モーツァルト 交響曲第39番 Part2
モーツァルト後期三大交響曲のトップバッター第39番。
張り切っていってみよう!
前スレ
モーツァルト 交響曲第39番
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/classical/1237215082/l50 あ
れ
ほ
ど
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曲
ス
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マ
ジ
迷
惑 第1楽章の序奏は、テンポの速いのと遅いのがあるが、どっちが好み?
昔、テンポの遅いのが当たり前だと思ってたら、テンポの速いのを聴いた時は驚いた
しかも付点を二重付点で演奏するので
当時はバロックのフランス風序曲は、付点を二重付点で演奏するという説が有力だったらしいので
それをモーツァルトにまで敷衍したのはわからないでもない テンポの緩急よりも演奏の質と説得力が肝心要でしょ。 第2楽章が素晴らしいと思うが、好んで聴く人が少ない クラシック音楽館で久しぶりにこの曲テレビで放送された セルの39番をわかっていない奴はクラシックをわかっていない 何十年か前、39番はワルターとセルとベームの3つでいいや、と思った。
古楽器演奏にはあまり食指が動かないので、今の同じような状況…。 ハイドンの交響曲第104番「ロンドン」を聞いてみたら、
第一楽章の雄大さが、モーツァルト第39番第一楽章と似ていた。 アーノンクーソで聴けば何でも手抜きに聞えるのは無理もない 50年代 ベーム指揮/RCO 当時安かったので買った。LP盤
50年代のべームはモツではないが、颯爽としたテンポで
かなり好感持てた。ライブは好きだ。 やっぱりワルター&コロンビア交響楽団かな。
前はニューヨークフィルとの旧盤が良いと思ってたけどオケが威力的でモーツァルトには不似合いだと思うようになった。
コロンビア交響楽団の演奏はニューヨークフィル盤より古典的スタイルで聴きやすい。
後はデイヴィス&ドレスデン・シュターツカペレが好き。 ムラヴィンスキーは、1965年のモスクワステレオよりも1974年
本拠地のほうがより引き締まってていいな。
なぜかモノラルだけど 第39番は第39、40、41番の中の序楽章的位置付けである 俺としては、この曲はダンスナンバーだと思ってるw
お気に入りはスウィトナー/ドレスデン。 「第39番はなんて気持ちのいい曲なんだろう」
アーノンクールの新録音を聴いていてそう思った。 第1楽章がハイドンの39番の第1楽章になんとなく似ているような気がする。 >>36の訂正。
第1楽章がハイドンの35番の第1楽章になんとなく似ているような気がする。 岡田さんは引き続きこういうノリで信者さんとニコ生あたりで
アンチを挑発しながら炎上商法を続けるんじゃないかな。
https://www.youtube.com/watch?v=QJ8nMa4Zu7I
笑いとかギャグで逃げるしかないと思う。 僕はこの曲の第3楽章メヌエットのクラリネットのソロがすこぶる好きだ クリスティアン・カンナビヒ - Christian Cannabich (1731-1798)
交響曲第68番 変ロ長調
Symphony No. 68 in B-Flat Major
http://www.youtube.com/watch?v=DwWh7Sj6sn8
カンナビヒは、モーツァルトが敬愛した作曲家の一人 >>37
>>38
ベートーヴェンさんの『英雄』とも似ている気がします。 交響曲第39番の冒頭が似ている曲はたくさんあるよ。
同じモーツァルトだったら第36、38番も似ている。
ベートーヴェンだったらピアノ協奏曲第5番「皇帝」も似ている。 >>50
38番とのつながりはかなり深い気がします
36番は以前はあまり好きではありませんでしたが
なかなか良い曲ですね。 >>58
そう言えば「変ホ長調」っていうお笑いコンビいたな 第39、40、41番モーツァルトって本当にいろんな曲調の曲を書けるよな。
それぞれにいい味がある。 第1楽章の序奏の速度は、指揮者により大きく変わる
http://www.youtube.com/watch?v=Xx2ezFEX4ys
この速度が当たり前という世代もいるかもしれないが 俺はこの曲の第3楽章のクラリネット・ソロがすこぶる好きだ BSでやったアーノンクール来日公演
第1楽章でところどころ妙なタメが入るけど
ウィーン・フィルは極上だし
ハマるとやみつきになる アーノンクール/ウィーン・フィル本当に良かったね。
第39番だけでなく第40番も第41番も全部良かった。 醜い嫉妬心剥き出しのアホさん、一千万円以上の年収を与える者に社会が要求してくることを知らなければ、モーツァルトは理解できませんよ?
何故、生徒は私に着いてくるのか?進学後も社会人になってからも相談が来るのか?
そろそろ認めなさい。
学校の授業が仮に魅力的であるならば塾も予備校も、そしてこの私も必要あるまい。
高校の担任が私に「知識は大事だ」と言った。私は、百科事典に出てることなら調べれば済む、知識は「何故」大事なのか?と問うた。
もっともらしい事を言ったような記憶だけはあるが、「もっともらしい」という記憶しか残ってない。
私なら「金になるからだよ」と、はっきり本当の事を伝える。
30年お世話になっている予備校では、「内は株式会社だ、結果がすべてである」と。痛快でしたね。望む所です。
トップが右といえば左、解るんですよ。結果、3年目には校舎長、その後7年間で社長賞3回。ハワイ!、ロス!、バンクーバー!でしたね。
入社3年目の夏のボーナス百万円。私に合ってる会社であった。
しかし、やはり「組織」。この組織ってものが、私には耐えられない。「3年待て」の指示に従い、晴れて円満退社第1号となり講師に。
1年目だけは退社時の年収八百万は保証してくれた。あとは、数千万になるか、戦力外になるかは自分次第。そして今がある。
講師としての激動の20年間を経て、私はいま人生という山の下山の八合目の見晴らしを眺望しております。
「K.466を」「K.488を」「K.595」をこの手で弾くことを夢見て。
あらたな目標は人生をより豊かなものにしてくれます。
再度、申します。何故、生徒達が私を「まるで神であるかのように見つめてくれる」のか…
そろそろ認めなさい。 さて、貴方方に音楽が解るかどうか、お題を一題。
バッハを始め、あらゆる音楽がモーツァルトという一点に集まり、モーツァルトという音楽に変質を遂げ、その音楽の核心は誰に引き継がれることなく「天空に」舞い上がった。
ベートーヴェンはバッハ、ハイドンから引き継いだものから独自の世界を築き上げ、その後の作曲家達の起点となった。
これは私の「直観」です。お解りですか?無理ですかね。ラファ。 >>76
>>75
私の昔のレスのコピペです。コピペマニアくん。悪いことは言わない。心の病の病院で診て貰いなさい。 それにしても、真理子さんや諏訪内さんの演奏会に、こんな連中が来ると思うとゾッとします。
3月の真理子さん、4月の諏訪内さんをそれぞれ3m/2mの至近距離で聴きましたが、こんなご時世でもあり、50cmほどの木刀を忍ばせボディーガード役も引き受けておりました(もちろん内々でのことです)。
真理子さんは小6の頃より存じており、2006年、八ヶ岳高原音楽堂では翌朝の朝食もご一緒し、今回その時の約束を果たす為、東京郊外のそのまた郊外に出向きました。
諏訪内さんは、2ちゃんねるで不穏な投稿がありましたので、特に至近距離の席を手配して戴きました。
クラ板だと言うのに、この有様。
7月のコンサート、特にサイン会、不穏な動きをしたら、6秒で片付けますから。 初めて会った時16歳だった「水原希子そのままのシロガネーゼ」、『i』さんが予備校を辞めて塾を立ち上げなければ、その出逢いは無かった。
私の人生でも唯一無二の思い出となったその後の5年間。
いきなり「モーツァルト レクイエム 怒りの日が聴きたい」と言い……
新宿/ディスクユニオンで一緒に探し、君は「これがいい」と鳥の羽が拡がるカラヤン盤を選んだ。
いつでも連絡は取れるが取らない。思い出を大切にしたいから。 クラ板の達は『ケチをつける/罵倒する/嫌悪する』ことが目的で書き込みしてますので、あー言えば上祐よろしく、何を言っても無駄なのですね。
お嬢弟子さんや私に対するイメージ(彼らの切ないほどの願望なのですが)がすでに固定観念として出来上がっておりますので……
その固定観念に反する言動は必ず屈折しデフォルメされて受け取られる。
現実のお嬢弟子さんや私が、その固定観念と異なる予感がするやいなや『全力で反撃を開始し出す』人達なのです。
固定観念と異なるのが余程の困るのでしょう。恐怖感すら抱いている節がある。
一昨年位までは此方もフィクションを交えて相手をしておりましたが、さすがに飽きまして、今は専ら………
『ピュアオーディオ@オープン2ちゃんねる/ヴォイス・オブ・ザ・シアター アルテック』
にて、ミレニアムさんと国際政治(主に軍事)やオーディオ談義をしております。
関連スレッドに「ピュアオーディオ@オープン2ちゃんねる/大英帝国の栄光タンノイその11」もあり、こちらは私の日記帳のような按配なのですが……
粘着「理屈と膏薬は何処にもつく」親父に付きまとわれ、現在は放置しております。 >>81
>>80
完全に無視されてますね。まあ、頑張りたまえ。
僕はハイドンの音楽もなかなか好きだ。形式の完備整頓、表現の清らかさという点では無類である。
併し、モーツァルトを聞いた後で、ハイドンを聞くと、個性の相違というものを感ずるより、何かしら大切なものが欠けた人間を感ずる。
外的な虚飾を平気で楽しんでいる空虚な人の良さと言ったものを感ずる。この感じはおそらく正当ではあるまい。
だが、モーツァルトが僕にそういう感じを目覚ますという事は、間違いない事で、彼の音楽にはハイドンの繊細ささえ外的に聞こえる程の驚くべき繊細さが確かにある。
心が耳と化して聞き入らねば、ついて行けぬようなニュアンスの細やかさがある。一と度この内的な感覚を呼び覚まされ、魂のゆらぐのを覚えた者は、もうモーツァルトを離れられぬ。 今日はこの数時間、ある曲を聴きながら亀頭を擦り続けている。 もう片方の手指に乳首にからめつつ……
『モーツァルト/ピアノ協奏曲23番k.488 2楽章(限る内田&テイト盤(420 187-2)/グード&オルフェウス室内盤(WPCS-10145))』
この曲はわたしにとって、モーツァルトの中でも(=この世に存在するすべての音楽の中でも)五本の指に入る大切な曲でなのであるが、その魅力の源泉は?となると答えに窮してしまう。
男娼の肛門の美しさやら、膣とは違うペニス締め付け、その官能的な溜息、喘ぎ声やら私の性的嗜好のあれやこれやの実相とか言ったイメージが浮かんでは消えたりするが、何のことはない、repeatを掛けたままマスターベーションの快感に数時間動けずにいる。
かつて「わたしが腹上死したらお経は要らない、この曲を流して欲しい」と頼み、今もその心境に変化は無いが、心境の源が変化しつつある事が少なからずわたしを驚かせている。
もっと沢山の男娼たちの肛門の中を私の精液で満たしたいのだ。
年齢を重ね、若かりし頃とは違った快楽に溺れる、そう言ってしまうと身も蓋もないが、7分余りの曲が数時間の自慰行為のBGMに堪え、尚聴きながら、亀頭の裏筋を刺戟し続けていたいと言うこの感情は何処からやって来るのか?自分でも整理出来ずにいる。 >>84
「誰でもモーツァルトの美しいメロディーを言うが、実は、メロディーは一と息で終わるほど短いのである。
或る短いメロディーが、作者の素晴らしい転調によって、魔術の様に引延ばされ、精妙な和音と混り合い、聴く者の耳を酔わせるのだ。そして、まさにそれ故に、それは肉声が歌う様に聞こえるのである。
モーツァルトの器楽主題は、ハイドンより短い。ベートーヴェンは短い主題を好んで使ったが、モーツァルトに比べれば余程長いのである。
言葉を変えれば、モーツァルトに比べて、まだまだメロディーを頼りにして書いているとも言えるのである」 >>85
「主題的器楽形式の完成者としてのハイドンにとっては、形式の必然の規約が主題の明確性を要求したのであるが、モーツァルトにあっては事情は寧ろ逆になっている。
捕らえたばかりの小鳥の、野性のままの言い様もなく不安定な美しい命を、籠の中でどういう具合に見事に生かすか、というところに、彼の全努力は集中されているように見える。
生まれた許りの不安定な主題は、不安に堪え切れず動こうとする、まるで己を明らかにしたいと希う心の動きに似ている。
だが、出来ない。それは本能的に転調する。若し、主題が明確になったら死んで了う。或る特定の観念なり感情なりと馴れ合って了うから。
これが、モーツァルトが守り通した作曲上の信条であるらしい」 ピアニストとしてのわたしですが、わたしは楽譜を見ることなどあり得ません。楽譜の「音符を一音一音目で追い掛ける」なんてことしていても、聴衆の魂にダイレクトに訴えかける音楽にならない。
指が完全に覚えてこそ「想いを指に伝えられる」んです。
小学5年生〜中学3年生の頃、バンド組んでエレキギターを弾いてたことありました(ダイヤモンドヘッドとかベートーヴェンの運命とか、中学の卒業お別れ会で体育館の壇上で演奏しました)が、楽譜なんか無かったですよ。
人から指使いだけ習い、あとはもう練習、練習、練習。
その後ですよ、自分の想いを指に伝えるのは。
ピアノはタッチ一つで想いが変化します。テンポはもう決定的に曲のイメージを支配します。
一音一音、音符を目で追い掛けながら…なんて、有り得ませんね。
もう一度申します、わたしは「中学のお別れ会で体育館の壇上」で演奏したんです。
どうせあなた達は、performance とは無縁の方々でししょ?わたしのレスを否定する、晶子さんのヴァイオリンに「どうのこうの言う」ことなど、百万年早い。
出直してらっしゃい。 >>88
「成り済まし」乙。
>>87
「誰も、モーツァルトの音楽の形式の均整を言うが、正直に彼の音を追うものは、彼の均整が、どんなに多くの均整を破って得られたものかに容易に気付く筈だ。
彼は、自由に大胆に限度を踏み越えては、素早く新しい均衡を作り出す。到る処で唐突な変化が起こるが、彼があわてているわけではない。
方々に思い切って切られた傷口が口を開けている。独特の治療法を発明するためだ。
彼は、決してハイドンのような音楽形式の完成者ではない。寧ろ最初の最大の形式破壊者である。
彼の音楽の極めて高級な意味での形式の完璧は、彼以降のいかなる音楽家にも影響を与えなかった、与え得なかった」 吉田秀和が、この曲を取り上げ、対比としてヨハン・シュトラウスをディスってる評論があったな >>94
「主題と変奏」という本に収められた「モーツァルトの変ホ長調交響曲」 この曲ってobがないから大体クラが後列の真ん中に位置取ると思うんだが
はじめて生オケで聴いたとき、トリオでアルペッジョやってる方が
一番奏者なのかと思い「ああ、トップはメロディーじゃなくて
難しい方のパートを吹くのか、なるほどね」と勝手に勘違いしてた。
唐突にスマンが。 第1楽章 展開部から再現部に戻るところ あの一瞬の静けさ。神?が
舞い降りた、と思った。