【George】ジョージ・セル 7【Szell】
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
>>849
万引きして捕まって起訴された年だから
裁判年 1970年の東京公演でエロイカのオーボエ・ソロを吹いたジョン・マック(故人)と
食事する機会があった。1980年代の事・
「あの時のソロは、本当にシリアスでポエティックでしたね」と言ったら、
「ありがとう、でもすべてはセルのおかげだったよ」と答えた。
もっともっと沢山伺った事はあったが、紙面の都合上割愛させて頂きます!! ジョージ・セル歴8年の未熟者だけど、どれか1枚選べといわれれば
ベートーヴェンの「英雄」にとどめを刺す。
と言ってみるテスト。 >>854
進出録音ってナニ?
と思ったら「新出録音」の事か。 >>858
漢字表記変換ミスすみません。
>>855
私なら1970東京公演ライブのシベリウスですね。 セルのベートーヴェン
下手にCD追うよりflacの音源聞いたほうがいいぞ セルのブルックナー第3番、いいなぁ
ブルックナー全集作ってほしかった。 セルのブル3聞いたけどなんか速くて好きじゃない
8番は凄いと感じた
セルって他にブル録音してるの? 俺の好みは「そこまで良くない」
これで宜しいですか?糞ボケ野郎 志鳥栄八郎はセルが大嫌いだった
唯一褒めたのがハーリヤーノシュ、キージェ中尉の組曲盤のみ
あの頃のレコ芸各評論家は好き嫌いがはっきりしてた マグロの刺身の色が悪いと音楽之友社の社員を怒鳴りつけたのは志鳥大先生 >>872
あの人は目が悪く失明寸前、というのが「売り」じゃなかったっけ? >>872
てめえは同じことばかり繰り返してるな
元音友の社員かよ、このしつこい低能! 男が原稿を取りに行ったら機嫌が悪くて中々原稿を渡さなかったらしい
次に女性が行ったら原稿を渡したが編集部に何で若い奴を寄こさないんだとクレームを入れたのは志鳥大先生 志鳥は薬害で、途中失明したから、マグロの件は目が見えてる頃のハナシじゃないの? タワレコのSACDブラームス全集聞いたけど、ベートーヴェン全集ほどの音質改善はなかったなorz セルのdecca集5CDをヤフオクで680円で落札できた、うれしい 何年か前にウィーン交響楽団の公式HPを観ていた時
アーカイブが有ったので試しにszellと入力してみたら
1913年(だったと思う)にセルのピアニストとしての
出演記録があった(16又は17歳の時か)
曲目はベトの第3コンチェルト 指揮は信じられない事に
フルトベングラーだった
その数年後指揮者として何度か登場し後輩のゼルキンや
二つ年上のローゼンストックとの共演、自身の作品の
演奏記録もあった 何度か続けて客演した後30数年間の
空白の後もう一度客演しそれでウィーン交響楽団への
登場は終わりだった
その後10年余り経つと小澤、若杉、飯盛等が続けて登場
重くてなかなか開かない使い勝手の悪いアーカイブだったが
ワクワクする様な情報が満載だった 残念な事に何年か前
リニューアルすると同時にアーカイブが無くなってしまった
つくずくコピーを取っておけばよかったと思う
どなたか語学に堪能な方Wiener Symphonikerと交渉して
アーカイブを復活するよう交渉して頂けないだろうか 若い頃のレヴァインやらドルイアンと
ベルクのコンチェルトのリハーサルしたやつが
出てくるヴィデオ
最後に収録されてる「運命」凄い演奏だね
ホールトーンもタップリでスケール感が巨大
何故レコード会社の正規録音はあんなに酷いんだろ
殆ど犯罪に等しいよな >>864 ブルックナー交響曲第8番にはソニーとの正規盤以外に、コンセルトヘボウでの
ライヴ 1951年6月28日がある。このCDは所持しているが未聴。セルは霊能者になったのが
1957年のエロイカからと招霊すると答える。このせいで録音に不満があるらしい。
一応、所持しているが聴いていない。 >>871 志鳥 栄八郎のセルの推薦盤について。○ドヴォルザーク交響曲第8番ラスト・レコーディング(今、聴いている。HS-2088。空前絶後の名演)。
○ドヴォルザークのスラヴ舞曲全曲。○ブラームスの大学祝典序曲、悲劇的序曲。
それとこの2曲。朝日新聞社の本に掲載されている。 78.ジョージ・セル指揮/クリーヴランド管弦楽団 ベートーヴェン交響曲第3番変ホ長調作品55「英雄」1957年4月録音。
79.ジョージ・セル指揮/VPO ブルックナー交響曲第7番ホ長調 1968年8月21日録音。
宮澤賢治の霊とカール・ベームの霊が合作で作成した253曲のうち何曲かがジョージ
・セル指揮の録音。これを紹介するシリーズ。何日かに分けて紹介する。まず、
最初の2曲。 81. ジョージ・セル指揮/VPO ブルックナー交響曲第3番ニ短調「ワーグナー」1966年6月5日収録。DVD。
82. ジョージ・セル指揮/VPO モーツァルト セレナード第13番ト長調Kv.525 アイネ・
クライネ・ナハト・ムジーク 1968年12月2日収録。DVD。
83. ジョージ・セル指揮/クリーヴランド管弦楽団 シューマン交響曲第2番ハ長調作品61
1960年10月録音。正規盤。
84. ジョージ・セル指揮/クリーヴランド管弦楽団 シューマン交響曲第1番変ロ長調作品38「春」1958年10月録音。正規盤。 87. ジョージ・セル指揮/BPO R.シュトラウス 交響詩「ドン・ファン」作品20 1969年11月26日録音。TESTAMENT。
92. ジョージ・セル指揮/クリーヴランド管弦楽団 コダーイ 組曲「ハーリ・ヤーノシュ」
1969年1月録音。 97. ジョージ・セル指揮/ャNリーヴランド滑ヌ弦楽団 シューマン交響曲第4番ニ短調作品120
1960年3月録音。正規盤。
99. ジョージ・セル指揮/クリーヴランド管弦楽団 シューマン交響曲第3番変ホ長調作品97「ライン」 1960年10月録音。 101.ジョージ・セル指揮/クリーヴランド管弦楽団 ベートーヴェン交響曲第5番ハ短調作品67「運命」1963年10月録音。正規盤。
112.ジョージ・セル指揮/クリーヴランド管弦楽団 ブラームス 悲劇的序曲作品81 輸入盤でCDは所持しているが年代がわからない。正規盤。 114.ジョージ・セル指揮/クリーヴランド管弦楽団 ベートーヴェン交響曲第6番ヘ長調 作品68「田園」1962年1月録音。
123.ダヴィッド・オイストラッフ(ヴァイオリン)/クリーヴランド管弦楽団/ジョージ・セル指揮 ブラームス ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品77 1969年5月録音。 129.ジョージ・セル指揮/クリーヴランド管弦楽団 ブラームス交響曲第3番ヘ長調作品90 1964年10月録音。正規盤。
154.ジョージ・セル指揮/クリーヴランド管弦楽団 ブラームス交響曲第4番ホ短調作品98
輸入盤で年代不明。正規盤。
ブラームスについては新しいのを買いに行くのを検討している。 157.ジョージ・セル指揮/北ドイツ放送響 ブラームス交響曲第4番ホ短調作品98 1959年5月25日録音。
158.ジョージ・セル指揮/クリーヴランド管弦楽団 ブルックナー交響曲第3番ニ短調「ワーグナー」1966年1月録音。 165. ジョージ・セル指揮/クリーヴランド管弦楽団 楽劇「ニーベルングの指輪」ハイライト 1968年10月録音。
167. ジョージ・セル指揮/クリーヴランド管弦楽団 ブルックナー交響曲第8番ハ短調 1969年10月録音。 169.ジョージ・セル指揮/クリーヴランド管弦楽団 シューベルト交響曲第9番ハ長調
D.944「ザ・グレイト」1970年4月録音。
172. ジョージ・セル指揮/クリーヴランド管弦楽団 ドヴォルザーク交響曲第8番ト長調作品88「イギリス」1970年4月録音。
これでセルの曲目は終了。 112. 1966年10月28日録音。
154. 1966年4月8日&9日録音。
今日は週刊江戸三百藩(99号で後2回で最終)の発売日で2年たったビルや塔に行った。
SACDハイブリッドの8,400円はまた検討する。12・10・3盤を買った。これで年代がわかった。
俵孝太郎氏の本で推薦されていて買った輸入盤では、録音年代がわからなかった。
その他、民法Tー総則、有斐閣Sシリーズを買った。新版 クラシックでわかる世界史も
買った。今日はこの4点を買った。 新・気軽にCDを楽しもう 俵 孝太郎 コスモの本。1993年7月1日 第1刷発行。
そこで、世評にめげず、ブラームスとシューマンを一挙に買うことにする。
しかもブラームスは、二つの序曲と「ハイドンの主題による変奏曲」も、
あるほうが望ましい。こうなると、候補はおのずからしぼられてくる。
たくさんあるCDの中から、ブラームスではセル=クリーヴランド管、
ザンデルリンク=ドレスデン・シュターツカペレ、バルビローリ=ウィーン・フィル
があげられるだろう。中略。演奏は、いずれも優れているが、それぞれに独自性が
強く、到底一筋縄ではいかない。極度に厳密なセルと、極端にロマンティックな
バルビローリとは、まるで対照的な一対といえるが、両方とも納得できる演奏だと
感じる人もすくなくないだろう。ザンデルリンクは一応標準型だが、どちらかというとセルに近いだろう。 ゥ井誠の『交響曲/エミネントCD』名盤徹底分析
ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」
モダーンでシャープなショルティ
ドヴォルザークの見直しを迫ったセル
1・ショルティ/シカゴ交響楽団―フレッシュで刺激的
2・カラヤン/ウィーン・フィルー洗練の極致
3・ドヴォルザークについて
4・メンゲルベルク/コンセルトヘボウ管弦楽団|ースリリングな凄演
5・コンドラシン/ウィーン・フィルー目から鱗が落ちるような独自の発想
6・バーンスタイン/イスラエル・フィルー異常なほど強烈な緩急のコントラスト
7・セル/クリーヴランド管弦楽団ー構造の意味深さを明確に示す
知的構造的な部分での傑出した判断が常にあったセル
ドヴォルザークの『新世界交響曲』は、循環形式の明快なお手本としても有名で
ある。各楽章の所要素材が、循環動機として、曲中のあちこちに、楽章の枠を
越えて散りばめられているので、そうした観点から、構造としての『新世界交響曲』
の意味深さを考えて見る必要があろう。
それには、セル/クリーヴランド管盤[59年録音/ソニー・クラシカル]を聴くのが一番で
ある。
最近では、DCHのドゥダメル/BPOの演奏がある。
私もセルを今、聴き終えた。 248 名前:名無しの笛の踊り 2017/08/22(火) 23:17:09.61 ID:Ki2KBs3Mhttp://www.bbc.com/japanese/41008077
世界的指揮者ドゥダメル氏の米国ツアー中止に
2017年08月22日
いろいろ起こっているらしい。私もいろいろあった。修行中と思われる。
ドゥダメルスレッドより。
モーストリー・クラシック 10 最新号を売っているので買ってほしい。
P.120より。
歴史的名盤とオーディオ〜名曲名録音を至上のスピーカーで聴けば…〜
文=諸石幸生◎音楽評論家
寄せては返す波のような
オーケストラ・サウンドに包み込まれる喜び〜セル指揮クリーヴランド管による
ブラームスの交響曲第2番〜
今月のCDは、ついにSACDとなったジョージ・セル率いるクリーヴランド管弦楽団の
歴史的な名盤、1960年代の半ばに収録されたブラームス交響曲全集から第2番である。
終楽章では、すべての楽器が歌い、戯れ、遊んでいるかのようである。
聴き手はそんな幸福感に涙し、オーケストラ音楽の頂点に浸る喜びを満喫するので
ある。 >>880 ジョージ・セルの音楽 吉田秀和(東京大学卒業。○川 ○○氏の出身大学卒業)
ジョージ・セルは今世紀で最も高潔な指揮者ではなかったろうか?
中略。あの《エロイカ》をきいていた時間、あんな時間を、もう一度、
どこかで持てるだろうか? ジョージ・セルの公式写真について。TESTAMENTのジョージ・セルのシューマン
交響曲第2番などのCDのP.3の写真。黒い服を着て上半身だけ写っている写真。
これがジョージ・セルの霊が公式写真に指定した写真。これに口を近づけてほしい。
私はこれでジョージ・セルの霊としゃべるようにしている。これは塔で売っている。 世界最高のクラシック 許光俊慶応大学教授 光文社新書
第3章 普遍化を目指した指揮者たち、または二〇世紀が夢見た美
カラヤンが尊敬する指揮者のひとりがジョージ・セルだった。ハンガリー出身の
セルは、アメリカに移り、クリーヴランドという町で、自分のオーケストラを
極限まで鍛え抜いた。ウィーンやブタペストの伝統を知っているくせに、彼の
音楽は、それらとはまったく違ったインターナショナルなものだった。方言や
癖といったものを排除した、アナウンサーの話し方のように明快な音楽を
作ろうとしていたのだ。響きは透明、合奏は正確、強い感情移入はなし。
それは、数十年前の人たちが夢見た、清潔な未来都市のような音楽だ。
つまり、カラヤンとセルは、方法は違ったが、クラシック音楽の脱地域化を
推進していたのだ。カラヤンは東西陣営がにらみ合う陸の孤島ベルリンで。
セルはヨーロッパの音楽都市からは離れたアメリカの地方都市で。
次項に違う項目を抜粋する。 Z会の小論文の相対主義や反文化相対主義を思い出した。○○ ○○先生は、この
あたりのことを話していた。
>>907
幸いなことにセルの来日公演がCD化されている。そのシベリウス交響曲第二番を
聴けば、当時の聴衆が興奮したすごさが伝わってくるはずだ。何しろ、弦楽器の
ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスといった各パートが本当にひとりで
弾いているように聞こえる瞬間があるのだ。初心者でも特にわかりやすいのは
ピチカートだろう。数分の一秒の狂いもなく、あたかもひとりで弦をはじいている
ような音がする。これは聴いていて実に快感だ。木管楽器が重なる部分も、ミリ
単位以下で磨き抜かれている。以下、省略。購入して読んでほしい。
いかにこの演奏が凄かったか書かれている。 実は許光俊教授とは電話で一方的にしゃべったことがある。今から7年以上前だと
思う。慶応大学の大代表にかけて陸の王者慶応の音楽で待たされて本人が電話に
出た。本当に聞こえているとか第3章の指揮者がカラヤンとセルとヴァントと
ブーレーズだったので、ヴァントの霊を招霊したら密かにセルを聴いていたと言っている。本当かどうか確認してくれだった。今、ヴァントを招霊したが、セルは持っていた。音楽は疑問だったというような言い方だった。 許光俊教授のカラヤンの項目。
彼は、自らの演奏を録音・録画メディアにして世界中にばらまくことで、
普遍化を達成しようとしていたのだ。そして、実は
こうした欲望は、彼ひとりに限らず、西洋文明・文化がいろいろな分野で
抱いている欲望ではなかったか。
カラヤンは、一九八九年、ソニーの人たちと話している最中に、突如こと
切れた。まさに象徴的である。私にはその死は、布教途中のインドや中国で
死んだイエズス会士のように見える。
それだけではなく、カラヤンは演奏の内容においても、世界を目指していた。
参考にしてほしい。 売っているのでいちいち抜粋しないが、文春新書 729 新版 クラシックCDの
名盤 演奏家篇 宇野 功芳 中野 雄 s章恭のセルの項目も読んでほしい。
70頁から。中野氏が5つ星。宇野氏が3つ星。s氏が4.5星。許 光俊教授が何を
推薦しているか、3氏が何を推薦しているか書店に行って確認してほしい。
一部、明かしておく。協奏曲では、究極の名コンビといわれたカサドシュとの
モーツァルト(中野)。唯一、記憶に残っている「エグモント」を挙げておこう
(宇野)。「完璧すぎる」と敬遠してきたセルの素晴らしさに目が覚めたのは、
ハイドン「ザロモン・セット」の前半六曲を聴いてのことであった(s)。 新潮文庫 世界の指揮者 吉田秀和著 セル 元ネタはこれであるのを知った。
今、ハイドンを初めて聴いている。
セルがクリーヴランド管弦楽団といっしょに入れたレコードのすべては、その
意味で、現代の演奏の一つの典型的存在である。
たとえば、ハイドンの『交響曲第九三番ニ長調』と『第九四番ト長調驚愕』を裏表に
いれたレコード。これなども、名盤中の名盤である。
以下、省略。
これは、前書いたシューマンの単純な民謡風な旋律の提出ぶりにもよく出ていたのだが、レコードのうえで、最も衝撃的な効果で出ているのは、ドヴォルジャークの
交響曲『新世界より』だろう。この曲は出だしから、もう、フレージングの精密さで、きく人をびっくりさせずにおかない。こんなに精緻な『新世界』はほかに
ないのではないか。以下、省略。 俺はどっちかと言うとこの人に限って言えば
同じ曲だったらライヴよりセッション録音の方が
好きなのが多い より完璧なんだよな
ライヴで良いのはルガノかな 1949年のザルツの薔薇の騎士は、パブリックドメインで聴ける? セルの「ジュピター」はいいねえ
SONY MDR-Z900オリジナルで聴いてる それにしてもソニーがお纏め箱出さねーな。
順番的にソロソロだと思って数年経つが。 昨日の日○新聞でこう書いていた。私の過去スレッドや許 光俊教授の
影響がある。パイネマンの目指したものは、20世紀ならではのアンチ・ロマンのモダニズム、
つまり即物的・禁欲的な演奏といっていい。音楽を余計な味付けをせず、媚びることなく
奏でるスタイルだったのだ。ジョージ・セルやヴァントといった、同じ路線を歩んだ指揮者に
気に入られたのもよくわかる。
エディト・パイネマン「WDR協奏曲録音集」。 エディト・パイネマン WDR協奏曲録音集が届いた。
ベートーヴェン ヴァイオリン協奏曲(セル指揮)/プロコフィエフ ヴァイオリン協奏曲第1番
(ヴァント指揮)/メンデルスゾーン、シベリウス協奏曲(カイルベルト指揮)。
今、聴き終えた。シベリウスが印象深かった。
セルのベートーヴェンのデータ。1964年6月11日録音。ケルン放送響。モノラル録音。
ヴァントについて知った。ライナーノートでこう書いている。ヴァントは数年間身を引いた。
彼はセルの賛美者だったからセルの意向に沿うよう何でも計らおうとしたのだ。
これだけで本当のことが聞こえているのがわかった。許 光俊教授に聞いてほしい。 >>927
同感です まずテンポがいい
それに透明感がある >>927 グスタフ・マーラー 交響曲第4番ト長調「大いなる喜びへの讃歌」
ジュディス・ラスキン(ソプラノ)
ジョージ・セル指揮
クリーヴランド管弦楽団
1965年10月1、2日録音。
Total Timing 57:54 >>930 1990年のCDか。セル/クリーヴランド 不滅の記念碑
ジョージ・セルは今世紀で最も高潔な指揮者ではなかったろうか?(中略)
セルは完璧へのあくなき追求に全身を燃焼しつくした人である。彼はクリーヴランド管弦楽団
を長年訓練し続け、両者の組み合せの演奏は、合奏の完璧という点では、かつての伝説的
なトスカニーニとNBC交響楽団のあと、ある時期までのカラヤンとベルリン・フィル、それから
ショルティとシカゴ交響楽団と並んで、それ以上望めないほどの高さに到達していた。
この中でのセルは、いってみれば、中国の陶器、それも元宋から明清初期にかけてのあの
ひんやりした清らかさと滑らかな光沢を具えた硬質の感触が特質だった。
吉田秀和―ライナー・ノーツより >>924 ジュピターについては、輸入盤のBOXセット THE ORIGINAL JACKET COLLECTION GEORGE SZELL THE COMPLETE BEETHOVEN SYMPHONIES。
LIMITED EDITION 10-CD SET。運命とジュピターの組み合わせのCDで所持している。 >>891 〜>>900 本店とAmazonとHMVのみではないかとの記憶がある。 音楽現代1月号(最新刊を今日買った)。82頁。例を取ってみよう。アメリカのクリーヴランド
管弦楽団である。創立は1918年であるから、まさに今年100周年を迎えるオーケストラ
である。12月11日に行われた最初のコンサートの楽員は55名、指揮者は初代のニコライ・
ソコロフであり、翌年にはピッツパーグなどに演奏旅行を果たしている。中略。
だからこそクリーヴランド管の楽員たちは、「セルはハートを持っているが、普段はそれを
隠している」と得心していたのである。以下、省略。
来年は、クリーヴランド管弦楽団の100周年であることを知ってほしい。
現在の音楽監督は、フランツ・ヴェルザー=メスト。
是非、音楽現代を買ってほしい。 ハイドンの92番は同意。
1楽章の最初を聞くだけで泣けて来る。
セルも愛好曲だったようで録音も実演も多い。
ちなみに一番音質がいいCDはレトロスペクティブの復刻だと思う。
セルの96番の録音は、バイオリンが両翼配置になってる。 >>935 今、ポリーニのショパンピアノソナタを聴いている。97・9・5盤。
次にハイドンの92番を聴く予定。ソニーの正規盤の輸入盤。
モーストリーの2016年11月号の32頁と33頁にセルの記事がある。このBOXが持っているはずだが
行方不明。
このBOXセットにもハイドン92番は入っている様子。
セル・ザルツブルク音楽祭ライヴ1958〜1968
R.シュトラウス:家庭交響曲、プロコフィエフ:交響曲第5番、ハイドン:交響曲第92番「オックス
フォード」、ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」、ウォルトン:管弦楽のためのパルティータ、
他
管弦楽:ベルリン・フィル、ウィーン・フィル、ロイヤル・コンセルトヘボウ管、チェコ・フィル、他
(Orfeo)C-704077DR(海外盤=7CD) 米Columbiaのトリスタンとイゾルデ前奏曲と愛の死は好みだ 日本ではまったく評価されなかったセル
福永陽一郎だけがヨイショしてた 随分長い間セルの演奏に親しんでいるが
彼の解釈はいつの時代に聴いても「今風」
と感じてしまう 2年たったビルである本を買った。グレン・グールドは語る ちくま学芸文庫。
第2部にジョージ・セル事件について書かれている。どんな事件かは入手して
読んでほしい。 「2年たったビル」という情報がきになる
なにかの暗号だろうか >>943
二部からなる本書のインタヴューの第一部が『ローリング・ストーン』誌
(一九七四年八月一五日号)に載ったとき、私は序文を次のように始めた―
カナダのピアニスト、グレン・グールドは三十二歳の年に演奏会の舞台から
退いたが、
その二年前、彼はクリーヴランド管弦楽団のメンバーおよび指揮者のジョージ・セル[一八九七― 一九七〇]とバッハのブランデンブルク協奏曲第五番を演奏する
ことになっていた。グールドが舞台に上がったとき、楽団員たちは準備万端
だったが、気難しそうな指揮者の顔には、憤慨と不信の表情が次第に浮かんできた。
今回がクリーヴランドでのデビューとなるこの演奏家は、セルのすぐ足元で、
ピアノの手前に小さな絨毯を敷き、その上で作業を始めた。木製の折りたたみ椅子の、切り詰め、短くなった四本の脚についた三インチのネジの調整である。
演奏中の彼独特の姿勢に合わせて、椅子の座高と角度を再調整しているのだ。しかしそれはほとんど床に座っているのと変わらない高さであり、
ピアノに向かえば鼻先が鍵盤に触れそうになるほどの前かがみの姿勢となる。
この姿勢は伝統を重んじる謹厳なピアノ教師たちを仰天させたこともある。
周囲のことをすっかり忘れていたグールドだが、
ついに好みの角度に調整できると目線を上げ、指揮界の大長老を探した。
大長老は怒り、何かつぶやきながら猛然と舞台を去っていくところだった。そして、二度とグールドの前に現われなかったのである。リハーサルは副指揮者が務めたし、実に素晴らしい出来となった本番も、セルは客席から参加をする
方法を選んだ。終演後、セルは友人に向かってこう言った。
「あいつは変人だが天才だよ。」 グールドが30歳の時セルは65歳
大長老って言うほどじゃぁない >>927
俺もこれすごく好き。
録音さえもっと良ければ第6も名盤だっただろうと思う。 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。