、古事記は嘘っパチとかね。
卑弥呼なんて、あれだ、ヨーロッパで言うと、アルゴス(ギリシャ南部の都市国家)の王子とエチオピアの王女の子がペルシャの王様になった、
レベルの話だろ。 >>511
制限が多いと皇統が断絶しかねないな。
乳幼児死亡率だって高いはず。 人口大国だが王朝交替や戦乱で数千万人が失われる。
洪水でも数十万人が死ぬ。
人命が軽い。
補うべく子だくさんなんだろうか。
清の人口増加は異常。 >>514
反論できなくなるとわかりやすく煽るね君 >>513
「継体」の諡号を作ったのは淡海真人三船、8世紀後半のこと。時の天皇は、46代・孝謙女帝。
がっつり天皇の権威が固まっていて女帝が立っても藤原一門が専横を振るってもゆるぎないものになっていた時期。
わざわざ、王権真珠的な、瓊瓊杵尊の直系を否定するようなことやるかいな。 サウジアラビアの王族は、一夫多妻制によってねずみ算式に増え、第6世代までに
約2万人を数えるとの説もあるとか
初代アブドゥルアジーズ国王の子息には、月額20万〜27万ドル、孫には月額2万7000ドル、
ひ孫には月額1万3000ドル、玄孫には月額8000ドル、遠戚には月額800ドルの固定給が
支給されている >>518
赤の他人が王位についたら神聖な天皇の権威に傷がつくから
継の字をいれざるを得なかったというのが学者の有力な見解な >>521>>522
科挙腐敗ガイジにいわれてもノーダメージ こいつネトウヨなうえに馬鹿だしスレ違い指摘されても荒らし続けるから救いようがないよ 後宮モノが中華王朝ドラマの定番。
戦争シーンより華麗な後宮シーンの方が撮影に金がかからないからだな。
紫禁城を模した撮影用巨大セットがあちこちに作られてる。
観光地化してる。 >>520
墓制が継続し豪族層の入れ代わりもないから皇統は途切れてないが定説 >>522
https://i.imgur.com/liXnIif.jpg
なぜ何も知らない無知なのに「学説はない」とか断言してしまうのか…😂
無知の知とはよくいったもんだ >>529
簒奪者のそしりを受けないためにあえて旧制を残した、が定説 >>530
自らの固有の神話を捨て九州出身の前統治者に合わせるお人好しが継体だとw 赤の他人だけど、体制を継いだから「継体」
なんの違和感もない >>532
継体が簒奪したと言うなら越の国に天孫降臨した皇統が畿内の蛮族を制服し即位と記載すればいいだけ。その方が中国史の易姓革命の原理に適う。 >>533
簒奪者が自身の配下を連れず前統治者の配下の豪族のさなかに居る事に疑問を感じない脳死状態がアホパヨ >>534
中国の易姓革命の原理にかなう必要性がない
家系捏造したほうが地方の豪族は従う >>535
武烈という暴君が邪魔になって簒奪派が擁立したのが越の有力者である継体
でなきゃ大王の5世の孫とやらを引き連れてくる必要がない
論理的に考えられずアホパヨアホパヨと感情で喚くから
どんどん説得力がなくなっていくね笑
政治的なバイアスで語ってるのが露呈笑 >>536
越や近江の以前からの配下の豪族を切り捨ててまでやる事ではない >>540
簒奪したなら継体1人で出来るワケがない功臣に当たる人物が多数居ないと畿内の前政権に勝てるワケがない。だが継体即位以降で越、近江出身者で重用された者は居ない >>541
易姓革命の原理にかなう必要がある、とか
功臣が多数いなければならない、とか
意味不明な思い込みと前提で語られても
お、おう…としかいえない😇 >>537
簒奪派が畿内政権の者だとしたら何で政治的軍事的に無力な越前の彼方の自称五世王を擁立しなきゃならないか?答えは簡単、継体が本当に皇統の血を受け継いでいるから >>546
越って日本海交易の要衝で当時相当に栄えてたんだけど
そんなことも知らないで政治的軍事的無力とか言ってる時点で
無知すぎて話にならない つまり秀吉が三法師を擁立して政敵を駆逐したように畿内の既存豪族が簒奪者の主体なら擁立する者は前政権の血を受け継ぐ者が必要なのは当然。でなければ簒奪者自身が統治者として即位すればいい >>547
継体王朝成立の越の国出身の功臣が誰も新政権に居ないのは何故? >>548
そのために武烈の妹を嫁にしている
赤の他人が入婿の形で王位におさまった
その後その系統が安定的に継承したので
簒奪者としての記述は滅却された
とみるのが有力説 無知無知くんもういいよ
明清帝国と何も関係ないのにスレ荒らすなよ >>554
簒奪してるからこそ旧王の一族から嫁取ってるとみるのが自然
赤の他人だと旧来の豪族が足を引っ張るから
皇統がつながってるのになぜそんなことをしたのか
説明できる? >>556
後に光格天皇が閑院宮から継承した時に同じ事をしている。血は濃い方がいい >>557
光格天皇時代のように皇室の継承制度が厳格化した時代ですらそのような方法が必要だった
古代の継体天皇は赤の他人もしくは大王家と婚姻関係を結んだレベルの豪族だよ >>559
赤の他人だとしたら何故越の国から呼ばれたのか? >>561
日本海交易で潤ってた
生まれ故郷の近江や周辺にも勢力をもっており軍事的にも強力
辺境から担ぎ出された無力な存在というお前のイメージは的外れ
https://i.imgur.com/Q87ZrF7.jpg >>562
何故継体以外の越の豪族は政権に入らなかったのか? >>567
具体名?
お前は継体天皇がひとりでぶらりと大和に来たとでも思ってるんか
そうだというなら根拠を示せといってるの
日本語わかりますかー笑 >>533
「継体持統」だよ。意味は万世一系と同じ >>573
なぜ、わざわざそのような意味合いを持つ諡号を選択したのかって考察が必要だよ
王統の連続性、万世一系が自明であるならなぜあえて諡号に選ぶ?
諡号は言霊でもある🧐 >>575
一気に作ったから治世や人物に関係ない諡を適当につけたとでもいうのだろうか
歴代の天皇に対して?
アホか 血統が危ない所を継いでくれたんだから継体でいいんじゃないの
途絶えた血統を粉飾したいならもっと大胆に出自とか書き換えるでしょ >>574
行ってる意味が解らん。
単語は解かるが、意図が解らん、文脈が不明。
晩系一斉なんだから番系一斉に沿った諡号で矛盾してないし。 >>578
馬鹿だから意味がわからないんだろ
万世一系があたりまえならそんな諡つける必要がないといってるの笑
万世一系じゃない天皇だから、粉飾のために継体天皇としたとみるのが有力説 >>577
粉飾した結果が5世の孫とかいう無理やり家系図だろw
徳川家が源氏の末裔の家系図むりやり作ったのと一緒 >>580
いまのところ完全に負けてるけどか大丈夫か?笑
科挙腐敗のソースも出せないのに暴れんなよゴミカスデマウヨ >>583
無関係のヤツと混同する幼い知能がアホパヨw >>581
粉飾ならわざわざバレそうな諡号つけるワケないだろw >>584
いまさら無関係装っても無駄だぞ、ゴミカス笑 >>585
つけるわけないってあなたの感想ですよねー >>588
で、科挙腐敗のソースは?
恥の上塗りとはまさにこのことをいう >>589他人と混同してても謝ったら負けとなおも強弁する小西サルなみのアホパヨw >>590
じゃあ科挙に腐敗があったというのはデマですってことでいいね笑 >>592
あれ?認められない理由でもあるのか?
馬鹿が笑 >>398
誰の答案かわからないようになってたが、抜け道はある。
咸豊帝のとき、答案の何行目の何字目にある特定の文字があれば合格させる合図という不正が摘発されてる。
試験官2人と仲介した官と不正合格者の4人が死刑になった。 >>593
お前が勝手に勘違いしてるだけだと言ってるだろ発達障害w >>595
はい、では科挙は腐敗ばかりというのはデマだということでいいですね?笑 >>596
そんなのお前の勝手で良いと言ってるだろ小西脳のアホパヨw >>597
だから科挙腐敗ばかりはデマって認めるんだよな?笑
明言して、はいどうぞ >>591
無いだろ。当時の基準、当時の倫理観、支那人の善悪って、我々とはおよそ違うんだから
現代日本の感覚でジャッジしてはダメよ >>581
自分の意味不明な首長が理解されないのを、相手のオツムの所為と責任転嫁するですか。
じゃあ、「継体持統」の後半部分の「持統」を諡号された女帝は、どうよ?
もう、プリンセス(天智天皇の娘)で、エンプレス(天武天皇の后)で、エンプレス(女天皇)な、
血統も正統性も疑いようのない立派に出自と経歴の人よ。 >>600
後半部分の話はしていないが?笑
諡号に意味のない単語を適当につけたと主張するのならその根拠を示すべきなのはお前だ笑 >>599
つまり科挙に腐敗があったというデータは出せないです、降参ってことでよい?笑 明朝の皇族の話だけど、漢王の反乱の後、宗室諸王には大幅な制限が加えられた
封地からの朝覲、王同士の交通など、いずれも禁止され、墓参のための外出にも
許可が必要だった
朱元璋の考えた塞王制は意味を失い、莫大な宗室費は国家財政の癌となった >>566
余った王族を辺地に派遣して「シメてこい」というのは、割と世界中どこでもやってたことだよ
死んだら死んだでいいし、獲れれば獲れたで儲けもの、「獲れただけおまえの領地にして良いよ」ってふうに送り出す >>602
引っ込みがつかなくなってバカのまま思考停止のアホパヨw >>604
官僚の給与は最低にして、
皇族は待遇が手厚い。
朱元璋は家族しか信頼できなかったんだな。
実際は家族が敵になる。 >>607
そこはチャイナだよ
皇族がお付きの官僚にお小遣いを与える仕組みで >>606
引っ込みがつかなくなって無意味にキャンキャン吠えてる負け犬がお前だろ笑 バカウヨはウソを書き込み続ければ真実になると思ってるから質が悪い >>610
アホパヨは人違いした自分のマヌケさを誤魔化すだけの恥晒し人生w オスマン帝国の皇女は、高官と結婚するのが慣わしだったけど、
明清の皇女はどうだったのかな? >>611
はいはい
じゃあ科挙の腐敗横行はデマだったってことでいいかな?笑 >>611
まともに反論できないならレスつけなきゃいいのに
無駄レスでスレ荒らすなボケ >>613
最初からデマでいいと言ってるだろ引っ込みつかなくて恥の上塗りのアホパヨw >>616
すまんな今時珍しいマヌケなパヨが居たんで遊び過ぎたわw >>613
国是が儒教なんだから、不正じゃないんだよ。
逆に身内の不正を告発したりすると、告発者が処罰されるような社会。
日本も江戸時代まではそんな世の中だったよ。
主君や父祖の不正を暴くと、逆にお上から厳罰を下される。
たまに科挙の不正が発覚して厳しく処罰される者が出てきている。
これを以って、今の先進国のような法理でインチキが禁止されていると思ったら大間違い。
縁故や権益で特定の人を取り立てるのも是、でも、さらに上役との利害対立が生じたときに
うまく立ち回れないと、潰されてしまう。後顧の憂いが生じるような形でシクると多人数が殺されてしまう。 >>549
そういう習わしだろ。
徳川の秀忠系が絶えて紀州系を将軍の跡継に迎えたときも、和歌山藩の家来を幕府の役付にしていないよ。
世界中そうなんじゃないの?
徳川吉宗と近い時期にドイツのハノーバーからイギリスに迎え入れらた王様も、家臣連れてきてないから、
イギリスで英語わかんねー、良きにに計らえ、君臨すれども統治せず、になったろ。
その前、日本では徳川家康に征夷大将軍宣下が出た頃にスコットランドからイングランドに迎え入れられた王様も
手下を連れてきてなくて、その結果、今でも、イギリスの貴族は、スコットランド貴族、イングランド貴族、
グレートブリテン貴族が別体系。
チャイナは身内ですら信じられん、幼馴染も親戚も平気で裏切るから、一代限りの宦官に頼るしかない >>620
老中は吉宗の近臣が後に就任してるし土木工事もそれまで担当していた伊奈氏が更迭され紀州の井澤が各種の用水路施工をしている >>615
はいはい
自分が言い出したデマの引っ込みつかなくなってデータ出せないのに負け認められないゴミカスネトウヨって哀れだね笑
これからもずっといじってあげるね笑 >>618
またわけわからない馬鹿が出てきたなw
科挙腐敗横行とかいうデマのソースとなんの関係もない話
そもそもそんなのは前近代なら世界中同じような傾向だ
あえて中国の特性みたいな話にもっていこうとするから論理が壊滅して馬鹿にされるんだよw >>622
一言ごめんねで済むのにアホパヨは死ぬまでアホパヨだなw >>627
あれ?デマだと自白したゴミがまだいるw
はやくスレ荒らしたことを謝罪せーよ >>620
アホパヨは暇人だから絡んで来るがバカだから簡単にあしらえるぞw >>629
敗北ネトウヨって簡単にあしらえるからいい玩具なんよなあ ネトウヨがスレに混入すると質が落ちるから出てってほしい >>621
単に排除してないだけでしょう。「のちに」って。
何十人もいた老中に和歌山藩の出が何人いたよ? 吉宗が将軍に就くなり老中になった和歌山藩の出のものがあったのかよ 話題が中国史のスレだからって、心根まで中国人にならなくてもええんやで。
相手を「ネトウヨ」といっみたりまあ他の言いようでもレッテル貼りみたいなことしたところで、
ご自身の人間の画が揚がるわけではないんやで。
中国人や韓国人が豊かになってもいつままでも汚らしい豚のような精神しか持ちえない、
こういうところが儒教のダメなところな。
きょうび、完全に付き合いを断つのは困難だけれど、そういうのに染まってはダメよ。 >>633
そういう老練さは政治家・経営者には必要。
子飼いの家臣に速攻入れ替えても、完全に譜代を排しても、上手くいかないからな。 >>634
お前もレッテル貼りのレイシストやん死ねよ >>634
なんか偉そうに言ってるけど
お前が科挙は不正だらけでそれが中国人の特性とか
まさに汚らしい豚のような差別発言をかましたことは無視なん?w >>636
こいつらの謎の儒教叩きって何なんだろうな
定期的に沸いてくるけどw 儒教関係ない
儒教が存在しなくても最初から、そう言う民族性だから
儒教で性質変わったのではなく、元からそう言う性質 634
文革の時に批孔批林のスローガンの下、村々に一つはあった孔子廟まで徹底的に破壊されてる
現在の共産党政権と儒教は全く関係がない
孔子の直系子孫も共産党の迫害逃れて台湾に渡った 戦後、中国や北朝鮮は無宗教化、韓国はキリスト教増加で、
現在世界で一番儒教精神残ってるのは、寧ろ日本じゃないか >>640
儒教を禁止した秦の始皇帝なんてめっちゃ合理的な思想施策じゃん。 >>642
儒教が混ざった謎共産主義と謎キリスト教に変貌しているけどな >>640
民族性っていう定義自体があやふやなのに何を語ってるの >>642
統一教会とかいう韓国宗教が国教になってるしな >>612
清朝の皇女ではモンゴルに嫁ぐのが多い気がする。
あの川島芳子もモンゴル人と結婚したことがある。
一方、モンゴルの姫の方は皇帝に嫁ぐことも多い。
満蒙一体化を目指してるんじゃないか。 >>636
文化の違いをいうのがレイシストなんですかぁ? >中国人や韓国人が豊かになってもいつままでも汚らしい豚のような精神しか持ちえな
どこが文化の違いなんだ??
とにかく死ね >>643
謎キリスト教でないキリスト教なんか現存してないで
正教もカトリックもプロテスタントもエホバもモルモンも聖書に書いてないことばっかり教えてる おっとアンカーミス
書き直し
>>644
謎キリスト教でないキリスト教なんか現存してないで
正教もカトリックもプロテスタントもエホバもモルモンも聖書に書いてないことばっかり教えてる >>648
頭わるいのに賢ぶるなよw
かえって弱く見えるわ >>646
統一教会は国教bどころかすっかり落ち目で
いまや信徒1万を切ったらしいで
代わりにものすごい勢いで勢力拡大したのが
「新天地イエス教証しの幕屋聖殿」
今や統一教会なんか問題にもならんくらいの大勢力や
で、統一教会が国教という情報はどこから出てきたんや? >>647
清朝の皇女は政略結婚の道具。
支配勢力の拡大や政治的利益のために
国内外の王族、貴族、政治家、軍事指導者などに嫁がせる。
モンゴルやチベットを含む。
一方、明朝の皇女は明朝内の王族や官僚、科挙に合格した若者などに嫁ぐ例が見られる。
漢族中心で異民族との結婚はあまりしなかったんではなかろうか? 清朝が弾圧し摘発した白蓮教徒たちの中には、
自分たちが白蓮教を奉じていると全く認識してないケースがあった。
看板を変えながら長年地下活動してたわけだ。 太平天国に参加した民衆も天父とか上帝とか意味も分からずに参加してたんだろな
生活苦しいから暴動に参加しただけ
教義なんか知るべくもない >>658
それまでの秘密結社が掲げる滅満興漢のスローガンを太平天国が採用したのが大きい。 >>655
氏姓が同じ婚姻はダメなんじゃないの? 明朝の皇女は明朝内の王族には嫁げないんじゃないの? >>651
カトリックも正教会もプロテスタント諸派も、相互にキリスト教と認め合っていますよ。
組織や作法やらに小異はあれども、教義の核心そのものは同じ、と。
仏教で喩えると、浄土真宗も曹洞宗も日蓮宗も律宗も真言宗も仏教諸派が相互に仏教と認め合ってるようなもの。
タイとかネパールとかで客死した仏教徒日本人が現地の坊さんに頼んで葬式と荼毘やってお舎利になって帰国とかあるだろ。
そういう感じのものだ。
で、オウムとか創価学会とかは、あんなもの仏教ではない、の扱いだろ。
その仏教から見たオウムや創価学会に相当するキリスト教の教派が韓国の謎キリスト教よ。
現に、ローマ法王直々に「韓国人は道徳的、霊的に生まれ変わるらなければならない」とのお言葉。
日本にも似た言葉がありまして、バカは死ななきゃあ治らない、とかいう非常に俗な言葉が。 >>664
同姓は娶らず、と言うからなぁ
実際どうなのかは知らんけど 伊藤博文は後に、イギリスは太平天国を援助すべきだったといったらしいが、
もし太平天国軍が勝利していたら中国がどうなっていたか、少し興味がある >>672
太平天国の政策面の先進的なところは洋務派官僚が引き継いでる。
精神面では孫文たち革命派が受け継いでる。 科挙に腐敗が無かったとしたら、中華民国で劣化し、さらに中華人民共和国で更に劣化かよ・
律令制よか劣る近代国家って悲しくないか? >>672
けど、伊藤博文が清国訪問した時に「清国の皇帝は歴代王朝の中で一番、善政に心掛けている」
とヨイショしてた
社交辞令かも知れないが >>678
伊藤博文は開明的な穏健派。
外交交渉では冷徹なリアリストになるが。
清への訪問時に恐らく康有為らの変法派に助力しようとしてた。
訪問中に戊戌の政変が発生する。
伊藤博文の思惑が何であれ、実現できずに終わる。 300年ぶりに百姓から大臣になった優秀な人でも
チャイナはどうにもならなかったか >>680
一外国人に制御される方が末期だよ。
伊藤博文の提案が何かに依るが、それで動くのは主権放棄。
これを潰した西太后は救国の英雄。 >>676
中国共産党には選挙も試験もない
まったくの世襲制 >>681
パクりはするけれども、自尊心は高く、本質的な取捨選択ができないんだよな >>682
だから、なんで、律令制から、世襲絶対権力に、後退しているの?
なんで、犬が去って豚が来た状態に落ちってるのよ? >>684
パヨは死ななきゃ治らないバカなのはこのスレ内で証明済w >>684
日本も律令制からヒャッハー時代に落ちたじゃん 賛成率ほぼ100%の形だけの選挙は共産党員の中だけでやってる 犬が去って豚が来た、と台湾人に言われたのは大陸から来た国民党
国民党は戦後、一度だけ大陸全土で国会議員選挙やった
この時選出された大陸出身議員も蒋介石と共に台湾に渡って、
1980年代まで選挙やらずに万年議員として台湾国会に居続けた >>686
5世紀とか10世紀とかの時分に古代から中世型封建制に移行するのは、割と世界中で普遍的なことだったからなあ。
ヨーロッパや中近東もインドら辺も、古代国家から、中世型封建制政権の割拠になったろ。
古代国家(律令制)を20世紀まで引っ張ってきて、こんどは弾圧共食いのヒャッハー国やってるからバカにされてるのよ。 >>689
本質は国民党も共産党も変わらないわけで、むしろ、共産党政権の方か豚として酷いものだからなあ。 >>682
中国共産党を相当舐めてるね。
科挙の伝統でゆとりの日本じゃ比べ物にならないぐらいの受験エリート揃いだわ。
しかも凄まじい競争と権力闘争を勝ち抜く胆力で幹部にのし上がる。
能力的には日本の世襲ボンボン政治家では太刀打ちできない。 >>692
中共や救急車ソ連のそういった人材育成はある程度のレベルを数揃えるにはいいが、
傑出した才能や能力を持った人材は生み出せない。
だから、オリンピックでも、メダルの数は取れても記録は生み出せない。
パクッた技術を強引に早期に実用化出来ても品質と耐久性が劣るものしか作れず、
特許を取れる様な発明も出来ない。 >>688
一応国民党とかの議員も居る(かつての宋慶齢等) >>694
共産党以外の衛星政党もあるにはあるな
これまた形だけの共産党翼賛政党 >>693
40年前まではそういう認識でOK。
今じゃ科学論文数、被引用数、特許数はとっくに中国が世界一。
分野によっては米国を上回る。
皮肉なことに共産党による監視体制というのが、
5GやAIやビッグデータ、デジタル通貨などと相性がいい。
個人情報保護を気にしすぎる国からはイノベーションが生まれないだろうな。
天才が現れても、世間の空気を読まぬ不届き者として潰される。 >>697
半導体製造装置の輸出規制で中共泡食ってるぞ。
中共の特許なんて基本特許じゃなくて派生特許ばかりで、
特許訴訟を和解で纏める時に差し出す交換条件用ばっかだろ。 太平天国は秦の統一以前の封建制度を模範としていて、郷官制度も中央集権的な
統治の弊害を改め、新興の地域リーダーに地方行政への参加を促す分権的な側面を
持っていた
中国が分権的な国になる可能性というものはなかったんだろうか? 太平天国末期には王号乱発して、王号持ちが1700人ぐらいになったとか
そんなに王いたら農民に負担かかる 辛亥革命のときは、夢の全省独立宣言を実現したのにな >>690
明清が古代とか言ってる時点でネット言論鵜呑みにしてるだけの馬鹿丸出しやん >>699
ならなぜ日本人が中国に高級で招かれてせっせと研究をするんだい?
はい論破 >>700
分権化した太平天国は内部抗争で弱体化した。
それで権力は集中した方がいいというのが
洋務派官僚、孫文、袁世凱の共通認識になってしまう。 圧倒的な暴力で抑え込まないと秩序を保てない。
強権体質は必要悪。
強権で秩序と安定を実現できさえすれば、
あとは順調にいくらでも経済発展できる。
明清の物産輸出競争力は極めて大きい。
この経済のポテンシャルを発揮するには
まずは秩序と安定が不可欠だ。 >>700
もともと中国の中央集権制ってのは小さな政府であって税金さえとれれば後は地域ボスに丸投げして放置するようないい加減なシステムなんで近代国家の徹底的に管理する中央集権制とは全くの別物や >>704
支那人には特許の仕様書書けないから、外国人にやらせてる訳だろ。
それに、そんなマネトラよりハニトラ方が件数多いぞ。支那絡みで自殺はハニトラが原因だから。 >>709
また妄想かよ
これだからネットびたりの無職は >>708
一応、県の長までは中央から派遣し、
現地出身は選ばず、定期的に異動する。
里甲や隣保を組織し、農村の末端まで布告が伝達されるようにはなってる。 >>709
見えない聞こえない仕事に行かないがアホパヨw >>710
中国の宣伝機関のレコードチャイナでも、中国人は1を100にするのは得意だが、
0から1を生み出す力がないと記事掲載してたぞ。
それから、日米の不正競争防止法の罰則強化で日米からの技術導入が難しくなったとも書いてたな。 >>713
夜3時に書き込みしてる時点で底辺かな?w >>714
中国人若手技術者たちと関わった経験が少しでもあれば>>709は書けない。
優秀さは段違いだからな。
もちろん人口が多いからアホなのも多いんだろうが。 >>719
奴らは具体的に形になった技術マニュアルで教えられることは必死に覚えるが、
まだ海の物とも山の物ともわからぬ基礎研究分野には興味をあまり示さない。 支那メーカーってYahooニュース、Niftyニュース等あちこちの
ネットニュースで話題になっている迷惑Youtuber「らんたいむ」を
使って製品宣伝するって非常に優秀なブラックジョークのセンスだなwww
https://youtu.be/QrOVMvOXAOg >>716
自分たちの弱点を理解している者が最強の強者となる。
侮れないよ。 >>725
実際電子マネーが進展したのは現金が偽札ばかりで信用出来ないから始まってるしな >>721
それって日本のことでしょ?
基礎研究に国が金出さないから中国にどんどん流出
中国の優秀な科学者を国を見捨てた日本人が育ててるんやで🤭 >>729
壊れたレコード状態の馬鹿笑
歴史の話できないならでてけよ笑 >>681
頭下げて教えてもらいに行ったり大枚はらっで来てもらって指導を頼んだりするのが
主権放棄ですかw
明治維新から三十年“主権放棄”したところに、あっさり戦争で負けて、それですか。
そういや、日清戦争のチョイ前に日本の外交代表が洋服を着ていたことを揶揄してましたね。
その時には日本の代表も、満洲装束の清国の外交代表対して「おまぃらも胡服着てんじゃん」
って切り返したというけど。 >>735
ただのお雇い外国人とは違うようだ。
米英日清の合邦を上奏する動きがあたらしい。
合邦が何を意味するか確定できないが、施政権の大半を移譲するとの解釈がある。
伊藤博文は客卿として顧問となるらしい。
博文が光緒帝に謁見した翌日に政変となり、光緒帝は幽閉された。
危機感からクーデターが決行された。 Wiki の西太后に米英日との連合を求める上奏文が載ってた。
変法派官吏の宋伯魯の上奏では
「時代の情勢を良く知り、各国の歴史に詳しい人材を百人ずつ選び、四カ国の軍政税務の規則や外交関係を処理させる。」
軍事、税務、外交を米英日の外国人に担当させるらしい。
伊藤博文と英国人ティモシー・リチャードが顧問となる。
主権放棄だな。
外国の力を借りたいほど変法派が追い詰められてたとも言える。
西太后は容認できない。
もっとも西太后が光緒帝を廃位しようとすると諸外国が反対したため、廃せなかった。
既に外国からの干渉をはねのける力は清朝になかった。 >>708
華南の住民同士の地域抗争(械闘)で50万人以上の死者が出ても放置するのが伝統的な中国流中央集権制だ >>736
ただじねーっつうの
当時世界の端っこの世界のド田舎のようやく外交デビューしたばっかの未開国という評判の日本に
三顧の礼で来てもらう為ににたっけー金を積んでお願いして来てもらったっつーの。 >>740
変法派による伊藤博文、ティモシー・リチャード等の招聘は普通のお雇い外国人レベルではない。
合邦してくれ、言い換えれば併合してくれと懇願するものだ。
変法派は西太后や栄禄の暗殺を含むクーデターを画策する。
クーデター実行部隊を率いる袁世凱が変法派を裏切り逆クーデターとなった。
逃れることのできた変法派指導者は日本に亡命してる。 まだ叙任権闘争とかやってるのな。
共産中国って中世に生きてるのな
現在の中国ではウイグル人に対する民族浄化が行われているが、太平天国は満洲人や
漢人の清朝官僚、兵士とその家族を「妖魔」とみなして排撃した
彼らは太平天国のいう「中国人」の範疇には入らなかった
中国が少数民族に対して寛容な国家になるのは無理だったのかも… 儒教だからな。
罪は血縁者全員の罪。
リベンジも血縁者の義務。
一人殺されたら、殺した下手人だけでなく、下手人の一族丸々潰してしまわないと
こんどは逆ギレでこっちの一族丸々殺される。
まあ、個人が無いんだ。蟻や粘菌のような、群体なんだよ。 >>747
>儒教だからな。
>罪は血縁者全員の罪。
>リベンジも血縁者の義務。
それではそんな主張をしてる部分を経書から引用して貰えませんかね。 >>752
而同屬儒家文化圈的朝鮮、日本和越南,亦曾使用這一種刑罰。而朝鮮制度中對「族」的定義與中國制度中的定義是幾近一樣 忠義孝徳みたいなをもとにすれば、おのずと、族滅とか誅九族とかになるんだろ
律令には必ずあるじゃん。 習近平って明らかに皇帝を狙っているよな。
もはや神聖化されている毛沢東以来の言行録作成とか、
香港の一国二制度の事実上の停止とか、
台湾併合への異常なまでの意欲とか、
途上国への借金のカタに色々と勢力を伸ばそうとしているかたりが。
きっと経済の発展や、途上国への発言権とかを皇帝としての『徳』となんとかいって。
まあ、コロナ発生でその目はゼロになったけどw
『徳』マイナスじゃん
それ以前に習近平の帝国を諸外国が承認するとも思えないけどな。 >>756
洪秀全と同じく統治者のあるべきモデルを皇帝にしか見い出せないんだろう 中国がいくつもの国に分裂していたら、広東省など、
南部の沿岸部はもっと豊かになっていたんじゃね? 他国から見ても、そう思うくらいなんだから
本人たちが、一番そう思っている 日本人が、「中国から移民が押し寄せてきたら嫌だなあ」と思うのと同じレペルで
「内陸から移民が押し寄せてきたら嫌だなあ」と思っている 高杉晋作が上海を訪れたとき、城内の孔子廟は、太平天国の鎮圧を清朝から依頼された
イギリス軍の陣営と化していたとか
孔子像こそ他所に移していたとはいえ、廟内ではイギリス兵が鉄砲を枕に昼寝をしていた 「曾国藩や李鴻章が湘軍を率いて鎮圧した」ということになってるが
実際にはイギリス軍のおかげ >>766
イギリス軍人の組織した常安軍、定勝軍、フランス軍人が率いる常捷軍などの傭兵部隊が
清軍と協力して、浙江東部で太平軍と戦ったからな
さらにチャールズ・ジョージ・ゴードンが常勝軍の指揮を引き継ぐと、太平軍は
劣勢一方に追い込まれていった >>767
イギリスは太平天国と交渉したが、
太平天国がアヘン貿易を拒否したから清朝の味方につくことにした。
イギリスは極悪人。
一方、日本じゃ徳川幕府をフランスが支援し、薩長をイギリスが支援するという英仏代理戦争を展開。 アフリカなんか植民地にならなくても飢餓と混乱の暗黒大陸だ アフリカも、一人っ子政策を導入するよろし
我が国がお手本アルヨ >>769
> 英仏代理戦争を展開
そうなる前に明治維新は終わっちゃったじゃん
やっぱり徳川慶喜はすげえよ
たとえそれが事実上の幕藩体制の列藩会議を目指したにすぎなかったとしても
本当にいい人材が大量生産された時代でよかったよ
他方で清はそれを出来なかったんだから 終わらせたのはイギリスやで
幕府側がフランスから兵器を調達できないように外交戦を行っていた
こないだのNHKスペシャルでもやっておったわ 孫文は『太平天国戦史』という本の序文を書いた。
その中で太平天国の失敗の原因に外交力の不足、革命資金の不足を挙げてる。
太平天国の失敗を繰り返すことのないよう
孫文は海外での活動に力を注いだのかもしれぬ。 >>778
でも、独裁的志向が強く汪精衛の様に妥協することもなかったから、
洪秀全と同じ様に安定的国家運営の点で失敗してる。 >>759
豊かになる→人間増える→共食い始める→治安悪化→文明後退→貧しくなる
概ねこういうこと繰り返してきたのが支那の歴史だから……
ガチに鼎で烹て食うというのはさすがにもうやってなさそうだけれど、
移植用の臓器を奪い取ったり、血清とか母乳とか胎盤とか売買したりして、
新たな形の食人を始めてるし。 >>774
乳幼児死亡率が高いところは出生率も高くなる 洪秀全はキリスト教こそ太古の中国で崇拝されていた宗教であり、今その神を信じることは、
中国古来のあるべき信仰に立ち返ることだと考えた
また中国の皇帝を全世界に君臨する主催者とみなす華夷思想から抜け出すこともできなかった
韓国のウリスト教もそうだが、ある地域にキリスト教を広めようとすれば、その地域の
伝統や習慣も取り込んで”土着化”しなければうまくいかないんだろうな ウリスト教でなあキリスト教なんかどこにも存在せんで
どの教会も聖書に書いてないことばっかり教えてる 地上に楽園を作るという幻想が民衆の心をつかむ。
白蓮教は弥勒救世主待望だし、
太平天国もそう。
共産主義だって楽園願望の変種に過ぎない。
幻想を実現しようとして出来上がるのが「楽園」とは程遠い、むしろ「地獄」そのものだったりするのが歴史の皮肉。 中国がタイのように王朝国家のまま生き延びたら、そのほうがまだマシだったかもな
大躍進政策とか文化大革命がないだけでも社会に与える傷は少なかっただろう 辛亥革命が意外に上手くいったのは、革命派にとっても意外だったらしい
革命派を鎮圧すべき陸軍大臣の袁世凱が革命派に寝返って、清帝退位させたから 辛亥革命では、夢の全省独立宣言が実現
各省が、続々と独立を宣言し、大清帝国から離脱した >>787
あれほど巨大な国を1つにまとめるためには、国民統合の象徴が不可欠
とりあえず、習近平がやるしかないが 辛亥革命蜂起後、あれよ、あれよと省政府が離反したのは、
地方の有力者が敷設した私設鉄道を清政府が国有化の名の下に接収しようとして、地方の有力者が離反したのもあるらしい 前王朝に逆らって滅亡に追い込むことに協力した人らは新体制で粛清されてしまうって
支那の歴史は毎度毎度そうなのに、歴史に学ばないのね。 当時の中国の各省は、外国と直接関係を深めて経済成長をとげ、中央・他地域への
依存を弱め、自立的な財政・軍事の運営が可能になっていた
だから袁世凱の手腕をもってしても、分裂を防ぐことは不可能だっただろう 分裂して省2~3個くらいまでの大きさで10~15ヶ国くらいになればいいのよ。 >>795
歴史から学ばないとかって偉そうにいっているやつ自体が歴史を大して知らないという笑い話
ま、いつもの句読点ネトウヨだからお察し 袁世凱死去後の北京政府は弱体化し、北京周辺を支配するだけの地方政権となる
地方は地方で軍閥が割拠する分裂状態
それを孫文の後を継いだ蒋介石の北伐軍が広東省から攻め上り南京を首都にして北京も占領、大陸を一応統一した ネトウヨ煽ったらパヨク連呼するだけの頭の悪さをわざわざ自己アピールしてくんなって話よな >>804
まだ続けるのか?
じゃあ科挙腐敗のデータだそうか
負け犬ネトウヨーんw どうせまた自分じゃないとかいって逃走しまくるんだろうなあーwww しばらく静かになったと思ったらほとぼりが冷めたと思ってのこのこ出てきちゃって アフガニスタンのカルザイ政権みたいだな
アフガニスタンも結局はタリバンが統一したが 科挙腐敗がどうのこうのでスレが荒んでいるみたいだけど、
宋代に大活躍した科挙が、明以来単なるお受験になっちゃったのは事実だろ?
明の洪武帝にしてみれば最低限書類が書ける程度の事務員さえいればそれでいいんだから。
で、清末は有名な学者の康有為さえ科挙になかなか受からなかったんだから、
腐敗したかどうかはともかく、まともに機能しなかったのは常識だよね? >>812
確かに詩では唐に敵わない。
但し『唐詩選』は明代の編纂、『唐詩三百首』は清代に編纂されたもの。 >>813
王朝創建時は人材が不足してるので、科挙には多く採用したい意図がある。
やがて採用枠に対して応募者が圧倒的に多くなっていくので、必然的に落第させるためのものになる。 >>813
ぷっ
科挙腐敗とか勝手に言い出しておいて
データが出せないから今度は機能しなかった!に防衛線下げて論点ずらしか笑
そもそも「まともに機能」とやらの定義とは?
それをいうなら現代の大学受験だって受験エリートしか抽出できないから同じと言える
句読点ネトウヨの議論って全てにおいて「浅い」よね!w >>813
宋って終始カツられて削られてだったらな。
日本では徽宗の書画の評価が高すぎて逆方向に正当な評価を受けてないよな >>815
人民共産党と同じじゃん。
勢力拡大も人材も必要で人集めから、一転して、権益化。
人の優秀さよりも出自縁故の方が重要になってくる 中国人も東南アジアの華人も、外国に移住しても子供に異様に競争させ、
詰め込み勉強をさせるが、大人になってからの仕事や研究の成果が本当に微妙。
想像力やコミュ力が足りないので仕事にならない。
あまりにも遊びがなく、子供の自主性を無視した詰め込みのため。 現代の公務員試験のように
受験資格に年齢上限があった方がいい。
ヨボヨボの爺さんが合格通知で狂喜のあまりそのまま逝っちゃったとかの悲喜劇を防ぐ。
受験で人生を棒に振らせてはいけない。
まぁどんな試験でも人の優秀さを絶対的に測ることはできない。 >>819
今の華僑ってそんなものなのか?
華僑ったらコミュ力の怪物、押しの強さと図々しさ厚顔無恥さでで世界中に蔓延ってきたんではないのか? >>818
どちらにせよ人の優劣を試験だけで測ることはできないし、
結局は生まれ育った家の学習環境に左右されることが多い。
上流階級の固定化はどこの国でも存在する。 >>823
科挙ってそういう制度があるということを支配階層だけが知っていて、
同時代の市井の民はそんなものがいつどこでどんな形で行われたとか
まるで知らない、しらされてないというようなものだったろ。
今の人民共産党だって、それと同じ。
まあ、支配階層が共産党員ということまでは市井に広く知られていても、
どうやったら党員になれるのかなんて周知されてない。
身内か、なんとか大枚積んで口利きしてもらうか、でようやく入党条件が
さわりだけ教えてもらえるような。 :>>825
知らされてる
合格者の名前は掲示されたし、上位合格者には朝廷から直々に合格証明書送られてきた
合格者の家には合格者が出たことを示す鳥居みたいな物建てた
科挙合格者出ると村の名誉なんで、村総出でお祝いした
庶民にも科挙の門戸は開かれていたが、諸々の資金高くて庶民には事実上、手が出なかっただけ 省都クラスには何百人が試験受ける試験場あって、そこに村々から科挙受験生ゾロゾロ来れば科挙の試験やってる判るだろ
北京や南京ぐらいだと数千人規模の巨大な試験場あった >>825
現代日本も選挙に関心のない有権者だらけじゃん?
