任那(日本府) 加羅 20
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>>428
>単に半島に訪れて、必要なところだけパクってきた
時系列の問題として
弁韓が鉄の産地で馬韓、辰韓、ワイ狛に倭人も入り合って採っていた。
これは、加羅任那となり百済新羅時代には倭人の勢力下に入っている。
しかし、この半島に渡った倭人は弥生渡来人であるとされる。
里帰りで百済新羅を建国したのか?まあ、白村江まで九州との間に国境は無かった。
弥生渡来人が弥生土器文化を携えて大挙移住してきたという原論に疑問がある。
原論発生が縄文人と弥生人の規範を骨格差で評価、なんてのじゃダメだと思う。
遺伝子についても、相当いい加減であった。 まだ、成果待ちだろ?
日本の縄文期に古代移民が繁栄した地域の遺跡でも有るのか?
土器の出自が渡来人なら、
日本に椅子とテーブル、スプーンとフォークが普及したのに人種的変化が伴うか?
縄文土器文明は人類最古とも言い得る文明で一万五千年続く。
弥生土器への変更はデザイン変更であり土器自体の原料や工作技術に大差はない。
縄文期にも黒曜石翡翠塩皮革布木の実穀物工具土器石器などの市場は存在した。
土器の生産者にデザイン的流行が有った訳で渡来人の人的流入は重要ではない。
銅鐸期や朝廷の進出〜戦国期にも人的拡散は有ったと考えるが
これは時系列で弥生渡来人の流入には含まない。
朝鮮渡来ありきで何が弥生渡来人なのか? 江南も沿海州も一緒。 日本に影響あたえたのは鮮卑族だろ。鮮卑の時代は鮮卑の子分高句麗と倭は全盛期 >>429
そんな間違いだらけの長文書くなよ池沼。
まず弥生人が朝鮮渡来なら、何で弥生時代の幕開けが朝鮮土器から始まらねえんだよカス。
弥生時代の幕開けの土器は、同期する沿海州南部の土器文化と文様が一致する土器から始まるんだ。
それも九州北部に最初に現れたんじゃなく、山陰あたりに現れるんだ。
弥生人は朝鮮経由なんかせず、沿海州南岸からダイレクトに山陰あたりに渡来している。
つまり、弥生人は朝鮮半島とは何の関係もない北方アジア人。
山陰から九州北部にかけて出土した数千体もの渡来系人骨は彼らの子孫の亡骸だ。
それまでの縄文人骨とは全く違う頭蓋を持った全くの異人種の人骨。
彼らが拡散して、朝鮮南部から水田稲作をパクってきただけ。
だから最古水田菜畑の弥生人たちは朝鮮土器を全く作っていない。
朝鮮無文土器の壺が一基出土しただけ。
彼らが朝鮮渡来に見えるか?
弥生人は朝鮮とは何も関係ない。
はるか北方から渡来したインベーダー。 >>425
頭がおかえちょんは、われじゃがのう。三上次男氏の云われる倭は北東アジアの
水辺民は、>>423の中国「後漢書」でも明かじゃし、中国史書は、列島の倭に
ついても、九州北部じゃ農耕も多かったのに、漁撈民であることを強調して記述
しとるし。
ポリツェ土器は、直接たぁ考えられんが弥生土器との類似が強いが、シニ・ガイ土器と
やらを提示し、弥生土器との類似点云うてみんさいや(笑)。
角杯は、埴輪の北方胡族の筒袖や、北方胡族袴とセットに成っとるし、角杯を
背負う埴輪は日常を描いとるもんじゃがのう。
>>426
現在日本人は山陰よりも瀬戸内沿岸部の方が北方渡来形質が強いし、弥生期の山陰の
北方渡来形質が、弥生期縄文形質が圧倒的多数と逆転するわけあるまあ。
古墳期に渡来系が圧倒的に増えたこたぁ、埴原和郎氏も指摘されとるこたぁ、
云うたはずじゃがのう。世界的民族移動期は普遍じゃし、日本だけ例外云う
ガラパゴスは通用せんよ。 >>428
倭なら朝鮮半島沿岸水辺民も倭じゃがのう。倭が列島限定云うトンデモを肯定する
史料があって、>>423の鮮卑に拉致された倭集団が倭人じゃ無ぁ云う文献的根拠が
あるんなら云うてみんさいや(笑)。
>>429
倭人勢力下云うて、伽耶の北方木槨墓人による倭勢力云うことか?
列島の倭に軍事遺跡なんか無ぁし、伽耶は軍事遺跡残した北方木槨墓人が以前の
支配者の墓を破壊しとることから明かじゃが。
テーブルとかフォークたぁ、中国史書じゃ列島の倭は、生口奴隷献上の憐れな属国
じゃが、その事大した宗主国様の広袖たぁ古墳期は野蛮な北方民族の筒袖愛好じゃの
矛盾しとろうが。北方民族が世界南下征服が日本列島まで及んだんは明かなことよ。
>>430
鮮卑慕容部の考古学的文化要素が強いんは、東漢氏のものとされる
新沢千塚古墳じゃし、蘇我氏は高句麗式のピラミット古墳式で飛鳥も渡来支配層の
手中にあったけんのう。
>>431
朝鮮半島から島伝いじゃなぁと、地乗り航海は出来んよ。 >>432
で、古墳期に騎馬民族が渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たるモンゴル系生活土器や満州系生活土器は?
. >>434
土器なんか交流品じゃし、モンゴル土器すら漢文化の影響じゃけぇのう。
>>435
九州からも蒙古鉢型兜は出土しとるし、加羅伽耶の北方木槨墓の軍事集団系が九州も
支配下へ入れ、列島への移住も多かったわけで、継体王朝に繋がる
北陸の角冠や角杯も加羅伽耶文化よのう。
蘇我氏の墓とされるピラミッド型方墳は高句麗系じゃが。 >>436
交流で搬入されたものは搬入土器だと分かるし、搬入土器からコピー土器が
作られる事も少なくないが、渡来定着すればオリジナルの生活土器が確実に
伝わるはずだろ。
で、古墳期に騎馬民族が渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たるモンゴル系生活土器や満州系生活土器は?
. 任那諸国の中の金官国(現在の慶尚南道金海市)は倭国の「飛び地」だったのかどうか? >>438
倭人伝や韓伝では、中国は韓に100国九州北部に30国を認識している。
この地域の300年以前の事なら国家の国体国境が無いので飛び地というのはおかしい。
韓伝でも邪馬台国が所有というより半島南部は地域地域に移民が勝手に住んでる様子。
ただし出雲隠岐系倭人が独自に半島東部にも進出していたはずなので
300年以降なら任那四県割譲の500年まで大和朝廷の前身として支配地としていた。
弁韓の鉄採集入会地を軍事国家的に分捕って任那に徴税官吏を配したと考える。 半島南部に弥生土器遺構がほとんどないだろ。
だから、交流や交易で一時的にステイしているだけの倭人を描写しているだけだと思うがな。 >>437
古墳期の朝鮮半島系須恵器のように直接渡来者が多かった場合はのう。
定着ローカル化は後の世代に成るわけじゃし。
>>438
金官伽耶は、沿岸に近い倭地域云うだけで支配層は北方木槨軍事集団で後に消える処、
日本列島へ移住した可能性が強いけどのう。
>>439
当時の小国なんか、村落の単位のことじゃけぇ国家の国じゃ無ぁよ。
大和朝廷じゃの中国史書にも出とらんのに、大嘘こいてもつまらんど。
>>440
土器じゃのうて、墓制度は伽耶と九州北部は甕棺の同一文化圏じゃったし、
半島西南部の支石墓は、九州西部と同一文化圏ゆえ、北方民族が伽耶支配した時点で
日本列島も餌食に成ったも同然じゃったんよ。 4C後半に日本に須恵器=朝鮮陶質土器が登場してくるが、その系統は新羅系土器だという。
同期する朝鮮帰化人は秦氏しかいないのだが、記紀には弓月君が百済から募って
帰化したような感じで書かれているが、遺された土器から見れば、
秦氏の実際の内訳は新羅人が大部分だった事実が見えてくる。 >>441
支石墓も甕棺墓も朝鮮南部から導入した墓制だが、それらを導入した弥生人は
朝鮮土器をほとんど作っていない。
朝鮮土器を作らないのに、朝鮮土器から壺や高坏という器種だけを盗み取って
自分たちの土器に取り入れるという行動に出ている。
彼らが半島人なら、わざわざご丁寧に器種だけを盗み取るという、そんな奇怪な行動に
出ず、正々堂々と朝鮮土器の壺や高坏を作ればイイんですよ。
なぜ彼らがそんな行動をしたのか?
