【春の祭典】ストラヴィンスキーを語ろう【結婚】
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人身事故といえば、神経症やうつ病の男達が、ホームから飛び降り電車とぶつかり合う、
勇壮な自殺として、この東京に知られている。
事故のあと、駅員達は線路に集まり、作業服に着替え、肉を拾い合う。
人体は、激しい轢死でドロドロボロボロになるから、拾い集めて、ビニール袋に入れる。
俺はいつもそれが狙いだ。
拾われている肉片の、できるだけ四肢や眼球を10数コほど、
こっそりさらって家に持ち帰る。
そして、深夜、俺一人の葬祭が始まる。
俺はもう一度汚れた血液を身になすり、部屋中にかっさらってきた肉片をばら撒き、
ウォーッと叫びながら、腐肉の海の中を転げ回る。
腐った肉片は、屍の臭いがムンムン強烈で、俺のリビドーを刺激する。
ビニール袋の中の肉片は、もうすでに臭いほど腐敗している。
腐肉の中に顔を埋める。臭ぇ。
屍臭、大腸の中のウンコ臭や、頭蓋骨の中の独特の脳梁臭を、胸一杯に吸い込む。溜まんねえ。
臭ぇぜ、ワッショイ! 人身野郎ワッショイ!と叫びながら、ビニール袋ごと肉片を揉む。
嗅ぎ比べ、一番腐乱臭がキツイ頭部を選ぶ。
その頭部には、腐乱汁の染みまでくっきりあり、ツーンと臭って臭って堪らない。
その電車に殺られた奴は、人身事故で一番凄惨で、脳漿飛び出しで眼球突出の、蛆だらけの、
新幹線特攻野郎だろうと、勝手に想像して、鼻と口に一番臭い部分を押し当て、
思いきり嗅ぎながら、新幹線特攻野郎臭ぇぜ!俺が涅槃に行かせてやるぜ!と絶叫し、
腐った肉片をいっそう激しく揉む。
他の死体は、ミイラのように頭や身体が屍蝋して、
新幹線特攻野郎の腐った肉を口に銜えながら、ウオッ!ウオッ!と唸りながら内臓を揉みまくる。
そろそろ限界だ。
俺はビニール袋から内臓を引き出し、新幹線特攻野郎の口の中に、思いっきり射精する。
どうだ!成仏したいか!俺も臭ぇぜ!と叫びながら射精し続ける。
本当に新幹線特攻野郎を轢いてる気分で、ムチャクチャ気持ち良い。
新幹線特攻野郎の頭部は、俺の精液でベトベトに汚される。
新幹線特攻野郎、貴様はもう俺のもんだぜ!
俺の葬祭が済んだあと、他の肉片とまとめて、棺桶に入れ押入にしまい込む。
また来月、人身事故で轢死体を手に入れるまで、葬儀に使う。
押入にはそんな棺桶がいくつも仕舞ってあるんだぜ。 はるさいはNHK音楽の広場で山田一雄の指揮で聞いてびっくりしたんよ
たしか芸能山城組も同じ回だったんよ 葬送の歌は、早くも楽譜が
出版されてるんだね
購入するかはもう少し考えてからにしよう ドビュッシーが星の王や春の祭典を理解できなかったのが意外 否、「俺にはわからん」という意味の婉曲な言い方をしたはず Wikipediaによると、素晴らしい曲だとは思うけど演奏されないだろうねみたいな表現をしたらしい
そのソースが↓
https://web.archive.org/web/20050115162905/http://www.laphil.org/resources/piece_detail.cfm?id=460 オネゲル風と言われる事があるようだけど、具体的に似ている曲ってある? 典礼風を聞いてるんだけど、ストラヴィンスキーって、少なくとも表面的には、もっと軽くね?って感じたな
231にしてもそれなりの重厚感を覚える
ストラヴィンスキーって冷めちゃってる感あるし、弦楽器でガッシリみたいなのも少ないし……
強いて挙げるなら交響曲ハ調あたりかなあ オネゲルはワグネリアンでドイツロマン派に親近感を持っていたから
ストラヴィンスキーとは立ち位置が大きく違う
ストラヴィンスキーの方が冷めて聞こえるのは全くそのとおり でもストラヴィンスキーも初期はワーグナーの影響大だよね >弦楽器でガッシリ
60ー70年代のクラシック録音てば大抵そういう
大袈裟な音の演出で録られていて
古典派ですらそういったどや感が漂っている。
クラヲタなんかはこういう音でなくてはダメなようだが。
ハルサイなんかも無茶苦茶やってなんぼって時代だったが
今世紀にもなってようやっとクラフトが整然とした緻密な演奏・録音を
残してくれた。 例のブーレーズ/クリーブランドはこの上なく明晰だと思うが…
ストラビンスキーはある時点で弦楽器に目覚めたらしい。ただし、16型なんかの重厚な弦楽合奏でなくて、もっとスリムな、明晰な弦楽合奏。自伝に顛末が書いてある。
世に広く知られてるのは、弦楽器に目覚める前の作品ばかりだけど。 もちろんクラフト盤だけということではなく
ブーレーズはもちろん、アバド、シャイー、デュトワ‥
いくらでもありますが
60ー70年代のハルサイに対するイメージや録音は
そういった明快なものばかりではく原始色の強い
粗野なものが多かった。のではないかという話。 アンセルメの春祭はどうよ
発売当時は数学者らしい明晰な解釈で高評価だった気がするが
安箱から引っ張り出して何十年ぶりに聴いたら下手糞な演奏に
吹き出してしまった 確かにスイスロマンド管は今日のレベルからすると一流とはいえない。
でもこのコンビでしか聴けない雰囲気があって俺はけっこう気に入ってる。
情景の巧みな描き方とか、他の演奏では真似できない。今となっては貴重な録音だと思うね。 そーなんだよな
雰囲気がいいんだよ
言葉にしにくいが 数学者だから緻密・明晰ってのは偏見だと思うぞwww
数学者でも細かいところを詰めるのが好きな人もいれば、細かいところよりも新しいツールの探求を好む人もいる
これだけだとただのスレチなので、 間違って書き込むボタンを押してしまったorz
28の続き
59年のマルケヴィチとフィルハーモニア管からして秩序だっていると感じるけどなあ……
とあるサイトの録音リストを眺めるに、60年代には秩序を重んじる演奏と粗野さを求める演奏は半々くらいにはなってたんじゃないかなあ感もある
というか、23にあるお行儀のよい春祭が終わったあとの春祭ってどんな春祭なのかが気になる
ウルバンスキNDRはお行儀良かったし
お行儀の良さは前提で、それにプラスアルファを足すみたいなのが流行りって印象はあるけど、それってここ最近のことでもないしなあ おもいっきりデフォルメした演奏とか
モーツァルトですら
作曲家の意図なんか知らんって演奏 第一交響曲なんて本人の中じゃ黒歴史なのかなぁ・・・・
と思ったら しっかり晩年に自演レコーディングしてたでござる むしろ相当思い入れがあったみたいだぞ
ラベルの古風なメヌエットと状況が似てて興味深い ようつべにある小澤の火の鳥いいな
明日から仕事なのに興奮してしまって眠れんw 小澤征爾といえば、シカゴとの春の祭典もスゴいよ!
当時の小澤さんは30代前半だけどスゴいよ!! 交響曲ハ調、自演で聴いたら好きになってきた
最初に自演盤を買うべきだった コシュラーの結婚を買ったんだよ
そしたら最初のソプラノのメロディがよくあるメロディとちょっと違うんだよ
この外し方(と言っていいのかな?)をしている盤は他にもあるんだが、
メロディが違う楽譜でもあるんだろうか?
異なるソプラノがやってたからソプラノの手癖みたいなものでも無さそうなんだよなあ
コシュラーと同じようなメロディのもの(コシュラーのはYouTubeに無さそうだったので)
https://youtu.be/BMPwpUPY23I?t=3m
比較対象
https://youtu.be/xJZ6hTAIWFE
https://youtu.be/QAXanZ1B7wI
サンプルはそれぞれ楽譜のバージョンが違うけど、
これは揃えられなかっただけであって、それが原因ではないと思う
コシュラーの演奏は1923年版だし 三楽章の交響曲、自演で聴いたら好きになってきた
最初に自演盤を買うべきだった
録音も素晴らしい ディズニーの戦前のアニメーション「ファンタジア」の中で取り上げられて
有名になったと思うが、原作者のストラビンスキーはカンカンだったらしいな。 しかし使用料の旨味には逆らえなかった
今のお金で一千万以上? 何しろソ連は共産主義の原理に忠実たらんとして、
万国著作権条約には加入せず、著作物はすべて万人のもの、という方針だった。
つまりソ連人の著作物は人類すべての共有物であり、そのまま断り無く使える
ということだったので、ソ連の音楽や書籍などの文化物は演奏されたり翻訳されたり
放送されたりで広めることを主眼としていて、作家にとってはうまみがなかったはず。 でもそれは亡命者ストラヴィンスキーには関係ないよな 三大バレエの改訂はほとんどが著作権料稼ぎのためだったはず
無関係ではなさそうな 詩篇交響曲、ようやく聴き比べできたわ。ロバートショウ盤しか持ってなかったが、ガリーベルティーニ盤を勝ったのさね(オルフェオ)
ストラヴィンスキーらしい刺激的なのはベルティーニ側か?と思うも、合唱がいきなりわーっとくる感じや、
はれる、やー…、の圧倒的美しさで、ショウ盤に魅力を感ず。 ミサ曲が気に入った
弦の無いオケというのが特殊だけど、案外素直な宗教曲だ ストラヴィンスキーと布袋寅袋はどっちが顔がでかいのか ストラヴィンスキーは別に顔はでかくない。体が小さいだけ。 ズービンメータの春祭ペトルーシュカ(NYPhill,P.Jacobs)今さら買ったけど
(・∀・)イイ ペトルーシュカの終盤で金管と弦楽が同じテーマを掛け合う場面狂おしいほどすこ あそこで金管の音量を落とすシャイー盤が好きになれない 管弦楽の変奏曲、自演で聴いたら好きになってきた
最初に自演盤を買うべきだった
録音も素晴らしい >>64
シャイーってそう言うとこ多いよな
響は綺麗で今まで聞こえなかった声部を聞かせてくれるから好きな指揮者ではあるんだけど、逆に聞きたい声部が貧弱で拍子抜けすることもしばしば やたらとアレンジ物を原曲より評価する人っているよね。 春の祭典はピアノ版が原曲で管弦楽版がアレンジ物だからな
そこの歴史認識を間違わないように 最近の彼はガラクタで音楽を作ろうとしてる、的なことを誰かへの手紙で書いてるらしいね The Rite of Spring - piano 4 hands
https://www.youtube.com/watch?v=VXx7dHDl0nI
管弦楽版は現代音楽を聞きなれた耳では何が斬新なのかよくわからないが
ピアノ版は今聞いても未来の音楽という感じがする てか、バレエ付きでやってくれ
客入りはいいはずだよ ピアノソナタいつ聴いてもいいわあ
1924年のほうね 40年くらい前は全く人気が無くて、ノエル・リーのレコードでやっと聴けたよ 春祭は20年間楽譜を見てるけどいまだに暗譜出来ない ディズニーが曲をぶった切ったうえデタラメなアニメを付けたのが悲しい
バレエの脚本に忠実な全曲映像化を望む 初演舞台の復刻ならミリセント・ホドソンのものが有名ですね ストラヴィンスキーのバレエ全て映像ソフト化してもいいと思う
特にアゴンが見てみたい 日本フィルに客演したときのマルケヴィッチの衝撃的な解釈は素晴らしかった
もう50年以上前のことだ マルケヴィッチとフィルハーモニアによる1959年のステレオ盤は
レコ芸で大絶賛されて推薦盤になっている
これほど野性的な「春の祭典」はない
あの当時のフィルハーモニアは最高レベルのオーケストラだった
さすがカラヤンが鍛えただけのことはある ステレオ初期の推薦盤はアンセルメだけ
志鳥栄八郎がこの曲のトップに選んでた >>85
アゴンは昔ニューヨーク・シティ・バレエのVHSが出てた ストラヴィンスキーはカラヤンの春の祭典を聞いておかんむりだったという
なぜなんだろう? 洗練され過ぎて、曲の本質と乖離してるから
って柴田南雄の本に書いてた 音楽は解釈されるべきものではないから
じゃなくてw、
技術的には、
「主たる欠陥は、ソステヌート・スタイルにある。
音の長さが、ここではほとんどヴァーグナーやブラームスにおけるのと同じなのである。
それが音楽のエネルギーを削ぎ、リズミカルな発音の箇所では音を出すことを困難にさせている。」
ということらしい
http://blaalig.a.la9.jp/printemps.html 8月25日日曜
NHKFM 午前9時00分〜 午前10時55分
名演奏ライブラリー ▽20世紀を代表する作曲家 ストラヴィンスキー自作自演集 バーンスタインNYP1958年録音の春祭も素晴らしい。
オケの力量も含めると、ステレオ初期ではマルケヴィッチPOと双璧と思われる。 バーンスタインもストラビンスキーからは酷評されそうだ。 ショルテイ、シカゴ響の初録音には度肝を抜かれた
DECCAの優秀録音は素晴らしかった 考えてみたら、あのソビエト時代に録音したスヴェトラーノフって凄い
吉田秀和の文章の中ではボロクソの評価だったが、あのロシア的エネルギーの放出って、
作曲者は「曲のコンセプトに合ってる」として評価したんじゃないだろうか
ソビエト時代の録音って他に知らないんだけど、あったら参考に聴いてみたい >>102
ライヴだけど、クラフトがストラヴィンスキーと一緒に行ったときの演奏は残っている
そのストラヴィンスキーの評は上のカラヤンと一緒に載ってる
あとは正規だと、80年代のフェドセーエフとモスクワ放送響くらいみたい
ロジェストヴェンスキーがロンドン響とやったのもあるらしいけど、それは含むのやら? >>96
ストラヴィンスキーって何かバーンスタインの悪口言ってたっけ?
終演後のステージ上でバーンスタインを熱烈に抱擁してるストラヴィンスキーの写真は見たことがあるが。 >>103
フェドがあったね、さんくす
あとは違うな http://www4.nhk.or.jp/meiensou/x/2019-08-25/07/72525/4665496/
8月25日日曜
NHKFM 午前9時00分〜 午前10時55分
名演奏ライブラリー ▽20世紀を代表する作曲家 ストラヴィンスキー自作自演集
満津岡信育 ストラヴィンスキーが指揮して三大バレエ集を出したとき
全米の批評家たちはダメ出しをした
そりゃ当然だわな
アマチュア指揮者がプロの指揮者に優ることはできない 武満徹を世界に紹介してくれたのがストラヴィンスキーなのだ。 ストラヴィンをアメリカに紹介したのは
コストコフスキー 春の菜園を踊ったのがニンジンスキーでヤリ過ぎて痔が切れ夫になったんだっけ ストラヴィンスキーが来日したとき、チンドン屋を見て「あれいいな、いいな」と興味を示した
のちの作品にも影響を与えた トスカニーニはストラヴィンスキーを徹底的に嫌っていた ある航海中にストラヴィンスキーと会い
ストラヴィンスキーが「ベートーヴェンははったり屋だ」と言ったことが
トスカニーニの逆鱗に触れた フルベンもストラヴィンスキーをまったく無視していたな トーマス・マンか誰かに「ベートーヴェンなんか嫌いだ!」とか言ったんだよなw そういう盲目的なベートーヴェン狂たちのことが嫌いだったんだろうな そういうロマン主義者のせいでベートーベンを嫌っていたストラビンスキーは後にベートーベン大好きになった。
ロマン主義者たちはベートーベンを裏切り続ける。 フルトヴェングラーにはたしか「ディヴェルティメント」の録音があったはず 正確には「妖精の口づけ」から編曲された「ディヴェルティメント」。
三楽章の交響曲も録音してるようだ。
ググってみると、録音はないが三大バレエも何回も振っているらしい。
演奏家の仕事を録音だけで判断すると間違う例。 スレチですまんが思い出したので追記。
バルトークの1番、プロコフィエフの5番のP協の初演はいずれも作曲者のソロに
フルヴェンのバック。 編成が特殊だからレパートリーに定着しないだけで、曲としては春の祭典より結婚が代表作 DGはアナログ時代、なぜ火の鳥全曲版を出さなかったのだろう?
出せば売れたと思うんだが… >>131
アナログ時代に日本で発売された全曲版はアンセルメ、小沢、マゼール、ブーレーズ、ハイティンクくらいかね。
いずれもDG専属じゃなかったから仕方ない。 >>132
カラヤン&ベルリンフィルなら馬鹿売れ
スタインバーグ&ボストン響でもそこそこいける
あるいはマルケヴィッチ&ラムルーとか カラヤンにはもっと20世紀もの録音してほしかったな。
まあDGの看板だから無理もないが。春祭は確か1回だけ来日公演でやったことがあったような。 カラヤンの二度目の春祭はひどいもんだな。
たとえ作曲者にけなされようが一度目のドイツ流重厚演奏がいい
再録音するかわりに火の鳥をお願いしたかった そう言わずに一度目を聴いてみたまえ
個性的で面白い ヘルベルト・フォン・カラヤン作曲「ストラビンスキー“春の祭典”による自由な幻想曲 イ短調」が聴きたいかと言われると…時間がもったいないというか… 「フルトヴェングラーよりカラヤンの方が良い。身長が低いからだ。
クレンペラーは良いがデカ過ぎる!」 >>124
ハ調の交響曲なんかベートーヴェンのオマージュに聴こえます
作曲中に参照してた逸話もあるし なるほど、久々にハ調の交響曲聴いてみよう
カラヤンで カラヤンのハルサイ、ライヴの二種(72年、78年)しか聴いてないけど、結構面白い
たぶんスタジオ録音とは全然違うんだろう
なかなかスリリングで、カラヤン生きてたらたぶん発売許可してないな ストラヴィンスキーはブーレーズの演奏については何も言ってないの 交響曲ハ調はデュトワかアシュケナージの方が良いな
カラヤンはどうも鈍重な感じがする >カラヤンはどうも鈍重な感じがする
うん知ってる。
その鈍重な火の鳥を聴いてみたかった。冒頭なんかはまると思う カラヤンで言うなら『アポロ』だな
あの曲をあそこまで流麗に磨き上げた演奏は他にちょっと無い ストラヴィンスキー、カラヤンの春祭ボロクソ貶してたっけ 作曲者の意図というのはある
何だコイツってなるのもムリはない 小澤がパリ管を指揮した「火の鳥」は当時EMIが開発した4チャンネル録音
レコ芸でも推薦盤になった >>152
あれは超名演。俺の中では、1910年版は小澤とブーレーズが双璧かな。 >>154
自分と全く見解が同じ人がいた。嬉しい。 ついでに、小澤パリ管ではチャイ4と胡桃割り人形も超名演だと思う。 小澤とパリ管はあまり関係深くならなかったな。このコンビで3大バレエ全部録音してほしかったが。 ベロフをソリストにしたピアノ協奏曲類の録音もあったんでねーか 小澤をパリ管から追い出したのがユダ公の腹黒いバレンボイム
さらにDGの小澤によるベルリオーズ企画も潰してしまい
自分が全作品を入れてしまった バレンボイムの録音はほとんど聴かないな。パリ管との幻想交響曲くらい。
春祭もまだ聴いたことないけど、あまり評判にならなかった気がする。 むかし、バレンボイム/パリ管の春祭を名古屋で聴いたが、終盤に差し掛かったところでティンパニ1名が完全に「落ちて」しまい、オロオロになっていたなー。 三大バレエの中で一番人気のないのがペトルーシュカ
内容が暗いからだろうな ロマンチック・火の鳥
ユーモラス・ペトルーシュカ
アヴァンギャルド・春の祭典
それぞれ違ってどれもすこ >>166
ペトルーシュカが一番人気がないとは言い切れないような
火の鳥(原曲)も冗長だって言って評価しない人も見かけるよ
アンチの多さで測るなら春の祭典が最も多いだろうけど、これは人気さ故だろうからちょっと違うか 映画やドラマの緊迫した場面でよく使われてた三楽章の交響曲が好きだな へー、どの部分が使われてたの?
カッコよくて好きな曲だが ペトルーシュカは1911年版より1947年版のほうが好きだな。シャープな切れ味が増している。
但しちゃんと幽霊の出るラストシーンのヴァージョンのほう。 バレエのストーリーを知らずに聴いてる人が多いのはどうかと思う
知ろうともしない ロバート・クラフトの「ストラヴィンスキー 友情の日々」という本を図書館から
借りてみたんだが…
フリッチャイを「フリクセイ」、
ハイドンのla Reiineを「ライン」(それはシューマンだろが!)、
イギリスの詩人ポープを「法王」(!!!)
なんてやってるだけで読む気をなくさせるに十分だったwww 英語圏ではミハエルとかリヒャルトは
マイコ―とかリチャード呼んでるだろうから間違いまでは
いかないんじゃないか
ラインとか法王みたいな誤訳はマズいけど いや、カタカナ表記が定着してる人を違う表記で書いちゃうというのは
ものを知らないと思われてもしょうがない
一般人ならどっちでもいいだろうが、
たとえばリヒャルト・シュトラウスをリチャード・ストラウスと書いたら
日本の読者にとっては間違いに等しいレベル 日本では特にクラシック界隈では英語読みよりドイツ語読みが定着してるからな
シー、ディーでなくツェー、デーとかわりと昔の日本人の発音には
ラクだったってのもあるかな
ダンボールの語源はカードボードを聞き取ったものらしいw
本来英語発音でいい演奏者名がドイツ語表記だったりするし。 Fricsayをフリッチャイと読むのはドイツ語読みじゃないよ
まあ誰も知らないマイナーな人物なら問題にもなるまいが
彼くらい知名度のある人だとさすがにちょっとな…
そういや昔ゼウスのことをツォイスと書いてたドイツ屋さんがいたのを思い出したw フリッチャイ有名かね?
翻訳当時的には作曲家の訳者が間違えるほどということは
ヒストリカル録音に興味なきゃ知られてなかったいう事でしょう。
今はCDで復刻されてるから。 DGに大量の録音を遺したフリッチャイが有名かどうかわからないって問題外だ
この翻訳は98年に出てるが、その少し前の96年にはステレオの「悲愴」が日本でも発売されて大きな話題になった
作曲家だから音楽理論については大丈夫だろうが、演奏家についての知識はかなりあやしい人なのかもしれん
フリッチャイの表記を知らないとなると、>>174のように読む人をガッカリさせるのに十分だ いや90年代は数年前に亡くなった指揮者達がまだわしわし新録CD出してた頃だわな
誰でも知ってるヒストリカルなんてフルベン、トスカニーニくらい?
ストラヴィンスキーを知る人には特に有名なモントゥ(録音)ですら
徐々に認知されはじめた頃だよ。 編集の責任も大きい
このレベルなら直ってるのが普通
1998年なら検索ですぐ見つかる
それすらしてないってことだ 翻訳のレベルは異なるかもだが90年代のコンサート
しかもバロックに特化したコンサートのプログラムに
マレをマライスと表記されしは遠い昔かな だから翻訳者が「誰でも知ってる巨匠」しか知らないレベルでは困る、ということ
というか、フリッチャイは誤訳の一例に過ぎないし、彼を論じる場でもないのでこの辺でやめる
クラフトの著書の話題だったが、訳はともかく内容は興味深い おい、クソゴミのクソバカwwwwwwwwwwwwwwww
ストラヴィンスキーは、法学部卒業だwwwwwwwwwwwwwwww
知ってたか?wwwwwwwwwwwwwww
ちなみにシューマンも法学部だwwwwwwwwwwwwwwww
音楽(作曲)と法律は、構築に関係性あるの分かるか?wwwwwwwwwwwwwww
クソゴミのクソバカには分からねえだろwwwwwwwwwwwwwwwwww まだダイヤルアップ接続の時代やね
キンキンキンゴーッって懐かしいw >>187
_, ._
( ・ω・) あたま大丈夫?
○={=}〇,
|:::::::::\, ', ´
.wwし w`(.@)wwww クラシック音楽の評論家とか翻訳者どもはそういったいちゃもんつけて
ボッテるんだろうな
CDに日本語解説つくと1枚1000円以上の増額だもんな
別紙印刷代なんてたかが知れてる 訳者を一所懸命擁護してるID:wCagnkDiは関係者なんだろうな 擁護してるように見える?
ネットあたりまえの情報化時代の、90年代を知らない人には
そう見えるのか 今度はおかしな事を言い出したな
70年代からクラシック聴いてるけどフリッチャイは知ってたよ だから作曲家がクラシック音楽愛好家であるとは限らんでしょう? 自分もちょうどそのころCD店で仕事をしてたが、90年代半ばには
フリッチャイ・エディションの国内盤が一枚2200円で、結構店頭に並んでいた覚えがある >モントゥ(録音)ですら徐々に認知されはじめた頃だよ。
これって本気で言ってるのか
関係者(または本人)であるあなたがその程度の認識だったわけか モントゥのRCAのBOX化は90年代中頃だっけ
人気盤だったフィリップスのブラ2も同じ頃だっけ?
CD化として90年代中頃は早いとは言えないと思うな。 80年代初頭にCDが登場して普及はすごく早かった。
LPが併売された時期とはいえ廃盤も多くあったわけで
一部有名タイトル(モントゥのハルサイなど)を除き
そのほとんどは10年以上経ってからのお目見えだったってことだろ。一般には。 モントゥなんてLP時代からずっと知られた有名指揮者だ阿呆 >>204
いや、大阪FHの初来日を聴いて感動した
評論家の影響が多大。
早い話ユニバーサルが日本人用に特化した復刻に切り替えるまでは
ブーレーズなりアバド、ショルティみんな現役だった90年代。 ブラ2が人気盤と書いたが
実のところ故コーホ氏が事あるごとに騒いで
がんがった功績(インターナショナル発売より日本が少し前)もあろうか。
そりゃ春祭を知っていれば誰だって知っている知名度だよ。そんな事を言ってるわけではない。 有名だからCDで聴かれ続けてる指揮者もいるなか、
そうでもない人も、いたという。 いまは英語圏の人が100%「ふりっちゃい」
と発音するかどうか
そんだけやがな阿保らし >>205
ピエール・モントゥーという指揮者の存在が日本で認知されたのはいつごろか、という論争です。 >>210
違う。CD化されるまでの間はどうなん? >>212
こいつにとってはCD化が全ての基準らしい
まあ本当に何も知らないんだな >>213
まあ文字情報だけの世界でせいぜいがんがってよ
ネットという井戸の中でね >>205
言い合いというか、話の噛み合わない人が一人で連投してる感じだな
フリッチャイにしてもモントゥーにしても、日本語で定着した表記なんだから、
違う書き方されたら読者は分かりにくくて困る、という話なのだが
クラフトの著書なり、他のストラヴィンスキーの話題なりに戻そう さすがにモントゥー表記は間違ってないのでは?
CD最盛期にアナログも復活して
その中のデッカ、RCA盤の有名タイトル、もとからそれらオリジナル盤も高価。
にしてもフィリップス音源CD5枚はそこには含まれてない。
話をグチャグチャにして悪かったね
そんなつもりではなかったんだが 「モントゥー」は日本語で表記が固まってる有名な指揮者のただの一例だよ
そこにそうやって「オリジナル盤は高価」とか全然違う話題を出すから、話が噛み合わないしグチャグチャになる
多少話が広がることはあるにしても、本題そっちのけで雑多な話題を混ぜてくるのはやめてほしい
ではストラヴィンスキーの話題に戻りましょう ラヴェルと白鳥湖、ドビュッシーは
シルバーラインでも出てたからブラ2のみか
フリクセイほどではないが
ブレーズ、アッバード表記も時代による。 翻訳出版界のことはよく知らないが、この手の訳本て下訳使ってるのが多いんじゃね?
訳者として名前出してる人はフリッチャイを知ってたが下訳のチェック漏れ、ってことも
ありそう。もちろん商品として本を出す以上版元の編集者の責任もあるわけだが。 日本語表記がレコード会社か音友による
決定事項か実際どうなのか知らないが
NHKでも少し違う場合もある。
ヨーロッパ諸国も地方により発音は違うようだし人名となると、さらになんじゃね? また雑多な方向にいっちゃうが
実際、初来日時のインタビューで
失礼がないよう直接本人に訊ねている
なんて恒例だよね。
アーノンクールみたいにある程度
定着してる人だと多少違っても
その後、表記が改まったりしないことのほうが多いし。 >>219
それだと訳者が訳文読んでないことになる
擁護のしすぎで墓穴掘ったな ロバート・クラフトのストラヴィンスキー録音が
naxosから全部出切らないで終了した事のほうが痛いけどね。
どっちかいうと。 録音済み小品の残はCDにしたら1枚とか
そんな程度やし
旧盤とナクソス盤は微妙にダブる組み合わせになってるからさらにたちが悪い。 >>222
擁護なんてしてないよ。逆だ。
下訳を使っても良いが、訳者を名乗る以上チェックする責任が当然ある。 naxosよりCBSのクラフトの方が遥かに生き生きしている
てか、なんでCBSをお払い箱になったんだろう お払い箱というよりCBSの時は
ストラヴィンスキーの単なる助手扱いだったんじゃねーのかな? 単なる助手どころかヴェーベルンとヴァレーズの全集作って
ベルクやシェーンベルクも大量に録音してるわけだが それは知らなかった
CD化されてたっけ?
CBSのウェーベルン箱はブーレーズの印象が強いな。
新ウィーン楽派はストラヴィンスキーより量的に少ないのでは クラフトが一手に引き受けていた録音をブレーズが丸々横取りした感じだね >>230
ブーレーズのハルサイ旧録(フランスのマイナー、日本では日コロから出てる)
がブレークしたもんだからCBSが必死になって契約したんだろうね。
クラフトってやはりストラヴィンスキー助手のような存在だと思われてたに
違いない。
90年代からのコッホintやMMから出た新録音が
まとめてnaxosが揃えて出ると思ってただけに残念すぎる結果に。
シェーンベルクの録音は充実だが。 スターウォーズを久々に観たら、
BGMにホルストはもちろんのこと、春祭のパクリまであるね
これ著作権大丈夫か? 他にもドボルザークとかラフマニノフ、
リヒャルト、あらゆるクラシック曲を
引用してると公言してるよ
てか旧3部作をリメークした時の
それぞれ2枚組のサントラアルバムに
書いてある。 ウィリアムズが公言してるのか
しかしクレジットを観るとオーケストレーションも他人任せ
ハルサイ第二部冒頭のパクリは原曲のアレンジをわずかに変えただけだから
つまり何にもしてないに等しい… ウィリアムズのファンが擁護してるわけか
しかしここはストラヴィンスキーのスレッドなんでな 三流作曲家の方がえてして稼ぐからな
それが仮にパクリによる利益だとすると気分のいいものではない 春の祭典第二部冒頭を書き写せば金が稼げるのか
楽な商売だな 初代のゴジラの音楽も、なんだか春の祭典っぽいと思うのですが、
皆さんはどうおもわれますか? 実際伊福部はラヴェルが好きだったそうだが
貰ってきてるのかどうかは不明
また伊福部作品の中でゴジラが初出でもない
思うに>>247は変拍子的な不安定感を言ってるのではなかろうか?
俺的にはマッドマックスの劇伴が結構ハルサイ感あるな
てか明らかに頂いてそうなレベルw
怒りのなんちゃらでなくて第一作ね
2もその流れではあるかな 春の祭典って、もしストラヴィンスキー本人が楽譜ソフトでポチポチ作ったなら
作曲・記譜作業がかなり効率化できる曲ですよね
ヘンな想像ですいませんw いや、ピアノで作ったからこそああいうノリが生まれたと思うよ
ピアノが弾けることは非常に大事だ ダンバートンオークスはルビモフが録音してる
2台ピアノ版の方が
なにやらポストミニマリズムな曲を
聴いてる感覚におちいる💙 アポロが好きでよく聴いている
デュトワ、シャイー、カラヤン、小澤、ムラヴィンスキー、マリナーは良かった
サロネン、バシュメット、マルケヴィッチは今一だった 片腕必殺剣という1967年の香港映画を見ているとバトルシーンで春の祭典が使われていた 今朝、NHKFMで聴いたストラヴィンスキーの2曲、
「ハ長の交響曲」と「エボニーコンチェルト」
この人の古典主義的作品は枯れ木みたいにカサカサで潤いがない。
「エボニー」は黒檀の意味だが、枯れ枝みたいで「黒檀」とは遠い
感じだ 「エボニーコンチェルト」はウディ―・ハーマンが本当に気に
いったか疑問ね〜
FMでは、その後でガーシュインのPf協奏曲が放送された。
こっちはジャズのイディオムを活かして、とても良い曲よ〜
遊び性もあるし、やっぱりジャズを活かした曲はアメリカで
育った人は違うわ >>263
エボニーは自作自演のが良いよ。サックスセクションはスウィングしちゃってるし、ドロドロした感じが何とも言えない。 >>263
誰の演奏?
その2曲なら俺の推しはアシュケナージ
感傷・甘味を極力排除したのがストラヴィンスキーだから>>263みたいな感想が
出てくるのはある意味当然かと。
ストラヴィンスキーに限らずバルトークでもヒンデミットでも、音楽に何を求めるかで
どの曲を支持するかが大きく変わるような… >感傷・甘味を極力排除したのがストラヴィンスキー
でも塩味・辛味・旨味はたっぷりあるぜ
本人の演奏だと >音楽は何も表現しない。
と言ったストラヴィンスキーは「表現」とは何か説明してないので
賛同も反対もしようがないんだよね ストラヴィンスキーの自伝読んだ。
わきの下に手の平当ててプッププップ音出す練習してる。 結局ストラヴィンスキーの「表現」がいかなるものか
説明できる人はここには居ないというお話でした ハンスリックの音楽美学を読めばストラヴィンスキーの言っていることがわかる。
俺も同意見。
何も表現しない。 「春の祭典」という音楽は 春の祭典を表現しているとおもってた 曲を書いて音を出すのは表現行為だな、
で、家の猫がピアノの鍵盤上で歩くのは表現行為ではない、
あれは歩いているだけだ。運動だ。
音楽の曲っつうのは、作曲家が素描して、演奏家がそれを音にする
共同作業による表現行為だ、とまぁ・・
こんな風に理解してる。 「花火」なんて花火そのものの描写があるけど花火を表現してないのか
…禅問答だな、こりゃ >>287
んで、この人の場合は、音楽はピアノ鍵盤上を歩く猫の行為と
同じで、演奏している曲 (つまり”音楽”)は演奏家の指の
運動とか、腕や足の運動、声楽家の舌や喉や唇の運動以外の何物
でもないと思っておる。 花火を知っているから花火になる。
聴き手は作曲家の伝記的事項などを知っているから、喜びとか悲しみを音楽から勝手に感じる。
ここにいる名無しさんが、ある感情をもって作曲し、譜面に落とし込む。
その楽譜を100年後の誰かさんが偶然スコアを見つけて演奏する。
「ある感情」は演奏者、聴きてに届くか?
楽譜に記されている音符は、音符以外の何物でもない。
音符「ある感情」をキャリーすることはできない。
音楽は物理的な振動の音だけで聴き手の感情を揺さぶる。
聴き手はその物理的な音の振動を勝手に、自分の経験、知識に基づいて解釈しようと、音とのアイデンティティを求めたがる。
「ああ、この音楽は…」 >>289
「花火」で 花火を表現しようとしたのは若気の至り 忘れてくれ
作風や言動がコロコロかわるのが俺だってことを思い出してくれ >音楽は何も表現しない。
>楽譜に記されている音符は、音符以外の何物でもない。
そう信じているなら、バルトークやヒンデミットのように曲名をつけるべきだな
全部「なんとかのための音楽」でいい
そうすれば無駄な誤解や連想を招くこともない
ところがストラヴィンスキーには具体名が多い
言うこととすることが矛盾しているね ただの音でしかない楽器演奏に標題のイメージを重ねるなんて愚の骨頂 ただの音でしかないと信じているものにわざわざ標題を付けるのが愚の骨頂なんだよ >>293
具体名があるのは歌詞のある曲か舞台作品だろ 器楽曲にもあるわけだが…
例えば「バラライカ」とか「ナポリターナ」という題を見て
その言葉が連想させるイメージを重ねるな!と言われてもね 「イタリア組曲」はイタリアに関わることを一切表現していない!と主張するなら、
それを納得させる論理が必要になるだろう
わざわざ「イタリア」が付いている理由も含めてね
でなければ禅問答だ >でなければ禅問答だ
そのつもりでわざと書いてるんだろ
ふざけてるかおかしいのかどっちかだから、スルーしとけば 「音楽は本質的に(音以外の)何物をも表現しない」からこそ
タイトルで表現するんだろうがw 伊福部がその辺を綺麗にまとめた文章がネット上にあるよ >>303
「完本 管弦楽法」、伊福部昭、著
価格 \24,000+税、音楽之友社(2008/03発売)
この本かな? >>302
ストラヴィンスキーはそんなこと言ってないけど 最近再販されたSF小説「旅に出る時ほほえみを」
スチラヴィンスキーに対する言及があったりする。 ストラヴィンスキーはワーグナーの美学に我慢ならなかった それが現代版オペラブッファ「レイクス・プログレス」に結実した サロネン、俺はNGだけど彼は凄いよね。
作品の物語性をばっさばっさ切り落として、
まさに音のための音楽やっちゃうもんなー。
実演聴いてあまりに凄くて腹が立った。
なんだかその矛盾が不思議だ。 >>304
全く違うよ
ロマン派との決別とかいうタイトルの短いコラム そういえば、その伊福部の「管弦楽法」にはペトルーシュカ冒頭のクラリネットとホルンの音型が引かれてて、「この次元になって初めて管弦楽法と呼びうるのである」っていうことが書いてあった。
そんなストラビンスキーはベートーベンの楽器法を激賞して、ベートーベンを「楽器の帝王」とまで呼んでる。 >>314
「管弦楽法」と呼び得るのはストラヴィンスキーからですかね?
ベルリオーズ、R・コルサコフ、サン=サーンス、ドビュッシー、
そして、ワグナーやR・シュトラウスの管弦楽法は伊福部先生には
その名に値しないということですね。
びっくりしました。
私はベートーヴェン以降の作曲家の管弦楽法に感心していたのですが、
間違っていました。・・・素人は駄目ですね(笑) >>315
どの時点で「管弦楽法」が成立したかの線引きは、人によって判断基準が違うってことだろ。
楽器の性能が貧しかったモーツァルト以前はともかく、ベートーヴェン以降の誰がその始点になるかは諸説あるんじゃないのか。
ちなみにブーレーズは幻想交響曲の管弦楽法を高く評価しているしね。 >楽器の性能が貧しかったモーツァルト以前
まだこんな与太を信じている人が居るとは >>293
名前は売るための方便であって、初心者に興味を抱かせるために必要なだけ
それを初心者以外がいちいち真に受けるなってこと >>318
「名前を売るための方便」
ストラヴィンスキーは「春サイ」で充分に有名作曲家の地位を獲得
したと思ったが、まだ、自己PRをやり続けていたのかね?
どうもねぇ、 そこんところが悪癖みたいに思う >名前は売るための方便であって、初心者に興味を抱かせるために必要なだけ
ストラヴィンスキーがそう言ったのかね? >音楽は時間軸の中を鳴り響きながら運動する形式
ここで留めておけばいいのに
「タイトルで表現する」「売るための方便」「初心者に興味を抱かせる」などと
余計な注釈を付けてドツボにはまってるね あくまで参考だけど、先述の伊福部昭のコラムだと、
もちろんストラヴィンスキーの作品にも明確な題名のついているものがたくさんありますが、
題名は作者の音楽的醱酵過程の方便として時に必要な場合もあるので、題名があるから直ちに次元が低いなぞといっているのではありません。
要は何を表現するかではなく、いかに表現するかにあるわけです。
問題は少し違いますけれども、たとえば絵でいえば聖者を描こうが、「かつて娼婦なりし女」を描こうが絵としての価値にかかわりがないのと似ております。
https://www.akira-ifukube.jp/%E4%BC%8A%E7%A6%8F%E9%83%A8%E6%98%AD%E3%82%92%E8%AA%AD%E3%82%80/%E3%83%AD%E3%83%9E%E3%83%B3%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E3%81%AE%E5%90%A6%E5%AE%9A/
(改行はした)
となっているね
ホルストの惑星みたいなものかな?
各惑星の占星術的なイメージが創作の元になってはいるだろうけど、別に惑星やそのイメージを直接的に描写したってわけでもないよね A イメージが創作の元になってはいる
B 惑星やそのイメージを直接的に描写した
AとBは何を基準に区別すればいいんですか? >>326
区別付かねーよ
やるならこうだ
A 占星術由来
B 天文学上の知見由来 >>326
ベートーヴェンの田園やオネゲルのパシフィック231みたいに描写じゃないって言ってるならさておき、
ショスタコーヴィチみたいに、言ってないとか言ったうちに入らないとかのときに峻別できるのか?って話よね
伊福部昭の原文に立ち返るなら、Bは存在しえないってのが正解かな
「音楽が音楽以外の何ものかを表現し得ると考える初歩的な誤解」
ともあるし
あくまで原文に例示がないから、確認のためにとりあえずの具体例を挙げただけだから、別に俺がどういうつもりで書いたかじゃなくて原文に立ち返って考えてもいいよね?ってことで許して
なお、引用部分の最後にある娼婦だった人の絵と聖者の絵の話は、例じゃなくて比喩だと思う 実際に乱交セックスをイメージして作曲したら、いちいち「酒池肉林」とでも標題付けるのか?
何をイメージして作曲したかなんてどうでもいいわ
標題は興行主や出版社が初心者を釣るために付けた餌なんだから上級者が釣られるなよ >伊福部昭の原文に立ち返るなら、Bは存在しえないってのが正解かな
立ち返るならストラヴィンスキーの原文だろ
なんで発言の根拠が伊福部になるの カラヤンはいってるよ。
「ドビュッシーの海を指揮する時に実際の海なんてイメージしない」って。
そりゃそうだろう。
演奏する時に冥王星とか、田舎に着いたときのユカイな気分だとか、卵の殻をかぶったヒヨコなんて関係ない。
演奏に必要なのは書かれている音符と実際に出てくる音とどう向き合うか。
まあ、聴き手は自由に聴けばいいんじゃないか、道化師の朝の歌とか、バグダッドのお祭りで船が難破しようと
勝手に題名からイメージすれば。
だって、題名のない絶対音楽のシンフォニーからもある種のストーリーを作ってるじゃん。
「苦悩から歓喜」とか。
ピアニストのローゼンも「音楽と感情」という本の中で書いている。
要約すると「悲しい曲なんてない。聴き手が『悲しい』という感情を楽しんでいる。」 ストラヴィンスキーからどんどん離れていくばかりだな A 「私は、音楽は、その本質からして、感情であれ態度であれ、心理状態であれ自然現象であれ、何一つ表現することはできないと考えている。」
↓
B 「音楽以外の何ものも表現しない」「音楽が音楽以外の何ものかを表現し得ると考える初歩的な誤解」
AとBの間には飛躍があるとおもう
Aでは自分の考えが述べられているだけで その考えが正しいのか/間違いなのかは示されていないが
Bでは その考えが正しい として記述されている
Aは「私は…と考えている」 なので 「そうですよね」 とか 「立証できますか」 といえばよい
Bは「音楽以外の何ものも表現しない、と、私も考えている」 にするとよいとおもう 「音楽には、その本質からして、何かを、つまり或る感情、或る態度、或る心理的な状態、或る自然現象等々を表現する力はないと私(ストラビンスキー)は考えている。
…音楽が何かを表現しているように思われても、それは錯覚に過ぎず、現実ではない。
私たちが暗黙かつ年来の慣例によって、音楽にひとつのレッテル、要するにひとつの礼儀のように付与し押し付けてきたのは、単に付加的な要素であり、慣れや無意識から私たちはそれを音楽の本質と混同するに至ったのだ。」 なるほど。「音楽の本質」の話ということなら分かる
だから本人の言葉を早く出すべきだったのだ
「タイトルで表現する」「売るための方便」「初心者に興味を抱かせる」などは
「音楽にまつわる諸事」であり、「音楽の本質」とは別だ
それをまぜこぜに説明するから話がこじれたんだよ 音楽は標題を表現していない、ってことよりも、標題なんかなくったって音楽は何かしら表現してるよ、っていう言い方の方が好き。 春をイメージして作曲した曲からセックスをイメージするのは勝手ということ 春とセックスを結びつけるのはいかにも中国的発想だよね 春画はエロ画だしね
生贄は生娘と相場が決まってるしね
あれは初夜権を捧げてるようなもんだしね >>329
「標題は興行主や出版社が初心者を釣るために付けた餌なんだから
上級者が釣られるなよ」
↑
>>329 さんは「おぎゃぁ」と生まれた時から「上級者」だったの?
すっごいですねぇ・・・ 上級者は「おぎゃぁ」と出て来ないな
黙って歩いて上と下を指差す >音楽は何も表現しない。
>楽譜に記されている音符は、音符以外の何物でもない。
ストラヴィンスキーの作曲法が基本的にこうなら、「火の鳥」
「ペトロ―シュカ」はストーリイや舞台装置や舞踊に合わせて音楽が
後で作られたのではない、ということだ。
ストラヴィンスキーの話に基づくと、バレー曲の成立も、
作曲家が音楽を創る → 脚本家が筋書きを作成 →舞台装置、衣装、美術
→登場人物の舞踊化 →バレー曲の完成、
こういう順序になるよね。
これなら、ハイドンやモーツアルトの交響曲をバレー化することも
やれるわ。 >>339
どちらも反証できないので、そもそも意味のある主張じゃないと思う。 事実に関する命題じゃないので反証可能性を云々してもしょうがないと思うんだが 重苦しい曲を聞いて、人生の苦悩と感じるのも、便秘でウンコを絞り出す苦痛と感じるのも、聞く側の自由ですよ。 ミューズの神を率いるアポロが好きなんだが、ここのスレ住人のこの曲に対する思いを聞きたい。 アポロいいよねー。
ストラヴィンスキーの作品の中では今のところ一番好きだな。
簡素でアルカイックで、なんともいえない官能的な響き。
カラヤンのように麻薬的コッテリもいいし、近頃のピリオド風なアプローチもいいし。
最近のお気に入りはヤニチェクとヨーロッパ室内管、鈴木雅明とタピオラ・シンフォニエッタかな。 ミューズやアポロの話をするとキレる人が居るんですよ >>353
レスありがとうございます。
鈴木さんの演奏は未聴でした。こんな曲の録音もなさってたんですね、知りませんでした・・・
ヤニチェクの演奏は知ってましたがこれも未聴です。気にはなってるんですけど。
自分はどちらかといえばモダンオケ使った演奏が好みなので、往年の指揮者の録音をよく聴きます。
カラヤン、ドラティ、マルケヴィッチ、ムラヴィンスキー、アンセルメ、作曲者自演、マリナー、ホリガー等です。
>>354
な、な、な、何ですか?その恐ろしい忠告は・・・・怖いんですけど。(ガクブル・・・ http://www.msz.co.jp/news/topics/07503.html
M・エクスタインズ『春の祭典』
第一次世界大戦とモダン・エイジの誕生
バレエ『春の祭典』における〈死と生成〉
「バレエ『春の祭典』は戦争勃発の前年である1913年5月にパリで初演された。
反逆のエネルギーにあふれ、生贄となる処女の死を通して生を祝福するこの作品は、
生を求めようとして数百万もの優れた人々を死なせた20世紀をまさしく象徴する。
この音楽の作曲者ストラヴィンスキーがはじめこの曲につけようとしたタイトルは〈犠牲〉であった。」
(本書「はじめに」) >>356
作曲者は標題をつけているじゃないか、
自分でそんなタイトルつけていて、音楽は何も表現しないと書いたり
して矛盾だらけだなストラヴィンスキーは。 音楽に何か別の物事を表現する能力はないけど、
何かをイメージして音楽を作ったりすることは否定してないんじゃないの? だからタイトルは初心者を釣るための餌なんだよ
シューベルトの「未完成」みたいなもの 「春の祭典」という音楽で俺が表現しようとしたのは、まさしく「生を求めようとして数百万もの優れた人々を死なせた20世紀」だ。
このエクスタインズという人は俺の音楽がわかっているな。 初心者とか上級者とかは関係ないだろう。
>>358が言うように、作曲者は何らかのイメージに寄りかかって作っているよ。
その結果としての音楽が、何を表しているか、とは別のことだと思う。 作曲家がダイヤをイメージして作曲しても聴衆がウンコをイメージしたらそれまでの作曲能力だってこと >>364
特に作曲家がダイヤを思って曲を作らないでも、普通に音楽を聴いて
「うんこ」を連想する人はほとんどいませんよ。
日常的に「ウンコ」を食ってるとか、「ウンコ」の近くで生活している
人なんかいませんよね。
例えが良くない。 ヴェーベルンはアルプスの高山植物の花をイメージして作曲した
それを聴いたストラヴィンスキーはダイヤモンドを連想した
…と言えば半分位は当たってるはずw 現代音楽でうんこにインスピレーションを得て作られた名曲とかないのだろうか。 現代音楽なんてウンコだらけだろw
あの気持ち悪い陰気な曲は幽霊かゾンビでもイメージして作曲してんのかね? >>364
作曲の能力の問題ではないよ。物や音楽へのイメージって本当に十人十色。 当初、ストラヴィンスキーは「春サイ」を「犠牲」と名付けたそうだ。
古代のロシアの大地で行われた原始的な儀式をイメージして曲を作った
そうだ。
彼自身が描いた「犠牲」のイメージで曲を創ったのか、ディアギレフの
示唆を受けながら曲を作り上げて行ったのか、わからない。 >>356にすでに書いてあるよ。それは、第2部のタイトルになって残っているね。 >>375
第一次大戦の犠牲者が多数出る前に「犠牲者」をテーマにした
音楽を書いてしまったんだね?
「春サイ」は大戦前の作品だったら、そういうことだ。 犠牲(生け贄) sacrifice
犠牲者(災害の) victime
訳語が似ているだけで全然違います ランベール・ダンス・カンパニー
ストラヴィンスキー:バレエ「プルチネルラ」「兵士の物語」 [DVD]
これ観た人いる? >>380
victimeじゃなくてvictimでは? 広島の犠牲者に捧げる哀歌は?
タイトルなんてそんなもん。 でもレイキチスのピアノ編曲版の譜面では英訳に「sacrifice」と「victim」が混同されてある /⌒彡:::
/冫、 )::: 春サイか・・・
__| ` /:::
/ 丶' ヽ:::
/ ヽ / /:::
/ /へ ヘ/ /:::
/ \ ヾミ /|:::
(__/| \___ノ/:::
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/ y ):::
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( く::::::::
|\ ヽ:::::
| .|\ \ :::::
\ .| .i::: \ ⌒i::
\ | /:::: ヽ 〈::
\ | i:::::: (__ノ:
__ノ ):::::
(_,,/\ >>356
こじつけやろ
原始宗教の祭りをイメージした曲
文化人は何でも都合よくこじつけてどや顔するからなぁ 「春の祭典」は自己崩壊させた作品だった
あれを越えては進めない曲を作った。
作曲家には、俺は究極の音楽を創りたいという願望を持つ人がいる。
ワグナーとかドビュッシー、
こういう作曲家は、結局は行き止まりを作ってしまう 話題の映画「ミッドサマー」はどうやら「夏の祭典」らしいね 「ミッドサマー」と「春祭」の関係を確認したいところだが、ウイルスのせいで行けない ディアギレフとストラヴィンスキーの間がらって、どうだったのだろう? ディアギレフが兵士の物語の成功に嫉妬したりで大変だったんだよなw ディアギレフは独占欲が強く、人格的に大いに問題ある人だったようですね
彼のために、ニジンスキーは精神を破壊されてしまう
周囲の関係者は不運になる フォーキンへの嫌がらせも酷い
知れば知るほど胸糞悪くなる 「赤い靴」という映画のレルモントフ団長はおそらくディアギレフがモデル
レオニード・マシーンが出演しているのが見所 ●フジコへミングの7つのヴェールの踊り
宇野功芳はフジコへミングに舞を所望する。
フジコへミングはそれに応じようとしないが、宇野功芳が褒美は何でもほしいものを与える、と持ちかけたため、
フジコへミングは裸身に7枚の薄いヴェールを身につけて踊り始める。
官能的な舞が進むにつれ、ヴェールを一枚ずつ脱ぎ捨ててゆくフジコへミング。
宇野功芳は激しく興奮し、やがて舞を終えたフジコへミングに何が欲しいかと尋ねる。
フジコへミングの答えは、銀の大皿に載せた辻井伸行の生首。
さすがに狼狽した宇野功芳は代わりのものとして宝石等ではどうか、と提案するものの、フジコへミングは頑として合意しない。
騒々しい大音響が響き、首切り役人が銀の大皿に乗せた辻井伸行の生首を持って現れる。
フジコへミングは狂喜してそれを掴むと、お前は私にくちづけさせてはくれなかった、だから今こうして私が・・・
と歌った後、恍惚として辻井伸行の生首にくちづけする。
そのさまに慄然とした宇野功芳はフジコへミングを殺せと兵士たちに命じ、フジコへミングは白眼をむいてその場で死ぬ。 ゲルギエフ、マリインスキーバレエの春祭を見た
ニジンスキーの振付はよくわからんね 同じく火の鳥を観た
こっちは素晴らしい
フォーキンは天才 >>418
大したストーリーもないし、意味はないと思うよ。俺は好き。
>>419
あれはカスチェイと手下たちのコスチュームがださくてちょっと萎える。 ニジンスキーの振付は斬新な部分もあるが、全体として出来が良くない
作曲者が不満を述べているのも納得いった次第
衣装はとても良い
作曲者が褒めたマシーン版の振付が観たいね コリン・デイヴィス、コンセルトヘボウwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
フィリップスの未開封版が100円で売られてたわwwwwwwwwwwwwwwwwwww
やっぱ、あれか?DECCAになったらフィリップス版はとことん価値が下がんだなwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
あと、フィリップス未開封100円セール、イムジチの『四季』、クラウディオ・アラウのブラームスピアノ協奏曲とか、ま、要らねえ、マリナーのモーツァルトシリーズ、ムローヴァのシベリウスとかwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
誰も買わねえわwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
マジで要らねえwwwwwwwwwwwwwwwwww
コリン・デイヴィスの「春の祭典」も駄版だしなwwwwwwwwwwwwwwwwww
コリン星にでも行ってろwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww コリン・デイヴィスが、すでにコリン星に行っちまってたかwwwwwwwwwwwwwww つべでテオドール・クルレンティスとムジカエテルナの春の祭典を聞いたんだが、
最高とかチョーイイネとかはないけど、悪くはないな
というかこのコンビの録音の中だと最良なんじゃないか?www
なお結婚は…… クルレンツィスの春の祭典は作り込みが甘くてあんまり好きじゃないな
結婚のほうが迫力があって好き 「結婚」面白いな
カップリングのチャイコンの方が衝撃的だが 10年ぶりぐらいでアゴン聴き直したらすごくいい曲だったw
なまじ聴きやすい曲だからついボーッと聴いてたんだな… ピアノ版春祭は前にBSでアリスの演奏みたけど、すごいぶったたきの連続で、ピアニストの手も鍵盤も
壊れそうで気の毒になってしまった。
管弦楽にはない面白さはあるが、あれをみてしまうとあんまし演奏してほしくない。 リュビモフ&ズエフのデュエットはぶったたきじゃないよ
非常に精密な演奏 おい、クソゴミwwwwwwwwwwwwwwwwwww
テメーらゴミに教えたるwwwwwwwwwwwwwww
ストラヴィンスキーは、作曲家でもあるがピアニストでもあったwwwwwwwwwwwwwwww
そのストラヴィンスキーは、スクリャービン生前のピアノ演奏を見て「誰よりも圧倒的だった」と驚嘆しているwwwwwwwwwwwwwww
ちなみに、そのスクリャービンが嫉妬するほどの技巧を持ち、追いつくために猛練習したスクリャービンを左手麻痺に追い込んだ天才ピアニスト、それがジョセフ・レヴィーンwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
ストラヴィンスキーはスクリャービンの作曲家としての能力を評価してないみたいだが、「火の鳥」には、スクリャービンの「プロメテウス」からの引用が多くあるんだけどなwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww ま、左手も右手も、どうでもええわwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
分かるだろ?wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
枝葉末節だwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww 今朝のFMで聴いた、「交響曲」「エボニー」
どっちも退屈だな カラヤン/フィルハーモニア管の「カルタ遊び」が名演。録音もいい
1953年英EMIモノラル 三大バレエ以外は聞く気がおきない
どれもつまらない作品ばかりだもの 火の鳥なんか結婚の足元にも及ばないのに三大扱いされてもねえ 初期三大バレエ
中期三大バレエ
後期三大バレエ
で売るほうがよい 作曲者80歳を記念する上演がハンブルクかどっかであって、
アポロ、オルフェウス、アゴン
の3本立てだったそうだ
ギリシャ三大バレエですな その三曲DVDで出してくれんかな
一枚に収まるだろう 遅まきながらボリショイバレエの火の鳥とペトルーシュカを見た
アナニアシヴィリの火の鳥は流石
カスチェイはこれがベストだな しかし「火の鳥、ペトルーシュカ、シェーラザード」の組合せが謎
最後が春の祭典なら映像の決定盤になったはずだ ペトルーシュカと春の祭典ってバレエでカップリングされること少ないね バレエ団てその2曲を別メンバーでやるくらいの人は居るもんなの? デカいところはね。
小さいところはヘトヘトになるメンバーもいる 負担の大きい役
火の鳥:火の鳥
ペトルーシュカ:ペトルーシュカ
春の祭典:乙女
ペト&春祭を一公演でやるのは問題ないように思う >>464
今でもそんなに高く評価されてるわけでもなさそうだけど
悪口しかなかった昔に比べれば大分ましなんじゃね?と思う
個人的には結構好きだ ダンバートン・オークスみたいなのをたくさん書けば良かったのに 三大バレエが存在感ありすぎてどうしても光があたらない。いい作品はあるのに。
最近聴いた実演だと、プルチネルラ、兵士の物語、弦楽のための協奏曲。どれもよかった。
日本の団体もみな保守的すぎて、室内オケ編成でもドイツ古典中心にやる傾向が強いからなあ。 ポリティカル・コレクトネスで「ムーア人」がNGワードになりそうだな >>475
人気ソリストさえ呼んでくれば
ムーヴメンツでもカプリッチョでも客は来る ストラヴィンスキーの曲を世界に知らしめたのがアンセルメ
ところがあることが原因で不仲になったのは有名な話 >>480
>ストラヴィンスキーの曲を世界に知らしめたのがアンセルメ
ディアギレフだよ
>あることが原因で不仲になったのは有名な話
なんでもかんでも「〜なのは有名な話」で文章を〆るのは、
お前のいつもの悪いクセ トスカニーニはストラヴィンスキーが大嫌いだった
例の有名な逸話がある >>1
政治家逮捕とかみてると
日本人十中八九、コーネリアス以下の徳性・知能だろうな
だからサクラの下では飲めや歌えや春の祭典 「春の祭典」はオーディオ仲間にとって最高の試聴ディスク
その年度ごとに優秀録音を比べたもんだ ショルテイ、シカゴ響の新盤が発売されたとき
レコ芸の評論家は大絶賛、録音部門の批評家も文句なしに推薦していた 指揮のマネで良いから出来るようになりたいんだけど難しいね。 ちょっと軽いけどね。
ショルティの春の祭典なら、RCOとのライヴ録音の方が好き。 バーンスタインLSOの演奏も相当な重量感。重厚とはちょっと違うかな? 初演のときの大騒ぎってどんな感じだったのかな?演奏中にブーイング? >>491
だいたいこんな感じだったのではないかと。
Riot at the Rite
https://youtu.be/JcZ7lfdhVQw 久石のハルサイは、はっきり言ってブーレーズを超えた >>492
ありがとう!こんな素晴らしい映像作品があったんですね。最後に拍手が起きたというのは
史実通りなんでしょうか?バイセクシャルとか統合失調症とか全く知らなかったので驚きました・・・。 春の祭典の初演は文章から想像するしかないが、
ヴァレーズの砂漠の初演の録音は残っている。
その内容が凄まじい。
指揮はシェルヘン。
最初は大人しく聞いていた観客も電子音のパートで笑いが起きはじめ、
その後は罵声、拍手などがわきおこり、カオスな状態になって行く。
春の祭典の初演もこんな感じだったのだろうかと思わせる。 >>496
芥川也寸志が「音楽を愛する人に」の中の春祭の項で、同じことを書いている。
実際にNYフィルの定期演奏で砂漠を聴いたとき、途中から聴衆の非難の声がすごかったらしい。
そのときの指揮はバーンスタインだったそうだから、初演ではなかったんだな。 ひとまず聴いたあとで自分の意見を言うなら分かるけど、演奏中に邪魔するってひどいな。 別に邪魔しているわけではない。
リアルタイムに反応しているだけで。 >>498
芥川はその項でこうも言っている。
お行儀の良い日本人には想像できないかもしれませんが、ってね。 CDなどの録音物だと、ああこれはダメだわと途中で再生を止めたり、口に出して文句を呟いたりすることってあると思うけど、
それを演奏会でやろうとすると途中退席や非難を口にすることになるんだろうよ
というか第一印象が悪いと、そのまま聞いてても、良い印象に転じることってそんなにないと思うんだよな 「春」とは売春の春。つまりセックス
春の祭典とは乱交セックスという意味
性の解放前の時代にそんなテーマの舞台が騒動になるのは当然
曲が過激で騒動になったわけじゃない 春の祭典は、デュトワ&モントリオールが好みじゃな。
Stravinsky: Le Sacre du Printemps - Part 1: L'Adoration de la Terre
https://youtu.be/n3O-3rsBJHg
オカルト板で音楽を語る 3
http://itest.5ch.net/mao/test/read.cgi/occult/1578722891 >>505
デュトワ・モントリオールはいいね。俺も気に入ってる。 バイオリンは大変そうだからティンパニをやってみたいけどやっぱり大変そう。 ここで知って久石のハルサイ聴いてみた。
まず初っ端あれピッチが、と思って測ったらA=446Hzくらい。
普段クラシックは昔の録音ばかり聴いてるから
不思議な感じだったけど
カラヤン以降最近はこの位まで上げることもあるみたいだな。
勉強になりました。 昔と今でそんなにピッチが違うと、調性感も変わって来ちゃうのかな? 絶対音感持ってる人でも無い限り、
聴いている内に基準がリセットされるから違和感も薄れるだろうけど、
楽器によっては(特に管)、あるいは奏者の持っているピッチ感によって
高ピッチに対応し切れるのか、他人事ながら心配になりますw カルタ遊びって大した曲じゃないと長年思ってたけど
久しぶりに聴き直したら結構面白かった
まあ重量級の曲でないことは確かだけどな 重量級の曲を聞きたいってなったときにストラヴィンスキーの曲を聞こうってなることがそもそもないな 21世紀にはストラヴィンスキーの全作品が一般常識になると信じていた
ここまで時代が逆行するとは思っていなかった ストラヴィンスキーは大体全曲音源持ってるくらい好きだけど、
最初はクレイジーキャッツやなんかのコミックソングの延長として聴いていた。
延長というか大元なんだけどw 今世紀でストラヴィンスキーが理解されるようになるのは無理だろう
ドラえもんの時代を待つしかない ストラヴィンスキーがN響で自作を指揮したときに、あまりにもヘタクソだったので「この曲は今や管弦楽のスタンダードナンバーなのだ。それを弾けないなんて恥ずかしいと思え」と怒ったとかなんとか。どの曲かは忘れたけど。火の鳥かな? 自作の曲を「スタンダードナンバーだ!」と言える作曲家ってなかなかいないよな ってハナシ >>522
たぶん英語でいったんだろうが、楽員たちその場で理解できたのかね。 >>522
火の鳥のあるパートをフルート奏者がどうしても吹けないので諦めてスコアを書き換えたそうです。怒るというか呆れたというか。冷房もまだないくそ暑い中、時間ギリギリまで厳しいリハが行われたそうです。奏者で参加した岩城さんの著書よりうろ覚え。 こんな機会も滅多にあるまい、どうせ旅行ついでの顔見せ公演だからリハーサルも緩いとオケメンバーに混ぜてもらった岩城さんと黛さんだったが、ロバート・クラフトによる前練習から御大の時間ギリギリまでみっちりシゴかれたらしい。黛さんも自作の演奏はこんなにベストを尽くさんといけないのかと肝に命じましたとさ。 来日時に武満以外に町のチンドン屋をいたくお気に召したストラヴィンスキー。なるほど、兵士の物語とかクラシックでも現代音楽でもジャズでもない謎の音楽はそこから来ているのか(^O^) N響の演奏は万全ではなかったが、最終的にストラヴィンスキーは満足して帰ったとも書かれているね。
>>526
ストラヴィンスキーの来日は4月だけど、そんなに暑かったの? >>531
確か汗を垂らして熱血指導と読んだ気が....
ゴールデンウィークですよね(^^; >>526
当時のN響のフルートってトップは吉田雅夫じゃなかったのか?
吹けなかったのは彼なのか、2番3番奏者なのか… トップは吉田雅夫だよ。
誰が吹けなかったか、そんなこと知ってどうしたいの? エスパーだけど、その吉田さんが吹けなかったとは思えないって話じゃない? イベールや尾高のコンチェルト初演者が火の鳥を吹けないことがあるのかな 録音を聴くとN響の名手たちがことごとく失敗してるし、世界的な作曲家を前にみんなガチガチに緊張していたのかもしれない。 自作自演ボックス(56CD+DVD)が、4600円代ってとんでもないな。
少しずつ聴いているが、コクトーの声ってなんか気持ち悪い。 来日してもドン・ジョヴァンニを見るストラヴィンスキー
(歌舞伎とかも見たんだろうけど) 武満徹を世界に紹介したのもストラヴィンスキーだからな 「管楽器のためのシンフォニーズ」
「管楽器のための交響曲」
と書いてある本は買ってはいけない 終結部のコラールをハーモニウムでやってるCDを買ったんだが
めちゃイイね! ・∀・)=b 交響曲が3つあるけど、オススメのCDがあれば教えてください
まだブーレーズしか聴いてないけれどカッコよくて惚れました >>554
ブーレーズでいいと思うけど、「三楽章の交響曲」のおススメはサロネン
この人のストラヴィンスキーはホントにカッコいい >>555-557
ありがとう
三者とも聴いてみます サロネンは90年代に録音したドビュッシーもバルトークも好きなんですよね
軽過ぎるとか冷たいとか言われてるけど、そこがいいじゃんって
確かにストラヴィンスキーにはピッタリかも ではぜひ聴くべき
たしかにやや細身のクールなサウンドかもしれないけど、
鋭利なリズムの心地よさはそれを補って余りある
同時期の「春の祭典」も素晴らしい >>554
自分もサロネン、デュトワ推しだがアシュケナージも良いと思う
(サロネンがバックを付けた協奏曲もいい)
ブーレーズ盤は詩篇交響曲に編集ミスがあるのがなあ >>564
ありがとうございます
アシュケナージ、これは良いですね
ギーレンは自分的には、やや重厚過ぎる気が…
しっかり聴いてみます
あと昨夜色々聴いた中ではマイケル・ティルソン・トーマスも好みでした >>564
変ホ長調はアシュケナージのものが整っていて好き
とてもいい曲なのに演奏機会も録音も少なくて残念だ アシュケの春祭が廃盤久しく手に入らない(ピアノ版じゃなくオケ版の方ね) ベルリンドイツ読みアイスランドでホレホレしようとしたら無いでやんのwww
ただオクタヴィアレコードショップにはあるみたい
https://octavia-shop.com/shopdetail/000000000707/
なので、タワーレコードやHMVでも取り寄せにはなっているものの、買えるんじゃないかなと予想
ちなみにベルリンドイツの方はダウンロードならプレストにあったよと報告 >>565
MTT指揮の交響曲集ってCDで出てる?あればほしい
ハルサイは言うまでもない名盤だけど >>569
Sonyから出てるよ
詩篇、変ホ長調、三楽章
いつものMMT節でとても良い >>570
HMVのサイトで検索したが出てこなかったから廃盤なんだな 中古ならディスクユニオン、アマゾン (マーケットプレイス) 、メルカリなどにあるみたい
あとはダウンロード限定のサンフランシスコ響との詩篇・3楽章もあるみたい
https://youtu.be/ZiBU4697_gg
https://youtu.be/flYaSD761HQ
ハ調の代わり?はカンティクムサクルムが務めてる
https://youtu.be/wsz_c62c5SQ >>571
CDは輸入盤2種、国内盤もある
尼のマケプレにはあるが高いな ごめんなさい、MMTのは変ホ長調じゃなくてハ調ね
でもハ調はどうして人気ないのかな?
ブーレーズも録音しなかったし 今ならヤフオクに輸入盤、メルカリに国内盤が出てる
そんなに高くない >>574
ハ調は俺も好きなんだが何か悪口言われやすい曲みたいだな…
実はその昔柴田南雄がこの曲を悪く言うので、ああこれ聴かなくていいや
と思い込んでしまって、デュトワで開眼するまで時間を無駄にしたw 火の鳥は1919年版、ペトルーシュカは1947年版が好き
ハルサイは数が多くてわからん たまに聴きたくなるけどね
2、3回聴いて満足してやっぱりオケ版がいいなってなる
バルトークの不思議な役人のピアノ版も同じ 火の鳥のピアノ版はなかなか好きだけどね
そういやアゴンのピアノ版もあったな ハルサイ連弾版は弾いて楽しむもの
火の鳥ピアノ版は作曲家のピアノロール版が最高
ただしコンドンコレクションとかはダメ
どのレーベルだったかとにかくピアノの音がそれっぽいやつ
古くても 春の祭典のピアノデュオ版はドーヴァー社から出てるものが、初期稿の面影を遺していて面白い 火の鳥の昔ヤマハの自動演奏ソフトから出てた
作曲家自演版フロッピーディスク持ってる
他ラヴェルやらドビュッシーやらいくつか
自動演奏ピアノは持ってないのにw
たまに他人んちのピアノプレイヤーで聴くと面白い 考えるに
一応ピアノロールに本人の録音はするが
穴開ける職人がかなり修正してるんじゃ(若しくは作曲家の忠実な指示)
(そんな風なことも自伝に出てたような)
そもそもの目的が録音(記録)というより楽譜の演奏再現にあるような
だから機械がやる超絶技巧
それでもストラヴィンスキー独特のリズム感が出てるから
何とも微妙な何とも言えない
それも含めて面白い コンドンしか聴いたことなかったな
他にも存在するんですか 「放蕩者のなりゆき」が一番いいな
飽きない
他は飽きたり退屈だったりまだまだ未完成と感じたり
なんてな、好きな曲はいろいろあるけどあくまで放蕩者を持ち上げる極論として 確か放蕩者のなりゆきのロックヴァージョンみたいなのが1960年代に作られて、
ストラヴィンスキー自身も「台本は元より良くなってた」みたいな事を言ってたと思うんだが、
どこかで聴けるのだろうか。 レコ芸の「今世紀のピアノ名盤」特集で、ハルサイのピアノデュオ版が流行りだと知った
そんなにいくつも録音がリリースされてたのは、全然知らなかった
ともかくアムラン&アンスネス盤を聴いてみようと思うが、他におススメありますか?
録音は今世紀のものじゃなくても デュオ版であればLUBIMOV&ZUEV盤に止めを刺すと言えよう サンクス、モスクワ音楽院のレーベルなのか
入手難しそうだな とりあえず>>594のアムラン盤を聴いてみた
鋭い軽さが特に変拍子のとこで心地いいね
オケを上回るこの俊敏性はたしかにクセになるかも ストラヴィンスキーとドビュッシーの幻のハルサイ連弾聴きたい 春祭、デュオ版ではないが、ファジルサイの多重録音CDを
専ら聴いている。楽興の時がある。 >>600
2人のピアノロールやら聴いたり
あとはとにかくイメージするだけで何かが湧き上がる 「春の祭典の」ピアノロールは残ってないでしょ
それぞれの自作自演のことでは ttp://twitter.com/yasu_f18/status/1334304640536465409
|Yasuaki Fukuhara 福原 泰明:僧侶兼打楽器奏者@yasu_f18
|「既存の曲にただそのまま『きよしこの夜』の歌詞を貼り付けただけ」というアメリカの超適当インテリア製品、
|この度まさかのストラヴィンスキー「春の祭典」に貼り付けたものが出ました
|ttp://pbs.twimg.com/media/EoRm_2oUwAAIJBR.jpg
歌詞は「きよしこの夜」ではなく「さやかに星はきらめき」らしいが、
どっちにしても生贄の踊りの節で歌わせようというのはいろんな意味でムチャすぎるw
いくらどっちも季節の変わり目のお祭りだとは言えw
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) お前ら弦楽四重奏のコンチェルティーノ聴いたことあるか?
マジでやばい!こんな曲あったのか!ってくらい最高な発見した。
何もかもがドライでクール!
いやー、ストラヴィンスキーは春祭だけで語っちゃいけない天才だよ いまさらすぎるぜイーゴル
春祭は相撲でいったら序の口なんだぜイゴール 三つの小品が好き
ストラヴィンスキーには弦楽四重奏曲をもっと沢山書いてほしかった バルトークの弦四のカッコいい楽章に似てる
4番の終楽章みたいな 過疎ってる時にでも番付をさらっと決めてみる?
全曲を完全に階級分けするというよりは、各階級ごとに何曲か決める感じ
>>609
わかる コンチェルティーノは弦四と12楽器とどっちがいい? うーん、甲乙つけがたいけど、自分は弦四かな
管が入ってくると、新古典主義のストラヴィンスキーの風味があってある意味予定調和的な感じがするけど、
弦四だと一種異様な感じがずっとして引き込まれる
もう出だしの病的な上昇フレーズからやられたし、弦の渇いたオスティナートもグッド 弦楽器の使い方がいつも巧みだね
注文さえ来ればもっと四重奏を書いたんじゃないか >>614
管楽器だと響きが溶け合うのが却ってマイナス
角が取れちゃう感じ
スレ違いだけどラヴェルの「古風なメヌエット」も同じ問題がある
原曲のピアノ版の方が響きが硬質でカッコいい
オケ版は何だかぬるい シンプルな編成の方が響きが先鋭に聞こえるという点はまさにハルサイのオケ版とピアノ版の違いがそうだろう 12楽器に1票
管楽器がある方がリズミカルに感じるってだけだけど
でもまあ確かに甲乙付けがたいなあ、どっちにもそれぞれの良さがあると思う
>>617
コンチェルティーノに関してだけいえば、編成や大きさというよりストラヴィンスキーの志向の変化の方が大きい印象
根本的な方向性が変化してるのかも
仮に、もしも12楽器と弦楽四重奏版と作曲順が逆だったら、12楽器の方が尖ってた可能性は十分あると思う
ここで試しにカルテット版と同じ年に作曲した管楽器の(ry と比較してみると、
12楽器もあれも管楽器主体でかつ、あれは楽器の数は12より多く、楽器の種類は12楽器と同程度 (1947年改訂伴奏) か多い (1920年版) くらいだけど、
個人的には12楽器よりあっちの方が尖って聞こえる コンチェルティーノも15奏者のための8つのミニアチュアも
3大バレエなどと比べたら真価を問えるほどの録音数ないやん
Sonyの自演集は参考程度にしかならんし。
ダンバートンの2台ピアノ版だとなんやらミニマルミュージックを
予感させるような雰囲気で良いのだが
自演録音の終楽章なんぞホルンが高音をハズしまくっていたり。
録音が少ない曲ほど概ね演奏で損をして後に繋がらないでいるケースが多々ある 録音された演奏でも生演奏でもかまわないが
コンポジションはリアライズする必要があるからな。
楽譜だけ見て脳内でリアライズできる人はその必要はないと思うけど。 大雑把に言ってだが、大勢の演奏家がいろんなアプローチで手掛ければ
解釈が深まるとか意外な威力が発見されるとかの機会も増えるだろう。
過去数十年の間にブルックナーやマーラーの交響曲、シューベルトの
ピアノソナタに起こったことがそれだ。 春祭だってブーレーズの整然とした演奏が知られるまでは
ただ野蛮でメチャクソな曲という初演の騒動を背負っていただけの
認知度だったわけだしな 既に人気も知名度も十分あったしメチャクソとも思われてないでしょ
見直されるきっかけになったことは否定しないけど 宇野は三大バレエ以外ではV協だけについて評価するみたいなことを言ってたが
他の曲をどの程度聴いていたんだろうか ペトルーシュカと春の祭典が出た後では火の鳥は新鮮味が無い二大傑作だとか書いてて
はあ?アホかと思った 功芳がVn協を評価していたこと初めて知った
ちょっと意外 >>637
組曲版は普及と作曲家の生計を助ける歴史的意味はあったが現時点で聴く意味は無い
全曲版(原点版)が至高 >>639
組曲版っていうより省エネ版だな、ありゃ。
しかしコロナのせいで原典版は当分上演が難しく、再び組曲版のほうに脚光のあたる日がやってきたような。 コンチェルティーノやVn協まで来てまた火の鳥原典版ですか
振出しに戻るですね 何その嫌味ったらしいの
マウント取りたいの?
単にいじけてるの? ハルサイのベストワンてどれだと思いますか?
私の中では、ロバートクラフト&ロンドン響
なんだけど。 ロバートクラフトのLSOの春祭はコッホint原盤なので
ナクソスからCDが出ているけど音源自体はユニバーサルの手にあると思う
フィルハーモニアとの再録はナクソスオリジナル録音だと思うけど
LSO(旧盤)のほうは品切れしたら再販ないのではと邪推。 >>645
個人的には最初に聞いた、
ヴラディーミル・フェドセーエフ/モスクワ放送交響楽団 初めて聴いたのは、小澤&ボストン。
悪くないと思うが、評判良くない。 初めて聴いた演奏はよく覚えとらんが
初めて買ったのはドラティ&デトロイト盤だった
でも2枚目に買ったアバドLSOのその上をゆく
ド迫力と精緻な技量を兼ね備えた演奏が決定盤になった。 初めて聴いたのはfm東京で新譜紹介やってたときのショルティ&シカゴ。
ぶったまげた。 自分のベストはサロネンの旧盤
ティルソン=トーマスも好き、どちらもカッコいい カラヤンは変拍子をてきとうにふっていて
ベルリンフィルがやけくそ空中崩壊すんでになってる。
holger matthiesのジャケは最高だが 俺も最初の三大バレエはドラティ、デトロイト響だった。
宇野もクラシック初心者の新書でこの演奏をあげてた。
当時は著者をまともな評論家だと思って読んでたので嬉しかった。 マルケヴィチのワルシャワ・ライブ。
いい録音状態で聞きたかった…。 >>659
あれはあれでいい
録音状態の悪さが、異様な雰囲気や迫力を生むことあるよね
もちろんその悪さの質にもよるけど >>660
まじに?再禄は帝王の芸風に変えてみたとか…
>>658
ドラ・デト盤はCDが登場する前のデジタル新録音アナログ盤として
話題にされていて、当時はコーホもレコ芸の月評担当していたし
ひとかどの見識ある評論家だったと思うよ。
著作は読んでないのでなぜ2ちゃんの頃から現在までネタにされてるのか知らんけど
演奏の良し悪しなんて最終的には聴く本人が決めればいいだけであって
評論家を敵に回しても何も始まらんと思う。 ロバート・クラフトはセントルークス管とも録音してたね
ちと荒っぽい大味な演奏
これが彼のストラヴィンスキーシリーズの一作目だったけど途中でレーベル変更が入って
また一からやり直した
初体験はメータ/LAPOだったがこれは今でも素晴らしいと思う メータ/ロスにはミニァチュアーズが入っていて良いね。
最近のCDにはぺトが加えられて影が薄くなったが
MTTも星の王といった当時ほとんど録音されてない曲を
フィルアップしたりと指揮者の美観が問われたりしたもんだが
CDになってからはだいたいハルサイにぺトというありきたりな選曲よね。 「美意識」とか「見識」だろ
美観を問うてどうする
c/wペトルーシュカもありきたりだが
クルレンツィスや久石みたいに春祭だけよりはマシ ヴァシリー・ペトレンコ「春の祭典にドビュッシーとラフマニノフをカップリングしたのに呼ばれた気がした。ちなみにペトルーシュカも好評発売中。買ってね。」
キリル・ペトレンコ「『ペト』としか書いてないし、私の方かも。ブンデスユーゲントと春の祭典をやったときには別にペトルーシュカやらなかったけど。」
ミハイル・ペトレンコ「いや間をとって私のかも。そもそも歌手だけど。」
どうでもいいけど、上の3人のうちの誰か結婚の盤を出さねーかな (ただの願望) 旧録コンピ2枚組で1枚目に火の鳥全曲、2枚目が春とぺトレンコ
もといシカならまだわかるが
ナントカ3部作でないだけに極力一緒にしないほうがいい。
その点でデュトワの管楽器のryのフィルアップは曲の雰囲気からして
まったくもって素晴らしい選曲。こういう組み合わせこそストラ美なんである。 Iror Stravinsky Edition / イーゴリ・ストラヴィンスキー・エディション【輸入盤】
CD輸入盤
2021.03.12 発売/9029.514093
ストラヴィンスキー没50年!
主要作品、あまり演奏されない作品、トランスクリプションから、自作自演による歴史的録音を収録した記念BOX
https://wmg.jp/discography/24058/ 日本国内の話だと戦時加算も関係あるかも
ストラヴィンスキーがフランスの市民権を得たのは1934年 (日本と連合国との戦争する前) だし影響あるんじゃないかなあ
逆にアゴンやレクイエム・カンティクルズみたいな戦後の作品は関係ないはず 皆さんの投稿に刺激されて、自分の愛してやまないストラヴィンスキー作品を選出してみたが。
どんなに切り落としても20も残る、底抜け的選出に。
火の鳥も、プルチネッラも、放蕩児の遍歴も、エボニー協奏曲も、管弦楽のためのエチュードや変奏曲を落としても!
なんて、興味深く、ヴァラエティー豊かな、素晴らしい作品を、この世に残してくれたことか。
20世紀にストラヴィンスキーがいてくれて、本当によかった。
神さま、この世にストラヴィンスキーを遣わせてくれて、ありがとう。
・ペトルーシュカ(Petrushka)
・カンタータ『星の王』
・春の祭典(Le sacre du printemps)
・弦楽四重奏のための3つの小品
・結婚(Les noces)
・猫の子守唄
・管楽器のための交響曲
・弦楽四重奏のためのコンチェルティーノ
・ミューズを率いるアポロ(Apollon musagète)
・妖精の接吻(Le baiser de la fée)
・詩篇交響曲
・ヴァイオリン協奏曲
・ミサ曲
・3楽章の交響曲
・オルフェウス(Orpheus)
・古いイギリスの歌詞によるカンタータ
・七重奏曲
・アゴン (Agon)
・ピアノと管弦楽のためムーヴメンツ
・レクイエム・カンティクルス
(現時点自選) ・管楽器のための交響曲
そろそろ呼称を直した方がいい
このsymphoniesは「交響曲」ではなく「合奏曲」 >675
通りの良さで前記としましたが、本来はおっしゃるとおりです。
>676
あまりに魅力的な作品が多くて。。。
ナイチンゲールの歌も、ダンバートン・オークスも、エディプス王も、4つのロシア農民の歌も、サーカス・ポルカも。。。
「ペトルーシュカ」からの3楽章や、放蕩児の遍歴さえないのです。 「合奏曲」だと「コンセール」やん
>>668
旧EMIとテルデックの詰め合わせか ブーレーズのエラート音源が含まれるのが
魅力だが、ユニバーサルのかき集めた全曲集に比べたら中途半端で勝負にならんかもな
後半のヒストリカルだけ欲しい人、または前半のステレオ/デジタル録音集成だけで
良い人にとっても帯に短し襷に長しなボックスになった…
ワーナーはHMV、PYE・NIXAの現存してる板起こしにいそしんでほしい。
ジャック・ブライマーが吹いてる「兵士」なんかも眠っているはず… >>678
値段も安いようだし、新しめの音源で主な曲は揃うから、
ストラヴィンスキーのCDを持ってない、これから聴きたい人にはちょうどいいかも
ある程度音源持ってて聴いてる人には、魅力は薄いだろうけど アゴンはロスバウト盤が良い
1957年の録音だがAdesの復刻CDは鮮明な音質のステレオ
DGの復刻はモノラルらしいが聴いた事が無いのでコメントできない >>679
ビギナー向けと貴重なヒストリカル録音集は分けた方が良かったかなと
そこに収録されてるストラヴィンスキー本人以外の奏者によるmonoのストラヴィンスキー録音は
まだ眠ってるはずだから。売れ行き次第でこのまま終わっちゃうか
さらに充実した古い録音集成が出るかがかかってる気もするわけで… >ナイチンゲールの歌
これもおかしい
中国(と日本)の鶯の話だから「うぐいすの歌」が正しい
実際そういう表記だったのをどっかの馬鹿が変えてしまった >>678
バロック時代のサンフォニーの意味を調べよ 言いたいことはわかる、厳密に言えばそうなんだろうけど
バロック時代のシンフォニア(伊)/シンフォニー(英)/サンフォニー(仏)
を交響曲と訳すのは間違ってると言われても C.P.E.バッハの交響曲集とか違うだろって思うけどね ナイチンゲールはサヨナキドリもしくはヨナキウグイス、墓場鳥のことで
日本のうぐいすと混同しないための訳。
こちらも曲の内容は考慮してないただの直訳。 つまり内容を把握した正しい意訳だったものを
馬鹿が辞書だけ見て誤った直訳に変えてしまった >>685
難しいもんだ。ソナタといったカナ3文字程度に収まる場合は
そのままカタカナ表記だったりするが
コンチェルトだのカプリッチョだのとそれ以上に長い名前になると
〇〇曲といった漢字3文字をあてる難儀な言語の国
さりとてヴィヴァルディのシンフォニアは交響曲とは絶対に表記しない。 「年末の第九の前座にこれをやるべき!」みたいなこと言ってた評論家
が昔いたな… 第九なんて第4楽章の25分だけ演奏すれば十分だからな
1時間もスタンバって待たされる合唱団が可哀想だわ コラール変奏曲+詩篇交響曲のほうが演奏する側もやりがいがあろう クラフトのVon Himmel Hochはナクソスから出ずじまいやった
ユニバーサルが音源の貸し出し制限はじめたからやろ
SACDならおkみたいな感じやね 没後50年のアニバーサリーにシャイーとロンドンシンフォニエッタの
リコルディ原盤LP3枚分は80年代にデッカから出たCD1枚分に割愛された
簡易盤を出す気なのかな CD1枚にまとめるにしても
バレエ≪妖精の口づけ≫からの演奏会組曲≪ディヴェルティメント≫はともかく、
小編成のオーケストラのためにピアノ学習者用の連弾曲から編曲された2つの組曲と
管楽器による八重奏はわりと録音も多いので
ラグタイムとか他に録音が少ない未CD化の曲に差し替えた新編集を期待していたのだが アマチュアオケは火の鳥とか春の祭典を時々演奏してるけどど
火の鳥はともかく春の祭典とかよくできるな 絶対無理と思ってたけど、指揮者が上手く教えたら不思議とできた、って誰かアマオケの思い出を書いてたな…指揮はコバケンだった気がする 火の鳥の方が難しそうな気がするけど
あのまばゆく煌めくサウンド >>698
演奏した内に入らん。音を鳴らしてるだけ。 ストラヴィンスキーと言えばやはりカルタ遊びでしょうな。 ロッシーニのセビリヤ理髪師とかのメロディがパロディで出てくるが
他の使用曲は元ネタ曲を知らんのか印象が薄い…。 ストラヴィンスキーは渡米したモントゥーの後任としてアンセルメをディアギレフに紹介し、アンセルメは兵士、うぐいす、結婚、狐などスイス時代のストラヴィンスキー作品の初演指揮を務めるなど両者は蜜月関係にあった
しかし・・・ カードゲームはストラヴィンスキーがバレエリュスを離れて以来久々に手掛けたバレエ音楽
すでに渡米していたストラヴィンスキーがアメリカで初演指揮した後、スイス初演はアンセルメが担当することになった
しかし・・・ アンセルメはこの曲ツマンネ(^◇^)と言って(意訳)カットを要求しストラヴィンスキーの機嫌を損ね二人の仲は険悪になってしまう
そして十二音音楽への転向で完全に絶交状態となってしまった(アンセルメは十二音音楽が大嫌いだった)
後年、アンセルメは「喧嘩をするには歳を取りすぎた」と言って和解を求めた
しかし・・・ ストラヴィンスキーがアンセルメを許すことはなく生涯友情の回復は果たされなかった
おしまい なるほど。当時としたら指揮者が楽譜に手を加えることは珍しくもない事だが
作曲家からしたら気分悪すぎだわな。マーラ―なんかも過去のベトやシューマンの
交響曲を編曲したりする一方で自分の曲にはそれを防ぐかのように事細かな指示を
書き入れたりしている。
やはりアンセルメも火の鳥のような曲が好みでミニマルに繋がっていくかのような曲は
理解不能ツマンネかったんだろうな。 アンセルメの春祭、聴き返してみたらいろいろ酷い
この時代はこれでよかったんだろうが おまけ
ストラヴィンスキーとラヴェルがお互いの才能を認め合っていたことは有名だが
1922年初演の「マヴラ」でラヴェルが「この曲ツマンネ」(^∀^)と言ってやはり二人の仲が険悪になったことがあった
1923年初演の「結婚」でラヴェルが「やるじゃん」(o^ O^)シ彡☆と褒め称えたことで二人の友情はある程度回復した
しかし結婚の主要部分は1917年に完成しており既にストラヴィンスキーは新古典主義に移行していたのであった・・・ C・デイヴィスのハルサイは宇野が絶賛してたから買ったけど、全然いい演奏と思わなかった
いけにえの踊りはズレズレだし サーコリンは確か60年代〜70年代?だかにLSOとハルサイ含む
ストラヴィンスキーの交響曲やかるた取りなどわりと録音したんだが
philipsシルバーラインというアナログ期のCD復刻シリーズではほとんど出なかった。
交響曲はDUOシリーズで出ていたが。
火の鳥とぺトはヘボーとの録音しかなかったと思う。没後企画のセットでいくらか復刻されてた
ようだけど、ボックスセットっていらんもの既にもってるものまで買わされるから
個人的にはあまり買わないだ。 今度出るシャイー・ボックスもたった1枚でいいのに10枚セットで買わなきゃいけないのか
しかもシャイー指揮の選曲なのでクラリネットソロや新劇場ファンファーレという
短いあまり録音されない曲は省かれていたりと悩ましいっちゃありゃしない。 そういった意味では3曲補充したDGの新全集なら
デッカ/フィリップス音源中心に組み替えた全曲集であってほしかったが・・・
いまさら無理な話でしょうが。 >>714
コーホって基本、爆演奏好きなんだと思うが
俺個人な趣味としてはヘボーとかウイーンフィルといったぬくもりのある音のオケより
都会的な音のオケのほうがストラヴィンの楽曲には合う希ガス 春の祭典をシンセサイザーのアルバムで是非とも出したかった
冨田勲だったが、権利者との関係でOKが出ずに断念したといわれている。 ネット上のレビューで残響が少なめな録音を単に「録音が悪い」と
一刀両断してる人をたまに見かけるけど
「ハルサイ」などはすべての楽器の音を克明にとらえた
ある意味コンサートホールでは体験できないような
残響少な目のほうが良いと思う。
良いとか悪いとかひとくちにいうけど
どういうのが好きとか人それぞれ好みがあるはず。 >>731
サントリーホールよりも上野文化みたいな >>732
そういうことでなくて
音のあまり響かないスタジオのような場所で
セクションごと別録したものを最終的にミックスダウンするみたいな
手間ひまはかかるけど
密集を避けかつこれまでにない、より不自然なプレゼンスでぜし聴いてみたい… 自伝って偽作なんだってな
最後の方に自分は楽しんで書いているが、世間的には受けないみたいな弱音が書かれてあるやつ 偽作つーか、最終的な文章はフランス人協力者に書かせたってことだろ えっ?脇の下に掌当ててプッププップ鳴らした記述も!? 脇ならしってボディランゲージ的にはどういった意味合いなのでしょうか
まあ上品ではないよな フランスのお下品なアニメ「オギー&コックローチ(レ・カファル)」でも
出てきました あのブップブップてえの。 自分の脇の下にラリアットかましてカッポンカッポンいわしてるレスラーいたな 新国立劇場は「夜鳴きうぐいす」にしたのか
昔の「うぐいす」が正しい訳だったのに >>741
アンデルセンの原作の時点で小夜啼鳥(サヨナキドリ、夜鳴き鶯、ナイチンゲール)
だったわけだからそれを尊重しているんでしょう
ただ、中国が舞台なんだから(東洋分布の)ウグイスでなければおかしい
ウグイスを指すつもりで(西洋分布の)サヨナキドリの言葉を当ててしまった
つまりアンデルセンからして間違えているんだというお考えでしょうか
たしかに中国や日本にサヨナキドリがいるのかって話ですからね 交響詩版でも「うぐいすの歌」より
「ナイチンゲールの歌」勢が有力になりつつあるようだけど
東洋的な趣が全く感じられない
やはり「うぐいす」がいいですね それより「カルタ遊び」をどうにかしてくれ
そのタイトルでポーカーのことだと分かる日本人が何人いるんだ >>742
まず、アンデルセンの時代は異国のものを紹介するには細かい区別をせず
身近にあるものの単語を適当に当てはめた、という前提がある
それは我が国でも同様だった
戦前の訳者達はその事情を汲み、東洋の話だから「うぐいす」でよいと判断した
しかし戦後生まれの単細胞が辞書の訳語が「ヨナキウグイス」「ナイチンゲール」と
書いてあると言って、そのまま持ち出すようになった
emperorは辞書で「皇帝」だから天皇を「皇帝」と言い張るのと同じ愚だ >>744
ストラヴィンスキーのこの曲に関する事前知識が無い限り
「カルタ」と言われてトランプ(西洋カルタ)を思い浮かべる日本人0人説
端的に「ポーカー」とするのが一番だと思う
「カード遊び」「カード・ゲーム」でも現行よりはマシだけど
トランプに限らない一般名詞だからやはり紛らわしい
(聞いた人がポーカーを思い浮かべない) そうねえ
西洋人がカードゲームと聞いて思い浮かべるのがポーカーやブリッジなのか
どうか知らんけど、俺なんかだとババ抜きや七並べだからなあw
カルタと言や、いろはがるたか百人一首か… むしろ現代の日本人は「カード・ゲーム」と言われたら
トランプ以外のカードゲーム(uno等)を思い浮かべるだろうし 原題の jeu de cartesって、「カード遊び」を指してて
ポーカーかブリッジか、そのゲームの内容まで指してないのであれば
邦題は「カード遊び」とした方がいいと思う
べつに題でポーカーと分からないのは構わないのではないか 一応、欧米人にとって(狭義の)カード・ゲームと言えば
(日本で言うところの)トランプを指すらしいが
多くの日本人にとってはそうではないので(>>748で書いたとおり)
「カード遊び」では抽象的過ぎる
かと言って「トランプ遊び」というのもなんかダサい セザンヌの「カード遊びをする人々」は Les Joueurs de cartes だから
あれをイメージすればいいんだな >>752
テニスプレイヤーの「プレイ」なんだけど「お遊戯」のイメージが強くてテニスの話とは思えないからね
ただ「戯れ」の意味も込めたダブルミーニングだからそこを切り捨てて「テニス」としてしまうわけにもいかない
ちと軽くなるが「プレイ」かな 1,133 Rite of Spring Beats
ttp://www.youtube.com/watch?v=z-NqGMS8p-c
春の祭典第2部の「選ばれし生贄への賛美」直前の四分音符11連打を、
1929年の作曲者自演から2018年までの103種の音源から切り出して録音年順に繋げたもの。
テンポでも響きのバランスでも指揮者によって解釈がどれだけ異なるかというのがよく分かるんだけど、
中でもマゼールのテンポの遅さがやっぱり衝撃的なんですけどw 自作自演の箇所で作曲者の希望がよく分かる
マゼールはその真逆を行っている 打楽器がほとんど聞こえないのも寂しいし
打楽器にかき消されて音程感が無いのも物足りない
難しいもんだ >打楽器にかき消されて音程感が無い
これはNGというのが自作自演でよくわかる
どれほど荒々しい箇所であれハーモニーが重要なのだ 直前のアチェルランドから変に間を空けてしまうのもNG
(この動画では分からないけれど) >>760
あれ嫌なんだよな〜
指揮者の変な思い入れを込めないでほしい 3年も前の動画に盛り上がってて、いかにもクラシック板らしいですなw 通じれば十分という考え方もあるだろうけど
自分はなるべく正確に言いたい方なので指摘してもらって良かったよ
ここのホルンU、Wの掛け合いは音質・音量・音程をお互い揃えながらクレシェンド、アチェレランドをしないといけないから難しいよね
音程がズレてるのが一番萎える(。-∀-) なんとなく
イントロイトゥス → レクイエム・カンティクルズ → 変奏曲
の順で聞いたわ
追悼でレクイエムをサンドウィッチ 来日時に武満を発見したエピソードをちゃんと紹介したの良かった
天才は天才を知る、評論家なんていらない >>773
>天才は天才を知る、評論家なんていらない
それは極論。というよりむしろ暴論。
一般レベルの聴衆・観客に最先端の成果を届けるためには適切な評論はやはり必要だよ。 評論家が語れるのは「そこそこ進歩的」な音楽まで
本当に革新的なものは非難したり見落としてきた 音楽史が証明しているとおり 評論家があてにならないからって音楽家による音楽評論があてになるかは微妙だと思うわ
そもそも適当なことを言っても痛くも痒くもないから、身が固まった後はとりあえず褒めとくってこともありえる >>774
> 一般レベルの聴衆・観客に最先端の成果を届けるためには適切な評論はやはり必要だよ。
それは理想論、というよりむしろ空理空論。
クリエイター・聴衆・評論家のあいだにそのような麗しい関係が成立したことなど、かつてあったろうか? 誤 一般レベルの聴衆・観客に最先端の成果を届けるためには
正 一般レベルの聴衆・観客に古典の成果を届けるためには >>774
評論家は確かに必要だが、彼らが一般リスナーに正しい評価を紹介してくれるというのは買いかぶりすぎだな。
正否はともかく、それを読む人に興味を喚起させ、ひとつ自分も聴いてみよう行ってみようという気にさせる、そうやって
音楽の魅力を人々に広めてゆく、そんな役割だと思うし、そういう文章を書いてほしい。
自分の好みで語っている点では我々一般人と全然変わらんよ。 お薦め本『クラシック名曲「酷評」事典 』上・下巻
同時代の評論家がどれほど当てにならないか思い知らされる
過去の作品しか評価できないし評論家の役割はそういうもの ペトルーシュカね
春の祭典かと思って、ちょっとびっくりした 演奏技術が今日的観点からすると心許なく鋭さに欠けるのと
勝手な音形改変も問題視されるところかな(生贄の踊りの五連符) ピッコロのソロをフルートに振り替えたりね
確かにひどいけど、おいらは好きだよ https://www4.nhk.or.jp/c-cafe/x/2021-06-14/07/73887/4824764/
6月14日月曜
NHKFM 午後2時00分〜 午後3時50分
クラシックカフェ ▽ストラヴィンスキー没後50年・「春の祭典」を聴きまくる! 宇野功芳いわくヴァイオリン協奏曲には「ワサビがきいている」らしい クラフトかMTTのストラヴィンスキー・イン・アメリカのCDを
まるっと聴いた方が早い。 「春の祭典」は「ロシアの暴虐な春」を描いているはず。
春になると凍った大地がメリメリと割れていくそうだ。この大音響を実際に聴いてみたいものだ。
YouTubeで映像でいくつかある。しかし音響は貧弱。 春の祭典もピアノロール作ってんのか?
それとも別の人が作ったのか 春の祭典もペトルーシュカもピアノロール作ってるんだな
その割に今まで自動ピアノ版で出回ってたのは
火の鳥やピアノソロ曲ばかりだったような 毎日1000越え
びろぴろぴろ〜石川弘晃の一人芝居書き込み数
このスレも大半がびろの自作自演
facebook.com/profile.php?id=100008212245718
twitter.com/zusakkohiro
お友達 https://yuki3.hatenablog.jp/
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) やばい、結婚が染み渡る!!!
ストラヴィンスキーはいつもそう
心が乾いてる時に聞くとこの上なく同期する
古典、ロマン、近代、現代・・・
その時々のいかなる大作曲家でも無理
こんな音楽書けるストラヴィンスキーしかいない 結婚は確かにすごい曲だけど、編成が特殊すぎるから一般コンサートにはかけづらいのが難点なんだよな 編成が特殊だが、奏者は少ない
ちゃんとバレエとしてやってもらいたい カトゥーリ・カルミナは歌手や指揮者にとって馴染みのあるラテン語だけど、
結婚は大抵の歌手や指揮者にとって馴染みがないロシア語ってのも不人気なのに拍車をかけてる気がする
ちゃんとやろうとしたら、形式の面でも内容の面でも歌詞をちゃんと理解して読み解く必要がある訳で
ショスタコーヴィチやプロコフィエフ、チャイコフスキーみたいな他のロシア系の作曲家でも、合唱曲は演奏の頻度は低いと思う
まあそもそも19世紀以降の合唱曲自体が……ゲフンゲフン
アカペラだとまだマシなんだろうけどね ピアノよりピアニスト4人用意するのが金掛かるんじゃね 『狐』16分
『八重奏曲』16分
『マヴラ』25分
(休憩)
『結婚』25分
小編成の舞台作品+場つなぎでまとめてみた
これならヲタクが集まるだろう 結婚の舞台は二三回見たけど客は結構入ってたよ
もっともこれ一曲ということはないので組み合わせにもよるだろうけど
(俺が見たうち一回は春祭、他は覚えてない) ピアノ4台を、2台にしてもそんなに演奏効果は変わらないだろ
で、結婚に2台ピアノ版春祭を加えればコンサートとしては大満足 ついでにJ.S.バッハの四台チェンバロ協奏曲をやればいい __,ィ ヽ. `ヽ.
, '⌒Y / 、ヽ ヽ ヽ.
/ / i /l/|_ハ li l i li ハ
. // 〃 /l i|j_,.//‐'/ lTト l、l j N i |
{イ l / l li //___ リ_lノ lル' lハ. ソ
i| /レ/l l l v'´ ̄ , ´ ̄`イ !| ll,ハ
ハ| ll∧ハヽ ト、 '''' r==┐ '''' /l jハ| ll ll
〃 ‖ レ'¨´ヽiへ. _ 、__,ノ ,.イ/|/ ノ ll l||
ll ll { ⌒ヽ_/ } ー‐<.__ ′ l| ‖
‖ ‖ ヽ, /、 〈 |:::::::| `ヽ ‖
‖ {. ハ ヽ Y`‐┴、::::v l ‖
‖ |iヽ{ ヽ_ゾノ‐一’::::ヽ. | ‖
‖ |i:::::`¨´-- :::......:...:.:.::.}| ‖
「結婚」けっこう面白いわよ・・ __,ィ ヽ. `ヽ.
, '⌒Y / 、ヽ ヽ ヽ.
/ / i /l/|_ハ li l i li ハ
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〃 ‖ レ'¨´ヽiへ. _ 、__,ノ ,.イ/|/ ノ ll l||
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‖ {. ハ ヽ Y`‐┴、::::v l ‖
‖ |iヽ{ ヽ_ゾノ‐一’::::ヽ. | ‖
‖ |i:::::`¨´-- :::......:...:.:.::.}| ‖
「けっこう」結婚面白いわよ・・ けっこう仮面ならよかったのに〜ザンネン!
by 水谷 メモリアルイヤーだからかちょくちょく配信ライブあるよね
一番近いのは
https://youtu.be/5oZiskEI070
のカプリッチョかな? 今までアゴンから先聴いてなかったけど、
レクイエム・カンティクルズ
いや渋い・・・・ たしかストラヴィンスキーの音列技法は12音じゃなかったんじゃなかったっけ? チェリビダッケはなぜ春祭をやらなかったのかな?肌にあわなかった? フリッツ・ライナーは三大バレエの録音がないのが意外
(うぐいす、妖精の口づけはレコードがある)
逆に意外な人が振っている例としては
シューリヒトの火の鳥
クレンペラーのペトルーシュカ
イッセルシュテットの春祭 クレソはわりと20世紀の曲を振ってると思うが
火の鳥とぺトは後期ロマン派のくくりでいいとは思うけど
イッセルシュテットなんて一般的にキングから何度も出ていたベト全以外に
レパートリーがピンとこないな。 シェーンベルクとそのことで喧嘩したから
新ウイーン楽派のそれとはちょっと違う独自の技法ということらしいが
何がどう違うか知らんけどw 12音全部使った音列じゃないらしいよ。
カメレオン作曲家といわれたストラヴィンスキー、
その実、何を纏っても、自分ではない誰かのふりをすることはないとこがかっこいい。 シェーンベルクやウェーベルンも初期はマーラーとかリヒャルトみたいな音楽を
真剣に書いてたわけで
変わり身が早いようにも見えるが、ハルサイでマックスして
あとはミニマル方向へ進んだと見ればことさらにカメレオンということもないかと。
むしろ20世紀に終始一貫された音楽を作曲をされても…。 タコはジャズ組曲みたいのなかったっけ?
ジャズとの融合は一応「新古典主義」に分類されてるような…?
知らんけど。
あとバルトークも一貫してるか?
もっともバルトークは演奏・録音がまだまだこれからでしょって感じも 終始一貫というのをどう解釈するかで話が噛み合わなくなるかと
バルトークも初期はロマン派風の音楽を作っている
ショスタコーヴィチは1900年以降の生まれだから世紀を跨ったわけじゃないのと
物心ついたときにロシア革命があって否応なく共産主義の中で作曲活動をすることになるから
あの辺の作曲家たちは別の物差しで見なきゃいけない
ちなみにストラヴィンスキーはカメレオンに例えられるが
実は美学的にさほど大きな変化はしていない、というのは全く同意です なるほど。
終始一貫といった分かりにくい表現すまんかったが
意味合いとしては例えばセリーという作曲技法に則って作曲した場合
それ以上にも以下にもならず、時が過ぎればひとつの技法を応用しただけでした
みたいな意。 音楽とは何か?作曲とは何か?は生涯一貫していたんじゃないかな?
スタイルこそ色々と変えたけど。 そこでシェーンベルクと衝突してるわけだからね。
それに倣った音列ではないというからには。 同時代人なら、春祭のあとプルチネルラと来たら(まあその間に兵士とか狐とか
いろいろあるわけだけど)驚くのは不思議でないけど、生涯の作品を追える今と
なっては、何書いたってストラヴィンスキーにしかならなかった、って感じだよなー 三楽章の交響曲ってハルサイを交響曲に仕立て直した感じの曲だが
それも依頼主からもっとハルサイみたいな曲を書いてくれ!って懇願されて
仕方なく作曲してる感じがしないでもない。
いや個人的にハ調のほうが好きなもんで勝手な想像だが 仕方なくでもショスタコは森の歌なんて曲を作った。政治がらみがなければ頻繁に演奏される名曲だと思う、好き嫌いは別にして。
片手間だろうが本気だろうが、出来の良いのができることはある。 >>850
春祭の改訂と同時期だから、彼の中で何かが蘇ったんだろうね 現在もセリー主義の作曲家はいるんだろうが
現代曲の楽譜の大半はストラヴィンスキーが用いた
ハ調という長調でも短調でもない調性で作曲してるように思う。
すごいことだ。 >長調でも短調でもない調性で作曲
これの代表者がヒンデミットだけどね
そのヒントを拝借するのがストラヴィンスキー 春の祭典は、スクロヴァチェフスキ、ミネソタ管のCDも良いね。
オケの高い機能性と輝かしいサウンドがハルサイにピッタリだわ。 >>856
モーツァルトやショスタコなどはホイホイ作れたんだよ。
自分基準で考えてるからゴキブリホイホイに捕まるんだwww >>860
ん?レクイエム・カンティクルズでしょ。
6音のローテーションシステムっていうらしい。 >>855
ヴァイオリン協奏曲の作曲時にヴァイオリンも弾けた
ヒンデからヒントでなく助言をもらってるようだね。
その時に様々な情報交換もしてるはず。いいことだ。
ヒンデミットももっと録音されてほしい。画家マティスばかりじゃ話にならない。 V協の作曲に協力したのはドゥシュキンじゃなかったか うん、あの冒頭の和音についてドゥシュキンに尋ねたエピソードを見たことがある ドゥシュキンとヴィオラのヒンデからも助言を得たというが
詳しくは知らん・・・。間違ってたらすまんかったです。 facebookに1961年に撮影された二人が談笑する写真があるが
ハゲ同士仲は良さそうに見える… チビと禿には優しいからな。
ストラヴィンスキーの発言はどこまで本心か分からないものが多いけど
ベートーヴェンやヴィヴァルディを腐したというのも
彼らの髪がフサフサだったからだろう ヴィヴァルディのありゃ髪じゃなくてウィッグだよ
バロック時代の肖像画は正装してウィッグ。
Fクープランの肖像画は珍しく薄毛で描かれてるなあ。 どっちかというとシェーンベルクの方がストラヴィンスキーを敵視していた
当てこすりにわざわざ「新古典主義」という曲まで書いている へえぇ知らんかった。
ストラヴィンスキーの婿養子だったというクラフトは
義父とシェーンベルクを重点的に録音したよな。
どちらも天才だが当人達は人間臭い普通の人だったてえことかな。 息子の存在感が非常に薄いのが気になる
自伝やインタビューでも僅かしか出てこないし
作品の録音も僅かしかない https://www4.nhk.or.jp/c-cafe/x/2021-12-02/07/67161/4824863/
12月2日木曜
NHKFM 午後2時00分〜 午後3時50分
クラシックカフェ ▽ストラヴィンスキーのバレエ音楽「火の鳥」他 https://www4.nhk.or.jp/P685/x/2021-11-28/05/75976/4295352/
11月28日日曜
NHKラジオ第1 午前8時05分〜 午前8時55分
音楽の泉 ▽ストラヴィンスキーのペトルーシカ 誘拐の冒頭部分、俺がヒップホップと呼んでいるティンパニのフレーズって
スコア見ると裏拍から入ってるんだよな うん。その部分を聴くたび君の指摘を思い出すよ。
当然のことながら、ヒップホップの発想では書かれていないね。 ヒップといえば尻
尻といえば宇野
伝説のエロイカを想起せよ 生贄の賛美の直前の11連打、
マゼールはグッとテンポを落とし
宇野は11回クイッと尻を突き出す 火の鳥の全曲盤について
俺は前半が特に好きだが、どうも音が小さかったり、平板で退屈だったりな演奏が多くてガッカリ。
詳しい人にお訊きするが、何かお薦めの適当な録音はありませんかね?(モノラル以外で)
持っている(持っていた)CDは下記のとおり。感想から好みの傾向がお分かりでしょうか。
●気に入っている盤
ブーレーズ+ニューヨーク
コリン+アムステルダム
小澤+パリ
●後半は良いんだが、前半がいまいちな盤
ハイティンク+ベルリン
デュトワ+モントリオール
ドホナーニ+ウィーン
●趣味に合わない(合う人には名演じゃないかとは思う)
ゲルギエフ+サンクトペテルベルク
アンセルメ+ロンドン
ドラティ+デトロイト
●ダメ
小澤+ボストン
サロネン+ロンドン
シャイー+アムステルダム(一部カットしてある版だが)
*未だ聴いてないが、ちょいと良さそうに思える「マゼール+パリ」とか「トーマス+サンフランシスコ」なんてどうでしょう? >>888
フランソワ=グザヴィエ・ロト指揮レ・シエクルのCDを聴いて震えろ! 火の鳥だけでCDそれだけ購入してなおかつ物足りないからといってさらに集めようとするなんて気がついたときはいつの間にか火の車になってしまうぞ >>894
見たこと無いけど初心者むけの番組らしいから、見なくてもいいだろ ストラヴィンスキー没後50年記念ミニ・コンサート&ライヴ配信
日仏現代音楽協会 会員ピアニスト4人による2台ピアノコンサートvol.3
12.26 (日) 開場: 15:45 開始: 16:00 ⇨ 12.26 (日) 17:00
出演 : 飯野明日香・大須賀かおり・瀬川裕美子・安田結衣子(ピアノ) 、夏田昌和・池原舞(解説)
プログラム(ライブ配信の場合) :
ストラヴィンスキー / Igor Stravinsky(1882~1971)
1.《5つの易しい小品 / 5 Pièces faciles》(1916~17・連弾)
2.《2台ピアノのためのソナタ / Sonata for 2 pianos》(1943〜44)
3.《2台のソロ・ピアノのための協奏曲 / Concerto per due pianoforti soli》(1931~35)
4.《3つの易しい小品 / 3 Pièces faciles》(1914~15・連弾)
https://monten-live.zaiko.io/_item/343915 ショルティやらカラヤン、ドラティ、デイヴィスなどで
慣れ親しんだ旧世代だけども、近年、若い指揮者によって
良い録音がなされていることに、遅まきながら気が付いた
ロト指揮ラ・シャンブルとか、言わずと知れたクルレンツィス、
あるいはカンブルラン、佳演が続々生まれている模様
そういう楽曲なのでしょうね あとは、カンブルランって若手か?っていう
聞いた上で外したのかも知れないけど、若手っていうなら、ドゥダメルもいるし、オロスコ=エストラーダとかヒメノとか、
いま現在で40代の人の録音いっぱいあるしな
というかロトとかクルレンツィスとかってもう50歳なのか
これは完全に余談だけど、挙がっている名前が南西ドイツ放送経験者ばっかりなのはちょっとワロタ
ギーレンが辞めた後の人が全員挙がってるんだよなwww というよりそもそも何の曲なのかも書いていないな>>897
いま塔でセールしてるからバーンスタインの「結婚」のCD買って聴いてみた
クルレンツィスで聴いたときの面白さがどうも無かった >>888
シャイーの全曲版なんてあるの?
それは1945年版の組曲じゃない? https://www4.nhk.or.jp/bescla/x/2022-02-11/07/74671/4858288/
11日金曜
NHKFM 午後7時30分〜 午後9時10分
ベストオブクラシック ▽N響第1952回定期公演
金子奈緒,【解説】舩木篤也,【出演】指揮…鈴木雅明,
管弦楽…NHK交響楽団 〜東京芸術劇場から中継〜
楽曲
「組曲「プルチネッラ」」
ストラヴィンスキー:作曲
(管弦楽)NHK交響楽団、(指揮)鈴木 雅明
「バレエ音楽「ペトルーシカ」」
ストラヴィンスキー:作曲
(管弦楽)NHK交響楽団、(指揮)鈴木 雅明 春の祭典は、自作自演盤が最高だな。実は、ロバート・クラフトの指揮だと言われることもあるけどね。 >>903
そうだろうね
1919版よりもさらに曲数が増やされて「そこまでやるならもう全曲やれよ」と云いたくなるやつ
曲の選択よりオケの編成の違い(改悪)の方が大きいが そのように言う人は多いね。
俺は好きだけど。というか、別物として楽しんでる。 >>897
ラ・シャンブルはクリヴィヌですがな
ロトはシエクルやん どうでもええけどw >>906
naxosから出てるクラフト指揮でやってるアンサンブルって
メンバーがオルフェウス室内管団員とダブってたりするが
単にDGに専属してた関係でオルフェウスという名前が使えなかったのか
影武者の影武者でむしゃむしゃつうのどう? >>907
シャイー盤はフィナーレがスタッカートだからダメ!とか思ってそうねw >>911
ファジル・サイのソロならCD持ってるわー
サイのハルサイ聴きんさい
なんちて >>912
実際その箇所は大きなマイナスポイントだね最後にガクンッとさせられる壮大なフィナーレがぶち壊し だからってあんなにチャッチくチャッチくするのはないわ
それで別の新しい格好良さが得られたというならならまだしも単にしょぼくなっただけだからなあ ざくざく進んでかっこいいと思うけどね
ストラヴィンスキーの自演なんか特に 元が完璧な出来栄えだから手を入れれば入れるほど悪くなるのは必定 元が(自分にとって)完璧だから
手を入れれば入れるほど(自分の好みから離れて)悪くなる
ってことだな
そんなことストラヴィンスキーの知ったことではない 自分が共感できないだけですぐゲテモノ呼ばわりする奴っていやだよね というか、ストラヴィンスキーがゲテモノ趣味で書き換えたって
すごく傲慢な言い方してることになるよね
自分の好みに合わないというだけのことなのに そういえば、春の祭典って改訂版しか楽譜が出回ってないけど、
初演稿が普及してたら曲の評価もまた変わったのかなあ
ジンマンのは、資料的価値は高いけど、演奏は微妙って評価が支配的に見える >>924
ゲテモノ趣味で書き換えたんじゃなくて著作権料稼ぎのため
ゲテモノになったのは結果論 >>925
評価評価言ってますけど、まず君がどう思うのかね? >>925
春の祭典はディアギレフによって初演がスキャンダル仕立てにされてしまったのを除けばほぼ初演当時から名曲扱いだし
改訂も火の鳥やペトに比べれば大きな変更は無い(編成の縮小も無い)
曲の評価としては改訂があろうがなかろうがほとんど変わらなかったであろうと思われる
ジンマン盤の評価は・・・楽譜の問題というよりジンマンの力量、あるいは演奏スタイルの問題では? そのすぐ前がハルサイだから
…しかないと思うけど? 冒頭楽章の冒頭のピアノのグリッサンドがよく聴こえる録音は
バーンスタイン・イスラエルくらいかな?
かっこよすぎるんだが、他の演奏はよく聞こえないんだ
バーンスタイン・イスラエルはハル祭のバスドラもオンマイクで
ドスとかっこよく鳴る ピアノといえばズーエフとかいうやつのピアノ曲全集5CD出るけど
普通のピアノのようだね。
フーガリベラなら20世紀初頭のビンテージピアノでやってほしかった ズーエフは師匠リュビモフとの春祭デュエット盤もあるね
極めて優れた演奏 ルビモヴは20世紀初頭のプレイエルやベヒシュタイン使って
ストラヴィンスキーとサティのピアノデュオを録音してるが
こっちはポプルーギンとかいうやつだった 「春の祭典」と「火の鳥」はどっちの方が人気ありますか? バレエの演目としては春の祭典や火の鳥よりペトルーシュカが多く演じられているような気はする。 明らかに春の祭典の方が人気あるでしょ
ただアンチも多そう(「あんなの音楽じゃない!」みたいの) >>958
そういう時代遅れのアンチは相手にするだけ無駄 >>961
どっちも有名な曲なんだから、比べる意味がない
「運命」と「田園」はどっちが人気ですかとか、「バカなの?」としか思えないくらい嫌
「どっちが好きですか」ならいろいろ語ることもできるけど まあハルサイ、火の鳥の多彩さに比べたら
ペトは若干落ちるな 火鳥 リムスキー、ドビュッシー、ラヴェルのパクリ
ペト ロシア、東欧民謡のパクリ
春祭 ここでやっと自分のスタイルに到達 火の鳥の時点で個性爆発してるのに妙に低く見たがる人がいるよね(もちろん先人の影響はある) 火の鳥はストラヴィンスキーの始まりで
ペトルーシュカはストラヴィンスキーの余暇
ハルサイはストラヴィンスキーの躍進 >>967
「ペト、春祭が出た後となっては新鮮味に乏しい」みたいなこと書いてたね
馬鹿ジャネーノと思ったわ 宇野の言うことを真に受けて火の鳥が凡曲と思い込んでしまっている人もいるだろうな
全く罪深いことだ 中学生時分の俺は春とペト入ったCD聴いて、
むしろペトルーシュカの革新性に舌を巻いたね 初期三大バレエ好き=初級クラシックファン
中期新古典好き=中級クラヲタ
後期12音好き=筋金入りストラヴィンスキーファン 12音も大好きだけど三大バレエの若き才能の輝きは格別、一生もの 一口に中期新古典好きといっても、
詩篇交響曲に入れ込むあまり交響曲ハ調や三楽章の交響曲を小馬鹿にするのが通ぶった態度だと思ってるやつはいねがー! 三楽章の交響曲、春祭の楽譜を見返してたら若い頃の感覚が蘇って出来たような感じだね 只でさえ過疎りがちなのにそんな白けさせるようなこと言うなよ 交響曲ハ調、第二楽章でいつも寝てしまう
これを除いて三楽章にすればいいんじゃね 詩篇交響曲も三楽章だし、おそらく彼は3と相性が良い 三楽章の交響曲のカッコよさは
バルトークの弦チェレに似てる気がする >>984
コンサートで普通に受けそうな曲
なぜか取り上げられないが 後期バレエを日本で見られる日はもう来ないんだろうな 中期後期のバレエはむしろ西側のバレエ団がレパートリーにしてるんじゃないの? そう。コロナ騒ぎで来日できない
せめて映像ソフトでも出れば嬉しいのだが 海外バレエ団が来日困難だというなら国内バレエ団はどうだ。
牧阿佐美バレエ団や谷桃子バレエ団は後期ストラヴィンスキーを取り上げたりしないのか。まぁしないか。 脱線させるけど、ストラヴィンスキーのバレエにおける前記 / 中期 / 後期の分かれ目ってどこなの?
ストラヴィンスキー作品一般の分類だと、原始主義が前期、新古典主義が中期、音列主義が後期みたいな分け方をすると思うんだが、
それをバレエに当てはめると後期ってアゴンだけじゃね?っていう……
それなら後期バレエを見たいって言わずにアゴンを見たいで良くない?
一応次スレ立ててみた
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/classical/1661398807/ >>997
おつ
解説書のようなものじゃなくて、ここみたいに一般フォンが話すときは
「有名三大バレエ以外=中後期バレエ」って大雑把に使われてる感ある
でも「後期バレエを日本で見られる日は来ない」とか書かれたら、
「この現状が永遠に続くと思ってるのかな、それともこの人もうすぐ寿命来るのかな」
と不思議に思ってしまうが このスレッドは1000を超えました。
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