政党の公認を貰わない無所属じゃ当選どころか立候補すら難しい
先進国としては異様に高額な供託金制度もあるよな
ま、東アジアの政治哲学には「人民が政治に関心を持たない」のは天子の徳が行き渡ってるからというのがあるから
そのために経済的発展やあらたな娯楽を国民に与えてる中国は立派と言える そもそも自由主義の総本山みたいなアメリカだって高額な教育費を確保できるエリート階級の子弟でないと高級官僚になれないし
読み書きできない有色人種の貧民は選挙民登録の障壁で参政権すら行使できないのだよなあ
むしろ1000年前に科挙という現代に通じる制度に達してた先進性を評価したいね >>819
一昔前の日本人評をトレースしたような内容で無意味な指摘
詰め込み教育からゆとり教育になって日本の国力は上がったか
だいいち本当にそうならそんな中国にどんどん追い抜かれてる先進諸国って一体… >>825
中共を批判したいがため、
妄想を開陳するのは悪手だぞ。
第一にここは明清スレであって、中共批判の場ではない。
第二に史料的根拠のない妄想イメージの思い込みで中共を批判することは却って中共を利する。
真面目に中共を批判したい人たちにとっては大迷惑と言える。 科挙に話を戻すと、
科挙には皇帝権力と農村を結び付ける役割があった。
農村出身の合格者は任官して権力機構を担う。退職すると故郷に戻って村人たちを教化する。
皇帝権力に農民たちの支持が欠かせない。
清末に科挙の弊害が認識されて、科挙を廃止する。
すると皇帝と農村を結ぶものが無くなった。
清帝国崩壊の背景となってる。 >>826
合格者なんて張り出しても意味ないんだがw
応募要項、受付日、試験日なんかを張り出したお触書は出て来てないだろw >>832
チベットやウイグルこそ経済発展著しい地域だろ?
チベットなんて解放前は特権階級であるラマ僧が大土地所有して奴隷支配してたわけで
地位を追われた側のダライラマなんかが中国恨んでプロパガンダしまくっててしょーもない 経済のためなら人権も蹂躙~♪
それがどうした文句があるか~♪w >>838
下級民は科挙なんて知らない!から防衛ライン下げすぎやろお前
謝れない病気か?
馬鹿じゃないの >>829
日本の選挙の立候補の方法、立候補受付日、受付場所、投票日、投票場所はぜーんぶ公開されてますよ?
ご丁寧に投票権のある住民には、投票日・投票場所の案内を郵送してきますよ?
つい2か月前にあった日本の都会ベストテンに入る北九州市の市長選挙、4人の立候補者、全員、政党の公認無しの「無所属」での立候補でしたよ?
まあ、うち2人は政党の推薦有でしたが、もう2人は政党の推薦すら無し。
しかも、当選したのは、無所属新人。政党の推薦有りの前職が支援応援しいの人が落選しているでよ。
高額の供託金や、事前運動やらネット言論やら異様に規制するところやら、現職・政党有利、実質的な世襲化・縁故化・地盤の既得権益化を推し進める
ダメな制度というのは、全くの同意だ。 またどの時代の科挙のことを言ってるのかもわからないばかさるたちが盛り合ってるwww
ずっと同じ制度でやり続けてると思ってるんだろタコどもwww
社会状況の違いもわからんままでwww >>843
通知されてようが政治に無関心なんだから同じことだろって話な
結局特権階級が政治を回すようになってるのはどこの国も同じ
科挙が劣っているとかそういう次元の話ではない
むしろ時代を先取りしすぎた制度といえる >>844
土地を奪われた地主階級は損したり野垂れ死んだりしただろーね
貴族が搾取してた分がなくなったからその結果全体が豊かになったよね >>825
野に埋もれてる逸材を探し求めるという特別試験の「制科」という科挙も清朝の前期に何度か行われた
この試験の性質上、広く下々にまで布告しないと逸材が集まらない >>838
科挙の日時とか応募要項、役所に問い合わせれば判る 科挙に合格して正規の役人にならなくても、
男性自身を切り落として宮廷に使える宦官になって皇帝や皇后に気に入られれば、科挙合格した正規役人を凌ぐ権力得られた
また、文官登用の科挙以外にも軍人登用する武科挙もあった
こちらは文章試験は二の次で、腕力あれば大体合格した 唐末の戦乱で貴族や権門が一掃されたから科挙みたいな先進的システムが出来た
いかに負の側面があろうとも社会を進展させるのは圧倒的混乱や革命だとわかるな >>849
文化革命だね。
で、ありていにいえば、白人の農場経営者を追放したジンバブエみたいな状況。
農地を分配したら、あら不思議、餓死者大発生w
国民党を台湾に追い払って閉じ込めて十数年後からの飢饉だから、人民共産の失策だよな。
王朝交代の前後で人口が急減するのは支那史毎度のことだから、あんまり気にしてないのか? >>856
うん、そんな歴史もありながら世界2位の大国になった中国に負けちゃうってどうなん?w 改革開放前の中国の都市世帯の1人当りの所得のジニ係数は0.16(対する1988年には0.88)だった。これほど低いジニ係数は、世界でも極めてまれである
熊澤由美・佐藤康仁編著『格差社会論 第3版』同文館出版,2023,p.124 人民服時代の中国人を欧米人が見て、「どう見てもスパルタ人並」と評したとか
古代ギリシャのスパルタ人は質素倹約だったんだろうな そりゃ日中戦争と国共内戦で荒れ果てたんだから貧しいのは当たり前やね
共産党が勢力拡大したのも日本の侵略に対抗するために国共合作したから
日本に責任の一端があるともいえる 武挙は中国史全般で全然話題にならないね
まあ薄給だろうし役得のある地位に行けないだろうから有能な人材は集まらないか… 将軍クラスは八旗が占めて、武科挙出身は兵卒止まりだろうな
武科挙出身の有名人が居ない 科挙合格は超難関
下着の裏表に四書五経びっしり書き込んだカンニングシャツまで作られた
科挙試験場(貢院)は左右と後ろは仕切りされた個室なんで、カンニングシャツ見れなくもない
https://i.imgur.com/LIBGoPA.png >>862
むしろ逆やねん
ある程度功績のあった武人が箔をつけるために武科挙を受けるんや
そして相応の称号を貰うて引退後するねん
武科挙は武人の入口ではなくむしろ出口なんや >>854
> 宦官は世襲出来ない
養子が世襲するだろ
曹操なんか、父も宦官、祖父も宦官の名門だった >>857
旧ソ連もかつて世界第2位だったがあの有様。 >>857
面積あたり・人口あたりでは、大したことない件 175 日本@名無史さん [sage] 2023/04/20(木) 05:23:00.93 ID:
>>164
毛沢東の前では、いかなる殺人鬼も見劣りします >>867
それ、自分はよく思うんだけどな
「日本の経済規模はずっとアメリカに次いで世界2位だったのに、中国に抜かれて3位に落ちた」という人が多いんだけど
ずっと世界2位だったのは、ソ連だよ
ソビエト連邦崩壊で向こうが勝手にコケて、その代わりが中国になっただけだ >>857
支那人のバイタリティーすごいよね。
屠蜀しても四川方面人口1億オーバー
文革しても人口十四億
首都のまん中で戦車で三万人轢き潰しても何事も無かったような六四天安門事件
で、これが初めてではない、戦車で民衆を轢き潰す天安門事件は前にもあったとは恐ろしいよな。
周恩来の追悼に自発的に集まってきた人らを、政治批判は不快だとか言って轢き潰すとか、こえーよな。
まあ、ともかく、戦争は人海戦術、百万人くらい死んでも十億もいらから平気とか、ゴキブリ、小蠅、浮草のような繁殖力。 かつては強烈な繁殖力を誇っていたが
いまは出生率が日本より低い超・少子高齢化社会 ついこないだ、人口はインドに抜かれた
中国が少子高齢化してると言うことは、先進国タイプになってきてるかも アフリカでもカナダでも南米でも支那人はびこりまくりだし 国籍が現地国籍になれば、中国系アフリカ人であり中国系カナダ人であり中国系南米人だろ
東南アジアなんて現地国籍取得した華僑多い
シンガポールやマレーシアは半数近くが中国系だ >>872
あいかわらず、下劣な書き込みの句読点ネトウヨ >>876
同じ家に住む家族で国籍バラバラじゃん。 インドは国内で差別対立がすごすぎて国民国家になれない
統一国家としての歴史も浅い
ここは中国に軍配が上がる >>879
チャイナもそうじゃん。
差別対立だらけ。
都市戸籍、農村戸籍でもう対立が。
さらに地域ごとに、幇とか閥とかで対立しまくり。
そして、少数民族虐殺しまくり。 カースト制じゃねーじゃん
それに戸籍の区別のもうないんじゃないっけ 文化を破壊し、地面・資源を収奪し、気に食わなければ抹殺し、腎臓心臓奪い取る
というのが、中華人民的な保護ですか? >>885
ネットで流布してるあやふやな内容をしたり顔で書き込むのって恥ずかしくない? ガッチガチに言論統制している国家の公式はっぴゅうよかずっと信用できるというのが
ゴルバチョフという実例あるし アヒルと人形が向いあって立ってるとか
ブーさんとティガーが並んで歩いているとかが
Weixinで速攻消されるレベルの言論統制しておいて
よくいうよ 言論統制があったら駄目なら戦前の日本もゴミカスですね まさか中華人民ってば共産党の公式発表を真に受けているレベルのリテラシーしかもちあわせていないんかの? >>891
21世紀になってまで言論統制強化しているあたりが、中華人民の限界ヨ >>893
明・清の時分から何百年経っても進歩しない、むしろ退歩してるんでねえの? 中華人民。 /〃^〃^:::::::::::::i
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,' LV ! Vヘ
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,' ヽ.V ,.小 ト、
/ ,' ,. '´ ノ ; ! .!
r 、 fヘV .,' /-‐'-イ ;、/
⊂ニ、 `. 〈 i / / ∧┼
中国、本当のGDPは当局発表の60%しかなかった 「独裁専制国家のGDPは実態と大きく乖離」夜のライト(明かり)量で測定 ★2 [お断り★]
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1681994777/ 中国人は大昔から数勘定が下手糞なので、数量や金額は話半分でいいよ
ともかく数字は盛る、何はにつけても白髪三千丈 現実を認められないアホがまだ騒いでる
中国のGDPがもし半分でも世界2位なのは変わらないというね 日本も統計改ざんしてたんだからどこの国にも多かれ少なかれある話
仮に半分だったとしても世界2位の実力
日本人はどう転んでも勝てないね 1820年に清朝のGDPは世界の1/3 を占めていた。
清朝滅亡時でも世界GDPの10%を占める。
衰え弱り果てたラクダでも馬より大きい。 確かに1820年当時の清のGDPは英国の6倍だった。
だが財政収入を見ると年で銀4000万両前後で
英国は5000万ポンド(清の銀換算で1億5千万両)。
英国は清の4倍近い財政規模だった。
単純な比較は難しいが、国力の参考にはなる。 税負担が軽いが、政府がほとんど何もしてくれない。
それで民間互助組織、秘密結社、黒社会が発達する。 まあ、住宅着工件数も新車販売台数も
圧倒的に多いのに、経済規模が日本より
小さいってことは、さすがにもう無いが >>910
購買力平価GDPでとっくに中国が米国を抜いて世界一。
海上コンテナ取扱個数で圧倒的に中国が物流面で世界一。
高速道路総距離数で中国が世界一。
高速鉄道路線距離数で中国が世界一。
超高層ビルの数も中国が世界一。
自動車生産台数で中国が世界一。
スマホ生産台数で中国が世界一。
パソコン生産シェアで中国が世界一。
特許取得数で中国が世界一。
科学技術研究者数で中国が世界一。
今後だが、
天宮号宇宙ステーションの本格運用と長征次世代ロケットで中国が宇宙開発の先頭に躍り出る。
そして極めつけがデジタル人民元の登場で、米国ドルの時代が終わるぞ。 774 ウィズコロナの名無しさん [sage] 2023/04/20(木) 16:29:13.16 ID:+lyAHHpA0
人生に不満をかかえている陰キャな奴はパヨクになりやすい >>904
19世紀前半のGDPなんてどうやって計算したの?
会計とかがそこそこ進歩していた西ヨーロッパはともかく、清国なんて律令時代だよ。殆ど古代のようなもの。 >>908
公式の税収は少ないけれど、お役人から民間が毟り取られる額はとてつもなく大きいというのが
儒教社会だしなあ >>911
GDPが嘘なのは以前から周知。
しかし貿易統計は相手国があるので、信頼度が高い。
世界の輸出額2021年
単位は百万US$
1位、中国 3,363,959
2位、米国 1,754,578
3位、ドイツ 1,631,818
4位、オランダ 835,994
5位、日本 756,032
生産力や建設力は間違いなく大きいよ。
むしろ問題なのは作り過ぎなこと。
そんなに作って売り切れるのか?
そんなにいっぱい建てて有効利用できるのか?
売れなきゃ借金返せないんで、焦げ付くことになる。 >>915
よく使われるのはイギリスの経済学者アンガス・マディソンの推計。
この推計が絶対正しいと決まってるわけではない。
当然異論がある。 >>910
地面がタダの鬼城に、火が出る粗悪品の電気自動車ね。
人間の値段が安いから、工費も事故賠償も安く済むと
慢心している。 >>912
購買力平価ねえw
中国で平均的な所得を得ている人の暮らしぶりが、アメリカの平均的な人の暮らしぶりを上回わっていますかいな? >>917
で、輸入額は?
ってかさ、輸出依存て、ガチ後進国じゃん
貿易黒字ってのは、実体のある富が外国に出ていて、代わりに自国ではめぐらない外貨を握らされている、
国が痩せて疲弊しつつある状況なんだけれどね。 >>920
人口規模が違う。
一人当たりではない。
ただ大富豪の数は増えてる。 >>921
検索すれば出てくるよ。
2021年の輸入額 単位は百万US$
1位 米国 2,935,314
2位 中国 2,688,634
3位 ドイツ 1,420,129
4位 日本 768,976 >>905
だから、赤道を4回越えて地球を半周回ってきたイギリスの船に、コテンパンにやられてしまうのよ。
人口大国のホーム戦なのに、完敗。 明清も貿易黒字国だった。
世界中の銀を集めてしまった。 イギリスの機械織りの綿製品が清に売れなかった。
清の手工業者の綿製品の方が質が高く、安い。
機械織りの質が向上するにはさらに幾多の技術革新が必要だった。 >>906
なら中国のGDPより日本が上と証明してください
どうせできないだろうけどw >>928
じゃあ何が言いたいんだよ
短文レス乞食の分際で 仮に中華のGDPが半分だとしても日本はダブルスコアで負けてるね イギリス人は茶中毒。
清から輸入する品目で茶葉の金額が最も多い。
オランダ東インド会社がヨーロッパへ多く持ち帰るものも茶葉で、イギリスに密輸したりする。
イギリスから大量の銀が清に渡ってしまう。
なんとかしようとアヘンを売り込む。
アヘン吸引者は1830年に200万人を超える。
一方、江戸幕府は清からの輸入で金銀が長崎から流出するのを食い止めるべく、
干なまこ・干あわび・乾燥ふかひれ、昆布を売り込む。
これらは中華料理を美味しくしていった。
江戸幕府は良心的。 イギリス人のやる事には見て見ぬふりが奴隷根性の国の中共 「天皇制を一特殊形態とする君主制は、いうまでもなく人類最古の、そしてもっとも普遍的な国家形体であって、アメリカやスイスなどのように建国の当初から共和制であったごく少数の例外はあるものの、一九世紀の後半にいたるまで世界中のほとんどすべての国は君主制であったのである」
浜林正夫「天皇制とヨーロッパの君主制」『天皇制と国民主権』新日本出版社,1989,p.145 >>933
昔から、日本ほど付き合って損の無い国は他に無い >>934
清朝時代ならいざ知らず、現在の中国共産党とイギリスが何の関係なくあるんだよ、クソハゲジジイ
香港も回収されたのに >>926
GDP6倍の時分から、チャイナは人間が安かったの?
イギリスは、糸繰やら機織やら機械の方が安上がりになって、産業革命だったのに。 >>933
19世紀末に、日本から茶を買う話、持ちかけてきたよ?
日清戦争で台湾と朝鮮とを得た日本が、「稼ぐ植民地経営を教えて頂戴」とイギリスに頼み込んだら、
「台湾が回帰線にかかってモンスーンだから、紅茶を作るといいよ、作り方は教えてあげるからインどか
セイロンに習いにおいで。 良いのが作れるようになったらウチらが沢山高く買うから。」と。
で、日本の宇治の茶農家と職工をインドのダージリンとセイロンのヌワラエリヤに遣わして教えてもらいに行った。
茶で貿易赤字でなかったんかい? >>940
19世紀後半になるとインド、スリランカでの茶葉の生産が本格化する。
アッサム種が発見されたのが1838年頃。 >>904
そんな経済絶頂期で人口も世界最大の清国が、なんでアヘン戦争大敗したの?
戦争というものは、守方(ホーム戦)が有利なものだ。
人口と経済力が圧倒的な攻方が、小国に撃退されるものだよ。
たとえば、元寇とか、ベトナム戦争とか、人口経済力圧倒的な攻方から守り切ってるし。 >>944
銃砲が進歩してないとか、軍が戦える組織になってないとかあるけど、一番は衰退期で落ち目になってて気力も無くなってたからじゃない?
民間義勇軍の平英団なんか長槍と剣が主要な武器だったけど、イギリス軍を全滅寸前まで追い詰めた。
一致団結して犠牲を厭わない気力があれば撃退できた気がする。 イギリスの最新艦砲によるもの
清の旧式砲の射程外から攻撃できるので防戦すらできなかったわけ
沿岸や河川を自由自在に移動する機動力に陸の大兵力が追いつけなかった 清朝のGDPやら生産力がすごいのは確かなんだけど高度化した近代の戦争においてはあんま役に立たなかったんだよね
似たようにオスマン帝国もスペックで見れば大国だったけど結局欧米に負けて滅ぶ
んで国としてはそれらの数段下の規模だったが国家と戦争を高度化出来た日本が列強入り出来た >>947
日清戦争当時の日本のGDPは清の1/5だった。
北洋艦隊の大型艦で日本を恫喝してた。
GDPは国力の指標にならない。 >>947
江戸時代の日本の人口は「3000万人強」とされており、
オスマン帝国より多かったんじゃないかな?
江戸の都市規模も、ロンドンに抜かれるまでは
イスタンブールをしのいで世界一
もちろん、国際性がないから存在感はずっと小さいが 国際的な存在感では比較にならないが
日本の人口は意外に多くて、
オスマン帝国の人口は意外と少ない
じつは、東西で似たような規模の国家 南シナ海を荒らし回った鄭一嫂という女海賊がいた。最盛期には8万人の手下がいた。
林則徐は彼女を抜擢して海軍力としてる。
ところが林則徐や鄭一嫂を解任してしまう。
世界史上最大の海賊集団を再稼働させて、
英軍の補給基地を破壊した上で長大な補給路を海賊行為の要領で破壊、寸断することができれば清国は勝てた。 生産力や人的資源を戦争に投入する体制になってなかった。 清国の場合、アヘン戦争に負けてもそれほど危機感を持たなかったことの方が、
より深刻だと思う
アヘン戦争に負けた後、清が危機感を持って改革を進めていたら、東アジアの歴史は
どう変わったかわからない >>955
『海国図志』を出した魏源のように危機感を持つ人たちはいた。
全体が動くのには時間がかかる。
西太后が実権を掌握する辛酉政変でやっと洋務派官僚を抜擢できるようになった。 日本でいえば薩長のように、
西洋列強の脅威を身近に知る
広東省や福建省が動くしかなかった 遠く離れた南のハテの広東省で起きたアヘン戦争
北京の朝廷が実感を持つのは難しい 広東省に西郷隆盛や大久保利通がいて
北京開城をできれば良かったんだが >>960
中華文化は一つかも知らんが一体感は無いからなー 今、『幕府海軍』(金澤裕之、中公新書)を読んでいるんだが、
「…清国の近代海軍建設は1866年の福州船政局(福健船政局とも)設置に始まる。
日本で長崎海軍伝習が開始されてから11年後のことである。…もし日本の海軍建設が、1868年の明治建軍からスタート
していたら、逆に清国につけられていた二年間の差は、容易に覆せなかったのでは
ないだろうか」
と書いてあった。 >>947
前後に、ポーランドやらオーストリアやら結構な大国が解体されてんじゃん。 >>953
旗本八万騎の江戸幕府は、戊辰戦争で戦わずして降参 >>963
今だったら香港も重要だが、当時はあんまり 日本は薩摩藩、ドイツはプロイセン、イタリアはトリノ
辺境の端っこの国が全国統一して近代化するというのが、パターンなんだよな~ しかし、中国は大きすぎる
広東省だけでも、ドイツやイタリアより大きい そもそも、中国を、日本とかドイツ・フランスみたいな普通の国と並べて比較することに意味がない 山東省だけでも人口1億
ヨーロッパのどの国より大きい
古代の史書には「彼は斉の国(山東省)の人なのに、莱の国(山東半島)の人と話ができるほど語学ができた」という下りがあるほど
斉の国が山東半島を征服するのに何百年もかかった これで「経済規模が日本より大きい」とか
当たり前だろ、そんなの(笑)
これで日本より小さかったら大笑いだ >>912
支那の宇宙ロケットって旧ソ連・ロシアからのパクリの
灯油燃料の数束ねエンジンなんだよな。
何で米国日本EUの西側(同じくロシアからパクった韓国除く)は
液体水素エンジンなのかわかってる? >>974
こうやって負け惜しみの技術だけどんどん高めていってるのがバカウヨ
近いうちに韓国に負けても同じこと言い出すんだろうな >>975
明清に関係ないけど。
ロシアのソユーズロケットを見下してバカにする技術者はNASAにはいない。
スペースシャトルの失敗と挫折を経験した技術者たちは、
ソユーズの抜群の信頼性と実績に羨望してる。
古い基本設計のまま「枯れた」技術で信頼度を高めたことへの評価は高い。 >>981
スペースシャトル挫折後の宇宙開発の歴史を直視しな。 日本人宇宙飛行士もソユーズに乗せてもらっていた。
だから必死にロシア語を勉強する。 >>985
もっと最近のチャレンジャー号7人死亡のインパクトが大きい。
テレビ生中継だった。 ソビエト~ロシアのロケット打ち上げはカザフスタンでやんのよな
ロシア国の宇宙用語は全部タタール語にしれや >>988
清としては東トルキスタンを確保するだけで精一杯だった。
ロシアの膨張を食い止める役割を果たした清に日本は感謝すべきだな。
蝦夷を取られずに済んだ。 >>989
本国(モンゴル、沿海州、黒龍江左岸)をがっつり削られてる阿呆が何言うだか。
清国が沿海州守ってりゃ日本はロシアと別段戦争もせず済んだでよ。 >>990
樺太まで清国領にしてたが、
結局ロシアに取られてしまった。 清朝が粘ったおかげで、ロシアの極東進出をだいぶ遅らせることができた
その効果は無視できない インドのムガール帝国みたいに、明清帝国が18世紀初頭くらいにアッサリ崩壊して国内が分裂状態になってたら
もっと早く中国大陸は列強の草狩り場になっていた
とくに極東ロシアの進出が加速したのは確実
日本は対応を準備するヒマもなかった >>991
清国は言ってるだけで支配できてなかったよね。
樺太のアイヌは元寇もはねのけてたし、大陸の支配は及んでなかったろ。
間宮林蔵も測量放題だったし >>994
清は主張してくれるだけで
蝦夷ロシア領有の勝手な主張を覆す。 >>994
樺太は清の交易網に入ってる。
沿海州をロシアに取られると交易網も断絶。
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