言わずもがな、彼らが半島人じゃないからですよ。
半島人じゃないから、朝鮮土器を作らず、朝鮮土器の器種だけ盗み取っただけなんですよ。
そこから見ても、結局、支石墓にしろ、甕棺墓にしろ、弥生人たちが半島から
パクっただけの話なんですよ。
彼ら弥生人の正体は弥生開始土器を見れば、その文様に沿海州南西部だと
ちゃんと書いてありますよ。
では、古墳期に騎馬民族が渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たるモンゴル系生活土器や満州系生活土器は?
. 騎馬民族説とかまだ信じてる人いるんだ
東アジアの遊牧民のYハプロはC2、N、Qがほとんどを占めているのに
現代の日本人にこのハプロがほとんどいない時点で無理あり過ぎ
墳墓だとか土器だとか言語で祖先を類推するとか遺伝子鑑定がなかった前時代の遺物でしょ >>444
Yが今の解釈になれたのは、ほとんど土器の力のお陰だろ。
むかしのY単独の解釈なんて、考古学の基礎がある人間からしたら、馬鹿馬鹿しくて
見てられないヒドいもの。 白馬青牛ってそうとうなジジイなんだろうけど戦前の人みたいな考え方してるな
え〜古来、アーリヤ族は発明と独立精神に満ちた種族でして、一方、漢族は保守的継続的精神に満ちた種族であります
この二種族とアミニズム精神を持つ古代日本先住民との合いの子が大和民族でありまして、われらはこの三者の特質を併せ持っておるのです
とか優生学めいた話を名のある大学教授が講演で大真面目に語っていたころの人みたい >>445
はあ?
例えば今のエストニア人やフィンランド人は父系をたどると6割が遼河文明の末裔で
カザフ人の6割が母系をたどるとイラン系のハプロなんだが土器でそんなことわかるの?
土器なんざ交易でも入って来るし模倣もありうるんだから、そっから先祖たどろうなんて無理無理 >>447
そんな、移住の形跡が残らないくらいロングタームのものを比較に挙げても、無駄 カザフ族とかせいぜい500年前に構成された民族だが >>447
確かに土器にも限界があるよ。
だけど、その集団の故郷をピンポイントで撃ち抜くのに、
この世で一番精度が出せるのはやっぱり生活土器なんだわ。
Yは石器や土器など、考古学的生活文物と整合して、
ようやくまともな解釈になってるのばかり。 櫛目文土器のルーツがシベリア西部あたりにあって、それが遼河文明や
それと同期するウラル地方の文明に広がり、それから北欧まで伝わったように
思うがな。 >>443
日本列島云うか九州島へ移住したら、生活様式が現地化するわけで、おどれも
墓制認めとるのう。供養する子孫は先祖の墓制が生活土器たぁ受け継がれる
わけじゃが(笑)。
>>444
ジャンク遺伝子のY染色体のみの単一遺伝標識むじゃ話にならんよ。
しかも遊牧民たるチベットは、O系やD系も多いいけど、形質人類学的に
日本の縄文系D系統エラの張った容貌は、D系の高顔、狭顔の北方新モンゴロイドの
チベット羌系にゃ少ないゆえ、ABO血液型同様人種と関わり無ぁし、Y染色体自体も、
ベルベル人にゃ被支配層の黒人遺伝子が多いいことからも、ほんまに父系遺伝子か
どうかも歴史学から逸脱しとる問題もあるけぇのう。 >>445
>>444 の単一遺伝標識に過ぎんY染色体は、知識のあるもんからしたら馬鹿らしい。
http://ime.nu/ime.nu/www2.cc22.ne.jp/hiro_ko/9-0roots.html
【試行私考 日本人解剖】第3章 ルーツ 座談会(3)遺伝子は語る
[海部 実は、縄文人のmtDNAが多様だから顔立ちや体格も多様であったと
言えるわけではない。系統解析に用いているmtDNAやY染色体DNAと、
顔立ちを決める遺伝子は別だ。mtDNAやY染色体はあくまでもヒトゲノム
(遺伝子セット)のごく一部で、系統解析に利用し易いから使っているにすぎず、
これらから個人の遺伝的特徴が全部わかるわけではない。遺伝子のデータの解釈は、
一般に思われているほど簡単でない。
尾本 旧文部省の特定研究「日本人および日本文化の起源に関する学際的研究」
(平成9〜12年度)プロジェクトでは、人類学、考古学、地質学、生物学など
さまざまな分野の人たちと共同研究をした。私は現代の世界26民族集団について、
今では古典的遺伝標識と呼ばれる遺伝マーカーを用いて系統関係を図示し、その中で
アイヌ、本土日本人、琉球人の位置づけをした。図は血液タンパク型およびいわゆる
血液型の20種類のマーカーの対立遺伝子頻度を用いたもの。多数のマーカーを
使うことによってサンプリングエラーの影響を除外できる。
現在ではDNAそのものを調べることが容易になり、非常に多くの情報をもたらし
てはくれるが、やはり1種類のデータのみで集団の由来を考えるのは慎重でありたい。
小規模集団では遺伝子がある世代でがらりと変わる 「遺伝的浮動」が起きる可能性が
大きいので、細かく断定するのは危険。考古学なども含め他の研究との相互検証が
必要だろう。] >>4455
ほいから、尾本恵市氏の多数の遺伝子型からの考察。
http://yamatai.cside.com/katudou/image/bunnkizu.png
本土日本人は、朝鮮人やチベット人に最も近いし、容貌も
本土日本人と朝鮮人とチベット人はお互い似とる結果に極めて近い。
まあ、単一遺伝標識でも、複雑な系統なHLAは、かなり形質容貌と一致しとる。
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/63/5968fb28f122fcfb8e402079dd9b649d.jpg
「日本人の場合、最も遺伝的に近いのは朝鮮半島の人々。次にチベット人、
マンチュー(南ツングース満州族)、北部漢族、回族。
尾本氏の調査。
https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-02041024/
エヴェンキとオロチョンの身体的特徴としては平坦な丸顔、細い眼、貧毛などの
寒冷適応形態をあげることができる。われわれは、さらに、黒竜江省との境界に
近いモリダワ地区にてダウ-ル族の民族学的調査を行った。ダウ-ル族はエヴェンキや
オロチョンと異なり、それほど頬骨が張っていず、かなり系統の異なる集団であるとの
印象を受けた。…比較したのは中国の少数民族6集団および日本の3集団(アイヌ、
和人、沖縄人)である。日本人(和人)に最も近縁なのは朝鮮人であり、ついでダウ-ル族
およびモンゴル族がこれに続く。このことは、日本人(和人)の形成に際し朝鮮からの
渡来人の影響が大であったことを物語る。エヴェンキとオロチョンとはひとつの
クラスタ-を形成するので、互いに近い系統関係にあると考えられる。しかし、両集団
共日本の3集団とはかなり遠い系統関係にあることが明らかとなった。 >>446
大正期は日本人が南ツングースに属するこたぁ、当たり前じゃったし。
>>449
カザフ人もエヴェンキ人も集団構成の歴史は近世レベルじゃに、ネトウヨらは、
エヴェンキ族が朝鮮人に成ったとか妄想しよんよ。>>454の多数マーカー遺伝子じゃ、
朝鮮人とエヴェンキ人は遠い間柄じゃに。
まあ、エヴェンキ人の方が狩猟生活様式から農耕化した朝鮮人や日本人のような
嘘こきは、少ないわけじゃし。 >>450
出来ないよ
お前の理屈で言えば高麗磁器が中国や日本に大量輸出された高麗時代には朝鮮人の大民族移動があったことになるよね
>>452
ジャンク遺伝子って何?形質人類学とか前時代の遺物本気で信じてるの?
ベルベル人はミトコンドリアハプロは9割方ケルト系なんだけど見た目の特徴でそんなことわかるんかい?
>ベルベル人にゃ被支配層の黒人遺伝子が多いいことからも、ほんまに父系遺伝子か
黒人=支配層とかレイシズム丸出し
まじでお前の頭の中は戦前レベルで止まってるんだな
黒人は常にだれかに支配されていたとでも思ってるんかい
>>453
>単一遺伝標識に過ぎんY染色体は、知識のあるもんからしたら馬鹿らしい。
そんなこと言ってるのはおまえだけ
海部は遺伝子から身体的な特徴を推定するのは困難と至極当たり前のことを言ってる
裏を返すと身体的特徴から遺伝的な系統をたどるってのも不可能ってこと
尾本もサンプル数が少ないと偏りがでる、少人数の集団ではボルトネック効果の影響が出やすい、考古学も併用して考察する必要がある
と常識的は話をしてるだけでハプロデーターは全然使えませんなんて書いてないし、むしろその逆のことを言ってる
>>454
お前ちゃんと読んでる?日本人とツングース系は系統的には似てないって書いてあるよね
>エヴェンキとオロチョンとはひとつのクラスタ-を形成するので、互いに近い系統関係にあると考えられる。しかし、両集団共日本の3集団とはかなり遠い系統関係にあることが明らかとなった。 HLAとか白血球の型だし、それで形質が決まるとか正気でいってるのかこのジジイは
お前はミクロ生物か何かか?
しかも、これハプロツリーじゃん
http://jump.5ch.net/?http://yamatai.cside.com/katudou/image/bunnkizu.png >>452
稲作を朝鮮から伝えた連中も、支石墓を朝鮮から伝えた連中も、
甕棺墓を朝鮮から伝えた連中も、いずれも朝鮮土器を作っていない。
いずれも弥生人自身が朝鮮からパクってきただけだからだ。
突出した口縁部に刻みが施される沿海州南西部のある時代の土器文化と
同じ土器文化の弥生人自身がな。 >>456
中卒だろおまえ。
搬入土器は搬入土器と分かるし、搬入土器からのコピー土器もだいたい分かる
と書いてあるのが見えないか?
その移動集団がメインで作っていた生活土器しか使わんのだカス。
マダガスカル人の祖先がボルネオあたりから渡来定着した事が判った事も、
ポリネシア人の祖先が台湾あたりから渡来定着した事が判った事も、
ぜーんぶぜんぶ、土器の力。
ゴミカスYではありませんよ。 >>459
> ポリネシア人の祖先が台湾あたりから渡来定着した
台湾および華南だなあ。華南のどこかまではわからないようだが。 あやしい本ではあるが東日流外三郡誌には
「神武天皇は本名サヌで、南方から稲穂を持ってやってきた」
と書いてあるが、
台湾からやってきたといえばツジツマは合うかも。
そういえば神武天皇の側近が顔にまで入れ墨をしていたと古事記に書いてあるなあ。 >>460
江南から華南、および台湾あたりが候補で、台湾が最有力らしい。
これはポリネシア人の祖先のラピタ人が遺したラピタ土器の特徴が印文土器と
一致しているため。
フィリピンを経由しているから、地理的にフィリピンに一番行きやすい点も
台湾は最有力。 >>461
で、台湾から渡来定着したことを証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる台湾系土器と中国系農具と、当時の台湾の中粒種のイネは?
. >>459
>搬入土器は搬入土器と分かるし、搬入土器からのコピー土器もだいたい分かる
>と書いてあるのが見えないか?
例えの話をしたまで、そんなことは言ってないんだが
新しい様式の土器をもった集団が現れたとして、技術者の渡来があったのか、それとも民族移動レベルのことがあったのかはわからない
>マダガスカル人の祖先がボルネオあたりから渡来定着した事が判った事も、
>ポリネシア人の祖先が台湾あたりから渡来定着した事が判った事も、
>ぜーんぶぜんぶ、土器の力。
ぜーぶんぜんぶ遺伝子鑑定の力だよ
まぁこれよめ
前者はマダガスカル人の故地を決定づけたMatthew E. Hurlesらの発表論文だが、一体お前の言う土器の話がどこに出てくるの?
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC1199379/
https://www.jstage.jst.go.jp/article/asj/116/2/116_2_154/_pdf
>ゴミカスYではありませんよ。
やたらYハプロに脊髄反射してるようだがミトコンドリアやHALの形からもいくらでも割り出せる
移動した時期を人骨と一緒に副葬された土器などから推定することはあるが、土器だけで民族の移動ルートを割り出そうなんて前時代的な手法をとってる人類学者は今時いません 紀元前15世紀に侵入したインド・アーリヤ人は故郷であるアンドロノヴォ文化由来の土器ではなく、先住インダス文明の人々とまったく同じ土器を使った。
また牛といった家畜までインド在来種のものを使用した。
そのためヒンドゥー民族主義者を中心にアーリヤ・トラヴィタ同祖説まで浮上したが、現在ではインドアーリヤ人のほとんどはやはりイラン系遊牧民だとわかっている。
単純に先住民から家畜と職工をだけを奪って皆殺しにしたからそうなっただけという話。 >>464
ナショナルジオグラフィック。
土器で決定づけられたものを後から遺伝子屋がなぞっただけw 原マダガスカル人とマアニャン人、台湾先住民とオーストロネシア語族を同系だと推定したのは言語学者なんだが。
土器がどうこうとか言ってる奴はじめてみた。 つうかポリネシア系も混血でほとんどオーストラロイド化しててラピタ人とはあまり関係なくなってるんだけどね。
サモアやマオリはサウル大陸からきた集団の末裔がほとんどでむしろパプアニューギニア先住民に近い。 >>465
騎馬民族征服説と同じ論理で全くの眉唾。
征服したなら征服集団の生活土器が一瞬でも伝わるはず。 古代渡来人〜帰化人のほうが上位だと書いてない?
あまり捏造はしないほうが良いぞ 朝鮮半島の日本に在るより古いとされる水田跡が写真見たら浅田だったのにはハゲワロでした当にオーパーツ 縄文人も弥生人も一波ずつしか来て居ないと考える方が寧ろ不自然であり
弥生式土器をもたらした人達は目立つ処では土器しかもたらして居ないと思いますよ >>456
気候変動以外に、昔の人間は移動せんよ。4世紀からの世界的北方民族の移動期と
9世紀の温暖期一部の南下で北方民族の大量南下は無あよ。16世紀の寒冷期はもっと
南の地域の南下で中国南方人の台湾、東南アジアへの華僑化や、西欧人の新大陸移住に
成るけどのう。
形質人類学は現在でも学問じゃし、ジャンクY染色体たぁ正確な分類が出来るよ。
そそもそもケルト系はゲール語やブリトン語の言語集団で遺伝子や人種の概念じゃ
無ぁし。ベルベル人は、北アフリカのハム語派の大多数コーカソイドゆえ、昔は
ホワイト・アフリカ云われとったし、ケルト人に地中海人種のイベリア系遺伝子が
入っとるとしても、ケルト系はステレオタイプの赤毛緑眼の非イベリア特徴も
あるわけで、9割似るじゃのあり得んよ。
歴史時代、ネグロイドが直接北上して王朝じゃの無ぁし、イスラム世界で黒人奴隷兵の
ザンジュの反乱で一時的にザンジュ王国が出来たが、アッバース朝軍が本格的に
攻撃してすぐに滅んだよ。まあ、農業の起源はアフリカじゃけぇ、人類が農業始めた
頃はネグロイドのアフリカが一番発達しとったじゃろう。歴史時代ネグロイドが
支配層に成らんかったことが、どうレイシズムに結びつくんか?
身体特徴は近隣の民族に似るけぇ人種的にゃ近いこたぁ事実じゃし、われの思いつき
トンデモ解釈論は辻褄が合わんわ。
エヴェンキやオロチョンの北ツングースが日本人に人種的に近いわけあるまあ。
日本への渡来は、満洲族に代表される南ツングースじゃと以前から云うとろうが。 >>457
HLAは、DNAの一元説と違い多元説の違いじゃが、DNAよりかは、形質人類学と
類似整合性がとれるけど、HLAじゃ新旧モンゴロイドの区別がつかん欠点もあるよ。
以前はGm遺伝子が流行りよったけど。
松本秀雄氏のGm遺伝子について『日本人の新起源』の総合対論から。
尾本恵一氏「免疫ブログリンという一種類の遺伝標識でもって日本人の起源を
言うのは、昔、血液型で古畑先生が、やはり日本人の血液型を調べると
東ヨーロッパへ行ってしまうという話で困ったことがおありになるのです。
やはり一種類の遺伝標識だけでは問題がある。起源をずばり一言で
言うのは気をつけたほうがいいのではないかと思っております」
埴原和郎「私も形態学の立場から尾本さんと同じように考えています。
形態学的に言いますと、日本人の中にブリアート的な顔をもつ人はあまり
いないのです。それから、遺伝子も昨日尾本さんが言われたように、
いろんな標識によって少しずつ分布の仕方が違うわけです。
標識遺伝子など一つだけたどると、ブリアートの遺伝子だけ変わらないという
証明は何もないのです。日本人の遺伝子も変化し、ブリアートの遺伝子も変化する
のであれば、系統関係はわからないということになります。そのために尾本さんは、
たくさんの遺伝子を検査して説を立てておられるわけで、松本先生のお仕事は非常に
立派ではありますが、それだけをもって日本人の起源とか、系統関係を論ずると
いうのはかなり勇敢だなという感じがいたしました。」と。
まあ、考古学板のYカルト信者らにしても、一種類の遺伝標識だけで
妄想し、多面的複合的考察する視点が全く無ぁけぇ愚かななもんじゃ。 この人相変わらず文意が散漫で何が言いたいのかくみ取りづらいのだけど
今時頭示数とか歯や髪の形状を大真面目に語ってるやつとか本気でいると信じてるのかね。
>ベルベル人は、北アフリカのハム語派の大多数コーカソイドゆえ、昔は ホワイト・アフリカ云われとったし、
ベルベル人のYハプロの9割はニグロイドのE1b1bです
逆にチャド族はケルト系R1bがその先祖とされているのだが見た目でわかるか?どう見ても黒人だぞ
>ケルト人に地中海人種のイベリア系遺伝子が 入っとるとしても、ケルト系はステレオタイプの赤毛緑眼の非イベリア特徴も
>あるわけで、
そうよくわかってるじゃん
つまり見た目なんかだ先祖探り何てできませんってこと
>歴史時代、ネグロイドが直接北上して王朝じゃの無ぁし、イスラム世界で黒人奴隷兵の
>ザンジュの反乱で一時的にザンジュ王国が出来たが、アッバース朝軍が本格的に攻撃してすぐに滅んだよ。
爺さんブラックファラオも知らないの?エジプト第25王朝は何人が作ったと思ってるの?
黒人は被支配層、黒人が繁栄してたのは農業が始まった時ぐらいって相当な差別意識だと思うんだけど、その自覚がないとかあんたの人権意識って相当やばいよ旧日本兵レベル
>身体特徴は近隣の民族に似るけぇ人種的にゃ近いこたぁ事実じゃし、われの思いつき
>トンデモ解釈論は辻褄が合わんわ。
その発想がトンデモじゃね?タジク人とキルギス人はずっと隣り合って暮らしたけど全然似てませんけど
>エヴェンキやオロチョンの北ツングースが日本人に人種的に近いわけあるまあ。
>日本への渡来は、満洲族に代表される南ツングースじゃと以前から云うとろうが。
海蘭察って知ってます?満州族はソロン族出身も多いのに満州族に似ててエヴェンキには似てないとかありえないですけど >>457
>HLAは、DNAの一元説と違い多元説の違いじゃが、DNAよりかは、形質人類学と
>類似整合性がとれるけど、
取れません
HLAと身体的特徴の遺伝には何の関係もありません
言ってるのはあなただけです
真面な学者で言ってる人はいません
いるのなら出してください
>まあ、考古学板のYカルト信者らにしても、一種類の遺伝標識だけで
>妄想し、多面的複合的考察する視点が全く無ぁけぇ愚かななもんじゃ。
Yハプロだけやたらと脊髄反射起こしてるけど父親に何かコンプレックスでもあるんですか?
土器()だとか形質()だとかに頼るよりよっぽど正確ですよ
形質は優勢劣勢で同じ民族間でも絶えず変化するけどハプロ遺伝子は未来永劫かわりませんからね △の陰謀スレ参照
「ほとんど逆だろ」
「むしろ逆だろ」
「100%逆だろ」
このような事を言っている人もいた >>458
生活用具の土器なんか現地の物を取り入れるし、現地化するが、墓制は、なかなか
変化せんよ。
>>461
偽書の「東日流外三郡誌」たぁカルトかいのう。まあ、首相の安倍ちゃんパパの
安倍晋太郎さんじゃあるまあし。
[青森県五所川原の石搭山荒覇吐(あらはばき)神社に始祖である宗任が眠っている
らしいことを調べ上げたという。元家政婦からの報告を聞いた晋太郎は昭和62年
(1987年)7月末、出馬表明した総裁選の全国遊説の折、妻洋子と晋三夫妻を伴い
同神社に出向き、参拝した。…
この石搭山荒覇吐神社は偽書『東日流外三郡誌』に基づいて、同書の「発見者」・
和田喜八郎が昭和55年(1980年)に創建した神社であり、同社所蔵の安倍頼時の
遺骨と称する物は後に鑑定の結果、クジラの骨の化石と判明した。](笑)。
まあ、山口県の安倍姓は、九州からじゃが、九州土着か、朝鮮からの流れもん
じゃろう。しかも胡散臭い神社を信じる安倍一家も可笑しい。
ほいから、われも神武天皇じゃの架空の人物とか、台湾からとかトンデモ過ぎよう
で(笑)。 こんな戦前の遺物みたいな考え方してる人間がいるとか感慨深いとおりこして恐怖だな。 >>470
平安期でも渡来系名乗った氏族も家伝残す貴族階級じゃし、帰化したら源平藤や、
以前なら天皇系か出雲系とかにすりゃあええわけで。
>>472
水田も朝鮮の方が古いんは当たり前のことじゃが。 >>476
歯の形状の形質人類学じゃし。
http://45274515.at.webry.info/theme/a1b829c3b1.html
http://45274515.at.webry.info/theme/15f919dcd4.html
「実は日本人や中国人をはじめとする東北アジアの人々の特徴です。東南アジアの人々
ではくぼみの程度がもう少し弱く、ヨーロッパ人などではもっと程度が低くなり、
くぼみが全くない人もたくさんいます。
東北アジアの人々はもともとはアジアの南から来ましたが、北方での気候や
狩猟生活に適応して、体が大きくなり、歯も発達しました。辺縁隆線の発達は
動物の肉や硬い果実を食べるための力学的適応と考えられています。」
ほいで、チャド人はベルベル人じゃ無ぁし、ヌビア人は一時エジプト支配も、
エジプト人自体がコーカソイドとネグロイドの混合じゃし、エジプトとヌビア
同一文化圏云うほど近かったけぇ内部権力争奪なんで。
トルコ系キルギスはカザフから分かれたんじゃし、イラン系のタジクたぁ違うが、
トルコ系でもイラン文化色の強いオアシスの民のウズベクはタジクに近いし、
ウズベク人は風俗習慣の近いタジク族との婚姻も多いい。
ソロン部は、後に作られたし、>>454の日本人にも近い、モンゴル系ダウールも
ソロンに構成させられたんで。
われみたぁに、一知半解で云うてもつまらんよ。 >>477
より人類学の知見に近いか云うたら、DNAたぁHLAじゃ云うたんで。
父親コンプは無ぁが、母系ほど証明は出来んけどのう。何でわれ父系に拘るんか。
親戚同士で婚姻が何代も続いたら、不倫で他の種がはいっても、特徴は薄まるよ。
世界の(日本も)王室、貴族なんか不倫社会じゃけぇ、父系は誰の種か分からんわけ
じゃし。Y遺伝子が変化せん証明は出来んけど。われはタイムマシーンで過去へ
行ける云うとるようなもんじゃなぁか。 いや拘ってないけどちゃんと人のレス読んでる?
爺さん人の話を聞くのが苦手なタイプだろ
いくらあなたのお母さんがお隣さんと不倫して不義の子を作っても日本人全体のハプロ系統は何の変化もありません
それと同様に上流階級がいくら不倫に励んだところで同じ集団間で行われている話なので征服や民族移動と違って変化はおこりません
>Y遺伝子が変化せん証明は出来んけど。われはタイムマシーンで過去へ
>行ける云うとるようなもんじゃなぁか。
だったら変化するという証明をまずしましょうね
悪魔の証明って知ってますか?ないということは証明できないから証明責任はあると主張する側が負うのですよ HLAのこともろくすっぽ知らないようなので一ついいことを教えてあげようか
日本人でもっともHLAの均一性が高いと言われている
これはどういうことかというと考えたくない話だが縄文人も弥生人もその母集団は数が少なく
少数の家族間で近親交配を繰り返してできたのが日本人ということになる 日本人でもっともHLAの均一性が高いと言われている→日本人は世界でもっともHLAの均一性が高い集団と言われている Yで弥生人は江南とか、2兆%ありえない詐欺を働く台湾ベトナミックブタ広鼻チーノが
いるから遺伝学全体が胡散臭くなった。 O1b2のこと言ってるのかな?
かつては江南あたりにいたことは間違いないながな
つっても新石器時代ぐらいの話だが おっ?突っ込み忘れたレスがあるな
>ほいで、チャド人はベルベル人じゃ無ぁし、
そんなこと言ってないんだが
形質人類学とやらでチャドの先祖がR1bって分かるのかと言ってるの
>エジプト人自体がコーカソイドとネグロイドの混合じゃし、エジプトとヌビア
>同一文化圏云うほど近かったけぇ内部権力争奪なんで。
全然近くないし壁画でもヌビア人は真っ黒チリチリに明確に異民族として描かれてますけどね
つうかあんたそれ全然反論になってないだろ黒人は被支配人種じゃなかったのか?
>トルコ系キルギスはカザフから分かれたんじゃし、イラン系のタジクたぁ違うが、
キルギス人のYハプロはC系統が過半数を占めるカザフ人と違ってイラン系のR1a系が主流なんですけど
>トルコ系でもイラン文化色の強いオアシスの民のウズベクはタジクに近いし、
ウズベクってのは本来は中央アジアの遊牧民のことを指してるんですけど
オアシスの民のウズベクとか意味不明
だから遊牧民でないウズベクなんて本来はいないんだが
サマルカンドやブハラなどの「ウズベク人」はソ連時代の民族境界画定作業が言語を基準に行われたためにウズベクに編入された
サルト人の末裔
>ソロン部は、後に作られたし、>>454の日本人にも近い、モンゴル系ダウールも
>ソロンに構成させられたんで。
エヴェンキ人は清の八旗に編入されなかったソロン人なんですけど
ソロン人に似ててエヴェンキには似てないとか意味不明
どうせ索倫汗国も知らないんだろ
>われみたぁに、一知半解で云うてもつまらんよ。
それはお前だろ
なんかググって出てきた知識をつまみ食いしてるだけっぽいし
一度、山川の「世界各国史」でも読んで基礎でもつければ?お前みたいなペーペーを前提にしてるから読みやすいぞ >>488
実際は内モンゴル〜華北西部あたりだろ。
O1がO1b1とO1b2が分かれたの。 ハプロO1b2とO1b1が分岐したのは約3万年前とされているのだが
まだその当時のオルドス地方や華北はNやC2が割拠していてO1b2が進出してきたのはシニ・ガイ文化の頃のはず みなさん、あけましておめでとう。
>>484
人様の母親を不倫じゃの、わりゃ人間性に問題があるのう。わしん親父は死ぬまで
愛人がおったが、愛人とも子供は作っとらなんだよ。
まあ、王族、貴族の不倫は同一階層集団内たぁ限らんけどのう。戦前から書生や
運転手から役者買いもあったし、まあ、異なる階層の子が出来ても、何代も経たら
薄うなるけんのう。
タイムマシーンで過去へ行くしか証明は出来んのに言葉遊びしよんか。しかも一元論で
アフリカに遡れる理論じゃったDNA旧人の混入認めだしたし、そがぁな解釈論は時代で
変るわいや。
>>485
日本人でもっとも均一性が高い云うんは西洋人と比べてか、アジアのどの集団と
比べたらそうなったんか、われの断定基準たぁ何なら?
ほいから、縄文人、弥生人云うんも弥生期に渡来系を古うしたい科博の造語じゃろう。
古墳期に渡来系大量移住の埴原和郎氏は、「渡来系」云う表現を使われたよ。
>>489
ベルベル人たぁ北アフリカの西部の民族じゃし、チャドたぁ違うし遺伝子たあ人種が
だいぶ違うけぇのう。遺伝子だけなら、例えばA型の日本人は、B型の日本人たぁA型の
ドイツ人に近いんかか? 違おうが。人種たぁ長い年月同じ環境で暮らした歴史が形質に
表れるわけじゃし、>>482の歯の特徴もそういうことで。遺伝子が同一ても長期年月で
近い形質しとらんもんは同一集団や同じ人種じゃ無ぁわけじゃし。
こがぁな基本的なことを、わりゃ避けて遺伝子カルトに成りよんで。 >>489
ほいで、ヌビア人はエジプト(ナイル)文化圏で。
ウズベクは、ウズベク・ハーンからじゃが、カザフはウズベクから分かれた集団で
カザフたぁ部族から離れた自由の者の意味で、カザフから分かれたんがキルギスで
元来は皆ステップ草原民よ。ウズベクがチムール帝国滅ぼし、南下定住した
グループがウズベクを名乗り、周りのオアシス民を吸収して行ったんで。
わりや、オアシス都市定住したらウズベクじゃ無ぁとか、吸収されウズベク人に
成った定住民もウズベク人じゃ無ぁとか、わや云うとるのう。
カサフとキルギスの容貌じゃよりモンゴロイド要素が強いんがキルギスじゃし、
同じモンゴロイド主流にしても、カザフの方が広顔傾向でキルギスの方がやや狭顔が
増える傾向にあるし、遺伝子じゃのしばゃのうて形質がリアルじゃけぇのう。
古キルギスは中国文献上からは、赤髪緑眼のコーカソイド体質でイラン系たぁ
イェニセー・サモイェード系と云われるけど、古キルギスの直系子孫はハカス族と
されとる。ハカス族もコーカソイドの特徴もありながら、モンゴロイド化しとるよ。
ソロンたぁ、元来モンゴル語東方の意味で朝鮮人をソロングホ云うたりする。
ダウールは高原のモンゴル人からソロンと呼ばれ、山中の北方ツングースは、
ホングコル・ソロン野性のソロンと呼ばれた。北方ツングースは誇り高いゆえ、
彼等がエヴェンキと名乗る権利を認めず、ダウール同様下等な奴らと考えとった。
ソロンは、形質上からもダウールに似ている。満洲族、北ツングース、漢人は、
ダウールをソロンと呼んでいる。 >>489
また、われの一知半解丸出しに成ったのう。
>>487
広鼻でも黒人ネグロイドは埴原和郎氏も野性から一番遠い人種で野性に一番形質が
近いんがモンゴロイドで特に北方行くほど野性に近い。
代表的な黒人の巻き毛は野生動物にゃ不利でほとんどおらんし直毛がほとんどよのう。
家畜として品種改良で存在しとるくらいじゃし。モンゴロイドの直毛の方が
野性としては雪、雨にも有利じゃけぇのう。
>>482の歯の特徴からもモンゴロイド、特に日本人を含め北方系は肉食人種じゃけぇ、
無知な日本の知識人とやらが西洋人や黒人が肉食人種で日本人が草食人種じゃの
平気で大嘘云うけど、身体の特徴は長年の環境の身体の特徴で明かじゃし。
シベリアのような寒冷地じゃ肉食依存が強まるけぇのう。 コーカソイドは北アフリカ〜アラビア半島にかけての高温砂漠気候で生まれた人種だから、
ああいう険しい形質の頭蓋になっている。
乾燥気候で狭鼻化し、かつ高温気候で大鼻化したのがコーカソイド。
多湿気候で広鼻化し、かつ高温気候で大鼻化したのがニグロイド。
ベルベル人はニグロイドからコーカソイドになる過渡期の中間人種。 >>495
コーカソイドは、もっと北の西アジアか南ロシアあたりじゃろう。
ベルベル人は南へ行くとネグロイド形質も見られるが概ねコーカソイド形質が
圧倒的じゃろう。日本でベルベル人のハーフ芸能人云うたら沢尻エリカちゃん
じゃのう。 >>495
ほいじゃが、ネグロイドでもアフリカ西部と東部じゃ体形が違うて、西部が骨太で
がっしりした体格でトラック競技の短距離、瞬発力の強いタイプじゃし、東部は
すらりとして長距離、持久力の強いタイプじゃが、人間の狩猟活動としては後者の
持久力の方が有利なのう。
人間の瞬発力や短距離じゃ野性動物からしたら無ぁに等しいし、五輪のボルトでも無理
じゃし、人間はネコ科の瞬発力が無ぁけぇ、イヌ科の持久力方式の狩猟で追い込んで、
待ち伏せするもんが射ったりするわけで、狩猟適応からしたらアフリカ東部じゃが、
アフリカ南部の狩猟民は、体形が小柄化しとるのう。
まあ、オリンピックの長距離ならアフリカ東部、ヨーロッパそして日本人も
活躍出来るが、狩猟方式から外れとる短距離じゃアフリカ西部体形のアフリカ西部から
強制移民させられた新大陸のアフリカ系が独壇場じゃけぇ。
野性的狩猟方式から外れとる短距離やトラック競技が文明的な遊戯スポーツなんかも
知れんのう。その点じゃアフリカ西部系が野性から遠い一番文明的とも云えよう。 >>495
南方はアジアでも広鼻傾向じゃし。
http://livedoor.3.blogimg.jp/ko_jo/imgs/6/1/617e7161.jpg
日本人と朝鮮人は、東南アジア、中国南部、台湾たぁ違う形質で高顔(眉から下が長い)
の狭顔の北方形質じゃけぇのう。日本人でも縄文形質が強いと東南アジア人に近い、
広顔、低顔、広鼻に成るけど。 鼻って、高温気候でしか高くならんの。
しかも砂漠のような乾燥気候でしか狭鼻にならない。
ドバイの人は鼻の高さが5cm以上の人が珍しくないが、朝から気温が40℃の
天然サウナに入らねばならない。
縄文顔は鼻自体は広くはないが、顔が短いため広鼻になるだけの話。 >>499
縄文系はアイヌ民族も含め広鼻型に属するわけじゃが、アイヌ民族の鼻は縦にも
隆起しとるけぇのう。ほいから、埴原和郎氏のこっちものう。
https://awabi.5ch.net/test/read.cgi/geo/1356540935/322
「面白いのは雛人形の顔つきである。「京びな」は やはり瓜実顔で眼が細く、
鼻の幅が狭くて口が小さく、中高のふっくらした 顔に作られている。
これに対して「関東びな」はどちらかといえば丸顔で 目が大きく、鼻の幅がやや
広くて口は大きめである。
要するに京びなは 公家顔、関東びなは庶民顔といえそうだが、その好みの境界線が
新潟、 長野、静岡の各県を結ぶ線に一致するという話もある。
雛人形の好みも 他の東・西日本文化の違いに重なる。
ベルツの薩摩タイプは多少とも縄文人の特徴を残すものであり、長州タイプは、
渡来した北東アジア人の影響を示すものと考えざるを得ない。
島原の乱を描いた絵である。ここに描かれている足軽は、応仁の乱で略奪を働く
足軽より人のよさそうな顔つきだが、四角っぽい輪郭、団子鼻、ドングリ眼などの
特徴は見事に共通している。
一方武将たちの 顔は面長で鼻筋が通り、いかにも家柄がよさそうにみえる。
前者が縄文系、 後者が渡来系の特徴であることは改めていうまでもない。」 >>499
ついでに、こっちものう。
http://www2g.biglobe.ne.jp/%257Egomma/archivefile/data99b.html
●関西顔? ●作者から
「日本人の顔(埴原和郎著・講談社刊)」には、「一般に北部九州、中国、近畿地方
ではやや面長、平坦、狭い鼻、うすい眉毛、一重瞼。
他の地方では四角ないし丸顔、やや幅の広い鼻、濃い眉毛、大きくて二重瞼の目」だ
そうです。
また、「日本人の顔つきをあらわす言葉として『公家顔』『公家面』『瓜実顔』
などという言葉があります。いずれも面長で平坦、鼻が細く高く、細めで一重瞼を
特徴とします。歴史的に貴族階級に多いといわれます。しかし、一般にの庶民層を
見ても、このタイプは京都やその周辺の畿内と言われる地方に多く、女性で言えば
京美人の代表的な顔立ちです。
これに対して東日本には、丸顔で眼がぱっちりと大きく、また鼻の幅がやや広い人が
多くベルツの薩摩タイプに共通する特徴をもっています。」とありました。
その背景には、畿内は弥生〜古墳時代に百済や高句麗からの移民が多くあったことを
指摘してました。そのため以前からの縄文系顔の人々が東日本や南九州に住むように
なったとのことです。」 >>499
縄文系は、低顔、広顔でエラが張っとるゆえ、鼻も広鼻、団子鼻に成る。
南ツングース系の北方渡来系は高顔、狭顔ゆえ、鼻も細う狭鼻に成る。
北ツングースやモンゴル高原は高顔でも広顔が多いいゆえ、広鼻タイプも多いい。
ほいで朝鮮南部も先住韓人、倭人の縄文形質の残存で広顔タイプも一定の割合で
おるよ。ネトウヨの描くニダー顔なんか、エラの張った縄文形質の強い韓国人じゃし。 何の話だよ?
半島南部で山間に開拓村邑作って平和に稲作してた農民が
意味不明に稲作教えたくて、船で日本に渡って弥生渡来人になったんだろ?
で、半島に鉄取りに行ったりで任那や加羅を分捕った?
そりゃ、単に国体のない古代に国境が無いってだけの話じゃね?
そのあと、大和朝廷が軍事的国体を作って九州や半島も平定して
高句麗との戦争を重ねて、百済や新羅を保護、傀儡独立させた。
で、400年に半島利権と無縁なすぐ滅びる弱小中原国家南朝と倭の五王が利権交渉をした。
弥生渡来人が平和そうな農業開拓地から日本を繁栄させるために来た意味が不明だけど
任那、加羅は鉄や高句麗馬まで移入した日本の大陸防衛、富国強兵に必然でしょ。
なんか、時代は繰り返す的だなw 古代韓にちなんで大韓帝国建国。
てか、関東軍は大陸渡来人のせい、とかで、歴史は直視できなかったり汁ニダねwww >>504
>半島南部で山間に開拓村邑作って平和に稲作してた農民が
>意味不明に稲作教えたくて、船で日本に渡って弥生渡来人になった
では、何で最古水田・菜畑遺跡の弥生人たちは生活痕たる朝鮮土器を全く作らなかったの?
. 土器が変わるのは風土、作者と土と熱源が違うからだろ。
政治や資本もあるかも知らんが縄文土器作家が弥生土器の流行を受け入れた。
渡来人は土器作家か? 船使える戦乱移民なら農民ですら無いだろ?
輸入じゃなくて難民定着まで用に持ってきたもんはちょっとくらい出てるんじゃね?
ただし、渡来人が縄文集落に安住しない段階であって当然弥生時代初期だよ。
弥生渡来人が縄文人と混ざった後なら有るもので間に合えば何の意味もない。
渡来人単体の集落遺跡なんてあんのかよ?
そりゃ、徐福だwww BC200じゃ弥生初期じゃない。 >>506
考古学のセンスなし。
で、徐福集団が渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる中国系土器と中国系農具は?
. >>503
礼安里人骨の12号墳の人骨が高顔の北方渡来形質で、41号墳は広低顔の縄文人骨
じゃったけぇ、韓国のニダー顔は縄文顔じゃがのう。
>>504
朝鮮南部でも日本列島でも、稲作が主流に成った考古学根拠も無ぁし、記紀にある
五穀の一つとしての稲作で、食は麦食依存じゃし、日本のトンデモ歴史修正主義じゃ、
稲作投影が強いだけのことじゃし。
大和朝廷なんか記紀の奈良期以前考古学的にも飛鳥期までは確認出来るけど、
全国統一じゃのトンデモ妄想じゃし。半島の鉄は半島の倭も得ただけのこと。
九州平定じゃの天智天皇以降のことじゃし、記紀じゃ筑紫王朝の倭を新羅寄りと批判
しとることからも、旧新唐書の九州の倭と畿内の日本との区別からものう。
大和が高句麗と戦闘じゃの中国史書に無ぁし、倭の五王なんか逆に日本の記紀にも
記述されとらんし。倭の五王は伽耶の話じゃろう。ましてや、当時の日本列島に隋を
撃退した高句麗と戦える軍事力は考古学的にも無ぁし。 >>503
北方渡来形質が強い西日本でも、我が広島でも亀井静香氏タイプの顔もおるけど、
比率としてはエラの張った顔は>>500-501のように、九州南部や東日本に多いい。
南方系低顔同様、日本や朝鮮に残存する縄文タイプも、 低顔じゃけぇ、
顔を上下に押し潰すと、エラの張った四角顔になるだけ じゃに。
http://ime.nu/www13.ueda.ne.jp/~ko525l7/s01.htm
[信州人の顔
『私が信州大学に赴任してはや20年近くなる。信州出身の同僚や職員、学生を見て
いると顔に大変大きな共通した特徴があることに気づく。皆、顎が大きく、
いわゆる、えらが張っている。京都を中心とする西日本の人たちは顔が細長く、
信州人のようにはえらが張っていない。長い間どうしてだろうと思っていた。
ある時テレビを見ていたら、縄文人と弥生人の頭骨から生前の顔を復元して比較して
いた。その復元された縄文人の顔が、私の同僚の藤本哲也先生にそっくりなことに
驚いてしまった。彼は生粋の信州人で、長野高校の出身である。同じ長野高校出身で
現在東大教授をしている。坂村健先生がいるが、日本独自のコンピューターOS
「TRON」の提唱者として有名な人である。この坂村先生、同僚の藤本先生、
復元縄文人の3人の顔がそっくりなのには驚く。信州人の顔は縄文人の顔である。』
と、中部東部に到るとエラの張ったニダー顔の縄文形質が増えるし、西日本人から
みたら、東京首都圏はニダー顔が増える意識は持っとるよ。じゃけぇ、西日本人顔は
()で、東日本人顔の典型は、<>の角張ったニダー顔でええんじゃなぁか。東日本人の
エラ張り供もが、自らを棚に上げて韓国へ転嫁しよるけぇ憐れなんよ。 形質なんてどーでもいいだろ?
乳だし民族服の糞まみれ犬喰い土人が
足だし尻振りの成型芸能売春婦に変わるのに100年も要らんよ。
加羅、任那に渡ったのが、そもそも弥生渡来人なんだけど
日本に稲作を普及させて開拓して人口爆発を起こしてるのに
なんで半島渡って任那加羅作って新羅や百済の建国を導いてるんだ?
アジアは一。とか言って関東軍が里帰りしたのかよ?
古代だよw 国が無い開拓地だったってことだろ?
日本の軍事国家形成期が200〜300年、
四郡進出の無かった半島南部の韓は300年以降。
基本的に大和朝廷の前身の軍事仕事だが、
400年には馬や製鉄の輸入での富国強兵政策は形成できてる。
任那加羅は大陸防衛に必然だった。
百済新羅を独立国として傀儡化して663年には成立した唐と海戦。
唐は勝利し百済は消滅するが、大陸緩衝材としての新羅は残った。
この間、900年までは遣唐使外交が続き、新羅は交渉材料として役立った。
これ以降は、半島国家支配者が中国貴族化しただの収奪地となり日本は手を引く。
近代以降、中国がロシア、欧米列強の侵攻に落ちると
日本は半島に防衛線となる古代韓にちなんだ大韓帝国を建国した。
戦局で日本は米国の管理下となるがなぜか韓はゆかりの38度線以南に残った。
で、ま〜た蝙蝠化してる。
スレのお題。 加羅任那とは何か?
日本がどんなに馬鹿でも歴史に学ぶだろwww >>508-510
縄文顔は南方モンゴロイドの顔やアイヌのような人種の顔であって、
そのフランキー氏のような顔ではないよ
上で口の話が出ていたけど、中央モンゴロイドの口は小さくない
例えばチベット人を見てみるといい
チベット人にはモンゴル人のような人種の影響があり、
モンゴル人のように上顎骨が発達していたり、顔面が平たかったり、
眼窩が垂れていなくて、眉はつり上がらず、目が垂れていないようなタイプは、
口も小さい傾向があるけど、中央モンゴロイドの影響が強いタイプ、
つまりは上顎骨は発達しておらず、顔面も平たくなく(なだらか)、
眼窩が垂れていて、眉はつり上がり、目が垂れているようなタイプは、
口も小さくなく、普通のサイズの傾向がある
何なら逆に大きめだったりする
つまり、同じ寒冷地適応を遂げたモンゴロイド同士でも、
この点にわかりやすい違いがある
シベリア先住民は口が小さい
モンゴル人も口が小さい
朝鮮人も口が小さい
日本人も朝鮮人の影響で口が小さい人がけっこういるけど、
それでも、上記のチベット人を除いた集団に比べると口が大きい傾向がある
それは上記のチベット人を除いた集団に比べると、
シベリア先住民の影響が弱いからだろう
まぁ、日本人のなかでも地域差がある
例えば関西人ははっきりと全体的に口が小さい傾向がある
中国地方人も関西人ほどではないせよ、口が小さい傾向がある
これらの地域には特に朝鮮人の影響が強いからだろう
これらの地域では目や頬骨にもより朝鮮人の特徴が出ている 続き
その点、そのフランキー氏も口が小さい
日本の縄文系は沖縄人やアイヌの顔を見ればわかるけど、
口は小さくない
フランキー氏のそれは縄文人の特徴じゃない
フランキー氏は口以外にも、目が細かったり、すなわち蒙古襞が発達していたり、
縄文系にしては眼窩が丸っこかったり、上顎骨が発達していたりと、
色々とシベリア先住民の影響が出ている
フランキー氏は顔が丸っこいんで、縄文人の影響があるのは間違いないと思う
だから縄文系と呼ぶのも間違いではないと思う
ただ、それにこう付け加えるべきだと思う
シベリア先住民の影響があると
さらには、日本の中央モンゴロイドと縄文人の混血の縄文系とは
こう書いて分類するべきだと思う
フランキー氏は日本の縄文系と朝鮮のシベリア先住系が混血した朝鮮南部の先住民系であって、
日本の弥生時代か古墳時代に新たに渡来した渡来系であると
これが正確な分類ではないかと思う >>513
単に弥生人だろ。
朝鮮から来てませんので。
弥生人は渡来当初、朝鮮土器をさっぱり作らなかった。
朝鮮経由したなら知っているはずの壺も高坏も知らなかった。
沿海州から山陰に直接渡来しただけですんで。
突出した口縁部に刻みが施される、朝鮮の土器文化ではない土器文化を持ってな。
あたかも朝鮮から来たかのような悪質極まりない詐欺はやめろよビビンバチョンセン。 >>511
乳出しじゃの日本でも昭和40年代前半頃まで電車やバスの交通機関で若い母親が
赤児へ授乳させる為公衆の面前でオッパイ出しとるんも当たり前じゃったし、
日本の水田稲作も人糞肥料を撒いた田んぼで足埋めて作業しよったし、日本国内で
誘拐拉致され売春婦にさせられた「からゆき」娘子軍や桃山期の南蛮ポルトガル船にも
詰め込まれ東南アジアの日本人町の収入源も日本女性の売春の伝統すら歴史無知は
韓国へ転嫁が好きじゃのう(笑)。まあ弥生期の列島倭人も漢への生口献上の
属領奴隷民じゃったし。
日本記紀の記述じゃの、朝鮮の馬韓や辰韓の時代に百済や新羅があったと捏造する
三国史記同様、日本の記紀も捏造文書集云うことすら無視して、記紀教典信仰は、
歴史学じゃのうて宗教カルトそのものじゃなぁか(笑)。
日本の大型古墳建設の人夫動員からも朝鮮半島へ送る兵員数なんか揃えられんよ。
員数、人件費もかかるわけじゃに妄想が好きじゃのう。 >>512-513
本土や琉球の縄文形質はアイヌ人ほど鼻が縦に隆起した人らは少なあ、どっちか
云うたら広鼻の団子鼻系が多いいわけじゃし。琉球じゃ顔面平坦度の強い縄文形質も
多いい。口の大きさは鼻同様、広顔の方が広がる確率が高いわけで、渡来系とか
縄文系の区別じゃ無ぁわ。頬骨の高さや張りも渡来系の北ツングース集団と縄文系に
顕著じゃが、チベット系や南ツングースの渡来系集団は頬骨が低く、張らん傾向も
狭顔ゆえじゃろう。
フランキー堺氏は、形質骨相からも、鹿児島典型の縄文系に成るわけじゃし。
ほいで縄文人骨じゃ、目や耳は復元出来んけぇ、縄文系の目の大きさが画一的とも
云えんわけで、日本の縄文形質は考古学的にバイカル〜シベリア樺太経由と大陸から
朝鮮半島経由の大きな二つのグループが考えられるけど、目の変化は
残らんわけじゃが、朝鮮半島経由の縄文系は朝鮮南部の縄文系と容貌が近かった
歴史的連続性は縄文期から弥生期の韓式支石墓人の縄文形質人骨からも妥当性が
あろうで。 >>514
沿海州の集団の形質がわかればいいんだけどね
>>516
>口の大きさは鼻同様、広顔の方が広がる確率が高いわけで、渡来系とか
>縄文系の区別じゃ無ぁわ。
これが違うんだよね
シベリア先住民(北方モンゴロイド)は寒冷地適応を遂げていて、
口の周りが狭くなっていて、口が小さくなっている
だけど上顎骨が発達していて、頬骨なんかも張ってるもんだから広顔で、
それこそ<>こういう顔になっている
モンゴル人とチベット人を見比べてみるといい
北方モンゴロイドと中央モンゴロイド以南のモンゴロイドとでは、
口の大きさが違っている
同様に朝鮮人と日本人とでも口の大きさが違っている
朝鮮南部の縄文系と日本の縄文系とでも口の大きさが違っている
これは朝鮮と日本のシベリア先住民の影響の違いだろう
フランキー氏の口は朝鮮南部の縄文系のそれで、
つまりはシベリア先住民の顔が混ざっていて、
日本の縄文系(縄文人+中央モンゴロイド)に比べると、
上顎骨が発達していて(顔の上半分が大きい)、
眼窩も縦に伸びて丸っこくなっていて、眉毛が高い位置で八の字を描いていて、
そのスペースを埋めるように蒙古襞が鋭く発達していたりと、
色々と違っているんで、とても同一視することはできない
最近、みやぞんなる人物がテレビによく出てくるけど、
あの人の顔なんかわかりやすい
あの人は明らかにシベリア先住民系だと思うんだけど、
フランキー氏にはああいう顔が混ざっているよ 口に関してもう一言二言
例えば政治家の安倍親子(晋太郎・晋三)の口なんかもそれで、
ああいう口は中央モンゴロイド以南のモンゴロイドには見られない
アイヌのような人種にも見られない
ちなみに、あれに近いのはコーカソイドの北方人種の口で、
コーカソイドの北方人種、特にゲルマン系の口も同様に小さい
特に、ご指摘の通り、狭顔の傾向があるブリテン諸島人なんかは、
口の小さい人が多い >>517-518
シベリアの先住民も口が広い人はかなりおるよ。しかもシベリアは[ ]顔で<>は、
古モンゴロイドの縄文系や南方モンゴロイドじゃけぇ違うで。
ほいから、日本テレビのケンミンショウで栃木は顔が訛っとるの典型はエラの張った
縄文顔と顔が細長い渡来顔じゃが、ガッツ石松さんの顔は前者の縄文顔よのう。
「訛り顔疑惑を払拭すべく栃木県を調査。八谷幸子さんに聞いたところ2つの
系統に分かれており1つ目は顔の幅が広くてエラが張っていて顎がしっかりしている、
鼻は鼻筋が太くて肉付きが良いガッツ石松タイプ、2つ目は面長な顔で全体的に彫りが
浅くてのっぺりとした顔、目が一重で細くて垂れ下がっている益子卓郎タイプが
いるという。」
まあ、口の大きさじゃの鼻同様顔の広さによるし、イギリスの狭顔北欧人種型は
東ヨーロッパの広顔が多いんに比べたら口が小さいだけのことじゃし。 魏志韓伝
韓在帯方之南東西以海為限南與倭接方可四千里有三種
三韓は方可4千里、南沿岸は倭人国
この倭人ってのは、おそらく前漢、任那加羅以前から半島にいる弥生渡来人だろ?
で、どっちからどっちに移民ってことも無くて国境無いだろ? >>516
安芸青牛は昔から盛んにフランキー堺を取り上げるが
よっぽど惹かれるタイプなんじゃろうな(笑 崇神天皇=ミマキイリヒコ は本人または先祖が「任那にいた倭人」だったという説があるが。 >>523
それ本当なんか?
だったら卑弥呼かもしれんジャマイカ。 >>517
石田肇のドキュメントが詳しい。
アムール沿海州の古代人骨や少数民族の形質を徹底解析している。
オホーツク文化人という表現を使っている。
古代のアムール沿海州人は至って扁平な顔面を持ち、中頭で、頬骨の突出が弱く、
至って渡来系弥生人骨に近い形質の人種に思えた。
ところが、のちに韃靼人が侵入し、形質が変わってしまったらしい。 >>521
フランキー堺氏は、>>500-501のベルツ氏の云う「マレー・蒙古系(薩摩タイプ)」の
典型容貌じゃけぇのう。ほいからベルツ氏は朝鮮南部も
「マレー・蒙古系(薩摩タイプ)」が増えることを指摘されとるよ。
朝鮮南部よりも、山口県の方が、「満州・朝鮮系(長州タイプ)」が多いいけぇのう。
>>526
オホーツク文化人は、高顔でも広顔の北アジア系で渡来系弥生人、渡来系古墳人は
高顔、狭顔のチベット東部から北東アジアに多い中央蒙古系じゃけぇ違うよ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています