「だ・である体」は廃止するべき
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文語体を廃止した結果、改正前刑法の
「罪本重カル可クシテ犯ストキ知ラサル者ハ其重キニ従テ処断スルコトヲ得ス」
などを、日本人は読めなくなった。
だ・である体を廃止すれば、やがて日本人は自国の憲法すらも読めなくなるだろう。 猛虎弁ってリアルでは使わんけど書き込むにはめっちゃ使いやすいやん?
言文一致いうけどインターネットの発達によって新しい文語が生まれるのは面白いよな 鎌倉・室町頃からある言葉を横浜弁とか言われても困るじゃん デアル、ジャル、ジャ、ヤとなる。
どこにも横浜のベーベーなど出てこない >>11
由来が古いかどうかは関係ないのでは?
横浜から全国に広がったという点が重要かと どうでもいいけど、なぜ横浜弁ってことにしたいのかが謎 そりゃあ明治時代に新聞雑誌で広まったんだから
後進も後進よ 横浜弁という言い方をすると御幣があるかもしれないな
明治時代になると欧米からの船舶の多くが横浜に着港したので
舶来の雑誌書籍をいち早く手に入れようと翻訳家の多くが横浜に住むようになったんだ
その翻訳家連中の交流の結果翻訳家同士の共通語のようなものが出来た
である体もそのひとつという事だ
横浜弁というよりは横浜の翻訳家達の間の業界用語という方が近いのかもしれん >>18
言ってる事が妥当かどうかは別として
そんな意味で「横浜弁」を使うからややこしくなるんだよ
ついでに語弊が御幣で誤変換。 >>26
「廃止すべし」ではないの?
今風なら「廃止するべきだ」
(「だ」/「です」の終助詞を略すと気持ち悪い) >>27
口語体での終止形は「する」なので「するべし」が良い
ただし文語体である終止形「す」を用いて「すべし」としても勿論良い 口語体というなら「しなきゃいけない」とかでいいじゃん
無理に「べし」なんて古風な言い回しを使う必要がない >>1
理由が分からない。一致さえしていれば何でも良いのか。文語の何が駄目がのか。逆に口語の何が良いのか。口語でしか使わない表現も止めるのか。表現が曖昧で、意図する主張内容が伝わらない。 >>30
「しなきゃ」とかいうキモい口語は知らない。 >>30
「しなければならない。」は口語的であり一般的でもあるが、「するべき。」は文法的に誤りに等しいという話をしている 「べし」は、連用形と連体形だけ残って
形容動詞型活用になったんだよ。 「なければならない」という
二重否定の表現は使わないほうがいい。 ーするべく何々ーというならありかな。
しなければならないをどうしても言うなら、せねばならんと言いたい。
せんないかん。 「だ」を廃止するということは、
だろう、だった、なら、も使えなくなる。 ダを廃止したところでヤかジャを使わなければ表現できないわけで、
結局はどこかの方言を借りて出来上がっているのが日本語なのでしかたない。
一番原型的に用いているのがデアルなのでこれが限界ということ。
論文とかでジャで徹底的に書いてみたらそれもそれで面白そう。 >>30
>「しなきゃいけない」
なぜわざわざそんな回りくどい二重否定なのか
当為の助動詞を使えば二重否定など使わずに済む 当為の助動詞「べし」を使わないとまわりくどい二重否定で書かなければならない
おかげで法律の条文も二重否定だらけのブサイクな文で書かなければならない
ついでにこの文章もこんなまわりくどい書き方をしなければならない
この欠点を解消するには「べし」を使うべし
はら、単純明快な文になった 「べし」は「べきだ」という
形容動詞型の助動詞として
現代語でも生き残っている。 各地の口語を借用したほうが良い文になるはず。
しなければならない→せんならん スッキリ
しなきゃいけない→せないかん スッキリ
文語は方言を避けるせいでいつまでも発達しない。
若者の文章離れや、口語との意味的な乖離が酷くなる。 >>48
方言以前に、二重否定に頼ることが欠陥表現なんだよ。
ちなみに、関東人は助動詞「ぬ」を正しく運用できない。
進行相「しよる」と完了相「しとる」も「してる」に一本化して、区別できない。
薩長によって、江戸弁がピジン化して、表現力が乏しい。 薩長が直接の原因かどうかは判らないが、
東京のことばの未熟さはよく知っている。 関東弁にも「べし」はあるで
短縮形になってて「べ」に縮んでるけどな >>52
よく知っているな。見つけにくいが、そういう用法の‘ベ’がある。 だである体はなんか偉そうな上下関係を生む感じするからな
ですます体が最強 だ・である体は別に尊敬語で謙譲語でもないニュートラルなんやけど 実際アカデミックな分野以外でだ・である体ってほとんど使われないよな
です・ます体が最強 新聞が何と言っても、だ・である体の代表格。
(ただし「しんぶん赤旗」はです・ます体。) 書籍や雑誌はほとんどはだ・である体で書かれてる
>>57は本も雑誌も新聞も読まんのか 口語においてはヤはとても使いやすく、ことばが柔軟になって話もまとまりやすい。
ダはそうした柔軟性がなく口語には向かない。いっそのこと文語専用にしてしまったほうが良いのかも。 つまりは文語はデアルを廃してダに任せて、
口語ではダを廃してヤでいくということか。
「ーでアルのデアル」は、
「ーでアルのダ」になるのか。 >>66
アル/ナイを言うにはデが必要
ーデ、アル/ーデ、ナイ
ダはデアルが適さない時の代用くらいかな
昔のソウロウ文とかは使い易かったらしい に於いて在り
→にて在り
→で在る
→だ
こうして見るともう原型留めてないな >>73
このように辿ってきたとすると、
デ以降から不調になっているようにも見える。
しかし、テを残したとすればタになって過去形とかぶってよくないか。 一般に使われている「です・ます体」は完全なものではなく、「だ・である体」との
混合だから、「だ・である体」は廃止しにくい。
例えば、「だ・である体」の
文章でしか使わない現代の文語を廃止すると、言文一致が推進される。
は一般的な「です・ます体」では、
文章でしか使わない現代の文語を廃止すると、言文一致が推進されます。
になるのに対して、完全な「です・ます体」では、
文章でしか使いません現代の文語を廃止しますと、言文一致が推進されます。
になるが、無駄に長くてうるさい感じなのでほとんど使われず、演説等でたまに聴かれる
だけ。 完全な言文一致というのは言のほうに文が合わせていかねばならんので、
読むに値もしないクソ文章を認めるようなことは避けたい。ものです。 「です/ます」体は文末でしか使われませんのが中途半端。
このように書きますと変ですと思われます。 分かります。むしろ徹底したいのだが、重なると言葉が重くなるのがね。 >>84
「このように書きますとおかしゅうございます。
と書きますれば、さもあらんと思いまする。 口語と文語との表現分けに一役買うところもある。
このようでは変である、と言われます。口語
このようでは変です、と言われる。文語 確かに現実で「~です」って話す人はいても「~である」って話す人はいないしな たとえば「そうだとすると」や「だから言いたくなかったんです」は
何と言い換えます? 「であるとすると」
「さるから言いたくはなかったのです」 >>89
だね だよ だべ だぜ
ぞんざいな物言いから学術論文までが全部常体というのが不思議
口語を改めさせる権利はないから、文章の方を専用語尾を考えるべきだったのか
江戸時代まではまさにそうだったけど。明治時代に候文を廃した時になぜ常体をデフォにしようとしたんだろう
富国強兵の世では常体のきつい口調が文語としてもちょうどよかった? 接続詞は何でされば、かくて、さはれみたいな短いのも受け継がんかったんやろ
長さもええし歴史もあるけどな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています