ハイドン総合スレッド14
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この間、N響アワーで常任とハイドンやってたけど
例によって鼻につく演奏で、後でお気に入りのCDでお清め
ハイドンこそは奏者を選ぶと、あらためて思った 小学校の卒業式で掛かった曲を調べています
ハイドンの曲なのは間違いありません
厳かな感じです
ダーラーーラーラーラーーラ(低い音、厳か)、ラーラララーラーラーー(少し高い音)、
ダーラーーラーラーラーーラ(低い音、厳か)、ラーラララーラーラーーラー(少し高い音)、
ラーラララーラ、ラーラララーラ、ラーラララーラーラーーラ↑ーー(少し高い音)
ラ↑ーラララーラーラーラララー
ラーラーーラーラーラーラララーララー(←この行は正しいかわからない)
分かりましたら教えて下さい ハイドンが分かるのは30代以上か 表面的な斬新さより実質的な斬新さ N響もちったあ鼻につく演奏をできるようになったかい
賞味期限がとっくに切れているCDでもお聴きになって
枯れまくっていろや 10代の頃からハイドン好きで普通に聴いてたが
勝手に選民思想を押し付けるなよおまえら この間、トーマス・ファイのハイドン聴いてみたけど
例によって気持ち悪い演奏で、後でお気に入りのコリン・デイヴィスでお清め
ハイドンこそは演奏者を選ぶと、あらためて思った 気持ち悪いか? 快演だと思うけどな。
コリン・デイヴィスとコンセルトヘボーのハイドンも悪くはないが
できるだけ新しい録音で聴いた方がいいぞ
デイヴィスなら晩年にLSOLiveでリリースしてるにザロモン選集、
同じくLSOLiveの『想像上のオーケストラの旅』 サイモン・ラトル
ヘボーにもサーコリンと録音した少し後にアーノンクールと録音した
ザロモンセット(テルデック)があるので感覚をアップデートさせたほうがいい。 例によって でも判ることだが
ファイのような演奏は
そんなにはない。 ファイの演奏はアーノンクールの演奏を参考にしていると思われる(ファイは一応アーノンクールの教えを受けている)
が、アーノンクールとしては心外に違いない 俺的には古楽派のモダンオケ演奏は苦手なの多いんだがアーノンクール/コンセルトヘボウの組合せだけは例外的に受け入れられる演奏だった
でもアーノンクール/ウィーンフィルのは俺の苦手な古楽派のモダンオケの鳴らし方でダメだった モダン楽器オケのピリオドアプローチのことだろうけど
指揮者の力量もあるわけだが、そこには
オケのピリオド奏法の理解度、応用力、指揮者への信頼関係もあるだろう。
そういうのって一度や二度合わせた手度では難しい事なんだろうが、
アーノンとヘボーの試みは
奇跡的な相乗効果をもたらした稀な例なんじゃまいか
ヨーロッパ室内管との一連の録音もその域までには至ってないと思う。
ファイの場合はバロックはピリオド楽器、
ハイドン以降はモダン楽器でやっているが
来年来日するクルレンツィス&ムジカエテルナも
バロックあたりまでの古楽はピリオド楽器と奏法で録音してるが
古典派やロマン派以降はモダン楽器でやってるんでしょ? 「古楽派のモダンオケ演奏」や「古楽派のモダンオケの鳴らし方」ではなく
「モダンオケの古楽派の演奏」や「モダンオケの古楽派の鳴らし方」か。
まぁこのご時世「古楽派」というのもそもそもわからんけどw 流派でまとめちゃ絶対いかんのです!
1.古楽器を使っていても解釈や奏法にそれほど考究してないやつ。
2.モダン楽器使用でも当時の仕来りやマナーなどを理解している者。
大きく違う。もうぜんぜん別ものですねん。
因みにアーノンクールとファイは全然タイプ違うように聴こえるが
大別するなら後者に属する。 >>21
解釈や奏法に考究してる演奏とは、どういう演奏を言うんですか?
当時の仕来りやマナーとは?
この質問はかなり興味があるから是非答えてほしいわ。
まさか少人数でノンビブラートなならO.Kとか言わないだろうなw 少人数でノンビブラートは充分条件じゃなくて必要条件 昔のピノックやホグウッドあたりみたいにノンビブラートも悪くないけど、ビブラートも悪くないよ。
ビブラート入れると演奏が生き生きする場合もある。
もちろんモダン楽器でやるような演歌のこぶしのような下品なビブラートはNGだけどね。
(演歌のこぶしは下品ではありませんが) グッドマン指揮ハノーヴァー・バンドのCDがめちゃんこ好きでありんす >もちろんモダン楽器でやるような演歌のこぶしのような下品なビブラートはNGだけどね。
だからなぜピリオド楽器かモダン楽器かでこんな極端な話をしてしまうのかと。 >>22
ひと口に言えばアゴーギク。
モダン思考は楽譜に記されてる以上の事はしない、できない。
楽譜がすべてだからだ。
古楽器を使用していても音符をすべてマルカートで処理してる演奏がそれ。
楽譜には最低限の情報しか書かれていないと読み取るのがピリオドで
レトリックを重要視する。
指示がなくても声部が薄い部分ではテンポを落とす
なども当時の仕来りやマナーのうちであるかと。 パリ交響曲をCD1枚に1曲と別の作曲家の曲を組み合わせた
ドラロージュの企画に期待していたが
演奏は@タイプで繰り返しも省略してるようで
がっかりこの上なし。 >>28
> 指示がなくても声部が薄い部分ではテンポを落とす
声部ではなくて、音符が少ない部分ではテンポを落とす、だと思ってた
16分音符ばかりの部分は速めに、4分音符ばかりならゆっくりめとか 古楽器界隈はそういう勝手な解釈にまみれてて、ロマン主義の巨匠以上に作曲家と聴衆を欺いてるから嫌い。 前スレ終盤に出てた質問がスレ終盤過ぎてアダム・フィッシャーだけで終了しとるな
995 名無しの笛の踊り 2018/10/24(水) 20:06:19.82 ID:SxXPTYer
交響曲50番から81番までの録音でいいのはある?
古楽器は抜きで
996 名無しの笛の踊り sage 2018/10/25(木) 21:11:06.85 ID:NKrBRsPP
>>995
アダム・フィッシャー >>31
勝手気ままの思いつきというより
そういったことが考証、解釈のうちなんだよね。だから嫌なんだろうけど。
旋律を歌わせれば
かたちになるモツとハイドンの違いが
巨匠とやらの多くは判ってないと思う。
>>30
そっちかも。わりい。 メヌエット楽章のトリオ部でわりと
速度を落とす人が多いから、それと
ごっちゃに、、、。 >>30
そんなのは指揮者や演奏者によって違うだろ。
古楽器演奏はみな同じなわけないじゃんw モダン(70年代あたりまで)の古典派のとらえ方が
どれもやんわりと平穏すぎねくね?
ドラティもモントゥもベトではかなりアグレッシブに攻めるのに対して
ハイドンだと極端にぬるま湯みたいな演奏をしてる。
そういうのって単に60ー70年代における古典派の解釈ってだけで
それ以上も以下も存在しなかった。 1970年代前半のヨッフム,LPOのロンドンセット全集は少し荒々しい感じがして93番、101番の両端楽章なんかはかなり俺好み
LPOの弦がBPOやVPOと違って全然美しく響かないのが逆に良い セル、ヨッフム定番のようだが
今となってはやはり管弦打のバランスが
弦楽器中心のロマン派サウンド
なんだよね。せめて両翼であれば… 古い世代のモダンオケ演奏でもヨッフムはセルやカラヤンみたいに洗練されてない感じが良い
と言ってもあまり理解してもらえたことはない >>31
変に管楽器補強やらさせてた指揮者も多いな ハイドンの交響曲、疾風怒濤期よりも、初期の方が好きだな。
小さくまとまってるせいだろうか。
ハイドンの交響曲は、106曲全部が傑作だな。 ハイドンのピアノソナタって、確か、
歴史的には評価低かったよね。
最近再評価されるようになったわけで。
誰か、詳しい人いない?教えてください。 >>23
少人数であることとビブラート(奏法)はそれぞれピリオドのいち要件であって
常にセットでクリアされてるとも限らない。
たとえば実際にエステルハーザバンドの弦の人数(3,3,1,1,1)で
録音しているのはソロモンス盤(80年代)とホグウッド盤(90年代)のみ
だと思う。
ドラロージュやザロモンのオケだと逆に人数が少なすぎということになる。
どっちにしろそれらしく響いていれば良いだろ程度が現状っすね。 >>43
再評価されてるの?
スカルラッティ、ラモー、クープラン
などもとがチェンバロ用のバッハ以外の音楽は
ピアニストからあまり理解されてないのでは
タローとかヒューイット、ハイドンだとアンドレ・アムランらの
録音が目新しいけど。 >>37
終楽章のテンポプレストがファイの倍くらいの速のさで( ・∀・)=b グッジョブ
ジャケも好みなので( ・∀・)=b グッジョブ >>43
詳しい人ではないけど、ハイドンはそもそも鍵盤楽器が得意な人ではないから
ハイドンと言えばコンサートマスター(第1ヴァイオリンの首席) スカルラのおすすめのピアノ演奏教えてくれ
チッコリーニ以外で >>43
リヒテルなんかはハイドンのソナタを高く評価してるよ。
グールドは評価はどうだったか知らんけど死ぬ直前の録音の中ではハイドンの後期6曲ソナタをチョイスしてる。
俺も後期のソナタはどの曲も好きだな。
時代的に完全にピアノのために書かれてるし、ところどころベートーヴェンの時代に繋がる響きがある。 グールドのハイドン評について調べたら、手紙でもハイドンにハマっているとか書いてて全曲録音を望んでたらしい。 アンドラーシュ・シフ
「ブレンデルと私は多くのハイドン作品を録音していますが、ハイドンの魅力を世の中に広めるという意味では、あまり貢献しているとは言えないでしょう。
ハイドンが偉大な作曲家であることは誰もが認めていますが、彼の並外れた創造力、豊かなイマジネーション、ユーモアのセンスを真に理解している人は多くありません。
たとえば彼の最後のソナタ(Hob.XVI:52)ですが、変ホ長調の曲なのに、第2楽章はホ長調で書かれ、中間部はホ短調になっています。なんと大胆で奇抜な発想でしょう!
彼はパパ・ハイドンと呼ばれ、温厚な老人というイメージで語られることが多いですが、彼の作曲書法はそのイメージとはまったく違います。
彼の楽譜にはまったく無駄がなく、最も少ない音符で実に多くのことを語っています。
素敵なピアノ三重奏曲など、彼の作品を弾くたびに、私はこの上もなく幸せな気持ちになり、彼こそがこの世で最も偉大な作曲家なのではないかと思います。」
「最後のソナタ(Hob.XVI:52)ですが、変ホ長調とホ長調の間の距離感を聴衆が理解していなければ、ハイドンのユニークな発想、調を間違えたと思わせるユーモアに気づくことはできないでしょう。
同じように、第3楽章の冒頭のG音の連続は「冗談」……、ただ聴いただけでは、第2楽章の結尾部のホ短調の続きのようですが、左手にE♭音が現れて、騙されていたことに気づき、その後で変ホ長調に戻ります。
しかし、ハイドンはただユーモアにあふれていただけではありません。この作品は、小さなモティーフで大きな構造物を組み立てるような技法を使っています。
第2楽章の主題のメロディーは第1楽章の展開部から生まれ、作品全体が循環し、ハイドンの傑出した才能を感じさせます。それがベートーヴェンに大きな影響を与えたことは間違いありません。」 >>52
>ブレンデルと私は多くのハイドン作品を録音していますが、
>ハイドンの魅力を世の中に広めるという意味では、
>あまり貢献しているとは言えないでしょう
これは謙遜でしょう
てか、ブレンデルの巻き添え事故のようなw ハイドンのピアノといえばブッフビンダー
シフやブレンデルは余計 ブッフビンダーはハイドンの方もベトと同じholger matthiesのジャケだったら
よかったのだが!
因みに交響曲ではアーノンクールの初出3枚、DGオルフェウス室内管の数枚、
そしてDGカラヤンのパリ交響曲がLPバラと初出CDの
異彩を放つ芸術的なカバーフォトがそれです。 なお、アンドラーシュ・シフさんはグレン・グールドさんのハイドン演奏には否定的
ソースはハイドンのピアノソナタ集のライナーノート グールドのはなんだか乾燥した感じのせわしない弾き方だし、しっとりとた感じのシフとは大違いだしな。
バッハの曲は元々チェンバロやクラビコード向けに書かれててバッハ本人も早めの弾き方してたらしいから合ってんだろうけど。
ハイドンのピアノソナタは後期のはピアノ向けに書かれてるしなー グールドもあまり好みじゃないがシフは一音一音を大切にしていないから苦手だ ハイドンの交響曲106曲を、やっと続けて聴き終わった。
弦楽四重奏曲では、こうスムーズには聴けなかっただろう。
弦楽四重奏は、音源的に、どうも飽きる気がする。 弦楽四重奏は全何曲なんだっけ?
ホーボーケン番号は83までだけどホフシュテッターのセレナーデを代表に偽作あるし十字架上のキリストの最後の七つの言葉の弦楽四重奏版で何故か一楽章ずつ番号付けてるし無駄に数字多くなってるよね Op3はご存知偽作、Op.1と2はディヴェルティメントに分類されているので
Op.9から勘定すりゃいいのです。
最近の録音はどこもOp.9から始めております。 アントニーニのハイドン全集企画、ピリオドオケのイル・ジャルディーノ・アルモニコで録音したのは4枚目までで5枚目からはバーゼル室内管弦楽団になってるけど
作曲時期によってオケを使い分けてるわけでもなく一貫性の甘い全集になりそうな予感が… バーゼル室内管弦楽団はもともとモダン楽器のオーケストラだが、ホグウッドの提案によりモダン楽器によるピリオド奏法を取り入れ、
さらにその後アントニーニの提案によりベートーヴェンの録音で作曲当時の楽器も使い始め、現在では全奏者がモダン楽器とピリオド楽器を使い分ける世界的にも珍しいオーケストラとなった。
未聴で確認してないけど、ハイドンの演奏はおそらく全員ピリオド楽器を使って完全にピリオド楽器オーケストラになってるのではないだろうか。
ちなみにホグウッドはマルティヌーの権威でもあり、マルティヌーやストラヴィンスキー等をバーゼル室内管弦楽団と録音してたね。
https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/41ZG6297QXL.jpg
https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/41RZ339NRBL.jpg
https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/51U4iCOtxwL.jpg >>62
日本でも全曲演奏
あわよくば全曲CD化をねらってる楽団あるよな
究極の首繋ぎ企画ともいえる
朝比奈先生は手兵と全曲やったはずだけど
これこそ録音残しといて欲しかった はじめからイルJALとバーゼル室内管による企画と銘打ってるやん。
あわよくば全集などとは違う2032の生誕300年メモリアルで
完成させるという長期の大型プロジェクトでっせ。
クラシックレーベルの単独企画でなく
スイスのヨーゼフ・ハイドン財団がバックアップしていることも
これまでの全集企画とは違った気合の入ったもので
つまり売り上げにより途中で投げ出すことはしませんと約束するような形。
バーゼル管は初期19番では弦の人数を減じてやってるね。
イルJALは4-4-2-2-1の通常に対して
初期曲では5-4-3-2-1でやってるようです。
上のカキコで間違えてました
ソロモンス本人もリーダーで弾きながら指揮なので
4-3-...
ホグウッド盤は4-4-...でした訂正しお詫びします イルJALはベースも2名のようです。4-4-2-2-2 詳細はouthereのウェブページで
CDのブックが閲覧できますので
参考にしてね。使用楽器銘なども記載されとります まさか今になってアニメ化するとはね >グリッドマン 念のため言っておくが指揮者のロイ・グッドマンは2017年をもって引退してる ドラティの全集のテンポはどんな速さ?
ヨッフムのロンドンセットは遅く重く感じている。
ヘルビッヒは丁度いい。 ハイドンと比べると、
モーツァルトの交響曲全集の方が
飽きるせいで聴きにくい。
なぜ歴史的にもモーツァルトの方が
一方的に愛されてきたのか、
よくわからない。 モーツァルトは曲の魅力ばかりでなく、短すぎた人生とか小さい頃神童として一世を風靡した事とかのがインパクトあるしな。
名前も、いかにも天才作曲家感出てるし 単純にハイドンの交響曲は多いからでしょ。
ハイドンでも例えばパリセットばかりを1年中聴いていたら飽きるぜよ。 >>75
完全な全集はナクソス含めて四種類位かと思うけど
一番古いのに、やっぱ未だ最高でオーソドックスな全集だと思う 交響曲第57番の終楽章はまあそれなりに速く
NAXOSのミュラー=ブリュールなんぞのモタモタしたスローテンポとは違う >>76
全集じゃなくて最後の数曲だけ聴いて評価決められてしまってる
ハイドンはザロモンセット中のニックネーム付き(驚愕、奇跡、軍隊、時計、太鼓連打、ロンドン)6曲
モーツァルトはハフナーからジュピターまでの6曲
チャイコとドヴォはそれぞれ最後の3曲 ハイドンのピアノソナタ、
ホーボーケン番号よりランドン版の番号の方が
作曲順に忠実みたいだから、
そっちに並べ替えて聴いてみようかな。
皆さんはどっちで聴いてます?
自分は、交響曲はデイヴィス盤の順序に
並べ替えて聴いてる。 でも録音がdeccaとは思えぬ酷さ…
>>82
モツやチャイコはそれでじゅうぶんなんだよな
しかしハイドンは初期、中期、後期と
それぞれ違った面白みがある。 >>83
ドライブの時に交響曲の終楽章だけ(特に速めの曲)をシャッフル再生 俺もハイドンの交響曲は終楽章にお気に入りが多いな。
奇跡、99番、太鼓連打の終楽章は秀逸と思う。
特に太鼓連打の終楽章はフィナーレ感あって素晴らしい。
60才過ぎくらいの時の作なのに モツのめちゃ退屈なメヌエット楽章に工夫があって飽きさせない。
モツはもはやメヌエットじゃなくスケルツォとかの時代感やさかい。 好きな交響曲終楽章は38番、46番、47番、48番、52番、53番(A、B、D)、57番、65番、69番、70番、71番、73番、82番、83番、86番、90番、91番、92番、101番だな
特に38番の終楽章が大好きだ >>85
俺はモーツァルトの20番代の交響曲やチャイコフスキーの冬の日の幻想、小ロシア、ポーランドも大好きだけどなあ スキになっちゃやね。自然とそうなる人もいるでしょう。
ハイドンの場合、判断材料がザロモンセットだけだと
ザロだけで1ダースもあるし、必ずしも長い作曲人生が
凝縮・反映されたされものってわけでもないからね。
ハイドンは作曲対象の場や聴衆、オケの規模に合わせての
作曲ゆえ… 各時期を代表するような曲で構成した選集を初心者向けに作ってみたらいいんじゃないかなー
100曲以上の全集はハードル高いから結局ザロモンセットだけ聴いて判断されちゃう 「マリア・テレジア」は中期の代表曲の1つと思うが国内の名盤企画で流通してるのあまり見ないな
輸入盤になかなか手を伸ばしにくかったクラシック初心者の頃の自分には未知の曲だった
数年前にドイツ・グラモフォンのザ・ベスト1200でバレンボイム指揮イギリスcoの「悲しみ」「告別」「マリア・テレジア」の1枚が出てるのを見たぐらい
https://content-jp.umgi.net/products/uc/uccg-5216_WoP_extralarge.jpg バレンボイム指揮イギリスcoはもとから
そんな感じのカップリングでないっけ?
ホーボ―ケン番号順の全集だったら
作曲年代もわかりにくく、その中から
自分でドライブ用にセレクトするのも無理かもね。
ホグウッドAAM盤はそれだけでも有意義な全集でした。 70年代はニックネームでカップリングした企画が
わりとあったわけだが
それだとモルツィン(初)期は常に「朝昼晩」ばかりで
これがいまひとつピンとこない感じ。
第一番や4番のほうがスッキリしてて好ましい。 タイトル付いた曲をまとめたのはマリナー/アカデミー室内管が昔出してたね
モダンの小編成だとオルフェウス室内管の演奏結構好きだったな >>92
ここに載ってる作曲時期の分類を見ながら少し選んでみた
https://www.kanzaki.com/music/mw/sym/haydn
交響曲様式への模索:1757〜65
シュトルム・ウント・ドランク:1766〜73
聴衆への迎合と実験:1774〜84
古典的完成:1785〜89
円熟:1791〜95
第1番、第3番、第22番「哲学者」
第44番「悲しみ」、第45番「告別」、第48番「マリア・テレジア」、第49番「受難」
第53番「帝国」、第60番「迂闊者」、第73番「狩」
第82番「熊」、第88番「V字」
第94番「驚愕」、第104番「ロンドン」
これでベートーヴェン交響曲全集と同じぐらいの枚数で収まるお手軽なハイドン交響曲撰集になるか
第3番は個人的な好み全開で選んだので一般向けには第6番「朝」の方が良いかも ハイドン全集進行中のファイとアントニーニどっちが好き? モダン楽器でピリオド奏法やってるの苦手だからファイは無い。
ピリオド楽器使用のアントニーニが良い。
ノリントンもピリオド楽器使用で録音してた頃は好きだったが、モダン楽器使用するようになってから苦手になった。 ピリオド奏法はクセのあるピリオド楽器でやるから良いのに、モダン楽器でやるとスッキリし過ぎる音になって面白くない。
弦をスッキリさせておいて金管やティンパニだけクセのあるピリオド楽器使用したりするのはバランス悪くなって更に酷い。 管楽器の方もピリオド楽器は音色に楽器別の差が少ないのもあって
弦と管の融合もピリオド奏法で良い感じに混ざるんだろうけど
各楽器の個性が出てるモダン楽器でやっちゃうと却って分離しちゃう感じがする パリセットの録音はノリントンがモダンオケで録音して、コンセルトヘボウやウィーンフィルに浮気してたアーノンクールがピリオドオケに戻って録音してたな リープライヒ指揮ミュンヘン室内管の交響曲第39番のCDを聴いた
なかなか良かった
この指揮者は大阪フィルで交響曲第39番を振ったこともある リープライヒはバイエルン放送でよく聞けたけど、プラハに行って聞く機会が無くなってしまったのが悲しい。 俺もピリオド楽器演奏を好き好んで聴いていたクチだけど
モダン楽器とピリオド楽器では
やはり音色・音量がぜんぜん別ものなんだな
ということで開き直って聴くことにしたら
ノリントンのパリ交響曲(ザロモンセットは完売のようで未聴)と
ファイ盤それぞれに貫徹した解釈が浮き彫りになり
敬意を表するまでになった。
ハイドン自身の記述(低音弦の人数について言及)を考慮するまでもなく
各パートがハッキリと分離して聴きとれることは
ハイドン交響曲ではプラスであるといって良いかと。
もちろんステレオ効果で作曲されたものは両翼配置で。
いっぽう期待をしていたアントニーニ盤だが
他の作曲家にまで枠を広げたもので
一夜のコンサート、いちCDとしてなら聴きごたえがあるかもしれないが
ハイドンだけを集中して聴きたい者にとっては
ちょっと薄味になってる気も… >>106
いまはデータで聞く人の方が多いし、多様性時代を反映しているとは言える。 レコーディング目線だとアーノンやガーディナーは
いったんモダンオケの指揮者になってピリオドオケに戻ったようにも見えるけど
地味に続けていたんだろうね。
ホグウッドもAAM引退後もコンサート企画には顔を
出していたようだし。
ノリントンとゲーベルは興したピリオケを完全に解散してまったんで
とりあえずやりたいことはやったって事なんかな。 ノリントンは「ピリオドのオーケストラでできることはモダンのオーケストラでできるから」というようなことを言っていたような。
敢えてピリオドのオケを振らない積極的な理由は分からないけど。 やっぱり経済的な問題だと思うな。
ピリオド楽器オーケストラでやるなら、大きなホールではできないからそれだけでも集客は限られる。
クラシックの商業モデルは、大きなホールで多数の聴衆を集めるというコンセプトでできているから、
後期ロマン派音楽がそれに適しているのは確かだ。
なんだかんだ言ってもクラシック音楽を聴くのは、大オーケストラで定番の曲を聴いて生理的快感を得たい人たちが中心だもんね。 OAEは頼まれれば振ってるようだし
録音もあるくらいだから
否定的になったということではない
だろうが
OAEのような常任を置かず
外から指揮者を呼ぶタイプの
ピリオケは極めて稀だし
他にはカペコロくらいかな? 確かにレパートリーは限られるし
さっきのEテレ(N響)もロンドンで
終わったとしたら暴動おこるよなw モダンだけだったバーゼル室内管を全員がピリオド楽器とモダン楽器両方できるハイブリッドオケに変えたアントニーニは素晴らしいね
アントニーニはバーゼル室内管とのベートーヴェンでは、ナチュラル・トランペット、ナチュラル・ホルン、ケトル・ドラムを採用して、弦楽器にはガット弦を使用、木管楽器はモダン楽器を使用してた 前任がホグウッドだったことも大きいね。
この先、大規模管弦楽曲をレパから外しているであろう
室内管であれば
古楽器も取り入れた方がレパが遡れる点で目立つだろうね。
ハイドンまでなら3-3-1-1-1で
管打楽器は神田楽器から、いやexトラを呼べばいい。
因みに現代ものを得意とするロンドン・シンフォニエッタの
基本メンバーは各楽器1人だったと思う。
英国と日本では事情が違うよと思うかもしれないが、
ぶっちゃけ弦楽四重奏にフルートとピアノを足せば
ハイドンの交響曲なら演奏できる。 >木管楽器はモダン楽器を
5巻のブックに載ってる集合写真がまさにその時の写真のようで
おや?と思ったけど
使用楽器はグレンザーのコピーや
A.ベルナルディー二による18世紀楽器のコピーを
使ってると書いてある。 ケヴィン・マロン率いるトロント室内菅はモダンオケだが元々ピリオド楽器演奏してるんだよねピリオド楽器の時は別名称という へーぜんぜんノーマーク。知らんかった
アラディア・バロックていうんだ
サンマルティーニ(弟)の交響曲などをnaxosに録音してる
ハイドンもぜしそっちでお願いしたかった。
naxosって古典派はモダン楽器でやる方針だでな ヨハン・バプティスト・ヴァンハル (1739-1813)
ボヘミアの羊飼いのミサ ト長調
荘厳ミサ曲 ハ長調
アラディア・アンサンブル
ウーヴェ・グロット(指揮)
http://ml.naxos.jp/album/8.555080 ヴァンハルの交響曲はマロン/トロント室内管、トロントカメラータでやってたけどミサ曲はグロット/アラディアなのか >>119
naxosのヴァンハルは ニコラウス・エステルハージ・シンフォニア / ウーヴェ・グロット (指揮) のもあるんだが
というか、naxosのマロン / トロント室内管はごく新しい第3集以降 >>120
知ってるよ
ワトキンソン/シティ・オブ・ロンドン・ シンフォニアも持ってるし
トロント〜とアラディア〜の話をしてるんじゃなかったのか ハイドンの交響曲は、106曲全部素晴らしいな。
こんな文化遺産が演奏されてこなかったなんて、
まだまだ埋もれてる名曲があるのかもな。 ホグウッド盤には初期作107番・108番も入ってるよ フィルハーモニア版の“A”、“B”のことらしい。
失礼いたした。 ハイドンがモーツァルトに劣る点は、
ロマンティックさだろうな。
あとは負けてない気がするんだが。 エルンスト・メルツェンドルファーの交響曲全集が出る >>125
ロマン派じゃないからな。
モツの愁いをおびた旋律美って
おそらく借金苦から起こったものだろうから
所謂ロマン派の精神病的なものの先駆けといってよいかと
ハイドンはその人となりも音楽も早寝早起き健康そのもの。
劣る点ではない。 ハイドンは、その実家の絵を見たベートーヴェンが「ほったて小屋」と言ったぐらい実家の見た目が粗末だったことは有名
モーツァルトやベートーヴェンとは正反対に近い境遇 農村の車大工の子らしい。
美声だったので聖歌隊に入れられたというが
モツのように父親が演奏家で作曲家ではないということは
大きな差だね。 少年時代美声だったとしても声変わりでその地位は失われるからねそこからがハイドン苦難の道の始まり モーツァルトのように幼少時から英才教育受けてるわけじゃないってのは凄いよな。
弟のミヒャエルも才能あったし。
現在では兄やモーツァルトの陰に隠れてるのが可愛そうだけど。 ハイドンWikipediaより
> 1749年、変声のため聖歌隊で高音部を歌うのが不可能になり解雇され、
> その後友人の家に住み着くようになり、フリーの音楽家としての活動を始めた。
> この生活は10年間ほど続き、この間に幅広い仕事に従事している。
「幅広い仕事に従事」というと聞こえはいいけど、生活の為に音楽と無関係のフリーター的な仕事もしてるってことだよね ある意味では現代の「ゆず」のような音楽家に近いんじゃないかなハイドン 篠原ともえはゆずが嫌い
ゆずを少し入れただけで食べ物全体ゆず風味にしてしまってずうずうしいから 美声すぎて去勢されそうになって
逃げ出したとか、拒否して追い出された
かしたようだが
音楽家になろうと、浮浪児同然で
作曲を独学しだす。 声楽オンリーの作曲家と器楽メインじゃあ、
比べようがないな。
しかし、声楽オンリーの作曲家は、
厳密には音楽家とは言わない。 中世のトルバドゥール、トルヴェール、ミンネゼンガーは知られているが
バロック〜古典派の頃の歌謡曲・歌手ってよう知らん ハイドンは独学でヴァイオリンを学習してエステルハージ公のオケの楽長(作曲家兼指揮者兼コンサートマスター)にまで昇りつめたところが凄い パレストリーナが音楽家じゃないなんて思ってるのは世界で>>137だけ。 >>140
代表的作曲家達の、本人はどの楽器が得意だったかを見ればそれぞれの得意分野がわかって面白いね。
ヴィヴァルディ→ヴァイオリン
テレマン→リコーダー
バッハ→鍵盤全般とヴァイオリン
モーツァルト→クラヴィアとヴァイオリン
ベートーヴェン→フォルテピアノ 交響曲の録音時に問題になるのが、楽譜に書かれていない通奏低音として鍵盤楽器を入れるか入れないか
以前はモーツァルトの録音に倣って鍵盤楽器を入れるのが主流だったが
エステルハージ侯ニコラウスのオケには常設の鍵盤楽器奏者がいなかったことから
現在では、その時代の交響曲には鍵盤楽器を加えないのが主流になっている モーツァルト好きな人はメンデルスゾーンも好きなんだよ
結局は生まれ育ちで恵まれた作曲家が好きなんだよ モーツァルトもベートーヴェンもメンデルスゾーンもシューマンもブラームスもブルックナーもチャイコフスキーもドヴォルザークもマーラーもシベリウスもプロコフィエフもショスタコーヴィチも好きだけど生まれ育ちとかどうでもいいわ vn両翼配置なんだろうか?
そもそもステレオ録音か? >>144
修行時代に天井裏を間借りするほどの作曲家なんて
他にいるのか? 同じような境遇でも弟ミヒャエルは兄より一足先に
宮廷楽長になったというのだから
かなり要領がいいやつだったに違いない >>146-147
ハイドン 交響曲全集 エルンスト・メルツェンドルファー&ウィーン室内管弦楽団(33CD)
https://www.hmv.co.jp/product/detail/9374167
60年代のステレオだそうだ
これは全く知らなかったが、子供の頃メルツェンドルファーがN響に客演したのを聴いたことがある
トランペットのヴィズッティと共演でジャズっぽい曲も振ってたが、どんな指揮だったかは覚えてない 1960年代に世界初のハイドン交響曲全集を完成させてたのにここまで存在忘れられるって凄いな
メルツェンドルファー2009年まで生きててハイドンの全集録音の扱いをどう思ってたんだか 忘れられるほど古くもないが
ゴーバーマンの選集にしてもそうだが
よほど売れると見なされなければ
LP→CD化なんてメジャーレーベルでも
完璧になされてないるわけじゃないんだよな実際。 >>150
そのページ、情報量がハンパない
どうなってるのw >>153
なんか最近こういう情報過剰なページが増えた
作りがどれも同じだから、同じ輸入業者がやってるんだろう
下までスクロールしたら、同類のリンクがいくつもあるから見てみるといいよ 88番「V字」の第二楽章の後半のとこで、現代のフィーリング音楽にありそうなのの走りみたいな部分ない?
クラリネットで「ヒュイッヒュイッヒュイッ」って入るの。 >現代のフィーリング音楽
なんのことなのか
ヒーリングのことかとも思ったが、クラリネットの箇所とは合わない気がするし ハイドンとモーツァルトのピアノソナタを比べてみると、
意外とハイドンの方が平均的に良いよな。
これは何気にすごいことだと思うのだが。 モーツァルトのはクラヴィーアソナタであってピアノソナタではない
モーツァルトはピアノソナタを書いていない メルツェンドルファーのハイドン交響曲は相当数youtubeにうpされてるな
聴いた感じなかなかいい
https://www.youtube.com/watch?v=CbQkyOlYCmM スクリベンダムはリマスターがわりと評判いいレーベルらしいけど今回はリマスター無いのか? メルツェンドルファーはステレオ初期にDGにモーツァルトなどの録音があったと思うけれど、
どういうのがあるのかよく知らない >>163
結構アクセント強めの覇気のある演奏だのぅ うむ。でも対向配置でない全集がまたひとつ増えたか orz
やはり対向配置が効果的↓
https://www.youtube.com/watch?v=wdX9qqbHN-E
リーダーは日本人女性なんだねバーゼルカンマ― >>159
ハイドンはモーツァルトより親くらい年上なのに逆にモーツァルトより長生きしたせいもあって、後期の作品は完全にピアノのために書いてるよね。 例の交響曲第98番の楽譜にはチェンバロと書き込まれてはいるが
実際はフォルテピアノで演奏されたようなので
ハイドンにとってチェンバロとピアノは
現代の人が思うほどは意識されてないと思うが。 ピアノソナタ 変ホ長調 Hob. XVI:52は、自筆譜に強弱が細かく記されているので、
フォルテピアノを想定していたことは明らかだとされる >>170
あのソナタはベートーヴェンに繋がる響きあるよね。
書いた頃の年齢考えればすごいと思う。 alphaレーベルのバーゼルカンマ―は全集完結後、激安ボックスで出るパターンだな
完成に何年かかるかわからないが ヘンスラーの全集も確か当初は没後200年の
2009年完成予定という計画だったが大幅に遅れていた
あげくにファイの大怪我で現在は楽団のリーダーが
指揮をとってるもんで、遅々として進んでいない。
そこにきてスクリベンダムのヒットなるか >>171
交響曲第98番は早世したモツへの思い、来るべきベトへの響きがする。
ある意味、それは模写であるのかもしれない。
若い頃に辺境地で外的影響が少なく独創的にならざるを得なかったため
歳をとってからは外からの音を否応なしに吸収したんでないか。 >>143
通奏低音弾くぐらいなら専門じゃなくてもかじったことあるやつなら誰でもできそうだけどな >>155
なんとなく「ひょいっひょいっ」が引っかかっていたので
スコアを開いたら#88の木管は
フラウト1、オーボー2、ファゴット2 でした。
おまいが聴いた演奏はどうかはわからないですが
たぶんそのパートはオーボエです。しかもセカンド・オーボエでした。
セカンドパートは通常ファーストより地味というか
下で上を支えるパートなので、
ファーストとセカンド・ヴァイオリンの掛け合いとか
全てのパートに気配りしてるなあと
聴くだけではちょっとわからない部分なんだよね。 ハイドンの弦楽四重奏曲は、
ハイドンが少し年を取ってから書き始められたせいか、
充実した作品が多い。
ショスタコーヴィチの弦四と同じで、
こういうのは幸運なことだ。 ハイドンの場合、若いときのエステルハージ期は
外部からの影響が少ない関係で
バイタリティもありオリジナリティあふれる
瑞々しい創作時期であるといえる。
クラシック音楽というとどこか深遠でもったいぶった
重厚さが求められる向きもあるわけだが
ハイドンの音楽はとても気軽でいいのだ。
リンコントロ(カフェーツィンマーマン団員)による
バリトントリオの弦楽三重奏版には
弦楽四重奏曲とはまた違った良さがあるよ。
ハイドンをさらに聴いてみたい人はぜし聴いてみてねーノシ 交響曲第92番「オックスフォード」の第二楽章はほんと美しい曲だと思う バリトン三重奏曲って、126曲もあるのか。
聴いてみたくなった。
それにしても、ハイドンの仕事の量は、すごいものがあるな。
最も多作とされる、テレマンとはいったい・・・。 >>181
テレマンは12歳くらいから作曲始めた上に、86才で亡くなる直前まで作曲し続けてるしね。
テレマンは1767年まで生きてるし、その頃ハイドンは既に35才になってるね。 ちょっとスレチになってまうが
パルナッシムジチ(cpo)による42、43系の曲が
ヴィヴァルディぽくていい感じ。
大バッハもヴィヴァルディからの影響はあるが
テレマンの場合は音楽そのものがバロックらしい雰囲気で軽い。
ハイドンもそうだが深刻に聴くというより気軽に楽しみたい。 さすがのハイドンでも、ピアノソロ曲だけはなあ。
ハイドン・モーツァルト共に、バッハより後退していると思う。
音楽史で後退したなんて、他に例がないんじゃないだろうか。 >>184
>バッハより後退していると思う
後退というか、そもそも
バッハを乗り越えた(と断定できる)作曲家いるの? ピアノ曲って、ずっと聴いてると飽きるよな。
よくできた室内楽の足元にも及ばない。
その点、あまり飽きないピアノ曲を作曲できた
ベートーヴェンは、大したものだが。 >バッハより後退していると思う
バッハの息子達の作品はどうなん?
古典派とは音楽の敷居が
低くなって大衆化していく時代。
登ったら下るみたいに乗り越えたら平地になったちゃうの バッハと同期のS.L.ヴァイスというリュートの達人がいるんだが
リュートという楽器も彼の音楽もエラくなりすぎて
行くとこまで行って廃れちゃったという。
それと似たようななりゆきとちゃうかな… 大バッハにしても
アルスノヴァやアルス・スブティリオルの時代に比べたら
現代人にも聴けるというだけのことではないのか?
音楽が後退してると感じるだけで
もしそうだとしたらチェンバロとピアノが
鍵盤だけに
キーになってるんじゃまいか? リュートと言えばハイドンはバリトンのための曲をたくさん書いたものの
バリトンって弦の数がやたら多く調弦が大変なので廃れたんだよね
鍵盤楽器の弦ってそれほど狂わないのかね いやチェンバロは狂いやすいらしいよ。
モダンピアノくらいだろう何日も放っておいても大丈夫なのは。 鍵盤楽器の調律は専門の調律師が行うことが多いが
弦楽器の調弦は演奏者自身が行うことが多い
不思議だよね 弦楽器の調弦なんて毎日練習する度にズレてるの直してるし専門の道具使わなくても手でペグ回すだけで直せるし バリトンには共鳴弦なんて余計な弦がいっぱい張ってあるわけで
余程自由時間のある王侯くらいしか手をださない楽器だったのだろう。
王侯の楽器ヴィオール(ガンバ)に比べたら、廃れるというほど流行りもしなかった。
シューベルトのアルペジョーネみたいに曲が残っているが楽器の方は
もう使われてないとかって好きだな。
使っていた磁気テープが押入れに残っていてもプレーヤーはもう製造されてない
みたいなもので感慨深い。
楽器の英語instrumentsは音楽の「道具」に過ぎない。 >>198
>楽器の英語instrumentsは音楽の「道具」に過ぎない。
いやいや、instrumentsは「楽器」と訳すんです
どんなショボイ辞書でも「「道具」と「楽器」は別に記載されてます
ちなみに、instrumentの原義は「組み立てるもの」です
「道具」ではありません
原義「組み立てるもの」から派生して、「道具」や「楽器」になるわけで、
「道具」と「楽器」は別の概念ですね 日本語での訳語から話を広げるのも、語源から話を広げるのも、等しく誤り。 弦楽四重奏曲ニ長調「ラルゴ」op.76-5 第4楽章(プレスト)について
微妙に不協和音が出てくるところあるじゃん?
提示部(50-51小節) / 再現部(225-226小節)で音を書くと、
第1ヴァイオリンがF / C、第2ヴァイオリンがC / F#、ヴィオラがB / E、チェロがE / A
だから2. VnとVaの音程が長2度になるのかな、あそこが大好き >>201を補足・訂正:
提示部(50-51小節)/展開部(189-190小節)/再現部(225-226小節)
1. vn: G/D/C
2. vn: C#/G/F#
va: B/F#/E
vc: E/B/A
なので、提示部・再現部では2. vnとvaが長2度、展開部では短2度(だと思う) そんなどこにでもある和音がそんなに珍しいかね
あとその展開部の部分は他の2つと対応したしてないぞ タワー様様が
「コープマンのPHILIPSへの初録音盤を含む、
レアな1976-81年収録のチェンバロ録音を一気に5作分復刻!
全て世界初CD化!」してくれたぞっ
フィリップスがデッカに統合されてから
懐かしいジャケデザインに無関係なデッカマークをつけるのが
お約束だったので、当時を知る者には違和感がありすぎだったが
今回はそこをクリアしてくれて大変ありがたい。
オリジナルジャケは金の箔押し文字だったが
そこまでの再現はヨシとしよう。
ただ「ハイドンのソナタ」のみ「philipsダッチマスターズ」という
オランダローカル企画の2枚組で出ていたはずなので世界初ではない。
ダッチマスターズはローカル盤ということで
恐らく日本には正規ルートでの輸入がされなかったのではないか。 バリトン三重奏曲、
ピアノ三重奏曲や弦楽四重奏曲よりはつまらないな。
YouTubeで聴いててそう思った。
古楽器だし、自分は買うのやめたよ。
アマゾンに6千円で買える在庫が1つだけあるみたい。
欲しい人はどうぞ。 スコットランド歌曲集は聴いていて全く嫌みが無く、愛聴盤
バリトントリオは以前は退屈したが、今聴きなおすと興味深く聴けるかも
やっぱり聴けないかも
時間を置いても、第一印象のまま終わるってよくあることだしね やはり録音が少ない曲は
奏者も慣れてない。
特に思入れもない奏者が
全曲一気に録音した
ものには限界も有るはず。 それにしても
ハイドンの音楽に自分は何を求めているのか
ということも忘れたらいけない。 最近アルバーニ四重奏団のop76を聴いたのだが、すごくイイなこれ。
上品な演奏でダイナミクスの幅が狭いと感じたりもするが、リズム、アンサンブルの面白さは申し分ない。
しばらく別の作曲家を聴いていたが、またハイドンの四重奏に戻ってきた。 アルバーニ四重奏団か…
シューマンの弦楽四重奏曲集しか持ってなかったな…
ハイドンも探してみるか… 自分はアマゾンで6曲セット(中古)を安く買えたが、今は三曲ずつバラ売りのものが販売されている模様。
ちなみにyoutubeで全曲聴ける。 室内楽が心地いい・・・。
勉強しながら聴くのは、やっぱ室内楽しかないよな。 バリトン・トリオは、Balazs Kakuk のディスクが個人的ベスト >>214
それ、聴いた感じ、まるでモダン楽器みたいで嫌い。
なので、モダン楽器好きな人はその盤がお勧め。 ピエルロやネーダーランドバリトントリオなど
新しい録音も多いが
どこも1枚ものばかりで量的にもの足りない。
さりとて全曲では多すぎる。
その点でASVのhus盤の2枚は嬉しい量だった。 >>216
遅めのテンポにも関わらずおそらくリピートをすべて忠実にやってる所は評価できる フンガロdはハンガリーのレーベルだけに古くから
ハイドンを積極的に録音・紹介してきたその功労は
賞賛に値するが
ピアノソナタ全集のジャケには
雅な古典ピアノの写真を使っているが
中身はモダンチェンバロやモダンピアノの演奏であったりと
フォルテピアノやクラヴィコードが珍しくなくなった今となっては
やや肩透かしをくらうかもしれない。 そんななか地元のピリオド楽器オケのカペラ・サヴァリアが
英国のピリオド指揮者としてはもっとも地味な存在であろう
ニコラス・マッギガンと
交響曲79、80、81を録音した。
これまでバラリリースでは録音が少なかった番号が
アントニニの録音とで一時に増えたことになる。嬉しい限りである。 弦楽四重奏曲とバリトン三重奏曲を
聴き比べていると、
現代楽器と古楽器、どちらにも
長所があるということがわかる。
でもフォルテピアノだけは
食えないかなあ・・・。 それにしても、クラ板は、資格板と違って、
営業目的の学歴厨がわかなくて平和だな。
英語板にもとんでもないのわくし。
パリやローマは、観光客が多くて汚いけど、
ウィーンの街が美しいのは、
クラシック音楽の威光によって守られているから。
ハイドンスレも、ハイドンの威光によって守られているのだろう。 おれもホルテピヤノ。20世紀初頭辺りまでならエラールのようなピリオド楽器だな。
CPE、ハイドンならクラヴィコルドの方が
更に繊細で良し。 BSでピリオドピアノのコンクール放送してたけど、楽器壊してたな。
リストが弾くと楽器がめちゃクチャになるてのは本当の話なんだと思った。 ベーゼンドルファーだかベヒシュタインだかの初期の開発目標は
「リストが弾いても壊れないピアノ」だったという話をどこかで読んだ すいません、弦楽器のバリトンの
音域がわかる方いませんか?
クラリネットで代用できるか知りたいんです。 フルート、またはバイオリン用に編曲されている編曲譜で確認、参考されたし >>228
At the Prince's court, the baryton was always tuned with bowed
strings of D-G-c-e-a-d, and sympathetic, plucked strings of A-d-
e-f sharp-g-a-b-c sharp-d. Haydn scored both parts in the treble
clef, an octave higher than they sounded.
Haydn indicated which plucked strings to use by numbering them
l to 9 under the notes.
The tuning of these strings also decided the keys inthe works.
Most of them are in D major, or more rarely in A major and G major.
Flat keys scarcely ever occur. 何それalphaのCD解説のまる写しじゃなかろうね?www 編曲する場合、弦楽器の広い音域を狭い音域の管楽器で
どうカバーするかがテーマではなく原曲から
新しくクリエートするということが重要なんじゃまいか
単に移調するということでなく
それこそオリジナルの曲なんじゃないのと思わすような 1か月間以上かけて、少しずつバリトン三重奏曲を全部聴いた。
弦楽四重奏曲よりも気軽に聴けて、まるで催眠術にかけられたようだ。
これはハイドン特有の感覚。 ヨーロッパはもうクリスマス〜新年の休暇に突入したので
間に合わなかったんだろう。
クラシックはのんびりペースがいいよ。
このスレも本来のゆったりペースに戻ってよかった。 ドイツじゃなくて元のオーストリアの方
オーストリア帝国国歌「Gott erhalte Franz den Kaiser」
http://nico.ms/sm3508062 交響曲第32番の第1楽章、好きだなあ。
初期作からこのクオリティ、なんて素晴らしいんだろう。 そのクオリティが現代では仇になってるとしか
交響曲は最終番号がなにやらその作曲家の総決算的な曲だ
みたいな印象がままあるじゃないすか
では「ロンドン」の出来が悪いのかといえば、そうではなくて
それだけでハイドン交響曲のすべては語りつくせないというかな。
#32ハ長調と#37ハ長調では同じ調なのに雰囲気が違うな。 最後のザロモンセットが12曲もあることで熱心なハイドンファン以外にはほとんどザロモンセットしか聴いてもらえないことに 意外に「パリセット」も人気が高い
ザロモンは録音しないが、パリは録音する
という指揮者もけっこういる >>242
それって、そのレーベルに既にザロモン交の録音があるという
ことでなく?
よほどの有名指揮者でなきゃDGでさえ同じ曲を
違う指揮者で何度も録音するなんてことは
昔は暴挙と考えられたね。自ら競合盤をつくることになるから。 ザロモンセット+パリセット+V字
これで19曲もあるもんな
大半はここで去る オレの場合、そこから抜け出るきっかけとなったのはラトルの22、86、102番のCD
すごく面白くて、次の60、70、90番も聴いた
そのあたりから、いつか交響曲や弦楽四重奏曲の全集を買って聴きたいと思うようになった 大半ここで去る
のは往年のレーベル各社、演奏者側かもな。
オルフェウス室内管、カンティレーナ、
そしてラトルの頃になると定番号
は無意味
になる。
いつまでも往年の録音をたよる人に
とっては、物理的にザロ、パリ、Vしかない。 >>245
オックスフォードも入れて20曲にしとこう
44番「悲しみ」や48番「マリア・テレジア」すら入門曲として扱われず、ハイドンをもっと聴いてみたいと興味持ってやっとたどり着く状態なのはどうにかならんだろうか
後期の交響曲よりとっつきやすそうなのに 「さよならシンフォニー」を録音してるシェルヘンなどは
当時、どちらかと言えば奇人変人扱いされていた
といった録音史なども見逃せないだろう。
名のある人気・偉人指揮者が録音するものこそ名曲というね。 >>249
>「さよならシンフォニー」を録音してるシェルヘンなどは
>当時、どちらかと言えば奇人変人扱いされていた
録音を聴いてもらえれば分かるが、素敵なノイズが聴こえてくる
当時こういう「演出」をレコードでやることが、奇人変人扱いたる
ゆえんだろう 巨匠や大指揮者はこういうことはやらない
でも、斬新で時代を先取りしている それがシェルヘン
素敵だと思う
【シェルヘンの告別】
https://youtu.be/VO4omSklXdI?t=1076 ザロ、パリ、V、oxはそこそこ録音あるとして
89、90、91の3曲が
とりわけクオリティが低いというわけでもないのに
単にニックネームがないだけでスルーされているなら
そういったところが納得いかないよなあ・・・
アルノンは死んでまったが
ノリントンにはその88から92までは、なんとか録音してほしいな。 すまん、
ベームのハイドンだけは無理
いろんなタイプの演奏があっていいとは思うけど
正直、これとワルターの軍隊だけは勘弁してほしいな… オレはラトルBPOのがムリだったな
バーミンガムの録音は良かったのに 交響曲第89、90、91番はNAXOSのドラホシュが一番好き BPOやウィーンフィルって自分たちのサウンドを
固持してるというか売りにしてるところがあって
指揮者でそれがガラっと変わって聴く人を
あっと言わせるってことは、あまりないよね
良くも悪くも期待を裏切ることがない反面
誰が振っても同一クオリティ。ラトルは辞めて正解だったと思うよ。 アウリンSQのop17を聴いたが、この作品ってop33のプロトタイプみたいな曲が結構あるな。op33の方が展開とかがかなり作り込まれている。
op20だけが異質で、ここからop33とは全く違った作品となるが、op17と33には繋がりが感じられる。 シュパンツィヒQのセレクションCD3枚にも
Op9はあるけどop17からはセレクトされてないや ハ短調op.17-4とニ長調op.17-6好きです!大好きです! ハイドンの交響曲って、楽器編成の拡大があるから晩成にも見えるんだろうけど、
弦四に関しては、全然晩成じゃないな。
エルデーディ四重奏曲より、初期作の方が上出来な気がするんだが。 弦四も交響曲もセットで何枚組とかにまとめるより
作曲時期が違う曲を組み合わせて一枚で勝負する方が
演奏者のセレクトアイが試されて面白い。
例えばリフキンなどは「ホルンシグナル」と
そのプロトタイプ的な#72をカップリングしてる。 >>260
編成といってもフルートと最後の最後でクラリネットが入ったり
入らなかったり程度だよ。
ロマン派と違って古典派は活力がある時期のほうが
曲も新鮮でいいよ。 >>261
作曲時期が違う曲を組み合わせ
と言った直後に作曲時期が同じ31番ホルン信号(1765年)と72番(1764年頃)の組み合わせ挙げるのか…
ちなみにズヴェーデンはその2曲に73番狩り(1781年)を足して番号が近く時期が遠い曲と時期が遠く番号が近い曲のカップリングにした
https://img.hmv.co.jp/image/jacket/400/28/1/7/078.jpg >>263訂正
×番号が近く時期が遠い曲と時期が遠く番号が近い曲
○番号が近く時期が遠い曲と番号が遠く時期が近い曲 【パリセットとジュピター】
モーツァルトが奇跡のような後期3大交響曲を書いてるよね
あれって、いまも誰の依頼で書いたのか、初演はいつなのか、詳しいことは
まるで分かっていないらしい 何かに触発されたように短期間で書かれたのは
はっきりしている 音楽史のミステリー ただ、一つ言えるのは、同じ時期に、
ハイドンがパリ・セットを書いて大変な評判をとっている 楽譜はウィーンでも
発売され、これを見たモーツァルトが見たのは確かで、触発されたのも
想像に難くない であれば、後期3大交響曲の誕生には、やはりハイドンが
大きく影響していると モーツァルトはハイドンを通じて交響曲の可能性に
気づいて傑作を書いた 実際、ハイドンはその後、今度はロンドンから依頼を
受けて、ザロモン・セットの傑作を書いて、交響曲作曲家としての名声を
不滅にする しかし、一方のモーツァルトは奇跡のような交響曲3曲は、
どこで初演されたか何も分かっていない おそらく経済的には失敗だった
と思われる モーツァルトはそれ以降、成功したハイドンとは対照的に、
交響曲を書くことはなかった それ以降書くことはなかったと言っても3曲書いた3年後にモーツァルト死んでるしな
なおハイドンはザロモンセット後は死ぬまでに14年あったが交響曲を書くことはなかった >いまも誰の依頼で書いたのか、
農村の楽士をからかってるような作品「音楽の冗談」を
もし誰かの依頼で作曲していたらこの上なく失礼だしな。 ちなみにおれはザロモンは6曲パリは0曲しか聴いてない状態でソロモンズの疾風怒濤期12曲に手を出しどれもお気に入り 後期6大ミサはオーケストラと声楽のための交響曲のようだ。 ミサ曲を交響曲のように作ったということはやはり
交響曲は器楽曲でなければならないというこだわりはあったようだね >>271
まあベートーヴェンの第9番以前も
フォーグラー(1749-1814)が1806年、ヴィンター(1754-1825)が1813年に声楽入った交響曲作ってたらしいけど
交響曲に声楽入れないのが「こだわり」ってわけでもないのでは ハイドンは独創的ではあるけれど
既存の形式内での話で
例えば協奏交響曲風な交響曲は数あれど
そう明記して作曲されたのは105番1曲みたいやし。 オペラやオラトリオにおいて器楽曲が挟まれることがあるがそういう所はよく「Sinfonia」と題される
つまり「Sinfonia」は器楽曲だし「Symphony」や「Sinfonie」も基本的に同じ ハイドンは子供の頃は
聖歌隊で歌っていたわけだし
歌と器楽曲は違うもので
あえて書き分けていたという感じでは?
ハイドンの交響曲は交響的歌曲ではないということだろ。 ハイドンには104番の後、交響曲を書いてもらいたかった。
どれほどのものが出来ただろうと残念でならない。
四季の序奏を聞いていると、このまま交響曲が始まるような気がしてしまう。 例えば
ベトの第9はシラーの詞をメロディにのせて歌手や合唱で歌わせているが
もともとバロックの序曲(組曲)にも
アルマンド、クーラント、サラバンド、ジーグといった舞曲のほかに
「歓喜」という戦に勝利した時などの喜びの舞曲
が入っていたりするので
メヌエット楽章を持つハイドンの交響曲は
その流れを継ぐものと言っていいのかもしれないし、
モツが多く作曲したセレナード(もとは扉前で恋人に歌う曲)に対して
ハイドンの野外音楽、野外組曲はフェルトパルティとしていることも
時代的なちょっとした違いが感じられる。 Any symphony by Haydn does you good.
His melodies make you want to sing.
His rhythms make you want to dance.
His good humor make you want to laugh
- even in the middle of a concert.
He is constantly entertaining, uplifting, life-enhancing.
Even in the enlightened 21st century
he is still underrated by some music lovers.
But just listen to his amazing music.
by Roger Norrington タカーチSQの80年代末ハイドンはエコーが掛かりすぎててクソだってdiscogに書いてあったんだけど
聴いてみたらほんとにクソだった 室内楽にエコーなんて状況的にありえないよな。
例えばトンネル内のような広い空間で
室内楽ってあまりありえないというか。
オケにしたって大ホールの最後列で聴いた場合、
それって、しかたない状況で好ましくはないと思うが
下手なカラオケ聴かせるわけじゃないんだしな…。 sym#46第一楽章の長調から短調に転調すると
ベトのコリオラン序曲?のようなフレーズが出てきてニヤり(・∀・)ニヤニヤ タワレコのサイトには
発売日 : 2019/01/31 (予定)
と書かれてあるな メルツェンドルファーのハイドン:交響曲全集
HMV
発売日 2019年01月20日
お取り寄せ メーカー取り寄せ
タワーレコード
発売日 : 2019/01/31 (予定)
発売日以降にお届けいたします
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現在ご注文を承っておりません 弦楽四重奏曲で序奏がしっかり付いてるのはop.71-2だけなのかな? この曲かなり好き 全集なんて、その作曲家かアーチストが
好きで好きでたまらないというものを
買うものだろう?
そもそもこんなところの不特定の他人とおまいの好みが一致するわけないし。
一番のお薦めは、古今ジャンル問わず
「ジャケ買い」という必殺技があって、そういう部分でレーベルやアーチストの
コンセプトをうかがい知ることが
できたものなんだけど
いまはただコストを抑えるだけの
どうでもいいようなのが多いです
クラシックは特に。 >>283
残響過多なのを風呂場録音と言ったりするがトンネル内にたとえるのは初めて見た
オケは教会での録音だと残響過多なこと多い気がする シュナイダーsq はars novaのやつを最近買ったんだけど、音質最悪で投げ捨てたくなった。
俺は1930年代のsp音源とかは普通に楽しめるし、フルベンもベト2以外は大抵楽しめるのに、
シュナイダーのars novaは糞過ぎてあかんかった。
ほぼ全面的に音割れがしてる。
リマスターで、音圧高めるために何か失敗でもしたとしか思えない。
作ったやつは一度も聞いていないんじゃないかと思うレベル。 >298
ありがとう。
でも、もちろん正規音源の存在は知ってるんだよ。
正規音源で試聴して良かったから、
ars novaでもそんなに酷いはずは無いと思ってポチッちゃったんだよ。
ようするに、俺が間抜けなだけだ。 >>297
>シュナイダーsq はars novaのやつを最近買ったんだけど、
>音質最悪で投げ捨てたくなった
おお、被害者がここに
安さにつられて、私もうっかり買ってしまったんだが音質の酷さに呆れたよ
音質は酷いなんてもんじゃない 最初から最後まで音が割れている
マジありえない
この手のボックスは、どうせ既発盤の安易なデジタルコピーだろうと思って
安心していたんだが、素直にデジタルコピーする能力もないと見える
ars nova、本当に呆れた
ちなみに演奏そのものは(音質以外は)非常に良いものです 昔はhmvとかに皆すぐにレビュー書いてくれてたから、糞音源の区別がついたんだけど、
最近、誰も書かないから普通にあかんやつ買っちゃったよ。
2ヶ月前ほどに、hmvのランキング上位に上がってたから、俺ら以外にも買っちゃったやつ多いと思うけど、
まだ、買ってない奴いたら、絶対に正規音源にしとくべし。 これがランキング上位って、投げ売りセールだったのかな
今でも元のM&Aの三分の一の価格だし、それよりさらに安いとなったら当然そっち買うだろう
50年代のモノラルセッションで、そこまで酷い音質ってあんまりないし >302
最初はもう少し高くて、今の値段に下った時にランキング上位になったことがあるの。
でもすぐにランキングから消えた。
単にモノラルのハイドンが不人気なだけかと思ったら、まさかの糞音質。 弦楽四重奏曲集 シュナイダー四重奏団(15CD)
https://www.hmv.co.jp/product/detail/8586167
買っちゃった人が糞音源だってレビュー書いておきなよ ていうかトストとアポーニーがごっそりと抜けてるのな タワー企画のレーヴェングートSQは
ハイドンを削ってモツをカップリングしてるんだよな
何を考えてんだ。
モツの弦四なんてモノでもステでもいくらでも豊富だろうし
プロコフィエフとのカップリングなら
ハイドンのほうがなおさら相応しいと思うがな。 レーヴェングート四重奏団のタワレコ企画盤は
◇ドビュッシー+ラヴェル+ハイドン「雲雀」
◇プロコフィエフ2番+ルーセル+モーツァルト「狩り」
の二つが出てるな
どちらも在庫ありで買える
https://tower.jp/item/3170305
https://tower.jp/item/3842871
ドビュッシー+ラヴェルの原盤にもプロコフィエフ2番+ルーセルの原盤にもハイドンやモーツァルトは入ってないのでタワレコで独自に追加カップリングしたようだ
https://www.lpshop-b-platte.com/smp/item/271530.html
https://www.bakuendo.com/products/detail/2438 ちなみにモーツァルト「狩り」+ハイドン「雲雀」が原盤のカップリング
https://eterna-trading.jp/html/upload/save_image/1016/a/1016-026.jpg
要するに3枚を2枚に再編して復刻したのがタワレコ企画盤
削られたものは無いように思える メルツェンドルファーのハイドンは
ドラティ並みの音質だったらいいな >>290
>弦楽四重奏曲で序奏がしっかり付いてるのはop.71-2だけなのかな? この曲かなり好き
しっかりついているというと、たしかに思い当たらないですね。
この曲、自分もかなりすきな一曲です。
弦四は、モダン好んでいるのが多いのですが、これは、ザロモンSQが一番愛好です。 ザロモンSQはop.20以降ほとんど録音したのに
エルデーディだけ抜けているのがもったいない。
英国人アーチストって未完の美を重んじるためか、そういうのとは違うか
代わりにクイケンSQがその穴埋めを意識したのかしないでか
ハイドンの初録音はエルデーディだった。
>>308
ドビュッシー+ラヴェルに振られていたんか
失礼いたした。でもハイドンはルーセル・プロ子の側に
割り振ってほしかった orz こういった↓
http://www.amazon.com/dp/B00KGUETBU
https://www.discogs.com/release/9665778
これに限らず、これまで軽視されがちだった
かけがえのない小品のモノラル録音って
メジャーなタイトルCDにフィルアップされてる可能性もあるかもだが
ぜし、ここらで、どうかひとつ、オリジナルフォーマット初CD化として
オリジャケで余計な混ぜ物ナシで日の目CD化してほしいものなんだがよ… >>312
発売が2012年と2015年だからハイドンの方をモーツァルトより3年早く復刻してくれたんだ
ありがたいことだ LP三枚分をCD二枚にのパターンて
よくあるけど
この場合オリジナル盤のコンセプトは
失ってしまうわけだから
どうせなら、ドビュッシーとプロコも
別々に組み直して3曲入りのCDとして
それぞれ新しくリプロデュースした方が面白いのになぁ。
これだとハイドンとモツが完全に
半端なオマケ扱いみたいでさ そういう編み直しってのもクラシックレコードでは
大事な仕事じゃないかと思うんだ。
今はボックスだ全集だのと完全に
投げてるんだよな。
それしか方法がないみたいな。
売るにはもうひと工夫しなきゃね。 >>295
いやホグウッド/AAMは教会での録音が多いにもかかわらず
残響が少なすぎると不評
これはオワゾリールのエンジニアのせいだろう コンサートホールの特性として残響時間を表記するときには500Hzの残響時間を代表として使い、音楽用ホールでは数秒程度、教会では7秒という所もあります。
残響時間の長い英のセントポール大聖堂は9.3秒もありますが、オルガン演奏やグレゴリー聖歌に適した教会の残響時間は6秒前後と言われます。
クラッシックの場合は2秒前後の残響時間のあるホールでの演奏が最適だと言われており、東京のサントリーホール、紀尾井ホールの残響は満席時2.1秒、
世界3大有名ホール(ウィーン学友協会大ホール、アムステルダム・コンセルトヘボウ、ボストン・シンフォニーホール)の残響もいずれも満席で2秒程度です。
https://yoko-tada1946.c.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_603/yoko-tada1946/E3839BE383BCE383ABE5AEB9E7A98DE381A8E6AE8BE99FBFE69982E99693.gif
図はホールの容積と残響時間の関係を調べたものです。
プロテスタントよりカトリックの教会の方が残響時間が長いこと、アメリカよりヨーロッパのホールの方が残響時間が長いこと等、興味深いものがあります。
教会でのオルガンコンサートは朗々と響いて素晴らしいですが、そこでピアノのコンサートをするとわんわん鳴り響いて風呂場状態になってしまいます。 >>320
風呂場のデータも見たいな
一般的な家庭の風呂場と銭湯の比較もして 銭湯でコンサートするにしても
ホールとか脱衣場でやるだろ普通。 >>319
いや、エンジニアひとりの趣味・意向というわけでなく
プロデューサーや指揮者が副調整でプレイバックを聴いている写真が
たまにブックレットなどに掲載されてるじゃないですか
皆で音決めをする。
例えば、古いものでは
シェルヘンは指揮台で聴いてる時と同じレコーディングバランス…
というような趣意がハイドン軍隊・告別のCDに記載されてされている。 ちなみにホグウッド・ハイドン全のメインホールは
ロンドンのウォルサムストウ・アセンブリー・ホール。
バーンスタインLSOのマラ2の録音会場にもなっていて
さぞ天井の高い大ホールと思いきや
ぐぐってみると小中学校の体育館くらいの空間で
ステージも卒業式で使われるくらいの規模。
おそらく録音はステージでなく体育館で運動する部分の
広いスペースを使っているのだろう。
10巻の最後期の録音でヘンリーウッドホールや
1巻はアビーロード第一であったりと
むしろ全集のような録音では毎回同じような音場に保つために
なるべく間接音が入らないようにオンマイクで収録して
あとからいじるやり方では。フェーズ4もそうだがデッカはこの方式が
メインなんじゃまいかと。 >>322
残響入り過ぎてる録音が風呂場とよく言われてるから実際に風呂場で演奏したらどうなんのかってぐらいの話なんだが、脱衣場ってw 最近のスーパー銭湯とか知らんが
唐破風があるような昔ながらの銭湯って
石造りの代わりにタイル張り、
天井が高くて上にはステンドグラスならぬガラス窓。
あとは広さの問題だな...
あ、違うか。 なんかやっぱり、書き込まないと鬱になりそうだから、
書き込むことにする。
それにしても、バリトン三重奏曲全集はひどかったな。
低音に音が集中しすぎ。
かと言って、リンコントロのヴァイオリン版は、
やっぱりどこかしっくりこないのな。
もしハイドンがバリトン三重奏曲ではなく、
4手ソナタでも量産していたら、
歴史上もっとも偉大な作曲家としての評価も
増えただろうに、残念でならない。 ゲオルク・クリストフ・ヴァーゲンザイル (1715-1777)
低弦のための四重奏曲集
〜 ソナタ第3番 ハ長調 「小品の組曲」
https://youtu.be/NHQ-GF475dM
この時代はこの手の室内楽はわりとメジャー >>319の意見は正しい。
これなんかはCDと同一演奏だと思うけど、CDとは違って残響が多い場所であるのが分かる。
https://www.youtube.com/watch?v=wvRGH8s1X6g なに寝ぼけたことを。じゅうぶん偉大だよ。
片田舎の車大工の息子が20/21世紀まで名を遺す作曲家になろうとは
何の不足があるものか。 >>288-289
タワレコの表示は
発売日 2019年02月10日(予定)
に更新されたようだ こちらも近日発売予定の「ハイドン2032」vol.7は
#9・65・67
ということだが
ホグウッド/ウェブスターのCDでは#9は3巻
#65は5巻、#67は9巻収録なので
実は#9と65の方が作曲時期が近い。
初期から疾風怒濤期の頃までは楽譜が市販されてなかった関係もあって
ハイドン自身も初〜中期の作曲順についてはどうでもいい加減だったようだね。
混乱の種は単純にホーボ―ケンのミスというわけではないという。 プロシア四重奏曲集op.50ってかなり良い出来なんじゃね?と最近思うようになったけど三曲目だけいまいちピンと来ない 弦楽四重奏曲が、ハイドンの作品の中で、
一番いい出来なんじゃないかと思うようになった。 大きめの書店だとハイドンの弦楽四重奏曲がBGMでかかってる時あるな。
こないだは薬局でひばりがかかってた。
もっといろんなとこでハイドンかけて欲しいな。 >>336
セットとしてはOp50を一番好んでいる(ついでOp20)。
その後も、一曲ずつでは、好きな曲はいくつもあるけれど(ハイドンのSQで嫌いな曲はない)。
Op50演奏では、かなり表情を大きくつけたシュナイダーSQが魅力的。
楷書的なタートライSQも味わい深い。 ハイドンの4手ソナタ、「先生と生徒」は、
低音の先生を高音の生徒が真似する曲だが、
なんかいまいちだな。
ハイドンとしては、最高のユーモアだったんだろうけど、
あんまそういうの気にしないで曲にしてほしかったな。 モーツァルトのディヴェルティメント 11番k.251のロンド、他の作品で聞き覚えがあるメロディなんだけれども、どうしても思い出せない。ハイドンじゃなかったかな? デニーズでコーヒー飲んでたら
ハイドンのピアノソナタ(ウィーン原典版の56番)がかかっていた。 ソナタは弦楽四重奏曲みたいに曲集で語られること少ないけど、曲集として6つのソナタop.30とエステルハージ侯妃のための3つのソナタop.37が結構好き
6つのソナタop.30
Hob.XVI:35(ウィーン原典版48番)ハ長調
Hob.XVI:36(ウィーン原典版49番)嬰ハ短調
Hob.XVI:37(ウィーン原典版50番)ニ長調
Hob.XVI:38(ウィーン原典版51番)変ホ長調
Hob.XVI:39(ウィーン原典版52番)ト長調
Hob.XVI:20(ウィーン原典版33番)ハ短調
エステルハージ侯妃のための3つのソナタop.37
Hob.XVI:40(ウィーン原典版54番)ト長調
Hob.XVI:41(ウィーン原典版55番)変ロ長調
Hob.XVI:42(ウィーン原典版56番)ニ長調 「天は御神の栄光を語り」の一番迫力ある動画はどれですかね? >>345
よかった、レポ訊きたい
つべで聴くとよさげだから、かなりリマスタ失敗とかでなければ欲しい 初期や中期の曲も通奏低音のチェンバロが入ってないので通奏低音苦手派としては聴きやすい
マスターテープに起因するノイズは常に入っているが ドラティもA.フィッシャーもD.R.デイヴィスも通奏低音チェンバロが鳴ってたからメルツェンドルファーが唯一の通奏低音チェンバロ入れてない完成した交響曲全集になるのか 第24−29番のオーボエが必要以上に
前に出ているのはなぜか。 >>349
通奏低音苦手派ってなあに?w
まさかチェンバロ、鍵盤楽器だけが通奏低音として使用される楽器とでも思ってるの? 例えば、「ホグウッド盤も通奏低音入れているね。」
これに対して、「ホグウッドはチェンバロ入れてないだろ。通奏低音入れてないよ。」と反応する人はかなり恥ずかしおバカ。 音質について書かれてた
http://classicalcd.la.coocan.jp/etcetera/201902.htm#201902121
メルツェンドルファー指揮,ウィーン室内管の史上初のハイドン交響曲全集
英SCRIBENDUMから,このメルツェンドルファー指揮,ウィーン室内管のハイドンの交響曲全集がCD33枚組のボックスで発売になりました。
私もこのCDボックスの発売は画期的なことだと思い,さっそく入手したのですが,現物を見ると,
音源については‘Digitally remasterd from vinyl. Original tapes missing and cannot be found’と記載されており,LPからの復刻のようです。
実際に音を聴いてみると,LP再生時のスクラッチノイズやピチ・パツ・ノイズも聴こえず,比較的耳当たりの良い音ではあるのですが,
1960年代に録音されたLPの復刻にしては,音の厚みがなく,質感や音色感もほとんど失われており,mp3並みというか,
大部な全集ボックスを相次いでリリースしているVENIASレーベル並みの音質なので,この点は多いに物足りませんし,
これまでイアン・ジョーンズによる高音質マスタリングなどを行ってきたSCRIBENDUMの音質とは思えないレベルなのです。
ちなみに,このメルツェンドルファーのハイドンの交響曲全集はCD化は今回が初めてですが,
実はアメリカのTHE HAYDN HOUSEが,全曲を復刻したmp3ファイルを1枚のDVDに収録して$129.95で販売しているのです。
このサイトでは全交響曲をそれぞれ1分程度試聴することができ,それは192kHzのmp3なのですが,試しに聴いてみたところ,驚いたことに今回発売のSCRIBENDUMのCDの音質とそんなに違わないのです。
ということはTHE HAYDN HOUSEの音源を使用してCD化したのではないかとも思えてしまうのですが,実際はどうなのでしょうか。 ハイドンハウスは
SAGAとCBS録音のソロモンス盤の未CD化音源もCDR(?)かなんかで販売してるよな。
ずっと気になってるんだが
こっちは80年代の録音なのに
ソニーが黙認してるということは
マスターを破棄してもうないとか、販売権がもうないとか
なんやろか? https://youtu.be/1yxPm_MAi4I
https://youtu.be/yPGHJLdjMZo
https://youtu.be/uJB0W3uPBIY
アタッカ四重奏団がYouTubeに上げてる演奏が気に入ったのでCDは出してないのかと探してみたけど、ハイドンのCDは「十字架上のキリストの七つの言葉」しかなかった
そしてこれがまたハイドン自身による弦楽四重奏編曲版ではなくてアタッカ四重奏団がオラトリオ版から弦楽四重奏に編曲し直したという珍しいものだった
https://youtu.be/PN2uo62a5O0 メルツェンドルファーの交響曲全集
82番「熊」のフィナーレ4分5秒の所で音が一瞬途切れてた そういうエラーって再生機器との相性もあるから
他のプレーヤーでも確かめた方がいいよな
どのプレーヤーでも同じに音飛びや途切れがある場合
はじめて不具合といってよいのであって
デジタルってこれがあるから聴かないで積んでおく人は要注意。 ナクソスの協奏曲全集、なんか気に入らなくて売ってしまった。
あーあ、ドラティのトビアの帰還、どっかに売ってないかなあ。 >>364
ナクソス協奏曲全集、最近、やたらと中古で見掛ける。
箱が無駄にでかい。 ナクソスはスロヴァークで録ってたショスタコーヴィチの交響曲をペトレンコで録りなおしたりクチャルで録ってたプロコフィエフの交響曲をオールソップで録りなおしたりしたけど
ワーズワースで録ったハイドンの交響曲の録りなおしはしてくれないのか ナクソスは古楽−バロックは
ピリオド楽器でやるけど
ハイドンだけはモダン楽器に
こだわってるね。
ピリオド楽器でも録音してほしい ナクソスでバリトントリオを
ピアノトリオ版でやった一枚があったはずだが
ピアノだけフォルテピアノ使用して
弦楽器はモダン仕様だった。
変な感じ。 結局、使用楽器でなく
演奏者次第だとは思うが
ナクソスて穏便、中庸をモットーとし
ことさら問題提起は避けたいふうに見受けるが
ハイドンはそれだとイマイチおもろくない。 ドラホシュ/ニコラウスエステルハージシンフォニアやウォード/ノーザン室内管やコダーイ四重奏団の中庸な演奏も好きだしナクソスは中庸な演奏でカタログ網羅するレーベルでいいよ
ワーズワース/カペライストロポリターナやスロヴァーク/スロヴァキア放送響みたいに下手くそなのは駄目だが ハイドンは下手くそなのも好き
むしろウィーンフィルあたりのは鼻につく 録音だな。
ロマン派のようなピラミッド形の
たっぷりした弦楽器群中心であとはバックグランドみたいな音作り。
この時点でハイドンを理解できてないんだな
って思ってしまう。
アーノン、ヘボーがわりとそういう音作りだけど、そこは計算されていて凄いね。 バーンスタイン&ウィーンフィルとプレヴィン&ウィーンフィルのハイドンが好きでスマンね スロヴァキア放送響は、スロヴァキア・フィルと共に好きなオーケストラだけど、スロヴァークの録音は聴いたことがない。そんなに酷いの? ヘッツェルがあえて他で全集に取り組んだのも、
ウィーンフィルの響きがハイドンと合わないからかもね ナクソスでワーズワース/カペラ・イストロポリターナが担当した曲が
94「驚愕」101「時計」83「雌鳥」
82「熊」96「奇蹟」100番「軍隊」
44「悲しみ」88「V字」104「ロンドン」
45「告別」48「マリア・テレジア」102
85「王妃」92「オックスフォード」103「太鼓連打」
って特に有名で比較される録音の多い曲ばかりだからなおさら駄演に聞こえるんだよな 有名というよりニックネームが付いた曲だね
ニックネームの有無でハイドンの交響曲を選ぶのは
20世紀で終わりにしる。 カペラ・イストロポリターナの音楽性自体は好きなんだけど、ワーズワースとの相性はどうしたものか。個人的にはリーパーに振って欲しかった。 >>377
ベートーヴェンの7番は大変に人気のある曲になった
ハイドンも間もなくそうなるはず
20世紀だと、7番はいい曲なのにニックネームが無いのはおかしい、
新しく考えて付けようなどという向きもあったはず
こんなニックネームありき、みたいなこと言う人はもう絶滅したのではないか
徐々にではあるが変化はしている モーツァルトもト短調の交響曲25番や40番が人気だしね >>376
ナクソスのハイドン録音の一番最初になる5枚ということで取っ付きやすそうなニックネーム付きを集めたんだろうけど
まだホルン信号とかラ・パッシオーネとかもあったのにさりげなく102番を選んで入れてるの面白いな 単純に最後の5曲(100〜104)から1曲ずつ5枚に入れておこうってなっただけかもしれないけど 確かにベトの「ウェリントンの勝利」の戦争描写とか
「田園交響曲」などは鳥が鳴いたり嵐が来りの標題音楽だけど
ハイドンのニックネームの中には「時計」「軍隊」のように
標題に過度な期待をもって聴いた場合に
ビギナーなら期待を裏切られたと思う人もいるんじゃまいか?
さらに「時の移ろい」とか曲と関係あるのかないのか意味不明なものすらあるし
「V字」に何を期待しろというのか、これってニックネームやないといって
付いてない場合すらあるw >>384
「時の移ろい」は、緩徐楽章で終止形が出てこないところから来てると聞いた プレヴィンが死んだ・・・。
一番好きな指揮者だったのに。 >>386
そういえば、プレヴィンのハイドン聞いたことある。 プレヴィンのハイドン(philips)、
あれは良いものだ
追悼で久しぶりに聴こう 好きな指揮者だけど
ハイドンとベトだけは好きになれない。
モツやチャイコは素晴らしいと思う。
その指揮者の音楽性と合ってる音楽とそうでない音楽があって
あたりまえだと思うな。そうでなきゃバケモンだよ。 追悼… >>385
「時の移ろい」はパート譜を束ねた帯に
書き込まれていたというラテン語の格言らしいが、
ハイドン本人によるものかどうかは不明で
れっきとしたタイトルということではないらしい。
「時計」のような当時からの本来の愛称もあれば
恐らく後付けであろう「回文」なんてこじつけられたものもあるから
なんともいえない。 そういえば交響曲第47番のメヌエットとソナタ Hob.XVI/26のメヌエットが同じなんだっけ ハイドンの最高の創作は、弦楽四重奏曲だな。
交響曲は、なんか駄作っぽいのが結構ある。 なに駄作ぽいって
誰かの交響曲と比べて言ってるの
プロトタイプ的な交響曲の存在はあるとしても
後にリベンジしてしっかりとした構成の曲に仕上げてるし。
何日も時間をかけて作曲された後世の交響曲とは違う。 つまりそれって人まねなんかでなく
完全オリジナルな作曲をしていたという
証拠といってもいいんじゃないか 判りやすい例として
カペコロ/リフキン のCD
ハイドン:交響曲第31番, 第72番 だね。
#72なんてトンチンカンな番号がふられているが
#31ホルンシグナルよりほんの少し前の作曲だ。
他にもそういった試みが積み重ねられて
ハイドンの交響曲は建築物のように構築されていった。
ホグウッドの交響曲集の初出カバーデザインが
建築図面を使ってるのはそういった事を表現してるんじゃないかと…。 31番より72番の方が好きなんで72番をプロトタイプ扱いされるのは不満だわ それは個人の好みの問題だし
試作と駄作とをイコールに捉えないで欲しい。 姉妹作とかならともかく試作って何だよ
勝手に決めるなよ 後に作られたものの方が完成度高いという思い込みの結果ザロモンセットばかりが録音されてきた >>400
買い手、聴き手が無知だから仕方ない。
CDを売る方も商売なんでね。 モツとハイドンの違いがわからなかった
20世紀の演奏家達が元凶
ホーボーケンのやっつけ仕事も。 >>400
>後に作られたものの方が完成度高いという思い込み
それなりに聴き込んでいるつもりだが、
ザロモンは抜きんでている気はするがなあ…
やっぱ思い込みなのかな モツは子供の頃から作曲を始めたので
後期作品に人気が集中するのは当たり前だが
ハイドンは初期、エステルハーザ期、
フリーになってからとそれぞれに
味がある。 フリーになってからは
他の作曲家からの風も受けて
よりマイルドに完成度も高く感じるかもしれないが
エキセントリックなまでにオリジナリティなのはハイドンが真空パックされてる
エステルハーザ期だろう。 つまり、ザロモンセットをピークにすると
後から来るモツ、ベトには及ばない
存在になる。
それが20世紀中頃までの評価ということじゃまいか。 むしろ逆に、交響曲と言えばベトブラが基準になっていて、そこから見ると
ザロモンセットが一番引っ掛かりやすかった、ってことでは? 20世紀初頭までは後期ロマン派が幅をきかせてたからだろう。 あとエステルハーザで演奏されたBアルトというホルンが20世紀の楽器、もっと言って20世紀中頃の技量では
高音すぎたという点も、たやすくなかったといえるかもしれない。 戦後の技量としようか。
ヴァイル盤ですら#46はオクターブ下で
やっていて意外だった。 >>399
もう少し前から読んで。
駄作っぽいに対してプロトタイプ的と
いってるだけ。
ハイドン交響曲の実験期であったとする
学者もいる。 駄作っぽいという意見にもプロトタイプ的という意見にもどちらにも同意できないし
実験期とした学者にも同意できない 姉妹作でいいよ。
とにかくエステルハーザ期は
独創的であることに間違いないし
そうならざるを得ない環境にあった。 試みるという裏には
独創性と言う言葉が隠れてると
思わんかね
ヴィヴァルディのなんちゃらの試みとかいう曲はけしからんとでもいいたいのか? 実験期とかなんとかそういうのは言葉遊びでしかない。
最初に実験期言うた学者とやらは、恐らくオレ上手い事言ったぜと思っているかも。
そしてそういう言葉を有り難がって使うアホクラヲタがいるしw 弦楽四重奏曲の方が交響曲より完成されている気がするのは、
オーケストラと違って、音源がすでに完成されていたからだろうな。 プロトタイプとは、 原型、試作という意味。試作段階の製品のことを指す。
プロトタイプは「原型」という意味を持ち、 デモンストレーションや技術の検証、 コンペティションへの出品などを目的とした量産前の試作のことである。
プロトタイプは、デモンストレーション目的や新技術・新機構の検証、試験、量産前での問題点の洗い出しのために
設計・仮組み・製造された原型機・原型回路・コンピュータプログラムのことを指す。 実験であるかないかと曲の出来栄えとはあまり関係ないんじゃないかと そこだよね。
20/21世紀の人間にとって
クラシック音楽は過去に完成された音楽だから
同時代的な感覚には到底なれないということ。
シューマンですらハイドンを褒めてはいないようだ
一方で懐古的なブラームスはハイドンを高く評価して
おまいらはハイドンを理解できてないとい言ったとかで。 >>415
所謂クラヲタでハイドン好きの人っているのかね?
クラヲタがモツ・ベト並みに聴いてくれていればいいのだが…
録音数から言ってもせいぜいザロセット、弦楽四重奏が聴かれてる程度だろう シューマンはCPEバッハなんかも低評価していたバカだからな。 交響曲よりも弦楽四重奏の方がやはり出来がいいと思う。
これは演奏次第でどうにかなる差ではない気がする。 >>420
ハイドン好きのクラヲタなんて普通にいるだろ クラヲタていうてもだなあ
ザロモンと弦四程度の認識で
100曲以上あるバリトントリオなどは
知らないか、弦四で事足りると思ってるのでは?
最近のレコード業界ならハイドンは
世界規模で何枚くらい需要があるか
出ているのでは。ゴーバーマンとか
すぐソールドアウトしたもの。 >>421
時代の流れだね。
そう言いつつも交響曲#2の冒頭が
#104ロンドンの冒頭と似たような音形なんだよな。
モツが一時ライバル視したクレメンティの旋律を
魔笛序曲で使用したのと同じような
現象か? なぜか昔からクラシック板には、ザロモンセットの価値を低く見積もる人が常駐しているね。
ベートーヴェンの交響曲がザロモンセットより上とか言っている時点で、ハイドンファンじゃないんだから、
おとなしくベートヴェン讃美していればいいのに。 >>424
何故このスレにはクラヲタがいないと思ってるのか謎 クラヲタじゃなくてクラ板を見てるのがいるのかとクラヲタの俺が困惑 >>426
>ベートーヴェンの交響曲がザロモンセットより上
え!?そうじゃないの?w
ただ、それと個人的な好みも同じとは限らないでしょうけど。 流石にザロモンセットの方がベートーヴェンの交響曲より上だと考えているような奴は、
このスレでも少数派と思われ。
もちろんザロモンセットの方がベートーヴェンよりも好きだと思ってるやつは多数派だと思うが。 演奏・録音の出来・不出来をあれこれのたまうクラヲタとか
その元締めのような雑誌はいくらでもあるでしょうが
音楽そのものの上下とか作曲家の優劣とか
論じてもなんにも始まらないと思うが・・・
クラヲタなら自分の好きな作曲家なり演奏家は普通はいるもんだろ?
それがここ最近の過疎ってる理由やないの。 優れた名曲だから名盤なんだから!
なるほどいいね!
だったら何のヲタなんだよって話 >>431
古典派・ロマン派の価値と、現代音楽の価値は同じだとかほざいてろ。 ということで
ベトやモツと比べて人気・売り上げが上か下か
交響曲か弦楽四重奏のどっちが出来が良いか
とか、ハイドンが好きな人にとってはホントに不愉快なだけなんだがw
まあよくわからない人から見れば喧嘩ばかりしてるように見えるかもしれないが
そんな子供以下な喧嘩をするほどクラヲタも見くびられているってものかもしれんね 仮にモツ・ベトを前期ロマン派に追いやったら
古典派のファンって現代音楽ほどじゃないのか(苦笑 現代にはジョン・ケージやスティーブ・ライヒもいるから
もっと少数派かもな 書き込みの内容を制限しようとするからだろう。
交響曲に駄作っぽいとものがあるという書き込みに対して、そこから具体的な話を展開していくのではなく、そういった書き込み自体がけしからんとなれば過疎る原因となる。 むかし神保町にハイ丼という丼物屋があった
ウィンドウガラスに大きな文字でHAYDNとプリントされていた
しかしBGMはハイドンではなかった
メニューが豊富で安く味は普通だった >>420
文章内容から判断すると、もしかして「クラヲタ」=「ライトなクラシックリスナー」ぐらいの意味で使ってたのか クラシックを広く聴こうとすると膨大な量になるから
交響曲で88、ザロモンセットから数曲
なんとかベスト100なら落選、モツから始まってる場合も
そんな世界で自称クラヲタを名乗れる人っているのか そういえば>>424のクラヲタ感もなんか変だったな そんなこたどーでぃもよくて、
言わんとすることは
例えばドラティ全集から選曲するなら
後期番だけをカップルするんでなく
初期、中期、後期から1曲ずつみたいのがいいな そんだけ。 >>420
むしろハイドン・モーツァルト・ベートーヴェンよりもボッケリーニ・ヴァンハル・ディッタースドルフを聴き込んでしまうのがクラヲタ >>446
13番、57番、90番みたいなカップリングで出たら楽しいな 弦楽四重奏曲はそんな感じの3曲カップリングのCDもあるね。 ハイドンとモツが同じくらい好きで
その人はCDに月3000円しか使えないと
仮定しよう。
双方の初期交響曲が
モツはバラ売り一枚3000円。
ハイドンは3枚組しか売ってなくて9000円だった。
さあどっちを買う。両方買わないかw
現にホグウッドの国内盤のモツ交響曲は全曲バラ売りしたけどハイドンは一度も
バラ売りしなかったな。
後年になって朝昼夕だけ出したけどね。 自分の音楽ソフト購入史上最高値なのは
ドラティのハイドン交響曲全集CD初回発売8万超 そう、それ
今となっては普通のラックに収まらなくてうっとおしいw ハイドンの弦四は、ベトの弦四より素晴らしいな。
聴きこんでそう判断した。
さて、今度は、ショスタコーヴィチの弦四が、
バルトークの弦四と比べてどうか、
聴きこんでみないと。
CD1万枚しか買ってないけど、聴きこむためにも、
英語のリスニング諦めようかと思ってるよ。
音楽という文化を日本にもっと広められても、
英語力が落ちるという弊害があると、最近気づいた。 >>453
四枚収まる分厚いプラケース
今はトレーの裏にも収納できるから6枚収納できるタイプでしたよね。
全部が四枚セットなのか、パリは二枚組とか巻数で組枚数が違うんだっけ...? ドラティの交響曲全集の初CD化は
オリジナル英CD全集(プレスはドイツ)だと
その分厚いケース(青トレー)の4枚組が8セットで
ボックスに入ったものだった。
キングの初CD化(英盤は90年代になってから)も同じような
セット内容だとは思うけど
豪華木製ラックというと当時かなりな枚数に感じたね。
繰り返し部分的に省略してるだろうが
今はクラムシェルボックスで普通の箱サイズに収まる数量なんだね。 いよっしゃーー!!
テレマンのリコーダー作品集成、希少なBOXの美品をゲット!!
希少なBOXの美品が手に入るとうれしい!!
テレマンスレがないので、ここに書き込む!! >>454
隠居生活で英語要らない人か。
俺、一日あたり3hくらい、電車の移動中に聞いてるわ。
マッタリ音楽聴くような環境でないし。 俺、日々5時間を9年続けたが、音楽聴くことも段々と飽きてくるよ。ジャンル変えたり、新旧あれこれトライしたけどさ。 皆さんに質問があります。
ピアノソナタ全集でお勧めは何があるでしょうか?
教えてくださると嬉しいです。 >>462
Tom Beghin (NAXOS) Blu-ray audio
Christine Schornsheim (Capriccio) CD 最近弦楽四重奏を作品毎にいい演奏を探している。
難しいのがop55と71、74の演奏。
op55はパノハ、71はチギリアン、74はタカーチで落ち着いているが、まだ他にも良い演奏がありそうだ。
>>462
全集であればオルベルツ。 ハイドンの鍵盤ソナタは殆どがチェンバロ用に作曲されたと言われているね。
ピアノを想定して作曲さてたのは後期の10曲もない。 >>462
余り人気がないけれども、マッケイブの全集は飽きなくて結構好き。 発売されたばかりのダニエル・フュクスのソナタ全集、
YouTubeで全部聴けるのな。
でもちょっと乱暴な演奏かな。
これなら、他の演奏の方がいいかな。 >>469
聴いてみたけど、マッケイブいいね。
好みだわ。 聴いたけど、バウゼも、
聴けるの以外、今後が楽しみな感じだね。
今のとこ、ヤンドーが一番好きなんだけどね。
それにしても、どこを探しても、ハイドンのソナタ
全65曲を揃えられない。
誰か揃える方法、わかる人いませんか?
