【神道】土葬と火葬【仏教】
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衛生観念が不足していた明治以前
江戸時代を通じて徳川将軍家を始め
土葬が圧倒的に多かったのはなぜか。 衛生面は大して関係ないだろ。
火葬にかかる燃料費等のコストの問題と、人口増加にともなう墓地用地の切迫の問題が関係するんじゃないか? 火葬に燃料費なんてかからんだろ
巻で十分
土葬のほうが広い墓地が必要だし >>3
薪がただで手に入ると思ってるのか?
それに、人を骨まで焼く薪の量は炊事の一月分ではすまない。 材木が枯渇してきてたから
木造建築も解体移築したり
解体して、寺院とかに転売する手法が取られた。 成人一人の火葬に人ような薪の量は約百貫と言われている。
百貫とは約370kgだから軽トラの荷台に載りきらないくらいの量。
江戸時代の庶民にとってはかなりの負担。 >>4
寛永寺やら増上寺やら維持して
立派な宝篋印塔建てる手間考えるとそんな金が惜しいはずもない
だいたい土葬で豪華な棺に入れ人力で遺体を江戸城から運び
棺が収まる大きさの土を掘り返すのだってタダではない 昔の日本は改葬が正式な葬送だった。
風葬や土葬にして、骨だけにしてコンパクトにし、それを土器などに入れてまた葬送する。これが基本。
平安時代でも風葬が一般的。小野小町のしゃれこうべを見たという話も、風葬途中だったから、誰の骨か分ったわけだ。
野ざらしにして再度葬送する。南洋の風習で、ちょっと前まで沖縄にもあった。本州でも江戸時代の報告例がある。
風葬には手間がかかるから、火葬をすることになった。火葬をした後に、近親者が箸で骨をつまみ容器に入れる。
この風習は改葬の風習の名残。 仏教も本来、獣葬
遺体を獣や鳥獣に喰わせて共生するのが理想 天皇、皇后両陛下が火葬を希望しているという話があったが実現するのかな 限りある木材資源を死体焼きに使いまくってたら、
朝鮮半島みたいなハゲ山だらけになってただろう。
明治の日本人が朝鮮半島のハゲ山だらけが、
大規模洪水を呼び込む結果になったのだと言って朝鮮人知能が低いとバカにしまくってる。
朝鮮人が朝鮮には森に人喰い虎が住んでたから、
全て伐採して虎を根絶したとウソの言い訳をしていたのも鼻で笑ってる。
森林保護しないと治水灌漑農業の破綻を生むのを日本人は知っていた。 >>10
そもそも釈迦時代の仏教では葬儀/埋葬の規定など行っていないんだから、
仏教本来の葬儀/埋葬様式などないよ。 そもそも火葬場と言う施設自体がほとんど無かったのが現実。 >>15
火葬に施設など不要だろ。
貴人であれ庶民であれ野焼きだよ。
墓地に薪を積上げて焼くだけ。 >>15
平安時代の天皇や貴族は火葬だったけど、
庶民も風葬で使う鳥辺野で遺体を焼き、
遺骨を軽く盛り土しただけの墓地に埋めるだけだった イザナギイザナミの話に見られるように、
一次葬文化圏の人間にとっては二次葬で骨を掘り返すのは気持ち悪いものだったろうね >>18
火葬は庶民が行うにはコスト高すぎ
薪だってただじゃないのよ 火葬する必要性なんて、
埋めるべき土地に困り始めて、
コンパクト化しないといけない事情に迫られた結果だろ。
実際、死体なんてカラスや獣に喰われてしまうから、
死体を適切な場所に放置すりゃ腐臭や疫病も防止できるだろうし。 棺桶って何回も使い回すもんなのかな。
信玄とか謙信って桶に入れておいたみたいじゃん。
あれは一般民衆とは違うから?桶の継続使用? >>21
庶民だって料理したり風呂沸かしたりするのに薪は使ってたでしょ
どんだけ日本は薪が不足してて
庶民にはとてもじゃないが手が届かない品物だったと思ってるんだ 煮炊きするのと、火葬するのと必要な薪が同じだと思ってるのか?
量だけでなく、人体を完全に燃やしてしまうような火力出そうと思えば、それ相応の良質な薪がいるしな。 人間の体を燃やすには相当の火力が必要だぞ。
薪くらいの火力じゃまる一日かけても終わらない。
だから火の管理もしないとならないので、
どこでも自由に燃やせるわけでもない。
江戸時代に放火は最も重罪だったのは知ってるだろ?
料理や風呂と一緒にするのは間違い。
それに>>13のようにならないように
森林は管理されていたから、自由に大量に買えるわけでもない。
>>5のようなリサイクルなことは普通にあって、
立派な寺門が実は城からの払下げの移築だったり、
廃城令ののちに解体され豪商が木材を買って移築したりもしてる。 >>24
量の問題だよ。
江戸時代の庶民が煮炊きするのは基本的に朝だけ。
江戸時代の庶民の家には家風呂なんてない。
薪の10本(3kg強)もあれば飯を炊いて味噌汁を作って白湯を沸かせる。
一方、成人1人の火葬に必要な薪量は400kgくらい必要だから
日常生活における薪の必要量からすると、とんでもなく大量の薪が必要になる。 1日3kgなら1年1t、20年で世代交代として20t/2人
400kg×2人分くらいあんまり影響ないんじゃね? >>28
今の価値で100万円以上かかると思うが影響ないのか? >>28
江戸時代は出生率が高く死亡率も高いから、葬式を出す回数は今より多いよ。
それに、4ヶ月分の薪を一時に買うというのは庶民にはつらいよ。
そんな余裕のある生活をしている庶民は少ない。
都市生活の町人などはその日暮らし。(宵越しの金は持たない)
都市生活者以外は、薪などは自分で山から木を切り出して薪割りを
しなきゃいけない。
一挙に4ヶ月分もの薪を作るのは、これまた大変な作業。
労働力的においそれと用意できるものじゃない。 >>31
講を作ってまで火葬に執着する理由がない。 >>33
無尽講も講の一種だが、無尽講での給付者は基本的にくじ引き等の無作為で選ばれるもので、
金が要りようになったから給付されるという性格のものではない。 >>35
1に「江戸時代」を通じてと書いているからそうなるな。 東日本大震災のとき、死体の処理が追いつかないから
当座は土葬にして、7年たったら掘り返してまた仮想にしようと言ったときの
反応は意外だったな
昭和30年代までは、日本では普通に土葬が行われていたのに、
たった40〜50年で火葬でなくては嫌だと皆が言い出すのだからな 4つ足動物を食わない生活様式な上に
野犬まで徘徊するような郊外
狼がいたとは言っても絶対的に少ないし、
村々が生産性アップさせようと努力しても
次々に農作物を喰われまくるし、
現代ですらその対策に頭を痛ませるんだから
獣葬は有効だったろう。
ただ死体は隠蔽するもの、穢れを呼ぶものとも思われるから
人目のない地域に捨てに行く難儀を考えれば、
手っ取り早く土に埋めてしまうのもわかる気がする。
火葬はやっぱりコスト面を考えればありえないな。
そもそもフロイスも生まれたばかりの赤ちゃんを
育てられないと判断すると平気で生きたまま溝に捨てる日本女性の冷酷さに驚いている一方で
仏式葬儀で膨大な金を数ヶ月にわたり払い続けた豪族?がキリスト教の教えを聞いて
仏僧の言うことはなんら供養にならないことを知り、詐欺師だと罵ってたり
寺社経由で葬儀をやると相当な金額を毟り取られるようだし、
庶民の死生観と財力ある豪族の死生観もまったく違うのがわかる。
庶民は生まれた赤子ですら捨てる。
豊かなものは仏僧に超大金を払って供養する。
しかし徳川将軍家からして土葬なのだから、
単純に裕福なものでも土葬によって肉体の保全に呪術的な意味合いがあるのか知れない。 当時の消耗燃料といえば、木材だけだからね
厳格に管理し、庶民の葬儀ごときに使わせないだろう。
尾張藩も厳重な山林管理していたというしな。
森林再生事業のセットでやらんとすぐ尽山と呼ばれる禿山になるから
留山制度というものを作り庶民の伐採を禁止にしていた。
あとは火事の防止だろうね。火葬を勝手にやられちゃ風向きひとつで大延焼になっちまう。
海岸防砂林・水害防備など災害防止のために管理は必要だった。
おそらく平安時代くらいの時は人口数や森林数がまだバランスが合ったのだろう。
しかし武家政権成立や戦乱で木材消費が急速に進んだ結果だろう。 当時は雑木林を切り開いて田畑にするなんてのが普通にあったし薪には困らなかったんじゃね?
江戸でも、麻布狸穴とか青山とか雑司が谷とか西ヶ原とか、当時は皆んな未開墾だったろ そういう雑木林は枝が細くて火力がないんだよ。
手を掛けないとなかなか里山系の樹木は太くならない。 リサイクル社会なんだから土葬で土に帰すのが自然だろ。
わざわざ限りある資源を死んだ人間に消費しない。
金は成仏してもらうための供養法要として仏僧に使うのであって、死体焼く木材代には使わない。
んで、人魂幽霊伝説も土葬文化から生まれた。 >>29
死体を一体燃やすのに100万円かかるという根拠を出してw
薪なんて山で斬り出してくるものであって、買うものじゃないでしょ >>43
山を持っている村と持っていない村があるから一概にこうだったというのは言えないね
山がない村は米や金で買うしかない
江戸時代の物価はいろんな所に出てるけど今の感覚からするとかなり高価だね
山がある村でもそれぞれ地主がいるから勝手に木を切ることはできない
切った生の木がすぐに薪になるわけでもないし
まあ火葬の時は村中で協力して薪を集めるんだろうけど 薪じゃ料理はできても人体を燃やしきるには火力が足らない。
それに利根川の河原の石のひとつですらも
河原の土地所有者に所有権があって、
勝手に漬物石とかの用途で持ち出すのを禁止していたほどなので
勝手に薪のための小さく細い木ですら持ってくるのも無理。 >>43
長屋暮らしの江戸の町人はどこの山に薪を切り出しに行くの?
そもそも自分の所有でもない山から勝手に薪を切り出していいのか?
例えば、江戸の練馬の百姓はどこの山に薪を切り出しに行くんだ? >>13
明治期に六甲山が山頂付近までハゲ山だったことを知らないのかな >>37
おれも意外だった。
おれのばあちゃんとこはつい最近まで土葬だった。いや、今もかもしれん。
おれなら土葬で土に還るのでいいけど。
何故土葬が圧倒的に多かったか?どこの民族も普通に土葬だったからだろ。
手間とお金がかかるからな、火葬は。
都市近郊はハゲ山だったし、木材がありそうな田舎でも、火葬のための木を
切りに行く手間と、穴を掘る手間を比べたら、比較にならないよ。
冬場なら、雪のある地域は恐ろしく大変。穴掘りでも大変だけどね。
戦後に土葬が減ったのは、減ったというより火葬が増えたのは、都市住人が
増えたから。最近は田舎でもほとんどが火葬になってる。
火葬場が装備されたことと、専業農家が減りリーマンが休みをとって穴掘りを
することが難しくなったことだろね。若いの三人くらい仕事を休んでやらんと
あかんからな。棺桶かついで墓地まで行くのも頼まなあかん。
もう復活することはないだろうね。
あと「○○家 先祖代々の墓」ってもの近年になってからだよ。
よく「姑と一緒の墓に入りたくない」って話があるが、昔はそんなことは
しなかった。伝統なんかじゃない。 火葬に合理的理由がないからだろ。
昔は灌漑農業や堀削流路がいまみたいに多くないので、
土葬できる荒地なんていくらでもあった。
わざわざ大量の木材を大金出して、2日近くも火番しながら焼くなんて
バカバカしいことやらんでしょ。
まぁ徳川将軍家すら火葬しないんだから、
土葬になんらかの価値観の優越はあったんだろうけど。
火葬なんて流行り病で死んだやつを殺菌するためでやむなくやったんでしょ。 >>50
天皇や公家が火葬だったのは仏教による。
釈迦が死後火葬されたためにそれを真似してるの。
鎌倉将軍や室町将軍は火葬だったが、徳川将軍が火葬しなかった理由は不明だが、
初代徳川家康が東照大権現という神となり土葬されたことと関係があるかもしれない。
豊臣秀吉も死後、豊国大明神という神になり、遺体は土葬されている。
明治維新後、神仏分離令が出され、皇族は神道とされたことから、
明治以降、現在までの皇族は皆土葬されている。
ただし、現在の日本政府は遺体はすべて火葬するものとし、皇族以外の土葬を禁止している。
(竹富島など、火葬場がない離島のみ、一部土葬が許可されているところがある)
そのため今上陛下は、国民と同様の火葬を希望するという意見を発表している。 鎌倉将軍や室町将軍は火葬ってのは
どの史料に書いてあるの???? >>53
室町時代将軍は戦乱で墓すら不明な者がいるが
源実朝も足利義満も火葬記録あるじゃん 火葬って、要するに昔は金と時間のかかる贅沢な葬式? >>55
今すぐ確認できるものではね。
で、君は何の史料に土葬だと書いてあったの? >>57
いや、俺はどっちだとは言ってないよ。
まー、義満(鹿苑院)は出家してたし、
実朝は斬首された遺体だったからな。
火葬でも不思議じゃないが、その二例をもって鎌倉と室町の将軍家全員を代表させるのはいかがなものかと思うよ。 >>58
横槍ですまんが、自分で調べもしないで食ってかかる姿勢はいただけないな。
そこまで言うなら調べてこいよ、となる。 >>59
調べた上で二例だとしても、それをもって鎌倉殿と室町殿をひとくくりにするのは無理やりすぎ。 >>52
天皇の土葬は江戸時代の後光明天皇の時から復活
尊皇思想のたかまりと関係がある
皇族は戦後に秩父宮が火葬を希望して以後
現在まで火葬が続いてるよ 火葬文化は輸入文化に過ぎないので、主流たり得なかったのだろう そういや戦時中の実話に基づく話で
機銃掃射にあって突然父を亡くした子供が
死亡診断書、火葬証明書、それとリヤカー1杯分の薪が必要って言われて慌てるところがあったな。
書類はなんとか揃えられるけど、薪はどうにもできないって。
話を聞いた同級生たちが、皆で薪をカンパしてくれてなんとか送ることができたらしい。 どうにもできなくなかったって話だね
以前に講の話が出てきてたように記憶してるが >>65
講を作ってまで火葬にこだわる理由がないという話で決着したという記憶がある。
現実に火葬のための講なんてものが存在した記録などないしな。 殯の森がいいよな。
死んだら、殯の森に置いてくる。
舟で黄泉の国へ流すのもいい。
笹の葉さらさら、精霊流しだ。 江戸時代、火葬やってた地方ってあったんかな?
敬虔な仏教徒なんていなかったのかな? 庶民は信仰とはあまり関係ないんじゃないかな。
今風に考えたら、都市のほうがそうなりそうだけど、逆に見れば
燃やす匂いとか煙とかバカにならんから広い場所がいる。
そこまで場所を確保出来るなら、匂いのない土葬でいいじゃんって。 >>62
江戸時代の天皇は公には仏式で火葬
しかし泉涌寺でこっそりと土葬していた
あと、戦後に亡くなった貞明皇后・昭和天皇・香淳皇后は土葬だよ 皇族じゃないけど、福沢諭吉は土葬されて墓の移転か何かで掘り起こしたら死蝋化した状態で出てきたらしい。
ゾーッ!
その後改めて荼毘に付したらしいけど。 人魂って燐光でしょ
土葬の証明じゃん
ってことで糞スレ終了 >>70
儒教朱子学の影響で将軍家が土葬なのかもね。
天皇家は圧倒的に土葬が多いね。
中には火葬場で火葬したフリをする儀式をしてから土葬することもしてたとか。 >>76
火葬するふりって何したんだろうね。着火する真似だけしたとか? >>76
圧倒的に土葬とかアホか。歴代天皇の1/3は火葬だ。 朝日新聞デジタル
ttp://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201205090243.html
124代(2人は2回即位)の天皇のうち、火葬になったのは約3分の1。
狭川真一さん(仏教考古学)は、火葬が盛んになった理由について、
「中世以降については、高野山など各地の有名な寺に自らの遺骨を分けて納骨し、
極楽往生を願った貴族たちの納骨信仰と関連がある」と推測する。「火葬はすぐに骨になるので、分骨には向いていたのでしょう」
「武士の間に儒教思想が浸透したことが大きい」と
立正大名誉教授の坂詰秀一さん(仏教考古学)。儒教では、火葬によって肉親の遺体を傷つけることを大きな罪と考えるからだ。
庶民は古代から近世の終わりに至るまで、一貫して土葬だった。
理由は「火葬は燃料代が余分にかかるから」(坂詰さん)。火葬が増えたのは埋葬地の確保が難しくなった明治以降 >>76 >>79
初代神武天皇〜40代天武天皇まで40人(初期の天皇は実在したか不明だが念のため)…土葬
41代持統天皇〜109代明正天皇まで(ただし後水尾を抜く)68人…火葬
北朝初代光厳天皇〜北朝5代後円融天皇の5人…火葬
110代後光明天皇〜120代仁孝天皇+後水尾の12人…火葬の振りした土葬
121代孝明天皇〜124代昭和天皇までの4人…土葬
土葬(火葬の振りした土葬を含む)…66人
火葬…73人
火葬のほうがやや多い 宮内庁によれば、124代(2人は2回即位)の天皇のうち、火葬になったのは約3分の1。 持統天皇から火葬が始まったけど、その後、後陽成天皇まで全員が火葬だった訳じゃない 平民の粉屋の娘は火葬にして実家の墓にでも入れればいいけど、
天皇の火葬は臣下が玉体を傷つけることになってまずいんじゃ
ないだろうか それは儒教の思想なのでは?
日本は縄文時代は土葬で、楕円形の土坑墓に手足を折り畳んで葬る屈葬が一般的だという話もあるが、
これは初期にさかのぼればさかのぼるほど、この説は有力ではなくて、集落の近くに墓を作ったり、それ
こそ竪穴住居の中に墓を作っている。
そのためには、風葬で遺体を骨だけにして、さらに竪穴住居のなかで祀っている。これは、南洋の風葬と
一緒だな。 洋の東西を問わず、人類は土葬が主流。
甕葬や石棺は、宗教的な儀式。埋葬者は貴人だけだろう。
後世まで残りやすい。永遠の命。それが目的だろう。
土葬にすると地中のバクテリアに分解されて残りにくい。
ただそれだけのことだ。 乳幼児死亡率が整数乃至二桁%で平均寿命が40歳に満たない時代に一々火葬にしてたら燃料消費が酷いだろうっかり焼き場の回りに仕掛が積み上がったら更に大変な事に
肉焼くと熊出て来るかも知れないので危険だし 骨にするとクマは来ないぞ。土葬にした方がクマは食べに来る。 いや熊は肉の焼ける匂いが好きだとか聞いたことがある 何度読み返しても
「焼いてる最中にクマが寄ってくるんじゃね」
と主張しているようにしか読めないのだがw んな短時間にのこのこ人がいるトコに来るかよ。
クマだって人を恐れているんだぞ。 しかも、北海道のヒグマは土葬した人間を食ったら人の味を覚えるから、危険だしな。 だから、実際に火葬している最中に熊が来たって事例あるのか? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています