ドイツ過大評価(日本のライバル)©2ch.net
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ポイントの計算方法(協奏曲篇、目安、配点表)
3大協奏曲にさえ入っている曲→3pt 対象曲{チャコ、ゾーン、ザク}
3大ピアノ協には入っている曲→2P 対象曲{ベト、グリ}
3大ヴァイ協には入っている曲→2P 対象曲{ベト、ムス}
4大ピアノ協だけ入っている曲→1P 対象曲{ノフ}
4大ヴァイ協だけ入っている曲→1P 対象曲{チャコ}
:
:
?誤記等御容赦? チャコ4P、ベト4P、ザク3P、バツ0Pという結果であり
(※)因、そもそも皇帝は最高峰でなく
(※)そもそも0Pのモツはドイツ人で
(※)日独は経常収支黒字国の経済ライバルで
(※)ブラームスはポールマッカートニーよりも才能で劣り
(※)シューマン・ハイドン(墺)のチェロ協はオマケ的で
(※)フル協オボ協ホル協クラ協はジャンル自体花形でなく
(※)三大作曲家ヘド、バツ、モツは天才という前に、英才
ということかと思われます ぷにぷにしつづけることだけがむにすけのきょうじでありあいでんてぃてぃであると
そうなげき
うたい
ともにかたらい
ししそんそんにいたるまでかたりつぐことがきゅうむであると
そう
そういえようにゃ 日本語でお願いします(笑)
日本のクラシックは右傾化の取りこぼしなんですかね
いつまでドイツ音楽を聴くの
>ししそんそんにいたるまでかたりつぐことがきゅうむである
それは、日本の作曲家(国産の名曲)にこそふさわしかろう
ワケ有りの天才ならいるでしょ?
国家プロジェクトで売り出せば? ぷにぷにゆーあーるででとろいとのかぜをぷにぷにするしかないのにゃ 長木先生や渡辺先生が日本評論会の頂点な時点でドイツマンセーだろ。 ぷにぷにとゆうなのひかりここできえてはならぬ
ならぬのにゃ 三大ピアノ協奏曲とか、くくり自体がおかしい、
あんまり気にせんでもええんちゃうん
それと、1なんやから、略さんと、チャイコフスキーとか名前はっきり書いたらどうやねん いや、それはノフとザクで6ポイントちゃうん? 知らんけど >>1
ウィキペディアの世界三大一覧に
>世界三大ヴァイオリン協奏曲
>ニ長調(ブラームス)、ニ長調(ベートーヴェン)、ホ短調(メンデルスゾーン)
てあったけど、その場合やと、ムス2pt、ベト2pt、ゾーン2ptと数えるのん?
その、三大協奏曲とか四大協奏曲とかの出典はどこ?誰が言うてはるん?
そいで、日本とドイツがライバルとかドイツの過大評価とかのタイトルはどこと繋がるのん? 色んな異論があるからこそ商業も含めて3大協奏曲が長期間定まっているとすれば
曲の評価なんて主観だらけだろう中で
寧ろ“多数意見として”穏当だと思いませんか
他方で、東大美術美学系の人達の影響力は如何程か、日本がドイツ傍流といえようモツ支持に回ったとすれば秀雄秀和の仕業じゃないのですかね
だがモツが不完全天才だとすると、名声の割りに名曲率が低いという旨で諸井はその辺りに意識的だったはず
日本はドイツでも、傍流ドイツでもないということになりませんかね
(腸で奏でた)音楽に
形式的意味を求めると古典ドイツ優位になり、それが保守(ベトバツムス)であり、現音(意味を求めた音楽)は寧ろ保守本流だろうと思う
そこで大ドイツ音楽(ベトバツモツ)の中から意味の無い音楽としてモツを排除する動きが(昨今も)あったのではと
仮にモツこそがドイツ音楽的でありながらドイツを補完できる自由音楽だったとしても… バツよりもブルのほうが長い旋律線作りは巧いかもしれないのに、ムスはブルを大蛇あつかいかと
自分が知恵の実を食べたがごとき吐き気主義のムスを入れてドイツ3B(保守3人)とする必要がドイツにはあったかもと思われる
ベト・モツとドイツ勢を略すならロシア勢も略したらいいでしょう
日本勢は古典以降の美味しい時期に参加できずにドイツに音楽負けして現音を押し付けられた気がする
現音なんて吐き気ミュージック方面で頑張って、日本の音楽としてどれぐらいの普遍性がえられるのか
現音でも日本は武ミツで頑張ったろうけど、二流大作曲家ムスにすらある大作曲家としてのメロ能力に乏しい徒花かのようで…
(ポプでは吉田、松田、宇多田、久保田、矢沢などに対して、現代日本にはヒトラーが居ず、
古坂、坂本、竹村といったイル勢が健闘したが、天才よりも秀才職人的ということじゃなかろうかと)
大局では白人優位なのかでも黄色人種の優秀性の凄まじさを見せ付けるデトロイトの荒廃ってですかね
有色人種への植民地化、奴隷化、絶滅種化に対してだと、日本の左右両翼の一致点があるのでないかと ロシア勢ももっと押して欲しい
日々の生活で身近に触れる音楽の差とか考えると ゲームやアニメに浸って育つこれからの世代の日本人も 素晴らしいものを作って行けそうに思うけど
素直に育てば もしかしてロシア勢のようにはメロ片ぐらいしか作れないドイツ勢の
ミスターはきけ音楽史のムスがメロを蛇カツのごとくに
ガイ者ブルを狂人呼ばわりして属国的オーストリア
音楽を嫉妬切り離し、ムス未満がいつか気付く“鈍才”をイブシブ願望に
変成させ日本音楽を骨抜き秀才にし、若きアインシュタインほどに
