漢委奴国王印 いわゆる金印
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天明年間、筑前国那珂郡志賀島志賀島に於いて甚兵衛なる百姓が田圃仕事中に偶然発見したとされる。
・「漢委奴國王」を何と読むのか?
→かんのわのなのこくおう
→かんのいとのこくおう
文化庁編「新増補改訂版 国宝事典」(便利堂、1976年)
「その訓みについてはなお定説をみない」
・後漢書の印綬と同一か?
後漢書「卷八五 列傳卷七五 東夷傳」より
建武中元二年 倭奴國奉貢朝賀 使人自稱大夫 倭國之極南界也 光武賜以印綬
「建武中元二年、倭奴国、貢を奉じて朝賀す、使人自ら大夫と称す、倭国の極南の界なり、光武、印綬を以て賜う」
・そもそも真物か?
出土地も確定できない問題がある あと、漢字を現代語読みで読んでいる点もおかしいし、古代の助詞は「の」ではなく「つ」などであるべき。
いろいろとナンセンス。 >>749
ないよ
「親魏」とかなんか一文字つくんだよ
「晉帰」とか だとするなら「漢委」で「漢に委任されてる」という意味で国名は単に「奴国」なんじゃないの 今週朝日新聞でこれ特集してたけど。
なんか進展か裏の狙いでもあった? >>55
帥升について
当時は銅矛圏九州vs銅鐸圏近畿の構図だから
金印をもらった九州に対抗するために銅鐸圏の王が朝貢したんだと思うけどな
帥升が九州の王だと仮定すると、
すでに金印をもらってるのに50年後にさらに奴隷160人も献上する大型朝貢をする理由がない
奴隷って主に侵略で獲得するものだから
奴隷を160人も確保できること自体、倭国内で大規模の内乱があった証拠だしな 朝貢は定期的にするんだよ。
貿易でもあるんだし。
少なくとも世代ごとに大掛かりにやったろう。 帥升の国は倭面土国って書かれてる
倭奴国なら倭奴国って書くだろ 【日本の歴史】
1世紀
倭奴国 漢と通じ金印を貰う
倭国=朝鮮半島南岸〜対馬〜壱岐〜九州北岸
海洋民による海洋国家
後漢書「倭奴国は倭の極南界」
2世紀前半
九州銅矛圏vs近畿銅鐸圏
近畿銅鐸圏の王、帥升が後漢に朝貢
北宋通典「倭面土国(ヤマト国)王帥升」
2世紀後半
銅矛圏の一部勢力(安曇氏)が大阪侵略(大阪湾型銅戈)→倭国大乱
→卑弥呼即位により銅矛圏と銅鐸圏が和睦し同盟
出雲、吉備は従わず(狗奴国)
銅矛圏の王も廃されず伊都国に残る
魏志倭人伝「邪馬台国(ヤマト国)女王卑弥呼」「伊都国、世有王」
旧宗主国倭奴国王族の住吉氏、領地の朝鮮半島南部に亡命、新羅王として即位
(住吉神 中筒男=新羅王2代目 南解次次雄)
3世紀前半
邪馬台国連合=北部九州、近畿
出雲、吉備は銅輸入ルートから締め出され、銅器を使わない独自の祭祀を開始
(出雲=四隅突出墓、吉備=特殊器台)
丹波地方にいた住吉王族残党が新羅合流(丹波〜若狭湾は四隅突出墓の空白地帯)
(住吉神 底筒男=新羅王4代目 昔脱解) 3世紀後半
吉備と畿内が和睦、前方後円墳体制スタート
南九州も参加(ゴホウラ貝の全国輸出)
(記紀「神武東征」では北部九州王の仲介で畿内入り)
(上位王権=北部九州王からの委任状兼威信財である「天の羽羽矢」を神武、ナガスネヒコ両者が持つ) 神武の出発地も九州北部の筑紫の日向、伊都の高祖宮こと高千穂宮ですよ。
九州北部の王家、天神が支え合って西日本全域を支配したんですね。 >>756
帥升は人名では無い
人名に帥が付く例が中国史に無いから
王も帥も升も役職、
それぞれ別人だから等が付き複数形になっている 帥一文字では不十分で、もう一文字つけて役職名だろう。
一大率が例外で、本来なら徳率とか率善なんとか色々な率があるべきところを、一つの役職しかなかったから一大率と表現した。
