食物と酒、嗜好品の歴史@世界史板 112皿目
30年前にグアム、LA行ったときですら日本食ラーメン寿司屋全部韓国人のインチキ料理だったわ >>304
カナダバンクーバーの和食店は全て韓国人経営だったな >>304
パラオだったら、もっと日本味な料理を食えたかもね。
>>305
そういえば昔々、747が太平洋横断前にアラスカのアンカレッジに
着陸させてた時の話だが、そこで食ううどんが涙が出るほど美味かった、
って中島みゆきが言ってたんだ。 >>306
高くて不味くて有名なうどん屋だが何故か人気があった
看板見ても日本人経営では無かったと思う
ググればいくらでも出てくるよ 最近紅麹製品が問題になってるけど、人体に害を与える微生物を使わないと作れないって発酵食品って存在するのかな
EUが公式に販売を禁止してる蛆チーズ「カース・マルツゥ」では人体に危害を加えるのはあくまで蛆だし
さすがにあからさまに腐敗したものを食品として食べる文化はどこにもないか >>307
昔のロスアンゼルス国際空港にも高くてまずいうどん屋あったなぁ 昔はわからなかったけど実は毒っていうの結構ありそうなんだけどね 聞いた話によれば、発酵も腐敗もプロセスとしては同じ物なんだとか。
人間にとって有用な物なら発酵、不要だったり害になる物なら腐敗と
区別されてるだけなんだそうだ。 >>311
みんなその前提で話ししてるけど
どした?いまさら? 意図的に発生させるのが発酵で
そうでない物、あるいは発酵のやり過ぎが腐敗かと思ってた。 発酵も腐敗も一緒で、細菌が異常繁殖して細菌だらけになるのは共通
何の菌が発生してるのか、その菌が人体に有害な毒物を出すかどうかが主に発酵と腐敗の違い
意図的に発酵させても、予定してた菌と違う菌が増殖してしまったら腐敗と呼ばれる どこかのファミレスのチーズを使ったメニューで「リステリアフリー」と書いてあって、有害なリステリア菌を使わないと作れないチーズもあるのかなとふと思った
そうじゃなくてチーズ作りでどうしても混入しがちってことか
でも例えば青かびチーズってどうしても不安に感じる。安全な青かびだから今まで続いてるんだろうけど 鰹節をEUに輸出するのがけっこう難しい理由はカビのせいだと早合点していた。
このスレに書こうとして、ちゃんと調べてみたら燻煙のせいだった。 縄文時代の人々は、狩猟や漁労で獲った肉や魚、木の実などを食べていた。 弥生時代になると、稲作が伝来し、米が主食となった。 これが、日本人の食文化の基盤となったんだな。
その後、仏教伝来とともに肉食が禁止されたり、貴族社会の発展とともに精進料理が生まれたり、庶民の間では保存食が発達したりと、時代とともに食文化は変化していった。
江戸時代になると、商業の発展とともに外食文化が盛んになり、寿司や天ぷらなどの代表的な日本料理が生まれたんだ。 明治時代以降は、西洋文化の影響を受け、食生活も大きく変化していった。 肉食が解禁され、パンや牛乳などの西洋食材が取り入れられるようになったんだ。 タイのナンプラー、意外と新しい調味料だったんだって!
タイ料理に欠かせないナンプラー、実は100年ちょっとの歴史しかなかったなんてびっくりだよね。
もともとタイにはベトナムのヌクマムが輸入されてて、それがナンプラーになったんだって。ヌクマム自体も中国が起源って説もあるんだとか。
日本のソース(約130年)よりも歴史が浅いなんて、なんだか意外だね。 最近、オランダ料理にハマってて、そういえばポン酢ってなんか洋風な名前だなーって思ってたんだよね。まさか本当にオランダから来てたとは驚きだわ。
最新の研究によると、ポン酢の語源はオランダ語の「ポンス(Pons)」なんだって。ポンスってのは、柑橘類の果汁にアルコールや砂糖を加えて温めた飲み物なんだ。
江戸時代にオランダとの交流を通じて、ポンスが日本に伝わったんだけど、日本では食前酒として飲む習慣がなかったため、そのまま飲むのではなく、醤油や酢などを加えて料理のつけ汁として使われるようになったんだって。
なるほどねぇ、だからポン酢って柑橘系の酸味とまろやかさがあるんだね。そういえば、鍋や焼き魚なんかにはもちろん、サラダのドレッシングに使ったりしても美味しいよね。
オランダのポンスはどんな味なんだろう?今度、オランダ料理のお店に行って試してみようかな。 料理番組とかでよく聞く「タバスコ」と「オイスターソース」。実はこの2つ、意外と歴史が違うんだって知ってた?
タバスコは、1865年にアメリカ南部ルイジアナ州で生まれた。当時は銀行家だったエドムンド・マキルヘニーさんが、大好きな生牡蠣に合うソースを作ろうと試行錯誤した末に完成させたんだ。当初は唐辛子、塩、ビネガーだけだったんだけど、熟成させることで深みのある味わいに仕上げたんだって。
一方、オイスターソースは、中国広東省で生まれた。こちらは1888年頃に、李錦裳(リー・キンショウ)さんが考案したと言われているんだけど、諸説あって正確なところは分かってないんだ。当時は牡蠣の煮汁を捨てちゃうのが一般的だったんだけど、李錦裳さんはその煮汁にうま味が詰まっていることに気づき、濃縮して調味料として利用することを思いついたんだ。
つまり、タバスコは30年以上もオイスターソース先輩ってことになるんだね。
最近じゃ、タバスコはメキシコ料理のイメージが強いけど、実はアメリカ生まれだったんだって。オイスターソースは中華料理のイメージが強いけど、これも中国広東省生まれだったんだね。 タイ料理をワンランク上の味に押し上げた、液体の魚醤の登場!
昔っから魚醤はあったんだけどさ、それが液体になっちまったのがタイ料理にとって革命だったんだってさ。
昔はヌクマムって言って、海外から輸入してたんだって。しかも、魚を発酵させて上澄みを取ったものだから、そりゃあ高級品だったろうね。
それが、液体になっちまったもんだから、料理に使いやすいったらありゃしない。炒め物にもスープにも、バッチリ決まるんだってさ。そりゃあ、タイ料理全体がワンランク上の味になったのも納得だよ。
昔の人も、きっとびっくりしただろうね。「こんな便利な調味料があったなんて!」って。
今では、タイ料理には欠かせない調味料になったんだってさ。
ところで、最近、俺も液体の魚醤を買ってみたんだ。あれ、ほんのちょっと入れるだけで、料理の味に深みが出るんだよ。さすが、タイ料理の秘伝の調味料ってところだね。
今度、君んちでタイ料理を作る機会があったら、ぜひ使ってみてくれよ。きっと、いつものタイ料理がワンランク上の味になるからさ。 最近、国産紅茶が流行ってると聞くね。実は、この紅茶、ただの紅茶じゃないんだって。
昔は、やぶきた品種って茶葉で作ってたんだけど、今はほとんどが「べにふうき」とか「べにひかり」って品種で作られてるんだって。これらは、インド原産の紅茶品種「アッサム」と、中国原産の紅茶品種「シネンシス」を掛け合わせた、ハイブリッド品種なんだ。
だから、外国の紅茶とはちょっと味が違うんだって。外国の紅茶は、苦味とか渋みがあるイメージだけど、国産紅茶は、まろやかで優しい味わいなんだって。
最近、テレビで特集されてて、私も飲んでみたんだ。確かに、苦味がなくて飲みやすかったよ。ミルクティーにしても、まろやかで美味しかったよ。
今度、お茶屋さんで国産紅茶を見かけたら、ぜひ買ってみて。新しい発見があるかもよ。 >>319
「ナンプラー」は新しくても、魚醤ははるか昔から有ったと妄想。 >>322
これ、面白いよ。
コメント欄も凄い。
魚醤の作り方、イワシと塩だけで熟成させて作る方法 - オトコ中村の楽しい毎日
ttps://otokonakamura.com/gyosyo/
肉を発酵させて作る醤油 肉醤の作り方 肉と米麹と塩を漬け込むだけ! - オトコ中村の楽しい毎日
ttps://otokonakamura.com/nikusyo/ 発酵食品をシロウトが作るのは怖いんだよな
成功した場合のモノと失敗した場合のモノの両方に対する知識がないとな
自分だけじゃ食えるのか食えないのかの区別もできない >>320
いまの日本で言うフルーツパンチとかフルーツポンチってやつな
洋画とかのパーティーシーンで必ず大きなボウルに入って置いてあるよな >>317 主に西日本で消費されるかび付けしない安い荒節(分類 かつお・ふし)でも無理って事か
安いのも一応燻製にはしてるのかな。強力な熱風で乾かしてるだけかと思ったけど 海外でのムール貝の人気と日本での近縁種のイガイの存在感の落差よ...
一応イガイも「瀬戸貝」や「似たり貝」として地域によっては食べられてはいるけど
方言名もやたらあるし、本来それなりに食べられてた貝のはずなのに >>332
ムール貝はイガイと見た目が似てるだけで近縁じゃない
むしろアサリの方が近い 「ウィルキンソン」って英米カナダあたりのブランドと思っていたが >>319
外国人労働者が増えてナンプラーも普通のスーパーに売っている
嬉しいような悲しいような >>341
単に日本人の使用者が増えただけだろ
アホなのかな? >>214
『縄文時代に焼き畑農業が行われており、その中心作物は里芋で、
里芋は稲作以前の主食だったと考えられています。
日本に定着した里芋は、タロイモ類の中で最も北方の風土に適した系統のものでした。』
縄文前期〜中期:サトイモで人口急増
縄文中期後半以降、寒冷化で東北のサトイモ栽培も壊滅したとされ人口急減
弥生時代〜西日本は人口急増だが、東日本ではあまり増加せず(まだ寒く、稲は冷害に弱い)
寒い東北などでは
雑穀が主食で、ヒエの実は人が食べ、ヒエの茎や殻を馬の飼料にしていた
元記事)www.bestamenity.co.jp/culture/rice/
> その後、戦後まもなくの間まで
★> 雑穀は日本各地で栽培され、多くの日本人が主食として食べていましたが、
> 高度経済成長とともに主食が白米へと変わっていきました。
●> 日本の長い歴史の中で、主食が白米である時代はここ数十年と非常に短く、
> 日本人の食生活を支えてきた穀物は、雑穀だったのです。 >>345
どう考えてもいつの時代も米の消費量が圧倒的に多い
穀物依存度が高かったから米だけでまかないきれなかっただけで、大部分の稲作地帯じゃ普通に庶民も米食べてたと思うぞ >>341
日本人がタイ料理やベトナム料理を作るのに使うようになっただけだな
ベトナム料理はナンプラーとは別という突っ込みは不要
日本人がそういう料理を作るのが不満という話なら好きに言えばいい >>341
平成6年頃からの第二次エスニックブームがあったろ。 米が特殊なのは工業原料でもある商品作物な点で
現金が必要なら農家でも米は売って雑穀を食べる選択をするだろ >>351
どっちの消費量が多いかって話は結局どっちの生産量が多いかって話と同義
少なくとも弥生期以降はずっと米だろ
戦後まで雑穀が多かったなんてあり得るわけ無いだろ >>351
売られたコメは誰かが食ってんだろ
アホなのかな? >>349
ナンプラーやらニョクマムくらい、30年前から普通にあったで。ちょっと品揃の良いスーパーとか、ワイン多めの酒屋のグローサリーとか。 自民党(*ゝω・)ノ アリガd♪
他民族共生へ
パヨク涙目ブギャー >>345
焼畑で里芋が作れるんかの?
水田で里芋は作れるよ。 >>357
作ってた
ttps://www.jstage.jst.go.jp/article/grj1925/14/2/14_2_93/_pdf/-char/en >>355
どの程度が普通なの?
ダイエーには有った、万代には無かった、くらいのものやで。 >>360
>>354が「品ぞろえの良い」スーパーって限定してんじゃんw 日本でアワ・ヒエは縄文時代から主食の一つとして食べられてたし
東北地方は
冷害に強いヒエが多いが、もちろん裏作は地域により違う
二宮尊徳の指導により、ヒエ大豆アワを栽培した村は、
天保の大飢饉の際にも、雑穀の備えで餓死者が出なかったとか
>愛媛県史 近世 下(昭和62年2月28日発行)二 農業生産の発展
…
米と大豆は貢租作物のため、百姓の食用としては
裏作の麦、畑に粟、きび、とうもろこし、甘藷、山畑には稗、小豆、蕎麦などが作られた。 粟や稗って美味しいのかな?
大根飯は美味しそうだけど。 雑穀はご飯に混ぜて食べるぶんにはいい
あれだけを食べろと言われたらなし >>363
昔の百姓は米に雑穀を混ぜて食べてたのであって米を食わなかった訳では無い
地域にもよるが主流はこのタイプな 江戸時代のコメ生産量は現在の約半分
人口比を考えると当時8割をしめた百姓がほとんど米を食べられ無かったと言うのはあり得ない話とわかる 実際、現代でも雑穀は五穀米とかで米と混ぜて炊いたりするものだしね
白米と混ぜた場合でも食味が落ちずにカサが増すのは重要
ただ、昔の農民はほぼ玄米だったろうから、玄米と混ぜるとどうなるのかはやったことないけど うちのじいちゃんばあちゃんも白米しか食ってなかった
ガキの頃から食ってた主食を、20代30代から切り替えるとは到底思えない
死ぬまで雑穀米を食べ続けただろう
だから「白米が主食になったのは戦後から」がデタラメだと分かる 19世紀〜20世紀前半は寒冷だったので、東北・中央高地は稗ばっかり食ってたんではないの?
江戸から身近なド田舎の状況がそうだから、人口希薄地の特殊事情なのに、それを全国の田舎の状態と勘違いしたものかと。
同じくらいの距離の東海・近畿方面の農民は冬も耕作していたし、産業先進地帯で人手を多く使う工場制手工業の担い手
として、冬場や余剰人員の吸収もあって、江戸まで出稼ぎに来なかったろうし。 従来、雑穀・雑炊・芋などを常食していた層が多く
それが各地の郷土食だったが
戦時の 「米の配給制」 による米食の一般化で、戦後から白米の主食が一気に広まった
農村の「食」の変容からみた近代史―農村調査資料に聴く
野本京子
www.jstage.jst.go.jp/article/jjoha/15/0/15_43/_pdf/-char/ja
郷土食とは自給作物である雑穀を主体としていた。
さらに調査村落では、日中戦争後、雑穀生産の減少と米購入量の増加がみられたという。
この米購入量増加の一因として、米穀配給統制機構による「僻辺地」への米穀配給の実施があげられている。
米穀配給統制制度自体が実は郷土食慣行を揺るがせ、
郷土食を推進しようとする意図とはうらはらに、むしろ山村でも米食率は増加傾向が指摘され、
「配給制が郷土食を駆逐する」(10)といった事態が生じたのであった。 >>373
で、全国でコメよりも雑穀のが生産量多かったたの? 明治になっても農村では白米はハレの日ぐらいでしか食えず、軍隊行けば白米食えるってことで、日清戦争での陸軍の脚気大流行となったぐらい
あと江戸時代、仙台藩など東北諸藩からは大量に米が出荷されていたように東北地方は米蔵だったけど、品種改良がまだまだ足りなかったことと寒冷化傾向などから収量が安定せず飢饉が頻発してた
アイルランドのジャガイモ飢饉のように飢饉でも米を藩外に出荷した藩もあったし、農民は救荒作物の育成は必須だったし、時代や場所によってはそっちがメインとなるのもまあ当然
だからこそハレの日の食い物である白米への羨望はさらに強まることに >>376
で、全国でコメよりも雑穀のが生産量多かったたのか? >>376
領民が飢えて病もうと死のうとお構いなしに年貢を取り立てて藩外へ売りに出す領主が、
農民が自ら食うための救荒作物を沢山植えることを許したものなのかなあ? >>376
勘違いしてるな
江戸時代米の収穫量が多かったのは関東静岡愛知あたり >>377-381
突然キチガイが湧いたな
消えろ >>381
土質が関東ローム層で田んぼが良くできなかったんじゃないの?
で、バクシャリとか蕎麦とか。 >>384
土質は改良できる
何よりも人口と治水と平野と気候が重要 江戸時代の関東に土質改良とかそんな高度な技術がありましたかいな? >>386
普通にやっとるわw
柳沢吉保舐めんなよ 昭和25年『貧乏人は麦を食え』当時、
コメは高級財だが、麦は劣等財で安価、うどん・麦飯・コッペパン等は庶民の食べ物
キヤノングローバル戦略研究所〕 cigs.canon/article/20220823_6945.html
>戦前、米を食べられるのは裕福な家庭に限られていた。米は「銀シャリ」と呼ばれ、
>一般人のあこがれだった。
●>日本人がすべて米を食べられるようになったのは戦後のことである。
◆>明治から昭和の初期にかけて、かなりの農家は米を食べていなかった。
>小農は、作った米を売って肥料代や生活費を捻出し、
>自分たちは
>麦やアワ、ヒエといった雑穀に大根などの野菜を加えて増量した雑炊を食べて、
>飢えをしのいでいたのである。
★>小農にとって、米はめったに食べられない高級品だった。
★>米を食べても、それは通常の商品としては流通しない屑(くず)米だった。
>柳田國男は、
>明治時代の農民は、ハレの日以外、米を食べていなかったと書いている。 >>388
で、米の生産量より雑穀の生産量が多かったの?
単なる貧富の差じゃないの? >>388
一般的農家は米と穀物を混ぜて食べてたんであって米を消費しなかったわけではない
米が取れない畑作地域や貧農に限られるだろう
ちなみに戦前のコメ消費量は戦後のピークより高く都市では皆たらふく食べていた >>389
おそらくあらゆる雑穀の生産量足しても米の生産量には及ばないだろう >>387
関東の旗本がそんな実学の教養あったりするのか? 米の主食が、戦争時の配給制で広まった>>373て要素もあるが
全国的に広まったのは、近現代になってからだな
・琉球では日常食の9割を占めたさつまいも
jbpress.ismedia.jp/articles/-/48348?page=3
・> アイヌにとって最も重要な主食穀物がヒエであった(アイヌ料理の項参照)。 >>396
琉球とかアイヌとかなんでそんな事例ばかりなんだよ?ハッキリ言って外国人みたいなもんじゃねえか
上で出てる愛知や静岡や関東でも雑穀ばかり食ってたって事例はないのかよw 壬申戸籍で、アイヌは2万7千しかいなかったんだよ。
北海道全部で13万人。
琉球処分当時の琉球藩の人口が約16〜17万人。
大正の頭に50万人。 >>396
こんどはJBpressがネタ元かよwwwww >>391
じゃ、コメの消費量が一番多かったってことだよね 人口の85%の農民が水と地面の7割をつぎ込んで作った米穀を人口の7%の武士が五公五民でせしめ取って
どんなふうに消費したんだろうねえ? 沖縄だけでなく九州
シラス台地の鹿児島周辺も、昔の主食はサツマイモてか薩摩の芋が多かった サツマイモが伝わる前の鹿児島ら辺の住人らは何食ってたの? 開拓後の北海道はジャガイモが一気に主食になって北東北にも広まったはず >>401
米蔵で数年分保存して、治水工事や街道整備の公共事業の時に作業員の給料として払ったり
飢饉が起こった時の支援物資に使われていた >>401
百万都市の江戸城下で米農家いましたっけ? >>406
穀物や豆は数年保存出来るから、人類は富の蓄積が可能になり発展したんだけど
全部一年で食べ尽くすと思ってたのか >>409
何年保存したのか?具体的に
現代で冷蔵保存の古古米でもひどい味だけど >>408
3300万人の85%、2800万人が作った米を100万人で食べ尽くしていたのですか? >>409
数年保存って何年よ?
せいぜい翌年じゃないの? 普通は価値下がるから翌年入れ替えるよねw
銀行とかでも預けた紙幣がそのまま返ってくるわけでもないのにw >>409
頭悪そう
米倉の奥の方とかは何十年ものとか?w 保存が出来る穀物で人類は貯蓄が可能になった、という基本的な歴史も知らんバカとやりとり出来んわ
小卒かね ジャガイモが主食の国と、サツマイモが主食の国と何でここまで違いがあるのか
過去の沖縄と薩摩ってサツマイモ主食の中でも相当マシな部類だな >>415
それ古代の話やろ
>>405
この話とは違うだろw >>405
正直古米で支払ったら暴動起きるだろ
ソース頼んます >>411
質問に質問で返すバカ
米騒動がおきた事実に目をつぶるなよ 玄米で保存したら2年持つかどうかだけど、籾でだったら5年は持つ >>423
年貢を納める時点で脱穀してあるのに?
年貢米じゃないとしても籾が付いてると重さもかさも2割くらい増すし、発芽したり湿気で割れやすくなるので普通は脱穀して保管していたんだけど 語尾がwのキチガイはこの世から消えること
それまで出禁 >>398
壬申戸籍(1868年)記載のアイヌ人口は、約1万5千人と推定されています。一方、北海道全体の人口は江戸時代末期で約50万人、明治時代初期で約70万人と推定されています。
琉球処分(1879年)当時の琉球藩の人口は約16万人、大正初期(1912年頃)には約50万人と推定されています。 >>401
五公五民って言っても江戸期には実際年貢で納めたのは15%~20%だったらしいぜ >>405
数年分保存してってソースありますか?
どんどん価値が下がるのに >>354
近年では「まいばすけっと」でもナンプラーを売っている >>433
そういう話してんだろ?
アホなのかな? >>430
こいつ何にも反論できてねえんだよな
まあ、何に切れてるかすらわからんけど
馬鹿だから >>435
理解できないだけなことすら自覚できない知能
生きている価値なし 幕末に薩長土肥がサツマイモの常食によって明治維新を推進できた話もあるが
品種の改悪が問題
今の芋はねっとり甘過ぎて主食にはしんどい >>440
な、なんにも言えねえんだよw
発狂マンはwww >>422
何が「それじゃ」なのかさっぱりわからん???
が、とりあえず会話の出来ない人というのはわかった 昨日スーパーに立ち寄ったら、
「この低脂肪牛乳というの、脂肪分が少ないんならそれだけ安くていいはずだよな。値下げできるよな」
と言いがかりをつけてる爺さんがいた。
店長がやってきて「低脂肪牛乳など不要な貴方に売るものではありません」と牛乳をとりあげたw >>352
ここで答えが出てる
誰も反論してないし >>439 それならシモン芋(カイアポ芋)を食べればいい。苗用の芋づるを地元のホームセンターで売ってるのを見た。多分けっこう広く流通してるかも
健康食品として有名だけど食味は....だけど戦時中の食生活を偲ぶにはいいかも
見た目の似た黄金千貫は焼酎など加工用とされてるけど普通に甘い >>416
鹿児島藩の水田が2万6千町、1反=1石で、殆どが二期期作地帯だから、ざっと、1町=16石だから、
ざっと67万石。
表石77万石には満たないけれど、その8割くらいは米穀が取れてたんではないの? >>424
勢が米穀なんだから、脱穀したら、脱税じゃね? >>429
85%の人間が精いっぱい作って、そのうち2割を差し出して、作ってる人らは食べないという
残りの米穀はどこへ行ってたの? >>450
?
>>451
だから食べてると言ってる 352 世界@名無史さん sage 2024/05/24(金) 07:54:10.42 0
>>351
どっちの消費量が多いかって話は結局どっちの生産量が多いかって話と同義
少なくとも弥生期以降はずっと米だろ
戦後まで雑穀が多かったなんてあり得るわけ無いだろ
これについての反論なし キチガイなんで無視されていることにすら気づけない
早くこの世から消えろ >>455
誰彼構わず噛みつくなよw
発狂マンはwww 自家保留分からなにがしかを売って金にし、農具や生活道具を買う。 >>457
そこまで行くと食べ物酒、嗜好品の話でもないし、そもそも世界史でもないんだよな タバスコのパクリ?国産調味料
・ヤバスコ
・バカスコ
・レモスコ
・じゃぱすこ >>459
とっくの昔に製法特許は切れてるし、あとは商標だけだからな
なんの問題もないよね >>457
人口比で、武士7、商工漁サービス計8、農民85 くらいなんだけれど、
農民が自家保留分の米穀食べられないで、商工民がそれ全部食べるん?
農民は何食ってたの?
農民が常食するその何かはどうやって調達してたの? >>451
確かに8割ぶんは
どこに消えたんでしょうねぇ
謎が深すぎます >>451
ちらっと調べてきましたが
ごもっともな疑問だと思います
なにかがおかしいですね ジャガイモはオランダ経由や
有名なアメリカルートの他にロシア経由でも北海道に入ってたのね >>467
近隣の村人徴発するんだから無給のわけないだろ
武士と当然手当が出る >>463
大変だね、お前を介護している周りの人たち
早く楽にしてあげなよ >>451
江戸時代は50倍との記載ありましたので
2~3%ぶんは再生産用途です
はるかに差が残りますね >>471
自分たちで食べてたってことでしょ
なんか問題が? >>469
年貢米に代金払ってないじゃん?
年貢も賦役(普請)も徴税だぜ
租庸調でいうと、年貢米が租、賦役が庸だぜ。 >>471
何が何の50倍で、どこの何に記載されていたの? >>473
ソース頼んます
農民の「普請」が無給だった >>475
悪魔の証明wwww
無いから記録も無いだろ。
普請や賦役に駆り出された領民に毎度毎度俸給を出してた領主ばかりだったという
ソース出すのはそっちだよ? 出してた領主も居て、領主以外からも命じられる報酬ありの普請があるっているって自白してんじゃんwww
馬鹿なのかな? >>469
武士は家禄や知行があったろ。
家禄が有って、通常命令される範囲は、経費も含めて、家禄や知行の年貢から出費。
特別に役禄が付いたり、達成時に成功報酬(褒美)が出たり、するけれど、基本、上役から命じられて
別段の手当が出るものではない。
領民たる農村の農民を駆り出す普請、賦役、人足は、いうたら、労働力による課税だから、基本、
対価として領民が得るものは無い。
だから、賦役が多いとかキツいとか農繁期とカ合うとかだと、叛乱(百姓一揆)の火種になる。 >>478
近隣で一気の在った直後とかだと懐柔のために昼飯くわせたりはあったかもしれんが、
基本、領主が領民を駆り出して働かせるのは無給よ。 >>482
用水とか道の整備ならそうかもしれんよ?
自分たち自身の問題なんだから
現代でも基本自分持ちだ
河川の付替えや城普請でもそうなったとでも思ってんのか? >>487
まだ自殺してないの? お前が社会にできる唯一の貢献だよ >>482
テキトーって感じだななんか
そんなんならどうとでも言えるよな >>476
>>478
ホントだ
最初から負けてんじゃん >>474
グーグルセンセに
米の収穫倍率を聞いたところ
表示されておりました
なんとなくヤホー掲示板のようでしたが
詳しくはコピロさんに解説してもらう方がよいかもしれませんね >>492
二割は年貢、2%は種籾、残りは売るなり食うなりした、でなんで納得できんの?アンタは >>492
85%が農民って言うなら計算ぴったりやん 計算ぴったりなんですかww
それは凄いなぁ
それだと複式帳簿みたいなので
きっちり収支計算できそうですね
わたしは酒に使うぐらいしか
他の用途を見つけられ無かったので
収支が合うなら内訳まで確認したいなぁ >>496
悔しくてピッタリとか、どうでもいいとこに食いついて恥ずかしいやつw >>375
ほほぅ、なるほど
経済上の理由で玄米食べなかったわけですね
製法的に蒸しが敗れたのは
どういう理由があったのだろうか