数学的な経済学から社会学的な経済学へ
21世紀に顕著な経済学の脱・数学の傾向と、
それに反比例した社会学・心理学への接近について議論しよう。
文系の数学嫌いを罵倒する場ではなく、「最近の若者」を歎く場でもないので、そのような目的での利用は禁止。
あくまでも方法論としての数学的アプローチ、社会学的アプローチの意義と限界を述べるスレッド。 経済は何科?と問われれば99%の人が社会科と答えるのだから
経済は社会的アプローチで解明していくのが正解なのだが
社会とは何か分かってないから、糸口さえも見つけることができない感じだな。 けーざい学者ファイトです。
東大社会学は死につつあります。 >>512
東大社会学が死につつあるとは、ど〜ゆ〜意味でつか(?_?) これに関しては株式会社豊田中央研究所 BR社会システム研究部 客員研究員の柚木孝裕さんの論考が参考になる。
お前らも天才経済学者の柚木孝裕のツイッターをフォローしろ!!!
https://twitter.com/takachiko
この圧倒的口頭発表業績を見ろ!!!
http://researchmap.jp/read0140614/ 複雑な計算になるほど理論と現実に誤差が大きくなるから
現実的に社会学的に考えた方が良い TPP・インフレ政策・株式投機の罪
国から国へのあまりにも多くの輸送は原油価格を上げ、汚染に拍車をかけます。
自由貿易はよくありません。物は需要がある場所で生産されるべきだからです。
すべてを「自由市場」に任せるべきだというアイディアの背後にある思考は、
多数の犠牲のもとで少数が利益を得るのであり、貧しい人たちはやっていけるだろうと考えるとしたら、
全く現実に目をつぶっていることになります。マイトレーヤはそのことを明らかにさせるでしょう。
マイトレーヤの出現のタイミング
近い将来、欧米で株式市場が破綻すれば、マイトレーヤは直ちに出て来られるでしょう。
それが、つまり崩壊によって生じる現実感覚が、マイトレーヤが待っておられる要素の一つです。
もっと競争し、ほぼ同じやり方をすれば、私たちは勝利するだろうと考えています。
しかし、その経済システムから取り残されている人たちのことは考えようとさえしませんでした。
マイトレーヤの主な任務の一つは、このような自己満足に冷や水を浴びせ、
自己満足に浸っていると非常に居心地が悪いと思わせることです。人々が私の会合にやって来て、
こう言ったのを覚えています。「気分は最悪です。とても後ろめたく恐ろしく感じます」。
日本から始まる世界的株式市場の大暴落
終いには政府にも支えることができなくなり、どん底に落ちていきます。
日本はアメリカの国債の25%を所有していますが、それを引き出すとアメリカ経済も駄目になり、
それが最終的な暴落であることがはっきりするや否や、マイトレーヤは出現するでしょう。
彼はアメリカのある主要ネットワーク・テレビの招待に応じて、インタビューに姿を現すでしょう。
その後で、すべてのネットワークがこの途方もない人物とのインタビューを欲するでしょう。
この時、初めてご自身の本当の身分を明らかにされます。一言も語らず、
全人類の一人一人とテレパシー交信をされます。歴史上で最大の比類なき出来事となるでしょう。 何で日本から経済危機が始まるんだ? どう見てもアメリカからだろ
あめりかで最近はデモや暴動やストが頻繁に起きている 受刑者の数も中国をぶっちぎって
世界一 もう破綻寸前だろ 社会問題を扱う人の必須知識。金融政策が雇用政策であるということ。官邸にいたとき、総理などへの経済指標の説明は失業率、就業者数など雇用関連に絞った。