倭国ではこの伝統が太宰の帥にも継承される。
なお、率と帥は意味も発音も同じ。 >>764
中国語に3文字熟語は無いだろ
「一、大率」若しくは「一大の率」
王の帥(丞相か?)の升(名前)の可能性なら有るな 上海博物館に展示している晋時代の金印の印影。駱駝紐。個人さんのブログで上海博物館 金印で検索すると写真が出てきます。
https://i.imgur.com/cvNligN.jpg >>764
逆だろ
「大率」は何人もいた
ただ、その北九州を管轄してるのはその中の一人。
「一」ってのは英語の不定冠詞「a」みたいなもの
文中もし二回目に出てくる場合は「一」がつかなかったろう
通典はただ「大率」とだけある 一大率は女王国の北側に置かれ
女王国の北側の諸国を監察していた
卑弥呼は伊都国で一大率を使い女王国の北側の諸国を治めていた 女王国以北は女王国を含むことに注意。
実際には、一大率は伊都に置かれて、対馬海峡を支配していた。 一大率は女王国以北に置かれていたと明記されてる
伊都国も女王国以北に含まれるけど伊都国には女王卑弥呼が居るから
伊都国以外の女王国以北の諸国に一大率は居た。 一大率は諸国を観察するのが仕事で女王国以北の諸国に置かれてると明記されてるから
常に伊都国に居て観察とは別の業務の治めるなんて出来ない。 糸に本拠地を置き、対馬海峡を担当する直属部隊だったんだろ。 「自女王國以北 特置一大率 檢察諸國 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
この文章の前後の文章は全て女王国か女王卑弥呼に付いての説明文であり、主語が書かれていなくとも主語は女王国か女王卑弥呼だと読み手には分かるようになっている。
それ以外の主語の場合は「諸國畏憚之」のように主語が明記されている。
「一大率常治伊都國」と主語が明記されていないので「常治伊都國」の主語も女王卑弥呼である。
なので「女王卑弥呼が伊都国で常に治めている」との意味になる。
では何を治めているのか?
女王卑弥呼が治めているのは自女王國以北の諸国である。
「常治伊都國」は「(女王卑弥呼が)伊都国で(一大率を使い自女王國以北の諸国を)常に治めていた」の意味であり 主語の女王卑弥呼と()内が省略されている。
治の類似の用法は漢書西域伝に見られる。
「大宛国 王治貴山城 去長安 万二千五百五十里…」
大宛国について、王は貴山城に治す、と王の所在を明らかにしている。
では「自女王國以北」とはどこか。
以北はその出発地を含む。出発地は「自女王國」とある。
つまり、女王国とその北にある国々を、そこに置いた一大率で支配したのである。
要するに女王国と伊都国は念を押して言い換えただけであり、一大率は伊都国にあり、伊都国が女王国、女王の都するところ、邪馬台国であるということである。
「於國中有如刺史」・・・刺史は各地の行政機関内に常駐している監察官
「女王国(を含めたそこ)から北の諸国には、(女王卑弥呼が)特別に一大率を配置して検察させており、諸国は(一大率を)畏れ憚っている。
(女王卑弥呼が)伊都国で(一大率を使い女王国から北の諸国を)常に治めていた。
これは魏で皇帝が刺史を州に派遣し検察させて洛陽で治めているのと同じようだ」の意味となる。
女王国が伊都より東にあったら、文章の意味が通らない。
畿内説では、一大率が支配していたのは奈良(女王国)およびその北である京都や丹波になってしまう。
女王国以北はおよそ里程や概要を記すことができるとされているが、里程が記載されているのは対馬海峡と福岡県内の国だけだからである。
すなわち女王国以北(女王国を含む)は伊都から北であり、女王国(邪馬台国)が伊都国であることを示している。 >>786
論破っていつ?
別の解釈の可能性は示されていたが、この読み方を否定できる内容ではなかったが? >>785
認める、認めないは個人の自由ですからね
私は可能性としておおいにあり得ると思いますよ
文献解釈は正解がわからないので、可能性で考えます >>790
テンプレは>>1の個人的意見ではなく
これまでに誰かしらの研究者が主張したもの あれが畿内説の総意なら、相当キモいカルト集団であることを自覚するべきだね。 >>787
他の解釈の可能性を述べるだけで確かに論破はされてませんでしたね
「特置一大率 檢察諸國」と一大率の業務が檢察と明記されてるのに
「常治伊都國」も一大率の事だと言ってましたが
一大率が諸國を治めてるならその一大率を一大率が檢察することになり矛盾してますね。 >>791
金印に付いて分かってることは
@物は本物
A読み方は諸説あり
B発見の経緯は怪しい、志賀島で出土した? >>794
ボコボコにされてたのに虚勢はっちゃって >>796
>>793に反論してから言えよ
負け犬君 >>793
>「常治伊都國」も一大率の事だと言ってましたが
>一大率が諸國を治めてるならその一大率を一大率が檢察することになり矛盾してますね。
これは真っ赤なウソ
「治めてる」なんて読むのはアホの岡上だけ 治には「治める」か「(病が)治る、す」しか意味ないよ。 >>800
思い込みではなく、他の人にわかるように反論しませんか?
このままでは、むしろ>>793が正しいのではという印象しか与えないですよ。 >>804
この人はいくら論破されても学習効果がない >>802
だから、世界であなた以外の誰が「治める」なんて読んでるの? ここに岡上さんはいませんよ。
そして、治めると理解している人がたくさんいますよ。 >>806
必死に誤魔化そうとしても無駄
主語は誰だ? 一大率は諸國を検察していると明記されてる
治の主語が一大率だと一大率を一大率が検察することになり矛盾するので
「常治伊都國」の主語が一大率でないことだけは確か
では治の主語は誰だ? >>815
訳してみろ矛盾して意味が通じないだろ。 >>817
>>784
>「女王国(を含めたそこ)から北の諸国には、(女王卑弥呼が)特別に一大率を配置して検察させており、諸国は(一大率を)畏れ憚っている。
>(女王卑弥呼が)伊都国で(一大率を使い女王国から北の諸国を)常に治めていた。 確かに、治める、ならば主語は女王であるべきかもしれませんね。 >>821
「自女王國以北 特置一大率 檢察諸國 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
の訳をお願いします。 刺史の如く、の主語も一大率なんですかねえ。
句読点のない漢文は、解釈に幅ができてしまいますね。 >>823
女王国から北の地には、特に一人の統率者をおいて諸国をとりしまらせていて、諸国もこれを恐れはばかっている。その統率者は、つねに伊都国に駐屯して統治の任にあたり、中国の刺史のようなものである。 >>827
この反論は不完全で曖昧
誤魔化してますね。
w >>829
女王国から北の地の諸国の統治の任にあたり
女王国から北の地の諸国のとりしまりをしている
とりしまる相手は諸国の統治者ですよね。 とりしまり(観察)と統治(治)は別の行為ですよね
一大率の諸国はとりしまり(観察)で恐れはばかっている
一大率は諸国を常に統治(治)している
常に自分が統治してるのに何をとりしまり(観察)するんだ? >>832
一大率が統治者だから諸国の官は統治者じゃないんですよね
諸国の官は統治者でもないのにとりしまり(観察)されてたんだ
諸国の官は何をしていて何をとりしまり(観察)されてたんだ? >>836
たとえば軍隊でも、本来は将軍とMPのボスである監軍・督軍は別のものだった
だが漢末には合体して、裨将軍を都督が率いるようになった
軍政官も同じで刺史が郡太守を率いる
実際の統治は下の者がやって、統治者である上の者はそれらを監督している
だから刺史のようだと言われた 一大率が諸国の統治者なら諸国を検察するとは言わないだろう。 >>825
目がとどかないから検察するのであって
常に統治してるなら検察する必要はないな
中国の刺史も監察官から長官になったとあるが
監察官と長官なんて矛盾してるからな。 古代の漢文読むのに現代日本の漢字の意味で解釈するひとって歴史研究のセンスがないとつくづく思うわ >>825
目がとどかないから検察するのであって
常に統治してるなら検察する必要はないな
中国の刺史も監察官から長官になったとあるが
監察官が同時に長官じゃないですね
監察官=長官は矛盾してる。 >>846
情緒的なこと言ってもな
根拠を示してくれないと。 >>848
情緒的とか言っちゃう時点でアウトだね
歴史学ってのは過去の出来事を研究する学問だよ?
その時点における思想や社会通念を考慮しないで良いと思ってるの?
逆にいえば、当時の思想なり社会通念が現代にも生きていると思ってるの?
よーく考えてみることだよ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています