ブルックナー vs マーラー
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
モーツァルト以降の交響曲の集大成、ブルックナー 近代の雄、マーラー どちらもただ長いだけで中身がカラッポの退屈な駄作といえよう。 BとMを対でみる、確かに昔はそういう傾向があったね。 しかし今の認識では、溝の大きさが対としては見れないほど大きくなってしまったのでは? -ー=-‐ 、__ , r '" ヽ, l ' , / 三ニ=ー-'`=ニiiiiiiiiiiil / ニ'" `ヾiiiiiiii| / ニ' 'liiiiii| ,l |,r=-;.,_ _,、-=-、|iiiiil l .il .,rェェ、_" :;"ェェ j |iiiiiil | . i| ,, :; ,, iiiiiiil ,| il, , :: , liiiiiill l iil, ` ' ,|iiiiiiii| / l、 ー- -,ー イiiiiiiiiill / iゝ、  ̄ /|iiiiiiiiiiiil / i| `ー- ' " ,liiiiiiiiiiii| クソスレータ・テルナー[Qthosleata Telnault] (1946〜1992 イタリア) 70年代の中学生ですか>>1 カキ氷、シャーベット系と濃厚ティラミス系アイスクリームとの比較みたいなもん ブルックナーとマーラーこそナルシストを大量に生み出したハッタリ屋の三流作曲家 この二人を知り尽くしていればオレは通だという悪いサンプルを世にはき出した 巨星ワーグナーなどこいつらを徹底的に見下し馬鹿にしていた どっちから入ったかで印象代わると思う 俺はマーラーで青春時代を過ごしたからどうしてもブルヲタがマーラーを貶める書き込みを見るとイラッとする もちろんどっちも好きだけどね ブル、マラは睡眠薬に匹敵する退屈さ 寝つけないときには最適の特効薬だ マーラーみたいな三流作曲家と比べられるなんてブルックナーも悔やみきれないだろうな ワグナーは先見の明がなかったと言わざるを得ない。 まあ、芸術家は自分が最高と思うのが常かな。 ブルックナーはロリコン童貞だがベートーヴェン以来の大作曲家 マーラーはイケメンで美人妻持ちだが作曲家としては三流 交響曲同じ番号同士ならば、123469はマーラーの方がが好き 皆さんは? マーラーは 1、2、5、6、9 だな。 Mの3、4も悪くはないがBとは比較しにくい曲目 マーラーの9番とブルックナーの9番て似てるよね どっちもスケルツォの後のアダージョで終曲だしアダージョの出だしも似てる M:1、2、3、5、6、9、10 B:4、7、8、9 9はどちらもいい。 Bの9は未完成なのでMの10も入れておいた。 えー、4番と夜の歌と大地の歌が入ってないとか にわかかよ マーラーは、劇場の人 ブルックナーは、教会の人 バッハとロッシーニを比べて何になるのん? どっちも好きだけど 4番と夜の歌は、聴こうよ 聴かずに四の五の言うんじゃないよ 冗談じゃないよ って、浅香光代が言ってた 入ってないんじゃなくてレス主が好きじゃないってことだろ どんだけ文盲なんだよ >>24 晩年には観念世界に没入した大バッハと劇場で世俗の名声に浴したヘンデルとの対比にも譬えられようか それぞれの活躍の場に於ける巨人ではあるな マーラーは近代的個人の人 ブルックナーは中世的な教会の権威に従う人 モーツァルト以降の交響曲の集大成て・・・ ベートーヴェンすら無視かよw ベートーヴェンって言うほど大した作曲家じゃないよな ベートーヴェンこそ至高みたいな奴が大勢いるのが理解出来ないわ 箸にも棒にも掛からん>>32 が偉そうに楽聖を貶すか お前のようなバカがなぜネット代を払えるのか理解出来ないわ >>28 そうだね、こういう対比はどの時代にもあるね ベートーベンとロッシーニとか >>35 大好きなベートーヴェンを貶されてくやしそうだな(^O^) ショパン「私が長生きしたなら傑作シンフォニーも書けただろうに・・・」 ブルマラがいいだなんて言って知ったかぶりしてる奴は曲そのものを理解していない さもオレは通だぞ、とうぬぼれている奴ばかり 今時ブルックナー、マーラーで通ぶれるとか いつの時代から来たのかね >>41 ドイツの交響曲を聴くなら ハイドン モーツァルト ベートーヴェン シューベルト メンデルスゾーン シューマン ブラームス ブルックナー マーラー これら9人の作曲家の曲はマストだよ コーホーはブルックナーは好きだったが マーラーはあまりお好みではなかった >>43 ハイドン モーツァルト ベートーヴェン シューベルト メンデルスゾーン シューマン ブラームス ブルックナー マーラー マストなら↓が正しいような気がする ハイドン モーツァルト ベートーヴェン シューベルト メンデルスゾーン シューマン ブルックナー ブラームス マーラー ブルックナーて不思議だよな。 クラシックファンには有名作曲家。 一般人には知名度ゼロ。 どっちも好きだが 4はブルックナー 5・6はマーラー の勝ち。異論は認めぬ >>46 大地の歌をあんなに愛してたら序列なんて分からん >>55 何がひっかかるの? もしかしてハイドンはオーストリアだよって話? マーラーの音楽にはまだ紫外線を感じるがブルックナーのは完全に引き篭もりもこじらせ感が半端ない マーラーには紫外線とともに水蒸気の存在も感じられる まとわり付く暑苦しさや遠景がかすむところがそうで つまりこれは地球上の自然の風景を象ったものだ それに引き換えブルックナーはCGっぽい >>68 逆? お前は何を言ってるんだ 人をおちょくるのも大概にしろ ブルックナーは後期ロマン派の域を脱せず古臭い マーラーは響きが現代的だが現代音楽ではない マーラーはあざとい ブルックナーは自然 この一言に尽きる ブルとかワンパターンだし繰り返し多すぎだし退屈てしょーがないやね >>73 へー わいはそんなこと感じたことはないから わからんやね マーラーは自分に自信がないから雑多な旋律を行き来してるような音楽 >>74 ワンパターンで単純な頭の人間にはわからないと思うよ モーツァルト交響曲第1番変ホ長調の完成度に比べれば両方子供の遊びレベル マーラーって指揮者によって主旋律+伴奏みたいに演奏する人もいれば現代音楽みたいに演奏する人もいるよね なんかシェーンベルクと勘違いしてるのかってくらいに >>76 よかったー単純さが 世の中大事だからね。 複雑に考える奴じゃん、自殺 鬱、嫉妬、ストーカー、 良かった単純で! マーラーは彼の周囲のことを音楽にする ブルックナーは彼の頭の中のことを音楽にする >>82 マーラーは当たっている ブルックナーはハズレだね ハズレと書くだけでこうだと言えない低能はレスする資格なし 迷惑だから消えうせやがれねー とりあえず、ほぼ最後の交響曲で 8,9番 限定でCDになっている演奏なら、良い悪いの比較ができるんじゃね? 大地の歌ってどうして交響曲扱いなんだ? どう考えてもカンタータか管弦楽伴奏の歌曲だろ 交響曲扱いしてるのはほとんど日本だけですね。マーラーは交響曲と記載していないので。 だから欧米でのコンサート・プログラムやCDも交響曲という表記にはなってない。 メータは「連作歌曲」と言ってるし、交響曲全集に入っていないことが問題になっていると聞いたことはないなあ。 交響曲という表記は「第九のジンクス」という話を拡大解釈して利用した日本の商業主義の賜物ですね(^^; 楽譜には Das Lied von der Erde としか書いてありません。 >>86 Wikipediaさんによると、副題に Eine Symphonie für eine Tenor und Alt (oder Bariton) Stimme und Orchester とあるらしいよ なお、英語のWikipediaさんにも Described as a symphony when published, it comprises six songs for two singers who alternate movements. とか Leonard Bernstein described Das Lied von der Erde as Mahler's "greatest symphony". とかあるので、まあ日本だけってことではない またって言うくらいなら100年前の作曲家の話自体するべきじゃないな スレ見返せば理解できる話を盛り返すなということでね 「話を盛り返す」という用例は珍しいな 普通は「話を蒸し返す」が一般的だが ブルックナーは生理的に受け付けない なぜかは知らぬ >>2 お前凄い偉大な人なんだな 普段どんなことしてんの? マラ5けっこう好きだけど相手が悪いブル5とは一突き半で土俵下まで吹っ飛ばされるってくらい重量に差がある 5番以降でマーラーに分があるのは6番だけじゃないか マラ5はアダージェットはホントにいいし第1〜第2楽章も好きだけど第3・第5楽章はまともに聴いていられない ブル6はほとんど前半楽章しか聴かない特にフィナーレは通して聴いたことが何回あったか? 第2楽章だけなら何百回も聴いてるけど… ないです そもそもブルックナーとマーラーでは核が違います マーラーを聞いて時間を無駄にしている人は頭が悪い人です って構わないで放置が吉なんだけど >>99-102 は明らかな自演 競わせる意味はないな でも多くの作曲家が5番になると特にかなり気合い入れて書いてる感じはする 番号意識してるのかな? 気合の入る勝負の5番だね 棋聖戦とかも五番勝負だし(これは違うか) ベートーヴェンの例のハ短調 チャイコフスキー ブルックナー マーラー シベリウス ショスタコーヴィチの革命 有名なのはこんなところ? 音響の総合体としてはブルックナーが交響曲として最も緊密だとは思うけど やっぱりアダージェットの魅力で個人的にはマーラーに軍配 だから何で5番同士で競うんだ? 単に5番目に発表した交響曲ってだけだろ ちなみにベートーベンは最初田園が5番で運命は6番だったんだぞ 吉松隆の5番がダダダダーン!で始まるのは確信犯だな マーラーはどうなんだろう? ベートーヴェンじゃなくなりますメンデルスゾーンの結婚行進曲じゃないかって話もあるらしい葬送行進曲だからね 運命動機と呼ばれる例のリズムは他の自作にも登場するし他の人にも当たり前に引用されてんな 5曲書かなきゃまだ一人前じゃないみたいな評価基準なのかね 5番は指慣らしも終わっていよいよ円熟期に入りましたでしょ的な期待を持ってカツモクすべきNo. 某功芳が、ブルックナーは人知を隔絶してる、マーラーはしょせん人間の世界に矮小化された音楽 なんて要らん事言って煽るから反発するんだよな あの人のああいう対立軸的批評、「ボクの好きなこっちはすごいんだぞー」式の (中二病とも言う。基本いつもそうだよね、クナには他の指揮者は敵わない、とかさ) 批評スタイル、ハッキリ言って百害あって一利なかったと思うよクラシック音楽にとって パレスチナとイスラエルの憎悪の連鎖も止まらんわけだわ、ああいう 人間の世界に矮小化された対立思考をたかがクラシックの批評でも捨てられないんだから ホラ怒れ、ブルックナーファン・功芳ファン さてこう書いたが、俺は決してブルックナー嫌いでも、 マーラーをブルックナーの上位に置いてるわけでもない 伝記を読むとブルックナーの苦労人ぶりはかなり好きだし 彼の交響曲は音響の構築性がすごい、と聴くたびに素直に感心する 俺が嫌いなのはマーラーをブルックナーの下に格付けしようとする一部クラシックファンの風潮 いやー今日はこの後夜にブロムシュテットによる第一番(巨人)だー楽しみだなー マーラーとブルックナーの差は音響の構築≒楽譜の縦方向の組み立てのトコロじゃなく横方向の構築の仕方でしょ マーラーのそれはマーラー嫌いの人には気まぐれで構築性が弱いように感じられるけどマーラー好きにはその変化の激しさがいい ブルックナーの場合マーラーやベートーヴェンなら一時間でも二時間でもモーマンタイなクラシックファンでも5分でモゾモゾし始めるって人が少なからずいる そういう人にとってはブルックナーの横方向の展開は余りにも変化に乏しく退屈なんだがブルックナー好きにはわかってねーなーの一言である もしマーラー好きの人がブルックナーは縦方向の構築はいいのに横方向がな〜とか思っているんだとしたらやっぱりブルックナー好きとしてはわかってねーなーと言わざるを得ない 付け加えとくと私はマーラーも嫌いじゃないというよりハッキリと好きだけれど 例えば5番の第1楽章〜第2楽章はマーラー的な気まぐれな変化を楽しんでいるしアダージェットは一切文句なしだけど第3楽章とフィナーレはとてもまともに聴いていられない 一番好きなのは大地の歌だけど比較的各楽章が短いから横方向の弱さが見えにくいというのも大きいと思う一番長いフィナーレは加算式で採点するならかなりいいけどトータルだと横方向の構築の弱さというマーラーの弱点が感じられる そもそも本質が違う ブルックナーは構造 マーラーは生成 哲学史でもそのどちらに重きを置くかは時代や個人によって違った ブルマラ聞いて悦にいってるナルシストには困ったもんだ 駄作に満足している知恵遅れとしかいいようがない ブルックナーもマーラーも緩徐楽章しか印象に残らない 速い楽章は二人ともヘタクソ >>116 >モーマンタイ 言いたい事はわかるがそれをいうなら メイウェンティ(没問題)だろ、プウトンホワ(普通話)なら >>121 俺もそう思う ブルックナーこそ突然の総休止(ミクスチャーストップ?)の後に 何事もなかったように別の動機から音楽が再開するようなところとか まさにそのつどそのつど音楽が生成してるように思えるけどね あと低弦がグリグリウネウネ動いてる上で金管が鳴り響くのはやっぱり縦の構築(音響)だと思う ブルックナーの交響曲は長距離走というかほとんど歩いてるから登山ってトコか ダッシュ&ストップまたダッシュを繰り返すマーラーはサッカーかバスケか 同じようにダッシュ&ストップの繰り返しでもベートーヴェンはマーラーより戦術的というかストライカーではなくプレイメイカー的な俯瞰する目線を感じるフットボール系でもサッカーよりラグビーかアメフトって感じか 異論は多そうだけどモーツァルトはマーラー派とブルックナー派に分類するならブルックナー寄りだと思う疾走してる方が例外だろう…というか大ト短調もベートーヴェンやマーラーのようにダッシュはしてないと思う どっちが好きかといったらマーラーだなあ ブルックナーを聴かずに残りの人生過ごせとなったら、俺はまあ、やってけるけど マーラーのアダージェットや第六は無いとかなり困る >>126 マーラーの死人臭い音楽なんて私は嫌いです。 ブルックナーは死人の音楽ではないので好き。 ブルックナーの第9番の4楽章完成版と マーラーの第10番の5楽章完成版の新しい研究者の版のCDが出たとしたら 買いたくなるのはマーラーの方かな 色気のない童貞妄想のブルックナー 色気が毒気に変質した狂気のマーラー 第一印象でマーラー好きにならなかった人が後から好きになるのは珍しいケースだと思うけど ブルックナーの場合むしろ最初に聴いて「わかる」方がむしろ例外だから第一印象だけでブルックナー嫌いになった人がそのまま食わず嫌いしてるのはモッタイナイと思うよ この辺もマーラーはベートーヴェン派でブルックナーはモーツァルト派だと思うんだよね モーツァルトはブルックナーと違ってわからないままでも結構聴けちゃうのがちとややこしいトコだけど いやどう見てもブルックナーがベートーベン派でマーラーがモーツァルト派だろ いやどう見てもブルックナーはベートーヴェンとモーツァルト派でマーラーはシューマン派だろ 大学オケで20歳前後の子達がブルックナーやるってのもなぁ。 >>131 いや俺が初めて聞いたマーラーは大地の歌だが 「何て気持ち悪い音楽だろう」だったよ第一印象 それが好きになったからその論法はちょっと違うんじゃないかな >>131 俺はブルックナーからクラシック聴き始めたからそれはおかしい まあ一番だから後期のとは違うけど 女に縁のない奴らが好むブルックナー 女に辟易した輩が好むマーラー >>138 ブルックナーについてはわからんが、マーラーに関しては当たってる 俺は小中学で女子からいじめられまくって、そんな暗い13歳の時 初めて買ったマーラーのCDが大地(女に厭世気分で自然回帰したかったのさ)だからな マーラーブームを巻き起こした指揮者といえば ワルター、バーンステイン、ショルテイ この3人の名があがる しかもこの3人の共通点は全員ユダヤ人だということ クラシックを聴く習慣がない一般人にはブルックナーもマーラーも似たような雑音でしかない 何が「で?」なの? くやしくてそれしか言えなくなっちゃったの?(^O^) >>141 ブルヲタのこういうところが嫌い 巣にこもって第8をエンエンと聴いてりゃいいのに 大好きなブルックナーをバカにされて悔しいとはっきり言えば? ブルックナー交響曲全集を最初に完成させたのはヨッフム 1回目はDG、2回目はEMIに全集を残した 2回目が発売されたときレコ芸のヘボ評論家は ただ録音が新しいというだけの理由で推薦盤にしたが 年月が経つと同時に元の1回目の全集をヨイショし始めた レコ芸の評論家なんてこんないいかげんな輩ばかり >>150 5ちゃんでは言葉の揚げ足取りをするのは負けを認めたのと同じこと 一般人じゃないのが一般人について決めつけしたり議論したりしても無駄だ マーラーよりブルックナーの方が人気のある国なんてドイツとオーストリアくらいじゃなかろうか ブーレーズも未だにフランスではブルックナーは受け入れられていないって言ってたし マーラーフリークの指揮者や作曲家はロシアから南米まで世界各国にいるけどブルックナーフリークは主にドイツ語圏とイギリスや北欧に偏ってる感じだ それはモーツァルトに関しても言える ベートーヴェンのファンはライト層からコアな層まで満遍なくいるがモーツァルトは指揮者も聴き手もかなり限られてくるマニアックな音楽だ そんなマックのハンバーガーが世界一みたいな理論をクラシック音楽に適用されましても ブルックナーとマーラーを対決させるなんて、間違い 世界の王と白鳳を対決させているようなもの、お門違い まあ正直なところブルヲタから見るとね、マーラーの特に9番終楽章冒頭なんかはブル9アダージョ冒頭の丸パクリなのが見え見えで、どうしても格下臭がするんだよね。 しかもブル9の方はあの短9度の跳躍が楽章中に執拗に繰り返されていてつまりは楽章全体の鍵になる音型なのに対して、マラ9アダージョ冒頭のオクターブの跳躍はその後の音楽にほとんど何も影響してこなくて、本当にただ取って付けただけとしか思えないのが、ちょっとねえ。 んなこと言い出したらブルックナーなんかひたすらベートーヴェンの第九のパクりじゃんw うん、だからブルックナーがベートーヴェンより上だなんて全然思わないし格下で全然かまわないと思ってるよ。 それに、パクリ自体が無条件にダメだとは言わない。まったく模倣の要素のない創造なんてないだろうし、より説得力を増すようならそれはそれでアリだと思う。でも上に挙げた例はとりあえずちょっとあまりにあからさまな割に効果としてはね…という話。 >>156 日本でブルマラどっちが人気なのか、って流れに乗って書いたわけだが いきなりマックのハンバーガーとか笑ってしまいましたわ >>163 くやしいのを隠して笑ってるってバレバレ ブルヲタってホント頭おかしいんだな 紛れも無い事実にさえ「跳躍」した屁理屈で食い下がるんだもの ローカルでしか好まれない閉鎖的なオタク気質がもろに出てるし国際的に受け入れられてるマーラーに対する妬み嫉みがひどい 因みにマーラーの9番4楽章の冒頭は回音音型が楽章を構成するれっきとした鍵になっているし第1楽章とのリンクさえある まともに聴かず(理解できず)マーラーを見下してるブルヲタってマジでレベル低いっすわ〜 まあ宇野や福島も虚もブルヲタだし、ブル>>マラな印象植え付けてたし、そういう連中に影響を受けて 刷り込まれてんでしょ ジャップが「神のための音楽」とか「信仰心に満ちた」とか「敬虔」とかいう表現で ブルageマラsageしてるのを見てると変な笑いが出る ブルックナー自体は好きなんだけどな 信者がナチみたいに選民意識高いやつ多くてどうも >>167 悪魔のチョンがよく言うよ 悪霊退散! クラには縁もゆかりも持てない低級霊はとっとと消えろ なんでウンコ食いのチョンがクラ板にいるんだろう そしていつもジャップ連呼して得意がってる チョンなんて日本が助けてやらなければずぅ〜とシナの奴隷のままだったのに 恩知らずのチョンは地球が破滅するまで日本に害をかけまくるんだろうな ネトウヨくっさ いい歳してネトウヨ拗らせてんじゃねえよ 今は日本人でも日本人が嫌いな人増えてるしな 日本人が嫌いって言っても、お前らのような恥ずかしいネトウヨという惨めな存在だけが対象だけどw ネトウヨがネット右翼のことだと思ってるマヌケな人? ・半島人が一番半島人を嫌っている件 ・次は絶対に半島人には生まれてきたくないと殆どの半島人が思っている件 ・半島から脱出したいと心から願っている半島人が全半島人の半分以上いる件 ・本当は日本人と同化したいのに抜け駆けを許さぬ嫉妬深さで足を引っ張り合いから逃げ切れずに悶え苦しんでいる半島人のなんと多いことかの件 ・ネトウヨと揶揄される特徴の全てを備えて凌駕していることを自覚しているくせに他人事のように振舞う半島人のなんと多いことかの件 ・自尊心の低さから卑屈な根性を丸出しにして常に卑怯な振る舞いに逃げて生きている半島人に自殺者が多い件 K国は、金欲しいだけなんだろ 倫理もへったくれもない 過去の歴史においていじめられてきた人たちの体質 ブルもマラも見せかけだけのインチキ作曲家 誇大広告そのもの じゃあ見せかけだけのインチキではない本物の作曲家は誰ですか? こう聞くとこういう奴は絶対に答えないんだよな ベートーベン、シベリウス、バルトーク、プロコフィエフ シベリウスはブルックナーにかなり近しいと思うけどなぁシベリウスは好きなのにブルックナーは嫌いというのはホントに聴いてっか?と思う あとネトウヨってネット右翼の略じゃないの? ググってもそうでてくるんだけど? 偉大なる交響曲作曲家はやはりベートーヴェンとブラームスだろう まさに東西の横綱だよ ブルックナー、マーラーなんて下っ端のふんどし担ぎにすぎん 見せ掛けでなさ過ぎてガチ過ぎて身内からも見放されたもう如何しょうもないレーガーというのがおってな シベリウスは自然派、情緒主義 ブルックナーは宇宙派、客観主義 交響曲作家と言えばまずベートーヴェンというのに文句はないがブラームスには異議有りだ けして嫌いじゃないがスケールが小さい 同じ人間ドラマでもベートーヴェンのは波瀾万丈の大河ドラマだがブラームスは田舎のオッサンの私小説って感が 対してブルックナーの交響曲には人間がいないとよく言われるけどこれはシベリウスも同じ こういう区分だとマーラーはベトブラ派だな;扱ってるテーマはベートーヴェンと比べれば私小説よりだけどスケールめいっぱい広げて大河ドラマっぽくしてる ベートーヴェン シューベルト メンデルスゾーン シューマン ブラームス の流れで良かろう >>184 ベートベンの扱うテーマは人類的な最大公約数的でありブラームスの扱うものは小数点以下の個々の精神の深まりである その焦点の当て方を無視した論法はイササカ乱暴である >>188 テーマ設定もそうだけどドラマの組み立てというかサイズのスケールが小さいと思うんだよねベートーヴェンと比べてそうなのはもちろんマーラーはブラームス同様にかなり私小説的なテーマ扱ってるのに大伽藍造ろうとしてるでしょ? 組み立ての技術はブラームスの方が上だと思うけどこじんまりとした家建てて満足しちゃってる感は否めない ちっちゃな家でもバランスよく整えられている方がいいという人はブラームスの方がいいんだろうけど全体のフォルに歪みがあっても大伽藍の方がいいという人はマーラーの方がいいでしょう ブルックナーの交響曲は全体のフォルムは美しい大伽藍だけどマーラーとは対象的に細部の装飾が飾り気がなさ過ぎる ブラームスにはそもそも建築(交響曲)に見えなかったようだけどそれはお互い様だ ブルックナーは大伽藍、建築主義 ブラームスは高級絨毯、手織り主義 >>191 手織りの絨毯って上手い例えですね ただブルックナーとは質とサイズが全然違うけどブラームスも立体的な感は強い ベートーヴェンはけっこう平面的に感じることも多いけど 作曲法はブラームスの込み入ったやり方が深みのある味わいを醸しているけど構成に関しては1番以外はさほど上手く出来ているとも思えないんだよな 後に行くほど弱まってる感もある ベートーベンの音楽話法は不躾なくらいのインパクト主義だから深みを醸すとかの種のものではないがその分、構成力に依存するゆえより硬派であろう 分かりやすい力強さでベートーベンは勝るので>>188 でいわれた最大公約数的とは言えるだろう ブラームスの話法は>>193 がいうとおり重層的で聴き様によってはどこかいじけたようにも聴こえるが節度のリレーで行われる内面吐露の連続だからかなり細やかな踏み込みが可能なやり方だ このように両者は全く異なるアプローチで交響曲を書いているのであるから一方的な見方で片方を論ずることは乱暴だろうな まともな人間ならブルマラのようなくだらないものなど聞かない コーホー先生の弟子で、シンボーと申します ブルマラと略してはいけません、それだと、僕の好きなブルマーになっちゃいます マーラーはインチキだけど、ブルックナーは真面目な大作曲家だと言えよう ブルックナーってたまたま音楽関係の仕事してたから作曲家になれただけで全然才能ないよな マーラーの才能は女が支えている ブルックナーの才能は少女への妄想が(以下ry ドッチを聞くかって言われたら、ブルックナーを聞く 5番とか9番がいいな マーラーも3番までだ、3番のアダージョは圧巻 しかし、8番はとてもじゃないけど聞いてられない 嘘くさくて、気持ち悪くなってくる ドッチを聞くかって言われたら、マーラーを聞く 9番とか10番(クック版)がいいな ブルックナーは9番だけだ、9番のアダージョは圧巻 しかし、8番はとてもじゃないけど聞いてられない 嘘くさくて、気持ち悪くなってくる 言い方真似ないでくれ ブルックナーの8番は、真摯な精神力がいかんなく発揮された名曲 マーラーの8番は、宗教的色付けをして詐欺師的性格がいかんなく発揮された迷曲 ドッチも長すぎて、手軽に聞けん 素人が言うのもなんだが、アダージョなんとかならんのか ブル9やマラ3は、いいにしても、他のは圧縮できんのか せめて55分ぐらいにまとめてほしい 交響曲がだんだん長くなる理由、おせーて 容易に理解されてたまるか ⇒ 難解に ⇒ それでも分かった風な振りをされる ⇒ メッチャ長くして捕らえ処をなくす ⇒ どや! 自分のイメージを分かってもらおうとして、長くなるのか かえって退屈だし分かりずらい、普通のクラシックファンには? だらだら続くチョウダイなアダージョが好きで、楽員がしらけてるのに ひとり悦に入っている指揮者がいるらしい マラ3ってふつーのオケがふつーにレパートリーにしている交響曲じゃ一番長いと思うけど? もう一楽章追加しようとしてさすがに長すぎると思い直しそれが独立して4番のフィナーレになったそうで…マラ4の間違いですかね? マラ3は最後のアダージョだけでいいよ そういってる人が何人かいた 歌唱の部分を美人でグラマラスな人がやるなら、そこも必要 交響曲に声楽を入れてもベートーヴェンのパクりだねって言われるだけなのにマーラーは何で執拗に入れ続けたんだろう あと命、人生、死後、戦争など、どうしても言葉で伝えたいことが多かったのでは。 誤解を恐れずに言えば 1時間や2時間の時間すらままならない馬車馬のような人間に クラシックはわからない バッハを聴くなら三時間でも短いがマーラーを聴くのは十分でも長い クラシックは宗教曲から始まったのかな でも、宗教に関係なく、感動できるところがクラシックのいいところ だから、故意に宗教的人生観みたいなものを曲に盛り込むのは嫌い 特にマーラーは 太古の昔、強い軍人と上手い音楽家は神格化されてたからね 前者からは皇帝が出たけど後者からは出なかった しかし音楽家になろうとした皇帝はいた それはよいとして、音楽も神への供物と考えられてきた ゆえに神聖なものでなければならなかったのがクラシック音楽のご先祖 ここまでは>>222 の言うとおりだがその後価値観の多様化の容認と 他ジャンルとの混合が進んでそう神聖なものでもなくなっていった ブルックナーは神に捧げてるけど麻辣は文字通り自分が神だと思いたがってるからな 自分が俗物のユダヤ人であることをマーラーは自覚していたのでは 何十年か前に「近いうちに俺の時代が来る」って言ってたらしいよ 相当の自信家、傑出した楽曲作成能力、詐欺師的装飾 100年前に死んだ作曲家が何十年か前にそんなことを言ってたのか! あなた霊媒師か何かですか? 間違った、晩年に、そう言ったそうだ たしか、CMで5番が使われたころ、そんな話を聞いたことがある 生前だって、人気あったろうに? 仏教では、正法・像法・末法史観があるけど 末法初期に出てきたのがマーラー ちなみに、正法は、バッハ、ベートーベン時代 末法思想って昔からあるんだよな つまり「昔はよかった今は世も末だ」と考える人は昔からいたってこと そう思うと世も末だなんて拗ねてるのがバカバカしくなるよな j.s.バッハも人工的すぎるって末法扱いされてたからな ユダヤ人はキリストをも殺した 世界の嫌われ物がユダ公とチョン公だ ただしチョン公の場合はあまりにも知能が低すぎて比べものにならんがなw 一番世紀末的なイメージの作曲家ではあるよねマーラー ロマン派の最後のあだ花って感じで 第二次大戦以降まで生き延びたリヒャルト-シュトラウスという例外はあるけどこの人は作風はともかく人格がマーラーとは対照的に世渡りに長けた感じが世紀末感を薄くしてる 末法時代と、一言では言えん 音楽の場合、何が真実かは決まってないから マーラーやベルクは問題あるけど、バルトークやプロコフィエフは、末法音楽とは 断じることはできない プロコフィエフには、新しい扉を開くカギがある気がする 西村先生も、大変賞賛していた バルトークは一種の通俗音楽だろう 俺は好きだがドヴォルザークを好むように愛している シェーンベルクをベートーヴェンのように愛するのとは差があるな 最近マーラーに浮気してる 年明けには戻ってくるから許して >>239 BSフジ。30日午前8時〜 マーラー第8番・千人の交響曲オンエア 京都市交響楽団・広上淳一 京響が日本一のオケと知らしめた超名演。 生前の論争はブルクナvsブラムスだった 今はそんな論争は誰もしなくなった ブルマラはブラームスと同時代人とは思えないんだが ではブルマラの先駆となった作曲家は誰なのだろう? ブルックナーとマーラーの共通点は二人ともヴァーグナーの崇拝者ということ ここに答えがあるかもね そもそも角笛とか、歌詞自体が戦争関連ばっかだからな。マーラーの作曲家人生全体が反戦運動といえなくもない。 どっちもたいしたか事ないけど マーラーは聴くに値しない 先日、フィンランディア聞いたけど、感動した シベリウスは、ブルックナー系統だよね やたらとすぐに絶叫途絶しちゃうシベリウスはちょっと何言ってるかわからないですね せめてブルくらい時間かけてやってくださいよ マラさんは・・・ あれはそういう病気でしょうから(怒ってるし) シベリウスの自然が美しくも厳しいのはそういう国だから仕方が無い。 ブルックナーの自然は優しい シベリウスは一番の傾向で行けばよかったのに二番はあれだし三番は迷走だし シベリウスをブルックナーごときと 同列に論じないで頂きたい シベリウスの精神はブルックナーより遥かに気高い シベリウスは4番以降の交響曲が素晴らしいよね ブルックナーは生涯テンプレートが変わらなかったけれど シベリウスは作品ごとに構成の可能性を追求しているように思う で、時代の趨勢もあって曲を完成できなくなってしまうけど 4番以降がいいなんて、相当なシベオタですね 僕は、1,2番くらいしか、良さが分かりません でも、ブル9のほうが、優れているような気がしますけど シベリウスには宗教性が感じられないね 本人はどうなのか知らないが 交響曲でしか評価しない出来ないのがクラシック通、音楽通を自称すと音楽は貧しくなる シベリウスは交響曲よりタピオラなど交響曲詩や劇音楽の方が評価が高いし傑作も多い シベリウスは五番フィナーレの第一主題が素晴らしい あのうねるような感じはブルにちょっと近い感じがする ブルックナーもマーラーも 長げーよ( ̄^ ̄)!/~ ブルックナーもシベリウスもどっちも素晴らしいよ 優劣を比較する必要なんかないし、このあたりのクラスの作曲家になるとまずできない 自分の嗜好を優劣のように書いているだけなんだろうけど ブルックナーの9番がお好きならばシベリウスの5番や7番あたりは 少し興味を持たれるかもしれませんね そうですね、タピオラも素晴らしい作品ですね 私は、ブルックナーは9番、マーラーは9番と10番が特に好きで いずれも未完あるいは最終稿ではないであろうというのが ブルックナーとマーラーに少し申し訳ないと思います スレッドのタイトルに従うならば どっちもすげえ作曲家だからなあ…日によって違いますね ブルックナーもマーラーも素晴らしいとか言うような聞き方でブルックナーを聞かないでほしいw マーラーは根っこがやんでるから本気で聞くと病む 平気でマーラー素晴らしいとか言ってるやつは聞きが甘い >>265 では、どの様な病になったのか具体的な症例を挙げてくれ ・誇大妄想症候群 ・神経過敏症 ・オレオレ第一主義 ・日和見症候群 ・パクリ症候群 他 マーラー自身たしかフロイトに診てもらってたんだよな ブルックナーもマーラーも両方素晴らしいと言うとマーラーヲタは容認するのにブルックナーヲタは気に食わないらしいな マーラーは音楽を作る人 ブルックナーは音楽を発見する人 しっかりと土に根を下ろしている一方でやすやすと天空に飛翔してしまえるブルックナー どちらにも徹することができず宙吊りの根なし草の苦しみを切々と訴えてくるマーラー 現代人にはやっぱりマーラーの方が身近に感じられるとは思うけど、だからこそブルックナーのような魂のあり方に憧れるというのも分かる 昔はブルマラ論争なんて無かった。親子ほども年の離れた師弟というだけだ。 世代的にマーラーと対比させるべきはリヒャルト・シュトラウスだろう 録な判断も出来ない医者に任せておけないのが現状ではあるけれども。 依存症、無理矢理共感を呼ぼうとするところが嫌われているのでは。 焼き鳥屋で 「おまえ、マラ聞いてるんだって?」 「チンチンじゃねえよ、マーラー」 「どんなのよ」 「一番が巨人でしょ、二番が阪神、三番が広島・・・・・」 「野球みたいだな、いつどこの人よ?」 「19世紀のオートリア人、歌劇場音楽監督、ブルックナーとワーグナーを混ぜた人」 「何か分からんな?どこがいいのよ」 「処世術にたけてんだよ、日和見だしな、見習いたいよ」 「キャバクラ行くか?」 「おーー、ゴッドファーザーに行くか?」 「つぶれたんじゃないのか?」 「いや、復活した、また、俺の時代が来たんだ」 ブルックナーヲタはマーラーをこき下ろそうと必死だけどマーラーヲタはブルックナーをこき下ろそうなんてしない それが答えだろう う―――ン、分かってるな ハイレベルってことね!? >>255 そういう思い込みの押し付けが、クラシック離れを助長している。 色んなスレで、シベシベいうのやめとき! シベリウスも好きだが、このスレでなにもブルックナーやマーラーより優れていると言わなかとも、他スレで言えば良い事。 この人もシベスレ以外でもシベシベ言ってるからスレ違いの常習犯だよ。 焼肉屋で 「おまえ、ブルックナー聞いてるんだって?」 「おー、5,8,9番なんか、たまに聞く」 「どこがいいのよ?」 「構成感というか、立体的な構築性が素晴らしい、なにか自然の中で流れてるような音さ」 「でも、結構他人の手が入ってるんだろ」 「そうだな、演奏しにくいってことで、弟子や後世の作曲家が手を加えたのさ」 「大乗仏教みたいだな、釈尊の直伝が後世の学僧たちによって捻じ曲げられたのと同じだな」 「クラブに行くか?」 「おーーボーナスも入ったし、沙羅に行こう」 「でも、先日のマラの話とはレベルが違うな」 「うむ」 >>283 >>277 ブルックナーヲタは本当に頭が悪いな 【演奏側から見た感想】 ブルックナーもマーラーも、終楽章が決まって長く難しい 特にマーラーは、無法地帯が100キロも続くような内容で 「お気持ちはよーくわかりましたから、そろそろ勘弁して」 と思い始めてから、まだ8ページも残っている 『バイオリニストに花束を (中公文庫)』 鶴我 裕子(元N響バイオリニスト) ↑そう言う元プロも居れば 参加金払ってでも、その曲を弾きたいと言うアマチュアも居る 皮肉なもんだな >>286 Bruckerの場合は第1楽章の終わりで「もうtremoloイヤ」ってなるんじゃないの? プロのヴァイオリニストってより女性ってトコがポイントな気がしなくもない ブルックナーに女性ファンがいないってのはブルオタが(自虐的に)共通して語るところ マーラーはいくらかマシだろうけど平均よりはだいぶんヤローに偏ってそうに思う >>220 妙に腑に落ちたよ その強化版がオペラだね ワルター指揮テ・デウム&亡き子を偲ぶ歌(1952)米盤LP解説より Bruckner has been compared to Schubert in the symphonic field, Mahler compared to Schubert in his feeling for the song. The relationship between Bruckner and Mahler is a direct one involving many points of common interest and also individual divergencies and dissimilarities. Some of Mahler's extraordinarily poetic uses of particular instruments, horns and trumpets especially, are inherited in part from Bruckner. Perhaps one other point of contact should be mentioned: Mahler accepted a formal conversion to Catholicism in order to qualify for the official post as Artistic Director in Vienna, a semi-state position. Mahler's musical references, nevertheless, were always personal and eclectic, drawn from his great spiritual kinship with nature, folk music and with humanity in its broadest aspects. けっこう昔の話だけど大学の同級生が巨人が好きって言うから第三楽章は好きだよって返したらとたんに暗い顔になってその楽章は嫌いだって言った 高校の吹奏楽部(!)で演奏して難しくって嫌いになったそうな 根性ある吹奏楽部ですね!って言っといた 実際の影響関係としてはむしろこうだろうな ブルックナー ←ヴァーグナー → マーラー ハンス・ロットの交響曲第1番は、ワグナー、ブラームス、ブルックナー、マーラーをまぜて、割ったような曲。 数ヶ月前にFMで放送されたのを聴いて、新鮮な驚きだったわ。マーラー、ブルックナーファンは一聴すべきだね。 >>297 ワーグナー、ブラームス、ブルックナーはわかるがマーラーの要素はほとんどないように思う マーラーファンがハンス・ロットの交響曲を初めて聴いたら、好きな曲がもう一曲増えたような気分になるかも。 >>40 それはない 中原中也は長生きしても大小説は書かない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.1 2024/04/28 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる