志賀直哉のフランス語に対する一連の発言が最も顕著に現れている文章をまず紹介しましょう。
敗戦翌年の昭和21年4月号「改造」に寄稿された『国語問題』という随想です。

〈そこで私は此際、日本は思ひ切つて世界中で一番いい言語、一番美しい言語をとつて、その儘、國語に採用してはどうかと考へてゐる。それにはフランス語が最もいいのではないかと思ふ。〉

〈外國語に不案内な私はフランス語採用を自信を以つていふ程、具體的に分つてゐるわけではないが、フランス語を想つたのは、フランスは文化の進んだ國であり、小説を讀んで見ても何か日本人と通ずるものがあると思はれるし、フランスの詩には和歌俳句等の境地と共通するものがあると云はれてゐるし、文人逹によつて或る時、整理された言葉だともいふし、さういふ意味で、フランス語が一番よささうな氣がするのである。〉

また、昭和32年の座談では、

〈──今の日本語の缺點は實にひどい、200年後300年後のことを考へると、自分の言つた通りにしておいた方がずつとよかつた、今となつてはもう駄目だが、あのどさくさの最中になぜ決斷しなかつたか、文學のためばかりぢやないんだ、あれを、單なる思ひつきで出した意見のやうに取られるのは困る……。〉

とも発言しています。

引用は『志賀直哉全集 第7巻』

国語改革論というのは昔からある話で、古くは森有礼の『日本の教育』という著書にも見られます。志賀直哉にしても、一つの流行としてその流れを受け継いだと考えられるでしょう。


これは中々興味深いね。昭和の30年くらいからジャップの教育は糞!!っていう議論があったんだな。歴史は繰り返されるってヤツかワロタ笑