というのは、雇用が悪くなると、自殺率、犯罪率、生活保護率など社会問題が大きくなって大変だから。社会学者で金融政策がわからないと致命的 スレ主は社会学が何なのか、わかってないのかな。
社会学はアンケート調査し、それを統計処理して、結論を導く計量的・実証的学問だよ。
数理ではないかもしれないが、思弁的・記述的学問ではないよ。
全然、イメージしてるのとは違うけどね。 野口先生、あなた2年前、1ドル120円になったら円安に歯止めはかからなくなり、国債は大暴落するってゆってたじゃん。アベノミクス批判や、日本の未来の前に、なぜ自分は間違ったのかを分析してみようよ(´・ω・`) >>526
計量系の社会学だけを社会学とか言っても >>529
思弁的な社会学だけを社会学とか言っても >>529 >>530
それを言い出すと、
「数理経済学だけを経済学とか言っても」とか、
「実証経済学だけを経済学とか言っても」とか、
色々言えるわなw >>531
>>526が正しい。社会学者に聞いてみるといいよ。
アンケート調査に基づく実証的研究が社会学の研究スタイル。
社会学を思弁的・記述的学問とするのは経済学研究者、特に主流派に批判的な連中、によくみられる誤解。 サプライサイド経済学の良い加減さならもういい加減気づいてほしいわ >>526
アンケート調査の実施方法で恣意性が入り込む余地は十分にあるんだけどね
あと、調査結果のデータの処理、解釈の部分で恣意性も入り込む >>534
うむ。確かにそれはある。しかし社会という実体がはっきりしないものを研究するのに、確たる方法論も持たず、抽象的思弁や記述的説明だけだとどうなるか。
学問とも言えなくなるだろう。だから社会学はアンケート調査とその統計処理という方法論を採用した。さまざまな欠陥を持つにしろ、それが彼らの現時点で選びうる最良の方法だからだ。
以上のことを社会学を持ち出し、主流派経済学を批判する連中はちっともわかっていない。私が指摘したいのはそれだけ。数理的方法をとらないなら、別にそれは構わないが、せめて事実ぐらいはちゃんと抑えてほしい。
まじめに社会学をやってる連中からしたらいい迷惑。 >>535
>抽象的思弁や記述的説明だけだとどうなるか。
>学問とも言えなくなる
法学が、そういう思弁的で記述的な説明だけなんだよな >>537
法哲学などはそうかもしれんが、それ以外は違う。判例を元に事実を重視した学問。
法哲学も英米流なら言語哲学に基づいて、抽象的思弁の罠に落ちいらないように細心の注意を払っている。
「社会学的な経済学」とは似て非なるもの。 基本的に数学オタクがそのまま経済を語るような学問なら、経済パズルの域を出ないだろうな
いくら全ての学問に学派間対立が存在するにしても、「財政赤字を拡大してでも、景気回復を優先すべき」という学説と、
「財政赤字が増えること自体が不況の原因」と主張する学説が数百年にもわたって神学論争を繰り返しているのでは、
さまざまな批判が出て当然だろう >>539
批判は当然あるだろう。そこから数学的な経済学は駄目という結論は出せても、「社会学的な経済学」がいいという結論は出ないだろうね。
というか、学問の体をなさない「社会学的経済学」など箸にも棒にもかからんな。 何について語ってるの?
知ってることを書いてみたいだけなの?
経済は計量しなければならない要素と
人間の意志に依存する要素があって、
どんなにこうしたら合理的と言っても
例えば独裁者が俺さえよければいいのと
聞かなければ政策立案もないんでしょ。
日本はこれからどういう社会になっていくの?
どういう社会にしたいの?
人々は何を望んでいるの?
それは如何に計量できるの?
オ・シ・エ・テ >>541
ダイエットで何キロ痩せようかな。
ていう問いに対して
>それは如何に計量できるの?
て答えるのかねw
我々は計量の世界で生きているのよ。お前自身がな。
もちろん正しい計量化とそうでない計量化はあるだろう。
「社会学的な経済学」はどうこたえるなかな。
オ・シ・エ・テ 久しぶりに覗いてみたが。
それにしても、
くろしろ―は相変わらず。進歩ないわなw 自然科学の計量の歴史と比べて、まだ始まったばかりじゃないの。 >そこから数学的な経済学は駄目という結論は出せても、「社会学的な経済学」がいいという結論は出ないだろうね
逃げたな >>538
>判例を元に事実を重視した学問
判例が、思弁的で抽象的で、事実から遊離した価値判断なんだけど >>534
近年は、経済学でも計量経済学や実験経済学みたいな
データ処理に基づく方法論の影響力が拡大してるような気がするけど、
解釈の仕方が怪しいのでは?感じることもある。
定性的反省なき定量化、思弁的反省なき実証化を称揚するのはどうかなって思うね。
>>539
どちらか一方のみが正しいことを前提にするのも危険なんだが。
真理が地理的歴史的状況に応じて変わるということかもしれんから。 >>544
ほう、俺はこのスレには書き込んではないが進歩というのは何を
持って進歩というんだ?
主流派を理解するという意味ならマスコレルの一般均衡すら俺は読んだぞ。
またマルクス経済学を理解するという意味なら剰余価値学説史まで読んで、
ブログで資源価値説まで理論展開している。
カールマルクス、アダムスミス情報局を見てみろ。
またゲーム理論では資本ゲームというスキームさえ思いついて、
これも数理ゲームを学び直して、理論を再展開するところだ。
また自らの原点、印刷屋の過酷な労働については小説でモデル付けしてるところだ。
これらを踏まえて何が進歩ないというのか。
後学のために教えて欲しい 俺は法政社会学部、出身ということもあって、
卒業後ルーマンや宮台真司は結構読んだよ。経済学的に使えるなと思ったところもいろいろあるが 例えば、社会学自体、社会を表すなら、経営学、経済学、政治学、心理学、文学、
哲学等取り込まねばならないと思うその意味で数理を使うのも否定しないが一つ
いっていおきたいのが、現実との遊離だ。これを絶えずチェックしないとだめだとおもう。
阪大の安田がアホだと思うのはマルクス経済学を否定するところであって、
俺もマルクス経済学の方法論、いわゆる労働価値説、搾取一元利潤説は否定するが
搾取という現実は否定しない。それは俺が印刷営業、公務員で実際に目にしたことだ。
彼も業績一覧ということはよっぽど学会に不満があったのだと思うが、顧客の俺から見れば
搾取という問題から逃げてる方が滑稽だ。
搾取や労苦等々についてはゲーム理論家として逃げれないのではないか? >>551
労働の過酷さに対する批判はマルクス以前からあるものだから、
マルクス体系を正当化する理由にはならんやん。 >>553
いや、マルクス体系自体は俺も否定してるよ
資本主義という枠組みは正しいと思うけど 基本的に搾取とか貧困とか資本主義って枠組みは正しいと思うの。
例えばサービス残業は搾取でしょ。
貧困はマジ俺だしさw
資本主義って要するに拡大再生産でしょ。
それは企業の動き見るとそうだなって思う。
その上で動学資本最大化のモデルが必要なんじゃないか。
マルクス体系の剰余価値説
労働価値説は俺は否定してるよ。 だからマルクス体系の労働価値説は科学、剰余価値説は科学
ってのは捨てなあかんと思う。
ただマルクス体系が終わる今、その遺産見たいのはきちっと
とっとかなきゃならないと思う。
それが利潤の一部は搾取が絡み。
貧困。
資本主義。
ということ。
それを指摘した上でマルクス体系嘲笑するのはかまわんよ。
その上で今のミクロには問題があって
搾取の枠組みがない。
貧困はあるけど。
そして資本主義を表す。動学資本最大化のモデルがない。
これは問題だと思う。 ただメカニズムデザインで、搾取、貧困、資本主義の問題
を取り上げたら、彼は本当に天才だ
バランスの問題なんだよね。
マルクスは主流派から、
主流派はマルクスから
学ぶところはあると思う。 >>545
むしろ経済学の計量(計量経済学)の方が自然科学の計量より
よっぽど高度 そもそも社会、経済のデータ収集、分析なんか、国地域の統治者にとって必須なことを考えると、かなり歴史は古くなる >>557
メカニズムデザインで?
マルクスは、資本主義の批判は散々やりまくったが、
それに代替する制度の提案能力なんて、さっぱりやないの。
そういう非建設的な思想を信奉してたら、
共産体制がああいう体たらくになるのも、当然というもの… >>560
マルクスが建設的な意見を提示していないには同意。
ただメカニズムデザインを行う上で、
1資本主義化する市場をどうデザインするか。
なぜなら、普通企業というものは拡大再生産=資本主義
になるから、それをどういう資本主義にするかという問題意識は当然持ってもらいたいもの
2搾取という現象は、マルクスのいう利潤の総源泉という意味でなく、利潤の一部にすぎないが
サービス残業、過度の労働者の酷使、という意味で現実にありうるものであるから
市場をデザインする工学という意味で、避けては通れない問題
3貧困も市場をデザインする上でどうしても没落者は出るのだから、
それをどうにかするというのは市場をデザインする上で当然。
4共産主義を信奉しているのではなく、私はそういう現実に役たたない
マルキシズム、ミクロ経済学を一貫して批判してきた。
そういう意味で、安田氏その他のアホキャンペーンは
ある種の引っ掛けで、共産党あたりに期待するより、
学会に工学的に学問としてこういった問題意識を持つ
メカニズムデザインをやっていただいた方が、
若い頃非常に世話になった印刷広告業界、公務員業界に対する
恩返しができうると思ったからである。 また、メカニズムデザインでは、
労働者への人的資源としての教育も重要だと思う。
今日の例えば私に代表されるニート層、
もちろん私はできうれば働きたいのだが、
の問題を考える時。
周囲の労働環境が苛烈だというのも一因だが労働に役立つよう
教育的になっていないのもあると思う。
メカニズムデザインを考える上でそこらへんも考慮していただければ
私やニートたちのように悲劇は起きないと思う。
起きても最小限に食い止められうる。
また私は、塩沢「複雑系経済学入門」
の範囲で、複雑さという意味で市場支持だが、
他方、複雑さを簡略化した計画経済も若手研究者
にこなをかけ、研究させようと画策している。
つまり財を必要財に絞り、ミニマリスト的な計画経済
なら十分に可能性があると思う。
だから現実にはメカニズムデザインで工学的な市場デザインを
搾取、資本主義化=拡大再生産、貧困、人的資源育成、
という面でやっていただき、
オルタナティブにミニマリスト計画経済を研究させることは
社会にとって有意義なんではないかなと、
考えた次第です。
あと人的資源育成については、中高年、落ちこぼれ、メンヘラー
の再教育をどう行うかという点でもやっていただければいいと思います。
そのダメさ加減ぶりは無職ダメ板、メンヘルサロン板で観察していただければ
わかります。
終身雇用が崩れ、早期人的資源蓄積のみが解決策でない今、
こうした中高年無職、メンヘラ等々の再教育の場を与えることが
社会工学として必要なのではと。 主流派がそういう意味で、
マルクスから学び得るものは静学的利潤最大化ではなく
動学的資本最大化であるということと、
あと経営学から学ぶ点としてモデルをポーターの
価格コストと差別化というスキームでモデル化できないかと思う。
独占的競争を基礎モデルにミクロの価格理論は、価格差別化理論、
動学的資本最大化として組み直されるべきだと思う。
そうすれば拡大再生産する企業ともちろんそうでない企業
も含めて記述でき有意義ではないかと思います。
ゲーム的には、利得を均衡点で加算して行き、資源の限界で止める
資本ゲームという私のアイディアが動学的資本最大化になんらかのヒント
を与えれないかと期待します。
カールマルクス、アダムスミス情報局というブログを参考にしていただきたい。
今また資本論2015(≧∇≦)などというお遊びをやってるが、
マルクス、ミクロ経済学、進化経済学、ピケティ
を私なりに消化できないかやっています。 あと、これは連投規制されるかな、社会学的的という意味で
いわゆる恋愛を含めた、コミュニケーションをどう非価格財
として盛り込めるかというのも、含めれば、より有意義だと思う。
これは本当にセックス専門家の宮台教授あたりを組み込めば、面白いものができうると思います。
その上で愛国心も組み込み、小林よしのり氏あたりに情宣してもらうとどうでしょうか。w これは書けるかな。
私は個人的にb型肝炎という病気で煮え湯を飲まされたが、
いわゆる円光というものにもその立場から反対してきました。
セロコンバーション後風俗も大いに利用しましたしたが、
厚生労働省が性病保護という点でこうしたセックスワーカー
に対してなんら対策してないのは気になります。
社会学的という意味でこれもなんとかならないもんでしょうか。 ん?一般に自然科学系の計量より社会科学系の計量の方が高度だよ
物理学なんか典型だけど、実験室で質のいいデータが取れるから
大した統計学使う必要もないし、実際物理学者の統計リテラシーは低い だな。>>566とかは自然科学で使われる数学が社会科学より使われる数学より
低レベルなわけがないという固定観念を持っているんだろう >>567
物理学も理論物理バリバリの場合、経済学より厳しいと思うよ
俺、量子力学やってたが、経済学じゃやらんことも多いし
でも、実験物理学とか化学、生物学系は経済学より数学使わんと思う >>571
あくまでも統計系の範囲内でってことでしょ。
数学一般だったらさすがに、経済は物理に遠く及ばんでしょ。 そうすると、ゲームとか金融工学とかはどやねんってなって、不毛 統計ねぇ・・・
物理も結構統計使うんだけどな
統計熱力学とか量子力学とか >>573
物理に関していえば、数理物理学、特に超弦理論なんかは数学者で研究している人が結構いる。
学会に行くと超弦理論のセッションはほとんど数学者が集まっている、ってことも珍しくない。
フィリーズ賞も最近は数理物理がらみが4割近い。
この分野と比べると数理経済学は多くの数学者の関心をひかないという意味で「遠く及ばない」。
しかし物理といえど他の分野は数学はそれほどでもない。使われる数学の違いはあれ、使い方のレベルでは経済学と大差はない。
調弦理論を嫌う物理学者は結構多い。実験が伴わない数学的論証だけ、あれは物理学ではない、という人多い。
事情は経済学と似ているね。もっとも物理学の場合、調弦理論ぐらいが批判の対象だが、経済学の場合、ほぼ全分野が数学的論証だけ、だからね。
もっと実証系に力を入れる必要があるね。 >>577
超弦理論絡みだと、E・ウィッテンみたいに
フィールズ賞取ってる物理学者もいるしね。
経済学者でフィールズ賞なりアーベル賞なりを狙える人は、
さすがにおらんやろ。 経済学は数学者がやるには難しすぎる
だからファイナンスみたいな確率論わかってりゃ簡単なものくらいしかやる数学者しかいない 移民を毎年20万人受け入れるとは、
入国管理局の事務処理能力の限界を意味する。
移民を毎年20万人、100年間受け入れるとは、
日本を破壊するまで移民を無制限に受け入れる事に等しい、
安倍政権は、日本を潰した革命政権だ!! >>579
難しいかどうかというより、センスがあるかどうかってことなんだろうね。
いくら数学ができても、社会現象への感性がなければ、しょうもない。
まあ、自然科学でも同じではあろうが。 >>578
そのウィッテン、大学院で経済やってたときキックアウトされただろ >>582
経済学やってて中退したことは知ってるけど、
あれって、「キックアウトされた」ってことなの? 数学っていうと塩沢さんじゃん。
進化の近著どうなの? ウィッテンは物理学者を名乗ってるけど数学者みたいなもんだからなぁ
数学者にとっては
経済数学を研究するのは「都落ち」とみなされるけど
物理数学を研究するのはそうはみなされない
結局はそういうもんだろう >>585
歴史が違うしね。
数学と物理の関係は、ニュートンやライプニッツの時代からだし。
>>584
「進化の近著」って、去年出た『経済学を再建する』っていう本のこと?
アマゾンに載ってた目次やレビューを読む限り、
基本線は二十年前の「複雑系経済学」の発想と変わってない感じだね。
でも読んでないから、詳しくは答えようがない。
このスレでレビュー募集してみたら?
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/economics/1284122222/ 超弦理論の数学的基礎で貢献してきた数学者のアティアーが言ってたな。
「数学の応用という点では物理学を於いて他にはない。経済学や経営学で使われる数学は非常に浅い。数学の本当の応用は物理学にあるのです。」
この言葉は正しい。少なくとも数学者の視点から見れば、物理学はやる価値があるが経済学はないだろう。
ただし>>581が言うように、数学者が経済学の領域に入って貢献できるかというとそれは無理だろう。
要は数学との結びつき方において物理学は経済学より密であり、だから数学者は物理でより活躍できるということ、これに尽きる。 >数学の応用という点では物理学を於いて他にはない。経済学や経営学で使われる数学は非常に浅い。数学の本当の応用は物理学にあるのです。
それは単なる固定観念
数学の応用先に本当もまがいものもない
そもそも経済学や経営学でつかわれる数学が浅いかどうかすらこの人は知らないだろう
結局のところ、>>585が正しい。
数学は言語みたいなものであってそれそのものは科学ではない
物理というのは最も理想的な状態でできる科学分野であってなおかつ数学を使う
「科学」をやってみたい数学者にとっては物理は理想なわけだ >そもそも経済学や経営学でつかわれる数学が浅いかどうかすらこの人は知らないだろう
そもそも経済学や経営学で使われる数学が浅いかどうか判定できるくらいこの人は経済学や経営学をしらないだろ
だったわ
まぁ経済学がと経営学を混同している時点でわかりきった事なんだが
ちなみにナッシュとかが顕著なように数学者が経済学をやれば成果は十分にあげられると思われる。
ナッシュの貢献なんて明らかに超ひも理論より科学の幅をひろげた偉大な業績だ
(ただ、ナッシュ均衡自体はコロンブスの卵みたいなもので数学的には不動点定理の簡単な応用でしかないが) >>589
>超ひも理論より科学の幅をひろげた
うーん。。。
超ひも理論がまだ実験的に証明されていないから何とも言えんけど
ナッシュ均衡は生物学の進化的に安定な競争にも関係してるし
経済学というより、応用数学のゲーム理論だよね
でも、ナッシュ均衡が広げた地平より、普通に理論物理の諸理論の方が
学問の地平を広げていると思うわ
量子力学とか、今じゃ存在なしに科学を語れないし
量子力学の基礎には数学があるしな >>588
少し誤解を与える書き方をしたようなので>>587の補足をしておく。
アティヤ―の真意は、数理物理は数学の応用だけでなく、数学そのものの新しい展開に貢献してくれるということだ。
物理の問題を考えることで新しい数学が生まれるということ。
実際、超弦理論は低次元トポロジーの展開に大きく貢献した。ウッイテンなんかもそこで大きな仕事をした。
翻って経済学はどうかというと、均衡分析との関連で凸解析とか。いくらかしかない。
フィリーズ賞に届くような貢献は見当たらないね。 >超ひも理論がまだ実験的に証明されていないから何とも言えんけど
ひも理論が実験的に否定されても(この可能性はかなりある)、そこで使われた数学が間違いということにはならない。
ひも理論の擁護者の中には数学への貢献をあげる人もいる。 >>591
>物理の問題を考えることで新しい数学が生まれるということ。
でも、ゲームから決定性公理生まれたりする事例もあるから、やっぱりただの固定観念 >>590
ゲーム理論の生物学への応用が始まったのは、
ナッシュがゲーム理論の論文出した後でしょう。
ナッシュが経済学系の雑誌(Econometrica)にゲームの論文出してるのだし、
ノイマン&モルゲンシュテルンの古典は明らかに経済学を意識してるから、
当時の感覚では経済数学と見てよいように思う。 >>593
多少の例外があったとしても、
物理⇒数学の影響が経済⇒数学の影響を圧倒してることは、
これまでの歴史の中では否定しようもない。
その意味で理解する限り、アティヤ発言は基本的に正しかろう。
ただ、経済問題から新たな数学的知見が得られる潜在的可能性が
排除できるわけではない。アティアのように断定してしまうのは、
数学の将来性を狭めてしまう可能性はある。 >>587の
>「数学の応用という点では物理学を於いて他にはない。経済学や経営学で使われる数学は非常に浅い。数学の本当の応用は物理学にあるのです。」
という言葉は当然間違っている。
>>588の言うとおり数学の応用に本物もまがいものもない
しかしながら、多くの数学者が
>「数学の応用は物理が王道で経済は邪道」
と思ってしまっているという事は正しい。
そしてそう思ってしまっていることが、数学者の経済学への参入を妨げているといえるだろう
>>591で物理数学は数学の発展に貢献しているが経済数学はそれに大きく劣るといっているが、
それは数学者自身が「数学の応用先として一番優先されるのは物理学で経済は2流」と
思っているから。数学の世界で2流と思われるんだから経済数学の研究の量も質も少なくなる
しかも、量も質も少ない事から、数学者は
>「やっぱり物理数学が1流で経済数学は2流」
と感じてしまう。つまり悪循環が形成されているわけだ ようするに自己言及的に経済数学への数学者の貢献度は低くなっている >>595
その潜在的可能性はアティヤ―の否定はしないでしょう。
彼は物理の問題を取り上げることで新しい数学が生まれるはず、といっただけでしかもその予言は超弦理論において見事的中したわけです。
彼を納得させるには経済の問題から新しい数学、それも超弦理論のように、多くの才能ある一流の数学者に興味を持たせるような数学、を生み出す実績を上げるしかないね。 >多くの才能ある一流の数学者に興味を持たせるような数学
だから、そもそも数学者は経済なんかには興味がない
物理には興味があるが
数学者は科学ごっこがしたいんだよ。だからもっとも科学らしい科学である
物理学への応用を考えるし、科学とみなされない経済学には見向きしない。
別に超ひも理論自体に数学者を虜にさせるほどの魅力はないよ
実験もできないし科学じゃないという声もあるくらいだし
だけど、数学者にとっては「物理」に貢献できるというのは非常に魅力的なだけ >>595
圧倒してようが、してなかろうが
>>587
>>591
に対する反例になってると思うよ。 >>599
>数学者は科学ごっこがしたいんだよ。だからもっとも科学らしい科学である
物理学への応用を考えるし、科学とみなされない経済学には見向きしない。
別に超ひも理論自体に数学者を虜にさせるほどの魅力はないよ
実験もできないし科学じゃないという声もあるくらいだし
ここは意味不明です。数学は科学ではありません。何か根本的なところで数学と物理学の関係に関して理解が間違っているように見受けられます。
まあ私もどうでもよくなってきたので、このあたりで失礼します。
適当に暇つぶしにはなりました。ではまた。 >ここは意味不明です。数学は科学ではありません
そうだよ。
だから数学者は科学にあこがれて、最も科学らしい科学である物理に興味を持つ
超ひも理論が魅力的なんじゃない、科学が魅力的なんだよ
日本語読めてる? >>598
根本的にアティヤーという人が間違っているのは
経済学や経営学を理解していないのに数学の応用があさいと断じてしまっているところ
>その予言は超弦理論において見事的中したわけです
別に的中などしていない。アティヤーと>>598が勝手にそう思っているだけ
ID:7OS/mTtN が決定的に間違っているのは
>それも超弦理論のように、多くの才能ある一流の数学者に興味を持たせるような数学
という箇所
別に数学者に興味を持ってもらえる理論を生み出すのが経済学の役割ではない >>602
いやそこが大きな誤解です。数学は科学ではないのです。
科学は必ず、理論は実験によって検証されなければなりません。どんなにエレガントな理論でも実験で否定されれば無価値です。
一方数学はその体系的構築物が現実世界に存在しなくても、一向に構わないのです。論理的に無矛盾で、数学者の目から見て「面白い」ものであれば、研究の価値があります。
だから彼らの価値観は数学的な視点から見て面白いかどうかであって、科学であるかどうかではありません。
×物理学がより科学的だから、数学者の関心を引き、経済学が科学的でないから数学者の関心をひかない
〇数学的な対象として物理の問題の方が面白く、経済学はさほどではない。物理の問題を考えることによって新しい数学は生まれる(超弦理論から低次元トポロジーが発展したのがその例。
が、経済の問題を考えてもそうはいかない。(実際にはどうかはわからないが、現時点で彼らはそう考えている)
以上です。では今度は本当におさらばします。 >その予言は超弦理論において見事的中したわけです
別に的中などしていない。アティヤーと>>598が勝手にそう思っているだけ
物理の歴史を調べれば、私のいてることの正しさはわかります。おなたの方こそ勝手に決めつけて、
およそ科学的態度ではないですね。
やれやれだぜ。 >別に数学者に興味を持ってもらえる理論を生み出すのが経済学の役割ではない
役割だなんて、言ってませんよ。
所詮は馬鹿チャンネルですな。書き込みして損した。 なんども「これで失礼します」とか言ったくせに、書き込みなおして
必死だなID:7OS/mTtNはw ま、ID:7OS/mTtNはもう固定観念で固まっちゃって何言っても自分の考え曲げないだろうから
これ以上ID:7OS/mTtNを諭そうとしても無駄だろうけど、一応色眼鏡ついてない人用にいっておくと
数学はそれ自体は言語みたいなもので科学ではない
↓
数学者の中には少なからず、自分が学んだ数学という言語で「科学」をやってみたいと思う人がいる
↓
物理は科学の代表みたいなもの+数学使う、ので目的を達成できる
↓
特に超ひも理論は実験できないので実験のできない数学者にもとっつきやすい
だから物理数学は数学者の関心を引いている
対象的に経済学は科学とはみなされない、少なくとも第2級の科学
↓
経済学に手を出すよりかは純粋な数学の研究したほうがいい
↓
経済数学への数学者の関与は少なく、研究の質・量ともに低い
↓
やっぱり、経済学は数学者が参入するほどのものではない(悪循環)
となっている。 数学者が数学(論理)のために科学を研究してるのか、
科学のために数学(論理)を研究してるのかなんてことは、
人によって違うだろうとしか言えんでしょ。
ただ、昔は後者の勢力が強かったんじゃないかな。
今は、ヒルベルト流の形式主義的な数学観が広まってるから、
数学者とは、数学を自立的存在として研究する存在だという発想が強いかな?
少なくとも、純粋数学やってる人はそう思うでしょ。 そりゃ何で数学の研究するかは人によって違うだろ
数学をやろうと思った動機付けからして違うだろうし
ヒルベルト自身は「物理は物理学者には難しすぎる」といって物理に
参入したらしいけどね