自己鍛錬のロコをロシアの叙情性よりも前衛かぶれ化させ、奏者には
断片打楽器ピアノに注目させて頭デっカ倒錯カンセーみたいな構図? 第九は駄作的だが、旋律がいいでしょ、ムスもちゃっかり小才はあるんで、劣化模倣(ベト10)では長旋をつけたけど、延伸能力がなかったかで
象嵌の堂々巡りになってメロ砕きを憶えた、ってことじゃないの
ワグナーも、その意味では、ムスが尊敬し得る古典直系、外連味ストラのギコチなブラバン音楽も
断片足し、そもそもドイツの魂って幾何学精神かで
政治左翼ベトの思想に深みがあるのだろうか、冗長な情緒和音で(?)グノーに旋律を補われた彼とかってことでしょ >>3
>ブラームスはポールマッカートニーよりも才能で劣り
若い時の ピアノ5重奏、ピアノ協奏曲1番、ホルン三重奏とか聴くと
ブラームスの方がモーツアルトやベートーベンより才能が上だよ
ポールマッカートニーよりも若い時の中島みゆきの方が才能は上だよ 私は元創価の会員でした。
すぐ隣に防衛省の背広組みの官舎があるのですが、
自分の家の窓にUSB接続のwebカメラを貼り付けて、そこの動画を撮影し続け、
学会本部に送っていました。
別に大したものは写っていません。ゴミだしとか奥さんが子供を遊ばせている所とか。
官舎が老朽化して使われなくなってから、
今まで法人税(うちは自営業です)をほぼ払わなくても済んでいたのが、
もう守ってやれないのでこれからは満額申告するように言われました。
納得がいかないと言うと、君は自業自得で餓鬼地獄へ落ちる、
朝夕南無妙法蓮華経と三千回ずつ唱えて心をきれいにしなさいと言われ
馬鹿らしくなって脱会しました。
それ以来、どこへ行くにもぞろ目ナンバーの車につけまわされたり大変な日々です。
全部自分の出来心から起きた事で、どこに訴えるわけにもいかないのですが、
なんとかあの人たちと縁を切って新しい始まりを迎える方法はないんだろうか。 >始まりを迎える方法はないんだろうか ザイ〜ンだろうかぁー
中島みゆきの『産声』を三千回歌うたら如何かな、学会はん
>始まる >始まりの音が思い出せたら
中島は世界歌謡祭がピークやろ〜、別の意味の意味を求めて劣化しただろーよ
ビートルズチルドレンの、劣化ぁ〜
ドイツ勢が不正選挙学会工作員を使って矢向けてきたんかいな、
それとも万一阿修羅運営さんやったら、クラは日本で唯一ナショが
要る板やろから邪魔せんとってと、運営さんの御家族、ポプコンで
審査員特別賞なのか…?
音楽が音楽だけで評価されとったらクラ板は平和でっしゃろ
芸能事務所の力と音楽ぅ、世界ランクでいうたら はんしゃ〜
○太郎(暴力団)、○ばり(暴力団)、○ーズ(覚醒剤??)
だけど中島の実力ってぇ(笑) 中島のランクわかってんの? そうですね、初期ボール初期べト初期モツ(神童駄作の森)と比べればいかに
だがチャコ才が無くてムスが世界一だった期間は無いはず(ザク王朝)
チャコにでも勝てるべト才に魂売りしたものの看板曲自己否定で才能に縛りをかけてトロイメライの人生を破壊ということでしょう
何がしたいやら
六重1第3楽章は同じ人が作ったのか通好みっぽい奇跡の駄作…
といえば“汝を呼ぶ”で見せたバッハ幻滅の、あれほどの素材でムダ的和音に崩壊していくような感じは…
回り持った突き抜けないシベ協的旋律(シャコ)、
或いは処刑曲(“アランフェス”)、
マタイでは“バッハを憐みたまえ”だけ突出という坂龍との早漏組(渋い曲というのはトーン一定)、かと思いますが
ドイツ音楽が綻び多発地帯なら、何れ日本国民学派は可かと
>>11
3大協奏曲に同時に含まれているのだと2点でなく3点でしょう、完成度の格がちがえば 一生の間、どの年代も平均的にとか、一定の習熟度で成長しつつ、作曲出来る人なんていない
才能があるとか無いとかすべて結果論
ただ、曲を受け入れ、お金を出す人間の数と傾向はある程度コントロール出来るかも知れない >>17
若い時の才能は嘘能です。
20代で修了。 じゃあ31で死んだシューベルトはその嘘能だけというわけか?w
馬鹿はものを考えるなよ
馬鹿だとわかってしまうからなw まあ夭折が多いのがクラシックの主要メンバだろう、若いうちしか作曲できてない人間がザラなら
半世紀近く作曲能力が余り変わらない人間は例外というか伝説とされていいかも‥‥ロマン派前夜からやり直す日本国民学派の面面は白ヒゲがあるほうがいいだろう(笑) 日本国民楽派ね、まちがえた、すまん
って久石譲・伊福部昭・宮城道雄・滝廉・中田喜直・宮川泰・椙山浩一とかか、それともヤスタカ・小室・小林武史みたいなノリか、はたまた内本喜夫・淡路島・作曲君(←このメンツわからんやろな、笑)かと ドイツ系が、親父らに仕込まれた英才教育の“嘘能”で、年少期には存外大した曲が作れてないと思う
モツ、ベト、ベルト、ゾーン、チャコ、ドビ、ショパ、マンを短命に入れるなら
ドイツ系が目立つような早死に界だが、ただ、ユダヤとポーランドをどう位置づけるかだろうなあ
春の海は統一感としては、ドビュッシーの3楽器ソナタ以上の価値を感じる
あとドイツ勢の指揮者が総ががりで自国の名盤を遺せば
ドイツの駄作でも良く聴こえるだろそりゃ
日本にそれが無いトリック?
小澤は“天覧公演”でドラクエ序曲をやったのか、ギネスの件も含めて世界に紹介していけばいいのに
ドイツ音楽に貢献し過ぎるのは利敵行為的だろ 仮の打線を組んでみたけど(??)こんな感じでどないだ
────────────
ドイツ音楽帝國 渋四分組
────────────
組長プラームス
最高顧問ベートーペン
本部長パッハ
若頭ジューマン
若頭補佐シューへルト
直参メンデルスソーン
舎弟ピューロー
二次団体
墺地利亜会
関東シブ
鵜殷組組長
モーツァルド
プルックナー組
マーダー組
シェーンベルグ組 この顔触れなら舎弟頭“ワークナー”かな(笑)
マーラーはモダニズムに毒されていたと思う
「古」典的音楽のジャンルだったら古いも新しいもないだろう
だが作曲家が新しい傾向の曲をつくりたがるとともに、古めかしいというか過去の有名曲は、より完成度をあげたものや
新しい解釈の演奏で鮮度を保ってきたという実情があると思う
その結果、古い傾向の曲をつくる同時代の(新しい)作曲家が供給不足となって、レパートリーが固定化されるとなると
そこにドイツ音楽帝国みたいな寡占の成立する余地があるという話だろう
どんな偉そうな評論家がトリックに気付いたというのか 最近、ドイツ人はモーツアルトやベートーヴェンをあまり聴かないといいます。そんなもの要るのか、という話らしいのです。オーケストラはほとんど外国人だそうで、十人中八人から九人は外国人。ドイツ人の音楽家がいなくなった。文学も教育も衰滅です。
音楽も哲学もダメ。ドイツの限界というか、アイデンティティの喪失ということです。中国人と一緒になって浮かれて金儲けばかりです >>29
でも
日本のクラ評論の偉い方々はドイツが過大評価されてないと困りますよ?
東大表象研究関係とか。 東大なんて音楽にどれだけ関係あるんでしょ
知で何でも取り仕切れるという傲慢がドイツ音楽と同じ血として流れている感じがするけどね音楽に知がどれだけ必要なのか学者の介入を招くには意味論的に
アプローチ可な形式要素がゴチャゴチャあるほうが学問の具にしやすいんじゃないかな
ドイツ音楽に言及する論文が増えたらドイツ音楽が飯の種の学者が栄えるってなもんか
他方で作曲家が今から古典をやってはいけないという決まりでもあるのかと
正真正銘の…新古典主義じゃない…古典つ…か
例えばロマン派でもいいがそれやってどんな不都合があるんでしょうかって
だけんど名曲が増えることに潜在需要がメチャクチャあって逆に誰も判り易い曲をつくらずんばポップスから新規クラ客を呼び込めなかろうてだれが止めているんだか
音楽史というのが一つのパッケージになっていて年代ごとに「今はこの時代だから」といわれれば
「過ぎた時代のを書いてもなあ」って後発にはチャンスがないんだかのあれみたいな‥‥
これはもっと深い話というかもう西洋音楽史観に対して革命的なんじゃないかって思うよ
権威に群がるドイツ好きを手放したくないのかしらんがね
ニーチェが芸術地図が変わるみたいなこといわなかったか
この状況はおかしすぎ…だろ大作曲家は時系列の一子相伝なのかよ ドイツ音楽の形式要素、わたくし、これだけ知識持ってますよ、
というのが音楽評論家の権威を示す道具になる、という事か・・・
ドイツ音楽ひとつとっても、形式とか語るネタが幾つもあるので
それを小出しに書いていれば、著書も沢山出せるし儲かるし・・みたいな・・ この、日本のクラシック音楽界でのドイツ推し。
フルトヴェングラーが鬼のように売れる現象って
あとどれくらい続くんだろう。
多分そう長くは続かない気がする。
そしてそれと同時に、日本において
クラシック音楽の視聴人口や市場規模も
少子化と同時に減っていく気がする。
絶滅はしないと思う。細々残っていくと思う。 呼んだ?
なんでも言ってミー
に質問ある?
このギャグ、
スメっタナ、みたいな‥‥
階級音楽って、権威音楽と流行音楽で
米国に流行音楽とられて
両方やろうとしたら現代音楽になった‥‥
と思ったことある? >>27
モーツァルト破門‥‥‥‥ビューローによって、
メンデルスゾーン破門‥‥ワーグナーによって、
ブルックナー破門‥‥‥‥ブラームスによって、みたいなかんじか?
あのな、現音はな、リアル神人作製団体ナチスの浪漫派押し付けに反発の、セリー音楽がルーツ‥‥と思うのかよ、
アタマで‥‥アタマで作った音楽は、どれもドイツ万歳的というか何というか??? >>23
フォーエバー愚か者
27クラブって知ってますかあ?
才能と引換に、悪魔に27歳で命を奪われた大ミュージシャンが多いというような話
まさか全員がロノウェと契約したわけじゃ…ないかもだけど
この悪魔の打順みたいなのが(?)ソロモンの第27柱なわけでしょう27歳ってのは
ノーベル賞云々のボブディランさんが悪魔と契約したら人生変わったというような話
モーツァルトは儀式をバラして殺されたというような
そういえばシューベルトさん、魔王だったっけ(苦笑)
というようなわけで(?)、ビートルズの評価に反発する“ゆとり君”ならドイツ好きかも クラシックもロックも変わらないという意見があるようです、
好き嫌いの意味ではそうでしょうね、趣味嗜好は個人の主観でしょうし
だけど統計的な観方(??)をすると、また違ってくるかもしれません
ともあれクラシックは古い分、個人名で作品が残っている期間が長いといえるのでないでしょうか
それは「楽譜と分業のシステム」と関係するのでしょうけれども
それよりも、(もっと関係するかもしれないですが)曲のひとつひとつの音程の
選びかたが精緻ということはありませんか、クラシックでは
例えばゴッホは、炎の画家といわれるはずですが、勢いで描いているわけでないでしょう
精緻極まりない寧ろ神経質な時計のような絵画といえるかもしれませんね
あるべきものがあるべき位置に精緻にあることで調和して、輝いたり、蠢いたりして視えるような
名曲とそれ以外の曲の違いは通常は名曲が正確で、他の曲は間違っているとさえ言える気がするのです
間違った旋律にいくら巧みな伴奏をつけても往々にして(??)もう終わっているかもしれないじゃないですか
動機の選びかた一つで既に勝負がついてしまっていうると思われます
一般の人が名曲しか受けつけないとすればそれは或る意味正しいのでしょう
クラオタというかマニアの皆さんが他の曲を味わえることは深さを知っているように思われがちだとしても
そういった曲は渋いというレッテルに貼り替えた間違った音の組み立てかもしれない気がします
つまり逆でないかと
恐らく音というものは何でもいいわけでなくて、楽音は調和しているはずなのです ですが古典主義や浪漫主義の新曲がないということだと、これは圧倒的な供給不足でしょう
いくら飽きてももう新曲はないというような市況ですね
そうすると代替の粗悪品の価値が寧ろ高騰する様にして
「音の組み立ての劣るもの」で我慢するほうに自ずと流れていきませんか
苦いものを大人の味と言えば聞こえはいいでしょう、珍味とかですかね、でもそれは新しい味を
追い求めた結果の人工甘味料かもしれない、甘さ何十倍というような
ブラームスには名曲があるということでこそ、どれもいいものと誤魔化されずに、
または晩秋の趣きと美化せずに失敗作なら失敗作とみればいいのでないですか
すべてがそうだといわない場合にも、つまり、他の曲がいいからこの曲もというのでなくかして
他の曲にいいのがあるのに、これは何だということかもしれないわけです
まあ大抵きちんと論理的に処理していれば閃きに頼らずに(閃きがなくても)
或る程度まで当たり障りなく作れるということなのかもであるかしますが
ブラームスは渋いかのごときイメージで、或いは知的な洗練があるなどとすることで
駄作を格上げする必要はないと思います、もし日本など諸外国が、本気で浪漫主義に取り組んでいたら
もしくは今からでは取り組めば、名曲でないものは不調和なものとして淘汰されていくかもしれないのです
そうなれば、粗悪品を、独特の風味とラベルを貼り変えて、合成甘味料に(う)ならされた
マニアの人の歪んだ味覚が、やがて一般健常者には難しいような「現音耳」を生み出して
その耳のほうが優れているかの倒錯が罷り通るということになるかもしれない
ですかで、私ごときにはブラームスは現代音楽の父のようにすら映るわけです
こういう観方ははたして歪んでいるのでしょうか、マニアでない者の嫉妬でしょうか
嫉妬といえば優位に立てるのでしょう、でもマニア達が食べているのはロバの耳かもしれません
以上のような感じに思われますがいかがでございましょう
(飽和と食傷と倒錯の終演と) だけど教育現場で大人の恋のアメリカ音楽を教えるわけにもということなら『深い精神的な感じ』のほうがいいと思えるのでは? 舞踏の権化って違和感ないですかディスコ・ミュージックの原点とか(苦笑)
当時は、ってことですかね、
クラシックにポップス的テイストは皆無に近いかと
何でもクラシックをルーツにしたら
原始主義やら、ノフ以外だと
似た感じのベト3‐3、ムス1‐3のほうがまだリズムを感じるかも
ただポップス的にリズムをやるなら楽章全体にしてほしいというかイケイケノリノリが短いだろう
クラシックなりのスピード感で貫徹させるのはロコか、でもタコのほうがやや鋭いか
でも四角いモッサリの連続みたいなだと >>41
だったらドビュッシーがラグタイムに影響を与えたのか(笑)と
ドイツ人作曲家によるドイツ人作曲家激賞… ブラームスはレーガーの父となったのだよ
だからレーガーが現代音楽の父となった
ブラームスはいわば現代音楽の祖父だな 呼んだ?
モツ鍋の季節
イカがお過ごし…でしょうかこのイカやろう
ところでベトちゃんドクちゃんて知ってる?
それと天使のブラは?
…ネーミングってだいじだよね?
おいら、ブラというのは抵抗あるかも…
いちおう男として…
胸に装着するのは
胸でなくても下のほうまで下げても
いやですね…赤ズキン被りするのも(??)
>ザクってだれ
これはローカルルールではないですがこのスレでは
ザク(ドモホルン邪悪)といえばおいらのことです
>ドボルザーク?
ドボォちゃんドブに嵌って可哀相
…ネーミングってだいじだよね?
ブラをさげる前にブラさがってていいのか…そんなんで 堕落音楽の衝撃
「完全旋律主義」もたない上に、知られている中で「絶対旋律感」を有する人間は過去に例が無いのだとすると、旋律を重視しない楽派は当然的に、誤った旋律(モチ)で展開することになるでしょうな、
まずは旋律に「誤った旋律」と「正しい旋律」があるということで宜しいかな、というか通常なら「そういうものは存在しない」というのが「自由主義的」だろうかで面白いのでないか
それで「ABCD」という順で似通っているとすると、たとえば旋律のパーツを組み立てるのに、AときたらAで反復するとか、Aに近いBをもってくるとか、AAときたらそろそろBだったりか、ABABときてようやくCをもってきたりか、
近いところ近いところの近似形・相似形・対称形をもってきて繋がりをつけるのは「無難」で「秀才」的で「合理」的ということだろうし最も確率(期待値)が高いならでもそれは最適解でないかもしれない
続く… 音楽の秩序は「今のところもう少し神秘的」に思えるのであって、AAときて、まだBも無いのに、いきなりDがほしくなると、それが神の摂理だとした場合に、AからDの跳躍はいつもではないとしてもイデア(理想)のメロディをおいかけるとどうしても
AADでないと完全には収まらないということがおきてきうるはずなのだ、もしそうなら何時までもABCやらAABBやらとやっていると「少数」であっても乃至は「曲(旋律)のごく一部」であっても取りこぼしを生じてしまうのでないか
AA、AB、BC、ABCというのは一見わかりやすくなじみやすいかもしれないが、そういう風にやっていれば破綻を来たすリスクは無いという「我武者羅に臆病な(よくわかった上での慎重さでなく)」姿勢かで、確率的に勝者かもだが、
全部の理想形を自在に追いかけられる人間が現れた途端に、秀才性(確率論的無難)ということが露呈して暴落するかもと
モツには少し自在性があるが、それにムラがあると、秀才の手堅さと堅牢さに負けてしまいえかと、それでベトは適当にミックスしただろうし、チャコに勝とうとして真面目に邁進したなら、ムスは無難さで固めた曲が多くなって生ぬるい作曲家にかと、
つまり無難さとは芸術の堕落であろうかに、AB、AB1、AB2などと組み立ていると、そのピボットがまさに足かせにかもで、重いもっさりした音楽になりかねないかと思う
続く… AB、BC、CDという諧調を連ねていくということは楽曲構造が自動肥大化する
数的シリーズ(“同種の楽曲を駄作込みで、第一番、第二番と矢鱈と何曲も連ねて
巨大世界を構築しようとして仕方がない執拗な傾向の性癖”)みたいなもので
歴史という発想自体がAB、BC、CDという時系列になっているのだろうし
歴史内容というものにすら刷新的な跳躍を認めず、無理にでも記述される
歴史観の基本構造としては実際には「不連続(パラ・シフ)的必然」は起きて居ないのでないか
世俗の同調圧力によって制約を抱えているということだろうと
これはAB、BC、CDで進んでいく弁証法似みたいなことでブルックナーからマーラーへはABだろうけど新ウィーン楽派にですらBCでしかなく
跳躍できていないようなそんなピボット音楽(中身としてものAB1・AB2展開)の範囲内なら
最早どんなに奇抜な現代曲をつくっても「それが認められるのは
離れ過ぎていない(CDが成立する)連鎖上にある(煉瓦積み式の歴史構築圧力がある)」とすると
CDでなくCF、CE、もしくはCAが現れたら、その文明の文化に食われうる、ということになりえかだろうと
特にCAは逆行ないし「指定された着地位置への跳躍」の必然性が見え辛く(神秘的に)なれば
楽曲への支持が成立した場合には、そのことで全体構造にとしても大きな揺るがせになるのでないか
これが革命を演出しつつも本質の変わらないものだけを選び取って既得権の血脈を脈脈と護ってきた者達の醜い(見苦しい)姿(歴史の構図の原理)ということかもと
以上、乱筆かで間違いが幾つかありえかします、御免ね(究極的な仮説かも)? >>38,>>39,>>47
もうちょっと詳しく 正しい旋律と間違った旋律がある
というのは、ある人にとって素晴らしいとかうっとりするとか 鳥肌たつ旋律、フレーズがあるとして
間違った旋律というのはあるのか 別の誰かにとってはそれが正解の場合があり得ない、というのはあるのか
その見分けは? 必修ピアノって要らなくね?
ピアノやら何やら熟知するのもいいけど
まあ弾けないと職業人として格好つかないのか
今はPCがあれば云々…
または編曲をつけてもよさげで
総合的に甘い人材つくるよりも
外に遣ることあるだろう、日本の国家としては >>50
どちらかっちうと、間違った旋律ということかな
よい曲とそうでない曲があるんならそうでないほうはどこか間違っているんだろう
そうやってしぼりこんでいくっちうかね
じゃあ最もよい曲はっちうと比較では間違いが出ないみたいな
主観といってしまえばよしあし全部主観がらみだとすると
客観的な上下を仮定して認めなかったら名曲ってなりたたんだろう
そもそも学問は主観を基礎にしていることにならないかと
だけどこのスレでは長期の評判のランクを基準にして
そこから間接的に減点法で割り出そうとしているかもしれずみたいなことで
まったく客観的な手掛かりがみつからないかのごとき
大百科の議論と違うだろうよ 音楽の評価が、もしも主観に過ぎないなら、その瞬間ドイツ音楽帝国は「幻想でしかない優位性」に帰するのだろうとも
以下の様な前提として「音楽にはランクがあって」
「それは固定的な3大協奏曲といった評価で」
「そうでありながら過去のレコード会社や、留学組の学閥や評論家や、マニアの動向といった歪曲因子が影響して」
「総合された評価が形成されて」
「一般商業メディア・教育メディア・業界メディアによって随時適宜ご都合恣意的に出力され」
「その偶発的頻度や、誇張表現の集積によって」
「一般人の認識(表象)となるが」
「この認識主体は、3大協奏曲を押し上げた聴き手とは違い、音楽への愛好的理解がないが圧倒多数である」
とすると
「ドイツ人作曲家がドイツ人とは意識されなくても多数を占めてドイツ優位となる」と思われるが
評価に値するものとしては、結局「総合評価の一部を成している元の3大協奏曲という固定性が」
「最もマシな信憑性じゃないのか」というような話かと >>51
「編曲」じゃなくて「編曲家」じゃないと意味が通じにくいかな
メルセデスベンツ、ベートーヴェン
BMW、バッハ
フォルクスワ−ゲン、ブラームス/モーツァルト
ドイツ車とドイツ音楽は、同様の世俗イメージでブランド形成してきたのだろう、って
このスレも長期的なマーケティングだろうけど
複雑な経緯はさておきドイツ車においては低廉さ・華美さよりも
“保証の信頼感”(念入りさ・認定中古車などによるもの)を醸成するマーケティングがあったろうし
形式の組み立てで出来あがったパズル音楽は、その形式にどんな意味があろうとも(それを価値付けるのは
結局主観なんだろうけどね)
評価を言語化できるという強みが有るという話だろう、形式なら
単に綺麗だというんなら娯楽でそれで終わりとすると
そこに形式があってためになるとか滋養になるとか精神的な深みがあるといえば
聴いて損はないと思うようなそれが“保証の信頼感”となるはずなんだ
(クラシック自体は、楽器性・再現性・忠実さで優位を保ってきたかなと) >>49>>50
歯科医療では“近心”などといって
一本の歯を前後半分ずつに(近心側と遠心側に)分けて考えるのが歯牙解剖だったかな、
犬歯の後半というのは、(犬歯の直後に在る)小臼歯の前半とは形状が似ていて
その関係は他の隣接歯でも同様にして
前後に繋がりが持たされて歯列弓(歯並び全体)の
基本的な(歯自体の)調和が保たれているはずで
それだったら
いわば“AB‐BC‐CD”というリレーになっている(自然の摂理ではある)
みたいな歯の成り立ちの仕組みを思い出していた、というような
かんじの“歯科音楽学”はいかがか(笑)、なんだそれ >>49
>>55
そんな理論のは、前の音をひきずって頭でつくる引きずり曲でしょ←?
もしドイツの形式論が正しければ、均等なレベルで作れるはずでしょう
部分的に名曲になったり、イマイチだったりのレベル格差なんてない筈よ
凹凸のある曲や、凹凸作曲家ってかっこいいですかね、格調高いですかね あと金メダル獲りには縁遠いだろう、日本は音楽では一つも、というぐらい
珠玉の名曲集に日本人が誰か入っているのか、って
要は、これはもう作曲っていうのは結局は音並べだとしたら
綺麗に並べるだけの天才ひとりでも生まれてきたら一丁あがりの話かと ああそうそう
大学が就職斡旋施設で卒業生の食いっパが無いことを重視する偽善団体というんだったら
国家はその手のカリキュラムを全廃した秘密プロジェクトで
総力をあげてそういう天才を育成すればいいじゃん
受験ピアノとか理論とか学生負担のハードルが大きいようなら
努力しなくても音を組み立てられる天才をみつけてくればどう?
最初かの世界的名曲を作れるかもで
深刻な音楽途上国が日本ということだとすると先ずは常にドイツと並んで通用するこれはという名曲1曲からだとしたら
その奨学助成に予算を出さないと 前衛に走る天才や、現音は何なの?
貧才じゃないなら古典曲も作れるでしょ
古典曲で勝負できるでしょ
前衛に流れるのは負け認めではないの? 癒し需要
>>57
名品だっけ、有名な小品だっけ、といっても通常は
日本人なんてでてこない(日本人が
その状況をスルーしてそんなものかと麻痺していたとしても究極の問題のひとつ)かと思うけど…
シューベルトのセレナーデ、“モーツァルト”の子守歌、坂本教授の戦メリみたいに並びますかね
氏のエナジーフローは完成度が低そうだし、氏はアドリブ・ロンゲヴァージンを省くほうがいいだろうし
でもオリコンではピアノ曲どころかクラ系器楽の最高位獲得がこれということでしょう
近年の日本のひとつの頂点でしょうけど、本人はプロコ同様みたく
旋律勝ちしていると理解できない平易否定派とのことでしょうかね
神隠しのハープもなかなか平易でしょう、今時ジャンルを問わず複雑な
コードなら結局は平易なのがクラ(古典浪漫)かな
ところでドロドロした御家庭が多いようですが
シューマンの美曲に嫉妬して寝取ったのか“フリース”の美曲に嫉妬して寝取ったのか何か判りますか? >>59
今更ベトやモツみたいな古典曲作ってもベトやモツのパクリだと言われるだけ >>61
ショパリスは愛国者だよね?
愛国者だったら平気じゃないよね?
ドイツに対する日本の(ベタ)遅れ‥‥みたいなのには
とみたく思うね むしろ、ベトモツの作風をパクったらいいんでないの?
【ベトモツの新曲ニーズは、物凄いと思われるし】
【曲が良ければ残るし、それは日本の手柄になると思われるよ】 >>【ベトモツの新曲ニーズは、物凄いと思われるし】
えっ、そうなの? 西洋近代以前をパクる動きがあるとしても…
ピアノ協奏曲第1番 (続き※すまん、今投稿したレスの後ろ部分が切れてしまったようだ…けど)?
ピアノ協奏曲第1番"悲鳴" は出オチかな
ピアノ協奏曲第1番蠍火も滑り撒くっているようだしね
千本桜にしても…の何か現代日本の(??)変な癖みたいなの無いか リスト、ピアノ協奏曲第一番
じゃーんじゃじゃんじゃんじゃじゃじゃーーーーー
‥‥
じゃじゃじゃー、じゃじゃじゃー
ん?
続きどうする、何じゃ、そんだけ?
(苦笑)ちゃんとメロディの続き考えてから作曲しようよ
これが断片音楽ドイツの本質ってことでよろしいか? >>1>>63
ショパリスは、協奏曲で負けたわけでしょ
ピアノのリストがピアノ協奏曲を作って負けたら
ドイツ近辺のピアニストは、ピアノ曲だけ作ってれば良かったものをってな感じですかね ベトのゾンビとモツのゾンビが蘇って作曲を続けることを想像してみて >>65
モツは駄作が多いだろう、充実期の交響曲が少なすぎないか
ベトは、ソナタは力尽きたかもしれないが、合唱つきみたいなイマイチ的な曲で終わっていいのか、大規模化が一人の寿命では手に負えないとすると、もっと続きのリレーが要るのでないか
★★★
というか、古典の音列の相当な名曲がまだ幾つも潜在しているかもしれないのに、配列作業を止めてしまうのか、一握りの天才の摘み食いに任せるがごときで >>41
>>68
リストだけじゃないと思うね
そのブラームスピアノ協奏曲第1番第3楽章でも
走句経過句の類を除けば
ピアノでABやってほぼ同じことをオケでABやって次は
AとBをハーフ&ハーフ(笑)でピアノ→オケで引き継ぎかけて
一部末尾だけ繰り返す、みたいなよく
こんな単純というのか幼稚というかの恥ずかしい構成できるなあ、
ドイツ好きの文章も無骨だとしたら(???)こうなのかなあ、というような(???) クラ板でありながら神々に難癖を付けられるスレなのか。
リストが登場し、ブラームスが出現し、ヴァグナーが降臨し、リストがチラッと視えて、ブラームスが又顔を出し、ヴァグナーが戻ってくるかのごときドイツ循環形式。。。 >>38
クレーの絵だったか、幾何学形態が強く出ている感じだと
今一的に思うようなことがあって理論主義もしくはドイツ的な
影響なのかしてドイツ精神を汲んだバウハウスが、触媒として
幾何学的ムードの醸成に噛んでいる的なことなんだろう。
‥‥メイソンのとかね。 現音ポップスの件だが‥‥
ゴースト新垣氏が現代音楽テイストのあるポップスをつくってたろう?
黛氏は破格の予算で新古典とのミックスをやったはず
>>27任侠シネマの後継テーマ曲(古典的な感じの曲調でそこそこメロディアスなインスト)としての
野島氏のが採られ続けたようだが
途中で曲調が変わってドデカフォニックなモヤモヤがでてきたと思う
タケミツがポップスを書く際にもそういった実験ができたはずだがタケミツには無理なのか‥‥
業界に媚びたのか‥‥現音とは区別した作風(業界カメレオン)だったんじゃないのかって
ゴースト新垣氏のやらケージの実験的なものも含めて多くのゲンオンを支持した
つもりはないが、ミックスはドイツでも米でも余りやられていないとしたら
どうしてだかそういうことをやらない理由でもあるのかと
クラとポプを結ぶ架け橋としての新垣氏‥‥
或いは南米でドラッグ規制対象とされたのかもだがクラフトワーク(ドイツ)はクラの実験音楽からスタートしたはず
ちなみにゴースト新垣氏のは、演奏家としてのベト協のアップがなされていたはずなのだが ウヨの黛敏郎とゴーストの新垣隆のやったのがポップスとの羅列で
クラと分けた活動のが坂本・小室、ってなら
一部融合が視られるのはむしろヤスタカかもね。
オケにキックってな。フレンチにティンパニってな。
林檎も。 >>65
好い加減同じ曲ばっか弾き回されてるやろ
飽きたところに違う曲も赴きを変えた雰囲気の姉妹曲としてあったらええやろ
こういう感じのをもっと掘り下げた続編があったらなと思うこともありえやろ
そういうことやろ演奏家にとって。
リスナーとして。 ポプでは、向こうの音楽と比べて日本の曲が或る程度劣っているからこそ
意味のわからない洋楽との、二つのジャンルが並び立つということなんじゃないですか
なら良いバランスかと
そりゃ人材の集まる超大国や海外全域と比べれば、日本は劣るでしょうよ
その分日本のは親しみのもてるアーティストがやってるんなら >>75
作曲家の卵にとって十二音技法を学ぶ時間が重たいってことだったら、キャンパス内使用禁止云々の古典音楽大学か浪漫大学があるといい >>62
パクリといわれてもモチーフ等が類似してなければ構成が似ている程度なら同じ曲という
認識なしで作風だけの問題になるんじゃないかな?
そうなると逆に、最初から別人の曲として学習してパクリでないと思い込んでいる過去の有名作曲家の署名つきの曲群だって
現代人の目からすると古典派同士の作風はパクリなほど似通っているという話だろう
聴くたびに過去の別曲を連想するようでは困るかしても“ふつくしければ”残るんでねえの? 本格クラでポップスやったら勝ちでしょ、ガーシュインだけでしょ 手淫(ガー)
ジャズね
たとえショスタコのは違っても 音を配列する能力があっても英才を受けてなくて演奏能力が無いと作曲家には成れないような英才主義みたいなものは有るかもしれないが
しかし日本は古典的ドイツの状況じゃないとすると、その手の逆を行けばどうか
負荷となるようなベトモツリス型の指揮演奏能力を捨象した簡単な分業システムに合う作曲家が、リスナーに育てられればいいわけだろう 演奏のできない作曲の天才ってのは退化形態といえたとしても純化ではあろうね >>86
演奏のできない作曲の天才
幼児や赤ちゃんには大勢居るんじゃないの? まあそうでしょうね
ベトやモツもそうだったはずだし
ただ彼らの才能は演奏を修得するに伴って開花していったものかもでしょうね
天才といっても楽器演奏の刺激で徐々にというか後天的な感じかと
楽器修得じゃなくても歌うことが同じだとしても‥‥
歌は習わなくても歌えるように思うから‥‥
『バラが咲いた』 新生児ぐらいの嗅覚だと、親を区別できる児(こ)が多いみたいですね
こういう生きるための能力と思しきものは、一長一短といえばいいのでしょうか
成長してから持ち続けていても困る場合があろうわけで、
乳幼児がたとえ作曲に長けていたとしても、それは自然に失われると
通常はかんがえられるのでないですか
幼児の記憶力の発達では‥‥3歳ぐらいみたいですが
胎内で聴いた音楽は記憶されているのでは、という話はあるようです
もっとも科学には意外な結論があり得るとするとその限りでないというか
たまたま天性で乳幼児期の能力を持ち続けられた特異な個体がいようとも
それなりの集団機能を果たすかもしれないわけで
うまく組み込まれて共生するか‥‥ないしはまあ集団のためにならずともかでしょう(笑) そういった話でない第三の場合には
幼児が集団的に、本来の意味での才能を埋もれた形で有していて
演奏からは開花せずで、その『幼児才能集団』の実数が把握されずにいるとの可能性の問題でしょうか
ご承知のようにクラの顕在需要は市場規模としては小さなパイでしょう
どれぐらいいるのか未知の大勢の才能を発掘しても、どうでしょうかね
多くの天才が身近に輩出されることでクラを取り巻く状況が激変しないとは限らないでしょうけれども
であるなら、国威とか国力とかの問題だとすると‥‥
国が政策として幼児の才能にスポットを当てて、文化振興事業の一環で育成して面倒をみるのが良かろうというような話なわけです 第四の話としては、本当は、どれくらいの天才児がいるかということと関連して
まずギフテッドなどの人達の扱いに国がどれたけ理解を示して
制度整備を図れるかという問題があろうかと思います
未知の特異な能力をもってしまったために生活に及ぶ想像を超えるような諸々の悪影響等
その能力と、その能力で破壊された面とのアンバランスという両方、
もしくは極端な差のそれぞれが、当人に自覚されたり周囲が意識した場合に
それをギフテッドのような概念で認識できるのかどうか
ただし、「天才と狂気」「人格破綻・精神障害」「他の分野における無能」、そして『ギフテッド』というのは
比較的に普及流通度の高いイメージだとすると言及するのには適当かと
けれども‥‥「ギフテッド」と「天才」の違い、または「秀才・天才・超天才」といった分類は
可能なのか、充分に解析されたものなのか、疑問が残りえましょう(ゴッホ型や、ミケランジェロ型といいますか)
尖り過ぎて人を傷つける発言と、傷つき易さに纏わる隔離でない両者保護の問題もありえましょう
考査というか通知表での評価はかなり低くて、合同実力試験の形で飛び抜けた才能が判ったような話があるでしょう
芸術におけるテストの信憑性を信じるなら
ごく限られたローカルであろうとも偏差値が東大並みということなら
偏差値は、ばらつきに関係しましょうし、そういう飛び抜けた形でのトップは同時期にはそんなに出ないのではと(?) 東大程度だったら、その他“大勢”もいいとこだろw
学部の合格、各種の入学、卒業がだいたい年度3千ぐらいかな、新制でも総計“20万人”ぐらいいるだろ、東大卒の名前何人知ってんだ、ベーモツクラスだと500億人以上に“2人”だっけ >訓練を経ずして才能を現したとか
>『天才』を言い出してんだけど
>天才を説明しろ
>教育を受けてる以上天才といえども先人の影響を当然受ける
その意味でだと天才は日本に少なくとも一人いるだろうな 仮にベトを音楽トップとしても世界芸術トップになるのかどうか >>79
ビルボードの集計は、ストリーミング分野だけが米国限定でないようだしね モツが天才(純粋な閃き)トップだとしても
たとえ量子力学以降の世の中でも
一般多数はアインシュタインのほうが上と見做し得るだろう
流石にニュートンではないだろうけど
(音楽ファンはクラに譲る派と、アンチとに分かれるかもだが) >>65
逆の話としては新作が有れば、一般がファンに参入して需要が伸びるのでは
これわかるか。
>19世紀後半から21世紀のクラシック音楽において見られる
>ロマン主義音楽の再生、復古、擁護の
>いずれかを目論む音楽思想によって創り出された音楽作品を指す
ウィキったらいい
つまり聴き手側に需要の先行がなくても新ロマン主義音楽は生み出されてきたってことだろ。 それって後期ロマンの話じゃないのかい、新浪漫や新古典や絵画の新印象派とかそういったものじゃなくて現代の古典の話じゃなかったのか
内容は古くてしかも時代は下るというような
通常は曲には、どうしたって失敗部分があるとすると
そしてドイツ音楽は形式には隙がなくても音楽に隙が多いとすると
演奏家は、その隙の区間に味わいを重ねて
好きなことが出来るはずなんだな
失敗部分があったほうが腕の見せ所になるし
ライバルとの差を生みだすチャンスだし
もしかしたら作曲家の失敗歓迎かもだし
失敗部分は余り忠実に弾かなくても自分の実験的工夫を
見せ付けたほうがマシになるかもしんない、といっちゃったら極論か? 共時的な多数派である必要なんてないでしょう
通時的な多数派になれるんならそれが古典(クラシック)ってことかと
現代版の古典派/浪漫派を作りたくてしょうがない人は
ともかくソナタを仕上げて、それを
オケ化すればいいんじゃないか、ただし
オケのストリングスが長音的に歌えるように、弦楽/管楽系のソナタにしたほうがいいと思うよ
権威というのは何も初めからあるんじゃなくて
権力による優先や、教育や、資本による宣伝や
支持層人気や、それに、執行する中枢の自己保身によって作り
保たれるものだとすると敢えて“古い曲をつくる”という様な
新しいことを始めたとしても、純粋に音楽的な
価値だけで(権威なしで)売り出していけるものなのかどうか
クラシックの外に販路を拓ければ別だろうけど >>93
ここでまさかの小武登場という…段取り変更かーッ 新モンゴロイドって白人ですらないのに自覚に乏しい
クラッシック音楽が本当に似合わない 演奏しなくていいでしょ 【洋楽入門】初心者のためのロックバンドの探し方・選び方2017年版(中学生・高校生)【名曲・名盤】 - NAVER まとめ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています