シベリウスは特に交響曲を含む管弦楽曲の作曲家として成功したわけだが、なぜかを鑑みるに、一つにはそれまでにない彼独自のサウンドを切り拓いた事。

そのサウンドは確かにフィンランドの森や湖や冷たい空気を感じさせる何かである。

これを言うと「あるのは音だけ」だとか、ハンスリック的絶対音楽的な価値観を持ち出して反対する人が必ず出てくるが、むしろそれは今となっては廃れた音楽学的価値観であって、シベリウスの作曲の背景にある北欧の風土性を否定する方が無理がある。

もう一つは、作曲技法だけでは説明できない「語り口」のうまさである。
彼は交響曲第1番から現代の演奏会レパートリーに残るだけの作品を書いている。
技法的にはドイツロマン派やチャイコフスキーの影響が指摘されるし、前述の彼独自のサウンドをまだ十分には創り出せていないが、彼独自の語り口のうまさによって、繰り返し演奏されるだけの音楽になっている。