ここがおかしい日本語のスレ★3
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するべき と するべきでない
を反対語の様に言う事 話してて言葉がすぐ出て来ないときに、「えー」とか「あー」とか
「えっとー」とか言うが、この「えー」などの代わり「こう」という人が多くて、聞いててすごくストレスを感じる。
「こう」は指示語だから具体的に何かを指し示す言葉なのに、
上記のような使い方の場合は何も指し示していないか、
あるいは話し手自身の頭の中にだけ存在するイメージに対して
「こう」と言う訳だから、聞き手にとってはチンプンカンプン。
「「こう」と言われても分からんがな、どう?やねん?」と突っ込みたくなる。
まあ上記のような話し方は、一般人がするのなら
「まあ、仕方ないか・・・」という程度だが、
あろうことか、アナウンサーが言うときも多い。
言葉でものを伝えるプロのアナウンサーに「こう」と言われた日にゃ・・・
もっとスゴいのが「なんかこう~」。
もう目の前が真っ暗になる。
古い時代劇の決め台詞を借りれば、
「てめえら日本人じゃねえ、叩っ斬ってやる!💢」
と心で叫びながらテレビを消す。 つまり君はアメリカ人のアナウンサーやコメンテーターが前置きや中継ぎに「you know,」とか使おうものなら「てめえらアメリカ人じゃねえ、鉛玉撃ち込んでやる!💢」と心の中で思う基地外なわけだな なんかこうが結構インフォーマルなんは分かるけど、こうは誰が最初に言い出したんやら知らんけど定着してるな ジェスチャーをしながら「こう…」と言うてたんがジェスチャー無しでも言われるようになったんかなと適当に推測する 「廊下」が動作主体、主語であって「走らない」が述語なんていうのは英語の無生物主語みたいな解釈
生徒たちに対して呼びかける標語なんだから、「廊下は」=「いいか、他でもない廊下について話題にするぞ、廊下を主題として提示するぞ」の意味
「走らない、誰がだって?お前らだよ、そもそもお前らに言ってるんじゃないか」
主語をちゃんと言わなければならないんじゃ英語みたいだ
"It's rain today." 「今日はそれが雨降りだ」 >>302
さかのぼって読んでみた
オカルトくさいというか創作っぽく見えるとこもある、けどなんか妙にしっくりくるというか腑に落ちるとこもある
全当たりはないにしてもそれなりにいいとこもこすってて、半分嘘半分本当なのかなってのが正直な感想
あまり考えたことなかったけど、こうして考えてみると日本語って孤立してて実際わからないことだらけなんだよな カタカムナやホツマツタエら辺はあからさまにデタラメ感満載なんだがな。聖書もびっくりなほどトンデモ歴史のオンパレードだし五母音体系が既に完成してるしヤ行とワ行混同してるしで見てて痛々しいまである始末。
>>223のは一見すると特にホツマツタエに類似してるようにも見えるが万葉仮名に見られる上代特殊仮名遣に反してないことと如何にも原始的な所作にあたる手振りを起源としてることの相乗効果もあってか先のような不自然さがない点は評価できると思うわ。
もっとも具体的な証明ができない以上は数多ある仮説の一つにすぎないがな。加えて意図的に日本語研究を融合させて体裁を整えただけの代物である可能性も否定できないしそこら辺も難ありだわ。 とかなんとか論客ぶって偉そうに批評してる奴が私は1番無能だと思います 前に本屋で言葉は身振りから進化したみたいな本見かけたけどどうやろな
立ち読みせなんだし内容知らんけど どの言語だろうと始原はそんなもんじゃなかろうか?>前に本屋で言葉は身振りから進化したみたいな本見かけたけどどうやろな
たまたま子音と母音の繰り返しが顕著な日本語がそうした特色を色濃く残していたとしても奇怪ということは特段なかろうし>>30のような懸念はそれこそ杞憂だろう どの言語だろうと始原はそんなもんじゃなかろうか?>前に本屋で言葉は身振りから進化したみたいな本見かけたけどどうやろな
たまたま子音と母音の繰り返しが顕著な日本語がそうした特色を色濃く残していたとしても奇怪ということは特段なかろうし>>305のような懸念はそれこそ杞憂だろう うわ鳥肌ゾワッって立った
日本語ひょっとしたらひょっとしてマジモンの人工言語なのか?
エスペラント語的なアイデアが2000年以上昔にもうあったってことだろ
天才だろ作ったヤツ >>312
日本語=人工言語だとするとそれは所謂天孫降臨の裏付けになるのではないか?詳細が合ってるかはさておき
南方に降り立った統治者が徐々に日本列島の各地に統治を広げるに当たってまず必要なのは覚えやすく分かりやすいシンプルな共通語の普及 >>305が代弁する通りに始原的なボディーランゲージと音素が一対一で結びついていると仮定するならこれ以上分かりやすい共通語はおそらくない ボディーランゲージと言葉の双方が単純翻訳可能な共通語として使えるこの方式は便利なことこの上ない
日本語の性質が人工言語的であればある程日本語が元来の土着語ではない天孫降臨によってもたらされたものであるという信憑性は増す 天孫降臨がどうこうは知らんけど、少なくとも縄文語じゃないのはたしかだな、DNA的に
縄文語の末裔らしいアイヌ語とは全く似てないから、日本語が縄文語と渡来語のクレオール語ということもなさそうだ
日本語は孤立言語、周辺に日本語と同じ語族の言語も見当たらない
となると、ある時期に突如現れたエスペラント語に近い性質の人工言語という可能性は、一応あるっちゃある (誤→正)
「勝った負けたする」→「勝ったり負けたりする」
「切った貼ったする」→「切ったり貼ったりする」「切り貼りする」
「楽しいを見つける」→「楽しさ/楽しみを見つける」
ちゃんと活用させろ 「楽しいを見つける」は「楽しい(と思うこと)を見つける」の意味で()内を省略してるだけだろ
楽しさ/楽しみより感情が強調された間投詞的な言い方
例えば「『楽しい!』を見つける」などと書けば分かり易いかもな 「切った貼ったする」なんて見聞きしたことないわ
慣用表現として「切った張ったする(≒暴力沙汰になる、大立ち回りをする)」なら分かるし表現としても正しいが
あと「勝った負けたする」は上の切った張ったの慣用表現を流用したものだろ
×「勝った負けたする」→「勝ったり負けたりする」
○「勝った負けたする」→「"勝った""負けた"と一喜一憂する」或いは「"勝った""負けた"の大博打を打つ」
この場合は一喜一憂する様や大博打を打つ様を"勝った""負けた"で表現しているものであり間違いでもない それを言うなら「切った張ったする」→「切りつけたり張り飛ばしたりする」だよな
「切った張った(する)」はそもそも慣用句として正しいし >「切った貼ったする」→「切ったり貼ったりする」「切り貼りする」
馬鹿過ぎる
最初はただの誤変換かと思ったけど「切り貼りする」で完全に解釈の間違いだと分かってしまう 呼び捨て
無敬称がなぜ、呼んで捨てるのか関連づかない 「捨て(る)」を付けることで丁寧さが無いとかぶっきらぼうな様を表現してるんでは 8.(動詞の連用形、または、動詞の連用形に接続助詞「て」を添えた形に付いて)…してしまう、…してほうっておくの意を表す。「言い―・てる」「切って―・てる」
どう見てもこの解釈だろ
直前の動詞の対象をおざなりにするとか蔑ろにするような意味 >>317
それはまずアイヌが本当に縄文人の末裔かどうかの議論が必要では? 「おかしい」と思ったら反射的にレスする前にまず思い違いでないか確認しような
切った貼ったなんて話にならんぞ 「無実」の使い方が最近特におかしい
「無実の人」みたいにさも「罪なき人」の類義語感覚で使ってる
「無実の罪」まで書いて初めて「あらぬ罪」の意味になる
「無実の罪を着せられた人」まで書いて初めて「罪なき人」と同等 >>223
>>224
自然発生した言語がそこまで体系的に整ってるのは少し変じゃないか?
一集団が一から作り上げた人工言語でなければそうはならないはず
それか一集団が何らかの言語を下地に再構築して体系化したクレオール語であるか 12345678910
順に読んだ場合と逆から読んだ場合
4と7だけ読み方違う 1本 2本 3本・・・
pon hon bon
それと1本を「いちほん」と言わない「いっぽん」 午後12:00って正午? 夜中の0:00?
11:59の1分後が12:00だから午後12:00って夜中だと思うのだが
みんな正午の意味で使ってるよね 大きい災害があると、その後に頻出する「募金」。
有名人が「被災地復興のために1000万募金しました」って言い方、だんだん広く使われてるようになってきてると思う。
ネットニュースだけじゃなく、古来の紙媒体の商業マスコミ報道でも出てくるんじゃないかな。
同じ間違いで、子供がやるスマホゲームの「課金」って言い方。
「うちの子、とうとう課金までやるようになっちゃったの」なんて言う親もいる。「へえ。未成年なのに管理者として利益得てるなんてすごいですね」と
イヤミで返したくなる人もいるんじゃないかな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています