0874名無しの笛の踊り垢版 | 大砲2018/04/15(日) 13:46:55.64ID:z8z/jzif ゴーストライターがいたのは「詩学」「自伝」どっちだっけ。 晩年のストラヴィンスキーは、クラフトとの対話本を出した理由として、自伝では 十分な表現ができなかったから、みたいなことを言ってたと記憶する。ただしそれが 言語の問題だったかどうかはわからない。 知的な議論は母語でなくてもできる。「茶の本」も「武士道」もオリジナルは英語。 19世紀のロシアの貴族やインテリは仏語を使っていたし、ストラヴィンスキーは ドイツ人の子守に育てられたのでドイツ語も堪能。