弦四なら、コダーイだけで揃うのに。 作品64の聴き比べで、少しずつ買い集めながら聞いていたが、
いつ、どこで買ったのか記憶にない、いかにも廉価版と言う雰囲気の(失礼)1−3が入ったCDが出てきた。
期待しないで聞いてみたところ、意外なことに、とても良かった(今のところ、64−1を中心に聞き比べ)。
演奏団体は「caspar da salo」(カスパルダ サロ、など)となっていて、聞いたことがない団体です。
検索しても、団体そのものはよくわからず、
演奏団体を隠して別名で売り出す「幽霊団体」らしいという記事などがあった(今、その記事を見失ってしまった)。
気に入っている演奏なので、どのような団体なのか知りたいと思っています。
この団体について、知っている方があれば、教えていただければありがたいです。 >>475
PILZ系列音源ですよね。
この手の海賊盤は結構好きですが、この録音の演奏は未だに解明されてなかったと思います。
オケやソリストだとスロバキア、スロヴェニアの音楽家が正体の事が多いけど、カルテットは情報が殆どないです。 476さん、475です。
早速の回答、ありがとうございます。
まだ分かっていないのですか。
残念ですが、この演奏は楽しんでゆこうと思います。
情報感謝です。 PILZのカスパーダサロのop.64のCD俺も持ってるわw
正体不明団体だけどわりと良い演奏だよな >>479
フィルハーモニア・スラヴォニカ・・・w 十字架上のキリストの七つの言葉はハイドンも自身で傑作って言ってるほどすごく美しい作品だ >>481
傑作だということは分かっていても、オール緩徐楽章の構成に、どうしても途中で意識を失ってしまう。
気付いたら「地震」になっていたと 傑作だとは思うが、バージョン問題がちょっと面倒な印象
管弦楽バーション、室内楽バージョン、オラトリオ・バージョン
さらにこれに朗読(語り)の有無のオプションまであって
そこらへんが面倒なので、あまり他人と話さないかな
巨匠ではムーティが好んで振っている印象があって、
ウィーンとベルリンで正規録音があったような >>360みたいにオラトリオ版を弦楽四重奏に独自編曲してるのもあるな
第4ソナタと第5ソナタの間の弦楽四重奏版には無い部分も弦楽四重奏で演奏してる op51はエマーソン四重奏団の演奏を持っていてたまに聴くが、本当にたまーに聴くと良い曲だな。 最近ハーゲン四重奏団の太陽四重奏を手に入れて聴いているのだが、既に持っていたウルブリヒ四重奏団の演奏ってかなり良いものだと気付かされた。
ハーゲンも決して悪く無いが、手に入りにくさや値段を考えるとウルブリヒを持っていれば敢えて買う必要はなかったかな。さらに言えばハーゲンは1994年デジタル録音なんだけど、ちょっとこもり気味の音質で録音の優位性が余り感じられない。
展開部リピートがない演奏で他に良い演奏知っている人はいませんか? ハイドンを聞き始めただいぶ前、十字架の序奏を聞いて、作品20−2の第二楽章と同じ音楽ではないかと思ってしまった。
そう思い込んでいて、音楽の友社の名曲鑑賞を読んでいたところ、たしか、大宮真琴氏が、
十字架の序奏について、「これまでハイドンは、こんな音楽を書いたことがなかった」と言っている文を目にした(記憶違いでなければ)。
同じ音楽を前に書いているのに・・・と思ったのだが、良く聞けば同じではなかった。
とはいえ、主題にしても全体の雰囲気にしてもずいぶん似ている。
「こんな音楽を書いたことがなかった」という評は、やはり少し引っかかった。 スレで出てきたことに触発されて、久々に十字架を聞いてみた。
良い曲なのだが、一つ一つ、言葉が入って、
その後に演奏することを前提に作曲されている感じを強く受けた。
そのような版やオラトリオ版などで聞くと
かなり違った印象を受けるのかもしれない。 普段ネットラジオ聞いてるとこの時期はハイドンの十字架上の七言は毎年よくかかるけど、
今年はなぜかほとんど見かけない…
聖金曜日なのでBellotti&Salernoの2台オルガン版聞いてる。 十字架聴いてたらちょいちょい映画音楽っぽい響きのとこ出てくるよな。 >>488
ハイドンの弦楽四重奏曲に捕らわれて、他ジャンルも聞きたいと思いながらもなかなか聞けなくなっている。
ハイドンの弦四の中で、セットでは、作品20と作品50に引かれている。
個々の曲では、好きなものは別にも多くあるが、作品20や作品50は、セット全体で空気、
雰囲気など共通の味わいが感じられ、その上で、個々の曲が独創的なので、
かえって、それぞれ個性的であることが好ましく引き立っているように感じている。
作品20には、のどかさや(「太陽」の名称とは裏腹に)「薄明」のような雰囲気を感じるのだが
(これは感じる共通性の一部に過ぎないけれども)、
20−1が、それを簡明に表現しているように感じて、セットの中では聞く回数が多い。
ただし、20−1は、演奏による違いが極端に大きい。
第一楽章冒頭の繰り返される三音を、スタッカート気味にするか、
「普通」に(あるいはレガート気味に)演奏するかで、印象がまったく違ってしまう。
ウルブレヒは前者で、反対の極はコダーイと思うが、これは演奏時間がウルブレヒの二倍以上ある
(コダーイは、聞き始めた頃、ダイナミズム、テンポとも中庸の演奏と思いこんだので、
作品20の超スロー演奏には驚いた)。
コダーイほど極端ではないが、同じ傾向には、タートライはじめ、割合多くの演奏がある。 494の続き。
自分の作品20のイメージからは、20−1はタートライなどの演奏が合うため、
他の曲も安心して聴けるタートライを中心に聞くことが多い。
しかし、今回、ウルブレヒを聞いてみて、方向は少し違うが、これも非常に良い演奏と思った。
この方向で、同レベルの演奏はなかなか見つからないのでは。
全集では、他にエンジェルス、ブッフベルガーを聞いてみた。エンジェルスは、それなりの演奏なのだろうが、
微妙にハイドンと違うような感じを拭えない。エンジェルスで聞きたいハイドンが思い浮かばない。
ブッフベルガーは、演奏の完成度はともかく、表現意欲が感じられて
(当たり外れも大きいが)面白い部分もある。しかし、ファーストチョイスには厳しそう。
ウルブレヒと違う方向なら、その一つとして、録音を別にすればタートライは悪くないと思うが、
しかし、一部四楽章でのリピートがある。リピートは自分も苦手だが、これは我慢して聞いている(笑)。
ただ、交響曲でもそうだが、後期のリピートはたまらないが、
この時期の曲は、苦になる度合いが比較的小さいものが多い。
他に古い演奏で、シュナイダー、プロ・アルテの作品20も楽しんでいる。
ケッケルトは良い演奏と思うがあまり聞かない。
その他の推薦演奏がある人は、是非聞かせて欲しい。 ロンドン・ハイドンQ hyperion
Op9からはじまりようやっとOp 64まで来たところだが
歴史的名全集をタイムリーに体感することは
滅多に出来ることではないだろう。 >>495
488だが、一応アウリンQのop20も持っている。
演奏は綺麗なのだが、全体的にゆったりとした雰囲気と展開部リピートのためにあまり聴かない演奏になってしまった。
展開部リピートのあってもop17,33、50、71、74、76はそれ程気にならないんだが、20、54、55、64はリピートあるとそれだけで聞く頻度が減ってしまう。曲の造りとして一度完結したと思ったらまた同じ事を繰り返す、という印象があるかだろう。 繰り返しはバロックやハイドンの音楽のような
舞曲を起源にもつ音楽の特徴というものだろう
特にハイドンは偽終始、偽再現などを好んでやる人ということを
真っ向から否定しているようなものかと。
たとえばスティーヴ・ライヒの音楽を最初から
最期まで通して聴くのが退屈に感じるといってるようなものだ。
リピート省略はSPやLP時代の収録時間の都合以外のなにものでもない
単なる都合を後のリピートがなくひとつの音楽に完結している音楽
のように見せかけているだけの行為なのだ。 おれはむしろリビートないと物足りない。
ハイドンはモーツァルトやベートーヴェンより短いので、
リビートするとちょうど良い長さとなり、モーツァルトやベートーヴェンにひけをとらなくなる。 録音とか無かった時代だし、リピートは聴衆へのサービスだったんだよな。
曲中にアンコールがあるみたいな ハイドン音楽そのものがサービス精神とユーモア精神の結晶であり
録音ありきの時代、あるいはもとから長大な音楽とでは
また捉え方も違って当然だろうね。
ならば全てのリピートをしないとどうだろうか
一番カッコ、二番カッコがあるような作品の場合
一番カッコの音形はないものになってしまう。
つまり不完全な演奏じゃありませんかというだけの話で
例えばストコフスキーがチャイ5のくどい部分を
何小節カットして演奏・録音したような
演奏者による判断・省略というだけの話ね。
パリ交響曲のように全部繰り返しを行うと一曲30分前後になる場合
全部やるほうが圧倒的に少なくなる。LP時代にハイドンやモツの交響曲を
両面で1曲にするレーベルはほとんどなかったと思うし
CDになってもそのままの感覚というだけでは。
アーノンクールやホグウッドのようによほどの主張がないかぎり
全部やるほうがまだ珍しい部類であるのかな・・・ もっとも、SP盤なんて片面5分程度だし
ゼンマイ式の蓄音機なら巻きなおす必要もあって
そう考えればデジタル配信もそうだが
音楽産業としてなら1曲、一楽章、3〜4分が妥当ということか 繰り返しを持ち味にしているライヒとハイドンのリピートとを同列にするのは
さすがに無理があるのでは。
一つの曲を幾度も聴くことがなかなか出来なかった当時では、
96番の初演では、三つの楽章までをアンコール演奏している。
今、こんなことをやったら、場合によってはブーイングがでるかもしれないw
こうしたサービス面とリピートが無関係とは思えない。 つべにあるノリントンのうつけものライブ映像は終楽章を再度演奏してるが
いやならハイドンを無理してきかんでも
いいのでは? モーツァルトのピアノソナタ、素晴らしいな。
ちょっとハイドンの方が負けてるかも・・・と思った。
弦四も、交響曲も、オラトリオも、ミサ曲も、
ピアノ三重奏も、勝ってるんだし、
そのぐらい勝たせてあげてもいいよな。 オレも展開部のリピートはほとんどの曲であまり好きでないな。
どんなに好きな曲でもだ。
何度も聞きたければ単純にそのCDやその曲を最初から繰り返して聞けば良い。 コープマンのように最後は徹底して繰り返さない場合、バッハの鍵盤曲の中には
やたら短くなる曲もあるが
長さの問題で繰り返す人もいる。気がつかないだけで。
あるいは、ベトのように音楽そのものがくどい場合、繰り返さないと逆に省略された感がある。 >>509
モツにはオペラもあるが
実は当時のイタリアオペラ作品を知れば
そこまでのものでないかも。
コンチェルトはドングリ勝負だが
後に興隆するピアノがものを言った。 チェロ協奏曲はいいなあ。交響曲よりも頻繁に聴いている。 >>513
まだバロックの名残りがある頃の作品なだけあって、バロックと古典派のいいとこどりした曲調だよね アーノンクールの「マリアテレジア朝ウイーンの音楽」が世界初CD化というのも意外だがテルデックらしい。
ブリュッヘンのリコーダー録音の
初CD化は日本国内企画が先行だった。 >>513
自分もA. クラフトのコンチェルトと同じくらい好き。 >>514
確かに一番はそういう傾向の曲だけど、2番は古典派らしい曲でしょ。 交響曲39番、レッパード演奏終楽章のリピートを聞いたときに抵抗がなかった。
しかし、94番や96番の(一楽章)のリピートは、終結感を味わったと思ったらまた始まったという感じ。
(94は、カラヤンとヘルビッヒ、96番は忘れた)。
最後に向けたクライマックスの流れが強く終結感の強い楽章でのリピートは
普通に聞いていて、聞き入っていた気分が壊される。 例えば、テレビドラマや映画などを見ていて終わったのに続けてまた途中から繰り返し見るのは苦痛ですよね。
どんなに面白かった、または感動した内容であっても。
もちろん日を置いて改めて見るのは有りだけど。 旧全集や新しいヘンレ版は知らないが
ロビンスランドン版で確認する限りでは#93以降
いわゆるザロモンセットの曲の最後にリピートのてんてんマークは付いてない
それをそれ以前のリピート付いてる曲でも
その通り繰り返すかザロモン当時に倣って繰り返さずに終わるかの違い。
あとロビンズランドン校訂譜の各々の曲には楽器編成の一覧が付いていて
チェンバロも加えてある。モダン楽器オケでわざわざ入れている人は
それを順守してるということかも。 通奏低音にチェンバロ(フォルテピアノ)を入れるか入れないかについては
やはりザロモンセットのコンサートでハイドンが弾いたという根拠で
ランドンは他の曲でも入れることを想定してるわけだが
近年はエステルハージ楽団には鍵盤奏者がいないし
ファゴットが独立したパートでなく通奏低音楽器とし加わえられていた
ということになってる。いずれも入れたらいけない繰り返したらいけない
ということではない。 (上の方でも書いた)
「終結感を味わったと思ったらまた始まる」
いわゆる「偽終止」はハイドンが好む手法・からかいのうちのひとつ。
実を結ぶ#90ではホグウッド(CDにはなっていない)やラトルによる
ライブ本番でも
その部分で拍手が起こっており、「驚愕」の一打では驚かない現代人も
このトリックには当面の間してやられることだろう。 上に上げた例は偽終止というものとは違うと思うが。
このスレに90番の繰り返しに文句を言っている人間は恐らく一人もいないよ。 90番終楽章のようなあからさまな例に限らず
ハイドンの場合、作品によっては
苦になるほどくそ真面目に聴いてるほうが
少々お笑いだねだということさ。 苦になるというのがどこから出てきたのかはともかく
ハイドンを聴くことに誰も苦になっていないはずだ。
苦になるのは、ハイドンであろうと、どんな名作、音楽、映画そのほかであろうと、
適切でないリピートが、くどく、苦になるということだ。
むしろ、ときに、より構成の完成度が高いほど、不適切なリピートが苦になることも多い。 それをいったら
パリ交響曲中に最後リピートする曲と
しないで終わる曲がある説明がつかんがな。 俺はハイドンをモツの曲のように
そうでなくて良いところまで
モツの曲のように、モーツァルト風になめらかに演奏しようとしてる演奏のほうが不自然で
はなにつくな。よほどくどく感じる。 リズム感がない、指定されてる速度記号より何倍も遅い
そういった演奏は得てして繰り返してなくても満腹こして気分が悪い。 上司の下手くそなカラオケをフルコーラス聴かされるのは
とてもつらいということには同意。 >>530
誰も下手くそを聴く話なんてしてないのだよ。
おバカさん。 不適切なリピート
ってハイドンに喧嘩売ってるアホよりゃマシ 話題がなくて無理やりなのはともかく
1番カッコ、2番カッコとかも知らんで
音楽を聴いてるのかね しかし。
歌詞がなければいいのかw そういう楽譜忠実主義ではなく、演奏家自身で音楽的に良いか悪いかの判断でリピートの有無を決めてほしい。
最近発売されたマクスウェル四重奏団のop71は展開部リピートがないようで、個人的には歓迎する。 それってハイドンの音楽的意図を
無視するてことやん だから、ハイドンに忠実顔は必要ないよ。
耳で聴いて良い音楽がどうかが重要。
勿論演奏家自身がリピートありの方が良い音楽だと思うならそうすればいい。自分は歓迎はしないが。
実際、正しさが幅を利かせるとつまらない演奏が増える。
いや、つまらない演奏を正しさで糊塗しているといった方がいいか。 >>535
どうなんだろうね。
当時、作曲者がリピートまで指示していたのか。
それとも意図は意図でもリピートは出版社の意図だったという可能性はあるんじゃね? それはあるよね。
その点で筆写譜が重要視されるわけで。 >>536
リピートしたら突然シラける、つまらなくなる
なんて感じることないな俺は リピート支持派はなんなら何回も繰り返してくれると嬉しいの?
展開部のリピートを5回くらいが最高とか?w 完全に考え方や捉え方が違う。
昔の曲を現代的に合理的にとらえたり、やるからにはもっともかも
しれないが
前にカラオケのフルコーラスを出したのは
歌詞や物語がついていれば
同じメロディを数回聴いてることに変わりはないだろ SYでもSQでも、幾度も聞きたくなる演奏は、ほぼくどいリピートがないので助かっている、 リピートにこだわるわりに何度も何度もくどくどと同じこと言ってるよな、w まず誰かが演奏しなければ音楽が聴けなかった時代の音楽の貴重性を
考えれば、リピートは娯楽としての時間帯の延長であり、あるいは初めて
聴く人のために曲のを覚えてもらう手段のひとつ。 そもそも作曲者であるハイドンが指揮している演奏ではリピートしていたかどうかなんてわからないでしょ。
実際はリピートしなければいけないのではなくて、ここの部分をもう一回リピートしても良いですよ。くらいのもんでしょ。 ハイドン演奏の上で、展開部リピートをしているかしていないかは気になるね。しかし提示部リピートはあって当たり前だと思っているし、不自然さも感じないからリピートという言葉で一括にはできない。 コンサートではあまり繰り返さないよね。
疲れるからね。
前座扱いなら尚更。
CDくらい楽譜通りに繰り返しても
よかんべさ? >>546
それはあると思う。
ハイドンの交響曲はブルックナーより後の時代の作品ではなく
バロックの少し後の時代、
つまり交響曲といってもまだ前の時代の
名残などはあるはず... 各都市を巡った都会派モーツァルトとも違う。
ハイドンはバロックの頃に書かれた
書物や当時つまり前古典派の楽譜で
作曲を独学してる。 百歩譲って第4楽章の最後の部分だけはリピートされても許せるかな。という気分はある。
第1、2楽章でリピートされると、いつまで足踏み同じメロディー繰り返してるんじゃ!とっとと先に進んでくれ!
という気分になる。 なんだ?w
SPの頃の録音なら収録時間の関係で極力してないと思われるので
そういう古い録音を選べばいいだろ。
最近のマクスウェルQは別の曲を挟んでいるので展開部のリピートは
してないのでわ ラヴェルスレが3年半たっても埋まらないのに、ハイドンスレは人気だな
俺もハイドンは一番好きだけどね ハイドンの晩年の6つのミサ曲、良い曲だとは思うのだが、何で調性が同じもの(変ロ長調)が多いのかな?
全体的には違いがあっても、部分的に結構似通った雰囲気の音楽になっているのは正直残念である。 提示部リピートの方だが、ワルターなど古い録音は提示部リピートのないものが多いように思う。
あれは、SP収録時間などが関係している? .>>559
片面約4分だからね。
ワルターはステレオ期になっても提示部はリピートしないね。 近年は同じテイクを録音技術で繰り返してるようにつないでるのも
多いよね。てかちゃんと繰り返してやってるほうが少ないのでは…
>>558
当時は調性そのものに意味があって
ハイドンの場合、ハ長調は祝典を表している
変ロ長調はミサの調ということでは
そういうのに対して無調という表現法が出てくる 特に実用的な音楽の場合、
あえて調整を記号化する目的があったのかも。
例えば狩りに使われたハンティングホルン、奈良の鹿集めホルンでもいいが
わざわざ日によって調を変えたりしないように... 当時は調性そのものに意味があってハイドンの場合、ハ長調は祝典を表している→これは別にハイドンに限らないし、普通理解できる。
変ロ長調はミサの調ということでは→そもそも「調性の意味」として「ミサ」というのがよく分からない。それは「意味」じゃない。
なので>>561は書き直した方が良い。 ハイハイ
壮麗な調 シャルパンティエ、マッテゾンね。 メルツェンドルファーをポチった。
一番最初がヨッフムのロンドン交響曲だっていう耳にはしっくりくる演奏。 初経験はヨッフムではなくプラハ室内管だったけれども
570さんのコメントを見てメルツェンドルファー買って聴いてみたくなった。
以前、最初の全集を目指したというゴバーマンが話題に上り、
初期交響曲や56番などの高評価コメントを見て期待して購入した。
逞しい印象で悪くないが少々物足りなかった。
メルツェンドルファーの方が期待できそう。
それにしても、メルツェンドルファーの存在を知って、、
ドラティが長らく世界初といわれ続けたことが不思議でならない。
いくらマイナーレーベルだといっても、
指揮者だけでなく、オケ団員や制作者など多くが「世界初」を知っていたはずだ。
いくらでも伝達・発信手段のある現在、それが長らく伝わらなかったとは。
この調子で、今度は、104番以降の交響曲が発見されたとか\(^^)/
これはないか(TT)。 いわゆるマイナーレーベルではなく
アメリカでは主流の会費制クラブ配布のようなものらしいやん
なので「ハイドンハウス」のようなマニアックな人のみぞ知る
録音だったというね。
公にはCBSのゴバーマンの頓挫を受けてのドラティだから
商業レーベル的にお初ということなんだろうね。
あと一応、交響曲A、Bといわれるものはド初期作品だけど
107、108番ということなんだが・・・ じっさい当時は
ドラティの全集が「世界初!」というより
ハイドンの交響曲全集はそれしか売ってない! くらいの認知度で
おおらかな時代だったよね。
今になって見ればホグウッドだって急いで中止しなければ
生きているうちには完成してたと思う。 当時のホグウドのHPには全集について表向きに
postponedだったわけで延期しているうちにデッカとの契約終了
AAMには客演するというスタンスになってしまったので
せめてあと4曲収録しておいてほしかったとこれがホントの痛恨の極み ホグウッド/AAMの79番と81番はyoutubeにあるね。
と言うと、音質が悪いといちゃもんつけて来る人がいるんだよなw ええ、それ俺。
良い悪いの問題ではなく昔のラジカセ録音マイクのような自動リミッターつうの?
音が小さくなると会場ノイズまで拾っちゃうほどにアップレベルされて
とつぜん音が鳴るとギャッとレベルが絞られる
あまりにもおそまつさんな収録なんで。 3枚組にこだわらずに76番77番はCD1枚で正規販売してくれりゃ良かったのに こだわるというか
1箱になってしまえばそう感じるだろうが
1セットづつ作曲時期とそれにともなうテーマでまとめた初めての全集になる予定だったんだ。
後半で二枚組になるのもあったはず。
ハイドンレコード史において
単純に初のピリオド楽器による演奏・録音なんていう生易しいもんでなかったんだ。 それで録音済みの76番77番をBBCの付録CDと最近の寄せ集めピリオド全集ボックスでしか出してないのもしかたないねってなるんかいな 当初は
77番まで録音した時点で打ち切り決定
9巻をもってシリーズ終了を表明、
#62から#77はお蔵入りさせるつもりだったようだよ。
10巻が出たのは恐らく世界中のファンからの
ブーイングに応じたのか、その時点でシリーズ再開しときゃ
丸く収まったものを…。
BBCの付録は再開する様子見かと思ったもんだが何だったのか
雑誌のほうを読んでないので真相はよくわからない。
76番77番って正規のprevious音源じゃないから
BBC付録後に発売されたイタリアユニバーサルのローカル企画BOX時には
入ってなかったというのもね。もったいないというか、なにやりたいんだかで。
寄せ集めピリオド全のボーナストラックって扱いなわけだよね。 廃炉ンズが好きとか言う人が数年前のハイドンンスレにいたけど、その人今日の投稿者の中にいるかもしれないw ハイロンズとは1990年頃のAAMのコンマス(リーダー)だった人。 好きも嫌いも、
かのAAMやロンドン・クラシカル・プレーヤーズのリーダーだけど
何か AAMの名盤とも言える「ヴィヴァルディ四季」の
ソリストの中ではパーセルQのキャサリン・マッキントッシュと
ecmレーベルのジョン・ホロウェイが
残ったがハイロンズとて音大で教鞭。
じゃなかったっけ 音大て王立音大だった
ロイヤル カレッジ オブ ミュージックだよ
ズガタカイ、控え控え アリソン バリーもバロック コレクティブで活躍中だって
失礼しました。 名前が出た4人で上手い順に並べると、
@ホロウェイAマッキンBバリーCハイロンズ ハイロンズはASMFのメンバーでもあったようで
ホグウッドとは旧知の仲といったところだろうか
派手なソリストではないかもしれないが
現在そこまでの重責をつとめていたとは知らなんだな。 ヴァイル/ターフェルムジークには50番台と60番台の全曲と70番台までは録音してほしかった。 ヴァイル盤はピリオド楽器では
後発組になると思うが
監修がロビンス ランドンだね。
ロビンスランドンはホーボーケンの直系のようで40〜60番台の作曲年代は
近年のヘンレ版とはかなりばらつきがある。
その他にもホルンとトランペットの扱いにかなりの主張が見受けられる。
なお、ソロモンス&レストロ盤も曲解説はランドンだが時代考証はDrマイケル トールバットによる。楽団の人数などかな。 ちょっと、みんなに相談があるんだけど。
ハイドンって、どっちかというと室内楽の人だと思わない?
交響曲が飽きるんだけど。
作ってるゲームのBGMにするのに、ピアノ曲と弦四を使うか、
弦四と交響曲を使うかで迷ってる。
ハイドンにしかできない魅力が詰まってるのは、
どっちだと思うか、意見を聞かせてほしい。 >>592
Wizardry遊ぶのに羽田健太郎のBGM切って、ハイドンの交響曲をかけていたことがあった。
当時は驚愕と時計しか持ってなかった。 フルート三重奏曲(フルート、ヴァイオリン、チェロ)が好き。
ハイドンにしてはロココな作風の曲。
これは6曲あるうちの2番。
https://www.youtube.com/watch?v=p-mhgPvBOCs 交響曲が飽きるのはブラームスがハイドンを高く評価した結果
交響曲も室内楽もブラームス的な演奏があまりにも多かったことによる
>ハイドンにしかできない魅力が詰まってるのは、
誰が何と言おうと
「笛時計の音楽」全曲 である。
音からして既にレトロなゲームあるいは昔の遊園地そのもの。うってつけの音世界である。
オリジナルの笛時計(最後は壊れそうになるものも)による録音
がウィーンの「オーストリア科学アカデミー」出版から
10年前にCDが出ていたとは・・・
ブックに小さいが笛時計各種のカラー写真までついての完璧さ
現代の音楽ビジネスといまいち相性が悪かったハイドンもこれさえあれば
といへやふ。 アダム・フィッシャー盤交響曲全集の101番と103番の音響なんとかならないかな。WAVファイルをSoundengineという音楽ファイル編集フリーソフトで弄っているが、なかなか自然な感じにならない。なまじ演奏が良いだけにもったいない。
音響を改善した先例が有ればご教示いただきたい。 自分は、今、ハイドンでは、室内楽8、交響曲2くらいの比重で聞いているが、
それでも、交響曲をよい演奏で聞くと、いつも新鮮に感じる。
ところで、ブラームス的な演奏とは?
自分は、もっぱらベト以降を聞いていて、交響曲の比重が大きくなり、
最終的に、ブラームスを中心に聞くようになった。
しかし、どこかものたりず、モツに戻ってみたが、いまひとつだった。
そのしばらく後、ザロモンセットを聞いて(それまで聞いても居なかった)その内容、多様さに驚いた。
ベトやブラームスのエッセンスはほとんどある。加えて、より抑制された深さがある
(前者は、どうも、「これでもか、これでもか」というところを少し感じる)。
ハイドンは、主題ではなく展開しながら表現する側面が多いなど、深みを感じるところが多い。
ただ、それだけに、演奏次第で、つかみにくくもなる。
また、曲の側から「これでもか」と押し付けてこないので、漫然と聞いていると核心を聞き落とす。
ハイドンに飽きる、というか、ハイドンが「低く」評価された一因は、
おもちゃの交響曲に代表される(笑)、ユーモアとか親しみやさとかをハイドンに押し付けたところが大きいのでは。
もちろん、ハイドンは、こうした要素も豊富だが、
これを求めてハイドンを聞いたら、失望するか、つまらないところで満足することになる。
ハイドンの構成感、沈静した深さなど、ブラームス以上にブラームス的な演奏wが必要と思っている。 ハイドンとブラームスのどっちも好きなどという奇特な方には、シュポアの交響曲がオススメ
特にhyperionのシェリー指揮の盤は、のったりとした重さがありちょうど良いのでは。 ハイドンとブラームス両方好きな自分はカラヤンのザロモンセットを愛聴してる
ブックレットでロビンス・ランドンが、カラヤンは無視されがちのハイドンのdignityを
十分表現している、みたいなことを書いてた ハイドンもブラームスもモーツァルトもシューマンもベートーヴェンもドヴォルザークもヴァンハルもプロコフィエフもヴィヴァルディもショスタコーヴィチも大好きだゾ!
ヨッフム、カラヤン、バーンスタイン、マリナー、ドラホシュ、ヴァイル、グッドマンのハイドンを愛聴してるゾ! ハイドンとブラームスどっちも好きというのと
のったりしたハイドン演奏やすっきりしたブラームス演奏(ノリントンやベルグルンド)が好きというのはまた違う話だがね >>599
それって単純にカラヤン指揮のハイドンが好きというだけなのか
それともファイのようなパルシヴな
ハイドンもありなのか?
アーノンクールもわりとdignityだと思うし
一見パルシヴですっきりしてるファイやノリントンもただ速いだけでない何かを感じさせるのは内在するdignityさなんだろうか >>597
ザロだけでは感じられないかもしれないが
例えば疾風怒濤期にはかなり
これでもか感があるよ。
それは単なるメロディの繰り返し
ではなく、ワンフレーズね。
マリアテレジアの第ニ楽章などを
じっくり聴いてほしいな。 >ブラームス的な演奏とは?
20世紀に18世紀音楽を再現する際
ピリオド主義以前には19世紀末の懐古主義者だった
ブラームスに糸口を見いだすしかなかったのでは
というだけの意 600さんがバーンスタイン(のハイドン)ていってるけど
CBSの時とDGのウィーンフィル盤とではかなり表現方法が違うと思う。
CBS時代のはまさにブラームス風な響かせ方であると思うのだが。
どうだろうか そういった意味で
19世紀的な分厚い弦でやってる
例えばカラヤンのブランデンブルグ協
なども、もっと長生きして再録音していたら
アバドのブランデンくらいにはなったかもな。 >また、曲の側から「これでもか」と押し付けてこないので、漫然と聞いていると核心を聞き落とす。
違うと思う。
漫然とした演奏だと”
では? >>600
せっかくだから
モノ期の録音や現在進行中の全集=
秀美、センチュリー、アントニーニも聴いたれ ハイドン、ブラームス両方好きなひとはシュポアを・・というのは、なるほどと笑ってしまった。
シュポアは、たしかに美しい響きがあるけれども。
しかし、シュポアに集約されるハイドンとブラームスとは、
おもちゃの交響曲的なハイドンと、ただただ重苦しいと見られるブラームスの、
どちらも、あまりに一面的な「ハイドン」と「ブラームス」では。
自分は、ブラームスを比較的好きだったけれども、ハイドンに傾倒してからはほとんど聞いていない。
ハイドンはSYは全期に渡って好きだが、ザロモンの魅力はやはり突出している。 秀美のハイドンCD全部買ってコンサートも何回か行ってみたけどそんなに好きな演奏ではない かわいそうな秀美ちゃん
俺もブリュッヘンの子分域を超えてない
と感じるが、走り続けることに
意義があると思う。
録音された演奏は変わらないが
聴く人の感じ方はそれぞれ違うし
また移ろいゆくもの オレも秀美指揮のハイドンもモーツァルもあまり好きでない。
ピリオド楽器のハイドンやモーツァルトは好きなんだけどね。 モーツァルトのオペラって、あまりよくないよな。
おもいっきしバカっぽいんだけど。
ワーグナーとかハイドンの声楽作品は素晴らしいのに。
なんでモーツァルトの代表作扱いなのかがわからない。
ところで、FF7のリメイク版買う人いる?
原作当時高校生だったから、懐かしくて買いたかったりする。
同じぐらいのヒット作ゲームを作って、
それにハイドンの曲を使うという野望を持つ俺は、
最近のゲームの研究のためにも、買おうかどうか迷ってる。
ちなみに、FF7では、チャイコフスキーのくるみ割り人形の曲が、
炭鉱の町の曲として、そのまま使われていた。
ハイドンの曲は、ピアノソナタが、シヴィライゼーションというゲームで
使われてたりしたけど、俺はもっと、大々的に、CD10枚分ぐらい、
ゲーム中で使いたい。もちろん、ハイドンの名は伏せるけどな。
クラシックってだけで、嫌悪感持たれるから難しい。 ハイドンスレでなぜ突然にモーツァルトのオペラの話題を出すのかねw
前のレスでモーツァルトの名が出ているから、それを見て急にモーツァルトの話をしたくなったのか?
ボケ老人は早く車の免許返納してこい! >>613
オーボエやホルンなど管楽器には
まるで理解のない無知なプログラミング
モダン楽器なら前半に春祭、後半マーラーやるくらいの無茶っぷり。
モダンで弦楽器出身の指揮者ているっけ?
まともなら前半弦楽合奏、後半交響曲1曲だよな。 マリナーがいたけど比較にならないや
こんなところに古典派交響曲を
甘く低く見てるやつがいたのかよ.. 曲数が多いからと思ったら
実はそういうことじゃないんだね。
エステルハーザにはトランペッターが
いなかったので代わりにホルンがやたら
高い音でファンファーレを吹かされる
曲がある。
モダンラッパなら簡単に吹ける音域だが
ナチュラルなら1オクターブ上がるので
やはりブランデンブルグ#2みたいな音域になるので同じこと。
プロといえどライブで高い音を
何度も100%当てるなんてたぶん弦楽器の人間や心ない指揮者には
理解出来ない事だろう。
なまじ名手を揃えてれば吹けてなんぼ
やものな。 もっと丁寧に取り組んだらいいのに。
ラッセルデービスの古楽器版になってしまうのかな。
ラッセルの全集って、アマゾンのレビューで絶賛されてはいるけどね。 例えばブリュッヘン18オケは
各地での演奏会でよかった回を
CDにしてたと思うが
それでもハイドンは当たりハズレあって
恐らくモツやベトに比べて演奏会で
とりあげた回数が少なかったのかなって
思う。
確か日本には持ってきてなかったような。 何度も演奏して会心の出来を録音で残せばいい
コンサートをそのままCDにする形式は素人っぽいし。
秀美に限ったことではないが
今は昔と違って演奏家のレベルが高いのでそれなりに形にはなるが
入魂とまではいってない練られてない演奏が多くなるだけでは。 ファイや飯森の域には達してないしこの先も達することはなさそう。
ピリオドに理解を示す指揮者を育成するためにも
秀美は奏者に徹して別に指揮者をたてた方が楽団のためだと思うね
できれば2人くらい交替でやるうちには名演も出るというもの
前にも書いたがかのブリュッヘンですら外してしまうのがハイドンの
難しいところ。秀美がそれをわかってるのかどうか。 因みに「ハイドンを甘く低く見てる」のは
既存音源を箱に詰めまくって商売しているような
とあるレコードレーベルのこと 飯森よりは鈴木の方がハイドンに関しては上だと思うよ。
飯森のハイドンは結局伝統的なモダンオーケストラによるハイドンの焼き直しに聞こえる。
どちらも生で聴いた印象ではね。
定期的に水準の高い古楽器演奏のハイドンが聞けるという意味ではOLCは日本唯一。
なくなった時に貴重さが分かるだろう。
日本人はモダンオーケストラの均質的な画一的響きが好きだから(音楽教育を受けた人ほどそうなる)、
古楽器は根付かないのだろうが。 日本の古楽器演奏団体というと
鈴木雅明のバッハ・コレギウム・ ジャパン
鈴木秀美のオーケストラ・リベラ・クラシカ
延原武春のコレギウム・ムジクム・テレマン
寺神戸亮のレ・ボレアード
花井哲郎のコントラポント
丸山韶のラ・ムジカ・コッラーナ
このへんか >古楽器は根付かないのだろうが。
ルネサンスの団体ならもっとあるような。まだ活動してるかどうか知らんが
まだ物珍しいのは仕方ないのかな
コンサートでなくレコード中心の音楽ファンの中には、この板にもいるが
3、40年前の録音がいまだにスタンダード演奏だと思ってる人も少なくないのだから
ハイドンってザロモンセットの頃はまだしも
初・中期はまだ通奏低音の時代で
ハイドンより若いボッケリーニなんかは曲によってバロック扱いされてる。
若手アンサンブルのレ・タンブルとか
バーゼル室内のトップは日本人女性だったりするし
日本でやるより話が早いってことだと思うよ。
>>629
コレギウム・ムジクム・テレマン って
サイモン・スタンデージも客演したところだっけ?
日本テレマン協会なんとかいったような・・・ もっともバロックならクラシックにつながってゆくけど
タブらトゥーラのようなルネサンスバンドはケルトとか
民族音楽の仲間にされてるわなw それでもテレマンとかハイドンの曲の中には民族舞踊などの要素もあり
いわゆるコテッコテのクラシックファンや昔タイプの演奏家には
モツやベトほどどっぷり心酔できない部分もあって当然か 現代のシュランメル・バンド的なFranuiも
ハイドンを1曲だけ録音してるけど
Franuiは基本的に歌ものを場末バンドでやるといったコンセプトやしな >>628
好き嫌いの問題でなく
そうあるべきと英才教育する側がそうなんだから
そのようにしか育たない。
とりわけ小さい頃から始めるバイオリンとピアノにおいては
古楽器とは異質なものなんでしょう。ピッチすら違うのだから モダン楽器の世界と古楽器の世界では同じクラシック界とはいえ流派が違うようなものだからなぁ。 流派があるなら代々受け継ぐことも可能だが
そこは西洋のクラシック音楽と日本の伝統芸能と違うところでもあるわけで
じゃったらフルベンなりカラヤンの演奏が一番売れたものだから
そこら辺を本家本元みたいなイメージで売り込めば
そういう演奏が正統派なんだなとまるめこむことだってできよう。 ふと思ったんだけど、いまだにフルベンとか話題に出すって、
いくつぐらいの年齢の人たちなんだろうな? 検便でマッチ箱にうんこを入れて持って行った世代か。
つまり60以上? >>636
みんなそうやって人を丸めこもうとして競ってるわけじゃね? 過去に人気があったカリスマたちほどCDなどが再販されて、
手に取る機会も増えるって寸法なんだが
それって次世代に通用する優れた演奏かどうかより過去にどんだけ売れたか
だけだったりするんだよね。
曲によってはそこまで古い演奏をわざわざ押し通す必要があるのかな
とも思うが。 バッハのオルガン曲全集、素晴らしいな。
バッハのBOXの中で一番いいんじゃないか?
チェンバロとオルガンじゃ、天と地ほど違うんだな。 ハイドンの鍵盤楽器協奏曲集もオルガンでやってるのとチェンバロでやってるのとあったな ピアノ用としてよく演奏される11番より後に作曲されたという
「2つのリラのための協奏曲集」は
ナポリ王フェルディナンド4世が得意としたリラ・オルガニザータという楽器が
特殊すぎたためバリトン用の音楽よりさらに演奏も録音も少ない。
わざわざ楽器を用意したクリストフ・コワン盤も
たった5曲しかないのに全曲録音にはいたってない。 交響曲第89番と第100番(軍隊)の元になった楽章があるやつか 100番(軍隊)の第2楽章のメロディは
笛時計でも出てくるけど
どっちが先とかどこから転用されてるとかようわからん。
初めて聴くのにあれっ知ってるなんだっけと
とっさに判らないのがいい。 >>599
amazon prime musicで聴けるね。
あとヨッフムも。 「Big Haydn Symphonies Box by Various artists on Amazon Music」
このセットの交響曲第90番終楽章が91番第一楽章になってるの聴いてからアマゾンの音楽配信は信じてないわ
カスタマーサービスにメールしたけど何年も修正ないまま放置されてるし 楽章ごとに小間切れで売ってる時点でクラシック音楽と配信ミュージックの相性ワルし。
アルバムコンセプトのある音楽も台無しなのでは アルバムごとのセットで販売してるだろ
バラ売りで買えないこともあるし ハイドン研究者の間では、天地創造と四季が、
ハイドンの一番の傑作ということになってるらしい。
ここのみんなもそう思うのかな?
俺はそうは思わないのだが・・・。 >>650
お前、配信音楽のページよく見ないで想像で言ってるだろ
アルバム限定の曲番あって結局アルバムで買うしかないパターンばっかりだぞ 細切れで買うと200円×全14曲で計2800円
アルバム単位で買うと1500円
聴くのがピンポイントに数曲だけとかでなければアルバム単位で購入しない奴はただのバカ
ってのもあった >>652
そうは思わないのなら、どう思ってるんですか? やはり交響曲と弦楽四重奏の父の異名にいつわりなし
ハイドンはいつも純粋に音楽のことだけを考えて作曲したという。
詞にメロディと和音をつけるだけなら他にいくらでもいるがな 交響曲や弦楽四重奏曲それぞれ全曲が束になって天地創造や四季と比較するなら前者の方が上になるかもしれないが、
天地創造や四季に匹敵する交響曲のどれか1曲、弦楽四重奏曲のどれか1曲なんてないでしょ。 難しいな。四季なんて四つの独立した音楽の集合体だし。
それならエルディーデイ四重奏の方が傑作だと言ってもいいような気がする。 ラ パッシォーネもなかなか。
mono時代は40番台もわりに録音されており
ステ期になってザロモンセットに偏ってしまったのは、レコード産業としての名曲選曲基準というものに原因があったのではないかね
どの曲が傑作かなどハイドンに限らず好きになればなるほどは
まったく意味がない順位づけだ。 >>655
パリセット・・・。
天地創造・四季もCD2枚分だし、
まとまりがいいし、
パリセットで1曲扱いでいいだろ。 >>660
ラ・パッショーネはソロモンズ/レストロ・アルモニコのCDで初めて聴いて好きになった曲
90年代以降は後期に偏り過ぎだとは思います ハイドンの交響曲の40番代は交響曲史で見ても結構重要だと思うんだよねえ
とくに当時のハイドンの影響力考えれば
(当時ハイドンはエステルハージ家に孤立していたものの、楽譜出版の自由は認めてもらってたため
フランスのフランソワ=ジョゼフ・ゴセックをはじめとする多くの著名作曲家が絶賛した) 楽譜(交響曲)の出版は後になってからの話のようで
ハイドン自身も作曲時期がかなり
わやになっていて、番号が作曲順でないのは
それが原因。
ただ1番だけは最初の交響曲という記憶があったらしいので
#37は作曲年代の間違いらしい。 >>662
俺も俺も (詐欺でない)
ラ パッシォーネは最近グッドマン盤が
グッときてるが。
ただ、もしカラヤンが#39ト短調やパッシォーネあたりを録音していたら
ハイドンの交響曲評価もかなり変わっていたと思うよ。
民衆向けの「軍隊」や「驚愕」を
真面目な顔してやられても
ギャグがただ強調されるだけやものな... >>665
驚愕、軍隊について、ながらくそう思っていて、ほとんど聞かず、
後期は、第二次ザロモンのいくつかをもっぱら聞いていた。
しかし、去年あたり、演奏の聴き比べをやっていって、驚愕になったところ、
演奏によって、その多彩な面が魅力的に現れてきたことにびっくり。
ずいぶん、前の本だが、諸井誠の交響曲演奏ランクずけの本で、
このときは、ハイドンなど聞いていないときだったが、
驚愕を代表曲と評価し、すべての演奏を楽しみたい、などと書いているのだが、
それほどいろいろな演奏を聞くような曲だろうかと、まったく実感が無かった。
しかし、聞き込んでみて、なじみ方がまったく変わってしまった。
なお、49番は、ハイドンを聞き始めたころ、ハイドンにこんな曲があるのかとインパクトが強かった。
いまでも、良い曲と思っているが。 ブリュッヘン18オケの
ハイドンデビュー盤はたしか
#90&93で次の次は#86&88だった
ザロの93より90、V字より86がえらく気に入ってしまったのだが
まだ80年代で気合いが入っていた頃とはいえ
その時、ハイドン交響曲はセットメニューである必要は全くないと思ったね。 #46って風変わりというか、奇妙な曲だ
第3楽章メヌエットの不可思議なメロディが
終楽章でまた出てくるという。
第一楽章の主題が終楽章に現れて終わる
「ホルン信号」のような劇的な完結とは逆の
割り切れないエンドレス感がある。 #46はロビンスランドン監修ヴァイル盤だとホルンが1オクターブ下で演奏しているので
全体的に落ち着いた雰囲気になるが
終楽章で第3楽章のメロディが出てくる
変な感じは弱まる ちょっと、愚痴を聞いてくれよ。
アマゾンで、アメリングのハイドンの歌曲全集を買ったんだが、
新品で5千円出したのに、送られてきたのはぼろぼろの中古だった。
曲も、モーツァルトの歌曲に比べていまいちだったしな。
文句言って返品したいが、いつものくせで、泣き寝入りした。 いや新品のはずなのにボロボロの中古だったなら普通に返品しろよ だいたいアメリングの時代の人間に
ハイドンが解るわけないって
モツ至上な時代ゆえ。交響曲だけの話やねえつの。 返品手順がわからないなら
通販する資格ないぞ。
何を送り付けられても文句ひとつも言えず
いい大人がこんなとこでぐちって
何になる。
子供でもわかるモツでも聴いて反省しる このスレではそこまで評価が高くないザロモンセットを改めて聴いたが、やはり良い曲だと思う。
特に93−99までの作品は疾風怒濤期やパリセットよりもいいと思う。
しかし100-104は逆にあまり面白くない。(104はまだいいが)
ザロモンの後半じゃなくて題名が付いていない曲をもっとプッシュすれば聴く人も増えると思うのだが。 いつものくせというからには
忙しくて開梱しないでいるうちに返品期日を過ぎちゃった
とかなんだろうかね 疾風怒濤期やパリセットも改めて聴けよ
それにザロモン以外の交響曲録音が少ないというだけで
ザロモン交響曲が特に悪いというわけではない。変な勘違いしないでほしい だいいち録音が少ないぶん
演奏がいまいち聴く人の趣味と違ったり
まるでダメな疾風怒濤期やパリセットに当たる
確率も高くなるってわけだよね。
モツベトの交響曲に比べたら音楽そのものをどうこう言える現状にはない。 たいしてハイドンに思い入れがあるわけでもなさそうな人に
100以上もある中から掻い摘んで7曲を選ばれてもねえ、 とりあえず、ハイドンは、
ピアノソナタと弦楽四重奏曲と交響曲は
ゴッドハンドだ。
異論は認める。 ハイドンは曲数が多いだけに
親しみやすいニックネームを手がかりに
手を出してみたりする人もいるかもしれないが
交響曲も室内楽もボックス売りはオススメ出来ないよな。
あなたにとってそれがいまいちな演奏だったら
いまいちなCDを一度に何枚も買わされて
ハイドンなんていまいち!と思われて
ハイそれまでよン。 >>683
適当にピックした曲でハイドンに目覚めなければ、ハイドンには縁の無かった人でいいんじゃなかろか。 そういう人も一回りすればハイドンに感心するかも知れないし。 クラシック音楽を軽く一回りするのはいいかも、ていうかそれって普通では?
ハイドンの場合まずこれを聴いておけば
という曲を1・2曲選ぶのが難しいし、
演奏も一般人が思うより難しいと思う。
ぱぱハイドンのイメージからわりと鈍臭い演奏が多いのも事実。
とにかくオススメは
モーツァルト⇄ロマン派〜。
ハイドン⇄前古典派、バロック音楽
この流れは意識して欲しいよな。
モツ⇄ハイドンの壁は意外に厚く高い。 >>686
> ハイドンの場合まずこれを聴いておけば
> という曲を1・2曲選ぶのが難しいし、
一番フツーなのは、驚愕、時計、V字あたり。
ドラティの全集出る前からのスタンダードナンバー。
> 演奏も一般人が思うより難しいと思う。
それもフツーにカラヤンとかバーンスタインとかで。
> モツ⇄ハイドンの壁は意外に厚く高い。
ハイドンに比べてモツは緩徐楽章が退屈かな。
学生時代に友人にヨッフムの驚愕聞かせたら、良いと言ってくれた。同時にクレンペラーのモツホルン協奏曲も聞かせたら、それも良いと言ってくれた。 ホルン協奏曲はどう聴いても
ハイドンのほうが素晴らしい。
しかしながら演奏が簡単で作曲家としての
知名度でモツが圧倒的にCDも多い。
あとモツ交響曲はメヌエット楽章も退屈だが
もしかしたら演奏のせいかもしれない でもV字というのもフルベンが
録音が残したという影響だけで
ニックネームなしの#89や90より抜きん出てる訳じゃないんだよね V字を初心者に聴かせると退屈極まりない曲に聴こえてハイドン嫌いになる確率高いぞ >>689
トスカニーニもあるね。
ハイドンの交響曲は全て傑作と言ったのはドラティだけど、どれも傑作なら有名どころでもいい。 >>691
あと奇跡も初心者にいきなり聴かせない方がいい 確かトスカニーニはホルン信号も
正規録音してたよね
20世紀タイプのモダンオケならパリ交響曲までかなぁ。
バンスタやプレビンのようにベトの弦四を弦楽合奏でやるような感覚になるつうか
重心が違うし、どうしても動きが鈍くなるね。 マリア・テレジアと悲しみはハイドン入門に用意しておいてほしい V字は、ザロモン以前のSYでは抜きん出ているでしょう。
92より完成度が高いと思う。
多くの指揮者が取り上げたのも当然ではないか。
ただし、表面的な変化など、一見少ないところもあって、
たしかに、初心者にとってはなじみにくいところもあるかもしれない。 理想は初期、中期、パリ〜ザロモンから1曲づつで2枚組やな。
最近(でもないけど)の企画では
イルポモドーロの「めんどり」と協奏曲をカップリングした2枚組CDが面白いと思った。
録音は間接音が多めで好みじゃないが。
もっとも昔のDAWやAAMのような
カリカリに乾燥したような音が好きな俺が満足するような
レーベル・録音はもう出てこないんだろなあ >>696
そこが落とし穴なんだって
多くの指揮者が取り上げてるからそれなりの演奏にぶち当たれるだけのこと。
ドラティではないけどそれぞれの曲にそれぞれ魅力がある。
すなわち曲ではなく演奏の完成度の問題なんだよ。
ピンとこない曲もあるけど、それは演奏がピンときてないだけだと思う。
ハイドンに限らず交響曲全曲録音というものは数あれど
一人の指揮者・オケがすべての曲で万全である演奏・録音なんかあるもんか。 V字は活き活きとした曲調でむしろハイドン好きになると思うけどな。 >>698
ちょっと極論でしょう。
確かに、曲ごとに良い演奏、名演の指揮者、オケはそれぞれで
ザロモンセットだけとっても、一曲、一曲、違っている。
ハイドンの曲すべてに魅力があるというのも同意。
だからといって、すべてが演奏の側にあるというのはあまりに一面的では。
楽譜からでも、名曲かどうか、それなりの判断できるものは少なくない。
(もちろん、楽譜で知っていても、そのイメージを超える名演というものはあるが)
演奏によって、曲のアピール度なども決定的に違ってくるが、
しかし、あたりまえのことだが、演奏だけでは超えられない範囲もある。 楽譜だけで頭の中で曲を鳴らすことが
出来たとしても、フルベンとハルノンクールでは同じには鳴らないと思うけど?
極端な話かもしれないがね そもそも再現芸術と録音は違うものだと思うが
なんとなく混同してる人、そう勘違いさせたい思惑なんてあって当然だが
別段「めんどり」1曲でも演奏が良ければパリセットでなくてもよしと言うこと
なんじゃまいかね? ハイドンの弦楽四重奏曲は、
弦楽四重奏曲の最高のものだ。
異論は認めない。 20世紀は大バッハからすっ飛んで
モツ、ベト、ハイドンという感じの
筋違いによる偏りがあった。
21世紀はハイドンとバルトークを組むまでになってきたな。これは良い傾向。 いかにもN響のバカが喜びそうな安易な組み合わせだなwダサいよ
つハイドンとバルトーク >>699
クラシック聴き慣れてない子にいきなりV字聴かせて魅力理解できるなら今頃もっと人気作曲家になってるよ…
わかりやすいメロディー無くて聴き所がわからない曲だとかフィナーレが盛り上がらないで終わる変な曲だとか微妙な反応ばかりだったよ haydn2032の次の第8弾ではバルトークが組み合わされるしね
ハイドンの音楽にはそういうクラシックの初心者や
主流(王道)の音楽しか知らない者にはちょっと解らない魅力がある。 >>706
20世紀のわりと名が通った指揮者ですら(有名なオケを振ってる人ほど)手こずるのがハイドンだよ
テレマン(つまらん)、CPEバッハ(知らん)という人がもしハイドンを絶賛したら驚天動地やね
ヴィヴァルディ、大バッハとモーツァルトで満足な人は手を出す必要ないよ。
新品を注文して中古が来るようなもんだろ(わりいわりい) 弦楽四重奏に関してはそこまで敷居が高くなく、それで歴代最高レベルの作品を聴けるのだから、室内楽を普段から聴いていればハイドンは入りやすい。 どちらかいうと室内楽を中心に聴いてる人は
クラシックを自分なりにあれこれ聴いてきた人なんじゃないかな
と思ったりなんかしたりして 交響曲も敷居が高いわけではなく
主旋律だけでなくテンポやリズム処理が的確で楽器間の受け答えなどが
バランスよく鳴ってる演奏・録音なら楽しめるはず。
20世紀にはまやかしの名盤とやらがあまりにも多いのでな
ハイドンこそ今後の録音に期待したほうがいい。旧音源で商売したいなら
ハイドンは要注意でがすよ。 マリナーのネームシンフォニーとか、シェルヘンのモノラル録音とか
正規CD化されてないサーコリンの#86&88とか...
中途半端な数のボックスにするくらいなら
競合盤が少ない番号や出来が良い番号だけを単品で出してみるとか
なんでしないんだろうね。
いまはボックスでなんぼなんかもしれないが
CD1枚で出す企画力がないだけなんじゃねーのか? #39ト短調はアグレッシブな演奏しか認めない。
異論も認めない。
ファイ、アントニーニで最低ライン。 ハイドンって僕分からんのよなぁ。なんかモーツァルトのカラオケトラックみたいで、音楽のどこ聞いて良いか分からん。
というか、全般に古典ってとにかくリピートが困る「え?さっき聞いたじゃんそれ。転調したって同じやん!そんなんで時間稼ぎしてえーのん?」って思ってしまう笑
https://twitter.com/daifujikura/status/1126374627557691393?s=19
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) モーツァルトもクラシック初心者にいきなりリンツ交響曲とか弦楽四重奏曲とか聴かせちゃうと微妙な反応になる
その前にものすごく取っ付きやすい、クラシック興味なくても馴染める有名曲あるからこその人気なんだよな… ベトの「エロイカ」でさえ旋律がないと言われていて「えっ?」と思ったことあるけど
「トルコマーチ」とか「アイネクライネ唐獅子ムジク」とか「短くも美しく燃え」とか
やはり取っつきやすい口ずさめるようなメロディラインから入る人は少なくないでしょう
大バッハにしても「G線のアリア」とか数々のカンタータ、
つまり「歌」のメランコリックなメロディラインに魅せられる、
最高傑作が「フー技」であったとしてもそういうのは好きになってから用
でしょう
そこで僕のなんちゃって持論
モーツァルト⇄ロマン派〜。
ハイドン⇄前古典派、バロック音楽
をいまいちど思い起こしてほしいw
どのラインを聴くかといえば上から下までの全部のパート聴く。ちょっと大変だなと
思ったら「2声Duo」「3声Trio」の曲から聴いてみたらどうか いくらハイドンは天才と言っても、やはりファンでも楽しめないジャンルはあるねえ。
特にヴァイオリン協奏曲は4曲くらいあるのにどこがいいの ?ってなる。
ただ、探してみると録音はそれなりの数あるのが笑えるw
カルミニョーラが最近DGで録音したが、古くはスタンデージ、ツェートマイヤー、ウォルフィッシュも録音している。
HMFでフォン・デル・ゴルツが一曲だけ録音してるがこれは超絶的につまらない。
ゴミに捨てるのも勿体ないので睡眠導入剤として活用するしかないか・・・ ヴァイオリン協奏曲はバロック時代からロマン派メン、チャイ、シベなど
もちろんモツ・ベトも作曲しているが クラシックの定番中の定番曲やね。
古典派のVn協奏曲はそのなかでも一番「睡眠導入剤」的かもしれないね
ハイドンの「睡眠導入剤」は他にもバリトントリオもあるが
現代の楽器編成との都合でリラ協同様に録音はずっと少なくなる。
副作用の心配がないのでぜしご活用ください。 因みにハイドンでいちばん録音されてる協奏曲なら
トランペット協奏曲かもしれない
バロック時代の曲や弟ミヒャエルのナチュラル高音域を吹かされる協奏曲に比べて
圧倒的に録音されているのは鍵式ラッパを対象に作曲されていて
こんにちのバルブ式ラッパと同じ音域で演奏されるよう作曲されているから ところでデアゴルツのフライブルガーってわりと野暮ったい演奏するよな
嫌いではないが。
いるポモドーロがもう1枚くらいハイドン録音してほしいのだが
チェロ協に関してはジャケが変なんでイルポモでなく
モンとのカップリングも良いためケラス&フライブルガーなんだけどね… FBOって書けば良いと思うよ
あとvon der Goltzのvanを略するのは無理。 バン・ベートーベンとか、
ジョゼフ・ハイドンなんかも ビーバーなんかもフォンビーバーかな
それにしてもビーバーは名前が長い ヴァン・ベートーヴェン
フォン・カラヤン
デ・ワールト
フリューベック・デ・ブルゴス 爵位を示すのと、元々爵位だったのを示すのと、オランダ人の普通のファミリーネームの一部を混同するとわけ分からんw >>724
以前、ゴルツと略すのはおかしいと言っていた人がいたな。 フェルメールをメールと呼ぶのと同じだね
本人もしばしばMeerとサインしてるけど オランダ系
リヒテ・ファン・デア・メール は リヒテ
ルーシー・ファン・ダール はルーシー
がファーストでそれ以外はファミリーネームということなら
いちいち「・」を入れなくても良くね
元爵位のフォンならデアゴルツでもよいのでは・・?
日本人のおなまえっ!ですら適当なんで オランダでvan den 〇〇が
ベルギーだとvanden〇〇になるケースがあるので、カナ表記でいちいち「・」を入れなくても良いかどうかはちょっと難しい。
von der Goltzのvonだけが「元爵位」の記号だとしたら、じゃあderは何なの?という疑問はあるんじゃないかなぁw >>732を書き込んんだ者だけど、オレはゴルツで良いじゃんと思ってるんだけどね。
数年前、ゴルツ言うな!と怒っている人がいたもんで。 ゴルツだけだと容易にゴルツまらん!
とか言われかねないからね
ラ パッシオーネをあれだけつまんなく
演奏するし。
Hムンディがこのところ
アマンディーヌ・ベイエやイル・ポモを
引っ張り込んでいるのも解る気がす ファン・ゴッホ(ファン・ホッホ)をゴッホと呼ぶのが世界中で日本人くらいとか、そういう話か。
略すの好きなんだろう。 古くもなく新しくもなく
たいした演奏でもないのに
これいいぞ!と言うとあまり興味がなくても義理で買ってくれる
そんな日本人。 ハイドンの交響曲全集は素晴らしい。
最近になって開眼した。 ルービンシュタイン 、シェリング 、フルニエによるブラームスのピアノ三重奏が気に入ったので、同じ三人のベートーヴェンのピアノ三重奏全集を買ったけど、こっちはピンと来ませんでした。
次にBeaux Arts Trioのハイドンのピアノ三重奏全集を買いました。こっちはめちゃくちゃ気に入りました。
演奏者、作者問わず、ハイドンのピアノ三重奏みたいな雰囲気の曲は他にもありますか?
BGMとしてかけたいので全集のようにたくさん入っているのがうれしいです CPEバッハの室内楽集と
ムジカ アルタ リパのテレマン集 五枚組
(MDG)で合計10CDくらいの気の利いたBGM集になるだろう。 なんでテレマンは演奏者を指定するかというと
リパはピリオド楽器使用だが
モダン楽器演奏に慣れた人にもゆったり
聴けるのではと思ったから。 しかし、ハイドンの交響曲の充実っぷりは、
素晴らしいものがあるな。
気に入らないのは、70番の第4楽章ぐらいだ。
モーツァルトの方も愛聴してるんだけど、
なんか中身がないんだよな。 >>753
> 気に入らないのは、70番の第4楽章ぐらいだ。
エラくピンポイントだな。
何がまずいのかよく分からんが。 70番の第4楽章の同音連打は、
ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第7番の
第2楽章の同音連打とよく似ている。
ベートーヴェンの方は、当時不評だったとして有名だが、
自分も、ちょっとつまんなすぎるかなぁと思う。 演奏でかなり左右するぜハイドン交響曲は
録音が多い#50はわりと普通な曲だと思うけど
#70なんて録音少ないしいそいで結論することもなかろ。 >>751
どうもありがとうございます
ピアノ三重奏を聴いた時、ピアノと弦の組み合わせが素敵だったんですが、勧めていただいた曲たちにもピアノも使われていますか? >>757
自己レス
ハイドンから外れてしまいますが…
ピアノじゃないんですが最近買ったブクステフーデのトリオソナタ作品1がBGMとして一番気に入ってます
https://ml.naxos.jp/sharedfiles/images/cds/hires/HMA1951746DI.jpg
ブクステフーデはオルガンの話ばかりでこの曲の情報がほとんど無く、グループ名も情報出てこないし、CDも1枚組なのでもっとこういう感じの曲が聴ければと思っています
テレマンだと、MAKのフルートカルテット集が気に入りました buxはコープマンによる作品全集があって
トリオソナタもバラでCD3枚分くらいの量に収まってます
バロック時代の室内楽は量的にさほど
多くないと思います。
ヴィヴァルディのチェロソナタもCDにして二枚くらいですし。
ほぼトリオソナタが主な時代でハイドンのピアノトリオはそこらへんが起源でないかと。
なおCPEバッハにも量は少ないながら
ピアノで演奏しているトリオがありまし。これが一番ハイドンに近いかな ハイドンも初期の曲ではまだチェンバロとチェロのコンビが想定されていたという
時代背景がありますよね。 ボッケリーニはハイドンより何歳か年下であるのにチェロと通奏低音のためのソナタが
有名なので
通奏低音イコールバロックということで
しばしばバロック音楽に見なされていたりしますが
チェンバロのかわりにフォルテピアノが
使われている録音もあります。
ハイドンの活躍していた時代は
ロマン派の時代より、バロックから前古典派が身近にあったと言って良いかと。
ただモツは早死にして逆にハイドンが
長生きしたということがなんとなく
錯覚しますね。 そうそう、カンナビヒはハイドンより1歳年長なだけだし、クリスチャン・バッハも
ディッタースドルフもハイドンより若いんだけど、「前古典派→ウィーン古典派」
みたいな受験勉強風図式が頭にこびりついてると勘違いするよね ハイドンが生まれた頃まだ大バッハが
子作りしていたなんてちょっと笑えるね
大バッハ、ベト、ブラを3大Bなどとするのも演奏上の誤解・混同を招いてきた事に無関係じゃないだろう
ドイツ音楽なら3Sから聴くべし >>759
自己レス
無論、ギネス的にテレマンは例外 チェロと通奏低音のためのソナタなんてクラフトやデュポールなんかも作曲してるし(もちろんCDもある)、
べつにハイドン、モーツァルトと同時代の音楽として珍しいジャンルじゃないだろ。
あと、ドヴィエンヌなんかはファゴットと通奏低音のためのソナタがあるし。
今日からバロックは終わって、古典派です。だなんて区切りの年代は無いんだから、バロックの
ジャンルがしばらく生きていても不思議ではないでしょ。 そうだろうか?
理屈では分かっていても演奏様式や奏法などは19世紀末のブラームスの時代や
今、現在から見たらずいぶんと違う響きであったに違いない。
という点は注意を払うべきでしょう。
ピアノがどんどん強力になるとチェロすらいらなくなる。とか。
区切りはなくとも時代は流れているのだから… いらなくなるといっても独奏楽器としてのチェロやファゴット
ということではないよ。通奏低音としての という意 >>765の続きだけど、
あと、モーツァルトのファゴットとチェロのためのソナタK.292という曲があるけど、あの曲は実際には
ファゴットと通奏低音のためのソナタだね。
現在の出版譜ではファゴットとチェロのためのソナタという楽器指定になってるけど。 モツ晩年にはすっかりピアノがチェンバロに取って代わただろうが
ハイドン世代が鍵盤といえばまだ
チェンバロだったに違いない。ハイドンが弦楽器でなく鍵盤の達人だったなら話は別だが。
だからといってピアノでハイドンを弾いたらいけないとか、チェンバロでやるべき
などという了見で言ってるわけじゃない。
ハイドンを読み解くうえでは重要だつうこと。 CPE・バッハはモーツァルトで言えば三大交響曲の年にピアノとチェンバロのための協奏曲なんて曲を作曲してるね。 >モツ晩年にはすっかりピアノがチェンバロに取って代わただろうが
それはどうなんだろうね。
私はそうは言い切れないと思うけどね。
上のCPEの曲があるように、まだ、ピアノとチェンバロが混在していた時期だと思うよ。
確かに現在のピリオド楽器演奏はモツ晩年の曲はフォルテピアノが使用されているから、
「ピアノがチェンバロに取って代わていた」と勘違いするのも仕方ないが。 CPEはクラビコードを愛したそうだけど
音がチェンバロより更に小さく
他の楽器と合奏するなんて無理だよね。
一人でぶつぶつ言いながら弾いたり
聴いたりするのには打ってつけ。 >>772
混在ということは両方とも使いわけされたというより、一方は廃れていく過程にあったというだけで
CPEの曲は鍵盤おたく目線の
稀な扱い方では ハイドンの1785年作曲のピアノ三重奏曲の自筆譜には鍵盤楽器パートにははっきりとチェンバロと記しているらしい。
それから、1788年には「クラヴィーア・ソナタを作曲するためにピアノを買わなくてはならない。」と、
ハイドンは手紙に書いている。
そして、シャンツのピアノを購入したそうだ。
それ以外の作曲家の鍵盤楽器を伴う曲の出版譜なんかでもピアノでもチェンバロでも演奏可能なんて記載されている例が多いみたいだね。
このことからも家庭(もちろん貴族や大金持ちので)ではピアノとチェンバロが混在していたとするのは信ぴょう性が高いですね。 そもそも1790年頃に世界中にピアノが何台あったのかな?
50台もあったか?50台はないでしょ。 やはりハイドンやその世代とモツやクレメンティといった後の鍵盤をメインにした世代とでは順応が違うだろう
クリストフォリのようにフォルテピアノそのものはもっと前からあったらしいので 1781年頃の有名なモツとクレメンティの対決だが、その頃のモーツァルトは既にピアノ演奏に慣れていたが、
クレメンティの方はチェンバロがメインで殆どピアノを弾いたことが無かったという重要な裏話。
それだけその当時のピアノは貴重な楽器だったことが伺える。 国によっても状況は違ったろうね
クラブサン大国のおフランスではエラールが出てくるまで音楽がどう推移したか、とか
ロンドンではJCバッハがスクエアピアノを弾いたとか、
ウイーン式アクションがどうたらなど、、
にしても、
音楽史的に必須楽器だったチェンバロから見たら、わりと早く普及した楽器じゃなかろうか。
もちろん高価であることは今のピアノでも同じことで そう言えば天地創造や四季のセッコ・レチタティーヴォは、昔のモダン楽器演奏だとチェンバロなのに、最近の古楽器演奏ではフォルテピアノなことが多いね。
チェンバロがまだ現役だったのなら、古楽演奏でもチェンバロでいいと思うが。
フォルテピアノの音色もわるくないけどね。 モダン演奏の建前は 楽譜通りに が基本なので
ザロモン交響曲98第4楽章の最後近くの独奏楽器に
チェンバロが指定されていれば、ピアノでもいいのに
わざわざチェンバロを用意する。
実際のザロモンコンサートではフォルテピアノが
用意されていたというデータ等を踏まえて、その時代やその後に作曲された曲では
フォルテピアノを用いたりするが、それは演奏者の判断による。
因みにロイ・グッドマンのhyperion交響曲録音では通奏低音の楽器として#92までをチェンバロ、
#93以降といってもCD2枚分だけだが18世紀末のブロードウッド・ピアノを使用してる。
これがまた演奏にほど良いアクセントを加えている。 >>780
家庭での音楽と作曲家が力を入れたであろう曲のコンサートと同列には語れないだろ。
でも天地創造は1798年の曲でしょ。さすがにその頃は元々チェンバロがあったような裕福な家庭やお屋敷、場所では
ほとんどピアノが普及していたと思うけどね。
さすがに1798年の15年くらい前と一緒したらいかんよ。
>>775にハイドンが1788年にピアノを購入したとあるが、家庭音楽でも1790年前後でチェンバロとピアノの混在の時代から
ピアノの方が優勢になっていったと個人的には思う。
チェンバロがあった家庭やお屋敷でも最近の新曲はピアノを想定した曲になってきたから自然にピアノを弾くみたいなイメージかな。 ピアノが当たり前な現代ではチェンバロの音色もまた風情があるものだけど
強弱があまりつけられない楽器
ルネサンス期のクルムホルンとかショームのようなダブルリード楽器
はとっくに淘汰されてたからな
そして楽器はどんどん大きな音が出るように改良され
オケの弦楽器は増員されてゆくと どっちが先かはともかく音楽も変わってゆくと 例えば、家庭やお屋敷にステレオが普及するのを見計らってから
mono盤からステレオ盤に切り替えるわけじゃないわけで
5〜15年のタイムラグなどないに等しい ハイドンが1788だっけ にピアノを買わなくては という事態は単にクラフィーアでなくピアノ エ フォルテでたのんます
というオーダーが入った証拠で
それまでは音域すなわち鍵盤数がクリア
できれば楽器は任意でよし
の世界だったろ? パルンボのハイドンのピアノ協奏曲全集・CD4枚組、
中古で買ったら美品だった。
こんないいこともあるんだな。ここに記念書きこ。 ハイドンが1788年にピアノを購入した。の件だが、
1788年というのはちょうどこの頃からまともな精度のピアノが流通し始めたということだろう。
それまではいくら大金持ちでも制度の悪い粗悪な鍵盤楽器を今まで使用してきたチェンバロに代わる物として
購入するのも躊躇ってきた人もいただろうし。
ここのみなさんも分かっているとは思うが、ピアノと言う楽器は既にバッハの晩年にはあったわけだが、
その頃からしばらく数十年は現在我々がCD録音で耳にするフォルテピアノと同等の精度の楽器では殆どがなかったんだよ。
今日、モーツァルトやハイドンのフォルテピアノ演奏で使用されているフォルテピアノはまさに1780年代後半から
それ以降のピアノの復元楽器が殆どだし。 確かにその通りだと思う。
しかしここで着目すべき点は
モツは1780年代前半にピアノをマスターしていたという事かな。
一足早く来たるべき次世代の楽器を自分のものにしていたといって良いのでは
楽器次第で音楽の質、表現方法が変わって然るべきだと思う。 あとCPEバッハのチェンバロとピアノのための二重協奏曲変ホ長調 Wq.47を
没年の1788に作曲したというのは事実なんかな
大作曲家の次男坊としてチェンバロとピアノを協奏曲にしてから逝ったなんて
出来過ぎた話しだね アイブラーQのロシア四重奏曲どうですか?
カザルスQよりいいですか? ザロモンセット、素晴らしすぎる。
パリセットよりだいぶ進化してる。
なんで交響曲を作り続けてくれなかったんだろう。
人類史上最大の損失だよな。 ハイドンが交響曲を書き続けていたら、
誰が見ても歴史上最高の作曲家になっちゃうからな。
ハイドンとしては、交響曲を書くのをやめることで、
バッハ・モーツァルト・ベートーヴェンに、
その地位を譲ったということなんだろう。 ミサ曲とかオラトリオなど、宗教曲は聴かない人の意見かなw 791さんに強く同意。
自分がハイドン好きということもあるが、
それを別にして、モーツァルト、ベートーベン、ブラームスなど
それぞれ少しずつ意味が違うが
あの後の交響曲に、それほど新味は期待できない感じがする。
ハイドンとはやはり少し違う意味で、シューベルトは、この後の作に興味は引かれるが。
ザロモンセットは、表面的なものではなく
内容が驚くほど多彩で、進化している。
この後作っていったら、どのようなところまで行っただろうか。
これは、交響曲それ自身からでてくることで、
どちらなのかと比較・対抗させるようなつまらない問題ではない。
すぐにどちらかと対立的にとらえて、
多彩な性格のそれぞれを「どちらも」と考えられない人は気の毒だ。 104番以降はオラトリオの作曲に精力を注いだのもあるだろうけど、それでもぱったり止めた感があるよな。
長い作曲人生の中で何かしら思うものがあったのかも知れない。 ハイドンの声楽曲も好きな者としては、晩年にミサ曲やオラトリオを作曲してくれたことに感謝している。 ハイドンの声楽曲も好きというよりは、晩年のミサ曲やオラトリオは好き。 声楽ではハルモニーミサをよく聞きます。
クイケンとバンスタをもっていますが、他に推薦版があれば紹介お願いします。 自分で探さずに他人に推薦版の紹介をお願いするような人が、なぜクイケンとバンスタの2種類を入手したのか理由を知りたい。 >>801
この曲を聞いていろいろ感想、評価などを持つ先人がいそうなスレで、
それをたずねて参考にすることを、「自分で探す」ことの一環と考えられず、
文句を付ける狭量さをどう考えればよいでしょうか。
他の方法でもむろん探します。
あなたのような人に答えてくれと言っているわけではありません。
ハルモニーミサの何らかの演奏に感じて推薦版がある人がいるなら
教えてもらいたいということです。 推薦盤は、「チンプイ」がいいよ。
いや、少女マンガなんだけどさ。
俺は教えたからね。 ハイドンって、聴けば聴くほどヴァイオリンの人だよな。
ピアノソナタもピアノ協奏曲も、ピアノの扱いに不満が残る。
モーツァルトもベートーヴェンも、ピアノの扱いは神。
バッハはオルガン曲に比べて、チェンバロ曲はいまいち。
ピアノ音楽の旧約聖書と新約聖書って、
普通にベートーヴェンとショパンのことだろうと。 ハイドンの音楽は、ミサ曲を忘れちゃいけないよな。
オラトリオは、そうでもないと思うんだけど。
これは、天地創造よりも四季の方が劣るから
そんな気がするのかもしれない。 まあそういう奴が居てもおかしくはないだろう
バッハのチェンバロ曲がイマイチって奴もいるんだからw ハイドンは、ピアノ曲も声楽もすごいと思うものがいくつもあるが、
それらに感心しても、弦楽器の人と言う印象は以前ゆるがない。 バッハのチェンバロ曲は、平均律だけ特別素晴らしく感じるな。
いまいちってことはないか。
でもピアノで弾かないと、魅力が十分発揮されない気がする。
バッハは、仕事や勉強と波長が合う気がして、
それが魅力の1つなんだろうな。 あんた何が言いたいのかわかりにくいって言われない? こんなとこで質の高い文章求めてるお前の方がおかしいんだろ?
ただ他の意見に合わせただけだ。
やっぱバッハのチェンバロ曲、若干つまんないよ。
まともな感性の人は、みんなそんな意見を持つと思うんだけどね。 もし仮に一人で無人島に行かなければならないんだったら、俺はハイドンの交響曲全集だけ持っていくと思うよ。 >>814
ハイドンについて語るとこでバッハについて語ってる奴がおかしい >>817
CDプレイヤーも電池も発電器も持たずに円盤が詰まった箱だけをお守りとして? >>817は恐らく死に場所として無人島を選んだだろうね。
衣服や食料や水さえも持っていかずにハイドンの交響曲全集だけを最後まで離さずに死んでいくのだろう。 >817は死んでもハイドン交響曲全集を離しませんでした 無人島序曲はバルビローリ/ハレ管やドラティ/読響も録音あるな
初めて聴いたのはヘンヒェン/CPEバッハ室内管の録音だった あとはフス指揮の序曲集とハラース指揮の序曲集があるな ハイドンは聖歌隊の出身だから声楽にも精通していただろう。
それはたとえば合唱の美しさにも表れている。 >>823-825
海外では演奏機会がわりとあるんだろうか
以前アメリカのアマオケが前プロで「無人島」序曲採り上げてた
たまたま珍しいのをやっただけかもしれんが 「無人島」とか「月の世界」とか、ハイドンの飛翔は結構大きい。 ヒコックスのミサ曲全集、素晴らしいな。
癒されたいときに、いつも聴いてしまう。
まさか交響曲よりも聴くようになろうとは。 ヒコックスは2枚だけ発売されたザロモン交響曲の2枚が好きだな。 >>832
お前は、高千春と同じ悪魔だ。
神に守られたクラシック音楽でも聴いてみたら? でも、2人とも学問とクラシック音楽が嫌いなのバレバレだから、
悪魔でもそういうのがあからさまな所、
あまり頭がいいわけじゃないんだろうね。 それと、悪魔は、もっと大きな企業にでも行ったら?
全然公平じゃないだろ?
弱小安給料企業に住み着くなんて、趣味が悪すぎる。 それと、5chって、この売れなそうなエロい広告
なんとかならないのかね。
別になくてもやってけるんじゃないの? 音楽って、バロックと古典派で完成されてるよね。
ロマン派から少しずつおかしくなっていく感じ。 ブルックナーやブラームスは良いと思うけどね。
マーラーやRシュトラウス辺りからは、向きを間違っている感がある。 クラシックは保存を要する伝統芸能、と割り切ればそうもいえるかな >>842
事情を知ってる人間だけが間借りしてるだけだから、
気にしないのが普通。たまにはこういうこともある。 最高の知性、最高の品性、最高の感性、最高の教養、最高のセンス・・・。
それがハイドンの弦楽四重奏曲! ハイドンは104曲もの交響曲を作曲したが傑作は一つもない
ただ数多く作曲したという記録が残っただけ
どれもこれもつまらない交響曲ばかりだ >>848
その文は、
ヴィヴァルディ→ハイドン
協奏曲→交響曲
に替えただけだねw ストラヴィンスキーのプルチネルラとかプロコフィエフの古典交響曲とか。
擬古典様式。
何のために作ったんだろう?
あるからには消費させてもらうが、モーツァルトやハイドンでは足りなかったのか? ベートーヴェンの曲って、演奏効果を意図的に追及しているよな。
運命とか皇帝は、そればっかりって感じ。
だから、実は、ベートーヴェンの曲は、非常に浅い部分があると思う。
音楽・音楽史の価値を、今の時代に合わせてもう一度考え直さなければ、
クラシックを多くの人が聴くことなどもうありえない。
ぜひ、われらのハイドンに、もっと表に出ていただかなければ。 ベートーヴェンをディスってもハイドンが表に出てくるとは限らんよw
演奏効果の追求=音楽が浅い、ってのも浅薄なイデオロギー。
個別に見なけりゃだめだ ベートーヴェンを引き合いに出さなければハイドンを語れないのか? そういう人は自らハイドンをマイナー扱い、またはベートーヴェンより格下扱いしていることに気付いていないのだろう。 ハイドンもモーツァルトもベートーヴェンも大好きだから、どれが上だ下だのやるのは無意味としか思わない。 >>861
あなたがいつも通ぶっているように通ぶって見せてよ。 バロックヴァイオリンの音は美しい。
クラリネット・チェロ以上かもしれない。 ハイドンが好きで、CDを見かけたら後先かまわず
買わずにはおられないくらい好きなんだが、そんな自分が
極私的に偏愛してやまない一枚がある
ライトナーの交響曲第6・7・8番
バイエルン放響 profil
死ぬほど癒される ずっと買うの迷ってた鰤のハイドン全集が
たまたま日尼で安くなってたので購入してもうた
バリトン三重奏が心地よくて癒されてる ハイドンは交響曲を多く書きすぎた
どれも中身のない駄作ばかりなのに 確かにパリセット以前は、
緩徐楽章に多少退屈な部分があるかなとは思う。 パリセット以降よりも40番代あたりの交響曲の緩徐楽章の方が好きな俺は変人かな V字好きだ。
エソのブリュッヘンを購入して久し振りに聴いたら、気に入りすぎて繰り返し聴いてしまっている。 リコーダーの音って、安っぽいよな。
つまり楽器は、値段が高ければ高いほどいい音が出るってことだな。 ハイドンの好きな曲は皇帝だけだ
アマデウスのディスクがある アマデウスQのハイドンてちっとも面白くなかった記憶があるな
目下の愛聴盤はクイケンQのOp.76, 77 ほんと最近ヨボヨボなじいちゃんになってもうた
1度でいいからコンサート行きたかったわ ハイドンなんて驚愕、時計の第2楽章だけ聞いとけばいい >>879
行けばいいんじゃないですか?
ポピュラーのコンサートみたいに立って聴かなきゃならないわけでなし。 >>881
あ、ポリーニのスレと間違えてた
すまん >>884
ポリーニのスレであの人もうヨボヨボだから来日公演ほぼないだろうなぁみたいなこと言ってたんよ
そんで俺地方民だから仮に来日しても行けないだろうなァってことが言いたかった
スレチですまんこ ハイドンの弦楽四重奏 Op1 No1-6
Petersen quartetのCDが届いたぜ。
緩徐楽章はマジでやばい ライナーのV字すげーいいわ
もっとハイドン録音してほしかったな ハイドンって演奏会で取り上げられるけどいつも前座扱いだよね
悲しい 尺の問題があるかもしれません
プログラム後半は、せめて40分くらいの楽曲を
ガッツリ聴きたい気持ちは、客として分かる >>889
子供の時からLP家にある。
裏面はライナーのジュピター。 弦楽四重奏は前座扱いにしても結構演奏してくれている印象。 ハーゲンqtが作品76を3夜にわたってやってくれるね(トッパンホール)
しかもバルトークと組み合わせるという素晴らしいセンスのプログラミング
何ていい人たちなんだ! あいつまだ交響曲はマリナー聴いてるのかな?
快活な演奏で好きとか言ってたけど。 ヨーフムかツェル&クリープラント管の間違いでは?!?!
マリナーのハイドンはCDでは未だ入手難なはず >>892
最晩年の95&101は、涙なしには聴けない ハイドンにはもっとカンタータやマドリガーレを書いてほしかった マドリガル「嵐」は隠れた名曲だと思う
もっと世に出てほしい >>596
右側の位相反転させると中央寄りではあるけど幾分か音が広がる。
AudioDirectorでステレオ拡張(?)みたいなのでMAXに広げたらだいぶ自然になったよ。 ハイドンって、モーツァルトと違ってバカっぽくないよな。それがいい。
ロマン派と違って古典派って、一流なのこの2人しかいないからな。
ハイドンは、音楽史において、超重要な作曲家ということだな。 モツもベトも晩年は後に続くロマン派の作曲家と似たようなもんだろう
宮廷のお抱え作曲家でもなく心身共に病んでいたり、
ロマン派のはしりみたいなもんかと
その点でハイドンはフリーになってからも健全たる古典派といってよかろう
音楽の教科書なんかより音楽そのものをよく聴けば判る事。 よくバッハの子供たちを前期古典派とすることが多いが
大バッハはすでにバロック後期の作曲家であり
次男cpeは前期古典派としても
ハイドンとほぼ近い年齢の末っ子JCは完全に古典派の作風である。
そして彼らの息子ほどのモツ、さらにモツの息子ほどのベトとなれば
後期古典派あるいは初期ロマン派であるといって差し支えないだろう。 第一次ウィーン楽派は古典派でいいと思うよ。
ベートーベンしかり、シューベルトしかり。
そもそもロマン派なんていう不名誉極まりない括り自体使いたくない。 「政治的活動がはじまるところで政治的ロマン主義は終わる」
カール・シュミット 交響曲第85番「王妃」の第二楽章はロマンスなんだっけ? ホントだ意外だ
ハイドンがあまりにも健康で健康的な作風なんで思いもよらんかったな
フランス向けということを意識していたんだろうか
もちろん異論はあろう ハイドン自身が健康体だったので(鼻茸という持病はあったらしい)
ギャンブル依存症による借金苦やらで病的な晩年をすごしたモツとか
耳が遠くなってゆくという音楽家として切羽詰まったベト
以降の精神的に病んだロマン派作曲家の音楽と
同列に演奏したり考えないほうがより良いと思うから。
悩み多き現代人には健康的なハイドンの音楽より
やはり明るいなかにもどこか病的暗さただようモツ晩年の曲の方が
お似合いのようだからね ショパンとモーツァルトでいえばショパンのほうが古典主義傾向が強い ベートーヴェンって傲慢なばっかて、ろくでもねえよな。
うるさい部分が多すぎるし。
ベートーヴェンを玉座から引きずりおろすことは、
音楽界の改革のために、絶対に必要なこと。
もしできなければ、
クラシック音楽界はただ滅ぶだけだと思うよ。
ヤマハとか音大とかくだらない組織が
幅をきかせてるから改革が進まないんだよ。 だって考えても見てくれ。
日本の年末の第9なんて、終楽章の主題がいいだけで、
たいしていい曲でもないだろ?
それに比べて、年始のウィーンでの天地創造、
年末の欧米でのくるみ割り人形は、本当に素晴らしい曲。
劣悪な曲でも「ベートーヴェンだから」で持ち上げてるから、
クラシック音楽界はここまで悲惨なことになってしまったんだよ。 バッハもハイドンもモーツァルトもヴァンハルもベートーヴェンもシューベルトもメンデルスゾーンもシューマンもショパンもリストもブラームスもブルックナーもマーラーも
ドヴォルザークもボロディンもチャイコフスキーもグリーグもシベリウスもニールセンもアッテルベリもヴォーンウィリアムズもプロコフィエフもショスタコーヴィチもハチャトゥリアンも
みんな好きだから特定の作曲家持ち上げるためにわざわざ他の作曲家を貶む意見には同意しかねるわ >>916
> ベートーヴェンを玉座から引きずりおろすことは、
無理。
"Roll over Beethoben"
って曲がある。
Beetlesがなし得なかったものを誰が成し遂げられる? ハイドンの天地創造、久々に聴いたが素晴らしいな。
それに比べて、四季は構成が悪い。もったいない。
全然起承転結とかできてないもんな。 モーツァルトの音楽って、どこか幼稚だよな。
年取ってから聴くと、それが気になる。 >>927
「モーツァルトの音楽は子供にはやさしい、
しかし、大人がやるには難しい」
シュナ−ベルだったっけな モツは起承転結いうか展開が当たり前すぎる
流れが自然だから
大人が子供と違うように深読みした
演奏をしたくてもそれは容易ではないという意味合いもあろう。
一方ハイドンは自身が音楽大好きで仕方ないって感じ
こっちは逆に子供ではその音の戯れを感じ取ることは難しいだろう。 当時弦楽四重奏を演奏したといわれるハイドン、モーツァルト、ヴァンハル、ディッタースドルフの四人の中では
ディッタースドルフの曲は聴きやすさはあるけどちょっと構成が甘いかなーって感じる 弦楽四重奏曲に限って言えばモーツァルトの弦楽四重奏曲は子どもの頃に聴いてもさっぱりわからんかった
ハイドンの弦楽四重奏曲「皇帝」や「ひばり」は子どもの頃に聴いてすんなり馴染めたんだが ハイドンって、速筆かな?遅筆かな?
俺は、速筆のテレマンやシューベルトが嫌いで、
遅筆のショパンやブラームスやラヴェルはどっちかというと
好きなんだが、えらく気になるよ。 >>933
あの時代の人たちは基本的にみんな筆が速い
誰かに依頼された作品なら締め切りに間に合わせないといけないからなおのこと
だからロマン派以降のじっくり仕上げる人たちを想定して聴くとがっかりすると思う
でも気になるということは好きになるという要素があるという事
食わず嫌いせず聴くといいよ
(速筆か否かで好き嫌いが定まるとかなかなか興味深い嗜好でいらっしゃるね) 遅いのに交響曲だけでも100曲に弦楽四重奏曲だけでも80曲に、、、とか、時間と曲数の関係から言って無理じゃね?w 弦楽四重奏曲はホーボーケンが偽作や十字架上のキリストの七つの言葉にも番号付けてるせいで80番超えてるだけで80曲ないけどな 十字架上の七言を入れるかどうかの話は弦楽四重奏曲の定義からお願いしたい。 >>934
作曲家の筆が速かろうが遅かろうが、ガッカリするような音楽だったら
誰もやらないよ
個人の好みや視点は別問題。 >>924
クソだけに、
ウンゲレーゼ。
座布団何枚? >>937
op.51は一曲ごとに番号ふってHob.III:50~56の7曲分を埋めているのも問題 十字架上は弦楽四重奏曲というよか弦楽四重奏版て呼んでないか普通 Op.1と2もディヴェルティメントに分類するのが妥当
Op.9から未完の103だな普通。 なのにホーボーケンのマヌケ野郎は弦楽四重奏曲として数えやがって… アントニー・ヴァン・ホーボーケン(1887-1983)はオランダの音楽学者。
1922年、女優アネマリー・ザイデルと結婚。1932年に離婚。
1957年、フランツ・ヨーゼフ・ハイドンの作品目録を公刊。
ハイドンの作品は、この目録にちなんでホーボーケン番号で呼ばれることが多い。
ホーボーケンによるハイドン作品目録は、作品の形式に基づいて分類する方法に基づいており、たとえば交響曲は全てカテゴリ1に収め、弦楽四重奏曲は全てカテゴリ3に収め、ピアノソナタは全てカテゴリ16に収めるといった具合である。 十字架上は聞けば聞くほど素晴らしさがわかる。
この曲もっと一般認知度高くなっててもおかしくないだろ。 >>944
分類はともかく、番号に至っては
失礼だけどほとんど意味ないんだよな
出版社が便宜上つけたであろうop.番号や
交響曲は当時から作曲順がわやになっていた番号を
ほとんどそのまま使用してるくだり
なくても誰も困らないし、むしろ混乱を来さないんではでは... >>945
いろんなバージョンがあるから
印象が薄まってるんじゃね? 退屈と評される、四季のみのヴィヴァルディより、
コレッリ全集の方が全然上だよな。
良い曲じゃないのに幻想交響曲が有名だとか、
音楽界では、こういう逆転現象がよくある。
なぜわれらのハイドンがボスになれないのか、
われわれはよく検証しなくてはならない。 >>949
いや、どう考えてもお前が存在するからだろ。 >>948
今時ヴィヴァルディを「四季」のみの作曲家だとして貶すなんて、ハイドンを退屈だと評する老害どもと同じロジックに陥ってるぞ わはは、そーだ、そーだ!
…って俺もヴィヴァルディあんま興味ないけどw 夭折といってもモーツァルトは10代から作曲してたから
作曲した量は多いとは言えないし
もしベトやドボが交響曲を100曲以上作曲してたら
後世のアホからは「同じような交響曲を100曲書いただけw 」って言われるのがオチ >>948
ヴィヴァルディのマンドリン協奏曲は良い曲だぞ ハイドンをあまり聴いてない層からはハイドンは華やかさが足りないみたいに思われてるから華やかな交響曲48番マリア・テレジアを代表曲の一つとしてもっと推すべきと思う いやさ
曲数が多いってだけで同じようなもん
と決めつけるいうのとんでもない。
ハイドンほど創意工夫がある音楽なんて
ありそうでない おそらくハイドン入門として最初期に聴くザロモンセットが入門者にとっては同じ形式ばかりに感じられるのがマイナス
もう少し作曲時期をバラバラにした入門用の選集があれば第一印象変わると思う >>960
> ザロモンセットが入門者にとっては同じ形式ばかりに感じられるのがマイナス
問題あるん?
ブルックナー、ブラームスだって形式は同じに思える。
ベートーベン、マーラー、ショスタコーヴィチは一曲ごとに違うけど。
前者の群が後者の群よりマイナーなわけでもない。 クラシック初心者の頃にハイドンのザロモンセットをまとめて聴いた時は同じようなの(初心者の耳にはそう聴こえた)ばかり10曲以上あって、残りの90曲以上も似たようなもんでわざわざ探して聴く必要なさそうだと判断してた もしベートーベンが一曲ごとに違うというなら
交響曲はそういった音楽との認識・影響を与えたのは
ハイドン交響曲の当時の大ヒットが多少なりあるということなのでは
シンホニアそのものはヴィヴァルディだって作曲してる。 >>961
入門者に与える印象の話やで
聴き込んでるハイドンマニアにとっては問題ない 現代人がクラシック音楽に求めるであろう
壮大・重厚・感動的、ひたすら美しい、キャッチーなメロディ、、、
そういった面とは別次元な単純でない楽しさがある・・・。 エルデーディ四重奏曲集は聴きやすくわかりやすいメロディーでモーツァルトの四重奏曲よりも万人受けしそうなもんなのにな ハイドンへの手引きのほんの一例として
四重奏なら初めディヴェルティメントとして作曲されたので
王侯貴族向けに無理やり分類してみると
曲数の多い交響曲はパリ交響曲あたりを
境に前半はフォーマルな王侯向け音楽・ 来賓の入場場面に使われる(た)ような
華やかなまさにC調な曲を含む
と
後半はカジュアルな大衆音楽(緩徐楽章ででけえ音を出してハッとさせる. 偽終止で拍手を煽る、)になろうか ハイドンの弦楽四重奏曲は傑作、
モーツァルトの弦楽四重奏曲は駄作、
これは常識だろ。 いちいちモーツァルトと比較してハイドンの方が上と主張しなければハイドンの良さを伝えられないハイドンファンの悲しさよなw 交響曲に関して言えば、モーツァルトよりハイドンの方が全然上だよな。
モーツァルトの交響曲って、楽しいけどどこか空っぽって感じ。
そう、ハイドンのパリセット以降の23曲の交響曲は、
ブラームスの4曲が23曲に拡大された場合と同じ価値がある。
まったくこれは、とんでもない遺産なんだよ。
なぜ学校の授業で必修でないのかが理解できないよ。 君は「全く」を「全然」と書く癖など、文体に癖があるので数スレ遡ってみたんだけれど、
上下にこだわりって視野が狭いのに「われわれ」のように主語を大きくし過ぎる傾向があるね
実は意見に自信がないのでそういう書き方になるんだろう
一個人の一意見なんだと開き直ったほうがいいよ だからお前は、現代音楽のスレにでも行ってろって。
何やってもだめだったクズ野郎。 こっちは、なんか面白いこと書ければいい
程度にしか考えてないんだから、
お前みたいないちいち細かいこと気にしてるやつが
理解できないんだよ。 ,j;;;;;j,. ---一、 ` ―--‐、_ l;;;;;;
{;;;;;;ゝ T辷iフ i f'辷jァ !i;;;;; モーツァルトって、楽しいけどどこか空っぽって感じ。
ヾ;;;ハ ノ .::!lリ;;r゙
`Z;i 〈.,_..,. ノ;;;;;;;;> そんなふうに考えていた時期が
,;ぇハ、 、_,.ー-、_',. ,f゙: Y;;f. 俺にもありました
~''戈ヽ `二´ r'´:::. `! >>972
> ブラームスの4曲が23曲に拡大された場合と同じ価値がある。
ブラームスのリスペクトはハイドンとメンデルスゾーンだった。
メンデルスゾーンは弦楽交響曲+交響曲=18曲。 モーツァルトは弦楽四重奏いわゆるハイドンセットを
ハイドンにナニしたこととか
ハイドンの英国旅の別れ際エピがとても有名なわけだが
実際、音楽的には
ロンドンのJCバッハとかハイドンでもタッグを組んでいたと言ってもいいような
弟ミヒャエルの音楽から多大なる影響いうか
ブラインドテストなら一般人には聴きわけるのがムズイんでないかってほど
どっこいどんぐりな世界じゃまいか?
なにかと順位付けしなきゃ気が済まない世の中やけど
モツと兄ヨーゼフは比較対象にならない。
そこで空っぽでなんとなく思い当たる節が・・・・
以下はJCバッハの兄CPEへのコメント
「兄は作曲のために生きているが、私は生きるために作曲するのだ」
ー クリストファー・ホグウッド著より オレはあれが好きだのあっちの方が好きだの言い出したらキリがないからやめろよな。 現代の知名度や人気度で優劣を決めたいのなら圧倒的にモツだが
もし録音されない話題にもされないJCバッハの音楽が劣っているというのなら
音楽的に後続のモツの音楽もたいしたことはなかったということになるかと。 >>972
ラ・パッシオーネやマリア・テレジアの素晴らしさを理解してない哀れなやつめ JCバッハとモーツァルトは同じには聴こえないけどな。
確かに数秒間聴いただけだと同じようなメロディーが流れていることが多いけど、一曲、一楽章を聴くと同一人物の作風ではない事は分かるでしょ。 モツは晩年の作品と若書きとでは
かなり完成度に差が出るわけであって
そういった見方が少なからず
ハイドン作品へも影響を及ぼしてると
言っていいかと。
あとシンフォニーオケ自体がパリ交響曲の前後に台頭してくるわけで、20世紀中盤まではパリとザロくらいしか
演奏の対象にならないと認知されてた
向きもあろう
なのでMONO時期に初中期の録音を残した
指揮者の審美眼は驚異的。 >>986
モーツァルトは早熟イメージだけど、実は晩成の天才だね。
ハイドンは最初から完成している。ベートーベンも一応早熟だが、高みを維持したまま彷徨しているイメージ。 「神童」といってもその実オヤジプロデュースのちびっこ天才ピアニストで
作曲もする、といっても子供の習作ゆえ限界もあるんだよね。
ハイドンは
変声期にカストラート去勢を断ってウィーン少年合唱団の前身である聖歌隊を追い出されてから
作曲の道を歩んだわけで
弟ミヒャエルほど用意周到ではなかったらしい。
宮廷の作曲家に就いた頃の現存する初期作までには
下積みのド貧乏生活の歳月も送ってるはず。 >ハイドンは最初から完成している。
あんた、ハイドンの10代の頃の作品をしたしんでいるんのかい? ちなみにハイドンの一番最初の交響曲はハイドン25歳頃の作曲。
モーツァルトが25歳頃というと34番35番あたり。
もちろん24歳差の2人を単純に作曲時年齢で比較はできないけど。 未成年時の作曲ならモーツァルトよりもシューベルトやメンデルスゾーンの方が天才を感じさせる そらあ幼少期にどんな音楽を聴いたかが音楽性を左右するからね。
クリスチャン・バッハを聴いて育った子とベートーヴェンを聴いて育った子とでは音楽性、作風に大きな違いが出るのは当たり前。 結局ハイドンは陸の孤島みたいなところでの創作活動が奏功したわけで
後輩作曲家からの影響を受けるようになる
音楽に混ぜ物が増えた円熟期より面白い所以もそこにあると思うね チェンバロ伴奏って、なんか安っぽくて悪い感じ。
すべてのチェンバロ伴奏をオルガン伴奏にすると、
より名曲感が出るような気がする。 西洋ではコレッリが人気らしいが、やっぱ
さすがだなぁー、日本とは違うんだなぁー、と思う。
日本も、いいかげんベートーヴェンなんかで騒ぐのやめて、
コレッリやハイドンをもっと積極的に紹介して、
音楽界のレベルアップをはかるべき。 ハイドンのピアノソナタ。いずれも人間工学的に熟慮された設計。
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