カール・ベームNo.11
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ベームでいいのはRシュトラウスのオペラといえよう。 ベームは2番もベルリン・フィルとの録音があったはず
ただしモノラルだが 2番はステレオのテスタメント盤もあるよ
1970年ライブでゴールウェイのフルートが聴ける ベームはカラヤンのせいでDGでは2番手扱いされてた
それが気の毒だったな ベーム、VPOのベト全は日本の要望で仕方なくDGが録音させた
日本では売れたらしいが、本場のドイツ、オーストリアではまったく売れなかった >>9
知ったかぶりですか?1972年に完成している全集なのに。
人気が爆発した1975年の来日以前ですよ。ソースを示して。 ドイツ・グラモフォンはドイツのレーベルだけあって、ベト全は
いろんな指揮者で何度も何度もつくっている
カラヤンは言うまでもなく(3回)、バーンスタイン、クーベリック、
ヨッフム、クーベリック、はてはドラティ(英国)、アバド…
数えればキリがない 何かソースがあれば別だが、上記のメンツのなかで、
ベームだけが「仕方なく」録音したとするのは無理がある
ちなみに、ブラームス、シューベルト、チャイコフスキー、モーツァルト、
シュトラウス、ワーグナーなど、DGは多くの録音をベームに委ねている
ウィーン、ベルリン、バイロイト、ザルツブルクなど、指揮者として
あの帝王カラヤンに準ずる存在だったのは確かで、そういう指揮者が
得意のベト全を録音したして何の不思議もない ベームをつまらない指揮者という人はオペラを聴かない人。 ベームはカラヤンにやっかみがあった
メトで小澤に会ったベームは「アメリカは最低な国だが、カラヤンといるよりはいい」と
本音を口にした
このときの模様は当時のレコ芸に詳しく載っている
故大町陽一郎がその現場に居合わせていたからな カラヤンはDGのスーパースター
ベームは脇役に甘んじていたからな ベームに限らないがライブ録音聴いたほうがいいよ、スタジオ録音では聴けない良さがある。
Rシュトラウスの影ない女のザルツブルクライブお薦め モーツァルトはワルター一辺倒だった日本の時代遅れの批評家の評価を一変させた
ベルリン・フィルとの全集は一級品 ベームといえばRシュトラウスオペラのスペシャリスト
当時、売れる見込みのない「影のない女」を無理やりDECCAに頼み込んで録音させた >>14
>故大町陽一郎がその現場に居合わせていたからな
お前バカか!
大町陽一郎は今も生きてるぞ
お前は大町陽一郎に謝ってこい!! 大町陽一郎がウイーン留学中にワルターがVPOを指揮しに帰国した
その模様を自分のカメラで写した画像がたくさん残っている ベームが盛んにウィーンフィルを振って録音していたころ
ウィーンフィルには名手がそろっていた 来日公演のころ全盛期だった
具体的なメンツを書くと…
コンサート・マスターにヘッツエル、セカンドにヒューブナー、
ヴィオラにシュトレンク、チェロにシャイヴァイン、
フルートにトリップ、クラリネットにプリンツ
音楽好きで、彼らの名前を知らなければモグリだし、
これだけの名プレーヤーがいたウィーンフィルを指揮する
ベームを聴く楽しさは尽きない 良い時代だったと思う カラヤン在任中のウイーン・フィルこそが最良のメンバー
コンマスがボスコフスキーだったし
ベームの頃は質の落ちた楽員しかいなかった ベームとカラヤンはずっと同時期にウィーンフィルを振っているし、
カラヤンの方がベームより後までウィーンフィルを振っていたが
ボスコフスキーよりヘッツェルの方が上手いし >>25
モーツァルトのクラリネット、フルートとハープの両コンチェルトのCDは愛聴盤です。 VPOはベームが指揮するようになってから頻繁にDGに録音するようになった
これはDECCAとの契約が切れてフリーになったからである ベームはVPO、BPOにたくさんの名盤を残してくれた
これはベームオタを喜ばせた フルート ハープはミュンヒンガーVPOの方が好きだな ハフナーと13管楽器はベーム、ベルリン・フィルがベスト盤 R.シュトラウスもいいね!
ドレスデンを振った「エレクトラ」が大好き ばらの騎士は今でも愛聴盤
ゼーフリートとシュトライヒが絶品 あれは1958年のものとは思えない優秀録音だったな
他にもリヒターの「マタイ受難曲」があったし
あの頃のDGにはDECCAに負けないほどの優れた録音スタッフがいた ベームはVPOよりもBPOのほうが指揮しやすかったとコメントしている。 >>36
>ベームはVPOよりもBPOのほうが指揮しやすかったとコメントしている。
てか、その逆のパターンを聞いたことがないな モーツァルト交響曲全集を完成できたのもベルリン・フィルが協力してくれたおかげ
ベームは楽員に感謝のコメントを残している 最近知ったのだが、ピアニストのグルダは凄いベームびいきだったんだね。なんかイメージと違ってびっくり。 >>43
グルダって内面は超正統派だからな
それが自分で自分が息苦しくなって、
無頼風を気取ってただけであって モーツァルトについてアーノンクールはやりすぎ、ベームは生真面目すぎるといってたね
ベームは度々グルダの自宅を訪れ親交深かったようだ アバドとの共演は詰まらなかったようだね
それと比較するとアーノンクールはずっと面白いし、ベームは流石に格調の高さが違う、みたいな話だっけ グルダは、とにかくバッハ、モーツァルト、ベートーヴェンに心酔し、また格闘してもいた。
これらの山を乗り越えない限り、シューベルト、シューマン、ブラームスでさえ周辺的な課題と感じていた。 乗り越えない限り、はちょっと言葉が違うか
しかし、2人のBと1人のMが、彼にとっては目の前の中心に立ちはだかる山だった、
それに比較したら、どの作曲家も周辺的だった。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています