「だ・である体」は廃止するべき
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薩長が直接の原因かどうかは判らないが、
東京のことばの未熟さはよく知っている。 関東弁にも「べし」はあるで
短縮形になってて「べ」に縮んでるけどな >>52
よく知っているな。見つけにくいが、そういう用法の‘ベ’がある。 だである体はなんか偉そうな上下関係を生む感じするからな
ですます体が最強 だ・である体は別に尊敬語で謙譲語でもないニュートラルなんやけど 実際アカデミックな分野以外でだ・である体ってほとんど使われないよな
です・ます体が最強 新聞が何と言っても、だ・である体の代表格。
(ただし「しんぶん赤旗」はです・ます体。) 書籍や雑誌はほとんどはだ・である体で書かれてる
>>57は本も雑誌も新聞も読まんのか 口語においてはヤはとても使いやすく、ことばが柔軟になって話もまとまりやすい。
ダはそうした柔軟性がなく口語には向かない。いっそのこと文語専用にしてしまったほうが良いのかも。 つまりは文語はデアルを廃してダに任せて、
口語ではダを廃してヤでいくということか。
「ーでアルのデアル」は、
「ーでアルのダ」になるのか。 >>66
アル/ナイを言うにはデが必要
ーデ、アル/ーデ、ナイ
ダはデアルが適さない時の代用くらいかな
昔のソウロウ文とかは使い易かったらしい に於いて在り
→にて在り
→で在る
→だ
こうして見るともう原型留めてないな >>73
このように辿ってきたとすると、
デ以降から不調になっているようにも見える。
しかし、テを残したとすればタになって過去形とかぶってよくないか。 一般に使われている「です・ます体」は完全なものではなく、「だ・である体」との
混合だから、「だ・である体」は廃止しにくい。
例えば、「だ・である体」の
文章でしか使わない現代の文語を廃止すると、言文一致が推進される。
は一般的な「です・ます体」では、
文章でしか使わない現代の文語を廃止すると、言文一致が推進されます。
になるのに対して、完全な「です・ます体」では、
文章でしか使いません現代の文語を廃止しますと、言文一致が推進されます。
になるが、無駄に長くてうるさい感じなのでほとんど使われず、演説等でたまに聴かれる
だけ。 完全な言文一致というのは言のほうに文が合わせていかねばならんので、
読むに値もしないクソ文章を認めるようなことは避けたい。ものです。 「です/ます」体は文末でしか使われませんのが中途半端。
このように書きますと変ですと思われます。 分かります。むしろ徹底したいのだが、重なると言葉が重くなるのがね。 >>84
「このように書きますとおかしゅうございます。
と書きますれば、さもあらんと思いまする。 口語と文語との表現分けに一役買うところもある。
このようでは変である、と言われます。口語
このようでは変です、と言われる。文語 確かに現実で「~です」って話す人はいても「~である」って話す人はいないしな たとえば「そうだとすると」や「だから言いたくなかったんです」は
何と言い換えます? 「であるとすると」
「さるから言いたくはなかったのです」 >>89
だね だよ だべ だぜ
ぞんざいな物言いから学術論文までが全部常体というのが不思議
口語を改めさせる権利はないから、文章の方を専用語尾を考えるべきだったのか
江戸時代まではまさにそうだったけど。明治時代に候文を廃した時になぜ常体をデフォにしようとしたんだろう
富国強兵の世では常体のきつい口調が文語としてもちょうどよかった? 接続詞は何でされば、かくて、さはれみたいな短いのも受け継がんかったんやろ
長さもええし歴史もあるけどな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています