ブルックナー最後の交響曲第9番 PART3
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第三楽章があの終わり方で、
第四楽章は、イントロから違和感が半端ないですよね 第四楽章のラストのものすごさを知らない奴ばかりか
ブルックナー生涯の総決算だぞ もちろん完成してればだけどな
それでも補筆の版によってはその片鱗は見える フィナーレ補筆版容認派の自分としても「イントロから違和感」という感覚があるけど
アダージョまでの通常の演奏で慣れ親しんだ経験が影響しているかもしれないので
最初からフィナーレ付きで第9番を覚えてもそう感じてしまったのかどうか、気になるところではある 7番のフィナーレの方が初めて聴いた時に違和感あった 7番のフィナーレ?あったっけ?
9番の4thの方が印象残る。 >>906
ブルックナーの交響曲は、第1楽章、第2楽章、第3楽章、第4楽章
とは言わず
第1楽章、アダージョ←→スケルツォ、フィナーレ
と言うんだよ。
そういう限定された様式感が存在するものなんだ。 ハイティンクとコンセルトヘボウ・ジュリーニとウィーンこの二つが良い いまさらだが>>902にはビックリしたよ
シャルクやレーヴェも真っ青の捏造箇所をブルックナーが書いたと思っている奴がいたとはね N響音楽館見てたら、かっこいい曲が流れてきたのでsoundhoundで検索したら第二楽章の一部分だった でも、かっこいいのは一部分だけで、あとは退屈で眠くなる曲だった
すまん >>910
ハイティンク&コンヘボの何が凄いって1楽章終結部のティンパニ改変な
しばらくはあれが癖になってしもた あのティンパニ改変、最近はやってないみたいだが当時のハイティンクは何を思ってあれやってみたんだろうな
別にコンセルトヘボウの伝統でもないみたいだし謎 ヨッフムLPOのブラ全ティンパニ改変の犯人はワインガルトナーだと最近気づいた >>916
分かる分かる。凡庸とよく言われるハイティンクにしては珍しく個性的な演奏。(個人的には迫力があって面白いと思うが)
レコーディング当時、ヘボウでブル9聴いた知人(もちろん現地人だけど)曰く、公演でもティンパニーが強烈だったと話してたので、よほど思い入れがあったのだと言えようw >>920
お金をドブに捨てるくらいの覚悟がないと
ブルオタにはなれないよ
同じ演奏でも、何回も聴いて、いいといつか分かったり
あれ、いいと思っていたのに、たいしたことないね、と思ったり >>920
分かってないことが分かってきてる時代でもあるので
歴史の一部として購入予定 >>920
そのディスクじゃないけど、数年前に録音したものならナクソスにあったよ
この指揮者のブルックナーは全部ナクソスにあるみたいだから、そのディスクもそのうち入ると思う
http://ml.naxos.jp/album/PH11028 >>923
その為に年間2万円以上出せと?w
買った方が早いわバカ
ナクソス工作員死ね シャラー版を聴けないかという話をしてたのに数年前のキャラガン版を出してくるナクソス工作員w フィリップス・サマーレ・マツッカ・コールス版
キャラガン版
ジョゼフソン版
マルテ版
シャラー版
他にもあったっけ >>924
図書館で登録カード作れば無料で自宅から利用できるよ ああ、総合スレの妙なレスは、本来ここへのレスの誤爆だったのか シャラーとバローのブル9聞いたけど、悪くない気する
安くはないけど、個人的に購入して価値はあると思う >>927
登録するためにわざわざ田舎から上京するの? いちいち他人に訊くようなことか?
やってるの東京だけじゃないし、地元にないなら地元の自治体に加入を頼めよ
嫌なら素直にCD買え
どっちにしろ勝手にすればいいよ 地方自治体に頼んで図書館にナクソスのサービス導入されればナクソスに税金が流れ込んで来てウハウハの流れだったんだろうが残念だったなナクソス社員君w ラトルBPO聴いた
捏造版の中では出来が良い
演奏力のおかげか
でも捏造には変わりないね 最近、ラトルしか聴かない。
たいてい3楽章でやめてるから俺にとっては捏造じゃないなw ヴィオラを目立たせてるのが面白いね、ラトル
両翼配置もポイント高い バロ指揮アルトモンテ・オルケスター 三楽章で76分
四楽章82分のラトルと数分の差 「ブルックナー本人が書いたもの」として出したら捏造だが、
「補筆した」、「推測して作った」として明言して出しているのだから
捏造とは根本的に異なる。 本人が遺したと言われるフィナーレのスケッチなどがそもそも一つも存在していなくてスケッチを元に補筆したという言い分がもう既に捏造
という立場なのかもしれない 「捏造」という言葉を使うために事実は無視しよう、という立場ですな バロのCD解説によるとハウゼッガーの原典版初演はフルトヴェングラーもクナッパーツブッシュも聴きにきたそうだ
クナは原典を知った上でなお改訂版を選んだというわけだ ナクソスって、国際企業だよな?
こんな過疎板の場末の掲示板で宣伝するほど金に困っているのだろうか ヨッフムが第一楽章第一主題の直前で止まるところ
ハウゼッガーの真似だったんだな >>946
むしろ復元と言うべきか
いくつかの復元されたものを聴いてみると生前完成していればどんなものになっていたかと想像してみたくなる それはマーラー10番やモツレク、エルガー3番にも同じことが言えるけど 復元というかスクリャービンの神秘劇序幕を補筆したネムティンはすごいぞ
全曲2時間30分、ほぼこれに人生を捧げました レーヴェ版 9番はまだ日本では演奏されていないのですか? ブル9を聴いてそういう顔する奴ってどーなのよ?
いいと思います >>960
おそらく
演奏頻度は4楽章版より低いと思われ >>953
ブルックナーを聴き始めた頃は、ほぼインテンポの演奏が好きだったが、
今では、あの止まるところに嵌まってしまって、ヨッフム以外では物足らなくなった。
60年代以降で、あのような緩急をつけた録音ありますかね? フィナーレについて、
捏造や復元やのうて、単に「他人による完成」でええんやないの! >>966
youtubeで1954年のバイエルン放送soを聴いたけど同じように止めていた。 >>966 バルビローリが「間」を開けてたような気がする。長らく聴いてないんでアレですが。たしかBBCのレーベルで出てたCDか ブルの交響曲はつまらんのが多いが。第9のアダージョだけはいいね。 シューリヒト最高。ノリントンはどう?3楽章が早いらしいけど ラトル以外の補筆版も聴いてみたいんだけどどれがいいかな
やっぱりアイヒホルン? 補筆版による演奏ならアイヒホルン盤が代表的だろうと思う
もっとも、ラトルが使った補筆版の旧版を使用しているので
ラトル「が使った」版以外の補筆版を聴きたいということなら今だとシャラーの新旧盤かね
キャラガン版による1回目と自身の版による2回目で聴き比べできる状況
もしラトルやアイヒホルンが使ったサマーレ他の版(SPCM版)をたどるつもりがあるなら
インバル→アイヒホルン→(ヴィルトナー)→ボッシュ→ラトル
マルテ版、ルトカル版、ジョセフソン版も含めて、検索すれば何かしら聴けると思う 断る
ブルックナー交響曲第9番スレにPART4は蛇足だからだ
PART3が余韻を持って消えるように終わることで完結するのが美しい 1 名前:名無しの笛の踊り[sage] 投稿日:2017/10/13(金) 13:21:36.87 ID:ynMlXSaK
前スレ
ブルックナー最後の交響曲「ブル9」PART3
http://lavender.2ch.net/test/read.cgi/classical/1230684780/
2 名前:名無しの笛の踊り[sage] 投稿日:2017/10/13(金) 13:23:21.28 ID:ynMlXSaK
第4楽章の補完研究も進んできた印象ですね
以前は蛇足みたいに感じたものですが最近のはけっこうアリかもと思えたりする
個人的にはラトルのはかなり好き ブルックナーの意思を尊重してテ・デウムのスレにするべきだ
実際にやられても迷惑だけど・・・
あああ第3楽章で終わってればなぁ・・・もう帰りたいなぁ・・・ってなる ハンス・グラーフ/ヒューストン交響楽団・合唱団による
第9番第1〜3楽章、第4楽章断片、テ・デウム
の裏青が出ている模様
今のところBerky氏のサイトにはこの録音の記載がないけど
グラーフがヒューストン在任中にこれらを演奏したらしいことは書いてあった
https://www.abruckner.com/thebrucknersociety/News/hansgraf/ スレ立て乙ではあるが、単曲スレは収束させていったほうがいいように思うけど。 俺的にはこの曲は3楽章からなる交響曲とみなしていいと思うけどな
実際3楽章構成の交響曲なんかたくさんあるんだし
ブルックナーの全交響曲は4楽章構成でなければいけないって誰が決めたんだ? >>990
次スレと総合スレとのマルチはどうかと思うが残り僅かなこのスレを埋めるのに使っておこうか
ブルックナーは第8番までの10曲の交響曲を全て4楽章構成で作曲し
第9番でもフィナーレを作曲していたがその途上で亡くなった
例えば「作曲中のフィナーレを破棄して4楽章構成の構想を捨てた」といった形跡が残っているならともかく
今のところそういうわけではなさそう
となると「ブルックナーの交響曲は最初から最後まで4楽章構成」であって
第9番は「3楽章分完成した交響曲」であっても「3楽章の交響曲」とみなすのはちょっと違うかなと 第3楽章終結までの収まりの良さが
「3楽章で完成した交響曲」という感覚を与える原因の一つかと思う
あるいはブルックナーは全曲完成まで生きられないと予感して
あのようなアダージョを書き上げたのか…などと思ってみたりもしたが
その仕上げ時点で「完成前に死んだ場合はテ・デウムを第4楽章に」
と述べたというのだから
やはり第3楽章はその後に第4楽章が続く中間楽章として完成させたんだろう 演奏する側も第三楽章を終楽章のつもりで演奏会してるからそう聴こえる 時間がたっぷりあったのに第4楽章を未完成に終わらせたなんてブルックナーも馬鹿だな
先に第4楽章を完成させてから他の交響曲の改訂をすればよかったのものを
それを先に改訂のほうを先に済ませちゃったもんだから、病気の悪化という不運もあってどんどん時間が過ぎてしまい、結局第4楽章は未完のままでジ・エンド
結果論になるかもしれないが、ブル1とかブル4の改訂は必要なかった まあ、もしブルックナーが旧作の改訂より新作の作曲を優先できる質の人だったら
第二次改訂期に嵌まり込むことがなかったばかりか
我々の知るような作品群はそもそも生まれていなかったかもしれないって思うよ
あえて第9番が未完に終わったことについて言うなら
「第8番第1稿を最初に見せる相手次第ではどうなっていたか?」
(ブルックナーの中で好印象で初演実現性が高いと思ったのがュンヘンのレーヴィだったんだろうけど)
…などとは思うものの
それはそれで第9番も現状とは別の姿になったかもしれないし 健康状態の悪化で人生の残り時間を意識せざるを得なくなったから
改訂しない作品を残した状態で第9番に取り組むことができたのかもしれない
アダージョまでひとまず仕上がっていたことは不幸中の幸いと言うべきで
これがもしスケルツォまでだったら… レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。